手術後の深夜から退院までの話、その2。いよいよ、怒りの日(夜)などについて。

お世話になった病院は、医師の腕、充実した設備(特に手術室)、スタッフが親切などの点で、かなりいい感じだったのだが、それを帳消しにする大きな問題があった。

患者のレベルが低過ぎるのだ。田舎者ばかりだったのだ。

とても不思議だったのだが、立地のせいなのか、この病院の患者は(悪い意味での)田舎者、しかも、高齢者が多かった。田舎だって、まともな人や若者は居るはずなのだが、外来でも病棟でもほとんど見なかった。別の病院に掛かっているのだろうかと思う。そして、先日、母と話していて思ったのだが、他の病院はルールに厳しい(予想)ので、自ずと田舎者を遠ざけてしまうのかも知れない。

なお、ここで言う「田舎者」は、居住地で区別しているのでなく、行動で区別している。だから、都会に住んでいたって、後述する行動をするのであれば、「田舎者」だ。別の言葉で言えば、「(30年以上前の)典型的な日本人」かも知れない。僕は80年代もバブル期も好きだけど、そういうのは大嫌いだ。

まず、田舎者の以下のようなことが嫌だ。

  • 「自分だけは特別」:自分さえ良ければ、他人が迷惑を被っても知ったことではない。そして、どういう訳か、(どこかの有力者であるかのように)自分だけは特別扱いされて当然のように思っている輩が多い。
  • マナーがない。ルールを守らない。: 知らないのか知っていて無視するのかは不明だが、どちらしても迷惑だ。まるで、今が30年前であるかのようなことを平気でする。
    • 例: 病室で携帯電話をマナーモードにしない(例: 最大音量の着メロ)どころか、平気で通話する。
  • [特に男] 偉そうに振る舞う。: どういう判別をしているのかは分からないが(おそらく、見た目の年齢が自分より上か下か)、自分より下と見た人には、ぞんざいだったり、偉そうに振る舞う。何かしてもらっても、お礼を言うことはまずないし、悪いことをしても謝ることはない。
  • ズルい。: 例えば、後でいい訳できるようにしたいのか、自分で決めない(判断しない)。他には、角を立てたくないので、他人に対する意見もしない。
    • 例: AとBのどちらがいいか聞かれても返事をせず、相手が「じゃあ、Aにしましょうか」などと言うのを待つ。そうすれば、結果が思わしくなかった場合、他人に「なんでそんなことにしたの?」と聞かれた時に、「*がそう言ったからだよ」などと答えられ、自分には非がなかったようになるので。
  • 無駄に見栄っ張り。: 上にも通じるが、例えば、何かを選ぶ時に、安い方を選びたいとしても、まずそうは言わない。安い物を選ぶ時は、相手に言わせて、「セコい」というそしりを受けないようにする。もし相手が言ってくれない時は、言うまで曖昧な態度を取る。他には、分からないことを、素直に「分からない」と言わないし、質問することもしない。
  • 過剰な同調圧力・均質化、しきたりへの従属圧力: とにかく、「普通」(=「みんな」がしていること)やしきたりと異なることを避ける。田舎では、個性(=自分の意見)は悪である。あるいは、上にも書いたが、個性を出して失敗して、他人に影でなじられるのが嫌なこともあるのだろう。その反面、「自分だけ*したい/して欲しい」という隠れた願望が絶対にあるので、厄介この上ない。
  • 自分に規範がない。: 上にも関連するが、「みんな」がしていることが「正しい」ことになり、自分がどう思っていようが(何も考えていないのかも知れないが)、その時の周囲の大勢の行動が規範となる。昔の「赤信号、みんなで渡れば怖くない」の世界だ。だから、一旦、その場の誰か(特にボス的な人)が常識的なルールを破れば、その場は無法地帯となる。今の日本でも、まだこういう人は多いようで、逮捕されても「みんなやってるからやった」とか弁解する人が居るが・・・
  • 明らかな裏表: 表面上は親しそうに振る舞ったり何かを褒めても、影では平気で悪口を言う。
    • 例: 表: 「いい色の車だねえ」 → 裏: 「あそこの息子、黄色い車なんて頭おかしいんじゃない?」
  • [特にオバさん] だらしない。: 自分だけでなく、周りを巻き込んで、ごく当たり前の常識的な行動ですら、「気取っている」などのレッテルを貼って影で攻撃するので、そこでは、「オバさん行動」が正義となってしまう。そんなに堕落したいのだろうか。

全く無意味で下らなく、全然生産的でなく、何の将来もない。それらは僕が実家の地区に住みたくない原因でもある。

次に、今回の入院で見た、田舎者の悪行を列挙する。

  • ベッドで電話。マナーモードも知らない(ふりの)ようだ。
  • TVやDVDは、イヤホンを使わずに、音を外に出して観る。
  • 病室で騒ぐ。女性の病室が朝からうるさくて、とてもイライラした。話し方も品がなくて、女を捨てたゴリラたちかと思った。一人「ボス」がいると、他の人もうるさくなって、たちが悪い。
  • 患者の家族が廊下で延々としゃべっていてうるさかった。しかも、こっちのベッドが見えるところに立っているから鬱陶しかった。
  • 看護師さんに割ったコップの掃除をさせておきながら、自分はのうのうと電話をするジジイが居た。そんなに重要人物なのかと思った。そして、どんな重要案件があったのか?w
  • あるガキ(40代)のDQN家族は、ナースコールで「(紙を貼るような)テープないですか?」と、当たり前のように聞いていた。ここはホテルだったっけ? 全く呆れ果てた。それに親切に対応する看護師さんもどうかと思うが・・・

頭に来るのは、看護師さんたちがルール違反を見ても全然注意せず、当たり前のことのように看過していたことだ。スタッフも田舎者だから、病院も「それなり」になっているのだろうか。

最後に、退院日前の「怒りの夜」のことを書く。

僕のベッドには、位置の関係で、廊下の非常口の照明の光が届くのだが、それがが眩しくて眠れなかった。更に、隣のジジイが消灯後(午前3時頃にも!)にTVを点けたので、カーテン越しだけど、画面の明かり(しかも、明るさが変わる)が眩しく、ベッドの両側が眩しい状態で、どちらを向いても寝付けなかった。助かったのは、ジジイは夜はイヤフォンを使っていたことだった(だから、ルールを知らないのでなく、故意に破っているのだろう)。更に、どうしてか、そのジジイはベッドを頻繁に上下させていて、モーター音もうるさかった。

奥のガキ(40代)は、アニメのご鑑賞をしていて、ジジイのTVが聞こえない時にはその音が聞こえてきた。更に、夜中にビニール袋をガサガサさせ、食べ物をポリポリ食べ、独り言なのか携帯なのか、「傷が痛い」だのなんだのと言っていた。そのガキは、苦痛を全部他人(医師や看護師)のせいにしてばかり居た。しかも、直接は言わずに、影で言うだけだ。あれじゃ良くならないと思う。

そして、点滴中の患者がトイレに行くたびに、点滴台のキャスターがキーキーいう(ほぼ全部の台が鳴っていたと思う)のもうるさかった。本当に手入れした方がいい。

最後は、前にも書いたが、頻繁なナースコールの呼び出し音だ。しかも、看護師さんが忙しいので、音がなかなか消えない。

本当に参った。ブチ切れたかったが、そうしても何の得にも解決にもならないし、次の日で退院できるので、ひたすら耐えた。

そして、ようやく迎えた翌朝、K. 488を聴いたらむかつきが減ったので、やっぱりモーツァルトは偉大だと思った。

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(naokiさんの投稿にコメントを追加しようと思ったのだが、独立した投稿の方が良さそうなので、書く)

はっきり言って、僕自身、「ヒーリング音楽」というものをほとんど聴いたことがない(耳に入ることはいくらでもあっただろうが、聴こうと思って聞いたことはない)。退屈だからだ。だから、以下は全部想像をもとにして書いたので、間違っていたら申し訳ない。

ヒーリング音楽と聞いて思い浮かべるのは、naokiさんの書かれていた、シンセを使った、安直な、耳触りはいいけど単にだらだらとした音楽である。次は、オカリナだの縦笛(リコーダー)だのの柔らかい音で滑らかに延々と演奏するもの。あとは、弦楽合奏(これも、柔らかく滑らかに延々と)、あるいは少人数での女声合唱だろうか。後の三者の大体は、バロック音楽(例: ヴィヴァルディ、パッヘルベル、バッハ)だろう。

もちろん、それらの音楽が駄目と言うつもりはないのだが、ヒーリングに使うのは安直過ぎないか。「柔らかく滑らかな音+延々 → 疲れない → ヒーリング」という思考停止に陥っていないだろうか?

「毒にも薬にもならない」という言葉があるように、そういう曲・演奏は、毒にならなければ薬にもならないのではないだろうか。例えば、ぬるいお風呂や温泉に長時間入るだけで癒やされるかという話だ。そういう人も居るだろうが、そうでない人も多いだろう(例えば、サウナが欲しいとか、熱い湯も必要だし冷水浴もしたいとか)。ただぬるい湯につかっているだけで、何がおもしろいのかということだ。

だから、僕は、音楽に癒やしを求める場合だって、ある程度過激な要素のある曲を聴くべきだと思う。そういう曲を聴くことで脳が活性化されて、(精神的)老廃物が燃焼あるいは除去され、その後で癒やしの成分が生まれるのではないかと思う。例えば、激辛カレーを食べると大量の汗が出て、気持ちまですっきりして、やる気が出るようなものだ。あるいは、ギプスをしてじっとしているだけでは骨折はなかなか治らず(更に、関節が固まってしまう)、適度に動いて患部に力を掛ける必要があるようなこと。更には、いつも可愛くにこにこしているお嬢様よりは、ツンデレで時々ど突く子の方が楽しいようなことだと思う(単なる個人の好み??w)。

最後に、今思い付く、具体的な曲の例は以下である(いつもいつも馬鹿の一つ覚えのように出す曲で申し訳ない)。もちろん、曲をただ演奏するだけではだめで、充分な効果を生む演奏者を選ぶ必要はあるだろう。

  • バッハ: ゴルトベルク変奏曲
  • モーツァルト: レクイエム
  • モーツァルト: ピアノ協奏曲 第20,24番
  • ベートーヴェン: ピアノソナタ 「悲愴」、「月光」、「熱情」
  • ショパン: 12の練習曲 作品10
  • ラフマニノフ: ピアノ協奏曲 第3番

他に、「春の祭典」などのかなり過激な曲や、ポップ音楽だって沢山あるが、ここでは割愛する。

ここまで書いて、何となく、「癒やし」というより、脳内フィットネスとか気持ちのリフレッシュになってしまった気がするが、思い付きで書いたことなので、ご容赦頂きたい。

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手術後の深夜から退院までの話、その1。怒りの日(夜)のことを書くのはパワーが要るので、書きやすい話から書くことにする。

看護師さんに限らず、いろいろなタイプの女性が居るが、今回の入院では以下の3人の方の印象が強かった。

  • しっかりした人
  • 世渡りのうまい人
  • 損ばかりしている人

しっかりした人は、手術の日と退院前の夜(から翌朝)に担当してくれた方だ。手術日も最初の日の可愛い人が担当だと思っていたら別の方が来たので、最初はがっかりした。でも、彼女は手術前のさまざまなことを卒なくこなし、とても安心できた。また、前日の人が伝え忘れたこと(術後に備えて用意しておく物)を教えてくれた。実は、事前に調べて要りそうだったので既に用意してあったのだが、その結構重要なことを忘れるか気付かなかった前日の人(=可愛い人)が結構いい加減なことが分かって、ちょっとがっかりした。

更に、退院日の朝は検温などは不要のようなので、特に来なくてもいいと思うのだが、様子を聞きに来てくれた。彼女はしっかりしているし、責任感が強く、きめ細かな仕事をするから、将来は師長になるのではないかと思った。ただ、外見もしっかりした堅い感じなので、少しだけ、冷たそうなとっつきにくい雰囲気がある(実際はそうではないのだが)。例えれば、大映ドラマの伊藤かずえ

世渡りのうまい人は、最初の日の可愛い人である。悪人ではないのだが、結構へまをやらかしたり、手抜きをする感じだ。が、持ち前の若さ・可愛さと上手な逃げで、自分に火の粉がかからないようにしているフシがある。気に入らない性格ではあるが、本人を見るとつい許してしまうので、困ったものだw 例えれば、往年の松田聖子

(10/24 3:27追記) 良く考えたら、看護師さんは女性がほとんどなので、彼女の強み(若さや可愛さ)は役に立たず、デメリットですらあるかも知れないことに気付いた。そして、実際には、彼女は経験が浅いから、本当にへまをやらかすだけで、手を抜いたり誤魔化そうとしている訳ではなく、見えないところで先輩たちに結構絞られているのかも知れない・・・ なんて考えると、肩を持ちたくなってしまうw

が、そこが彼女のうまいところで、実は、男の医師や偉い人たちからは好かれているから、先輩から絞られても「まあまあ」などとかばわれるのかも知れない。でも、仮にそうであったら、逆に、彼女の看護師の中での立場が結構厳しくなりそうだから、余り辛く当たるのは可哀想だ(などということは空想のし過ぎだろうw)。

損ばかりしている人は、退院前日の日勤の方だ。朝の挨拶の時は何となくやる気がなさそうだったのだが、実際にはそうではなかった。物静かだけど、親切で丁寧な人だった。

例えば、向かいの人がコップか何かを落として割ったら、その音を聞いて来て、ちゃんと掃除していた。当たり前のことだけど、看護師さんは忙しいから、普通は聞こえても(呼ばれなければ)無視するとか、他の人に頼むとか、適当に済ませそうではないか。少なくとも、世渡りのうまい人はそうしそうだ。

そして、退院に関する事務的なこと(退院する時刻や概算額)が不明だったので聞いたら、ちゃんと調べてくれた。そして、思わぬ落とし穴(休日は計算する人が居ないので、額は分からない)があって困ったのだが、彼女も知らなかったようだけど、どうすればいいかを調べてくれた。結局、後日の精算・支払いとなったのだが、その件を説明する時、いかにも困った感じの顔や話し方やしぐさ(なぜか、ベッドに貼られた余計なシールを剥がしていた)が妙に可愛いかった。後で思ったのだが、「全然問題ないですよ」と、頭を撫でてあげたいくらいだった。

きっと、いい人なんだけど、要領が悪くて(世渡りのうまい人と違って白衣が若干汚れていたのが、そう感じさせる)いつも損しているのだろう(実際には、そうやってこっちの怒りをかわす高等技術なのかも知れないがw、そうでないと信じる)。そして、その説明をしてくれた時は、おそらく彼女の業務時間外(夜勤の方(=しっかりした人)に交代した後に来てくれた)だったと思うのだが、(世渡りのうまい人だったらしそうだが、)次の人に投げずに自分で来てくれたのがありがたかったし、感心した。例えれば、「ドジでのろまな亀」。

(10/24 6時追記) 彼女にはもう一つエピソードがあるので、是非書きたい。: 昼の検温で血圧が高かった。その病院では良くあることなので、「また上がったか」と気にしなかったのだが、彼女は、「私が突然来て飛び起こしちゃったから、高くなったのかも知れないですね。また来ます。今度は静かに入って来ますね。」と言い、実際、夕方に「静かに」来てくれた。

血圧が高かったら、その場で測り直してくれる人は多いが、後で来てくれた人は彼女だけだった。時間をおいて測るのはいいことだけど、忙しいのにそんなことを覚えているのは大変だろうし、手間が増えるだけで何の得にならない。だから、彼女は本当にいい人で、効率良く済ませるのでなく、最良のことをしたい人なのだ。

余談だが、その人は、どうしてか目が輝いていてとても綺麗だったし、小柄で丸顔で、僕が勝手に「雀頭」(本来は書道の筆の形状。小学校の時、習字の時間に校長先生が教えてくれたのを、いまだに覚えている)と呼んでいる、ショートボブを後ろでちょこっと束ねた髪型が可愛かった。

更に余談だが、実は、その髪型は、ボブとポニーテールが合わさっているので、僕にとっては最も怖いものであることに、今初めて気付いたw だから勝手な名前まで付けて長年覚えていたのか・・・

てな訳で、上の3人の中では、「損ばかりしている人が最高」という結論になった。なんてことを書くのは全くもって余計だw

(10/24 7:55 例えればを追加)

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入院中に暇つぶしにニュースを見ていたら、「ザ・クロマニヨンズ 「音楽で大層な事を目指している人が多い気がする。俺達は楽しければそれでいい」」という記事が目に入り、読んでみた。

インタビュー記事で、例に漏れず結構長い(だから、インタビュー記事は嫌いだ)のだが、彼らの意見には大体賛成だった。印象に残ったのを挙げると、

なんか物事を表現する人には、苦しんでて欲しいわけでしょ(笑)。 / そこで感動したいわけでしょ、みんな。感動に着地したいだけだよね。

は、僕が常々言っている、「作品と背景は無関係」に通じるし、

特に感じてるのか、思ってるのかもわからないんです。思ってないことはよく歌詞になってますけどね(笑)。

は、別に何かを思って書かなくても(聞き手に、その「何か」を押し付けなくても)、結果(曲)が良ければ(楽しければ)いいということだし、

曲を書かなきゃいけないという意識もないし

は、「努力してやる必要があるなら、才能はない(から止めた方がいい)」ということだろう。

それで、「これは是非聴いてみたい!」(でも、実際に聴いたら、好みでなくてがっかりする予感はしていた。というのは、グループ名が気に入らないので)と思い、さっそくGPMで検索してみた。

が、1曲もなかった。グループのエントリ(場所)だけしかなくて、がっかりした。

どういう事情かは知る由もないが、何となく、彼らの意向があるような気がする。それは、彼らはずっとアナログ盤も一緒に発売していることから感じた。もちろん、根拠などないが。

インタビューで、「楽しければそれでいい」、「行きあたりばったり」と言っている割には、売り方ではなにか「大層な事を目指している」感じで、その矛盾に幻滅してしまった。僕は、自分たちの主張を通すより、どんな形でもいいから(=「行きあたりばったり」に)、いろんな人に作品を聴いて楽しんでもらう方が重要だと思う。

実際には、今、PCでページを見ると、何か聴くだけなら、そこに載っている「どん底」の動画で充分なことに気付くが、彼らの(まとまった)アルバムが聴きたいし、もう聴く気を失ってしまったので、クリックはしない。

(10/23 9:55追記) 良く考えると、僕は常々「本人の性格や背景は仕事と無関係」と考えているのだから、彼らがどんなにいい考えを持っていたって、曲や演奏がいいとは(僕が気に入るとは)限らないのだから、気に入らない予感がするなら、ことさら聴く必要はなかったのだ。でもまあ、いろいろ試してみるのは無駄ではないだろう。

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予後も良く、予定どおり退院となって、母の車で帰宅。玄関に入ったら、ほっとした。病院(常に22-23℃だった)と違って涼しい(16℃台だったか)。時間が経つと寒く感じるのだろうが、これはこれで気持ちいい。

とりあえず、ポップ音楽をシャフルで掛けたら、最初はThe Carsの"Hello again"だった! なかなかいい感じだ。

とりあえず、ホッピーを飲む。おいしい。やっぱり、自分の部屋は落ち着く!!

 

今日久し振りに読まれて、「退院? 入院したの?」と驚かれる方もいらっしゃるかも知れませんね。退院までの「怒りの日」(注: 病院自体は良かったけど、客層が悪かったのです)などについては、追って書きます。

 

PS. 「やっぱり家がいい」のいくつか・・・

  • 椅子の座り心地がいい。座面の柔らかさや背もたれの傾きが丁度いい。
  • 久し振りのマウスの動きが速過ぎて、うまく合わなかった。
  • もちろん、キーボード万歳!w
  • 足が寒い・・・ 電気ストーブの出番か? → 早速出した。
  • 机の天板のさらさらした感触がいい。
  • ヘッドフォンだと、スピーカーでは環境雑音に埋もれてしまう音が聞こえることがあったけど、やっぱり、スピーカーで聴く方が、開放感があって、耳が疲れなくて、断然いい!

PS2. 番外編: やっぱり自分の車(運転)がいい・・・

母の車で帰ってくる時、何度か肝を冷やし、疲れが増してしまった。

  • 2車線が右折できる交差点で、右車線で右折した後、何のためらいもなく、左車線に入っていった。左車線で並走して右折した車が、こっちの怪しい動きを察知して減速してくれたので、何もなかったが・・・
  • 別の交差点で右折待ち中に、なぜか、「あんパン買ったよ」とのたまわった。信号は黄で赤になろうとしていたのにも気づかず、僕が指摘したらあたふたしていた。末恐ろしい・・・

思い出すと、短い道のりなのに、他にもいくつかあった。

そんな母は、僕が何度言っても高齢者マークを付けない。どういう気持ちなのか分かる気もするが、やっぱり理解できない。かっこ悪いと思っているのかも知れないが、自分の得(周りが注意・回避し・諦めてくれる)になることもあるのに・・・

(16:49 わずかに加筆・修正、PSを追加; 19:50 PS2を追加)

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昨日、手術が無事に(成功かはまだ不定)終わった。いろいろ思ったり気付いたりしたことがあったので、書く。

前の夜は余り眠れなかった。手術の緊張のうえに、非常口の照明が眩しく、更に、部屋の人のいびき・寝言、頻繁なナースコールの呼び出し音、看護師さんの動く音がうるさく、そして空腹だったためだ。

隣の人が退院した直後に、別の人が入って来た。すごい回転率だが、現場の人は忙しくて大変そうだ。

大きな病院には、さまざまな種類の医師、看護師さんや他のスタッフがいる。外来、病棟、手術室(他にも居るかも)。更に、手術室の中でも同様だったので、ものすごい分業体制だと思った。これだと、確かに取り違えなどの事故は起こり得るだろう(この病院は、それらの防止に注力している)。

それなのに、患者の意識が低い場合があり、入院準備の説明に書いてあることすら守らない(例: お薬手帳や飲んでいる薬を持って来ない)人や、事前の調査(病歴など)に協力しない人(どっちも新しい隣のジジイ)が居て、苦労していそうだ。そういう輩の家族が、事故の後で訴えたりすることも多いのではないか。

斜め奥のガキはアホニートアニオタだろうか(「ガキ」と書いたが、歳は40代のようだ)? こっちの手術前に80年代のTVアニメのDVDか何かを延々と大きく掛けて、ものすごくイライラさせられた。

手術室のある棟は、すごく新しくて、いかにも最先端の感じだった。病室とは偉く違っていた。手術室は町工場とか工房の雰囲気だった。今回は今までで一番、準備が長かった。緊張のせいか、手術直前の血圧は200くらいまで上がり、手術中はずっとアラームが鳴りっぱなしだった。恐ろしいものだ。終わったら、ようやく下がって来た(今は、いつもの値に戻っている)。

手術の準備中、何をやるか、その都度教えてくれたし、頻繁に大丈夫か聞いてくれた。それはありがたかったが、手術が始まったら、「近くに居るので、気分が悪くなったら言って下さいね」と言われたのは、果たして万全と言えるのか、少し不安だった(麻酔が効きすぎて血圧が下がると、そのまま意識がなくなるので)。まあ、実際には、どこかからちゃんと見ていてくれたのだと思うが。

手術中は随分いろいろな人が出入りしていた。例えば、初めの看護師さんと最後の看護師さんが違っていたように思う(同じ人も居た)。手術も、複数の医師が分担しているようだった(監督と選手?)。ただ、大病院なのに麻酔医が居ないのが意外だった。

麻酔の痛み止めの針がかなり痛かった。本物はもっと痛いのか。前回もこんなに痛かったかと思う。

手術用ベッドの表面がレザー張りのクッションのように柔らかかったのは、意外だったけど良かった。これも進歩なのだろう。ただ、幅はすごく狭かった。お相撲さんはどうするのだろう?

手術全体は1時間ちょっとで終わった。本体より準備と後始末が長かったようだ。そういえば、どこかのページで、電気メスを使うと肉の焦げる臭いが充満すると読んだが、全然そんなことはなかった。そんなことになったら、スタッフも患者も辛いだろう。余程ひどい病院の話なのだろうか? 焼肉屋のように、設備の差か。

部屋に戻ってiPhoneをいじろうとしたら、右手人差し指に酸素濃度センサが着いていて、アンロックできなかったw それを中指に移したら、今度は画面の拡大ができなかったw iPhoneは、やっぱり身体の不自由な人を考えていない?

終わった数時間後の夜には飲み物が飲めるようになって、すごくうれしく(前夜から飲食不可だった)、500mlをすぐに飲み干した。でも、麻酔の関係で身体を起こさないように言われていたので、飲むのは大変だった。

注射の成功率は経験によるのか単なる技術なのか分からないが、僕の腕の血管は分かりにくいので、いつも歴然と差が出る。手術日の朝の夜勤の方(年長)は、採血の針を全然痛まずにすっと入れたので感心したが、今朝の人(若手)は痛いうえに途中で駄目になって、2回刺した。見た目はうまそうだったが、外れた。

今朝の朝食はとても楽しみだったので、一気に食べた。その後は、頭がぼーっとし、眼の焦点が合いにくかった。なぜか、身体が動かなかった(力が入りにくい)ので、食べる時はべッドの背を起こして上半身を起こしてもらった。

その後、順次、尿の管と点滴を外してもらい(今日は最初の日の可愛い看護師さんだったので、気まずさは3倍だったw)、今は自由の体になった。どちらも、抜くのは痛かった。尿の管を外した後は、病棟内を歩いてリハビリするように言われた。

看護師さんが見せてくれたのだが、手首近くに刺した太い点滴の針は、本体が柔らかくなっていて(透明なプラスチック: ナイロン?)、血管が動いても曲がって追従できるとのこと。時代とともに医療は進歩していると思った。

それなのに、ここの動く物(看護師さんの手押し車、点滴のスタンドなど)のキャスターは、すべてガラガラ音がする。ちょっと手入れすればいいのに、そんなに時間がないのか?

甘い物が食べたくなったので、見舞いに来てくれた母にアーモンドチョコとコーヒーを買って来てもらった。

そして、さっき、モーツァルトのピアノ協奏曲 第23番が聴きたくなって、イヴァン・モラヴェッツという人の(1975)を見つけた。気に入ったので、続けて第25 (1974)、20 (1997)、24 (1996)番を聴いた。どれも普通に良かった(=安心して聴けた)。つくづく、世の中にはすごい演奏者が(どんな分野にも、上には上が)いると思う。

夜、医師が様子を見に来てくれた。帰りがけなのだろうが、ありがたいことだ。

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今日(20日)の「【台風21号】2015年以来の超大型台風、23日に直撃」というニュースの見出しに思わずにんまりした人、いらっしゃいますか?

20、21、23は、どれもモーツァルトの有名なピアノ協奏曲の番号ですね(15はそれほどでもないですが)。そして、僕も大好きです。もう、この数字だけで、ご飯が数杯は食べられますw

まずないでしょうが、どれかに「アマデウス」なんて名前が付いていたら、「キター!」とか言って小躍りするでしょう。

ちょっと不謹慎で失礼しました(まだ被害がないから、いいですかね?)。

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明日手術のため、昼から入院。設備の都合で、着いてすぐに剃毛・入浴することになり、なかなか忙しかった。

一番の心配ごとだった剃毛は必要な部分だけで済み、気まずいところは除外されたので、すごくほっとしたw でも、術後に管を入れるので、実はぬか喜びだ(爆)

担当の看護師さんは若くて明るくて親切な感じなので良かった。ただ、老眼の話をしたら、お父さんと同い年であることが分かり、複雑(微妙)な心境になったw でも、話が弾んで楽しいし、気も紛れるからいい。

TVは観ないと言ったら、「ラジオと本のイメージです」と言われた。音楽が好き(雑談でなく、仕事での質問)と言ったら、「クラシックですか?」、「すごいですねー」とか言われたので、インテリに見られている?w

なぜか血圧が異常に高かった(上が160くらい)。緊張したのかも知れない。血圧の関係か、眼の焦点が合いにくく、頭もぼーっとしていた。

あとは暇だったので、GPMで音楽を聴いたりしていた。すごく便利だ。が、電池が高速に減り、データ量も高速に増える(推定1GB/日)。データ量がカウントされない低速モード(200kbps)を試したのだが、音切れして駄目だった。曲のビットレートが192kbpsだとすれば、ぎりぎりで無理だし、電波が弱いせいもありそうだが、なんとも惜しい。もっと低ビットレート(例: 96kbps)のモードが欲しい。

→ どうやら、GPMの「再生中にキャッシュ」をoffにすると、低速モードでも行ける感じだ。再生とキャッシュを同時にすると帯域が不足するが、片方なら足りるのかも知れない。(22:31)

→ やはり、低速モードではたまに切れる。ただ、大抵は問題ないので、(あとでビデオを観るなどの予定がないなら、)低速モードは「最後の手段」にして、データ量制限になるまでは高速モードで聴くのがいいようだ。(10/20 19:22)

なお、(4Gの)電波が弱いからといって3Gにしてしまうと、電波は強くなるのだが、全然駄目になってしまった。これは腑に落ちない。ただ、調べると、3Gにするのは得策ではないようだ。(22:49)

あと、ヘッドフォンはやっぱり疲れるから、長くは聴きたくない。でも、イヤホンよりはましだから、まあ、仕方ない。

それにしても、グールドのゴルトベルク(1981)はやっぱり最高だった。乗れる!

他に、Klara Wurtzいう人のモーツァルトのピアノソナタ(第9番) (年は不明)は悪くなかった。安心して聴けるし、乗れた。

残念なこともいくつかある。ご飯はお世辞にも美味しいとは言えない(これに関しては、札幌の病院が最高だった)。他に、田舎らしく、公共心の欠けた人が結構居る。大声でしゃべるババア(患者、面会の人)、ベッドで電話するジジイ、TVをイヤホン(使う規則になっている)を使わずに観るジジイ・・・ みんな、「自分だけなら(誤差の範囲で)大丈夫」とか思っているのか? スタッフがそれを注意しない雰囲気なのも田舎のせい? まあ、そのおかげで、僕もスマフォを自由に使えるのだが。

まあ、長く居る訳ではない(居たくない)から、いいか。

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好きな曲を何種類も、気に入る演奏が見つかるまで探す。例え見つかっても、更に「上」を期待して探す。そうしているうちに、確かに、(自分にとって)いい演奏が見つかるのだが、たまに、以前聴いた(自分の中では最高とか基準になっている)演奏に近いからその曲もいいと思うことがある。それは、「普通にいい」とか「違和感がない」とか「安心して聴ける」いう感想になるのだが、果たしてそれでいいのかという疑問が生じる。

もちろん、安心して聴けるどころか、「別次元」と言えるような(その場合、全く安心などできない)、すごい演奏はあり、日々それを探しているのだが、それは今は考えないことにする。

例えば、昨夜と今朝聴いた、Howard Shelleyという人のラフマニノフのピアノ協奏曲 第2,3番 (1990)は良かった。自然に聴け、第3番は「見事」のレベルだった。更に、モーツァルトのピアノ協奏曲 第13,24,21,22番 (1994-1995)も良く、ついでに、好みでないからいつもは聴かないラフマニノフのパガニーニ狂詩曲 (1990)も試したのだが、普通に良かった。

以前、会社でだったか、彼のモーツァルトのピアノ協奏曲 第20,23番を聴いて余りいい印象を受けなかったのだが、再度聴く必要がありそうだ。調べたら、経験も定評もある人のようで、イギリスの勲章(OBE)をもらっているほどだから、いいと思うのは当然なのだろう。

余談が長くなったが、要は、「安心して聴ける」というのはいいのか? それは何なのか? ということだ。まず、安心というのだから、自分の中のその曲のイメージに近いということだと思うのだが、その自分の「イメージ」は正しいのだろうか? 正しいかどうかを考えるには、何が正しい演奏かを定義するところから始めなければいけなさそうだ。

おそらく、作曲家の意図に忠実な演奏や、多くの人が「いい」と言うのが、客観的に「正しい」演奏なのだろう。それにしたって、作曲家自身ですら、多くの人にいいと感じさせるとは言えない演奏をすることがあるし(例: ラフマニノフ)、人の感性は時代と共に変化するし、ポップ音楽と同様に、クラシック音楽だって、「曲」でなく「演奏」に良さを求める人は多くない(多くの人は、演奏は関係なく、曲がいいと思うだろう)から、普遍的な基準はなさそうだ。

きっと、音大とかで勉強したり、専門書を読めば分かるのだろうが、そこまでの気力も実力もないので、今は想像や推測・推論の域である。が、単なる空想止まりではなく、論理的に考えようとはしている。

それでも、まあ、(予備知識なしで)自分がいいと思った演奏が、世間(例: クラシック愛好家の世界)の評で「良い」とされていれば(例えば、今回の場合、Shelleyは勲章をもらうほど良い演奏をした・すると考えられる)、自分の印象は正しい可能性が高そうだし、自分のその曲へのイメージも正しい可能性が高そうだ。

余談だが、僕は常に正しいイメージを持てる訳ではない。昨日の朝は「フィガロの結婚」の序曲が聴きたくなって、とりあえず、有名な演奏を聴いたのだが、カラヤン、アバド、ジュリーニのいずれも気に入らず、ベームで妥協できた。

僕は、この曲は軽さだけではないと思っていたのだが、最初の3者はどれも軽過ぎるように聴こえた。だが、それは誤りだったようだ。喜劇の序曲だから本当に軽いのか、演奏の意図を理解できなかったのか、いずれかである。

では、僕はそれぞれの曲の楽譜を読んだりして勉強した訳ではないのだが、いつの間にか曲の本質を習得していたのだろうか? それは違う。おそらく、人間の本能的な「好み」をベースとしたものが、自分のイメージになっているのだと思う。

例えば、料理は、いろいろな食材を調理して作られるが、そもそも、多くの人が好きな料理(の種類, 例: カレー)はあるし、その料理でも、ごく一般的な調理方法によるもの(例: 家庭料理のカレー)が好まれるということはあるだろう。

もう一つの例としては、猫は多くの人に好まれるが、多くの人に好まれる猫の種類(例: 茶トラ)はあるだろうし、多くの人に好まれる性格の個々の猫(例: 人懐こい野良)が居る。でも、愛好家は、ツンデレの黒猫を好んだりもする。

そして、音楽でも、多くの人に好まれる曲はあり(例: 「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」)、そういう曲を普通に(例: BGMとして)演奏すれば、大抵は「いい曲だね」と言われるが、愛好家は、自分の好きな演奏者(例: ベーム)によるガチな演奏でないと物足りないだろう(そもそも、アイネ・クライネが好きかどうかも怪しい)。

ところで、モーツァルトのように、作曲してから何百年も経った今でも好かれる曲を作った人たちは偉大だと思うし、どうしてそれが可能なのか、全く不思議だ。やはり、人間の本能に訴える何かを掴んでいたのだろうかと思う。

(ここまでで書きたいことを書き尽くしてしまったので、今は未完で終わります。)

 

PS. まあ、一般論としては(多くの方にとっては)、「*のピアノはー」とか「※の指揮がー」なんて御託を並べずに(好き嫌いせずに)、いろいろな曲をジャンルに関係なく幅広く聴いて、いい曲・好きな曲を探す方が楽しい気がするw

(10/16 20:39 わずかに修正)

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アナクロに変節したかのような題だが、そうではなく、昔を思い出して気付いたたことがあるので書く。

今は、音楽配信サービスやダウンロード販売で目的の曲だけ聴け・買えて便利なのだが、それらには、曲に関する情報がほとんどない。多くの場合、自分で調べなくてはならない。

今の僕は、かなり前からライナーノーツを全く読まなくなった(音楽とその背景は切り離すスタンスなのと、必要なら調べるため)ので、配信サービスなどは余計な物が増えなくてありがたいのだが、全くの無用の長物かというと、そうでもない。

実は、僕は昔はライナーノーツを良く読んでいた。中学生の頃、ビートルズのレコードを買ったら、それこそ穴が開くほど読んで暗記できるくらいだった。クラシック音楽を聞き始めた頃も、やっぱり何度も読んだ。そうすることで、ほとんど知識がなかった、曲や演奏者や作曲者の情報を得られたのだ。中には今となっては間違った情報や不要な情報もあったが、多くは有益で、今でも重要な基礎知識や常識になっている。

それから、そのアルバムを聴いたあとで、次は何を聴く(買うか)のヒントにもなった。当時は、レコード以外ではラジオやTVでしか聴けず、今のような試聴なんてできなかったから、例えば、あるアルバムで気に入った曲に似た(同系統の)曲はどれに入っているかなんていうことは全く分からず、せいぜいライナーノーツを読んで推測するしかなかった。

今は、検索すればいろいろな情報が得られるし、試聴だって存分にできるから、ライナーノーツの有り難みは少なくなったけれども、それなりに知識や経験のあるプロ(場合によっては作曲者・演奏者本人)が書いた情報は、誰が書いたか不明で玉石混交のネットの情報に比べれば、まだまだ価値があるのではないだろうか。

だから、例えばクラシック初心者の方は、日本盤を買って、ライナーノーツを熟読しましょう。(もちろん、僕は日本のレコード会社の回し者ではありませんw)

 

PS. そういう意味では、日本のポップスのアルバムにはライナーノーツがほとんどないのは昔から残念で、どうしてだろうかと思っていた。今思うに、同時代の若者向けの音楽の「解説」をするなんて野暮・無駄とか、「書いてもらう暇・金があったら、すぐにでも売り出したい!」ということなのだろうか。

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