Archive for the ‘日記’ Category

デスクトップ(画面)には、「高い場所」と「安い場所」があるようだ。効き手や言語やデスクトップの設定やディスプレイの配置にも依るだろうが、「左高右低」で左上が一番高いように思う。

僕は、今までデスクトップの左上に時計を配置していたのだが、近頃、それが無駄に場所を食っているように感じて来た。というのは、時計の上にウインドウを置くと時刻が見えなくなるし、それを防ぐために時計を常に最上層で表示すると、ウインドウの中身が見えなくなったり操作できなくなる。結局、時計のある左端が帯状に使えなくなってしまう。

それで、時計を小さくしたりサイドバーを狭くしてみたのだが、焼け石に水というか、本質的でないように感じた。それで、最初に書いたデスクトップの「地価」に気付いて、時計を右上に移動してみた。本当は、メインディスプレイ右のサブディスプレイに置くのが最適なのだが、Thunderbird, Spotify, Spotifyとgmusicbrowserのミニプレーヤと、さまざまなものを詰め込んでいるために、ほとんど空きがない(そこまで詰め込まなくてもいいとは思うのだが、メインディスプレイに余裕を持たせたいのだろう)。左端の中央だけは奇跡的に空いているが、あまり落ち着かない。一方、メインディスプレイの右上は空いているし、(日本語や英語の)文字が左から右に書かれる関係でウインドウの表示も右側が空いている場合が多いので、あまり邪魔にならなそうだと思ったのだ。

それで、時計を右上に置き、透過率を調整して常に最上層で表示するようにして試してみたら、結構良さそうだ。ただ、少し使ってみたら、ちょっとした問題に気付いた。ウインドウの操作ボタン(閉じるなど)が右上に配置されているので、その部分が時計の下にある時には操作できなくなってしまうのだ。それで、操作ボタンを左側に移動した。その時、普通は閉じる(×)ボタンを一番外側に配置するだろうが、不意に押して閉じてしまうのを防ぐため、敢えて内側に配置した。何となくMacに近づいてしまった気がするが、偶然だw それに、閉じるボタンの(変態的な)位置はオリジナルだ。これなら大丈夫そうだ。

(12/5 6:47) PS2に書いたように、バーの幅を2行にすると、不格好ではあるのだが、時計(元々の時計とは異なる)がバーの中に入り、そもそもの問題(左上の時計が邪魔)も解決できそうなことが分かったので、少し試してみることにした。あとで気付いたのだが、これなら、ウインドウ操作ボタンは元の右側で大丈夫だ。

サイドバーの幅を2行にしてみた。

(12/5 17:06) 一日使ってみたのだが、どうにもダサく(無駄な隙間が多いが、設定などでは解消できない)てしっくり来ないし、時計も小さくて見にくいので、いろいろ調整したが駄目なので、元の状態(バー: 1列、時計: 右上、ウインドウ操作ボタン: 左)に戻した。

(12/5 21:12) バー最上部のデジタル時計とアナログ時計が左右に泣き別れ状態なのがどうも気に入らないし不便なので、どうしたものかと考えていたら、コペルニクス的転回(いつもながら大げさだw)で、サイドバーを右に移してみた。まあ、慣れるまでは大変だが、時計がまとまっていい感じだ。そして、やる前は、バーのアイコンを押した時にメニュ―などが右に出て悲しいことにならないかと思っていたのだが、予想外にちゃんとしていて、そんなことはなかった。しかも、芸が細かいことに、メニューが出るボタンのマーク(▶)も◀に反転していたのだ。これはすごく意外で、「やればできる子じゃん!」と思ってしまったw

(12/5 21:25) 今気付いたが、これの欠点は、仮想的に一つの画面を構成する、メインとサブディスプレイがサイドバーで分断されてしまうことだ(「ベルリンの壁」?)。ただ、現実には一つのウインドウをメインとサブディスプレイにまたがって表示することはない(可能だが、使いにくいのでしない)ので、概ね大丈夫そうだ。あとは、バーが右にあって本当にいいのかという懸念はある。バーのように頻繁に使うものは、地価の高い左にあるべきなのかも知れない(例えば、マウスの移動量が増えそうだ)。まあ、おいおい分かるだろう。

 

(12/5 6:06 一部の画像を改良、若干修正; 12:03 わずかに加筆)

PS. WindowsやmacOSではどうだか知らないが、Linux Mint (Xfce)では、追加ソフトなどは不要でウインドウ操作ボタンの移動や配置換えが簡単にできるのが嬉しかった。

PS2. そういえば、もう一つ問題があった。サイドバー(通常はディスプレイ下部のタスクバー)が混雑していて、ウインドウが多いと足りないことがあるのだ。下部ならまず不足しないが(ただ、横長ディスプレイを有効に使うために横に置いているので、下に置くことはありえない)、横なので、アイコンを置ける数が少ないのだ。

バーの幅は広くできるが、不格好になってしまうのでなかなか解決できない(アイコンが増えた時だけ広くなるとかできればいいのだが・・・)。とりあえず、アイコンを小さ目にして対処しているが、焼け石に水だ。 (12/5 6:28)

ただ、不格好なのを我慢して設定を調整したら、まあまあ許せる感じになった。 (12/5 6:40)

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先日、最後に残ったYahoo!のアカウントを削除した。本当は年末まで待つつもりだったが、暇だしせっかちだし、もう迷惑メールしか来ないからいいだろうと思って、早目に実行した。普通に退会できてすっきりしたのだが、今朝、別件で、昔送ったメールをちょっと調べようとしたら、そのYahoo!アカウントのものがなかった。

原因を考えてみると、そのアカウントはIMAPで使っていたので、送受信のメールは、自分でローカルに取得しない限り、サーバにしか保存されていない(だから、いろいろな端末で見られる)。僕は、受信メールで対応(読んだ・返信した)済みのものはPCに取得していたのだが、送信メールはそのままにしていた。そのため、アカウントを削除したらなくなってしまったようだ。基本的にローカルで処理するPOPなら、大丈夫だったのだろう。そして、日頃からバックアップには念を入れているつもりだったのだが、さすがにローカルにないものはバックアップできていないから、復旧もできない。完璧を期すのは難しいものだ。

とはいえ、そもそも送信したメールを見ることは滅多にないし、なくなったのは、ThunderbirdでIMAPでYahoo!を使っていた数年分だけだし、近年は、大抵、返信メールに送信した文章がまるごと引用されているので、大きな問題ではない(大昔はそういう習慣ではなかったので、僕自身はその仕組みは余り好きになれないけど、こういう時には便利だ)。

が、深く考えずに、感情(Yahoo!や迷惑メールへの怒り)とか勢いでやってしまったのは軽率だった。

なお、近頃は送信メールも自動でローカルに取得するようにしているから(このことに気付いていた訳ではなく、サーバのデータ保存量を減らそうとしてのこと)、次回はきっと大丈夫だろう。ただ、IMAPはメールがどこに格納されているかすぐには分からないので、充分な注意が必要だ。次回にこのことを思い出すことに期待したいw

 

PS.なぜ、多くの人がこの件を問題としないのか考えてみたのだが、そもそも今はメールが余り使われなくなっているらしいのと、今の主流であろう、LINEなどのチャットメディアでは、メッセージをローカルに保存することはほとんどないので(使っていないので想像だが、僕もSMSの履歴を保存しようとは思わない)、退会したらそれまでの会話が消滅するのは当たり前と考えられているために、メールも退会したらなくなるのが当然と思われているではないかと想像した。あとは、対話・会話の履歴を残すことをさほど重要に思わない人が多いのかも知れない。

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この投稿は、それぞれのアーティストのファンの方には怒り心頭かと思われますが、素人がSpotifyでちょっと聴いただけの素朴な感想なので、ご容赦を。

チューリップが理解できない

彼らがどういうグループなのか分からない。彼らの歌の内容と、実体・実態が乖離しているように思えるのだ。「心の旅」(1973)の歌の加工された声(僕は、詞の内容からすれば、自然な声の方が適切だと思う)とか、"We believe in Magic Vol.2"(1997)などの変なジャケット(特に、あの変な人は何者?)は、いったい何を意味しているのだろうか? 謎が多いグループだ。

サーカスとハイ・ファイ・セットの識別方法?

これらのグループはイメージが似ていて、どうやって区別すればいいのだろうか、あるいは、それぞれの方向性に違いがあるとすれば、どういうものなのだろうと思う。他にももう一つ似たようなグループが居たような気がするが、それすら思い出せない。

同様に、1980年前後の渡辺真知子、庄野真代、久保田早紀らも区別が難しい。ただ、実際には渡辺真知子は区別できて、他にもう一人居た気がするのだが、そちらが思い出せない(桑江知子だったか)。

他に、高1の時の英語の先生(新卒だった)が自己紹介で好きだと言っていたグループがチューリップだったかオフコースだったのか、今となっては謎になっている(当時からその辺りの音楽には興味がなかったので、グループ名を聞いた途端に「ミーハーな奴だ」とがっかりしたのと、上と同様、それらの区別が若干難しいせいである)。ただ、先生はお嬢様的(というか、「女子大生」の方が合っていそうだ)な雰囲気だったので、おそらく、オフコースのような気がする(と書く程度には、違いを認識しているような気がしている)。

岡村孝子はどれも同じ?

Spotifyで掛かるのを聴く限り、どの曲も(ジャケット写真も!)とても清楚かつ素直な感じなのはいいのだが、それ以外はあるのだろうかと思う。どうもワンパターンで、飽きてしまうのだ。もし彼女の歌に、中島みゆきのように悪い歌とか戸川純のように変な歌、あるいは、藤圭子のようにドロドロに暗い歌があるとしたら、是非聴いてみたい気はするw (まあ、「待つわ」なんて、暗いといえばかなり暗いので、ありそうだ)

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細かい話題がたまっていたので、まとめて書く。

クイーンの映画・・・

(正確には「音楽」ではないが、無関係ではないので書く。) 昔、何年もメイがしつこく言っていつつも、何度も監督だの出演者だのが変わってふらふらしていたのが、近頃は何も言わなくなったから立ち消えになったかと思っていたら、ついに今年公開された("Bohemian rhapsody")。公開の時もメイの発言などはなかったので(単に日本に伝わらなかっただけかも)、最初は、偶然別の作品が出来たのかと思った。

意外に好評らしいが、やっぱり観る気はしない。だって、フレディーじゃない人が演じても、「ニセモノ」としか見えないので。。。 それ以前に、何度も書いているように、演奏者の人となりとか人生は作品と無関係と思っているから、こういう伝記的映画には余り関心がない。そして、曲を聴くのならCDやSpotifyでいいし、ライブエイドを観るならDVDを持っている(観ないけどw)。まあ、そもそも、こっちで上映されているのかという問題もあるw (← 調べたらやっているようだ。今は簡単に検索できて楽だね)

あと、数年前のミュージカル、"We will rock you"(2012)も似たようなものかと思い込んでいたのだが、調べたら全然違っていた。ミュージカルはフィクションだった。

Spotify

近頃はSpotifyのDaily mix(ほぼ毎日、好みに合わせてお勧めの曲を選んでくれる)のバリエーションが乏しくなって来たように感じる。概ね好みは外していない(リストには♥(「いいね」みたいなもの)のついた曲が並ぶ)のだが、大抵は聴き覚えのあるものなので、「またか」になってしまう。もう、他にお勧めはないのだろうか? しかも、そう思って掛けないと曲のリストが更新されないから、なかなかもどかしい。なので、近頃は、「ラジオ」も活用している。アーティストだけでなく、曲やアルバムでのラジオもできる。昨日聴いた、「ハピネス」(1979)のラジオはなかなか良かった。

好みを外さないと言えば、なぜか荒井/松任谷由実が頻繁に掛かる。大抵は即座に⦸(嫌い)を押しているのに、それは学習してくれないようだ・・・ 近頃、Spotifyで配信し始めたらしいら、そのプロモーションなのだろうか?

ジルベルシュテインとフェドロヴァのラフマニノフ ピアノ協奏曲 (第2番)

先日(9月下旬)、久し振りに、懐かしのジルベルシュテインのNHKでのライブ(1994)を聴いた。彼女は今年の9月頃に来日してこの曲を弾いたはずだが、日本で有名になった1990年代と違って全く話題に上らなかったのが、少し寂しかった(ただ、今になって考えると、ルガンスキーの来日だって話題になっていなかったので、僕がTVを観ないとか読むニュースが悪いだけかも知れない)。僕は、先日行ったルガンスキーのコンサート情報を見つけた時に、彼女のも偶然見つけてちょっと行きたくなったのだが、止めた。その理由は、少し前から彼女の演奏が物足りなく感じているからである。あと、単にお金がふんだんに使えないせいもあるw 以下に、聴いた時に書いたメモから少し転載する。

  • オケ(ラザレフ、N響)がイマイチな感じ。ピアノも物足りない・・・
  • 1楽章、「行進曲」の部分はやっぱりイマイチ。ホルンも駄目。この楽章終わりのピアノも駄目。
  • 2楽章のアルペジオも駄目。。。 ただ指を動かして音を出している感じ。2楽章前半が一番駄目かもしれない。音の出し方がなってない。
  • 3楽章もなってない。

当時の懐かしさはあるものの、壊滅状態だ。当時はなかなかいいと思っていたのだが、耳が肥えて(あるいは変質して)しまったのだろうか。それで、比較のために、フェドロヴァの同じ曲(2015, スタジオ)を聴いてみたら、なんか鬱陶しかった。

  • 1楽章中盤の強弱がわざとらしくて、イマイチ。「行進曲」はこっちがいい。でも、細かいところが物足りない。この楽章終盤(特にオケ)がとてもまどろっこしくて台無しだ。
  • 2楽章頭の木管(フルート)がひどい。アルペジオはまあまあだが、存在感がない。中盤は、なんか破綻しかかっている? でも、ジルベルシュテインよりはまともな感じ。
  • 3楽章はちょっと緩んだ感じ。最後はまあまあだったが、緊迫感が足りなかった。

全体的には、ジルベルシュテインよりは良さそうだったが、細かい音が大き過ぎたようだ。あと、こちらもオケがイマイチだった。彼女のことだって手放しで褒めていたのに、まったく「なんということでしょう」だ。

二人とも、聴いていて(いい意味で)気が抜けないなんてことは全然なかった。今の僕は、(ラフマニノフのピアノ協奏曲に関しては)ルガンスキーの虜になっているのかも知れない(ただし、この感想を書いたのは、彼のコンサートに行く前である)。あるいは、その日は特別調子(気分・機嫌?)が悪かったのかも知れない。

(話題はもう少しある(日本のニューミュージック関係)のだが、既に長くなったので、次回書きたい)

 

(12/3 8:11 若干修正・加筆)

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先日書いたように、JACKのパッチベイアプリ、Catiaの動きがどうも怪しい(勝手にPulseAudioを直結する)ので、代わりにPatchageを動くようにした。

Patchageの問題は、起動するとすぐに下記のエラーで強制終了してしまうことだ。

BDB2034 unable to allocate memory for mutex; resize mutex region
cannot open DB environment: Cannot allocate memory
Segmentation fault

メモリ不足と出ているので、設定で直らないかと思って調べたのだが、関係するものは見つからなかった。それで、このエラーがどこから出るか調べたのだが、実は2箇所に分かれており、最初の2行と最後の行は別の要因で出ているようだ。ただ、最初の問題があるために2番目の問題が出ている可能性もある。

まず、最初の問題(BDB2034)は、JACKのライブラリ(libjack)の関数jack_client_open()で起こっていることが分かったが、原因は分からない。検索すると、このエラーは他のプログラムでも出るのだが、明確な解決策はないようだ。また、他のJACKクライアント(例: jack_lsp)でも出るが、問題なく動作しているので、致命的な問題ではなさそうだ。近頃Linuxのカーネルを更新したので、それに関係しているのかも知れない。それで、ひとまずこの問題には対処しないことにした。

次に、2番目の問題(Segmentation fault)もJACKライブラリの関数jack_get_property()の中で起こっていることが分かった。jack_get_propertyの使い方は正しいようなので、JACKライブラリ自体の問題か、関数の仕様が変わったのかも知れない。あと、記憶ではしばらく動いていたので、何度も試行錯誤するうちにシステム(OS?)の状態がおかしくなっているのかも知れない(そうであれば、再起動すれば直るだろう)。あるいは、上に書いたようにLinuxのカーネルを更新した影響かも知れない。幸い、この関数は1回しか使われておらず、しかも、その処理をスキップしても大きな問題がないので、そうすることにして無事動くようになった

ただ、前にも書いたように、使い勝手の問題があったので、それも何とかした。一番大きな問題は、ウインドウ内のJACKクライアント(モジュール)の表示位置が保存されない(再起動すると位置がおかしくなる)というものだ。ただ、Patchageのウインドウを見ると、全部のクライアントの位置が保存されない訳ではなく、入力または出力だけのものが駄目(入出力があるものの位置は保存される)なことが分かったので、その部分(Configuration.cpp: Configuration::save())を修正した。

それから色を調整して(プログラムの変更は不要)、最終的には大分いい感じになった。これなら、充分にCatiaの代わりになりそうだ。

思ったより簡単にできて気分がいいが、前にも書いたように、やっぱりJACKは枯れていないことを実感した。あと、この修正を作者に知らせるのはいいと思うのだが、今まで(別のプログラムで)何度も無視されて来たので、躊躇している。

(15:32) 気分が良かったのも束の間で、Patchageを使っていても変な接続が起こってしまった。結局、システム(JACK、PulseAudio、OSのいずれかまたは全部)がおかしくなっていたようなので、再起動したら、すべての問題が起こらなくなった(Catiaでの勝手な接続も、Patchageがエラー(BDB2034やSegmentation fault)で起動しないのも起こらなくなった)。とりあえず直ったのはいいが、原因不明なのでまた起こる気がする。

そして、Patchageのクライアント位置の保存の修正は有用だが、Catiaに問題がなかったので、わざわざ使う理由がなくなってしまった。まったく何とも言えない・・・

 

補足: プログラマーは、プログラムを修正することや修正のためのモジュールを「パッチ」と言います。単純なバグ修正の場合も多いですが、(何だか良く分からない問題などで)根本を直さずに対症療法的に修正することをそう呼ぶことも多いです。Windowsで山ほどあるもの(KB*)ですw

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森高の1989年の歌。僕は今まで誤解していたが、さっきSpotifyで聴きながら気付いた。

今までの僕の想像では、これは、あまりもてない、いわゆる普通の若いOLが、あこがれの人(同じ会社のちょっと年上の人)に向けて言うような感じで、いかにも微笑ましくて共感を生むので、当時のファン(オタク?)も、「なんか自分にも可能性があるかな」と思える歌だと思っていた。が、全然違うのだ。

これは、いかにもモテる(当時の)森高のような女性()が、目当てのイケメンに言っているのだけど、彼もすごくモテるからなかなか取り合ってくれないという、バブル期に良くあった過酷な競争を歌ったものなのだ。だからオタクなんて全く目も掛けてもらえず、夢もへったくれもないのだ。がっかりしたかい?

ハハハ。

 

PS. 確認のために検索したら、近年の本人がカバーしたPVの画像が出て来て、(一応PVも観たけど、)それが余りにものどかで、いかにも可愛いおばさんなので笑ってしまった。いや、こういうおばさんも大好きだけどw、上に書いたような歌の背景(僕の想像)からすれば、全く場違いではないか。

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(12/1 15:42訂正) 新しい投稿にも書きましたが、本文の勝手に接続される問題は、Catiaが悪いのはでなく、システム(JACK、PulseAudio、OSのいずれかまたは全部)が異常になっていたためなので、初めに訂正します。


昨夜だったか今朝だったか、JACK(Linuxのオーディオ)のちょっとした問題(余計な信号入力ができてしまう)を修正しようとしていたら、動きがおかしくなった。なぜか、PulseAudio(もう一つのLinuxのオーディオ)の接続が勝手にできてしまって、本来の接続と重複してしまうのだ。接続図を使って説明すると、本来は、信号を

本来の接続

のようにA→B→C→Dと接続しているのに、なぜか、

おかしい接続 (再現図: 赤枠内が余計)

のようにAとDを直結する接続(図の赤枠内)ができていることがあるのだ(この状態で音を出すと確実におかしくなる)。それで、自作のJACK開始プログラムの不備かと思って修正したり、PulseAudioの設定も変えてみたりしたのだが、一向に直らない。ところが、ふと、Catiaというパッチベイ(音の配線をするもの。上図がそう)アプリを起動したり起動していると問題が起こることが多いことに気付いた。それで、試しに別のプログラムにしたら嘘のように問題が起こらなくなった。それでCatiaが悪さをしている(自分で接続状態を保存しているのか、頼んでもいないのに勝手に配線するようだ。日本人でもないのに、余計なお・も・て・な・しはやめろ! むしろ空気読めよ、クソボケw)ようなので、使わないことにした。

そういえば、この問題は以前にもあった覚えがあるし、最初に書いたそもそもの問題もCatiaが原因だったようだ。確かに、接続を見るとおかしくなっているのだが、再生していておかしいと感じたことはなかったので、Catiaを起動する時におかしくなっていた可能性が高い。

が、「別のパッチベイプログラム」といってもいいものがない。いくら探してもほとんどなかった。一番まともなのはClaudia(開発元はCatiaと同じ)だが、使い勝手がCatiaに劣る。次はPatchageだが、何度も試行錯誤したせいか、エラーで起動しなくなってしまった。OSを再起動すれば直るのだろうが、問題が起こるたびに再起動したくはないので、使いたくない。そもそも、Patchageは使い勝手も余り良くない(QjackCtlやPatchMatrixの10倍くらいいいが・・・)。

CatiaやClaudiaだの、名前が紛らわしいアプリが何個もあって、しかも、それぞれの機能や操作性が微妙に違うのを見ると、開発元(KXStudio)はなってないと思う。まあ、お世話になっているし、そもそも、中身がどうであろうと使える物を出すことは重要だし、"Studio"とは書いているものの、個人でやっている雰囲気もあるので強くは言えないが、もっとうまくやればいいのにと思う。同じ部分には同じ部品を使えば(当たり前のことなのだが、それができない)、機能や操作性が同じにできるうえに、手間も省けると思うのだが・・・

やっぱりCatiaが使えないものかと思って、プログラムの取得元を変えてみることにした。今まではOSのパッケージ版を使っていたのだが、開発元(KXStudio)の版はパッケージのものとは違う(開発元のものなのに、なぜかバージョンが古い)ので試したら、ちゃんと動いた。気持ちが悪いが、とりあえずは今までどおり使えるようになったので良しとした。が、また忘れた頃に問題が出て、今日のように無駄に苦しみそうだ。

(20:57) 早くもその問題が出た。古いCatiaもClaudiaも、起動すると勝手に接続してしまう(それらを起動せずに別のプログラムで接続一覧を出すとその接続はないので、確かだ)。なかなか困った。。。

(12/1 8:24) その後、Catiaの設定を削除すると問題が起こらないことが分かった。何かの設定が悪いのだろうか。いずれにしても、どうせそのうち駄目になりそうだ。なお、Patchageの設定を削除しても、エラーは直らない。

JACKは僕にはすごくいい(でも、何がいいのだろうか? テクニカルなところか?w)のだが、情報は少ないし、そのせいで最初にまともに使えるようにするのが大変だし、今回のように、たまに変な問題が起こったりするせいか、余り使われていないようで、いいアプリが少ない点が難点だ。それに、システムもアプリも古く、10年くらい前から更新されていないものがザラにある(それでもちゃんと動くところがすごい)。ユーザーが減って、誰も新しいものを作る気がなくなってしまったかのようだ。みんなはどうしているのだろうか? Linuxでまともにオーディオや音楽をやる人は絶滅してしまったのだろうか。演奏のミックスやマスタリングなど、ヘビーに使う人はMac(かWindows)に移り(というか、最初からLinuxに来てもいないw)、Linuxの残りの人はPulseAudioで音が出れば事足りているのかも知れない。確かに、配線とかイコライザとか細かくをいじる人でない限り、PulseAudioで充分ではある。

 

蛇足: 題の「枯れる」は、僕らは、ソフトなどを作ってから時間が経って、(不具合が出尽くして、)落ち着いた状態を差します。そういう意味で、JACKと関連ソフトは随分時間は経っているものの、まだまだ枯れていないようですが、その前に朽ちているのかも知れません。将来が心配です。

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暇つぶしに、もう使わなくなってスパムや広告しか来ない、Yahoo!(数個)ともう一つのプロバイダ(ぷで始まる古いところ)のアカウントを削除(退会)しようとした。すると、予想通り、退会のボタンもリンクもなく、方法が分からない。どちらも、サポートや問い合わせのページで検索してやっと出て来た。後者は、退会ページで再度、自分の名前だの住所だのを入力し直させるというアホさ加減。意味あるのかね? あとでオペレータが確認して、少しでも間違っていたら再度手続きさせるのだろうか。

姑息過ぎる。無駄過ぎる。今時馬鹿かと思う。

退会が簡単にできてしまうと、退会する人が増えるとでも思っているのか。仮にそうだったとして、それを招いたのは誰だと思っているのだろうか。満足していれば、少なくとも不満がなければ、退会などしないだろう。逆に、退会が簡単にできないのなら、もう二度と入りたくないと思う。

こういう調子だから、みんなGoogleやAmazonなどの海外のサービスに集まるのではないだろうか(もしかして、それらも退会方法は分かりにくいのかも知れないが、未確認だ)。まあ、退会方法だけじゃなくて、一事が万事、昔からの日本的なセコいやり方(例: Yahoo!は広告メールが鬱陶しい)を続けていたのでは、全然駄目だ。暗い将来が約束されているよw

広告メールについて書くと、あんなの(こっちは必要ないが、POPやIMAPを使おうとすると、広告を受信する設定が要る)を読む人が今時居るのだろうか? 全部ゴミ箱直行では? 彼らは送信した数とクリック数でお金をもらっているのだろうが、クリック数なんて全然出ないだろう。そんな無駄なことをしてユーザーに嫌われるんだったら、やらなければいいのに。何も分かっていない。大体、今時、POPやIMAP程度でお金を取ろうなんてのが時代遅れ過ぎる。少しはGoogleを見習えばいいのに。。。

 

メモ: Yahoo! JapanのID削除ページ: ログイン後にここに行けば、手続きできる。

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ポテトチップやカップ麺のようなジャンクフードは、買ったら大抵数日以内に食べてしまう。買う時は全くそういうつもりはないのだが、気付くと食べてしまっている。もちろん、なければ食べられないが、食べたい時にわざわざ買いに行くほど好きな訳ではない。だから、買ってすぐに食べる必然性もない気がする。やはり、登山のように、

そこにあるから

なのだと思う。他の人はどうだろうか?

 

PS. ちなみに、饅頭やどら焼きやお団子のようなちょっとしたお菓子には、この法則は成り立たないのがおもしろい。それらは賞味(消費)期限ギリギリまで残ることも多く、「食べないと駄目になってしまう」と焦ることすらある。やはり、ジャンクフードには何かがあるようだw

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僕にはどうでもいいことだが。

橋下はたまにいいことを言うが、これに関しては全くのポジショントークというのか、きっと魂胆があるのだろうが、「経団連のクソジジイ」的な時代遅れ感しかない。

例えば、「並ばない」とか言ってるけど、そもそも、この現代に(自然とかじゃあるまいし、)わざわざそこに行かないと見られないなんてこと自体が古いよ!

(見出しだけじゃなくて)記事を読んだら、「来てもらわなくても楽しめる」と書いてあった。分かってるじゃん。だったらやらなくていいよね。

東京でオリンピックだから大阪は万博ってこともないのだろうけど、万博やって、本当に何かメリットがあるのかね?? そもそも、こういうお祭り騒ぎをしないと日本の経済が立ち行かない(と偉い連中が思っている)ことが情けない。

 

(11/28 9:53) 蛇足: 上の「日本の経済が立ち行かない(と偉い連中が思っている)こと」は、正確には、

日本の経済が立ち行かない(と偉い連中が本気でそう思っている訳もなく、自分たちのカネのためでしかないだろうが、「やってる感」を出せば国民の目を欺けるとは思っている)こと

である。

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