Spotifyで掛かった、昔の好きな曲(瑞々しい果物のバンドの、狭過ぎる車に文句を言う、わがまま女子の歌w)のカバーが聴きたくなってYouTubeを探したら、ほとんどなくてがっかりした。アマチュアバンドのが数曲あったが、どれも「うーん・・・」であった。他に、同じく素人の「弾いてみた」が数曲あったので聴いてみたら、全部「は?」あるいは「いやいや」だった。
というのは、オリジナルの演奏を流しながらエレクトリックギターなどを弾いているだけだからだ。まあ、広義には弾いているけど、それは(僕も子どもの頃やっていた)遊びとかカラオケもどきであって、作品ではないと思う。まあ、そういうつもりでないのなら仕方ないけど。
全部の楽器を演奏するのは難しいとは思うが、パートの演奏を聴かせたいのなら、例えばリズムボックスだけで演奏して欲しい。それに、今ならスマフォやPCなどでいくらでも伴奏が演奏できるのではないだろうか? 伴奏なら多少機械的でもいいから。あとは自分の声とか歌でもいいじゃん。そもそも無伴奏でいいと思うが。
ここで大きく横道に逸れる。: こういうポップ音楽の「演奏してみた」の目的が良く分からない。いや、個人的には良く分かるが、音楽的意味が不明だ。
まず、「コピー」は、自分の技術を見せたいのは分かる。が、僕からすれば意味がない。だって、技術があるのはすごいけど、オリジナルに似せて何がおもしろいのかと思うからだ(実際には、僕もできたらおもしろいと思うけど)。敢えて言えば、コピーはピアノの「ハノン」みたいなものだろうか。
更に逸れる。: プログラミングに類推して考えると、ある演奏をコピーすることは、ソフトやプログラミングでは互換品(同じ仕様の別プログラム。非公開の仕様書などは参照せず、外部動作だけ見て作る)を作るってことだろう。これは良くあって、本物に近いほど喜ばれる。例えば、UNIX・LinuxでのSambaだ。
というのは、元々のソフトが有料だったり非公開だったり(最新の環境では)動かなかったり、クソだったりして、(自由に)使えないからだ。だが、音楽ではそういうことはほとんどない。CDやレコードなどを入手するのが高いことはあるかも知れないが、ほとんどの演奏は聴くことができる。そういう意味で、コピーには余り意味がないと思う。
だから、もし、全然世の中に出てないけど、素晴らしい・すごい演奏をコピー(再現)して世の中に公開するのは、とても意味があることだと思う。模写・写本みたいなものか。けれど、その忠実度を誰も分からないという点で、難しさはある。
コピーが大半であろうが、それ以外の、自分なりの解釈・アレンジでの演奏は意味があると思う。けれども、大抵は上記のようにオリジナルの演奏に被せているので、今一つだ。
最後に残る、完全にオリジナルな解釈・アレンジでの単独演奏、これは意味があるだろう。でも、オリジナルに勝るものはどのくらいあるだろうか・・・ だって、本人だって再録して成功することはほとんどないではないか・・・ でも、やるからにはここを目指して欲しい。
なんてこと言ってると、ハードルだけ上がっちゃうのかも知れないね・・・ 言ってみれば、こういうふうに気軽に始めるのはもちろんいいことで大切だけど、人に聴かせるのなら もう少ししっかりやろうってことだ。
PS. 本題とは関係ないけど ついでに書くが、YouTubeなどで動画を公開するなら、ちゃんと編集して欲しい。演奏の前が無駄に長いのは それだけで聴く・観る気が失せる。音だって最低限は整えて欲しい。とんでもない音量で始まって急に下がるとか、ありえない。おそらくAGCのせいなんだろうけど、少しは調整して欲しい。
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