少し前から、ポリーニのK. 488 (1976)の限界(うまく書けないが、彼の演奏のわずかな欠陥)に気付いてしまった。例えば、滑らかさが足りない箇所があったりする。

とはいえ、現時点で彼以上にこの曲がいい(僕にしっくり来る)人は居ないのは確かだ。あ、でも、内田やピレシュはありうるかも知れないし、今すぐには出て来ないが、GPMで聴いた人でもっといい人が居たかも知れない。

いずれにしても、決定版がなくなったのは、新しいのを探す楽しみができたってことで、いいのかも知れない。

(短文で失礼)

 

PS. 昨夜、書いた後で内田(1987)、ピレシュ(1975, 2007)、ラローチャ(1992)、ヘブラー(1966)、ヤンドー(1990)のをちょっとずつ聴いたが、どれもポリーニより良いとは言えなかった。ゼルキンの(1983)は分かっているので、試さなかった。 (5/11 11:07)

PS2. こういうことは結構あるのだが、その原因は、以下の可能性が考えられる。

  • 僕の理想(解釈)が間違っている。例: 上に書いた箇所は、滑らかに弾かないのが正しい。あるいは、滑らかでなくてもいい。あるいは、そこはどうでもいい箇所なので、気にする方がおかしいw (いやいや、特にモーツァルトには一音たりともそんな箇所はないと思うが)
  • 僕の理想(解釈)は正しいのだが、現実には(例: 演奏技術やピアノの構造の問題)そのように弾くことが困難。
  • 解釈が指揮者と違っていたのだが、(当時は)指揮者に合わせるしかなかったのでそうなった。あるいは、指揮者について行くのが精一杯で、思うように弾けなかった。
  • 実際には問題ない演奏なのだが、その時の僕の体調や気分のために、今ひとつに聞こえた。

是非、作曲者や演奏者に聞いてみたいが、まあ無理だろう。そういえば、降霊させて質問して本を書いた人が居たっけ。そういう人は、こういうマニアックなことにも対応できるのだろうか?w (5/11 11:11)

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5件のコメント

  1. タカポン:

    音楽好きの悪い典型ですね。演奏者を捕まえて、あれが良いだのこれがダメだの。音楽とは文字通り音を楽しむ物。趣味の世界です。ある人が良ければある人が悪いと思う。強制したり、したり顔で物を言ったり、あまつさえ馬鹿にしたりとする人がほとんど。いやな世界です。もっと大きく捉えることができないのでしょうか。おいくつか解りません。私は66才です。

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  2. PiuLento:

    ●近頃は、高齢の方でも礼儀を知らない方が多いようで、全くいやな世界です。

    おっしゃるとおり、「趣味の世界」ですので、自分で思ったことを書いております。全く強制はしていませんし、思ったことを書いているだけで、したり顔で物を言ったつもりもないです。演奏者を馬鹿にしたこともほとんどありません。

    具体的に、あなたがそのように書かれた根拠をお示し下さい。

    あと、あなた自身も「もっと大きく捉えることができないのでしょうか。」などと随分押し付けがましいですが、それは許されるのですか? あなたこそ、悪い典型です。

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  3. タカポン:

    言葉足らずだったのは申し訳ない。ある曲の善し悪しの関して感想を述べるのは、「趣味の世界」ゆえ自由なことだというのは、同意いただけると思います。私も同様ですから。大きく捉えると申しましたのは、全体をもっと優しい目で関わっていただきたいからです。作曲者、作詞者、演奏者、製作者、販売者等色々な人達によって作品は完成しています。実際彼らの事を考えるとおろそかにはコメント出来ないなと思いつつ、いつも楽曲を聴いています。貴殿の言葉には、厳しい言葉が多かったので、つい愚痴ってしまいました。お許しあれ。私は最近グラズノフ・シマノフスキー・シュレカー・グレチャノフ等を聴いています。如何ですか?

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  4. PiuLento:

    ●「厳しい言葉が多かった」という対象がこの投稿だけなのか、私の書いた音楽に対する感想全部なのか分かりませんが、いずれにしても、私の意図を誤解されているように思います。

    そもそも、私は、聴いた演奏が自分の好みかどうか、好みでなかったら、どうしてそうなのかを考えて書いているだけです。この投稿のPSに書いたように、考えることで、自分の好みの傾向や解釈の良し悪しを知りたいのです。近頃は、よほど腹に据えかねる場合でない限り、作品自体の良し悪しを書くことは避けるようにしています(これは、あなたがお書きになられたことと同じ考えによります)。それを理解されずに否定されては、どうしようもありません。

    作品を優しい目で見ることは否定しませんし、私もまずは音楽自体を楽しみたいと思っています(そのようなことは以前書きました)。が、それだけであれば、演奏者自身の努力はもとより、演奏者間の熾烈な競争もコンクールなども無意味で、音楽の発展はないでしょう。

    芸術は、全員が「いい」という感想ばかりでは成り立ちません。そもそも、全く違う人たちが自分たちの解釈で演奏し、それをさまざまな人が聴くのですから、聴いた人たちが「好き」、「嫌い」、「いい」、「悪い」といった、異なる感想を持つのが自然で当たり前です。それを抑えて出すなというのは全くおかしいです。演奏者(制作者も)にしたって、作品への感想が全部「いい」だけでは全くうれしくないでしょう。

    最後に、作品の制作には多くの人が携わっているのはおっしゃるとおりですが、だからといって、しょうもない作品を世に出していいことにはなりません。これは、音楽に限らず、どんな仕事だって同じことです。何かをするのに苦労したからといって、その結果が必ず尊いとは言えないと思います。苦労することよりも、目的を達成することが重要です。私は、他人だけでなく、自分に対してもそういう目を向けています。

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  5. タカポン:

    早速のコメントありがとうございます。全体のブログ記事に対する読み込みが浅かったのですね。引き続きお付き合いいたします。

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