Archive for the ‘意見’ Category

年賀状の時期になった。がらさんの投稿で知ったのだが、「年賀価格」は12/15-1/7までだそうで、それ以外は10円の追加が要るそうだ。追加の件は知っていたが、1/7までなんてのは、いくらなんでも早過ぎる。結構ムカついた、というより、かなり面倒な気がして来た。実際には、1/8以降に出すことはほとんどないが、その魂胆というか、アホさにイライラする。「そんなにやる気がないのなら、無理して使う必要もないな」という気分になった。

それで、今年からは紙の賀状を削減することにした。まず、賀状だけで全く付き合いのない人には出さないことにした※。更に、メールで連絡できて、失礼にならない方には、メールで出すことにした。

※ いろいろな考えはあるだろうが、ずっと年に1回の賀状を出すだけで、会うことも手紙も電話もメールも一切ない人は、もはや親しいとは思えず、賀状を出す意味がないと思う。親しくなくても出す価値はあるという考えもあるかも知れないが、今までの経験上、長く付き合いがない方に出し続けても、今後会ったりすることはまずないだろうから、出すことにどういう意味があるのだろうか?

すると、10枚未満になった。それなら自分で印刷した方が速いし安上がりなのだが、プリンタがない(滅多に使わないし、使いたい時にインクが詰まっているので、持たないことにした)ので、外注するしかない。会社のを使うことも考えたが、落ち着かないし、後ろめたい気分になるので止めた。コンビニのプリンタもあるが、持ち込みのはがきに印刷できるか分からないし試せないから、失敗したら高く付きそうだ。

それで、印刷業者に頼むことにした。例年はイロドリにしているのだが、若干高い(例: 300円/枚)ので、もっと安いところや、直接投函してくれるところを探した。すると、候補が3社見つかった。

一番安かったのは、グラフィック・ビズ(またはグラフィック)で、入会時にもらえる500円分のクーポンを使うと最安(100円/枚)になった。次はウェブポ、その次はネットで年賀状(サービス名)だった。後の2社は印刷サンプルを無料で送ってくれるので試したところ、ウェブポは淡い色がくすんでいて綺麗でなかったので、ネットで年賀状※かグラフィック・ビズとなった。

※ ネットで年賀状の色がいいのは、「補正」機能のおかげのようだ。使っているプリンタの特性に合わせて色を調整しているようだ。

(安いから)グラフィック・ビズに決めようと思ってwebを見ると、入稿の仕方が今ひとつ分かりにくかった。ページによって、PDFは「どんなアプリのものでも可」と書いてあったり、「Adobeのだけ」とあったりするのだ。それで問い合わせたら、返事が遅い。まる1日後にようやく来たのだが、グラフィック・ビズとグラフィックのサイトごとに(別サイトだと気付いたのは、結構後だった)仕組みが違うようで、片方は何でも良く、もう片方はAdobeだけという具合だった。

「あのぉ、だったら、相互に飛ばないようにするとか、『これはこのサイトだけ』と明記するとかするべきでしょう」と意見したかったが、ああいう手合い(他にも、会員登録でメールアドレスを2個入れるうえに、どちらもペースト不可など、意図不明のアナクロwebを作っている)には言うだけ無駄なので、無言で会員登録を解除した。きっと、いつもはプロ用だけど、儲かりそうだから年賀状も始めた程度なのだろう。舐めた商売はして欲しくないね!

てな訳で、今はネットで年賀状に決めている。ここは基本料がないから、追加の印刷も割高にならないし、何度でもサンプルを注文できるのもありがたい。 そこで、宛名なども印刷してもらって直接投函してもらうか、自宅に送ってもらって手で宛名や一言書くかの選択になった。直接投函は送料(650円)が不要なので、かなり安くなる(130円/枚)。

従来は、全部印刷なんて味気ないと思っていたのだが、それぞれの方に一言書けば(宛先の設定時に可能)いいような気がしたし、書き損じがなくなるので、今は直接投函にしようと思っている。なお、印刷文字の代わりに手書きの文面をスマフォで撮影して入れることもできるようだが、さすがに面倒なので、そこまではしないことにした。

その検討の段階で思ったのは、ここまでオンラインでできる・してしまうのなら、わざわざ紙で出す必要はないということだ。個別に一言書くのなら、(僕にとっては)メールと同じだ(個人的には、紙という物に本質はないと思う)。それで、更に紙を出す相手を絞り、今では5人未満になった。

長い前置きで申し訳ないが、ここからが本題で、つくづく思うのは、郵便(会社)のアホさだ。どうして、メール(今はLINEなどもあるだろう)を取り込まなかったのだろう? 例えば、(別会社は既にやっているだろうが、)メールアドレスやLINEのIDで郵便が送れるサービスとか、紙と電子媒体の本格的な融合・統合(例: 出し手・受け手の選択で、紙でも電子媒体でも出せる・受け取れる)をやればいいのに。余程頭が硬いのか古いのか(そう思う時、この前死んだ、Nという会社潰し名人の顔が浮かんで来る。ああいう輩は、いかにも革新的なことを言うが、実際には何も新しくなく(逆に会社には良くないことしかない)、とりあえず現状維持のハンコだけ押して過ごしているのだろうか)。規制はあるだろうが、政治家に取り入ればいくらだって何とかなるはずなのに、私利私欲のためにしかしないのか。

まあ、このままじゃ、だれも普通の郵便なんて使わなくなるだろう(手で文字を書くのはいいが、はがきを買い/便箋を封書に入れて切手を買って貼って、ポストまで出しに行く時点で面倒過ぎるし、印刷物を送るなんて時代錯誤・無駄もいいところだ)。ゆうパックはまあ大丈夫だけど、それだって、ヤマトに比べれば不満が多い。もっと危機感を持って欲しいが、まだまだ国に頼れる気分があって無理なのかね・・・

以下は余談。

肝心な年賀状の絵柄は、去年ボツにしたのを修正して(季節外れの花を消して)使うことにした。絵心はないが暇と挑戦心はあるのでw、グラフィックソフト(GIMP)でちょっと試したら、意外に綺麗に隠せたので、採用することにした。

それから、メールは(多少遅れてもいいとは思うのだが、凝り性なので)元日の0時に出そうと思い、その時は実家に居るので、そのための仕組みも確立(というほど大したものではないが)した。メールを日時指定の送信にし、メールを出す時刻に自動でPCの電源を入れ、メールを送信し終わった頃(10分くらい後)に自動でPCをスリープさせるのだ。具体的には、以下の手順である。

  1. Thunderbirdと日時指定送信用のアドオンSend Laterで、メールを元日の0:00の指定で送信予約する。
  2. LinuxのACPIによる自動起動設定ファイル/sys/class/rtc/rtc0/wakealarmに元日の0:00のUnix時刻(UTC, 秒)を書き込み、PCの自動起動日時を設定する。
  3. 指定時刻にコマンドを実行するコマンドatで、メールを送信し終わった頃(元日の0:10)にPCをスリープさせるコマンドpm-suspendを実行させ、メール送信後にPCをスリープさせるように設定する。
  4. (帰省する前に)PCをスリープさせる。

ブログサーバから送るようにすれば、上のような手間は不要なのだが、メールのドメインのトラブルがありそうだし、画像を添付したメールの送信は面倒そうな気がしたので、自宅のPCからにした。また、iPhoneなら実家から送れるが、操作が面倒で間違いそうなので止めた。

と、準備し(てここに書い)ただけで、実際にはほとんど進んでいないのに、もう年賀状が終わった気分であるw

(題は、書いたあとの今掛かっている曲より。対極というか同じというか、似たようなニオイを感じたので: 12:11: 検索したら、この歌は33年前の今日が発売日だった!)

更に余談だが、題の曲の詞に出てくる「カラオケ」は、Wikipediaでは当時のカラオケのテープを指しているように書いてあるが、僕は空の桶(当然、そんなのを掛ける機械なんてない)ではないかと思っている。これは本人に聞いてみたいw (12:20)

(11/26 0:06 加筆; 11/26 22:09 わずかに加筆)

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人それぞれだとは思うが、僕は、何度も(例: 毎日)決まりきったことをするのが大嫌いだ。そんなのは全部機械にやらせたい。例えば、歯磨きだの洗濯だの普通の食事だの通勤の運転だのだ。

ただ、そうは言っても、そういう雑事を「決まりきったこと」にすることで労力を減らせて、日常生活が楽になるという利点はある。例えば、毎日通勤経路を変えていたら、神経を遣ってしまって、とてもじゃないが、好きな車に乗るのすら疲れて嫌になるだろう。

ここでいきなり話が飛ぶのだが、芸術は「変化」によって進歩するのではないかと思った。僕の好きな音楽なんて、そうだろう。時々、流れが断絶する時期がある(クラシックだと*派の区切り)のは、それまでの音楽に飽きた人が、新しい音楽を生み出して、それが世の中に受け入れられた(いわゆる流行か)ということなのかなと思う。

音楽史は全然勉強してないので見当外れのことかも知れないが、バッハとモーツァルトの違いなんて、ものすごいものがある(言ってみれば、退化ですらある)。勝手な想像だが、「あんな堅苦しくて古臭くて重箱の隅をつつく音楽なんてつまらん! 書くのも面倒だw」とか思って、モーツァルトは自分の音楽を作ったのかも知れないし、聴く人にもそれが丁度良かったのかも知れない(その彼も、後年は自分の世界にはまり過ぎて落ちぶれてしまったようだが・・・)。

それで、変化は、基本的には自分で起こさなければ、望むものは起こらないと思っているのだが、どういう訳か、熱望していると、その変化が勝手に起こる場合がある。昨夜、そんな変化の兆しが突然「降って湧い」た。自分ではどうにもならない(いい方向には進めない)と思っていただけに、狐につままれた気分だった。まあ、人生はそういうことも結構あるのだろう(今回は、他の人がその変化を起こす気になったので、それがこっちに波及して来た)。

ちなみに、その兆しは、今のところ、本当に実現するか半々というところだが、それでも、自分でも協力してその変化を実現することで、今の嫌な状況を打破できそうで、随分気分が楽になったから、それだけでも良かったと思う。全く不思議なことだ。

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昼に、ラーメンを作って食べた。自炊はしないのだが、某所で、ある地方(有名なところ)の各県のラーメンが入っているセットをもらったので、折角だから食べている。おいしそうだから最初は喜んだのだが、それには麺とスープしか入っていないないので、何らかの具を入れる必要があり、しかも、それぞれ2食分ずつ入っているので、消化するのがなかなか大変だw それで、今回は、スーパーで見つけた、ラーメン用野菜セットにしてみた。

その袋は、一見、キャベツや人参やもやしがバランス良く入ってそうだったのだが、封を開けて、すごくがっかりした。キャベツや人参はごくわずか(約3-5%)だった。ほとんどはもやし(しかも、見栄えをよくするためか、ご丁寧に別の袋に入っており、キャベツや人参はもやしの袋の上に載っていた)の誤魔化し品だった。まさに、羊頭狗肉だ。

まあ、高々100円の物だし、内容表示には(量の順に)正しく書いてあるのだろうから、法的には何も問題はない。売る方はそういう姑息なコストカットを積み重ねて利益にするのだろう。ただ、嫌な思いをした人はもう買わない(おそらく他の類似品も)だろうから、そういうアコギな商売は長期的には損だと思う。近頃そういうのばっかりで、本当にうんざりする。こんなの、みんながけなすC国やK国と同じでは? まったく美しい国になったことw (いや、日本は昔からこうだったのかも知れないね)

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HMVの広告に、「これぞロシア! 考えられる最高の組み合わせ」などと出ていたので、(いつも余りいい印象はないのだが、)結構聴きたくなってGPMを探したら、発売日は結構先なのに既にあったので、マツーエフのラフマニノフ ピアノ協奏曲 第2番(2017)を聴いてみた。指揮はゲルギエフなので、その点でも期待させられた。

が、なんかあっさりし過ぎていてコクがなく、やっぱり好みではない。確かに、腕はあるのかも知れないけれど、グッと来るものはない。逆に、うま過ぎるのかも知れない。まあ、「最高の演奏」とは書いていないので、広告に嘘はない。

それよりも、聴きながら広告を読んでいて、つくづくロシアがうらやましくなった。というのは、彼はソチオリンピックの閉会式でこの曲を弾いたというではないか。僕はスポーツには興味がないので知らなかったのだが、それを観たら(居合わせたら)、(スポーツは関係なく)感動したかも知れないと思った。やっぱり、(腐っても)歴史ある大国だけのことはあるし、さすがはラフマニノフの祖国だ。本当に、「これぞロシア!」だ。関係ないけど、同じく歴史あるイギリスのロンドン(2012)ではポールやクイーンが出たそうだし。

一方、日本だったら、何の才能もない連中の学芸会、あるいは、紅白歌合戦のようなどんちゃん騒ぎになってしまうのだろう。そういうのを「8Kの高精細な映像」で世界中に垂れ流して、平気な顔どころか自画自賛するのだから、さすが日本だw (と、今から書いておく)

余計な説明: これが国内のイベントなら全然問題はない。西洋が絶対ということはないのだから、いくらでも好きにすればいい。でも、オリンピックは、西洋が発祥なのだから、少なくとも西洋(、本当は世界)に通用する出し物をする必要がある。そうでなかったら、お金や手間を掛けてやっても、単なる笑い物、いや、それ以下(無視されるだけのゴミ)になるのがオチだ。ただ、そういう扱いになっても、国内の人は誰も気付かずに、あるいは気にせずに、胸を張り続けるから、島国根性の病巣は深いと思う。 (11/12 19:18)

PS. まったくあり得ないけど、もし、(好きじゃないけど)小澤と内田光子(こっちは好き)とかが日本の曲(何かあるのかなあ?)を演奏したら、納得するだろう。

PS2. 昨日、その後、マツーエフのラフマニノフ ピアノ協奏曲 第3番(2009)も聴いてみたら、なんか違和感があったものの、第3楽章の後半で盛り上がって来た(乗りが、第2番とは明らかに違う)ので、いいと思ったのだが、結局、最後が少し乱れた(ように聴こえた)のが残念だった。でも、あれはライブ盤ではないだろうから、乱れたまま発売することはないだろうから、僕の耳がおかしいのだろうか。 (11/12 10:29)

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(今はちゃんとした文章にまとめるのが面倒なので、とりあえず、「素材」を載せます)

先日、ブログに演奏の感想を書いていて思ったこと。

今の僕は、こうして感想を書くのが好きだが、子どもの頃、夏休みなどの宿題に書かされた、読書感想文はすごく苦手だった。全然書く気がしなかったし、書くのも進まなかった。以下に、その理由を推測して書く。

  • 押し付け(書かないと怒られる)!
  • そもそも、なんで感想を学校に出すの? 作文とは違う? (「感想文」の書き方、表現の仕方の勉強、いろいろな作品に触れる機会?) : どうしてそれを書くかの説明があったかは、覚えていない。
  • しかも、なんで本だけ? 更に、指定の作品(「課題図書」)があることもあった! (競争??) 音楽だって絵だって、なんだっていいのでは?
  • 子どもは経験・語彙が少ないないから、感じたことをうまく表現できない。
  • どうにか感じたことを書いたって、学校(先生用の指導手引き書?)のテンプレどおりでないと駄目。
  • 感想を「評価」される理不尽さ。(感想文の「書き方」としての評価であろうが)
  • 先生は、提出される文の題材全部を知っている? 知らなくて評価できる? (これは可能ではあろうが、それにしたって、どうせ、テンプレに頼るのだろう。): 作品を指定すると手抜きができるのかも知れない。

今、(いろいろな経験をし、少しは語彙が増えた)自分が感想文を書いて、どこかの中学生に学校に出してもらって、どんな評価(コメント)をされるのか、興味がある。

でも、今は本を読むのは余り好きでないので、音楽の感想がいいな・・・

そして、本を読む代わりを思い付いた。とりあえず、昔読んだ作品の感想(ネタが日記やブログに書いてあるかも)を書くのが手軽そうだ。もっと手を掛けて遊ぶとしたら、(「猫」で迷亭が似たようなことをやっていた気がするが、)架空の作品の感想をでっち上げるのだ。ただ、今は検索が発達しているから、全部出鱈目だとバレるので、既存だけどほとんど知られていない作品の内容を想像して、その感想を書くとか、劇中劇ならぬ、作品中に挙げられた架空の作品の題名やあらすじから感想を書くのも楽しそうだ。是非やってみたい!w (学校としては、感想文の体裁が合っていればいいのだろうから、ちゃんと書けば何も問題はないはずだ。)

子どもの頃から、先生とか偉い人の鼻を明かすのが好きで、結構目の敵にされていたが、当時はそんな悪戯を思いつかなかったのが至極残念だw

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音符が読めなくたって、音痴だって、音楽は作れる! そう、パソコンならね。」という記事があったので、良くあるパターン(「鼻歌でいい」とか「身近にある楽器を、思ったままに演奏してみよう」や「GarageBandを使ってみよう」など)と思って冷やかしで読んだら、はるか斜め上のことが書いてあって、笑えもしなかった。

記事は、単にDAW(波形編集ツール)の使い方紹介でしかなく、最後は

食わず嫌いせず、たまには音楽を作ってみてはいかがでしょうか。

であった。。。

あのぉ、「食わず嫌い」、「たまに」って・・・(僕に「たまに」作れる能力があったら、ずっと作り続けるよ!) どうやって音楽を作るかが本題じゃないの? まずは機器を揃えて、あとは(どうにかして)楽器を演奏して録音しろってこと? 楽譜が読めない人が演奏できる? できないとしたら、演奏するにはどうしたらいい? 歌うとか鼻歌とか口笛? (でも、音痴じゃ無理だね・・・) 「とにかく頑張れ」?? 音楽の才能はあるけど、今まで楽譜を読み書きしたことも演奏したこともない天才向け?w 逆に、楽器を演奏できる人がDAWを知らない? 実は音楽の「ファイル」の作り方を書いているのか?

(「道具を揃えればできる!」という幻想に取り憑かれる)中高大生ならともかく、大の大人、しかも(何かの)プロがこれはないだろう。メーカーの提灯記事なのだろうか。この藤本という人、時々まともなことを書くと思っていたけど、やっぱり信用できないようだ。

いずれにしても、普通の人が音楽を始めるのであれば、ラジカセとかスマフォやPCの普通の(OS添付とかフリーの)録音ソフトで録音するので充分だ。まずは、何か演奏することだ(ここがすごくハードル高いのだが)。それから曲を作ろう(ここも更に高い)。どっちが先でもいいけど、編集だのミキシングなんて100年早いw

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昨日、「「こんまり式」はもう古い!? スウェーデン式の断捨離「死のお片付け」とは?」という記事を読み、なるほどと思った。特に同感だと思った箇所を引用する。

「これをとっておいたら誰かが喜んでくれる?」

米雑誌「ピープル」とのインタビューでマグネソン氏は、「死のお片付け」を経ても捨てずにとっておいた物が詰まった箱の存在について語っている。手紙や写真など個人的な思い出の品で、つまり自分には意味のあるものだが、いくら家族と言えど自分以外の人には不要な物だ。自分にもしものことがあったら、家族はこの箱に何が入っているかを吟味することなく捨てていいことになっていると言う。

まさにこれで、僕は、お金以外は、残しておいて家族が喜ぶ「物」など何もないと思う(せいぜい家や車などの実用品? それだって、使うあてがなければ処分が面倒なだけだ)。お金だって、余計な争いを生む可能性があるから有害だ。だから、自分の物は好きなだけ処分すればいいし、(残った家族が処分する手間を少なくするために、)身の回りの物は最小限に留めるべきだと思う。そういう意味では、死んだら自分の物が自動的に何もかも消滅するような仕組みがあれば、便利だと思う。そして、残った家族は、何だって捨てていいと思う。

結局のところ、価値があるのは本人自身であって、物ではないということだ。そして、このブログや日記のような情報だって同じだろう。ただ、物と違って場所を取らないし削除も容易だから、物よりは残しておいても迷惑ではないだろう。

ただ、例外はあって、音楽のような作品の類は、本人が死んだからといって消滅しては困り、楽しむ人が居る限りずっと残る必要がある。そういうものは、作った人だけのものではなく、公共のものになっているということなのだろう。

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(naokiさんの投稿にコメントを追加しようと思ったのだが、独立した投稿の方が良さそうなので、書く)

はっきり言って、僕自身、「ヒーリング音楽」というものをほとんど聴いたことがない(耳に入ることはいくらでもあっただろうが、聴こうと思って聞いたことはない)。退屈だからだ。だから、以下は全部想像をもとにして書いたので、間違っていたら申し訳ない。

ヒーリング音楽と聞いて思い浮かべるのは、naokiさんの書かれていた、シンセを使った、安直な、耳触りはいいけど単にだらだらとした音楽である。次は、オカリナだの縦笛(リコーダー)だのの柔らかい音で滑らかに延々と演奏するもの。あとは、弦楽合奏(これも、柔らかく滑らかに延々と)、あるいは少人数での女声合唱だろうか。後の三者の大体は、バロック音楽(例: ヴィヴァルディ、パッヘルベル、バッハ)だろう。

もちろん、それらの音楽が駄目と言うつもりはないのだが、ヒーリングに使うのは安直過ぎないか。「柔らかく滑らかな音+延々 → 疲れない → ヒーリング」という思考停止に陥っていないだろうか?

「毒にも薬にもならない」という言葉があるように、そういう曲・演奏は、毒にならなければ薬にもならないのではないだろうか。例えば、ぬるいお風呂や温泉に長時間入るだけで癒やされるかという話だ。そういう人も居るだろうが、そうでない人も多いだろう(例えば、サウナが欲しいとか、熱い湯も必要だし冷水浴もしたいとか)。ただぬるい湯につかっているだけで、何がおもしろいのかということだ。

だから、僕は、音楽に癒やしを求める場合だって、ある程度過激な要素のある曲を聴くべきだと思う。そういう曲を聴くことで脳が活性化されて、(精神的)老廃物が燃焼あるいは除去され、その後で癒やしの成分が生まれるのではないかと思う。例えば、激辛カレーを食べると大量の汗が出て、気持ちまですっきりして、やる気が出るようなものだ。あるいは、ギプスをしてじっとしているだけでは骨折はなかなか治らず(更に、関節が固まってしまう)、適度に動いて患部に力を掛ける必要があるようなこと。更には、いつも可愛くにこにこしているお嬢様よりは、ツンデレで時々ど突く子の方が楽しいようなことだと思う(単なる個人の好み??w)。

最後に、今思い付く、具体的な曲の例は以下である(いつもいつも馬鹿の一つ覚えのように出す曲で申し訳ない)。もちろん、曲をただ演奏するだけではだめで、充分な効果を生む演奏者を選ぶ必要はあるだろう。

  • バッハ: ゴルトベルク変奏曲
  • モーツァルト: レクイエム
  • モーツァルト: ピアノ協奏曲 第20,24番
  • ベートーヴェン: ピアノソナタ 「悲愴」、「月光」、「熱情」
  • ショパン: 12の練習曲 作品10
  • ラフマニノフ: ピアノ協奏曲 第3番

他に、「春の祭典」などのかなり過激な曲や、ポップ音楽だって沢山あるが、ここでは割愛する。

ここまで書いて、何となく、「癒やし」というより、脳内フィットネスとか気持ちのリフレッシュになってしまった気がするが、思い付きで書いたことなので、ご容赦頂きたい。

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入院中に暇つぶしにニュースを見ていたら、「ザ・クロマニヨンズ 「音楽で大層な事を目指している人が多い気がする。俺達は楽しければそれでいい」」という記事が目に入り、読んでみた。

インタビュー記事で、例に漏れず結構長い(だから、インタビュー記事は嫌いだ)のだが、彼らの意見には大体賛成だった。印象に残ったのを挙げると、

なんか物事を表現する人には、苦しんでて欲しいわけでしょ(笑)。 / そこで感動したいわけでしょ、みんな。感動に着地したいだけだよね。

は、僕が常々言っている、「作品と背景は無関係」に通じるし、

特に感じてるのか、思ってるのかもわからないんです。思ってないことはよく歌詞になってますけどね(笑)。

は、別に何かを思って書かなくても(聞き手に、その「何か」を押し付けなくても)、結果(曲)が良ければ(楽しければ)いいということだし、

曲を書かなきゃいけないという意識もないし

は、「努力してやる必要があるなら、才能はない(から止めた方がいい)」ということだろう。

それで、「これは是非聴いてみたい!」(でも、実際に聴いたら、好みでなくてがっかりする予感はしていた。というのは、グループ名が気に入らないので)と思い、さっそくGPMで検索してみた。

が、1曲もなかった。グループのエントリ(場所)だけしかなくて、がっかりした。

どういう事情かは知る由もないが、何となく、彼らの意向があるような気がする。それは、彼らはずっとアナログ盤も一緒に発売していることから感じた。もちろん、根拠などないが。

インタビューで、「楽しければそれでいい」、「行きあたりばったり」と言っている割には、売り方ではなにか「大層な事を目指している」感じで、その矛盾に幻滅してしまった。僕は、自分たちの主張を通すより、どんな形でもいいから(=「行きあたりばったり」に)、いろんな人に作品を聴いて楽しんでもらう方が重要だと思う。

実際には、今、PCでページを見ると、何か聴くだけなら、そこに載っている「どん底」の動画で充分なことに気付くが、彼らの(まとまった)アルバムが聴きたいし、もう聴く気を失ってしまったので、クリックはしない。

(10/23 9:55追記) 良く考えると、僕は常々「本人の性格や背景は仕事と無関係」と考えているのだから、彼らがどんなにいい考えを持っていたって、曲や演奏がいいとは(僕が気に入るとは)限らないのだから、気に入らない予感がするなら、ことさら聴く必要はなかったのだ。でもまあ、いろいろ試してみるのは無駄ではないだろう。

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イメージ戦略で成功した都会の某知事。やけにセコく、子分からお金をふんだくっているようだが、昔、高校や大学の志望校に落ちた場合に備えて受けた私立の学校が、受験料以外に、合格直後に高いお金を払わないと合格が無効になるのを思い出した。仕方ないので親に払ってもらったが、ずるい感じだ。

今となっては、学校はネジや電池と違って、仕様が同じものではないので、「どこかに行けば」いいものではなく、希望しないところに行く意味はないと思うから、受験することすら無駄だったが、当時はそれが当たり前だったし、親に指示され、「世間体」(というものの恐怖)もあったので、仕方なく受けた。本質を分かっていないことの典型だと思う。「学校で何をやりたいのか」ということが全く分かっていないし、分かろうともしていないのだ。全く無駄なお金だし、労力だ。

その知事の場合にしても、議員は落ちたくないから、何を指示されても言いなりなのだろう。そして、なぜか、別の党なのに企業のM&Aや出資のように簡単にくっついて人や金が動き、その時、主義主張が違うのに、横滑りで公認がもらえなかったら文句を言う輩さえ出るありさまで、受かりさえすれば何でもいいようで、人間性の低い連中が多いと思った。

そして、そういう輩を手下にして勢力を拡大するその人の言動を見ると、かなり質が低そうなのだが、ブームに乗りやすく、悪いことを見て見ぬふりをする国民が多いから、結果が心配だ。まあ、仮にその人が駄目だったとしても、与党の党首もそれに劣らず最低最悪極悪非道なので、八方塞がりなのだが。

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