今年の春に、おじさん(母の弟)が亡くなってしまった。入院して手術した時に、母と一緒にお見舞いに行こうと思っていたのだが、間に合わなかったので残念に思っていた。

おじさんとは、20年くらい前に、二人で飲んだことがあった。当時、僕のことを気にかけてくれていたようだ。2軒くらいで飲んだのだが、おじさんは随分深酒をして、帰り際はかなり酔っていたのがちょっと心配だったのを思い出す。会ったのはそれが最後だったと思う。

その後、去年だったか、昔の写真の整理をしていたら、僕が2-3歳くらいの頃、おじさんと奥さんが家に遊びに来た時の写真が出て来たので、ちょっと思い付いてメールで送ってみたら、随分喜んでくれた。そのメールには、写真の背景に写っていた、彼の車の説明も書いてあったようなのだが、尻切れになっていた。今思えば、その時、「切れてました」と言って続きを送ってもらえば良かったのだが、(僕にしては珍しく)「まあ、ちょっとくどいかな」と、そのままにしてしまったのが最後だ。

僕は、葬儀やその後のいろいろな儀式には(もちろん)本人が居ないので、出る意味を感じない(生きている時に会わなかったら意味がないと思っている)のだが、今年は、本宅のおばさんも亡くなってしまったこともあり、母と食事している時に、おばさんの初盆に行くか聞かれて、本宅は近いから行くけど、(母が一人で行く予定だった、)おじさんの初盆にも(僕の車で)一緒に行こうと言ってみたら、「助かるから是非」とのことなので、昨日、行って来た。

僕としては、ちょっとしたドライブのつもりで提案し、実際に楽しかったのだが、いろいろなことがあった。そして、意外に長距離だったのと暑かったので、思ったよりハードだった。

上→左→下→上。下の部分は反時計回り。

東北道やR16は混みそうな気がしたので、往路は、北関東道、常磐道などを通り、牛久の辺りから南下することにした。帰路は、元気があったら、(距離が短いので、)一般道(図中の「つくば」の左側の直線の道を北上)を通ろうと思っていた。

6時頃家を出て、7時頃実家を出た。さすがに、6時に出るのは忙しかった。道は空いていて気持良く走れ、9:45頃、式のある墓地に着いた。ただ、朝から暑くて、冷房の調節が難しかった。暑がりで寒がりのせいか、自動の風量だと弱く、手動で強くすると寒くなることが多いのだ。

開始の1時間近く早く着いたのだが、車内で少し待っていたら、おじさん・おばさん(母の兄・姉。以後、そのおじさんは「兄おじ」と書く。)たちが来た。それからが、結構辛かった。開始まで結構時間があったのだが、おじさんたちは墓地が広いので歩くのが大変だからと、お墓の前で待つことにし、僕もそのうちに始まると思って一緒に待っていたのだが、暑いうえになかなか始まらず、汗だくになった。母の勧めどおり、傘を持って行って良かった。足腰は弱っているが、兄おじもおばさんも母も、きょうだいらしく、良くしゃべっていて、元気そうだった。ただ、おばさん(亡くなったおじさんの妻)は想像以上に老けていた。歳のせいか、ご主人を亡くされたせいか。最初は、兄おじたちを乗せて来てくれたいとこがおばさんかと思ったが、やけに若いと思っていたら、後から本物が来た。

おばさんと言えば、いつだったか(最近のように思うが、実際にはかなり前なのだろう)、僕が幼い頃、両親と一緒におじさんたちの結婚式に出た時、「前に出て来てウエディングケーキに指を突っ込んだのよ」と笑いながら(でも、少しムっとしながら)言われたことを思い出す。昨日もそういうことで突っ込まれるかと思っていたら、全然そんな雰囲気がなかったので、ちょっと寂しかった。。。

それから少しして式(読経など)が始まって終わり、みんなで休憩所に行ったら、冷房が効いていて天国だった。最初に行けば良かったと思った。。。それから、会食になった。会食の会場まで、上記のいとこに先導してもらった。いとこは随分気が利く方なので、感心した。(自分の家のお墓のついでだったそうだが、)前日にお墓にお花を備えてくれたり、僕の車が信号で遅れたらちゃんと待っててくれたりと、至れり尽くせりの方だった。

子どもの頃に彼女に会った記憶がないのだが、一度だけ兄おじの家で女の子を見て、気になった覚えがあるようなないような感じで、それが彼女だったのかも知れない(実際には、今、脳がでっち上げた、偽の記憶かも知れない)。が、遠かったし、全然会わなかったから、すぐに忘れてしまったようだ。彼女は、薄幸というと大げさかも知れないが、ちょっと可哀想な境遇の人だ。小さい頃に父(母の兄)を亡くし、その後、兄弟(どちらだったかは不明)も亡くしている。更に、近年、お母さんも亡くされた。そういう過去が、物静かな雰囲気に現れていた気がする。子どもの頃に家が大変だったから、千葉で会わなかったのかも知れない。

亡くなったおじさんの息子さんは二人居て、どちらもおじさんにそっくりだった。次男は社交的な方だった。ありがたいことに、僕のことを覚えていてくれていて、すぐに分かったそうだ。大変申し訳ないことに、僕は全然記憶になかった。名前だって分からなかった・・・ 食事の時に、しばらく彼と車の話で盛り上がった。僕の車に興味があるようで、いろいろ話した。やはり、MTが好きなようで、会社の車(MT)を酷使したらしく、壊して怒られたという話もしていた。彼も大変気が利く人だった。会食場にいち早く着いていて(抜かれたのに気づかなかった)、駐車場の案内をしてくれたりした。全く感心する。

その後、兄おじの家に寄った。本当はすぐに帰るつもりだったのだが、式の後、兄おじに誘われて「みんな待ってる」と言われたし、その前にも、母に「僕に会いたい」と言っていたそうなので、随分久し振り(30年近く)のせいもあって、行くことにした。

兄おじの家には、子どもの頃、良く遊んでもらったいとこが来てくれていた。以前にも書いたが、ビートルズやオーディオが好きになったのは、彼とその兄のおかげだ。昨日は音楽の話にはならなかったが、車の話などで盛り上がった。着いた時に、車内を見て、MTなのが分かると「変わり者だなあ」と褒めてくれたw いつになるかは分からないが、ゆっくり飲んでいろいろ話したい気がする。残念ながら、彼の兄は居なかった。彼もやっぱり気が利く人だった。みんなに、飲み物を出してくれたり、僕が暑がっていたので、冷房や扇風機を調整してくれた。

帰路は、暑くて一般道で帰る気力がなかったので、往路と同じにしようとしたのだが、進行方向の関係か、ナビが数十kmほど遠回り(東関道 成田経由)の経路を出した。正しい経路にする経由地を考えるのも変更するのもUターンするのも面倒だったので、そのまま帰って来た。高速はほとんど混んでなくて、とても楽だった。実家の近くから、大雨になった。良く行くデニーズで夕食にした。以前居た、小泉さん(仮)としょうこちゃん(仮)は居なかった。

その後実家で話し込んで、22:20頃、帰宅した。駐車場で、危うく車の左前を柱に擦りそうになった。疲れだろうが、油断大敵だ。日焼けしたようで、帰って来たら、顔が赤かった。ズボンかベルトの素材が悪いのか、ワイシャツの腰の辺りが茶色くなってしまった。汗で色が染み出たのだろうか。

往復約400km、約16時間(初盆の式や立ち寄り、食事などを含む)。

おじさんは、バスの運転手だったくらい運転が好きだったので、これだけ走れば「良し」と言ってくれるだろうか?

 

(8/15 12:49 わずかに加筆)

  •   0
  •   1

2件のコメント

  1. naoki:

    独り立ちしてませんが,僭越ながら僕が代わりに言います。「ヨシ」

    おじさんと2人だけで飲むって,すごい体験ですよ。僕にはありません。

    •   0
    •   0
  2. PiuLento:

    ●ありがとうございます。母を乗せていたので、いつもより更に安全運転だったのも、きっと良かったはずですw

    そうでしたか。他の方は結構飲んだりしてるのかなと思ってましたが、そうでもないんですね。そうすると、あの時飲んだのは貴重でした。

    その時は、僕に結婚相手を紹介したかったらしいのですが、当時は相手が居たので、申し訳ないけど断りました(ただ、これも、僕は忘れていましたw)。

    その他には何を話したかは全然覚えてないのですが、「トイレが遅いぞ」と文句を言われたり、2軒目の、おじさんの行きつけであろう、スナックとかバーのようなところで、二人でかなり飲んだのは覚えてます。

    その後は誘われることがなく、(今思えば)こちらも余裕がなかったので、つい最近までは、会う気が起こらなかったのです。ただ、年賀状だけは出していました。

    ですので、おじさんの調子が悪いと伺って、入院されたと聞いた時は、ノンアルコールビールを持って見舞いに行きたかったです。

    (本文に追記したほうがもいい気がしましたが、まあ、コメントにしました)

    •   0
    •   1

コメントを書く

名前    

メール 

URL