Archive for the ‘ノスタルジー’ Category

Spotifyの使い勝手を改良するプログラム(暫定版)を作った。仮に「Spotify制御ツール」(spotify-ctl)と呼んでいる。(作るのに結構苦労した割には、)見た目はしょぼいが、僕には欠かせないものだ。以下のような機能がある。

  • リモコンでSpotifyを操作できる。GMB(gmusicbrowser)と切り替えて使える。
  • 音量正規化のon/offをボタンで切り替えられ、その状態を表示できる。
  • リモコンで、「この曲の再生後に停止」を指示することができ、その状態を表示できる。

意外なことに、ほとんど誰も「この曲の再生後に停止」機能を欲していないようだが、几帳面な僕には必要だ。今の曲で聴くのを一旦止めようと思った時、一瞬でも曲のお尻が欠けたり次の曲の頭が出るのが許せないのだ(これ、本気です)。常に「ぴったり」で停めたいのだ。それをやるのにこの機能がないと、(車の信号待ちの時のように)曲の終わり辺りで再生位置のメーターに神経を集中させる必要があるので、疲れるw

少し内部的なことを書くと、システムは、以下のように、リモコン対応部(GMB用のプログラムに機能を追加)と制御・表示部(本体)からなる。

リモコンサービスプログラム

  • リモコンのキー(再生、停止など) → SpotifyまたはGMBに指示を送信する(DBus)。送信先(操作対象)は下のように切り替える。
  • 対象切り替えキーまたはその時の状況(例: 片方のアプリしか起動してなかったら、そっちに送る。片方が再生中だったら、そっちに送る。)で、制御対象(SpotifyとGMB)を切り替える。
  • 対象の切り替え時には通知を表示する。
  • 「この曲の再生後に停止」のキー → 制御・表示プログラムに指示する。

制御・表示プログラム

  • Spotifyアプリ (DBus) → 曲情報 → ウインドウに曲名、演奏者、アルバム名を表示する。
  • Spotifyアプリ (DBus) → 再生状態 → ウインドウに表示する("Playng status": "▶"/"⎟⎟")。
  • 音量正規化変更ボタンのクリック → Spotifyに設定し、ウインドウ下部のボタンに状態("RG is ON"/"RG is OFF")を表示する。
  • リモコンからの「この曲の再生後に停止」の要求 → 要求の有無をウインドウに表示("Playng status": "▶"/"▶⎟⎟")し、要求がある場合、曲の切り替わり直後に停止する。その後、要求をクリアする。

なお、本当は、GMBのミニプレーヤー(下図左側)のようにテキストを綺麗に表示してジャケット画像も出したかったのだが、表示に使ったツール(yad)の機能の限界のために見送った。余裕があれば、別のツール(uzblブラウザが有望)で実現したい。が、簡単に操作できることが重要で、見栄えは本質でないので、優先度は高くない。あくまでもお遊びだ。

やりたかったイメージ (左(GMB)が理想)

「なんだ、偉そうなこと言っておきながら、結局(GPMでやっていたことと)同じことを繰り返してるじゃん」と言われそうだが、結構違う。GPMの時は、第三者の作ったライブラリやアプリなどを改造して使っていたが、こっちは、純正のアプリを何も変えずにそのまま使い、一部(音量正規化の設定変更の仕方)を除いて、公開されている仕様(DBus/MPRIS)に基づいて作っているので、Spotifyの勝手な変更(仮にあったとしても)に右往左往させられる心配は少ない。だから、将来的な手間はずっと少ないはずなので、音楽(=本質)に集中できる。

遊んでしまったw テキストを見やすくし、ジャケット画像をSpotifyから取得して表示するようにし、再生状態はアイコンにした。これならまあまあ許せるかな? 表示には前と同じプログラム、yadを使ったが、前(form)とは別のモード(list)を使った。 (6/3 3:33, 13:12)

外観を大幅に改良したSpotify制御ツール

 

PS. まったくの余談だが、デバッグ中に「さらば涙と言おう」(1971)が掛かった時(→ )、ものすごく懐かしかった。というのは、僕の通っていた小学校では、下校時間にこの曲が流されていたのだ。どうしてこの曲なのかは今となっては知る由もないが、毎日掛かっていたのだ。たまたま帰るのが遅くなって、夕方の薄暗い時に、ちょっと悲しい気分で聞いた記憶がある。なお、この曲がいつまで使われていたのかは記憶にない。

何十年振りに聴いた気がするが、清潔とかシンプルな曲だと思い込んでいたのに、(基本はそうだけど)意外な雰囲気だったことが分かった。例えば、ハワイアンな音(ギター)があるのだ。尾崎の「また逢う日まで」(1971)もそうだが、当時は結構妙なアレンジが多かったのかも知れない。まあ、今の歌(全然知らないがw)でも後でそう思われる気もする。

あと、彼がのちに県知事になるなんてのは、まったくおかしなことだw でも、USだって似たようなものだ(爆)

PS2. GPMを退会するに当たり、ライブラリ(お気に入りのようなもの)の一覧を保存しようと思っていたのだが、面倒だ。ツールはあるはずだが、それを引っ張りだして実行するのすら面倒だ。そして、意外なことに、近頃は、「そんな一覧なんてなくてもいんじゃない?」とすら思って来た。

というのは、確かに、気に入った曲の一覧があればいいが、今まで、それを見て聴くことがほとんどなかったからだ。逆に、重複のチェックに使った程度だ。あとで一覧を見て振り返ればおもしろいだろうが、その程度だし、それなら日記やこのブログに書いてあるからいい。(クラシック音楽については)僕は、常に、新しい(自分の知らない)、自分好みの演奏を聴きたいと思っているからだろう。あと、演奏者やジャケットを見れば思い出せることが多いし、気づかずに再度聴けば気に入る可能性もあるのだ(実際、最初は気に入らなかった演奏をあとで気に入ったことがあったし、その逆もあった)。

要は、昔の人のように、何かの曲の話になったら、「ああ、あれ(あの人の演奏)は良かったよ」みたいなものだと思っている。曲名と演奏者名が分かれば、世の中のどこかにあるはずだから、聴こうと思えば聴けるので、音楽を聴くのに(個人の)ストレージは不要になった。すごい時代だ。というか、昔に戻っただけ?w

重い腰を上げて、ライブラリの曲一覧をダウンロードした。GPMでは190アルバムと表示されていたが、ダウンロードしたら184個だった。まあ、6アルバム程度は「誤差」として良しとするw

なお、Googleのサービスはもちろん、既成の(第三者の)プログラムでもできないようだったので(検索したら、ブラウザでGPMを開いて、開発者ツールにJavaScriptのプログラムを入れてなどという前時代的なことが書いてあって、げんなりした)、gmusicapiのMobileClientインタフェースのget_all_songs()を使って適当に作った。いつもながらPythonは嫌いだ。Perlよりはまともだが、なんで人気があるのか分からない。 (6/3 22:01)

PS3. 今気付いたが、このツールのおかげで、(Spotifyのアプリではできなかった)曲名や演奏者名などのコピーが容易になった。自分では気付かずに作ったが、これはうれしい!

PS4. それなりに動いていて便利なのだが、(いろいろ工夫はしたものの、)曲情報が改行されていないのはやっぱり見難いので、いろいろ試した結果、表示部に全世紀の遺物的なプログラム、Tcl/Tkがすごく良く使えそうな感じだ。今日、外側を作ってみたら、かなり理想に近くなった。あとは中身を作るだけだ。 (6/5 22:27)

新しいUIの案

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前回、Googleのいつもの勝手気ままな行動のために休日を潰したことを書いた。その時は暫定的な対処でしのいだのだが、正式な対処をする必要があり、結構大変(しかも、Googleの気まぐれでこの先がどうなるか不明なので、すぐには手を付けられない)なことを実感した。それで、どうするか考えた。いくつかの案があったのだが、その一つに、以前は却下したSpotifyに移ることがあった。

Spotifyを却下した理由は、Linuxのクライアントで音量正規化ができなかった(設定はあったが、効いていなかった)ことと、僕の聴きたい曲のレパートリーがGPMに負けていたことが大きかった。ただ、そもそも、GPMでの多大な苦しみは音量正規化をするためだったので、もし新しいSpotifyクライアントで音量正規化ができれば、そんな苦労が不要なので、充分に再考の余地があると考えた。

調べてみたら、近頃Linuxのアプリが更新されたようなので、インストールして試してみた。すると、音量正規化がかなりうまく働くことが分かった。普通のポップ音楽ではボリュームを調整する必要がないほどで、僕が苦労して作ったGPM+GMBのシステムを軽く超えていた。ただ、動的に正規化しているためか、ピンク・フロイドの「狂気」の最初の曲のように小さい音が長く続く場合には、音量の変化が激しくなって不自然になる。それにしたって、わざわざその曲を試したから気付いただけで、今まで数日間、普通にポップ音楽のラジオ(プレイリスト)を聴いていた限りでは、全然おかしくなった。あと、無料プランなのでビットレートは低いはずだが、(ポップ音楽では)音質も悪くなかった。

レパートリーに関しては、確かにGPMの方がいいことがある。が、試して実感したことがある。それは、(以前も書いたが)Spotifyの方がGPMよりずっと「音楽的」だということだ。言い方を変えれば、音楽好きな人たちが運営している雰囲気が感じられるのだ。一方、GPMからはそんなことは全然感じられない。他の事業と一緒で、持ち前の技術やお金やパワーでささっとシステムを作って出している感じだ。基本はお金や彼らの興味(先進性の誇示?)のためにやっているので、儲からなくなったら、あるいは、飽きたらあっさり止めるだろうし、(彼らにとって)つまらないことはしないのが見え見えだ。その証拠の一つが、上の音量正規化だ。ずっと要望されているにも関わらず、なーんにもしていない。GPMのラジオを聴くと分かるが、曲ごとに音量がバラバラなので、全く楽しめない。彼らはシステムを作るだけで、そのシステムでロクに音楽を聴いたことがないのだろうし、興味もないのだろう。きっと、良く居る技術○鹿集団なのだろうと思う。

ラジオ(プレイリスト)の曲目にしても同じだ。GPMにもそれなりのラジオがいくつもあるのだが、いつも何となく不満だったり物足りなかった。ところが、Spotifyのは全然違っていて、「これだ!」と感じられるのだ。

例えば、今朝からSpotifyの"My Generation: '80s"(無料会員登録すれば見られます)を聴いているのだが、最初の2曲を掛けただけでうれしくなった。「青い珊瑚礁」の次は「異邦人」なのだ! しかも、洋楽(例: ノーランズ "I'm in the mood for dancing")も混ざっていて、まるで僕のために作ってくれたようなリストなのだ。そういうのが全部で100曲、たっぷり聴ける。GPMのラジオは機械で作ったような感じだったが、これは違う。音楽好きのスタッフが作っているように思う。(6/4 20:54追記: 実際のところ、スタッフがどうなのかは分からないが、今日読んだ記事によれば、Spotifyの創設者ダニエル・エクは音楽好きらしい。顔はちょっと怖くて(眉毛がないところは、映画"The Wall"のピンク(ボブ・ゲルドフ)みたいだ)、いかにもロック好きの熱血漢という感じだw それはともかく、やっぱり、大きい会社のように、「儲かりそうだから、ちょっと真似してみるか」程度の軽い気持ちで始めた訳ではないようだ。)

Spotifyでプレイリスト"My Generation: '80s"を再生中

今まで試して来て、いろいろな不満・欠点は見つかっているのだが、それでも乗り換えたい気分になっている。繰り返しになるが、音楽的だということ以外に、純正アプリに音量正規化機能があってまともに使えるから、GPMでのような散々な苦労をする必要がないのは大きい。

とはいえ、やっぱり欠点はあるので、可能な範囲でカバーしようと思っている。以下に、現状での不足・不満な点を列挙する。いくつかは既に対処している。

  • サービス
    • レパートリーが若干狭い(アルバム数が少な目)。 → 入ってなくて聴きたいものは、CDを買うかダウンロード購入すればいい。
    • GPMの"I'm feeling lucky"に相当するラジオ(プレイリスト)がない。そのうちリコメンドされる?
    • 手持ちの曲(レパートリーにないものなど)をアップロードできない(デバイスごとに入れるしかない)。 → 割り切りの問題?: 自宅ではもちろん聴けるから、外で我慢すればいい?
  • Linuxアプリ
    • 音量正規化のon/offが面倒(拡張設定を開く必要がある) → 検討中
    • 曲名などのテキストが選択できず、コピーもできない。 → "Suggst an Edit"を選択するとブラウザで表示されるので、できる。
    • 「この曲で停める」がない。(GPMも同様) → 検討中
    • 検索に日本語が入らない。(ペーストは可。Webは可) → 何とかして欲しいw
    • リモコンをGMBとうまく共有する必要がある。 → 概ね対処済み。
    • Thumbs up/downできない(アイコンが出ない)ことが多い。謎仕様。(Thumbs up/downはリコメンドに関係ないのなら問題ないが)
    • UIが暗い。 → 改造できるようだ。

逆に、Spotifyのメリットもある。上に書いたこと以外に、以下のようなことがある。

  • サービス
    • 初出年が概ね正しい。(GPMよりずっと正しい)
  • Linuxアプリ
    • 検索結果の最大表示数が多い。
    • アタッカ(メドレーのように、2曲が切れずに繋がっていること)がちゃんと繋がる(今まで試した曲では、GPMで切れていたものも切れなかった)。
    • 演奏者などの情報も見られる。

数は少ないが、欠点を補って余りある。それらもSpotifyが音楽的だと感じる所以だ。

と、ここまで書いたら、当時結構好きだった"Overnight success"が終わったところで、無慈悲な鉄槌を下されてしまったw いや、無料プランの上限(15時間/月とのこと)に達してしまって、次が聴けない・・・ 無料でも無制限じゃなかったのか?? 広告を出してないからか。まあいいや、あとでプレミアムに申し込もう。そして、さっさとGPMを引き払おう!

最後に題について少し説明すると、僕はGPMをいじって遊びたかった訳ではなく、普通に音楽を楽しみたいがために散々苦労していたのだ。その原点に立ち返れば、これまでの苦労をきれいさっぱりドブに捨ててでも、Spotifyに移る価値があると思っている。だから、今までの実績(だかなんだか)があってもなくても、それに固執せず、原点に立ち返って、何が本質かを再確認するのは重要だと思う。と、ちょっと意識高そうなことも書いてみたw

 

PS. 早速プレミアム会員を申し込んだ。最初は100円/3か月なので、結構お得だ。なお、このキャンペーンや通常の最初の30日間無料試用は、以前試用をしたことがあると適用されない。僕も、新規アカウントを作り直したのに、そのパターンになってがっかりしていた。が、どうやら支払い口座(例: クレジットカードの番号)で判定しているようで、別の方法で支払うことにしたら、無事100円になった。ちょっとセコいが、まあ、チートして無料で使い続けるよりはマシではないかw (5/31 4:47)

  • My Generation: '80s, a pl…

    My Generation: '80s, a pl…

    多様化していた80年代の日本音楽シーン。初頭はテクノがあり、後半はバンドブームがあり、そしてディスコ…

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久し振りに軽い話題を。

平成生まれが「この人は昭和生まれだな」と感じる言動ベスト15なんていう記事を見たら、チェックリストみたいなのがあって、項目にちょっと違和感はあるものの、僕は全く該当してなかったので、うれしくなった。いやいや、そういうところが年寄りだし(多分、こうやって「僕は世の中に遅れてない」と思っていること自体が、彼らの嘲笑の対象なのではないか)、そもそも僕は昭和(正確にはバブル)が嫌いじゃないしw

でも、本当に、そういう「もろ昭和」の人(しかも、直す気なし)ってまだ居るのだろうか? 以下、僕には大きな違和感のある項目とコメント。

  • 1位:あたり前田のクラッカーと言う: 「そんな人は100年前に絶滅しているから想像で書くな!w」と言いたいが、アンケートの結果らしいので、まだまだ居るらしい。信じられない。。。
  • 2位:カップルのことをアベックと言う: 同上
  • 5位:『ザギン』(銀座のこと)など業界用語を使う: これ、マジで聞いたことないけど・・・
  • 15位:親指と小指をたてて『電話』と言う: これ、今でも悪魔のマークとして生き残ってるよね。まあ、電話じゃないし、僕にとってはキャンディーズだけどw

 

PS. JSさんのコメントで出た、12位:傘ゴルフに関連して思ったことがある。これって、野球帽(主に巨人)を被ったガキがやっているエア投球と同じ趣味というか、成れの果てかも知れない・・・ 別にやってもいいけど、大抵、他人の邪魔になっていて、本人(ガキの場合は親も)は気付いてない、それどころか、自分だけで悦に入ってるのが嫌だ。

似たようなのを思い付いた。電車とかスタバでパソコン広げてのエア仕事やエアマックwもだ。本当に仕事している人も居るとは思うが、まあ、僕に言わせれば、そんなところでまで仕事しなくちゃいけないなんて、余程仕事ができない人だ。本物は脳内でする(半分本気)。

それはともかく、オチを付けるとしたら、傘ゴルフもエア投球なども年代は関係なくて、その人の悪癖なのだと思う。 (5/14 7:31)

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昨日、音楽を聴いていて、音楽(演奏)以外にいろいろと思った。今は文章を書くのが面倒なので、その思いに繋がった画像を載せる。(あとで追記する予定)

僕が何を思ったか、想像してみて下さい。

※ある意味、「間違い探し」ですw

 

(5/8 9:12) まずはゴダイゴ。この時はGPMで彼らのラジオを聴いていたのだが、このジャケットは強烈だった。だって、精悍な顔で引き締まった肉体揃いならまだしも(それらしいのは、右・左端の人程度)、これでは単なるキ○デ○集団ではないか。特に中央はひどいw そして、ちょっと妙な関係すら連想してしまう。なぜこれが「カトマンドゥー」なのか?

今はLGBTとかで許容されつつあるが、当時は(僕は覚えてないが)「キモっ!」といった扱いになったのではないかと思った。だが、当時彼らは若かった(20代後半?)し、かなりの人気があったから、これも不思議と許されたのかも知れない。今でも、後で思い出すと「何でああだった?」ってのがあるよね。

 

(5/8 20:24) 次はNordbergの「春の祭典」。GPMのキャプチャ画像にあるように、全曲にEマークが付いている。これはexplicitの略で、「露骨な表現を含む」というような意味だそうだ(恥ずかしながら、最初にSpotifyで見た時は"exclusive"と思い込んでいた)。子どもやそういうのが嫌な人が区別するためなのだろう。でも、それがなんでこの曲に? 露骨な表現って、歌詞がなくてもあり得るのだろうか? しかも、これの演奏は、楽器はシンセではあるものの、特にそれ以上のものはなく、言ってみれば「平凡な春の祭典」だ。だから、全く露骨な表現はない。もちろん、発表当時の百年前だったら、この曲にEマークが付いてもおかしくないが、現代だ。しかも歌詞も映像もない。まったく謎だ。

そして、このマークはどこが付けているのかと思ったが、レーベルだろうと思う。膨大な数の曲をGoogleやSpotifyがの人が聴いて判定するのはほとんど不可能だろう(まあ、今はAIで自動でできるのかも知れないが)。だから、これはレーベルからの情報が誤っていたと思われる。

演奏自体についてもう少し書くと、最初はまあ、シンセで珍しいと思って聴き始めたのだが、「良くあるシンセの演奏」なので段々飽きて来て、途中で止めてしまった。これだったら、オケやピアノ(例: サイ)での方がずっと刺激的でおもしろい。普通のシンセでのクラシックなら、アマチュアのような「弾いてみました」では全然意味なくて、冨田勲が数十年前に完成させた(あるいは、やり尽くした)のではないだろうか?

と、偉そうに言っても、僕は冨田をほとんど聴いたことがない。中学の頃、「バミューダ・トライアングル」(1978)というアルバムのカセットを、当時はなんか分からないけど「冨田勲はすごい」っていう評判があったので、技術的な興味本位(曲の中にコンピュータのデータが入っているとか書いてあった)で買ったのだが、全然おもしろくなくてがっかりしたので、どこかに行ってしまった。今、曲目を見ると、(今にしても)好きな曲が全然入っていない(このアルバムはプロコが多かったようだ)ことに気付く。せいぜい、「悲しきワルツ」程度だ。

そのがっかり感がトラウマになって、その後も冨田を聴く気にならなかったのかも知れない。あと、ほとんど聴いてないのに当てずっぽうなことを書くが、彼の演奏って、だいたいシンセ臭い「ピュ〜〜〜」とかいう、上下左右に動きまわる音が多そうじゃないか。僕は技術系だけど、実はそういうのは昔から好きじゃなかったようだ。

でもまあ、もし、これにモーツァルトやラフマニノフなんかが入っていたら、その後の人生(大げさか)や音楽の嗜好がどんなことになっていたか、我ながらちょっと興味がある。

 

(5/8 20:53) 最後は五郎丸じゃなくてw白神典子。彼女のショパンのピアノ協奏曲は結構好きで、その時も聴いていた。それで、興味が出て検索してみたら、ばちあたりな画像を見つけてしまった。よーく見て欲しい。この自意識過剰女、ピアノに腰掛けて、(そこまでならまだ許せるが、)ハイヒールで鍵盤を踏んでるよ! 蓋じゃなくて、本当に鍵盤を。もう、

えぇ、こいつなに!?

としか言いようがない。このポーズに必然性や意味は全くなく、単に格好いいと思ってしたのだろう。こんなのは即座に演奏者失格で、今だったら、「バカッター」になって炎上するだろう。彼女は当時は30代だったようで、若気の至りだったのかも知れないが、全く許せない。いくら若くたって、生計を立てるのに使っている道具を踏みつけるのは許せない。しかも、普通の道具じゃなくてピアノだ。

ところで、このピアノは誰のものなのだろうか。彼女のではないと思う。であれば、次の人は、こんな扱いを受けたピアノを弾かされた訳で、その点も全く許せない。スタッフや関係者は窘めなかったのだろうか? 撮影したって、公開する前に誰か止めそうなものだろうが・・・ 良く知らないけど、当時は多少売れていたからそういう雰囲気じゃなかったのだろうか? 良識も常識もないうえに誰にも注意されないなんて、ちょっと可哀想だ。近頃も中年のアイドルで居たねw

とにかく、僕の信条は「作品と本人の性格・思想・行動は無関係」ではあるが、こいつはゴミなので、生理的に受け入れられない。いくら演奏が良くても、(それは認めたとしても、)嫌いな人は聴かない。それは、ソニーの製品がいくら高機能・高性能wでも絶対に買わないし、NHKの番組がいくら公平中立客観的芸術的先進的wでも絶対に観ないのと同じことだ。

以上、強烈な印象というより、強烈な感想を書き尽くしましたw

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昨日、ミロス・フォアマンが亡くなったというニュースを読み、「炎のランナー」(1981)の監督かと思ったのだが、実際には「アマデウス」(1984)だった。それで、何となく「アマデウス」が観たくなった。随分久し振り(おそらく、公開直後にTVで観たのが最初で最後だったと思う)だし、僕がクラシック音楽を聴くようになったきっかけの一つはこの映画のような気がしているからだ。

余談1: 高校の頃、(実家で)観た覚えがあるのだが、調べると、日本での公開は1985年なので、大学の頃だ。すると、ビデオで録画して観たのかも知れない。テープもあった気もするが、こっちに戻って来た時に見たら、ほとんどカビていたので、全然残っていない。そもそも、VHSデッキもTVもない(「かける機械も見たことねえ」w)。

余談2: 今まで再び観ることがなかった理由の一つは、この映画は史実と全然違うというようなことを聞いたためだ(今となっては、「それがどうした」と思えるのだが、当時は結構がっかりした)。もう一つは、モーツァルトが、頭の大変軽い、脳天気な馬鹿者のように描かれていて、いけ好かなかったからだ(これは、今でなく、若い頃に思ったことなので、すごく反感(ライバル心??)を持ったようだw)。あとはサリエリ(とその音楽)が気に入らないのもあった(全く別の映画になってしまうが、彼を出さなければ良かったのにと思う)※。そしてもう一つは、確か、最後にモーツァルトの遺体が穴に放り込まれるシーンがあったと思うのだが、それがどうにも嫌だった。でも、今となっては、当時の音楽や世の中のことがいろいろ描かれているだろうから、嫌だったことも含めて、純粋に楽しめると思っている。

※書いた後に思ったのだが、当時の僕は、自分がサリエリ型であることに気付かされてムカついたのかも知れない。だから天才モーツァルトがものすごく気に入らず、普通の人だったために日陰者になって苦しんだサリエリも見たくなかったのだろう・・・

余談3: ちなみに、調べたら、音楽はマリナーがやっているらしい。Wikipediaでは、彼が「モーツァルトの第一人者」だから担当することになったとか書いてあったが、初耳だし、どうにも納得できない。彼は有名な指揮者ではあるが、モーツァルトの凄みは出せないと思っている。例えば、彼の「レクイエム」なんて、悪くはないが、なんか、ポピュラー音楽的なのだ・・・ (まあ、そういうのは個人的な感想なので、どうでもいいことだ)

観るとしたら、当然オンライン(配信サービス)でと思って調べたら、Googleはもちろん、AmazonでもNetflixでもHuluでも配信されていない(→ 便利な検索サイト)。なぜかツタヤだけはあるようで(← 再度調べたら、DVD/BDレンタルの誤りのようだ)、最初の1か月間は無料だからタダで観られるのかも知れないが、大嫌いなので、ロハでも使う気はしない。

余談4: ズルではあるが、「ちょっと観させてよ」って気持ちでYouTubeも探した。何十個も出て来たが、ことごとく削除されていた。中には、「消されました」という映像のメッセージを出して怪しいリンク先(短縮URLなので、正体が分からない)に飛ばそうとするものもあって、ちょっとした闇を見た気がした。

結局、DVDかBDを買うしかなくなって、かなり観る気が失せている。値段は千円程度なので問題ないのだが、物が増えるのが嫌なのだ。昔だったら、(CDのように)DVDをPCに取り込んで捨ててしまえばいいのだろうが、今は違法のようだから(公式には)無理だ。しかも、送られて来るのを待って受け取るのも面倒だ。要は、観たいと思った時に(後腐れなく)気軽に観られないのが嫌なのだ。

という訳で、なかなか世の中は進歩しない(進歩するのが不均一な)気がした。

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近頃(といっても、もう20年以上になるが)はポリスを全然聴かなくなった。なんか「意識高い」雰囲気が嫌なのだ(そんな言葉がないころから感じていた)。当時(中高生の頃)はそれが良かった気がするのだが。いや、初期(1970年代末の最初の2枚のアルバム)はそんな雰囲気はなく、純粋なロックとして楽しめた。

(20:12追記) 思い出した。中高生の頃はリアルタイムに聴いていたので、「これが僕らの『ビートルズ』なんだ!」と思う(思い込む)ほど好きだったのだ。

それが、段々「この意識高さが格好いいのだ」とか「頑張って理解しよう!・・・」な感じになり、"Synchronicity"(1983)以降は努力して聴こうとしても駄目だった(調べたら、それが彼らの最後のアルバムだった。このアルバムでかなりがっかりして、過去作にまで波及した感じだ。それでも、その後もStingのソロも買ったが、徒労だった)。個人的には、意識高くなってしまった(ように思える)Stingが癌だったのだろう。

そんな訳で、今は、全く意識高くないTom tom clubの最初のアルバム(1981)を聴いて脱力しているw

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いろいろ思うところがあって、もう「同窓会」には出ないことにしようと思っていた。のだが、今日、唐突に、中学校の3年の組の同窓会の案内が来た。そういえば、以前の中学校の同窓会で、「やろう」とかいう話になっていたかも知れない。それがちゃんと実現されたのだ。

その案内を見て、我ながら情けないことに、行きたくなってしまった。なぜだろうか?

やっぱり、幹事だろう。

(今でも)可愛い(けど、ツンデレで憎たらしくて大嫌いだった)Sちゃんが幹事の一人になっているのが大きい。そして、今見たら、お姉さんタイプだったIさんも幹事だから、一粒で二度おいしいw あと、地味だけど結構いい感じのSさんも幹事だ。そして、幹事の筆頭は同じ部活だったKくんで、特に会いたくはないがw、安心できる。

ちなみに、幹事4人のうち女性3人は、幼稚園から一緒だった。

素晴らしい! これはもう、行くしかないだろう。

でも、終わって帰って来たら、げんなりする(「嫌だった」という訳じゃなくて、K. 488の第2楽章のような雰囲気)んだろうな。でもまあ、いいんじゃないか。例え一時でも、楽しければいいのでは。と、今は思う。

 

PS. どうせだったら、幹事とか手伝いとかするから、言ってくれれば良かったのにと思う。いや、真面目な気持ちじゃなくて、Sちゃんの顔が見たいというだけだw

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筒井康隆は中高大の頃に好きだったが、かなり前(パソ通をやり出す辺りや、断筆騒ぎの頃だろう)から、僕の中では「時流に乗ろうとしている下らないジジイ」扱いで、すっかり過去の人である。

でも、その扱いが彼には真っ当だと思う。今になって文豪扱いするとしたら、それはおかしい(経歴的には真っ当だが、その扱いは彼にふさわしくない)。僕は、ここ十年以上、全く本を読めないので、彼がどういう位置に居るのか全く知らないが。

余談: 「文豪」と言えば、名前は書かないが、デビュー当時は「ルンルン」だかなんだかの(読んだことないけど)軽薄な小説だか随筆だかなんだかを書いていた作家が、今では立派にそういう位置に居るみたいで、それを知った時は本当に片腹痛かったw 他にも、「なんとなく」軽薄な作品で出た人が政治家になって偉そうにしているのも、おかしかった。

今はともかく、彼には(彼だけじゃないが)さまざまな影響を受け、その結果、今の僕があるというのは確かな気がする。まずは反骨精神だろうか。どうしてか分からないが、偉い者や権威には楯突く(あるいは、内心馬鹿にする)気を植え付けられてしまった。あとは、常識を疑うとか、「普通」はつまらないとか・・・ まさに、中二病の感染源で、今にして思えば、とんでもなくひどい奴だったw

というのは、やっぱり、彼への最大の賛辞だと思う。

(なんか、彼が死んだような書き方だけど、そうじゃないよね)

 

PS. そして今、不思議に思うのは、今だって権威が大嫌いな僕が、特にモーツァルトのようなすごい作曲家やポリーニ、ゼルキン、内田などのスタンダード過ぎるとも言える演奏家に全くと言っていいほど反感を覚えない(本当に素直に、「いい」と思える)ことだ。なんでだろうね??

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何かのついで(何だったか忘れたw)にクローゼットの中の貴重品箱の中を見たら、もうずっと使っていない、昔の通帳やキャッシュカードが沢山あったので、整理することにした。すると、雑多な「思い出の品々」に混じって、思わぬ物が出て来た。 トラベラーズチェック(TC)だ。

発掘したTCとドル紙幣など (右上はUSの切手、右下はTCの控え)

20年以上前(1994年)にUSに遊びに行った時に買ったものの残りだ。意外に多くて、200ドル分もある。他に、現金も10ドルちょっとあった。

そういえば、どうしてか、以前にも調べた(今日のように見つけたが、「あとで整理しよう」と思ったまま忘却したのだろうw)気がするが、TCを換金できる場所はほとんどないようだ。そもそも販売が終わっているし、海外でも使えるところは少ないようだ。まあ、今は仮想通貨の時代だしw、TCなんてクレジットカードに比べて使い勝手が悪く※、時代遅れもいいところだが、もうほとんど使えないということを知った時はちょっと驚いた。当時は、「AMEXのTCなら(絶対)大丈夫だ」という定説だったのだが・・・

※当時でもクレジットカードで充分だったのだが、なぜか、TCも持って行った。理由は忘れたが、カードをなくした時の予備だったのか? あるいは、ちょっとした現金を持つよりは安全ということだったか。

TCは現金(通貨)ではなく、商品券のようなものなので、発行者や取り扱い者が「やーめた」と言えば終わりなのだ。記載された額に変化はないけど(意外にも、今でも価値は下がってない)、消費期限はあった。「じゃあ、仮想通貨もそうかもね」、と、今ふと思った。

なお、検索したところ、わずかながら、今でもTCを換金できそうな店(トラベレックスなど)があるようなので、都内や大宮辺りに行ったついでにさっさと換金したい。お金には思い出はないので。

ちなみに、その貴重品箱はすっかり片付いてしまい、今は実印などハンコ3本だけがぽつんと入っているだけだ(実際には、ほとんどを「あとで整理」という箱に移しただけだがw)。ハンコも、いつか不要になって欲しいが、いつになるかなあ・・・

 

PS. 海外のお金といえば、ソ連に行った時(1989年)のルーブル紙幣や硬貨もあった。TCじゃなくて本物の通貨だけど、消費(賞味)期限が過ぎてしまったのだろうか?? (2/5 21:09 写真を追加)

PS2. あ、ドクのアタッシュケースに入れてもらおうか?w

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Google play musicのラジオで懐かしい曲を聴いたら、つい、余計なことを思ってしまったw

姫カットのはしり?

あの子も今では立派なオバさん・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

PS. 浅田美代子の写真は結構いいけど、当時撮影したけどボツになったものなのだろうか? それとも使い回しか。前者だったら、ビートルズもそうだけど、結構いいのが残っているものだ。

PS2. 「姫カット」で画像検索して驚いた。今のは「これじゃない感」満載だ・・・

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昨日の朝、ジョンの"(Just Like) Starting Over"(1980)を懐かしく聴いた。昔は、この曲の最後のような、ちょっと間を置くドラムの叩き方が流行っていて(本当にそうだったかは分からないが、そんな気がする)、好きだった。「間」に乗れるからだろうか。薬師丸ひろ子の「あなたを・もっと・知りたくて」(1985, ビデオの歌はすごく下手だなあ・・・)のイントロもそうだった。

"Starting Over"といえば、それが入っているアルバム、"Double Fantasy"のドラムの、乾いているけど重目(「重目だけど、乾いていて重過ぎない」と書く方が正確だろう。あるいは、「サクッとしているけど軽過ぎない、厚切りチップのような音」か)の音は結構好きだ。今聴いたら、「あなたをー」のも同様の音で、やっぱり好きだ。

こういう曲を聴くと、当時の音楽ビデオで、フォリナーのドラムのような人が、手袋をしてスティックを握って、(「見せ場だから絶対にヘマしないぞ!」と思いつつ)熱気たっぷりに身体全体を動かして、汗を飛び散らせながら叩く光景を思い浮かべる。それは、何となく、テイラー(クイーン)のとは違う気がする。もちろん、スター(ビートルズ)とは全然違う。そこら辺は「真面目な子」というイメージだ。

そして、今気付いたのだが、U2の音とは正反対ではないだろうか。だから、僕はU2が苦手なのかも知れない。

 

PS. こういうのは、僕が良く書いている、クラシック演奏(僕だと、特にピアノ)の「音の良し悪し」と共通するものがあると思う。ピアノは、チューニングではそれほど音は変わらないが(でも、調子(→ 弾きやすさ)は結構変わる)、それぞれの楽器固有の音(=個性)があり、もちろん、弾き方で音は変わる。ドラムは楽器とチューニングと演奏で音が変わるのだろう。

だから、僕が書く、(ピアノの)演奏の音がいいとか悪いとかにピンと来られなかった方は、こういうことだと思って下さい。 (1/27 9:39)

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(べつに吉幾三のファンとかじゃないのだが(特定の歌は好きだけど)、この投稿を練っていた時に思い付いたのが、この題である)

ちょっと大げさだけど、もう一週間くらい前に感じる月曜の大雪。まあ、何年か前と似たようなものだが、やっぱり、車の運転には肝を冷やした。

僕は雪には黒歴史がある。既に書いたかも知れないが、大学生の時には、車を運転していて、カーブで何の気なしにローギヤに入れて気付いたら、180°くらいスピンしてたり、十年くらい前の暮れには札幌で滑って転んで足首を折り、クリスマスと年末年始を病院で過ごすという、すばらしいエクスペリエンス(それにしても意識高い言葉だw)を与えられたw

だから、降雪時や路面凍結時には、車の運転(徒歩も同じ)には人一倍気を遣う(本当に怖い)。事故を起こさないのはもちろん、坂を登れなくなったりして、無闇にホイールスピンするだけといった醜態をさらしたくない(それに、寒い思いもしたくない!)のだ(ここは、(自分の思い込みが物理法則に勝ると思い込んでいた)若造の頃から成長したと実感する)。

前置きはここまでにして本題を書くと、去年装着したオールシーズンタイヤ(グッドイヤー Vector 4Seasons Hybrid(以下、Vector))について書こうと思う。大雪になった月曜の帰路、初めての雪だから書きたいと思いつつ、仕事と雪道の運転で疲れてできなかったのだが、naokiさんに促されて重い腰(指)を上げた。

結論を書くと、他人にVectorを強く推めることはできない。が、僕は、他にもっといい製品が出ない限り、今後も愛用するだろう。

勧めない理由は、「安心感」がないからだ。率直に言って、運転は結構怖かった。が、それは必ずしも、Vectorが駄目だとか雪に弱いとか、ノーマルと同じだということを意味する訳ではない。

事実は、月曜の夜は、ヒヤヒヤしながら帰宅した。でも、それは、その前のスタッドレス(ブリジストン ブリザック)の時と大差ない気がする。数値を測定して比較できないので、ブリザックとVectorでどちらが安心(安全)かは示せないが、「ブリザックの方が(1.5倍ですら)安心できた」ということはない。とは言え、ブリザックとVectorが同レベルだとも言えない(事実、テストコースではスタッドレスの方が成績が良いのは確かだ)。例えば、Vectorは雪国の方も使っているようだが、僕はあれでスキー場に行けるとは思えない(もちろん、僕はスキーはしないから、スタッドレスでも行きたくないが)。

という訳で、気分の問題が大きいような感じだし、事故でも起こらないと、いや、起こらないことでしか証明できない・起こっても証明できない(というのは、同時に同じ人が同じ道を別のタイヤで運転することはできないので: これってシュレーディンガーの猫みたいな話?)から、他人には勧める気は起きないのだ。

以下、月曜の運転で気付いたことを書く(naokiさんへのメールからの転載+α)。

発進時は、ちょっとパワーを掛けると(1速は全然駄目。2速発進が必須)タイヤが空転するし、空転しなくても車体が左右に振れて、ESP(横滑り防止装置)が効くこともあった。停まる時も、下り坂(全然急でない)で停まる時にABSが掛かって変な音がしたことがあった。それぞれ安全装置が働いているからいいのかも知れないが、やっぱり不安だった。あと、登り坂(これも、余り急でない)では、いつタイヤが空転して登れなくなるかと不安だった。タイヤがどこまで大丈夫か示してくれないからだが、結局自分の経験不足なのだろうと、今は思う。

そういう意味では、氷上や雪上での運転講習を受けるのは有効だと思った。丁度、インプレスウォッチにそういう記事があった。それを読んで、ちょっとおもしろいことに気付いた。スタッドレスに対する筆者の本音(実感)が透けて見えたのだ。(提灯記事だろうから、)「スタッドレスタイヤはすごい!」、「『止まらない』『怖い』と思うことはまったくなかった。」と言いつつも、更に読み進めると、「少しでもアクセル操作やハンドリング、コースの読みを間違えるとグリップが失われ、簡単にクルンと180度回転してしまう。」、「グリップ力を発揮。まったく滑らない……ということではないのだが」(太字は僕)とあった。最後の太字に尽きる。

条件はあるにしろ、全然滑らないということではないのなら、安心(= 大抵のことでは怖いと思うことがない)とは言えないのではないか? 少なくとも、僕は安心ではない。「だからVectorもスタッドレスも同じだ」と言うつもりはないが、結局は、いつどこで何があるか分からないのだから、慎重に運転するしかない訳で、僕としては、「(栃木では大雪はまれなのに、そのために年に2回もタイヤ交換するなんて無駄だから)Vectorでいいや」ってことになる。一方、VIPのような人は、「ほんの数%でも(=「万が一」に備えて)安全性や可用性が向上するのであれば、スタッドレスにする価値は充分ある」と思うのだろう。

最後に、ああいう状況で毎日運転されて(それ以外に、雪下ろしとか雪かきとかもされて)、大きな事故も起こさずにいる雪国の方は本当にすごいと思う。これは皮肉とかでなくて、僕の本音だ。

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(以下は、僕に「先見の明があった」などど言って偉ぶるつもりは全然なく、単に、「数十年前の嫌な予感が当たったのかなぁ?」と回想する程度のものである)

近頃、x86プロセッサの脆弱性(メルトダウンともう一個)で騒ぎになっている。僕は、どうもその深刻性にピンと来ないのだが(というのは、個人ユーザに限っては、PCで自分の知らないプログラムを動かさなければ、脆弱性は悪用されず、情報は漏れないと思うので: これは牧歌的過ぎるのか? それに、世の中の数えきれない数のPCやサーバ全部が脆弱なのだから、自分が攻撃される確率はすごく低いのではないか?)、どうも、30年くらい前に感じた嫌な気分、あるいは、「これじゃない感」は正しかったのかなと思う。

1980年代半ばから1990年代中頃に掛けてはRISCプロセッサ(当時の正統派はMIPS、今だったらARM)が台頭していて、x86のようなCISCなんて時代遅れだという風潮だった(実際、RISCのワークステーションはCISCの(当時は68KのSun)に比べてものすごく速かった)。僕も、確証はなかったものの、「将来(=今頃)のCPUはRISCだよなあ」、「x86(=Intel)なんてダサいし終わりだよな」と思っていた。

そういえば、その頃のx86のクロックは8とか16MHz(GHzの間違いではない)でも速いと言われていたっけ・・・

が、その後、どういう訳かx86が盛り返してしまって今に至る。僕は、その頃(1990年代初頭)のPCは「ボディーはガラクタだけど、エンジンの馬力だけはすごい車のようだ」というふうに形容していた(それは今も変わっていない。とにかく、x86 PCは美しくない!)。で、当時は全く使う気にならなかったのだが、数年後(Windows 95の頃)には、仕事で使うことになったのと、それが一番経済的なので使い出した(良く書いているが、僕にとっては、「別にCPUは何だっていい」と、そこ頃から思い出したので)。でも、「なんか『変な未来』になっているなあ」という気がしてたらまなかった。

(1/13 0:33追記) 今思い出したが、実は昔からx86を使っていた。ただ、自分のではなく、研究室のものだった。そのPCは、大好きだった6809を載せたFM-7よりずっと高速で(16ビットだったし、クロックは4か8MHzだった)、メモリーも大容量(といっても、8MBあったかなかったか。2MBくらいだったのかも知れない)で、大容量HDD(確か20か40MBくらいだった)も付いていて、2HDのフロッピー(1.4MB)も付いたし、Cも動いたから、美しくなくて嫌いではあったが、喜んで使っていたw

上の数値は自虐的に書き加えたのだが、単位は間違っていない。全くすごい時代だった・・・

そして、今になってメルトダウンの発覚だ。全くの想像だが、それらの脆弱性は、x86プロセッサや現代的なプロセッサの機能(今回は投機的実行)の本質的な欠陥ではなく、実装や確認の問題(要は手抜き)だと思う。が、結局、レガシー(僕は、この単語にはいい印象を持っていないのだが、実際にはいいなのか悪いのか、ネイティブに聞いてみたい)を流用しようとしたから、複雑になって訳が分からなくなって、手抜きをせざるを得なくなって、脆弱になったというのが実際のところではないか。

という訳で、結論はないが、その時々に使えるものをちょっと使うのはいいけど、何も考えずに(あるいは、「まあ、まだ使えるからいいじゃん」)ずっと継ぎ足し・改築しながら使い続けるのは良くないのかも知れないね。。。

その点でIntelを弁護するとすれば、彼らは何もしてなかった訳ではなく、RISCに向かおうとしていた(i860プロセッサ)。が、失敗してしまったので、今があるのだろう。もう少し頑張ることはできなかったか?? でも、彼らはやっぱりダサい(今でも!)ので、無理だっだんだろうな。

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とは言っても、百年とかではなく、30年足らずの掛け時計である。それが、去年の暮れ頃から調子が悪くなり、電池を換えてもすぐに遅れるようになってしまった(以前にもあったが、何とか回復していた)。それで、2度目に停まった1月3日に「寿命」が来たと判断し、買い換えることにした。

就職して寮に入った直後に買ってずっと使って来たのだが、愛着なんてないと思っていた。単に、ずっと、時刻を見るのに使っていただけだ。ところが、捨てようと外したら気付いたのだが、どうも、なくてはならないものだったようだ。僕は、部屋に入った時などに、無意識にその時計を見る。(腕時計をしないから、)スマフォを持ってなかったりPCを起動してない時に時刻が分からず不便なのはもちろん、見た時にそこにないと調子が狂うし、なんか寂しい。だから、実際には愛着があったようだ。

今度は、時刻が狂わない電波時計にしようと思って、無印良品やAmazonを見たのだが、目ぼしいものはなかった。色やデザイン(毎日見るので、僕にはすごく重要だ)が気に入らなかったり、大き過ぎたり高過ぎたりした。最初に調べた無印はぼったくりだと思う。何の変哲もない(電波でもない)時計が6千円程度と、やたらに高い。シンプルなデザインはいいけれど、あれでは買う気は起こらない。それで、まあまあのもので妥協しようと思ったのだが、ふと思い付いてしまった(正確には、Amazonで延々と探していたら、なぜかムーブメントが出て来たので思い付いた)。直すことを。

もちろん、僕は不器用だし、時計なんて壊したことしかないのでw、本来の意味どおりに直すことはできない。が、現代の時計は、心臓部であるムーブメントがそっくり交換できるので、寿命が来たそれを交換すれば直るはずだ。元のは普通のクォーツ式だが、電波式に換えれば、時刻が狂わなくなるという「バージョンアップ」すらできる。車で言えばエンジンの載せ替えに相当する、かなりの荒療治だw

早速Amazonを調べたら、誠時というメーカーのがあった(正確には、そこのしかなかった)のだが、軸を通す穴の径や軸の長さ(文字盤の厚さ)でいくつかの種類があるようなので、測ることにした。なかなか針が外れなくて苦労した。最初の秒針はとにかく堅くて、抜けるとは思えなかったのだが、いろいろな工具を試しつつ、慎重に引っ張ったら抜けた。分針は、ネジ止めされていることになかなか気付かなかった。時針もすごく堅かった。

どうにか径などを調べて、MRC-250というのを注文した。約2100円だった。針が軸に挿さるか心配だったが、「(規格で決まっているみたいで、)そのまま使えた」というブログもあったので、楽観視していた。

今日、ムーブメントが届いたので、早速交換してみた。ムーブメント本体のサイズは元のと同じで、問題なくホルダーに収まったのだが、案の定、針は付かなかった。時針は穴が小さくて軸に挿さらない。正確には、径は同じなのだが、強化のためか、穴に金属のスリーブが入っていて、その分径が小さくなっている。分針も径は同じだが、空回り防止のために一部が狭くなっているので、やっぱり挿さらない。秒針も挿さらなかったが、元々付けないつもりだったので(「あんなの飾りです」w)、これだけは問題なかった。

合う針を買うか、ムーブメントの軸を削るか、針の穴を広げるか(もう一つ、ムーブメントの軸を交換することもあり得るが、すべてを無に帰すことになるので却下した)の選択だったが、針を換えるとデザインが大きく変わってしまうし、そもそも誠時の針には適当なサイズ(長さ)のものがないせいもあり、針の穴を広げることにした。軸を削ろうとも思ったのだが、僕が持っているヤスリは丸いのだけだから、穴を広げるしかなかった。

時針のスリーブはなかなか外れなかったが、ニッパーやラジオペンチでちょっと無理したら、外れた(というより、スリーブを破壊した)。幸い、針に大きな傷はできなかった。分針は楽だった。針はアルミで柔らかいし、削る量が少ないからだ。ヤスリを差し込んで回転させれば、すぐに挿さるようになった。

が、まだ問題はあった。時針の穴が微妙に広く(0.1mmくらい?)、固定しないのだ。いろいろ考えたのだが、手持ちの薄い両面テープを詰めてしのいだ。接着剤なら強力なのだが、新しいムーブメントが壊れた時に針を再利用できなさそうだから、止めた。ただ、今考えたら、これが壊れるのは少なくとも十年前後先だから、取り越し苦労に近いことだと思う。

いや、ムーブメントは中国製なので、もしかしたら、来年辺りに壊れる可能性もあるから、次の交換を想定しておくのはいいことかも知れない。

(1/7 9:16) 今気付いたのだが、時針の穴もヤスリで広げれば良かったのだ! そうすれば、固定に苦しむこともなかったのだ。スリーブはとにかく「邪魔者」で、それがなければぴったり嵌まると思って外したのだが、まだまだ詰めが甘いな・・・

それから、なぜか、ムーブメントに添付されていた固定ネジが堅くて途中までしか回らなかったので、時計の元々のネジで固定した。見た感じでは、添付されていたネジ(真鍮そのまま?)は、元々の(銀色のメッキ)に比べて質が良くないようだ。

どうにか組み立て終わって、電源を入れてしばらく(40分くらい)待ったら、見事に復活した。当たり前だが、時刻がぴったり、かつ、今後も調整不要なのがとても気持ちいい。あと、針にも時計本体にも大きな損傷を与えず、怪我もせずに終えられたことも気分がいい。

ただ、壁に掛ける時に気付いたのだが、まだ時針の固定が甘く、重みで斜めになっていたのが気になる。それで、ネジロック(たまにネジの頭付近に塗られている、青や赤のジェル状の物)のようなので止めようと思って、Amazonを探した。タミヤのラジコン用(「ネジ止め剤」)が手頃だった。が、その主成分が酢酸ビニール樹脂なので、木工用ボンドでも行けるかと思い、別の金属部品で試してみた。が、1時間経っても乾かず硬くならないので、駄目そうだった。

それで、ネジ止め剤を注文しようと思ったのだが、上に書いたように、十年くらい先の、次にムーブメントが壊れる時に外しやすくすることまで考える必要はないような気がした。それに、現状でも完全に固定はできていないが、針がずれて時刻が狂う訳ではないから、次におかしくなった時に対処すれば良さそうだ。

とはいえ、いい加減なままにしておくのはやっぱり気分が悪いので、明日、手持ちのゼリー状瞬間接着剤(例に漏れず、使おうと思って買ったが、役に立たずに死蔵していた)を試そうと思っている。瞬間接着剤は、密着する面積が広くないと接着力が出ないので、針と軸だったら、硬くなり過ぎずに簡単に剥がれそうだと期待している。

(1/7 8:40追記) 昨夜寝る前(今朝未明)に、ゼリー状瞬間接着剤で針を固定してみた。時針の穴が広いため、両面テープを併用しないと、軸に挿して接着剤を塗る時に正しい角度を保つことができなかった。30分程度経ったら固まったように見えたが、力を掛けると剥がれる可能性があるので、本当に固定できているかは不明だ。が、両面テープだけの場合と比べて、針はちゃんと浮いている

一晩経って今見たら、時計の時針が白くなっていた。気付かないうちに(指に付いた)接着剤が付いていたようだ。やっぱり、僕は期待を裏切らないなw まあ、遠くからなら分からないから、いいか。

あと、ムーブメントホルダーとムーブメントとの相性で、針が若干(分針で±30秒分程度)回転して誤差が出るので(特に、電池交換後にずれる)、ホルダーとムーブメント間に詰め物をして、動かないようにした。ホルダーを使わないことも考えたが、使わないとムーブメントを固定できず、360°回転できてしまうので、使ったほうがいい。こういうことが精度に影響するのはアナログ・機械的な問題なのだろうが、なかなか新鮮だ。

そして、今朝見たら、(PCなどの時計に比べて)少し進んでいるように見えたので、(上の対処がうまく行かずに)もうずれたかと思ったのだが、針が(広義の)アナログ式のため、常に動いているからだろう。特に、分の後半は次の分に(1分進んで)見える。昔は当たり前のことだったのだが、今はデジタル表示がほとんどなので、忘れてしまった感覚だ。

 

(以下、余談)

今となっては驚くべきことだが、元のムーブメントは日本製である。近くのユニーで見て気に入って買った安い時計(3000円未満だったと思う)だが、当時はそんなものでも日本製だったのだ。だから30年近くも持ったのだろうか。新しいものは(もちろん中国製だが、)いつまで持つことやら。

あと、(上に書いたように、)この時計は針の固定の仕組みがちゃんとしていることや、前面カバーがガラス(最初は、当然、プラスチックと思っていた)であることからも分かるのだが、結構手間やコストを掛けているようだ。一方、新しいムーブメントには全く固定の仕組みがない。単に摩擦や圧力で留まっているだけだ。

やっぱり、時代は変わった・・・

それから、この時計の本体左下が割れているのは、2011年の震災の時ではなく、その後の引っ越し直後に落ちた(原因は固定不良だったか)せいだ。その時も捨てることなく、両面テープで補修して使っている。僕がセコいのはもちろんだが、やっぱり愛着があったようだ。

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家でも会社でも、テキストの編集にはAtomというエディタを使っている。好きで使っているのではなく、他になかったからだ。Windowsの時はNotepad++を愛用していたのだが、Linux版はないので、いろいろ試してこれに落ち着いた。が、時々、長時間ハングするのが作業の妨げになって(打ちたい時に打てないと忘れてしまう!)、すごく気に入らなかった(それ以外にも、基本的なところで「はぁ?」なことが多い)。さすがに業を煮やして、昨夜再び探してみた。主要な候補は、以下のようないつもの顔ぶれになった。

  • jEdit
  • Kate
  • Sublime text
  • Geany
  • Komodo edit
  • Bluefish editor

jEditはAtomの前に使っていたのだが、古めかしく(まだ許せる)、日本語がインライン入力できないのと重目(メモリを食う)なので、KateやAtomに乗り換えた。Kateはまずますだったのだが、検索・置換の使い勝手がイマイチ(例: 検索文字列の入力欄が複数ある)なので、Atomに乗り換えたのだが、上述のように問題が多い。

Sublime textは、日本語が入らないので論外だった(いろいろやればできるのだろうが、今の時代にそんなのは論外だ)。それに、設定変更は自分でファイルを編集するという、手抜き・前時代的なところも論外だ。Komodoはgtk2.0の更新が要るので止めた。贅沢だ。一般的な環境で動かないと駄目だ。GeanyとBluefishは結構良かったのだが、選択箇所のハイライト(クリックして選択した単語が他にもファイル中にあったら、それぞれに着色する: 図中の薄紫の部分)ができないので、惜しくも却下した。

結局、Evernoteの時と同様、何も残らない結果になり掛けたのだが、惜しかった(検索したら、意外に評判が良かった)GeanyとBluefishをしつこく調べたら、Geanyは、プラグインを追加することで選択箇所のハイライトができることが分かった。最初は検索が若干面倒な感じだったのだが、少し使ってみると、慣れの問題のような気がした。今一つ目に優しくなかった配色も、テーマをダウンロードして変更できた。カスタマイズした後の画面はひどく地味で全く目をひかないが、いい道具なんて大抵そんなものだ。

エディタGeanyのウインドウ

という訳で、ようやく、イライラさせられるAtomの代わりが見つかった。じっくり使ってみたいのだが、家ではそれほどテキストファイルを編集する機会がないので、なかなか出番がない。週明けに会社で使うかも知れないので、少し楽しみだ。

PS. "Geany"は、語感からは年寄り(音が「じいさん」に似ているからw)的な印象を受けたが、英語ではないようで、元々の意味はないようだ。gean(移植用の桜)から来ているのかも知れないが、意図は分からない。geniusからなのかも知れない。

PS2. Unixでエディタというと、viとかEmacsなどの、コンソール(ターミナル)でしか動かない昔ながらの(映画でよく「ハッカー」が使っているw → viの画面例)ものを推す勢力(自称「通」?)があるが、僕は全くそうではない。いちいちキー操作やコマンドを思い出して、間違えないように気を使って使うほど、物好きじゃない。先日書いたマークダウンみたいなもので、本来の目的に集中できないから本末転倒だと思う。

ただ、そういうエディタは車載工具のようなもので、いざという時(例: マシンにグラフィック画面がない場合、sshで接続している場合)はそれしか使えないので、実際にはviを使うことは多い。あと、グラフィカルなエディタを使うほどでない、簡単な作業の時もviを使う。Unixを使い始めた頃のマシンではviしか使えず、キーやコマンドがちんぷんかんぷんで苦労した。

その後はEmacsにのめり込んでいたが、今は全く使うことはない(今調べたら、なんと、僕のPCにemacsは入っていなかったw)。Emacsは機能は多いが、覚えることも多い(覚えてないと、折角の機能も使えない)ので、今となってはかなり面倒だ。多くの機能を詰め込み過ぎているのは、やり過ぎで趣味が悪いと思う。だから、Emacsの作者(≒GNUのストールマン)と仲良くなることはないと思う。GNUのソフトには昔から大変お世話になっているが、指向が違う。

そもそも、Unixは単純・簡素なことが売りでそれが好きだったのに、今のLinuxはかなり複雑・肥大化してしまった(そのおかげで、Windowsを不要にするほど便利に使えているのだが、換骨奪胎の感は強い。それでも、メタボなWindowsの動脈硬化や腐敗度に比べれば、かなりマシだ)。EmacsなんてUnixの精神とは相容れないもの(実際、エディタの中に全く別な世界を構築している)で、肥大化の走りだったのかも知れない。。。

ところで、今調べたら、Emacsの「開発」はまだ続いているそうで、それはそれですごいことだと思う。何がおもしろいのかは分からないが、誰かが続けなければ、劣化・変質したり、廃れてしまうから。

(なんてことを書いていたら、PSが肥大化してしまったw)

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(今はちゃんとした文章にまとめるのが面倒なので、とりあえず、「素材」を載せます)

先日、ブログに演奏の感想を書いていて思ったこと。

今の僕は、こうして感想を書くのが好きだが、子どもの頃、夏休みなどの宿題に書かされた、読書感想文はすごく苦手だった。全然書く気がしなかったし、書くのも進まなかった。以下に、その理由を推測して書く。

  • 押し付け(書かないと怒られる)!
  • そもそも、なんで感想を学校に出すの? 作文とは違う? (「感想文」の書き方、表現の仕方の勉強、いろいろな作品に触れる機会?) : どうしてそれを書くかの説明があったかは、覚えていない。
  • しかも、なんで本だけ? 更に、指定の作品(「課題図書」)があることもあった! (競争??) 音楽だって絵だって、なんだっていいのでは?
  • 子どもは経験・語彙が少ないないから、感じたことをうまく表現できない。
  • どうにか感じたことを書いたって、学校(先生用の指導手引き書?)のテンプレどおりでないと駄目。
  • 感想を「評価」される理不尽さ。(感想文の「書き方」としての評価であろうが)
  • 先生は、提出される文の題材全部を知っている? 知らなくて評価できる? (これは可能ではあろうが、それにしたって、どうせ、テンプレに頼るのだろう。): 作品を指定すると手抜きができるのかも知れない。

今、(いろいろな経験をし、少しは語彙が増えた)自分が感想文を書いて、どこかの中学生に学校に出してもらって、どんな評価(コメント)をされるのか、興味がある。

でも、今は本を読むのは余り好きでないので、音楽の感想がいいな・・・

そして、本を読む代わりを思い付いた。とりあえず、昔読んだ作品の感想(ネタが日記やブログに書いてあるかも)を書くのが手軽そうだ。もっと手を掛けて遊ぶとしたら、(「猫」で迷亭が似たようなことをやっていた気がするが、)架空の作品の感想をでっち上げるのだ。ただ、今は検索が発達しているから、全部出鱈目だとバレるので、既存だけどほとんど知られていない作品の内容を想像して、その感想を書くとか、劇中劇ならぬ、作品中に挙げられた架空の作品の題名やあらすじから感想を書くのも楽しそうだ。是非やってみたい!w (学校としては、感想文の体裁が合っていればいいのだろうから、ちゃんと書けば何も問題はないはずだ。)

子どもの頃から、先生とか偉い人の鼻を明かすのが好きで、結構目の敵にされていたが、当時はそんな悪戯を思いつかなかったのが至極残念だw

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アナクロに変節したかのような題だが、そうではなく、昔を思い出して気付いたたことがあるので書く。

今は、音楽配信サービスやダウンロード販売で目的の曲だけ聴け・買えて便利なのだが、それらには、曲に関する情報がほとんどない。多くの場合、自分で調べなくてはならない。

今の僕は、かなり前からライナーノーツを全く読まなくなった(音楽とその背景は切り離すスタンスなのと、必要なら調べるため)ので、配信サービスなどは余計な物が増えなくてありがたいのだが、全くの無用の長物かというと、そうでもない。

実は、僕は昔はライナーノーツを良く読んでいた。中学生の頃、ビートルズのレコードを買ったら、それこそ穴が開くほど読んで暗記できるくらいだった。クラシック音楽を聞き始めた頃も、やっぱり何度も読んだ。そうすることで、ほとんど知識がなかった、曲や演奏者や作曲者の情報を得られたのだ。中には今となっては間違った情報や不要な情報もあったが、多くは有益で、今でも重要な基礎知識や常識になっている。

それから、そのアルバムを聴いたあとで、次は何を聴く(買うか)のヒントにもなった。当時は、レコード以外ではラジオやTVでしか聴けず、今のような試聴なんてできなかったから、例えば、あるアルバムで気に入った曲に似た(同系統の)曲はどれに入っているかなんていうことは全く分からず、せいぜいライナーノーツを読んで推測するしかなかった。

今は、検索すればいろいろな情報が得られるし、試聴だって存分にできるから、ライナーノーツの有り難みは少なくなったけれども、それなりに知識や経験のあるプロ(場合によっては作曲者・演奏者本人)が書いた情報は、誰が書いたか不明で玉石混交のネットの情報に比べれば、まだまだ価値があるのではないだろうか。

だから、例えばクラシック初心者の方は、日本盤を買って、ライナーノーツを熟読しましょう。(もちろん、僕は日本のレコード会社の回し者ではありませんw)

 

PS. そういう意味では、日本のポップスのアルバムにはライナーノーツがほとんどないのは昔から残念で、どうしてだろうかと思っていた。今思うに、同時代の若者向けの音楽の「解説」をするなんて野暮・無駄とか、「書いてもらう暇・金があったら、すぐにでも売り出したい!」ということなのだろうか。

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先日はユジャ・ワンに感心したので、今日の昼は彼女と同じ国のラン・ラン(Lang Lang)のモーツァルト ピアノ協奏曲 第24番 (2014)を聴いてみた。

イントロのオケ(指揮: アーノンクール、ウィーンフィル: ジャケットにはそのように書いてあるが、オケについては別の情報もあった)がすごく良かった。

ピアノも、意外に繊細で良かった。「意外」というのは、先入観があったということだ。何かがわずかに足りない気はするが、レベルは高い。すごく乗れて、「普通にいい」。ただ、それはオケが良過ぎたからかも知れない。

カデンツァはちょっと良くなかった。そして、段々、ピアノが、どことなく説明的な気がして来た。そのためか、滑らかさが少し不足している印象を受けた。

昼休みに聴き終わらなかったので、帰宅してから残りの第3楽章を聴いた。残念なのは、ここに来て、オケがわざとらしくなってしまったことだ。。。

この曲の後で、ラフマニノフのピアノ協奏曲 第2番 (2005)を聴いた。イントロはすごく遅かった。オケ(指揮: ゲルギエフ)は良かったが、ピアノは、やっぱり説明的だった気がする。決して悪くはないのだが・・・

そして、第3楽章の頭は、特に説明的で興ざめだった。だから、最終的には、僕には彼はユジャ・ワンよりは良くない印象だ。

それから、同じアルバムの「パガニーニ狂詩曲」を聴いた。この曲は余り好きでないから聞き流したので、特に書くことはない。

ただ、GPMDPからGMBに曲を渡す処理の実用性が確認できた(正確には、そのためにこの曲を掛けた)。今朝、先日見つかった、曲が勝手に次々とGMBに追加される問題を修正し、当初の想定どおり、再生中の曲の次の1曲だけが追加されるようにした。一方、この曲はそれぞれの長さが短い(数秒の曲もある)ので、処理が遅いと、次の曲の開始に間に合わない可能性があるので、ちょっと冷や冷やしなから聴いたのだが、ほとんど問題なかった。1-2曲、頭の音量が小さく、間に合わなかったかなというのがあった程度だ。ただ、問題が起こるとすれば曲間の長さで、音量は関係ないはずなので、マスタリングの問題だったのかも知れない。

ところで、上に書いた、「説明的」という言葉は、聴きながらふと頭に浮かんだので使ったのだが、自分でも何を指すのか分からない。さっき聴きながら考えたら、くどいとか、わざとらしいとか、その結果、滑らかさに欠けているということなのかも知れない。

こういう表現は、オーディオマニアの「アーティストの息遣いが聞こえる」のようなのに似ているが、そっちほどは眉唾でない気がする。というのは、こっちは感じたままを(伝わるかどうかは別として)文字に変換して書いているのだが、向こうは、聞こえるはずのない音が聞こえたと思い込んで(そうしないと、立つ瀬がないので)書いているのだから。でも、やっぱり同じこと??w

ラン(名字はこれで正しいのか? なんかおかしい感じだ)は前の会社に居た中国の人に似ている。顔はもちろん、若いし、本人に会ったことなどないが、性格がすごく明るそうで、その点でも似てそうだ。

 

PS. ラン・ランの名前から、「留園行って幸せ食べよ」のCMを思い出した。ここの読者の方にはお馴染みとは思うが、今の若い人たちに言っても、きっと「なにそれ??」状態であろう。このお店は、今もやっているようだ。

店の名前は「龍園」だと思ったのだが、検索したら違っていた。この字は留年を連想させるのでw、イマイチの印象だ。おどろくべきことに、リンリン・ランランのアルバムがGPMにあった。もちろん聴かない。でも、中に「恋のパッコンNo.1」とかいう妙な題の歌があって、ちょっと聴きたくなった。何がパッコンなのか?w

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音楽配信サービス(今はGoogle play music)はすごくいい。いくつか欠点はあるけど、それを埋めて余りあるほどに便利で楽しい。

そして、今までの約1週間で一番楽しいコンテンツは、なんと、ラジオの「懐かしの邦楽ポップメロディ」と「80s 輝くベストテン・ヒット」だ(今も掛けている↓)。

もはや、立派なおじさんだw

もちろん、クラシックの好きな(特定の)曲の演奏を際限なく比較できるのもいいけど、日本のポップス("J-POP"と書くのは、ちょっと違う)もいい。中高の頃は、「(洋楽の)ロック以外は邪道だ、堕落だ」と堅く信じていたし、大学でだって基本は洋楽だったが、こうして掛けてみると、ほとんどの曲が懐かしくて楽しく、多くの曲にいいね(上向き親指)を押してしまう。やっぱり、嫌いなふりをして聞いていたんだな(確かに、「ザ・ベストテン」とかを妹たちと観ていた)。それに、アニメとかドラマの主題歌になっていた曲も多かったので、それで好きになったこともあるだろう。

 

PS. 偶然だけど、斉藤由貴は、ちょっと前に何だったか下らない話題でニュースに出ていたが、「今頃そんなことで目立たなくてもいいのに、もったいない」と、今朝、「卒業」が掛かった時に思った。そういうのを見ると、思い出が壊れる気がする。。。

PS2. このラジオ(「80s―」)、数時間で一周した。Googleお得意のAIで選んでいる訳ではなく、固定の選曲らしい。時々、曲を入れ替えるのだろうか? (8/26 4:30)

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今年の春に、おじさん(母の弟)が亡くなってしまった。入院して手術した時に、母と一緒にお見舞いに行こうと思っていたのだが、間に合わなかったので残念に思っていた。

おじさんとは、20年くらい前に、二人で飲んだことがあった。当時、僕のことを気にかけてくれていたようだ。2軒くらいで飲んだのだが、おじさんは随分深酒をして、帰り際はかなり酔っていたのがちょっと心配だったのを思い出す。会ったのはそれが最後だったと思う。

その後、去年だったか、昔の写真の整理をしていたら、僕が2-3歳くらいの頃、おじさんと奥さんが家に遊びに来た時の写真が出て来たので、ちょっと思い付いてメールで送ってみたら、随分喜んでくれた。そのメールには、写真の背景に写っていた、彼の車の説明も書いてあったようなのだが、尻切れになっていた。今思えば、その時、「切れてました」と言って続きを送ってもらえば良かったのだが、(僕にしては珍しく)「まあ、ちょっとくどいかな」と、そのままにしてしまったのが最後だ。

僕は、葬儀やその後のいろいろな儀式には(もちろん)本人が居ないので、出る意味を感じない(生きている時に会わなかったら意味がないと思っている)のだが、今年は、本宅のおばさんも亡くなってしまったこともあり、母と食事している時に、おばさんの初盆に行くか聞かれて、本宅は近いから行くけど、(母が一人で行く予定だった、)おじさんの初盆にも(僕の車で)一緒に行こうと言ってみたら、「助かるから是非」とのことなので、昨日、行って来た。

僕としては、ちょっとしたドライブのつもりで提案し、実際に楽しかったのだが、いろいろなことがあった。そして、意外に長距離だったのと暑かったので、思ったよりハードだった。

上→左→下→上。下の部分は反時計回り。

東北道やR16は混みそうな気がしたので、往路は、北関東道、常磐道などを通り、牛久の辺りから南下することにした。帰路は、元気があったら、(距離が短いので、)一般道(図中の「つくば」の左側の直線の道を北上)を通ろうと思っていた。

6時頃家を出て、7時頃実家を出た。さすがに、6時に出るのは忙しかった。道は空いていて気持良く走れ、9:45頃、式のある墓地に着いた。ただ、朝から暑くて、冷房の調節が難しかった。暑がりで寒がりのせいか、自動の風量だと弱く、手動で強くすると寒くなることが多いのだ。

開始の1時間近く早く着いたのだが、車内で少し待っていたら、おじさん・おばさん(母の兄・姉。以後、そのおじさんは「兄おじ」と書く。)たちが来た。それからが、結構辛かった。開始まで結構時間があったのだが、おじさんたちは墓地が広いので歩くのが大変だからと、お墓の前で待つことにし、僕もそのうちに始まると思って一緒に待っていたのだが、暑いうえになかなか始まらず、汗だくになった。母の勧めどおり、傘を持って行って良かった。足腰は弱っているが、兄おじもおばさんも母も、きょうだいらしく、良くしゃべっていて、元気そうだった。ただ、おばさん(亡くなったおじさんの妻)は想像以上に老けていた。歳のせいか、ご主人を亡くされたせいか。最初は、兄おじたちを乗せて来てくれたいとこがおばさんかと思ったが、やけに若いと思っていたら、後から本物が来た。

おばさんと言えば、いつだったか(最近のように思うが、実際にはかなり前なのだろう)、僕が幼い頃、両親と一緒におじさんたちの結婚式に出た時、「前に出て来てウエディングケーキに指を突っ込んだのよ」と笑いながら(でも、少しムっとしながら)言われたことを思い出す。昨日もそういうことで突っ込まれるかと思っていたら、全然そんな雰囲気がなかったので、ちょっと寂しかった。。。

それから少しして式(読経など)が始まって終わり、みんなで休憩所に行ったら、冷房が効いていて天国だった。最初に行けば良かったと思った。。。それから、会食になった。会食の会場まで、上記のいとこに先導してもらった。いとこは随分気が利く方なので、感心した。(自分の家のお墓のついでだったそうだが、)前日にお墓にお花を備えてくれたり、僕の車が信号で遅れたらちゃんと待っててくれたりと、至れり尽くせりの方だった。

子どもの頃に彼女に会った記憶がないのだが、一度だけ兄おじの家で女の子を見て、気になった覚えがあるようなないような感じで、それが彼女だったのかも知れない(実際には、今、脳がでっち上げた、偽の記憶かも知れない)。が、遠かったし、全然会わなかったから、すぐに忘れてしまったようだ。彼女は、薄幸というと大げさかも知れないが、ちょっと可哀想な境遇の人だ。小さい頃に父(母の兄)を亡くし、その後、兄弟(どちらだったかは不明)も亡くしている。更に、近年、お母さんも亡くされた。そういう過去が、物静かな雰囲気に現れていた気がする。子どもの頃に家が大変だったから、千葉で会わなかったのかも知れない。

亡くなったおじさんの息子さんは二人居て、どちらもおじさんにそっくりだった。次男は社交的な方だった。ありがたいことに、僕のことを覚えていてくれていて、すぐに分かったそうだ。大変申し訳ないことに、僕は全然記憶になかった。名前だって分からなかった・・・ 食事の時に、しばらく彼と車の話で盛り上がった。僕の車に興味があるようで、いろいろ話した。やはり、MTが好きなようで、会社の車(MT)を酷使したらしく、壊して怒られたという話もしていた。彼も大変気が利く人だった。会食場にいち早く着いていて(抜かれたのに気づかなかった)、駐車場の案内をしてくれたりした。全く感心する。

その後、兄おじの家に寄った。本当はすぐに帰るつもりだったのだが、式の後、兄おじに誘われて「みんな待ってる」と言われたし、その前にも、母に「僕に会いたい」と言っていたそうなので、随分久し振り(30年近く)のせいもあって、行くことにした。

兄おじの家には、子どもの頃、良く遊んでもらったいとこが来てくれていた。以前にも書いたが、ビートルズやオーディオが好きになったのは、彼とその兄のおかげだ。昨日は音楽の話にはならなかったが、車の話などで盛り上がった。着いた時に、車内を見て、MTなのが分かると「変わり者だなあ」と褒めてくれたw いつになるかは分からないが、ゆっくり飲んでいろいろ話したい気がする。残念ながら、彼の兄は居なかった。彼もやっぱり気が利く人だった。みんなに、飲み物を出してくれたり、僕が暑がっていたので、冷房や扇風機を調整してくれた。

帰路は、暑くて一般道で帰る気力がなかったので、往路と同じにしようとしたのだが、進行方向の関係か、ナビが数十kmほど遠回り(東関道 成田経由)の経路を出した。正しい経路にする経由地を考えるのも変更するのもUターンするのも面倒だったので、そのまま帰って来た。高速はほとんど混んでなくて、とても楽だった。実家の近くから、大雨になった。良く行くデニーズで夕食にした。以前居た、小泉さん(仮)としょうこちゃん(仮)は居なかった。

その後実家で話し込んで、22:20頃、帰宅した。駐車場で、危うく車の左前を柱に擦りそうになった。疲れだろうが、油断大敵だ。日焼けしたようで、帰って来たら、顔が赤かった。ズボンかベルトの素材が悪いのか、ワイシャツの腰の辺りが茶色くなってしまった。汗で色が染み出たのだろうか。

往復約400km、約16時間(初盆の式や立ち寄り、食事などを含む)。

おじさんは、バスの運転手だったくらい運転が好きだったので、これだけ走れば「良し」と言ってくれるだろうか?

 

(8/15 12:49 わずかに加筆)

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