近頃、妹と音楽に関係してメールをやり取りしていたのだが、今日、ひょんなことからとんでもないことを知ってしまった。彼女とは、音楽に向かう姿勢(あるいは指向というのか)が、全く・根本的に違うのである。

彼女のメールに書かれていたことを読んで、かなり困惑した。「こういう風に音楽を捉える人も居るのか。しかも(妹)が・・・」という感じだった。それへの返事をどう書くか、あるいは、書かないで済ませるか、迷っている。

僕の意見をそのまま返信したら、とんでもないことになりそうだ。一方、彼女はここは読んでいないだろうから、ここに考えをまとめるのはいい考えだと思うのだが、彼女の考えには宗教が絡んでいるので、いつものように貶すことは適切でない。ならば、非公開の日記に書いておけばいいのではあるが、どうしても自分の考えを述べたいので、可能な範囲でここに書いてみる。

僕と妹の、音楽に関する相違:

  • 妹: 信仰のない音楽は無価値
  • 僕: 音楽は信仰(宗教)とは独立。美しい音楽はそれだけで尊い。

音楽史は全く詳しくないが、かなり昔は、音楽(ここでは西洋音楽)と宗教(ここではキリスト教)は密接に関係していたのだろう。発端は宗教だったのかも知れない。だから、その頃の音楽や教会用の音楽については、宗教的な背景を理解して演奏する必要があることは分かる。が、信仰心がない演奏に「価値がない」と言い切られたら、かなり頭に来る。

例えば、(想像だが)モーツァルトのレクイエムなんて、彼女にとっては全くの無価値・無意味な曲・演奏に聞こえるのだろう。あるいは、無宗教の人や他の宗教の人が演奏するその頃の曲は、価値がないのか。

断じて違う。

確かに、その宗教を信仰していない人の演奏は、信仰している人に比べて良くない可能性はある。それは、「日本人は西洋音楽を理解していない」と言われるのと同じことではある。が、決して価値がないとは言えない。それは音楽や演奏者を侮辱することだと思う。「下手」や「嫌い」は許されるが、「無価値」は許せない。

そもそも、演奏者の信仰心は演奏を聴いて分かるのだろうか? そうじゃないと思う。「いい演奏がいい」のであって、信仰心は関係ないと思う。この考えを進めたら、CDに演奏者の宗教歴などを書かなくちゃいけないくなるのではないか。結構恐ろしい。

今気付いたが、僕と彼女の「音楽」に求めるものとか定義が異なるのだろう。彼女は芸術としての音楽を求めているのではなく、教会で使う「道具」を求めているのだろう。だから、相容れなくて当たり前なのだ。

言うまでもなく、音楽は芸術なので、特定の宗教に依存せず、単体で存在し、それ自体で評価されるものだと思う。誰が聴いたって分かるものなのだ。教会用音楽だって同じだ。音楽として良いものも良くないものもあるはずだ。芸術家は、いい曲を作ろうと努力し、いい演奏をしようと努力している。その根源に宗教がある人は居るだろうし、そうでなく、音楽自体を信じている人も居るはずだ。

書いていたら、また頭に来てしまった。。。返事は出さない方が良さそうだ。

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