Archive for the ‘日記’ Category

会社帰りにショッピングモールに寄った。古くなったシャツと散歩用の靴の替えを買いに行った。いざ行く段になると、いつものように結構面倒になって、明日にするか迷った。でも、実は、先週の週末から延期していたので、今日を逃すと更にズルズルしそうだったし、週末は混んで嫌だから、頑張って行った。

靴屋の店員は、みんな気だるそうにしていた(外見や声掛けはそうでもないが、そんな雰囲気だった)し、高い物ばかりだったので、買う気が起こらなかったので、一旦パスした。

シャツは長袖が欲しかったのだが、暑いせいか半袖ばかりで、意外に種類が少なかった。それでも、いろいろ見て、黄色のと深い赤(このブログのタイトルの背景をもう少し茶に近くした感じ)の縞の2枚にした(本当は、赤よりもピンクのが欲しかったのだが、気に入ったのがなかったし、その時着ていたピンクのがまだ大丈夫だったので、止めた)。オフシーズンのせいか安い物がなく、どちらも意外に高かった。

靴は、催事場のような売り場に、日本メーカー(でも日本製ではない)の手頃な値段のがあったので、それにした。余計な店員よりは誰も居ない方がいいようだ。気に入った色(鮮やかな紺にオレンジの紐やストライプ)のはサイズがないようだったのだが、諦めて選んだ別の色のの箱に紛れているのに気付いてラッキーだった。全部で約1万円で、意外に安かった。

それから、久し振りに大戸屋で食事をした。ステーキや牛タンに惹かれたが、野菜がメインの膳にした。いつもよりずーっといい。いろいろなおかずがあって、かぼちゃコロッケを付けても約千円と、とても手頃だった。混んではいるけどのんびりできて気分がいいので、もっと頻繁に行きたいが、いざとなると面倒になってしまう。

ここまでは前置きで、実はここからがメインである。

それから明日の朝食などを買って、満腹でだるさを感じながら駐車場に戻ろうとしたところ、扉の向こうに何となく見覚えのある顔が見えた。会社のBくんだった。意外だったので、ちょっと驚いたのだが、更に驚くべきことがあった。なんと、彼の後ろに、以前「目に入れても痛くない」と書いた、Aさんが居たのだ!

ものすごい鉢合わせにさすがにびっくりして、ちょっとした挨拶をした程度で通り過ぎてしまった。向こうも驚いたと思う。車内で、「そうだったか・・・ 残念だが仕方ない。。。」と思った(正確には、そう日記に書いた)。娘に彼が居ることを知った時(あるいは、アイドルに交際している人が居ることが分かった時)の心境は、こんな感じなのだろうか。

帰宅してから、あの二人のことを思い出したら、「くくく」という感じの、妙な笑いが込み上げて来た(「巨人の星」の父ちゃんが、そんな笑い泣きをしてたっけ)。AさんとBくんは歳が近く、会社で僕と一緒に同じ係をしているので、それで仲良くなったのかも知れない。そういえば、やけに二人の連絡がいいと思ったことがあったっけ・・・ 「付き合って」いるのだろうか? (別にどうだっていいけど) それにしても、手を繋いでなくて良かったねw

 

PS. (長袖と思って買った)黄色いシャツは半袖だったいうオチがあり、結構がっかりした(2ちゃんねるだと「無事死亡」とかになるのだろう)。が、これからは暑いので、まあいいだろうと思った。靴のサイズは大丈夫なことを祈るばかりだw

昼食帰りに3kmくらい歩いてみたところ、結構歩きやすい靴だったので、ひとまず安心した。それにしても、すごく暑くて、帰る頃には意識が朦朧としそうだった。(6/10 12:42)

 

(題は、今掛かっているELOの曲(1981)。歌詞なんて分からない(分かろうとしていない)ので、これが本文の意味に合っているのか、疑問(wonder)だが、僕のいつもの思い込みで、合っているような気がしたw)

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今の仮説: 20kHz以上の聴こえない周波数が身体に影響するのでなく、「ギザギザ」の波形が滑らかになるからでもなく、普通に測定したのでは測定できない、超高域の可聴域の成分の変化が、音質に影響するのかも知れない。

いくら精密に測定しても測定できないのだから、ハイレゾ無意味派と意味がある派、双方の主張が合わない訳だ。どちらも正しかったのだ。間違っていたものがあるとすれば、測定・評価方法だったのだ。

(6/7の検討のまとめ: まだ検証していないので、結論ではない)

現実には、まず、録音の時のAD変換で、超高域の振幅が低下するのだろう。

  • 制作時に気付かれれば補正(強調)されて、超高域の低下がカバーされた音源ができる。
    • それを再生する時のDA変換では、音は既にデジタルになっているので、サンプリング時刻のずれは生じないので、超高域は低下せず、そのまま(収録されたまま)再生可能なのではないか。
  • 制作時に気付かれなかった場合、超高域は(収録時よりも)低下したまま再生される。
    • だが、そもそも、気付かれなかったものが意図された制作物(= 「原音」)なので、(収録時よりも)低下したまま再生されても、それが「正しい」音である。

→ だから、やっぱりハイレゾ(高サンプリングレート)は必須ではない。

※ただ、超高域の振幅が低下する問題は、録音時にAD変換のサンプリングレートを充分高くしていれば(→ ハイレゾで制作する=「ハイレゾ音源」を制作すれば)、起こらないはずだとは言える。

(6/7 20:53 追記)

超高域の振幅の低下が、AD変換のサンプリングのタイミングと音の波形との位相のずれによって生じるのであれば、振幅の低下する音とそうでない音が生じるはずで、それが音の成分・構成を変えてしまうことで、音を変質させる可能性はあるだろう。ただ、それにしても、制作時に分かる(か分からない)ことであり、変質が耐えられないものだったら収録し直しになるはずだから、結局、世に出る音源は、このような問題のないものになり、再生時の問題はないのではないだろうか。

(6/10 1:31 追記)

推測を含めて、録音・制作の過程を考える。今は、録音(のサンプリングレート)は、おそらく、44.1kHzではなく、最低でも96kHz前後なのではないだろうか。すると、上に書いた、AD変換での超高域の振幅の低下は、録音時には、可聴域では起こらない。

問題になるのは、CDを作る時(=44.1kHzに落とす時)だ。その時には、超高域の振幅の低下が起こりうる。というのは、サンプリングレートを半分に落とすので、少なくとも2つのサンプル(音のデータ)が1つになるためだ(あとで図で説明したい)。落とすには単純な平均ではなくフィルタを使うが、いずれにしても、超高域では振幅は低下する。

例:

マスター音源(ここでは88.2kHzとする)の連続する2サンプル(音のデータ)の値が 1と0 だった場合(22kHz相当)、

単純平均でCD(44.1kHz)に落とすと、0.5(=(1+0)/2)になってしまい、最初のサンプルに比べて音量が半分になる。

演奏者なりプロデューサーなりエンジニアがそれに気付いて問題と思えば補正するし、気にならなければ、補正しない。いずれにしても、そのどちらかの状態が最終的な制作物で、「原音」となる。そして、そのCDを再生する際には、超高域の振幅の低下は生じない。

だから、結局、ハイレゾ(高サンプリングレート)でなくたって、問題は起こらないという結論になる。言い換えれば、演奏者や制作者が意図した音がCDに入っているのなら、(必要十分な性能のシステムを用いれば、)それをそのまま再生できて、問題は生じないのだから、ハイレゾは要らないということだ。もし、CDに落とす際の補正では良くないとか不充分だと感じる演奏者や制作者が居れば、ハイレゾ(高サンプリングレート)形式で発表するだろうし、それは意味があることだと思う。

 

(以下はメモ書きだが、今までの主張を覆すことなので、すぐに書きたくなった。後で清書したい。)

さっき、ようやく、昔あるサイトで見て、昨日も別のところで(誤った説明を)見た、AD(・DA)変換した時、ナイキスト周波数近くの信号の位相がAD変換のサンプリングの位相からずれている場合、振幅(正弦波でも)が小さくなることがあることを理解した。これは、サンプリング定理の欠陥なのか、既知の問題なのか、当たり前のことなのか。あとで調査・検討・実験したい。

PCや測定器などで周波数特性を測定する時は、(自分で生成した、)AD変換のサンプリングの位相とぴったり合った(= 位相0°の)信号を出して受けるから、振幅が低下しないのだ(そうでないと、被測定系での位相ずれが測定できない)。

この、超高域での振幅の低下を感知できる人が、アップサンプルすると音が変わると感じるのかも知れない。そして、高サンプリングレートにする価値はここにあるのかも知れない。

昔、Windowsで、AD変換のサンプリングに同期していない正弦波(スイープ信号)を使って特性を測った時、20kHz付近で3dB程度落ちていたのは、この影響なのかも知れない。そして、その低下量は正弦波の実効値になっていたのかも知れない。実際、正弦波の実効値は0.71(= 1/√2)で、-3dBとなる。更に、ホワイトノイズの特性が同様に落ちていた記憶があるのも、このせいだったのかも知れない。

もしこれが正しいなら、今すぐにでも96kHzにアップサンプルして再生したいくらいだ(が、実際には、僕は15kHzですら聴こえないから、やっぱり無意味な気はするw)。

(6/7に調べたこと: 6/7 19:56追記)

・上記の、誤っている(と僕が思っている)説明: 中頃の「一見問題なさそうである。(以下略)」の下の図の右側の波形は「波形の体すらなしていない」とあるが、信号が連続していることを考慮していないので正しくない。単発のパルスなら正しい(けれど、それはナイキスト周波数を超えているので、そもそも正しく再現できない波形である)が、正弦波のような連続波形であれば、右端に左端の波形がつながるから、振幅は小さいけど、元の波形が再現される。

・上記の超高音の低下は「アパーチャ効果」によるものなのか? → まだ詳しく読んでいないので、何とも言えないが、ちょっと違う気がしている。(以下、引用。図の参照は削除した)

一般に、D-Aコンバータの周波数特性は平坦ではない。帯域内(サンプリング周波数の1/2以下)であっても、高域側に行くに連れ、アナログ出力信号の振幅が減衰してしまう。例えば、サンプリング周波数をfSとすると、fS/2の80%の周波数信号では、出力振幅が2.42dBも減衰する。

・別のページでも、類似の現象が解説されている。 (以下、グラフの説明を引用。下線は私が付けた)

fs≒2×fin
入力信号の周波数は、ほぼ再現できますが振幅にうねり(ビート)が生じます。

fs=2×fin
このときのfinはナイキスト周波数と呼ばれます。
サンプリングの位相が合わなければ小さい振幅の波形が観測されます。

(つづく)

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会社に行く日は、ほぼ毎朝、その日の昼食とおやつを買いにコンビニに寄る。今までは、会社の近くのコンビニに寄っていたのだが、それを止めざるを得なくなってしまった。というのは、何回か書いた、蛇蝎のように嫌な奴が来るようになってしまって、たびたび顔を合わせるようになったのだ。書いても確かめようがないから、どう嫌なのかとかどんな嫌なことをされたかは書かないが、あいつに会うんだったら、蛇や蠍(でも毒虫でも)の方がずっとマシだ。というのは、蛇だのは叩き殺せばもう見ずに済むが、人間はそうは行かないからだ。とにかく、会社の外で、しかも朝から、そんな奴の顔を見たくないのだ。

それで、少し前にコンビニを換えた。地図で調べて、少しだけ通勤路から逸れるけど、それほど遠回りでないところにした。が、そこが腐っていた。品揃えが良くないのはまだ我慢できるが、大体、3回に1回の割合で嫌な思いを(イライラ)するのだ。その原因は、店員の、無恥なオバサンとコミュ障の若者だ。

オバサンは、例えば、知り合い(そのオバサンもそこで仕事しているのだろう)が来たら、後ろで待っているのが分かっていても、長々と喋っていたりするのだ。時間にすれば2分にもならないのだろうけど、こっちは待っているのだから、それを無視するのは論外だろう(アメリカとかの海外だったら良くあることかも知れないが、ここは日本だし!)。一方の若者は、例えば、「いらっしゃいませ」すら言わない。言っているのかも知れないが、口は開いてないし小さくて聞こえない。要は、「田舎のいい加減なコンビニ」って感じだ。

僕は、会計してもらう時は大抵「お願いします」とか言うのだが、上のような目に遭うと、それを言う気などなくなって、無言で恐い顔をしていると思う。前の店も田舎ではあったが、そんなことは全くなく、いつもいい気分で買い物ができた。どちらも同じ大手の系列の店なのだが、オーナーや店員によって随分違ってしまうものだ。

会社の嫌な奴ほどではないが、やっぱり気分が悪いので、今日、別の数店を探し、明日から試そうと思っている。少し遠回りになるが、仕方ない。とにかく、朝から嫌な気分は真っ平御免だ。

6/7の朝に最初の候補を試したところ、思っていたより楽に行けて、駐車場は広くて停めやすく、当たり前のことだが店員はちゃんとしていたし、品揃えも良くて、気分が良かった。しばらく試してみたい。ここも上の2店と同じ系列だ。あの腐った店が特別駄目なのだろう。(6/8 7:25)

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部屋に籠っていてもロクなことをしないので、昨日はドライブに出ることにした。候補として、以下を考えた。

  • 栗山ダム: 去年だったか、母の知り合いが、「山一面にツツジ(ヤシオツツジ)が咲くところがある」と言っていたので、行きたくなった。母に詳細を聞いたら、そこは日光の月山というところだった。ただ、もうツツジは終わったようなので、月山の登り口にある栗山ダムまで行ってみたくなった。
  • 上三依水生植物園: いつもののどかな場所。
  • 白河フラワーワールド: チューリップが観たかったが、もう終わったようだ。
  • 那須フラワーワールド: 白河フラワーワールドの姉妹で、まだ行ったことがないので。
  • 花の山: もう終了していた。
  • 花の江の郷: あやめが観たかったが、もう終わったようだし、湿地ゾーンが閉鎖になっていたので止めた。

涼しそうなので、栗山ダムにしようと思ったのだが、道を調べていたら、ダムに登る道が細いことが分かったので止め、結局、上三依水生植物園に行くことにした。

だるかったり行き先を迷ったりしているうちに時間が経ってしまい、いつもより遅い9:30頃出発した。出掛けに、長年使ったせいか、バッグのファスナーの取っ手が取れてしまい(つまむ側でなく、本体側の金具が破断したので、修理は不可能)、なんか嫌な予感がした。

家を出てすぐの交差点を左折する時に、自転車で横断しようとしていた中学生くらいの女の子が見えずに危なかった。曲がる前に確認したが、その時は見えず、曲がっている途中で気付いた。危ないところだったが、その子が停まったので、ぶつからなかった。事故になったらこっちが悪いのだが、気付きにくいし、(かなり多いとはいえ、右側通行は)余り想定していないから、右側通行は止めて欲しいと思う。が、こういう人って、自分が痛い目に遭わないと分からないんだろうな。。。 それはともかく、何となく嫌な予感がしたので、もう一回危ないことがあったら引き返そうと思った。

10時頃、塩野室のファミマに着いた。徳次郎からここまでは空いていて気持ち良かった。自転車とバイクが多かった。気温は19℃だが、日射しが強くて車内は暑かった。窓のスジ汚れが目障りだったので、拭いた。ちょっと前にwebで見て結構気になっていたが、近くのスーパーにはなかった、わさマヨ地獄のUFOがあったので買った。でも、800kcal以上もあるので、食べるのには勇気が要りそうだ。横の駐車場に、僕と同じ車が停まってた。

鬼怒川の辺りは混んでいたが、それほどイライラせず、概ね気持ち良く走れた。その辺りの古いホテルは軒並み潰れていた。新しいのはあるが、時間の問題なのだろうか? 数年前に閉鎖された、関東最後(?)だった秘宝館の駐車場で、親子が遊んでいたのがちょっとシュールだった。途中で前を走っていたランドローバーは、図体が大きいせいか、直線は速いものの、カーブが遅かった。しかも、普通に走っても道幅を超えることがあった。日本ではほとんど役に立たないうえに、乗るだけで大変そうだ。そういえば、更に上を行く、もっと幅広の車(ハマーだったか)も見た。物好きは多いな。

11:30頃植物園に着いた。なぜか、100mくらい手前でナビの案内が終わった。GPSの位置がずれていたのだろうか? 予想外に満車だった。今は何かの見頃なのか、出発する時間が遅過ぎたせいか。まあ、特に観たい花があるわけではなかったし、こんなに混んでいてはゆったりできなさそうだったので、密かに好きなアイドルに意外にファンが多かった時のような、「だったらいいよ」って気分で、素直に諦めた。以前から閉まっていた駐車場脇の蕎麦屋は、やっぱり閉まっていた。

少し走ったら公園のよう場所が見えたので入ったら、駅(上三依塩原温泉口駅)だった。それにしても長い名前だ。きっと、事なかれ主義の偉い人たちが、地域や社内の要望や意見を全部入れて付けてしまったのだろう。

お腹が空いていたので、とりあえず、ファミマで買ったばかうけ(忘れたけど、珍しい味のもの。島なんとかだったか? → シママースだった)を食べる。外は涼しくて気持ち良かった。日陰だと、シャツだけでは寒いくらいだ。カエルや虫の鳴き声がして、大変のどかでいい。

駅には結構おかしな物があった。まず、待合室のパワースポット。随分前に流行ったが、まだやってたんだ。しかも、効きが悪そうだった。そこに立つと、上から光でも降り注いで来るのか? それから、トイレの鏡の下の注意書きが妙だった。一瞬、蛇が出るかと思って身構えた。それにしても、蛇口から音が出るのに文句を言う人でも居たのだろうか? まあ、今はそういう変人が居ても、不思議ではないな。。。

ばかうけを食べていたら、なんと、バスが来た。こういうところでは本数が少ないので、来るとは思っていなかった。駅が終点で、2人降りた。が、すぐに電車が来る訳ではないようだ。と思っていたら、10分くらいして下り電車が来た。意外に来るものだと思った。結構降りて来た。

食後に駅前の花を鑑賞した。多くはないけど結構綺麗だし、のどかな気分を満喫したので、それだけで満足できた。デジカメは持って行ったのだが、(たった十m程度だが)車に取りに行くのが面倒だったので、iPhoneで撮影した。

何となく、もう少し走りたかったので、南会津経由で白河まで行ってみるかと思ったが、ちょっとひねりがない気がしたので、地図で見つけた、栃木と茨城の県境にあるらしい鷲子山というところに行ってみることにした。が、なぜかナビでは出て来なかった。不思議に思ってスマフォで検索したら、「わしこ」ではなく「とりのこ」と読むようで、それなら出て来た。

走り出して少し経った頃、残りの距離を見たら、約60km以上(約2時間)もあって、予想以上に遠くて嫌になった。それで、塩原の手前辺りで日和って帰宅することにした。なぜか、途中で左の向こう脛が少し痛くなって、それ以上痛むとクラッチ操作ができなくなるので、ちょっと心配になった。幸い、少ししたら治った。疲れか運動不足か。塩原IC手前から矢板への、良く通る道が空いていて気持ちよかった。

13:30頃、矢板IC近くのファミマで昼食にした。盛岡風冷麺を食べた。麺が結構ちゃんとしていて、おいしかった。食べるところがあるのはミニストップだけだと思っていたが、ファミマにもあった。座って食べられるのはいい。セブンイレブンやローソンではほとんどないので、優位点だと思う。

矢板からのバイパスで、結構速い自転車が居た。宇都宮近くで、R4を逸れて近道を行こうとしたのだが、ナビの想定とは異なるために、途中で曲がるのを忘れて、またR4に合流する羽目になってしまった。面倒なので諦めた。

割引メールがあったので、途中でガソリンを入れたのだが、そのメールアカウントの受信を「手動」にしていたため、iPhoneで表示されずに使えなかった。いろいろと間抜けな日だった。

14:30頃帰宅した。朝の嫌な予感は無事回避できたが、結構疲れた。ただ、不思議と、いつものようには眠くならなかった。気温は24℃くらいで、部屋は暑かった。

良かった曲は余り覚えていないが、帰りの"Twilight" (ELO)は良かった。あと、ビートルズの同じ曲("Act naturally"だったか? ただし、別のアルバム)が連続して掛かった。たまにあるが、結構確率が高いのが不思議だ。あと、同じアルバムの曲がアルバムの順に掛かることもあって、それも不思議だ。

日曜のせいか、マナーの悪い車が目立った。右折で、信号が変わった直後に直進車より先に小回りで曲がる姑息な奴らとか、左車線が空いているのに、右車線を延々とマイペースで走って、後ろをイラつかせる車とか(隠れ高齢者だろうか?)。

車の総走行距離は45000kmを越えているが、いつものように実に調子良く、流れるように走っていた。来月は2回目の車検だ。

約150km、5時間。
iPhone 6sで撮影。

(6/5 19:14 若干加筆・修正)

PS. 壊れたバッグをいつから使っていたか写真を調べたら、2003年4月に写した、前の車(VITA)を買った頃の写真に写っていた。3月以前のにはなかったので、この頃買ったようだ。つまり、少なくとも14年間使っていたことになる。そんなに使ったら、金具が破断しても仕方ないだろう。(6/5 19:49)

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近頃は暇なことが多いので、自分の興味のあることができる。今週は、Linuxのプログラム(正確にはスクリプト)の改良をしたのだが、かなり劇的に改善できたので、悦に入っている。

そのスクリプトは、使っているディスプレイ(2台のうちの1台)の欠点を補うために必要になって、少し前に作ったものだ。スクリプトと言っても、実際には、Actionaという、X Window System(以下、X11)の処理を自動化する(例: ボタンを押す)プログラムで動かすプログラムである。

問題のディスプレイは、電源を切ったり省電力モードになった後に復帰すると、一瞬、PCとの接続を切ってしまうようなのだ(普通のディスプレイは、本当にPCとの接続ケーブルを外さない限り、そんなことにはならない。だから、そのディスプレイは腐っている)。そのため、Linuxは新しくディスプレイが接続されたと思って、そのディスプレイをどうするかというダイアログを、もう片方のディスプレイに出してしまう。そのダイアログの中のボタンを押してどうするか指定しない限り、問題のディスプレイには何も表示されない。

毎回それだったら、さすがにそんなディスプレイは捨てたくなるので、上記のActionaを使って、ディスプレイの再接続後にダイアログが出たことを検出して、そのボタンを自動的に押すようにした。

概ねうまく動いていたのだが、タイミングが悪いとうまく働かなかったり、スリープからの復帰に対応していないなどの問題があったので、直しながら使っていた。が、段々、Actionaの使い難さに嫌気が差して来た。プログラムといっても、BASIC程度のもので、制御構造が貧弱(基本的にGOTOしかない)なので、見やすいプログラムが書けず、保守性が悪いので、ちょっと直そうとするだけで、さまざまな落とし穴に落ちる。大幅な変更はかなり苦労する。

それで、何とかしてActionaを使わないで済ませられないか考えた。まずは、プログラムを見やすくするために、シェル・スクリプトにすることにした(というか、他に手軽な選択肢はほとんどない)。そして、幸い、ダイアログを探したりボタンを押したりする処理は、別の自動化プログラムxdotoolでできることが分かった。それで、今週の中頃に作ってみたら、うまく行った。

が、前から思っていたのだが、短時間(数秒間)でもダイアログが出て、スクリプトがそれを消すまでは自分が操作できないのが嫌だったし、Windowsじゃあるまいし、ダイアログのボタンを押すしか方法がないってのも馬鹿らしいと思い始め、ダイアログを使わないで済ませる方法を探したら、xrandrというディスプレイの設定のためのコマンドが見つかった。それを使う方法は、Actionaを使う前に検索して知っていたのだが、その時はどうもピンと来なかったので、使わなかったのだ。ちなみに、このコマンドは新しいようで、昔のX11にはなかった。そのために、すぐに思い浮かばなかったということもある(あと、その名前は何から来ているのか、謎だ)。

それで、今週の後半にxrandrを使ってプログラムを作り直した。更に、ダイアログを出さない方法(Linuxのデスクトップ環境の設定だった)も見つけたので、ダイアログを見つけて閉じる処理も不要になり(そのため、xdotoolも不要になった)、結局、最初とは全く異なる、すごくシンプルなプログラムになった。省電力モードなどからの復帰時にダイアログは出なくなり、一瞬で問題のディスプレイが使えるようになった。

ソフトは作る時(正確には動き出した時)はおもしろいけど、こうして、思わぬ展開でうまく(ドラスティックに?)改良できた時も、かなりおもしろい。

PS. ちょっと気に入らないのは、Windowsの時は、同じディスプレイが何も問題なく使えていたことだ。Windowsはディスプレイの状態や設定をうまく記憶しているのかも知れない(単に、何もしてないだけかも知れない)。Linuxにだってそういう機能があってしかるべきだが、今は分からない。もし見つかれば、作ったスクリプトが不要になる。新たに作る・動かすプログラムは少ない方がいい(プログラムなんて、作らないに越したことはない)から、例えそれまでの作業が無駄になったとしたって、それが理想の状態だから、作ったものを捨てるのは全く惜しくない。そして、そういう工夫もおもしろい。

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ストレス解消なのか、今日もディスりが炸裂w

1. 就職しやすいプログラミング言語

先日、上のような記事の見出しを見たが、まったく馬鹿げている。短期的には効果あるだろうけど、そんなの無意味だ。「IT土方」という単語は大嫌いだが、それになりたい学生の皆さんは、是非、そういう言語を習得して、「即戦力になるね」と言って雇ってくれる黒い会社に就職して死の行進に参加して欲しい。

プログラマーにとって、コーディング(プログラミング言語でプログラムを書くこと)なんて、ピアノストが楽譜のとおりに指を動かすくらい当たり前のことだ(とはいえ、僕は後者は諦めたが)。そもそも、プログラミング言語の流行なんてすぐに変わるのだから、特定の言語に特化した人間なんて、使い捨てにされてしまう。だから、知らない言語だって、ちょっと調べて何とかするか(音楽の初見じゃないのだから、これは充分可能)、使わないで済むにはどうしたらいいか(ピアノだったら「それらしく」弾く?)考えて、実際にそうして、「できました」と言って澄ましている程度のことができないといけない。

そんなことより重要なのは、目的とする物に必要な機能は何かとか、それをどういうふうに実現すればいいかとか、どうしたら問題が起こりにくいようにできるかとか、どうやったら動作確認や保守が容易になるかなどを考えることだ。そういう頭がないから「IT土方」に成り下がってしまうのだろう。

とはいえ、今も昔も、日本では自分で考える本物のプログラマーが疎まれることが多い(というのは、プログラマーの「上」に居るらしい、"SE"とかいう奇想天外な作文をする連中の存在価値がなくなるので)ようなので、世の中はうまく行かない。

2. 綺麗なターンテーブル

近頃は、アクリルだのガラスでできたターンテーブルのレコードプレーヤーが喜ばれるようだが、全く笑える。

あんなの飾りです!

そもそも、レコードはプラスチック(樹脂)でできているので、静電気が起こりやすい。静電気はゴミを引き寄せるので、ノイズの原因になる。だから、昔は、金属製のターンテーブルに導電性ゴムのシートを載せていた。

なのに、アクリルなんて、静電気を弱めるどころか、発生させるではないか(静電気でレコードが吸着されていいのか?)。ガラスはまだまし(強めないだろうが、弱めもしない)だが、積極的に使う価値を感じない(「澄んだ音がする」とか言われてそうだ)。

そういうのを作る人も買う人も、レコードやオーディオの本質を理解していない、ニワカだ。せいぜい、ピクチャーレコードを綺麗なターンテーブルに載せて、耳でなく目で音楽を楽しむのが関の山だ。

 

番外編(更につまらない物w):

・ビートルズ "Sgt. Pepper's"のリミックスアルバム

ジョージ・マーティンの息子がまたやってるけど、何か意味あるのかね。そもそも、アルバムは最初に発売されたオリジナルに一番価値がある。許せるのは、せいぜいリマスターまでだ。オリジナルに入らなかった曲(ボーナス・トラックだのデモ・テイクだの)なんて、所詮「予選落ち」だから、別に聴きたくないし、紙ジャケだの帯だの分厚い解説書だの写真集なんて無駄だ。

それで、このアルバムは何が売りなのだろうか。A○Bのように、おびただしい種類があるけど、基本は新しくリミックスしたという1枚だろう。が、リミックスする必要はあったのか? メンバーの誰かがして欲しいと言った? もう、2人しか居ないし、彼らだって、昔のアルバムなんていじりたくないはずだ。では、数多くのファンが、ずっと物足りないと言い続けていた? そんなはずはない。

しかも、オリジナル盤のプロデューサー本人がするのでなくて、息子とは。その息子は、ずっとメンバーと一緒に生活でもして、メンバーの考えが良く分かっている? だったら少しはいいね。

まったくお笑いだ。単に、阿漕なレコード会社がお金が欲しいから発案して、息子が遊んだだけの作品、というか、「リミックスしてみた」程度の物で、YouTubeに出すだけで充分な、全く価値のない1枚(だけどバージョンは多いw)だ。

先日、僕は、(演奏に対して)「無価値」は言い過ぎだと書いたが、ここではあえてそう書いた。というのは、このリミックスにおいては、アーティストは何もしておらず(方向性すら示していない)、技術者が好き勝手に腕を動かしただけで、到底芸術活動の成果とは言えないからだ。むしろ、偉大な作品のマスターを私物化して、勝手にいじって侮辱する、負の価値と言ってもいいくらいだ。書いていると本当に腹立たしくなってくる。 (6/3 11:18)

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珍しくリアルタイムネタ。

トランプの"covfefe"はタイプミスでは? でも、スマフォだったらないか。

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昨夜、いつものようにラフマニノフのピアノ協奏曲(もちろん、2, 3番)を聴きたくなったのだが、目新しいものが聴きたくなったのか、いつものブロンフマンではなく、死蔵している演奏を試してみた。

ジルベルシュテインの2番(1991)は、やっぱり駄目だった。なんか線が細いのだ。彼女は好きで、TVで放送されたライブ(1994, 1997)はかなり良かったのだが、スタジオ収録では好みの演奏がない。途中で、(死蔵しているものではないが、)ルガンスキーの3番と2番(2003, 2005)にした。彼はいつも良く感じるので、全部聴いた。

もちろん、作曲者やアシュケナージやアルゲリッチやグリモーや小山のはパスした。ガブリーロフの2番(1991)も聴いた気がするが、途中で止めた。

次に、リシッツアの2番(2012)を試したが、やっぱり駄目だった。以前読んだ音抜き疑惑のせいもあるが、なんか、自己主張が強過ぎて鼻につく感じだ。YouTubeのピアノソロ(オケなし)は良かったので、指揮者と充分に合わせてないのではないか? それで、アンスネスの2番(2005)に代えた。

彼の演奏は、買った当初は全然気に入らなかったのだが、どうしてか、昨夜はなかなかダイナミックかつシャープな感じで良かった。オケ(パッパーノ指揮、ベルリンフィル)もシャープだ。オケの音の入れ方がちょっと変わっていて、普通は聞こえない音が聞こえた。

今朝、引き続き彼の3番(2010)を聴いたが、(今となっては)問題なく、結構良かった。ルガンスキーに近い感じがした。弾き方の癖は強目だが、リシッツアのようには嫌味でない。指揮者は同じだが、収録年とオケ(ロンドン響)が違うせいか、音の入り方は普通だった。

アンスネスはルガンスキーと同じ頃に活躍した(今もそうだろうが)ので、きっと歳も近いのだろう。今となっては中堅なのだろうが、僕の中ではジャケット写真のような「若手(のイケメン)」のイメージがある。近頃(といっても、もう10年近く前のようだが)では、フレイがその位置に居るのだろうか。

演奏は、聴く時の状態やそれまでの経過によって印象が変わるのだろう。変わらないものもあるが、変わるものも多い。

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時々、アン・プラグドという演奏形態が取り上げられる(クラシックは全部そうだが)。そこから連想して、これからの社会は、「アン・コネクテッド」かなあと、思った。きっと、今までにもこういう意見を言う人は居ただろうけど、僕もそう思う。

昔に戻って、ネットをなるべく使わずに生きる、そこまで行かなくても、何かをする時に、なるべくネットを使わないようにするのだ。

例えば、見積もりや予約は電話・ファクスを使うとか、メールじゃなくて手紙にするとか、通販じゃなくて本物のお店で買うとか、ストリートビューなんて使わず、自分で見に行くとかだ。

そうすることで、人間本来の良さが再発見できそうではないか。あと、今のギスギスした世の中が、少しはマイルドになるかも知れない(まあ、ありきたりの考えという気はするが)。でも、あと数十年経ったら、「まだネットなんて使ってるの?」なんて言われるかも知れない。

今の僕にはとても無理だけど、将来は分からない(かも知れない)。

 

PS. ビールを飲みながらラフマニノフのピアノ協奏曲(3番)を聴いていたせいなのか、「ネット・計算機命」の僕がこんなことを書いたのは、自分でも意外だ。勝手に指が動いたようだw

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よく、技術系のニュースに、「次のiPhoneはこうなる」とか「次のWindows 10のアップデートは・・・」とかあるが、全くつまらない記事だと思う。

非公式情報から予想したって(大抵は海外サイトからのパクリなので、予想すらしていない)、外れることが多いだろうし、そもそも、次の製品を予想して何かいいことがあるのかと思う。

一部の信者は趣味として楽しいかも知れないが、現状に不満のない人にしたってある人にしたって、確定していない情報に一喜一憂させられるだけで、何もいいことがない。メリットがあるのは、その不確かな情報を信じて現行製品からの乗り換えを考えるバカ者が増えるであろうメーカーと、ニュースの出版社だけだろう。

そんなのより、4月1日の嘘記事の方がおもしろいくらいだ。もっと技術の本質を考えて欲しいが、きっと、考えられないのだろう。

そんな提灯記事を書く出版社のニュース(I○mediaだのI○press watch)なんて読みたくないのだが、他にないので仕方ない。

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