昨日、手術が無事に(成功かはまだ不定)終わった。いろいろ思ったり気付いたりしたことがあったので、書く。

前の夜は余り眠れなかった。手術の緊張のうえに、非常口の照明が眩しく、更に、部屋の人のいびき・寝言、頻繁なナースコールの呼び出し音、看護師さんの動く音がうるさく、そして空腹だったためだ。

隣の人が退院した直後に、別の人が入って来た。すごい回転率だが、現場の人は忙しくて大変そうだ。

大きな病院には、さまざまな種類の医師、看護師さんや他のスタッフがいる。外来、病棟、手術室(他にも居るかも)。更に、手術室の中でも同様だったので、ものすごい分業体制だと思った。これだと、確かに取り違えなどの事故は起こり得るだろう(この病院は、それらの防止に注力している)。

それなのに、患者の意識が低い場合があり、入院準備の説明に書いてあることすら守らない(例: お薬手帳や飲んでいる薬を持って来ない)人や、事前の調査(病歴など)に協力しない人(どっちも新しい隣のジジイ)が居て、苦労していそうだ。そういう輩の家族が、事故の後で訴えたりすることも多いのではないか。

斜め奥のガキはアホニートアニオタだろうか(「ガキ」と書いたが、歳は40代のようだ)? こっちの手術前に80年代のTVアニメのDVDか何かを延々と大きく掛けて、ものすごくイライラさせられた。

手術室のある棟は、すごく新しくて、いかにも最先端の感じだった。病室とは偉く違っていた。手術室は町工場とか工房の雰囲気だった。今回は今までで一番、準備が長かった。緊張のせいか、手術直前の血圧は200くらいまで上がり、手術中はずっとアラームが鳴りっぱなしだった。恐ろしいものだ。終わったら、ようやく下がって来た(今は、いつもの値に戻っている)。

手術の準備中、何をやるか、その都度教えてくれたし、頻繁に大丈夫か聞いてくれた。それはありがたかったが、手術が始まったら、「近くに居るので、気分が悪くなったら言って下さいね」と言われたのは、果たして万全と言えるのか、少し不安だった(麻酔が効きすぎて血圧が下がると、そのまま意識がなくなるので)。まあ、実際には、どこかからちゃんと見ていてくれたのだと思うが。

手術中は随分いろいろな人が出入りしていた。例えば、初めの看護師さんと最後の看護師さんが違っていたように思う(同じ人も居た)。手術も、複数の医師が分担しているようだった(監督と選手?)。ただ、大病院なのに麻酔医が居ないのが意外だった。

麻酔の痛み止めの針がかなり痛かった。本物はもっと痛いのか。前回もこんなに痛かったかと思う。

手術用ベッドの表面がレザー張りのクッションのように柔らかかったのは、意外だったけど良かった。これも進歩なのだろう。ただ、幅はすごく狭かった。お相撲さんはどうするのだろう?

手術全体は1時間ちょっとで終わった。本体より準備と後始末が長かったようだ。そういえば、どこかのページで、電気メスを使うと肉の焦げる臭いが充満すると読んだが、全然そんなことはなかった。そんなことになったら、スタッフも患者も辛いだろう。余程ひどい病院の話なのだろうか? 焼肉屋のように、設備の差か。

部屋に戻ってiPhoneをいじろうとしたら、右手人差し指に酸素濃度センサが着いていて、アンロックできなかったw それを中指に移したら、今度は画面の拡大ができなかったw iPhoneは、やっぱり身体の不自由な人を考えていない?

終わった数時間後の夜には飲み物が飲めるようになって、すごくうれしく(前夜から飲食不可だった)、500mlをすぐに飲み干した。でも、麻酔の関係で身体を起こさないように言われていたので、飲むのは大変だった。

注射の成功率は経験によるのか単なる技術なのか分からないが、僕の腕の血管は分かりにくいので、いつも歴然と差が出る。手術日の朝の夜勤の方(年長)は、採血の針を全然痛まずにすっと入れたので感心したが、今朝の人(若手)は痛いうえに途中で駄目になって、2回刺した。見た目はうまそうだったが、外れた。

今朝の朝食はとても楽しみだったので、一気に食べた。その後は、頭がぼーっとし、眼の焦点が合いにくかった。なぜか、身体が動かなかった(力が入りにくい)ので、食べる時はべッドの背を起こして上半身を起こしてもらった。

その後、順次、尿の管と点滴を外してもらい(今日は最初の日の可愛い看護師さんだったので、気まずさは3倍だったw)、今は自由の体になった。どちらも、抜くのは痛かった。尿の管を外した後は、病棟内を歩いてリハビリするように言われた。

看護師さんが見せてくれたのだが、手首近くに刺した太い点滴の針は、本体が柔らかくなっていて(透明なプラスチック: ナイロン?)、血管が動いても曲がって追従できるとのこと。時代とともに医療は進歩していると思った。

それなのに、ここの動く物(看護師さんの手押し車、点滴のスタンドなど)のキャスターは、すべてガラガラ音がする。ちょっと手入れすればいいのに、そんなに時間がないのか?

甘い物が食べたくなったので、見舞いに来てくれた母にアーモンドチョコとコーヒーを買って来てもらった。

そして、さっき、モーツァルトのピアノ協奏曲 第23番が聴きたくなって、イヴァン・モラヴェッツという人の(1975)を見つけた。気に入ったので、続けて第25 (1974)、20 (1997)、24 (1996)番を聴いた。どれも普通に良かった(=安心して聴けた)。つくづく、世の中にはすごい演奏者が(どんな分野にも、上には上が)いると思う。

夜、医師が様子を見に来てくれた。帰りがけなのだろうが、ありがたいことだ。

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今日(20日)の「【台風21号】2015年以来の超大型台風、23日に直撃」というニュースの見出しに思わずにんまりした人、いらっしゃいますか?

20、21、23は、どれもモーツァルトの有名なピアノ協奏曲の番号ですね(15はそれほどでもないですが)。そして、僕も大好きです。もう、この数字だけで、ご飯が数杯は食べられますw

まずないでしょうが、どれかに「アマデウス」なんて名前が付いていたら、「キター!」とか言って小躍りするでしょう。

ちょっと不謹慎で失礼しました(まだ被害がないから、いいですかね?)。

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明日手術のため、昼から入院。設備の都合で、着いてすぐに剃毛・入浴することになり、なかなか忙しかった。

一番の心配ごとだった剃毛は必要な部分だけで済み、気まずいところは除外されたので、すごくほっとしたw でも、術後に管を入れるので、実はぬか喜びだ(爆)

担当の看護師さんは若くて明るくて親切な感じなので良かった。ただ、老眼の話をしたら、お父さんと同い年であることが分かり、複雑(微妙)な心境になったw でも、話が弾んで楽しいし、気も紛れるからいい。

TVは観ないと言ったら、「ラジオと本のイメージです」と言われた。音楽が好き(雑談でなく、仕事での質問)と言ったら、「クラシックですか?」、「すごいですねー」とか言われたので、インテリに見られている?w

なぜか血圧が異常に高かった(上が160くらい)。緊張したのかも知れない。血圧の関係か、眼の焦点が合いにくく、頭もぼーっとしていた。

あとは暇だったので、GPMで音楽を聴いたりしていた。すごく便利だ。が、電池が高速に減り、データ量も高速に増える(推定1GB/日)。データ量がカウントされない低速モード(200kbps)を試したのだが、音切れして駄目だった。曲のビットレートが192kbpsだとすれば、ぎりぎりで無理だし、電波が弱いせいもありそうだが、なんとも惜しい。もっと低ビットレート(例: 96kbps)のモードが欲しい。

→ どうやら、GPMの「再生中にキャッシュ」をoffにすると、低速モードでも行ける感じだ。再生とキャッシュを同時にすると帯域が不足するが、片方なら足りるのかも知れない。(22:31)

→ やはり、低速モードではたまに切れる。ただ、大抵は問題ないので、(あとでビデオを観るなどの予定がないなら、)低速モードは「最後の手段」にして、データ量制限になるまでは高速モードで聴くのがいいようだ。(10/20 19:22)

なお、(4Gの)電波が弱いからといって3Gにしてしまうと、電波は強くなるのだが、全然駄目になってしまった。これは腑に落ちない。ただ、調べると、3Gにするのは得策ではないようだ。(22:49)

あと、ヘッドフォンはやっぱり疲れるから、長くは聴きたくない。でも、イヤホンよりはましだから、まあ、仕方ない。

それにしても、グールドのゴルトベルク(1981)はやっぱり最高だった。乗れる!

他に、Klara Wurtzいう人のモーツァルトのピアノソナタ(第9番) (年は不明)は悪くなかった。安心して聴けるし、乗れた。

残念なこともいくつかある。ご飯はお世辞にも美味しいとは言えない(これに関しては、札幌の病院が最高だった)。他に、田舎らしく、公共心の欠けた人が結構居る。大声でしゃべるババア(患者、面会の人)、ベッドで電話するジジイ、TVをイヤホン(使う規則になっている)を使わずに観るジジイ・・・ みんな、「自分だけなら(誤差の範囲で)大丈夫」とか思っているのか? スタッフがそれを注意しない雰囲気なのも田舎のせい? まあ、そのおかげで、僕もスマフォを自由に使えるのだが。

まあ、長く居る訳ではない(居たくない)から、いいか。

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好きな曲を何種類も、気に入る演奏が見つかるまで探す。例え見つかっても、更に「上」を期待して探す。そうしているうちに、確かに、(自分にとって)いい演奏が見つかるのだが、たまに、以前聴いた(自分の中では最高とか基準になっている)演奏に近いからその曲もいいと思うことがある。それは、「普通にいい」とか「違和感がない」とか「安心して聴ける」いう感想になるのだが、果たしてそれでいいのかという疑問が生じる。

もちろん、安心して聴けるどころか、「別次元」と言えるような(その場合、全く安心などできない)、すごい演奏はあり、日々それを探しているのだが、それは今は考えないことにする。

例えば、昨夜と今朝聴いた、Howard Shelleyという人のラフマニノフのピアノ協奏曲 第2,3番 (1990)は良かった。自然に聴け、第3番は「見事」のレベルだった。更に、モーツァルトのピアノ協奏曲 第13,24,21,22番 (1994-1995)も良く、ついでに、好みでないからいつもは聴かないラフマニノフのパガニーニ狂詩曲 (1990)も試したのだが、普通に良かった。

以前、会社でだったか、彼のモーツァルトのピアノ協奏曲 第20,23番を聴いて余りいい印象を受けなかったのだが、再度聴く必要がありそうだ。調べたら、経験も定評もある人のようで、イギリスの勲章(OBE)をもらっているほどだから、いいと思うのは当然なのだろう。

余談が長くなったが、要は、「安心して聴ける」というのはいいのか? それは何なのか? ということだ。まず、安心というのだから、自分の中のその曲のイメージに近いということだと思うのだが、その自分の「イメージ」は正しいのだろうか? 正しいかどうかを考えるには、何が正しい演奏かを定義するところから始めなければいけなさそうだ。

おそらく、作曲家の意図に忠実な演奏や、多くの人が「いい」と言うのが、客観的に「正しい」演奏なのだろう。それにしたって、作曲家自身ですら、多くの人にいいと感じさせるとは言えない演奏をすることがあるし(例: ラフマニノフ)、人の感性は時代と共に変化するし、ポップ音楽と同様に、クラシック音楽だって、「曲」でなく「演奏」に良さを求める人は多くない(多くの人は、演奏は関係なく、曲がいいと思うだろう)から、普遍的な基準はなさそうだ。

きっと、音大とかで勉強したり、専門書を読めば分かるのだろうが、そこまでの気力も実力もないので、今は想像や推測・推論の域である。が、単なる空想止まりではなく、論理的に考えようとはしている。

それでも、まあ、(予備知識なしで)自分がいいと思った演奏が、世間(例: クラシック愛好家の世界)の評で「良い」とされていれば(例えば、今回の場合、Shelleyは勲章をもらうほど良い演奏をした・すると考えられる)、自分の印象は正しい可能性が高そうだし、自分のその曲へのイメージも正しい可能性が高そうだ。

余談だが、僕は常に正しいイメージを持てる訳ではない。昨日の朝は「フィガロの結婚」の序曲が聴きたくなって、とりあえず、有名な演奏を聴いたのだが、カラヤン、アバド、ジュリーニのいずれも気に入らず、ベームで妥協できた。

僕は、この曲は軽さだけではないと思っていたのだが、最初の3者はどれも軽過ぎるように聴こえた。だが、それは誤りだったようだ。喜劇の序曲だから本当に軽いのか、演奏の意図を理解できなかったのか、いずれかである。

では、僕はそれぞれの曲の楽譜を読んだりして勉強した訳ではないのだが、いつの間にか曲の本質を習得していたのだろうか? それは違う。おそらく、人間の本能的な「好み」をベースとしたものが、自分のイメージになっているのだと思う。

例えば、料理は、いろいろな食材を調理して作られるが、そもそも、多くの人が好きな料理(の種類, 例: カレー)はあるし、その料理でも、ごく一般的な調理方法によるもの(例: 家庭料理のカレー)が好まれるということはあるだろう。

もう一つの例としては、猫は多くの人に好まれるが、多くの人に好まれる猫の種類(例: 茶トラ)はあるだろうし、多くの人に好まれる性格の個々の猫(例: 人懐こい野良)が居る。でも、愛好家は、ツンデレの黒猫を好んだりもする。

そして、音楽でも、多くの人に好まれる曲はあり(例: 「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」)、そういう曲を普通に(例: BGMとして)演奏すれば、大抵は「いい曲だね」と言われるが、愛好家は、自分の好きな演奏者(例: ベーム)によるガチな演奏でないと物足りないだろう(そもそも、アイネ・クライネが好きかどうかも怪しい)。

ところで、モーツァルトのように、作曲してから何百年も経った今でも好かれる曲を作った人たちは偉大だと思うし、どうしてそれが可能なのか、全く不思議だ。やはり、人間の本能に訴える何かを掴んでいたのだろうかと思う。

(ここまでで書きたいことを書き尽くしてしまったので、今は未完で終わります。)

 

PS. まあ、一般論としては(多くの方にとっては)、「*のピアノはー」とか「※の指揮がー」なんて御託を並べずに(好き嫌いせずに)、いろいろな曲をジャンルに関係なく幅広く聴いて、いい曲・好きな曲を探す方が楽しい気がするw

(10/16 20:39 わずかに修正)

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アナクロに変節したかのような題だが、そうではなく、昔を思い出して気付いたたことがあるので書く。

今は、音楽配信サービスやダウンロード販売で目的の曲だけ聴け・買えて便利なのだが、それらには、曲に関する情報がほとんどない。多くの場合、自分で調べなくてはならない。

今の僕は、かなり前からライナーノーツを全く読まなくなった(音楽とその背景は切り離すスタンスなのと、必要なら調べるため)ので、配信サービスなどは余計な物が増えなくてありがたいのだが、全くの無用の長物かというと、そうでもない。

実は、僕は昔はライナーノーツを良く読んでいた。中学生の頃、ビートルズのレコードを買ったら、それこそ穴が開くほど読んで暗記できるくらいだった。クラシック音楽を聞き始めた頃も、やっぱり何度も読んだ。そうすることで、ほとんど知識がなかった、曲や演奏者や作曲者の情報を得られたのだ。中には今となっては間違った情報や不要な情報もあったが、多くは有益で、今でも重要な基礎知識や常識になっている。

それから、そのアルバムを聴いたあとで、次は何を聴く(買うか)のヒントにもなった。当時は、レコード以外ではラジオやTVでしか聴けず、今のような試聴なんてできなかったから、例えば、あるアルバムで気に入った曲に似た(同系統の)曲はどれに入っているかなんていうことは全く分からず、せいぜいライナーノーツを読んで推測するしかなかった。

今は、検索すればいろいろな情報が得られるし、試聴だって存分にできるから、ライナーノーツの有り難みは少なくなったけれども、それなりに知識や経験のあるプロ(場合によっては作曲者・演奏者本人)が書いた情報は、誰が書いたか不明で玉石混交のネットの情報に比べれば、まだまだ価値があるのではないだろうか。

だから、例えばクラシック初心者の方は、日本盤を買って、ライナーノーツを熟読しましょう。(もちろん、僕は日本のレコード会社の回し者ではありませんw)

 

PS. そういう意味では、日本のポップスのアルバムにはライナーノーツがほとんどないのは昔から残念で、どうしてだろうかと思っていた。今思うに、同時代の若者向けの音楽の「解説」をするなんて野暮・無駄とか、「書いてもらう暇・金があったら、すぐにでも売り出したい!」ということなのだろうか。

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今朝、ゴルトベルクが聴きたくなってGPMを探したら、ワイセンベルクのがあったので試してみたが、もったいぶった感じなので止め、次に、Carsten Dahlのプリペアド・ピアノでの(2014?)がおもしろそうだったが、ものすごい音で全然心地良くなかったので止めた。

それから、Alexandre Tharaudという人の(2015)を試したら、なかなか良かった。繰り返しが冗長で、アリアが4分以上あるから、グールドに慣れ過ぎた僕にはまどろっこしい。でも、演奏は悪くなかった。第1変奏は普通に良かったので、聴き続けた。第29変奏の頭が雄大な感じで良かった。ちょっと大げさかも知れないが。

その後、彼のラフマニノフのピアノ協奏曲第2番 (2016)を聴いてみたら、なかなか重厚で良かった。オケも良かった。ピアノは少しわざとらしいところがあった。全体的には良かったのだが、最後が少しオケと合わずにもつれた感じがあったのが残念だった。

更にGPMをさまよっていたら、どういう経緯かは忘れたが(おそらく、Tharaudに関連する演奏者だと思う)、Jordi Savallという人のモーツァルトのレクイエム (1992)を見つけたので聴いてみた。

本題の前に入っていたMaurerische Trauermusik (K. 477)は、初めて聴いたのだが、なかなか良くて、次に来る本題(レクイエム)への期待を高めてくれた。が、本題のIntroitusは、演奏の音自体は美しいのだが、演奏方法にはなかなか違和感があった。ツンと澄ました感じだろうか。古楽器的な演奏だと思った。慣れればいい感じではある。

上(日記より)を書いた時には何も情報がなかったのだが、聴きながら調べてみたら、かなり筋金入りの古楽器での演奏(これの適切な言葉が分からない: 楽器が古いことが本質ではなく、「なるべく初演された当時に近い演奏をしようとしている」の意味。以下、便宜上、「古楽器での演奏」と書く。「復刻演奏」が分かりやすい?w)であることが分かった。以下に、レーベルの記述から、彼のこだわりを引用する。

In our performance we have recreated as far as is feasible the conditions prevalent al the time. The soloists and the choir (reduced to twenty members) sing in Latin with the transparency and intensity that is needed for the pronunciation that was current in Vienna at the end of the 18th century. The work is played on period instruments at a pitch of 430 Hz; the orchestra consists of eighteen string instruments, nine wind instruments, organ and timpani. The trombones have the narrow mouthpiece that was in use at the time, and we also use real basset horns with five keys plus a lower register  – after Theodor Lotz, who worked with Stadler, Mozart’s clarinettist, and made his instruments.

でも、不思議なのは、どうして古楽器での演奏は、独特の雰囲気(上記の「ツンと澄ました感じ」)になるのだろうか? 他の演奏者でも大体そんな感じなので、すぐに分かるのだ。当時はそういう解釈・演奏をしていたという定説なのだろうか。そもそも、当時聴いた人から教えてもらえた訳ではないから、今までの研究の結果なのだろうが、楽器の構造を再現するのは可能としても、解釈の正当性については疑問を感じる。

前にも少し書いたが、僕は、今は、古楽器での演奏は余り好きではない。作曲家や作品にも依るだろうが、時代とともに演奏(解釈)や楽器を進化(変化)させて、曲に新しい要素(部品、風味、etc.)を加えることで、その曲が成長し、楽しいことになるのではないかと思う。作曲者のオリジナルの意図は大切だが、当時、演奏可能な楽器が存在しなくて、作曲者が本当にしたかった表現ができなかった場合があるのではないかと思う。それを現代の研究と楽器で拡張的に再現(再構築、再発明?)するのは、おもしろいと思う。

そういう意味では、古楽器での演奏は現代の演奏と違うという点で、本当に当時の再現かどうかはともかく、新しいものになる可能性があるのかも知れないが、何となく、みんなしかめ面して、「当時=正義」を金科玉条とする古楽器での演奏の提唱者の言いなりに、謹厳実直に演奏しているイメージが強い。そのために、ツンと澄ました感じになってしまうのだろうか? (というのは、僕の知識不足や想像のし過ぎによるのだろう)

更に思い付くのは、今は楽器の進化が停まっているようなのは、もったいないということだ。例えば、ピアノを最新の知見や技術を活用して更に発展させたバージョン(例: ダイナミックレンジが広い(例: パイプオルガンのように、ピアノと建物が一体になっている)、音がすごく綺麗(例: 「平均律2.0」w)、音の出し方・消し・繋げ方の制御が容易(例: 電子制御でアシスト?))を作り、それをフルに活用して、例えばラフマニノフのピアノ協奏曲を「ものすごく」演奏する人が現れたら、おもしろいと思う。でも、できたとしても数十年後かな・・・

 

PS. とは言え、自分で矛盾していると気付くのは、クラシック音楽は上記のように思うのだが、ポップ音楽では、まず、初演(初出)の演奏しか好きになれない。たとえ本人の演奏であっても、アレンジを変えた再録音やライブ(初出に忠実でないもの)は、まず好きになれない。

どういうことなのだろうかと考えると、ポップ音楽は、「本物」を聴いてしまって、しかもそれを好きになっているので、最初のイメージが頭の中に定着(固着)しており、そのイメージを変えられないのではないかと思う。一種の刷り込みか。クラシック音楽で、大好きな演奏者以外の演奏に違和感を覚えるのと似ている。

そして、今は思い出せないが、最初は嫌いだったけど、後年にアレンジを変えたバージョンが好きになった曲もあるはずだ。きっと。

PS2. 楽器の進化で曲を進化させた例として、Marc Spoonerによる「春の祭典」の電子音楽版 (2013)はどうかと思う。原曲の背景を無視して、音楽的な奇抜さだけに着目すれば、通常の演奏より良く表現できているように思う。

さっきたまたま見つけただけで、僕自身が詳しくない曲なので、どこまで原曲に忠実に演奏しているかや本当に進化しているかは不明だが、(残念ながらYouTubeでは再生できないので、)AmazonSpotifyGPMで試聴してみて欲しい(⇔ 通常の演奏 (ブーレーズ, 1991))。とはいえ、大変エキセントリックな曲(といっても、もう百年くらい前の曲)なので、とっつきにくいとは思う・・・ (10/15 22:22)

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今日、偉い奴に、昨日までと来週の入院予定分の休暇願を出したのだが、まったく訳の分からない、「どうした?」だの「今日は(調子は)どうだ?」だか何だか言っていたので、よほど、「『這ってでも出てこい』と言われましたし、みんな調子が悪いけど出て来ているとのことですし、もちろん自分の仕事があるので、出て来ました」と言いたかったよ!

僕が(手術直前まで)体調不良を押して(いるかのように)会社に出れば出るほど、先日僕にパワハラに近い暴言を吐いたクソボケ老人への当てこすりになるから、全く愉快だ。もちろん、無理な時は休むけど、それだって、今度からは文句が言えなくなったはずだ。「ぐうの音も出ない」とはこのことかw

 

PS. 天網恢恢疎にして漏らさず? そのクソ老人は、なんか知らんが自分で怪我して休むという体たらく。あれ、這ってでも出て来るんじゃなかったっけ? 自分は例外なの?? あんたも連休でいいねw まあ、「人を呪わば」なので、これ以上は止めておくが、なんとも胸のすく日であったw (10/16 19:54)

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使わないから、メールでの通知なんて全部解除しているのに、何度も「とっておきのプレイリスト」云々のメールが送られてくる。来るたびに「解除」をクリックしても効き目がないので、今日は、それをジャンク扱いにし、プッシュ通知(こっちは来たことがない)も全部解除した。もし次に来たら退会しよう。システムすらまともに作れない、So-potty-fy(の有料サービス)なんかに入らなくて良かった!

 

PS. さらにイラつくのは、pClouldというクラウドバックアップのソフトを試しに入れたら、時々(忘れた頃に)、「Spotifyの曲をプレゼント」云々の広告のポップアップが出ることだ。pClouldのソフトをアンインストールしても出るので、かなり質が悪い。一体、どっちが悪いのだろうか。次に出たら、Spotifyもアンインストールしよう。

pClouldとSpotifyの件で更にイラつくのは、そのポップアップが出ると目障りなので、反射的に即座に閉じてしまうので、何が原因か調べられていないことだw

(10/14 10:20 Spotifyは無関係だったので、関連する記述を修正し、題を変更: 下記参照)

PS2. pClouldの件、ジャンクメールを見たら、どうもSpotifyは関係ないようで、「クラウドから直接音楽を再生できます」とかいう、陳腐なものだった。件名が"Save great music and listen to it on the spot"で、"Save great music"と最後の"spot"で早合点したようだ。(10/14 10:20)

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突然ではあるが、来週、入院・手術することになった(重病ではなく、入院も一週間以内の予定なので、それほどご心配頂くほどではないです)。病名は伏せる。なぜ伏せるかは、僕の自尊心とか見栄っ張りのせいである。でも、ヒントとして、「漱石も苦労し、ある小説の冒頭に書いた病」と書いておく。

全くの余談だが、その小説を読んだ時、随分長引いて痛そうで大変だと思い、「僕はなりたくないな」、「僕には関係ないよな」と思っていたのだが、まさか、何十年かして、我が身に降り掛かるなんて、いくら彼が好きだったとは言え、全然ありがたくなく、全く迷惑な話だw

異変を感じたのは、十日くらい前だったように思う。その時は、疲れとかの一時的なもので、少しすれば治ると思っていたのだが、全然治らなかった。それで、5日くらい前に、見て触ってみたら、結構ひどいありさまになっていた。結構大きく、赤く腫れていて、しこりになっていた。それでも、まあ、「良くある吹き出物だろう」とたかをくくっていた。のだが、月曜の夜に事態は急変した。

その吹き出物が破れ、血だか膿だか分からないものが出て来た。さすがにまずいので、翌日、休んで医者に行った。診断は、最も恐れていた上述の病だった。前もってwebで調べて、その手前かと思っていたのだが、完全に遅かった。

思えば、かなり前(少なくとも15年以上前、未成年の頃からだったかも知れない)からたびたび同様のことがあって、そのたびに、「そのうち治るだろう」と思って放置して(実際、少し経つと症状がなくなっていた)いたのが悪化したのだろう。

なぜ、そんなに再発するのに医者に行かなかったかは、面倒だったせいもあるが、恥ずかしかったのと、やっぱり、「良くある吹き出物」だと思っていた(思おうとしていた)からだと思う。自分のことなので、その気持ちは良く分かるのだが、今となっては大失敗だった。

そんな訳で、軽い処置で済む可能性のあった前段階を越えて、最終形態に達してしまい、手術することになった。火曜に行った医院では対応できないので、今日、紹介された大きな病院に行き、来週手術の予定になった。

今回思い知ったことは、(放置して)自然に治る病気はあるが、ほぼ絶対に治らないものもあるということだ。今はやたらに治療したり薬に頼るのは良くない(自然治癒力に任せる)風潮というか意識の高まりがあるが、そこの見極めは難しいと思う。

(10/13 6:31 結末部の記述をわずかに修正)

 

PS. 以下、2つの病院の感想を書く。

  • 最初の医院は、webの医院紹介を見た瞬間に感じた印象、「何かスノッブ(意識高そう)だな」が当たっていた。確かに、建物は木やしっくいが使われていて、凝っていて感心するのだが、ソファーまで高級な物(でも、座り心地はそれほど良くない)にする必要はあるのか。あと、車(イタリア車・ベンツ)だの料理や台所がどうのこうのなんて、長々と医院のwebに書くことだろうか(別にブログにでも書けばいいのに)。それがその医師の医療に関係するのか? そして、どうやってそんなに儲けているのかと思う。
  • 本業では、緊急でない検査を随時始めるので、患者の待ちが長いのが良くない。ピロリ菌の検査を受けた医院は、検査は別の時間帯にするから、その点でも良いと思う(今回もそこに行きたかったのだが、休みだったのと、専門でないようなので止めた)。
  • また、医師は今ひとつ親身になってくれない感じがした。診断は的確だったのだが、暖かみを感じなかった。例えば、膿の対処をどうしたらいいとか、日常生活で注意することなどの情報を全くくれなかった。単に、病気の説明と、「紹介するところに行って下さい」程度だった。まあ、そのスノッブ医院にはもう行かないから、良しとした。
  • 今日の大きな病院は、建物は古くて綺麗ではないが、まあ、普通の感じだ。雰囲気は、折った足首の金属を抜く時に入院した、千葉の病院に似ている。
  • 案内や受付の人や看護師さんは親切で嬉しかったのだが、医師が偉そうで参った。具体的には、手術の日を聞いたら、「さっき言ったでしょ」みたいな口ぶりだった。こっちは聞いた覚えがないから聞いたのだが、気が動転していて聞き漏らしたのかも知れない。それにしたって、あのいいぐさはないと思った。それでも、楯突いたりブチ切れたりするとこっちが損なので、うまくやり過ごした。その時、看護師さんが心配そうにこっちを見ていたようなのが、その医師の実態を反映していたのかも知れない。
  • こっちは今後も通うので、気が重い。まあ、経験・技術はありそうなのと(自分でも書いているように、性格と仕事の結果は別だしね・・・)、手術は別の医師がやるみたいなので、そっちに期待したい。
  • 今日は、大病院なので待ちが長そうだから、その間にGPMで音楽を聴こうと思っていたのだが、ポリーニのモーツァルトのピアノ協奏曲 第23番で気分を落ち着けようと思って聴き始めて数分で呼ばれて、逆にとても慌てた。

PS2. これで手術・入院は通算4回目である。家族の中で一番多いと思う。あ、赤ん坊の時に入院したのも入れると5回目だ。病院慣れなんて、全然誇らしくないが、BTTFの刑務所おじさんみたいだなw

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イメージ戦略で成功した都会の某知事。やけにセコく、子分からお金をふんだくっているようだが、昔、高校や大学の志望校に落ちた場合に備えて受けた私立の学校が、受験料以外に、合格直後に高いお金を払わないと合格が無効になるのを思い出した。仕方ないので親に払ってもらったが、ずるい感じだ。

今となっては、学校はネジや電池と違って、仕様が同じものではないので、「どこかに行けば」いいものではなく、希望しないところに行く意味はないと思うから、受験することすら無駄だったが、当時はそれが当たり前だったし、親に指示され、「世間体」(というものの恐怖)もあったので、仕方なく受けた。本質を分かっていないことの典型だと思う。「学校で何をやりたいのか」ということが全く分かっていないし、分かろうともしていないのだ。全く無駄なお金だし、労力だ。

その知事の場合にしても、議員は落ちたくないから、何を指示されても言いなりなのだろう。そして、なぜか、別の党なのに企業のM&Aや出資のように簡単にくっついて人や金が動き、その時、主義主張が違うのに、横滑りで公認がもらえなかったら文句を言う輩さえ出るありさまで、受かりさえすれば何でもいいようで、人間性の低い連中が多いと思った。

そして、そういう輩を手下にして勢力を拡大するその人の言動を見ると、かなり質が低そうなのだが、ブームに乗りやすく、悪いことを見て見ぬふりをする国民が多いから、結果が心配だ。まあ、仮にその人が駄目だったとしても、与党の党首もそれに劣らず最低最悪極悪非道なので、八方塞がりなのだが。

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