Archive for the ‘映画・TV’ Category

近頃は、無駄に名前にこだわりすぎたり、名前を付ける意味を理解していない連中が多くて嘆かわしい。

  • 古の 。 に始まって、 、 や . や , とかの句読点を一般的な意味なく名前の最後に付けるアホ。なんか意味あるのかねえ? (本人はあると思っているから付けるのだろうけど、本当に意味はあるの?) 。が出た当時ならおもしろかったけど、さすがにもう古いと思う。 ★とかの記号もあるし(こっちの方がまだ納得できる)、そのうち、昔のツェッペリンのように、絵文字も出そうだ(って、前に書いた気もする)。今は、Unicodeでとんでもない数の記号が使えるからいいねw 逆に、これだけ文字が豊富な世の中にわざわざ , なんて使う人の気が知れない。余程愛着があるのか。
    • それにしても、 , なんて、コンピュータで処理するには面倒な気がする(CSVの区切りと競合する)。まあ、ちゃんとしたシステムなら問題ないだろうし、TVや新聞・雑誌などは全角で処理しているかも知れないから、問題なさそうだ。
    • 個人的には末尾に を付けて欲しい。誰も分からないだろう。あ、全部空白だったら最高だw
  • 記号でなくても、西暦の数を名前の最後に付ける馬鹿なグループも居る。それでは名前の意味がないでしょう。毎年元日にメンバーチェンジするのか? そのうち、毎月変えたりしてw でも、日本の月の名前(例: 「如月」)だったら、雰囲気はいいと思う。
  • "Fall creators update"とかRSとかその他覚えられないほど多くの、Windows 10のリリースの名前・識別記号(今は"April 2018 Update"が最新?)。それ以外にリビジョン番号もあるし(彼ら自身は"Windows 10 バージョン 1803"などと呼んでいる。バージョンは10じゃなかったのか??)、パッチの番号もある。「Windowsは10が最後で、もうバージョンは変えない」とか言っていたが、出鱈目ではないか?
  • プロセッサやOSの名前も数多い。まあ、その辺りは節操がないとまでは言えないから、まだ許せる。でも、なんで、地名とか動物とかお菓子とかのシリーズに揃え続けるのかな。それだと新鮮味がないから、その時々でチームがおもしろいと思った物を使えばいい気がする。素数を2から順に付けるのもおもしろそうだ(以前あった気がする?)。
  • あと、林檎社謹製腕時計の"Edition"なるものには笑った(というか嘆息した)。Editionという言葉には単なる「版」という意味しかないと思うのだが、ネイティブには「特別」とか「高級」とかの雰囲気が伝わるのだろうか。いずれにしたって、"Apple Watch Edition"という名前はなんかおかしいと思う。WatchとEditionの間に何か入れるべきだと思うが、違うのだろうか。
  • 最後に、空港のようなアルファベット3文字(または地名みたいなの)+数字(この数字に意味はあるのか?)の○製×造グループに至っては、もう「極まれり」で何も言うことがないw

とはいえ、上を見ても分かるように、僕も名前で遊びたいのでw、結論としては、名前は各自が楽しんで好きに付ければいいけど(子どもの名前とかは別)、ある程度のセンスは必要だと思う。

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昨日、ふと、「なぜ日本の演劇は「大げさ」「わざとらしい」と感じるのか」という見出しが目に入った途端、本気で膝を叩きそうになった。もしかしたら、「おお」とか口に出したかも知れない。

20年以上前、僕は劇にはまっていた。特にシェークスピアが好きだったので、戸山のグローブ座なんかに良く観に行った。いろいろな劇団のを観た。劇を観るのはおもしろかった。劇は、音楽同様、生身の人がリアルタイムに目の前で演じるところが好きだ。

その頃意外だったのは、日本の老舗の劇団(「**座」のような名前のところ)の演技が、どうもわざとらしくて滑稽にすら思えたことだ。一方、RSCなんて、英語でまくしたてるから、言ってることはほとんど分からないのだが(状況や雰囲気とか記憶の中の原作から推測していたw)、全く不自然さは感じず、引きこまれた。

ただ、今気付いたことだが、書かれたままの原語をネイティブが演じているのだから自然なのが当然というのの他に、言ってることが分からないから、不自然さを感じるまで達していなかったのかも知れない。

当時は、まあ、(日本のは)古い劇団だからそういう作風なのかとか、(有名な)その人がそういう演技(で固まってしまっているせい)なのかとか思って、「いくら有名でもいい訳ではない」と自分の中では思っていたが、観客はいかにも良かったかのように拍手していたし、周りにそういう話をする相手が居なかったので、僕の好みの問題だと思っていた。

が、昨日、上の記事を目にして、僕だけの問題でなく、日本の演劇の本質的な問題だった(少なくとも、プロでも「わざとらしい」と感じる人が居た)ことが分かり、安心した。要点は、台本のセリフの書き方の問題と、「日本には「対話」という概念がない、あるいは薄い」ということらしい。

後者は初めて知ったのだが、それが本当なら、僕がいつも感じているストレスの一因はそこにあったのだと思った。対話の概念が薄い社会なら、いくらこっちが問いかけてたって、応答なんてなくて当たり前だ。「じゃあ仕方ないな」と思える。

そういうストレスは、実は、シェークスピアが原因だったように思う。シェークスピアを読んで・観て、あの世界にかぶれてしまい、「とにかくやってみる」とか「(黙っているより)意見を言ってみる方がいい」などと思うようになった。これに関して一番影響が大きかった作品は、「ハムレット」だったと思う。

だから、劇なんて好きにならなければ、そんなストレスはなかった訳だ。が、自分の意識を変えたことで減った、それまであった別のストレスは依然としてあっただろうし、そっちの方が重かったような気はする。

書いた後でちょっと気になったのは、彼は「日本には対話の概念がない」とは書いているが、日本だってしゃべり好きな人は沢山居るから、彼が言っているのは僕の思ったこととは違うのかも知れない。「対話」(dialogue)と「会話」(conversation)の違いなのだろうか。あるいは、西洋の劇(戯曲)の主な構成要素である対話のことを指している(つまり、本当に劇だけの話だった)のか。これを確かめるには、彼の本を読むしかない。まあ、いずれにしても、僕がかぶれたのは西洋の劇の「対話」的なものだったように思うので、その点は合っていそうだ。少なくとも、日本の劇はわざとらしかったことは確かなので、それだけでも充分だ。

それならどうしたらいいのかを知るには、その記事の筆者(平田オリザ)の本を読めということだろうが、まあ、そこまではしない。そもそも読むのが面倒だしw、おそらく、彼の本を読んだところで、書いてあるのは劇の話が中心かも知れないし、そうでなくても、周囲の人や社会が(自然に)変わる訳じゃないので、逆に更にストレスが溜まりそうじゃないか。

今は、「じゃあ仕方ないな」で良しとするし、ごくまれに対話に応じて下さる方が居るだけで幸いだと思う。

PS. ちなみに、今は劇は全然観に行っていない。劇よりは音楽に行きたいが、そっちにすら行けていない。でも、RSCとかが来て手軽に行けるなら、行ってみたい。

PS2. 「わざとらしい」劇の話では、先日、ある大学に出張に行った時、その庭で、演劇部であろう学生数人が劇の練習をしていた。いかにも青春という感じで、楽しそうでうらやましかった。が、やっぱり、セリフの言い方などが「いかにも劇」で今一つだったので、一緒に行った人に思わずそう言ってしまったのだが、本人たちに聞こえて彼らをスポイルしてしまわかったか心配になったw

PS3. 今頃、冒頭に、

またやっちゃったよ! 家の階段で。いや、それは「膝を折った」だ。

とか軽くボケればおもしろかったが、僕はいつも気付くのが遅いw それに、これは真面目な稿だ。 (13:52)

PS4. 日本には「対話」の意識がないということで、(平田の言う「対話」と同じかは不明だが、)ちょっと思い出したことがある。昔、ある人が演劇を目指していると書いて来たので、僕がシェークスピアが好きだとか、昔は良く観に行ったので、演劇にはうるさいとか、どういう方向を目指しているのかとか聞いたら、返事がなかったことがある。

その時は大変ムカついたのだが、数年経った今だってそうだ。自分の目指す道について聞かれて何も答えないというのは、僕の質問が余りにも低レベルで答える気を失ったか、そいつの考えが全くいい加減で、単に「役者を目指している」と言いたいだけのような場合だろうが、当時は後者と考えた。その証拠に、その人は、役者でなく「女優」になりたいと言っていた。全く笑う気にもならない。

そして今、日本人には「対話が重要だ」という意識がなさそうなことが分かり、その人は、僕の質問なんて大した意味はないから、無視してもさしたる問題はないと思ったのかも知れないと思った。まあ、それにしたって、役者(、それだけでなく、performing arts)を目指す人には他人との対話が重要だという、余りにも基本的なことを分かっていないという点で、どう逆立ちしたってまともな役者になんて絶対になれないと、今、無慈悲な怒りを込めて再びディスる。 (17:41)

 

(カテゴリは「映画・TV」だが、それに「演劇」も含まれることにした)

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面倒なのでずっと放置していたのだが、以前から気になっていたgmusicbrowserの(GMB)問題を一個修正した。きっかけは、今朝か昨夜だったか、シャフル再生中に、ある曲を聴きたくなったのだが、その問題のために躊躇したことだ。

その問題というのは、アルバムなり全曲のシャフルなりのプレイリストを再生中に一時的に別の曲を再生する(「キュー」機能)と、それが終わった後に本来の次の曲に戻らず、一時的に再生した曲がプレイリスト中にあればその次に飛び、なければプレイリストの先頭に戻ってしまうというものだ。

調べたら、元々そういう機能が作りこまれていないようなので(作者の精魂が尽きた?)、機能を追加した。相変わらずPerl言語はチンプンカンプンだし(Perlを作った人は、頭が腐っているか狂っている。どっちにしても、かなりおかしい。どうしてあそこまで分かりにくくしたのか、是非聞いてみたい)、GMBの造りも完全には理解できていないので苦労したが、何とかできた。なかなか疲れたし、昼食もとれなかった。「どうなってんだろう」と、軽い気持ちでエディタを開いたのが運の尽きだったw

それはともかく、終わってから、こういうのはデロリアン(タイムマシン)を改良しながら飛び続けたり、アイスティーに入れる氷を作るために巨大な装置を作ったドクに似ているかもなあと、ちょっと思った。

ちなみに、早速、聴きたかった「俺ら東京さ行ぐだ」を聴いて満足した。一体、どうしてそこまで好きなのか?w

 

PS. 今、「ついでにあの問題も・・・」と思い付いてしまった。午後も駄目っぽいなw

結局手を付けてしまって、案の定、手こずったが、ようやく何とかなった。またGMBの迷路のような造りが少し分かった。が、すぐに忘れそうだw (23:43)

ちなみに、その問題は、アルバムアーティストが設定されていないアルバムのジャケット画像がおかしくなる(別の同名のアルバムのものが表示される)というものだった。なぜか、GPMの曲を再生する時だけ起こるのだが、例えば、"Live in Japan"や"Greatest hits"という名前のアルバムで驚かされた。GMBのバグ以外に、ジャケット画像情報の格納の仕方が結構残念なことに気付いたのだが、さすがに抜本的な改良は難しい。 (5/6 0:12)

PS2. プログラミング言語の選択には、その人の個性とか趣味が現れるようで、職場の僕の居るチームでは、見事に各自が別々の言語を使っている。僕はPHP(awkやsedも)、隣の人はPerlといった具合だ(Cは、全員、必要な時に使う)。それで特に問題が起こらず、うまく行っているのも、おもしろいw おそらく、偉い人が、無理に「統一して効率を上げよう」と思うほど馬鹿でないのが効いているのだろうw (5/6 0:35)

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昨夜から、トラブルで中断しつつも観た(今日はつつがなく観られたので、問題は解決したようだ)。観ながらいろいろなことを思った。全部書くと長くなりそうなので、主要なことを書き並べたい。要所にシーンへのリンクを入れたので、是非観られたい。

最初の、サリエリが自殺未遂後に、モーツァルトとのことを神父に話すシーンは、なぜか現代のことだと思った。サリエリが今もどこかの病院に居るというふうに思ってしまった。が、実際には今から数百年前(モーツァルトが死んでから数十年後)の話なので、そんなことがある訳ない。画面もそうなのだが、なぜか古く感じなかった。理由は分からない。どこかに「バック・トゥー・ザ・フューチャー」的な要素が混ざっているのか? (サリエリがドクに似ているせい?)

サリエリの音楽は、やっぱり退屈だ。。。 最初から最後まで、一音たりとも許容できなかった。

マリナーが音楽を担当していると知った時、大衆的な映画なのに意外にちゃんとした人がやっている印象(最初に観た時は、知らない「適当な人」がやっていると思っていたので)を受けた。そして、映画に彼の音楽が良く合っていた。ということは、逆説的だが、やっぱり彼はポピュラー的だと言えるのかも知れない(経歴を見るとそんなことはなく、真っ当なクラシックの人なのだが。GPMで聴いた「レクイエム」(1991)が良くなかったか)。

間違って英語盤を買ったために英語字幕を表示して観たのだが、最初の頃の、コンスタンツェと逆さま言葉(逆の綴り)で話すシーンは日本語字幕よりは分かりやすかっただろう。とは言え、セリフ(逆の言葉)を聞き取れる訳ではなく、字幕の表示タイミングも少しずれていたりしたので、演技と同時に分かる訳ではなかった。

それでも、全体的には、音楽が多いので、日本語字幕でなくても分かりやすかった。意味の分からない難しい単語が結構あったが、画面を観ていると雰囲気が分かるので、大きな問題ではなかった。

モーツァルト(役)の、例の素っ頓狂な笑い方には本当にイライラさせられる。僕がこの映画を長らく観なかった理由の一つは、やっぱりそれだと思う。

オペラ(「後宮からの誘拐」?)に対する皇帝の「音が多い」って感想は意外だ。サリエリのに比べればずっと少ない(少なくとも簡潔)と思うのだが・・・ まあ、皇帝は素人で、曲が理解できないとか適切な表現方法が分からないから、そういう言葉になったのかも知れない。

サリエリが、モーツァルトの楽譜を見ただけで、脳内に曲が流れてすごさが分かる(→ 例: "Voice of God")のがうらやましい。終盤に、モーツァルトが衰弱した状態で「レクイエム」の曲を説明してサリエリが楽譜に書き取る時(→ )もそうだ。やっぱり、腐っても(正確には腐っていない。モーツァルトの前では「普通」だっただけだ)プロの音楽家なのだ。(そのシーンはもちろん史実ではないけど、「もしそういう機会があったら、そうなるだろう」という前提である)

老サリエリの顔はスター・ウォーズのダースベイダーみたいだ。モーツァルトの父は厳しいうえにノリが悪くて大嫌いだ。文句しか言わないんだったら、わざわざウイーンに来なくても良かったのにと思うw

父と行ったパーティーの罰ゲームでバッハとサリエリを弾くシーンがおもしろい。バッハはいかにも硬くて単調で、うまい。ヘンデルをと言われて「嫌いだ」と言ったのは僕と同じだw そして、サリエリの曲は退屈だ。そういえば、あの賢そうな子どもは誰だったのだろうか? もしかしてベートーヴェン?

「フィガロの結婚」が上演できるように皇帝を説得するシーンは好きだ。おもしろく、楽しく、興味深い。(これが史実だったなら)当時のプレゼンだったのだろう。その「フィガロ」の曲なしのダンスのシーンは印象的で結構好きで、ずっと覚えていた。それはそれで価値があり(マニアック??)、皇帝が全然良くないと言ったのは、ちょっと分かってないと思う。まあ、そう言ってもらったおかげで音楽付きに戻せた訳だが。

後半のピアノ協奏曲第20番で始まるシーンは寒い。後半のモーツァルトは、映画"The Wall"(1982)のピンク(ボブ・ゲルドフ)が落ち込んだ時にとても似ている。

「楽譜は頭の中にある(書き出してないだけ)」っていうセリフは好きで、僕もそういうことはある(プログラムは頭の中にあって、あとは打ち込むだけ。だけど、それが面倒なのだw」)。でも、自分ではそういう奴と仕事するのは真っ平だw

この映画の「レクイエム」の演奏者(オケ、コーラス)はマリナーの1991年のアルバムとは違う気がしたのだが、調べたら、同じようだ。ただし、ソロ歌手は居らず、僕の聴いたことのある版とは違う(発表年が違うのから当たり前か)。彼は何度か録音しており、これも映画用に録音したのだろう。

最終盤、「レクイエム」のトロンボーンとティンパニの曲("Confutatis")の高音の合唱がすごく美しい。なぜか涙が出て来た。別に「普通の映画」なのに、まったく訳が分からない。。。 やはり、曲が神がかっているのだろうか? あと、晩年の彼はすごい作品を書いたのに売れなくて、悲惨な状況に陥ってしまった一方で、何百年も経ってから、僕らがいくらいいと言っても遅過ぎで、彼には全く伝わらないことが、なんともやるせないのかも知れない。

 

エンドロールで流れたピアノ協奏曲 第20番 第2楽章は、曲はすごくいいのだが、ピアノ演奏は気に入らなかった。ところが、演奏者名を読んで驚いたのは、映画で使われたピアノ協奏曲のピアニストは、近頃GPMで気に入った・知った、Moravec(第22番)とCooper(第20番)だったことだ。昔聴いたことがあったとは、何とも不思議な縁だ。

今思うのは、この映画は、20代になったばかりの僕が何の気なしに最初に観た時、意識させずにモーツァルトを好きにさせたのではないかと思う。少なくともモーツァルトの種を脳内に蒔いたのだ。それから10-20年くらい経って、無事、花開いたのだろう。そして今は、あふれるほど咲いているw

 

以下、技術的なこと。

  • 画質は悪かった。粒状感があった。DVDの初期に急いで作られた(フィルムから取り込んだ)ためだろうか。それでも、普通に観るには充分だった。
  • 音質は悪くないが、音量が小さく、アンプのボリュームを通常の数倍に上げる必要があった。最大音量は-10dB程度とそれほど小さくない(通常のクラシック曲の例: -6dB程度)ので、ダイナミックレンジが広く、平均音量が小さいようだ。
  • 両面1層なので、A面とB面をひっくり返して観るのは面倒だから「何とか」したいと思った。

が、今回観て記憶が更新されたので、次に観るのはずーっと先だろうから、気にしないことにした。

 

PS. 構成要素について。さすがに映画のせいか、映像として見せ場のあるオペラが多かった。ほとんどの有名な作品を取り上げていた。モーツァルトはオペラに力を入れていたようなので、それは悪くない。が、一般的には交響曲だって重要だろう。そして、僕にとって一番重要なピアノ協奏曲が、たった2曲(第20,22番)しか取り上げられていなかったのが残念だ。「K.488(第23番)はどうした?!」と言いたい。でも、交響曲(例の第25番程度?)よりは多いので良しとしたいw

ただ、本作の創作のメインの「レクイエム」とのつながりで言えば、晩年の短調のピアノ協奏曲を取り上げた方が良かったように思う。でも、結構マニアックになるし、すごく重くなりそうだから、今のままでいいのかな。

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映画「アマデウス」(1984)のDVDを買おうか迷ったのだが、結局、Amazonで安い中古(1997年盤)を注文したら、予定より1日早く、今日届いた。本体は約50円、送料と合わせて約400円だった。

開封してみると、何か違和感があったので、良く見たらUS盤だった。まず、パッケージに日本語が全く書いてないので、おかしいと思った(嫌な予感がした)。リージョンは1(日本は2)で、字幕だって英語とフランス語しかない。更に、初めて見る両面1層ディスクだった(要裏返し)。そのため、ディスクには印刷がない。それも違和感を感じた一因だろう。

ちなみに、両面1層ディスクは"SIDE A"を上にセットするとA面が再生される。当たり前のことだろうが、僕は、"SIDE A"にA面の内容が記録されていると思って、そちらを下にセットしたら、B面が再生された。これは余計に詳しい者だけが迷うところかw

Advanced余談: ありえないが、もし、3面以上のディスク(実際には多面体メディア)の場合、面表示("SIDE A"など)はどうなるのだろうか? ある面の「反対側」の面は一意には決まらないから、その面に記録してあるデータの内容を書くしかあるまい。ただ、「反対側」の面が決まる多面体(平行面からなるもの)もあるから、そういう形状を採用するのかも知れない。それに、上からメディアを読むことにすれば、(今まで同様)再生したい面表示が見えるようにセットするだけで何も問題ない。そもそも、将来はホログラフィーが使われるだろうから、メディアをセットする方向は1つしかないだろう。いやいや、それ以前に、物理メディアなんてなくなるから、考える必要すらない。なんて、考えて遊んでいる以外の何物でもない、まったく無駄な心配だw

調べたら、DVD-Videoは1996年から発売開始されたそうなので、これは最初期のもののようだ。だから両面1層なのかも知れない。更に、Wikipediaの"DVD-Video"の項には、この作品は数少ない両面1層の例として載っているから、今も構成し直さずにそのまま売られているのかも知れない。ディレクターズカット盤を出したから、それで良しとしたのか。

てっきり騙されたかと思って商品ページを見たら、全く正しかった。ちゃんと字幕は英語とフランス語と書いてある。ただ、リージョンは書いてなかった。販売元は"Warner Home Video"で、日本の会社(ワーナー・ホーム・ビデオ)と同じだと思ったら、そうではなくて、USの会社だった。タイトルは「アマデウス」でなく"Amadeus"なので、これと販売元の名前、あとはパッケージの表記(ただし、ディレクターズカット盤には英語しか書いてないので、紛らわしい)で見分けるしかないようだ。

安いのを探す余り英語で検索したうえに、ちゃんと確認しなかった僕が馬鹿だった。

それで、買い直すのももったいないので、とりあえず観てみた。英語字幕も表示したら結構内容が分かったので、安心した。最初に観た時のことを覚えているのと(何十年も前なのに、よほど印象が強かったのか)、音楽が多いせいもあるのだろう(感想は別に書く)。

楽しんで観ていたら、約1時間経過した辺りで再生が終わった。てっきりA面が終わったと思ってB面にしたら、曲が後期のもの(短調のピアノ協奏曲, 20番か)で、(その曲は好きなのだが、)繋がりが違う。良く調べたら、A面の再生時間は1:50程度なので、1時間で終わるのはおかしい(最初は、再生時間は両面の合計が出ていると思い込んでいた)。汚れかと思ってディスクを掃除してみたが、駄目だった。

再生プログラムはVLCを使ったのだが、設定を見直してもA面の1時間(チャプター14)以降が再生できないので、他のプレーヤー(SMPlayer, Media Player, mpv, kaffeine, xine, Totem, 仮想マシン上のWindowsのMPCHC)も試したが、駄目だった。

それで、(あくまでも、原因を調べるために)試しにPCに取り込んでみた。Handbrakeで取り込んでも途中までしか再生できない。ddやdvdbackupでコピーしても同様だった。

検索して、DVD関連パッケージのlibdvd-pkgをインストールしても駄目で、更に、ubuntu-restricted-extrasをインストールしていろいろ試すうちに、なぜか、ちゃんと再生できるようになった感じだ(VLCとTotemで大丈夫そうだった)。この状態でdvdbackupで取り込み直したら(くどいけど、あくまでも試し)、ファイルからの再生も大丈夫そうだった。ただ、ubuntu-restricted-extrasをインストールした直後は駄目だった気がするので、何が本当の問題だったのかは分からないが、チャプター14以降の読み込みあるいはデコードに失敗していたようだ。

ここまでで中断してから2時間くらい経ってしまい、疲れたので続きを観るのは止めた。明日にしよう。また駄目とかいうオチがないことを祈る・・・

 

PS. すごいことに、ネットにはオープンな(無料の)字幕があって、それを再生時に表示できるようだが、この作品の日本語版はないようだった。まあいいか。

PS2. それにしても、本作が配信サービスで観られたなら、こんなのは全然起こることがない問題だった。配給元は手をこまねいておらずに、早くなんとかすればいいのに・・・ まあ、もう古い作品で、モーツァルトブームも終わっているから(次は23年後(没後250年)?)、それほど売れる見込みがない(要望も少ない)ので放置しているというのが現状なのかな。あるいは、権利者に頑固者が居るのか? ビートルズの映画にそんなのがあったなw

PS3. 観終わって、メディアをケースから分離する時に感心した。紙(ジャケット)とトレイがすごく簡単に分離できるのだ。トレイと紙は、トレイの縁の幅5mm程度のつばだけで固定されている(接着されていない)ので、ちょっと力を入れて引き抜けば、カパっと綺麗に外れる。

特定メーカー・時期・タイトルだけなのか、USのDVD類は全部そうなのかは分からないが、さすがリサイクル先進国だけあると思った。(4/22 13:22)

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意外なことに、某国が核実験を止めるそうだ。まあ、信用できるか(実行されるか)は不明だが、そう言ったのは確からしいので、(どこをどうしたらそうなったのか、とても興味があるが、)そうさせた政治力は大したものだ。

これぞ、現時点では"WIN-WIN"なんだろうと、今思う。(日本を除いて)誰の不名誉にもなってないから(当事者が喜んでいるかは別)。決して、「これで安心だ」などとは思ってはいない。単に技法・戦略・戦術に感心している。

一方、亡国の首相は、以前、「交渉(対話?)なんて不要で、圧力だけが必要だ!」とか国連でほざいていたが、さすがは音痴、無知、逆先見の明の人だw

でも、早速、これを自分の成果に仕立て上げて(彼が読むと、自然にそうなるのだろう)選挙に利用する(そうか、前回は「ミサイル」だったから、次のネタが是非必要だなw)のだろうか? まだそういうニュースは読んでないから、今現在の予想だ。まあ、当たり前すぎて予想にも何にもなってないかw

 

PS. 今朝、以下のような見出しを「首相に『私はうそつき』」と空見してしまった。別のニュースで読んだ、首にそういうカードの件を思い出して、彼の首に「私はうそつき」のカードが掛けられている光景を想像した。願望が入ってしまったかw

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昨日、ミロス・フォアマンが亡くなったというニュースを読み、「炎のランナー」(1981)の監督かと思ったのだが、実際には「アマデウス」(1984)だった。それで、何となく「アマデウス」が観たくなった。随分久し振り(おそらく、公開直後にTVで観たのが最初で最後だったと思う)だし、僕がクラシック音楽を聴くようになったきっかけの一つはこの映画のような気がしているからだ。

余談1: 高校の頃、(実家で)観た覚えがあるのだが、調べると、日本での公開は1985年なので、大学の頃だ。すると、ビデオで録画して観たのかも知れない。テープもあった気もするが、こっちに戻って来た時に見たら、ほとんどカビていたので、全然残っていない。そもそも、VHSデッキもTVもない(「かける機械も見たことねえ」w)。

余談2: 今まで再び観ることがなかった理由の一つは、この映画は史実と全然違うというようなことを聞いたためだ(今となっては、「それがどうした」と思えるのだが、当時は結構がっかりした)。もう一つは、モーツァルトが、頭の大変軽い、脳天気な馬鹿者のように描かれていて、いけ好かなかったからだ(これは、今でなく、若い頃に思ったことなので、すごく反感(ライバル心??)を持ったようだw)。あとはサリエリ(とその音楽)が気に入らないのもあった(全く別の映画になってしまうが、彼を出さなければ良かったのにと思う)※。そしてもう一つは、確か、最後にモーツァルトの遺体が穴に放り込まれるシーンがあったと思うのだが、それがどうにも嫌だった。でも、今となっては、当時の音楽や世の中のことがいろいろ描かれているだろうから、嫌だったことも含めて、純粋に楽しめると思っている。

※書いた後に思ったのだが、当時の僕は、自分がサリエリ型であることに気付かされてムカついたのかも知れない。だから天才モーツァルトがものすごく気に入らず、普通の人だったために日陰者になって苦しんだサリエリも見たくなかったのだろう・・・

余談3: ちなみに、調べたら、音楽はマリナーがやっているらしい。Wikipediaでは、彼が「モーツァルトの第一人者」だから担当することになったとか書いてあったが、初耳だし、どうにも納得できない。彼は有名な指揮者ではあるが、モーツァルトの凄みは出せないと思っている。例えば、彼の「レクイエム」なんて、悪くはないが、なんか、ポピュラー音楽的なのだ・・・ (まあ、そういうのは個人的な感想なので、どうでもいいことだ)

観るとしたら、当然オンライン(配信サービス)でと思って調べたら、Googleはもちろん、AmazonでもNetflixでもHuluでも配信されていない(→ 便利な検索サイト)。なぜかツタヤだけはあるようで(← 再度調べたら、DVD/BDレンタルの誤りのようだ)、最初の1か月間は無料だからタダで観られるのかも知れないが、大嫌いなので、ロハでも使う気はしない。

余談4: ズルではあるが、「ちょっと観させてよ」って気持ちでYouTubeも探した。何十個も出て来たが、ことごとく削除されていた。中には、「消されました」という映像のメッセージを出して怪しいリンク先(短縮URLなので、正体が分からない)に飛ばそうとするものもあって、ちょっとした闇を見た気がした。

結局、DVDかBDを買うしかなくなって、かなり観る気が失せている。値段は千円程度なので問題ないのだが、物が増えるのが嫌なのだ。昔だったら、(CDのように)DVDをPCに取り込んで捨ててしまえばいいのだろうが、今は違法のようだから(公式には)無理だ。しかも、送られて来るのを待って受け取るのも面倒だ。要は、観たいと思った時に(後腐れなく)気軽に観られないのが嫌なのだ。

という訳で、なかなか世の中は進歩しない(進歩するのが不均一な)気がした。

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先日聴いてちょっと興味を持った小菅優のページで、彼女のラフマニノフのピアノ協奏曲第2番のライブをNHK-FMでやるというのを知って、NHKはおもてなし(あるいは忖度)の国の政治家や北朝鮮並みの悪の枢軸で、最大の宿敵の一つではあるのだが、彼女のその曲はGPMでは聴けないし、ラジオは受信料を払わなくても聴ける決まりのようだから、ちょっと聴いてみることにした。

非常用のポータブルラジオで聴こうと思っていたのだが、今朝、ラジカセを持っていることに気付いて、そっちの方が音がいいだろうと思って試した。が、PCの雑音(妨害電波)のせいなのか、いくら調整してもほとんど聴こえなかった。ラジオは少しましだったが、やっぱり雑音が入って耳障りだった。それで、最後の手段、「らじるらじる」とかいうネット同時送信サービスを試したら、さすがに雑音は皆無で、音がとてもいいので感心した。

なぜ、らじるらじるが「最後の手段」かというと、それにアクセスしてラジオを聴くということは、最後にも書いたのだが、NHK TVのネット同時配信の「お墨付き」に手を貸すような気がするし、アクセスした記録が保存されて、将来、受信料請求の証拠に使われかねないという危惧があるからだ。僕は、それくらい、彼らを「金のためならなんでもする邪悪な連中」とみなして、嫌悪している。(3/21 7:26)

時間になって番組が始まったのだが、曲の前に長々とした説明があることをすっかり忘れていた。今日も、(第3楽章しか流さないので)たった12分くらいの曲に5分も費やしていたので、結構イライラした。内容はありきたりの話(作曲者や演奏者や曲の話)で、得るものはなかった(そもそも、そういうのは無関係と思っているので)。だったら、本題をもっと長く流して欲しい。例えば、全部で4曲流すとしたら、単純計算して20分も余るではないか。20分追加すれば、この曲は全曲流せそうだ。それにしても、番組の時間は長いのに、この曲も他の曲も小間切れで流しているが、ポップ音楽じゃないんだがな・・・ まがりなりにも"FM"なのに、どうしてこういう馬鹿なことをするようになってしまったのだろうか? あとでTVで流すからその宣伝のつもりなのだろうか。全くの劣化だし、FMの名折れだ。

ようやく演奏が始まった。第一印象は悪くなく、ピアノの音が綺麗だと思いきや、段々、ピアノがちょっと引っ掛かる感じがして来た。そのうち、ちょっと「下手」な感じすらして来た。。。 さすがにオケ(指揮: オラモ、BBC交響楽団)は綺麗だった。折角なので続けて聴いていたのだが、ピアノは見せ場でもちょっと遅くて(良くない遅さ)、余り「見事」ではなかった。スローなところはしっとりしているが、アルペジオはたどたどしく感じられてイマイチだった。要は乗れなかった。

結局、曲自体はいいし、オケもいいので、それを楽しむことにして最後まで聴いたのだが、終盤の音が連射される見せ場もイマイチだった。結局のところ、ピアノ演奏が曲に負けていたのだ。

彼女の弁護をするとすれば、録音のせい(ピアノが遠い感じだった)で印象が悪かったのかも知れない。ライブだから、ちゃんとセッティングできなかった可能性はあるだろう。

結論としては、これ以上彼女の演奏を聴く必要はなさそうだということになった(あくまでも個人の感想です)。

最後に、らじるらじるは、将来のNHK TVのネット同時配信の姿を示している(彼らがこんな風にやろうと思っている)と感じた。ブラウザで、特にプラグインも要らず、ログインなしで聴けるので、TVも同様にして「PCなどを持っている人は(受信設備を持っているので)全員金払え!」という理屈だ。怒りとともにため息が出る。取り越し苦労ならいいのだが・・・

だいたい、今時ラジオとかTVとか本当に必要なのかと思う。FMなんて、今日のような番組だったら、リアルタイムに聴く必要なんてなく、YouTubeの方がずっと便利だ。放送の時刻を待つ必要はなく、検索すれば出てくる無意味な説明を聴く必要もなく、当然、全曲聴けるし、音だっていい。こういう時代遅れの無駄なことのために国民から強制的にお金をむしりとって、最新技術がどうのこうのと言って浪費する団体は早く消えて欲しい。電波だってもったいないから、FMとAM 1波、それにBSと地上波TV 1波ずつを返すべきだ。

 

PS. まあ、「折角の演奏なんだから、余計なことは考えないで楽しめばいいじゃん」とも思うのだが、大好きな曲を平気な顔でブツ切りにされたら、やっぱりムカつくよ。大体、作曲者にも演奏者にも失礼だと思う。そもそも、この曲はイントロが命というところがあるのに、それを省くなんてやっぱりおかしいし、センスがないと思う。

と書いたものの、番組の内容を調べて第3楽章だけしか流さないと知った時に、聴くのを止めれば良かった気がする。要は、八百屋に魚を求めた訳で、こっちが悪かったw

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さっき、HMVのベリンダ・カーライルのベスト盤の広告を見て、ちょっと前にジャケットに強烈に惹かれたアルバムの広告を見たアヴリル・ラヴィーンのだと思い込んでしまった・・・

二人に共通点はあるのだろうか? そもそも、時代が同じかどうかすら知らない。ただ、どちらもシャープな顔で、エロかっこいいというイメージがあるだけだ(僕の中のこのカテゴリには、あのテイラー・スウィフトも居るw)。

ちなみに、人違いに気付いたきっかけは、カーライルのベスト盤のジャケットの文字を見て、「これで『アブリル・ラビーン』??」と思ったことだw いや、逆だ。カーライルのベスト盤(ボックス)を見て、「ほう、この前も出てたな。こないだの『あれ』も入っているのかな」と、下の方にあったラビーンのたまらない顔(アルバム)を眺めて、そこに書かれた名前が、どう読んでも「カーライル」ではないことから気付いたのだった。

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先日、「森友問題、千人が抗議活動」とかいうニュースの見出しをちらっと見たら、なぜか、ある人が頭に浮かんだ。

森高千里である。浮かんだ瞬間はそういう意識がなくて、どうして浮かんだのか分からなかったのだが、よく見てなるほどと思った。「森」と「千」しか同じじゃないけど、どうも、そういう頭ができ上がっているようだ。

ただ、別の見出しでは「800人」などとなっていたので、それなら駄目だったw

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