自分で死ぬことの善悪を言っているのではなく、病気などによる死をやみくもに避けることがいいのか、疑問があるのだ。果たして、早く死ぬことは不幸なのだろうか。

確かに、予告なく突然死んでしまうのは不幸だと思うが、「余命何年」のような情報があれば、完全な不幸とは言えないのではないか。

病気によっては、臓器移植をすれば寿命が延びる可能性はあるだろうが、その代償は小さくないと思う。多くの検査があり、移植待ちの期間は長いだろうし、待っても順番が来ないかも知れない。そして、移植手術の身体的負荷は高いだろう。成功しても、その後、死ぬまで拒絶反応を抑える薬を飲み続けるのは、生活の質としてどうなのかと思う。そういったことを我慢したとしても、その後の人生が幸せかどうかは別問題だ。

特に、子どもは、そういう治療について正しい意思表示ができないと思う。親が延命させたいから、それに従っていることが多いのではないだろうか。そこに、親の価値観の押し付けはないだろうか。

それよりは、無理な延命をせず、残された期間でやりたいことをやって(やらせてあげて)、心残りなく死んで行く方がいいと思うのだ。もちろん、何らかの処置をしないとやりたいことができないという問題はあるだろう。だから、全く何もしないで放っておく方がいいと言うこともできない。

ただ、健康な人だって、やりたいことが全部できる訳ではないのだから、残された時間でできる範囲でやれることをして満足するのがいいのではないだろうか。少なくとも、僕がそういう状況になったら、そうしたい。

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2件のコメント

  1. jaguarmen_99:

    これは確かに判断力に乏しい子供などの場合は特に考えさせられる時がありますね。結果的に周囲の愛とエゴなのだけれど、それを選ぶ決断力は元来子供には無いだろうとも思うのです。特に移植の場合はデポジットが命の相場を大きく揺るがしているところがあり、寄付金などを募る場合周囲がかける期待と理念が完全に矛盾してしまったり問題は多いように思います。

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  2. PiuLento:

    ●jaguarmen_99さん、そうなんです。子どもの場合、「正しい」判断力が無いため、どうすればいいのか難しいことだと思います。ただ、この「正しい」というのは大人から見た場合であって、本当は何が正しいのか、大人にも分からないと思われます。

    移植はそうですね。寄附金て、なんかおかしいと思うんですよ。現実には、命は平等ではないのかも知れませんが、寄附金を集める行動力のある人の子だけが延命されて、そうでない人の子はそのままですから。

    もちろん、本文に書いたように、延命処置が良いとは限りませんが、何か釈然としないです。

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