Archive for the ‘意見’ Category

昨日書いていて思い出した、ある、とてもレベルの低いピアノ教師についてずっと書こうと思っていたことを書く。それは実在のことかも知れないし、僕の脳内で想像しただけの架空のことかも知れない。ピアノでもギターでも絵画でも小説でも何だっていい。そういうのは関係ない。意見の内容だけが本物だ。

以前、大好きな曲をYouTubeで検索して、多くの曲の短評をずらっと書いたことがあった。直感的に感じたことを手短かに書いたので、単刀直入に「駄目」とかいうのも多かったと思う。

投稿の少し後、「駄目」と書かれたであろう一人がDNS業者に苦情を出し、そこからこちらに連絡が来た。最初はこちらの連絡先にメールを出したらしい(なぜか、それは届いていなかった)が、返事がないので(サーバ業者でなく)DNS業者に出したそうだが、こちらはとても慌てた(結構恐怖を感じた)。DNSを停められたらサーバにアクセスできなくなってしまうので、大打撃だ。

そういうことがあったので、長々とした「お知らせ」を書くようにした。

厳しいコメントや本人としては心外なコメント、それから説明が少なくて何が駄目か分からないコメントに苦情(本来は質問が真っ当だろう)を言って来るのは当たり前のことだと思うが、上記のように、最初に取った行動が非常識で、該当部分の削除を要求して来て、その理由が全く論外だったので呆れた、というより、すごく頭に来た。

簡単に書くと、その人はピアノ教室の先生で、教室を探している人が、僕がここに書いたコメントを検索して見つけて読んだら来なくなってしまい、生徒が減るということだった。

笑止。アホか馬鹿かと。

まず、お前は何のために演奏してるんだと言いたい。演奏者・芸術家であれば、赤の他人の意見や感想を聞くのも仕事ではないか? 素人の下らない的外れなコメントなんて聞きたくないし、そんなのに振り回されていたら駄目になってしまうという気持ちは良く分かるが、じゃあ、お前は誰に向けて演奏しているのだ? 的確なコメントや耳触りのいいコメントだけ聞きたいなら、プロとかお友達だけに演奏してろ。

余談だが、その人は、(仮にすごい勇気があって)プロの前で演奏して、偉い人(例: 自分の先生や大学の研究者や大家)から同じようなことを言われたら、どう反応するのだろうか? きっと、「なるほど、そうですね・・・」と全く反論しないのだろうな。ふふふ。

(誹謗や中傷でなく)演奏の感想であれば、例えひどいことを言われたって、そこに自分が気付いていない・知らない何かあるかも知れないし、議論したっていいじゃないか。怒ったっていいけど、都合の悪いコメントを抹殺するなんてありえない(すべてのコメントを無視する方がずっといい)。意見を聞きたくないなら、演奏を公開してはいけない。そのYouTubeはコメントできないようになっていたが、それだったら、自分の教室のページにでも載せればいい。「先生」をしているだけで演奏者ではないのか。自分の演奏の発表でなく、教室の宣伝のためのものなのなら、あらかじめ、そう書いておいて欲しかった。あるいは、個人名でなく教室名で出せばいいのに(ただ、そうであっても、痛い目に遭うことがあるのを知った今はともかく、当時は「この教室は駄目だ」と書いたかも知れないが)。

コメントについてもう少し書くと、演奏は工業製品じゃないので、口コミで良し悪しを判断するものではなく、自分で聴いて判断するものだから、評判を鵜呑みにするのは馬鹿げている。一方、世の中には自分で判断出来ない人は多いが、もし、書かれたコメント(あるいは、thumbs up/down)の多数が「駄目」だったら、それは客観的な評価で、ある意味「事実」なのだから、それを信じられても仕方ない。自分ではいいと思っていたって、そういう世の中なのだから仕方ない。その世界に入ったのは自分なのだから、自分で何とかするしかないのだ。ひどいコメントからだって、どうすればいいかのヒントが得られるかも知れない。一方、もし、その演奏が素晴らしいものだったとしても、コメントできないようにしていたら全く評価されないし、ここのようなところでひっそりと書かれた情報しかなくなってしまうから、営業的な効果は良くないだろう。いずれにしても、もったいない。

更に、気に入らないコメントが見たくないなら、エゴサーチなんてするな! 虫が良過ぎることに気付いた方がいい。

次に、本物の演奏がリンクで紹介されているのに、その演奏への自分の感想でなく他人のコメントを信じ切って来ない子(または来させない親の子、以下同)に将来はないから、(音楽の世界から見れば)全然問題ない。別の言い方をすれば、あなたの演奏を聴いて、自分で良し悪し(自分の好みかどうかでもいい)を判断できない子、コメント不可の状態を見ておかしいと思えない子に将来はないから、問題はない。逆に、僕のコメントに同感・反発して行かない・行く子には将来があるかも知れないし、ないかも知れない。だから、論理的には、コメントには何も影響力はなく(そもそも、ここは何万PV/日もあるようなところじゃない)、問題もない。問題があるのは、あなたの懐だけだ。あなたはお金が欲しいからピアノ教室をしているのであって、音楽のためにではないのだろう。生活のためにはそれだって仕方ないけど、だったら、もっと営業的に賢いことをした方がいい。「臭いものに蓋」では無理だ。

だから、あなたのところに行く生徒が減って、将来的に(演奏や指導技術の良し悪し以前に、教師の考え方の点で)低レベルなピアノ教室が減るのは、音楽のためにはいいことだと思う。(当時、DNSを停められたら困るし、馬鹿に付き合うのは割に合わないからその部分を消したが、)僕は何も悪いことはしていなかったと、今、再確認した。

最後に、芸術をするのなら(普通の仕事だってそうだ)、自分とそれ以外の評価のギャップは当たり前で、それに抗うパワーなり熱意なり崖から飛び降りるような決意が必要ではないだろうか。まさに真剣勝負だ。この人はそういうところから逃げて、ぬくぬくとした安全なところから何か(成功?)しようとしているが、それじゃあ人の心は打てないだろうし、(結果論だが)「駄目」と書かれても仕方ないと思う。

 

PS. ブログ以前から、ずーっと、口コミ(親同士の内緒の情報交換)はあったと思うが、この人はそれも封殺してるのかねえ・・・w

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週3回だか何だか知らないけど、全くどこまで大人を子ども扱いする国なんだろう。政府も役人も、どうせ、本音ではギャンブル依存症なんてどうだっていいけど、(何か訳あって)法案を通したいから、いつものように、素晴らしい頭で下らない知恵を出している。国民は、表面上は従うが、どうせ、さまざまな手を使って骨抜きにするのだろう。

無駄の極致

一体、こんなことを何十年続ければ分かるのか(まあ、無理だろうな)。そんな規制なんてどうだっていい。自己責任でいい。やり過ぎたアホは破産して野垂れ死にすればいい。別にカジノなんてなくたっていい。それができて、一体、どのくらいお金になるのか。それで国債が減ったり赤字解消できるの? 単に、新たな利権だの天下り先が欲しいだけだろう。

全く子どもじみた(というか、子どもより程度が低い)、低レベルな国としかいいようがない。

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不思議なことに、忙しくて疲れているけど暇もあって、そういう時には余計なこと(主に、身体を動かす作業のようなこと)をしたくなってしまう。今週は、ぼーっと本棚を眺めていたら、(PCに取り込んでいるので)絶対に掛けないCDやDVDなど(ボックスや紙ジャケなどでケースを捨てられないもの)が並んでいるのは、どうしても無駄・無意味で、放置しておくのは「負け」な気がした。それで、ちょっと考えた後、そういう類を箱に詰めてクローゼット送りにした。本棚は1段空いた。

その後、(CDはPCで聴けるけど、)DVDやBDはPCに取り込んでいないから、仕舞うと観られなくなることに気づいたが、今はビデオはほとんど観ないし(実際、前回DVDなどを観たのはいつだったか覚えてない)、長い映像作品を観ること自体が面倒(集中できないし、音楽より拘束度合いが大きくて疲れる)なので、観たくなったら出せばいいと割り切った。

それに、大抵のものはYouTubeなどで観られるし、後で気が変わっていろいろな作品が観たくなったら、(物理メディアを再生するのでなく)Amazonなどの配信サービスに入ればいいだろうとも思う。そういう点では、僕には4KどころかHDだって要らない感じだw

数日後、更に眺めていたら、絶対に掛けないであろうCDなどが詰め込まれたCDファイル(ケースを捨てたCDなどのメディアを入れている)がずらっと並んでいるのも、無意味な気がした。それで、思い切って、(クローゼットをちょっと整理して、)CDファイルもクローゼット送りにした(その時、すっかり忘れていたのだが、使っていないディスプレイ(妹から回収したナナオ S170)がクローゼットの中にあることに気付いた。これも何とかしたい)。本棚が更に1段空いて、スカスカになった。大変気持ちいい。

が、これを見ていると、この空間をどうやって埋めるか(いや、そんな必要はないのだが)とか、逆に、この本棚すら不要なのではと思い始めるし、下から2番目の棚にぽつんと置いてあるグライコだって(PCで処理するようにして)排除したい気もし出すし、クローゼットに仕舞ってある大量のCDなどやブックレットだって処分したくなって来るから、何か少しおかしい(「過整理症候群」?w)かも知れない気がするが、まあ、気分が良くておもしろければ、そんなことはどうだっていいw

「おかしい」という点では、さっき、昔の写真を追加して思ったのだが、その頃の方がずっとおかしかったのではないかと思う。。。 ちなみに、当時は、この本棚の他にCDラックがあり、それがほとんど埋まっていた

まあ、「フルの本棚」のなんてのは昭和の価値観では良かったのだと思う。が、今は時代が代わり、僕もそれに追いついていると言えるのかも知れない。

 

PS. さっき、病院に歩きながら思った。これから(次の世紀?)は、いかに物を持たないか=「物を持ったら負け」の時代ではないかと。特に、家とか車とか大きな物は所持しない。持つなら、なるべく仮想的・電子的な物にして、地球のエントロピーをなるべく増やさない(実は物理法則に反するので、逆にエネルギーを使う)生き方ではないかと。これを突き詰めると、前にも書いた、生き物(少なくとも人間)の居ない、無機的な地球になる。

そう思うのは、極論だが、だいたい、日頃さんざん便利な暮らしをしていて、「自然を大切に」とか「絶滅種を守ろう」云々はあり得ず、全くの欺瞞だと思うからだ。そう言うのであれば、原始時代の生活をしてから言って欲しい。それだって、自然を破壊しながらの生活だと思うけどね。

そもそも、多大なる労力で保護した「自然」なるものは本当に自然なのか、全く疑問だ。その代わりに別の自然は破壊されていないか?

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入試問題のミスが発覚して、謝罪とか追加合格になっている。受験生にとっては大きな迷惑で、可哀想としか言いようがないが、僕らの時は、「問題にも間違いがあることがあるから、おかしいと思った時は関わり過ぎないで飛ばせ」と教えられた。

もちろん、誤りがないのが当たり前なんだろうけど、人間が作るものだから、それは無理ではないか。そもそも、大学の先生なんて学者も居るのだから、「入試問題を作れ」と言われても、全く筋違いで迷惑な話だと思う。

ここで余談が入ります: 大学の先生に(なったことはないが)入試問題を作らせるのは、F1の人に運転免許の学科を教えさせるようなもので、全く意味がないことで、労力や時間の無駄だと思う。逆説的だが、予備校の先生に作らせた方が、まだマシだ。

(合理的な工数・費用・時間で)「誤りなし」を目指すなら、やっぱり、AIに任せたほうがいいだろう。おそらく、入試問題なんて創造性は不要で、さまざまな条件(例: 高校の学習範囲、高校での教え方)をクリアするように、さまざまな情報から問題を作ればいいのだから、本当にいい仕事をしそうだ。

AIは少し先としても、次のようなやり方もあると思った。あらかじめ、「問題には誤りがあることがある」と宣言しておくのだ。Disclaimerである。受験者は、試験を始める前に、disclaimerを読んで署名する(あるいは、チェックを入れるかマークする)のだ。そして、本当に問題が間違っていると思ったら、解答欄にそう書く(理由も書くといいだろう)。マークシートなら、最後の選択肢の「誤り」にマークする(本当は指摘する必要はないのだが、気分の問題だろう。ただ、指摘が多かった問題は学校が自主的に調査する可能性があるから、意味はあるのかも知れない。あるいは、指摘が正しかったら、倍の点がもらえるなどにすると、いいかも知れない)。誤りは滅多にないから、全部「誤り」にしても得にはならない。

もう一個余談が入ります: 少し次元の違う話になるが、ある学校を受けるのなら、問題の誤りも含めて評価する、例えば、試験が終わった帰り道、「あんないい加減な問題じゃあ、入っても無駄だな」と言えるような、学校と対等に張り合うくらいの意気込みが欲しい。あるいは、そんな誤りも全部呑んで、「それも含めてその学校が気に入っているんだ」とか。

なんてことを書くと、「こっちは真剣なんだ。ふざけたこと言うな!」と言われそうだが、「じゃあ、そもそもお前は間違わないのか?」と言いたいし、「世の中には答えが一つだけのことなんてほとんどないし、答えがないことだって多いのだから、その事実を早く知った方がずっといいし、そういうおかしなことに臨機応変に対処できる知恵とか経験を身につける方が重要だと思う」と言いたい。それに、問題の誤りを指摘できるくらい深く勉強(理解)していれば、それはそれですごいことじゃないか。折角やるんだったら、そこを目指そうよ。

それ以前に、そもそも、入る学校で人生が決まる(入れば何とかなる)とか思って(一種の信仰だろう)、日夜「受験勉強」に精を出している時点で、まあ、先は大したことないと、個人的には思う。ただ、十代の子に自分でそれを理解しろと言っても無理なので、学校や社会の問題・責任なんだろう。

 

(最後に、僕が良く書く言葉: 「何だっていいんだよ」 を書こうかと思ったが、余りにも身も蓋もないので止めておく。でも、まあ、どこでだって、自分がやりたいことをやれば、入る学校自体にそれほど大きな意味はないと思う。)

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スマフォが「おサイフケータイ」対応なので、せっかくだから、便利そうな、nanacoモバイルとモバイルSuicaに入ろうと思った。すると、いろいろ「残念」だった。

nanacoモバイルは、入会は容易だったのだが、(チャージするための)クレジットカードの登録は、入会の4日後からしかできないと出て、(まあ、そうは言っても実際には早くできるのだろうと試したが、エラーになり、)本当に4日後になってようやく登録できた。一体どんな処理をしているのだろう? 上司のハンコをもらって回るのだろうか、あるいは、紙を印刷してカード会社まで送っているのか?? あるいは、1950年代の真空管コンピュータを使っているのだろうか?w 全く理解不能だった。

真空管コンピュータを笑い物にはしたが、実際には、今と変わらない物だ(今の基本は、当時と何か変わっているのだろうか?)と思う。単に、容量が小さく、速度が遅く、壊れやすいだけじゃないか(僕の知らない量子コンピュータでない限り、本質は同じだ)。当時としては、本当に革新的な物だったと思う。というのは、それまでは、毎回(ちょっと条件が変わるだけで)人間が紙に書いたり計算尺で計算するしかなかったものを、ボタン一個(かどうか知らないが)で自動的に計算できるようになったのだから。

良く考えてみると、求めたい値を求めるのに使う「式」は一個なのに、人間は毎回手で計算しなくてはならなかったのが、計算機は何度でも文句を言わずに待っていれば計算してくれるようになったというだけだ。人間も計算機も五十歩百歩で、結局は式に負けているのだ。それが、「今と変わらない」と書いた理由だと思う。

BTTFを観ても(もっとも、今は滅多に観ないが)思うのだが、現代の基本は、実際にはかなり昔からあったのだと思う。例えれば、現代人が百年前に行っても、とりあえず会話ができる(まあ、「タブ・フリー」みたいなことはあるけど)のと似たようなことだ。

それから、nanacoのアプリで履歴などを見ようとすると、ちょっとしたことでweb(ブラウザ)に飛ばされ、毎回ログインが要る。これだったら、そんなアプリなんて不要で、PCのブラウザで全部やった方がずっと楽だ。更に、今までの(普通の)カードからの残高やポイントの移行も全くできないので、今までのの残高を全部使う必要があるのも面倒だ。盗難対策なのかも知れないが、うまくやってほしいと思う。

nanacoモバイルには、もう一つのちょっとした落とし穴があった。スマフォで支払いができるから、財布を出す必要がなくて便利なのだが、レシートは渡される。それをどこか(→ 財布)に仕舞わなくてはならず、何とも残念だ。。。 どうせだったら、レシートなんてなくして、webで見られるようにすれば(他には、決済したら即座にレシートをメールで送付してくれるのも便利そうだ)いいと思うのだが、この調子じゃ十年くらい経たないとできないだろうな・・・

モバイルSuicaに至っては、未だに、VIEWカード以外のクレジットカードを使う場合には月額千円くらいの利用料が要ると書いてあったので、呆れ果てた。十年近く前から変わっていない。毎月そんなにお金が要るなんて、どんなに複雑・高機能なシステムなんだろう。Suicaが利用されるだけで充分に利益が出るだろうに、JRはどこまで強欲なのだろうか。まあ、こっちは田舎で、電車には滅多に乗らないし、バスは未だに磁気カード(!)で、Suicaはほとんど使う機会がないから、入るのは止めた。

バスの磁気カードといえば、例のLRTもSuicaでなく、独自カードの予定だそうだ。まったく、田舎の役人は能無し(正確にはセンスがない)だと思う。余程Suica(の利用料)が高いのだろうが、ここはどうしたってSuicaにして、バスも追従させるくらいの気概は絶対に必要だ(それだったら、ちょっと見直したと思う)。 ま、全く期待してなかったし、使う気もないからどうでもいいけど、税金を使うんだから、少しは頭を使って欲しいとは思う。

これって、結局は、コンサル会社が忖度というか、田舎を馬鹿にしている(「こいつらは東京なんて滅多に行かないから、Suicaなんて要らないだろう」?)のかね。。。

上には関係ないが、某携帯キャリアは、中国の真似をして※、スマフォの画面にバーコードを出して決済できるサービスを発表したが、苦笑とか嘆息するしかない。なんで、そこまでして何でも自分でやろうとするのだろうか? 余程人と金が余っているのだろうか? 既にあるものはうまく使えばいいのに。それに、実際に使ってみると分かるが、バーコードなんて面倒で使う気がしない。アプリを起動して、表示して、レジの人にスキャンしてもらわないといけない。しかも、スキャンできないことも結構ある。もっとFelicaなりNFCを安く導入できるようにすればいいのに。全く能がない。

※良く考えたら、真似どころか、劣化コピーのような気がする。Alipayは店頭のQRコードをスマフォでスキャンするのだ。D社のは、上に書いたように、スマフォに表示したのをレジでスキャンする(Alipayは、これもできるようだ)。果たしてどっちが使いやすいだろうか?

バーコードといえば、Androidにローソンのアプリもあったのだが、やっぱり、(ポイントをもらうだけのために、)支払い時に画面にバーコードを出して、レジの人にスキャンしてもらうという誰得仕様なので、インストールする気が起こらなかった。開発した担当者は疑問に思わないのだろうか? そんなにFelicaやNFCが高いとは思えないが・・・ 今はNFCは世界標準になっていて、多くの機種で使えるのだから、対応すればいいのに。

今思い付いたが、どうしてもFelicaやNFCが無理なら、レジの画面にバーコードを表示して、それをスマフォのカメラでスキャンする方が楽だと思うが、そうでもないのかなあ・・・

いや、そもそも、スマフォだのガラケーにすら入るほどの物なのだから、FelicaやNFC自体は高くないのだ。確かに最初のシステム構築や維持費は掛かると思うが、それでみんなが便利になって収益が増えるんだから、やればいいのに! 鉄道はそのいい例だと思う。

まったく、大企業(いや、日本全体?)にはシステム音痴しか居ないのだろうかと思う。ガラパゴス化は良くないと言われて久しいが、ほとんど反省・改善する気がない。これでは将来も暗いだろうな。

これには少し申し訳ないというか、(自分で書いてなんだが、)耳が痛い気分もある。というのは、今、会社や役所である程度偉い人たちは僕らの世代だろうから、僕らが「前例踏襲」や「ことなかれ主義」で駄目にしてしまったってことではないか。

実際、「バブル世代は使えない」とか、よくネットに書かれている。確かに、僕の同級生を見ても、メールで連絡すらできないような、最先端技術はおろか、ITすら無縁で、「昭和」そのものの人が多い気がするから、仕方ない・・・ 次の世代に期待しようか? っていうのも、年寄りが良く言いそうなことだw

最後に、ゴーマンかましてよかですか?

退屈な日々に何の疑問も持たず変化を追求しない奴、前例踏襲やことなかれ主義なんてやってる奴、毎日ハンコを押すだけで安穏としている奴、「革新」とか、いかにもな言葉を言うだけで自分は知らん顔の奴は、人間の価値がない(機械より優れていない)から、(「人間辞めろ」とは言わないけど、)リタイヤした方がいいよ!

 

(今、バッハとモーツァルトについての持論を書きたくなりましたが、止めておきます。もちろん、これだけ書いても誰も察することすらしてくれません。要は、人は(自分が心地よく生きるために)常に変化を求めるべきで、心地良くないのを受け入れたら終わりで、環境は自分で変えられると僕は思っています。)

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先日、(スマフォ同士を)ケーブルで繋いでデータ移行するなんて時代遅れも甚だしいということを書いたのだが、かくいう僕もスマフォの画像をPCに取り込む時はUSBケーブルで繋げている。(Wi-Fi(PTP/IP)対応カメラは別として)PTPはUSBなどの有線接続が前提なので仕方ないのだが、それがどうにも負け犬の気分を醸し出していて嫌だ。

もちろん、Google photo(Google drive)なら無線で転送できて、(例えばdriveというプログラムを使えば、)Linuxからもアクセスできるから試してみたのだが、実は大間抜けな仕様で、元の画像の格納ディレクトリが考慮されずにファイル名だけで管理されるので、同じスマフォにカメラが2個(前と後ろ)あってそれらが同じファイル名(例: DSC_0001.JPG)だと、競合してしまうのだ(シャープのカメラアプリも間抜けだとは言えるが、規格(DCF)から外れてはいないから、強く文句は言えない)。だから、Google photoを使うのは止めた。

まあ、それにしたって、Linuxからアクセスできるんだから、まだまともだと思う。どっかの意識高い(けど、どういう訳か実はセキュリティではテキトーだった)会社は、それすらできないもんね。

それで、PCとスマフォをケーブル接続しないで画像を取得する方法を考えていたら、Androidはsshd(リモート接続用サーバプログラム)をインストールすれば動く(ので、目的が達成できそうな)ことが分かった(他にも、いろいろなLinux系のプログラムが動くようだ)。

ご存知の方には「ふぁ? 何寝ぼけてるの?」であるが、それがすごく便利なので感心した。PCからWi-Fi(モバイルデータ通信でも可能)経由でスマフォにログインできて、各種コマンドを実行できるのだ。コマンドはLinuxのものが概ねあるから戸惑うことは余りない(ただ、「root化」しないと動かないコマンドや見えないディレクトリはある)。

そもそもの目的の画像の取得については大体目処が立って、あとは作るだけなのだが、それよりも、スマフォでLinuxコマンドが動くのがとても楽しい! 各種コマンドを実行してシステムの状態(例えば、空きメモリ・ストレージ量、シリアル番号、CPU負荷)を表示するなど、単に遊べる(「ふむふむ」と、分かった気になって悦に入るw)というだけなのだが、脱獄しないと全く何もできないiOSに比べて、無改造の状態でもログインしていじれるのがとても気持ちいい(そんなのはごくごく当たり前のことで、できないものなんて「自分の欠点を隠そうとして妙にイキってるダサい奴」なのだが)。これだけでも、僕にとっては、Androidに戻った価値は充分にある。本当に、遊べるだけなんだけどw でも、遊ぶことすらできないものなんて、おもちゃ以下だと思う。

 

PS. sshdのアプリは、さまざまなものを試した結果、SSHDroidを使うことにした。他のアプリにはいろいろな欠点があった。例えば、終了したつもりでも、実際には動き続けて電池を消費するものがほとんどだった(例: SimpleSSHD, SSH/SFTP Server, Ssh server)。画像転送が終わるたびに手で強制終了するなんで論外だし、こういうのは接続を待ち受けするだけでも電池が減る可能性があるので駄目だ。

何度でも書くが、今のスマフォでは、無駄に電池を食うものは悪だ。だから、アプリを選ぶ時にはそこに注意する必要がある。みんな、それに気付かずに無頓着にアプリを山ほど入れて、「電池持たない」とか「熱くなる」とか言ってる。もう少し考えればいいのに。

そして、土台(プラットフォーム)が何だって、無駄にCPUを動かすものは糞だ。とにかく、CPUをなるべく動かさないで(いかに寝かせておくが肝)必要なことをするプログラムが最高だ。(でも、みんなにはまだ早過ぎるかな?w)

ほとんどのsshdアプリは画面をロックすると動かなくなる。SSHDroidもそうだが、実際の使い方を検討したら、問題ない(あるいは、許容できる)ことが分かった。あと、sshの鍵のタイプ(host key type)が古いものも多かった。これは、僕の用途では大きな問題ではない。他には、音が出る全画面動画広告を出す邪悪なの(Servers Ultimate)もあった。

なお、Servers Ultimateはダメダメで、sshdでrsyncが使えない(別サーバになっている)うえに、sshでファイルを送るとデータ化けしてしまって、tarファイルが壊れた(ファイルサイズが小さくなっていた。。。scpは問題ない)ので、いろいろ調べ・試す羽目になった(が、全部無駄だった)。テキストファイルを比べたら、改行コードがLFからCRLFに変わっていたので、どうも常に普通の人間相手のターミナルを前提として動いているようだ(それにしたって、全く余計なお世話、やらなくていいことをしている)。そして、設定をいろいろ変えてもその問題は直らなかった。機能が豊富なので、結構ちゃんとしたものだと思っていたのだが、実際には基本がなってなかった。

PS2. すみません、題はかなり飛躍しています。最初は「一石二鳥w」とかいうありきたりなものでした。が、突然思い付いた森高の歌の一節が(僕的には)なんとなくぴったり来たので、題にしました。「白いガードレール」はiPhoneです、きっと。

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(今年のまとめでも書こうかと思って思い返してみたら、)Linuxに移行してから1年3か月くらい過ぎていたことに気付いた。まだいくつかのTODOが残っているので、移行は完全には終わっていないし、気に入らない点はゼロではないし、Windowsを全く使わなくて済むようになった訳でもない(スキャナ(ScanSnap)を使う時だけは要るし、Evernoteアプリには不自由している)から、全く問題がないとは言わないが、移行してから随分経ったことを忘れるほどには自然に(「空気のように」)使えている。

ただ、それは僕が「UNIXが自然・普通・当たり前」で、Linuxのコマンドを使うことが苦にならないからで、一般の方でもそうだとは口が裂けても言えない。それでも、マウスで操作する(コマンドを使わない)デスクトップ環境なら、一般の方でも容易に使えると思う。(何も問題が起こらなければ、)デスクトップ環境で9割以上は事足りる。ちなみに、デスクトップを一見するだけでは(古き良き)Windowsと見分けが付かないと思う。

移行後、Windowsではいろいろな騒動があった気がするが、高みの見物がおもしろかった。使っている人たちは良く耐えていると思う。感覚が麻痺して、問題が起こるのが当たり前になっているのだろうか? そうこうしているうちに、PCを使う人が少なくなって、スマフォやタブレットに移行しつつあるようだ(にも関わらず、Windows Phoneは無事終わったw)。

そして、MicrosoftやAppleが、多くのユーザーが「いつもどおり普通に使える」ことの重要性を無視して、あっけらかんと使い勝手を変えて、その上、「それは新しいから正しい。みんな使いなさい」などとのたまわってふんぞり返るのは、いったいどういうセンスなんだろうと思う。

きっと、多くの信者が、突然の変更にもムカつかずに、「*で※するには」を調べて(あるいはプログラムを作って)公開するから、世の中が何とかなっているのだろうと思う。多くの人が手間と時間を掛けて調べ・作って、更に多くの人がそれを検索して適用するのは無駄としか言いようがない。更に、その不評を知っているはずのメーカーが知らん顔をしているのは、本当に厚顔無恥としかいいようがない。

確かに、Linuxでもそういうことはあるが、レベルが違う気がする。その証拠に、Windowsでは、突然困る(例: ある朝、いつもどおりのことができなくなっていた)ではないか。Linuxでは、そういう大きな変更の前にはちゃんと注意事項が公開されるから、事前に検討・準備できたり、その更新をしないことだって可能だ。

そもそも、Linux(UNIX)では操作性(操作手順や使い方)が変わることはほとんどない。機能追加はかなりあるが、20年以上前から同じ使い方ができるコマンドなんてザラにある(まあ、Windowsのコマンドプロンプトのコマンドもそうだが、そもそも、その(MS-DOS由来の)コマンド自体がUNIXのを劣化させたものだから、論外だ。更に、数年ごとにコマンドインタプリタが変わりさえするではないか)。だから、コマンドをがらっと変えてしまった一部のシステムを除いて、操作で戸惑うことがない。更に、操作が変わってしまったとしても、ほとんどの場合には、ユーザの希望で古いものを追加する(戻す)ことが可能だ。つまり、無駄な手間や苦労とは無縁なので、「空気」になれるのだ。

僕にはいいことずくめ(というか、上にも書いたように、これが当たり前)のLinuxなのだが、まだまだ普及していない。ただ、広く普及したらマルウェアの類も増えそうで、Linuxのそれはかなり強力そうだから、単に普及すればいいものでもない。まあ、仮にそれなりに普及したとしたらセキュリティソフトも出てくるだろうから、大丈夫かも知れない。それ以外の問題は、Linuxは基本的には自分でいろいろできる・したい人のためのOSなので、一般の方がWindowsの代わりに気軽に使おうとしても、無理があることだ。その時には、有料でサポートする商売も出てくるかも知れないが、そうすると、WindowsやmacOSと同様になってしまい、目をひくようなメリットは少なそうだ。

でもまあ、OSなんて、普通に使えれば(OSのお守(も)りじゃなくて、自分のしたいことができれば)いいのだから、そこがメリットになるかも知れない。例えば、ある日突然使い方が変わるとか機能がなくなるとか、使っていたら突然長ーい更新が始まって作業ができななくなるうえに停めることもできないとか、青い画面に落ちて無意味なメッセージが出るだけなんてことは皆無だ。

だから、例えば、小さい会社などで、MS Officeは使うけど凝った使い方(例: 変なマクロを組む)はしないのなら、フリーのOffice(例: LibreOffice)は充分互換性があるので、結構なコスト(ソフトもハードも)が削減できると思う。ただ、立ち上げにはそれなりに手間は掛かるし、「お守り」(質問・トラブル対応)をする人は大変だろう。が、サポートについては、Windowsだって結構あるから同じことか。

そういえば、ミュンヘン市はLinuxに移行したのにWindowsに戻ってしまうが、政治的な問題以外に、余計なことをしたためにコストも手間も掛かり過ぎたせいもあると思う。詳しい人なら分かると思うが、「自分たちのLinux」なんて作ったら負けだ。彼らは最初から間違っていたのだ。そんなんだったら止めとけば良かったのに、まったく馬鹿げた話だ。誤ったLinux移行を進めた人もWindowsに戻す人も、みんなセンスが悪い。

というわけで、「Linux(UNIX)は古くて、先進的な機能は少ないし、進歩も余りないけど、それでいいんじゃない(先進的な機能って、どれだけ使っているの?)」というのが今の感想や意見である。

まとめ

  • (多くの人にとって)OSは、普通に使えればいい(OSのお守(も)りに意味はない)。
  • 過去との互換性を保持することはとても重要で、価値がある(変化自体に価値はない)。
  • (おまけ) ソフトは、作ったら負け。

 

PS. 久し振りにMusicBeeのサイトを見たら、(サイトが)ダサダサになっていてすごくがっかりした。Page up/downすら効かないって、どういうこと!? MSや林檎以下じゃないか? 見栄えはいいけど、中身はとても陳腐だ。進歩もないようで、今だにGPMもSpotifyもサポートしてないの? 暗いスキンが標準なのも好みでない。

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近頃はネットでの表現が難しくなって来て、昔のように過激なことを不用意に書くと思わぬ炎上を招く可能性があって、気を抜けない。とはいえ、そういうリスクを恐れて、なますを吹くがごとく、自分の書きたいことを書かずにありきたりの正論を書くだけでは全くつまらなく、ある意味不戦敗なので、挑戦したいという気持ちはある。

例えば、あるけしからん奴には制裁が妥当だと思って、(それを実行することはもちろんないのだが、)その内容を具体的に書くことはためらわれる。特に、対象の相手が弱者(と呼ばれる人)とか偉い人だったりすると危ない。

ところが、先日、naokiさんのところにコメントを書く時に、なかなかいい技法を思い付いてしまった。架空の世界に頼むのである。例えば、

そういうクズは、マッドマックスの世界では、ショットガンで頭を粉々にされるだろう。

である。「マッドマックス」でなくても、自分が適切だと思う制裁を加えてくれそうな世界観・設定の作品なら、なんでも可能だ。「北斗の拳」はもちろん、「スター・ウォーズ」だって使えそうだ。

それなら、書いた人が制裁を加えたいということは全く書いておらず、「作品の世界ではそういうふうになるだろう」という想像を書いているに過ぎないので、問題がない(もちろん、書いた人の頭の中がどうなっているかは文章の限りではないが、書かれてもいないことを想像して「けしからん」と叩くのは、叩く方がおかしい)。

あるとすれば、「こんな時代遅れの暴力行為を礼賛するとはけしからん」と叩かれる程度だ。が、それにしたって、アングラな作品のことを書いているのでなく、現代でも一般に流通している作品で起こりそうなことを想像しているだけで、礼賛も奨励もしていない(「だからマッドマックスの世界はいい!」などとは書かない)のだから、大きな問題とがあるとは言えない。せいぜい、熱心なファンの方に「その設定はおかしい」などと突っ込まれる程度だろう。

てなことを考えながら文章で実験するのは、なかなかおもしろい。

 

PS. よく、「自分の家の玄関に同じこと(インターネットに書くこと)を貼れますか?」とか言われるが、一見正論だがちゃんちゃらおかしいと、さっき思った。そういう輩は、プ○ウスとかに乗って、いかにも自分は主流派で、いつも正しい、世の中のためになる行動をしているとでも思っているのだろう(でも、実際には、とんでもない運転のプ○ウスは多い)。

まあ、反社会的なことを書いたり、遊び半分で書いて逮捕されるようなことは推奨できないが、上記のような ことなかれ主義をやっていたら、世の中は進歩しないと思う。そもそも、インターネットはこういう場所であって、玄関じゃないではないか。

例えば、「春の祭典」の初演時は、多くの聴衆が「とんでもない曲だ」と感じて、大騒動になったという(どこまで本当か分からないが)。これこそ、「玄関に貼れますか」なんて自主規制していたら、世に出なかったと思う。

すごく論理が飛躍した気がするが、世の中は、一見非常識なことから進歩することも多いのだから、常識に囚われるより、いかに(許されるか許されないかの境界線上で)常識を破るかに情熱を注ぐ方が有益なのではないかと思った。

ただ、常識をギリギリで破るには常識を知らないといけない訳で、単なる無法者でいい訳ではない。そこが「バカッター」する人が分かっていないことなのだろう。

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(最初に書いた時から時間が経って、疲れのせいもあって、まとめる気が起こらなくなったので、ひとまず草稿レベルで公開します。)

何かを「所有」することは不可能だと思う。

「所有」の定義にはよるが、仮に、「自分が死ぬまで何かを管理下に置く」としても、本当に可能だろうか? ほとんどの物は、消耗したり壊れたり飽きたりして、いつかは捨てるだろう。大体、「自分」ですら所有(管理)できないではないか。

壊れない物もあることはある。名誉のような、物でないものもある。

でも、自分が死んだら(自分にとっては)終わりなことは確かだ。

それでも、たかだか100年でも、所有できればいいのかも知れない。が、欲しかったものを所有できたら、ずっと嬉しく思うとか満足し続けるのだろうか? どうせ、数日経ったら、忘れてしまうに違いない。それどころか、更に「上」が欲しくなるだけだ。

諸悪の根源だ。

だから、ほとんどの物はすべて「借り物」だと考える方がいいと思う。お金を払って一時的に手元に置くが、使い終わったら放棄する。何でも流動的なもの、一時的なものと考えてこだわらない。

そういう観点では、少し違うが、断舎離はいい考えだ。

(表現が難しいが、物理的な物にこだわらず、情報や思考や精神を主体にするべきだと思う。すべてを狭義の情報(電子や磁気の1/0で格納するとか)ではなく、何らかの事実や表現を積み重ねるという意味である。そういうものを蓄積するには、最後は記録する「物」が要るのかも知れないが、そうでない可能性もありそうな気はする。でも、これを突き詰めると、最後は、人間という物体はなくなる(なくてもいい)ことになりそうだ。でも、そうなったら記録するものもなくなるのか・・・)

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猫の飼育数が犬を上回ったとか。そんなの全然うれしくない。

(原因不明の)流行のせいもあるのだろうが、記事を読むと、猫は散歩させなくていいからとか書いてあって、アホか馬鹿かと。そんな手間を惜しむような奴は、どんな動物だって、まともに世話なんて出来る訳がない。

「飼育」とか「世話」というのは人間目線の言葉であって、適切でないと思います。もっといい書き方があるはずですが、今は思いつかないので使っています。「一緒に暮らす」などが適切と思いますが、今ひとつしっくり来ないのです。

そもそも、犬や猫が好きだから飼うのであって、それは別の種とは置換不可能で、手間が少ないからって(そういう人は、ご飯を炊くのが面倒だったらパンにできる? 手が小さいからピアノじゃなくてヴァイオリンにするの? : そういう人は実際居るんだろうけど、何も分かっていないと思う)、おかしいだろうが! そういう輩は、お店で「いいの」を手に入れたはいいが、そのうち面倒になって、そこらに捨てるとか保健所送りにするのがオチだろう。

だから、本当に、いい加減な奴は飼わないで欲しい!

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