Archive for the ‘音楽’ Category

この投稿は、それぞれのアーティストのファンの方には怒り心頭かと思われますが、素人がSpotifyでちょっと聴いただけの素朴な感想なので、ご容赦を。

チューリップが理解できない

彼らがどういうグループなのか分からない。彼らの歌の内容と、実体・実態が乖離しているように思えるのだ。「心の旅」(1973)の歌の加工された声(僕は、詞の内容からすれば、自然な声の方が適切だと思う)とか、"We believe in Magic Vol.2"(1997)などの変なジャケット(特に、あの変な人は何者?)は、いったい何を意味しているのだろうか? 謎が多いグループだ。

サーカスとハイ・ファイ・セットの識別方法?

これらのグループはイメージが似ていて、どうやって区別すればいいのだろうか、あるいは、それぞれの方向性に違いがあるとすれば、どういうものなのだろうと思う。他にももう一つ似たようなグループが居たような気がするが、それすら思い出せない。

同様に、1980年前後の渡辺真知子、庄野真代、久保田早紀らも区別が難しい。ただ、実際には渡辺真知子は区別できて、他にもう一人居た気がするのだが、そちらが思い出せない(桑江知子だったか)。

他に、高1の時の英語の先生(新卒だった)が自己紹介で好きだと言っていたグループがチューリップだったかオフコースだったのか、今となっては謎になっている(当時からその辺りの音楽には興味がなかったので、グループ名を聞いた途端に「ミーハーな奴だ」とがっかりしたのと、上と同様、それらの区別が若干難しいせいである)。ただ、先生はお嬢様的(というか、「女子大生」の方が合っていそうだ)な雰囲気だったので、おそらく、オフコースのような気がする(と書く程度には、違いを認識しているような気がしている)。

岡村孝子はどれも同じ?

Spotifyで掛かるのを聴く限り、どの曲も(ジャケット写真も!)とても清楚かつ素直な感じなのはいいのだが、それ以外はあるのだろうかと思う。どうもワンパターンで、飽きてしまうのだ。もし彼女の歌に、中島みゆきのように悪い歌とか戸川純のように変な歌、あるいは、藤圭子のようにドロドロに暗い歌があるとしたら、是非聴いてみたい気はするw (まあ、「待つわ」なんて、暗いといえばかなり暗いので、ありそうだ)

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細かい話題がたまっていたので、まとめて書く。

クイーンの映画・・・

(正確には「音楽」ではないが、無関係ではないので書く。) 昔、何年もメイがしつこく言っていつつも、何度も監督だの出演者だのが変わってふらふらしていたのが、近頃は何も言わなくなったから立ち消えになったかと思っていたら、ついに今年公開された("Bohemian rhapsody")。公開の時もメイの発言などはなかったので(単に日本に伝わらなかっただけかも)、最初は、偶然別の作品が出来たのかと思った。

意外に好評らしいが、やっぱり観る気はしない。だって、フレディーじゃない人が演じても、「ニセモノ」としか見えないので。。。 それ以前に、何度も書いているように、演奏者の人となりとか人生は作品と無関係と思っているから、こういう伝記的映画には余り関心がない。そして、曲を聴くのならCDやSpotifyでいいし、ライブエイドを観るならDVDを持っている(観ないけどw)。まあ、そもそも、こっちで上映されているのかという問題もあるw (← 調べたらやっているようだ。今は簡単に検索できて楽だね)

あと、数年前のミュージカル、"We will rock you"(2012)も似たようなものかと思い込んでいたのだが、調べたら全然違っていた。ミュージカルはフィクションだった。

Spotify

近頃はSpotifyのDaily mix(ほぼ毎日、好みに合わせてお勧めの曲を選んでくれる)のバリエーションが乏しくなって来たように感じる。概ね好みは外していない(リストには♥(「いいね」みたいなもの)のついた曲が並ぶ)のだが、大抵は聴き覚えのあるものなので、「またか」になってしまう。もう、他にお勧めはないのだろうか? しかも、そう思って掛けないと曲のリストが更新されないから、なかなかもどかしい。なので、近頃は、「ラジオ」も活用している。アーティストだけでなく、曲やアルバムでのラジオもできる。昨日聴いた、「ハピネス」(1979)のラジオはなかなか良かった。

好みを外さないと言えば、なぜか荒井/松任谷由実が頻繁に掛かる。大抵は即座に⦸(嫌い)を押しているのに、それは学習してくれないようだ・・・ 近頃、Spotifyで配信し始めたらしいら、そのプロモーションなのだろうか?

ジルベルシュテインとフェドロヴァのラフマニノフ ピアノ協奏曲 (第2番)

先日(9月下旬)、久し振りに、懐かしのジルベルシュテインのNHKでのライブ(1994)を聴いた。彼女は今年の9月頃に来日してこの曲を弾いたはずだが、日本で有名になった1990年代と違って全く話題に上らなかったのが、少し寂しかった(ただ、今になって考えると、ルガンスキーの来日だって話題になっていなかったので、僕がTVを観ないとか読むニュースが悪いだけかも知れない)。僕は、先日行ったルガンスキーのコンサート情報を見つけた時に、彼女のも偶然見つけてちょっと行きたくなったのだが、止めた。その理由は、少し前から彼女の演奏が物足りなく感じているからである。あと、単にお金がふんだんに使えないせいもあるw 以下に、聴いた時に書いたメモから少し転載する。

  • オケ(ラザレフ、N響)がイマイチな感じ。ピアノも物足りない・・・
  • 1楽章、「行進曲」の部分はやっぱりイマイチ。ホルンも駄目。この楽章終わりのピアノも駄目。
  • 2楽章のアルペジオも駄目。。。 ただ指を動かして音を出している感じ。2楽章前半が一番駄目かもしれない。音の出し方がなってない。
  • 3楽章もなってない。

当時の懐かしさはあるものの、壊滅状態だ。当時はなかなかいいと思っていたのだが、耳が肥えて(あるいは変質して)しまったのだろうか。それで、比較のために、フェドロヴァの同じ曲(2015, スタジオ)を聴いてみたら、なんか鬱陶しかった。

  • 1楽章中盤の強弱がわざとらしくて、イマイチ。「行進曲」はこっちがいい。でも、細かいところが物足りない。この楽章終盤(特にオケ)がとてもまどろっこしくて台無しだ。
  • 2楽章頭の木管(フルート)がひどい。アルペジオはまあまあだが、存在感がない。中盤は、なんか破綻しかかっている? でも、ジルベルシュテインよりはまともな感じ。
  • 3楽章はちょっと緩んだ感じ。最後はまあまあだったが、緊迫感が足りなかった。

全体的には、ジルベルシュテインよりは良さそうだったが、細かい音が大き過ぎたようだ。あと、こちらもオケがイマイチだった。彼女のことだって手放しで褒めていたのに、まったく「なんということでしょう」だ。

二人とも、聴いていて(いい意味で)気が抜けないなんてことは全然なかった。今の僕は、(ラフマニノフのピアノ協奏曲に関しては)ルガンスキーの虜になっているのかも知れない(ただし、この感想を書いたのは、彼のコンサートに行く前である)。あるいは、その日は特別調子(気分・機嫌?)が悪かったのかも知れない。

(話題はもう少しある(日本のニューミュージック関係)のだが、既に長くなったので、次回書きたい)

 

(12/3 8:11 若干修正・加筆)

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森高の1989年の歌。僕は今まで誤解していたが、さっきSpotifyで聴きながら気付いた。

今までの僕の想像では、これは、あまりもてない、いわゆる普通の若いOLが、あこがれの人(同じ会社のちょっと年上の人)に向けて言うような感じで、いかにも微笑ましくて共感を生むので、当時のファン(オタク?)も、「なんか自分にも可能性があるかな」と思える歌だと思っていた。が、全然違うのだ。

これは、いかにもモテる(当時の)森高のような女性()が、目当てのイケメンに言っているのだけど、彼もすごくモテるからなかなか取り合ってくれないという、バブル期に良くあった過酷な競争を歌ったものなのだ。だからオタクなんて全く目も掛けてもらえず、夢もへったくれもないのだ。がっかりしたかい?

ハハハ。

 

PS. 確認のために検索したら、近年の本人がカバーしたPVの画像が出て来て、(一応PVも観たけど、)それが余りにものどかで、いかにも可愛いおばさんなので笑ってしまった。いや、こういうおばさんも大好きだけどw、上に書いたような歌の背景(僕の想像)からすれば、全く場違いではないか。

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先日の気持ちよさを思い出して、ルガンスキーのラフマニノフ ピアノ協奏曲 第2番(2005)を掛けたのだが、音が全然リアルでなくてなんか乗り切れず(人ごととかまがい物のような感じ)、がっかりしてしまった。。。録音は確かにクリアで良く聞こえはする(ピアノがオケに負けたりしない)のだが、クリア過ぎてリアルでないというのか、バランスが全然なってない。僕がピアノ(あるいは、その時にメインとなる楽器)の真ん前(1mくらい)に居るようなのだ。。。 迫力がないのは仕方ないけど、この不自然さは音質とか音量以前の問題だ。どうしたって解決出来ない気がする。マズい。

本物が聴きたい!!

 

それにしても、これは単にミキシングがクソなだけなのだろうか? もっといい録音はあり得るのだろうか? 多分ないと思うが・・・

 

PS. これは「レコードの音がいい」とか言う人とも共通している、単なるマニアのたわごとのように思われる方も居るだろうが、たわごとである以外は全然違う。もう一回書きます。90°とか180°、全然違う。レコードなんてCD以下で、本物の演奏とは全く別の何かだ。それが聴きたいなら、ご自由にとしか言えない。

PS2. 続けて(気を取り直したくて)、大好きな同第3番(2003)を掛けてはみたものの、やっぱり同じで、がっかり感がひどい。第1楽章で終わりにしたい感じだ。好きなアルバムでがっかりすることで、更にがっかりしてしまう。音もひどく聞こえる。ピアノがペラペラだ。昔お世話になったピアノの先生がCDを余り持っていなかったのは、こういうことも一因だったのかと想像した。

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今日は、朝にポリーニのK. 488(1976)を聴き、それからゼルキンのモーツァルト ピアノ協奏曲(第20番以降)を通して聴いている。手持ちで聴いていたのだが、第22番がないのに気付いた。おそらく、彼は好きなのだけど、曲が好きでなかったので買わなかったのだと思う(今改めて見たら、第26番もなかったのだが、彼のディスコグラフィーには、アバドとの演奏はなかった。録音しなかったようだ)。が、どうせだったら聴きたいと思った。そんな時の強力な味方がSpotifyである。無事あって、今聴いている。

が、どうしてか、彼の他の演奏とは印象が違っていて、余り好きになれない。

基本的には「清らか」な感じだ。それならいいのだが、音がちょっと粘っこいというのか、ほとんどの音が伸び気味なのだ。そのために、肝心なところでパンチがない。これは僕の偏見だけど、「心が清い人(実際には不明)」みたいな印象だ。しかも、そういう人にありがちな、話すスピードがちょっと遅くていらいらしそうな感じさえする。今掛かっている第2楽章は激遅の部類かも知れない。

この曲は(特に出だしが)大げさ(それは、上に書いたパンチにも通じる)だから余り好きゃないのだが、好みの演奏の人のはちゃんと聴く気になる。ゼルキンのは微妙なところだ(止めはしないけど・・・)。

ゼルキンはクラシック音楽を聴き始めた頃からずっと好きなのだが(モーツァルトのピアノ協奏曲を知り、好きになることができたのは、ポリーニと彼のおかげだと思う)、今となっては、時々(曲や時代によって)彼の個性が強過ぎるように感じることがあって気になるのだが、この曲もそのようだ。

個人的なイメージでは、彼は「素直ないい人」なのだが、実際にはそうでないのかも知れない。いや、実際の人はどうであっても、演奏は、実は個性的だったのかも知れない。そういう点では、確かに僕は彼が若い頃の演奏はあまり好きでないので、晩年は歳をとって毒が抜けて素直な演奏になったのかも知れない。

 

PS. 今掛かっている彼のK. 488(第23番, 1983)も、似たように「清らか」な感じになっていて、続けて聴くと妙に気になる。確かにこの曲は清らかに演奏するのがいいけど、ここまで純粋にしてしまうと、ちょっと物足りない気がしてしまう。あと、テンポもちょっと遅くて、「巻き」を入れたい。一方、ポリーニの演奏は、若さのせいか(けれど、指揮がベームなので、うまくバランスが取れているのか)、僕には丁度良く感じる。そうか、今まで気付かなかったが、そうだったのか・・・

PS2. その後の第25番や第27番は、今までの印象どおり実に良かった。彼の素直なピアノは、これらの曲に良く合っているように思った。僕の好みに合っているということだろうが、この頃の彼はこういう曲に向いていたのかも知れない。 (16:17)

PS3. 更に調べてみたら、彼のK. 488は、僕のクラシック初期にではなく、10年ちょっと経ってから買っていた(「ゼルキンはいいから揃えよう」と思ったのだろう)。だから他の曲(例: 上記の第25, 27番)よりも親しみや気に入り具合が少ないのだろう。 (16:26)

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昨日、久し振りにコンサートに行った。場所は文京シビックホールで、目当てはルガンスキーのラフマニノフのピアノ協奏曲 第2番だ。これは、確か数か月前に久し振りにコンサート情報を探したら、運良く見つかったものだ。チケットを受け取った時は随分先だと思っていたのだが、いつの間にかその日が来た。

最初に一つ文句を書く。この公演、本来はテミルカーノフの指揮だったのに、直前(11/9)にメールでアレクセーエフへの変更の連絡が来た。健康上の理由だそうだ。実は、その少し前に、ルガンスキーのFBに今後の公演案内が書かれていて、そこにそんなことが書かれていたのだが、海外の話で、日本には(その頃には回復して)来るだろうと思っていたのだが、日本も駄目と知ってちょっとがっかりした。そして、案内のメールには

なお、指揮者の変更に伴うチケット代の払戻し、曲目の変更はございません。

と、実にさらっと何の詫びもなく書いてあったので、結構ムカついた。というのは、当初は(かなり有名な)テミルカーノフの指揮をうたっていて(チケットにも一行目に「ユーリ・テミルカーノフ指揮」と書いてある)、僕も「すごそうだ」と思っていたのに、それがなくなったのだから、結構重要な変更だ。それでも払戻しなしというのは、結構高飛車だと思った。

実際には、僕はテミルカーノフのファンなどではなくて(名前しか知らない)、ルガンスキーさえ来れば問題ないから、キャンセルする気はまったくなくて実害はないのだが、「テミルカーノフだから行こう」と思った人も多かったのではないだろうか。だから、主催者(文京アカデミー)は誠実さに欠けると感じた(この対応は、実際には、他の公演を仕切るジャパンアーツに揃えたのだろうか?)。例えれば、今問題になっている検査偽装みたいなもので、「(規格には余裕があって、)最終的な品質に問題はないから(お前らには違いが分からないから)、気にするな」っていう態度に感じた。人を馬鹿にしてるよ。あと、帰ってから、プログラムに交代後の指揮者の名前とプロフィールが書いてあるのに気付き、怪訝に思った。急遽作り直したのか、前から分かっていた「確信犯」なのか。まあそれはいいけど。(この件、昨日まではそんなに気にしていなかったのだが、書いていたら怒りが高まってしまった。良くないね。。。)

もう一つがっかりしたのは、彼のFBに、日本の後に周るところでは、僕が大好きで、今回も「こっちだったらなあ」と思っていた、ラフマニノフのピアノ協奏曲 第3番を弾くこと書いてあったことだが、それは仕方ない。それぞれの国での人気に合わせたり(実際にはプロモーターの要望なのかも)、彼の考えや熟度があるのだろう。それに、第2番だって好きだ。

つまらないことはここまでにする。

演奏の感想を書くと、題に書いた、「超最高!」に尽きる。

これだけでは、行かなかった人はさっぱり分からず、あまりおもしろくないので、その他に感じたことをちょっと書く。

まず、イントロの和音で、いい演奏になることを確信した。想像だが、あれを弾き出すのは本当に恐ろしいと思う。

彼のピアノは、音が綺麗かつパワフルで、演奏のテンポやタイミングなどすべてのポイントが僕のツボにはまっていたので、聴いていて気持ち良かった(だから好きなのだろう)。うまい表現ができないのだが、「突き抜けるような演奏」というのだろうか。鋭く硬い透明な剣で天井を突きぬくような感じか。聴いていて、こっちまで天井を突き抜けられる気がした。一方、パワフルではあるのだが、マツーエフらのようにやり過ぎないところが重要だ。それから、コンサートではたまにあることだが、(演奏や音に関して)聴いていてがっかりすること(ひどい場合は、即座に帰りたくなることがある)が全くなかった。オケもそうだ。だから、すごく僕の好みに合っていたと思う。

帰りの新幹線で「復習に」同じ曲を彼のアルバムで聴いて(何杯でも行けます!)分かったのだが、アルバムはロマンチック寄りだが、昨日の演奏はパワー寄りだったと思う。僕は昨日の方が好きだ。

ただ、意外にも、最後(・途中でもたま)にオケに負けて、ピアノの音が聞こえないことがあった。あのパワーを持ってしても負けるほどオケが強力なのか、座った位置(今回は、中央だが少し後ろだった)の問題なのか分からない。ただ、今までもそういうことはあったので、ピアノが負けてしまったように思う。でも、そこは指揮者が調整して欲しいと今は思う。が、生でやっていると調整が難しいだろうし、指揮者の位置からホールでの聞こえ方を知るのは難しそうだ。特に、現地で余りリハをやっていなければ、分からないだろう。

あと、(確証はないが)最後でほんのわずかに乱れた(ズレた?)かなと感じた。でも、難なく乗り切っていた。

それから、彼が弾く姿を見るのは初めてだったのだが、弾き方(動き)が意外に派手だった(ユジャ・ワン的)。それだけは予想外で、何となく良くなかった。でも、手の動きがしゅっとしていてかっこいいとは思う。

いずれにしても、気持ち良かった! すごく乗れて、以前のフェドロヴァの時のように身体を激しく動かしたかった(でも、周りに迷惑なので抑えた)。余りにも集中し・乗ったので、終わったらどっと疲れが出た。。。

曲自体に関しては、僕はラフマニノフのピアノ協奏曲は第3番が一番好きなのだが、気持ち良さの点では第2番かも知れないと気付いた。第3番は複雑でテクニカルでおもしろいし(その分、弾き手を選ぶ)、第2番より知名度が低いから、どちらかと言えばマニア的に好きなのだが、第2番は第3番よりストレートで、よりパワーが感じられると思う。あとは、イントロの和音のピアノソロはかっこいいし好きだし、その後の重々しいオケの音も好きだ。だから、コンサートなら第2番も全然悪くないと思った。

感想は以上。と書くと、一部から「何か忘れてませんか?」と言われそうだw つまり、本来のメインの、交響曲だ。チャイコフスキーの第5番だった。以上w では良くないので、ほんの少し感想を書くと、正直言って、全然分からなかった。冒頭からの「木管の曲」という印象と、ドボルザークの雰囲気を少し感じた程度だ。初めて聴くせいもあるが、そもそも交響曲は好きじゃないので、「みんな、よく我慢して聴いていられるなぁ」とさえ思い、寝るか帰るかしたくなった。クラシックを敬遠する人が良く思うことと一緒だ。だから、僕は「クラシック音楽」が好きな訳ではなくて、「好きな(乗れる・楽しい・グッと来る・泣けるなど)音楽」が好きなのだと思う。それはともかく、あのオケは大きい音は迫力あるし、小さい音も綺麗だったのがいいと思う。

アンコールの曲(名前不明)は綺麗だった。上にも書いたように、あのオケはパワーはすごいけれど、案外、静かな曲の方がいいかも知れない。ちなみに、フェドロヴァの時同様、協奏曲の後にルガンスキーがアンコールを弾いた。やっぱり曲名は分からなかった。おそらく、ラフマニノフかと思う。綺麗な曲だったが、やっぱり得意ではない。

 

以下、余談を延々と列挙する。

  • チケットはA席で13000円だった。近頃はコンビニで受け取れるから便利なのだが、システム使用料だの発券手数料だのが掛かるのが、どうも腑に落ちない。特に、前者は何だと思う。昔はぴあなどで買う時、ぴあを使うお金は掛からず、振り込み手数料と送料だけだったのに。券を買う人に渡せるようにするまでが主催者の仕事の気がするが・・・
  • 駅まで歩いたのだが、途中の公園には七五三らしい家族が沢山居て撮影に余念がなかった。銀杏も綺麗で臭かったw
  • 公園にはスケボーのガキが数人居た。板で馬鹿みたいにうるさく音をたてなければ、「ガキ」と敵扱いされずに済むものを・・・ まあ、あれが自己表現と思っているのか、自慢か何かにしたいのだろう。
  • 新幹線はいつものように快適だった。余りにも楽なので、もし「自家用新幹線」があれば、車代わりに欲しいと思ったw
  • 今回、ようやく、20年くらい前から残っていたUSドルのTCと紙幣を両替できた。それぞれ、約21000円と1300円になった。おもしろかったのは、5ドル札1枚が鑑定NGで戻って来たことだ。窓口の人が何回も根気良く試してくれたのだが、駄目だった。よく、海外の紙幣の品質は日本ほどでないと聞くが、それなのかも知れない。あるいは本当に偽札?? いずれにしても、記念品になった。
  • 両替は東京駅のトラベレックスに行ったのだが、予想外に部屋が小さく、客の入るスペースは4畳くらいだった(銀行みたいなのをイメージしていた)。そのせいか、場所が分からずうろうろしてしまった。近くの外国人用の案内所(?)の中かと思って行ったら、前に居たそこの人が教えてくれた。
  • 最初の会社や2番目の会社の時に良く乗っていたので、丸ノ内線はすごく懐かしかった。みんな「都会の人」だったw 他人に関心を持たない(実際にはそうでもないのだが)乾いた雰囲気があって、そういうのは結構好きだ。
  • 懐かしいと言えば、ホールの辺りは2番目の会社の近くでよく歩いたので、やっぱり懐かしかった。
  • 丸ノ内線で、斜め前に「実質ガッキー」(椎木里佳)みたいな人が居た(口紅の感じが似ていた)。なぜかつまらなそうな顔をしていた。本人ではないだろうが、やっぱり都会だなあと思ったw
  • ステージが意外に小さく感じたが、遠かったせいだろうか。オケの人は普通に多かった。
  • 券を買う時、ステージ真ん前の一番いい席が全部対象外になっていて取れなかったのだが、どうも、このホールの友の会のようなものが占めていた気がする。そういう盲点があったようだ。
  • 今回は、珍しく、最初に小さい曲をやらずにいきなり協奏曲だった。案内にも書いてなかったが、書いてなくてもやる場合が多いから、珍しかった。オケはウォーミングアップが難しそうだw
  • オケに、袖なしの衣装で妙に色っぽい(ユジャ・ワン的だった)女性(バイオリン?)が数人居た。チャイコの時は、そういうところに目が行ったw
  • ホールに、昔使われていたピアノが展示してあった。照明対応なのか、つや消しだったのが興味深かった。そのフレームにゼルキンのサインがあった(他にも有名な人が数人書いていた)。日付が1960年なので驚いた。そんなに昔の人だったのか。確かに、案内には大正生まれと書いてあったが、意外だ。
  • ちょっとうるさいことを言えば、そのピアノは、飾られて人生終わりじゃなくて、どこかの学校などに寄付して、ずっと使って貰えれば幸せだろうにと、今思う。
  • 例によって、演奏中にしゃべる馬鹿と紙やビニル袋をガサガサさせる馬鹿が居た。十回くらい死んで欲しい!
  • 演奏が終わって、拍手が終わらないのに帰る馬鹿(隣もそうだった)が多かった。そんなに時間が惜しいなら、(来なくていいから)家で聴けばいいのに!
  • それどころか、小さい鈴をちゃりちゃり鳴らして帰っていた、とんでもない馬鹿も居た。僕の母もそうなのだが、高齢者が財布や携帯に付けているのだろう。本当に自分が見えていないし、常識の更新もしていない・・・
  • ホールは構造が複雑なのに案内板がほとんどなくて不便だった。トイレやクロークがどこにあるのか、どっちに行ったらいいのか、全然分からなかった。自分の席の入り口すら分からず、室内をぐるっと回った。建物や室内は綺麗だが、もう行きたくない。やっぱり、普通のホールの方が良さそうだ。
  • コンサートが終わって余りにも疲れていたので、お腹が空いていたものの、食べる気にならず、そのまま帰ることにした。
  • 広告(パンフ)の枚数が多過ぎて暴力的だった。1cmくらいあったと思う。持ち帰りたくないので、帰る時に目ぼしいもの以外は捨てて来た。こっちのことは考えてないのかな・・・
  • パンフ選びで時間が掛かり、疲れたし面倒なので、アンケートは出さなかった。後でwebで書ければいいのにと思った。そういう点では、お役所由来だから遅れているのかも知れない。
  • 帰りの東京駅の新幹線の待合室はほぼ満員だったが、タイミング良く座れた。
  • 食欲はなかったものの、やっぱりお腹が空いたので、いざという時のために持って行った、レーズンサンドで食いつないだ。暑さのせいか、クリームが溶けていた。
  • 待合室で、なぜか、昔のポップス(曲名が分からない)が聴きたくなった。「エブリバディ ウォンツ ラブ」とか「―ルールザワールド」みたいな節があり、ギターのキラキラした曲。 → Tears For Fearsの"Everybody Wants To Rule The World"(1985)だった。Spotifyに単語を打ち込んだら出て来た。便利だ。
  • 待合室で斜め前に座って居た、医療関係の女性二人の話す様子が明るくて楽しそうだった。何となく、大学の先生と学生で、学会に出た帰りのようだった。不思議なことに、その二人は前にもそこで見た気がする。が、そういう人は多そうだ。
  • 上に書いたように、帰りの新幹線で、「復習」に同じ演奏者の同じ曲を聴いたのだが、周りを気にせず乗れるから良かった。
  • 新幹線の隣はおばさん(といっても、僕より十歳くら若そうだった)二人がのどかで良かった。うるさくしゃべることもせず、のんきに弁当を食べていていい雰囲気だった。いかにもラフマニノフなんて知らなそう(でも、曲を聞かせると、「フィギュアの曲ですねー」とか言いそう)なのだが、実際には、「私、好きなんです!」とか「(昔やってて、)ちょっと弾けます」とか言われて驚かされそうなフシもあって、油断できないw
  • 結局、帰りの新幹線では、オケも指揮者も思い出せなかった。ルガンスキーさえ居ればいいのだw
  • Spotifyのアプリにシャフル再生のボタンがデカデカと出るようになってしまって、不便だ。ログインしてないせいかと思ったが、そうではない。設定があるのだろうか。改悪されてしまったのか。。。
  • GPSロガーアプリで経路を記録したら直線でまったくおもしろくなかったが、最高スピードは244km/hだった。さすがにすごい。昔、Nexus 4では速過ぎるせいか記録できなかったが、AQUOSは大丈夫だ。
  • 宇都宮駅に着いても、やっぱり食べるのが面倒だった(家でゆっくりビールが飲みたかった)ので、食べずにバスで帰ってきた。
  • 駅では、バカが、楽器を使って、全く音楽性のない「何か」をやっていて耳障りだった。あれは音楽でも演奏でもないと信じたい。
  • バスケの試合があったようで、珍しく駅がごった返していた。朝も人が多かった。
  • 20:30頃、無事に帰宅した。ピアノの調律の時にステージを撮影して注意された(何となく嫌な予感はしたのだが・・・)くらいしか、忘れ物や失敗はなかった。こんなことは滅多にない。
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久し振りに危ない人に遭遇した。ネットだけど結構怖いので、かなりボカして書く(名前とか楽器とか書くと、絶対に見つけられそうなのだ)。

発端は、僕がたまたま何かのついでにYouTubeを見たら、僕の大好きな楽器の興味深い演奏のビデオが出ていたので観たことだ。そのビデオ自体は全然おもしろくなかった。演奏者が低レベル過ぎて、目的を全然達成していなかったのだ。

ただ、他の人はどう思ったのか興味が湧いたのでコメントを読むと、みんな耳が悪いらしく、ほとんどの人が褒めていた。が、数人はそうでもないことを書いていた。一人(Xとする)は、けなしてはいないが褒めてもおらず、結構長い自分の意見と、そのビデオの主題に関連する自分のビデオへのリンクを貼っていた。

興味があったので観てみた。演奏はものすごくいい訳ではなく、「悪くない」程度だとは思った(興味があったので、その演奏者(Aとする)の他の曲を聴いたら飽きた)が、最初のビデオよりは良かったので、(最初の)ビデオへの皮肉も含めてコメントで褒めた。すると、長文の返事が来た。

Xの立場は分からないのだが(何となく、Aとは無関係だけど親しいつもりになっている、ストーカー「危ない人」のように感じた)、綺麗な音(念のため書くが、オーディオ的な音質ではなく、演奏の音)を出すための演奏法などについて滔々と述べ、別の演奏者(世界的に有名な人、Bとする)のビデオを引き合いにしていた。確かに、Aの音はBより綺麗で好感が持てたので賛成する返事をしたら、更に長い返事が来た。

その返事にはまた別の演奏者(前回よりも全然有名でない人、Cとする)の演奏へのリンクがあって、いかに違うかを説いていた。が、その演奏に関しては特段の違いが分からず、五十歩百歩だと感じたので、結構がっかりした。つまり、Xが推すAは確かに音は綺麗だけど、やっぱり、演奏としては(Xが絶賛するほど)すごくはないのだ。その証拠に、Aは全然有名でない(これから有名になるのかも知れないが、僕はそれほどすごいとは思わなかった)。コンサートだって、地方でソロの小規模なものをしているだけだ。何かの賞を取ったかどうかも不明だ。

なので、(正直に書くと恐ろしいことになるから、)僕にしては珍しく返事をせずに放置したのだが、また何か返事が来ていた(スマフォの通知に出ていた)。さすがにしつこくて嫌だし、少し気味が悪くなったので、読まずに放置することにした。スマフォのYouTubeの通知も出さないようにした。

結局、音がいいだけでは、いい演奏にはならないのだ。僕も常々、音がいい・悪いと書いているが、それだけではない。音は良くて当たり前(、あるいは十分条件、"+α"程度)で、要は技術と同じ次元の要素だと思う。いい演奏には、それ以上の何かが必要だ。一番重要なのは「表現」(あるいは、その人の理解?、心?)だろう(他にもあるかも知れない)。Xが推した演奏者Aはそこが普通だったのだが、Xは音の良さしか頭にないので、そこがズレている。オーディオマニアと似たような、木を見て森を見ずのような、残念な人なのかも知れない。

 

PS. 考え過ぎかも知れないけど、Xのような、ある種狂信的な人がAにまとわりついて、いつかニュースに出るような事件を起こしてしまうのではないかと、ちょっと心配になっている。まあ、大丈夫だとは思うが・・・ なんかジョンの事件を連想してしまう。

ただ、一方で、そのくらいおかしくないと(これはAの話)、いい音は出せないし、いい演奏もできない気もする(もちろん、ただおかしいだけの人がいい音を出せる訳ではないし、いい演奏ができる訳でもない)。想像のし過ぎかも知れないが。

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近年、どういうきっかけなのか、(昔は洋楽ロック一辺倒だったのに)ジャンルに関係なく音楽が好きになったのを実感する(でも、嫌いなのは嫌だ)。

例えば、ときどき、(いや、ごくたまに、)「川の流れのように」(1989)が聴きたくなる。今日も、前の投稿をしたあとで聴いた。聴くと、どうしても、美空がこれを歌った時の心境を想像してしまって、何とも言えない気分になる。もちろん、これが本当に最後の録音だったのか、その時の体調がどうたったかなんて知らないから、単なる想像だが。

やっぱり、詞がいい。作詞したのは最低最悪な奴なのだが、そこは、持論の、「成果に作者の性格だの行動だの思想は関係ない」が正しいことが証明されていて、喜んでいいのか悪いのか・・・

いずれにしても、本当にいい歌だと思う。

 

PS. 他に今日聴いた曲では、石川さゆりの「津軽海峡・冬景色」(1977)なんて、冗談じゃなく格好良くてグッと来る。歌った当時は10代だったようだが、(当時TVで観たはずだが、彼女にそんな若い時があったなんて)なんとも信じられない。でも、写真を見る限り、彼女はいい歳を取っているように思う。

あと、今掛かった、研ナオコの歌もいい。例えば、「夏をあきらめて」(1982)なんて、いいとしか言えない。当時はサザンともども馬鹿にしてたけど、もったいないことだった・・・ でも、サザンは今でも好きじゃないw

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さっき、Spotifyを聴きながら思った。

子どもの頃、桜田淳子が好きだったから(さして大きな理由はなかった。今となってはひどい話だが、妹たちと、桜田、山口百恵、ピンク・レディーを「割り当て」みたいにしていたw)、曲が掛かると懐かしいのだが、今となっては、山口(残念ながら、まだSpotifyには入ってない)はもちろん、当時は邪道だと思っていたピンク・レディーよりも聴きたくない存在になっているので、「嫌い」にして(Removeボタンを押して)掛からないようにすらしている。なぜなのだろう? 歌が今一つだったせいなのだろうか。

作曲家や作詞家は知らないが※、今聴くと、ピンク・レディーの方がずっといい感じだ。ポップな歌もいいけど、音作りがいい。桜田の歌はひたすら暗い印象しかしない。しかも、中身(歌詞)が背伸びしているから聴いていて恥ずかしい気分になる。そこが駄目なのだろう。似たような立場の人としては、男だが西城秀樹が居る。好きではなかったが、年上の女性との話が多くて、今聴くと恥ずかしい。でも、郷も野口も別なところで気恥ずかしいのは一緒だw

※桜田とピンク・レディーの初期のヒット曲の作曲家と作詞家を調べたら、さすがに当時の有力アイドルだっただけあって、作詞はどちらも阿久悠だった。作曲は、桜田は中村泰士、ピンク・レディーは都倉俊一だった。中村と都倉の作風の違いなど知らないが、そういうものもあったのだろうか。あとはアレンジや演奏・音作りの違いは大きいだろう。ピンク・レディーは、当時の最先端(言い過ぎ?)の楽器を使っていたイメージがあるが、桜田は・・・。レコード会社はどちらもビクターだったと思うが、事務所の意向(売り方)があったのか。

逆の立場の人には尾崎豊が居る。当時は全然関心がなかったし、馬鹿にして聴かなかったが、今聴くと捨てたものではない。内容的には「黒歴史」そのものなのだがw、背伸びしてないからだろうか? (調べたら、意外にも、彼は僕の一つ下だった。まだ生きてたら、どんなことをしているのだろうか? 興味あるところだ)

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HMVで見た、Philippe Giusianoという人のショパンの練習曲(2006)を聴いている。広告のアルバムはなかったので(正確には、そのアルバムでなく、ピアノ協奏曲が聴きたかった)、違うものである。なお、引き合いに出したものの、以下はGiusianoとは関係ない(少しだけ感想を書くと、彼の演奏は悪くないが、ちょっとだけ満足がいかないところがある)。

まったく、曲が綺麗で感心する。以前書いたように、ガラスそのものだ。しかし、透明さや美しさだけでなく、強さやダイナミックさもある(僕は、強音でピアノがうなるような音が好きだ。余談だが、そういう音はベートーヴェンの方が多いように思う。)からすごい。それにしても音が綺麗で、どうしたらこんなに綺麗な音の曲ができるのだろうかと思う。

ベートーヴェンは当時できて来たピアノの能力を発揮させたそうだが、ショパンはベートーヴェンとは全然違うやり方(音)をしていると思う。(多くの曲は知らないが、)いい意味で洗練され過ぎていると言いたい。まったく不純物がなくて、恐ろしくなる。ただ、その純粋さはモーツァルトとは違う。そこが木とガラスの違いのように思う。

ただ、彼の初期のピアノ協奏曲はそうでもなく、どうしても、くすんだ・濁った感じとか野暮ったさに物足りなさを感じてしまって、昔は余り好きでなかったが、近頃はそうでもなく、好きなところが結構あって(例えば、第1番の第2楽章最後の小さい「ピン」という音である。意味は分からないが好きだ)、今回のように結構聴きたい曲になっている。

なお、木工細工と違って、ガラス細工は注意して扱わなければならないし、冷たいから、彼の曲を聴いてほっとすることはできないので、モーツァルトと違って、頻繁に聴きたくなる訳ではない。そういう意味では、ピアノ協奏曲はそこまで行っていないから、他の曲よりも聴きたくなるように思う。

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