Archive for the ‘finalization’ Category

昨日、「「こんまり式」はもう古い!? スウェーデン式の断捨離「死のお片付け」とは?」という記事を読み、なるほどと思った。特に同感だと思った箇所を引用する。

「これをとっておいたら誰かが喜んでくれる?」

米雑誌「ピープル」とのインタビューでマグネソン氏は、「死のお片付け」を経ても捨てずにとっておいた物が詰まった箱の存在について語っている。手紙や写真など個人的な思い出の品で、つまり自分には意味のあるものだが、いくら家族と言えど自分以外の人には不要な物だ。自分にもしものことがあったら、家族はこの箱に何が入っているかを吟味することなく捨てていいことになっていると言う。

まさにこれで、僕は、お金以外は、残しておいて家族が喜ぶ「物」など何もないと思う(せいぜい家や車などの実用品? それだって、使うあてがなければ処分が面倒なだけだ)。お金だって、余計な争いを生む可能性があるから有害だ。だから、自分の物は好きなだけ処分すればいいし、(残った家族が処分する手間を少なくするために、)身の回りの物は最小限に留めるべきだと思う。そういう意味では、死んだら自分の物が自動的に何もかも消滅するような仕組みがあれば、便利だと思う。そして、残った家族は、何だって捨てていいと思う。

結局のところ、価値があるのは本人自身であって、物ではないということだ。そして、このブログや日記のような情報だって同じだろう。ただ、物と違って場所を取らないし削除も容易だから、物よりは残しておいても迷惑ではないだろう。

ただ、例外はあって、音楽のような作品の類は、本人が死んだからといって消滅しては困り、楽しむ人が居る限りずっと残る必要がある。そういうものは、作った人だけのものではなく、公共のものになっているということなのだろう。

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昨日、ピロリ菌の検査のために、初めての胃カメラをした。予約をしてから約3か月経っていて、本当にやるのか半信半疑だったのだが、親切なことに、前の日に確認の電話が来て、「本当にやるんだ」と実感した。と書くのは盛り過ぎだw

その医院は随分のんびりしているし、少し間抜けなところがあるのだが、かなり親切な感じがした。確認の電話はくれるし、検査の時の対応も、とても親切だった。だから混んでいるのかも知れない。

そして、昨日、予定の時間に充分間に合うように行ったのだが、同様な検査の人が多いせいか、40分くらい待った。その間、下らないテレビ番組が目に入って、世の中には甘過ぎる連中が居ると思った。参考のため、概要と思ったことを書く。

転勤が多かった家族の母が、(当時高校生の)娘から「私のふるさとはどこ?」と聞かれて、なぜか答えられなかった。そして現在、その娘の結婚式でその話をして謝りたいのだが、両親は自分たちからは言い出せないので、アイドルの番組に頼んだとのこと。

その程度でお涙頂戴かっ! その子が養子だったとか親が再婚したとか(個人的には、それだって問題ではないと思うが、一般には問題になることもあるだろうという意味)じゃなく、ただ引越しが多かっただけで「ふるさと」がなくて、それを言い出せないほど可哀想なのか? 全く頭に来る。引越しが問題でなく親が問題だ。百歩譲ってそれが真当だったとして、そんなに大切なことなら、テレビなんて頼らずに自分たちで話せばいいのに、余程の馬鹿なんだろうか。今はそういう親が多いのか。

テレビも、そんな下らないこと(そもそも、やらせとか作り話かも知れない)を取り上げるほどレベルが低下し、ネタがなくなっている(考えられない)のだろう。アイドルを出して視聴率が取れれば、何でもいいのかも知れないな。

そうこうしているうちに、検査の順番が来た。意外に準備がしっかりしていた。脈拍センサを付け、鼻に酸素を通した。検査中、みんなでずっと呼吸法(「すってー、はいてー」)を声掛けしてくれたり、背中をさすったりしてくれて(したことはないけど、出産の時のようだった)、すごく安心だった。医師も説明などが丁寧で、信頼出来そうな感じだった。

すっかり安心したのか麻酔が効いたのか、気付いたら終わっていた。鼻からでなく口からだったのだが、喉に管を通す痛みどころか、「唾液だらだら」も、むせその他嫌なことは全然なしで、すごく楽だった。せいぜい、最初に飲んだ、胃液の泡を抑える薬がまずかった程度だ。「いつの間にか終わっちゃったという人が多いんですよ」という、看護師さんの説明どおりだった。

何だかんだいっても、医療は進歩しているのだろう。そして、(僕の知っている)定説と違って、鼻を通した方が楽という訳じゃないのかもしれない。両方やっていないので分からないが。でも、もし同じ条件だったら、次回も口を選択すると思う。

ただ、最初に準備と説明をしてくれた、若くて親切な看護師さんは若干注射の経験が浅かったようで、最初に刺した針が駄目になって、もう片方の腕に刺し直す羽目になった(二回目は、おそらく、別の年長の方がしたと思う)。僕は腕の血管が分かりにくいので、良くあることだから、全然気にならなかった。

ここでも、(外部から判断する)性格と仕事の結果は無関係という、厳然たる事実が再確認できた。だからといって、その看護師さんが駄目だとかいうつもりはない。むしろ、明るくて、(今は縁を切ってしまったが)前の会社での友人に似て親しみやすそうで、気安く接せる感じの、その看護師さんには好感が持てた。それは仕事とは全く関係ないがw それはともかく、多少経験不足だって、僕を安心させてくれたのは、充分に評価できることだと思う。

ただ、自分では安心し切っていたつもりなのに、医師に「始めます」と言われたら、急に脈拍が倍くらいに上がったのが、不思議でおもしろかった。

検査中のことは何も覚えていないのだが、胃液と組織を取ったようだ。終わった直後に写真を見せられて、ピロリ菌は陽性と言われた。詳しい結果は後日とのことだが、土曜日は混んでいるせいで、一か月くらい後になった。なかなかののん気さだが、慣れてしまったw

それから別のベッドに移動し、1時間以上休憩していた。なかなか呼びに来ないので、自分から出るんだったかと思ったが、出て行って「まだいいんですよ」とか言われたら面倒だし、長居しても怒られないだろうから、ごろごろしていたら、呼びに来た。医院までは歩いて行ったのだが、まだ麻酔が抜けていなかったようで、帰路は結構ふらふらしていた。前日の21時から全然食べられず、お腹が空いていたので、途中で甘い飲み物を買って飲んだら、最初に少しむせてしまった。なお、検査費用は約7千円だった。

帰宅したら、太腿をはじめ、身体中が痛かった。これは検査のせいではなく、前日に会社のレクレーションで十年以上ぶりに軽い運動をしたせいだと思う。帰宅してから飲んだホッピーがおいしかった。やたらと疲れていたので、20時前に寝てしまった。

そして、今日。まだだるい。まだ麻酔が抜けていないのか、目の焦点がいつもより合いにくいし、タイプミスなどの細かい間違いがやたらに多い。例えば、カレーうどんを「うどんカレー」と打つとか。。。麻酔のせいで頭がボケてしまったのか? そんな訳で、予定していたドライブを明日に延期した。

でも、心配していた胃カメラの痛みが全然なくて、良かった。あの医院なら、何度やってもいいくらいだw

PS. 初めの方に間抜けと書いたのは、例えば、喉にカメラの管を通すのに、事前に喉の診察をしていなかったことだ。例えば、すごく扁桃腺が腫れていたりして、喉の径が細かったら大丈夫だったのかと思うが、彼らの経験上、今までそういう問題はなかったのだろうと想像する。

PS2. まだ死ぬつもりはないけれど、昨日のように介抱されて、すっかり安心しているうちに意識が遠のいて、「気付いたら(気付かないだろうが)死んでいた」というのなら、痛みも不安も恐怖もないから、全く許容できる気がした。なんか、いいことを知った気がする。(20:24)

(10/9 7:41 検査費用を追記)

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(もう一個、2/27夜に書いた物。)

やっぱり、寿命はあらかじめ決まっているような気がする。

病気になるかならないか、自分で死ぬか死なないか、人に殺されないための運とか機転とか、そういうのは全部決まっているのではないか。

だから、誰かが死んでもそれは運命なので、悲しむ必要はないのだ。

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自分で死ぬことの善悪を言っているのではなく、病気などによる死をやみくもに避けることがいいのか、疑問があるのだ。果たして、早く死ぬことは不幸なのだろうか。

確かに、予告なく突然死んでしまうのは不幸だと思うが、「余命何年」のような情報があれば、完全な不幸とは言えないのではないか。

病気によっては、臓器移植をすれば寿命が延びる可能性はあるだろうが、その代償は小さくないと思う。多くの検査があり、移植待ちの期間は長いだろうし、待っても順番が来ないかも知れない。そして、移植手術の身体的負荷は高いだろう。成功しても、その後、死ぬまで拒絶反応を抑える薬を飲み続けるのは、生活の質としてどうなのかと思う。そういったことを我慢したとしても、その後の人生が幸せかどうかは別問題だ。

特に、子どもは、そういう治療について正しい意思表示ができないと思う。親が延命させたいから、それに従っていることが多いのではないだろうか。そこに、親の価値観の押し付けはないだろうか。

それよりは、無理な延命をせず、残された期間でやりたいことをやって(やらせてあげて)、心残りなく死んで行く方がいいと思うのだ。もちろん、何らかの処置をしないとやりたいことができないという問題はあるだろう。だから、全く何もしないで放っておく方がいいと言うこともできない。

ただ、健康な人だって、やりたいことが全部できる訳ではないのだから、残された時間でできる範囲でやれることをして満足するのがいいのではないだろうか。少なくとも、僕がそういう状況になったら、そうしたい。

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実家にて。

母の知人が亡くなり、葬儀で、世話になった人たちで弔辞を読むそうだが、いくつかの例文から選ぶそうだ。う~む。親しかったんだから、弔辞くらい自分たちで考えればいいのに!  一体、何のための葬儀なんだ?

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題にひかれて買ったのだが、物足りなかった。何でだろうかと考えてみると、この本は、儀式・墓無しの実際のやり方や散骨全般について詳しく書いてあるように見せかけて、実は、海洋散骨がメインで、それから、主人公の散骨体験談、主人公の会社(海洋葬の会社)の宣伝(らしきもの)が多く、残った部分に墓無しや散骨全般についての事が書いてあるからだ。しかも、どれもwebで読んで知っていた事ばかりだ。そして、樹木葬、それ以外の散骨の方法や儀式無しに至っては、ほとんど触れられていない。そういう所は、やっぱり主人公の会社の宣伝本なのかなあと感じた。

僕のように、儀式や墓は全く不要という人間が読むと、中途半端に感じる。

ひとつ意外だったのは、墓に入りたくない人も、儀式(葬式や散骨式など)はして欲しいらしいこと。まあ、墓と儀式は別の次元なのだろうけれど。

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