Archive for the ‘音楽’ Category

昨日買ったアルバムの残りを消化、というと言葉が悪いが、感想をまとめて書く。

まず、「惑星」。僕はずっと好きな曲だと思っていたのだが、実はほとんど聴いたことがないのに昨日気付いた。アルバムを掛けて、最初の曲「火星」を聴いたら、曲順違いで一緒に入っている「スター・ウォーズ」かと思って確かめたのだが、間違っていなかった。全く曲を知らなかったのだ。

自分でレコードもCDも持っていないので、思い起こしてみると、中学の頃、友達にレコードを借りて聴いただけだった気がする(なんか、それも怪しい。もしかして、中学時代からレコードを持っていた「展覧会の絵」(ストコフスキー)と混同していたのか?)。でも、有名な曲だし、「木星」などはいろいろな所で掛かって聞き覚えがあるから、知っている気がしたのだろう。

メータとロサンジェルス・フィルハーモニックの演奏は、いいと思う。ただ、ほとんど知らない曲で、自分のイメージもなかったので、それ以上のことは言えない。とにかく、これから聴いて、曲を知る必要がある。

それにしても、「スター・ウォーズ」はこの曲にインスパイアされたのかも知れないな。

次に、ドミンゲス。彼は、ついに大衆迎合してしまったのだろうか? というか、もともと大衆的な演奏家なのかも知れないが、唐突に(これは彼らしい気もする)ビートルズのカバーを出し、演奏に彼独特の攻めとかキレがなく、単なる「ラテン風ビートルズ」で、BGMとかムード音楽的なのにはがっかりした。どうしたのだろうか? ネタ切れか老化か。次に期待したい。

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前にも書いたが、ラフマニノフの「鐘」が聴きたくて探したのだが、目当てのルガンスキーのは売られておらず、代わりに、ポンティのを選んだ。全く情報なしで、どこの誰かも知らずに勘とかイメージで選んだのだが、結構当たったと思う。

早速「鐘」を聴いたのだが、冒頭の迫力がすごかった。ルガンスキーの印象をすっかり忘れてしまった。

全体的にも、パワーやキレがあって乗れる。1曲目から聴くと、予想外にピアノの音が尖っていた。でも、(別の曲だけど)ポゴレリッチのようには尖り過ぎてはいない。スピード感もあって、いい感じだ。

6曲目、「4つの即興曲/1. アレンスキー 2. グラズノフ 3. ラフマニノフ 4. タニェエフ」の最初が、ちょっとおもしろくていい。これはどういう曲なんだろう? 4人の名前があるが、全員で作ったのだろうか?

そして、アルバムの最後の方の「サロン小品集」は、例によって難解になって来た(これが、ラフマニノフのピアノソロ曲が苦手な原因だ)。でも、演奏は鋭い。ピアニストとしては好きだ。

それから、最後の方の曲は、ショパンの勇ましい曲(ポロネーズだったか?)に似ていた。

録音は、曲によっては音が大き過ぎて音割れしていた感じだった。

PS. この演奏、オリジナルはVOXというレーベルで出たようなのだが、かなり調べても、オリジナルアルバムの発売年は分からなかった(それで、題には全集ボックスの年を書いた)。なんか不思議だ。

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この、1958年に行われたライブを収録したアルバムには何曲か入っているのだが、特に期待していて印象深かった「展覧会の絵」だけについて書く。

これは問題作だ(聴くのと前後してそういう批評か宣伝を読んでしまったからこういう言葉になったのかも知れないが、なんか「普通じゃない」、「すごい」感じがした)。

はじめは音が悪くてこもっていて、音が弱い感じもするので、決していい印象ではないが、段々、音の強弱が強烈になって来る。ちょっと聞くと、離れた所で録音しているように思えるのだが、実際にはそうでもない、不思議な録音だ。

「第1プロムナード」から「小人」につながるところの急変が、僕には一番のキモで、いい演奏だと「ゾクっ」とするのだが、残念ながらなかった。だが、途中でエンジンが掛かったのか、一気に走り抜けるような後半がいい。「ビドロ」や「第5プロムナード」のパワーや、「サムエル・ゴールデンベルクとシュムイレ」、「リモージュの市場」の迫力。

「カタコンベ」はすごい威圧感で恐ろしい。「死せる言葉による死者への呼びかけ」の弱い高音が綺麗だ(これは遠くからでは録れないはず)。「鶏の足の上に建つ小屋」のパワーと迫力がすごい。そして、最後の「キエフの大門」は大迫力・ノリノリの結末だが、どことなく落ち着く感じがした。

細かいことでは、わずかにミスタッチがある気がした。あと、観客の咳がうるさい。

きっと若い頃の録音なのだろうと思ったら、そうでもなくて、43歳頃だった。なかなかすごい人だと思った。

曲としては、ラヴェル編曲のオケ版は豪華絢爛だと思うが、その分冗長なところがあるので、それよりシンプルでパワフルな、こっちの方が好みだ。

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とても安心して聴けるモーツァルトだ。ゼルキン・アバド系だ(逆にこちらの方が先なのだろう)。他にも聴きたくなったが、発売されている彼のモーツァルトのピアノ協奏曲が少ないのが残念だ。

協奏曲第21番のピアノは、カデンツァと第3楽章の最初の頃の違和感(ゼルキンに慣れているせいだろう)以外は全く問題ない。ピアノの音の伸びが綺麗でいいが、オケ(イギリス室内管弦楽団, ECO)の弦や木管も美しい。

協奏曲第12番もいい。やっぱりオケ(ECO)がいい。ECOは内田光子のモーツァルトのピアノ協奏曲全集でも好きだ。僕は余り聴かない曲だが、曲自体もいいと感じた。こちらにはピアノの違和感は全然ない。

ちなみに、このアルバムのピアノは、パワーとは程遠い。でも、僕はいつもパワーを求めている訳ではなく、曲に合った(と僕が感じる)演奏がいいと思っているから、問題ない。モーツァルトの頃は今のピアノはなかったから、曲自体もその頃の楽器(フォルテピアノなど)の柔らかい・小さな音を想定して書いてあるだろうから、ラフマニノフのようなパワーでガンガン弾いたら(怖いもの見たさで、それも聴いてみたいけど)、やっぱり合わないと思うのだ。

PS. ずっと気付かなかったのだが、このアルバム(MP3版)は音が悪い。大きな音(特に高音の弦)が歪んでいる。レーベルは例のDeccaだ。何で今まで気付かなかったのだろう? やっぱりMP3は駄目だ。(2017/3/4 19:39)

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昨日ダウンロードで買ったアルバムは、既に大半を聴いた(今は、最後のポンティのラフマニノフを聴いている)。その中で、最も多くの感想が出たのが、このアルバムである。(余り歯に衣を着せませんので、ご了承下さい・・・)

全体としては、音が自然で綺麗ですっと入ってくるのがいい。が、ソフトで、音に気迫とか鋭さとかパワーに欠ける気がする。だが、そもそも、バレエ音楽はそういうものではないのだろうし、そういう弾き方の人たちでもないのだろうけど。実際、レコード会社によるアルバムの説明に「児玉姉妹の演奏はオシャレでゴージャス。」とあるように、リヒテル(「展覧会の絵」はすごかった)とは正反対な弾き方のようだ。

二人で弾いているのだが、ほとんどの曲でそうは感じなかった。良く言えば、息が合っているのに感心するのだが、悪く言えば、スケールが小さいのかも知れない。

以下、聴いていて書き留めた、細かい感想を書く。

「くるみ割り人形」の「行進曲」は結構いい。「金平糖」は、確かに、か細い高音がチェレスタに聞こえた。「アラビアの踊り」の小さい低音がオケみたいで、すごくいい。「中国の踊り」には結構キレがある。「トレパック」ではぶつかり合いが感じられて、いい感じ(でもやっぱりソフトではある)。「花のワルツ」は、とても綺麗で優雅で感動する。ただ、何度か繰り返される、「タララララ」と音が上がる特徴的な箇所(例: 2’34” → ちょっと長くなるので、最後に追記する)は、もう少し滑らかな方が好きだ。「パ・ド・ドゥ」はなぜか冒頭から「ぐっ」と来る。これはすごい。でも、ちょっとテンポが遅いかも知れない。最後は、もっとスケールを大きくできなかったか?

「白鳥の湖」の「情景」は美しい。が、弾き方に少しだけわざとらしいところがある。でも、結構乗れる。「ナポリの踊り」は最初は良かった。「ロシアの踊り」は前半は退屈だが、後半の躍動感がいい。

それから、全く意識しなかったのだが、このアルバムは、今月の15日に出たばかりの最新盤だったようだ。あと、オーディオ的な音は申し分ない。

PS. 「花のワルツ」の問題の箇所(好みでない例はこちら。でも、これはかなりいい感じの方)、YouTubeでピアノ版で僕好みの演奏をかなり(以前のラフマニノフのようにw)探したのだが、日本人のでは全然なくて、「ここはこういうふうに弾くものなのか」と諦め掛けつつも外国人のを探し始めた時、ふと右側のリコメンドを見たら、すごいペアのがあった。アルゲリッチとジルベルシュタインだ(下にも貼る)。演奏自体は若干(結構?)二人の同期に乱れがあるが、滑らかさは概ね(アルゲリッチが走っている感じだが)問題ない。それにしても意外な組み合わせだ(でも、どちらもパワー派なので、そうでもないのかも)。それでも、ジルベルシュタインが演奏活動を続けていたのが分かって、結構うれしかった。また来ないかな。

PS2. 調べたら、上の演奏は2002-2004年のルガーノ・フィスティヴァルでのようだ(正確な年は不明)。だから、彼女は今はもう活動してないのかも知れない。(10:27)

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クリスマスだからという訳でもないが、ずっと買うのを延ばしていた音楽アルバムを爆買いした。なぜ延ばしていたのかは大したことではないので、最後に書く。なぜ今日買ったのかは、とても欲しいアルバムが現れたとか、滞留数のしきい値を超えたとか、昨日のコンサートでパワーが増えたとか、年賀状を出して気分がすっきりしたとかだろうと思う。

今日買った・注文したアルバムは、以下のとおり。

  1. 高橋アキ "Get Back: Hyper music from Lennon & McCartney" (CD)
  2. 小林道夫 「バッハ: ゴルドベルク変奏曲 ~小林道夫の芸術II~」 (CD)
  3. ラドゥ・ルプー 「モーツァルト: ピアノ協奏曲第21番、第12番、他」 (MP3)
  4. ミヒャエル・ポンティ 「ラフマニノフ: ピアノ曲集 -1-」 (MP3)
  5. リヒテル "Live in Sofia" (MP3)
  6. メータ 「ホルスト: 「惑星」/ウィリアムズ: 「スター・ウォーズ」、他」 (MP3)
  7. ファンホ・ドミンゲス "Interpreta a los Beatles" (MP3)
  8. 児玉麻里 & 児玉桃 "Tchaikovsky: Ballet Suites for Piano Duo" (MP3)

直接のきっかけは、Haruさんが(間違いではあったが)コメントで教えて下さった高橋アキだった。現代音楽を中心にしているようだが、ちょっと調べたら、ビートルズの曲を現代音楽にアレンジしたのがあり、結構興味が湧いたのでYouTubeでちょっと聴いたら、やはり難解ではあったが、ピアノの音が綺麗だったので、とても聴きたくなった。

ところが、何枚かあるこのシリーズは全部廃盤のようで、MP3はもちろんなく、CDはAmazonマーケットプレースでは2-3千円以上の高値が付いていた。ところが、1枚だけ800円程度のがあったので、注文してみた。もし気に入ったら、ヤフオクで揃えようと思っている。届くのが待ち遠しい。

それから、昨日の小林道夫のゴールドベルクも聴き直したく・手元に置きたくなって、注文した。合わせると送料が無料になるのも効いた。

それで勢いが付いて、溜まっていたMP3の注文に走る。ドミンゲス以外はHaruさんのご紹介やコメントのやりとりがきっかけになったものだ。

ルプーは、お盆に実家でYouTubeで聴いた、モーツァルトのピアノ協奏曲23番が欲しかったのだが、発売されていないので、ひとまず21番で我慢することにした。

ラフマニノフは「鐘」が聴きたくて、YouTubeにあったルガンスキーの演奏が気に入ったのだが、発売されていないようだったので、聞いたことはなかったが、ポンティのにした。

リヒテルは、今日教えて頂いて、前にも書いたように、近頃気に入りつつあることもあって、「展覧会の絵」を聴きたくなった。これのいい演奏は、ゾクッとするので。

「惑星」は好きな曲ではあったが、今まで持っていなかったので、欲しくなった。いろいろな人のがあったのだが、「スター・ウォーズ」や「ツァラトゥストラはかく語りき」も入っていてお得そうな、これにした。

ドミンゲスは、ちょっと前にいつものように検索したら出て来て、買い物リストに入れてはいたのだが、試聴したらそれほどでもなかったので、保留していた。

児玉麻里 & 児玉桃は、昨日、Haruさんのブログで紹介されていて興味が出て、特に「金平糖の踊り」が聴きたくなった。試聴したら結構良さそうだったので、買うことにした。

全部で約12000円にもなったのは意外だった。一瞬どれか減らそうかとも思ったが、「クリスマスだし、まあいいか」と思い、そのまま注文した。MP3を6タイトルも一気に注文するとAmazonの中の人も慌てるのか、ダウンロードできるまでに少し時間が掛かったうえに、いくつかに分割されてダウンロードすることになった。最初はアルバムが全部でなかったり、曲数が足りないアルバムがあったりして、「サポートに連絡?」とちょっと嫌な気分になった。もう少し待てば、一回で全部取れたのかも知れない。

その後は、大量のMP3の整理(タイトル・アーティスト・年などの修正や再生ゲインの設定)が結構手間だった。ダウンロードと整理で1時間近く掛かったかも知れない。特に、ポンティのはコンピレーションなので、オリジナルの発売年が不明で、それらしい年を見つけるのになかなか手間取った。

やっぱり、これからは、ダウンロードとか整理とかをしなくて済む、オンライン指向のプレーヤーなんだろうなと思った。以前調べたら、そういうのは既にあるようだ。「聴き放題」サービスもその一種なのだろうが、特定の企業に固定してしまうし、毎月コンスタントに料金を支払うほど聴くのかとも思う(そもそも、宴会の生ビールじゃないんだから、量が多ければいいってもんじゃないと思うのだ)。聴き放題の中では、Amazonプライムは、それ程高くない料金で他のメリットもあるから得だとは思うが、Amazonは嫌いだ。

まだ全部を聴き終わっていないので、それぞれのアルバムの感想は追って書くことにし、最後に、なぜ延ばしていたかを書く。

  1. 本当に欲しいアルバムが売られていなかった。: フェドロヴァの新作(ラフマニノフのピアノ協奏曲3番)は未だに出ていないし、ワイセンベルクとプレトルのラフマニノフのピアノ協奏曲3番のCDは廃盤で入手困難だし(ちょっと前にヤフオクに出ていたが、落札でききなかった)、ルプーのモーツァルトのピアノ協奏曲23番は発売されておらず、モチベーションが上がらなかった。
  2. ドミンゲスの新作がイマイチだった。: 試聴した限りでは、ビートルズをBGM的にソフトに演奏している感じで、他のアルバムのような攻めとかキレが不足していたので、やっぱりモチベーションが上がらなかった。
  3. MP3の整理が意外に面倒。: 上にも書いたが、CDよりは楽なのだが、「ダウンロードして終わり」という訳でもなく、逆に面倒な気さえする。
  4. MP3はいつでも手に入る。: CDは「今買わないと売り切れるかも」という心配があるが、MP3は品切れになることがないので、「まあ、いつでもいいか」という気持ちになる。

 

PS. 今、リヒテルを聴いている。かなりいい演奏なのだが、残念なのは、曲間が一瞬切れてしまうことだ。「展覧会の絵」は切れたら興ざめだ。MP3のマスタリングが良くないのだろう。実は、CDの方が安かったのでどうするか迷ったのだが、これは失敗した。自分で修正できるだろうか。ちょっと、いや、とても面倒だ・・・CDを買おうか?

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昨夜帰宅したら、覚えのないAmazonからの荷物が届いていた。が、すぐに思い出した。妹が誕生日のプレゼントに送ってくれたCDだった。

余談: 本当は、リヒテルのラフマニノフのピアノ協奏曲第2番の入っているCDをお願いしたのだが、それにこの曲も入っていたので、(僕がこの曲も好きなのだろうと)気を利かせてくれて、それぞれが入った別々の2枚を頼んでくれたようで、その片方が届いたのだ。

出だしのオケ(カラヤン指揮、ウイーンフィル)がいい。リヒテルのピアノもいい。音に風格とか重さがあって、しかも綺麗だ。やっぱり、カラヤンとリヒテルの組み合わせのせいだろうか。まだ届かないラフマニノフの期待も高まる。

実は、(妹には内緒だが、)僕は冒頭のピアノがどうしてもコミカルに聴こえてしまう(好きな方には申し訳ないです)ので、この曲は余り好きでないのだが、これはちゃんと聴けた。冒頭さえクリアすれば、あとはいいと思う。が、今聴くと、第1楽章はちょっと長い気がする。まあ、これは作曲者の問題で、リヒテルには関係ない。

演奏には関係ないけど、冒頭のピアノがコミカルに聴こえる件について書きたい。昨夜寝る時に、その理由を考えたのだが、余りにも「いかにも巨匠的」だからだと思う。別の言い方をするなら、大衆受けを狙い過ぎたというのか。実際にはそれ程難しくない(弾けないので本当のところは分かりません)のに、すごそうに聞こえるからではないか。

それから、昔観たTVドラマ(確か、「少女に何が起ったか」)で、辰巳琢郎(今日調べるまで風間杜夫と思い込んでいた)が、コンサートでこの曲を弾いているシーンがあったのだが、それが「いかにも」(おそらく、音と演技が合っていなかったとか、和音で平行移動する腕の動きが何か変だった)で、コミカルに感じたせいもあると思う(実はDVDを持っているので、観れば確認できるのだが、ビデオは余り好きじゃないので、しない)。

そして、検索していて気付いたのだが、僕がピアノを好きになったきっかけは、このドラマにもあった気がする。小泉今日子が石立鉄男に「薄汚えシンデレラ!」と呼ばれたり、賀来千香子(あの頃は新人だった彼女も、もう50代半ばなのか・・・)たちにいじめられながらも、くじけずにピアノを熱心に練習したり、最初の頃は、北海道の寒村で紙の鍵盤で練習していたとか、かなり強烈だった。最後の方に出て来たベートーヴェンの「熱情」はこれで知った気がするが、パワフルな曲で印象深かった。他にも、このドラマで知った曲はあるように思う。原因は他にもいろいろあるが、一つはやっぱりこれだろう。

なお、古い録音だけど音は良かった。ダイナミックレンジが大きくて、小さい音は音量を上げないと聞こえにくいくらいだ(「聞こえにくくて、なんで音がいいのだ?」という本質的な話はあるが、非圧縮原理主義者とか理系人間とかオーディオマニア的にはそうなのである)。

演奏とは関係ないことが多くなったが、ちょっと前(Haruさんに教えて頂いた時)までは余り親しみを感じていなかったリヒテルが、好きになって来た。

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前回は6月だった。今日は、年代物ではあったが、生きのいいのが頂けて、新たなパワーが付いた気がする。僕の、「コンサート三昧シリーズ <復活>」 No. 4である。今日は、上野でバッハのコンサートを聴いた。

小林道夫 チェンバロ演奏会
J. S. バッハ: ゴルトベルク変奏曲 BVW 988 (全曲)
東京文化会館 (小ホール)

帰って来て、僕にはご飯よりも音楽の方が重要なことを再確認した。いつものように大げさに書くが、ご飯は食べられるけど音楽のない人生なんて、無意味だ。だったら、飢えても音楽を聴きながら死んだ方がいい。

全体的には良かった。大体の曲で乗れた。彼は、難しいであろう曲を実に事も無げに弾いていた。最後の方の一曲(第29変奏だったか)だけを除いて、実に冷静に弾いていた。そういうところが職人的だった。それは芸術的でないという意味ではない。昔かたぎの職人さんのようなイメージだ。大工さんが、ちょっとした家具をちゃちゃっと作る(けど、僕らにはできない)みたいな。

前半と後半の終わりの方で、少しミスタッチがあったのが、ちょっと残念だったし、あれ程の経験の方なのに意外だった(でも、僕の聴き違いかも知れない)。

何曲か、解釈に違和感があるところはあった。まあ、僕はグールドに毒されているので、仕方ない。逆に、そんな僕がほとんどの曲で違和感を感じなかったのが、意外だ。グールドも、実はそんなに異端じゃないのかも知れない。あるいは、「いいものはいい」のか。

後半の後半は、短い音が滑らかに素早く上下するフレーズが綺麗だった。が、ミスが少し増えて、わずかに荒れた感じもあった。あと、好きでない音(ポロポロした音。チェンバロは切り替えられるようだ)を使っているところがあった。

全体を通して、聴こえないスラーが感じられたのが、うれしかった。チェンバロはピアノよりも音が伸びないのだが、弾き方で、「ここは繋げてるんだな」と分かった。あと、込み入っているであろう楽譜の主旋律なり副旋律が「見えた」(気がした)のもうれしかった。

職人的な演奏を聴きながら、ちょっと深いことを思った。「彼は何のために演奏しているのか」と。彼だけでなく、音楽家は何のために演奏するのか、ちょっと知りたくなった。

想像するに、音楽やその作曲家や演奏するのが好き、自分の曲への理解や表現を人に聴いてもらいたい、人に何かを感じてもらいたいという気持ちがあるのだろうが、それだけでは続かないような気がする。

例えば、彼は、この演奏会を何十年も、毎年続けているのだ(実は、僕は20年以上前の今頃に、彼のこの曲の演奏会を聴いたことがある。その時の話は、覚えていたら後で書きたい)。同じ曲を愚直に毎年弾き続けるのは、一体どういう気持ちなのか知りたい。まあ、一言で言えば「ライフワーク」とかいう言葉になるのだろうが、もっと深い考えが知りたい。

そして、僕も、何のために音楽を聴くのか、ちょっと分からなくなった。例えば、普通に好きな曲を聴くのではなく、同じ曲を何人もの演奏者で何度も聴き比べて好みの演奏を探す(調べたら、ゴールドベルクは9種類も持っていた)なんて、どこからそれをやる気が出るのか、自分でも不思議だ。まあ、僕は自分が聴きたいように聴くだけなので、理由はどうでもいいのだが。

話は変わって、帰りの新幹線で読んだパンフレットに、興味深く、すごく同感なことが書いてあった。繰り返すフレーズの装飾についてだ。以下に、題と僕の理解した要旨を書く。

小林道夫 「飾れない話」 バッハの曲の繰り返しに、(オリジナルじゃなくて)自分なりの(勝手な)装飾を付けるのは、果たしていいのか悪いのか。

れんとの注釈: 繰り返しについて: バッハの頃の曲は、同じフレーズの繰り返しが出てくることが多い。それで、繰り返しの部分を2回目に弾く時は、ちょっと変えることが多い。装飾したりするのはその例。

そして、ある演奏家のCDを聴いたら繰り返しが鬱陶しくなったそうで、なるほどと思った。僕がいろいろなゴールドベルクのアルバムを聴いて、(グールドのようにカットせず)律儀に繰り返す演奏が苦手なのは、半分はそのせいかも知れない(残りの半分は、「同じフレーズはちょっと退屈」)。今は、それらが本当に装飾していたかいなかったか分からないのだが、そういうこともあった気がする。

今日の演奏会では、彼は、繰り返し部分は淡々と同じように弾いていた。それは飽きる面はあるのだが、自己主張が鬱陶しいのよりはいいと思う。実際、今日は繰り返すのを聴いてもそれ程嫌ではなかった。ただ、僕はグールドの演奏が好きなので、やっぱり、次のフレーズや曲にスパっと行かないで延々と繰り返されると、足を引っ掛けられたような気分になることは多々あった。でも、グールドが異端なので、僕が「普通」じゃないのだ。それに、繰り返してくれると、一回目に聞き逃した所がまた聴けるというメリットがあった。

以下、枝葉末節的な四方山話と写真を。

  • 出る前、早目に食べた昼食がこってりしていたせいか、少し気持ちが悪くなり、天気がいいから駅まで歩くつもりだったが、バスで行った。
  • 出る直前まで、上野で降りることを忘れていた(東京まで乗る気分だった)。
  • 珍しく、新幹線が遅れていた。信号故障だったそうだ。券売機がいくつか動いてなかったのも、そのせいだったのかも知れない。約50分遅れとか言っていて、それを待ってたら間に合わない気がしたので、折角指定席を予約して買ったのだが、早く来たのの自由席に乗った。
  • 結構混んでいたが、運良く座れた。先頭車のせいか、席が少なかった。でも、席の間が広い気がした。
  • 通路の向こうの列は看護師のお嬢さんたちのようだ。綺麗にしていて、結婚式に出るようだ。でも、窓際の人が、オジさんのように、靴を脱いで足を前の席の後ろの網の下の角に載せていたのには、結構がっかりした。もったいないね。
  • 車内で段々、頭の中でゴールドベルクが流れ出して来た。
  • 上野は人が多かった。駅から出たら煙草臭かったのが、残念だった(ホールにも喫煙所があったせいか、今も何となく臭くて嫌だ)。日射しが強く、外は暑かった。
  • ホールで待っている時、いざという時なのに、頭の中にモーツァルトのピアノ協奏曲(20番?)が流れて来た。一体何なんだ。。。
  • ホールは意外に狭い。前回もこのホールだったはずだが、全く覚えていない。
  • 席はホールのほぼ中央、チェンバロの正面で、音としては良かったが、チェンバロの音自体が小さいので、もう少し前の方が良かったかも知れない。
  • 後ろでしゃべっていたお爺さんは、変なマニアだった。行った場所の記録のために切符を2枚買うとか、折り目の付いてないパンフが欲しいとか。全く理解できないが、マニアは歳には関係ないようだ。
  • 前の席の人は来なかったらしく、空いていたので、ステージが良く見えた。
  • 斜め前ともっと前の席に、議員の高市氏に似た感じの女性が居た。どちらもショートカットだった。
  • 演奏中、咳や大きな物を倒したり落とす音、紙をいじる音がうるさかった。結構頻繁だった。咳は仕方ないとして、物は落とさないように床に置けばいいのに。パンフなんて、演奏中に見たって何の意味もない(「その分、聴け!」と言いたい)のが分からないのか。
  • アンコールは、平均律のどれかの前奏曲だったか。静かな落ち着く感じの曲だったが、その場で曲名が分からず、メロディーも忘れるという情けなさ・・・
  • チェンバロの蓋に手元が写っていたので、手が交差したり左右に跳躍したりする技が堪能できた。前回は席が前の方だったせいか、見えなかったと思う。
  • チェンバロの2段の鍵盤の上段は引き出し量が可変で、前後に動かせる。どういう仕組みなんだろうか。
  • 実は苦手なチェンバロだけど、それほど(高音が)うるさくなかった。低音も意外に出ていた。オーディオマニア的に表現するなら、「解像感の高い音」だったw ただ、音量は小さかった。
  • 使用されたチェンバロはBlanchetの1730年モデルでWilliam Dowd-Parisの1982年製らしい。(これは僕が要約して書いたので、正しくないかも知れない)
  • 6月に聴いた久元祐子は譜めくりの時に音を途切らせていたが、やっぱりあれは駄目だったと思う。今日の小林はそんなことは全くなかった。そういうふうに譜面を準備していたのだと思う。久元は、途切らせるくらいなら、譜めくりを頼むべきだったと思う。
  • 終了後、サイン会をしていたようで、行列ができていた。意外にマメな人だな。
  • 彼の演奏会・演奏はこれで3回目だ。2回はこの曲、もう一曲は、16年前、モーツァルトのピアノ協奏曲24番だった。弾き振りをしていた。感想は今一つだった覚えがある(何となく、指揮もするのが大変そうだった。当時のパンフには「木管が良かった」と書き込んであった)。近頃はやってないようだが、彼のモーツァルトのピアノ協奏曲も聴いてみたい。
  • この演奏会は、内田光子の「代わり」ではあったが、充分楽しめた。来年は、大御所のモーツァルトやラフマニノフを聴きたい。でも、そのためには、今から情報収集が要るのだろうな。いや、前半のはもう遅いのかも知れない。。。
  • 帰りの新幹線は、適当に近い時刻のを買ったら、数分前にホームに着いて、なかなかギリギリだった。
  • 前に席がない席で珍しかったし、脚が伸ばせた。レア感がいいが、テーブルなどがないので、ちょっと不便な気はした(肘掛けに、ほんの申し訳程度のテーブルはあった)。
  • 帰りは駅から歩いて、18時頃帰宅した。暑い。なぜか、右膝が少し痛んだ。
  • 暑いので、オリオンビールを飲むことにした。軽いという点ではバドもいいが、なんとなくオリオンの方が好きな感じだ。
  • 今日は救急車を3台も見た。1台はホールに来ていた。
  • いつも、事前に注意しても何か忘れ物をするのだが、今日はSuicaを忘れた。でも余り使う機会がなかったので問題ない。

iPhone 6sで撮影

(12/24 7:47 正確さを増すため、わずかに加筆)

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(3度のご飯より音楽が大好きなHaruさんに対抗する訳じゃないですが) 僕も、好きな音楽を聴いていられれば、ご飯は食べなくてもいいくらいだ。とは言え、実際にはお腹が空くから、白米(のご飯)は食べるとしても、おかずには充分なる。

モーツァルトなんて超最高だし、ラフマニノフも最高だし、ビートルズも最高だ。あとはクイーンもELOもいい。ここら辺を延々と、本物の生で聴けるのであれば、ご飯だってなくていい。そして、好きな曲の真髄を理解した頃にミイラになるのが、最高かも知れない。(最後は余り笑えないな・・・)

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先日から、MuninというソフトでPCの状態監視をしている。CPUやHDDの使用率や温度、NWの使用状況など、いろいろな情報がグラフで見られる。うまく設定すればSSDやHDDの劣化も検出できそうだし、警報のメールも出せるので、便利そうだ。

昨夜、その中のCPU温度のグラフを眺めていて、ちょっとしたことに気付いた。

4つあるCPUコアのうち、番号の若いコアの温度が高いのだ。図中の赤丸で示した"Avg."(平均温度)が、最初のコア(Core 0)は最後のコア(Core 3)より8℃も高い。CPUの温度は、稼働率が高い(忙しい)と上がるから、Core 0ばかりが頻繁に使われているようだ。

どうも、Linuxは、何かをしようとする時は、最初のコアから順に使おうとして、最初のが空いてなければ次(温度を見ると、Core 1でなく2のようだ)に当たるようだ。そもそも、Linux自体も最初のコアだけで動いているのだろう。だから、最初のコアは休みが少ない状態になって、平均温度が高目なのだろう。

なんか不公平な気がした。CPUは感情を持たないし疲労もしないが、やっぱり、4人居たら平等に仕事させるべきじゃないか。「最初の」って言ったって、他より高速でも機能が豊富な訳ではなく、上下に並んでいる訳でもなく、平面に並んでいる同じ物の単なる通し番号なのだから。学校だったら、名簿の順番が最初だってだけで、先生からいつも指されるようなものだ。会社なら、偉い人に近いっていうだけでいろいろ頼まれて、残業ばかりの人のようだ。

特定のコアを使い過ぎて寿命が縮まることはないとは思うが、物理的な素子なので、微妙な差はあるかも知れない。実際、温度が高いとコンデンサの劣化が進む現象はある。そして、コアが1個壊れたら、CPU全体が使えなくなりそうな気がする。

Windowsはどうだったか知らないが、Linuxはもう少し工夫してもいいと思った。僕が作っているのなら、「ちょっとおもしろそうだから」の乗りでやってみると思う。

余談:

昔、仕事で、平等に使わないと寿命が縮まる素子を使っていて、嫌というほど均等に使用する処理を工夫した経験があるので、こういうことにはちょっとうるさい。その名残りで、日常生活でもいろいろな物の使用の均等化に余念がない。

例えば、洗濯した衣類やタオルなどは、下に仕舞って後で使うようにして、同じ物を頻繁に使わないとか、服や靴も順番に着る・履くとかである。お札も、新しく引き出して来たものは後で財布に入れるとか(でも、これは全く意味がない気がしたw)。

でも、本質的に均等化できないものもある。例えば、キーボードのキー、マウスのボタン、ディスプレイの表示(画面内の位置と表示内容)、良く聴く曲などだw

あ、今はピアノは弾かないけれど、やっぱり、良く使うキー(鍵盤の個々の部分)はあるのだろうか(残念ながら、僕はそこまで弾き込まなかった)。それがあるなら、良く使われる音もあるのだろうが、どうだろう。作曲家によるのか、調によるのか。音は、モーツァルトよりはラフマニノフのほうが幅広く均等に使いそうだ。でも、ラフマニノフは音が多いし強い音も多いので、ピアノの劣化が激しいかも知れない。調だって、良く使われるものはあるだろう。文学だって、良く使われる単語はありそうだ。

音や単語は摩耗しないから壊れる心配はないが、「使い古された」とか「ワンパターン」などと批評されることになるのかも知れない。と、脱線が甚だしいのは、脳の摩耗によるものか?

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