会社の創業者とその仲間の勝手気ままな行動には随分イライラして来たのだが、なぜそうなのかが少し分かった気がした。

元々おかしい人たちが老化して更におかしくなったのは確かなのだが、その「元々」は以下のようなことなのではないだろうか。

  • 隗より始めない。やるのは常に自分たち以外(=社員)。自分たちは命令専門だと思っているし、言っただけでやったと思い込める
  • 決まりは、随時自分たちが思い付いたこと(必ず正しいと思っている)を決め(て忘れ)る。そして、自分たちは偉いからいつも正しいから、自動的に守っているし、守る必要もない(規則を破っても誰にも指摘されることはないが、仮に誰かに指摘されても、その瞬間に例外ができるので問題ない)。
  • 自分たちを客観的に見ない・見られない。いつも自己満足・自己完結している。
  • 会社の金は自分たちの金。自分たちがいなければ生まれなかった金だと思っているので、自由に使って当たり前。社員も自分の都合で自由に使って当然。

だから、常日頃彼らが念仏のように重要だと言っていることを、彼ら自身が守って・守れていなくても平気でいられるのだろう(「自分は守って・守れている」と思い込んでいるのだから)。全くオメデタイ人たちだ。元々そういう素質があったのだろうが、会社を作って何十年も取り巻きにおだてられて過ごしていると、そういうクズになってしまうのだろう。。。

  •   0
  •   0

昨日だったか、プロセスモデル化されたFirefox 54が出て、そのやり方が意外に現実的(タブごとにプロセスを作るのでなく、複数のタブを一つのプロセスで管理する)で良さそうだったので、試してみることにした。

最も重要な、ウインドウの左端にタブ一覧を出すのとマウスジェスチャと、その他のカスタマイズがアドオンでできたので、Vivaldiから切り替えてもほとんど違和感はない。一つだけ嫌なのは、更新ボタンがアドレスバーの右にあることだけだったが、これもアドオンでアドレスバーの左に置けた(← 修正するアドオンの動作が今一つ不安定なので止めた → 設定を修正したら大丈夫そうなので、再度試している)。

メモリ使用量を調べてみたら、以下のように、FirefoxはVivaldiの1/4以下で、プロセス数はVivaldiの1/10以下、タブ当たりのメモリ使用量も1/4以下だった。

VivaldiとFirefoxのメモリ使用量(psコマンドのRSSの合計)の比較(2ウインドウ、約30タブ):

  • Vivaldi: 約5.4GB (37プロセス) → 約146MB/プロセス, 約180MB/タブ
  • Firefox: 約1.2GB (3プロセス) → 約400MB/プロセス, 約40MB/タブ

僕のPCはメモリはふんだんにあるので、Vivaldiでも実害はないのだが、そもそも(もちろん、閣議決定された意味ではないw)、(Vivaldiが使っている)Chromeの「タブごとにプロセスを作る」(= 1つのタブがヘマして落ちても、全体は落ちないから、怒られないよね)だけでなく、各プロセス(=タブ)が数百MBも使うという浪費思想(腐った設計)には全く賛成できなかったので、Firefoxが使えるに越したことはない。普通のWindows PCで、メモリが4GBしかないというような人は、一体どうしているのだろうか?

Firefoxを止めた最大の原因は、タブ数が多い時に不安定になるからだったが、プロセスが分かれていれば、今までよりは安定になることが期待できる。

Firefoxなら、Vivaldi(とChrome)でなぜかできなくなってしまった、SSL証明書の表示が簡単にできるのがとてもありがたい(Vivaldiの時は、わざわざFirefoxを起動して確認していた)。普通の人は使わないかも知れないが、証明書だって偽造され得るし、今は何でもSSL化する風潮なので、これからは活用されるべき機能ではないだろうか。それをなくしてしまうという考えは全く理解できない。あと、Vivaldiではセッションマネージャのアドオンがまともに動かなかったし、その他のアドオンも動かないものが多かったので、その点も普通に使えるようになって助かる。

Firefoxは随分久しぶりのように感じたが、Vivaldiに移ってからまだ1年しか経っていなかったようだ。しばらく試してみて、良ければデフォルトブラウザに戻したい。

(6/18 17:44追記) その後、思わぬ落とし穴が見つかった。Firefoxは、アイドル状態でもCPU負荷が高いのだ。Vivaldiと比較したところ、以下のように、3倍近かった。

VivaldiとFirefoxのCPU使用率(ps auxコマンドの%CPUの合計)の比較(2ウインドウ、約30タブ、約30分間放置後):

  • Firefox: 15.5
  • Vivaldi: 5.7
  • (Chrome: 40.8: ウインドウ数・タブ数が異なる)

なお、Chromeは条件が異なるし、元々論外なのだが、どうして論外なのかを示すために載せた。

メモリ使用量は重要だが、アイドル時のCPU使用率が高いのは、無駄に動いている処理があるということで、プログラムの質が低いので、メモリ量以上に気に入らない。結局、現時点では、総合的にはVivaldiが最良なので、Firefoxに戻るのは見送ることにした。

  •   0
  •   0

暇だったので(歴史を調べたり、楽譜を見て脳内で演奏したくて)「モーツァルト ピアノ協奏曲」で検索してみたら、すごいブログが見つかった。吉松隆という作曲家が数年前まで書いていた「月刊クラシック音楽探偵事務所」だ(トップページは「バックナンバー一覧」になっているが、リンクはされていないので、右側の各年のリンクから見ること)。

不勉強なので彼の名前は知らなかったが、読んでいたら、結構有名な作曲家のようだ。そして、昔のTV番組の題(「題名のない音楽会」の「クラシックmeetsロック/新作! プログレ交響組曲」の回)に見覚えがあって調べたら、録画していた。ただ、おもしろそうだとは思ったのだが、ELPは全然聴いたことがないし(「『タルカス』って何?」状態)、興味もなかったので、録っただけで観ていない気がする。

もう、何から紹介していいか迷うほど、ためになるし、おもしろい。今まで自分が疑問に思っていたことの(彼による)回答が得られたり、自分の思っていたことが間違ってなかったことが分かったりして、うれしくなって読み耽ってしまった。読みながら、おもしろいところを抜粋して自分にメールで送ったのだが、最終的には3千文字を超えた。

ただ、「音楽大好き!!」な(コアな)方じゃないと、そのおもしろさは分からなそうなので、本ブログの読者のごくごく一部の方にしか受けない気がするw

そこから、ひとつの話を引用したい(「これが一番おもしろい・ためになる」ということではなく、あくまでも一例として)。

2012/03/10 「面白がる目・面白がれる耳」   「面白がれる人生」より:

世の中には「面白いこと」と「面白くないこと」があるのではない。
面白がれる目や耳を持って「いる」か「いない」か、だけなのだ。

だから、表現者たちが心がけるのは、「面白がらせる」ことではない。「面白がれる」視点を与えること、それに尽きる。「楽しませる」のは大事だけれど、単なるプリミティヴ(原始的)でストレートな「面白さ」だけでは、世界は広がらない。

なるほどと思った。表現する側の気持ちが分かって、すごくためになった。そして、僕の日々のいろいろなことの楽しみ方が間違ってなかったことが分かって、うれしくなった。そして、TVなどの、「(プリミティヴな=表現の域に達していない、)普通のおもしろいこと」が、僕にはおもしろくない理由も分かった。

ひとつといいつつ、もう一個:

2011/07/10 「夏休み特集1〈音楽のもうひとつのチカラ〉」より:

書いた当の作曲家としては,自分の作品を勝手に(イメージとぜんぜん違う方向で)使われるのは、まあ、心中穏やかではないが、「音楽」というのはそもそもそういう(敢えて言えば「XXとハサミは使いよう」な)処があるのも事実。

これは、変な言い方をすれば、例えば自分の「娘」がテレビや映画に「女優」として出て、配役としてヒロインならぬ悪女をやったり宇宙人をやったりするようなもの。
知らないでテレビを見ていた父親が、ギョッとしようが「イメージが違う!」と驚こうが関係ない。それに似ている。

(もっとも、父親の中には激怒して仕事をやめさせる人もいるし、作家の中には激怒して抗議に及ぶ人もいる。作ったものの権利と言えば権利だが、世に出た作品は(娘でも音楽でも)もはや作家の所有物ではない。手元に置きたいのであるなら、公表しないことだ。)

まったく同感だ。芸術作品ではないが、ソフトウェアもそういうところがある。一旦リリース(手放)したら、どう使われようと文句は言えない。「なんで、そんな想定してなかったふうに使うかなー!!」って、グチはこぼすけどねw

更にもう一個(という具合に、おもしろい話が山ほどある):

2013/03/10 「音楽家(作曲家)になるには・なれれば・なれたら」  「一万時間の法則」より:

確かに「仕事」は休みが必要かも知れないが、「生きる営み」に属するものは…例えば「呼吸」にしろ「食事」にしろ「子育て」にしろ「農作物作り」にしろ、「休みなし」が基本。「音楽」も同じだ。空気を吸ったり食べ物を食べるのに「週2日の休み」を取る人など聞いたことがない。そもそも「休む」という意味が分からない。

(略)

「毎日毎日寸暇を惜しんで休みなく(あるいは24時間でも足りないくらい)」でようやく音楽家を目指すレベルの「好き」だと言える。

(略)

しかも、これは「一所懸命」でも「努力」でもない。

毎日食べたり飲んだり空気を吸ったりするのを「一所懸命」やるわけではない。同じように、毎日休まず音楽をやるのは「生きるのと同じ」であって、それが「自然」だからだ。

すごく納得した。やっぱり(才能・センスとか技術の問題を除いても)僕には無理だなあと思った(あ、でも、才能もセンスも技術もあったら、話は違うかもw)。でも、僕にとってのコンピューターは、そんな感じかも知れないと思った。

残念なのは、どうしてか(提供主のJapan Artsとの契約が終わったからか)、このシリーズは終わってしまっていて、今のブログは普通のブログになってしまっていて、ここまで読み応えがないことだ。あのページがいつまで残るのか、心配だ(削除するのなら、出版して欲しい)。でも、彼のホームページにはいろいろ読み物が載っているようだから、読むのには事欠かなそうだ。

 

PS. ちょっと変な・おもしろいことを書けば、僕は、おそらく、彼の音楽は好きにならないだろうと思うことだ。彼の考えにはすごく同感できるけど、作品に共感はできないと思う(実際、彼の作品の題を見ても、聴きたいと思う曲がない)。これは、「作者の性格や人生と作品は無関係」の流れかなと思う。あるいは、同じ大きな枠の中に居ることは確かなんだけど、その中で向いている方向が違うというのか。まだ聴いてないから知らんけどw

調べたら、彼の作品を持っていた。といぼっくすの「あのころ・・・ ~日本のマエストロたち」(2000)というアルバムに、「プレイアデス舞曲集」の曲が入っていた。これから聴いてみて、感想を追記したい。ただ、このアルバムは、知らずに聴いている時でも余りおもしろくなかったので、やっぱり、好きじゃないんだと思う。

(6/15 4:02記) 昨夜、「あのころ」に入っている5曲全部を聴いたが、やっぱり好きではなかった。本人は現代音楽の異端だと言っているが、やっぱり現代音楽的だし(確かに無調などではないけど、頭が現代音楽なのかも知れない)、こう言うと悪いけど、スケールが小さい気がするし、透明度が低い感じもした。そもそも、彼の曲は題が良くない。説明が過ぎている気がするし、興味をひかない分野の単語ばかりだ。

  •   0
  •   0

エイコさんのお勧めもあって、日曜日にちょっとドライブに行くことにした。が、いつものように、行き先がなかなか決まらなかった。昨日は8箇所の候補から選んだ。新しい候補として、砂沼広域公園や十王ダムや鷲子山が挙がったのだが、砂沼は今一つおもしろみに欠けていそうだったのと、後の2者は途中の道が細そうだったので却下した。

それで、ちょっと前から行きたくなっていた、15年以上前の夜中に行ったことのある、水戸のあるバス停に行くことにした。なぜバス停なんかに行くのかは詳しく書けないのだが、「名前が興味深いから」と書いておく。それから、その辺りにある涸沼にも寄ることにした。

8:45頃出発し、10:15頃、水戸のファミマに着いた。すごく流れが良くて気持ち良く走れたので、休まずに来た。途中、ツインリンクもてぎの近くを通ったが、以前と違って、まだ渋滞してなかった。それでも、そこに行くらしき車やバイクが多かった。気温は23℃で、日射しが強くて暑かった。

途中、大型バイクと自転車が結構居た。みんなマナーが良かった。一方、プジョー(左右にうろちょろしていた)だのレクサスだのベンツだのプリウスだのタクシーはやっぱりダメだった。

水戸はあじさい祭りのようだ。それとは別に、途中に菖蒲(または あやめ)の看板があったので、まだ菖蒲に間に合うのかも知れない。ファミマで休憩中に掛かった、ELOの"21st century man"が良かった。

11時頃、バス停に着いた。辺りの雰囲気は、前回(2001/12)と違っていて、全然見覚えがなかった。前回は夜に行ったせいもあるが、あれから発展したのかも知れないし、別の場所にバス停があったのかも知れないと思った。帰ってから前回の写真や資料を調べたら、当時の場所とは違う(写真の背景が違うし、地図上の位置も違っていた)ようなので、別のバス停だったのかも知れない。バス停の名前が前回と少し違っていたのは、そのせいかも知れない。もし、前回のバス停がまだあるなら、また(でも、十年後くらい?)行きたくなった。

本当は、涸沼近くの食堂でハゼ丼や鰻を食べようと思っていたのだが、すごく暑くて、蕎麦などの冷たいものが食べたくなった。それから地図で探して行った蕎麦屋が休みのようだったので、日和ってローソンの店内で冷やしラーメンを食べた。が、スープがしょっぱ過ぎた。冷やし中華の方がいいかも知れない。室内は暑いが、のどかで良かった。また、その辺りはのどかで車が少なく、走って楽しかった。

暑くてだるくなったので、当初は涸沼自然公園を散歩する予定だったのだが、車で1周する程度にして、帰ることにした。とりあえず、涸沼自然公園を目指してナビのとおりに走っていたら、12:40頃、親沢公園キャンプ場とかいう想定外のところに着いた。涸沼には間違いないのだが、電話番号が違っていたようだ。

でもまあ、観るだけなので、良しとした。湖岸は涼しくて気持ち良かった。気温は24℃だが、風があるせいか、半袖では寒いくらいだった。沼というだけあって、水は濁っていた。バーベキューの家族や釣りの人が居た。遅まきながら、スマフォのフロントカメラで自撮りすることを覚えた。顔しか写らないけど、カメラを置けない場所では結構便利だ。

涸沼の手前で掛かったビートルズの"Hey bulldog"が、いつもながらかっこ良かった。映画は今一つだしタイトル曲もダサいけど、意外に、アルバム"Yellow submarine" (1969)にはいい曲が多い。

(窓から眺められる訳ではなさそうで、)涸沼を1周するのもだるくなったので、日和って帰ることにした。帰路は眠くなったうえに、お茶やコーヒーを飲んでばかりいたせいか、トイレも近くて困った。水戸IC近くのR50はかなり混んでいた。朝の市内とは偉い違いだった。

途中まで後ろに居たランドローバー(先週に引き続き見た。流行っているのか)のカブリオレは、穏やかな運転で好感が持てた。助手席の女性が「大人」(もちろん僕より年下だけど、こういう時は、自分が大学生くらいに戻る感じだ)で、かっこ良かった。ショートカットでサングラスで、昔の小泉今日子みたいだった。サングラスは焦茶だったが、黒だったら更にかっこよかったと思う。風で前髪がずれて顔に掛かっていたけど、余り気にする素振りがなかったのも、色っぽくて良かった。バブル期から来たような3人組は楽しそうだった。

15時頃、益子のセブンイレブンに着いた。休憩中に"The power of love"が掛かったら、元気が出て走り出したくなった。

セブンイレブンから家までの途中に、例によってバカなアルファードが居た。赤信号だったのでゆっくり走っていたら、予想どおり、停まる前に、車の隙間を抜けて強引に前に割り込んで来た。その次の信号が赤だったので、左車線からトロトロ追い付いたら、黒いアルファードせんぱいwは(信号の時間が普通より長目だったので、)青になる前に発進し、赤のまま交差点を通過していて、とてもロックだったので笑えた。余程、僕に抜かされたくなかったらしい。車と違って***の小さい奴だった。

16時頃、帰宅した。予想外に長く走ったので、結構疲れた。このあと1時間くらいで妹の家に行ったので、なかなか忙しかった。涸沼を1周していたら、休みなしだったと思う。疲れていたので迷ったのだが、今となってはキャンセルすれば良かった。

帰り道、無用なトラブルを避けるためにゆっくり走っても、楽しめるのは、いいことだと思った。本当に車が好きな証拠かも知れない。昔と違って、今は、速さに執着しても、ストレスが溜まるだけで全然おもしろくないと思う。それは、車やバイクに支配されているのではないだろうか。もちろん、速く走るのも気持ちいいけど、ゆっくりでも楽しみは多い。

170km、約7:20。
IXY Digital 3000IS、iPhone 6s(ローソン)で撮影。

(6/14 6:28 わずかに加筆)

  •   0
  •   1

今朝、先日注文して忘れていた、ラローチャのラフマニノフのピアノ協奏曲 第3番(1976)のCDをコンビニで受け取って来た。

PCに取り込んで、一応聴いてみたら、やっぱり遅い。良くこのスピードで弾けると思うくらいだ。第3楽章なんて、遅くてまどろっこしいくらいだった。。。どうしてか、以前YouTubeで聴いたのと少し印象が違っていた。今日の気分のせいだろうか。

まあ、遅いのは納得して買ったので、仕方ない。いつか好きになる日も来るだろう。次に、折角なので、併録(1973)されたハチャトリアンのピアノ協奏曲も聴いてみた。

イントロが大げさで好みでない。グリーグとかチャイコフスキー的だと思う。中身はプロコとかショスタコ的だと思った。演奏以前に、曲が今の自分には合わないので、第1楽章の途中で止めた。

聴きながら、彼について調べてみたら、3人とも同じソ連の同じ頃の人たち(「ソヴィエト3巨匠」)で、「プロコとかショスタコ的」は背景的には合っていたようなので、自分に少し感心した。

PS. プロコフィエフもショスタコーヴィチも、クラシックを聴き始めた頃には結構聴いていた。昔は、当時の知り合いのクラシック好きの人の話に出て来たり、好奇心のせいか、変わった(変わっていそうな)曲をいろいろ試していたのだ。だからそういう作曲家の作品の雰囲気が記憶に残っていて、上のような感想が出たのだろう。

なお、どちらの作曲家も、「あの人」とは思うものの、なかなか名前が出てこなかった。プロコは、最初は「ベルリオーズ」が出て来たw

  •   0
  •   0

金曜に姪から誘いのメールをもらって、昨夜、妹の家に行った。どういう訳かは分からないが(たまたま姪が帰省した程度だろう)、夕食をごちそうになった。

そこまではいいのだが、姪の言動にブチ切れる寸前だった。彼女は、無事、いい加減でミーハーでわがままな、僕とは全く相容れない最低な人種に成り下がっていた。

話の端々で、知り合いに有名人の知り合いが居るとか、住んでいる部屋の近くに有名人の住む高級住宅街があるなどどか言っていた。そこまでは、良くある田舎者の話なので、「へえ、良かったね」だが、"so what?"だ。(以前、芸術関係のすごい目標を言っていたが、)自分は何をした・しているとか、これからについてどう考えているとかいう話は全くなかった。

ひとつだけ、子どもの頃に所属していた団体の発表会に出るという話をしていたが、呆れた。笑止だ。「プロなの(を目指している)に、今更何やってんの?」って感じだ。先輩風を吹かせていい気になりたいのか。現役の子どもの出番を減らしてもいいのか?

都会に出て感化されてしまったのか、有名人の名前を言えば、こっちが「へえ、すごいねー」などど感心して、本人がすごくなったと思うとでも思っているのか。高級車を買っただけで、自分まで高級になったと思うアフォと同じレベルか。まあ、あれでは成功しないだろう。万が一成功しても、僕は認めない。

僕の持論は「表現者の性格や生き方と作品は無関係」だが、この場合は、表現物を評価する前に、親族として自分が被害を受けるので、許容できない。

それから、昔あげたPCが調子悪いとか言って来た。頻繁に使っていて、普段からちゃんと手入れしているのだったら分かるが、碌に使わず全く手入れせずにいて、たまたま使いたくなった時に調子が悪くて困るのは自業自得だ。しかも、「*ができない」としか言わない。プログラムの名前もエラーメッセージの文章も調べていない。

以前からそうだったのだが、調子が悪い時に対処してあげても、したいことができたら「終わり」であとはまた放置するので、全然助ける気になれないから、何も教えなかった。「すぐには直らないねぇ(自分で何とかしろ! まあ、できないだろうが)」と言っておいた。ちゃんと使う気がないんだったら、PCなんて捨てればいいのにと思う。会社にもそういういい加減な人が居て、すごくイライラする。

そして、最後がひどかった。自分で僕を呼んだのに、ツタヤに行くだの、友達と会う予定があるだのと、親(妹)経由で言って僕を追い出した。最初に自分で「今日はこういう予定があるから、*時まで」と言ったなら、まだ許せたが。。。これって、今の若者にだって普通とは思えない。妹のしつけが悪かったとは思いたくないが、それもあるのだろうし、成人しているのだから、本人の性格や、今までの生き方が悪かった(例: 周囲の親切を都合良く利用して来た)のが大きいと思う。

もう二度と、(妹だったら別だが)あいつに呼ばれても行かないし、何か頼まれても引き受けないことにした。彼女がそうするように、こっちには「こっちの都合」があるのだから、それを最大限に優先したい。

昨日は、ドライブに行って疲れていたけど、約束していたから行ったのだが、疲労と怒りをお土産にもらって帰宅した。イライラのせいか、頭痛がした。ただ、思い付いてベートーヴェンの「悲愴」(O'Conor)を聴いたら、嫌な気分が発散して、少しイライラが減った。まったく、いい曲・演奏だと思った。

  •   1
  •   0

昨日の17時頃、暇つぶしにiPhoneを見て、Evernoteの日記や買い物メモをちょっと見た。それからホーム画面に戻したら、背景画像(黒猫優作)が数mmくらい上下左右に小刻みに揺れた!? ほんの1秒間くらいだったが、確かだ。あれは何だったんだろう? 寝不足で目がおかしくなったのだろうか? 一瞬でも優作が遊びに来てくれたのだろうか?

あと、そうした覚えがないのに、その30分後くらいのロック画面のキャプチャが撮れていた。

昨日は、夜に唐突に姪からメールもあったし、いろいろあったな。。。なお、薬師丸ひろ子の誕生日でもあったことを書き添えておく。

  •   0
  •   2

会社帰りにショッピングモールに寄った。古くなったシャツと散歩用の靴の替えを買いに行った。いざ行く段になると、いつものように結構面倒になって、明日にするか迷った。でも、実は、先週の週末から延期していたので、今日を逃すと更にズルズルしそうだったし、週末は混んで嫌だから、頑張って行った。

靴屋の店員は、みんな気だるそうにしていた(外見や声掛けはそうでもないが、そんな雰囲気だった)し、高い物ばかりだったので、買う気が起こらなかったので、一旦パスした。

シャツは長袖が欲しかったのだが、暑いせいか半袖ばかりで、意外に種類が少なかった。それでも、いろいろ見て、黄色のと深い赤(このブログのタイトルの背景をもう少し茶に近くした感じ)の縞の2枚にした(本当は、赤よりもピンクのが欲しかったのだが、気に入ったのがなかったし、その時着ていたピンクのがまだ大丈夫だったので、止めた)。オフシーズンのせいか安い物がなく、どちらも意外に高かった。

靴は、催事場のような売り場に、日本メーカー(でも日本製ではない)の手頃な値段のがあったので、それにした。余計な店員よりは誰も居ない方がいいようだ。気に入った色(鮮やかな紺にオレンジの紐やストライプ)のはサイズがないようだったのだが、諦めて選んだ別の色のの箱に紛れているのに気付いてラッキーだった。全部で約1万円で、意外に安かった。

それから、久し振りに大戸屋で食事をした。ステーキや牛タンに惹かれたが、野菜がメインの膳にした。いつもよりずーっといい。いろいろなおかずがあって、かぼちゃコロッケを付けても約千円と、とても手頃だった。混んではいるけどのんびりできて気分がいいので、もっと頻繁に行きたいが、いざとなると面倒になってしまう。

ここまでは前置きで、実はここからがメインである。

それから明日の朝食などを買って、満腹でだるさを感じながら駐車場に戻ろうとしたところ、扉の向こうに何となく見覚えのある顔が見えた。会社のBくんだった。意外だったので、ちょっと驚いたのだが、更に驚くべきことがあった。なんと、彼の後ろに、以前「目に入れても痛くない」と書いた、Aさんが居たのだ!

ものすごい鉢合わせにさすがにびっくりして、ちょっとした挨拶をした程度で通り過ぎてしまった。向こうも驚いたと思う。車内で、「そうだったか・・・ 残念だが仕方ない。。。」と思った(正確には、そう日記に書いた)。娘に彼が居ることを知った時(あるいは、アイドルに交際している人が居ることが分かった時)の心境は、こんな感じなのだろうか。

帰宅してから、あの二人のことを思い出したら、「くくく」という感じの、妙な笑いが込み上げて来た(「巨人の星」の父ちゃんが、そんな笑い泣きをしてたっけ)。AさんとBくんは歳が近く、会社で僕と一緒に同じ係をしているので、それで仲良くなったのかも知れない。そういえば、やけに二人の連絡がいいと思ったことがあったっけ・・・ 「付き合って」いるのだろうか? (別にどうだっていいけど) それにしても、手を繋いでなくて良かったねw

 

PS. (長袖と思って買った)黄色いシャツは半袖だったいうオチがあり、結構がっかりした(2ちゃんねるだと「無事死亡」とかになるのだろう)。が、これからは暑いので、まあいいだろうと思った。靴のサイズは大丈夫なことを祈るばかりだw

昼食帰りに3kmくらい歩いてみたところ、結構歩きやすい靴だったので、ひとまず安心した。それにしても、すごく暑くて、帰る頃には意識が朦朧としそうだった。(6/10 12:42)

 

(題は、今掛かっているELOの曲(1981)。歌詞なんて分からない(分かろうとしていない)ので、これが本文の意味に合っているのか、疑問(wonder)だが、僕のいつもの思い込みで、合っているような気がしたw)

  •   1
  •   0

今の仮説: 20kHz以上の聴こえない周波数が身体に影響するのでなく、「ギザギザ」の波形が滑らかになるからでもなく、普通に測定したのでは測定できない、超高域の可聴域の成分の変化が、音質に影響するのかも知れない。

いくら精密に測定しても測定できないのだから、ハイレゾ無意味派と意味がある派、双方の主張が合わない訳だ。どちらも正しかったのだ。間違っていたものがあるとすれば、測定・評価方法だったのだ。

(6/7の検討のまとめ: まだ検証していないので、結論ではない)

現実には、まず、録音の時のAD変換で、超高域の振幅が低下するのだろう。

  • 制作時に気付かれれば補正(強調)されて、超高域の低下がカバーされた音源ができる。
    • それを再生する時のDA変換では、音は既にデジタルになっているので、サンプリング時刻のずれは生じないので、超高域は低下せず、そのまま(収録されたまま)再生可能なのではないか。
  • 制作時に気付かれなかった場合、超高域は(収録時よりも)低下したまま再生される。
    • だが、そもそも、気付かれなかったものが意図された制作物(= 「原音」)なので、(収録時よりも)低下したまま再生されても、それが「正しい」音である。

→ だから、やっぱりハイレゾ(高サンプリングレート)は必須ではない。

※ただ、超高域の振幅が低下する問題は、録音時にAD変換のサンプリングレートを充分高くしていれば(→ ハイレゾで制作する=「ハイレゾ音源」を制作すれば)、起こらないはずだとは言える。

(6/7 20:53 追記)

超高域の振幅の低下が、AD変換のサンプリングのタイミングと音の波形との位相のずれによって生じるのであれば、振幅の低下する音とそうでない音が生じるはずで、それが音の成分・構成を変えてしまうことで、音を変質させる可能性はあるだろう。ただ、それにしても、制作時に分かる(か分からない)ことであり、変質が耐えられないものだったら収録し直しになるはずだから、結局、世に出る音源は、このような問題のないものになり、再生時の問題はないのではないだろうか。

(6/10 1:31 追記)

推測を含めて、録音・制作の過程を考える。今は、録音(のサンプリングレート)は、おそらく、44.1kHzではなく、最低でも96kHz前後なのではないだろうか。すると、上に書いた、AD変換での超高域の振幅の低下は、録音時には、可聴域では起こらない。

問題になるのは、CDを作る時(=44.1kHzに落とす時)だ。その時には、超高域の振幅の低下が起こりうる。というのは、サンプリングレートを半分に落とすので、少なくとも2つのサンプル(音のデータ)が1つになるためだ(あとで図で説明したい)。落とすには単純な平均ではなくフィルタを使うが、いずれにしても、超高域では振幅は低下する。

例:

マスター音源(ここでは88.2kHzとする)の連続する2サンプル(音のデータ)の値が 1と0 だった場合(22kHz相当)、

単純平均でCD(44.1kHz)に落とすと、0.5(=(1+0)/2)になってしまい、最初のサンプルに比べて音量が半分になる。

演奏者なりプロデューサーなりエンジニアがそれに気付いて問題と思えば補正するし、気にならなければ、補正しない。いずれにしても、そのどちらかの状態が最終的な制作物で、「原音」となる。そして、そのCDを再生する際には、超高域の振幅の低下は生じない。

だから、結局、ハイレゾ(高サンプリングレート)でなくたって、問題は起こらないという結論になる。言い換えれば、演奏者や制作者が意図した音がCDに入っているのなら、(必要十分な性能のシステムを用いれば、)それをそのまま再生できて、問題は生じないのだから、ハイレゾは要らないということだ。もし、CDに落とす際の補正では良くないとか不充分だと感じる演奏者や制作者が居れば、ハイレゾ(高サンプリングレート)形式で発表するだろうし、それは意味があることだと思う。

 

(以下はメモ書きだが、今までの主張を覆すことなので、すぐに書きたくなった。後で清書したい。)

さっき、ようやく、昔あるサイトで見て、昨日も別のところで(誤った説明を)見た、AD(・DA)変換した時、ナイキスト周波数近くの信号の位相がAD変換のサンプリングの位相からずれている場合、振幅(正弦波でも)が小さくなることがあることを理解した。これは、サンプリング定理の欠陥なのか、既知の問題なのか、当たり前のことなのか。あとで調査・検討・実験したい。

PCや測定器などで周波数特性を測定する時は、(自分で生成した、)AD変換のサンプリングの位相とぴったり合った(= 位相0°の)信号を出して受けるから、振幅が低下しないのだ(そうでないと、被測定系での位相ずれが測定できない)。

この、超高域での振幅の低下を感知できる人が、アップサンプルすると音が変わると感じるのかも知れない。そして、高サンプリングレートにする価値はここにあるのかも知れない。

昔、Windowsで、AD変換のサンプリングに同期していない正弦波(スイープ信号)を使って特性を測った時、20kHz付近で3dB程度落ちていたのは、この影響なのかも知れない。そして、その低下量は正弦波の実効値になっていたのかも知れない。実際、正弦波の実効値は0.71(= 1/√2)で、-3dBとなる。更に、ホワイトノイズの特性が同様に落ちていた記憶があるのも、このせいだったのかも知れない。

もしこれが正しいなら、今すぐにでも96kHzにアップサンプルして再生したいくらいだ(が、実際には、僕は15kHzですら聴こえないから、やっぱり無意味な気はするw)。

(6/7に調べたこと: 6/7 19:56追記)

・上記の、誤っている(と僕が思っている)説明: 中頃の「一見問題なさそうである。(以下略)」の下の図の右側の波形は「波形の体すらなしていない」とあるが、信号が連続していることを考慮していないので正しくない。単発のパルスなら正しい(けれど、それはナイキスト周波数を超えているので、そもそも正しく再現できない波形である)が、正弦波のような連続波形であれば、右端に左端の波形がつながるから、振幅は小さいけど、元の波形が再現される。

・上記の超高音の低下は「アパーチャ効果」によるものなのか? → まだ詳しく読んでいないので、何とも言えないが、ちょっと違う気がしている。(以下、引用。図の参照は削除した)

一般に、D-Aコンバータの周波数特性は平坦ではない。帯域内(サンプリング周波数の1/2以下)であっても、高域側に行くに連れ、アナログ出力信号の振幅が減衰してしまう。例えば、サンプリング周波数をfSとすると、fS/2の80%の周波数信号では、出力振幅が2.42dBも減衰する。

・別のページでも、類似の現象が解説されている。 (以下、グラフの説明を引用。下線は私が付けた)

fs≒2×fin
入力信号の周波数は、ほぼ再現できますが振幅にうねり(ビート)が生じます。

fs=2×fin
このときのfinはナイキスト周波数と呼ばれます。
サンプリングの位相が合わなければ小さい振幅の波形が観測されます。

(つづく)

  •   0
  •   0

会社に行く日は、ほぼ毎朝、その日の昼食とおやつを買いにコンビニに寄る。今までは、会社の近くのコンビニに寄っていたのだが、それを止めざるを得なくなってしまった。というのは、何回か書いた、蛇蝎のように嫌な奴が来るようになってしまって、たびたび顔を合わせるようになったのだ。書いても確かめようがないから、どう嫌なのかとかどんな嫌なことをされたかは書かないが、あいつに会うんだったら、蛇や蠍(でも毒虫でも)の方がずっとマシだ。というのは、蛇だのは叩き殺せばもう見ずに済むが、人間はそうは行かないからだ。とにかく、会社の外で、しかも朝から、そんな奴の顔を見たくないのだ。

それで、少し前にコンビニを換えた。地図で調べて、少しだけ通勤路から逸れるけど、それほど遠回りでないところにした。が、そこが腐っていた。品揃えが良くないのはまだ我慢できるが、大体、3回に1回の割合で嫌な思いを(イライラ)するのだ。その原因は、店員の、無恥なオバサンとコミュ障の若者だ。

オバサンは、例えば、知り合い(そのオバサンもそこで仕事しているのだろう)が来たら、後ろで待っているのが分かっていても、長々と喋っていたりするのだ。時間にすれば2分にもならないのだろうけど、こっちは待っているのだから、それを無視するのは論外だろう(アメリカとかの海外だったら良くあることかも知れないが、ここは日本だし!)。一方の若者は、例えば、「いらっしゃいませ」すら言わない。言っているのかも知れないが、口は開いてないし小さくて聞こえない。要は、「田舎のいい加減なコンビニ」って感じだ。

僕は、会計してもらう時は大抵「お願いします」とか言うのだが、上のような目に遭うと、それを言う気などなくなって、無言で恐い顔をしていると思う。前の店も田舎ではあったが、そんなことは全くなく、いつもいい気分で買い物ができた。どちらも同じ大手の系列の店なのだが、オーナーや店員によって随分違ってしまうものだ。

会社の嫌な奴ほどではないが、やっぱり気分が悪いので、今日、別の数店を探し、明日から試そうと思っている。少し遠回りになるが、仕方ない。とにかく、朝から嫌な気分は真っ平御免だ。

6/7の朝に最初の候補を試したところ、思っていたより楽に行けて、駐車場は広くて停めやすく、当たり前のことだが店員はちゃんとしていたし、品揃えも良くて、気分が良かった。しばらく試してみたい。ここも上の2店と同じ系列だ。あの腐った店が特別駄目なのだろう。(6/8 7:25)

  •   1
  •   0