有名な建物が火災になって、そこの人は悲しんでいるそうだが、僕には全然理解できない。文化財が損傷するのが大したことないとは思わないが、仮に僕がそこに住んでいても、「ありゃ、燃えちゃったか」で終わると思う。

なぜかと考えたら、僕は(今は)有形物に関する趣味やこだわりがほとんどなく、音楽とか文学・文章とかドライブのように、形のないもの(形がないのに「もの」というのは変だが)が好きだからなのだろうと思った。それから、仕事に近い話でも、ハードウェアと違って、ソフト(プログラム)にも形がない。「これがそのプログラムです」と言って出されるものは、プログラム自体ではなくて、紙とかCDとかUSBメモリとかで、あくまでも媒体でしかない。ドライブの車にはこだわりがあるが、自分で持つことにはこだわらない。仮に他人の所有でも、乗りたい時に楽しく乗れればいい。つまり、車ですら仮想的なものでいいということだ。

だから、悲しむ人をけなすつもりは全然ないが、僕が好きな音楽などは、どんな災害が起こってもきっと残るからいい。楽譜(これも媒体)は失われても、誰かが覚えているだろう。忘れられたら終わりだが、それは災害がなくても常に起こるから仕方ない。その作品の寿命がそこまでだったということだ。ドライブはできなくなるから無理だが、記憶は残る。

逆に、建築とか絵画・彫刻のような、実物がないと意味がないものは、なかなか不便だと思った。まあ、昔の「世界の七不思議」のように、ずっと語り継がれるものもあるから、必ずしもそうではないのだろうが。

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7件のコメント

  1. naoki:

    深い!

    この話題は僕のパニック障害(≒死への恐怖)に通じると思いました。

    もうちょっと噛み締めて読んで、自分のものにしたいなあと思いました(矛盾してるような表現ですがw)。

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  2. れんと:

    ●僕も自分の考えがまとまっている訳ではないのですが、あの火災の報道をきっかけに日頃思っていることを書きました。

    特に、「「パリはもう元に戻れない」 ノートルダム寺院炎上に市民ら涙」という見出しには大いに違和感があります。まあ、報道特有の誇張なのでしょうが、「お前らのアイデンティティはあの建物なのか」、「お前ら、あの建物がないとやって行けないのか」と。

    表面的にしか知りませんが、「諸行無常」の考え方なのかも知れません。あと、今は物にこだわる人が多いですが、それはどうかと思っています。

    最後に笑い話ですが、Googleは「諸行無常」を実践していて、僕らにそれを教えてくれているのかも知れません(んなこたあない)w

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  3. naoki:

    最後メッチャ笑いましたw

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  4. h.tak:

    うろ覚えですが、三島由紀夫の金閣寺の中で、美とは芸術品そのものではない。形ある芸術品の存在が揺らぐ時、脅かされる時に(消失などで)、その美しさが頂点に達する、という様な事が書かれていました。
    ノートルダムも、火事になってからの方が、むしろ観光客が増えているそうで、人の心理は複雑だなぁと思いました。

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  5. れんと:

    ●おお、三島はすごいことを言っていましたね。そして、ノートルダムはそれを証明してしまったんですね。。。

    実は、中高の頃、「金閣寺」を読んだはずなのですが、中身を何も覚えてません^^ あの頃はいろいろ読んだのですが、理解せずに読み進めることがほとんどでした。

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  6. h.tak:

    私も最初読んだ時は、筋を追うのに手一杯で、異様な登場人物に興味を持った程度だったのですが、何か引っかかるところがあって、その後、批評本やネット情報などを読んだのだと思います。良く理解できない部分が多いですが。

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  7. れんと:

    ●そうだったんですか。また興味が出ました。

    今調べたら、全然覚えていなかったのですが、「金閣寺」は電子化していた(どうやら、高校の時に買った本を、進学・就職してからもずっと持ち歩いていたようです)ので、いつでも読めます。ただ、実は先日買った文庫本数冊すら全然進んでない(最初の一冊すら読み終わってません)ので、再び読むとしても、かなり先になりそうです・・・

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