Archive for the ‘音楽’ Category

黒歴史シリーズ第1弾。(確か)h.takくんのご要望があったので、書きます。黒歴史って、「武勇伝」のように、余り好まれないかも知れませんが、少しでも笑って下さる方がいるかも知れないので、書きます。ただ、ここに書ける黒歴史がどれほどあるか分からないので、シリーズといっても、すぐに終わるかも知れません。

高校生の時は無線部に入っていた(余談: 正式には物理部という名前だった。中学生の時にBCLをやっていたので、アマチュア無線には興味があったし、電子工作とかマイコンもできそうなので入った。でも、もしマイコン部があれば、入っていたと思う)。確か、2年生の時は、どうしてか、部長をしていた。そして、その学年の3月頃、3年生の送別会が開かれることになった。会では、主だった人が出し物を披露することになっていた。僕は、部長だったせいか、どうしても何かやる必要があった。

(ここまで書くと、題から大体想像がつきますねw 残りは帰宅してから書きます。)

帰宅してから、何をやるかいろいろ考えた。ギターを弾きながら歌うのがベストだと思ったが、実際には、何一つとしてまともに弾けなかったので、却下となった。

他の出し物はできなかったのか(当時は今で言う高2病で、自尊心がすごく高くて、良くあるちょっとした笑いを取れる出し物なんて、自分を低く見られそうだから論外だった。そもそも、そういうネタ自体、ロクに知らなかった。)、思いつかなかったのか、歌を歌うことにした。

何を歌うかについても悩んだ。まずは自分が好きな曲だが、みんなもある程度知ってそうな曲が良さそうだと思った(この辺りは、今でも、「カラオケの順番が回ってきたらどうしよう」と考えるのと似ている)。

いろいろな曲を考えた気がするが、最後に決めたのが、"Yesterday"であった。この曲は、当時は好きだったし(なんたってビートルズだし、最初に買った"Love songs"の最初の曲だし)、有名だからみんな知ってそうなことがポイントだった。それで、歌詞を忘れないように紙に書き写したり、何度か練習もした。

当日。順番が回ってきて、歌った。手書きの歌詞を見ながら、薬師丸ひろ子のように直立不動で、無伴奏独唱した。

歌い始めて少ししてから、選曲を誤っていたのに気付いた。曲が暗くて全然送別会に似つかわしくなかった。まるでお葬式のようではないか。今更思うが、詞だって場違いだ。それでも、当然のごとく全曲を歌った。今なら、乗りが悪かったら1番だけで終わりにするとかしそうだが、純真だった当時の僕は、そんな考えも起こらなかった(実際には止めたかったが、プライドがそれを許さかなったのかも知れない)。

まあ、とりあえず、(今のカラオケと違って)音程は余り外さなかった気がするが、歌い終わってからの周りの反応は全然覚えていない。。。みんなは、即座に「なかったこと」にしてくれたのだろう。

てなわけで、それからこの曲は、僕の黒歴史となった。今でも、聴くたびにあの苦い思い出がよみがえる。イントロのギターだけで、もう。。。

 

PS. 今これを書いていて、同じ部の友人Hくんに相談して、一緒に何かやれば良かったと思った。彼はギターを弾けた気もするし、僕よりは、軽い出し物を知ってそうだった。まあ、自分で書くのもおかしいが、当時は結構孤高な人間であった。

PS2. 今更ながら、"Hey Jude"にはしなくて良かったと思う。(スミマセン、受け狙いです。) (1/18 19:35)

(2017/1/18 7:10 後半(「帰宅してから、」以降)を記述)

  •   0
  •   5

以前も書いたのだが、ビートルズは、いとこにもらったテープ(NHK FMで掛かった、ベスト盤"1962-1966"と"1967-1970"の抜粋)が初めてだった。そして、自分で初めて買った彼らのレコードは、"Love songs"だと記憶していたのだが、先日実家から持って来た発掘物から、その証拠が出て来た。

中高生の頃に記録していた、レコード一覧である。買った時に書いたものもあるが、それ以前に買った物も、買った時期を思い出して書いていた。当時、どういう理屈にしたのか、親にタイプライターを買ってもらって、それで打ち込んでいた(タイプを使いたくなった最初の理由は、年賀状作りだったと思う。今でいう、アスキーアートだったと思う。もちろん絵は苦手なので、柄は絵じゃなくて、文字(タイプの文字を何個も打って、大きな文字にした)だった。手作りのバナーだ(でも、今はバナーの意味がすっかり変わっているな)。今思えばとんでもない無駄遣いだw)。

僕のレコード一覧(c. 1980-1985)より

最初は考えていなかったのか、タイプミスするのが嫌だったのか、行がズレるのが嫌だったのか、ビートルズのの買った時期や追加のコメントは手書きになっている(今だったら、いくらでも挿入・修正できるのに!)。今気付いたが、一覧の中で、2つのアルバムが手書きの"]"でくくってあるのは、同じカセットのA/B面に収める案だったのだろう。そして、一通りビートルズを揃えた後は、ウイングスを揃え出したようだ。他に、その頃買ったレコードで、The carsやYMOのも載っている。でも、それ以前に持っていた桜田淳子などの歌謡曲のレコードは「なかったこと」になっていて、記載されていない。

おもしろいことに、アルバム名の表記が、当時から今と同じでブレていないことが分かる。僕はアルバム名や曲名の各単語の頭を大文字にせず、普通の文章のように先頭だけ大文字にして書くのが好きなのだ。(例: "Please Please Me"でなく"Please please me") あ、"Hey jude"は駄目だ。。。

限られた小遣いの中で、買うアルバムは厳選(聴きたい曲を揃えるのに最適化)していた。オリジナルのUK盤だけにせず、UK盤に入ってない、シングルの曲(例: "I want to hold your hand")が入っているUS盤も混ぜていた(日本盤は、オリジナリティーがないと思って買わなかった。今となっては、US盤なんて極悪非道の「売らんかな」精神そのものだったが、当時は知らなかった)。ただ、"Rubber soul"だけは、たまたま輸入盤のワゴン(当時良く行っていたジャスコでは、どういうタイミングか、たまに、今のホームセンターなどでの懐かしいCDやDVDのような感じで、輸入盤が売られていた。)で見つけたUS盤を、UK盤とは曲目に違いがあることに気付かないで買ってしまい、そのせいでずっと(長いものではCDを買うまで)聴けなかった曲もあったから、かなり後悔していた。

その一覧には、確かに、"Love songs"が最初だと記録してある。1977年の10-11月に買ったようだ。そして、それを買った時にもらったペンダントも出て来た。何のメッキだろうか、未だに光っているのがすごい。更に、そのアルバムを買うきっかけになった広告も出て来た。余談だが、今の自分がこの広告を見たら、全く買う気にはならないだろう。「日本が2/3、アメリカが1/3って、単に妥協の産物じゃないか」って感じで。

そして、今朝、このことを思い出していて気付いたことがある。ビートルズに出会う前に、ロックが好きになるきっかけになったバンドがあった。あの「キャロル」だ。いとこは二人(TさんとHさん)居て、どちらも結構年上だったのだが、どちらの方からキャロルを聴かせてもらったのかは覚えていない。ビートルズは二人とも好きだったが、テープはTさんから、カセットレコーダー(とマイク)はHさんからもらった気がする。

キャロルを初めて聴いた時、何と思ったかは忘れたが、とても新鮮で、衝撃を受け、興奮した。今も覚えている曲は「ファンキーモンキーベイビー」だ。「これが音楽!?」という感じだったかも知れない。それは、「音楽的でない」という意味ではなく、それまで聴いていた、当たり障りのない歌謡曲や、学校の音楽とは全然違っていたので、「こういう音楽もあるのか!」という驚きだったと思う。そして、すごく乗りが良かった(僕が乗りのいい音楽が好きなのは、これが原点なのかも知れない)。とても気に入ったので、その時にバンドの名前を教えてもらった。後でレコードを買おうと思ったのだろう。

(お盆か正月に行った)いとこの家から戻ってしばらくしてから、レコード店に行った。店内を歩き回って、キャロルのコーナーは見つけた。が、結局買わなかった。最も大きな理由は、「恥ずかしい・・・」だった。まじめで小心者の中学生が気軽に買えるジャケットではなかったのだ。今調べたら、どれも、リーゼントで煙草を吸っていたり、暴走族みたいに不良っぽかったし(実際、そういう人たちのシンボルだったのだが)、(その日に見た別のバンドのだったのかも知れないが、)「大人じゃないと買えない絵柄」のジャケットもあった気がする。音楽とジャケットの印象の違いに、戸惑ったような気もする。今思えば、詞を余り聴かず、曲だけでイメージを作っていたからかも知れない(どうしてか、詞を余り聴かないのは今も同じだ)。あと、気に入った曲(「ファンキー―」の曲名が分からず、どのアルバムを買っていいか分からなかった気もする。

結局、散々逡巡した挙句、何も買わずに帰ったのか別のを買ったのかは、記憶にない。それから数十年経つが、今でも彼らのアルバムどころか、一曲も持っていない。今だったらジャケットは全く問題ないが、好みとは少し違うとか、その後に聴いたビートルズやその他のバンドの方が断然好みになったからだと思う。

そうこうしているうちに、あの広告をFM雑誌("FM fan"を購読していた)で見たのだろう。それが本当の始まり(かつ終わり?)だった。ビートルズのレコードを買うのは、全く恥ずかしくなかった。やっぱり、彼らは優等生だったのだろうと思う(実際、"I want to hold your hand"なんて、英語の教科書みたいで、逆に恥ずかしいくらいじゃないか)。詞や曲はそこそこ・結構先進的なものがあったけれど、ジャケットには全く問題がなく、どれだって堂々と買えた。

単なる思い付きだけど、そういうことも、デビュー直後から彼らが世界中で(特にUSで)売れた理由の一つかも知れない。そういえば、マネージャーのエプスタインは、彼らを売り出すに当たって、(キャロルのような感じで)荒くれていた彼らの格好を、例のおかっぱみたいな髪型と襟なしスーツ姿にさせたというから、あながち間違ってもいなさそうだ。

優等生とはいえ、彼らの音楽や行動(本などで昔のことを読んだだけだが)は、当時の僕にはものすごく革新的、エキセントリックだった。それに感化されてしまった僕は、中二病や高二病を経て、今に至っているのだろう。。。

PS. 実は、レコード一覧には続きがある。CD一覧である。大学生の時に、パソコン(FM-7)のテキストエディタで作り、その後、FM-7で動くワープロに移した。

僕のCD一覧(1986-1988)より (個人名を隠した)

PCベースなので、手書き文字がないのが少し味気ない気がする。文字もタイプの方が味がある。そもそも、この頃はフォントなんて選べなかったが。。。残念なことに、全角文字を使っている感じだし、アルバム名などの記法が揺らいでいる。アルバム名はジャケットの記述に合わせたのかも知れない。ただ、タイプの時とは違って、CSVのようにデータに構造を持たせようとしていたことが分かる。その考えは今も同じだ。

僕の最初のCDは、記憶どおり、友人Wから買ったRushの"Power windows"だった。最後のページを見ると、ビートルズのCDを揃えたのは1988年4月だったことが分かる。彼らのレコードを初めて買ってから約10年か。今思えば、意外に短い。秋葉原のいろいろな店を歩き回って、1日で全部(15組)揃えたことを覚えている。大学が忙しくなったのか、1988年4月で記録が終わっている。その時点でのCDの総数は57組だった。

その後就職して、CDの増加速度は加速した。今では何枚あるか分からない。プレイヤー(GMB)では1000組程度と出るが、レンタルしたものや重複などが含まれているので、正確な数は分からない。→ 調べたら、レンタルなどは約230組だったので、重複を考慮すると、大体750組程度か。(1/15 13:15)

  •   0
  •   1

先日、スーパーからの帰り道、子どもの頃大好きだった小熊のぬいぐるみのことを突然思い出した。途中に居た、お母さんに連れられた子どもが熊のぬいぐるみを持っていたからかも知れない。そして、あのぬいぐるみがどうなったのか、気になった。確か、妹の物だったので、取り合いをしたかも知れない。そんなふうに手荒に扱った関係で、段々壊れてしまったのが、子どもながらにも可哀想だった(実際には、自分で壊したんだけれど)。それが、引っ越しのせいか、いつからか居なくなってしまったのが、寂しかった。

写真を探したら、運良く写っていた。全体的に茶色い熊だと思っていたが、実際には白い部分が多かったようだ。その頃の写真はほとんど白黒なのだが、どうしてか、これは珍しくカラーで良かった。

1967年、妹と。(顔はぼかした)

熊で連想したのか、部屋に帰ってから、この歌が頭の中で流れた(いかん! 今、イントロを聴いただけで涙が出そうになる)。。。

子どもの頃のことを思い出すと、なぜか、寂しく悲しくなるのは、歳のせいだろうか。

  •   1
  •   4

驚かせてごめんなさい。37年前の話です。(実家からの発掘品シリーズ)

確か、中3の冬だったと思う。ポールがウイングスで来日するというので、ウイングスは好きだったが、(当時は、一応「まじめな」生徒だったし、お金もなかったし、遠くて面倒だったので)コンサートに行きはしなかったけど、(TV放映を期待して、)結構楽しみにしていた。それが、来たらすぐに捕まってしまったので、何ともがっかりした。そのことは、中学校のノート(毎日のことを書いて学校に出す物)に書いた。(今で言う中二病のまっただ中だったので、)「警察は何で大麻くらいで捕まえたのだ」という主旨だったが、担任の先生に「大人の論理」で諌められた覚えがある。

まあ、今となっては、日々さまざまな有名人がいろいろな薬物で捕まっていて、感覚が麻痺してはいるが、それにしても、仕事なのに大麻を持って来るなんてのは、日本を舐めている(少なくとも、日本の規則を調べもしないというところが、アホとしかいいようがない)としか言いようがない。

この件は後日、スネークマンショーのネタにもなり、みんなの笑い物に成り下がった。ポールはポールで、"Frozen Jap"という、タイトルからして嫌な歌(曲調も「西洋からみた日本」的)を作り、(ウイングスは解散しちゃったのか、)ソロアルバム"McCartney II"に入れた。やっぱり、彼は(今は知らないが)日本を見下していたのだと思う。僕は、それでも、とりあえず、そのレコードを予約して買った。そうしたら、幻の来日コンサートのパンフが特典として付いていた(それは今も捨てていないはずだが、出すのが面倒だから、他人のリンクにした)。

そして、その年の12月に、ジョンは殺されてしまった。全く関係ない事件だが、大麻でヘマするような軽い人と、狂信的なファンに殺されてしまう、本当に神がかりな人。中高生には大きな違いであった。。。

(でも、今は、作者の経歴や思想は音楽とは切り離して考えることにしているので、例え作者がどんなに軽かろうとアフォであろうと、曲が良ければいいので、ポールの歌は好きだ。)

余談:

  • お金がなかったとはいえ、当時のチケットの価格(コンサートの広告も一緒に保存していた)は、S席でも4500円(4万5千円じゃない)だった。随分安い気がするのは、年月の経過のせいか歳のせいか? まあ、安くても、果たしてチケットが取れたかという問題もあるが。
  • 更に、逮捕の記事を読むと、空港のロビーで待っていたファンの数はたった30人(300人じゃない)だったようで、拍子抜けする。当時のポールは、今ほどグレイトじゃなかったのだろう(確かに、僕の記憶もそうだ)。逆に、今がグレイトに扱われ過ぎている気すらする。
  • 記事を読むと、「大量の大麻」、「計219グラム」とあるので、その量がどのくらいの悪さなのかは分からないが、入れておいてうっかり出し忘れたとか、ちょっとした出来心ではなかったようだ。
  • ジョンが殺された時、僕は中学生だった記憶があるのだが、実際には高1だったようだ。どうしてだろうか。それとも、ポールの時も既に高校生だったのか。記憶が曖昧だ・・・
  • 保存していた新聞を見ると、今と比べて文字がすごく細かい(面積比で1/3くらい?)のに驚く。当時の高齢者は大変だったのではないか。虫眼鏡を使う人が多かったのは、そのせいか。(1/9 5:59)
  •   1
  •   2

正月の帰省中にYouTubeで発見した彼のCDをAmazonに注文したら(約2千円だった)、昨日届いたので、その晩にさっそく聴いた。

モーツァルト: ピアノ協奏曲 22番:

なかなか良かった。まず、ピアノもオケも音がいい(オーディオ的な意味ではない。例: 心地いい)。乗りもいい。演奏がダイナミックな(強弱の幅が広い)のもいい。カデンツァが聞き慣れないものだったが、大きな問題ではなかった。

実は、この曲はイントロが大げさに感じるので、あまり好きではないのだが、それでも新鮮に飽きずに聴けたのは、彼の音が良かったからだと思う。

モーツァルト: ピアノ協奏曲 25番:

気のせいか、YouTubeのビデオと雰囲気が違う気がする。が、こちらもいい。冒頭やその後繰り返される同じフレーズの休符に、わずかに雑音(衣擦れのような音)がある。大きく振った腕を戻す音かと想像しているが、わざと残したのだろうか。

(特に第1楽章の)ピアノが少し硬めで、ちょっと珍しい感じだった。これは、ビデオで「現代的」と感じたところかも知れない。第3楽章は、なんとなく急いでいる感じで、残念だった。もう少し遅目だといいのだが。

全体を聴いた感じでは、やっぱり、CDはビデオとテイクが違うように感じた。僕はビデオ版の方が良かったと思うが、それは、単に再生機器(スマフォとオーディオ)の違いによるものだろうか? あるいは、演奏を観ながらだと印象が変わるのだろうか? もう一度PCでビデオを観ればいいが、ドキュメンタリーのため、ちょっと冗長なので、今は止めておく。

いずれにしても、彼にはこれからも期待できそうだ。

余談:

これと同時に、ピリスのモーツァルトを大量にHMVに注文したのだが、それはまだ発送の連絡すら来ない。安かったから仕方ないとは思っているが・・・

それから、今まではMP3があればそれにしていたのだが、例の曲間フェード問題が解決していないので、当面はCDにすることにした。経緯と現状を次の稿に書く。

(8:14 MP3の曲間フェード問題を別稿に転記, 8:38 若干修正)

  •   0
  •   0

帰省しても暇なものだから、YouTubeで音楽を聴いて(一部は聴き比べて)いた。聴いたのは、モーツァルト(ピアノ協奏曲、ピアノ・ソナタ)、ラフマニノフ(ピアノ協奏曲)、ゴールドベルク変奏曲、ショパンを少しといったところ。

そうしたら、いいと思うアーティストや演奏が結構見つかって、揃えたいアルバムも多くなりそうで、なかなか大変だ。以下に曲ごとに短い感想を書く。

ラフマニノフ ピアノ協奏曲 3番

  • ソコロフ: オケは遅過ぎだが、ピアノは速い。最後のタイミングが合わなくて残念。
  • カツァリス: 若い頃の演奏。ショパン弾きの彼のラフマニノフは珍しく、興味が出て、買おうかと思っていたが、やっぱり今一つかな。
  • ブロンフマン, ゲルギエフ (昔、NHKで放送されたもの): やっぱり彼は最高。

ラフマニノフ ピアノ協奏曲 2番

  • リヒテル: 僕には少し遅目だが、いいと思った。
  • 辻井: 最初の方は良かった。すごいとは思ったが、音が平板的なところがあった。

モーツァルト ピアノ協奏曲 20番 K. 466

モーツァルト ピアノ協奏曲 21番 K. 467

  • バレンボイム: 美しい。ただ、1楽章のカデンツァと3楽章の音が切れ気味なのが、ちょっと惜しい。(リンクは違うかも)

モーツァルト ピアノ協奏曲 25番 K. 503

  • フレイ (David Fray): 期待の若者! すごい。乗りがいい。(下に続きを書く) 指揮者との打ち合わせ風景では、ピアノを弾いたりフレーズを口ずさみながらお互いに解釈を話し合っていて、興味深かったし楽しそうだった。そういうのを、一度やってみたい。(まあ、自分の仕事で言えば、プログラムをどんなふうに作るか、プロトタイプを動かしたり、ちょっと変えたりしながら打ち合わせるみたいなものかも知れないな)

モーツァルト ピアノ協奏曲 26番 K. 537

  • ロバート・レビン, ホグウッド: 古楽器での演奏。ピアノフォルテは意外に大きな音が出るようだ。ただ、中高音はギターや琴のようで、ちょっとヒステリック。あと、滑らかさはやっぱりピアノに負ける。でも、これが当時の音だったのだろう。古楽器オケの音はいい。2楽章の解釈(フレージング?)は、今ひとつ好みでなかった。

モーツァルト ピアノ協奏曲 27番 K. 595

  • ピリス, ピノック (1回目): 少しだけ切っていたところがあって、違和感があったが、やっぱり良かった(本当に2回目と同じ演奏だったか定かでないが、検索ではこれのようだ)。
  • ピリス (2回目。1回目の翌日に気付かず聴いた): 正統派でいい。映像で分かったのだが、この曲はフルートが活躍していた。(雑談を下に書く)

モーツァルト ピアノソナタ 15番 K.545

  • リヒテル: 結構良かった。(リンクは違うかも)

モーツァルト ピアノソナタ 14番 K. 457

  • リヒテル: いいけど、少し荒いところがあった。

ショパン ピアノ協奏曲 2番

  • ピリス, ピノック: ピアノはいいが、オケが少しわざとらしい。ピリスは若い頃の方がいいかも知れないと思った(が、上に書いたK. 466やK. 595は良かったから、今はどちらも聴きたい)。
  • ツィマーマン: ピアノもオケも音はいいが、強弱・抑揚・テンポの変化の付け方が大げさな感じで、好みではない。

ショパン 「別れの曲」

  • 近藤由貴: (ショパン好きの方には申し訳ないが、口直し程度に聴いた) 知らない方だが、意外にいい。今改めて聴くと、少し弱いかも知れない。身体の動きはちょっと大げさかも。

バッハ ゴールドベルク変奏曲

  • Jozsef Eotvos (アコースティックギター): この曲では変わり種を探した。なかなかいいのがなかったが、これは良かった。全曲が聴きたい。
  • Mark Klett (エレキギター): エレキギターはいい加減なのが多かったが、これはそうでもなく、楽しくて良かった。
  • Duo Lego (エレキギター, ベース): まあまあ。
  • バレンボイム: 2回目の装飾がちょっと違う(好みでない)。
  • ペライア: 音が綺麗。
  • グールド: やっぱり、一番しっくり来た。ビデオ版はCD(レコード)とちょっと違う。わずかに画と音がズレてるかも。

一覧を書いて、意外にすごい量を聴いていたのに気付いた。フルに聴かなかったものもあるが、余程暇だったようだ。

上の中で、アルバムが欲しくなったのは、以下のピアニストだ。

  • フレイ
  • ピリス (初期と近年)
  • リヒテル

それぞれ、モーツァルトのピアノ曲、特に協奏曲はあるだけ欲しいから、なかなか大変だ。

フレイについての続き:

大げさかも知れないが、彼はグールドの再来のような気がした。実際、演奏している姿は似ている。演奏を見・聴いていて楽しい。演奏者(特に彼と指揮者)も楽しそうだった。

その前に聴いたホグウッドのとは正反対の全く現代的な音で、それはおそらくモーツァルトは想定していなかっただろうが、彼が聴いたら、きっと、「すごい音だ!」と目を輝かせて喜ぶのではないかと思った(ホグウッドには悪いが、古楽器の方は(聞き飽きているから)あくびをしそうだ)。

ピリスのモーツァルト ピアノ協奏曲 27番についての雑談:

フルートの、金髪・ショートヘアの若い女性の表情が神妙かつもの憂げで、ちょっと艶めかしかった。それにしては身体の動きが大きかった(このオケは他の人もそうだった)のが、何となく目を引いた。後ろの人(ホルン)のシャツの襟が彼女の頭上に見えることがあって、猫耳のようだった(: 中央付近の上)。

それにしても、この曲は心が洗われる。

余談:

  • 通信データ量は、一日1GB前後だった。月ごと3GBのプランに変えた甲斐があった。前月からの繰り越しもあったので、余裕だった。
  • インターネットラジオは、データ量は食わないのだが、好きな曲を聴けないのと、再生が始まるまでが長かったりして、今一つだった。
  • 正月のせいなのか、午後に音切れが多発した。
  • こたつに手を入れると指が乾くのか、iPhoneの指紋認証が通らないことが多かった。
  • 母は、ピアノ曲を聴くと、いつも、「良く指が動くねえ。左右別々で、あんなに速く。音符も全部覚えていて」などと感心する。確かにそれはそうなのだが、僕が「それは当然で、それ以上のもの、表現が重要なんだよ」などと言ってもすぐに忘却されて、次回は振り出しに戻ってしまう。

(17:58 若干加筆・修正)

  •   0
  •   2

488

帰省前、お気に入りの、モーツァルトのピアノ協奏曲第23番(ゼルキン・アバド)を聴いて、心を落ち着ける。しかし、今日のゼルキンは少し滑らかさに欠ける気がする。何とも不思議だ。

 

でも、第1楽章の出だしは端正かつ明るい気分になるし、今掛かっている第2楽章は心にしみる。そして、第3楽章は元気が出る。

  •   0
  •   2

この演奏はかなりいい。すごく乗れる。曲間もグールド(1981年の盤)に近く、スパっとタイミング良く次に入るから、気持ちいい。たまに曲間が長い箇所があるから、ちゃんと考えて設定したのだろう。ただ、最初のアリアの開始前のわずかなタメ(無音)がない(or 短い)のがちょっと残念だった。

マイクが近くてクリアな音だったが、その分、チェンバロの高音が耳に刺さる。でも、低音が豊かで良かった。彼の、ピアノでのこの曲の演奏を聴いてみたいが、あり得ないのだろうな。。。

ブックレットの「この曲の構造について」を読むと、難しい理論は理解できないのだが、バッハの恐ろしさを実感し、彼は人間だったのだろうかとすら思った。どうしてこんなに精緻な曲(スイスの機械式腕時計のようだ)を作れたのか・作ったのか、分からない。だから、やっぱり、モーツァルトの方が好きだ。といっても、モーツァルトの曲がいい加減ということは全然なく、ちょっと聴いただけでは実感できないが、実際にはすごいのだ。だから、逆に、モーツァルトの方が恐ろしい気もする。

「演奏に関して」を読むと、小林が常に試行錯誤していることが分かって、なかなか興味深い。そして、1970年代から毎年行われているこの曲の演奏会は、彼のその年の研究成果の発表の場なのだろう。先日疑問に思った、「彼はなぜ演奏しているか」の理由が、少し分かった気がした。

余談:

盤やジャケット(内側)のデザインが意外に凝っていた(シンプルで綺麗だった)。意外なことに、CDDBの情報は完璧だった(入ってないだろうと思っていた)。取り込みも速かった。ブックレットに鉛筆で文字(僕は購入日を書いている)が書きやすくて良かった。

僕は、昔からの習慣で、この曲を「ゴールドベルク(グ)変奏曲」と呼んでいるが、この投稿のタイトルはアルバムの表記に従って「ゴルドベルク―」とした。今は「ゴルベルク―」が一般的なようだ。ちなみに、今年の彼の演奏会のパンフレットでは「ト」だった。

曲のタイトルの表記に揺れがあるので、検索するなら、正規表現で"ゴ(ー)?ル(ト|ド)ベル(ク|グ)"になるのだろうなと思って試したら、すごく時間が掛かった。これは全くの技術者的雑談である。

PS. (再び聴いていて) やはり、この演奏は、体力的にはハードだ。演奏自体はいいのだが、体調がベストでないと、チェンバロの音が耳に刺さるし、全部繰り返すので持久力が要る・・・ (6:40)

  •   0
  •   0

小林道夫のゴールドベルクと一緒に、26日にAmazonから届いた。その日は疲れて早く寝たので、翌日の朝に聴いた。

早速聴き始めたら、最初の"Norwegian Wood"(編曲: リンオリヴェロス)などは意外に聴きやすかった。が、中盤の"All my Loving Resounded (All my Loving)"(編曲: 藤枝守)辺りから難解な曲が増えて来た。それへの拒否反応か、段々、モーツァルトやゴールドベルクが頭の中で鳴ってきた。。。

ただ、後半の"She's Leaving Home"(編曲: 高橋鮎生)は美しいし、聴きやすかった。この曲は難解にならずに無事終わった。最後の"The Walrus in Memorium (I am The Walrus)"(編曲: テリーライリー, 参考: 別の方の演奏)は、どうしてか、昔教えて頂いたピアノの先生の曲や音に通じるものがあるように感じられて、何となく懐かしかった。

全体としては悪くはなかったが、「やっぱり、現代音楽は難しい。」 その時は、このシリーズはこれ1枚だけで充分だと思った。が、今はもう少し(他の盤も)聴いてみたい気もする。実際、それから2回くらい聴いた。

ちょっと思いついただけだが、現代音楽が難しい(分かりにくい)のは、作曲者の理論(人為的な要素?: といっても、実際には、芸術は全部人為である)が多くて、聞き手の感情に直接訴えるものの比率が少なくなっているからなのかも知れない。「理論」と書いたが、実際には作曲者の感情を表しているのだろう。ただ、その表現が複雑だったり新し過ぎるために、聞き手に知識を要求しているのではないか。要は、文章のようになっているのではないか。

余談:

このCDはマーケットプレイスの中古だったが、運良く、程度は問題なかった。PCへの取り込みも速かったが、CDDBの情報は日本語のしかなかった。発売年が不明だった(裏ジャケットと盤面の表示は1992年だが、調べると、この年は再発だった)が、紀伊国屋や国会図書館のサイトで1990年と分かった。ただし、再発の際にタイトルが変わっていて(アルバム画像を探していて気付いた)、初回は"HYPER BEATLES 2"だった。曲目は同じなので、タイトルだけ変えたのだろう。それで、ここでは新しいタイトルと最初の発売年を採用した。

CDDBの件は、日本で出たアルバムだから、曲名が日本語なのはそのままにしようと思ったが、ブックレットでは英語表記が先なので、英語に直した。すると、スペルミス("baird")や曲名誤り("I’m am the Walrus")が見つかった(取り消し線が誤り)。どちらもちょっといただけないが、高橋がうっかりしていたのか、レコード会社の担当者がいい加減なのか。前者は、裏ジャケットは正しく、ブックレットが間違っていたので、担当者の問題だろう。後者については、ビートルズの日本盤を出した会社なのだから、もう少しちゃんとして欲しいが、まあ、そんなこと言っても関係ないだろう。

ジャンルを設定しようと、「現代音楽」を調べたら、"Contemporary music"だとポップスのようだし、僕のプレーヤ―(gmusicbrowser)のポップス/クラシック分類の設定だとポップスに分類されそうなので、次に適当だった"Contemporary classical music"から、"Contemporary classical"に設定したのだが、矛盾しているような気がした。まあ、"classical"には「古い」以外の意味があるから、いいのかも知れない。と思ったのだが、やっぱりおかしい気がするので、"Contemporary music"に直した。が、これにしたって、新しく作られた音楽は全部contemporaryなはずで、何とも不思議な用語ではある。

  •   0
  •   0

前の投稿の追伸で上のように書いたが、それについて少し書きたくなったので、まとめるのは無理かも知れないが、書いてみる。

何を言いたかったかというと、音楽は、YouTubeなどに投稿して、比較的多くの人の感想を得ることができるが、文章はなかなかそうは行かないということだ。

もちろん、YouTubeだって、投稿しても観られず(聴かれず)コメントが付かないことは多いのかも知れない。が、文章は更に少ないように思う。まず、投稿する場所は、ブログか同人誌的なサイト程度だろう。どちらも、知らない人の目に留まることは少ない。投稿しても、読まれるとは限らない。読まれても、理解されるとは限らない(逆に、理解されないことの方が多い)し、読んで筆者の意図を理解するには時間も労力も知識も要る。

実際には、音楽だって、作者や演奏者の意図を理解するのは難しい。が、最初の一音で、その演奏がいいか悪いか(実際には、多くは、「好きか嫌いか」)分かることだってある。一方、(絵文字・顔文字や写真やイラストなどなしで)文章だけで、最初の一文字(あるいは、ぱっと見)で「すごい!」とか「好き/嫌い」と思われることは皆無だろう(ぱっと見で、「長いから嫌」はあるか)。だから、音楽は文章よりは聴かれてコメントを得る可能性が高いのではないか。

他には、音楽だと、途中までは無意識に聴き流していて、あるところでふと「いい」と思うことは多々あるが、文章だと、途中まで無意識に読み進めて、ある一文で唐突に「おもしろい」と思うことは、まずないだろう。

それから、音楽がすごいのは、国や時代が関係ないことだ。もちろん、国や地域、時代ごとに音楽は違うが、聴くのは全く可能だし、楽しむのにも問題はない。が、文章は全くそうではない。知らない言語の文章は全然読めないし、昔の文章を読むのも困難だ。そういうところが、文章の悔しいところだ。

そして、最初の一文字で「すごい!」と思われる文章はあり得るのかとか、「文章のYouTube」はどういうものなのかとか、国(言語)や時代が関係ない文章はあり得るのかとか、そういうおかしなことを考えている。(草稿: 2016/12/27 22時頃)

最後の段落について今思ったのだが、考えを、言語を使わず、文字で書かず、何か別の、「考えの塊」のような形態で記録して、何らかの方法で読めるようにすれば、可能になる気がする。例えば、物理的にはQRコードとか無線タグのようなものだ。それを見る(スキャンする)と、一瞬で考えが伝わって来るのだ。ただ、果たしてそれが「文章」と呼べるかは疑問だ。が、文章だけでなく、音楽を含むあらゆる表現の手段(メディア)になれるような気がしてきた。

  •   0
  •   0