昨夜から、トラブルで中断しつつも観た(今日はつつがなく観られたので、問題は解決したようだ)。観ながらいろいろなことを思った。全部書くと長くなりそうなので、主要なことを書き並べたい。要所にシーンへのリンクを入れたので、是非観られたい。

最初の、サリエリが自殺未遂後に、モーツァルトとのことを神父に話すシーンは、なぜか現代のことだと思った。サリエリが今もどこかの病院に居るというふうに思ってしまった。が、実際には今から数百年前(モーツァルトが死んでから数十年後)の話なので、そんなことがある訳ない。画面もそうなのだが、なぜか古く感じなかった。理由は分からない。どこかに「バック・トゥー・ザ・フューチャー」的な要素が混ざっているのか? (サリエリがドクに似ているせい?)

サリエリの音楽は、やっぱり退屈だ。。。 最初から最後まで、一音たりとも許容できなかった。

マリナーが音楽を担当していると知った時、大衆的な映画なのに意外にちゃんとした人がやっている印象(最初に観た時は、知らない「適当な人」がやっていると思っていたので)を受けた。そして、映画に彼の音楽が良く合っていた。ということは、逆説的だが、やっぱり彼はポピュラー的だと言えるのかも知れない(経歴を見るとそんなことはなく、真っ当なクラシックの人なのだが。GPMで聴いた「レクイエム」(1991)が良くなかったか)。

間違って英語盤を買ったために英語字幕を表示して観たのだが、最初の頃の、コンスタンツェと逆さま言葉(逆の綴り)で話すシーンは日本語字幕よりは分かりやすかっただろう。とは言え、セリフ(逆の言葉)を聞き取れる訳ではなく、字幕の表示タイミングも少しずれていたりしたので、演技と同時に分かる訳ではなかった。

それでも、全体的には、音楽が多いので、日本語字幕でなくても分かりやすかった。意味の分からない難しい単語が結構あったが、画面を観ていると雰囲気が分かるので、大きな問題ではなかった。

モーツァルト(役)の、例の素っ頓狂な笑い方には本当にイライラさせられる。僕がこの映画を長らく観なかった理由の一つは、やっぱりそれだと思う。

オペラ(「後宮からの誘拐」?)に対する皇帝の「音が多い」って感想は意外だ。サリエリのに比べればずっと少ない(少なくとも簡潔)と思うのだが・・・ まあ、皇帝は素人で、曲が理解できないとか適切な表現方法が分からないから、そういう言葉になったのかも知れない。

サリエリが、モーツァルトの楽譜を見ただけで、脳内に曲が流れてすごさが分かる(→ 例: "Voice of God")のがうらやましい。終盤に、モーツァルトが衰弱した状態で「レクイエム」の曲を説明してサリエリが楽譜に書き取る時(→ )もそうだ。やっぱり、腐っても(正確には腐っていない。モーツァルトの前では「普通」だっただけだ)プロの音楽家なのだ。(そのシーンはもちろん史実ではないけど、「もしそういう機会があったら、そうなるだろう」という前提である)

老サリエリの顔はスター・ウォーズのダースベイダーみたいだ。モーツァルトの父は厳しいうえにノリが悪くて大嫌いだ。文句しか言わないんだったら、わざわざウイーンに来なくても良かったのにと思うw

父と行ったパーティーの罰ゲームでバッハとサリエリを弾くシーンがおもしろい。バッハはいかにも硬くて単調で、うまい。ヘンデルをと言われて「嫌いだ」と言ったのは僕と同じだw そして、サリエリの曲は退屈だ。そういえば、あの賢そうな子どもは誰だったのだろうか? もしかしてベートーヴェン?

「フィガロの結婚」が上演できるように皇帝を説得するシーンは好きだ。おもしろく、楽しく、興味深い。(これが史実だったなら)当時のプレゼンだったのだろう。その「フィガロ」の曲なしのダンスのシーンは印象的で結構好きで、ずっと覚えていた。それはそれで価値があり(マニアック??)、皇帝が全然良くないと言ったのは、ちょっと分かってないと思う。まあ、そう言ってもらったおかげで音楽付きに戻せた訳だが。

後半のピアノ協奏曲第20番で始まるシーンは寒い。後半のモーツァルトは、映画"The Wall"(1982)のピンク(ボブ・ゲルドフ)が落ち込んだ時にとても似ている。

「楽譜は頭の中にある(書き出してないだけ)」っていうセリフは好きで、僕もそういうことはある(プログラムは頭の中にあって、あとは打ち込むだけ。だけど、それが面倒なのだw」)。でも、自分ではそういう奴と仕事するのは真っ平だw

この映画の「レクイエム」の演奏者(オケ、コーラス)はマリナーの1991年のアルバムとは違う気がしたのだが、調べたら、同じようだ。ただし、ソロ歌手は居らず、僕の聴いたことのある版とは違う(発表年が違うのから当たり前か)。彼は何度か録音しており、これも映画用に録音したのだろう。

最終盤、「レクイエム」のトロンボーンとティンパニの曲("Confutatis")の高音の合唱がすごく美しい。なぜか涙が出て来た。別に「普通の映画」なのに、まったく訳が分からない。。。 やはり、曲が神がかっているのだろうか? あと、晩年の彼はすごい作品を書いたのに売れなくて、悲惨な状況に陥ってしまった一方で、何百年も経ってから、僕らがいくらいいと言っても遅過ぎで、彼には全く伝わらないことが、なんともやるせないのかも知れない。

 

エンドロールで流れたピアノ協奏曲 第20番 第2楽章は、曲はすごくいいのだが、ピアノ演奏は気に入らなかった。ところが、演奏者名を読んで驚いたのは、映画で使われたピアノ協奏曲のピアニストは、近頃GPMで気に入った・知った、Moravec(第22番)とCooper(第20番)だったことだ。昔聴いたことがあったとは、何とも不思議な縁だ。

今思うのは、この映画は、20代になったばかりの僕が何の気なしに最初に観た時、意識させずにモーツァルトを好きにさせたのではないかと思う。少なくともモーツァルトの種を脳内に蒔いたのだ。それから10-20年くらい経って、無事、花開いたのだろう。そして今は、あふれるほど咲いているw

 

以下、技術的なこと。

  • 画質は悪かった。粒状感があった。DVDの初期に急いで作られた(フィルムから取り込んだ)ためだろうか。それでも、普通に観るには充分だった。
  • 音質は悪くないが、音量が小さく、アンプのボリュームを通常の数倍に上げる必要があった。最大音量は-10dB程度とそれほど小さくない(通常のクラシック曲の例: -6dB程度)ので、ダイナミックレンジが広く、平均音量が小さいようだ。
  • 両面1層なので、A面とB面をひっくり返して観るのは面倒だから「何とか」したいと思った。

が、今回観て記憶が更新されたので、次に観るのはずーっと先だろうから、気にしないことにした。

 

PS. 構成要素について。さすがに映画のせいか、映像として見せ場のあるオペラが多かった。ほとんどの有名な作品を取り上げていた。モーツァルトはオペラに力を入れていたようなので、それは悪くない。が、一般的には交響曲だって重要だろう。そして、僕にとって一番重要なピアノ協奏曲が、たった2曲(第20,22番)しか取り上げられていなかったのが残念だ。「K.488(第23番)はどうした?!」と言いたい。でも、交響曲(例の第25番程度?)よりは多いので良しとしたいw

ただ、本作の創作のメインの「レクイエム」とのつながりで言えば、晩年の短調のピアノ協奏曲を取り上げた方が良かったように思う。でも、結構マニアックになるし、すごく重くなりそうだから、今のままでいいのかな。

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