きっと、読まれる方の99.5%は理解できないと思うが(僕も、さっき実感したくらいだし)、「鋭い音」と「鋭い演奏」は違う。

(まあ、そもそも、背景が書いてないから、理解も何もないでしょう。。。)

経緯を書くと、さっき、昨夜ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番を(2015?)を聴いてから急に好みになった、Stewart Goodyearという人の「くるみ割人形」(2015?, ピアノ一台版)を聴いたら、音が尖っていて、すごく良かったのだ(まだ続いている)。お酒を飲んでいるせいかも知れないが、この尖り具合はすごく好感が持てる。この編曲がオリジナルではないかと思うくらいだ。

余談: この人は可哀想で、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番を選ぶ時にはいつも候補に上がっているのだが、どうしても、その後に並んでいる他の人のに目移りしてしまって、聴くのは昨日が初めてだった。

その理由は自分でも良く分からないのだが、彼がスキンヘッドで、しかも、ジャケットで偉そうな顔をしているということが、全くないとは言い切れない。

(これは、スキンヘッドの方を侮辱するとか笑いものにしたくて書いたのではなく、僕のその時の気持ちを想像して書いているだけです)

そこで思ったのは、「鋭い音」と「鋭い演奏(解釈)」の違いだ。僕は、前者、正確には、「出して欲しい時に鋭い音を出す人・演奏」は好きだが、後者は場合による(大抵は好きでない)。ポゴレリッチは典型的な後者だが、僕は嫌いだ。何度か試したが、まだ、聴き通せていない。ただ、どちらが「いい演奏」(これの定義も難しいが)かというのは別の話で、単に僕の好みの問題である。

蛇足だが、本当に鋭い音はオケでは無理で、ピアノならではでないかと思う(オケは複数の人が同時に演奏するから、発音に時間差が生じるので、物理的に無理だ)。もちろん、チェンバロでも無理(元々鋭いけど、いつも同じだから、「鋭い音が出せる」とは言えない)だし、オルガンはもちろん、管楽器や弦楽器のソロでも無理だろう。あ! 打楽器だけは別だ。それはピアノを超える。

なるほど。僕が(うまい)パーカッションを好きなのは、そういうせいかも知れない。

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