以前から思って居たが、昨日、実感した。

例えば、ある作業をして片付けまで全部終わったと思ったら、片付け忘れた道具がひょっこりと目に入って、「あぁ、あれ残ってた・・・」となって、始める時はやる気満々だったのに、途端に何もかもやる気を失う※現象がある。

※他の言葉では、「心が折れる」とか「駄目になる」などだ。

他のこと、例えばプログラミングや掃除でも同様だ。「完成した!」と思って動かすとメッセージにスペルミスがあったり、掃除機を片付けたあとでちょっとしたゴミが見付かったり・・・

昔は、そういうことがあると、それまでのものも含めて全部放棄したくなったり(ちゃぶ台返しのような感じ)と破壊的な衝動に駆られたものだったが、今は、その場は「うるせー、知らねえよ!」とほっぽり出しても、内心は気に入らないので、大抵は あとで再開して完璧にしたくなる。

きっと、何かするにはそれなりのパワー(やる気)が必要で、始めるためのしきい値(最小値)があり、作業に注力したあとはそれが少なくなってしまっているから しきい値を越せず、戻れなくなる・再開できないのではないだろうか。

そして、世の中の「微妙に残念な」物やことってのも、こういう「やる気の消費による減少」に起因しているのではないだろうか。

これは林檎信者と違ってうれしい"one more thing"でないので、「負のone more thing現象」と呼ぶことにした。

 

想像だが、偉大な芸術家などでもこういうことはあるだろうが、自分のパワーの限界を知って居て うまく調整しているのかも知れない。あるいは、この現象が起こって、「もういいや! 止めた!」となっても他人から見ればすごい作品になっているのかも知れない。そこが「偉大」と評される所以なのか。

  •  1
  •  0

コメントを書く

名前    

メール 

URL