(結構前からやっている、スマフォ関係の作業(家に居る時にモバイルデータを使わないようにすることの徹底)が予想外になかなか収束しないので、先日から思っていた別の話題を書く。)

先日、Spotifyで、あるピアニストのモーツァルトのピアノ協奏曲 第21番を聴き、(第1楽章の時点では)「結構許せる」と思った。知らない人だったが、ジャケットに目をひかれたので、試す気になったのだ。

それで興味を持って、聴きながら、どういう人なのかと検索したら、その人は目が見えないことを知ってしまった。全然気付かなかった。これなら問題ないと思った。どうりで、ジャケット写真で黒いサングラスを掛けていた訳だ(それがなかなかかっこ良かった)。

ところが、その後、第2楽章が少しガタついているのが気になってしまい、その後で試したK. 488もガタガタで駄目だった。

自分では、決して演奏者の属性(例: 経歴、言動、身体的特徴、民族・国・地域)で演奏の良し悪し(正確には、「自分がいいと思うか」)を判断しないようにしているつもりなのだが、もしかしたら、目が見えないことを知って、無意識のうちに負のバイアスを掛けてしまったのかも知れない。自分の感覚とか意識を疑ってしまった。知ってしまった以上、再度同じ演奏を聴いても同じ(中立な)感想にはならない気がするので、もう遅い。

同様に、数日前に、あるピアニスト(以前から好きではない人)が難病であることを発表したが、そうなると(そういう行動でなく、)演奏を批判するのも躊躇われる(例: 不用意に批判すると、「病気にも関わらず頑張っているのに けしからん」となる)ので、僕としては好ましくない。

結局、以前からの持論の、(芸術家の)属性は作品とは別であり、属性を知らないほうがいい・知る必要はないというのを更に堅くした。

PS. とはいえ、気に入った人なら どういう人か知りたくなるのも人情で、そこの解決は難しい。半分冗談だけど、演奏者は全員、記号とか番号で発表すればいいのに。もちろん、ジャケットには本人の写真などなしだ。作曲者なども同様にして、「X1234のピアノ協奏曲第1番、ピアノ: P345、指揮: C87、オケ: O65」とかにする。そうすれば、ちょっと昔の偽作曲者騒動もなかっただろう。でも、随分味気ないなw

それに、この方法はコンサートでは使えない(本人がステージに出て来ざるを得ないので)し、演劇でもまったく無理だ。パフォーミングアートとは相容れない考えなのだろうか。

実現の可能性があるのは、自分がまったく何にもとらわれずに、常に中立の立場で鑑賞し、評価することだろう。だが、なかなか難しいと思う。強靭な精神力(例: 大嫌いな人の演奏でも聴く)と、正しく評価するための知識(例: 単に「いい」でなく、「※が*だからいい」と示せること)が要るだろう。

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