Archive for the ‘音楽’ Category

昨日書いていて思い出した、ある、とてもレベルの低いピアノ教師についてずっと書こうと思っていたことを書く。それは実在のことかも知れないし、僕の脳内で想像しただけの架空のことかも知れない。ピアノでもギターでも絵画でも小説でも何だっていい。そういうのは関係ない。意見の内容だけが本物だ。

以前、大好きな曲をYouTubeで検索して、多くの曲の短評をずらっと書いたことがあった。直感的に感じたことを手短かに書いたので、単刀直入に「駄目」とかいうのも多かったと思う。

投稿の少し後、「駄目」と書かれたであろう一人がDNS業者に苦情を出し、そこからこちらに連絡が来た。最初はこちらの連絡先にメールを出したらしい(なぜか、それは届いていなかった)が、返事がないので(サーバ業者でなく)DNS業者に出したそうだが、こちらはとても慌てた(結構恐怖を感じた)。DNSを停められたらサーバにアクセスできなくなってしまうので、大打撃だ。

そういうことがあったので、長々とした「お知らせ」を書くようにした。

厳しいコメントや本人としては心外なコメント、それから説明が少なくて何が駄目か分からないコメントに苦情(本来は質問が真っ当だろう)を言って来るのは当たり前のことだと思うが、上記のように、最初に取った行動が非常識で、該当部分の削除を要求して来て、その理由が全く論外だったので呆れた、というより、すごく頭に来た。

簡単に書くと、その人はピアノ教室の先生で、教室を探している人が、僕がここに書いたコメントを検索して見つけて読んだら来なくなってしまい、生徒が減るということだった。

笑止。アホか馬鹿かと。

まず、お前は何のために演奏してるんだと言いたい。演奏者・芸術家であれば、赤の他人の意見や感想を聞くのも仕事ではないか? 素人の下らない的外れなコメントなんて聞きたくないし、そんなのに振り回されていたら駄目になってしまうという気持ちは良く分かるが、じゃあ、お前は誰に向けて演奏しているのだ? 的確なコメントや耳触りのいいコメントだけ聞きたいなら、プロとかお友達だけに演奏してろ。

余談だが、その人は、(仮にすごい勇気があって)プロの前で演奏して、偉い人(例: 自分の先生や大学の研究者や大家)から同じようなことを言われたら、どう反応するのだろうか? きっと、「なるほど、そうですね・・・」と全く反論しないのだろうな。ふふふ。

(誹謗や中傷でなく)演奏の感想であれば、例えひどいことを言われたって、そこに自分が気付いていない・知らない何かあるかも知れないし、議論したっていいじゃないか。怒ったっていいけど、都合の悪いコメントを抹殺するなんてありえない(すべてのコメントを無視する方がずっといい)。意見を聞きたくないなら、演奏を公開してはいけない。そのYouTubeはコメントできないようになっていたが、それだったら、自分の教室のページにでも載せればいい。「先生」をしているだけで演奏者ではないのか。自分の演奏の発表でなく、教室の宣伝のためのものなのなら、あらかじめ、そう書いておいて欲しかった。あるいは、個人名でなく教室名で出せばいいのに(ただ、そうであっても、痛い目に遭うことがあるのを知った今はともかく、当時は「この教室は駄目だ」と書いたかも知れないが)。

コメントについてもう少し書くと、演奏は工業製品じゃないので、口コミで良し悪しを判断するものではなく、自分で聴いて判断するものだから、評判を鵜呑みにするのは馬鹿げている。一方、世の中には自分で判断出来ない人は多いが、もし、書かれたコメント(あるいは、thumbs up/down)の多数が「駄目」だったら、それは客観的な評価で、ある意味「事実」なのだから、それを信じられても仕方ない。自分ではいいと思っていたって、そういう世の中なのだから仕方ない。その世界に入ったのは自分なのだから、自分で何とかするしかないのだ。ひどいコメントからだって、どうすればいいかのヒントが得られるかも知れない。一方、もし、その演奏が素晴らしいものだったとしても、コメントできないようにしていたら全く評価されないし、ここのようなところでひっそりと書かれた情報しかなくなってしまうから、営業的な効果は良くないだろう。いずれにしても、もったいない。

更に、気に入らないコメントが見たくないなら、エゴサーチなんてするな! 虫が良過ぎることに気付いた方がいい。

次に、本物の演奏がリンクで紹介されているのに、その演奏への自分の感想でなく他人のコメントを信じ切って来ない子(または来させない親の子、以下同)に将来はないから、(音楽の世界から見れば)全然問題ない。別の言い方をすれば、あなたの演奏を聴いて、自分で良し悪し(自分の好みかどうかでもいい)を判断できない子、コメント不可の状態を見ておかしいと思えない子に将来はないから、問題はない。逆に、僕のコメントに同感・反発して行かない・行く子には将来があるかも知れないし、ないかも知れない。だから、論理的には、コメントには何も影響力はなく(そもそも、ここは何万PV/日もあるようなところじゃない)、問題もない。問題があるのは、あなたの懐だけだ。あなたはお金が欲しいからピアノ教室をしているのであって、音楽のためにではないのだろう。生活のためにはそれだって仕方ないけど、だったら、もっと営業的に賢いことをした方がいい。「臭いものに蓋」では無理だ。

だから、あなたのところに行く生徒が減って、将来的に(演奏や指導技術の良し悪し以前に、教師の考え方の点で)低レベルなピアノ教室が減るのは、音楽のためにはいいことだと思う。(当時、DNSを停められたら困るし、馬鹿に付き合うのは割に合わないからその部分を消したが、)僕は何も悪いことはしていなかったと、今、再確認した。

最後に、芸術をするのなら(普通の仕事だってそうだ)、自分とそれ以外の評価のギャップは当たり前で、それに抗うパワーなり熱意なり崖から飛び降りるような決意が必要ではないだろうか。まさに真剣勝負だ。この人はそういうところから逃げて、ぬくぬくとした安全なところから何か(成功?)しようとしているが、それじゃあ人の心は打てないだろうし、(結果論だが)「駄目」と書かれても仕方ないと思う。

 

PS. ブログ以前から、ずーっと、口コミ(親同士の内緒の情報交換)はあったと思うが、この人はそれも封殺してるのかねえ・・・w

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(酔っているから書く)

内田のK. 488 (1986)を聴いて、先日、台無しだと思った人とは全然違って、やっぱりすごいと思う。透明で純粋で、一見普通ですごく聴こえないところが却ってすごい(なぜか、こうは弾けないようだ)。

もちろん、曲自体も恐ろしくいい。

この感覚(普通に「名曲」、「いい演奏」と表現するのとは違う気がするが、どう違うのかは説明できない。もちろん、名曲だし、いい演奏ではある)を他の方と共有できるのかできないのか、まずそこが知りたい。

余談: ただ、彼女のモーツァルトのピアノ協奏曲の弾き振りはどうも気に入らないので、そこまで共感して頂ける方が居るのだろうかとも思う。

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筒井康隆は中高大の頃に好きだったが、かなり前(パソ通をやり出す辺りや、断筆騒ぎの頃だろう)から、僕の中では「時流に乗ろうとしている下らないジジイ」扱いで、すっかり過去の人である。

でも、その扱いが彼には真っ当だと思う。今になって文豪扱いするとしたら、それはおかしい(経歴的には真っ当だが、その扱いは彼にふさわしくない)。僕は、ここ十年以上、全く本を読めないので、彼がどういう位置に居るのか全く知らないが。

余談: 「文豪」と言えば、名前は書かないが、デビュー当時は「ルンルン」だかなんだかの(読んだことないけど)軽薄な小説だか随筆だかなんだかを書いていた作家が、今では立派にそういう位置に居るみたいで、それを知った時は本当に片腹痛かったw 他にも、「なんとなく」軽薄な作品で出た人が政治家になって偉そうにしているのも、おかしかった。

今はともかく、彼には(彼だけじゃないが)さまざまな影響を受け、その結果、今の僕があるというのは確かな気がする。まずは反骨精神だろうか。どうしてか分からないが、偉い者や権威には楯突く(あるいは、内心馬鹿にする)気を植え付けられてしまった。あとは、常識を疑うとか、「普通」はつまらないとか・・・ まさに、中二病の感染源で、今にして思えば、とんでもなくひどい奴だったw

というのは、やっぱり、彼への最大の賛辞だと思う。

(なんか、彼が死んだような書き方だけど、そうじゃないよね)

 

PS. そして今、不思議に思うのは、今だって権威が大嫌いな僕が、特にモーツァルトのようなすごい作曲家やポリーニ、ゼルキン、内田などのスタンダード過ぎるとも言える演奏家に全くと言っていいほど反感を覚えない(本当に素直に、「いい」と思える)ことだ。なんでだろうね??

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会社が、(嫌々ながら)ストレスチェックなるものをやるとのことなので、早速やってみた。少し大げさに付けたところはあるが、概ね正直にやったのだが、結果を見て吹いた。なんと、

ストレス度がMAX (N段階の最高の値)

だったのだ。普通は自分の予想より低く出てがっかりするものだが(実際、最初にその値を見た時、一番軽いのかと思った)、今回は胸のすく思いだw

まあ、会社自体、「法で決まっているから、とりあえず形だけやるけど、何かあっても自分で解決してね」ってスタンスなので(担当のアフォが本当にみんなの前で言っていた)、まあ、ストレスは溜まるよね・・・

 

PS. そんなこんなで、今日は別件でイライラして頭が痛いので、無伴奏チェロ (ビルスマ, 1992)を聴いて落ち着こうとしている。が、書かなくていいことだが、この曲はビールのようなもので、最初の曲の出だしが一番癒やされるが、あとは惰性かな・・・ バッハ様、すみませんw

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さっきから、Arie Vardiという人のK. 488 (1988?)を聴いている。最初は素直な感じで悪くなかったのだが、段々、気に入らなくなってきた。1楽章のイントロは良かったのだが、その後はちょっと慌ただしい感じでもったいない。深みも少ない。実は、忘れていたのだが、この演奏は以前聴いていたようで、thumbs upしていたのだが、取り消した。逆に、downにしたいくらいだ。

僕は、この曲の2楽章終盤の寂しいピアノが好きなのだが、この人のはちょっとおかしく、サーカスみたいに(ラフマニノフのピアノ協奏曲 第3番 第2楽章後半にそんな箇所がある)なって、場違いで台無しになっていた。。。 3楽章だって、もう少し流麗に弾いてほしい。曲に負けているよ。(今気付いたが、この人、弾き振りしている。ピアニストの弾き振りは大抵失敗するんだよね。止めときゃいいのに・・・)

と、がっかりすることも多いのだから、K. 488だったら愛聴のポリーニのにしておけばいいのに、僕はなぜ、新しい演奏を探すのだろうか。良くは分からないが、変化とか「もっといいもの」を求めているのだろう。まったく、自分で弾け(き)もしないのに贅沢(高望み)もいいところだ!w

でも、今は、GPMのおかげで、この程度ならいくらでも贅沢できるのだから、本当にありがたいことだ。

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昨日の朝、ジョンの"(Just Like) Starting Over"(1980)を懐かしく聴いた。昔は、この曲の最後のような、ちょっと間を置くドラムの叩き方が流行っていて(本当にそうだったかは分からないが、そんな気がする)、好きだった。「間」に乗れるからだろうか。薬師丸ひろ子の「あなたを・もっと・知りたくて」(1985, ビデオの歌はすごく下手だなあ・・・)のイントロもそうだった。

"Starting Over"といえば、それが入っているアルバム、"Double Fantasy"のドラムの、乾いているけど重目(「重目だけど、乾いていて重過ぎない」と書く方が正確だろう。あるいは、「サクッとしているけど軽過ぎない、厚切りチップのような音」か)の音は結構好きだ。今聴いたら、「あなたをー」のも同様の音で、やっぱり好きだ。

こういう曲を聴くと、当時の音楽ビデオで、フォリナーのドラムのような人が、手袋をしてスティックを握って、(「見せ場だから絶対にヘマしないぞ!」と思いつつ)熱気たっぷりに身体全体を動かして、汗を飛び散らせながら叩く光景を思い浮かべる。それは、何となく、テイラー(クイーン)のとは違う気がする。もちろん、スター(ビートルズ)とは全然違う。そこら辺は「真面目な子」というイメージだ。

そして、今気付いたのだが、U2の音とは正反対ではないだろうか。だから、僕はU2が苦手なのかも知れない。

 

PS. こういうのは、僕が良く書いている、クラシック演奏(僕だと、特にピアノ)の「音の良し悪し」と共通するものがあると思う。ピアノは、チューニングではそれほど音は変わらないが(でも、調子(→ 弾きやすさ)は結構変わる)、それぞれの楽器固有の音(=個性)があり、もちろん、弾き方で音は変わる。ドラムは楽器とチューニングと演奏で音が変わるのだろう。

だから、僕が書く、(ピアノの)演奏の音がいいとか悪いとかにピンと来られなかった方は、こういうことだと思って下さい。 (1/27 9:39)

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もちろんいろいろあるのだが、今回帰省した時に危うくブチ切れそうになったのは、ピアノの演奏についてだ。

母にピアノの曲を聴かせると、大抵、「右と左(の手)が別々に動かせるなんてすごいね」とか「すごい速さで良く指が動くね」などと言う。間違ってはいないのだが、完全にポイントがずれている。詳しくないのだからそれだっていいが、問題は、僕が「それは当たり前のことで、どう演奏するかが難しいんだよ」と言っても、「そうかい」みたいに聞き流して、次に帰省したら、また同じことを言うことだ。今回もそうだったので、一体何回言われれば記憶できるのかと思った。

高齢なので忘れやすいのかも知れないが、何も考えていない・考えようとしないことが嫌だし、頭に来る。音楽とスポーツを同一視するかのような、「いい演奏=高度なテクニック」のような、間違った思い込みをしていて、指摘されても直そうとしない。そもそも、曲や演奏自体を聴かずに、曲芸を見るような扱いをしているのも許せない。

良く考えて欲しい。右と左の手が別々に動かせて、指も高速に動き、ものすごく複雑な曲も楽譜通り弾けるのがいい演奏なのであれば、今だったら演奏者なんて要らない。AIが一番だ。手なんて、2本どころか百本だって可能だ。昔だって、ピアノロールで充分だっただろう。

なんてことも想像できないのだろうから、まあ仕方ない。僕は(その時聴いていた曲が一気に低次元に突き落とされてしまった気がして、)苦虫を噛み潰したような顔で、年越し蕎麦を食べていた(んだろうなぁ/気がする)。

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今年は、以前書いた「変化」が楽しみでもあり、不安もあります。そもそも、他人の発起によるものなので、実現しない可能性が高いですし、仮に実現したら、絵の中の猫と違って、のんびりは過ごせなさそうです。でもまあ、昔から(広義の)ギャンブル好きな僕としては、苦痛の多い現状に耐え続けるよりは、そっちに賭けたいです。

仮に忙しくなっても、去年にも増して、何でもないことに対して、普通は数行で済むことでも、さまざまな空理空想や屁理屈をこねまくって、嫌というほど長い文章を書いて行きたいと思いますw 世の中は短文が流行りですが、僕にしてみれば、あれは文章とすら言えない記号(実際、記号も多多用されている。しかも、多くの場合、文章の本来の役目を果たさない、単なるノイズになっている)の類です。ノイズなら無視すればいいですが、そういうのをプロパガンダに使う輩も多く、全く笑えません。世の中は変化・退化・劣化しますが、天邪鬼な僕は、流れに反するのが楽しいです。

短文を書くにしても、どうしてあんなに矢継ぎ早に書く・書けるのか、全く不思議です。短文は、長文以上に一字一句の吟味が必要です。そうしていない文章なんて、全くのゴミです。きっと、何かが並んでいればいいのでしょう。それがどう読まれようが知ったことではない、というか、日本人らしく、他人も自分と同じように読む(理解する・感じる)と思っているのでしょう。そして、最後は無事炎上して終わるとw

書くまでもなく、音楽は聴きます。去年から始めたGoogle play musicのおかげで、あまりお金を掛けず、物も増やさずに、ものすごく多くの演奏が聴ける(試せる)ようになりました。今は、膨大な演奏の中から、どうやって探し選ぶか、更に、数多くの「いい」と思った演奏を、どうやって記憶に留めるか・記録しておくかで頭を悩ませています。更に、いいと思った演奏でも、後で聴くと印象が変わってしまうことがあるのも、なかなか難しい問題です。まあ、それだって、「一粒で二度おいしい(かも知れない)」ので、おもしろいと思います。

今年もよろしくお願いします。

PiuLento / れんと

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昨夜、Thomas Leyerという謎の人のラフマニノフのピアノ協奏曲 第2番(2016?)の演奏を聴いてみたら、スケールが大きくて結構良かった。そこから、寝る前に思ったことがある。

Leyerは、実は実在しない人なのでは? 「もしかして(Googleの)AI?」ってことはまだないだろうが、もう少ししたら、AIが演奏するようになって、TVや映画やフィギュアスケートや結婚式や合唱などでBGMや伴奏に使われる、「普通の演奏」をする人は不要になってしまうのではと。だって、誰も演奏者固有の表現はもちろん、演奏の良し悪しになんて気を留めない(間違えずに、正しいテンポで演奏すればいい)のだから・・・

そうなったら、使う人は演奏料が安くなって便利だけど、演奏者を目指す人が激減してしまいそうだ。更に、「普通の曲」の作曲だって、AIがしそうだから(「券」か何かでCDの枚数をさばくのが目的の、なぜか大人数でユニゾンする日本のポップなんて、特に簡単そうだw)、作曲家になる人も激減する。詞だって然り。そうすると、音楽自体が衰退してしまうのではないか。それか、農水産物のように「無AI」とか「天然物」(実際には、芸術は天然ではないから、「人間物」だろうが)は貴重になるとか・・・

無AIといえば、大昔、ボストンだったか、シンセを使わないのをうたっていた(レコードに"No synthesizers used"などと書いていた)バンドがあった。クイーンも書いていたことがあったようだ。でも、そういうのは少数派だったし、彼らにしても、結局、すぐ後にシンセを使い出したから、AIもそんな流れになる気がする。

そもそも、重要なのは、結果としての音やそれで生まれる表現、その良し悪しであって、それをどのように作ろうが、聴く方は知ったことじゃないのだ。どんなに苦労して音を作っても、全く同じ音や表現が別の方法で楽にできるのなら、お互いにそれでいいということだろう。

 

PS. AIの演奏は、技術的には充分可能だ(少なくとも、車よりはずっと楽だw)。というのは、「普通に」演奏する技術は、今はやりの学習で身につけられるだろうし(難しいのは曲を「理解」することだろうが、多くの演奏の(楽譜と)音とその評価を与えれば、理解しなくてもできるのではないか)、AIが本物の楽器を物理的に演奏する必要はなく、合成などで演奏の「音」を作ればいいのだから。コンサートじゃないので、誰も、音をどうやって作ったかなんて気にせず、その楽器らしい音があればいいのだ。

僕としてはまったく納得行かないが、世の中はそうなので仕方ない。

でも、いいこともありそうだ。個人の好みをAIに学習させれば、どんな曲でも自分好みの、しかも、その時の気分などに自在に対応した演奏(演奏中も、「ここはもう少し滑らかに。もう一回やって」とか言えば調整可能)で聴けるではないか! 未来のGPMを見た気がする。(それで本当にいいのか、疑問だが・・・)

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正直言って、東京や周辺の都会なんて嫌いで全然行きたくはないんだが、この歌は大好きだ。自分でも不思議なくらいだ。ヒットした当時はそれほどでもなかった(彼のコミカルな雰囲気や、牛をはじめとする大小道具を馬鹿にしていた)が、近頃になって、「マイブーム」になっているw

今日だって、 なぜか分からないのだが、仕事中に聴きたくなって、昼休みにGPMで聴いた(こんな時に、GPMはものすごく便利だ)。聴きながら、身体を前後に揺らして乗りまくっていた。更に、実は、それまで待てずに、脳内で「おらこんな村嫌だ−」とループ演奏していたw

理由をちょっと考えたが、あの独特の乗り(主に、リズムだろうか)がいいのだろうと思う。日本初のラップかとも言われているが、僕はラップは好きでないので、それ以外の良さがあるようだ。

リズムの他には、あの、どこか投げやりな歌い方(例:フレーズ頭の「はぁ」とかフレーズ終わりの「てかっ」)にもひかれる。今にして思うことだが、「この歌が駄目だったら、止めよう」みたいな雰囲気が感じられる。そういえば、(下記の)ラフマニノフもピアノ協奏曲 第2番が転機だったようだから、そういう、背景の共通点はあるのかも知れない。全くの思い付きだが。(そして、これは僕の持論の「作品と背景は無関係」に反するが、実際にそうなのであれば仕方ない)

一方、今は、例によって、飽きもせず、ラフマニノフのピアノ協奏曲 第2番を聴いている。この曲とラフマニノフの関連は全くないように思える(例えれば、焼きそばとフランス料理?)のだが、僕の中では、乗りの良さで共存し、何か共通点があるように思えてならない(第3番も、他の好きな曲も同様)。その秘密を、音大の方や研究者の方に是非教えて頂きたい(と書くだけじゃ全く実現しないのだが、書くだけ書いておくw)。

 

PS. この曲をヘッドフォンで聴いたら、少し音質が悪いのが分かった。でも、それは全然問題でない。

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