Archive for the ‘日記’ Category

不思議なことに、忙しくて疲れているけど暇もあって、そういう時には余計なこと(主に、身体を動かす作業のようなこと)をしたくなってしまう。今週は、ぼーっと本棚を眺めていたら、(PCに取り込んでいるので)絶対に掛けないCDやDVDなど(ボックスや紙ジャケなどでケースを捨てられないもの)が並んでいるのは、どうしても無駄・無意味で、放置しておくのは「負け」な気がした。それで、ちょっと考えた後、そういう類を箱に詰めてクローゼット送りにした。本棚は1段空いた。

その後、(CDはPCで聴けるけど、)DVDやBDはPCに取り込んでいないから、仕舞うと観られなくなることに気づいたが、今はビデオはほとんど観ないし(実際、前回DVDなどを観たのはいつだったか覚えてない)、長い映像作品を観ること自体が面倒(集中できないし、音楽より拘束度合いが大きくて疲れる)なので、観たくなったら出せばいいと割り切った。

それに、大抵のものはYouTubeなどで観られるし、後で気が変わっていろいろな作品が観たくなったら、(物理メディアを再生するのでなく)Amazonなどの配信サービスに入ればいいだろうとも思う。そういう点では、僕には4KどころかHDだって要らない感じだw

数日後、更に眺めていたら、絶対に掛けないであろうCDなどが詰め込まれたCDファイル(ケースを捨てたCDなどのメディアを入れている)がずらっと並んでいるのも、無意味な気がした。それで、思い切って、(クローゼットをちょっと整理して、)CDファイルもクローゼット送りにした(その時、すっかり忘れていたのだが、使っていないディスプレイ(妹から回収したナナオ S170)がクローゼットの中にあることに気付いた。これも何とかしたい)。本棚が更に1段空いて、スカスカになった。大変気持ちいい。

が、これを見ていると、この空間をどうやって埋めるか(いや、そんな必要はないのだが)とか、逆に、この本棚すら不要なのではと思い始めるし、下から2番目の棚にぽつんと置いてあるグライコだって(PCで処理するようにして)排除したい気もし出すし、クローゼットに仕舞ってある大量のCDなどやブックレットだって処分したくなって来るから、何か少しおかしい(「過整理症候群」?w)かも知れない気がするが、まあ、気分が良くておもしろければ、そんなことはどうだっていいw

「おかしい」という点では、さっき、昔の写真を追加して思ったのだが、その頃の方がずっとおかしかったのではないかと思う。。。 ちなみに、当時は、この本棚の他にCDラックがあり、それがほとんど埋まっていた

まあ、「フルの本棚」のなんてのは昭和の価値観では良かったのだと思う。が、今は時代が代わり、僕もそれに追いついていると言えるのかも知れない。

 

PS. さっき、病院に歩きながら思った。これから(次の世紀?)は、いかに物を持たないか=「物を持ったら負け」の時代ではないかと。特に、家とか車とか大きな物は所持しない。持つなら、なるべく仮想的・電子的な物にして、地球のエントロピーをなるべく増やさない(実は物理法則に反するので、逆にエネルギーを使う)生き方ではないかと。これを突き詰めると、前にも書いた、生き物(少なくとも人間)の居ない、無機的な地球になる。

そう思うのは、極論だが、だいたい、日頃さんざん便利な暮らしをしていて、「自然を大切に」とか「絶滅種を守ろう」云々はあり得ず、全くの欺瞞だと思うからだ。そう言うのであれば、原始時代の生活をしてから言って欲しい。それだって、自然を破壊しながらの生活だと思うけどね。

そもそも、多大なる労力で保護した「自然」なるものは本当に自然なのか、全く疑問だ。その代わりに別の自然は破壊されていないか?

  •   0
  •   0

昼、ちょっと暇だった時に、カラパイアで妙に受ける物体を見てしまった。それで、「これは是非買いたい(かも?)」と思って、自分にメールで送った。が、家で見ると、なぜかほとんど惹かれない。

外形はいいけど、スイッチが問題だ。位置はもちろん、色が「金色」なのは全く悪趣味だ。それに、充電式ではいざ使う時に点かないことがありそうで、面倒だ(まあ、仮に買っても点灯などせず、置物にするだけから関係ないけど)。とにかく、金色は台無しだw 作者のセンスのなさが伺える。

そして、1体205ポンド(約3万円)て何だろう!? 冗談かよと思う。まあ、(自称)ちゃんとしたアーティストが作ったからなのだろうけど、そのうち、Amazonやドンキで千円くらいで買えそうじゃないか。

だから、止めた。

ちなみに、僕は、こういうふうに、会社では受けたけど、自宅で読むと全然なこと(記事や物)が多い。受ける・受けないは、その時の気分が大きいってことだろうか(それはそうか)。あとは、一回分かったら、賞味期限が過ぎてしまうのかも知れない。

PS. 買うとしたら、もちろん、黒ですw

  •   0
  •   0

会社が、(嫌々ながら)ストレスチェックなるものをやるとのことなので、早速やってみた。少し大げさに付けたところはあるが、概ね正直にやったのだが、結果を見て吹いた。なんと、

ストレス度がMAX (N段階の最高の値)

だったのだ。普通は自分の予想より低く出てがっかりするものだが(実際、最初にその値を見た時、一番軽いのかと思った)、今回は胸のすく思いだw

まあ、会社自体、「法で決まっているから、とりあえず形だけやるけど、何かあっても自分で解決してね」ってスタンスなので(担当のアフォが本当にみんなの前で言っていた)、まあ、ストレスは溜まるよね・・・

 

PS. そんなこんなで、今日は別件でイライラして頭が痛いので、無伴奏チェロ (ビルスマ, 1992)を聴いて落ち着こうとしている。が、書かなくていいことだが、この曲はビールのようなもので、最初の曲の出だしが一番癒やされるが、あとは惰性かな・・・ バッハ様、すみませんw

  •   0
  •   0

たまに、ウォズ(アップルの創業者の片割れ)が何か話したとか記事に出ることがある。でも、僕はほとんど興味を持たず、中身を読むことは少ない。「また何か言ってるな」程度だ。でも、もし、ドク(「バック・トゥー・ザ・フューチャー」でタイムマシンを作った人)が何か話したという記事が出たら(出ることはないのだが)、それはもう、じっくり読むだろう。

客観的に見れば、どちらも優れた技術者・科学者なのだが、僕からすると、ドクは尊敬の対象だが、ウォズは「なんか面倒な人」とか「胡散臭い人」という印象で、尊敬できない。

その違いを考えてみると、まずは一貫性の有無のように思える。ドクの言動は必ず一本筋が通っていて、滅多に外すことはない。ウォズも一般的にはそういうイメージだろうが、実際は違うと思う。近頃の発言だけでも右往左往している気がする。「じゃあ、結局なんなんですか?」と聞きたいことが多い。昔だって特にポリシーがあった訳ではなく、「おもしろいから・思い付いたからAppleコンピュータを作った(それが意外にうまく行っちゃった)」という印象だ。まあ、それは言い過ぎで、彼の功績は大いなるものではあるが、やっぱり、余り好きではない。

もう一つ、細かいことだが、ウォズは自分を「僕」と呼ぶが、ドクはそうではない(確か、「私」だったか。ただ、僕は文章や字幕を読んだだけなので、「僕」と「私」の違いがあるのかは不明だ。でも、二人の雰囲気はかなり違っていて、ウォズはいかにも「僕」と言いそうだし、ドクはそうでない)。そして、実際には僕も自分を「僕」と呼ぶので、ウォズのことをとやかく言えないのだが、同属嫌悪のようなものがあるのかもしれないw

そしてone more thing.: 今思い付いたのだが、これは大きい。ウォズが昔稼いだお金で隠居みたいに安穏と何もせずに暮らしているのが、一番気に入らない。だから、「口だけじゃなくて、何かおもしろい物でも作れば?」と言いたくなる。ドクだったら、常に何かを考え、作っていることだろう。僕もそうありたい。

今回の結論は、「太った豚より、痩せたソクラテス」のようだ。

  •   0
  •   1

今朝から、ヘッドフォンのボリュームを大きくすると、右から少し雑音(ラジオのような「ザー」っという音)がするようになった。ヘッドフォンを繋いでいる、グライコ(DEQ2496)のAUX出力(のコンデンサ?)が劣化したのか、壊れ掛けているようだ。

早速、対処策を考えた。いろいろな案が出たのだが、PCのオーディオ出力のサラウンド用リアスピーカー端子につないだら音が出たので、とりあえず、そこにボリュームを介して繋ぐことにした。グライコに繋いだ時より少し音が小さい気がするので、もし駄目なら、別の手(例: 外部にヘッドフォンアンプを繋ぐ)を考えよう。

ヘッドフォンを繋ぐのは、(サラウンド用でなく、)通常の出力(ライン端子)でもヘッドフォン出力でも良かった(全部、同じ音量だった)のだが、ヘッドフォン出力だと、PCの前面にいつもケーブルが繋がっていて見苦しいし、足をぶつけてプラグを折る可能性が高いので止めた。一方、サラウンド用端子なら、ヘッドフォンを繋いだまま、ライン出力を別の用途(例: 特性測定用信号出力)にも使えるので、採用した。

このPCを組み立てる時は、ヘッドフォン出力なんて使わないと思って配線してなかったので、音量を確認する時に接続したのだが、基板に繋ぐケーブルがストレージベイの奥(背面)でとぐろになって固定されていて伸ばせなかったのだが、そんなことは忘れているから結構苦労した。しかも、お約束で、いつの間にか左手の甲を切っていたw

なぜ雑音が出るようになったかだが、AUX出力はヘッドフォンのような低インピーダンスの負荷は想定していないから常に過負荷(AUXが繋がる機器の入力インピーダンスは50kΩ程度なのに対してヘッドフォンは数十Ωなので、計算上は約千倍)になっていたせいなのか、単に寿命が来た(今年で4年目)のではないかと思う。

過負荷について考えてみた: 使われているオペアンプ、4580の仕様書(TIと日本無線のもの)にはヘッドフォンアンプにも使えるように書いてあるので、実際には問題ないのかも知れないし、回路構成をヘッドフォン向けにしてないから駄目なのかも知れない。

いずれにしても、オペアンプではなく、コンデンサが駄目になったのではないかと思う。電源のコンデンサかと思ったが、いくつかのオペアンプに共通になっている(もちろん左右共通でもある)のでそうではなく、信号線に並列に繋がっているものやオペアンプのフィードバックに並列になっているものが怪しい。ただ、容量は数十〜百pFなので、そういう小さいの(セラミックかマイラ?)が壊れるものだろうか?

良く考えると、コンデンサの故障は耐圧を超えた場合に起こることが多いのだが、回路を設計する時点で、そこに掛かる可能性のある電圧(=電源電圧)以上のものを使っているはずだから、いくら大音量で再生しても超えることはないはずだ。また、高負荷の場合には電流が増大するのだが、電流とコンデンサの故障は無関係なはずだ(直列接続なら関係ありそうだが、それにしても、電源電圧は大幅に超えない)。とすると、たまたまその部品の質が悪くて早く劣化しただけなのかも知れない。

もし前者(過負荷)なら、PCのライン用出力にヘッドフォンを繋いでいたら、いつか壊れるだろう。その点、サラウンド用出力はまず本来の目的に使うあてがないから、壊れても大丈夫だ。

もし後者(寿命)なら、グライコ自体の寿命が近いということなので、そのうちにスピーカーの音にも雑音が入ったり出なくなったりする可能性がある(補正処理自体はプロセッサ(DSP)で行っているのでまだ大丈夫だろうが、音にするのにグライコの内蔵DACを使っているので、そのアナログ回路が壊れる可能性がある)。その時は、以下のように、外部のグライコを使わないようにすることを考えている。

  • (以前試した、)JACKのグライコソフト(実際にはPEQ)を使って、PCで音質を補正する。
  • 補正した音は、PCの光出力から外部のDAC(新規購入)に繋ぎ、出力をアンプに入れてスピーカーから出す。
  • ヘッドフォンは、とりあえずは(今と同様に)PCに繋ぐ。音量が不足するなら、ヘッドフォンアンプやヘッドフォンアンプ付きDACを買う。

※スピーカーは補正するけど、ヘッドフォンは補正しないので、1つの筐体に2系統の独立したDACが入ったもの(例: 「ヘッドフォン専用DAC内蔵DAC」)があると丁度いいのだが、そんな都合がいいのはあるのだろうか?

まあ、あと数年は大丈夫と思っているが、早く壊れても、それはそれでおもしろいのでいいかもw (なんて書くと本当に壊れたりするので危ない・・・)

  •   0
  •   0

さっきから、Arie Vardiという人のK. 488 (1988?)を聴いている。最初は素直な感じで悪くなかったのだが、段々、気に入らなくなってきた。1楽章のイントロは良かったのだが、その後はちょっと慌ただしい感じでもったいない。深みも少ない。実は、忘れていたのだが、この演奏は以前聴いていたようで、thumbs upしていたのだが、取り消した。逆に、downにしたいくらいだ。

僕は、この曲の2楽章終盤の寂しいピアノが好きなのだが、この人のはちょっとおかしく、サーカスみたいに(ラフマニノフのピアノ協奏曲 第3番 第2楽章後半にそんな箇所がある)なって、場違いで台無しになっていた。。。 3楽章だって、もう少し流麗に弾いてほしい。曲に負けているよ。(今気付いたが、この人、弾き振りしている。ピアニストの弾き振りは大抵失敗するんだよね。止めときゃいいのに・・・)

と、がっかりすることも多いのだから、K. 488だったら愛聴のポリーニのにしておけばいいのに、僕はなぜ、新しい演奏を探すのだろうか。良くは分からないが、変化とか「もっといいもの」を求めているのだろう。まったく、自分で弾け(き)もしないのに贅沢(高望み)もいいところだ!w

でも、今は、GPMのおかげで、この程度ならいくらでも贅沢できるのだから、本当にありがたいことだ。

  •   0
  •   0

何かのついで(何だったか忘れたw)にクローゼットの中の貴重品箱の中を見たら、もうずっと使っていない、昔の通帳やキャッシュカードが沢山あったので、整理することにした。すると、雑多な「思い出の品々」に混じって、思わぬ物が出て来た。 トラベラーズチェック(TC)だ。

発掘したTCとドル紙幣など (右上はUSの切手、右下はTCの控え)

20年以上前(1994年)にUSに遊びに行った時に買ったものの残りだ。意外に多くて、200ドル分もある。他に、現金も10ドルちょっとあった。

そういえば、どうしてか、以前にも調べた(今日のように見つけたが、「あとで整理しよう」と思ったまま忘却したのだろうw)気がするが、TCを換金できる場所はほとんどないようだ。そもそも販売が終わっているし、海外でも使えるところは少ないようだ。まあ、今は仮想通貨の時代だしw、TCなんてクレジットカードに比べて使い勝手が悪く※、時代遅れもいいところだが、もうほとんど使えないということを知った時はちょっと驚いた。当時は、「AMEXのTCなら(絶対)大丈夫だ」という定説だったのだが・・・

※当時でもクレジットカードで充分だったのだが、なぜか、TCも持って行った。理由は忘れたが、カードをなくした時の予備だったのか? あるいは、ちょっとした現金を持つよりは安全ということだったか。

TCは現金(通貨)ではなく、商品券のようなものなので、発行者や取り扱い者が「やーめた」と言えば終わりなのだ。記載された額に変化はないけど(意外にも、今でも価値は下がってない)、消費期限はあった。「じゃあ、仮想通貨もそうかもね」、と、今ふと思った。

なお、検索したところ、わずかながら、今でもTCを換金できそうな店(トラベレックスなど)があるようなので、都内や大宮辺りに行ったついでにさっさと換金したい。お金には思い出はないので。

ちなみに、その貴重品箱はすっかり片付いてしまい、今は実印などハンコ3本だけがぽつんと入っているだけだ(実際には、ほとんどを「あとで整理」という箱に移しただけだがw)。ハンコも、いつか不要になって欲しいが、いつになるかなあ・・・

 

PS. 海外のお金といえば、ソ連に行った時(1989年)のルーブル紙幣や硬貨もあった。TCじゃなくて本物の通貨だけど、消費(賞味)期限が過ぎてしまったのだろうか?? (2/5 21:09 写真を追加)

PS2. あ、ドクのアタッシュケースに入れてもらおうか?w

  •   0
  •   0

少し調子が良くなったので、去年は入院や歯の治療やピロリ菌の除菌で医療費が多く掛かったので、確定申告書を作った。結構久し振りだ。いろいろ文句(後述)はあるが、かなり前からwebで作れるようになっているのは便利だ。それだけでやる気が出る。

まずは、領収書など必要な資料を集めて(これが一番面倒だった)、webに打ち込んで、1時間くらいで終わった。

医療費は予想以上に嵩んでいて、約23万円にもなった(これの明細を打ち込むのも手間だった)。「相当戻って来そうだな」と思って結果(還付金額)を見たら、がっかりした。詳しくは書かないが、スマフォすら買えない額だった。。。 給料が安くて税額も少ないから、戻りも少ないのだろう。まあ、この作業に何時間も掛かった訳ではないから良しとするか・・・

このあと、PDFを印刷してマイナンバーカードの写し(その他あれば)を添付して送るのだが、それも面倒だし、アナクロでバカバカしいし、添付忘れとかの間違いが起こりやすいから神経を遣う。 → そうだ! ハンコが要るはずだ。忘れないようにしないと・・・ いったいいつの時代かと、まったく溜息だ。

 

その他の文句は以下のとおり:

  • Webなのに、なんでOSやブラウザを限定している? (Linux+Vivaldiで何も問題なかったよ。: 全部は確認できないのは分かるが・・・ まあ、「不明なOSなので作成できません」と言われないのは良いw)
  • e-Taxなるものをもっと簡単に使えるようにして、印刷・郵送を不要にして欲しい。
  • e-Taxは対応のカードリーダーが要る(印刷の場合はマイナンバーの打ち込みとかカードなどの写しを添付)とか言わずに、スマフォのNFC/Felica機能(あるいはカメラ)でマイナンバーカードを読み込んで認証できればいいのに。そうすれば、「マイナンバーカードなんて役に立たない」と文句を言う人も減るだろうに・・・ それに、マイナンバーを書くのだから、(普通の人は)源泉徴収票だって添付しなくていいはずだ。マイナンバーには高いお金を掛けているんだから、もっと頭を使って欲しいね。
  • 医療費にしたって、健康保険適用分は保険の番号で自動で集計できるとか(これは、そのうちマイナンバーで強制的にできるようだ)、レシート(QRコードを印刷しておくとか)をスキャンすれば自動で入力できるとかして欲しいが、そんなに難しいのかなあ。。。
  • PDFを印刷して送るなんて、もう20年近く変わっていない気がする。せめてメール(あるいはwebから送信)で送れればいいのに、全く遅れてる。マイナンバーが書いてあって、写し(画像)があれば本人と証明される(している)のだから、それで充分なはずだ。そもそも、自分から国に申告して、マイナンバーも書く人が、わざわざ不正をする確率はそれほど高くないはずだし、他人がなりすますにしても、他人の分を納税する奇特な人が居るのか(代理納税で実質的に贈与する?)という疑問はあるし、還付金は自分の口座でしか受け取れないのだから、本人証明なんて要るのかと思う。
  •   0
  •   0

Linuxのエディタは、まだふらついている。先日、Geanyにしたのだが、やっぱり細かい(けど重要な)ところが気に入らず、イライラする。それで、Atomのハングアップ(フリーズ)を解決するという設定を調べて試したのだが、やっぱり効果がなかった。結局、今は、jEditに戻るしかないという結論だ。

そんなことを考えていたら、ふと、懐かしい、「いい子、悪い子、普通の子」を思い付いた。上に挙げたそれぞれのエディタの特徴が当てはまりそうだと思った。が、「天才、秀才、凡人」の方が適切かとも思った。あと、「凡人、軍人、変人」てものあったが、それはどうだか・・・ (他には、「ガンダム、シャア専用、ザク」ってのもあるかも知れないが、詳しくないw)

  • 天才
    • ワルオ?: 勉強なんてしなくても、100点取れる。でも、0点のこともある。
    • Atom: まさに僕好みの動作で使えてセンスも抜群だが、気分次第でばっくれる(ハングする)ので、付き合ってられない。
  • 秀才
    • ヨシオ: 徹夜して頑張れば100点取れる。
    • jEdit: 頑張って設定すれば好みの動作で使えるが、どうしても無理している感じがあるうえに、センスが悪い(古臭い)。
  • 凡人
    • フツオ: 徹夜なんてしないし、頑張っても70点でも喜ぶ。
    • Geany: 頑張って設定してもできないことは多いし、逆に、余計なこともする。全く平凡で、センスなどというものはない。

Atomには惹かれるのだが、実用にはならないので、jEditで我慢するしかないようだ。

PS. こういう、本当に基本的なツールについては、「何だっていいんだよ」主義の例外である。「何だっていいんだよ」は、「やりたいこと(=本質)が達成できれば」が前提だが、クソ駄目なエディタなんて使っていたら、邪魔されて、やりたいことができないからだ。

PS2. 以前書いた、"Geany"から老人を思い浮かべたわけは、どうしてか"granny"が頭の中にあって、無意識のうちに連想したためのようだ。ネイティブの連想は違うのかも知れないが、そういう名前を付けるのはやっぱりセンスがないと思う。 (22:25)

  •   0
  •   0

入試問題のミスが発覚して、謝罪とか追加合格になっている。受験生にとっては大きな迷惑で、可哀想としか言いようがないが、僕らの時は、「問題にも間違いがあることがあるから、おかしいと思った時は関わり過ぎないで飛ばせ」と教えられた。

もちろん、誤りがないのが当たり前なんだろうけど、人間が作るものだから、それは無理ではないか。そもそも、大学の先生なんて学者も居るのだから、「入試問題を作れ」と言われても、全く筋違いで迷惑な話だと思う。

ここで余談が入ります: 大学の先生に(なったことはないが)入試問題を作らせるのは、F1の人に運転免許の学科を教えさせるようなもので、全く意味がないことで、労力や時間の無駄だと思う。逆説的だが、予備校の先生に作らせた方が、まだマシだ。

(合理的な工数・費用・時間で)「誤りなし」を目指すなら、やっぱり、AIに任せたほうがいいだろう。おそらく、入試問題なんて創造性は不要で、さまざまな条件(例: 高校の学習範囲、高校での教え方)をクリアするように、さまざまな情報から問題を作ればいいのだから、本当にいい仕事をしそうだ。

AIは少し先としても、次のようなやり方もあると思った。あらかじめ、「問題には誤りがあることがある」と宣言しておくのだ。Disclaimerである。受験者は、試験を始める前に、disclaimerを読んで署名する(あるいは、チェックを入れるかマークする)のだ。そして、本当に問題が間違っていると思ったら、解答欄にそう書く(理由も書くといいだろう)。マークシートなら、最後の選択肢の「誤り」にマークする(本当は指摘する必要はないのだが、気分の問題だろう。ただ、指摘が多かった問題は学校が自主的に調査する可能性があるから、意味はあるのかも知れない。あるいは、指摘が正しかったら、倍の点がもらえるなどにすると、いいかも知れない)。誤りは滅多にないから、全部「誤り」にしても得にはならない。

もう一個余談が入ります: 少し次元の違う話になるが、ある学校を受けるのなら、問題の誤りも含めて評価する、例えば、試験が終わった帰り道、「あんないい加減な問題じゃあ、入っても無駄だな」と言えるような、学校と対等に張り合うくらいの意気込みが欲しい。あるいは、そんな誤りも全部呑んで、「それも含めてその学校が気に入っているんだ」とか。

なんてことを書くと、「こっちは真剣なんだ。ふざけたこと言うな!」と言われそうだが、「じゃあ、そもそもお前は間違わないのか?」と言いたいし、「世の中には答えが一つだけのことなんてほとんどないし、答えがないことだって多いのだから、その事実を早く知った方がずっといいし、そういうおかしなことに臨機応変に対処できる知恵とか経験を身につける方が重要だと思う」と言いたい。それに、問題の誤りを指摘できるくらい深く勉強(理解)していれば、それはそれですごいことじゃないか。折角やるんだったら、そこを目指そうよ。

それ以前に、そもそも、入る学校で人生が決まる(入れば何とかなる)とか思って(一種の信仰だろう)、日夜「受験勉強」に精を出している時点で、まあ、先は大したことないと、個人的には思う。ただ、十代の子に自分でそれを理解しろと言っても無理なので、学校や社会の問題・責任なんだろう。

 

(最後に、僕が良く書く言葉: 「何だっていいんだよ」 を書こうかと思ったが、余りにも身も蓋もないので止めておく。でも、まあ、どこでだって、自分がやりたいことをやれば、入る学校自体にそれほど大きな意味はないと思う。)

  •   1
  •   0