ニュースを見ていたら、見出しに題のようなのがあって、いつもは「そんな訳ないよ(眉唾だ)」と思ってパスするのだが、今日は何度か迷って読んでみた。

記事には感心した。それで、そこまですごいなら聴いてみたくなってSpotifyで探したら、記事に書かれていた曲が一つだけあったので、聴いてみたら・・・

余りにも重くて、聴くのが苦痛だった。最初から最後まで、全く救われない感じだった。

まあ、作風はあるのだろうし、たった一曲だから、その人が分かるとは言えないが、僕としては、モーツァルトを超えているとは到底思えない。というのは、

モーツァルトは こんなつまんねえ曲は作らない。

からだ。

その少年を評価した人には それなりの価値観や考えがあるのだろうが、そういう人が全部日本人てところが僕には「やっぱり・・・」と思わざるを得ない。例えば、記事に、「モーツァルトが幼少の頃の曲と、その少年の同じ頃のを比べたら、モーツァルトのはシンプルだから、少年のほうがすごい」のようにあって、苦笑+嘆息した。「何も分かってねえな・・・」と。

モーツァルトの曲はシンプルにも関わらずすごいからすごいのに、そこが分からんのか? まあ、これは素人の感想だけど。

だけど、ひとつ言えるのは、もしその少年が本物だったら、世界で評価されてもいいはずだ。

が、これは実は正しくなくて、世界で売れるためには、単に作品がいいだけじゃなくて、「いろいろなこと」が必要だとは思う。

 

とは言え、「あの曲はないな」というのが、正直な感想だ。僕に言わせれば、少し前に大変叩かれた、ゴーストライターが代作し(て、なぜか、ライターが名乗り出)た作曲家みたいな曲だった(そこまでひどくはないが)。というか、典型的な日本の有名な作曲家の曲の印象みたいで、「なんか(とにかく)嫌」なのだ。

まあ、そうやって、大人に持ち上げられて ひどいことになる子どもってのは結構多いから、結果的にそうならなかったのは良かったと思う。

 

もう一つ書きたいのは、「モーツァルトを超えた」と書いているのにモーツァルトの幼少期の作品としか比較していないのは、全然話が違うと思う。そういうことなら、「モーツァルトの幼少期を超えた」と書くべきだ。もう一度書く。全然違う。それなら越えてない。

 

PS. その少年は病気のために、今は居ない。だから、「モーツァルトを越えた」と言われたなら、モーツァルトと同レベルで批評してもいいのだが、いかんせん、たった一曲だけでは正当に評価できないので、名前は出さない。

ただ、いつも書くように、僕は作者の属性と作品は別と考えるので、彼の病気がいくら大変なものだったとしても、彼が若くして亡くなったとしても、そういうことは曲の良し悪しとは関係ないと思っていることは明記する。

PS2. 聴いた演奏のピアノは、少年を評価した人の演奏なのだろうが、僕には「うーむ」だった(これも作品の良し悪しとは関係ないので、はっきり書くのは遠慮しておくが、まあ、(略))。

PS3. Spotify以外に、YouTubeに他の曲があるかも知れないことに気付いたが、最初に聴いた曲で嫌になった(トラウマ的)ので探さない。 (5/22 7:49)

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