Macは30年を経ても「最高の自転車」であり「最良の紙」

僕からすれば、Macは「中途半端な偏執狂の産物」だ。確かに、外見はWindowsよりは良いと思う。でも、特別な物と呼ぶのはおかしいと思うし、「クリエイティビティ増幅器」も褒めすぎだ。

コンピュータに外見の美しさを求めるのは、お門違いだ。本来、コンピュータというものは、無骨なものなのだ。そして、自慢の美しいGUIは、元はAltoのパクリじゃないか。

素のMacに、何か、芸術でも仕事でもまともに使えるソフトは入っているのか? 開封して起動して、美しさに感動するかも知れないが、それまでだ。普通の人には増幅されるクリエイティビティなんて無いから、何も生まれない。一方、才能のある人は、普通の紙だけだって、芸術作品はできる。

中身を見ても、OSは、散々手を入れてしまってUnixとしては使い物にならないシロモノだ。どこが綺麗なのだ?

まとまらなくなってしまったが、言いたいのは、コンピュータは単なる道具であり、工業製品だ。それに特別性とか芸術的な美しさを求めるのは、おかしいということだ。例えば、大工さんが使う金槌だ。使いやすい金槌はあるかも知れないが、特別な金槌とか芸術的な金槌なんて意味がない。

PS. 確かに、昔はMacでなければならなかった。例えば、Windowsでは美しいフォントは使えなかったし、Unixには使い勝手のいいGUIはなかった。でも、今は違う。30年経って、Macの価値は下がったのだ。

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