Archive for the ‘意見’ Category

昼に、ラーメンを作って食べた。自炊はしないのだが、某所で、ある地方(有名なところ)の各県のラーメンが入っているセットをもらったので、折角だから食べている。おいしそうだから最初は喜んだのだが、それには麺とスープしか入っていないないので、何らかの具を入れる必要があり、しかも、それぞれ2食分ずつ入っているので、消化するのがなかなか大変だw それで、今回は、スーパーで見つけた、ラーメン用野菜セットにしてみた。

その袋は、一見、キャベツや人参やもやしがバランス良く入ってそうだったのだが、封を開けて、すごくがっかりした。キャベツや人参はごくわずか(約3-5%)だった。ほとんどはもやし(しかも、見栄えをよくするためか、ご丁寧に別の袋に入っており、キャベツや人参はもやしの袋の上に載っていた)の誤魔化し品だった。まさに、羊頭狗肉だ。

まあ、高々100円の物だし、内容表示には(量の順に)正しく書いてあるのだろうから、法的には何も問題はない。売る方はそういう姑息なコストカットを積み重ねて利益にするのだろう。ただ、嫌な思いをした人はもう買わない(おそらく他の類似品も)だろうから、そういうアコギな商売は長期的には損だと思う。近頃そういうのばっかりで、本当にうんざりする。こんなの、みんながけなすC国やK国と同じでは? まったく美しい国になったことw (いや、日本は昔からこうだったのかも知れないね)

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HMVの広告に、「これぞロシア! 考えられる最高の組み合わせ」などと出ていたので、(いつも余りいい印象はないのだが、)結構聴きたくなってGPMを探したら、発売日は結構先なのに既にあったので、マツーエフのラフマニノフ ピアノ協奏曲 第2番(2017)を聴いてみた。指揮はゲルギエフなので、その点でも期待させられた。

が、なんかあっさりし過ぎていてコクがなく、やっぱり好みではない。確かに、腕はあるのかも知れないけれど、グッと来るものはない。逆に、うま過ぎるのかも知れない。まあ、「最高の演奏」とは書いていないので、広告に嘘はない。

それよりも、聴きながら広告を読んでいて、つくづくロシアがうらやましくなった。というのは、彼はソチオリンピックの閉会式でこの曲を弾いたというではないか。僕はスポーツには興味がないので知らなかったのだが、それを観たら(居合わせたら)、(スポーツは関係なく)感動したかも知れないと思った。やっぱり、(腐っても)歴史ある大国だけのことはあるし、さすがはラフマニノフの祖国だ。本当に、「これぞロシア!」だ。関係ないけど、同じく歴史あるイギリスのロンドン(2012)ではポールやクイーンが出たそうだし。

一方、日本だったら、何の才能もない連中の学芸会、あるいは、紅白歌合戦のようなどんちゃん騒ぎになってしまうのだろう。そういうのを「8Kの高精細な映像」で世界中に垂れ流して、平気な顔どころか自画自賛するのだから、さすが日本だw (と、今から書いておく)

余計な説明: これが国内のイベントなら全然問題はない。西洋が絶対ということはないのだから、いくらでも好きにすればいい。でも、オリンピックは、西洋が発祥なのだから、少なくとも西洋(、本当は世界)に通用する出し物をする必要がある。そうでなかったら、お金や手間を掛けてやっても、単なる笑い物、いや、それ以下(無視されるだけのゴミ)になるのがオチだ。ただ、そういう扱いになっても、国内の人は誰も気付かずに、あるいは気にせずに、胸を張り続けるから、島国根性の病巣は深いと思う。 (11/12 19:18)

PS. まったくあり得ないけど、もし、(好きじゃないけど)小澤と内田光子(こっちは好き)とかが日本の曲(何かあるのかなあ?)を演奏したら、納得するだろう。

PS2. 昨日、その後、マツーエフのラフマニノフ ピアノ協奏曲 第3番(2009)も聴いてみたら、なんか違和感があったものの、第3楽章の後半で盛り上がって来た(乗りが、第2番とは明らかに違う)ので、いいと思ったのだが、結局、最後が少し乱れた(ように聴こえた)のが残念だった。でも、あれはライブ盤ではないだろうから、乱れたまま発売することはないだろうから、僕の耳がおかしいのだろうか。 (11/12 10:29)

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(今はちゃんとした文章にまとめるのが面倒なので、とりあえず、「素材」を載せます)

先日、ブログに演奏の感想を書いていて思ったこと。

今の僕は、こうして感想を書くのが好きだが、子どもの頃、夏休みなどの宿題に書かされた、読書感想文はすごく苦手だった。全然書く気がしなかったし、書くのも進まなかった。以下に、その理由を推測して書く。

  • 押し付け(書かないと怒られる)!
  • そもそも、なんで感想を学校に出すの? 作文とは違う? (「感想文」の書き方、表現の仕方の勉強、いろいろな作品に触れる機会?) : どうしてそれを書くかの説明があったかは、覚えていない。
  • しかも、なんで本だけ? 更に、指定の作品(「課題図書」)があることもあった! (競争??) 音楽だって絵だって、なんだっていいのでは?
  • 子どもは経験・語彙が少ないないから、感じたことをうまく表現できない。
  • どうにか感じたことを書いたって、学校(先生用の指導手引き書?)のテンプレどおりでないと駄目。
  • 感想を「評価」される理不尽さ。(感想文の「書き方」としての評価であろうが)
  • 先生は、提出される文の題材全部を知っている? 知らなくて評価できる? (これは可能ではあろうが、それにしたって、どうせ、テンプレに頼るのだろう。): 作品を指定すると手抜きができるのかも知れない。

今、(いろいろな経験をし、少しは語彙が増えた)自分が感想文を書いて、どこかの中学生に学校に出してもらって、どんな評価(コメント)をされるのか、興味がある。

でも、今は本を読むのは余り好きでないので、音楽の感想がいいな・・・

そして、本を読む代わりを思い付いた。とりあえず、昔読んだ作品の感想(ネタが日記やブログに書いてあるかも)を書くのが手軽そうだ。もっと手を掛けて遊ぶとしたら、(「猫」で迷亭が似たようなことをやっていた気がするが、)架空の作品の感想をでっち上げるのだ。ただ、今は検索が発達しているから、全部出鱈目だとバレるので、既存だけどほとんど知られていない作品の内容を想像して、その感想を書くとか、劇中劇ならぬ、作品中に挙げられた架空の作品の題名やあらすじから感想を書くのも楽しそうだ。是非やってみたい!w (学校としては、感想文の体裁が合っていればいいのだろうから、ちゃんと書けば何も問題はないはずだ。)

子どもの頃から、先生とか偉い人の鼻を明かすのが好きで、結構目の敵にされていたが、当時はそんな悪戯を思いつかなかったのが至極残念だw

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音符が読めなくたって、音痴だって、音楽は作れる! そう、パソコンならね。」という記事があったので、良くあるパターン(「鼻歌でいい」とか「身近にある楽器を、思ったままに演奏してみよう」や「GarageBandを使ってみよう」など)と思って冷やかしで読んだら、はるか斜め上のことが書いてあって、笑えもしなかった。

記事は、単にDAW(波形編集ツール)の使い方紹介でしかなく、最後は

食わず嫌いせず、たまには音楽を作ってみてはいかがでしょうか。

であった。。。

あのぉ、「食わず嫌い」、「たまに」って・・・(僕に「たまに」作れる能力があったら、ずっと作り続けるよ!) どうやって音楽を作るかが本題じゃないの? まずは機器を揃えて、あとは(どうにかして)楽器を演奏して録音しろってこと? 楽譜が読めない人が演奏できる? できないとしたら、演奏するにはどうしたらいい? 歌うとか鼻歌とか口笛? (でも、音痴じゃ無理だね・・・) 「とにかく頑張れ」?? 音楽の才能はあるけど、今まで楽譜を読み書きしたことも演奏したこともない天才向け?w 逆に、楽器を演奏できる人がDAWを知らない? 実は音楽の「ファイル」の作り方を書いているのか?

(「道具を揃えればできる!」という幻想に取り憑かれる)中高大生ならともかく、大の大人、しかも(何かの)プロがこれはないだろう。メーカーの提灯記事なのだろうか。この藤本という人、時々まともなことを書くと思っていたけど、やっぱり信用できないようだ。

いずれにしても、普通の人が音楽を始めるのであれば、ラジカセとかスマフォやPCの普通の(OS添付とかフリーの)録音ソフトで録音するので充分だ。まずは、何か演奏することだ(ここがすごくハードル高いのだが)。それから曲を作ろう(ここも更に高い)。どっちが先でもいいけど、編集だのミキシングなんて100年早いw

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昨日、「「こんまり式」はもう古い!? スウェーデン式の断捨離「死のお片付け」とは?」という記事を読み、なるほどと思った。特に同感だと思った箇所を引用する。

「これをとっておいたら誰かが喜んでくれる?」

米雑誌「ピープル」とのインタビューでマグネソン氏は、「死のお片付け」を経ても捨てずにとっておいた物が詰まった箱の存在について語っている。手紙や写真など個人的な思い出の品で、つまり自分には意味のあるものだが、いくら家族と言えど自分以外の人には不要な物だ。自分にもしものことがあったら、家族はこの箱に何が入っているかを吟味することなく捨てていいことになっていると言う。

まさにこれで、僕は、お金以外は、残しておいて家族が喜ぶ「物」など何もないと思う(せいぜい家や車などの実用品? それだって、使うあてがなければ処分が面倒なだけだ)。お金だって、余計な争いを生む可能性があるから有害だ。だから、自分の物は好きなだけ処分すればいいし、(残った家族が処分する手間を少なくするために、)身の回りの物は最小限に留めるべきだと思う。そういう意味では、死んだら自分の物が自動的に何もかも消滅するような仕組みがあれば、便利だと思う。そして、残った家族は、何だって捨てていいと思う。

結局のところ、価値があるのは本人自身であって、物ではないということだ。そして、このブログや日記のような情報だって同じだろう。ただ、物と違って場所を取らないし削除も容易だから、物よりは残しておいても迷惑ではないだろう。

ただ、例外はあって、音楽のような作品の類は、本人が死んだからといって消滅しては困り、楽しむ人が居る限りずっと残る必要がある。そういうものは、作った人だけのものではなく、公共のものになっているということなのだろう。

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(naokiさんの投稿にコメントを追加しようと思ったのだが、独立した投稿の方が良さそうなので、書く)

はっきり言って、僕自身、「ヒーリング音楽」というものをほとんど聴いたことがない(耳に入ることはいくらでもあっただろうが、聴こうと思って聞いたことはない)。退屈だからだ。だから、以下は全部想像をもとにして書いたので、間違っていたら申し訳ない。

ヒーリング音楽と聞いて思い浮かべるのは、naokiさんの書かれていた、シンセを使った、安直な、耳触りはいいけど単にだらだらとした音楽である。次は、オカリナだの縦笛(リコーダー)だのの柔らかい音で滑らかに延々と演奏するもの。あとは、弦楽合奏(これも、柔らかく滑らかに延々と)、あるいは少人数での女声合唱だろうか。後の三者の大体は、バロック音楽(例: ヴィヴァルディ、パッヘルベル、バッハ)だろう。

もちろん、それらの音楽が駄目と言うつもりはないのだが、ヒーリングに使うのは安直過ぎないか。「柔らかく滑らかな音+延々 → 疲れない → ヒーリング」という思考停止に陥っていないだろうか?

「毒にも薬にもならない」という言葉があるように、そういう曲・演奏は、毒にならなければ薬にもならないのではないだろうか。例えば、ぬるいお風呂や温泉に長時間入るだけで癒やされるかという話だ。そういう人も居るだろうが、そうでない人も多いだろう(例えば、サウナが欲しいとか、熱い湯も必要だし冷水浴もしたいとか)。ただぬるい湯につかっているだけで、何がおもしろいのかということだ。

だから、僕は、音楽に癒やしを求める場合だって、ある程度過激な要素のある曲を聴くべきだと思う。そういう曲を聴くことで脳が活性化されて、(精神的)老廃物が燃焼あるいは除去され、その後で癒やしの成分が生まれるのではないかと思う。例えば、激辛カレーを食べると大量の汗が出て、気持ちまですっきりして、やる気が出るようなものだ。あるいは、ギプスをしてじっとしているだけでは骨折はなかなか治らず(更に、関節が固まってしまう)、適度に動いて患部に力を掛ける必要があるようなこと。更には、いつも可愛くにこにこしているお嬢様よりは、ツンデレで時々ど突く子の方が楽しいようなことだと思う(単なる個人の好み??w)。

最後に、今思い付く、具体的な曲の例は以下である(いつもいつも馬鹿の一つ覚えのように出す曲で申し訳ない)。もちろん、曲をただ演奏するだけではだめで、充分な効果を生む演奏者を選ぶ必要はあるだろう。

  • バッハ: ゴルトベルク変奏曲
  • モーツァルト: レクイエム
  • モーツァルト: ピアノ協奏曲 第20,24番
  • ベートーヴェン: ピアノソナタ 「悲愴」、「月光」、「熱情」
  • ショパン: 12の練習曲 作品10
  • ラフマニノフ: ピアノ協奏曲 第3番

他に、「春の祭典」などのかなり過激な曲や、ポップ音楽だって沢山あるが、ここでは割愛する。

ここまで書いて、何となく、「癒やし」というより、脳内フィットネスとか気持ちのリフレッシュになってしまった気がするが、思い付きで書いたことなので、ご容赦頂きたい。

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入院中に暇つぶしにニュースを見ていたら、「ザ・クロマニヨンズ 「音楽で大層な事を目指している人が多い気がする。俺達は楽しければそれでいい」」という記事が目に入り、読んでみた。

インタビュー記事で、例に漏れず結構長い(だから、インタビュー記事は嫌いだ)のだが、彼らの意見には大体賛成だった。印象に残ったのを挙げると、

なんか物事を表現する人には、苦しんでて欲しいわけでしょ(笑)。 / そこで感動したいわけでしょ、みんな。感動に着地したいだけだよね。

は、僕が常々言っている、「作品と背景は無関係」に通じるし、

特に感じてるのか、思ってるのかもわからないんです。思ってないことはよく歌詞になってますけどね(笑)。

は、別に何かを思って書かなくても(聞き手に、その「何か」を押し付けなくても)、結果(曲)が良ければ(楽しければ)いいということだし、

曲を書かなきゃいけないという意識もないし

は、「努力してやる必要があるなら、才能はない(から止めた方がいい)」ということだろう。

それで、「これは是非聴いてみたい!」(でも、実際に聴いたら、好みでなくてがっかりする予感はしていた。というのは、グループ名が気に入らないので)と思い、さっそくGPMで検索してみた。

が、1曲もなかった。グループのエントリ(場所)だけしかなくて、がっかりした。

どういう事情かは知る由もないが、何となく、彼らの意向があるような気がする。それは、彼らはずっとアナログ盤も一緒に発売していることから感じた。もちろん、根拠などないが。

インタビューで、「楽しければそれでいい」、「行きあたりばったり」と言っている割には、売り方ではなにか「大層な事を目指している」感じで、その矛盾に幻滅してしまった。僕は、自分たちの主張を通すより、どんな形でもいいから(=「行きあたりばったり」に)、いろんな人に作品を聴いて楽しんでもらう方が重要だと思う。

実際には、今、PCでページを見ると、何か聴くだけなら、そこに載っている「どん底」の動画で充分なことに気付くが、彼らの(まとまった)アルバムが聴きたいし、もう聴く気を失ってしまったので、クリックはしない。

(10/23 9:55追記) 良く考えると、僕は常々「本人の性格や背景は仕事と無関係」と考えているのだから、彼らがどんなにいい考えを持っていたって、曲や演奏がいいとは(僕が気に入るとは)限らないのだから、気に入らない予感がするなら、ことさら聴く必要はなかったのだ。でもまあ、いろいろ試してみるのは無駄ではないだろう。

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イメージ戦略で成功した都会の某知事。やけにセコく、子分からお金をふんだくっているようだが、昔、高校や大学の志望校に落ちた場合に備えて受けた私立の学校が、受験料以外に、合格直後に高いお金を払わないと合格が無効になるのを思い出した。仕方ないので親に払ってもらったが、ずるい感じだ。

今となっては、学校はネジや電池と違って、仕様が同じものではないので、「どこかに行けば」いいものではなく、希望しないところに行く意味はないと思うから、受験することすら無駄だったが、当時はそれが当たり前だったし、親に指示され、「世間体」(というものの恐怖)もあったので、仕方なく受けた。本質を分かっていないことの典型だと思う。「学校で何をやりたいのか」ということが全く分かっていないし、分かろうともしていないのだ。全く無駄なお金だし、労力だ。

その知事の場合にしても、議員は落ちたくないから、何を指示されても言いなりなのだろう。そして、なぜか、別の党なのに企業のM&Aや出資のように簡単にくっついて人や金が動き、その時、主義主張が違うのに、横滑りで公認がもらえなかったら文句を言う輩さえ出るありさまで、受かりさえすれば何でもいいようで、人間性の低い連中が多いと思った。

そして、そういう輩を手下にして勢力を拡大するその人の言動を見ると、かなり質が低そうなのだが、ブームに乗りやすく、悪いことを見て見ぬふりをする国民が多いから、結果が心配だ。まあ、仮にその人が駄目だったとしても、与党の党首もそれに劣らず最低最悪極悪非道なので、八方塞がりなのだが。

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昼に、かにみそさんのコメントを読んで、突然思い付いた言葉。タモリも言いそうだw

僕は、とにかく、いかに苦労しないか(例: 日常生活を楽にする、つまらないことを避ける)への努力は惜しまない。昔からそうだ。

だいたい、日本には「苦しんで成し遂げたことは(成し遂げなくても)尊い」のような風潮があるけど、全くおかしい。前にも書いたけど、同じことをするのなら、できるだけ楽にした方がいいに決まっている。第一にエコだろう。それに、散々苦労して、最終的にできなかったら無駄じゃないか。もちろん、自分の経験にはなるけど、全体としては無駄だ。

なんてことを、例えばお偉いさんに言ったら、どういう顔するのかね。おもしろそうだw

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暇つぶしにニュースを見ていたたら、「なぜ「タモリの生き方」は憧れの的なのか」(リンク先は特に興味を持ったページ)という記事が目に止まった。正直言って、僕はタモリが嫌いだ。彼が「笑っていいとも」に出た頃から鬱陶しくなった。なんか見るのが面倒なのだ。あんな、当たり前の話を淡々としているのの何がおもしろいのか。

最初の頃(ハナモゲラ語とかイグアナの頃)は何も考えずに笑えたのに、「笑っていいとも」からは妙に常識人とか衒学者のようになって、堕落した感じがして、幻滅した。それは今までずっとそうだ。だから、今が本当の彼なのだろう。

が。前にも書いたけど、どういう訳か、(近頃の)僕の生き方が彼にちょっと近い感じで興味があるので、記事を読んでみた。すると、やっぱり近いものがあった。

やったことはすぐ忘れる。それが大事

って、見覚えありませんか?w その他のことも、まあ、賛成できる。でも、「意味を探すな」については、僕は「意味を考える(実際には、自分なりに想像や空想(しかも深い)をでっちあげる)から世界はおもしろいこともある」と思うし、重苦しい中にも楽しめることはあると思う。ただ、その後の、

「これでいいのだ」と現実を受け入れて、明日から何をすべきかを考えたい。

には賛成だ。なかなか、いつもはできないが。あと、緊張なんてしたくない。そんなの疲れるだけだ。いつも気楽がいいから、緊張する機会は避ける。

まあ、僕には、タモリのエッセンスは「忘れる」だ。

そして、一番重要なのは、そんな記事を読んで「ほう、じゃあ、見習ってみよう」なんて思う人は、百年経っても楽しく生きられないということだ。自分の生きやすいように生きなかったら、(そのために努力しなかったら ― しなくてもいいが)楽しい訳がない。

(本当のオチ: だから、これを読んでも真に受ける必要はないですw)

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