小林よしのりは「侮辱」と書いたが、僕は、音楽としては無意味、何もおもしろくないと思う。AIだか何だか知らないが(せいぜいヴォーカロイドの改良版でないか)、過去のデータから「それらしく」歌い、しゃべれるようになっても、それにどんな創造性があるのだろうか。単なる自動演奏ではないか。感動した人も居るそうだが、信じられない。それらしければいいのか?

まあ、それらしい歌い方で新曲を聞ければうれしい人も居るのかも知れないが、少なくともそれは芸術ではないだろう。僕は、人がするから芸術だと思う。機械がするのは、音楽なら「演奏」ではあっても、「再生」の類ではないか。というのは、僕が思う芸術の出発点は、人が何かを表現したい気持ちであって、AIにそういう気持ちが生じるとはとても思えないのだ(もちろん、擬似的にはできるだろう)。

でも、あと数年後には、音楽なら機械(AI)による演奏が市民権を得て(というのは、ライブじゃなければ一回(「録音」に相当する時に)演奏すれば充分なので、その時だけ人間みたいな、というか、その機械らしい(= その機械の個性による)表現ができればいいからだ。ライブだって、今は口パクが多いようなので、機械で全く問題ないのかも知れない・・・)、ヒットチャートに上がるような気がしてならない。まあ、その暁には、今の握手とかでCDを売る下らない連中が追い払われるから却って価値があるかもねw と思ったが、AIは実体がないからTVなどに出られないから駄目か・・・ と思ったが、いや、その頃にはきっと不気味の谷が克服されているから大丈夫だろう。僕はそういうのは全く嫌だがw

 

PS. 侮辱ということなら、モーツァルトなど大昔の人は(上とは別の意味で)侮辱されまくりだろうw でも、何度も書いているように、僕はそれでいいと思っている。

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3件のコメント

  1. naoki:

    今、そんな事が話題になってるんですね。

    「技術で、こういうことが出来るようになりました」という意味では、なるほどと思いますが、確かに芸術とは違うでしょうね。

    Vocaloidが流行ったのは歌ってるとされるキャラクターがカワイイ(美形?)だからで、それが美空ひばりで良いのかという意味で、難しい気がします。

    そう言えば数年前、横山やすしを復活(切り貼り?)させて西川のりおと漫才させてる動画がありましたねえ……。

    サムネイル見て忘れていたことに気づきました。おぼっちゃまくんの作者でもあるんですね。確かに「ゴーマニズム」(←読んだ事ないですが、表紙)の絵柄が同じでした。

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  2. れんと:

    ●ええ、なぜかヤマハの人が頑張ったようで・・・ これは「楽器」として開発しているんでしょうかね。それにしたって、ヴォーカロイドと同様、「演奏」しておもしろいのかとは思います(好き好きですが)。要は、サンプリングシンセみたいなもので、僕は本物がいいって思います。

    個人的には、ミクなどは見た目がごちゃごちゃしていて好きでないのですが、それは余計なことですねw

    横山やすしの復活動画(結構興味ありますw)で思ったのですが、これの開発者の語っていたこととは逆に、冗談とかお笑いでやるならおもしろいと思います(遺族は反対するでしょうが)。違いは、作り手の思いの強さでしょうか。この企画は一見真面目ですが、忠実に復活させることがメインになっていて、作り手が何を表現したいのかとか、他人を感動させようとする思いは余り感じられません(それを出すと忠実度が落ちるでしょう)。それでも感動している人が居ましたから、いいのかも知れませんが。

    そう、彼はおぼっちゃまくんの人です。懐かしいです。そこで止めとけば良かったのに・・・w

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  3. れんと:

    ●今気付きましたが、まだおぼっちゃまくんを描いてたんですね。今更止めとけばいいのにと思います(勝手過ぎw)。

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