(彼女が悪くなったという意味ではなく、僕の中での話です)

昨日、久し振りに内田光子のモーツァルトのピアノ協奏曲 第25番(2016, ライブ)を聴いた。どうしてか、近年、彼女のは余り聴かなくなっていたのだが、どうもその理由が分かった気がした。いつからか僕の好みでなくなったのか、元々好みでなかったようだ。クラシックを聴き始めた頃は、(特にモーツァルトのピアノソナタを)とても良く聴いていたのだが、他のいろいろな人のを聴くうちに、無意識のうちに気付いたのだろう。

その演奏への感想を少し書く。

雰囲気が、期待や曲のイメージと違って細かった。そして、それよりも、音を跳ねるように(スタカート気味に)切ることがあるのがちょっと(結構)嫌だった。細さと相まって、おしゃれとか意識高い感じになってしまって、嫌味に感じた。なお、オケは悪くなかった。そして、「なんか違う」ので、第2楽章の途中で止めた。

そういえば、彼女の弾き振りは以前から好みでないのを思い出した。その前(1980年代末-1990年代頭)に出した、テイトの指揮の方が良かったと思う。ちなみに、今、この曲はフレイの(2010)が一押しだ。

余談だが、「なんか違う」のがもう一つあったので書く。: 昨日は、フレイのその演奏の指揮をしたJaap van Zwedenという人の新作の「春の祭典」(2019)も聴いた。フレイののオケも気に入っていたので、興味があったのだ。最初は普通にいいと思っていたのだが、段々パンチが足りないように感じ、そのうち、大人しくて迫力がなく、切れも足りなくて、「今ひとつ」になってしまった。これだったら以前(2008)の方が良かった。このアルバムは、数か月前に広告で見てから出るのを待っていたのだが、残念だった。

ポリーニやゼルキンについて書いた時は、刷り込みだろうかと書いたが、彼女はそうではなかったようだから、これは刷り込みではないように思う。僕の中での曲のイメージ(これがどうやって生まれたかは不明だし、だから必ずしも正しい解釈であるとは思えない)と、演奏との近さ・ギャップなのだろう。

PS. その後何の気なしに聴いてみた(別の人の演奏の指揮をしていたので)、Christian Zachariasの同第25番(2011)が、どういう訳か、実に自然で良かった。「すっ」と入って来た。自然なんだけど、ありきたりとか通り一遍ではなく、オリジナリティもあって(それも違和感はなかった)いい感じだった。ゼルキンに近いと思う。ただ、自然な分、フレイよりは大人しい。同じアルバムの第26番も良かった。それにしても、どこが違うのか(いや、確実に違うんだけど)、謎だ。 (3/1 19:11)

  •   0
  •   0

コメントを書く

名前    

メール 

URL