以前も書いたのだが、ビートルズは、いとこにもらったテープ(NHK FMで掛かった、ベスト盤"1962-1966"と"1967-1970"の抜粋)が初めてだった。そして、自分で初めて買った彼らのレコードは、"Love songs"だと記憶していたのだが、先日実家から持って来た発掘物から、その証拠が出て来た。

中高生の頃に記録していた、レコード一覧である。買った時に書いたものもあるが、それ以前に買った物も、買った時期を思い出して書いていた。当時、どういう理屈にしたのか、親にタイプライターを買ってもらって、それで打ち込んでいた(タイプを使いたくなった最初の理由は、年賀状作りだったと思う。今でいう、アスキーアートだったと思う。もちろん絵は苦手なので、柄は絵じゃなくて、文字(タイプの文字を何個も打って、大きな文字にした)だった。手作りのバナーだ(でも、今はバナーの意味がすっかり変わっているな)。今思えばとんでもない無駄遣いだw)。

僕のレコード一覧(c. 1980-1985)より

最初は考えていなかったのか、タイプミスするのが嫌だったのか、行がズレるのが嫌だったのか、ビートルズのの買った時期や追加のコメントは手書きになっている(今だったら、いくらでも挿入・修正できるのに!)。今気付いたが、一覧の中で、2つのアルバムが手書きの"]"でくくってあるのは、同じカセットのA/B面に収める案だったのだろう。そして、一通りビートルズを揃えた後は、ウイングスを揃え出したようだ。他に、その頃買ったレコードで、The carsやYMOのも載っている。でも、それ以前に持っていた桜田淳子などの歌謡曲のレコードは「なかったこと」になっていて、記載されていない。

おもしろいことに、アルバム名の表記が、当時から今と同じでブレていないことが分かる。僕はアルバム名や曲名の各単語の頭を大文字にせず、普通の文章のように先頭だけ大文字にして書くのが好きなのだ。(例: "Please Please Me"でなく"Please please me") あ、"Hey jude"は駄目だ。。。

限られた小遣いの中で、買うアルバムは厳選(聴きたい曲を揃えるのに最適化)していた。オリジナルのUK盤だけにせず、UK盤に入ってない、シングルの曲(例: "I want to hold your hand")が入っているUS盤も混ぜていた(日本盤は、オリジナリティーがないと思って買わなかった。今となっては、US盤なんて極悪非道の「売らんかな」精神そのものだったが、当時は知らなかった)。ただ、"Rubber soul"だけは、たまたま輸入盤のワゴン(当時良く行っていたジャスコでは、どういうタイミングか、たまに、今のホームセンターなどでの懐かしいCDやDVDのような感じで、輸入盤が売られていた。)で見つけたUS盤を、UK盤とは曲目に違いがあることに気付かないで買ってしまい、そのせいでずっと(長いものではCDを買うまで)聴けなかった曲もあったから、かなり後悔していた。

その一覧には、確かに、"Love songs"が最初だと記録してある。1977年の10-11月に買ったようだ。そして、それを買った時にもらったペンダントも出て来た。何のメッキだろうか、未だに光っているのがすごい。更に、そのアルバムを買うきっかけになった広告も出て来た。余談だが、今の自分がこの広告を見たら、全く買う気にはならないだろう。「日本が2/3、アメリカが1/3って、単に妥協の産物じゃないか」って感じで。

そして、今朝、このことを思い出していて気付いたことがある。ビートルズに出会う前に、ロックが好きになるきっかけになったバンドがあった。あの「キャロル」だ。いとこは二人(TさんとHさん)居て、どちらも結構年上だったのだが、どちらの方からキャロルを聴かせてもらったのかは覚えていない。ビートルズは二人とも好きだったが、テープはTさんから、カセットレコーダー(とマイク)はHさんからもらった気がする。

キャロルを初めて聴いた時、何と思ったかは忘れたが、とても新鮮で、衝撃を受け、興奮した。今も覚えている曲は「ファンキーモンキーベイビー」だ。「これが音楽!?」という感じだったかも知れない。それは、「音楽的でない」という意味ではなく、それまで聴いていた、当たり障りのない歌謡曲や、学校の音楽とは全然違っていたので、「こういう音楽もあるのか!」という驚きだったと思う。そして、すごく乗りが良かった(僕が乗りのいい音楽が好きなのは、これが原点なのかも知れない)。とても気に入ったので、その時にバンドの名前を教えてもらった。後でレコードを買おうと思ったのだろう。

(お盆か正月に行った)いとこの家から戻ってしばらくしてから、レコード店に行った。店内を歩き回って、キャロルのコーナーは見つけた。が、結局買わなかった。最も大きな理由は、「恥ずかしい・・・」だった。まじめで小心者の中学生が気軽に買えるジャケットではなかったのだ。今調べたら、どれも、リーゼントで煙草を吸っていたり、暴走族みたいに不良っぽかったし(実際、そういう人たちのシンボルだったのだが)、(その日に見た別のバンドのだったのかも知れないが、)「大人じゃないと買えない絵柄」のジャケットもあった気がする。音楽とジャケットの印象の違いに、戸惑ったような気もする。今思えば、詞を余り聴かず、曲だけでイメージを作っていたからかも知れない(どうしてか、詞を余り聴かないのは今も同じだ)。あと、気に入った曲(「ファンキー―」の曲名が分からず、どのアルバムを買っていいか分からなかった気もする。

結局、散々逡巡した挙句、何も買わずに帰ったのか別のを買ったのかは、記憶にない。それから数十年経つが、今でも彼らのアルバムどころか、一曲も持っていない。今だったらジャケットは全く問題ないが、好みとは少し違うとか、その後に聴いたビートルズやその他のバンドの方が断然好みになったからだと思う。

そうこうしているうちに、あの広告をFM雑誌("FM fan"を購読していた)で見たのだろう。それが本当の始まり(かつ終わり?)だった。ビートルズのレコードを買うのは、全く恥ずかしくなかった。やっぱり、彼らは優等生だったのだろうと思う(実際、"I want to hold your hand"なんて、英語の教科書みたいで、逆に恥ずかしいくらいじゃないか)。詞や曲はそこそこ・結構先進的なものがあったけれど、ジャケットには全く問題がなく、どれだって堂々と買えた。

単なる思い付きだけど、そういうことも、デビュー直後から彼らが世界中で(特にUSで)売れた理由の一つかも知れない。そういえば、マネージャーのエプスタインは、彼らを売り出すに当たって、(キャロルのような感じで)荒くれていた彼らの格好を、例のおかっぱみたいな髪型と襟なしスーツ姿にさせたというから、あながち間違ってもいなさそうだ。

優等生とはいえ、彼らの音楽や行動(本などで昔のことを読んだだけだが)は、当時の僕にはものすごく革新的、エキセントリックだった。それに感化されてしまった僕は、中二病や高二病を経て、今に至っているのだろう。。。

PS. 実は、レコード一覧には続きがある。CD一覧である。大学生の時に、パソコン(FM-7)のテキストエディタで作り、その後、FM-7で動くワープロに移した。

僕のCD一覧(1986-1988)より (個人名を隠した)

PCベースなので、手書き文字がないのが少し味気ない気がする。文字もタイプの方が味がある。そもそも、この頃はフォントなんて選べなかったが。。。残念なことに、全角文字を使っている感じだし、アルバム名などの記法が揺らいでいる。アルバム名はジャケットの記述に合わせたのかも知れない。ただ、タイプの時とは違って、CSVのようにデータに構造を持たせようとしていたことが分かる。その考えは今も同じだ。

僕の最初のCDは、記憶どおり、友人Wから買ったRushの"Power windows"だった。最後のページを見ると、ビートルズのCDを揃えたのは1988年4月だったことが分かる。彼らのレコードを初めて買ってから約10年か。今思えば、意外に短い。秋葉原のいろいろな店を歩き回って、1日で全部(15組)揃えたことを覚えている。大学が忙しくなったのか、1988年4月で記録が終わっている。その時点でのCDの総数は57組だった。

その後就職して、CDの増加速度は加速した。今では何枚あるか分からない。プレイヤー(GMB)では1000組程度と出るが、レンタルしたものや重複などが含まれているので、正確な数は分からない。→ 調べたら、レンタルなどは約230組だったので、重複を考慮すると、大体750組程度か。(1/15 13:15)

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(楽しくない話題が続くが、たまたま目が覚めて書く気になったので、ご容赦を。

以下は、僕の想像・フィクションである。ここに、ドラマの最後に出るような注意書きが来るであろう。)

日本に「ブラック企業」は多いが、その原因は、経営側だけにあるのではない場合がある気がする。従業員自身が、ひどい環境に忖度とか納得とか我慢してしまって、声を上げなかったり行動を起こさなかったりするのだろう(これは、webで読んだ、近頃有名になっているらしい、デービッド・アトキンソンの文章(「日本の労働生産性は低い」という主旨)にも書いてあったと思う)。その他に、「空気を読む」(他の人に合わせなければ駄目だと思い込んでいる)こともあるだろう。

具体的な例(といっても、想像だが)を書くと、前の投稿に書いた、ひどい経営者の会社の社員は、残業代がまともに払われなくても、トップが自分勝手な言動をしても、(表立っては)文句を言わずに働く。その意識を想像してみると、以下のようなものであろうか。

  • 偉い人に楯突くのは良くない(どうせ無駄だし、怒られたくないし、クビになりたくないし)。
  • 会社が苦しそうだから、我慢しよう。
  • (自分を卑下して)雇ってもらってありがたい。
  • みんな我慢しているから、自分も我慢しよう。
  • 何もしなかった時間があったから、それと残業代を相殺した方がいいのでは?
  • 自分は終わったけど、みんな帰らないから、悪いからもう少し残るか・・・
  • (法令を知らないので、その状況が違法だと知らない: 実はニュースで薄々勘付いてはいるが、自分には関係ないことにしている)。

それで、何も行動せずに居るのだろう。でも、鬱憤の溜まった社員は、(辞めた後に)通報するのかも知れない。日本人の悲しい習性(これは自然のものではなく、「教育」で押し付けられたことだ)だと思う。

仕事は趣味じゃないので、"No pay, no work"だ("No work, no pay"が一般的だが、それは経営者の論理だ。社員を働かせるのは経営や管理職の義務なのに、それが満足にできていないのを棚に上げて、お金を払わないというのは、おかしい)。社員は、労働や時間を会社に提供して対価を得ているのであって、給料がもらえるのは「ありがたいこと」ではない。当たり前のことだ。会社は福祉事業ではない。

会社が苦しいのは経営者の責任だ。なのに、自分たちの正当な残業代を減らして(更に、健康を損なって・損なうリスクを冒して)まで会社の収支を良くする義務なんてないし、それに依存している会社は終わっていると思う。そして、そんなことをしても、喜ぶのは経営者だけだ。どうせ、「会社が苦しい」からという論理で、給料はいつまでも上がらないし、ボーナスだって少ないだろう。その割には、経営者はやりたい放題ではないか? 苦しいという経営者の給料が一体いくらか、公表されているだろうか? 「会社が苦しいから、自分の給料を減らす」という経営者が、果たしてどのくらいいるか。

何もしなかった時間があったって、それは仕事を与えなかった管理職の責任であって、たとえ1分だって、会社に拘束されていた時間に対しては、給料が払われる必要があると思う。ただでさえ、会社の規則は経営側に有利になっているのに、なぜ、それ以上に譲歩してしまうのだろうか。

逆に、自分の仕事に、給料を堂々ともらうだけの自信や誇りを持たない社員は駄目だ。「道楽ですか?」と言いたい。

「(上に)楯突くのは良くない」、「みんな我慢しているから」、「(他の人に)悪いから」は、悪いことばかりじゃないけど、程度問題だ。そんな態度でい続けたから、日本は戦争になってひどい目に遭ったのではないか(そうなってすら、ほとんどの人は表立っては文句を言わなかったが)。

決まりを知らないのは悲しいことだ。学校は一体何を教えて来た(教えるべきだと思っている)のだろうか。。。学校の代替を考えても、労組のない会社では、労働関係の法令や常識など誰も教えてくれない。だから、自分たちの権利も義務も知る由もない。そのために、(悪どい)経営者に搾取されているのだ。

仮に僕がそういう会社に居たとして、残業代が満足に払われないことを知り、そのことで文句を言っても無駄だったとしたら、とりあえず、残業はしない。終業時刻になったら即刻帰る。仕事の予定は、全部定時ベースで組む。定時ベースで間に合わないなら、上司にそう伝える。シンプルだ。それでも我慢することはあるが、最悪ではない。

もっと世の中を良くするには、決まりや世界の常識を知る(知らせる)ことから始めるのがいいのだろうか。でも、誰が教えるのだろうか? 仮に教えても、上に書いたように、自主的に我慢してしまうのでは無駄だから、意識を変えるところから始める必要がありそうだ。それは、言ってみれば、国民性を変えるということで、かなり困難だ。

明るい展望はない。今の国の規制なり摘発(真意がどこにあるにせよ)が真の効果をあげ、今後も継続すればいいが、果たしてどうだろう。だから、本当のことに気付いた人たちは信念を持って行動して、自分の権利や健康を自分で守って行くしかないと思う。

 

(それでは、おやすみなさい)

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(以下は、僕の想像・フィクションである。ここに、ドラマの最後に出るような注意書きが来るであろう。)

 

いろいろ居るだろうが、「こういう奴は人間として終わっている」と思うケースを書く。

社員に責任やリスクを押し付けて、自分は被害者面する人。

ある会社に、今問題になっているブラック企業のように、お役所から指摘があった。きっと、辞めた社員が通報したのだろう。それが初めてでないので、厳しい内容だったようだ。

偉い人は、それでビビったようで、「(初めて指摘された時に、付け焼き刃的に、あるいは、泥縄式に決めた)規則を社員がきちんと守らなかったから、こういうことになったのだ」とかいうふうに、半ば逆ギレのようになっていた。しかも、一度でなく、何度もそんな言動をしていた。

なるほどと思った。阿呆は、こういう言動をしても、なーんにもおかしいと思わないのだなと。

まず、(怠惰で守らないのと異なり)好きで規則を守らない社員は、余り居ない。特に、好きでタダ働きする人はまず居ない。「守れない」のだ。その原因がどこにあるのか、きちんと調べて・考えて、解決すべきではないか。経営者の仕事は、ただ偉そうにしているだけじゃなくて、そういうことじゃないのか。

更に、その規則が守られていない状況をずっと看過して来て、(法を守っていないのに気付かない振りをして、)その結果、利益を得ていたのは、自分じゃなかったか。それなのに、問題が発覚したら、その利益を生み出して来た社員たちに責任を押し付けたのだ。それに気付かないのは大変オメデタイ方だから、次の言葉を無料で進呈したい。

無料の昼食なんてものはない。

その人は、「何かあったら、直接相談に来い」などとも言っていたが、そんなのは、他人の気持ちが分からない人が良く言う言葉だ。それが容易にできる(た)ことなら、通報される事態にはならなかっただろう。トップに気軽に相談できる社員が、どれくらい居るか。そして、上に書いたように、平気で被害者面するトップに、どんな相談ができるというのだろうか。

という訳で、かなりの社会経験がありそうに見える人でも、実際には、裸の王様とか井の中の蛙になっていて、箸にも棒にもかからない場合がありそうだ。でも、それでずっと通って来たのだから、幸運な人と言えるのかも知れない。ただ、果たしてそれがいつまで続くのか。

PS. 実は、この話に関連して、これより先に書こうと思っていた話がある。「自主的ブラック労働」という題だ。日本中に蔓延していそうだ。近いうちに書こうと思う。

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先日、スーパーからの帰り道、子どもの頃大好きだった小熊のぬいぐるみのことを突然思い出した。途中に居た、お母さんに連れられた子どもが熊のぬいぐるみを持っていたからかも知れない。そして、あのぬいぐるみがどうなったのか、気になった。確か、妹の物だったので、取り合いをしたかも知れない。そんなふうに手荒に扱った関係で、段々壊れてしまったのが、子どもながらにも可哀想だった(実際には、自分で壊したんだけれど)。それが、引っ越しのせいか、いつからか居なくなってしまったのが、寂しかった。

写真を探したら、運良く写っていた。全体的に茶色い熊だと思っていたが、実際には白い部分が多かったようだ。その頃の写真はほとんど白黒なのだが、どうしてか、これは珍しくカラーで良かった。

1967年、妹と。(顔はぼかした)

熊で連想したのか、部屋に帰ってから、この歌が頭の中で流れた(いかん! 今、イントロを聴いただけで涙が出そうになる)。。。

子どもの頃のことを思い出すと、なぜか、寂しく悲しくなるのは、歳のせいだろうか。

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以前から気になっていたのだが、Vivaldi(Linux版)で、フォーム(文字入力欄)に入力をする際、日本語入力のモード反映が遅れるのか、1文字目がおかしくなる。

具体的には、日本語入力(ローマ字入力)がONなのに、最初の1文字だけアルファベット(半角)で入る。例えば、「あいうえお」と入れたのに、「aいうえお」になる。

最初の文字がおかしいのを見て、反射的に日本語入力切り替え(全/半)キーを押すと、(それまでONだったので)逆にOFFになってしまって、全部打ち込み直しになる。それで、文字を入れる時は、日本語入力の状態アイコンを慎重に確認し続ける必要があって、入力のスピードが落ちるし、大体毎回打ち込み直しさせられるのにも、イライラしていた。

それが、先日、ダメモトで検索してみたら、関連しそうなページを見つけた。リンク先の「アドレスのオートコンプリートを無効に」である。書いてある現象がほとんど同じだったので、試しにオートコンプリートをOFFにしてみたら、まだ2日間程度ではあるが、問題が起こっていない。

なお、これはLinux版だけの問題なのか、他の版(Windowsなど)でも起こるのかは不明だ(確か、Windowsでは起こっていなかった気がする)。ちなみに、僕の環境は以下である。

  • OS: Linux Mint 18
  • 日本語入力環境: Fcitx+Mozc
  • Vivaldi: 1.6.689.46

また、Chromeでも同様の現象があると聞いたことがあるが、上の情報が見つかる前に、スペルチェックをOFFにすると直るという情報が出て来た(Vivaldiにはスペルチェック機能はない)。また、もしアドレスのオートコンプリートがあるなら、それも効くのかも知れない。

PS. 題に追加したように、これは効果がないのかも知れない。以前よりはいい感じだが、やっぱり、1文字目や2文字目がおかしいことがある。まあ、諦めずに試行錯誤しよう。。。(1/11 21:28)

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GMBでアルバムアートの検索をするプラグインPicture finderは、USのYahoo!でしか動かない。Googleなどを選択しても、結果が何も出ない。

APIが変わったのだろうと思ったが、実際に調べたら、確かにGoogleの検索結果のフォーマットは変わっていた。それで、とりあえず、Googleで検索できるようにした。

新しいフォーマット(構造化されたデータのようだ)に合わせて、fetch_cover.pmを修正した。まだまだPerlは良く分からない(し、分かりたくもない)が、既存のソースから類推してやってみたら、出来た。参考までに、主要な変更点を載せようと思ったのだが、良く考えると、日本のユーザーはとても少ないだろうし、分かる方は既にやっているだろうから、止める(もし欲しい方がいらっしゃいましたら、お知らせ下さい。無保証にて差し上げます)。

日本のYahoo!にも対応したかったが、面倒だし、中で使っているのはGoogleなので、止めた。他のサイト(例: last.fmやAmazon)にも対応したかったが、やっぱり面倒なので、とりあえず、Googleだけで満足することにする。

ただ、そのGoogleにしたって、彼らの心変わりによって、いつか変更が要るようになるのだろうな。でも、出力がHTMLである限りは大丈夫だ。でも、それもそのうち変わる気がする。。。

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実家から持って来た古い物のうち、次にどれについて書くか(あるいは、書かずに仕舞うか捨てるか)考えていて気付いたのだが、僕は、ここに書くことで、日常のことや(捨ててしまうような)物を「成仏」させられると思っているようだ。

いいのか悪いのか分からないが、そう思っている。それは、ブログの副題にあるように、忘れることにつながっているのだろう。

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(個人用プログラムで公開する予定がないので、それについて書いてもあまり意味がないかも知れないが、デジカメ画像の取り扱いにまつわる問題や、それへの対処方法のヒントとして書く)

数か月前からの懸案だった、デジカメからLinuxへの画像取り込みプログラムの「1万枚問題」への対応ができた。これで概ね完成だ。

問題への対処として、カメラ内の親ディレクトリ名もカメラ識別記号の生成要素にすることにした。そのため、カメラ内の親ディレクトリが変わると、画像ファイル名に追加される識別記号も変わる(はずである)。

例(".JPG"の前の10桁の数字が識別記号):

  • カメラA内の、親ディレクトリが"DCIM/147CANON/"の画像ファイル名: "IMG_1234_1234567890.JPG"
  • カメラA内の、親ディレクトリが"DCIM/148CANON/"の画像ファイル名: "IMG_3456_9876543210.JPG"
  • カメラB内の、親ディレクトリが"DCIM/100APPLE/"の画像ファイル名: "IMG_0039_0918273645.JPG"

内部的には、カメラや画像の識別記号が2種類に増えた。一つは、以前から使っていた、カメラの型名やSNなどから生成される値。もう一つは、上記の、親ディレクトリ名も含めて生成される値である。前者は、取り込み済み画像ファイル一覧の中でカメラごとにファイル名を保存するために使用し(ファイル名は、親ディレクトリ別に保存するようにした)、後者は、各種のカメラから取り込んだ画像ファイル(カメラ間・カメラ内でファイル名が重複する可能性がある)を区別するために使用する。

それから、以下の便利な機能も追加した。

  • 画像の保存ディレクトリを、(以前は手動でやっていたが、)自動的に3か月ごとに区切る。(例: "2017/2017_01-03/2017_01_08"の太字の部分) こうすることで、年直下のディレクトリ数が減って、すっきりする(月ごとでもいいが、以前に合わせて3か月ごとにした)。
  • 新しく取り込んだファイルの判別が容易になるように、特定のディレクトリ(例: "New")に、取り込んだファイルへのシンボリックリンクを作る。取り込んだファイルの後処理(例: タグ付けやコメントの記載)が終わったら、そのシンボリックリンクを削除すれば、「新しい」という情報を簡単にクリアできる。
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驚かせてごめんなさい。37年前の話です。(実家からの発掘品シリーズ)

確か、中3の冬だったと思う。ポールがウイングスで来日するというので、ウイングスは好きだったが、(当時は、一応「まじめな」生徒だったし、お金もなかったし、遠くて面倒だったので)コンサートに行きはしなかったけど、(TV放映を期待して、)結構楽しみにしていた。それが、来たらすぐに捕まってしまったので、何ともがっかりした。そのことは、中学校のノート(毎日のことを書いて学校に出す物)に書いた。(今で言う中二病のまっただ中だったので、)「警察は何で大麻くらいで捕まえたのだ」という主旨だったが、担任の先生に「大人の論理」で諌められた覚えがある。

まあ、今となっては、日々さまざまな有名人がいろいろな薬物で捕まっていて、感覚が麻痺してはいるが、それにしても、仕事なのに大麻を持って来るなんてのは、日本を舐めている(少なくとも、日本の規則を調べもしないというところが、アホとしかいいようがない)としか言いようがない。

この件は後日、スネークマンショーのネタにもなり、みんなの笑い物に成り下がった。ポールはポールで、"Frozen Jap"という、タイトルからして嫌な歌(曲調も「西洋からみた日本」的)を作り、(ウイングスは解散しちゃったのか、)ソロアルバム"McCartney II"に入れた。やっぱり、彼は(今は知らないが)日本を見下していたのだと思う。僕は、それでも、とりあえず、そのレコードを予約して買った。そうしたら、幻の来日コンサートのパンフが特典として付いていた(それは今も捨てていないはずだが、出すのが面倒だから、他人のリンクにした)。

そして、その年の12月に、ジョンは殺されてしまった。全く関係ない事件だが、大麻でヘマするような軽い人と、狂信的なファンに殺されてしまう、本当に神がかりな人。中高生には大きな違いであった。。。

(でも、今は、作者の経歴や思想は音楽とは切り離して考えることにしているので、例え作者がどんなに軽かろうとアフォであろうと、曲が良ければいいので、ポールの歌は好きだ。)

余談:

  • お金がなかったとはいえ、当時のチケットの価格(コンサートの広告も一緒に保存していた)は、S席でも4500円(4万5千円じゃない)だった。随分安い気がするのは、年月の経過のせいか歳のせいか? まあ、安くても、果たしてチケットが取れたかという問題もあるが。
  • 更に、逮捕の記事を読むと、空港のロビーで待っていたファンの数はたった30人(300人じゃない)だったようで、拍子抜けする。当時のポールは、今ほどグレイトじゃなかったのだろう(確かに、僕の記憶もそうだ)。逆に、今がグレイトに扱われ過ぎている気すらする。
  • 記事を読むと、「大量の大麻」、「計219グラム」とあるので、その量がどのくらいの悪さなのかは分からないが、入れておいてうっかり出し忘れたとか、ちょっとした出来心ではなかったようだ。
  • ジョンが殺された時、僕は中学生だった記憶があるのだが、実際には高1だったようだ。どうしてだろうか。それとも、ポールの時も既に高校生だったのか。記憶が曖昧だ・・・
  • 保存していた新聞を見ると、今と比べて文字がすごく細かい(面積比で1/3くらい?)のに驚く。当時の高齢者は大変だったのではないか。虫眼鏡を使う人が多かったのは、そのせいか。(1/9 5:59)
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先日実家から持ってきた物を整理しつつスキャンしていたのだが、ネタにしたいものがいくつかあった。今日はその作業でとても疲れたので、とりあえず、手軽そうな物をひとつ。

中3と高1の時の学習雑誌(学研の中3・高1コース)に、無料適性診断のようなものがあったようで、昔からアンケートとか診断テストなどが好きだった僕は、それを受けていた。が、その結果を見ると、何とも言えない気分になる。以下に結果を載せる。

文字がカタカナだけというのが、時代を感じさせる。昔は、コンピューターといえばカタカナだったな。でも、中学後半とか高校くらいからは漢字も出るようになったと思う。

それはいいとして、内容に一貫性がなく、結論も(結果的に)全く外れているのがおかしい。

まず、中3では、興味は「自然の風物を愛し、親しむ気持ちを持っています。それを大切に育てることが、あなたの将来に大変役立つと思います。」(カタカナを漢字かな混じり文に変換。以下同)とある一方で、適性職業は「中学 高校教師」、学部は「文教育学関係学部」と出ている。理科(地学?)の先生という解釈も可能だが、興味から職業への飛躍があるように思える。

次に、高1では、興味は「物事を研究したり、考えたりすることを進んでしようとする気持ちを持っています。それをますます伸ばすことが、あなたの将来に大変役立ちます。」とあり、結構当たっているので感心するのだが、適性職業は「会社員 総務」、学部は「法学関係学部」となっていて、ものすごいギャップがある。総務の仕事に探究心は役立つのだろうか? 僕には理解できない。確か、当時、これを見た時は将来が灰色になったような気がして、結構ショックを受けたような気がする。が、これは「なかったこと」にして好きな道に進み、今に至っている。

もし、これを真に受けていたら一体どうなっていたか、想像するのも恐ろしい。そして、今はコンピューターは随分発達しているけど、やっぱり、機械の診断なんかより自分を信じた方がいいと思う。

(実際、コンピューターは人間が作っているのだから、間違いやいい加減な処理を行っている可能性はゼロとは言えない。)

でも、それは、(無駄に年月を費やさないためには、)何の知識も経験もなく、努力もせず、ただやりたいとか好きだからとかで選んでいい訳ではなく、ある程度、自分で調べたり試してみたりして決めるべきだ。

(1/8 5:27, 8:44, 9:15 追加・修正)

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