Archive for the ‘ノスタルジー’ Category

実家は昔の農家の造りで、家の中央に土間がある。それだけなら普通なのだが、設計がとてもいい加減だったので(その証拠に、家中に意味のない段差があるなど、他にも問題が多い)、土間は家の中央を縦断しているのだが、それを隔てた反対側へ渡るための床なり通路なりがない。約40年前に移築・増築(元は、ここ最初の写真の場所だった)した当初からそうだった。。。 そんないい加減な造りをそのまま良しとして放置していた祖父には、当時からアホかバカかと大変憤っていた。実際、中学か高校の頃、喧嘩になった折に「こんな(しょうもない)家を造って、後で苦労するんだよ!」と言い放ったことがあるが、そのとおりになった。

土間の幅は約1〜1.5mくらいだ。当初は狭い箇所はまたいでいたのだが、さすがに無理があるので、「とりあえず」、移転前の家の近くの工場からもらって来た、何かが入っていた木箱(30x40x30cm程度)を並べて通路(言ってみれば、「橋」)にした。今考えると、どうやってそれ(結構大量で、他の用途にも使った)をもらったのか疑問だ。ちゃんと許可を得たのかも知れないが、もしかしたら、そこら辺に捨てて(置いて)あったのを勝手に持って来たのかも知れない。昔ならあり得ることだ。それに、許可を得たにしても、普段付き合いのない工場に、のこのこもらいに行くずうずうしさは余り理解できない。

木箱はとても頑丈で、ずっと壊れずに使われていた。さすがに不便だし危ないので、母が別の物(縁台?)に変えた箇所もあるが、そのまま残っている箇所があった。母は時々、「(縁台を)追加しようとしたら、もう売ってなかった」と、残念そうに言っていた。

残った箇所は、母の部屋からトイレなどに行く時に通るのだが、彼女はもう高齢なので、特に夜に足を踏み外したら結構危ない気がしていた。が、合う物はなかなかないだろうと思って、放置していた。

ところが、今年のはじめに出張で新幹線に乗った時に、暇つぶしに通販のカタログを見ていて、ピンと来た。畳が上に載った台だ。それで、その場でその写真をメールで母に送って、サイズが合うか聞いてみた。残念ながら大き過ぎた(長過ぎる)のだが、いろいろ調べれば何とかなりそうな気がした。帰宅してから、母に問題の箇所の寸法を教えてもらってAmazonで調べて、ウッドデッキや縁台が良さそうに思えた。ただ、やはりサイズ(高さや長さ)が合うものがなかった(低過ぎたり高過ぎたり、長過ぎたり、1個では短く、2個つなげると長過ぎたり)。が、考えているうちに、ひらめいた。高さは、台に載せてかさ上げし、長さは、縦に繋げるのでなく、T字型に並べればうまく行くかも知れないと。

それで、更にAmazon以外にホームセンターも探し、数点の候補が見つかったので、母に選んでもらって、アイウッドデッキ(ダークブラウン)の2個セットを注文した。約2万円だった。Amazonだと送料が掛かるので、ポンパレモール内の直営サイトにした。じゃらんのポイントが余っていたので、丁度良かった。

高さが数cm低かったので、台に載せることにした。Amazonで調べたら、コンクリート平板というのが高さは丁度良かったのだが、良く考えると大きくて重くて(8個買うと)高く付くので、更に探したら、レンガも同じ高さ(6cm)であることが分かった。更に、会社帰りにホームセンターにレンガを見に行ったら、インターロッキングというものがあった。気泡の入ったコンクリートの塊なのだが、庭だけでなく道路(歩道)に使えるもの(実際、よく使われている)で、軽くて安くて(数十円)丈夫で、いいことづくめだった。

その後いろいろあって、設置は昨日になった。実家に行く前に、実家の近くのホームセンターでインターロッキングを買おうとした(インターロッキングやレンガは重いため送料が高く付くので、自分で運ぶのが安上がりだった)のだが、その店は余りメジャーではないせいか、あらかじめ見当を付けていたもの(半マスというサイズで、10cm角、高さ6cmのもの)より小さいもの(約7.5cm角)しかなかった。それでもデッキの脚には合うが、なるべく大きいものの方が安定しそうだと思った。しかも、少し(数円)高かった。時間が押していて、他の店は遠くて行く余裕がなかったので、仕方なく、希望のサイズだった半マスのレンガを10個買った。個体のばらつきによる がたつきなどを考慮して、10個買った。小さいといえども、想像以上に重かった。

設置を始める前は、良くあるパターンで、組み付ける部品が多かったり作りが雑だったりすることを予想して、結構苦労しそうだと思っていたのだが、予想外にうまく行った。本体は人工木(プラスチック)のせいか、思っていたより重くなく、組み立ては脚を取り付けるだけだったし、ネジも木ネジじゃなくてボルトとナットなので、軽く回って全然苦労しなかった。サイズは計算通りぴったりだったし、レンガのがたつきもなかった。まあ、サイズについては、もしぴったりでなかったら、サイトの商品情報が間違っていたか(実際、これだったか忘れたが、テキストで書いてあるサイズが違っていて、画像内の文字が正しい物があった)、計算誤りだったということになるのだが、僕は昔からこういう時にヘマをするし、やってみると何が起こるか分からないので、ちょっと心配ではあった。

が、実際にはとてもうまく行って、こういうこともあるんだなと、結構感動した。やっぱり、前にも書いたように、充分な準備をする価値はある。ただ、今写真を見ると、せっかく本体の色を家の木材に合わせたのに、レンガの色が浮いているのがちょっと残念だが、母は喜んでいたし、そのうち埃で色が落ち着きそうだから、良しとする。

(古い家だし、木箱の通路なんて恥ずかしいのだが、例によって写真を載せる。)

結局、この作業で一番大変だったのは、店-車・車-母屋間のレンガの運搬だったw 他にもいろいろしたせいもあって、昨日はちょっと疲れたが、夕飯のすき焼きがおいしかった。

PS. 上の写真を見ると分かるかも知れないが、土間の左右の床の高さが数cm違う。右側は台とほとんど同じ高さだが、左側は高い。果たして、こういう設計はありなのだろうか? もちろんないと思うが、何を考えていたのか全く理解できない。あのタイヤ屋さんとは正反対で、こんなのはプロではないと思う。

(9:56 加筆・修正, 10:16 アイウッドデッキのリンク先などの誤りを訂正, 13:16 少し加筆)

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久し振りのCurazyネタ。「全部○○のせいだ! 10選」の最初の題で唸ってしまった。

子どもがテストで、パイナップルの名前を「パイナッポー」と書いたら、×だったようだ。

確かに「日本語」では「パイナップル」だけど、ネイティブの人はそんな発音はしていないだろう。「オレンジ」だって「レッド」だってそうだ。確かに、それは英語じゃなく国語の授業だが、今時、そういうガラパゴス的、鎖国時代的な「言語」を平然と教えていていいのだろうか? 原語の発音に合わせて、どんどん修正して行くべきでないかと思う。じゃないと、今は小学校ですら英語を教えるのに、英語の時間は"pineapple"(の音)だけど、国語の時は「パイナップル」?と混乱するのではないだろうか。まあ、子どもは、そんな大人の事情には慣れっこだと思うが。

実は、僕も似たような経験がある。高校の英語のテストの長文問題に"Yale university"という単語が出ていて、「エール」か「イェール」かと迷った挙句、発音が近い「イェール大学」と書いたら、減点されてしまった(当時、僕はその有名な大学のことを知らなかったのだと思う。その問題で初めて見て、日本語で何と言うのか分からなかったのだ)。納得行かなかったので先生に聞いたら、「エール大学」が正しいと言われた。が、今調べたら、「イェール大学」でも正しいではないか!

まあ、そんな大昔の数点のことなんてどうだっていいんだけど、その英語の先生は、大学を出たてのとても若い方だったのに、それでもそんな旧態依然としたことをしたので、「やっぱり日本の教育はおかしい!」と憤り、(僕らの仲間みたいに感じていた)その先生にも「先生もかっ!」と、がっかりした。(でも、少し深く考えれば、大学入試では「エール大学」でないと×になる可能性もあるから、先生は結果的に正しかった、あるいは、親心からの減点だったのかも知れない。)

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先日、業者に取り込んでもらった古い写真から何枚か紹介したい。最後に残った写真なので、飛び飛びになっていて連続性はないが、それなりにおもしろいかも知れない。(まあ、ビートルズとかの「秘蔵写真」なんて、こんなものではないだろうか?)

最初の蔵の写真を見ると、女性が着物や割烹着を着ていたりして、当時の雰囲気が感じられる。なんか、明治時代と言っても分からない気もする。

はクリという名で、白と茶だった。良く子どもを産んだ。何匹も飼っていた(僕は世話はしていなかった)のだが、子どもだったので随分ひどいことをしていたので、いつも申し訳なく思う。外も中も自由に出歩いていたせいか、ノミがすごかった。トイレも全然覚えず、いつも母が困っていた。

エレキットの写真は小学生時代だが、そんな昔から半田ごてを握っていたとは、信じられない。中学からだと思っていた。電子工作のきっかけは、本宅の親戚からゲルマラジオをもらったことだった。それについては、後でまた書きたい。

(2/11 5:55 追記) そういえば、小学3年か4年の頃、ハンダ付けこそしなかったが、既に学研のマイキット(こんな感じの)を買ってもらって、(訳も分からず)ラジオとかブザーとか、いろいろな回路を配線して動かして遊んでいたのを思い出した。

アマチュア無線機器は、親にせがんでいろいろ揃えていたし、アンテナは簡単な物だけど自作した。FMアンテナは、FM東京をきれいに聴きたくて作った。木の廃材にアルミ箔を巻いたものとか、竹に電線を張ったものだったが、果たして本当に効果があったのだろうか?

機器などの一覧(写真左から):

  • BCLラジオ: 東芝 TRYX-2000
  • QSLカード(交信相手に送る)
  • アンテナチューナー: ダイワ CNW418
  • 短波帯トランシーバー: トリオ(現ケンウッド) TS-130V
  • マイク、電源: トリオ製

高校時代の芸術は、本当は工芸をやりたかったのに、父親に強制されて書道だった。字は下手だし、書道に興味などなかったが、篆刻のような工芸的なのはおもしろかった。印譜は、古い机の引き出しに仕舞っておいたら、鼠か虫に表紙をかじられてしまった。見ると、名前のたった一文字、2.5cm角程度の印、そして、印の押し方から、それぞれの人の個性が一目瞭然で、おもしろい。音楽や文学だと、こうは行かない気がする。今見ると、高校生なのに随分字が綺麗な人がいて、うらやましい。本当は、何人かの作品を大きく載せたいのだが、名前が彫ってあるので、残念ながらできない。僕のもあるので、どれか想像してみて下さい。

(2/11 16:59 追記) 印譜を見ると、かじられたのは表紙だけで、本体や自分で付けたカバーはほとんど無傷なことに気付いた。表紙は色が違うから、いい和紙でおいしかったのかも知れない。

伏見大社の写真は、修学旅行のグループ行動の時に撮った。「カッコいいだろ!」と本気で思っていたのか、受け狙いだったのか、今となっては分からない。その場に居た人に撮影を頼んだのだが、なかなかいい構図だ。そういう風に撮ってくれるように頼んだのかも知れない。グループ行動では班長だったのだが、楽しかったのか余裕がなかったのか、途中の連絡をすっかり忘れていて、帰ったら先生に怒られてムカついたのを思い出した。今だったら、スマフォのスケジュールに入れておけば、絶対に忘れないのに・・・

車の免許を取ってすぐに買った、最初のバイク(スズキ RG50E)の写真は、大学に入った年の年末に、翌年の年賀状用に、写真の好きなN君に頼んで撮ってもらった。でも、注文するのが遅くなって間に合わなそうだったのでキャンセルして、結局ボツになってしまった。

伊豆は、h.takくんと1泊2日で行った。河津のループ橋は、360°以上のカーブということで、すごく期待して行ったのだが、車の流れが遅くておもしろくなかった気がした。

最初の日の夕方、雨になり、疲れもあって、縁石にタイヤをぶつけて転倒してしまった。幸い、スピードは出てなくて、歩道側に倒れたので、怪我も何もなくて済んだ。当時のh.takくんの話では、目撃した軽トラの人が彼に教えてくれたそうだ。ありがたかった。当時は、随分髪を長くしていたようだ。良く、鬱陶しくなかったと思う。前の年に買った2台目のバイク、スズキ GS250FWで行った。

幼い頃に住んでいた勝山には、何度か行っている。この時の手帳を見ると、"sentimental journey"とか、「Boys of summerがぴったりだ」などと書いてあって、何があったのかは分からないし、もうどうでもいいがw、そういう気分だったようだ。フィルムが劣化していて、画質が悪い。海岸の写真は、別に保管していたプリントの方が綺麗なのだが、あえて、今回取り込んだフィルムのを載せた。

学生の頃のAV機器は、それなりにすごい。レコード、カセット、ビデオの他に、当時最先端のCDまで再生できていた。今とは偉い違いで、てんこ盛りだ。スピーカーの上にレンガを載せて、振動を防ごうとしていたようだ。壁の左側のポスターは、小泉今日子のようだ。

機器一覧(写真左から):

  • スピーカー: ダイアトーン DS-201
  • レコードプレーヤー: テクニクス SL-10
  • CDプレーヤー: ケンウッド DP-1000
  • VHS Hi-Fiビデオデッキ: ビクター HR-D725
  • アンプ: ビクター A-X5
  • カセットデッキ: 不明 (Lo-D製? D-7辺りに似ているが、違う)
  • TV: NEC製 14型 (パソコン兼用)

竜神ダム数年前にも行ったが、この頃に行ったことはすっかり忘れていた。もちろん、当時は、あの大吊橋はなかった。この年に、この3台目のバイク、ヤマハ RZ250Rを買った。

大林監督は今は何をしているのだろうか。「転校生」や「さびしんぼう」などには随分感化された気がする。ピアノがこんなに好きになってしまった発端の一つは、「さびしんぼう」だった。

(2/11 17:24 追記) 彼の有名な作品には、他に「時をかける少女」がある。もちろん好きだったが、尾道に行く動機にはならなかった気がする。

この時は、広島で学会があるので、「ついでに」その辺をツーリングしようと、バイクで行って、広島から尾道に行った後、四国をほぼ一周して来た。今となっては「一体、何しに行ったんだー?」という気がするw

四国は雨が多かった気がする。友人N(上の、写真好きの人とは別)にテント一式を借りたのだが、2回とも降られた。濡れたテントを干せなくて困った。それ以来、野宿は止めた。1回目の野宿は、いい場所が見つからなくて(今となっては、下調べもせずにナビもなしに行ったのだから、当たり前という気がする)、自衛隊の演習地の入り口のような細い道路でだった。食べ物はスナックしかなく、雨だったし、寝ているうちに演習が始まったら大変だとか心配で、寝付けなかった。

かずら橋に行く前に泊まったユースで、同室の人に、大雨でかずら橋が流されたと聞いたのだが、実際には残っていた。

若い頃は、無茶ばかりしていた感じだ。

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先日、長年使ってきた無印良品のカップにひびが入ってしまった。まだ中身は漏れないようではあるが、幅が結構広いし、上から下までなので、もう使えない感じだ。

どうしてなのか心当たりがないのだが、洗ってカゴに入れた時に、別の物に載せたのが落ちたか(といっても5cmくらい)、寒い朝に熱湯を注いだせいか。

シンプルなデザインが気に入っていた(その割には乱雑に扱っていたが)のだが、もう20年前後も使ってきたので、寿命は全うしただろう。ちなみに、一緒に買ったティーポットは、渋がすごいながらも健在である。でも、近頃は紅茶もお茶も淹れることがない。関係ないけど、コーヒーも淹れない。

いつ買ったかが定かでないのだが、横浜に住んでいた時に、たまたま遊びに来ていた妹と街に遊びに行った時に買ったか、市川に越した時に近くの西友で買ったかだ。市川の頃は、その西友に入っていた無印のお店で、ベッドや本棚など、いろいろ揃えたものだ。そのベッドも本棚も、まだ健在だ。ベッドは、寝る板が折れないかちょっと怖いけど。

2個一緒に買ったので、片割れが実家にないか母にメールで聞いたのだが、まだ返事がない。でも、それも前に割ってしまった気がするが、定かでない・・・ それで、まだ代わりを買っていないので、たまに暖かい飲み物を飲もうとしても、飲めない。

実家にあったそうなので、今日、引き取りに。まあ、スーパーで安いのを買う方が安上がりなのだろうが、やっぱり、少しでも気に入ったものを使いたいので。(13:11)

さっき持って来た。他にも、ちょっと気に入っていたのをいくつか持って来た。

片割れは母が洗ってくれていたのか、綺麗だった。また十年くらいは、お世話になりたい。

写真マグは、最初の会社の時に、取引先のキャンペーンで、実家の猫の写真を焼いてもらった。写真を送ってから随分経っても届かなかったので、文句を言ったのを覚えている。色が悪いのは、元々である。当時はデジカメなどなくて、手元にあって焼いて欲しかった写真は、このように写りの悪いものだった。

東大寺のと奈良のは、2005年11月に奈良・京都にドライブに行った時に買った。(19:52)

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猫には目がない。あるけど僕はない。

そして、猫の手には妙にひかれる。棒のような外観なのに、実際には毛がふさふさしていて手触りが良く、肉球は実に柔らかく、不意に手首がくねっと曲がったりする。しかも、動きは意外に速いし、思わぬところから飛び出て来ることもある。更に、油断していると引っ掛かれることすらある。全く、得体の知れない物である。

昔、猫ニャンぼーというおもちゃがあったが、それには大変興奮した(数年前にリバイバルしたそうだ)。当時、帰省した時に、妹(信仰・音楽問題とは別の人)が買って持っていたのを見て、「でかした!」とうれしくなった。そして近頃、偶然同時にお三方のブログに猫の手が出ていたので、ぐっと来てしまった。

marutenmamaさんの「テンスケの手」と、あずきのばあばさんの「疲れるお相手」と、カノママさんの「発信器付きコウノトリ」である。

marutenmamaさんのテンくんの手は、「まさにこれ!!」であり、「藪から猫の手」だ。これだけでご飯が十杯はいける。良くこんないいタイミングで写せたと思う。僕だったら、つい、肉球を指で触ろうとして(しかも、触れる直前に引っ込められて)、撮る機会を失うだろう。

ところで、僕は黒猫が大好きで、その次はさび猫なのだが、彼女のところのマルちゃんがなかなか可愛いくて、あんな顔と目で見つめられたら、その信念が揺らぎそうになる。きっと、若いのと性格が柔和だからなのではないだろうか。

あずきのばあばさんのまめちゃんの手は、実にうらやましい。こんなことをしてもらったら、うれしく楽しくなって、何回でもやって欲しくなってせがむだろう。例え、はずみで引っ掛かれたとしても、全く許せる。

そして、カノママさんのカノンちゃんの手は、「これなんだよねー」だ。猫が、こうやって訳もなく手をぴんと伸ばして寝ているのを見ると、その時にやっていたことなんてすっかり忘れて、ついいたずらしたくなる。彼猫はそれを狙っているのではないかと思う。

(という訳で、忙しいのではなく、単なる猫バカの思いでした。)

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先日、どうしてだったか、ふいに懐かしくなって欲しくなり、注文したのが昨夜届いた。一緒に他のCDやCDファイルなどを注文した。本来はCDファイルが欲しかった(デッカ事件のせいで、MP3の購入を止めてCDに戻らざるを得なくなり、これからもCDファイルが必要になりそうなので、今まで使っていたバッファローの120枚入りを2個買った。あと10年はもつだろうか?)のだと思うが、Amazonの合わせ買いの対象なので、欲しかったCDをいろいろ買った。まんまと策略に引っ掛かってしまった。

昨夜は疲れ果てていたので早く寝てしまったのだが、さっき目が覚めたので、聴くことにした。ジャケットを見ると、「さすがの猿飛」のスパイナー高校の2人(リンク先画像の数字が名前)を思い出す(が、実際には全く異なっている)。このアルバムと「さすがの―」は同じ頃に出たと思っていたが、後者が少し後だったようだ。曲目を見ると、ボーナストラックが3曲も入っていた。意外に取り込みが速かった。取り込み速度は盤質と関係あるのか、気になるところだ。

全然関係ないが、BDドライブのトレイが1-2年前から開きにくい(2-3回ボタンを押さないと駄目)のは、何が悪いのだろうか。壊れる前兆だとしたら、妹の(処分する)PCから外して持って来るのがいいかも知れない。が、外すのは面倒だし、確かATA接続だったから使えない気もする(マザーボードにATA端子はあるが、調子が悪い)。

聴くと、最初の"Dream police"はやっぱり懐かしい。が、なぜか、イントロのギターが記憶と少し違う感じだ。例えば、こっちは音を切り気味にしているが、記憶では伸ばし気味だった気がする。シングルと違うテイクなのか、今まで(コンピレーション盤に入っているものを)ちゃんと聴いていなかったのか。→ 今、元々持っていたのを聴いたら、同じ感じだった。

なぜか、少し音量が小さい。再生ゲインがアルバムモードだからか。→ 聴きやすい音量で何曲か聴いたら耳が少し痛くなったので、実際には小さくはないようだ。起き抜けで耳が本調子でないのか、ヘッドフォンで聴いているせいか。あと、何となく、音が平板的な(ダイナミックレンジが狭い)感じだ。

"Voices"や"I know what I want"も懐かしい。が、他の曲は、やっぱりすっかり忘れていた。

このレコードは、中学生の頃、確か同じ剣道部のKくんに借りた。カセットにダビングする時、A面最後の"Gonna raise hell"が長くてうまく収まらず、苦労したのを思い出した。今はそんな苦労が全くないのは便利だと思うが、何となく、情緒が失われた気もする。当時のアルバムはA/B面の区切れを意識していたものが結構あったので、アーティストや制作者の「考慮」が失われてしまっていると思う(まあ、例えばA/B面を別のアルバムやプレイリストとして登録すれば、それを復活させるのも可能ではある)。

 

PS. Amazonの宅急便のラベルの文字はかなり小さいので、高齢の作業者には厳しそうだ。

(さて、また寝るか・・・)

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黒歴史シリーズ第1弾。(確か)h.takくんのご要望があったので、書きます。黒歴史って、「武勇伝」のように、余り好まれないかも知れませんが、少しでも笑って下さる方がいるかも知れないので、書きます。ただ、ここに書ける黒歴史がどれほどあるか分からないので、シリーズといっても、すぐに終わるかも知れません。

高校生の時は無線部に入っていた(余談: 正式には物理部という名前だった。中学生の時にBCLをやっていたので、アマチュア無線には興味があったし、電子工作とかマイコンもできそうなので入った。でも、もしマイコン部があれば、入っていたと思う)。確か、2年生の時は、どうしてか、部長をしていた。そして、その学年の3月頃、3年生の送別会が開かれることになった。会では、主だった人が出し物を披露することになっていた。僕は、部長だったせいか、どうしても何かやる必要があった。

(ここまで書くと、題から大体想像がつきますねw 残りは帰宅してから書きます。)

帰宅してから、何をやるかいろいろ考えた。ギターを弾きながら歌うのがベストだと思ったが、実際には、何一つとしてまともに弾けなかったので、却下となった。

他の出し物はできなかったのか(当時は今で言う高2病で、自尊心がすごく高くて、良くあるちょっとした笑いを取れる出し物なんて、自分を低く見られそうだから論外だった。そもそも、そういうネタ自体、ロクに知らなかった。)、思いつかなかったのか、歌を歌うことにした。

何を歌うかについても悩んだ。まずは自分が好きな曲だが、みんなもある程度知ってそうな曲が良さそうだと思った(この辺りは、今でも、「カラオケの順番が回ってきたらどうしよう」と考えるのと似ている)。

いろいろな曲を考えた気がするが、最後に決めたのが、"Yesterday"であった。この曲は、当時は好きだったし(なんたってビートルズだし、最初に買った"Love songs"の最初の曲だし)、有名だからみんな知ってそうなことがポイントだった。それで、歌詞を忘れないように紙に書き写したり、何度か練習もした。

当日。順番が回ってきて、歌った。手書きの歌詞を見ながら、薬師丸ひろ子のように直立不動で、無伴奏独唱した。

歌い始めて少ししてから、選曲を誤っていたのに気付いた。曲が暗くて全然送別会に似つかわしくなかった。まるでお葬式のようではないか。今更思うが、詞だって場違いだ。それでも、当然のごとく全曲を歌った。今なら、乗りが悪かったら1番だけで終わりにするとかしそうだが、純真だった当時の僕は、そんな考えも起こらなかった(実際には止めたかったが、プライドがそれを許さかなったのかも知れない)。

まあ、とりあえず、(今のカラオケと違って)音程は余り外さなかった気がするが、歌い終わってからの周りの反応は全然覚えていない。。。みんなは、即座に「なかったこと」にしてくれたのだろう。

てなわけで、それからこの曲は、僕の黒歴史となった。今でも、聴くたびにあの苦い思い出がよみがえる。イントロのギターだけで、もう。。。

 

PS. 今これを書いていて、同じ部の友人Hくんに相談して、一緒に何かやれば良かったと思った。彼はギターを弾けた気もするし、僕よりは、軽い出し物を知ってそうだった。まあ、自分で書くのもおかしいが、当時は結構孤高な人間であった。

PS2. 今更ながら、"Hey Jude"にはしなくて良かったと思う。(スミマセン、受け狙いです。) (1/18 19:35)

(2017/1/18 7:10 後半(「帰宅してから、」以降)を記述)

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以前も書いたのだが、ビートルズは、いとこにもらったテープ(NHK FMで掛かった、ベスト盤"1962-1966"と"1967-1970"の抜粋)が初めてだった。そして、自分で初めて買った彼らのレコードは、"Love songs"だと記憶していたのだが、先日実家から持って来た発掘物から、その証拠が出て来た。

中高生の頃に記録していた、レコード一覧である。買った時に書いたものもあるが、それ以前に買った物も、買った時期を思い出して書いていた。当時、どういう理屈にしたのか、親にタイプライターを買ってもらって、それで打ち込んでいた(タイプを使いたくなった最初の理由は、年賀状作りだったと思う。今でいう、アスキーアートだったと思う。もちろん絵は苦手なので、柄は絵じゃなくて、文字(タイプの文字を何個も打って、大きな文字にした)だった。手作りのバナーだ(でも、今はバナーの意味がすっかり変わっているな)。今思えばとんでもない無駄遣いだw)。

僕のレコード一覧(c. 1980-1985)より

最初は考えていなかったのか、タイプミスするのが嫌だったのか、行がズレるのが嫌だったのか、ビートルズのの買った時期や追加のコメントは手書きになっている(今だったら、いくらでも挿入・修正できるのに!)。今気付いたが、一覧の中で、2つのアルバムが手書きの"]"でくくってあるのは、同じカセットのA/B面に収める案だったのだろう。そして、一通りビートルズを揃えた後は、ウイングスを揃え出したようだ。他に、その頃買ったレコードで、The carsやYMOのも載っている。でも、それ以前に持っていた桜田淳子などの歌謡曲のレコードは「なかったこと」になっていて、記載されていない。

おもしろいことに、アルバム名の表記が、当時から今と同じでブレていないことが分かる。僕はアルバム名や曲名の各単語の頭を大文字にせず、普通の文章のように先頭だけ大文字にして書くのが好きなのだ。(例: "Please Please Me"でなく"Please please me") あ、"Hey jude"は駄目だ。。。

限られた小遣いの中で、買うアルバムは厳選(聴きたい曲を揃えるのに最適化)していた。オリジナルのUK盤だけにせず、UK盤に入ってない、シングルの曲(例: "I want to hold your hand")が入っているUS盤も混ぜていた(日本盤は、オリジナリティーがないと思って買わなかった。今となっては、US盤なんて極悪非道の「売らんかな」精神そのものだったが、当時は知らなかった)。ただ、"Rubber soul"だけは、たまたま輸入盤のワゴン(当時良く行っていたジャスコでは、どういうタイミングか、たまに、今のホームセンターなどでの懐かしいCDやDVDのような感じで、輸入盤が売られていた。)で見つけたUS盤を、UK盤とは曲目に違いがあることに気付かないで買ってしまい、そのせいでずっと(長いものではCDを買うまで)聴けなかった曲もあったから、かなり後悔していた。

その一覧には、確かに、"Love songs"が最初だと記録してある。1977年の10-11月に買ったようだ。そして、それを買った時にもらったペンダントも出て来た。何のメッキだろうか、未だに光っているのがすごい。更に、そのアルバムを買うきっかけになった広告も出て来た。余談だが、今の自分がこの広告を見たら、全く買う気にはならないだろう。「日本が2/3、アメリカが1/3って、単に妥協の産物じゃないか」って感じで。

そして、今朝、このことを思い出していて気付いたことがある。ビートルズに出会う前に、ロックが好きになるきっかけになったバンドがあった。あの「キャロル」だ。いとこは二人(TさんとHさん)居て、どちらも結構年上だったのだが、どちらの方からキャロルを聴かせてもらったのかは覚えていない。ビートルズは二人とも好きだったが、テープはTさんから、カセットレコーダー(とマイク)はHさんからもらった気がする。

キャロルを初めて聴いた時、何と思ったかは忘れたが、とても新鮮で、衝撃を受け、興奮した。今も覚えている曲は「ファンキーモンキーベイビー」だ。「これが音楽!?」という感じだったかも知れない。それは、「音楽的でない」という意味ではなく、それまで聴いていた、当たり障りのない歌謡曲や、学校の音楽とは全然違っていたので、「こういう音楽もあるのか!」という驚きだったと思う。そして、すごく乗りが良かった(僕が乗りのいい音楽が好きなのは、これが原点なのかも知れない)。とても気に入ったので、その時にバンドの名前を教えてもらった。後でレコードを買おうと思ったのだろう。

(お盆か正月に行った)いとこの家から戻ってしばらくしてから、レコード店に行った。店内を歩き回って、キャロルのコーナーは見つけた。が、結局買わなかった。最も大きな理由は、「恥ずかしい・・・」だった。まじめで小心者の中学生が気軽に買えるジャケットではなかったのだ。今調べたら、どれも、リーゼントで煙草を吸っていたり、暴走族みたいに不良っぽかったし(実際、そういう人たちのシンボルだったのだが)、(その日に見た別のバンドのだったのかも知れないが、)「大人じゃないと買えない絵柄」のジャケットもあった気がする。音楽とジャケットの印象の違いに、戸惑ったような気もする。今思えば、詞を余り聴かず、曲だけでイメージを作っていたからかも知れない(どうしてか、詞を余り聴かないのは今も同じだ)。あと、気に入った曲(「ファンキー―」の曲名が分からず、どのアルバムを買っていいか分からなかった気もする。

結局、散々逡巡した挙句、何も買わずに帰ったのか別のを買ったのかは、記憶にない。それから数十年経つが、今でも彼らのアルバムどころか、一曲も持っていない。今だったらジャケットは全く問題ないが、好みとは少し違うとか、その後に聴いたビートルズやその他のバンドの方が断然好みになったからだと思う。

そうこうしているうちに、あの広告をFM雑誌("FM fan"を購読していた)で見たのだろう。それが本当の始まり(かつ終わり?)だった。ビートルズのレコードを買うのは、全く恥ずかしくなかった。やっぱり、彼らは優等生だったのだろうと思う(実際、"I want to hold your hand"なんて、英語の教科書みたいで、逆に恥ずかしいくらいじゃないか)。詞や曲はそこそこ・結構先進的なものがあったけれど、ジャケットには全く問題がなく、どれだって堂々と買えた。

単なる思い付きだけど、そういうことも、デビュー直後から彼らが世界中で(特にUSで)売れた理由の一つかも知れない。そういえば、マネージャーのエプスタインは、彼らを売り出すに当たって、(キャロルのような感じで)荒くれていた彼らの格好を、例のおかっぱみたいな髪型と襟なしスーツ姿にさせたというから、あながち間違ってもいなさそうだ。

優等生とはいえ、彼らの音楽や行動(本などで昔のことを読んだだけだが)は、当時の僕にはものすごく革新的、エキセントリックだった。それに感化されてしまった僕は、中二病や高二病を経て、今に至っているのだろう。。。

PS. 実は、レコード一覧には続きがある。CD一覧である。大学生の時に、パソコン(FM-7)のテキストエディタで作り、その後、FM-7で動くワープロに移した。

僕のCD一覧(1986-1988)より (個人名を隠した)

PCベースなので、手書き文字がないのが少し味気ない気がする。文字もタイプの方が味がある。そもそも、この頃はフォントなんて選べなかったが。。。残念なことに、全角文字を使っている感じだし、アルバム名などの記法が揺らいでいる。アルバム名はジャケットの記述に合わせたのかも知れない。ただ、タイプの時とは違って、CSVのようにデータに構造を持たせようとしていたことが分かる。その考えは今も同じだ。

僕の最初のCDは、記憶どおり、友人Wから買ったRushの"Power windows"だった。最後のページを見ると、ビートルズのCDを揃えたのは1988年4月だったことが分かる。彼らのレコードを初めて買ってから約10年か。今思えば、意外に短い。秋葉原のいろいろな店を歩き回って、1日で全部(15組)揃えたことを覚えている。大学が忙しくなったのか、1988年4月で記録が終わっている。その時点でのCDの総数は57組だった。

その後就職して、CDの増加速度は加速した。今では何枚あるか分からない。プレイヤー(GMB)では1000組程度と出るが、レンタルしたものや重複などが含まれているので、正確な数は分からない。→ 調べたら、レンタルなどは約230組だったので、重複を考慮すると、大体750組程度か。(1/15 13:15)

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先日、スーパーからの帰り道、子どもの頃大好きだった小熊のぬいぐるみのことを突然思い出した。途中に居た、お母さんに連れられた子どもが熊のぬいぐるみを持っていたからかも知れない。そして、あのぬいぐるみがどうなったのか、気になった。確か、妹の物だったので、取り合いをしたかも知れない。そんなふうに手荒に扱った関係で、段々壊れてしまったのが、子どもながらにも可哀想だった(実際には、自分で壊したんだけれど)。それが、引っ越しのせいか、いつからか居なくなってしまったのが、寂しかった。

写真を探したら、運良く写っていた。全体的に茶色い熊だと思っていたが、実際には白い部分が多かったようだ。その頃の写真はほとんど白黒なのだが、どうしてか、これは珍しくカラーで良かった。

1967年、妹と。(顔はぼかした)

熊で連想したのか、部屋に帰ってから、この歌が頭の中で流れた(いかん! 今、イントロを聴いただけで涙が出そうになる)。。。

子どもの頃のことを思い出すと、なぜか、寂しく悲しくなるのは、歳のせいだろうか。

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驚かせてごめんなさい。37年前の話です。(実家からの発掘品シリーズ)

確か、中3の冬だったと思う。ポールがウイングスで来日するというので、ウイングスは好きだったが、(当時は、一応「まじめな」生徒だったし、お金もなかったし、遠くて面倒だったので)コンサートに行きはしなかったけど、(TV放映を期待して、)結構楽しみにしていた。それが、来たらすぐに捕まってしまったので、何ともがっかりした。そのことは、中学校のノート(毎日のことを書いて学校に出す物)に書いた。(今で言う中二病のまっただ中だったので、)「警察は何で大麻くらいで捕まえたのだ」という主旨だったが、担任の先生に「大人の論理」で諌められた覚えがある。

まあ、今となっては、日々さまざまな有名人がいろいろな薬物で捕まっていて、感覚が麻痺してはいるが、それにしても、仕事なのに大麻を持って来るなんてのは、日本を舐めている(少なくとも、日本の規則を調べもしないというところが、アホとしかいいようがない)としか言いようがない。

この件は後日、スネークマンショーのネタにもなり、みんなの笑い物に成り下がった。ポールはポールで、"Frozen Jap"という、タイトルからして嫌な歌(曲調も「西洋からみた日本」的)を作り、(ウイングスは解散しちゃったのか、)ソロアルバム"McCartney II"に入れた。やっぱり、彼は(今は知らないが)日本を見下していたのだと思う。僕は、それでも、とりあえず、そのレコードを予約して買った。そうしたら、幻の来日コンサートのパンフが特典として付いていた(それは今も捨てていないはずだが、出すのが面倒だから、他人のリンクにした)。

そして、その年の12月に、ジョンは殺されてしまった。全く関係ない事件だが、大麻でヘマするような軽い人と、狂信的なファンに殺されてしまう、本当に神がかりな人。中高生には大きな違いであった。。。

(でも、今は、作者の経歴や思想は音楽とは切り離して考えることにしているので、例え作者がどんなに軽かろうとアフォであろうと、曲が良ければいいので、ポールの歌は好きだ。)

余談:

  • お金がなかったとはいえ、当時のチケットの価格(コンサートの広告も一緒に保存していた)は、S席でも4500円(4万5千円じゃない)だった。随分安い気がするのは、年月の経過のせいか歳のせいか? まあ、安くても、果たしてチケットが取れたかという問題もあるが。
  • 更に、逮捕の記事を読むと、空港のロビーで待っていたファンの数はたった30人(300人じゃない)だったようで、拍子抜けする。当時のポールは、今ほどグレイトじゃなかったのだろう(確かに、僕の記憶もそうだ)。逆に、今がグレイトに扱われ過ぎている気すらする。
  • 記事を読むと、「大量の大麻」、「計219グラム」とあるので、その量がどのくらいの悪さなのかは分からないが、入れておいてうっかり出し忘れたとか、ちょっとした出来心ではなかったようだ。
  • ジョンが殺された時、僕は中学生だった記憶があるのだが、実際には高1だったようだ。どうしてだろうか。それとも、ポールの時も既に高校生だったのか。記憶が曖昧だ・・・
  • 保存していた新聞を見ると、今と比べて文字がすごく細かい(面積比で1/3くらい?)のに驚く。当時の高齢者は大変だったのではないか。虫眼鏡を使う人が多かったのは、そのせいか。(1/9 5:59)
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