Archive for the ‘音楽’ Category

ひょんなことから※、今朝、昔から余り好きでない(正確には、僕には合わない)グリモーの、ラフマニノフのピアノ協奏曲 第2番(2001)を試しに聴いてみた。結果としては やっぱり合わなかったけど、どうして合わないかなど、少し分かったことがあった。

※昨夜、何を思ったのか、ジルベルシュテインの上記の曲の演奏(1994)をちょっと聴いたら(これも今一つ気に入らなかった)、自作の音楽鑑賞履歴・感想記録システム(Mlhi)にちょっとしたバグが見付かって直した時に、グリモーの1992年の演奏では同じ問題が出るか試しに再生してみた(バグは出なかった)。演奏は、彼女の経験が浅かったこともあるのだろう、やっぱり全然気に入らなかった。でも、「近頃のなら、もしかしたら・・・」と思ったのだろう。

ちなみに、1992年のはCDを持っている。当時はミーハーだったので、彼女が可愛かった*ので何も考えずにジャケ買いした気がするw そんな彼女ももう50歳と知って驚いた。

*今見ると、単に可愛い訳ではなく、妙に意識高そうな面倒そうな雰囲気が醸し出ていて、実際、今までのアルバムや言動を見る限り、当たっていそうだw

2001年の演奏は1992年のよりずっといいと思う。ただ、少しやり過ぎ感がある。時々ロマンティック過ぎる感じで*、具体的には、テンポの揺らぎが大き過ぎるように感じた。※ その揺らぎが僕・この曲には大問題で、期待・予期したところにスパっと来ないので、なかなか全力で乗れない感じで もどかしい。

*すごく月並みな書き方をすると、「ショパンなら許されるような弾き方」ではありそうだが、そう単純な話ではない。

※オーディオのジッターとは全く違うが、演奏のテンポに波形があるとすれば、そういう感じに予測不可能にフラフラする。

例えれば、丸太の輪切りの踏み台が並んだ池を渡ろうとする時、台の間隔や位置が微妙にずれていて いつも足元に気を遣っていないと踏み外すので、なかなかリズミカルに行けないみたいな感じだ。もう一つの例えだと、こっちが相手のそれまでの言動から反応を予想して何かしても大抵外れて、冷たくされてがっかりして、乗りが悪いと感じるみたいな・・・

この揺らぎは彼女の解釈・個性なのだろうと思うが、僕には合わない。もちろん、バッハとかじゃないから「がっちり固定しろ」とは言わない。ただ、その量や仕方が僕には合わなかった。

そのせいで、第2楽章は今一つ乗りが悪かった。最もパワフルで乗りを期待する第3楽章の細かい感想を書くと、冒頭・前半でキレや鋭さが足りない箇所があり、中盤も鋭さとパワーが足りななど、なんか惜しい。後半の、ピアノが中心で低音弦が静かに伴奏する箇所は遅過ぎてイライラした。終盤も、彼女の揺らぎのせいで乗り切れないし、最後は余りにも坦々としていて物足りなかった。

ただ、下手ではないし、全く駄目な演奏だとは思わない。例えば、多くの音を「ちゃんと出している」(そう聞こえさせた)ところは感心した。

もちろん、仮にすべての音をちゃんと出していたとしても、僕に聞き取れる訳がないので、あくまでも印象である。おそらく、他の人が目立たせずに弾いている音を聞こえやすく出しているのだろう。

 

という訳で、不完全燃焼だったので、例によって別の人のを聴き直したのだが、今日はSantiago Rodriguezの(1999)にした。この演奏は普通にいい。すごくはないが、グリモーの(2001)に比べてずっと乗れるし、安心して聴けた。わずかな欠点は、なぜか第3楽章の出だしが遅過ぎることだった。それ以外は問題ない。これを読んで聴く方が居るとも思えないが、ちょっとお勧めである。

録音に関して付記すると、このアルバムは低音の入り方がいいのか、うちのシステムでの出方が とても気持ち良かった。

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モーツァルトのピアノ協奏曲の良し悪しについて思ったこと。

今日、ふとK. 488(第23番)が聴きたくなったので聴いてみたら、例によって満足できないことが多かった。

ピアノ協奏曲 第23番: Matthias Kirschnereitの(2005)は駄目だったが(第1楽章まで)、Jean-Claude Pennetierの(2006)は悪くない。

ピアノ協奏曲 第24番: Alessio Baxの(2013)は駄目だった(第2楽章まで)しStefan Vladarの(2007)も駄目だった(第1楽章まで)が、Richard Goodeの(1999)は恐らくいい(イントロまで)。

どの演奏者も、技術的には何も問題なく同等(あるいは、あるしきい値以上)のレベルのはずだが、僕の耳には(演奏の良さが)明らかに違って聞こえる。本当に、具体的・定量的に説明できない、「わずかな違い」だと思う。例えば、第23番 第1楽章では、Kirschnereitのは「滑らかさが足りない」とか、第24番 第2楽章では、Baxのは「ただ弾いているだけに聞こえる」やVladarのは「速過ぎる」だ。そして、悪くないという感想のPennetierの第23番だって、いろいろ不満があるにも関わらず許せるのが不思議だ。

まさに、

いいものもある、だけど、悪いものもある

ってやつか。。。

 

こういう違いは、演奏者の理解・解釈に始まり、最終的にはピアノ(もちろん、オケも同様)の弾き方で生み出されている訳で、それをどうにか測定して数値で表現できるものかと思うが、個人的にはできなくてもいいと思う。

もしできてしまったら、機械(AIなど)で演奏できてしまうことに繋がるので。でも、それでも演奏できるとは言えない。いくらそういう「演奏」(表現)ができても、そういう表現をするための理解・解釈ができなければいけないはずで、それは難しい(人間でないとできない)と思う・思いたいのだ。

つまり、コピーでは駄目なのだ。具体的には、AIが「*の再現・復活」でなく、そのAI固有の表現・演奏ができて、それに芸術性があって、世の中に受け入れられるなら、許せる。が、個人的には、そういう世の中は全然見たくない・・・

ただ、そのうち、「モーツァルトが本当に意図した演奏」なんてのが出そうだ。それはどうやって証明するのか分からないが、いくら証明されても、僕は認めたくないwww そして、仮にそれができたとしても、上に書いたAI固有の表現・演奏とは違う。

そもそも、現代では「現代的な解釈・演奏」がなされている・好まれるので、作曲者本人の意図に忠実に演奏するのは、今の古楽器による演奏の完璧版のようなもので、(現代の)芸術としては必ずしも最高・最良ではないと、個人的には思う。

なぜかと言えば、今は作曲当時存在していなかった・作曲者が想定していなかった楽器や環境で演奏できるからで、そういうすごい演奏が必ずしも作曲者の意に反するとは言えず、もしかしたら、作曲者の意図を拡張して反映している(曲の良さを拡張して表現している)かも知れないからだ。

そういう意味では、AIが人間の創造性・能力を超えた領域(もちろん、既存の楽器の範疇も超えるだろう)で解釈・表現・演奏する可能性もある訳で、それはそれで楽しみでもあり、恐ろしい気もする。

 

酔っているので、後半は大風呂敷を広げたwww

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バレンボイム/ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ全集(2020)(13CD)

Disc 1-10: ベートーヴェン ピアノ・ソナタ 第1番-第32番
録音時期:2020年5月18日~6月1日

紹介より: ピアニストで指揮者のダニエル・バレンボイムが、この自粛期間に新たにベートーヴェンの録音を行いました。これほど長い期間集中してベートーヴェンの音楽に向き合った音楽家は他にいないのではないでしょうか。

は? 「新約聖書」とまで呼ばれているソナタ32曲全部、実にCD 10枚分の演奏を1か月も掛けずに録音した?? (それが「長い期間」? 一年の間違いじゃなくって?) 「絶句」としか書けない。

もちろん、聴く気は起こらないな。

と書きつつ、早速Spotifyで検索したけど、まだなかったw もちろん聴かないけど、とりあえずは「悲愴」(の最初の音)だな(爆)

で、パブロフの犬のように、それが脳内でリピート再生されてしまって困っている今w

 

PS. でもまあ、ベートーヴェンだから許せるな。これがもし、モーツァルトのピアノソナタとかピアノ協奏曲全部を2週間でとかだったら、こんなもんじゃ済まないよwww

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ベゾス、ジョブズ、孫正義…世界の大富豪が実践する「5つのルーティン」

以前から書いているように、僕はこういう「大富豪や業界のカリスマが実践する−」とかいうのは、全く眉唾・実効性がないと思っている。というのは、そういうのは十分条件とか結果論であって、真似れば彼らのようになれるってことは100%ないからだ。だから、僕は単に読んで(こうやって御託を並べて)楽しむだけだ。

こういうことを言う・書く人たちってのは何なんだろうなあと思う。そもそも受け売りとか「他人のふんどし」じゃん。それでも、いろいろな会社などから講演だのトレーニングだのを依頼されるんだろうから、ある意味いい商売だ。そういうのをして どのくらい効果があったか検証して公開している人が居たら、是非教えて欲しい。 − というのは全く余計なことだ。

あ、そういう連中自身が富豪でも有名人でもないってことが、彼らの論が正しくないことを証明していそうだwwww (要するに、「特別な儲け話」を持って来る営業に「自分でやったら?」って話。)

とは言え、上の記事に挙げられていることをやっても損はないから、全く無意味とか有害だとも言えない。それに、そもそもこういうことを知らずにやらずに、「なんか効率悪いなあ」と思ったり、そもそも何も思わないのは論外だから、知るのはいいことだ。でも、やっぱり、視点が違うんだよなぁ・・・

 

なんてことを、富豪でもカリスマでもない、遊民の僕が書いても説得力ないね(爆)

 

PS. 実は僕はルーチンワークが大っ嫌いだ。変化がなくて何もおもしろくないじゃないか。だから、上の全部をやっていると言うのは、そうしようと思って始めた訳でも、いつも意識してしているのではなく、気付いたらそうなっていた・いるのだ。別の言い方をすると、それが楽だからだ。だから、することに何も抵抗はないし、逆に いつでもすっ飛ばせる。そして、もっとおもしろいとか役に立つとか楽なことがあれば、何もためらわずにそっちに切り替える。

PS2. 記事について一つだけ書く。ジョブズもしていたという、静かな時間を持つのは本当に必要だと思う。僕は音楽が大好きだけど、いつもBGMを掛けようとは全然思わない。それがいいとは全く思わない。何も意味がない。※ 近頃は、Spotifyに入って居るにも関わらず、音楽を掛けない時間のほうが多い気もするw

若い頃と違って、今はね。

だから、お店や医療機関のような、一日中BGMが流れる会社や職場があると思うが、(おそらく好きでも嫌いでもない音楽を延々と聴かされて、)僕からしたら地獄とか苦行としか思えない(例えば、冷房が寒すぎる・暑過ぎる建物・部屋のような感じ)。まともに考えることができなくなるだろう。逆に、そういうところでちゃんと仕事できるのはすごいとすら思う。

↑今思い付いたが、将来は、今の「香害」的な扱い(「音楽害」?: 「職場で一日中BGMが流れていて苦痛なんです・・・」的な苦情)になるんじゃまいか??

PS3. ↑の「音楽害」を検索していたら、「楽器が脳の若さと健康につながる! 何歳から始めても楽器は百利あって一害なし! 脳科学の第一人者 瀧靖之先生による“カナデルチカラムービー”を公開。」なんて記事が見付かって、噴飯ものだ。そんなことないよ。絶対ない。「百利あっても三十害あり」だ。本当にまともに音楽をしようとしたら、精神を病むリスクがあることを意識すべきだ。それを求めないないならいいけど、それは一体なんだろうか? 彼の言う「楽器」? それってゲームとか遊戯みたいなものだろうか?

こいつに「悲愴」の最初の一(和)音だけでもいいから、満足に弾いてもらいたいわ。話はそれからだ!

そのレベルなら、「文学」(実際には、単に文字や文章を書くこと)だって若さとか健康にいい気がするが、何が違うのだろうか? (要するに、何だっていい)

(なんか、PSの方が重要になってしまった)

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PC内の音楽のファイルを整理(貴重なものとそうでないものの再分類)している時、コスミックインベンション※というグループの曲のアルバム画像がなかったので検索したら、あるページが目に留まった。おあつらえ向きな画像があったので使わせてもらったのだが、そのページ(「コスミックインベンション結成(または「(無題)」)」 (2008))の記述が妙に詳しくて興味をひいた。

※単語の間に「・」を入れるのが通例だが、上で参照したサイトの筆者の意向を尊重して、この稿では入れずに表記する。

詳しい以上に、なんというのか、「この不思議なページは一体何なのか?」と思った。普通にコスミックインベンションに詳しいだけなら、(僕みたいなw)変なマニアのオッサンでも書くが、「それ以上」なのだ。それで、その稿はもちろん、他もいろいろ読んでみたら、筆者の森岡一夫はコスミックインベンションの中心人物(森岡ミマ※)の親御さんであることが分かった。更に、今までは全く知らなかったのだが、日本のエレクトリックギターや電子楽器の創成期に尽力された方であることが分かった。しまいには、彼が既(6年くらい前)に亡くなっていることも分かった。。。 だから、一通り読んだら何かコメントを書こうと思って居たのだが、それはしなかった(どうりで、見たコメントに返事がなかった訳だ)。

※現在は「森岡みま」が正しいようだが、筆者の意向を尊重して、この稿では片仮名で表記した。

墓碑や記念碑のようなブログに圧倒されたというのか、なんとも感慨深いものがあった。

彼の楽器に関する熱意・苦労はなかなか壮絶なものだった。そして、昔から電子楽器(それから、リズムマシンやギター用の小さいエフェクタ)で有名なR社の創業者の悪行を知った。ただ、それは片方からの視点なので、必ずしも公平とは言えないだろう。それでも、僕も日本の楽器の大企業なんて金儲け中心でしょうもないと思って居た※から、全くのデタラメではなさそうだ。

※例えば、昔、電子ピアノやDTMのソフトを買う時にR社のも検討したが、なんとなく本質でないところに力を入れていた気がしたので止めた(でも、今となっては、電子ピアノは全部本質でない)。

なお、散々検討して買ったK社の電子ピアノもアップライトピアノも、Y社のDTMソフトもイマイチというオチであったw

そういう体験談を読むのはおもしろかったのだが、段々、彼と僕との趣味・指向の違いを実感して来て、読むのが大変(難儀)になって来た。例えば、彼の作ったエレクトリックギター(ファーストマン リバプール)の形は、僕には全くありえない。あと、当時大流行していたらしく、彼の会社でも生産していたモズライトもありえない。

僕は、その後に出て来た、ストラトキャスターテレキャスターから入ったので、そういうのでないと受け付けないのだが、実際にはモズライトが先だったから、ストラトなんてモズの形をちょっと変えた(上下逆にした)ものなんじゃないかと想像している。

なお、当時はシンプルな形状・機能のテレキャスターが大好きだった。あと、なぜかレスポールは全く好きでなかった(大きく膨らんで見えるので、僕の好きなソリッドボディーでないと誤解していたからだろうか)。でも、音はいいようだ。

そもそも、会社などの名前に自分の名前を英語にしたのを使う(「ファーストマン」 ← 一(first), 夫(man); 「ヒルウッド」 ← 岡(hill), 森(wood))のは10000%ありえない。もちろん付けるのは自由だが、僕にはそういうセンスは全くない。

あと、彼が晩年に経営していた建築会社の社員(見習いの大工さん)の扱い・接し方は、以前の会社のクソジジイ社長を思い出させた。昔だったこともあるのだろうが、長く経営者をしていなると、ああいうふうになってしまうのかな。

それから、細かいことだが、当時からコスミックインベンションは僕の趣味ではなかった(それでも、懐かしくて少しだけPCに曲を入れている)。そんなにうまくもなく、曲は良くもおもしろくもなく、単に「テクノアイドル」(それにしては、テクノでも中途半端だと感じた)みたいな、キワモノ的・本質でない存在にしか感じられなかった。でも、彼の記述では音楽の才能のある人が多かったようで、実際、今でも活躍している人(井上ヨシマサ)がいるそうだ。ただ、彼の曲をざっと見たが、余り好きなのはなかった。

そんな具合に、個人的には全く趣味が違うのではあるが、だからといって無視とか貶すだけではなく、彼の業績のすごさは認めて尊重したい。※ それなのに、世の中でほとんど知られていないのは、改めて日本の闇を感じた。

※いや、存命とか亡くなってから随分経っているなら、いつものように強力に叩くだろうが、そうでないので、さすがに手加減せざるを得ない。かと言って、現代の、死んだら何でも許され讃えられる風潮は大嫌いなので、上のように書いた。

 

「闇」以外に彼が顧みられない原因を想像すると、流行で売れていた「エレキギター」は置いておくとして、電子楽器、なかでも少し前に流行った通信カラオケの原型に関しては、自分ですごいアイデアだったと言っているのに、プロジェクトが終了させられた時点であっさり止めてしまったのが良くない(そんなにすごいと思っていたなら、経営者だったんだから、持ち出しででもやれば良かったのに)。もちろん「今となっては」の話だが、そのアイデアはMIDIに通じるものがあったのだから、続ければ良かったと思う。

きっと、その辺りがジョブズなどとの違いかと想像するが、あくまでも想像・後知恵である。

 

PS. 題について: こういう場合、いつも"90°"なのか"180°"なのか悩むが、前者は内積を取ると0になり、後者は-1になるから、「全く相容れない・共通点がない」という意味で90°が適当かと思った。

PS2. 相容れないとは書きつつも、「電子オルガン第一号試作」なんて、100本もの真空管の穴あけをして配線したなんて読んだら、「ウホー」って感じで血沸き肉踊っておもしろかった^^

  • (無題) |

    (無題) |

    [画像] 上記はコスミックインベンションのデビュー当時の写真で、ドラム担当は前列中央の森岡ミマ、そ…

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ルーティンワークwでCeronの新着ニュースを見ていたら、「小泉今日子、全104タイトルのべ726曲が一斉サブスク解禁(コメントあり) - 音楽ナタリー」というのが目に入り、早速Spotifyをチェックしたら確かに入っていた

ようやく小泉今日子の曲がSpotifyに入った。

でも、まあ、特に急いで聴きたい曲はないから、入っているのを見て「ふーん」と思っただけだが、少しして、折角だから とりあえず聴いてみようと思い、最新のベスト「コイズミクロニクル ~コンプリートシングルベスト1982-2017~」(2017)を試している。

演奏や音じゃないからいいけど、これのジャケットは「なんだかなあ・・・」である。この、昔の(ビットマップを改造して作った)ようなフォントは一体??※ どういう味を出したかったのか? あと、配信の画像では細かい文字が見えない。。。

※全くの余談だが、昔(1990年代前半)、LaTeXという文書整形システムを使っていたのだが、それに使えるフリーの日本語フォントがほとんどなく、X Window Systemの日本語ビットマップフォントを加工して使っていたことがある。今みたいに拡大・縮小自由自在のベクターフォントじゃないので、その字形は線が細かったり太かったり、線の横にドットがギザギザと出ていたりで、なかなかひどいものだった。偶然だとは思うが、ジャケットの「小泉今日子」の文字は、そのフォントにそっくりなのだ。

最初のほうの曲目は手持ちのベスト(「ザ・ベスト」(1986))と同じなので目新しくはないものの、やっぱり懐かしい。僕は、「まっ赤な女の子」(1983)辺りからリアルタイムに聞いていた気がする。と言っても、その頃はまだTVなどでちょっと聞く程度だった。なぜか力を入れ出したのは、何度か書いている"Today's girl"(1985)からだった。

このベストには、シングル(B面?)だけとか別名義で出した曲(例: あんみつ姫 「クライマックス御一緒に」(1984))も入っているから、手持ちになかった曲も聴けていい。

(ここまでの時点では)「渚のはいから人魚」(1984)、「渚のはいから人魚」(1984)、「迷宮のアンドローラ」(1984)、「ヤマトナデシコ七変化」(1984)、"The Stardust Memory"(1985)なんて、つい乗ってしまった・・・ (ほとんど全部だwww)

余談: 「ヤマトナデシコ−」だと思ったが、たまたま観たTVの歌番組で、あんみつ姫の格好で歌ったのだが、お笑いの人(東八郎?)が一緒におかしく(茶化しっぽく)踊っていたので、最後に彼女がちょっと切れて「バカヤロー」って言ってたのを思い出す。その動画、あるかなあ・・・

そして、以前書いた山口百恵と違って、数百曲のうち聴きたいのは数曲ってことはなく、数十曲はありそうだ^^ うむ、そうだったか。

 

少し音質の話を書くと、聴き出した時から、なんとなく音質が違う(良い)気がして、リマスタリングしたのかと思い、調べたら本当にそうだった。手持ちに比べて細かい音もちゃんと聞こえるが、(特に海外に)良くあるリマスター版のように、低音や高音を出し過ぎて「いかにもいい音」にしていないのが好感が持てる。こういう真っ当なリマスターなら許せる。いったい、どうすれば こうできるのか、ちょっと不思議ではある。ビクターの(この盤を担当した)エンジニアは腕がいいのかも知れない。

例えば、「半分少女」(1983)は、高域はもちろん低域もいい感じになっている。"The Stardust Memory"は右の電子(電気)ピアノと思われる音が違う(より忠実な感じ)。「ハートブレイカー」(1985)は低域が豊かになり、全体的な迫力も増えている。「なんてったってアイドル」(1985)は高音(シンバルなど)が ちゃんと聞こえる(切れ味が鋭いが、うるさくない)。

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何十年も音楽を聴いてきて、今ようやく、「ちゃんと音が聞こえるようになった」と実感する。

例えば、ビートルズの"Revolution"(1968)※のイントロのギターなんて、子どもの頃は、「とてつもない速さで続けて音を出している」と思い、「これは楽譜では表せない(楽譜は便宜上書いてあるだけ)演奏なんだ」と思い込んでいたのだが、今はちゃんと、何分音符かは分からない(16分くらい?)もののw、ちゃんと、それなりの長さのある音の断続として聞こえるようになった。

※最初に見付かった動画はレコードの版とは違う。これもいいけど、やっぱりレコードの版がいいな・・・

逆のパターン(とはちょっと違うが)として、以前、なおきさんに教えて頂いたことだが、ベートーヴェンの「悲愴*1のイントロが予想外に短い音符だった(少なくとも全か2分音符くらいかと思っていたが、8分だったか? ← 別の演奏*2より、4分と付点16分のタイだった)と知って、愕然wとしたことがある。

*1 余談だが、不思議なことに、YouTubeには好みの演奏がなかなかなかった。上のZimermanのは(少なくともイントロは)許せた。

*2 Alessio Baxの演奏(2011)は(折角のスタインウェイなのに)音が柔らか過ぎて曲を台無しにしているうえに、経験の浅さを露呈しているが、意外に良くて かなり乗れた。「筋がいい」というやつだろうか。ただ、最後はとても惜しかった・・・

こういうのが、同音連続(音楽用語は忘れた)に限らず、いろいろあるからおもしろい(だから、「初めて聞こえた」音が多いのかも知れない)。

歳(経験)のおかげかオーディオのおかげか、理由は分からないが、とにかくいいことだ。

 

PS. 本題とは関係ないが、上に挙げたKrystian Zimermanの「悲愴」(演奏年不明)の感想: 第1楽章: かなりいいんだけど惜しい。例えば、(とても細かいけど、)音の切り方が好きでない箇所が多々ある。でも、パワーの掛け方は乗れていい。

あと、強いところでピアノが うなる音(僕の想像)が聞こえてきてしびれたw こういうところは、ベートーヴェンに感心する。

第2楽章: これは今一つかな・・・ ちょっと平板的で深みが足りない。端正なのだとは思う。

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(題は、おもしろそうだからそうしただけです。)

良く行くスーパーは、どういう訳かBGMの選曲がおもしろい。もちろんオリジナル演奏ではなくて、BGM風のテキトーな演奏ではあるのだが、曲にグッと来てしまうことが結構ある。その演奏も、それほどテキトーでなく、充分許せるレベルなのがいい。

今日は、「ゴルトベルク」のアリアだったか(実際にはなんだか定かでないw)で、つい乗ってしまった※。結構前には、日本の昭和のポップ音楽で まったりしてしまった。あと、もちろん、バブル期のポップ音楽も掛かる。しかも、結構マイナーなのも掛かるからうれしくなる。

※そして、その変奏が終わったら、つい、(グールドののように)次の第一変奏が途切れなく掛かるのを「当然、ないよな」と思いつつも期待してしまったが、もちろん次は別の曲だったwww

まあ、選ぶ人(きっと、「選んでいる」という意識もないのだろう)は何も考えていなくて、「なんか、チャネル?の名前がそれらしいから」とか言う理由で選んだ気がする(そして、それ以来変えてない)。でも、まあ、それでいいと思う。

というのは、普通、スーパーのBGMなんて、当たり障りのない、聞いても分からない、テキトーなつまらない電子音楽(だいたいキーボード)が多いのに、そこは「聞いて分かる」ことが多いだけでもいいのに、乗れることさえあるからだ。

 

PS. (このスーパーやBGMとは全然関係ないが、書く場所がなかったのでついでに) 以前、鳩よけ用品を買いにホームセンターに行ってうろついていたら、"Johnny B. Goode"が聞こえてきた。ただ、オリジナルではなく、普通のカバーでもないけど妙に聴き覚えがある演奏(歌声)だったので、「もしや」と思って聞こえる方に行ってたら、やっぱり「海のお魚パーティー」wでのマーティーのだった。TVか何かの宣伝に"Back to the future"(1985)を流していたようだ。

そういう使い方が許されるのか ちょっと心配になったが、田舎だから問題ないだろうw

(8/7 6:25)

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今、"TOMORROW"(1995)が掛かっている。先日気付いたのだが、僕は、彼女と岡村孝子を混同していたフシがあるかも知れない。更に言えば、この曲と「夢をあきらめないで」(1987)※を混同していたかも知れぬ・・・

※このビデオ(2011? ← 調べたら2019だった)ではなぜか苦しそうに歌っていて、(その頃から調子悪かったということはないだろうが、 ← 休養直前だったようだ)それでつい見入ってしまったので、あえてシングルでない版を選んだ。

ファンの方からすれば全然違うとは思うが、どちらの方も似たようなイメージだし、ヒットした歌も似ている。ヒットした時期は分からないが、近い気がする(実は、岡村の方が早いようだ)。名字すら似ている。

とすれば、なんか岡村に申し訳ない気分だw でも、(外見の印象では)やっぱり岡村の方がお姉さん的で好きだ。

あと、昔の会社に岡本に似た丸顔の方が居たのを、思い出した。

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ふと思ったこと。

(今でも将来でも、) ある曲のある人の演奏をどうしても聴きたいことがあるだろう。(だから、そのメディア(CDやレコード)を手元に置いておきたい。)

という思いが実現する(その演奏をどうしても聴きたいと思うことがあり、手元に置いていたメディアが本当に役に立つ)ことは本当にあるのか?

今まで書いて来たように、僕は、少なくとも今はそれはない。「ある曲のある人の演奏」(が良かったこと)を思い出すだけで充分だ。ただ、これは、音楽(特に演奏: 「(作曲でなく)演奏する芸術」とでも言うのだろうか?)やperforming artsの意味を根本から否定するような気がするので、なかなか確信が持てない。

だって、もし、ある曲のある人のある時の演奏が良くてそれ以外はそうでないなら、もう、その人はその曲を演奏する意味がないことになってしまうのだから。とはいえ、その演奏者は意味があろうとなかろうと、自分がそうしたければ演奏しようと思うだろうし、それが今までよりいいことがあるかも知れない。例えば、グールドの「ゴルトベルク」のように。

 

PS. なんか、前にも似たようなことを書いた気がする。でも、ここは「忘れるために書いています。」なので良しとするwww

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Spotifyで掛かった、昔の好きな曲(瑞々しい果物のバンドの、狭過ぎる車に文句を言う、わがまま女子の歌w)のカバーが聴きたくなってYouTubeを探したら、ほとんどなくてがっかりした。アマチュアバンドのが数曲あったが、どれも「うーん・・・」であった。他に、同じく素人の「弾いてみた」が数曲あったので聴いてみたら、全部「は?」あるいは「いやいや」だった。

というのは、オリジナルの演奏を流しながらエレクトリックギターなどを弾いているだけだからだ。まあ、広義には弾いているけど、それは(僕も子どもの頃やっていた)遊びとかカラオケもどきであって、作品ではないと思う。まあ、そういうつもりでないのなら仕方ないけど。

全部の楽器を演奏するのは難しいとは思うが、パートの演奏を聴かせたいのなら、例えばリズムボックスだけで演奏して欲しい。それに、今ならスマフォやPCなどでいくらでも伴奏が演奏できるのではないだろうか? 伴奏なら多少機械的でもいいから。あとは自分の声とか歌でもいいじゃん。そもそも無伴奏でいいと思うが。

ここで大きく横道に逸れる。: こういうポップ音楽の「演奏してみた」の目的が良く分からない。いや、個人的には良く分かるが、音楽的意味が不明だ。

まず、「コピー」は、自分の技術を見せたいのは分かる。が、僕からすれば意味がない。だって、技術があるのはすごいけど、オリジナルに似せて何がおもしろいのかと思うからだ(実際には、僕もできたらおもしろいと思うけど)。敢えて言えば、コピーはピアノの「ハノン」みたいなものだろうか。

更に逸れる。: プログラミングに類推して考えると、ある演奏をコピーすることは、ソフトやプログラミングでは互換品(同じ仕様の別プログラム。非公開の仕様書などは参照せず、外部動作だけ見て作る)を作るってことだろう。これは良くあって、本物に近いほど喜ばれる。例えば、UNIX・LinuxでのSambaだ。

というのは、元々のソフトが有料だったり非公開だったり(最新の環境では)動かなかったり、クソだったりして、(自由に)使えないからだ。だが、音楽ではそういうことはほとんどない。CDやレコードなどを入手するのが高いことはあるかも知れないが、ほとんどの演奏は聴くことができる。そういう意味で、コピーには余り意味がないと思う。

だから、もし、全然世の中に出てないけど、素晴らしい・すごい演奏をコピー(再現)して世の中に公開するのは、とても意味があることだと思う。模写・写本みたいなものか。けれど、その忠実度を誰も分からないという点で、難しさはある。

コピーが大半であろうが、それ以外の、自分なりの解釈・アレンジでの演奏は意味があると思う。けれども、大抵は上記のようにオリジナルの演奏に被せているので、今一つだ。

最後に残る、完全にオリジナルな解釈・アレンジでの単独演奏、これは意味があるだろう。でも、オリジナルに勝るものはどのくらいあるだろうか・・・ だって、本人だって再録して成功することはほとんどないではないか・・・ でも、やるからにはここを目指して欲しい。

なんてこと言ってると、ハードルだけ上がっちゃうのかも知れないね・・・ 言ってみれば、こういうふうに気軽に始めるのはもちろんいいことで大切だけど、人に聴かせるのなら もう少ししっかりやろうってことだ。

 

PS. 本題とは関係ないけど ついでに書くが、YouTubeなどで動画を公開するなら、ちゃんと編集して欲しい。演奏の前が無駄に長いのは それだけで聴く・観る気が失せる。音だって最低限は整えて欲しい。とんでもない音量で始まって急に下がるとか、ありえない。おそらくAGCのせいなんだろうけど、少しは調整して欲しい。

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掲示板のまとめ「カーチャンの運転する車で松任谷由美流れがち問題wwwww」を読んだら、ユーミン、Queen、竹内まりや、ビリー・ジョエルなどが出て来て(ビートルズがないのは偶然か、更に年代が上のせいか)、まったく身につまされる。というか、別に なんにも悪いことはないがw そして、今は丁度、僕らの世代が「トーチャン」だの「カーチャン」だのになっていることに気付く。

車だの家で なんの気なしに好きな歌を掛けていると、こうやって子どもにばらされて間抜けにも笑いものになると。なかなか家族の暖かみが感じられておもしろい^^

 

なお、クラシック音楽はすごく古いのから こういう問題はなさそうだ。と思いきや、実は演奏者でありそうだ。

まだカラヤンとかゼルキン(父)※掛けてるよ問題www

※先日、ゼルキンの子(Peter)が亡くなったそうで、父(Rudolf)は随分昔の人だったことに今更気付いた。

などと。でも、僕は若い(新しい)演奏者も大好きになれるので問題ない。まあ、クラシック音楽という時点で、松任谷由美以前ではあろうが(爆)

 

PS. こういう掲示板(「なんJ」とかいうやつ?)用語で「カーチャン」もいいけど「マッマ」や「ネッコ」みたいなのの独特の音感や語感が好きだw 特に「ネッコ」は、ちょっとひねくれた感じがしていい。

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キャンディーズの「微笑がえし」(1977)は大好きだが、一つだけ(例によって細か過ぎるw)不満がある。イントロのギターの弾き方(音の伸ばし方)がどうにもソフトで、なんかハワイアンみたいで嫌なのだ。にぎにぎしい感じはするが、それは合わない気がする。ここは、ロックのようにちょっとハードに弾いて欲しかった。例えば、(何度か書いている)ピンク・レディーの「ウォンテッド(指名手配)」(1977)のようにしてくれれば、とてもかっこ良かった。

ただ、実際には、曲としてはかっこ良さは求めていなかった気はする(解散する時の決算のような曲なので、にぎにぎしい感じでいいのだろう)ので、これでいいのだろう。あと、当時の他の曲(例: 尾崎紀世彦 「また逢う日まで」(1971))のように、(どういう訳だったのかは分からないが、)当時は普通でも今となっては「微妙」なアレンジになってしまったのかも知れない。

 

そして、全くありえないけど、大のキャンディーズファンらしい大物政治家の"Exploding stone" 茂さんと話すことがあったら、是非、ご意見を賜りたい。

本人がこんな風に出て来たら、さぞかし受け    ないねw

 

PS. 政治家と言えば、可哀想な まさこさんは、無事、どさくさまぎれだけど叩かれなくなって良かった^^

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ショパンのピアノ協奏曲(第1, 2番)はイントロが長い。それで、昔、「何十分もある(退屈な)イントロでは寝てしまう」のような文章を読んだ記憶がある。随分ひどい(実際には何十分なんてなくて、せいぜい十分だ)のだが、演奏によっては、確かにそういうふうに感じるのだ。

今思ったが、交響曲が好きな人は、そういう長いイントロも全然苦ではないのだろうか?? 僕は上述の文章の筆者同様、ピアノが大好き(ピアノしか好きでない)ので、どうにも退屈に感じて、「あくしろ」とか思ってしまう(嘘)のだが・・・

ところが、僕は近頃、Spotifyのおかげで、その長ーいイントロも苦にせず聴かせる演奏を発見し(例: Aleksandar Madzar, Dmitri Kitayenko (指揮) (1997))、「これだ! これがショパンの本当の意図を表わしているのだ!」などと思って気に入った。そして、今も聴いている。

まあ、そこまではいいのだが、さっき気付いたのは、それでその演奏のピアニストまで「いい!」と思って居たのは大間違い、ボケもいいところだってことだ。

だって、イントロではピアノは一音も発せず、ただ座して待っているだけだから・・・ (上記の「寝てしまう」のはピアノだったのだwww) コンサートで聴いているならまだしも、録音ではなぁーんにも関係ない(でも、世の中のオーディオ評論家は、「待っているピアニストの緊張感すら伝わって来る」とか言うのかもね(爆))。

 

PS. だからじゃないけど、ラフマニノフの(第2, 3番)は最初っから臨戦状態だから、寝る暇がなくていいね^^ ちゃんと心得ているのか。 そして、いくらイントロが死ぬほど長くたって、省略したらアカン! 僕は そういうのは絶対に許容できない。

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(いくつかネタはあるが、疲れて酔っているので、軽く)

この曲※のイントロが格好いい。どのくらい格好いいかというと、以前書いた、ピンク・レディの「ウォンテッド(指名手配)」(1977)以上だ。しかも、オーディオ(スピーカー)の調整後は低音がちゃんと出るようになって、更にグッと来るようになった(毎度書いている、「それまで聞こえていなかった音が−」)。

※YouTubeにはオリジナルがないので、リンクはSpotifyにした。

書いた時は酔っていて気付かなかったが、上の2曲はどちらもピンク・レディ関係ではないか! 全然意識していなかったが、何か関係あるのだろうか。作曲家が同じ? (覚えてたら、あとで調べる) ← "Never"はオリジナルは海外の曲なので、作曲家が同じ訳はない。ボケてるなwww (20:10)

 

それから、音楽には関係ないが、この曲が掛かると、ドラマ「不良少女とよばれて」(1984)のオープニングで伊藤麻衣子(当時, 実際は別人だろう)が雅楽(に合わせた舞踊)をしているシーンを思い浮かべる。あの動きもかっこ良かった。

 

ジジイの昔話で失礼しましたw

 

PS. 全く余計で全然書かなくていいことだが、Mie(今は未唯mie)は、イメージが似ている、某強面ネトウヨ的女性国会議員みたいに、恥を知ってか知らずか軽々しくw(以上、全部想像)政治に入らなくて安心している。これからも頼む。

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今、SpotifyでProcol Harumの"A Whiter Shade of Pale" (1967)を聴いて思った。終わり頃で唐突にキーボードが(1オクターブくらい?)上がるのが、どうにも気に入らない(以前書いたが、唐突な転調は大好きだが、それではない)。これ、普通は何とかなる(上げなくて済む)ものだと思うが、どうなんだろう?? (僕の能力不足のため、聴いても楽譜は出て来ないので、これ以上は分からない)

なぜ嫌かというと、これ、子どもの頃、教会で隣のおっさん(他でも可)が歌の途中で声が出なくなったせいか、急に1オクターブ低くしていたのを思い出して、「なんかしょうもないなあ」(当時は情けないとかかっこ悪いとか「それでいいの?」と思って居た。そして、今想像するに、「計画性や根性がないなあ」などと思っていたのだろう)と思うのだ・・・

今気付いたが、「根性」という点では、彼らの使っていたキーボードの音域が余りにも狭くて、本当に音が出なかったってこと??? だとしたら、可哀想だったな・・・

 

PS. あと、全く関係ないけど、Spotffyではこの曲のジャケット画像は蜘蛛みたいな絵で、これは何かと毎回思う(そのレーベルの当時のシングルの統一絵面だったのかな)。

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大好きな/だった音楽グループ、フライング・ドクター。少し前から追うのを止めてしまった。自分でも訳が分からなかったのだが、考えてみると、コロナの影響で彼女たちがリアルタイム配信(有料の場合もあり)を始めたのが切っ掛けのように思う。

あと、彼女たちの演奏は好きなのだが、申し訳ないが、僕は彼女たちのオリジナル曲よりも他者の曲のカバーの方が好きなことはあるかも知れない。ただ、一度、リアルタイム配信を観たらとても楽しかったから、曲目は本質ではなさそうだ。

では、リアルタイム配信の何が悪かったと考えると、僕の嫌いなTV(あるいはラジオ)と同じ送り方・受け方だからではないだろうか。つまり、自分の都合のいい時に都合のいいように(例えば、休みながら)一時停止などしながら観られないのが、「すっごく面倒」なのだ。例えば、うっかりすると見逃す場面・発言や演奏(の部分)が出るではないか。僕に言わせれば、時代に逆行している。

でも、今はそういうのが多いようなので、まあ、僕が今に合ってないのだろう(あるいは、わがまま過ぎるのかw)。その他に、そもそも僕は、同じ曲の演奏なら、ライブ版より正規?(その曲の「マスター演奏」の意)・初出のスタジオ版がずっと好きなので※、仕方ない面がある。

※同様に、再録とかアレンジを変えて演奏した版も、なんか偽物とか嘘臭くて大抵嫌いだ(基本的に、一回しか完成された「本物」はできない気がする → 最初に完成させたものを「本物」と思うのだろう)。でも、グールドの「ゴルトベルク」(1981)のような、「(最後に)再度、全力でマスターを作り直したぜ!」みたいなのは、もちろんいい。逆に、顔が黒い歌手の、ヒットした一曲のいろいろなバージョンだけを入れたアルバムなんて、クソもいいとこだ。そんなメモリー要らないよw

くどいけど敢えて書くが、この根底にあるのは、ピアノの先生に教えられた、「一度出した音は変えられない」だ。だから、演奏をリリースするのも一回限りだ。一球入魂とか一期一会じゃないけど、いくら気に入らなくたってやり直しはできない・してはいけないと思う。

出したものはそれで「終わり」にして、次に行くのだ・行こう。

とはいえ、ライブが全く嫌いかというとそうでもなく、(収録でない)本当の生演奏は好きだけど、乗り過ぎて疲れることもある。リアルタイム配信もいいけど、そういうのが頻繁にあったら疲れてしまうのだ。せめて、リアルタイムで配信したら、あとで観られるようにしてくれれば手軽でいいのだが、他の人でもそういうのはほとんどない。方式的に無理なのだろうか、収録して編集するのが面倒なのか。

あと、有料配信もちょっと嫌だ。以前は、彼女たちの演奏が大好きだから寄付してもいいとすら思って居たが、どうも、配信に払うのには違和感とか抵抗がある。この理由はうまく説明できない。

他に、細かいことだが、先日書いた、(配信の対価として)手作りマスクを売るっていうのの衛生面の意識の足りなさにちょっとがっかりしたこともあるだろう。

逆説的だが、サイン色紙とかハンカチとか、もっと詰まらないものを売れば良かったのにと思うw あとは、メンバーの肉声とか生演奏(一部で可)だったら、喜んで買ったかもね^^

でもまあ、嫌いになった訳じゃないから、そのうち観る・聴く気になるかも知れない。

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観月ありさ: 「もしもピアノが弾けたなら」 (2012)

ピアノが機械並にひどいし、歌は今一つなのだが、妙に来るものがあった。歌がオリジナルよりもいい(上手い下手でない、説明できない次元で: 歌の透明感?)からか。

良く分からない。

 

書いたあとでほんの少し考えた。: 観月はいかにもピアノが弾けそうで、歌の背景には全然そぐわないのだが、仮にそれを無視すれば、(本当はどうだか知らないがw、)か弱そうな女性が自分の思いを歌っているのが、(巨漢が歌うよりも)曲に合っている気がした(あくまでも僕には)のかも知れない。

でも、この歌は、不器用でピアノなんて弾けない人が歌うというのがそもそもの背景という気もするので、やっぱり、オリジナルの西田の方が合ってそうではある。

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先日、ようやく山口百恵がSpotifyなどの配信サービスに入ったとのことなので、聴いてみた。600曲とか書かれていたけど、僕が聴きたいのは「横須賀ストーリー」(1976)から「美・サイレント」(1979)までと追加で「しなやかに歌って」(1979)のヒット曲10曲しかなかった・・・ まあ、好みなので仕方ないだろうが、彼女の歌はどうも暗いとか重いところがあって、それだけなら藤圭子や戸川純みたいな感じでいいのだが、どうもそれ以上の「何か」がある。

今、初出年を調べて気付いたが、僕には彼女は「1970年代後半の人」なのだろう。なるほどという気はする。その前もその後も、僕には駄目なのだ。

そのため、僕には その十曲になってしまう。逆に、キャンディーズは「際限ない」とは言えないけど、随分多い(ほとんどのヒット曲約20曲)から、キャラが違うのは確かだ。ちなみに、(誰も知りたくもないだろうが、)小泉今日子や松田聖子はもっと多いw

山口百恵をSpotifyで (やっぱり、鋭い顔はいい^^)

最初の「横須賀ストーリー」を聴いてみると、最初の数音でグッと来た。やっぱり、いい曲はいい。ただ、、、

 

何となく音質が悪いというか変だ。帯域は広いのだが音がこもった感じで、耳閉感すらすることがある。オーディオの設定は問題ないはず(他の曲では「絶好調」だw)なので、音作りってこともないだろうから、マスタリングの問題?? 聴きながら首をひねってばかり居るし、十曲の最後の方では「これはひどい」とすら感じる。。。

試しに、「横須賀ストーリー」と「いい日旅立ち」(1978)を、手持ちの、CDから取り込んだものと比べてみたら、そっちの方が印象は良かった(必ずしも音質がいいとは言えないが)。妙だ。わざわざ「当時の音」にしたのだろうか? いや、当時の音(スタジオで録音した音)は実は良かったはずなので、単なる失敗とか手抜き?

→ 良く聴くと、CDからのも余り音が良くないので、当時の録音の問題だろうか? 70年代だから仕方ないのか。あるいは、僕の耳が今突然不調になった???

→ キャンディーズの曲(「危い土曜日」(1974))を聴いたら問題ない。ずっと音がいい印象だ。だから、耳やオーディオの設定は問題なく、録音からマスタリングまでの問題だろう。同じ会社なのに、どうしたことだ?

書いた後で検索したたら、どうやら、このアルバム(CD)の元々の音質が悪いようだ(→ 参照)。じゃあ、他のアルバムだったらいいのか?? もう聴く気はしないが、配信する前に揃えておけばいいのに。やっぱりンニーなのかねえ・・・

 

PS. あとの目ぼしい人は小泉さん(kyon2)だけど、いつ来るのかねぇ・・・ でも、待ってるよ。

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息詰まる(苦しいけど詰まらなくはなかったしw、なかなか捗った)プログラミングが一段落し、Spotifyのアルバム画像を見ると、"Bette Davis Eyes"だった。

この歌がヒットしていた当時からこれを見るたびに、写真の人(キム・カーンズ?)がうさぎに見えるのだが、僕だけだろうか? 特に耳だ。向かって右は"Kim Carnes"と書かれた三角形、左は背後のおっさん(?)の腕。どちらも白くて頭の左右にあるので、うさぎの耳に見える。座り方も うさぎっぽい気がするw

そもそも、この写真はどういう状況なのかや、このアルバムの題の"Mistaken Identity"(1981)の意味も分からないし(「(他人と)取り違えられて・間違われてしまった」とか?)、ベティ・デイヴィスすら知らないので、「キム・カーンズの瞳」なのか「ベティ・デイヴィスの瞳」なのかも良く分からなくなるwww

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