お盆に帰省した時だったか。母と話していたら、母が、けしからん人のことを話しながら、「真実は一つだから」とか言ったので、僕はすかさず「そういう訳でもないよ」と否定した。が、当然ながら、(西洋の宗教を信じる)母は納得できない様子だった。

世の中の「真実」なんて、人間同士の関係で決まる相対的なものだから、絶対的な真実を定義したり知ったりすることはできないと思う。例えば、裁判なんて、その最たるものだ。そこでは、別に真実を見つけることが目的ではなく(実際に、見つかることは滅多にないだろうが)、最も確からしいこと、言ってみれば、「うまい着地点」を見つけることが目的なのだと思う。だから、負けた側は、大抵、「自分が正しいのに負けた。納得できない」と言うだろう。

もし、絶対的に正しい、本当のことを知ることができる人が居たら、それは人間を超越した存在としか言いようがないと思う。それを信じるのが宗教なのかも知れないが、信じている自分の考えや行動まで正しいと思うのは結構危険だと思う。

世の中には、真実は一つではないとは思わない人が多いので、自分たちは絶対に正義で、相手は邪悪だとか決め付けて、征伐するとかになってしまうことがある。そこまでにはならなくても、世の中の「普通」(というものがあると考えて)が正しいと思い込み、自分はその普通の一人だと思い込んで、ちょっとでも違う人を叩く人は多い。

何が正しいかなんて、相対的なもので、常に変わる。

その考えに則れば、最初に書いた「真実は一つではない」という定義なり考えなりも、自分で自分を否定していて、妙なことになる。「真実は一つではなくはない」こともあるとすれば、「真実は一つのこともある」となるが、「真実は一つではない」という定義も、一つの真実と考えられないか。

哲学かぶれの言葉遊びになってしまったが、言いたかったのは、どんなに単純そうな、分かり切っていると思えることでも、いろいろな方向から見たら、全く異って見えるだろうということで、それを全部同時に見られる人は居ないし、見ようとすることで状況が変わってしまうことすらあるから、何が本当に正しいかを知っている・決められる人は居ないということだ。

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2件のコメント

  1. naoki:

    いい話でした。(←生意気にスミマセン)
    僕自身が,自分が正しい時は正しいのだと思っていました。
    だから周囲との軋轢もありました。
    このエントリを読んで,これから,そういうのがかなり減るんじゃないかと思いました。

    ありがとうございました。

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  2. PiuLento:

    ●僕も、ちょっと前までは、naokiさん同様の考えでて、さまざまな良くない事態や軋轢をもたらし、なおかつ自分でも疲れてました。

    まあ、書いている僕も生意気なんですが、何となく、「分かった気がした」ので書きましたw

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