Archive for the ‘音楽’ Category

近頃はSpotifyにどっぷりと浸かってしまっており、調べたら、この一週間、手持ちの曲を全然掛けてないことが分かった(制御ツールを開発していたせいもあるだろう)。それで、今までの感想を書いてみる。

いい点

  • "Daily mix"(毎日更新される、各ユーザ専用プレイリスト)が優秀。
    • ポップ音楽(海外と日本のリストが別になっている)は僕が良く聴く80年辺りが中心になっていてうれしいし、クラシック(ポップのリストとは別になっている)も、いつのまに覚えたのか、「展覧会の絵」とかモーツァルトとかバッハとか、好きそうな作曲家・曲が多い。
    • リストの数は日が経つと増えるようだ(今は4個)。
    • これはGoogle Play Music(GPM)にはない。"I'm feeling lucky"が近いが、1個しかないし、掛けるたびに内容が変わるし、好きじゃない曲も多かったので、選び方がイマイチだった。
    • "Discover weekly"(毎週更新と思われる)もある。こちらの内容は結構チャレンジングで、例えば、知らないし好きでもないフランスの人の曲が沢山掛かったりする。これがDaily mixと違うところにあるのは、例によって謎仕様w "Discover"だから別扱いにしているのだろうが、"For you"とかいう場所にまとめてくれればいいと思う。
  • "Like"と"Remove"ボタンが増えた。
    • Likeはいいと思ったら押すようで、結局、Save(「お気に入り」)と同じなのかも知れない。一方、Removeは嫌いな時に押すようで、曲だけでなく、演奏者を一括して掛けないようにできるのがうれしい。
    • が、出ない場合も多いうえ(Daily mixの時だけ出る?)にThumbs up/downが出る場合もあって(こちらはラジオだけで出る?)、依然として謎仕様w
    • 素直に、「この曲みたいなのをもっと掛けて/あまり掛けないで」っていうボタン(例: "+1"/"-1"とかThumbs up/down)をいつも出せばいいのにと思う。

欠点

  • 「俺ら東京さ行ぐだ」がねえ! 吉の歌は全然ねえw
    • GPMにはあるので、これは残念。まあ、外で聴きたくなったらYouTubeで聴けばいいだけだし、そもそも、脳内で再生するので充分だw
  • 発売年が違う場合もある。
    • 実際には誤っている訳ではなく、ベスト盤やリマスターの発売年などになっている。GPMでは、誤っていたりオリジナル盤でも再発の年になっていることもザラなので、それよりはずっといい。
  • いろいろな謎仕様
    • 彼らは音楽には強くても、技術面やUIなどのセンスはそうでもないような感じで、なんか手一杯な感じ。そういうところは惜しい。

その他

  • 今日、病院での待ち時間に聴こうとしたが、室内で電波が弱かったのかキャリアの障害かで、ホーム画面すら表示できなかった。そういう時には弱い。
  • 手持ちの曲もシームレスに再生できればいいと思うが、さすがにそれは無理だろう。GPMのように、曲をサーバにアップロードできるようになればできそうだが。
    • → Spotifyのサーバにアップロードじゃなくても、外部サーバにある曲を登録して、Spotifyで再生できるようになるといいと思った。

上に書いた要望をSpotifyのフォーラムに書くこともあり得るのだが、過去のログを見ると、大抵、「ありがとう、検討します。」とかで終わっているので、止めている。

 

あと、Spotifyには関係ないが、Spotifyで聴いて思ったことを少し。

  • Romanticsのダサさ。いつも、あの、「いかにも80年代」(と、若い人がディスるよう)なセンスのない服装が頭に浮かぶ。調べたら、まだ活動しているようだ。
  • Huey Lewis & the Newsは(曲にはよるが)鉄板なのに対し、Pretendersやホール&オーツやWham!はなんか惜しい・・・ いや、Pretendersは惜しいどころか、あの女性の顔が頭に浮かぶだけで、それ以外はいいことがない。いつもスキップするのに、しつこくリストに入っているw こちらもまだ活動しているようなので、それはさすがだ。
  • Ringo Starrと工藤静香は常にパス! 全然好きになれない。あと、The whoやBob Dylanとかも。弊害が怖い(例: 本人だけでなく、関連する人まで再生されなくなる)ので、今は曲ごとにスキップやRemove(上述)するだけだが、そのうち演奏者でRemoveしそうだ。
  • 昨夜、ポゴレリッチの「展覧会の絵」(1997)を聴いてみたら、(彼らしくなく)意外にまともで感心した。まとも過ぎてちょっとおもしろくなかったが、音がかっちりしているのは良かった。見直した。
  • 彼の前に聴いた、Charles Pillowとかいう人(?)のは全然良くなかった。どういう趣旨かは分からないが、曲が丸くなっていて、僕には単なるBGMにしか聞こえなかった。
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Spotifyの使い勝手を改良するプログラム(暫定版)を作った。仮に「Spotify制御ツール」(spotify-ctl)と呼んでいる。(作るのに結構苦労した割には、)見た目はしょぼいが、僕には欠かせないものだ。以下のような機能がある。

  • リモコンでSpotifyを操作できる。GMB(gmusicbrowser)と切り替えて使える。
  • 音量正規化のon/offをボタンで切り替えられ、その状態を表示できる。
  • リモコンで、「この曲の再生後に停止」を指示することができ、その状態を表示できる。

意外なことに、ほとんど誰も「この曲の再生後に停止」機能を欲していないようだが、几帳面な僕には必要だ。今の曲で聴くのを一旦止めようと思った時、一瞬でも曲のお尻が欠けたり次の曲の頭が出るのが許せないのだ(これ、本気です)。常に「ぴったり」で停めたいのだ。それをやるのにこの機能がないと、(車の信号待ちの時のように)曲の終わり辺りで再生位置のメーターに神経を集中させる必要があるので、疲れるw

少し内部的なことを書くと、システムは、以下のように、リモコン対応部(GMB用のプログラムに機能を追加)と制御・表示部(本体)からなる。

リモコンサービスプログラム

  • リモコンのキー(再生、停止など) → SpotifyまたはGMBに指示を送信する(DBus)。送信先(操作対象)は下のように切り替える。
  • 対象切り替えキーまたはその時の状況(例: 片方のアプリしか起動してなかったら、そっちに送る。片方が再生中だったら、そっちに送る。)で、制御対象(SpotifyとGMB)を切り替える。
  • 対象の切り替え時には通知を表示する。
  • 「この曲の再生後に停止」のキー → 制御・表示プログラムに指示する。

制御・表示プログラム

  • Spotifyアプリ (DBus) → 曲情報 → ウインドウに曲名、演奏者、アルバム名を表示する。
  • Spotifyアプリ (DBus) → 再生状態 → ウインドウに表示する("Playng status": "▶"/"⎟⎟")。
  • 音量正規化変更ボタンのクリック → Spotifyに設定し、ウインドウ下部のボタンに状態("RG is ON"/"RG is OFF")を表示する。
  • リモコンからの「この曲の再生後に停止」の要求 → 要求の有無をウインドウに表示("Playng status": "▶"/"▶⎟⎟")し、要求がある場合、曲の切り替わり直後に停止する。その後、要求をクリアする。

なお、本当は、GMBのミニプレーヤー(下図左側)のようにテキストを綺麗に表示してジャケット画像も出したかったのだが、表示に使ったツール(yad)の機能の限界のために見送った。余裕があれば、別のツール(uzblブラウザが有望)で実現したい。が、簡単に操作できることが重要で、見栄えは本質でないので、優先度は高くない。あくまでもお遊びだ。

やりたかったイメージ (左(GMB)が理想)

「なんだ、偉そうなこと言っておきながら、結局(GPMでやっていたことと)同じことを繰り返してるじゃん」と言われそうだが、結構違う。GPMの時は、第三者の作ったライブラリやアプリなどを改造して使っていたが、こっちは、純正のアプリを何も変えずにそのまま使い、一部(音量正規化の設定変更の仕方)を除いて、公開されている仕様(DBus/MPRIS)に基づいて作っているので、Spotifyの勝手な変更(仮にあったとしても)に右往左往させられる心配は少ない。だから、将来的な手間はずっと少ないはずなので、音楽(=本質)に集中できる。

遊んでしまったw テキストを見やすくし、ジャケット画像をSpotifyから取得して表示するようにし、再生状態はアイコンにした。これならまあまあ許せるかな? 表示には前と同じプログラム、yadを使ったが、前(form)とは別のモード(list)を使った。 (6/3 3:33, 13:12)

外観を大幅に改良したSpotify制御ツール

 

PS. まったくの余談だが、デバッグ中に「さらば涙と言おう」(1971)が掛かった時(→ )、ものすごく懐かしかった。というのは、僕の通っていた小学校では、下校時間にこの曲が流されていたのだ。どうしてこの曲なのかは今となっては知る由もないが、毎日掛かっていたのだ。たまたま帰るのが遅くなって、夕方の薄暗い時に、ちょっと悲しい気分で聞いた記憶がある。なお、この曲がいつまで使われていたのかは記憶にない。

何十年振りに聴いた気がするが、清潔とかシンプルな曲だと思い込んでいたのに、(基本はそうだけど)意外な雰囲気だったことが分かった。例えば、ハワイアンな音(ギター)があるのだ。尾崎の「また逢う日まで」(1971)もそうだが、当時は結構妙なアレンジが多かったのかも知れない。まあ、今の歌(全然知らないがw)でも後でそう思われる気もする。

あと、彼がのちに県知事になるなんてのは、まったくおかしなことだw でも、USだって似たようなものだ(爆)

PS2. GPMを退会するに当たり、ライブラリ(お気に入りのようなもの)の一覧を保存しようと思っていたのだが、面倒だ。ツールはあるはずだが、それを引っ張りだして実行するのすら面倒だ。そして、意外なことに、近頃は、「そんな一覧なんてなくてもいんじゃない?」とすら思って来た。

というのは、確かに、気に入った曲の一覧があればいいが、今まで、それを見て聴くことがほとんどなかったからだ。逆に、重複のチェックに使った程度だ。あとで一覧を見て振り返ればおもしろいだろうが、その程度だし、それなら日記やこのブログに書いてあるからいい。(クラシック音楽については)僕は、常に、新しい(自分の知らない)、自分好みの演奏を聴きたいと思っているからだろう。あと、演奏者やジャケットを見れば思い出せることが多いし、気づかずに再度聴けば気に入る可能性もあるのだ(実際、最初は気に入らなかった演奏をあとで気に入ったことがあったし、その逆もあった)。

要は、昔の人のように、何かの曲の話になったら、「ああ、あれ(あの人の演奏)は良かったよ」みたいなものだと思っている。曲名と演奏者名が分かれば、世の中のどこかにあるはずだから、聴こうと思えば聴けるので、音楽を聴くのに(個人の)ストレージは不要になった。すごい時代だ。というか、昔に戻っただけ?w

重い腰を上げて、ライブラリの曲一覧をダウンロードした。GPMでは190アルバムと表示されていたが、ダウンロードしたら184個だった。まあ、6アルバム程度は「誤差」として良しとするw

なお、Googleのサービスはもちろん、既成の(第三者の)プログラムでもできないようだったので(検索したら、ブラウザでGPMを開いて、開発者ツールにJavaScriptのプログラムを入れてなどという前時代的なことが書いてあって、げんなりした)、gmusicapiのMobileClientインタフェースのget_all_songs()を使って適当に作った。いつもながらPythonは嫌いだ。Perlよりはまともだが、なんで人気があるのか分からない。 (6/3 22:01)

PS3. 今気付いたが、このツールのおかげで、(Spotifyのアプリではできなかった)曲名や演奏者名などのコピーが容易になった。自分では気付かずに作ったが、これはうれしい!

PS4. それなりに動いていて便利なのだが、(いろいろ工夫はしたものの、)曲情報が改行されていないのはやっぱり見難いので、いろいろ試した結果、表示部に全世紀の遺物的なプログラム、Tcl/Tkがすごく良く使えそうな感じだ。今日、外側を作ってみたら、かなり理想に近くなった。あとは中身を作るだけだ。 (6/5 22:27)

新しいUIの案

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少し前から、ポリーニのK. 488 (1976)の限界(うまく書けないが、彼の演奏のわずかな欠陥)に気付いてしまった。例えば、滑らかさが足りない箇所があったりする。

とはいえ、現時点で彼以上にこの曲がいい(僕にしっくり来る)人は居ないのは確かだ。あ、でも、内田やピレシュはありうるかも知れないし、今すぐには出て来ないが、GPMで聴いた人でもっといい人が居たかも知れない。

いずれにしても、決定版がなくなったのは、新しいのを探す楽しみができたってことで、いいのかも知れない。

(短文で失礼)

 

PS. 昨夜、書いた後で内田(1987)、ピレシュ(1975, 2007)、ラローチャ(1992)、ヘブラー(1966)、ヤンドー(1990)のをちょっとずつ聴いたが、どれもポリーニより良いとは言えなかった。ゼルキンの(1983)は分かっているので、試さなかった。 (5/11 11:07)

PS2. こういうことは結構あるのだが、その原因は、以下の可能性が考えられる。

  • 僕の理想(解釈)が間違っている。例: 上に書いた箇所は、滑らかに弾かないのが正しい。あるいは、滑らかでなくてもいい。あるいは、そこはどうでもいい箇所なので、気にする方がおかしいw (いやいや、特にモーツァルトには一音たりともそんな箇所はないと思うが)
  • 僕の理想(解釈)は正しいのだが、現実には(例: 演奏技術やピアノの構造の問題)そのように弾くことが困難。
  • 解釈が指揮者と違っていたのだが、(当時は)指揮者に合わせるしかなかったのでそうなった。あるいは、指揮者について行くのが精一杯で、思うように弾けなかった。
  • 実際には問題ない演奏なのだが、その時の僕の体調や気分のために、今ひとつに聞こえた。

是非、作曲者や演奏者に聞いてみたいが、まあ無理だろう。そういえば、降霊させて質問して本を書いた人が居たっけ。そういう人は、こういうマニアックなことにも対応できるのだろうか?w (5/11 11:11)

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昨日、音楽を聴いていて、音楽(演奏)以外にいろいろと思った。今は文章を書くのが面倒なので、その思いに繋がった画像を載せる。(あとで追記する予定)

僕が何を思ったか、想像してみて下さい。

※ある意味、「間違い探し」ですw

 

(5/8 9:12) まずはゴダイゴ。この時はGPMで彼らのラジオを聴いていたのだが、このジャケットは強烈だった。だって、精悍な顔で引き締まった肉体揃いならまだしも(それらしいのは、右・左端の人程度)、これでは単なるキ○デ○集団ではないか。特に中央はひどいw そして、ちょっと妙な関係すら連想してしまう。なぜこれが「カトマンドゥー」なのか?

今はLGBTとかで許容されつつあるが、当時は(僕は覚えてないが)「キモっ!」といった扱いになったのではないかと思った。だが、当時彼らは若かった(20代後半?)し、かなりの人気があったから、これも不思議と許されたのかも知れない。今でも、後で思い出すと「何でああだった?」ってのがあるよね。

 

(5/8 20:24) 次はNordbergの「春の祭典」。GPMのキャプチャ画像にあるように、全曲にEマークが付いている。これはexplicitの略で、「露骨な表現を含む」というような意味だそうだ(恥ずかしながら、最初にSpotifyで見た時は"exclusive"と思い込んでいた)。子どもやそういうのが嫌な人が区別するためなのだろう。でも、それがなんでこの曲に? 露骨な表現って、歌詞がなくてもあり得るのだろうか? しかも、これの演奏は、楽器はシンセではあるものの、特にそれ以上のものはなく、言ってみれば「平凡な春の祭典」だ。だから、全く露骨な表現はない。もちろん、発表当時の百年前だったら、この曲にEマークが付いてもおかしくないが、現代だ。しかも歌詞も映像もない。まったく謎だ。

そして、このマークはどこが付けているのかと思ったが、レーベルだろうと思う。膨大な数の曲をGoogleやSpotifyがの人が聴いて判定するのはほとんど不可能だろう(まあ、今はAIで自動でできるのかも知れないが)。だから、これはレーベルからの情報が誤っていたと思われる。

演奏自体についてもう少し書くと、最初はまあ、シンセで珍しいと思って聴き始めたのだが、「良くあるシンセの演奏」なので段々飽きて来て、途中で止めてしまった。これだったら、オケやピアノ(例: サイ)での方がずっと刺激的でおもしろい。普通のシンセでのクラシックなら、アマチュアのような「弾いてみました」では全然意味なくて、冨田勲が数十年前に完成させた(あるいは、やり尽くした)のではないだろうか?

と、偉そうに言っても、僕は冨田をほとんど聴いたことがない。中学の頃、「バミューダ・トライアングル」(1978)というアルバムのカセットを、当時はなんか分からないけど「冨田勲はすごい」っていう評判があったので、技術的な興味本位(曲の中にコンピュータのデータが入っているとか書いてあった)で買ったのだが、全然おもしろくなくてがっかりしたので、どこかに行ってしまった。今、曲目を見ると、(今にしても)好きな曲が全然入っていない(このアルバムはプロコが多かったようだ)ことに気付く。せいぜい、「悲しきワルツ」程度だ。

そのがっかり感がトラウマになって、その後も冨田を聴く気にならなかったのかも知れない。あと、ほとんど聴いてないのに当てずっぽうなことを書くが、彼の演奏って、だいたいシンセ臭い「ピュ〜〜〜」とかいう、上下左右に動きまわる音が多そうじゃないか。僕は技術系だけど、実はそういうのは昔から好きじゃなかったようだ。

でもまあ、もし、これにモーツァルトやラフマニノフなんかが入っていたら、その後の人生(大げさか)や音楽の嗜好がどんなことになっていたか、我ながらちょっと興味がある。

 

(5/8 20:53) 最後は五郎丸じゃなくてw白神典子。彼女のショパンのピアノ協奏曲は結構好きで、その時も聴いていた。それで、興味が出て検索してみたら、ばちあたりな画像を見つけてしまった。よーく見て欲しい。この自意識過剰女、ピアノに腰掛けて、(そこまでならまだ許せるが、)ハイヒールで鍵盤を踏んでるよ! 蓋じゃなくて、本当に鍵盤を。もう、

えぇ、こいつなに!?

としか言いようがない。このポーズに必然性や意味は全くなく、単に格好いいと思ってしたのだろう。こんなのは即座に演奏者失格で、今だったら、「バカッター」になって炎上するだろう。彼女は当時は30代だったようで、若気の至りだったのかも知れないが、全く許せない。いくら若くたって、生計を立てるのに使っている道具を踏みつけるのは許せない。しかも、普通の道具じゃなくてピアノだ。

ところで、このピアノは誰のものなのだろうか。彼女のではないと思う。であれば、次の人は、こんな扱いを受けたピアノを弾かされた訳で、その点も全く許せない。スタッフや関係者は窘めなかったのだろうか? 撮影したって、公開する前に誰か止めそうなものだろうが・・・ 良く知らないけど、当時は多少売れていたからそういう雰囲気じゃなかったのだろうか? 良識も常識もないうえに誰にも注意されないなんて、ちょっと可哀想だ。近頃も中年のアイドルで居たねw

とにかく、僕の信条は「作品と本人の性格・思想・行動は無関係」ではあるが、こいつはゴミなので、生理的に受け入れられない。いくら演奏が良くても、(それは認めたとしても、)嫌いな人は聴かない。それは、ソニーの製品がいくら高機能・高性能wでも絶対に買わないし、NHKの番組がいくら公平中立客観的芸術的先進的wでも絶対に観ないのと同じことだ。

以上、強烈な印象というより、強烈な感想を書き尽くしましたw

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面倒なのでずっと放置していたのだが、以前から気になっていたgmusicbrowserの(GMB)問題を一個修正した。きっかけは、今朝か昨夜だったか、シャフル再生中に、ある曲を聴きたくなったのだが、その問題のために躊躇したことだ。

その問題というのは、アルバムなり全曲のシャフルなりのプレイリストを再生中に一時的に別の曲を再生する(「キュー」機能)と、それが終わった後に本来の次の曲に戻らず、一時的に再生した曲がプレイリスト中にあればその次に飛び、なければプレイリストの先頭に戻ってしまうというものだ。

調べたら、元々そういう機能が作りこまれていないようなので(作者の精魂が尽きた?)、機能を追加した。相変わらずPerl言語はチンプンカンプンだし(Perlを作った人は、頭が腐っているか狂っている。どっちにしても、かなりおかしい。どうしてあそこまで分かりにくくしたのか、是非聞いてみたい)、GMBの造りも完全には理解できていないので苦労したが、何とかできた。なかなか疲れたし、昼食もとれなかった。「どうなってんだろう」と、軽い気持ちでエディタを開いたのが運の尽きだったw

それはともかく、終わってから、こういうのはデロリアン(タイムマシン)を改良しながら飛び続けたり、アイスティーに入れる氷を作るために巨大な装置を作ったドクに似ているかもなあと、ちょっと思った。

ちなみに、早速、聴きたかった「俺ら東京さ行ぐだ」を聴いて満足した。一体、どうしてそこまで好きなのか?w

 

PS. 今、「ついでにあの問題も・・・」と思い付いてしまった。午後も駄目っぽいなw

結局手を付けてしまって、案の定、手こずったが、ようやく何とかなった。またGMBの迷路のような造りが少し分かった。が、すぐに忘れそうだw (23:43)

ちなみに、その問題は、アルバムアーティストが設定されていないアルバムのジャケット画像がおかしくなる(別の同名のアルバムのものが表示される)というものだった。なぜか、GPMの曲を再生する時だけ起こるのだが、例えば、"Live in Japan"や"Greatest hits"という名前のアルバムで驚かされた。GMBのバグ以外に、ジャケット画像情報の格納の仕方が結構残念なことに気付いたのだが、さすがに抜本的な改良は難しい。 (5/6 0:12)

PS2. プログラミング言語の選択には、その人の個性とか趣味が現れるようで、職場の僕の居るチームでは、見事に各自が別々の言語を使っている。僕はPHP(awkやsedも)、隣の人はPerlといった具合だ(Cは、全員、必要な時に使う)。それで特に問題が起こらず、うまく行っているのも、おもしろいw おそらく、偉い人が、無理に「統一して効率を上げよう」と思うほど馬鹿でないのが効いているのだろうw (5/6 0:35)

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昨夜から、トラブルで中断しつつも観た(今日はつつがなく観られたので、問題は解決したようだ)。観ながらいろいろなことを思った。全部書くと長くなりそうなので、主要なことを書き並べたい。要所にシーンへのリンクを入れたので、是非観られたい。

最初の、サリエリが自殺未遂後に、モーツァルトとのことを神父に話すシーンは、なぜか現代のことだと思った。サリエリが今もどこかの病院に居るというふうに思ってしまった。が、実際には今から数百年前(モーツァルトが死んでから数十年後)の話なので、そんなことがある訳ない。画面もそうなのだが、なぜか古く感じなかった。理由は分からない。どこかに「バック・トゥー・ザ・フューチャー」的な要素が混ざっているのか? (サリエリがドクに似ているせい?)

サリエリの音楽は、やっぱり退屈だ。。。 最初から最後まで、一音たりとも許容できなかった。

マリナーが音楽を担当していると知った時、大衆的な映画なのに意外にちゃんとした人がやっている印象(最初に観た時は、知らない「適当な人」がやっていると思っていたので)を受けた。そして、映画に彼の音楽が良く合っていた。ということは、逆説的だが、やっぱり彼はポピュラー的だと言えるのかも知れない(経歴を見るとそんなことはなく、真っ当なクラシックの人なのだが。GPMで聴いた「レクイエム」(1991)が良くなかったか)。

間違って英語盤を買ったために英語字幕を表示して観たのだが、最初の頃の、コンスタンツェと逆さま言葉(逆の綴り)で話すシーンは日本語字幕よりは分かりやすかっただろう。とは言え、セリフ(逆の言葉)を聞き取れる訳ではなく、字幕の表示タイミングも少しずれていたりしたので、演技と同時に分かる訳ではなかった。

それでも、全体的には、音楽が多いので、日本語字幕でなくても分かりやすかった。意味の分からない難しい単語が結構あったが、画面を観ていると雰囲気が分かるので、大きな問題ではなかった。

モーツァルト(役)の、例の素っ頓狂な笑い方には本当にイライラさせられる。僕がこの映画を長らく観なかった理由の一つは、やっぱりそれだと思う。

オペラ(「後宮からの誘拐」?)に対する皇帝の「音が多い」って感想は意外だ。サリエリのに比べればずっと少ない(少なくとも簡潔)と思うのだが・・・ まあ、皇帝は素人で、曲が理解できないとか適切な表現方法が分からないから、そういう言葉になったのかも知れない。

サリエリが、モーツァルトの楽譜を見ただけで、脳内に曲が流れてすごさが分かる(→ 例: "Voice of God")のがうらやましい。終盤に、モーツァルトが衰弱した状態で「レクイエム」の曲を説明してサリエリが楽譜に書き取る時(→ )もそうだ。やっぱり、腐っても(正確には腐っていない。モーツァルトの前では「普通」だっただけだ)プロの音楽家なのだ。(そのシーンはもちろん史実ではないけど、「もしそういう機会があったら、そうなるだろう」という前提である)

老サリエリの顔はスター・ウォーズのダースベイダーみたいだ。モーツァルトの父は厳しいうえにノリが悪くて大嫌いだ。文句しか言わないんだったら、わざわざウイーンに来なくても良かったのにと思うw

父と行ったパーティーの罰ゲームでバッハとサリエリを弾くシーンがおもしろい。バッハはいかにも硬くて単調で、うまい。ヘンデルをと言われて「嫌いだ」と言ったのは僕と同じだw そして、サリエリの曲は退屈だ。そういえば、あの賢そうな子どもは誰だったのだろうか? もしかしてベートーヴェン?

「フィガロの結婚」が上演できるように皇帝を説得するシーンは好きだ。おもしろく、楽しく、興味深い。(これが史実だったなら)当時のプレゼンだったのだろう。その「フィガロ」の曲なしのダンスのシーンは印象的で結構好きで、ずっと覚えていた。それはそれで価値があり(マニアック??)、皇帝が全然良くないと言ったのは、ちょっと分かってないと思う。まあ、そう言ってもらったおかげで音楽付きに戻せた訳だが。

後半のピアノ協奏曲第20番で始まるシーンは寒い。後半のモーツァルトは、映画"The Wall"(1982)のピンク(ボブ・ゲルドフ)が落ち込んだ時にとても似ている。

「楽譜は頭の中にある(書き出してないだけ)」っていうセリフは好きで、僕もそういうことはある(プログラムは頭の中にあって、あとは打ち込むだけ。だけど、それが面倒なのだw」)。でも、自分ではそういう奴と仕事するのは真っ平だw

この映画の「レクイエム」の演奏者(オケ、コーラス)はマリナーの1991年のアルバムとは違う気がしたのだが、調べたら、同じようだ。ただし、ソロ歌手は居らず、僕の聴いたことのある版とは違う(発表年が違うのから当たり前か)。彼は何度か録音しており、これも映画用に録音したのだろう。

最終盤、「レクイエム」のトロンボーンとティンパニの曲("Confutatis")の高音の合唱がすごく美しい。なぜか涙が出て来た。別に「普通の映画」なのに、まったく訳が分からない。。。 やはり、曲が神がかっているのだろうか? あと、晩年の彼はすごい作品を書いたのに売れなくて、悲惨な状況に陥ってしまった一方で、何百年も経ってから、僕らがいくらいいと言っても遅過ぎで、彼には全く伝わらないことが、なんともやるせないのかも知れない。

 

エンドロールで流れたピアノ協奏曲 第20番 第2楽章は、曲はすごくいいのだが、ピアノ演奏は気に入らなかった。ところが、演奏者名を読んで驚いたのは、映画で使われたピアノ協奏曲のピアニストは、近頃GPMで気に入った・知った、Moravec(第22番)とCooper(第20番)だったことだ。昔聴いたことがあったとは、何とも不思議な縁だ。

今思うのは、この映画は、20代になったばかりの僕が何の気なしに最初に観た時、意識させずにモーツァルトを好きにさせたのではないかと思う。少なくともモーツァルトの種を脳内に蒔いたのだ。それから10-20年くらい経って、無事、花開いたのだろう。そして今は、あふれるほど咲いているw

 

以下、技術的なこと。

  • 画質は悪かった。粒状感があった。DVDの初期に急いで作られた(フィルムから取り込んだ)ためだろうか。それでも、普通に観るには充分だった。
  • 音質は悪くないが、音量が小さく、アンプのボリュームを通常の数倍に上げる必要があった。最大音量は-10dB程度とそれほど小さくない(通常のクラシック曲の例: -6dB程度)ので、ダイナミックレンジが広く、平均音量が小さいようだ。
  • 両面1層なので、A面とB面をひっくり返して観るのは面倒だから「何とか」したいと思った。

が、今回観て記憶が更新されたので、次に観るのはずーっと先だろうから、気にしないことにした。

 

PS. 構成要素について。さすがに映画のせいか、映像として見せ場のあるオペラが多かった。ほとんどの有名な作品を取り上げていた。モーツァルトはオペラに力を入れていたようなので、それは悪くない。が、一般的には交響曲だって重要だろう。そして、僕にとって一番重要なピアノ協奏曲が、たった2曲(第20,22番)しか取り上げられていなかったのが残念だ。「K.488(第23番)はどうした?!」と言いたい。でも、交響曲(例の第25番程度?)よりは多いので良しとしたいw

ただ、本作の創作のメインの「レクイエム」とのつながりで言えば、晩年の短調のピアノ協奏曲を取り上げた方が良かったように思う。でも、結構マニアックになるし、すごく重くなりそうだから、今のままでいいのかな。

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音楽教室のレッスンで弾くのを公衆に対する演奏と言うのは、音楽(芸術)音痴の極みだ。レッスンで、本気で全曲(でも1番だけでも)「演奏」する先生が居たら、見てみたい(仮にそうしてもらったら、それは本当に演奏だから、お金を払ってもいい)。

彼らの論理で、演奏に限らず練習(レッスン)でも人前で弾いたらお金が要るのなら、(包括契約にしない場合、)曲の複数の部分を何度も弾いた場合はどういう課金になるのだろうか。1レッスン当たりの曲数(弾いた長さには無関係)で課金するのか。どうも腑に落ちない。ちょっと違うけど、一種の引用と考えれば、許される行為ではないか? 仮に僕が先生か生徒だったら、そういう理不尽なのはどんなに安くても嫌で、お金の掛かる曲は使わないだろう。みんなそう思ったら音楽は廃れる。とにかく、JASRACは目先の金にしか関心のない強欲者の、文化庁はアホの集団だ。

包括契約もひどいもので、誰が何の曲を何回使用したか全く分からないはずだ。その状態で、何(どういう情報)に基づいてお金を分配しているのだろう? 例えば、ある月(年でもいい)に全国で1回しか演奏されなかった曲に、絶対にお金は行かないだろう。だけど、契約(内容は知らないが)では1回数円(1円だって1銭だっていい)は支払われるはずではないだろうか。そのお金はどこに消えるのだろうか? 明らかにしてくれなければ、払う気なんて起こらない。

もしかして、契約に、「使用料が小額の場合は、『音楽文化振興事業』に使用される」とか書いてあるのだろうか? それでもいいけど、包括契約だったら、「いつ何回使用された」という情報すら行かない。そんな管理でいいのだろうか?

彼らの論理で行けば、車で音楽を再生しただけでも、外に音が漏れたら(知らない人たちに聞かせた時点で、個人的に楽しむ範囲を超えるから)課金されるのではないだろうか。大型スクーターの(迷惑な大音量)ステレオはもちろんだ。それが高じて、屋外で使用可能なスピーカー付きステレオの類に一括課金(昔の音楽用CDの二の舞い)されるのではないか。NHKと同じで、権利にたかる魑魅魍魎だ。

NHKは、内容や価値はともかく、自分たちで番組や技術を作って、それを押し売りするが、JASRACは、自分たちでは何も作らず、ダフ屋とかみかじめ料を取る人たちのように、作り手と聞き手にたかり、自分たちの金欲のために両方を潰すから、更に程度が低い。

ただ、ネットで良く見る「街や店内から流行歌が消えて、大ヒットがなくなった(。そしてCDが売れなくなった)」という文句は、実際にはJASRACのせいではなく、店主などがセコいせいだ。ちゃんとお金を払えば流せる(実際、最寄りのスーパーは、結構昔のではあるが、ヒット曲のカラオケを流している)。練習(試奏)でなく、れっきとした本番(商売)に作品を使っているのだから、仕方ないだろう。一方、最初に書いた教室の話を当てはめると、開店前に、店員の居る店内でテストで曲を流しても課金されるという論理になって、それは全くおかしい。それから、今だってTVなどがあるから、ヒット曲は生まれるはずだ。出ないのは、人の好みが多様化したのと、素材が粗悪になり、作り手が金儲け(例: 「握手」、「選挙」)に走ったせいではないか。

それに、好みに合わない、現代の粗雑なヒット曲(らしきもの)を外で延々と聞かされないで済むのは、僕にはとてもありがたいことだw(実際には、ラジオだの有線だので、まだまだ聞かされるが) 出鱈目な人(店主など)が出鱈目な作品に金を払いたくないために演奏されず、出鱈目な人に金が行かない。これは一種の淘汰と言えるから、それはそれでおもしろい。

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昨日、ミロス・フォアマンが亡くなったというニュースを読み、「炎のランナー」(1981)の監督かと思ったのだが、実際には「アマデウス」(1984)だった。それで、何となく「アマデウス」が観たくなった。随分久し振り(おそらく、公開直後にTVで観たのが最初で最後だったと思う)だし、僕がクラシック音楽を聴くようになったきっかけの一つはこの映画のような気がしているからだ。

余談1: 高校の頃、(実家で)観た覚えがあるのだが、調べると、日本での公開は1985年なので、大学の頃だ。すると、ビデオで録画して観たのかも知れない。テープもあった気もするが、こっちに戻って来た時に見たら、ほとんどカビていたので、全然残っていない。そもそも、VHSデッキもTVもない(「かける機械も見たことねえ」w)。

余談2: 今まで再び観ることがなかった理由の一つは、この映画は史実と全然違うというようなことを聞いたためだ(今となっては、「それがどうした」と思えるのだが、当時は結構がっかりした)。もう一つは、モーツァルトが、頭の大変軽い、脳天気な馬鹿者のように描かれていて、いけ好かなかったからだ(これは、今でなく、若い頃に思ったことなので、すごく反感(ライバル心??)を持ったようだw)。あとはサリエリ(とその音楽)が気に入らないのもあった(全く別の映画になってしまうが、彼を出さなければ良かったのにと思う)※。そしてもう一つは、確か、最後にモーツァルトの遺体が穴に放り込まれるシーンがあったと思うのだが、それがどうにも嫌だった。でも、今となっては、当時の音楽や世の中のことがいろいろ描かれているだろうから、嫌だったことも含めて、純粋に楽しめると思っている。

※書いた後に思ったのだが、当時の僕は、自分がサリエリ型であることに気付かされてムカついたのかも知れない。だから天才モーツァルトがものすごく気に入らず、普通の人だったために日陰者になって苦しんだサリエリも見たくなかったのだろう・・・

余談3: ちなみに、調べたら、音楽はマリナーがやっているらしい。Wikipediaでは、彼が「モーツァルトの第一人者」だから担当することになったとか書いてあったが、初耳だし、どうにも納得できない。彼は有名な指揮者ではあるが、モーツァルトの凄みは出せないと思っている。例えば、彼の「レクイエム」なんて、悪くはないが、なんか、ポピュラー音楽的なのだ・・・ (まあ、そういうのは個人的な感想なので、どうでもいいことだ)

観るとしたら、当然オンライン(配信サービス)でと思って調べたら、Googleはもちろん、AmazonでもNetflixでもHuluでも配信されていない(→ 便利な検索サイト)。なぜかツタヤだけはあるようで(← 再度調べたら、DVD/BDレンタルの誤りのようだ)、最初の1か月間は無料だからタダで観られるのかも知れないが、大嫌いなので、ロハでも使う気はしない。

余談4: ズルではあるが、「ちょっと観させてよ」って気持ちでYouTubeも探した。何十個も出て来たが、ことごとく削除されていた。中には、「消されました」という映像のメッセージを出して怪しいリンク先(短縮URLなので、正体が分からない)に飛ばそうとするものもあって、ちょっとした闇を見た気がした。

結局、DVDかBDを買うしかなくなって、かなり観る気が失せている。値段は千円程度なので問題ないのだが、物が増えるのが嫌なのだ。昔だったら、(CDのように)DVDをPCに取り込んで捨ててしまえばいいのだろうが、今は違法のようだから(公式には)無理だ。しかも、送られて来るのを待って受け取るのも面倒だ。要は、観たいと思った時に(後腐れなく)気軽に観られないのが嫌なのだ。

という訳で、なかなか世の中は進歩しない(進歩するのが不均一な)気がした。

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松田聖子のベスト("Bible")を聴いていたら、いつもドキドキする"Rock'n Rouge"(1984)が掛かった。「ドキドキ」と言っても、僕にそんな思い出がある訳もなく、以前も書いたのだが、この曲は歌うのが難しい(失敗すると「音痴」になる)箇所があるので、聴くたびに思い出すという意味だ。

そんなことを思いながら ふと検索してみたら、曲を解説しているページがいくつかあった。その中の一つにピアノを弾きながら解説しているビデオがリンクしてあったので、もしかしたら、僕が難しいと思っている箇所についても説明されているかと思って観てみた。が、すぐに止めた。ピアノの音が余りにも汚なくて(うるさくて)、耐えられなかったのだ。

ピアノ教室で良くありそうなパターンだが、生徒が駄目だったら、「そこはこう(バン)じゃなくてこう(ガン)弾くのよ! (何度言ったら分かるの!? キーキー)」とか言いながら、鍵盤を雑に叩いて弾かれる感じ。

そんなことをされたら、「そりゃあ、あなたはプロだから、当然、思ったように指は動くけど、こっちだって、できるならやってるよ(できないから習ってるんだよ)! それに、そんなに速く何回も弾かれたって分からないよ!」と言いたい。 (注: これは実体験に基づいてはおらず、全く僕の空想です。)

百歩譲ってレッスンならいいとしても(全く良くないが)、公開するビデオであんなうるさい雑な音を出してはいけない。思い出のある気に入った曲だろうに、そして、音楽を生業としている人だろうに、自分で観て・聴いて(そもそも弾いた時に)気付かないのではどうしようもない。ただ、ひどいコメントを書くと面倒なことになりそうだし、音は本筋ではないこともあるから、せめてもの意思表示にThumbs downを押して、最初の1分くらいでサヨナラした。

ピアノ教室か何かの先生のようで、理論とかには詳しいのだろうけど、あれでまともな音楽が演奏できるのか・教えられるのかと思った。

「神は細部に宿る」という言葉は余り好きではないが、音楽に関しては全くその通りだと思う。一音たりとも、音を出してから消すまで、雑に扱ってはいけない。そうじゃなきゃ、(芸術としての)音楽ではない。

「そんな堅苦しいこと言わなくても・・・」という意見もあろうが、例えば、小説の印刷などで、「あ」と「ぁ」や「日」と「曰」が混用されていても、「似てるから全然問題ない」と読み流せるかということに近い。

だから僕は、オーディオを可能な限り録音されたとおりに再生できるようにしたいのだ。(というのは後付けの理屈であるw)

 

(そんな論外の人のことをわざわざ書くこともないのだが、ビデオを観て妙にムカついたので、あえて書いた。ただ、また「営業妨害」とか言われたくないので、リンクなどは載せない。適宜検索のこと。でも、実際には架空の話かも知れないので、ご了承のことw)

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近頃(といっても、もう20年以上になるが)はポリスを全然聴かなくなった。なんか「意識高い」雰囲気が嫌なのだ(そんな言葉がないころから感じていた)。当時(中高生の頃)はそれが良かった気がするのだが。いや、初期(1970年代末の最初の2枚のアルバム)はそんな雰囲気はなく、純粋なロックとして楽しめた。

(20:12追記) 思い出した。中高生の頃はリアルタイムに聴いていたので、「これが僕らの『ビートルズ』なんだ!」と思う(思い込む)ほど好きだったのだ。

それが、段々「この意識高さが格好いいのだ」とか「頑張って理解しよう!・・・」な感じになり、"Synchronicity"(1983)以降は努力して聴こうとしても駄目だった(調べたら、それが彼らの最後のアルバムだった。このアルバムでかなりがっかりして、過去作にまで波及した感じだ。それでも、その後もStingのソロも買ったが、徒労だった)。個人的には、意識高くなってしまった(ように思える)Stingが癌だったのだろう。

そんな訳で、今は、全く意識高くないTom tom clubの最初のアルバム(1981)を聴いて脱力しているw

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先日、「春の祭典」で検索していた時だったかに見つけたウルバンスキという人の新作の広告に次のような見出しがあったので、結構期待して、是非聴きたくなった。

最も騒がしいヘビメタの曲でも、この作品に較べれば可愛らしい小さな歌みたいなものだ! - クシシュトフ・ウルバンスキ

「ほう、この人の演奏はヘビメタ以上にすごいのか。それは楽しみだ!」と思った。確かに、この曲は並のロックなんかよりずっとロックで、そこが好きだ。それで、GPMに入っていたので、昨日の昼に聴いてみた。が、出だしからがっかりした。(オーボエじゃなくて)ファゴットが余りにも遅過ぎて、(後ろから膝を押されたように)ガクっと来た。今思い付くのは「気の抜けたビール」だ。

あそこは確かに速いところではないが、以降を予感・期待させる表現をして欲しい。あれじゃ、「一体何時間やるつもりだ??」と思ってしまうよ。テンポだけの話ではないのかも知れない。とにかく、あのイントロはゆるゆるで緊張感も色気もなくて台無しだった。

が、録音は良かった。今まで気付かなかった音やパートが聴こえ、変なリズムに気付けた(ヘッドフォンのせいかも知れない)。イントロ以外は悪くなくて、聴き続けたら乗れた。何曲かはThumbs upを付け、ライブラリ(「お気に入り」のようなもの)にも追加した。

ところが、終盤で再度がっかりさせられた。最後の前と最後の曲が遅かった。せっかく乗っていたのに、ちゃぶ台返しされてイライラしたので、ライブラリから削除し、最後の曲をThumbs downにした。そもそも、いいと思ったところだって「普通にいい」程度で、全然ヘビメタを超えていなかった。

その時は「まったく口程にもない奴だ」と思ったのだが、夜になって、彼の言っていたことは間違っていなくて(彼は「この演奏」とは言っていない)、僕が勝手に期待しただけだったことに気付いた。要は、

彼が曲に負けたってことだ

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(ちゃんとした文章にするのが面倒なので、骨格+αを。おいおい、気が向いたら加筆します) ← 完成 (9:34)

昨日、Sa Chenのラフマニノフやショパンのピアノ協奏曲に感心した。

Chen: ラフマニノフ ピアノ協奏曲 第2番 (2011)

昨日、この曲(演奏者は不定)が脳内でリピートして、どうしても聴きたくなって、昼休みに探したら(好きな演奏は多いが、知らない人のを聴きたくなることが多い)、彼女のが目に入ったので(ただし、最初は、演奏者の国やジャケットの柄から敬遠しようとした)聴いた。意外にいい。すごくうまい訳でははないが、乗れる。ただ、第1楽章の行進曲風のところ(以前、ここがダサいとか書いているページを見たが、うまく弾くと結構いい感じになる)はいまいちで、腕が追いついていない感じだ。その楽章の最後は何となく音が乱れた感じなので、Thumbs upしたのを取り下げた。

第2楽章は結構いいところがあるが、終わりはわざとらしかった。第3楽章はまあまあで、中盤のオケがいまいちだったが、(この楽章は)全体的には良かった。

Chen: ショパン ピアノ協奏曲 第1, 2番 (2008)

昼に聴いたラフマニノフが結構良かったので、昨夜探して聴いた。

第1番のピアノは音が澄んでいて綺麗で、聴いていて心地良い。誰も出さなかった(目立たせなかった)ような音(・弾き方)が(いい意味で)妙なのだが、決して嫌ではない。彼女の解釈なのだろう。第2楽章の音の出し方(ちょっとした盛り上げ方)もいい感じ。オケ(指揮: Lawrence Foster, Gulbenkian Orch.)は普通に良かった。ラフマニノフも同じオケだった。

第2番は、なぜか低音(弦)がすごかった。ピアノは少しわざとらしかった気がする。第1番の方がいいのか、僕が慣れてしまったのか、疲れてしまったのか。

以前にも書いたが、昔はこの2曲は気に入る演奏がほとんどなかったのに、近頃は、いいと思える(許せる)演奏が多くなった。そのおかげで曲の良さも分かってきた(だから、少し前は「ショパンコンクールなんて、最後がショパンの協奏曲じゃちょっとねえ・・・」とか不遜なことを思っていたが、今はそうでもない)。自分が変わったのか、世の中にはさまざまな演奏・解釈があるということか。

以前はYeol Eum Sonにも感心した。どちらも、僕の嫌いな中韓の人だ。そういう事実を目の当たりにすると、音楽に限らず、もう中韓は馬鹿にできないと思う。そして、どういう訳か、中国には以前より抵抗が少なくなった。

その原因としてまず頭に浮かぶのは、ロケットニュース24の沢井メグの紹介がうまいことだ。彼女の記事は、体当たりで書いているせいなのか、結構おもしろく、気付くと「中韓も意外にいいじゃん」とか思っていて慌てるw 上手なステマなのかも知れないが、押し付けでなく、自分から読んでしまってそう思うのだから、仕方ない。

余談だが、彼女のは、好みではないのに妙に惹かれる。なぜ好みでないかというと、眼鏡が気に入らない。(女性全般に思うことだが、)眼鏡をするとキツく・冷たく見えるからだ。でも、たまに眼鏡なしの顔を見ると、全然キツさがなく、変化が大きくて驚かされる。すっぴんの顔もなかなか味わい深い。可愛いのではなく、大人の美人系なのだろう。それはそれでいいと思うw

それから、歳を取ったせいか、日本の劣化・自滅を実感しているのも大きい。

正しくは、実際には前から今の状態だったので、絶対的には劣化していない。相対的に劣化したのだ。真実から目をそむけ、昔からの成功体験(これは多くの人の犠牲(=偉い人たちのズル)の上に成り立っていた)にすがるだけで本質的に変わろうとせず、外面・体裁はともかく、(本心では)世界標準を無視してガラパゴス(=引きこもり)をやり続けて、「クール」とか「すごい」とか言ってたら、そりゃあ終わるよ・・・

気に入らないものや嫌なものがあるのは当たり前だと思うが、そういうのを馬鹿にして無視するだけでは、いつかは負ける。「兎と亀」や「蟻とキリギリス」、あるいは「裸の王様」に似たようなものか。

 

参考: いいものもある、悪いものもある

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先日聴いてちょっと興味を持った小菅優のページで、彼女のラフマニノフのピアノ協奏曲第2番のライブをNHK-FMでやるというのを知って、NHKはおもてなし(あるいは忖度)の国の政治家や北朝鮮並みの悪の枢軸で、最大の宿敵の一つではあるのだが、彼女のその曲はGPMでは聴けないし、ラジオは受信料を払わなくても聴ける決まりのようだから、ちょっと聴いてみることにした。

非常用のポータブルラジオで聴こうと思っていたのだが、今朝、ラジカセを持っていることに気付いて、そっちの方が音がいいだろうと思って試した。が、PCの雑音(妨害電波)のせいなのか、いくら調整してもほとんど聴こえなかった。ラジオは少しましだったが、やっぱり雑音が入って耳障りだった。それで、最後の手段、「らじるらじる」とかいうネット同時送信サービスを試したら、さすがに雑音は皆無で、音がとてもいいので感心した。

なぜ、らじるらじるが「最後の手段」かというと、それにアクセスしてラジオを聴くということは、最後にも書いたのだが、NHK TVのネット同時配信の「お墨付き」に手を貸すような気がするし、アクセスした記録が保存されて、将来、受信料請求の証拠に使われかねないという危惧があるからだ。僕は、それくらい、彼らを「金のためならなんでもする邪悪な連中」とみなして、嫌悪している。(3/21 7:26)

時間になって番組が始まったのだが、曲の前に長々とした説明があることをすっかり忘れていた。今日も、(第3楽章しか流さないので)たった12分くらいの曲に5分も費やしていたので、結構イライラした。内容はありきたりの話(作曲者や演奏者や曲の話)で、得るものはなかった(そもそも、そういうのは無関係と思っているので)。だったら、本題をもっと長く流して欲しい。例えば、全部で4曲流すとしたら、単純計算して20分も余るではないか。20分追加すれば、この曲は全曲流せそうだ。それにしても、番組の時間は長いのに、この曲も他の曲も小間切れで流しているが、ポップ音楽じゃないんだがな・・・ まがりなりにも"FM"なのに、どうしてこういう馬鹿なことをするようになってしまったのだろうか? あとでTVで流すからその宣伝のつもりなのだろうか。全くの劣化だし、FMの名折れだ。

ようやく演奏が始まった。第一印象は悪くなく、ピアノの音が綺麗だと思いきや、段々、ピアノがちょっと引っ掛かる感じがして来た。そのうち、ちょっと「下手」な感じすらして来た。。。 さすがにオケ(指揮: オラモ、BBC交響楽団)は綺麗だった。折角なので続けて聴いていたのだが、ピアノは見せ場でもちょっと遅くて(良くない遅さ)、余り「見事」ではなかった。スローなところはしっとりしているが、アルペジオはたどたどしく感じられてイマイチだった。要は乗れなかった。

結局、曲自体はいいし、オケもいいので、それを楽しむことにして最後まで聴いたのだが、終盤の音が連射される見せ場もイマイチだった。結局のところ、ピアノ演奏が曲に負けていたのだ。

彼女の弁護をするとすれば、録音のせい(ピアノが遠い感じだった)で印象が悪かったのかも知れない。ライブだから、ちゃんとセッティングできなかった可能性はあるだろう。

結論としては、これ以上彼女の演奏を聴く必要はなさそうだということになった(あくまでも個人の感想です)。

最後に、らじるらじるは、将来のNHK TVのネット同時配信の姿を示している(彼らがこんな風にやろうと思っている)と感じた。ブラウザで、特にプラグインも要らず、ログインなしで聴けるので、TVも同様にして「PCなどを持っている人は(受信設備を持っているので)全員金払え!」という理屈だ。怒りとともにため息が出る。取り越し苦労ならいいのだが・・・

だいたい、今時ラジオとかTVとか本当に必要なのかと思う。FMなんて、今日のような番組だったら、リアルタイムに聴く必要なんてなく、YouTubeの方がずっと便利だ。放送の時刻を待つ必要はなく、検索すれば出てくる無意味な説明を聴く必要もなく、当然、全曲聴けるし、音だっていい。こういう時代遅れの無駄なことのために国民から強制的にお金をむしりとって、最新技術がどうのこうのと言って浪費する団体は早く消えて欲しい。電波だってもったいないから、FMとAM 1波、それにBSと地上波TV 1波ずつを返すべきだ。

 

PS. まあ、「折角の演奏なんだから、余計なことは考えないで楽しめばいいじゃん」とも思うのだが、大好きな曲を平気な顔でブツ切りにされたら、やっぱりムカつくよ。大体、作曲者にも演奏者にも失礼だと思う。そもそも、この曲はイントロが命というところがあるのに、それを省くなんてやっぱりおかしいし、センスがないと思う。

と書いたものの、番組の内容を調べて第3楽章だけしか流さないと知った時に、聴くのを止めれば良かった気がする。要は、八百屋に魚を求めた訳で、こっちが悪かったw

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先日とても感心した この演奏。普通に聴くならGPMで充分なのだが、曲間をブチ切られずに聴きたかったので、CDを買った。通常は、対価を演奏者に支払おうと思って、なるべく新品を買うようにしているのだが、今回はGPMで聴いて、対価は既に支払われているだろうから、中古にした。

Amazonは高目だったのでHMVを探したら、200円くらいで状態のいいものがあったので、それにした。日本盤なのがちょっと気に入らなかったが、気分の問題だ。ポイントを使って約170円になった。しかも、ローソンでの受け取りにしたので送料が無料になり、かなりお得感があった。

状態は良く、とても綺麗だった。盤質も問題なく、PCへの取り込みは10倍速前後でできた。ただ、BDドライブのトレイが全く開かず、爪を差し込んで開こうとしても駄目だったので、伸ばしたクリップで開けた。

確認のために聴いてみると、やっぱりいい。もちろん曲間は途切れない。そして、あの(プリペアド)ピアノの鋭い音が大好きだ。音が直接的で乗りが良く、ピアノの音は元々官能的なので、この曲に合っているように感じるから、オケでのオリジナル版より好きだ。例えば、冒頭の妖艶な感じ(そういう表現が正しいとして)は「ピアノしかないなあ」って感じだ。それから、2曲目の鋭い音はピアノならではだと思う。

(以前も書いた気がするが)オケは演奏者が多いので、どうしても楽器・演奏者間にズレが生じるから、音の鋭さやダイレクト感が少なくなってしまうのだろう。そもそも、オケには鋭い音が出せる楽器が少ないという問題もある。

このアルバムに限らず、「春の祭典」のことをしつこく書くのは、僕がこの曲を妙に好き(ただし、作曲者の意図を理解してる訳ではないし、モーツァルトとは全然扱いが違う。ロックのように聴いている)だからだ。だから、もし気が向いたら、YouTubeで聴いてみて欲しい(冒頭しか確認していないが、リンク先ではこのアルバムが全部聴けるはずである)。

 

PS. この編曲は「4手」(for four hands)とあるが、「2台ピアノ」でなくていいのだろうか? 1台で連弾できるとは全然思えないが(怖いもの見たさで、やっているところを見てみたいが)w 単に省略されているだけか。→ 本当に1台でいいようだ。連弾 (ツィンマーマン&中越, 2014)のがあった。すごい。→ 演奏光景は血沸き肉踊るものがあって、つい見入ってしまう。互いの腕を交差させ、髪を振り乱しながらガンガン弾く有様や楽譜をスパっとめくる有様は、一瞬のミスが死に至る戦闘のようで恐ろしいw 気持ちいい音を出していて、いい感じだ。あのお兄さん(名前を聞いたことがある気がする)、頑張ったな。

アルゲリッチとSakaiのもあるようで、興味はあるが、あとにする。 → やっぱりイマイチだった。頭しか聴いてないが、相方が完全に負けていて、迫力がない感じだ。2台なので熱気が少ない気もした。

PS2. 完全な余談(空想・妄想)だが、2人くらいの天才小学生が笛(リコーダー)で、学校からの帰り道に、歩きながらこの曲をさらっと完璧に演奏していたら、ものすごく驚くだろうし楽しいだろうなーw 全部じゃなくてもいいから、とりあえず、イントロだけでもいい。ピアニカでもいい。そういう光景を想像するだけで楽しい。って、僕は異常なのだろうか?w

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一週間くらい前の昼に、GPMでK. 488を探して、サイ(Fazil Say)という人の(2004)にしてみた。少し速かったが、辛うじて許せた。止めるほどでもなかったので聴いていたら、キビキビしていて乗れた。ビアノは悪くなく、それはそれでいい感じだった。

それで、彼に興味を持って他のアルバムを見たら、4手ピアノ版「春の祭典」  (2000)があったので聴いてみたら、なかなかすごかった。

最初の曲はそれほどでもなかったのだが、2曲目の音の鋭さにかなり惹かれた。この曲のピアノ版の演奏は今ひとつ軟弱なのばかりで、期待して聴くとがっかりすることが多いのだが、この演奏は満足できた。

昼休みでは終わらなかったので、帰宅してから続きを聴いたのだが、やっぱり見事だった。あの鋭い音が大好きだ。最後も音が綺麗で素晴らしい。この曲は聴いているうちに飽きることがあるのだが、これは全然そんなことがなく、あっという間に終わった。

ところで、その時はこの人について全く知らなかったので、聴いているうちにいくつかの疑問が出て来た。

  • ピアノ以外の楽器も使っているようだが? (それも曲に合っていていいけど)
  • そもそも、これは何人で弾いているのだろうか? 2人? 1人?

どちらも、GPMで見られる範囲では分からなかった。ジャケットには彼がピアノを弾いている姿しかなく、4手版なのに他の演奏者の名前はなかった。それで調べたら、彼が一人で多重録音したとのことだ。楽器は、「ひょっとして?」という想像が当たって、プリペアドピアノだった。彼はそういうアルバムを他にも出しているようだ。

なるほど。おもしろいと思う。「クラシック音楽」の曲だからといって、伝統的な方法・楽器で演奏する必要はない(そもそも、現代のピアノやオーケストラなんて、作曲当時と違うことが多いはずだ)と思うので、邪道という意見もあるようだが、僕は賛成だ。

もちろん、普通のピアノが大好きだけど、「プリペアドピアノ」という、新しい別の楽器での演奏として捉えれば全く違和感はない。それで曲のうまみを完全に引き出せているのだから、全く問題ない(悔しいことだが、普通のピアノではここまでは無理だと思う)。

彼は普通の(伝統的な)演奏もしていて、それが上に書いたK. 488だった。他に、「春の祭典」のあとに「月光」 (2014)を聴いてみたが、今一つだった。第1楽章は滑らかさや音の微弱さが足りなかった(「微弱さが足りない」というのはおかしな表現だが、他に適切な言葉が浮かばない)。もっと、聴こえるか聴こえないかギリギリの、かすかな音でないと、月の光ではない・・・

そういう訳で、彼は何でもすごい訳ではないが、「春の祭典」はすごい。それで、GPMだと曲間が切れて興ざめになってしまうので、久しぶりにCDを買いたくなった(MP3のようなダウンロード販売の方が場所を取らなくていいのだが、以前、曲間が駄目だった場合があって、GPMで切れるならMP3でも切れるはずだから、期待できない)。

 

それから、ここ数日は、もう数人のいい演奏に出会った。とりあえずここでは、ヨルム(Yeol Eum Son)を挙げたい。昨夜、JACKのテストでYouTubeを開いたら、たまたま彼女のモーツァルトのピアノ協奏曲第21番(2011)が出ていたので掛けたら、予想外に良かった。その時はテストだったので、音がちゃんと出るのを確認したらすぐ止めるつもりだったのだが、全部聴く羽目になった。チャイコフスキー国際コンクールでの演奏だった。

出だしはテンポがわずかに速くて気に入らなかったのだが、ピアノが歌っていたので、思わず聴き入ってしまった。そのうちに、彼女の解釈とか思いが伝わって来た気がした。だが、第2楽章の音の繋げ方(切り気味)は気に入らなかった(僕としては、もう少し滑らかに繋げて弾いて欲しい)。でも、それ以外は良かった。美しい音だった。そして、第3楽章は見事だった。音の出し方が良かった。

僕の好みでない弾き方があったり、好みでないカデンツァだったにも関わらず、なぜか許せた。当たり前のことだが、演奏技術は高い(いかにもさらっと弾いていて、全く危なげないし、聴いていて分かりやすかった: 楽譜なんて見たことないが、「ここはやっぱりこうだよな」って思った)。その上で、表現力がすごいと思った。しかも、場慣れしていて、演奏がとても滑らかというか自然体(自宅で弾いているような感じ)だった。そんな訳で、とても乗れる。

彼女は、一見、ワン(Yuja Wang)のようにパワフルで体育会系の雰囲気なのだが、(良く居る演奏者のように)ラフマニノフを豪快に弾くタイプでなく、モーツァルトを綺麗に弾く感じなので、かなり新鮮だ。そして、「内田に匹敵する・超える(かも)」という表現も浮かんだのだが、それはどうもしっくり来ない。どうとは書けないが、内田とはタイプが違うように思う。「モーツァルト一筋」ではないような感じなのかも知れない。

だから、そのYouTubeで多くのコメントが好意的なのも、納得できた。GPMには彼女のモーツァルトのアルバムがまだないのが残念だ。

最後に、そのオケもなかなか良かった。指揮者は不明だが、時々、他にはない演奏のし方(例:第2楽章の出だし)をしていた。あと、小編成(だけど決して室内楽ではない)なのも好きだ。

 

(3/14 21:50追記) 今日の昼に、演奏自体ではなく、経歴がすごい人を見つけた。なぜか昼前からすごく聴きたかったので、モーツァルトのピアノ協奏曲第20番を探した。最初に試したスー・へイキョンという人の(2016)は、全然悪くなく、ちゃんと乗れるのだが、何か物足りなかった。コクとか「あく」(今考えれば、この曲のどろどろとした重苦しさなのかも知れない)がないような気がした。その次は、Ingrid Jacobyという人の(2016)だったが、やっぱり物足りなかった。その次に、小菅優という人の(2012)を見つけ、ダメ元で聴いてみた。テンポは速い(それは僕には良くない)のだが結構良く、速いせいでキレがあった。

それで興味を持って調べてみたら、小さい頃からピアノが好きで、10歳でドイツでピアノをやりたくて自分から行ったそうだ。これはかなりすごい。10歳っていったら、僕なんて普通のガキだった。それなのに、彼女はドイツ語を勉強してまで行ったのだ。それからずっとドイツに居るようだ。彼女は、コンクールでの入賞なしで演奏活動をしているとのことで、それもなかなかすごいことだ。

ただ、日頃書いているように、経歴と演奏は別物だ。彼女の演奏が良くないとは言わないが、何かひきつける力が少ないように感じたから、(僕にとっては、)上に挙げたようなすごい演奏者ではない。

それでも、さっき聴いた、同じアルバムのモーツァルトのピアノ協奏曲第22番は普通に良かった。僕はこの曲は(大げさで、さらっとしていないので)余り好きでないのだが、ちゃんと聴けたという点で、いいピアニストだと思う。ピアノの音は良かったし、第1楽章終盤のカデンツァがなかなかすごくて(この曲には似合わないはずの重さや暗さだった)良かった。初めて聴くものだったが、違和感はなかった。オリジナルだろうか?

 

PS. 今も、この投稿のチェックがてら彼女のその演奏を開いてしまい、聴き出している。。。

PS2. 彼女のそのコンクールの決勝のラフマニノフのピアノ協奏曲第3番を見つけて聴いているのだが、もたつき気味なのと、広がりや深みやパワーが不足していて、今ひとつな感じだ。やっぱり、合ってないのかも知れない。あるいは、この曲には未熟だったのか。。。 あるいは、奇しくも、上に書いた「ラフマニノフを豪快に弾くタイプでなく」が当たっていたのかも知れない。ちなみに、調べたら、この時の1位は、あの、僕の好きでないトリフォノフだった。複雑な気分だ。

PS3. すっかり忘れていたが、13日の朝に聴いた、サイの「展覧会の絵」(2011)も良かった。これもプリペアドピアノでの演奏だったかは定かでないが、「春の祭典」と違って普通で落ち着いていた。上に書いた、「もう数人のいい演奏」というのには、この演奏も入っていた。 (3/14 21:36)

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昨日書いていて思い出した、ある、とてもレベルの低いピアノ教師についてずっと書こうと思っていたことを書く。それは実在のことかも知れないし、僕の脳内で想像しただけの架空のことかも知れない。ピアノでもギターでも絵画でも小説でも何だっていい。そういうのは関係ない。意見の内容だけが本物だ。

以前、大好きな曲をYouTubeで検索して、多くの曲の短評をずらっと書いたことがあった。直感的に感じたことを手短かに書いたので、単刀直入に「駄目」とかいうのも多かったと思う。

投稿の少し後、「駄目」と書かれたであろう一人がDNS業者に苦情を出し、そこからこちらに連絡が来た。最初はこちらの連絡先にメールを出したらしい(なぜか、それは届いていなかった)が、返事がないので(サーバ業者でなく)DNS業者に出したそうだが、こちらはとても慌てた(結構恐怖を感じた)。DNSを停められたらサーバにアクセスできなくなってしまうので、大打撃だ。

そういうことがあったので、長々とした「お知らせ」を書くようにした。

厳しいコメントや本人としては心外なコメント、それから説明が少なくて何が駄目か分からないコメントに苦情(本来は質問が真っ当だろう)を言って来るのは当たり前のことだと思うが、上記のように、最初に取った行動が非常識で、該当部分の削除を要求して来て、その理由が全く論外だったので呆れた、というより、すごく頭に来た。

簡単に書くと、その人はピアノ教室の先生で、教室を探している人が、僕がここに書いたコメントを検索して見つけて読んだら来なくなってしまい、生徒が減るということだった。

笑止。アホか馬鹿かと。

まず、お前は何のために演奏してるんだと言いたい。演奏者・芸術家であれば、赤の他人の意見や感想を聞くのも仕事ではないか? 素人の下らない的外れなコメントなんて聞きたくないし、そんなのに振り回されていたら駄目になってしまうという気持ちは良く分かるが、じゃあ、お前は誰に向けて演奏しているのだ? 的確なコメントや耳触りのいいコメントだけ聞きたいなら、プロとかお友達だけに演奏してろ。

余談だが、その人は、(仮にすごい勇気があって)プロの前で演奏して、偉い人(例: 自分の先生や大学の研究者や大家)から同じようなことを言われたら、どう反応するのだろうか? きっと、「なるほど、そうですね・・・」と全く反論しないのだろうな。ふふふ。

(誹謗や中傷でなく)演奏の感想であれば、例えひどいことを言われたって、そこに自分が気付いていない・知らない何かあるかも知れないし、議論したっていいじゃないか。怒ったっていいけど、都合の悪いコメントを抹殺するなんてありえない(すべてのコメントを無視する方がずっといい)。意見を聞きたくないなら、演奏を公開してはいけない。そのYouTubeはコメントできないようになっていたが、それだったら、自分の教室のページにでも載せればいい。「先生」をしているだけで演奏者ではないのか。自分の演奏の発表でなく、教室の宣伝のためのものなのなら、あらかじめ、そう書いておいて欲しかった。あるいは、個人名でなく教室名で出せばいいのに(ただ、そうであっても、痛い目に遭うことがあるのを知った今はともかく、当時は「この教室は駄目だ」と書いたかも知れないが)。

コメントについてもう少し書くと、演奏は工業製品じゃないので、口コミで良し悪しを判断するものではなく、自分で聴いて判断するものだから、評判を鵜呑みにするのは馬鹿げている。一方、世の中には自分で判断出来ない人は多いが、もし、書かれたコメント(あるいは、thumbs up/down)の多数が「駄目」だったら、それは客観的な評価で、ある意味「事実」なのだから、それを信じられても仕方ない。自分ではいいと思っていたって、そういう世の中なのだから仕方ない。その世界に入ったのは自分なのだから、自分で何とかするしかないのだ。ひどいコメントからだって、どうすればいいかのヒントが得られるかも知れない。一方、もし、その演奏が素晴らしいものだったとしても、コメントできないようにしていたら全く評価されないし、ここのようなところでひっそりと書かれた情報しかなくなってしまうから、営業的な効果は良くないだろう。いずれにしても、もったいない。

更に、気に入らないコメントが見たくないなら、エゴサーチなんてするな! 虫が良過ぎることに気付いた方がいい。

次に、本物の演奏がリンクで紹介されているのに、その演奏への自分の感想でなく他人のコメントを信じ切って来ない子(または来させない親の子、以下同)に将来はないから、(音楽の世界から見れば)全然問題ない。別の言い方をすれば、あなたの演奏を聴いて、自分で良し悪し(自分の好みかどうかでもいい)を判断できない子、コメント不可の状態を見ておかしいと思えない子に将来はないから、問題はない。逆に、僕のコメントに同感・反発して行かない・行く子には将来があるかも知れないし、ないかも知れない。だから、論理的には、コメントには何も影響力はなく(そもそも、ここは何万PV/日もあるようなところじゃない)、問題もない。問題があるのは、あなたの懐だけだ。あなたはお金が欲しいからピアノ教室をしているのであって、音楽のためにではないのだろう。生活のためにはそれだって仕方ないけど、だったら、もっと営業的に賢いことをした方がいい。「臭いものに蓋」では無理だ。

だから、あなたのところに行く生徒が減って、将来的に(演奏や指導技術の良し悪し以前に、教師の考え方の点で)低レベルなピアノ教室が減るのは、音楽のためにはいいことだと思う。(当時、DNSを停められたら困るし、馬鹿に付き合うのは割に合わないからその部分を消したが、)僕は何も悪いことはしていなかったと、今、再確認した。

最後に、芸術をするのなら(普通の仕事だってそうだ)、自分とそれ以外の評価のギャップは当たり前で、それに抗うパワーなり熱意なり崖から飛び降りるような決意が必要ではないだろうか。まさに真剣勝負だ。この人はそういうところから逃げて、ぬくぬくとした安全なところから何か(成功?)しようとしているが、それじゃあ人の心は打てないだろうし、(結果論だが)「駄目」と書かれても仕方ないと思う。

 

PS. ブログ以前から、ずーっと、口コミ(親同士の内緒の情報交換)はあったと思うが、この人はそれも封殺してるのかねえ・・・w

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(酔っているから書く)

内田のK. 488 (1986)を聴いて、先日、台無しだと思った人とは全然違って、やっぱりすごいと思う。透明で純粋で、一見普通ですごく聴こえないところが却ってすごい(なぜか、こうは弾けないようだ)。

もちろん、曲自体も恐ろしくいい。

この感覚(普通に「名曲」、「いい演奏」と表現するのとは違う気がするが、どう違うのかは説明できない。もちろん、名曲だし、いい演奏ではある)を他の方と共有できるのかできないのか、まずそこが知りたい。

余談: ただ、彼女のモーツァルトのピアノ協奏曲の弾き振りはどうも気に入らないので、そこまで共感して頂ける方が居るのだろうかとも思う。

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筒井康隆は中高大の頃に好きだったが、かなり前(パソ通をやり出す辺りや、断筆騒ぎの頃だろう)から、僕の中では「時流に乗ろうとしている下らないジジイ」扱いで、すっかり過去の人である。

でも、その扱いが彼には真っ当だと思う。今になって文豪扱いするとしたら、それはおかしい(経歴的には真っ当だが、その扱いは彼にふさわしくない)。僕は、ここ十年以上、全く本を読めないので、彼がどういう位置に居るのか全く知らないが。

余談: 「文豪」と言えば、名前は書かないが、デビュー当時は「ルンルン」だかなんだかの(読んだことないけど)軽薄な小説だか随筆だかなんだかを書いていた作家が、今では立派にそういう位置に居るみたいで、それを知った時は本当に片腹痛かったw 他にも、「なんとなく」軽薄な作品で出た人が政治家になって偉そうにしているのも、おかしかった。

今はともかく、彼には(彼だけじゃないが)さまざまな影響を受け、その結果、今の僕があるというのは確かな気がする。まずは反骨精神だろうか。どうしてか分からないが、偉い者や権威には楯突く(あるいは、内心馬鹿にする)気を植え付けられてしまった。あとは、常識を疑うとか、「普通」はつまらないとか・・・ まさに、中二病の感染源で、今にして思えば、とんでもなくひどい奴だったw

というのは、やっぱり、彼への最大の賛辞だと思う。

(なんか、彼が死んだような書き方だけど、そうじゃないよね)

 

PS. そして今、不思議に思うのは、今だって権威が大嫌いな僕が、特にモーツァルトのようなすごい作曲家やポリーニ、ゼルキン、内田などのスタンダード過ぎるとも言える演奏家に全くと言っていいほど反感を覚えない(本当に素直に、「いい」と思える)ことだ。なんでだろうね??

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会社が、(嫌々ながら)ストレスチェックなるものをやるとのことなので、早速やってみた。少し大げさに付けたところはあるが、概ね正直にやったのだが、結果を見て吹いた。なんと、

ストレス度がMAX (N段階の最高の値)

だったのだ。普通は自分の予想より低く出てがっかりするものだが(実際、最初にその値を見た時、一番軽いのかと思った)、今回は胸のすく思いだw

まあ、会社自体、「法で決まっているから、とりあえず形だけやるけど、何かあっても自分で解決してね」ってスタンスなので(担当のアフォが本当にみんなの前で言っていた)、まあ、ストレスは溜まるよね・・・

 

PS. そんなこんなで、今日は別件でイライラして頭が痛いので、無伴奏チェロ (ビルスマ, 1992)を聴いて落ち着こうとしている。が、書かなくていいことだが、この曲はビールのようなもので、最初の曲の出だしが一番癒やされるが、あとは惰性かな・・・ バッハ様、すみませんw

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さっきから、Arie Vardiという人のK. 488 (1988?)を聴いている。最初は素直な感じで悪くなかったのだが、段々、気に入らなくなってきた。1楽章のイントロは良かったのだが、その後はちょっと慌ただしい感じでもったいない。深みも少ない。実は、忘れていたのだが、この演奏は以前聴いていたようで、thumbs upしていたのだが、取り消した。逆に、downにしたいくらいだ。

僕は、この曲の2楽章終盤の寂しいピアノが好きなのだが、この人のはちょっとおかしく、サーカスみたいに(ラフマニノフのピアノ協奏曲 第3番 第2楽章後半にそんな箇所がある)なって、場違いで台無しになっていた。。。 3楽章だって、もう少し流麗に弾いてほしい。曲に負けているよ。(今気付いたが、この人、弾き振りしている。ピアニストの弾き振りは大抵失敗するんだよね。止めときゃいいのに・・・)

と、がっかりすることも多いのだから、K. 488だったら愛聴のポリーニのにしておけばいいのに、僕はなぜ、新しい演奏を探すのだろうか。良くは分からないが、変化とか「もっといいもの」を求めているのだろう。まったく、自分で弾け(き)もしないのに贅沢(高望み)もいいところだ!w

でも、今は、GPMのおかげで、この程度ならいくらでも贅沢できるのだから、本当にありがたいことだ。

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