Archive for the ‘音楽’ Category

数日前に、思い出した時にやっている、Amazonの物色をした。当然ながら、お気に入りのバンド(ビートルズ、クイーン、ELO、カーズなど)の目新しいアルバムはなかったが、なぜか、グールドを思い出して検索してみたら、このアルバムも出てきた。

確か、彼のベートーヴェンの3大ソナタを探した時に一緒に見つかったのだったか。グールドのモーツァルトは、ピアノソナタ全集を持っているが、いくらモーツァルト好きな僕でも(/だから)、まず聴きたくならない代物で(というのは少し言い過ぎだが、聴いていてとにかく引っ掛かるので)、この曲も全然期待していなかったのだが、なにしろ、短調の曲で、好きな24番だし、彼がたった一曲だけ演奏(録音)したモーツァルトのピアノ協奏曲ということなので興味が出て、YouTubeで試聴してみた。

そうしたら、やっぱりピアノは癖(いわゆる、普通でない弾き方)があって余り好きでないが、意外にオケがいい感じだったので欲しくなり、注文した。それから、ベートーヴェンの3大ピアノソナタも欲しかったので、同時に注文した。ソナタも聴いてから注文しようと思っていたのだが、この曲への興味が大きかったので、すっかり忘れてしまった。

注文してから、やっぱり、ソナタを確認したくなって、YouTubeで「悲愴」を聴いたのだが、イマイチだった。AmazonやYouTubeのコメントにあるように、速過ぎるし、ただ弾いているだけで味がない感じだ。「月光」も速過ぎだ。

それで、ソナタはキャンセルした。すると、協奏曲1枚だけだと安くて送料が掛かって割高になるので、(少しだけ高かったが)HMVに注文し直した。ポイント利用で約930円(ローソン受け取り)だった。

さっき受け取って来て、今、聴いているのだが、既に聴いているので印象に大きな変化はないものの、いいと思っていたオケが、若干不自然というか堅い箇所があって(特に最初の頃)、少しがっかりした。ピアノは、やっぱり、「いい」(正確には、僕好み)とは言えない。味がないというのだろうか。モーツァルトにしろベートーヴェンにしろ、彼は何を思って演奏したのだろうか? 彼のバッハも、本当に詳しい人が聴くと、がっかりするのだろうか? (昔、そんなことを読んだ気もする) もしそうだったら、彼は、一貫して「彼の音楽」をしていたということになる。それはそれで、すごいことだと思う。

併録はシェーンベルクのピアノ協奏曲だが、こっちは、(昔は、訳も分からず「浄められた夜」などを聴いていたものの、全然分からないので、)いつ聴くか定かではないw

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ある朝、毎日チェックしているHMVのwebのその日の特売に、このアルバムが出ているのを見付け、何となくおもしろそうだと思って、演奏者のサイトのデモ(→ "Bilder einer Ausstellung")を聴いてみたら、(ピアノは余りうまくないようだが、)演奏が楽しくていい(特に、パーカッションがいい)感じだった。以前から時々思っていたが、僕はパーカッションが好きなようだ。曲も「展覧会の絵」で馴染み深かったので、注文した。貯まっていた100ポイントを使って約1700円だった(特売というほどには安くはなかったが、値段はどうでも良い)。

それを今朝受け取って、早速聴いてみた。(以下、締めの手前までは、ほとんど日記からの転載である。)

全体的には、パーカッションがある分、軽い乗りでとっつきやすく、聴きやすいのだが、意外に音(低音)に迫力があっていい。最初がグロッケンシュピール(鉄琴, ビブラフォン?)なのがいい。2曲目(「小人(グノーム)」)での急変は良い(2回目に聴くと、曲間を詰めて欲しいと思う)。デモで感じたように、ピアノはすごくうまい訳ではないが、ちゃんと弾いている。やっぱり、パーカッションがあるのがいい。

「テュイルリーの庭」などでハイハットが使われているのは、ポップな感じになるが、それがなかなかいい感じ。「ビドロ(牛車)」の迫力は、軽目ではあるが、やり過ぎていない感じで、却っていい。「卵の殻をつけた雛の踊り」はもちろん可愛く、ひよこの姿が目に浮かぶ。パーカッションのお陰だ。(そういえば、HMVの広告でもここを褒めていて、それで興味が湧いた。)

「カタコンベ - ローマ時代の墓」などのシリアスな部分はピアノが担当している。「キエフの大門」の端正さとか「カチっ」とした感じもピアノ。最後の方の迫力も、パーカッションのお陰で、それなりに※出ている。

※ラヴェル編曲のオケ版に比べれば、さらっとした感じで物足りなく、大迫力ではない。迫力の点では「ビドロ」の方が上だ。ただ、元々はピアノ曲なので、ラヴェルのは気持ちいいんだけど、やり過ぎなのだと思う。

ピアノとパーカッション、なかなかいいコンビネーションだと思う。大き過ぎず小さ過ぎず、軽過ぎず重過ぎず、この曲では一番好きなアレンジ・演奏だ。

ただ、このグループのコンサートはどうかなと思った。小さいホールならいいと思うが、大ホールでは、期待する迫力は得られなさそうだ。が、そもそも、このグループは楽しさや気軽さが売りなのだろうから、迫力を期待するグループではないのだ。が、CDの演奏の迫力が心地良かったので、なぜか期待してしまうのだ。

2曲目のラヴェルの「ラ・ヴァルス」は、やっぱりおもしろくない。。。 最後の「ボレロ」はイマイチ。頭の木琴か鉄琴かピアノがくすんだ音で余り綺麗でなく、乗れない。中盤も何となく物足りない・・・ メロディの演奏に「かっちり感」がなく、音がくすんでいるからか。バックグラウンドの小太鼓(スネア?)の音がもう少し大きければ良かったのかも知れないし、ピアノの技術が不足しているのも、関係あるかも知れない。この曲ではピアノ2台の意味(価値)を感じない。逆に、微妙なズレを感じて逆効果だ。終盤はようやく迫力が出てきたが、元々単調な曲なので、長く感じてしまった。。。

後の2曲は入れない方が良かった。

と、散々持ち上げておいて最後は奈落に突き落とすような感想になってしまったが、聴きながらリアルタイムに書いたので仕方ない。似たようなグループは多そうだから、ここに限らず、こんなコンサートがあったら行ってみたい気はした。そういえば、昔、ピアノの先生の関係するコンサートで、ピアノの他にパーカッションも入っている曲(「ウエスト・サイド・ストーリー」)で、(ピアノを溺愛し、最高の楽器だと思い込んでいるにも関わらず、)パーカッションを気に入ってしまっ(て、微妙な敗北感を持っ)たことを思い出した。

 

注: 曲の題などは、アルバムにはドイツ語と英語で書かれていたが、Wikipediaに掲載されていた日本語訳を使用した。なお、「展覧会の絵」の副題は、曲の区別のために記号的に使用しているもので、僕は、ほとんどの曲で、副題の意味と曲の内容を関連付けて聴いていない。

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(昨日の続き) PCに取り込んだ曲に購入日を記録したら、取り込んでいないアルバムが見つかったので、取り込んで聴いてみた。取り込んでいない曲は、ショパンが多かった。それから、ラヴェルやストラヴィンスキーだった。他に、シェーンベルクやバルトークなどもあったが、そこら辺は聴く気がしなさそうなので、取り込まなかった。

まずは、20年以上前に新潟で買って、持っていることを忘れていた、アラウのショパンのピアノ協奏曲 第1番(1972)。掛けてすぐに、ピアノもオケも少しわざとらしく(「とてもロマンチック」とか「分かりやすい」とか「癖がある」とも言える)感じた。聴き続けたら慣れたが、わざとらしさは消えなかった。前にもわざとらしいと思った人が居て、それがアラウかと思ったが、別人のようだった。ピアノもオケも技術はすごいと思うのだが、好みではない。といっても、途中で止める気にもならないので、全く気に入らないのではなく、それなりにいいとは思った。

慣れたせいか、同じアルバムの第2番は、第1番よりは良さそうに感じた。

次は、ピレシュのショパンの前奏曲(1994)を聴いた。大胆・ダイナミックで、いかにも平凡ではなく、いろいとなところで「ハッ」とした。それがいいと思った。ただ、当時(アシュケナージを好んでいた)は、この普通でないところが気に入らなくて聴かなくなったのかも知れない。

その後、アルゲリッチのショパンのピアノ協奏曲 第1番(1968)を聴いてみた。聴く前から(彼女の凄さに)身構え、かつ、僕のこの曲のイメージとは違うので期待もしていなかったのだが、とても意外なことに、素直で良かった。そして、さすがに、アルゲリッチの演奏は見事だった。ショパンコンクールのすぐ後なのに(だから?)、技術はもちろん、音がすごく綺麗だった。

ちなみに、このCDは、確か、別の同じ曲のCD(ラローチャ他のもの(1972, 1974))が、当時使っていたDVDプレーヤーで再生エラー(音飛びだったか)が起こるので、メーカーに問い合わせたら、いろいろ調査してもらい、最終的にそのCDに問題(記録エラーだったか)があるせいだということが分かり、親切なことに、調査結果と一緒に「代わりに」送ってもらったものだ(もちろん、問題のCDをその会社から買っていた訳ではない)。

ちゃんと調査してくれただけでも充分なうえに、その気持ちはとてもありがたかったのだが、クラシックでは、同じ曲でも演奏者が違ったら「同じ」とは言えず(実際はそうでもないことも多いか)、特に、アルゲリッチはこの曲とはイメージが違っていたので、ずっと聴かずに居た。それが20年くらい経って日の目を見たのだ。なお、問題のCDは、しばらくは我慢し、その後PCで聴くようにした時に取り込めたので実害はなかったのだが、十年くらい後に同じアルバム(ただし、品番やジャケットは変わっていた)を買い直した。

ちなみに、その親切な会社は、先日オーディオについて貶した、パナソニックである。製品の方向性の良し悪しや技術力はともかく、パナの製品を使っていると、ユーザーの立場に立とうとしていることは分かるので、日本の家電メーカーが次々と没落している中で、最後の砦になって欲しい。とはいえ、もちろん、いい製品・メーカーがあれば使うだけで、パナに執着することはないが。

第2番(1978)も同様に良かった。僕のアルゲリッチのイメージは「普通でない」で、そこがいいのだが、そのせいで長らく敬遠していた。また試すのもいいと思った。あと、前奏曲(1977)も聴いたはずだが、いろいろ聴いたせいか、余り記憶にない。

ラヴェルは何枚か聴いた。まず、スラットキンの(1980)とマゼールの(1984)のボレロを聴いた。スラットキンのは普通だったが、マゼールのはなかなか音が聞こえず、ボリュームを少し上げても聞こえず、4分経っても音が聞こえなかったので、「随分すごいクレッシェンドだなあ」と思っていたら、アンプがOffだった。。。 Onにしたら、最初からちゃんと聞こえた。マゼールは分かりやすい系なので、ものすごいクレッシェンドなんてする訳がないのだ。

同じマゼールのアルバム中のラヴェルの管弦楽曲(1984)は、(僕には)やっぱり退屈だったので、途中で止めた。やっぱり、ラヴェルなどは苦手だ。。。

更に、アシュケナージのショパンの前奏曲(1961-1997)まで聴き出したら、さすがに飽きたので、途中で"Get The Knack"(1979)に切り替えたら、とてもしっくり来て、「これだよ!」となったw

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少し前にふと思い付いて、前の日曜辺りから始めた作業が、今朝終わった。それは、CDなどからPCに取り込んだ曲のファイルの中(タグ)に購入日を記録するものだ。

PCに取り込んでいるアルバムは全部で800組くらいあるので、かなり大変だとは思ったのだが、気分転換になるのか現実逃避なのか、こういうチマチマした作業が好きなようで、他のもっと重要なこと(例: 掃除)を差し置いて始めてしまった。

なんでそんな物好きなことをしようとしたかといえば、以前、曲を聴きながら、そのアルバムを買ったのはいつか知りたくなったことがあった。僕は、購入日はブックレットの隅(昔は一覧表、その後は帯の裏)に書いているのだが、収納場所を節約するため、CDのプラケースを捨てて、本体(円盤)とブックレットなどを分離し、本体はCDファイルに、ブックレットなどは押入れケースに積み重ねて収納しているため、簡単には調べられずに残念だったことがあった。一方、ダウンロード購入したファイルには記録するようにしていたので、CDから取り込んだファイルもそうすれば便利そうだと思ったのだ。まあ、実際には、いつ買ったかなんてそんなに頻繁に見るわけではないが、趣味なので自己満足のためにやろうとした。

購入日は、新たなタグを定義しないで、コメントタグに記録することにした。記録する書式を一定にしておいて、コメントタグに他の文字列が記録されていても機械的に(パターンマッチで)抽出できるようにした。実際の書式は以下のようにした。これに合わせて、ダウンロード購入したファイルの書式も変更した(数が少ないので容易だった。)。

"Purchased:" 年"/"月"/"日 "("メディアの種類")"
例: Purchased: 2013/7/7 (CD)

購入日を記録する手順は、以下のとおりである。

  1. ファイルに購入日が記録されていないアルバム(購入したもの≒レンタル以外)を探す。
  2. その購入日を調べる(ブックレット、帯または一覧表)。
  3. 曲のファイルのコメントタグに、上記の書式で購入日を記録する。
  4. 1に戻る。

なお、購入日を調べるのに、いちいちブックレットを探して見ていたのでは大変効率が悪いので、まずは以下の情報を使って、なるべくブックレットを参照しなくて済むようにした。

  • AmazonとHMVの購入記録
  • ブログの記述
  • 購入した時に撮った写真の日付

写真は、全部を最初から調べるのは大変なので、購入記録やブログや曲のファイルやアルバム画像の作成日で見当を付けた。

購入日を再生ソフト(gmusicbrowser、以下GMB)で簡単に表示できなければ、記録の有無の確認すら面倒だし、記録した意味がないので、ブックレットからの調査を始める前に、表示する機能を追加した。コメント中に記録されている購入日を抽出する仮想タグ、"Purchased"を追加した。抽出は正規表現という機能を使うのだが、Perlの正規表現はPHPのとは少し違うようで、なかなか手間取ったし、GMBの内部の資料などなくて難解なので手こずった。

その仮想タグを使うことで、GMBのファイル(曲)一覧ファイル(曲)情報に購入日が表示できるようになり、記録の有無を調べる時に、アルバムのタイトルや演奏者名の一部で検索すれば分かるようになって、効率が上がった。

約1週間掛かって作業が終わった。懐かしいアルバムがあったりしておもしろかったけど、大変で結構疲れた。そして、購入日の記録のないアルバムが約30組残った。思い出深かったり、好きなアルバムがあるので(例: ビルスマのバッハの無伴奏チェロ(1992)、森高の"Do the best"(1995))、分からないのは残念だ。買った時に記録するのを忘れたのだろう。大体の年は分かる(デジカメを買う前、1990年代に多そうだ)のだが、それ以上はどうにもならない。ただ、昔の日記に書いてあるかも知れないので、気が向いたら調べてみたい(とはいえ、手書きだから検索なんてできないし、真っ黒な「黒歴史」の塊なので、正直なところ、あまり見たくはない・・・)。

それから、PCに取り込んでないCDが結構あった。CDプレーヤーを止め、本格的にPCとiPodで音楽を聴くことにして、プレーヤーソフト(当時はWinampを使っていた)でCDを一気に取り込んだ時(2008年頃)の好みで選択したからだ。それまで「変な」(≒奇をてらった)曲を訳も分からず聴いていたのの反動でモーツァルト系・正統派に移行しつつあったのだろう、近代の曲を避けていたようで(今もそうだが)、特にストラヴィンスキーやショパンやラテン系、演奏者ではブーレーズやアルゲリッチを冷遇していた。変な曲は、例えばストラヴィンスキーのバレエ音楽が好きだったので、「春の祭典」などの有名な3曲は何種類も持っていたが、その時は「1種類で充分だ」と思って取り込んでいなかったのだ。更に、「ボレロ」なんて2種類も持っていたのに、1枚も取り込んでいない有様だ。

持っているのを忘れたアルバムもある。アラウのショパンのピアノ協奏曲 1,2番(1972)やピレシュ(ピリス)のショパンのピアノ協奏曲2番と前奏曲(1994)などだ。結構意外なので、聴きたくなって取り込んだ。アラウは、ブックレットには新潟で買ったと書いてあった。1990年代に妹の用事で行った時の空き時間に買ったようで、懐かしかった(取り込んで早速聴いたのだが、この稿は長くなったので、感想は別に書くことにする)。それにしても、なぜアラウのショパンを選んだのか、当時の自分に聞いてみたい気がする。

ピレシュのは、いつなぜ買ったのかすら記憶にないし、なぜかブックレットすらない。そもそも、彼女は近頃モーツァルトで好きになったと思っていたくらいだから、不思議だ。

もっと不思議なのは、(実体が)行方不明になった何組かのアルバムのうちに結構好きで良く聴くアルバムもなかったことだ。ドラティの「くるみ割り人形」(1976)だ。ファイルはあるのに、何度探してもブックレットが見つからないし、ディスクもない。初期の頃に買った気がするのだが、実はレンタルだったのか、人に貸してそのままになっているのか。そういえば、アルゲリッチの「子供の情景」もそうだったので、先日買い直した。何とも腑に落ちない。ちゃんと調べたい気がする。

(7/30 15:47 追記) その後、いろいろ調べたのだが、「くるみ割り人形」も「子供の情景」も、アルバム画像の日付から、音楽再生をPCに移行した時期に、他の多くのCDと一緒に取り込んでいたことが分かった。つまり、レンタルではないことが分かった(沢山取り込んでいる最中に、わざわざ借りて来るほど暇じゃないので)。確実に自分で持っていたのだ。だから、その後、この十年以内に、誰かに貸したかあげたかしたようだ。引っ越しの時になくなった可能性もゼロではないが、まあ、考えられない。という訳で、相手が思い出せない以上、「諦めたほうがいい」という結論になった。また買おうかなw

 

PS. 作業中に発見した懐かしい物:

カセットラベルは、それ自体とポリス("Don't stand so close to me '86"?)が懐かしかったのだが、ふと裏を見たらサロネン(指揮者)で、当時は全く興味の対象外で名前すら知らなかったのに、この数十年で好みが(表から裏に)移行したのがおもしろかった。CDカタログは今でもあるのだろうか。スマフォの画面でのアイコン一覧で置き換わっているのだろうか。

PS2. ちょっとした集計: アルバム購入数の遷移

  • 1970年代: 3 (27)
  • 1980年代: 105 (16)
    • 1980-84: 22
    • 1985-89: 83
  • 1990年代: 204
  • 2000年代: 217
  • 2010年代: 218

現在、PCに取り込まれていて、音源として使っているアルバムを購入した組数※を、10年ごとに集計した。()内はLP→CDなどで買い直したため、音源としては使っていないアルバムの数。

※集計は原則として組数だが、昔取り込んだ複数枚組のアルバムで、各ディスクが"Disk 1, 2, ..."のように分離したアルバムになっている場合があり、それは誤差になっている。

CD時代になってからペースが上がった感じ。やはり、手軽に聴けるのはいいのだろう。社会人になってからは、不思議と約20組/年のペースを保っているようだ(特に何も制限せず、欲しいアルバムを買っているのだが)。

ちなみに、今年は単体のアルバムを収めたボックスがあったせいか、既に23組になっている。

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ストレス解消に聴いている、ベートーヴェンの3大ピアノソナタ(「悲愴」、「月光」、「熱情」)。

美しい。その音はクリスタルガラスのように透明だ。しかも、巨大な城のようにダイナミックだ。更に、細部まで手を抜かずにきっちりと作り込まれているのだから、恐ろしい。

ベートーヴェンは余り聴かないのだが、本当にすごいと思う。モーツァルトは宝だが、彼は偉大な職人だろうか。これが思いっきり(フルパワーで)弾けたら、どんなに気持ちいいことだろうか!

 

PS. このJohn O'Conorのアルバム(1990)は、以前はピアノらしい音が出なかったのだが、近頃は大丈夫になった。グライコなどの設定がうまく行っているのかも知れない。

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食事のBGMに掛かっている、モーツァルトのピアノ協奏曲(第21番、ピアノ: 内田)がすごく美しい! やっぱり、人類の宝だ。

聴くこと自体もそうだが、聴いてそう感じられることがすごく幸せだ。

別の曲だが、今掛かっている第24番(第1楽章)の美しさを例えて言うならば、「宝石箱のような」という形容が当てはまるかも知れない。でも、実際には、宝石と違って全く華美でないからいいのである。

(余談だが、だから、近頃は外食を余りしないのかも知れない。僕には、どんなおいしい料理より、聴きたい音楽を聴きながら食べる方が百倍いいから。そして、ご飯と彼の音楽と、どっちにするかと言われたら、音楽を取るカモw)

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暇だったので(歴史を調べたり、楽譜を見て脳内で演奏したくて)「モーツァルト ピアノ協奏曲」で検索してみたら、すごいブログが見つかった。吉松隆という作曲家が数年前まで書いていた「月刊クラシック音楽探偵事務所」だ(トップページは「バックナンバー一覧」になっているが、リンクはされていないので、右側の各年のリンクから見ること)。

不勉強なので彼の名前は知らなかったが、読んでいたら、結構有名な作曲家のようだ。そして、昔のTV番組の題(「題名のない音楽会」の「クラシックmeetsロック/新作! プログレ交響組曲」の回)に見覚えがあって調べたら、録画していた。ただ、おもしろそうだとは思ったのだが、ELPは全然聴いたことがないし(「『タルカス』って何?」状態)、興味もなかったので、録っただけで観ていない気がする。

もう、何から紹介していいか迷うほど、ためになるし、おもしろい。今まで自分が疑問に思っていたことの(彼による)回答が得られたり、自分の思っていたことが間違ってなかったことが分かったりして、うれしくなって読み耽ってしまった。読みながら、おもしろいところを抜粋して自分にメールで送ったのだが、最終的には3千文字を超えた。

ただ、「音楽大好き!!」な(コアな)方じゃないと、そのおもしろさは分からなそうなので、本ブログの読者のごくごく一部の方にしか受けない気がするw

そこから、ひとつの話を引用したい(「これが一番おもしろい・ためになる」ということではなく、あくまでも一例として)。

2012/03/10 「面白がる目・面白がれる耳」   「面白がれる人生」より:

世の中には「面白いこと」と「面白くないこと」があるのではない。
面白がれる目や耳を持って「いる」か「いない」か、だけなのだ。

だから、表現者たちが心がけるのは、「面白がらせる」ことではない。「面白がれる」視点を与えること、それに尽きる。「楽しませる」のは大事だけれど、単なるプリミティヴ(原始的)でストレートな「面白さ」だけでは、世界は広がらない。

なるほどと思った。表現する側の気持ちが分かって、すごくためになった。そして、僕の日々のいろいろなことの楽しみ方が間違ってなかったことが分かって、うれしくなった。そして、TVなどの、「(プリミティヴな=表現の域に達していない、)普通のおもしろいこと」が、僕にはおもしろくない理由も分かった。

ひとつといいつつ、もう一個:

2011/07/10 「夏休み特集1〈音楽のもうひとつのチカラ〉」より:

書いた当の作曲家としては,自分の作品を勝手に(イメージとぜんぜん違う方向で)使われるのは、まあ、心中穏やかではないが、「音楽」というのはそもそもそういう(敢えて言えば「XXとハサミは使いよう」な)処があるのも事実。

これは、変な言い方をすれば、例えば自分の「娘」がテレビや映画に「女優」として出て、配役としてヒロインならぬ悪女をやったり宇宙人をやったりするようなもの。
知らないでテレビを見ていた父親が、ギョッとしようが「イメージが違う!」と驚こうが関係ない。それに似ている。

(もっとも、父親の中には激怒して仕事をやめさせる人もいるし、作家の中には激怒して抗議に及ぶ人もいる。作ったものの権利と言えば権利だが、世に出た作品は(娘でも音楽でも)もはや作家の所有物ではない。手元に置きたいのであるなら、公表しないことだ。)

まったく同感だ。芸術作品ではないが、ソフトウェアもそういうところがある。一旦リリース(手放)したら、どう使われようと文句は言えない。「なんで、そんな想定してなかったふうに使うかなー!!」って、グチはこぼすけどねw

更にもう一個(という具合に、おもしろい話が山ほどある):

2013/03/10 「音楽家(作曲家)になるには・なれれば・なれたら」  「一万時間の法則」より:

確かに「仕事」は休みが必要かも知れないが、「生きる営み」に属するものは…例えば「呼吸」にしろ「食事」にしろ「子育て」にしろ「農作物作り」にしろ、「休みなし」が基本。「音楽」も同じだ。空気を吸ったり食べ物を食べるのに「週2日の休み」を取る人など聞いたことがない。そもそも「休む」という意味が分からない。

(略)

「毎日毎日寸暇を惜しんで休みなく(あるいは24時間でも足りないくらい)」でようやく音楽家を目指すレベルの「好き」だと言える。

(略)

しかも、これは「一所懸命」でも「努力」でもない。

毎日食べたり飲んだり空気を吸ったりするのを「一所懸命」やるわけではない。同じように、毎日休まず音楽をやるのは「生きるのと同じ」であって、それが「自然」だからだ。

すごく納得した。やっぱり(才能・センスとか技術の問題を除いても)僕には無理だなあと思った(あ、でも、才能もセンスも技術もあったら、話は違うかもw)。でも、僕にとってのコンピューターは、そんな感じかも知れないと思った。

残念なのは、どうしてか(提供主のJapan Artsとの契約が終わったからか)、このシリーズは終わってしまっていて、今のブログは普通のブログになってしまっていて、ここまで読み応えがないことだ。あのページがいつまで残るのか、心配だ(削除するのなら、出版して欲しい)。でも、彼のホームページにはいろいろ読み物が載っているようだから、読むのには事欠かなそうだ。

 

PS. ちょっと変な・おもしろいことを書けば、僕は、おそらく、彼の音楽は好きにならないだろうと思うことだ。彼の考えにはすごく同感できるけど、作品に共感はできないと思う(実際、彼の作品の題を見ても、聴きたいと思う曲がない)。これは、「作者の性格や人生と作品は無関係」の流れかなと思う。あるいは、同じ大きな枠の中に居ることは確かなんだけど、その中で向いている方向が違うというのか。まだ聴いてないから知らんけどw

調べたら、彼の作品を持っていた。といぼっくすの「あのころ・・・ ~日本のマエストロたち」(2000)というアルバムに、「プレイアデス舞曲集」の曲が入っていた。これから聴いてみて、感想を追記したい。ただ、このアルバムは、知らずに聴いている時でも余りおもしろくなかったので、やっぱり、好きじゃないんだと思う。

(6/15 4:02記) 昨夜、「あのころ」に入っている5曲全部を聴いたが、やっぱり好きではなかった。本人は現代音楽の異端だと言っているが、やっぱり現代音楽的だし(確かに無調などではないけど、頭が現代音楽なのかも知れない)、こう言うと悪いけど、スケールが小さい気がするし、透明度が低い感じもした。そもそも、彼の曲は題が良くない。説明が過ぎている気がするし、興味をひかない分野の単語ばかりだ。

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今朝、先日注文して忘れていた、ラローチャのラフマニノフのピアノ協奏曲 第3番(1976)のCDをコンビニで受け取って来た。

PCに取り込んで、一応聴いてみたら、やっぱり遅い。良くこのスピードで弾けると思うくらいだ。第3楽章なんて、遅くてまどろっこしいくらいだった。。。どうしてか、以前YouTubeで聴いたのと少し印象が違っていた。今日の気分のせいだろうか。

まあ、遅いのは納得して買ったので、仕方ない。いつか好きになる日も来るだろう。次に、折角なので、併録(1973)されたハチャトリアンのピアノ協奏曲も聴いてみた。

イントロが大げさで好みでない。グリーグとかチャイコフスキー的だと思う。中身はプロコとかショスタコ的だと思った。演奏以前に、曲が今の自分には合わないので、第1楽章の途中で止めた。

聴きながら、彼について調べてみたら、3人とも同じソ連の同じ頃の人たち(「ソヴィエト3巨匠」)で、「プロコとかショスタコ的」は背景的には合っていたようなので、自分に少し感心した。

PS. プロコフィエフもショスタコーヴィチも、クラシックを聴き始めた頃には結構聴いていた。昔は、当時の知り合いのクラシック好きの人の話に出て来たり、好奇心のせいか、変わった(変わっていそうな)曲をいろいろ試していたのだ。だからそういう作曲家の作品の雰囲気が記憶に残っていて、上のような感想が出たのだろう。

なお、どちらの作曲家も、「あの人」とは思うものの、なかなか名前が出てこなかった。プロコは、最初は「ベルリオーズ」が出て来たw

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金曜に姪から誘いのメールをもらって、昨夜、妹の家に行った。どういう訳かは分からないが(たまたま姪が帰省した程度だろう)、夕食をごちそうになった。

そこまではいいのだが、姪の言動にブチ切れる寸前だった。彼女は、無事、いい加減でミーハーでわがままな、僕とは全く相容れない最低な人種に成り下がっていた。

話の端々で、知り合いに有名人の知り合いが居るとか、住んでいる部屋の近くに有名人の住む高級住宅街があるなどどか言っていた。そこまでは、良くある田舎者の話なので、「へえ、良かったね」だが、"so what?"だ。(以前、芸術関係のすごい目標を言っていたが、)自分は何をした・しているとか、これからについてどう考えているとかいう話は全くなかった。

ひとつだけ、子どもの頃に所属していた団体の発表会に出るという話をしていたが、呆れた。笑止だ。「プロなの(を目指している)に、今更何やってんの?」って感じだ。先輩風を吹かせていい気になりたいのか。現役の子どもの出番を減らしてもいいのか?

都会に出て感化されてしまったのか、有名人の名前を言えば、こっちが「へえ、すごいねー」などど感心して、本人がすごくなったと思うとでも思っているのか。高級車を買っただけで、自分まで高級になったと思うアフォと同じレベルか。まあ、あれでは成功しないだろう。万が一成功しても、僕は認めない。

僕の持論は「表現者の性格や生き方と作品は無関係」だが、この場合は、表現物を評価する前に、親族として自分が被害を受けるので、許容できない。

それから、昔あげたPCが調子悪いとか言って来た。頻繁に使っていて、普段からちゃんと手入れしているのだったら分かるが、碌に使わず全く手入れせずにいて、たまたま使いたくなった時に調子が悪くて困るのは自業自得だ。しかも、「*ができない」としか言わない。プログラムの名前もエラーメッセージの文章も調べていない。

以前からそうだったのだが、調子が悪い時に対処してあげても、したいことができたら「終わり」であとはまた放置するので、全然助ける気になれないから、何も教えなかった。「すぐには直らないねぇ(自分で何とかしろ! まあ、できないだろうが)」と言っておいた。ちゃんと使う気がないんだったら、PCなんて捨てればいいのにと思う。会社にもそういういい加減な人が居て、すごくイライラする。

そして、最後がひどかった。自分で僕を呼んだのに、ツタヤに行くだの、友達と会う予定があるだのと、親(妹)経由で言って僕を追い出した。最初に自分で「今日はこういう予定があるから、*時まで」と言ったなら、まだ許せたが。。。これって、今の若者にだって普通とは思えない。妹のしつけが悪かったとは思いたくないが、それもあるのだろうし、成人しているのだから、本人の性格や、今までの生き方が悪かった(例: 周囲の親切を都合良く利用して来た)のが大きいと思う。

もう二度と、(妹だったら別だが)あいつに呼ばれても行かないし、何か頼まれても引き受けないことにした。彼女がそうするように、こっちには「こっちの都合」があるのだから、それを最大限に優先したい。

昨日は、ドライブに行って疲れていたけど、約束していたから行ったのだが、疲労と怒りをお土産にもらって帰宅した。イライラのせいか、頭痛がした。ただ、思い付いてベートーヴェンの「悲愴」(O'Conor)を聴いたら、嫌な気分が発散して、少しイライラが減った。まったく、いい曲・演奏だと思った。

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昨夜、いつものようにラフマニノフのピアノ協奏曲(もちろん、2, 3番)を聴きたくなったのだが、目新しいものが聴きたくなったのか、いつものブロンフマンではなく、死蔵している演奏を試してみた。

ジルベルシュテインの2番(1991)は、やっぱり駄目だった。なんか線が細いのだ。彼女は好きで、TVで放送されたライブ(1994, 1997)はかなり良かったのだが、スタジオ収録では好みの演奏がない。途中で、(死蔵しているものではないが、)ルガンスキーの3番と2番(2003, 2005)にした。彼はいつも良く感じるので、全部聴いた。

もちろん、作曲者やアシュケナージやアルゲリッチやグリモーや小山のはパスした。ガブリーロフの2番(1991)も聴いた気がするが、途中で止めた。

次に、リシッツアの2番(2012)を試したが、やっぱり駄目だった。以前読んだ音抜き疑惑のせいもあるが、なんか、自己主張が強過ぎて鼻につく感じだ。YouTubeのピアノソロ(オケなし)は良かったので、指揮者と充分に合わせてないのではないか? それで、アンスネスの2番(2005)に代えた。

彼の演奏は、買った当初は全然気に入らなかったのだが、どうしてか、昨夜はなかなかダイナミックかつシャープな感じで良かった。オケ(パッパーノ指揮、ベルリンフィル)もシャープだ。オケの音の入れ方がちょっと変わっていて、普通は聞こえない音が聞こえた。

今朝、引き続き彼の3番(2010)を聴いたが、(今となっては)問題なく、結構良かった。ルガンスキーに近い感じがした。弾き方の癖は強目だが、リシッツアのようには嫌味でない。指揮者は同じだが、収録年とオケ(ロンドン響)が違うせいか、音の入り方は普通だった。

アンスネスはルガンスキーと同じ頃に活躍した(今もそうだろうが)ので、きっと歳も近いのだろう。今となっては中堅なのだろうが、僕の中ではジャケット写真のような「若手(のイケメン)」のイメージがある。近頃(といっても、もう10年近く前のようだが)では、フレイがその位置に居るのだろうか。

演奏は、聴く時の状態やそれまでの経過によって印象が変わるのだろう。変わらないものもあるが、変わるものも多い。

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