Archive for the ‘ノスタルジー’ Category

(今はちゃんとした文章にまとめるのが面倒なので、とりあえず、「素材」を載せます)

先日、ブログに演奏の感想を書いていて思ったこと。

今の僕は、こうして感想を書くのが好きだが、子どもの頃、夏休みなどの宿題に書かされた、読書感想文はすごく苦手だった。全然書く気がしなかったし、書くのも進まなかった。以下に、その理由を推測して書く。

  • 押し付け(書かないと怒られる)!
  • そもそも、なんで感想を学校に出すの? 作文とは違う? (「感想文」の書き方、表現の仕方の勉強、いろいろな作品に触れる機会?) : どうしてそれを書くかの説明があったかは、覚えていない。
  • しかも、なんで本だけ? 更に、指定の作品(「課題図書」)があることもあった! (競争??) 音楽だって絵だって、なんだっていいのでは?
  • 子どもは経験・語彙が少ないないから、感じたことをうまく表現できない。
  • どうにか感じたことを書いたって、学校(先生用の指導手引き書?)のテンプレどおりでないと駄目。
  • 感想を「評価」される理不尽さ。(感想文の「書き方」としての評価であろうが)
  • 先生は、提出される文の題材全部を知っている? 知らなくて評価できる? (これは可能ではあろうが、それにしたって、どうせ、テンプレに頼るのだろう。): 作品を指定すると手抜きができるのかも知れない。

今、(いろいろな経験をし、少しは語彙が増えた)自分が感想文を書いて、どこかの中学生に学校に出してもらって、どんな評価(コメント)をされるのか、興味がある。

でも、今は本を読むのは余り好きでないので、音楽の感想がいいな・・・

そして、本を読む代わりを思い付いた。とりあえず、昔読んだ作品の感想(ネタが日記やブログに書いてあるかも)を書くのが手軽そうだ。もっと手を掛けて遊ぶとしたら、(「猫」で迷亭が似たようなことをやっていた気がするが、)架空の作品の感想をでっち上げるのだ。ただ、今は検索が発達しているから、全部出鱈目だとバレるので、既存だけどほとんど知られていない作品の内容を想像して、その感想を書くとか、劇中劇ならぬ、作品中に挙げられた架空の作品の題名やあらすじから感想を書くのも楽しそうだ。是非やってみたい!w (学校としては、感想文の体裁が合っていればいいのだろうから、ちゃんと書けば何も問題はないはずだ。)

子どもの頃から、先生とか偉い人の鼻を明かすのが好きで、結構目の敵にされていたが、当時はそんな悪戯を思いつかなかったのが至極残念だw

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アナクロに変節したかのような題だが、そうではなく、昔を思い出して気付いたたことがあるので書く。

今は、音楽配信サービスやダウンロード販売で目的の曲だけ聴け・買えて便利なのだが、それらには、曲に関する情報がほとんどない。多くの場合、自分で調べなくてはならない。

今の僕は、かなり前からライナーノーツを全く読まなくなった(音楽とその背景は切り離すスタンスなのと、必要なら調べるため)ので、配信サービスなどは余計な物が増えなくてありがたいのだが、全くの無用の長物かというと、そうでもない。

実は、僕は昔はライナーノーツを良く読んでいた。中学生の頃、ビートルズのレコードを買ったら、それこそ穴が開くほど読んで暗記できるくらいだった。クラシック音楽を聞き始めた頃も、やっぱり何度も読んだ。そうすることで、ほとんど知識がなかった、曲や演奏者や作曲者の情報を得られたのだ。中には今となっては間違った情報や不要な情報もあったが、多くは有益で、今でも重要な基礎知識や常識になっている。

それから、そのアルバムを聴いたあとで、次は何を聴く(買うか)のヒントにもなった。当時は、レコード以外ではラジオやTVでしか聴けず、今のような試聴なんてできなかったから、例えば、あるアルバムで気に入った曲に似た(同系統の)曲はどれに入っているかなんていうことは全く分からず、せいぜいライナーノーツを読んで推測するしかなかった。

今は、検索すればいろいろな情報が得られるし、試聴だって存分にできるから、ライナーノーツの有り難みは少なくなったけれども、それなりに知識や経験のあるプロ(場合によっては作曲者・演奏者本人)が書いた情報は、誰が書いたか不明で玉石混交のネットの情報に比べれば、まだまだ価値があるのではないだろうか。

だから、例えばクラシック初心者の方は、日本盤を買って、ライナーノーツを熟読しましょう。(もちろん、僕は日本のレコード会社の回し者ではありませんw)

 

PS. そういう意味では、日本のポップスのアルバムにはライナーノーツがほとんどないのは昔から残念で、どうしてだろうかと思っていた。今思うに、同時代の若者向けの音楽の「解説」をするなんて野暮・無駄とか、「書いてもらう暇・金があったら、すぐにでも売り出したい!」ということなのだろうか。

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先日はユジャ・ワンに感心したので、今日の昼は彼女と同じ国のラン・ラン(Lang Lang)のモーツァルト ピアノ協奏曲 第24番 (2014)を聴いてみた。

イントロのオケ(指揮: アーノンクール、ウィーンフィル: ジャケットにはそのように書いてあるが、オケについては別の情報もあった)がすごく良かった。

ピアノも、意外に繊細で良かった。「意外」というのは、先入観があったということだ。何かがわずかに足りない気はするが、レベルは高い。すごく乗れて、「普通にいい」。ただ、それはオケが良過ぎたからかも知れない。

カデンツァはちょっと良くなかった。そして、段々、ピアノが、どことなく説明的な気がして来た。そのためか、滑らかさが少し不足している印象を受けた。

昼休みに聴き終わらなかったので、帰宅してから残りの第3楽章を聴いた。残念なのは、ここに来て、オケがわざとらしくなってしまったことだ。。。

この曲の後で、ラフマニノフのピアノ協奏曲 第2番 (2005)を聴いた。イントロはすごく遅かった。オケ(指揮: ゲルギエフ)は良かったが、ピアノは、やっぱり説明的だった気がする。決して悪くはないのだが・・・

そして、第3楽章の頭は、特に説明的で興ざめだった。だから、最終的には、僕には彼はユジャ・ワンよりは良くない印象だ。

それから、同じアルバムの「パガニーニ狂詩曲」を聴いた。この曲は余り好きでないから聞き流したので、特に書くことはない。

ただ、GPMDPからGMBに曲を渡す処理の実用性が確認できた(正確には、そのためにこの曲を掛けた)。今朝、先日見つかった、曲が勝手に次々とGMBに追加される問題を修正し、当初の想定どおり、再生中の曲の次の1曲だけが追加されるようにした。一方、この曲はそれぞれの長さが短い(数秒の曲もある)ので、処理が遅いと、次の曲の開始に間に合わない可能性があるので、ちょっと冷や冷やしなから聴いたのだが、ほとんど問題なかった。1-2曲、頭の音量が小さく、間に合わなかったかなというのがあった程度だ。ただ、問題が起こるとすれば曲間の長さで、音量は関係ないはずなので、マスタリングの問題だったのかも知れない。

ところで、上に書いた、「説明的」という言葉は、聴きながらふと頭に浮かんだので使ったのだが、自分でも何を指すのか分からない。さっき聴きながら考えたら、くどいとか、わざとらしいとか、その結果、滑らかさに欠けているということなのかも知れない。

こういう表現は、オーディオマニアの「アーティストの息遣いが聞こえる」のようなのに似ているが、そっちほどは眉唾でない気がする。というのは、こっちは感じたままを(伝わるかどうかは別として)文字に変換して書いているのだが、向こうは、聞こえるはずのない音が聞こえたと思い込んで(そうしないと、立つ瀬がないので)書いているのだから。でも、やっぱり同じこと??w

ラン(名字はこれで正しいのか? なんかおかしい感じだ)は前の会社に居た中国の人に似ている。顔はもちろん、若いし、本人に会ったことなどないが、性格がすごく明るそうで、その点でも似てそうだ。

 

PS. ラン・ランの名前から、「留園行って幸せ食べよ」のCMを思い出した。ここの読者の方にはお馴染みとは思うが、今の若い人たちに言っても、きっと「なにそれ??」状態であろう。このお店は、今もやっているようだ。

店の名前は「龍園」だと思ったのだが、検索したら違っていた。この字は留年を連想させるのでw、イマイチの印象だ。おどろくべきことに、リンリン・ランランのアルバムがGPMにあった。もちろん聴かない。でも、中に「恋のパッコンNo.1」とかいう妙な題の歌があって、ちょっと聴きたくなった。何がパッコンなのか?w

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音楽配信サービス(今はGoogle play music)はすごくいい。いくつか欠点はあるけど、それを埋めて余りあるほどに便利で楽しい。

そして、今までの約1週間で一番楽しいコンテンツは、なんと、ラジオの「懐かしの邦楽ポップメロディ」と「80s 輝くベストテン・ヒット」だ(今も掛けている↓)。

もはや、立派なおじさんだw

もちろん、クラシックの好きな(特定の)曲の演奏を際限なく比較できるのもいいけど、日本のポップス("J-POP"と書くのは、ちょっと違う)もいい。中高の頃は、「(洋楽の)ロック以外は邪道だ、堕落だ」と堅く信じていたし、大学でだって基本は洋楽だったが、こうして掛けてみると、ほとんどの曲が懐かしくて楽しく、多くの曲にいいね(上向き親指)を押してしまう。やっぱり、嫌いなふりをして聞いていたんだな(確かに、「ザ・ベストテン」とかを妹たちと観ていた)。それに、アニメとかドラマの主題歌になっていた曲も多かったので、それで好きになったこともあるだろう。

 

PS. 偶然だけど、斉藤由貴は、ちょっと前に何だったか下らない話題でニュースに出ていたが、「今頃そんなことで目立たなくてもいいのに、もったいない」と、今朝、「卒業」が掛かった時に思った。そういうのを見ると、思い出が壊れる気がする。。。

PS2. このラジオ(「80s―」)、数時間で一周した。Googleお得意のAIで選んでいる訳ではなく、固定の選曲らしい。時々、曲を入れ替えるのだろうか? (8/26 4:30)

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今年の春に、おじさん(母の弟)が亡くなってしまった。入院して手術した時に、母と一緒にお見舞いに行こうと思っていたのだが、間に合わなかったので残念に思っていた。

おじさんとは、20年くらい前に、二人で飲んだことがあった。当時、僕のことを気にかけてくれていたようだ。2軒くらいで飲んだのだが、おじさんは随分深酒をして、帰り際はかなり酔っていたのがちょっと心配だったのを思い出す。会ったのはそれが最後だったと思う。

その後、去年だったか、昔の写真の整理をしていたら、僕が2-3歳くらいの頃、おじさんと奥さんが家に遊びに来た時の写真が出て来たので、ちょっと思い付いてメールで送ってみたら、随分喜んでくれた。そのメールには、写真の背景に写っていた、彼の車の説明も書いてあったようなのだが、尻切れになっていた。今思えば、その時、「切れてました」と言って続きを送ってもらえば良かったのだが、(僕にしては珍しく)「まあ、ちょっとくどいかな」と、そのままにしてしまったのが最後だ。

僕は、葬儀やその後のいろいろな儀式には(もちろん)本人が居ないので、出る意味を感じない(生きている時に会わなかったら意味がないと思っている)のだが、今年は、本宅のおばさんも亡くなってしまったこともあり、母と食事している時に、おばさんの初盆に行くか聞かれて、本宅は近いから行くけど、(母が一人で行く予定だった、)おじさんの初盆にも(僕の車で)一緒に行こうと言ってみたら、「助かるから是非」とのことなので、昨日、行って来た。

僕としては、ちょっとしたドライブのつもりで提案し、実際に楽しかったのだが、いろいろなことがあった。そして、意外に長距離だったのと暑かったので、思ったよりハードだった。

上→左→下→上。下の部分は反時計回り。

東北道やR16は混みそうな気がしたので、往路は、北関東道、常磐道などを通り、牛久の辺りから南下することにした。帰路は、元気があったら、(距離が短いので、)一般道(図中の「つくば」の左側の直線の道を北上)を通ろうと思っていた。

6時頃家を出て、7時頃実家を出た。さすがに、6時に出るのは忙しかった。道は空いていて気持良く走れ、9:45頃、式のある墓地に着いた。ただ、朝から暑くて、冷房の調節が難しかった。暑がりで寒がりのせいか、自動の風量だと弱く、手動で強くすると寒くなることが多いのだ。

開始の1時間近く早く着いたのだが、車内で少し待っていたら、おじさん・おばさん(母の兄・姉。以後、そのおじさんは「兄おじ」と書く。)たちが来た。それからが、結構辛かった。開始まで結構時間があったのだが、おじさんたちは墓地が広いので歩くのが大変だからと、お墓の前で待つことにし、僕もそのうちに始まると思って一緒に待っていたのだが、暑いうえになかなか始まらず、汗だくになった。母の勧めどおり、傘を持って行って良かった。足腰は弱っているが、兄おじもおばさんも母も、きょうだいらしく、良くしゃべっていて、元気そうだった。ただ、おばさん(亡くなったおじさんの妻)は想像以上に老けていた。歳のせいか、ご主人を亡くされたせいか。最初は、兄おじたちを乗せて来てくれたいとこがおばさんかと思ったが、やけに若いと思っていたら、後から本物が来た。

おばさんと言えば、いつだったか(最近のように思うが、実際にはかなり前なのだろう)、僕が幼い頃、両親と一緒におじさんたちの結婚式に出た時、「前に出て来てウエディングケーキに指を突っ込んだのよ」と笑いながら(でも、少しムっとしながら)言われたことを思い出す。昨日もそういうことで突っ込まれるかと思っていたら、全然そんな雰囲気がなかったので、ちょっと寂しかった。。。

それから少しして式(読経など)が始まって終わり、みんなで休憩所に行ったら、冷房が効いていて天国だった。最初に行けば良かったと思った。。。それから、会食になった。会食の会場まで、上記のいとこに先導してもらった。いとこは随分気が利く方なので、感心した。(自分の家のお墓のついでだったそうだが、)前日にお墓にお花を備えてくれたり、僕の車が信号で遅れたらちゃんと待っててくれたりと、至れり尽くせりの方だった。

子どもの頃に彼女に会った記憶がないのだが、一度だけ兄おじの家で女の子を見て、気になった覚えがあるようなないような感じで、それが彼女だったのかも知れない(実際には、今、脳がでっち上げた、偽の記憶かも知れない)。が、遠かったし、全然会わなかったから、すぐに忘れてしまったようだ。彼女は、薄幸というと大げさかも知れないが、ちょっと可哀想な境遇の人だ。小さい頃に父(母の兄)を亡くし、その後、兄弟(どちらだったかは不明)も亡くしている。更に、近年、お母さんも亡くされた。そういう過去が、物静かな雰囲気に現れていた気がする。子どもの頃に家が大変だったから、千葉で会わなかったのかも知れない。

亡くなったおじさんの息子さんは二人居て、どちらもおじさんにそっくりだった。次男は社交的な方だった。ありがたいことに、僕のことを覚えていてくれていて、すぐに分かったそうだ。大変申し訳ないことに、僕は全然記憶になかった。名前だって分からなかった・・・ 食事の時に、しばらく彼と車の話で盛り上がった。僕の車に興味があるようで、いろいろ話した。やはり、MTが好きなようで、会社の車(MT)を酷使したらしく、壊して怒られたという話もしていた。彼も大変気が利く人だった。会食場にいち早く着いていて(抜かれたのに気づかなかった)、駐車場の案内をしてくれたりした。全く感心する。

その後、兄おじの家に寄った。本当はすぐに帰るつもりだったのだが、式の後、兄おじに誘われて「みんな待ってる」と言われたし、その前にも、母に「僕に会いたい」と言っていたそうなので、随分久し振り(30年近く)のせいもあって、行くことにした。

兄おじの家には、子どもの頃、良く遊んでもらったいとこが来てくれていた。以前にも書いたが、ビートルズやオーディオが好きになったのは、彼とその兄のおかげだ。昨日は音楽の話にはならなかったが、車の話などで盛り上がった。着いた時に、車内を見て、MTなのが分かると「変わり者だなあ」と褒めてくれたw いつになるかは分からないが、ゆっくり飲んでいろいろ話したい気がする。残念ながら、彼の兄は居なかった。彼もやっぱり気が利く人だった。みんなに、飲み物を出してくれたり、僕が暑がっていたので、冷房や扇風機を調整してくれた。

帰路は、暑くて一般道で帰る気力がなかったので、往路と同じにしようとしたのだが、進行方向の関係か、ナビが数十kmほど遠回り(東関道 成田経由)の経路を出した。正しい経路にする経由地を考えるのも変更するのもUターンするのも面倒だったので、そのまま帰って来た。高速はほとんど混んでなくて、とても楽だった。実家の近くから、大雨になった。良く行くデニーズで夕食にした。以前居た、小泉さん(仮)としょうこちゃん(仮)は居なかった。

その後実家で話し込んで、22:20頃、帰宅した。駐車場で、危うく車の左前を柱に擦りそうになった。疲れだろうが、油断大敵だ。日焼けしたようで、帰って来たら、顔が赤かった。ズボンかベルトの素材が悪いのか、ワイシャツの腰の辺りが茶色くなってしまった。汗で色が染み出たのだろうか。

往復約400km、約16時間(初盆の式や立ち寄り、食事などを含む)。

おじさんは、バスの運転手だったくらい運転が好きだったので、これだけ走れば「良し」と言ってくれるだろうか?

 

(8/15 12:49 わずかに加筆)

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少し前にふと思い付いて、前の日曜辺りから始めた作業が、今朝終わった。それは、CDなどからPCに取り込んだ曲のファイルの中(タグ)に購入日を記録するものだ。

PCに取り込んでいるアルバムは全部で800組くらいあるので、かなり大変だとは思ったのだが、気分転換になるのか現実逃避なのか、こういうチマチマした作業が好きなようで、他のもっと重要なこと(例: 掃除)を差し置いて始めてしまった。

なんでそんな物好きなことをしようとしたかといえば、以前、曲を聴きながら、そのアルバムを買ったのはいつか知りたくなったことがあった。僕は、購入日はブックレットの隅(昔は一覧表、その後は帯の裏)に書いているのだが、収納場所を節約するため、CDのプラケースを捨てて、本体(円盤)とブックレットなどを分離し、本体はCDファイルに、ブックレットなどは押入れケースに積み重ねて収納しているため、簡単には調べられずに残念だったことがあった。一方、ダウンロード購入したファイルには記録するようにしていたので、CDから取り込んだファイルもそうすれば便利そうだと思ったのだ。まあ、実際には、いつ買ったかなんてそんなに頻繁に見るわけではないが、趣味なので自己満足のためにやろうとした。

購入日は、新たなタグを定義しないで、コメントタグに記録することにした。記録する書式を一定にしておいて、コメントタグに他の文字列が記録されていても機械的に(パターンマッチで)抽出できるようにした。実際の書式は以下のようにした。これに合わせて、ダウンロード購入したファイルの書式も変更した(数が少ないので容易だった。)。

"Purchased:" 年"/"月"/"日 "("メディアの種類")"
例: Purchased: 2013/7/7 (CD)

購入日を記録する手順は、以下のとおりである。

  1. ファイルに購入日が記録されていないアルバム(購入したもの≒レンタル以外)を探す。
  2. その購入日を調べる(ブックレット、帯または一覧表)。
  3. 曲のファイルのコメントタグに、上記の書式で購入日を記録する。
  4. 1に戻る。

なお、購入日を調べるのに、いちいちブックレットを探して見ていたのでは大変効率が悪いので、まずは以下の情報を使って、なるべくブックレットを参照しなくて済むようにした。

  • AmazonとHMVの購入記録
  • ブログの記述
  • 購入した時に撮った写真の日付

写真は、全部を最初から調べるのは大変なので、購入記録やブログや曲のファイルやアルバム画像の作成日で見当を付けた。

購入日を再生ソフト(gmusicbrowser、以下GMB)で簡単に表示できなければ、記録の有無の確認すら面倒だし、記録した意味がないので、ブックレットからの調査を始める前に、表示する機能を追加した。コメント中に記録されている購入日を抽出する仮想タグ、"Purchased"を追加した。抽出は正規表現という機能を使うのだが、Perlの正規表現はPHPのとは少し違うようで、なかなか手間取ったし、GMBの内部の資料などなくて難解なので手こずった。

その仮想タグを使うことで、GMBのファイル(曲)一覧ファイル(曲)情報に購入日が表示できるようになり、記録の有無を調べる時に、アルバムのタイトルや演奏者名の一部で検索すれば分かるようになって、効率が上がった。

約1週間掛かって作業が終わった。懐かしいアルバムがあったりしておもしろかったけど、大変で結構疲れた。そして、購入日の記録のないアルバムが約30組残った。思い出深かったり、好きなアルバムがあるので(例: ビルスマのバッハの無伴奏チェロ(1992)、森高の"Do the best"(1995))、分からないのは残念だ。買った時に記録するのを忘れたのだろう。大体の年は分かる(デジカメを買う前、1990年代に多そうだ)のだが、それ以上はどうにもならない。ただ、昔の日記に書いてあるかも知れないので、気が向いたら調べてみたい(とはいえ、手書きだから検索なんてできないし、真っ黒な「黒歴史」の塊なので、正直なところ、あまり見たくはない・・・)。

それから、PCに取り込んでないCDが結構あった。CDプレーヤーを止め、本格的にPCとiPodで音楽を聴くことにして、プレーヤーソフト(当時はWinampを使っていた)でCDを一気に取り込んだ時(2008年頃)の好みで選択したからだ。それまで「変な」(≒奇をてらった)曲を訳も分からず聴いていたのの反動でモーツァルト系・正統派に移行しつつあったのだろう、近代の曲を避けていたようで(今もそうだが)、特にストラヴィンスキーやショパンやラテン系、演奏者ではブーレーズやアルゲリッチを冷遇していた。変な曲は、例えばストラヴィンスキーのバレエ音楽が好きだったので、「春の祭典」などの有名な3曲は何種類も持っていたが、その時は「1種類で充分だ」と思って取り込んでいなかったのだ。更に、「ボレロ」なんて2種類も持っていたのに、1枚も取り込んでいない有様だ。

持っているのを忘れたアルバムもある。アラウのショパンのピアノ協奏曲 1,2番(1972)やピレシュ(ピリス)のショパンのピアノ協奏曲2番と前奏曲(1994)などだ。結構意外なので、聴きたくなって取り込んだ。アラウは、ブックレットには新潟で買ったと書いてあった。1990年代に妹の用事で行った時の空き時間に買ったようで、懐かしかった(取り込んで早速聴いたのだが、この稿は長くなったので、感想は別に書くことにする)。それにしても、なぜアラウのショパンを選んだのか、当時の自分に聞いてみたい気がする。

ピレシュのは、いつなぜ買ったのかすら記憶にないし、なぜかブックレットすらない。そもそも、彼女は近頃モーツァルトで好きになったと思っていたくらいだから、不思議だ。

もっと不思議なのは、(実体が)行方不明になった何組かのアルバムのうちに結構好きで良く聴くアルバムもなかったことだ。ドラティの「くるみ割り人形」(1976)だ。ファイルはあるのに、何度探してもブックレットが見つからないし、ディスクもない。初期の頃に買った気がするのだが、実はレンタルだったのか、人に貸してそのままになっているのか。そういえば、アルゲリッチの「子供の情景」もそうだったので、先日買い直した。何とも腑に落ちない。ちゃんと調べたい気がする。

(7/30 15:47 追記) その後、いろいろ調べたのだが、「くるみ割り人形」も「子供の情景」も、アルバム画像の日付から、音楽再生をPCに移行した時期に、他の多くのCDと一緒に取り込んでいたことが分かった。つまり、レンタルではないことが分かった(沢山取り込んでいる最中に、わざわざ借りて来るほど暇じゃないので)。確実に自分で持っていたのだ。だから、その後、この十年以内に、誰かに貸したかあげたかしたようだ。引っ越しの時になくなった可能性もゼロではないが、まあ、考えられない。という訳で、相手が思い出せない以上、「諦めたほうがいい」という結論になった。また買おうかなw

 

PS. 作業中に発見した懐かしい物:

カセットラベルは、それ自体とポリス("Don't stand so close to me '86"?)が懐かしかったのだが、ふと裏を見たらサロネン(指揮者)で、当時は全く興味の対象外で名前すら知らなかったのに、この数十年で好みが(表から裏に)移行したのがおもしろかった。CDカタログは今でもあるのだろうか。スマフォの画面でのアイコン一覧で置き換わっているのだろうか。

PS2. ちょっとした集計: アルバム購入数の遷移

  • 1970年代: 3 (27)
  • 1980年代: 105 (16)
    • 1980-84: 22
    • 1985-89: 83
  • 1990年代: 204
  • 2000年代: 217
  • 2010年代: 218

現在、PCに取り込まれていて、音源として使っているアルバムを購入した組数※を、10年ごとに集計した。()内はLP→CDなどで買い直したため、音源としては使っていないアルバムの数。

※集計は原則として組数だが、昔取り込んだ複数枚組のアルバムで、各ディスクが"Disk 1, 2, ..."のように分離したアルバムになっている場合があり、それは誤差になっている。

CD時代になってからペースが上がった感じ。やはり、手軽に聴けるのはいいのだろう。社会人になってからは、不思議と約20組/年のペースを保っているようだ(特に何も制限せず、欲しいアルバムを買っているのだが)。

ちなみに、今年は単体のアルバムを収めたボックスがあったせいか、既に23組になっている。

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i-modeは、今となっては、すっかり「前世紀の遺物」になってしまった。一時はすごい勢いで、誰でも使っていたものだが、今では「なければ良かった」とさえ言われている。そういう評(ネットのものだが)を読むたびに、僕は、(自分の)技術的センスは悪くなかったと、再確認する(ISDNでもADSLでもそうだった)。

僕は、i-modeに関連する仕事をしていたことがあったのだが、最初に仕様を見た時、「ドコモは何でこんなクソみたいに面倒なことをする(させる)のか?」と思った。だって、素直にTCP/IPという出来上がっている標準を使えばいいのに、わざわざ劣化した規格を(知ったかぶりして)でっち上げて、お抱えのメーカーに作らせていたのだから。

当時は、ドコモの連中(有名だった女の人ではなくて、技術屋)が、「自分たちの規格」を作りたかったのだろうと想像していた(大企業だとそういうことは多い。金に物を言わせる自己満足の極みだ)。もちろん、当時の携帯電話にTCP/IPはハードルが高かったのは確かだが、不可能ではなかったと思う。ちゃんと調べないといけないが、その前後に、海外の携帯(Nokia?)でTCP/IPが使えるものがあったのではなかったか?

そんな(独りよがりな)独自規格を押し付けるドコモのせいで、知ってのとおり、日本の携帯は(通信方式だけが原因ではないが)「ガラケー」と呼ばれるようになり、世界から取り残されてしまい、無事、iPhoneに市場を奪われてしまった。

調べたら、i-modeの対抗だったのかは分からないが、同時期に、海外では、WAP (1.x)という、i-modeと同じ用途の規格があった(僕は、これもしょうもないと思っていて、i-modeの代わりになるとは思っていなかったのだが、すぐに廃れたので、すっかり忘れていた)。という訳で、ドコモだけが悪者ではなかったようだ。

だから、あの時、ドコモもWAP陣営も、「普通」にTCP/IP(および、その上位層の各種規格)を使う方向に頑張れば良かったのにと思う。誤った「いいアイデア」は、国すら滅ぼす。

 

PS. もちろん、仕事だったので、当時、嫌々ながらも与えられた仕事をし、そのおかげでいろいろな経験を積めて、お金ももらえた。でも、それは局所的なことであって、大局的に見れば、間違った方向だったと思う。仮に、当時の携帯にTCP/IPを載せる仕事が来たなら、最初は「無理です!!」と言い、ものすごく苦しみながらも、やっぱりやって、結局いろいろな経験を積めただろうから、個人のレベルでは同じことだったと思う。

PS2. 他に、最初から筋が悪いと思っていた技術は、IPv6だ。まるで石油のように、「IPアドレスが枯渇する」と言わ続けて数十年(25年?)。今になってようやく、使われ出しそうな気配ではあるが、問題がいろいろ見つかっているようだ。しかも、「無限に使える」と言われていたIPv6のアドレスも、やっぱり有限だと認識されて来たようだ(僕は、最初から、無駄が多いから無限は眉唾だと思っていた)。果たしてどうなるか。

個人的には、まずは、(インターネットの初期から携わっていた企業などに)無駄に広く割り当てられている(→ 参考)アドレスを回収して再配分するとか、一旦全部の割り当てをなしにして、全部を動的に割り当てる方式を作る程度でいいと思うのだが、こういうところにも利権があるのかも知れない・・・

「(アドレスは)有限」という言葉から、仮想通貨のビットコインを思い出した。先日知ったのだが、ビットコインも総量は有限で、新たに生み出すには、「マイニング」(簡単に言えば、みんなで集計すること。これについても、僕は泥臭くてイマイチだと思っている)をしなければならないとのことで、今、一部で盛り上がっている(例: グラボを多数挿したPC)ようだ。

仮想通貨と違って、IPアドレスは新たに「生産」することはできないが、マイニングみたいなことをIPアドレスでも実施すれば(例: 確実に休眠しているアドレスを発見して、通報する)、みんなハッピーになれるかも知れない?? いや、それは、単に、アドレスの追い剥ぎなのか?w

余談: 更に検索していたら、(IPv4アドレスは、各桁で)0から255までしか使ってないから駄目だという要旨のtweetを見て、笑った後でなるほどと思った。可変長アドレスのクラスや方式(クラスVとかIPvV?)を作ればいいではないか! その区別に使うためのブロックは、どこか(例: ソフバンw)から召し上げるのだ。今の技術なら、きっと対応可能だろう(本当? → 可変長の番号付けは、古き良き電話ですら、大昔からやっているのだから、不可能ではないように思う)。

(なんか、こっちの方が本文よりおもしろくなったなw)

PS3. また繰り言になるが、IPv6で思い出した。今から20年近く前だったか、昔の会社で、IPv6対応をどうするかの打ち合わせで、僕は既存のIPv4の資産を生かした案(v4をv6に変換する仕組みを追加する方式だったか。要は手軽にお茶を濁す案)を提案したのだが、応答は「・・・」で聞き入れてもらえず、「ちゃんとした」IPv6対応をすることになってしまった。まあ、上位層の意思を忖度したのか、最初からそういう方向に決まっていたのだろう。

それから別の人たちが頑張ってIPv6対応したのだが、結局は、(今でようやく10%台という状況を見ても分かるように)全然普及せず、無駄な労力だった。やっぱり僕が正しかったのだ。技術者としてはIPv6をやる方が正しかったのだろうが、トータルで見れば間違いだった。

その決定のために、僕の担当していたIPv4製品は過去の物になってしまい、すごくやる気を削がれた。おまけに、その「別の人たち」は、「v6最高!」とかいう意識高そうな言動や、既存の製品との互換性などを無視して好き勝手に作っていたので大変ムカついたものだが、今はどういう顔で何をしているのか、ちょっと見てみたい。やっぱり、自宅でもv6を使っているのだろうか?w

大学の友人Nもv6信奉者で、当時、「v6じゃないと駄目なんだ」とか言っていたが、随分先の話をしていたようだなw

(23:44)

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昨日だったか、ちょっと変わった音楽の聴き方を見つけた。

僕は、大抵は、以下のいずれかの聴き方をしている。

  • 聴きたいアルバム(似たようなカテゴリのもの)を何枚か連続して
  • 全ポップスをシャフルして
  • 聴きたいアーティスト(ポップス)のアルバムを発表年順に延々と
  • 聴きたい作曲者(クラシック)の特定のカテゴリの曲(例: ピアノ協奏曲)のアルバムを延々と

ところが、昨日、音楽プレーヤープログラム(gmusicbrowser)のウインドウを見たら、ポップスの全アルバムが、アーティストが入り混じって発表年順に表示されているのに気付いた。そういう設定にしているのだから当たり前なのだが、いつもはポップスを選んだら、すぐに聴きたいアーティストを選択するので、そういう表示を見るのは新鮮だった。そして、1980年前後を見ると、実に興味深かった。

意外なアルバムが同じ頃出ていたことに気付いたり、リアルタイムで買ったアルバム(もちろん、CDは後で買った)と、後で(社会人になってから初めて)買ったアルバムが混じっているのを見ると妙に感慨深い。そして、個人的に「最高の年」と思っている1979年を見ると、本当にすごいアルバムばかりで感激する。今、モザイクモードという表示を見つけたので、それで1979年頃のを載せてみる。

1979年のアルバムたち

1979年のアルバムは、最上段右から3番目の"Back to the egg"から始まっている。以下、大好きなアルバムやヒットしたアルバムが何枚もある: "Candy-O", "Discovery", "Dream police", "Get the Knack", "Head games", "London calling", "The long run", "Reggatta de Blanc", "The wall"などなど。図には載っていないが、1979年の最後は、あの"Solid state survivor"だ。こんなに何枚もすごいアルバムが出た年って、他にあるだろうかと思う(まあ、僕の好みにうまくマッチしただけのことなのだろうけど)。

余談だが、この頃は、John Lennonは「主夫業」をしていて、半ば引退していると考えていて、当時はビートルズの中では一番好きだったけど、何も期待していなかった。それが、次の年におもむろに新作を出してすぐに(僕がそのレコードを受け取る前に)死んでしまうことなど全然分からなかったかと思うと、不思議な感じがする(もちろん、分かる訳などないが)。

それから、市販のアルバムに混じって、自作のカセットのジャケットがあるのもおもしろい。中学生の頃、FMを録音したりレコードをダビングしたりして、盛んに作っていたのを思い出す。ただ、その「マイブーム」も、どうしてか、この年をピークに終焉を迎えた感じだ。おそらく、高校に入って、音楽の好みが合う人が余り居なかったとか、勉強が忙しかったとか、別の趣味を始めたからなどではないか。

それで、今日の午前中辺りまでは、聴きたい年のポップスのアルバムを延々と聴いていた。1979, 1980, ..., 1985年などと。そして、こういう聴き方は、PCならではだと思う。CDやレコードだと、メディアを探して取り替えるのが面倒で途中で嫌になりそうだし、携帯音楽プレーヤーでもできるだろうけど、操作が煩雑そうだ。

PS. 上に書いた、「意外なアルバムが同じ頃出ていたことに気付いた」で特におもしろかったのは、1984年だった。

玉石混交というのか、The cars, Toto, Queenといった大御所の中に原田知世が居るのだ。あと、当時、Queenは聴いていなかった(中学の頃は聴いていた)ので、好きで良く聴いていた"Heartbeat cityや"Isolation"と、"The works"が同じ年に出ていたというのは意外だった。完全に興味がシフトしていたことが分かる。

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会社でやらされている、嫌な係。それでも、少しだけ楽しいことがあると言えるのは、係のうちの一人(Aさんとする)が若い女性で、とても可愛いことだろうか。誤解しないで欲しいのは、僕は、(プライベートは別として、)会社とか仕事では可愛いだけの子なんて、全く目じゃない。だから、外見だけで判断している訳ではない。

その証拠に、会社には何人か、三十代にもなってかわい子ぶっている人が居るのだが、嫌悪感しか覚えない。そのなかでも程度の低い一人は、(もちろん実際にはしないが、)罵倒して辞めさせたいとすら思っている。

それに引き換え、Aさんの落ち着いた雰囲気は天と地ほどの違いがある。言葉遣いはちゃんとしている(例: やたらに語尾を伸ばさない)し、他人の悪口は言わないし、もちろん下世話な話なんてしない。すごくクールだ。プライベートではどうか分からないけど(何となく、テイラー・スウィフト的な乗りなんじゃないかと思っている)、今時、公的な場でそういう振る舞いができる人は貴重だと思う。

でも、彼女としては、得になりそうだからそうしている訳ではなく、それが当たり前と思って精一杯やっているのだと思う。だから、親御さんの育て方や、今までに受けた教育が良かったのではないだろうか。

そんな訳で、娘のようなAさんの虜になりそうだ、というのは言い過ぎだし、ちょっとムカつくこともあるけど、最終的には、目に入れても痛くないくらいだ。でもまあ、その先の展開はありえないし、別にどうこうしようとも思わないから、これから係が終わるまでの数か月の、密かな楽しみにしたい。

 

PS. ふと、Aさんから見たら、僕なんて「ドジな探偵さん」程度かなあ(というか、本人はこんなセリフなんて全然知らないだろうし)なんて思ったので、ノスタルジーのカテゴリも付ける。全く本末転倒だw

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実家は昔の農家の造りで、家の中央に土間がある。それだけなら普通なのだが、設計がとてもいい加減だったので(その証拠に、家中に意味のない段差があるなど、他にも問題が多い)、土間は家の中央を縦断しているのだが、それを隔てた反対側へ渡るための床なり通路なりがない。約40年前に移築・増築(元は、ここ最初の写真の場所だった)した当初からそうだった。。。 そんないい加減な造りをそのまま良しとして放置していた祖父には、当時からアホかバカかと大変憤っていた。実際、中学か高校の頃、喧嘩になった折に「こんな(しょうもない)家を造って、後で苦労するんだよ!」と言い放ったことがあるが、そのとおりになった。

土間の幅は約1〜1.5mくらいだ。当初は狭い箇所はまたいでいたのだが、さすがに無理があるので、「とりあえず」、移転前の家の近くの工場からもらって来た、何かが入っていた木箱(30x40x30cm程度)を並べて通路(言ってみれば、「橋」)にした。今考えると、どうやってそれ(結構大量で、他の用途にも使った)をもらったのか疑問だ。ちゃんと許可を得たのかも知れないが、もしかしたら、そこら辺に捨てて(置いて)あったのを勝手に持って来たのかも知れない。昔ならあり得ることだ。それに、許可を得たにしても、普段付き合いのない工場に、のこのこもらいに行くずうずうしさは余り理解できない。

木箱はとても頑丈で、ずっと壊れずに使われていた。さすがに不便だし危ないので、母が別の物(縁台?)に変えた箇所もあるが、そのまま残っている箇所があった。母は時々、「(縁台を)追加しようとしたら、もう売ってなかった」と、残念そうに言っていた。

残った箇所は、母の部屋からトイレなどに行く時に通るのだが、彼女はもう高齢なので、特に夜に足を踏み外したら結構危ない気がしていた。が、合う物はなかなかないだろうと思って、放置していた。

ところが、今年のはじめに出張で新幹線に乗った時に、暇つぶしに通販のカタログを見ていて、ピンと来た。畳が上に載った台だ。それで、その場でその写真をメールで母に送って、サイズが合うか聞いてみた。残念ながら大き過ぎた(長過ぎる)のだが、いろいろ調べれば何とかなりそうな気がした。帰宅してから、母に問題の箇所の寸法を教えてもらってAmazonで調べて、ウッドデッキや縁台が良さそうに思えた。ただ、やはりサイズ(高さや長さ)が合うものがなかった(低過ぎたり高過ぎたり、長過ぎたり、1個では短く、2個つなげると長過ぎたり)。が、考えているうちに、ひらめいた。高さは、台に載せてかさ上げし、長さは、縦に繋げるのでなく、T字型に並べればうまく行くかも知れないと。

それで、更にAmazon以外にホームセンターも探し、数点の候補が見つかったので、母に選んでもらって、アイウッドデッキ(ダークブラウン)の2個セットを注文した。約2万円だった。Amazonだと送料が掛かるので、ポンパレモール内の直営サイトにした。じゃらんのポイントが余っていたので、丁度良かった。

高さが数cm低かったので、台に載せることにした。Amazonで調べたら、コンクリート平板というのが高さは丁度良かったのだが、良く考えると大きくて重くて(8個買うと)高く付くので、更に探したら、レンガも同じ高さ(6cm)であることが分かった。更に、会社帰りにホームセンターにレンガを見に行ったら、インターロッキングというものがあった。気泡の入ったコンクリートの塊なのだが、庭だけでなく道路(歩道)に使えるもの(実際、よく使われている)で、軽くて安くて(数十円)丈夫で、いいことづくめだった。

その後いろいろあって、設置は昨日になった。実家に行く前に、実家の近くのホームセンターでインターロッキングを買おうとした(インターロッキングやレンガは重いため送料が高く付くので、自分で運ぶのが安上がりだった)のだが、その店は余りメジャーではないせいか、あらかじめ見当を付けていたもの(半マスというサイズで、10cm角、高さ6cmのもの)より小さいもの(約7.5cm角)しかなかった。それでもデッキの脚には合うが、なるべく大きいものの方が安定しそうだと思った。しかも、少し(数円)高かった。時間が押していて、他の店は遠くて行く余裕がなかったので、仕方なく、希望のサイズだった半マスのレンガを10個買った。個体のばらつきによる がたつきなどを考慮して、10個買った。小さいといえども、想像以上に重かった。

設置を始める前は、良くあるパターンで、組み付ける部品が多かったり作りが雑だったりすることを予想して、結構苦労しそうだと思っていたのだが、予想外にうまく行った。本体は人工木(プラスチック)のせいか、思っていたより重くなく、組み立ては脚を取り付けるだけだったし、ネジも木ネジじゃなくてボルトとナットなので、軽く回って全然苦労しなかった。サイズは計算通りぴったりだったし、レンガのがたつきもなかった。まあ、サイズについては、もしぴったりでなかったら、サイトの商品情報が間違っていたか(実際、これだったか忘れたが、テキストで書いてあるサイズが違っていて、画像内の文字が正しい物があった)、計算誤りだったということになるのだが、僕は昔からこういう時にヘマをするし、やってみると何が起こるか分からないので、ちょっと心配ではあった。

が、実際にはとてもうまく行って、こういうこともあるんだなと、結構感動した。やっぱり、前にも書いたように、充分な準備をする価値はある。ただ、今写真を見ると、せっかく本体の色を家の木材に合わせたのに、レンガの色が浮いているのがちょっと残念だが、母は喜んでいたし、そのうち埃で色が落ち着きそうだから、良しとする。

(古い家だし、木箱の通路なんて恥ずかしいのだが、例によって写真を載せる。)

結局、この作業で一番大変だったのは、店-車・車-母屋間のレンガの運搬だったw 他にもいろいろしたせいもあって、昨日はちょっと疲れたが、夕飯のすき焼きがおいしかった。

PS. 上の写真を見ると分かるかも知れないが、土間の左右の床の高さが数cm違う。右側は台とほとんど同じ高さだが、左側は高い。果たして、こういう設計はありなのだろうか? もちろんないと思うが、何を考えていたのか全く理解できない。あのタイヤ屋さんとは正反対で、こんなのはプロではないと思う。

(9:56 加筆・修正, 10:16 アイウッドデッキのリンク先などの誤りを訂正, 13:16 少し加筆)

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