ニュースを読んでいたら、どこか(大学?)の偉いジジイが、(書評に関して)「ネットのクチコミなんて、無記名で無責任だから、読む価値も必要も全くない。読むなら、有名な人が新聞の書評欄に書いたものだ」(と学生に言う)などと言っていた。

なんでも、偉い人が記名で書くなら、下手なことを書くと馬鹿にされるから、そうならないようにまともなものが書かれているそうだ。

もう、大草原だ。

ここだって、その「無責任で読む価値の全くない」サイトなんだろう。ある意味正しいからそれでもいいけど、じゃあ、今まで山ほど多くの偉い人が新聞だのTVだので偉そうなことを言って来たが、どれだけ正しかったか?

単に、安直に、「偉い人」が勧める(あまり外れなさそうな)本を選ぶだけじゃないか。そんなのサルでもできる。その挙句に、そのジジイも「偉い人」と持ち上げられているんだろうけど、鏡を見たことがあるのか。実際にはどんな大層なことをしたっていうのか。ノーベル賞でももらったか? せいぜい、良く居る「有識者」だろう。そういう連中が今の惨憺たる日本をこしらえた訳で、それはまあ、大変な成果だと思うよw

僕も、確かに、無記名で書いてあることがいい加減な率は高いから、鵜呑みにしてはいけないと思うが、他山の石にはなるし、(探していることには関係ないかも知れない)何かのヒントが得られる可能性があると思う。まさに玉石混交だ。そういう海の物とも山の物とも知れないものの山から自分の目指すものを探すのは、とても価値のあることだと思う。実際、僕は今までにそういうことが何度もあった。

まあ、良く言われていることだが、(特に若者は、)年寄りの言う、古臭いカビの生えたことなんて、真に受けるなってことだ。自分で考えて確かめることが重要で、そうすれば成功するとは保証できないけど、おもしろいことは確かだ。

(いつも書くように、もちろん、上に書いたことだって真に受ける必要はなく、自分でいいと思ったことをやればいいのだ。)

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音楽教室のレッスンで弾くのを公衆に対する演奏と言うのは、音楽(芸術)音痴の極みだ。レッスンで、本気で全曲(でも1番だけでも)「演奏」する先生が居たら、見てみたい(仮にそうしてもらったら、それは本当に演奏だから、お金を払ってもいい)。

彼らの論理で、演奏に限らず練習(レッスン)でも人前で弾いたらお金が要るのなら、(包括契約にしない場合、)曲の複数の部分を何度も弾いた場合はどういう課金になるのだろうか。1レッスン当たりの曲数(弾いた長さには無関係)で課金するのか。どうも腑に落ちない。ちょっと違うけど、一種の引用と考えれば、許される行為ではないか? 仮に僕が先生か生徒だったら、そういう理不尽なのはどんなに安くても嫌で、お金の掛かる曲は使わないだろう。みんなそう思ったら音楽は廃れる。とにかく、JASRACは目先の金にしか関心のない強欲者の、文化庁はアホの集団だ。

包括契約もひどいもので、誰が何の曲を何回使用したか全く分からないはずだ。その状態で、何(どういう情報)に基づいてお金を分配しているのだろう? 例えば、ある月(年でもいい)に全国で1回しか演奏されなかった曲に、絶対にお金は行かないだろう。だけど、契約(内容は知らないが)では1回数円(1円だって1銭だっていい)は支払われるはずではないだろうか。そのお金はどこに消えるのだろうか? 明らかにしてくれなければ、払う気なんて起こらない。

もしかして、契約に、「使用料が小額の場合は、『音楽文化振興事業』に使用される」とか書いてあるのだろうか? それでもいいけど、包括契約だったら、「いつ何回使用された」という情報すら行かない。そんな管理でいいのだろうか?

彼らの論理で行けば、車で音楽を再生しただけでも、外に音が漏れたら(知らない人たちに聞かせた時点で、個人的に楽しむ範囲を超えるから)課金されるのではないだろうか。大型スクーターの(迷惑な大音量)ステレオはもちろんだ。それが高じて、屋外で使用可能なスピーカー付きステレオの類に一括課金(昔の音楽用CDの二の舞い)されるのではないか。NHKと同じで、権利にたかる魑魅魍魎だ。

NHKは、内容や価値はともかく、自分たちで番組や技術を作って、それを押し売りするが、JASRACは、自分たちでは何も作らず、ダフ屋とかみかじめ料を取る人たちのように、作り手と聞き手にたかり、自分たちの金欲のために両方を潰すから、更に程度が低い。

ただ、ネットで良く見る「街や店内から流行歌が消えて、大ヒットがなくなった(。そしてCDが売れなくなった)」という文句は、実際にはJASRACのせいではなく、店主などがセコいせいだ。ちゃんとお金を払えば流せる(実際、最寄りのスーパーは、結構昔のではあるが、ヒット曲のカラオケを流している)。練習(試奏)でなく、れっきとした本番(商売)に作品を使っているのだから、仕方ないだろう。一方、最初に書いた教室の話を当てはめると、開店前に、店員の居る店内でテストで曲を流しても課金されるという論理になって、それは全くおかしい。それから、今だってTVなどがあるから、ヒット曲は生まれるはずだ。出ないのは、人の好みが多様化したのと、素材が粗悪になり、作り手が金儲け(例: 「握手」、「選挙」)に走ったせいではないか。

それに、好みに合わない、現代の粗雑なヒット曲(らしきもの)を外で延々と聞かされないで済むのは、僕にはとてもありがたいことだw(実際には、ラジオだの有線だので、まだまだ聞かされるが) 出鱈目な人(店主など)が出鱈目な作品に金を払いたくないために演奏されず、出鱈目な人に金が行かない。これは一種の淘汰と言えるから、それはそれでおもしろい。

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昨日、ミロス・フォアマンが亡くなったというニュースを読み、「炎のランナー」(1981)の監督かと思ったのだが、実際には「アマデウス」(1984)だった。それで、何となく「アマデウス」が観たくなった。随分久し振り(おそらく、公開直後にTVで観たのが最初で最後だったと思う)だし、僕がクラシック音楽を聴くようになったきっかけの一つはこの映画のような気がしているからだ。

余談1: 高校の頃、(実家で)観た覚えがあるのだが、調べると、日本での公開は1985年なので、大学の頃だ。すると、ビデオで録画して観たのかも知れない。テープもあった気もするが、こっちに戻って来た時に見たら、ほとんどカビていたので、全然残っていない。そもそも、VHSデッキもTVもない(「かける機械も見たことねえ」w)。

余談2: 今まで再び観ることがなかった理由の一つは、この映画は史実と全然違うというようなことを聞いたためだ(今となっては、「それがどうした」と思えるのだが、当時は結構がっかりした)。もう一つは、モーツァルトが、頭の大変軽い、脳天気な馬鹿者のように描かれていて、いけ好かなかったからだ(これは、今でなく、若い頃に思ったことなので、すごく反感(ライバル心??)を持ったようだw)。あとはサリエリ(とその音楽)が気に入らないのもあった(全く別の映画になってしまうが、彼を出さなければ良かったのにと思う)※。そしてもう一つは、確か、最後にモーツァルトの遺体が穴に放り込まれるシーンがあったと思うのだが、それがどうにも嫌だった。でも、今となっては、当時の音楽や世の中のことがいろいろ描かれているだろうから、嫌だったことも含めて、純粋に楽しめると思っている。

※書いた後に思ったのだが、当時の僕は、自分がサリエリ型であることに気付かされてムカついたのかも知れない。だから天才モーツァルトがものすごく気に入らず、普通の人だったために日陰者になって苦しんだサリエリも見たくなかったのだろう・・・

余談3: ちなみに、調べたら、音楽はマリナーがやっているらしい。Wikipediaでは、彼が「モーツァルトの第一人者」だから担当することになったとか書いてあったが、初耳だし、どうにも納得できない。彼は有名な指揮者ではあるが、モーツァルトの凄みは出せないと思っている。例えば、彼の「レクイエム」なんて、悪くはないが、なんか、ポピュラー音楽的なのだ・・・ (まあ、そういうのは個人的な感想なので、どうでもいいことだ)

観るとしたら、当然オンライン(配信サービス)でと思って調べたら、Googleはもちろん、AmazonでもNetflixでもHuluでも配信されていない(→ 便利な検索サイト)。なぜかツタヤだけはあるようで(← 再度調べたら、DVD/BDレンタルの誤りのようだ)、最初の1か月間は無料だからタダで観られるのかも知れないが、大嫌いなので、ロハでも使う気はしない。

余談4: ズルではあるが、「ちょっと観させてよ」って気持ちでYouTubeも探した。何十個も出て来たが、ことごとく削除されていた。中には、「消されました」という映像のメッセージを出して怪しいリンク先(短縮URLなので、正体が分からない)に飛ばそうとするものもあって、ちょっとした闇を見た気がした。

結局、DVDかBDを買うしかなくなって、かなり観る気が失せている。値段は千円程度なので問題ないのだが、物が増えるのが嫌なのだ。昔だったら、(CDのように)DVDをPCに取り込んで捨ててしまえばいいのだろうが、今は違法のようだから(公式には)無理だ。しかも、送られて来るのを待って受け取るのも面倒だ。要は、観たいと思った時に(後腐れなく)気軽に観られないのが嫌なのだ。

という訳で、なかなか世の中は進歩しない(進歩するのが不均一な)気がした。

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(続・良く見掛ける人たちの続き) 主に通勤の時に。

  • ヤンキーっぽいお姉さん: (前に書いたかも) コンビニで数人で談笑しながら煙草を吸っている(もちろん立ってw)。小柄・小顔で可愛い雰囲気(髪はプリンじゃなくて、ちゃんとしたボブw)もあるが、ズボンは「ドンキに行きます」的な運動着(スウェットではなくナイロン素材。オーバーパンツ?)で、前席側面の窓にカーテンの付いた大き目のワンボックス(アルファードかヴォクシーかエスティマ?)に乗っている。煙草さえ吸わなければ、随分いいのに・・・
  • 小型ワンボックス(フリード): おじさん。僕とほとんど同じ道を走る。結構飛ばすし運転が荒いが、いつも最後に僕に追いつかれる。学習しないのだろうか?w ちなみに、この車はアマチュア無線の周波数帯の一つがナンバーなので判別できる。
  • バリバリのインテグラ?: 甲州街道を思い出させるナンバー。若者なのに意外にも運転はまとも(大人しい)なので、偉い。ただし、排気音がうるさいから、近くは走りたくないw
    • 全くの余談: ホンダのスポーツ車は、シンプル(20年くらい前のEKという奴?)な頃のインテグラやシビックが良かった(そこらのtype Rを通勤の時に良く見る)。今のシビックは余りにもゴテゴテしていて、見ると、「何かの罰ゲーム?」って感じで、本当に笑ってしまう。
  • 県外ナンバーのビートル: 前にも書いた。結構近所に住んでいる感じ。
  • 赤のスーパーカー(前にも書いた。偽物?): あれを見ると、スーパーカーなんてかっこ良くなくて、全然うらやましくなくなる。造形がガンダム的で(好きな方、ごめんなさい)流麗じゃないからだろうか?
    • → 調べたら、今は「いかにも」な形のスーパーカーは余りないようで、もしかしたら、地元メーカー イケヤフォーミュラのIF-02RDS(実は今知った)なのかも知れない。ただ、見たのはそれがナンバーを取る前(少なくとも、前の稿を書いた2015年)からなので、違うと思う。いずれにしても、良く見るのは、そういうアクの強い形の車だ。
  • ナンバーが"660"のS660(数台): もちろん、数字に意味や制限はないから何を付けてもいいのだが、僕にはわざわざその番号を付ける意味が理解できない。だって、見ればS660だと分かるのに、ナンバーもそれでは重複していて無駄ではないか。660という数が好きなのなら分かるが・・・ あっ、それは、シャネルとかの、マークがでかでかと出ているバッグを持つ人と同じような気持ちなのかw
  • ナンバー(希望ナンバーでない)が"8940"の車: 滅多に見ないが、3回くらい見た。おそらく同じ車両ではないか。今はもう薬師丸ひろ子のファンではないが、ちょっと(いや、結構w)うらやましい。が、どうせ持ち主は何の意識もしていないに違いない。そこがまた悔しいw
  • アホスバル(レガシーB4?): 何がアホかというと、たまに居るのだが、本物のナンバーの下に海外(ヨーロッパ)のナンバーを重ねて付けていたのだ(→ 参考)。そんなにナンバーが好きなのだろうか。そもそもスバルは日本車だが・・・ しかも、僕らに、本物のナンバーは見えないことにして欲しいのか? まったく注文が多い奴だw それだけでも笑えるのだが、更に笑えるのは、近頃ヨーロッパのナンバーを外したことだ。ようやく馬鹿さに気付いたのか。脇に細長い跡(汚れか固定用両面テープ)が残っていたのも無様だった。後ろのナンバーは自分では外せないので、誰かに馬鹿にされたとかで余程外したかったのだろう(→ こうしていたのかも: 元ページ)。STiだったと思うが、やっぱり運転は荒くて危ない。近頃見ないがどうしたか・・・
  • 元カルト宗教団体の元被告に似た自転車の女性: 無罪になった時の顔を見るまでは、「そっくりだ」(ただし、近頃の手配写真には似ていない)と思って、その名前で呼んでいたのだが、近影は随分変わっていたので当惑した。
  • 自転車の中年女性: 結構長距離を走っている(僕とほとんど同じ経路を走っている)。今では珍しく、ちゃんとしたバックミラー付き。朝夕どちらも見る。
  • 黄色い自転車のお婆さん: 趣味が合う?w 単に安かっただけ?
  • 郵便の大型トラック(同じ車両ではない): 公的な車なのに、意外に運転が荒い。以前、派手な事故を起こしていた。公的な車といえば、この辺りの中規模会社の路線バスの運転はひどい。例えば、片側2車線で左車線が渋滞している時、右車線から左折(左車線に入るのでなく、左車線の切れ目を通り抜けて左の道に折れる)するのを見たことがある。あと、黄・赤信号で停まらないのは当たり前だ。タクシーもそうだが、プロとして見本を見せるつもりは毛頭ないようだ。
  • 助手席に大きな犬(ハイジのみたいな感じ)を乗せた若い女性: 滅多に見ないが、朝も夕も見た。時々、にこやかに犬に話し掛けながら運転している。どういう人(仕事)なのだろうか。ペットショップ勤務? もしかして、保育所のように犬を預けてから出勤?? もしかしたら、猫と通勤している人も居るのかも知れないが、見えないだけだろうか? さすがに、膝に乗せているのは見たことがないw
  • OLっぽい人(数人)。この辺りでは珍しいが、皆無ではない。付近のお役所的な職場や大企業の工場に勤めているようだ。なんとも場違いな雰囲気なので、目を引きつけられる。夕方、徒歩で帰宅する人(同じ人)も見る。
  • 自動車ディーラーの女性(数人): (スーパーで) 事務の人だろうか。制服に高級ブランドのロゴが入っている。タイトな(色っぽい)制服やコツコツとした靴音に惹かれてしまう。でも、そこで買うことはないだろうw
  • 銀行の女性(数人): 朝、たまに掃除している。窓口の人だろうが、田舎のせいか、マイナス金利なんて関係なさそうな、のどかな雰囲気。上記のOLやディーラーの人たちとは正反対。思わず信用してしまいそうだが、罠だろうw
  • 平安(弥生?)時代的な丸顔の女の子: 以前は毎朝のように見ていたのに、卒業したのか、近頃は見ない。高校の同級生に似ていた。

こうして振り返ると、時間が経つと見なくなる人も居て、田舎も変わらないようで実際には変わっていることを実感するし、残念に思うこともある(そうは言っても、特に知り合いになる手段がある訳ではないので、どうにもならないが)。まあ、毎日の退屈な通勤で(もちろん、自分の車の運転は楽しいけど)、「ああ、あのおっちゃん、また無駄に飛ばしているよ。馬鹿だなあ・・・」→「はい、追いついた」とか「いつものヤンキーお姉さん。。。」とか「あ、犬の人だ! 久し振りだなあ」とか思って楽しめるのはいい。

 

PS. 読み返してみると、僕は車が好きと思っていたけど、実際には、ほとんど車の名前を知らないことが分かった。要は、自分が好きなの以外は"don't care"なのだw

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どこかの文明の遅れた国用w

  • (資料は)存在しない → これから破棄する。
  • 記録にない。 → 抹消・破棄済み。
  • 精査する → 言い訳・逃げ方を考える。
  • 調査中 → 言い訳・逃げ方を検討中。
  • 調査に時間が掛かった → なかなかいい言い訳・逃げ方が見つからなかった。うやむやにできたと思ったのに・・・/タイミングが合うまで待っていた。
  • 記憶にない → (もちろん記憶はあるけど、マズいので)忘れたことにする。それなら偽証じゃないよね。
  • (いくつかの条件付きで)そういう事実はない → (厳密に条件に合う事実はないが、)わずかに条件から外れる事実はあった。
  • (いくつかの条件付きで)*だったら※する → (少しでも条件から外れるだろうから)絶対に※しない。
  • コメントは控える → 都合悪いからパス。余計なこと聞くなよ!
  • 悪魔の証明 → (証明できないのが常識らしいから、)僕ちゃんには証明する必要なんてないもんねー
  • 全く関与していない → おーい、みんな、口裏合わせろよ! 証拠消せよ! じゃないと分かってるよね。
  • 申し訳ない → ぎゃーぎゃーうるさいから、とりあえず何か言っとくか。
  • 責任を感じている/遺憾 → それらしい言葉を言っとけば忘れるよね。
  • 部下が悪い → 全くそのとおり。自分はそんな命令をしてないし、証拠は何もない。知らなかったことの責任なんてある訳ないだろう、ボケが。
  • 適切に処理する/した → テキトーにやっとくよ/やったよ。でも、結局やらないかも知れないから期待しないでね。何か文句あんの?
  • 最大限の抗議をする → その「単語」(だけ)を出しておけば、何もしなくても、国民は納得するよね。
  • よろしく → 忖度しろ。
  • 書き換え → 捏造
  • 議事録からの(不適切)発言の抹消 = 議事録の捏造

まあ、大体が嘘や出鱈目で、信じる方が悪いってことだね。。。

 

PS. そのうち、AIが進歩すれば、TVなどで、リアルタイムに本当のことが表示・吹き替えできるようになると思う。まあ、それでも逃げられるとは思うが。あるいは、AIの言うことに証拠がない(実際には、膨大な事実から結論を出すので、証拠はいくらでもある。ないのは、本人が納得する証拠)とか印象操作とか報道の正確性を低下させるとかいう理由で、そういう情報を重ねることが禁止されるかも知れない。ま、何だっていいよ。馬鹿(実際には魑魅魍魎)につける薬はないので、気の済むようにすればいい。

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今頃FBを退会だって? 僕なんて、そんなことは5年も前に気付いて止めたよ。だから僕に右往左往してるって言われるんだよw

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世の中に何人、理解または共感してくれる人が居るか分からないが、僕はある時(結構昔)、冬物のクリーニングを引き取る時に、妙な気分を持つことに気付いた。

ダウンジャンパーのようなフード付きの服でフードが外れる物は、外されて単体としてクリーニングされるので、帰ってくる時は、フードだけ小さい袋に入っている。毛糸の手袋も同様だ。その小さい袋に不思議な感情が湧くのだ。

その袋がまるで赤ちゃんのように感じられ、そんなつもりはないのに、服の本体以上に丁寧に扱わなければならない、言ってみれば、「守ってあげたい」などと思ってしまうのだ。

これは母性本能みたいなものなのか、女の人じゃないので分からないが、妙に優しい気持ちになるのは確かだ。

(以上。オチはない)

 

PS. オチの代わりに。「違うわよ、全然分かってないわね。私なんて子ども十人以上産んで育てた訳よ。そうしてみてすごく良く分かるのは、(略)」と繋げるとおもしろいと思ったが、全く余計で不謹慎ですね。

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以前にも書いたことがある気がするが、近頃、以前にも増して音の違いが分かるようになった気がする。その原因は、音の出力系をグライコ(DEQ2496)からJACKとPC内蔵DACに切り替えたからとは思えないが、気付いた時期とは一致している。

例えば、以下のようなことがある。

  • ビートルズの2009年ステレオリマスターと"Millennium remasters"(海賊盤。"Dr. Ebbetts"と呼ばれているものの更なるコピー)の音の違いが一瞬で分かる(「音が悪いなあ」と思ってプレーヤーを見ると、後者。ちなみに、リマスターを買った当時は、後者の方がいい音だと思っていた。なお、1988年に出たCDは分からない)。
  • 小泉今日子 「ヤマトナデシコ七変化」の「クシャーン」という、何かが潰れるような音がリアル(正確には、実際にはリアルでないことも分かるのだが、リアルっぽく聞こえる: 「カニかま」がちゃんとそれと分かり、銘柄が判別できるような感じw)。
  • 同 "The Stardust Memory"のサ行の音の悪さ(「潰れ気味」と書けばいいのか。DeEsserの設定不良?)。

まあ、機材や再生環境に関しては、DEQ2496を導入した時から必要充分な状態になったと思っているので、短期的には体調の変化(音に敏感になっている?)、長期的には経験値が上がったということなのかと思う。あ、環境については、JACKに切り替えた時に部屋の特性に対する補正を再調整したのが効いている可能性はあるか。

いずれにしても、昔は劣悪(と言っても、当時はそれなりにいいものを揃えていたつもりだった)な機材や再生環境で、原音(レコードやCDに記録された音)に忠実な再生なんて夢のまた夢だったし、経験が少ないために脳がついて来られなかったのだろうか、聴いても音や歌詞が判別できないことが多かった。

だが今は、(とりあえず)忠実な再生が出来る機材や環境が手に入って、手軽にいい音で再生でき、脳も(老化するばかりでなくw)継続的にバージョンアップできているようなので、うれしい限りだw

 

PS. 驚くべきことに、今、ビートルズの2009年モノラルリマスター("Please Please Me")を聴いてみたら、全然音が悪くない。買った当時は、音(振幅)が変に圧縮されて聞こえて嫌だったのだ。これは、機材・環境の改善の効果かも知れない。だとしたら、随分長い時間を無駄にしていたことになる。もう少し確認してみたい。

確かに音は悪くないのだが、やっぱりステレオ盤の方が好みだ。ステレオ盤の方が抜け感(今はやりの用法ではないw)があって、心地良い気がする。

PS2. 上で1988年のビートルズのCDの音は分からないと書いて気付いたのだが、Dr. Ebbettsはレコードから音をダビングしているから音が悪くなっている一方、本物のCDはオリジナルのマスターテープからデータを作っているから音の劣化がないということではないだろうか。

ということは、今、(どういう訳か)みんながありがたがっているアナログ盤(レコード)もそんなものではないだろうか? まあ、今のレコードは制作者がそれ用にマスタリングしているのだろうから(全くご苦労なことだ)、それなりの意味はあるのだろうけど。

まあ、好みの問題だ。ストレートな音を好むか、アナログ媒体のフィルタを通した音を好むかの違いだろう。後者が好きなのなら、聴けばいい。僕はレコードやテープといったアナログ媒体自体には全く価値を感じないし、音がいいなどとも思わないし、好きでもない。

「コーヒーを純水(H2O)で淹れるか湧き水で淹れるかの違い」と書くと、なんか違う気もするしw、「MT車とAT車の違い」、あるいは、「電気自動車とエンジン車の違い」と書いてもやっぱり違う感じだ。

さらに話が逸れるが、将来、モーターの車が普通になったら、「エンジン車のまろやかな加速がいいんだよなあ」とか言って乗る人が出て来そうだw

  • Dr Ebbetts

    Dr Ebbetts

    Please do not use Dr Ebbetts as a label unless it …

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血圧を測り始めてから早くも2か月。思わぬ展開になった。

まず、今通っている医者は駄目なことが分かった。確かに親切ではあるのだが、大切なところがずさんだ。最初にピロリ菌の除菌を依頼した時、全く診察せずに、いきなり内視鏡検査をすることになった時からそんな予感はしていたのだが、全般的に事前の説明が足りないので、どうも信頼できなくなった。

ピロリ菌については、除菌処置後、約3か月間、(それまで胃酸を弱めていたピロリ菌がいなくなった結果、胃酸が強まるため)胃酸を抑える薬を処方され続けている。いつまでかは聞いてはいないが、死ぬまで飲むことになるのかも知れない。そういうことだったら、事前に除菌のリスクとかデメリットの説明をして、どうするか考えさせて欲しかった。

高血圧については、先月の再診時に、それまでの平均値(150/100程度)を見て、早くも降圧剤を処方された。もう少し様子を見て欲しかったし、血液や動脈硬化などの検査もしてから方針を決めるべきではないかと思ったが、何もせずに決めた(専門外だからか)。そして、こっちも死ぬまで薬を飲むのだろうが、やっぱり、それについての明確な説明はなかった。

どちらも医師には常識なのだろうし、世間の常識なのかも知れないが、(僕がその「常識」を知っているかどうかは彼は知らないはずだから)一応、説明すべきだと思う。いつもは親切なのに、こういうことを教えてくれないのは、やはり、定常的な収入を確保したい気持ちがあって後ろめたいのか。そういうのを忖度しろってことか?

胃酸を抑える薬については、飲み続けても、対症療法的な効果以外に(胃酸を出す器官の性質が変わって)胃酸の分泌が減ることはないだろうから、飲むのは止めることにした。それで炎症がひどくなって「何か」になったら、仕方ない。

血圧は、一週間薬を飲んでも下がらなかったし、ずっと飲み続けるのは嫌なので、止めてみることにした。すると、ばらつきはあるものの、最初(上は160を超えていた)よりずっと下がり、最近の2週間の朝の平均値は146/102(mmHg)だった。当時は疲れやストレスがひどく、更に測定に慣れていなかったために高かったのではないか。

血圧の変化 (3/1-): 3/10の夜から服薬、3/16の夜から服薬中止

とはいえ、今でも決して低くはない。それで、調べてみたら、「高血圧治療ガイドライン2014」では、上は「I度高血圧」(140-159/90-99)、下は「II度―」(160-179/100-109)に相当し(下はギリギリI度になる可能性・期待はある)、I度高血圧は「低リスク」とのことだ。「低リスクの場合は治療は要らない」という意味ではないと思うが、僕だったら、「死ぬまで薬」よりも小さいリスクを取りたい。それに、降圧剤にも副作用はあるから、飲むことのリスクがない訳ではない。

他に、一般的な指針ではないが、「薬物治療は180/110mmHg以上」という、独自の調査に基づく見解もあった。それ以外にも、いかにも民間療法とかTV・週刊誌的情報で怪しいのだが、偶然にも上と同じ「上は180、下は110まで大丈夫」や「上は年齢プラス90を大幅に超えた状態が続かなければ大丈夫」(大意)という説もあった。他に、(うつ病の薬と同様に)製薬会社の差金で高血圧の基準が引き下げ続けられているという説もある。

以上の情報から検討した結果、ガイドラインだけを採ったとしても「低リスク」と明記されていることから、降圧剤を飲むのは止めることにした。ただし、血圧の測定は継続し、更に上がるようなら診てもらうことにした。

なお、上記のように、今の医者はずさんで漫然と投薬し続ける傾向があるので、(スタッフは親切でいいのだが)もう行かないことにした。次に行くなら、患者の顔は余り見ないしガキも多くて混んでいるけど、余り薬に頼らない医院(そういうところに、医師が患者にとって最良は何か考えているとか、最新の情報を収集しているかとか、その人の経歴が効いて来るのだろうか)にしようと思っている。

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松田聖子のベスト("Bible")を聴いていたら、いつもドキドキする"Rock'n Rouge"(1984)が掛かった。「ドキドキ」と言っても、僕にそんな思い出がある訳もなく、以前も書いたのだが、この曲は歌うのが難しい(失敗すると「音痴」になる)箇所があるので、聴くたびに思い出すという意味だ。

そんなことを思いながら ふと検索してみたら、曲を解説しているページがいくつかあった。その中の一つにピアノを弾きながら解説しているビデオがリンクしてあったので、もしかしたら、僕が難しいと思っている箇所についても説明されているかと思って観てみた。が、すぐに止めた。ピアノの音が余りにも汚なくて(うるさくて)、耐えられなかったのだ。

ピアノ教室で良くありそうなパターンだが、生徒が駄目だったら、「そこはこう(バン)じゃなくてこう(ガン)弾くのよ! (何度言ったら分かるの!? キーキー)」とか言いながら、鍵盤を雑に叩いて弾かれる感じ。

そんなことをされたら、「そりゃあ、あなたはプロだから、当然、思ったように指は動くけど、こっちだって、できるならやってるよ(できないから習ってるんだよ)! それに、そんなに速く何回も弾かれたって分からないよ!」と言いたい。 (注: これは実体験に基づいてはおらず、全く僕の空想です。)

百歩譲ってレッスンならいいとしても(全く良くないが)、公開するビデオであんなうるさい雑な音を出してはいけない。思い出のある気に入った曲だろうに、そして、音楽を生業としている人だろうに、自分で観て・聴いて(そもそも弾いた時に)気付かないのではどうしようもない。ただ、ひどいコメントを書くと面倒なことになりそうだし、音は本筋ではないこともあるから、せめてもの意思表示にThumbs downを押して、最初の1分くらいでサヨナラした。

ピアノ教室か何かの先生のようで、理論とかには詳しいのだろうけど、あれでまともな音楽が演奏できるのか・教えられるのかと思った。

「神は細部に宿る」という言葉は余り好きではないが、音楽に関しては全くその通りだと思う。一音たりとも、音を出してから消すまで、雑に扱ってはいけない。そうじゃなきゃ、(芸術としての)音楽ではない。

「そんな堅苦しいこと言わなくても・・・」という意見もあろうが、例えば、小説の印刷などで、「あ」と「ぁ」や「日」と「曰」が混用されていても、「似てるから全然問題ない」と読み流せるかということに近い。

だから僕は、オーディオを可能な限り録音されたとおりに再生できるようにしたいのだ。(というのは後付けの理屈であるw)

 

(そんな論外の人のことをわざわざ書くこともないのだが、ビデオを観て妙にムカついたので、あえて書いた。ただ、また「営業妨害」とか言われたくないので、リンクなどは載せない。適宜検索のこと。でも、実際には架空の話かも知れないので、ご了承のことw)

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