HMVの広告で、河村尚子という人のベートーヴェンのピアノソナタのアルバムを見てSpotifyを探したが、まだなかったので、代わりにモーツァルトのピアノ協奏曲 第21番(2018)を試した。日記を調べたら、以前ラフマニノフのピアノ協奏曲 第2番(2014)が速くて軽くて気に入らなかった人だ。

出だしのオケは軽目だが悪くない。が、ピアノが始まると、なぜか・やっぱり、「うーん」となってしまった。ラフマニノフ同様、軽くて音が細くてちょこまかした感じなのが好みでない。あと、短いカデンツァみたいな装飾フレーズの弾き方が冗長だった。

ただ、ピアノの音自体は透明感があって悪くなかった。それも音の細さも、ベーゼンドルファーだからなのかも知れないから、一長一短なのだろう(僕は本物を生で聴いたことがないので、あくまでも想像)。

慣れのせいか、聴き続けると悪くなくなって来た(ただ、音が細いので、どうしても音量を上げがちだった)。が、第1楽章のカデンツァ(12:40辺り)が最低だった。有名な曲の似ているフレーズ(モーツァルトの交響曲第40番の出だし?)を使っている。。。 確かに(今まで気付かなかったが)似てはいるけど異なるものなので全然合ってなく、「場違い」なのだ。これでは、下手すると、余興でふざけて弾いているみたいになってしまう。僕は受け入れられないので、そこで止めた。

どういう考えでそうしたのか知らないが、センスを疑った。

 

PS. 今は代わりに、昨夜からの続きで、サイ(Fazıl Say)のモーツァルトのピアノソナタ(2016)、今は「トルコ行進曲付き」(K.331)を聴いている。彼の演奏はなかなか独特(ちょっとグールド的で、そっけなく聞こえる)なのだが、なぜか許せる。そして、音が太くて(パワーとか厚みとか芯があるの意)いい。彼はすごくうまくて何でもきちんと弾ける人なのだが、だからこそ、モーツァルトを余裕たっぷりに、自分なりの解釈で楽しんで(でもふざけずに)弾いているように想像している。そういう彼の演奏に驚かされることが多々ある(そのせいで、好き嫌いの判断は先頭だけではできず、ある程度聴かないと決まらない)のだが、何か通じるものがあるせいか、嫌になることはなく、許せる(一方、グールドのバッハは大好きだけど、彼のモーツァルトやベートーヴェンは許せない)。

気のせいかも知れないが、彼もグールド同様、弾きながら唸って・歌っているようで、時々声が聞こえる気がする。そういうところからも、楽しんで弾いている気がする。

PS2. Spotifyにサイの同じ曲(2004)もあった。わずかに速目で、彼のピアノも少し細かった。だから、そういう曲なのかも知れない。が、彼の弾き方にはメリハリがあり、全体的には見事だ。カデンツァは、半分くらいオリジナルだがベースは良く聞くものだった。そういうところは、やっぱり基本を大事にしている人なんだと思う。

PS3. 上記の「良く聞くカデンツァ」が誰の作だったかを調べていたら、それは分からなかったが、大変おもしろいページを見つけて読みふけっている。僕と考えが近いところも多い(が、そうでないところも多い)。→ フェブラリーのホームページ (トップ), フェブラリーのCD迷路 (カデンツァを検索していて見つけた)

※そこが大変惜しいのは、各記事に投稿日あるいは執筆日がないことだ。個人の考えや意識の違いではあるが、僕は必須だと思う。これがないと、例えば、その記事がどういう時代に書かれたかが不明になり、現代の常識では誤りなことが書いてあっても、時代によるものなのか、本当の誤りなのか、筆者の考えなのか分からないという問題が生じる。

まあ、文章を良く読むと当時のことが書いてあったりするから、推測は可能だが、1行で済むのだから(実際は更新したら追記が要るとか面倒ではあるが)書けばいいと思う。一種のリテラシーなんだろう。

と思いつつ、ふとソースを見たら作成日が書いてあって、大体2003年頃のようだ。ページ作成ツールが入れたのだろうか。貴重な情報だ。

PS4. 書いた翌朝に読み返してみたら、PSの方が本題より長くなっていた。これが一番の悪ノリ? というところでオチとしたいw (3/14 8:11)

  •   0
  •   0

コメントを書く

名前    

メール 

URL