(ちゃんとした文章にするのが面倒なので、骨格+αを。おいおい、気が向いたら加筆します) ← 完成 (9:34)

昨日、Sa Chenのラフマニノフやショパンのピアノ協奏曲に感心した。

Chen: ラフマニノフ ピアノ協奏曲 第2番 (2011)

昨日、この曲(演奏者は不定)が脳内でリピートして、どうしても聴きたくなって、昼休みに探したら(好きな演奏は多いが、知らない人のを聴きたくなることが多い)、彼女のが目に入ったので(ただし、最初は、演奏者の国やジャケットの柄から敬遠しようとした)聴いた。意外にいい。すごくうまい訳でははないが、乗れる。ただ、第1楽章の行進曲風のところ(以前、ここがダサいとか書いているページを見たが、うまく弾くと結構いい感じになる)はいまいちで、腕が追いついていない感じだ。その楽章の最後は何となく音が乱れた感じなので、Thumbs upしたのを取り下げた。

第2楽章は結構いいところがあるが、終わりはわざとらしかった。第3楽章はまあまあで、中盤のオケがいまいちだったが、(この楽章は)全体的には良かった。

Chen: ショパン ピアノ協奏曲 第1, 2番 (2008)

昼に聴いたラフマニノフが結構良かったので、昨夜探して聴いた。

第1番のピアノは音が澄んでいて綺麗で、聴いていて心地良い。誰も出さなかった(目立たせなかった)ような音(・弾き方)が(いい意味で)妙なのだが、決して嫌ではない。彼女の解釈なのだろう。第2楽章の音の出し方(ちょっとした盛り上げ方)もいい感じ。オケ(指揮: Lawrence Foster, Gulbenkian Orch.)は普通に良かった。ラフマニノフも同じオケだった。

第2番は、なぜか低音(弦)がすごかった。ピアノは少しわざとらしかった気がする。第1番の方がいいのか、僕が慣れてしまったのか、疲れてしまったのか。

以前にも書いたが、昔はこの2曲は気に入る演奏がほとんどなかったのに、近頃は、いいと思える(許せる)演奏が多くなった。そのおかげで曲の良さも分かってきた(だから、少し前は「ショパンコンクールなんて、最後がショパンの協奏曲じゃちょっとねえ・・・」とか不遜なことを思っていたが、今はそうでもない)。自分が変わったのか、世の中にはさまざまな演奏・解釈があるということか。

以前はYeol Eum Sonにも感心した。どちらも、僕の嫌いな中韓の人だ。そういう事実を目の当たりにすると、音楽に限らず、もう中韓は馬鹿にできないと思う。そして、どういう訳か、中国には以前より抵抗が少なくなった。

その原因としてまず頭に浮かぶのは、ロケットニュース24の沢井メグの紹介がうまいことだ。彼女の記事は、体当たりで書いているせいなのか、結構おもしろく、気付くと「中韓も意外にいいじゃん」とか思っていて慌てるw 上手なステマなのかも知れないが、押し付けでなく、自分から読んでしまってそう思うのだから、仕方ない。

余談だが、彼女のは、好みではないのに妙に惹かれる。なぜ好みでないかというと、眼鏡が気に入らない。(女性全般に思うことだが、)眼鏡をするとキツく・冷たく見えるからだ。でも、たまに眼鏡なしの顔を見ると、全然キツさがなく、変化が大きくて驚かされる。すっぴんの顔もなかなか味わい深い。可愛いのではなく、大人の美人系なのだろう。それはそれでいいと思うw

それから、歳を取ったせいか、日本の劣化・自滅を実感しているのも大きい。

正しくは、実際には前から今の状態だったので、絶対的には劣化していない。相対的に劣化したのだ。真実から目をそむけ、昔からの成功体験(これは多くの人の犠牲(=偉い人たちのズル)の上に成り立っていた)にすがるだけで本質的に変わろうとせず、外面・体裁はともかく、(本心では)世界標準を無視してガラパゴス(=引きこもり)をやり続けて、「クール」とか「すごい」とか言ってたら、そりゃあ終わるよ・・・

気に入らないものや嫌なものがあるのは当たり前だと思うが、そういうのを馬鹿にして無視するだけでは、いつかは負ける。「兎と亀」や「蟻とキリギリス」、あるいは「裸の王様」に似たようなものか。

 

参考: いいものもある、悪いものもある

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