よく「日本人の民度は高い」と内外から言われるが、僕は、それは全く違うと思う。

自分たちでそう言うのは置いておいて、ニュースで読む限り、外国人は、例えば以下のようなことに驚くのだろうが、

  • 災害や事故などがあっても、大きな騒動にならない。
  • 大きな催事などの後に、ゴミが放置されていない。
  • 電車に乗る時に割り込まない。

それは、実際には以下のようなことだと思う。

  • たまたま : ひどいことになる場合もある。
  • 一面しか見ていない。: 催事などの後に、ゴミを持ち帰るフリをしているが、実際にはコンビニなどのゴミ箱がひどい有様になっていることが、良くある。催事などなくても、高速のSA・PAのゴミ箱は生活ゴミで一杯だ。

その理由は、日本人の「大勢=正しい」という特性なり思い込みに依るのではないか。そのために、例えば、以下のような良くないことが起こっている。

  • 重要な問題をすぐに忘却する。
  • 誰も問題にしないことは、問題でなくなる(と思い込む)。
  • 正しくないことでも、みんなが正しいと言えば正しい(と思い込む)。
  • マスコミと一緒になった、有名人叩きの繰り返し。
  • 特定の人たちに対する排斥運動。

では、どこから「大勢」が発生するのかを考えると、おそらく、少数の、声の大きい、あるいは、リーダーシップのある人たち、他には、団体での偉い人やマスコミなのではないだろうか。みんながそれに従って行動するので、そういう人たちが(普遍的な意味で)まともなら、その場は民度の高い結果となる。有名人叩きなどは、その逆のパターンだろう。今は、SNSなどで大きな声で振る舞える人が増えたので、誤った方向に走ることも起こりやすいようだ。

外国がどうなのかは、住んだことも調べたこともないので分からないのだが、以前読んだのは、その国の大多数の国民に共通した宗教がある場合、その宗教がモラルの規範になっているということだ。一方、日本人にはそういう宗教はないので、学校の授業や親などのしつけに(時には法令にも)依存しているのだろう。それらの一番の基本は、「大勢=正しい」(別な言い方をすれば、「人に迷惑を掛けない」とか「目立たない」)なのではないだろうか。少なくとも、僕はそういう経験をして来て、ずっと違和感を持っていた。

人に迷惑を掛けないのは、一見、良いことだが、じゃあ、「迷惑」というのは、何を基準にしているのだろうか? やっぱり、学校の授業や親などのしつけに依るのだろう。そして、前者は国の方針で変わるし、後者は「みんなに合わせるべきだ」などの日本の伝統的な価値観に基づいていないか? そのことで、例えば有名人叩きが起こるのだろうし、重要なことも、みんなが何も言わなくなったら、なかったことになるのだ。

要するに、「変動制のモラル」である。(外国でもそうかも知れないが)モラルに歴史的な一貫性がないのはもちろん、短期間にモラルの基準がコロコロ変わる。更に、他人が見ているかどうかでも変わる。

僕は無宗教なので、宗教教育をしっかりやれとか言うつもりは全くない。ただ、子どもの頃に親に無理矢理教会に連れて行かれたので、キリスト教に影響を受けていて、それで日本的なモラルにおかしさを感じるのは認める。だから、実際には宗教は必要なのかも知れない。が、宗教によって世界の対立が起こっているという現実はあるし、金儲けに奔走する宗教もあるから、宗教が絶対に必要とも思えない。

今回の結論は、「日本人の民度は、自慢するほど高くない」だ。

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1件のコメント

  1. 日本のごく一部分で感じる日本人の民度というか行動 – わが家にネコがやって来た:

    れんとさんの,民度に関するエントリを拝読し,私の,仕事をしている上で感じたことを書きたくなった。

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