Archive for the ‘音楽’ Category

さっき、Spotifyを聴きながら思った。

子どもの頃、桜田淳子が好きだったから(さして大きな理由はなかった。今となってはひどい話だが、妹たちと、桜田、山口百恵、ピンク・レディーを「割り当て」みたいにしていたw)、曲が掛かると懐かしいのだが、今となっては、山口(残念ながら、まだSpotifyには入ってない)はもちろん、当時は邪道だと思っていたピンク・レディーよりも聴きたくない存在になっているので、「嫌い」にして(Removeボタンを押して)掛からないようにすらしている。なぜなのだろう? 歌が今一つだったせいなのだろうか。

作曲家や作詞家は知らないが※、今聴くと、ピンク・レディーの方がずっといい感じだ。ポップな歌もいいけど、音作りがいい。桜田の歌はひたすら暗い印象しかしない。しかも、中身(歌詞)が背伸びしているから聴いていて恥ずかしい気分になる。そこが駄目なのだろう。似たような立場の人としては、男だが西城秀樹が居る。好きではなかったが、年上の女性との話が多くて、今聴くと恥ずかしい。でも、郷も野口も別なところで気恥ずかしいのは一緒だw

※桜田とピンク・レディーの初期のヒット曲の作曲家と作詞家を調べたら、さすがに当時の有力アイドルだっただけあって、作詞はどちらも阿久悠だった。作曲は、桜田は中村泰士、ピンク・レディーは都倉俊一だった。中村と都倉の作風の違いなど知らないが、そういうものもあったのだろうか。あとはアレンジや演奏・音作りの違いは大きいだろう。ピンク・レディーは、当時の最先端(言い過ぎ?)の楽器を使っていたイメージがあるが、桜田は・・・。レコード会社はどちらもビクターだったと思うが、事務所の意向(売り方)があったのか。

逆の立場の人には尾崎豊が居る。当時は全然関心がなかったし、馬鹿にして聴かなかったが、今聴くと捨てたものではない。内容的には「黒歴史」そのものなのだがw、背伸びしてないからだろうか? (調べたら、意外にも、彼は僕の一つ下だった。まだ生きてたら、どんなことをしているのだろうか? 興味あるところだ)

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HMVで見た、Philippe Giusianoという人のショパンの練習曲(2006)を聴いている。広告のアルバムはなかったので(正確には、そのアルバムでなく、ピアノ協奏曲が聴きたかった)、違うものである。なお、引き合いに出したものの、以下はGiusianoとは関係ない(少しだけ感想を書くと、彼の演奏は悪くないが、ちょっとだけ満足がいかないところがある)。

まったく、曲が綺麗で感心する。以前書いたように、ガラスそのものだ。しかし、透明さや美しさだけでなく、強さやダイナミックさもある(僕は、強音でピアノがうなるような音が好きだ。余談だが、そういう音はベートーヴェンの方が多いように思う。)からすごい。それにしても音が綺麗で、どうしたらこんなに綺麗な音の曲ができるのだろうかと思う。

ベートーヴェンは当時できて来たピアノの能力を発揮させたそうだが、ショパンはベートーヴェンとは全然違うやり方(音)をしていると思う。(多くの曲は知らないが、)いい意味で洗練され過ぎていると言いたい。まったく不純物がなくて、恐ろしくなる。ただ、その純粋さはモーツァルトとは違う。そこが木とガラスの違いのように思う。

ただ、彼の初期のピアノ協奏曲はそうでもなく、どうしても、くすんだ・濁った感じとか野暮ったさに物足りなさを感じてしまって、昔は余り好きでなかったが、近頃はそうでもなく、好きなところが結構あって(例えば、第1番の第2楽章最後の小さい「ピン」という音である。意味は分からないが好きだ)、今回のように結構聴きたい曲になっている。

なお、木工細工と違って、ガラス細工は注意して扱わなければならないし、冷たいから、彼の曲を聴いてほっとすることはできないので、モーツァルトと違って、頻繁に聴きたくなる訳ではない。そういう意味では、ピアノ協奏曲はそこまで行っていないから、他の曲よりも聴きたくなるように思う。

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24、25と連続して来ると、つい、モーツァルト(のピアノ協奏曲)を思い浮かべて、脳内で再生してしまいます。その後の26、27号も期待しちゃいますけませんね。でも、交響曲を思い浮かべる人も居るのかも知れませんね。僕は全然ですが。

それにしても、23号はどうしちゃったのかなぁ・・・

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クラシック音楽の演奏の好みの話。「(普通に)楽しんで聴けばいいじゃん」というのは一見もっともなのだが、料理に例えてみよう。カレーライスが好きな人は多いが、「カレーだったら何だっていいんですか?」と聞かれたら、多くの人は「違う!」と言うはずだ。家のカレーが好きな人も居るし、蕎麦屋のカレーが好きな人も居るし、特定のレトルトカレーが好きな人も居るだろう。逆に、(懐かしの)スキー場の(高いだけの)カレーを是非食べたいという人が居るだろうか? それと同じことだ。

僕の場合は、クラシック音楽は、曲と演奏の両方が気に入らないと、乗れなかったり途中で引っ掛かってしまったりして、心から楽しむことができない。演奏は演奏(録音)した時によって変わるし、曲によっては、カデンツァにいくつか種類があったり、ピアノなどの独奏者と指揮者とオケの組み合わせになるし、使う楽器によっても印象が大きく違うし(例: ピアノとフォルテピアノ)、録音の音質だって多少は気になるので、組み合わせはものすごく多くなる。

そのため、世の中には山ほど同じ曲の演奏があるのにも関わらず、なかなか気に入るものがないという面倒な話になる。しかも、どうしてか、聴く時によっても印象が違うので、なかなか「定番」というのがなくて困る(実際には、新鮮味も重要なので、定番があっても避けている)。でもまあ、趣味なので、そういう風に困るのもおもしろいし、今はSpotifyなどの配信サービスのおかげで多くの演奏を試せるから、ありがたい。

そして、ふと気づいたのだが、僕が山ほど聴いても「定番」が決まらないということは、他の人もそうだから、こんなに多くの演奏(録音)が出回っているのだろうし、演奏者も、それまでの他者(それどころか自分のまでも)の演奏に納得していないから新しく演奏(録音)するということではないだろうか。まあ、単に経済的なことも多いのかも知れないが、それだけだったら苦労して音楽家になる人はもっと少ないだろうし、レーベルにしてみれば、新しく作るより既存の定番を(「リマスター」だの「ハイレゾ」だとかを)売るだけの方がずっと利益になるだろう。だから、(クラシック業界全体としてはじり貧ではあろうが、)演奏(挑戦)したい願望はあるし、配給する(したい)会社もあるし、聴きたい需要もあるから、これはこれでうまく回っているのではないか。

要するに、演奏者やクラシック業界は、僕みたいに面倒臭い(細かく聴いて楽しむ)人に支えられている面があるということだ。だから、こういう楽しみ方にも意味はあると思う。

 

以下に、面倒臭い実例として今日の話をだらだらと書く。

夜、なぜか突然、(基本的には余り好きでない)モーツァルトのピアノ協奏曲 第26番 「戴冠式」が聴きたくなって(何となく、元気が出る曲が聴きたかったのだと思う)、SpotifyでOliver Schnyderという人(以下、内田までは初めて聴く人)の(2008)を試した。古楽器風で嫌な予感がしたが、まだ許せた。オケは繊細で綺麗だった。しかし、なぜか途中で止めたくなって(あまりおもしろくなかったのだろうか)、Christiane Engelの(2000)にしたら、遅過ぎた。

Boris Merssonの(1995)は平凡な感じで、Christian Zachariasの(2011)は良さそうだったが、どうも、この曲に求めている躍動感というか活力に欠けているのか、聴いていて気分が昂揚しなかった。

それで、仕方なく(良く聴いていたので、新鮮味がないから避けたかった)、手持ちの内田の(1988)にした。さすがにオケからしていいし、当たり前だが、ピアノもいい。きっと、僕の中の「定番」とか「標準」なのだが、それでも、好きなせいか、陳腐な感じはしなかった。ただ、なぜか音質が今一つで、特にピアノがこもった感じだった。そして、どうもカデンツァが今一つ気に入らなかった。

それで、ピレシュの(1975)にしてみたら、イントロから元気が良くて、期待どおりだった。若かったせいか、ピアノも元気でいいし、音質も問題ない。更に、ピアノに低音のすごみもあるから、これが(今日では)ベストだということになった。という訳で、たった一曲を聴くのに、5人も試す必要があった。。。

続きもあって、その後に聴いた彼女の第23番、K. 488 (1975)はなぜか音質が悪かった。ピアノがこもっていて、若干弱く聞こえる。ピアノの演奏も少しペラペラしている(フォルテピアノ的)のが良くなかった。オケはわずかに変わっていていい。ピアノの録音のし方自体はいいと思うのに、こもっているのが不思議だった。結果的には録音が良くないのだろうが、第26番と同じ年なのに、こんなに差が出るものだろうか?
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僕は、クラシック音楽が「古臭い」とか「難しい」とか「ベートーヴェンの顔が怖い」wなどの理由で毛嫌いされ続ける現状がもったいないと思い、(クラシック業界の回し者ではないのだがw、)常々、これを読んだ方が「ちょっと聴いてみるか」と思ってくれたり、「気付いたら聴いちゃってたよ」などになるといいと思うのだが、実際には、題に「クラシック」とあるだけでパスされそうだから難しそうだ。それ以前に、ここの読者は少ないw

まあ、それはいいとして、クラシック音楽は古いだけではないと、近頃改めて思った。確かに作曲・公開(初演)はすごく古いのだが、僕は、曲の解釈や演奏の仕方は時代とともに変わっているように思う。どうしてかというと、前に書いたように、昔の演奏が余り好きでない(好きになれない)からだ。

僕にしてみれば、近頃の演奏は新しく(例: ノリがいい、滑らか・鋭い・キレがある、驚きがある)、昔のは古臭く(例: 堅苦しい、音がガチガチしている・小間切れ的、単調)感じるが、実際には、「新しい」・「古い」という表現は正しくなく、僕の好みに近いか遠いかの方が適切そうだ。好みという点では、基本的には(何でもいい訳ではないが)ちょっと昔のポップ音楽が好きなので、クラシックでもそういう演奏(例: 乗れる)や解釈が好きで、結果的に、近頃の演奏が好きなのではないだろうか。そこに関しては、昔のポップ音楽が近頃のクラシック演奏者に影響を与えている可能性もありそうだと思うが、どうなのだろう。

もちろん、演奏や解釈の時代的変化には、まずは音楽(研究?)自体の発展・変化の影響はある(誤解されがちだが、クラシックの人は、何の変化も起こさず、昔ながらに当たり障りなく演奏していればいいと思っているばかりではないのだと思う)。それが作曲者の意図や初演当時と同じかどうかは不明だが、同じである必要はないと思う。逆に、今の人が楽しめるように変化・発展・拡張させる方がいいと思っている。

レコードなどの、録音された演奏の古い・新しいに関しては、録音の年代・技術による影響もある。当然、古い録音の音は古い(音質が悪い)。でも、それが聴いた時の印象に与える影響は余り大きくないと思う。せいぜい、ダイナミックレンジが狭いせいで強弱の変化が乏しく聞こえる程度だろう。この点は、当時生演奏を聴かれた方に、実際の演奏はどうだったのか教えて頂きたいと、今思った。

でも、例えば、SPレコードを愛聴される方は特にそういった点で文句を言っていない(例: 「レコードだと全然違う演奏になってしまう」とは言われない)から、やはり、古い技術で録音されていても印象は大きく変わらないのだろう。

ただ、ものすごくたまに、昔の演奏でも(古臭くなくて)自然に聴けるものがあることが分かった。というのは、先日書いたカサドシュのモーツァルト ピアノ協奏曲 第26番(1963または1959)のピアノが実に滑らかで良かったのだ。聴くまでは全然期待していなかったのだが、(名前だけは聞いたことがある)有名な人なので聴いてみたら、現代の演奏と言っても分からないくらいだったので驚いた。同じアルバムの第27番(1963)も良かった。この曲ではオーボエが実に良かった。オケも良かった。ただ、やはり例外だったようで、別のアルバムの第20番(1960?, 録音: 1956)はすごく古い感じがし、いかにも「昔の演奏」という感じだったので、がっかりしてしまった。

なぜそうなったのかは不明だが、おもしろいと思う。演奏や解釈の時代的変化以外に、演奏者(と演奏のタイミング)への依存が大きいのだろうか。あとは、聞くタイミング(聞き手の心理的状態や体調)も関係しているのかも知れない。

 

という訳で、ないとは思いますが、是非、気付いたら聴いちゃってて下さいw でもまあ、楽しければいいので、実際には何を聴いたっていいんです。

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なんか、マンションのポエム的キャッチフレーズのようだがw、さっき本当に思ったのだ。僕が好きな曲種(特にピアノ協奏曲)だけなのかも知れないが、モーツァルトの曲には木のぬくもりを感じる。そして、僕はそれが大好きなことに気付いた。だから、聴いていて安心するのかも知れない。

もちろん、(当時も今もヨーロッパにはないであろう)木造建築ではない感じで、では何かといってもあまり思い付かないのだが、強いて言えば、僕が使っている机のような、木製の調度品なのだろうかと思う。そういうのはヨーロッパにも多いだろう。

この感じがどこから来るのか考えると、まずは曲の雰囲気なのだが、楽器では、オケの木管(クラリネットとオーボエ)だろう。次はバイオリン(実際にはビオラかも)だろう。ピアノにも(音によっては)感じる(この点は、同じ楽器を使っているのにラフマニノフには全く感じないのがおもしろい)。当時使われていたフォルテピアノなら、もっと感じるような気がする(でも、僕はフォルテピアノは余り好きではない)。

だから、同じモーツァルトでも、ぬくもりを感じさせない演奏は好きになれないようだ。おもしろいのは、同じ人でもそれを感じる演奏とそうでないのがあることだ。例えば、(後でも書きたいが、)昨日聴いたCasadesusという昔の人の演奏(ピアノ協奏曲)は、曲によって随分印象が違っていた。

同様に、年代によっても印象が違う。どういう訳か、昔の演奏(1950-1960年代など)より、現代の方が「木質的」で好きだ。昔は工業化が著しかったせいで音も無機質だったが、今は木の良さが見直されたせいということは全くないだろうが、謎だ。

 

ついでに、その他の好きな作曲家と素材・材質の連想を以下に書く。(前にも似たようなことを書いた気もするが、自分でも忘れているので良しとする)

  • バッハは石!
  • ベートーヴェンは鉄?
  • ショパンはガラスか。
  • ラフマニノフは鋼鉄か強化ガラス?
  • ストラヴィンスキーはプラスティック??

ほとんどテキトーであるがw、バッハは当たっている気がする。あと、「布」の人が居ないか考えたが思い付かない。きっと、余り好きでないとか聴かない人なのだろう。 → ドビュッシー辺りかな?

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(こういうマニアックな投稿には誰も反応してくれないのは分かっているが、書かないことには始まらないので書く。でもまあ、読まれた方は、騙されたと思って聴いてみて下さい。)

 

飽きずに、「春の祭典」(初出: 1913)を聴いた。今も、先日買ったアムランとアンスネスの(2018)だ。正直言って、曲を理解なんてしていないが、かなり好きだ。でも、ひとつだけ不満がある。

終わり方がそっけなくて、物足りないのだ。笛が「ヒュー」っと鳴って、打楽器で終わりなのだ。なんか余韻がなくて、「はい。もう時間だよ、帰った帰った!」って言われている気がするのだ。

別の言い方をすれば、「ペトルーシュカ」に似ていると思うのだが、取って付けたような、いかにも「もう飽きたから終わりにします」みたいな感じが嫌だ。もちろん、作者の気持ちなど知らないが。でも、もっと別の終わり方にして欲しかった。

(20:33追記) 書いたあとで気付いたのだが、聴いたのは4手ピアノ版なのに、「笛」とか「打楽器」とか原曲(オケ版)のことを書いている。それほど彼らの演奏が自然だったのだろうか。あるいは、僕の頭の中に原曲がしみついていたのか、単に酔っているからだろうか。いずれにしても、彼らの演奏はすごいことが分かった。ただ、ピアノ版の作成意図は分からないのだが、僕としては、純粋なピアノ曲として聴こえるのがいいと思うから、こういうふうにオケ版を連想させてしまうのは失敗なのかも知れない。とはいえ、普通は、ピアノ版は練習などのために作るのだろうから、これでいいのかも知れない。やっぱり本人に聞きたい。

では、どうしたらいいのだろうか? と言っても、作者は生きてないし、存命だって議論することなどできないが(もし彼が今行きていたら、twitterとかで話し掛けられるのだろうか? それはかなり魅力的だが、実際には、今の演奏者にFacebookなどでコメントしてもまず返事がないから無理か・・・)、ちょっと考えてみる。

もちろん、ラフマニノフのような派手でワンパターンなのは論外だ(でも、すごく興奮するから好きだけどw)。ベートーヴェンのオケ曲は余り好きじゃないし、良く知らない。

それでは、モーツァルト?? (といっても、彼の曲の終わり方のパターンをイメージすることはできない。あれは、どう考えても彼の才能がつくり出した終わり方(雰囲気)だ。と書いたが、実際には当時の普通の終わり方なのかも知れない。) やっぱり違う。

やっぱり、ストラビンスキーには彼なりのやり方があるはずだ。でも、悲しいかな、そんな知識はない。知っている範囲でしかないのだが、(作者は違うが)「展覧会の絵」的なのがいいかな。オケ版(ラベル編)だと、くどくてラフマニノフみたいに派手でいかにもだけど、ピアノ版はしっとりしているし、もちろんそっけなくないし、最後にオクターブのトレモロで「ダラララ〜ン」とフェードアウトするところが大好きだから、いいと思う。どなたかやって下さい!w

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今年の頭辺りにHMVの広告で見てから、ずっとSpotifyでの配信を待っていたのだが、全然入らないので、調べてみたら、どうもレーベル(Hyperion)のトップが石頭で、反Spotify派のようだ(参照: "Is Spotify good for classical music?" (2014): "Hyperion"で検索: 真ん中辺り)。以下にその言い分を引用するが、僕は全く賛成できない。

Services like Spotify and YouTube are great for the consumer, but they’re training an audience into thinking that classical music has no intrinsic value in terms of money. And the Spotify model does not work for classical because as a proportion of listeners, there is not enough traffic for it to generate the sort of income a label needs to invest in a performer and recording.

前半は、「(Spotifyなどは)ユーザーに『クラシック音楽にお金を払う価値はない』と思い込ませる」といった主張だが、どうしてそういうことになるのだろうか。「妥当な料金で正当に聴けるのなら、お金は払いたい」と思う人が配信サービスを使っているのではないだろうか。どんなジャンルだって、お金を払う価値はないと思う人は、サービスに入らないと思う。昔のスウィフトのような主張なのだろうか。

後半は、「クラシックを聴く人が少ないから、商売にならない」ということのようだが、そんなこと言ってるから、更に聴く人が減るのではないかと思う。別に、配信サービスだけで商売しなくたっていいのに、どうしてこういう考えになるのだろうか。配信サービスからのライセンス料が少ないのが背景にあるのだろうが、値上げ交渉の余地はないのだろうか。それに、そもそも、CDなどを作った時点でコストは償却されるだろうだから(今は、それで収支計算しているのではないか)、多少安くたって出したほうがいいと思うし、勝手なYouYubeや違法ダウンロードよりはずっといいと思うが。そもそも、これはレーベルの(営業的な)論理であって、演奏者の意見ではないところが、身勝手な気がする。演奏者が認めれば出せばいいのに。

上の記事を読んだら、石頭の下に書いてある、(若い)チェロ奏者Alisa Weilersteinの意見がすごくまっとうで賛成できた。やはり、石頭が言っているのは、レーベルとか老人の論理なのではないか。まあ、確かに、レーベルがなくなってしまったら、演奏を録音・販売できなくなってしまうが、いつまでも高コスト体質のままでいるのは良くないような気がする。ただ、そもそもクラシック音楽の録音・販売にはお金が掛かりそうなので、難しいのは分かる。下手をするとメジャーレーベルしか残らないことになりかねない。だから、もっとローコストな方法を探すべきなのだろう。

それに、記事に書いてあったように、クラシックの好きな人は、まだレコードだのCDだのの物理的なコレクションが大切な人が多いらしいから、当面はそこに売って行けば収入は確保できるではないか(古い人は、「ここは配信サービスにも出しててけしからんから、CDを買わない!」とは言わないだろう)。そして、新しい人用に配信サービスの経路を追加すれば、少ない支出(ほとんど0?)で少しは収入が増えるし、知らない人に聴いてもらって裾野が広がる可能性があるから、悪いことはないと思う。

と、いろいろ思うところはあったのだが、待ってても永遠にSpotifyには入らないことが分かって観念し、もしやと思ってHyperionのサイトに行ったら、ダウンロード購入できることが分かり(実際には、最初に、もうちょっとCDやダウンロード版を安く買えないものかとHyperionのサイトを検索し、そのあとでSpotifyに入る可能性を調べたら上の記事が見つかった)、試聴しても悪くなかったので、少し迷ってから買った。そのサイトは全体的には良い方だと思うが、いいところと悪いところが混在していた。

  • いまだにFlashの「ダウンロードマネージャ」を使っており、僕のブラウザではもうFlashなんて動かないから、1曲ずつダウンロードすることになって面倒だった。せめて、「全部ダウンロード」の機能が欲しい!
  • でも、アルバム全体でなく、欲しい曲だけ買えるのはいい。しかも、トラックごとでなく、曲(ここでは「春の祭典」)をまとめて買えたのが良かった(それで割り引きがあると思い込んでいるが、実際にはどうだったか)。
    • こういう「切り売り」は上の主張に反していて、むしろSpotify的な気がするのだが、そうではないのだろうか? クラシック的に売るなら、アルバム全体でしか売らない方がまっとうに思えるが、それでは誰も買わないのを知っている?w
  • CDのブックレット(PDF)がダウンロードできるのはいい。でも、見ないけどw
  • MP3とかの圧縮版だけでなく、(非圧縮の)FLAC版があるのもいい。
  • ファイルのタグはちゃんとしていて、全く修正が要らなかったので、感心した。購入日と再生ゲインを追加しただけだ。
  • ジャケット画像が埋め込まれていて、これも手間要らずだった。
  • 曲間での音切れもない。当たり前ではあるが、重要なことだ。FLAC版やタグの件も含めて、この辺りは「分かってるな」と感じた。
  • PayPal対応で、気軽に買える。

価格は、「春の祭典」だけの14曲でGB(UK)£4.8で、PayPalでは約740円だった。為替レートより高いのだが、手数料が高目なのだろう。調べたら、クレジットカードだと少し安いようだが、数十円の差なのでPayPalにした。なお、CDだとAmazonで1800円くらいなので、曲を絞ったせいもあって、かなり割安になった(アルバム全部のダウンロードは約1300円)。ファイルサイズは、FLAC版でも全部で約120MBと、小さかった。

そして、肝心の演奏は「言うことない」と言えるくらい良い。最初から最後まで、「うっ」と思うことがなくw、流れるように進んだ。サイの(2000)のような驚きはないが、正統的な演奏でいい。オリジナルはオケ用だが、元から2台ピアノ用と思えるくらい自然、かつ、物足りなさを感じなかった(これは、僕がピアノ好きだからなのはあると思う)。ピアノの音もいい。好きな音だ。そして、乗れる(本来はすごく変なリズムらしいが・・・)。あっという間に聴き終わってしまった。「うーん、うまい。もう一杯」と、また聴いているw

 

PS. やっぱり、Hyperionの考え方では駄目だと思う。というのは、売り切りのCDやダウンロード販売では、売ったあとに何千回再生されたって収入は1円も増えないが、配信サービスなら、再生されるたびにお金が入るのだから、みんなに何回も聴かれるようないい演奏を出せば、より稼げるはずではないか。レーベルはそういう考えでやって欲しいと思う。 (9/25 21:19)

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今回もSpotifyの功績である。

結構前から、Blue Öyster Cultという得体の知れないグループの曲(例: "Burnin' for You"(1981))が良く掛かる。最初は(曲もグループも知らないので、)「しつこいなぁ」と、鬱陶しく感じていたのだが、恐ろしいことに、近頃は結構好きになってしまった・・・ "Burnin' for You"なんて、結構かっこいいと思う。(Spotifyは、自分でも気付いていない僕の好みを分かっているのか?? それとも、単なる洗脳?w)

調べたら、かなり歴史あるようで、1960年代から始まったようだ。以前、「いいと思う曲で、初めて聞く曲はほとんどない」とか書いたが、そうでもなかった。音楽の世界は広い。

余談だが、"Burnin' for You"のアルバム"Fire of Unknown Origin"(1981)のジャケットはかなり印象的で、一度見たら忘れられない気がする。ただ、僕は、例によって、しばらく誤解していた。それは、、、

グループ名を"Blue Öyster Cat"と思い込んでいた。そして、ジャケットの絵も、(表示があまり大きくなかったので)「なんか不気味だけど、猫が並んでいるのかな」と思い込んで、妙な不思議さや親しみを感じていた。

でも、今、彼らのことをWikipediaで読んだら、歴史はあるし、最初は深遠な思想に立脚していたようなので、全く不謹慎の限りだw

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この歌もSpotifyの賜物で、聴くと複雑な気分になる。

彼の歌はうまくはない。でも、とても素直な歌い方で、飾らず、無理はせず、短所を隠さない点で、決して悪くない。聴くと、「いい人なんだろうな」などと思ってしまう。が、実際には、覚醒剤で逮捕されたではないか!

だから、その点においては、僕が常々書いている、「作品と作者は無関係」が正しいのだ。が、上に書いたように、演奏(歌)を聴いたら感じることもあり、それにも嘘はないので、いったい何が正しいのか分からなくなってしまうのだ。

 

PS. まあ、実際問題として、覚醒剤をやったからといって悪人とは限らないし、彼がとても巧妙で、「いい人」と感じさせるような歌い方でヒットさせたという可能性もなきにしもあらずだ。やっぱり、本人に聞くしかない(いや、聞いたって、自分で「悪人です」と言う人は少ないし、そう言われても、本当に悪人なのかそうでないかは分からないし、「悪人じゃないです」と言われても信じられないだろうから、聞いても分からないだろう)w

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