承認欲求の時代 やなせたかしさん、杉浦日向子さんの言葉から考える「なんのために生まれたか」という問い

杉浦日向子はTV番組「お江戸でござる」でしか知らなかったが、江戸の3つの粋のひとつが「諦観」だったそうで、以下のようなことを書いているそうだ。

あきらめるというと絶望かと思うんですけども、そうじゃなくて、「まあ、いい」と言う「いい」は、「どうでもいい」のいいではなくて、「良しとしよう」の「良し」なんです。

偶然、僕が良く書いている「良しとしよう」が出て来て、ちょっとうれしくなった。そして、同じく江戸の人について書かれた「諦めることで楽しみが増える」ことにも、賛成する。無駄な拘りを捨て、いろいろな事を諦める(受け入れる)ことで、確かに楽しいことが増えたように思う。

  •   0
  •   0

4件のコメント

  1. yuno:

    私もこの頃そう思えるようになってきました。
    なるべく楽に生きたいですね~気持ち的に。

    •   0
    •   0
  2. PiuLento:

    ●ほう、ゆのさんもでしたか。そうですねー。

    •   0
    •   0
  3. naoki:

    今回のエントリ,すっごく勉強になりました。
    生きるのが楽になりそうです。

    そういえば,れんとさん「良しとしよう」ってよく仰てますね。

    •   0
    •   0
  4. PiuLento:

    ●ためになって、良かったです。

    そう、いつの間にか、「良しとしよう」が口癖(心の中で思うのと、文章でしか書きませんが)になりました。本当の口癖だと「まあいいか」になりますw その元は何でしょうね。戸川純の「諦念プシガンガ」なのか、漱石の「則天去私」なのかw どっちも後付けのような気がします。

    今までいろいろな事があって、いつの間にか、何事にも期待し過ぎない・頑張り過ぎない生き方が身に付いたようです。

    •   0
    •   0

コメントを書く

名前    

メール 

URL