Archive for the ‘音楽’ Category

今、SpotifyでProcol Harumの"A Whiter Shade of Pale" (1967)を聴いて思った。終わり頃で唐突にキーボードが(1オクターブくらい?)上がるのが、どうにも気に入らない(以前書いたが、唐突な転調は大好きだが、それではない)。これ、普通は何とかなる(上げなくて済む)ものだと思うが、どうなんだろう?? (僕の能力不足のため、聴いても楽譜は出て来ないので、これ以上は分からない)

なぜ嫌かというと、これ、子どもの頃、教会で隣のおっさん(他でも可)が歌の途中で声が出なくなったせいか、急に1オクターブ低くしていたのを思い出して、「なんかしょうもないなあ」(当時は情けないとかかっこ悪いとか「それでいいの?」と思って居た。そして、今想像するに、「計画性や根性がないなあ」などと思っていたのだろう)と思うのだ・・・

今気付いたが、「根性」という点では、彼らの使っていたキーボードの音域が余りにも狭くて、本当に音が出なかったってこと??? だとしたら、可哀想だったな・・・

 

PS. あと、全く関係ないけど、Spotffyではこの曲のジャケット画像は蜘蛛みたいな絵で、これは何かと毎回思う(そのレーベルの当時のシングルの統一絵面だったのかな)。

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大好きな/だった音楽グループ、フライング・ドクター。少し前から追うのを止めてしまった。自分でも訳が分からなかったのだが、考えてみると、コロナの影響で彼女たちがリアルタイム配信(有料の場合もあり)を始めたのが切っ掛けのように思う。

あと、彼女たちの演奏は好きなのだが、申し訳ないが、僕は彼女たちのオリジナル曲よりも他者の曲のカバーの方が好きなことはあるかも知れない。ただ、一度、リアルタイム配信を観たらとても楽しかったから、曲目は本質ではなさそうだ。

では、リアルタイム配信の何が悪かったと考えると、僕の嫌いなTV(あるいはラジオ)と同じ送り方・受け方だからではないだろうか。つまり、自分の都合のいい時に都合のいいように(例えば、休みながら)一時停止などしながら観られないのが、「すっごく面倒」なのだ。例えば、うっかりすると見逃す場面・発言や演奏(の部分)が出るではないか。僕に言わせれば、時代に逆行している。

でも、今はそういうのが多いようなので、まあ、僕が今に合ってないのだろう(あるいは、わがまま過ぎるのかw)。その他に、そもそも僕は、同じ曲の演奏なら、ライブ版より正規?(その曲の「マスター演奏」の意)・初出のスタジオ版がずっと好きなので※、仕方ない面がある。

※同様に、再録とかアレンジを変えて演奏した版も、なんか偽物とか嘘臭くて大抵嫌いだ(基本的に、一回しか完成された「本物」はできない気がする → 最初に完成させたものを「本物」と思うのだろう)。でも、グールドの「ゴルトベルク」(1981)のような、「(最後に)再度、全力でマスターを作り直したぜ!」みたいなのは、もちろんいい。逆に、顔が黒い歌手の、ヒットした一曲のいろいろなバージョンだけを入れたアルバムなんて、クソもいいとこだ。そんなメモリー要らないよw

くどいけど敢えて書くが、この根底にあるのは、ピアノの先生に教えられた、「一度出した音は変えられない」だ。だから、演奏をリリースするのも一回限りだ。一球入魂とか一期一会じゃないけど、いくら気に入らなくたってやり直しはできない・してはいけないと思う。

出したものはそれで「終わり」にして、次に行くのだ・行こう。

とはいえ、ライブが全く嫌いかというとそうでもなく、(収録でない)本当の生演奏は好きだけど、乗り過ぎて疲れることもある。リアルタイム配信もいいけど、そういうのが頻繁にあったら疲れてしまうのだ。せめて、リアルタイムで配信したら、あとで観られるようにしてくれれば手軽でいいのだが、他の人でもそういうのはほとんどない。方式的に無理なのだろうか、収録して編集するのが面倒なのか。

あと、有料配信もちょっと嫌だ。以前は、彼女たちの演奏が大好きだから寄付してもいいとすら思って居たが、どうも、配信に払うのには違和感とか抵抗がある。この理由はうまく説明できない。

他に、細かいことだが、先日書いた、(配信の対価として)手作りマスクを売るっていうのの衛生面の意識の足りなさにちょっとがっかりしたこともあるだろう。

逆説的だが、サイン色紙とかハンカチとか、もっと詰まらないものを売れば良かったのにと思うw あとは、メンバーの肉声とか生演奏(一部で可)だったら、喜んで買ったかもね^^

でもまあ、嫌いになった訳じゃないから、そのうち観る・聴く気になるかも知れない。

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観月ありさ: 「もしもピアノが弾けたなら」 (2012)

ピアノが機械並にひどいし、歌は今一つなのだが、妙に来るものがあった。歌がオリジナルよりもいい(上手い下手でない、説明できない次元で: 歌の透明感?)からか。

良く分からない。

 

書いたあとでほんの少し考えた。: 観月はいかにもピアノが弾けそうで、歌の背景には全然そぐわないのだが、仮にそれを無視すれば、(本当はどうだか知らないがw、)か弱そうな女性が自分の思いを歌っているのが、(巨漢が歌うよりも)曲に合っている気がした(あくまでも僕には)のかも知れない。

でも、この歌は、不器用でピアノなんて弾けない人が歌うというのがそもそもの背景という気もするので、やっぱり、オリジナルの西田の方が合ってそうではある。

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先日、ようやく山口百恵がSpotifyなどの配信サービスに入ったとのことなので、聴いてみた。600曲とか書かれていたけど、僕が聴きたいのは「横須賀ストーリー」(1976)から「美・サイレント」(1979)までと追加で「しなやかに歌って」(1979)のヒット曲10曲しかなかった・・・ まあ、好みなので仕方ないだろうが、彼女の歌はどうも暗いとか重いところがあって、それだけなら藤圭子や戸川純みたいな感じでいいのだが、どうもそれ以上の「何か」がある。

今、初出年を調べて気付いたが、僕には彼女は「1970年代後半の人」なのだろう。なるほどという気はする。その前もその後も、僕には駄目なのだ。

そのため、僕には その十曲になってしまう。逆に、キャンディーズは「際限ない」とは言えないけど、随分多い(ほとんどのヒット曲約20曲)から、キャラが違うのは確かだ。ちなみに、(誰も知りたくもないだろうが、)小泉今日子や松田聖子はもっと多いw

山口百恵をSpotifyで (やっぱり、鋭い顔はいい^^)

最初の「横須賀ストーリー」を聴いてみると、最初の数音でグッと来た。やっぱり、いい曲はいい。ただ、、、

 

何となく音質が悪いというか変だ。帯域は広いのだが音がこもった感じで、耳閉感すらすることがある。オーディオの設定は問題ないはず(他の曲では「絶好調」だw)なので、音作りってこともないだろうから、マスタリングの問題?? 聴きながら首をひねってばかり居るし、十曲の最後の方では「これはひどい」とすら感じる。。。

試しに、「横須賀ストーリー」と「いい日旅立ち」(1978)を、手持ちの、CDから取り込んだものと比べてみたら、そっちの方が印象は良かった(必ずしも音質がいいとは言えないが)。妙だ。わざわざ「当時の音」にしたのだろうか? いや、当時の音(スタジオで録音した音)は実は良かったはずなので、単なる失敗とか手抜き?

→ 良く聴くと、CDからのも余り音が良くないので、当時の録音の問題だろうか? 70年代だから仕方ないのか。あるいは、僕の耳が今突然不調になった???

→ キャンディーズの曲(「危い土曜日」(1974))を聴いたら問題ない。ずっと音がいい印象だ。だから、耳やオーディオの設定は問題なく、録音からマスタリングまでの問題だろう。同じ会社なのに、どうしたことだ?

書いた後で検索したたら、どうやら、このアルバム(CD)の元々の音質が悪いようだ(→ 参照)。じゃあ、他のアルバムだったらいいのか?? もう聴く気はしないが、配信する前に揃えておけばいいのに。やっぱりンニーなのかねえ・・・

 

PS. あとの目ぼしい人は小泉さん(kyon2)だけど、いつ来るのかねぇ・・・ でも、待ってるよ。

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息詰まる(苦しいけど詰まらなくはなかったしw、なかなか捗った)プログラミングが一段落し、Spotifyのアルバム画像を見ると、"Bette Davis Eyes"だった。

この歌がヒットしていた当時からこれを見るたびに、写真の人(キム・カーンズ?)がうさぎに見えるのだが、僕だけだろうか? 特に耳だ。向かって右は"Kim Carnes"と書かれた三角形、左は背後のおっさん(?)の腕。どちらも白くて頭の左右にあるので、うさぎの耳に見える。座り方も うさぎっぽい気がするw

そもそも、この写真はどういう状況なのかや、このアルバムの題の"Mistaken Identity"(1981)の意味も分からないし(「(他人と)取り違えられて・間違われてしまった」とか?)、ベティ・デイヴィスすら知らないので、「キム・カーンズの瞳」なのか「ベティ・デイヴィスの瞳」なのかも良く分からなくなるwww

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気付くと、いくつかのことをばっさりと捨てていた。例えば・・・

  • 映像(TV・映画など)
  • 本(文学など)

その他に、速い車、自炊、自転車、プリンタ、手帳、紙の写真、賀状、見栄を張る・格好つけること、(無理のある・無意味な)人付き合いなど、書き出すと随分いろいろあるが、ここは文化・芸術的なことに絞る。そういうものではピアノを手放したが、諦めたからで、なくてもいいから捨てた訳ではない(ものすごい余裕があれば、大きなグランドピアノ(フルコンとは言わないが、(サイズとして)C7くらいは欲しいな)を眺めて暮らしたいw でも、見るだけじゃ詰まらないな。まあ、ご飯は進みそうだがw)。

映像は全く観ない訳ではないが、なくてもいい。そもそもTVもビデオプレーヤーもない。好きな映画はあるが、あらすじやシーンなどを思い浮かべたり、検索してちょっと見る程度でいい(おそらく、後述の脳内演奏同様、記号化されて頭の中に格納されているのではないか)。映像に近いものとして、劇は捨てたつもりはなく、機会があれば観たいが、「(手配とか面倒だし、大体分かったので)まあいいか」って感じだ。

それらの代わりに音楽があればいい。ただ、オペラは(僕には)要らない(やっぱり面倒だ)。聴くだけでいい。「脳内演奏」(演奏しなくても、「パブロフの犬」とかレモンや梅干しのような場合もある)でもいい※。更に無音があればいい。

※そういう意味では、以前やりたいと書いた「脳内演奏」はできている。脳内で完璧に演奏しなくても良くて(その必要はなく)、自分の好きな曲を見付け、その自分好み(本当は「作曲者の意図どおり」であるべきなのだろうが)の演奏を見付ければ、あとはOKだ。それ以上CD(演奏の記録)を買う必要も、コンサートに行く必要もない。だから僕にはSpotifyのようなサービスがとても合っている。今朝、散歩中にそういう結論になった(今はね)。

本は意図的に捨てたのではなく、「読めない身体(頭)」になってしまった。数行とか一ページくらいで、「じゃあまたあとで・・・」になってしまう。本の価値を否定する訳ではなく、読めれば読みたいけどやっぱり読めないし、(自分としては)それまでに随分読んだから、読まなくても「まあいいか」って気はある。

それについて大変思い上がったことを書くと、映像作品も文学作品もいろいろなパターンを知ってしまって、それ以上にすごいとか新奇とかおもしろいものがあるとは思えないのだ。音楽にも同様の感はあるし、それどころか、日々の生活ですらそうだ。いや、実際には新しいものはあるとは思う。僕の興味とか頭の硬化の問題だと思う。

そして、今のところ、絶対に捨てられないのはPCだろう(「スマフォでは駄目なんです。キリッ」w)。以前も書いたが、そのことが非常時には結構なリスクになる気がする。とはいえ、PC一式をかついで避難することはできない(ノートPCも余り好きじゃないし、そもそも通信回線がない)ので、どうにもならない。

 

PS. そういう訳で、手持ちの映像作品のDVDなどは、ここ数年全く観ていないから処分したい気もするが、一応好きで買って思い入れもあったので、どうにも決断できない。その時は、ここ数年全く触ったことのないCDも一緒に、一気に処分したい。更に、心理的抵抗は岩のように大きいが、(プレーヤーすら持っていない)レコードも処分したい。そうしたら結構物が減るだろうな。

PS2. グランドピアノの価格を調べたら、意外に安かった。ヤマハのC7Xは350万円と、ちょっとしたいい車より安い。調律は要るが(弾かなければ不要だが)、ガソリンもオイル交換も不要だし、税金も保険も車検もないから、維持費も安そうだ(いやいや、実際には空調の効いた頑丈な部屋が要るけど)からお買い得だ。だけど、やっぱり、一台持つとしたら、兎にも角にもスタインウェイだろうwww (すると、値段はきっと一桁上になるんだろうな・・・)

ちなみに、重さも車よりずっと軽くて、C7クラスだと400kgくらいしかない。軽より軽いじゃないか(爆)

 

(結構前に書き出したが、発展させるのが面倒になったのと、他のネタが熟成中なので、主に脳内演奏について加筆して公開した。)

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フレーズというよりは、作曲の技法(「技法」とまでも行かず、「書き方」程度だろうが)と言う方が正しそうだが、ポップ音楽で結構ある、曲の途中での転調(変わる途中に何も挟まず、次のフレーズからいきなり変わるパターン)が好きだ。耳は悪いし知識(常識)もないので、前後の調がどういう関係か(♯だの♭がどう変わるのか)とか、どのくらい高さが変わるのかは分からないが、感覚的には半音くらい上がっていて、それにグッと来る。

その理由を考えてみると、おもむろに調(高さ)が変化するのは当然おもしろいし、(高さが変わるので、)歌っている人が何となく苦しそうな雰囲気・顔になっていそうなところを想像するのもおもしろい。あと、演奏する人も、♯だの♭がババンと出て来て大変なのかも知れない(まあ、プロなら、こういうのは良くあるパターンで、屁でもないのだろうが)。

(5/3 8:54) 演奏者を困らせるということでちょっと思い付いたのは、基本的には転調なんだけど、新しい調号の前に♮が並んだところで、一番下とか一個くらい♮がシラッと抜けていて、その後も引き続き前の調の♯や♭が有効というのはあるのだろうか? そんなことをする意味はないし、それで曲が成立するか分からないが、考えるのはおもしろそうだ。

逆に、下がるのはあるのかと、今思った。あるとして、それはどういうふうに聞こえるのだろうか? 他には、こういうふうにスパっと長調と短調が切り替わるのもあるのだろうか。なかなかおもしろい。

 

PS. さっき、吉田美奈子の「夢で逢えたら」(1978)が掛かり、その中で上のような転調があるので書こうと思った。知識の少ない僕は、これは誰かのオリジナルを彼女がカバーしているのだとばかり思っていたが、実は彼女がオリジナル(初演?)だった。

PS2. 確か、「不思議なピーチパイ」(1980)にもあった気がする。この曲では、どうも場違いな、「ビャ〜ン」という感じの気の抜けるような音の打楽器も好きだ。

この曲は当時好きだったけれど、入っているアルバム(あのジャケットはシンプルで、結構ひかれた)を買うほどでもなく、確かシングルは透明なハート形のレコードだった覚えがあるが、そういうのが欲しいけど、そこまで「遊び」に掛けるお金もなくて、なかなか悩ましかった記憶がある。

なお、今は「カラーヴァイナル()」の模様w

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なぜか、Spotifyで「MajiでKoiする5秒前」(1997)が頻繁に掛かる。今となっては結構な大物であろう、広末の歌声がか細いのがおもしろいが、本人にとっては暗黒の歴史なのだろうか? でも、そういうのでもちゃんと配信許可しているのは、やっぱり大物だけある。自分の過去に責任を持っているようで好印象だ。良く居るんだよね、昔の曲を配信しない人・・・※ 売れた後で、「アーティスト」だかなんだかになったつもりで居るからかどうかは分からないが。

※例えば、K川映画で売れた少女(当時)www

一方で、ほとんどが黒歴史=中二病と思われる人だけど、若くして亡くなってしまったために、本人は恥ずかしく感じることもなく、逆に伝説になった、学校の窓ガラスを壊したり盗んだバイクで走り出した人も居るw Spotifyで初めて聴いたけど、結構好きだ。

というか、話は違うんだ。僕はこういう歌は大嫌いだし、そもそも、当時ちゃんと聞いたことすらなかったのに、「なぜ今」って感じだ。だから、少し前までは掛かるとスキップしていたのだが、近頃は、どうしてか「まあ聞いてもいいか」とか思えて、今は通して聴いてしまった。

習慣だか慣れというのは、全く怖いものだ。こうやって、人間は自分でも気付かないうちに変質(「洗脳」)させられるのだろうと思った(というのは、一見もっともらしいが、実際には単なる中二病的言説だw)。

 

PS. 「黒歴史」という点では、広末より作者(こちらも最初は女子大生だったが、今は大物と思われるw)だろう。だって、彼女はデビューしたてで何も分からず、あるいは、選択できずに歌ったんだろうけど、作者はこーんな恥ずかしい歌を恥ずかし気もなく作ったんだから(爆) (4/30 7:15)

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「魔法のように」は英語だと"like a charm"とか言うんだったか(僕はどうも"charm"という単語が気に入らないのだが、それは全く余計な話だw)。まあ、そんな感じだ。(最初はそれを題にしたのだが、書く前に掛かった※が好きだし演奏(特に、ロックバンド的なソリッドな音のギター)がすごくいいので、そっちを使った)

※YouTubeだとTV版ばかりで全然演奏が気に入らないので、Spotifyのリンクにした。なお、TVでは、1983年頃の年末に放映されたライブが良かった。これはCD(当時はレコード)と同じくらい、乗れる演奏だった(正確には順序が逆で、今の僕はCD版が好きだが、それはそのライブの演奏がとても良くて、CD版がそれに近いからだ)。

その「魔法」だが、数日前に別件(机の保守で天板にオイルを塗る)の作業中にちょっとしたことを思い付いて、試して、思わぬことが分かり、それを発展させたら、耳閉感が滅多に起こらなくなった(まだ数日ではあるが、僕にしてみればすごいことだ)ことだ。しかも、音が妙に「いい感じ」になった。例えば、ELTの曲(演奏)だ※。今までは、ほとんどの曲(→ )で ものすごい圧迫感とか威圧感があったが、それがない。妙に自然で、「あれ、本当はこうだったの?」と肩透かしを食うくらいだ。

※TRF(→ )ですら同様だった。全くすごいことだwww この理由を考えてみたら、今の配置は以前同様、低域が少な目になっているので、重低音による圧迫感とか威圧感が緩和されたのではないだろうか。ただ、以前より良くなったように感じるのは謎だ。下記のように両耳で聴いているせいだろうか?

あと、ミックスやマスタリングが当時の音作り(音圧高目= 「海苔」)だったせいは大きいだろうが、その他に、プアな再生機器を前提にして低音と高音を持ち上げていたのもあるかも知れないと想像している。

ここまで書いたあとに気付いたのだが、耳閉感は超低音が多いことや耳の不調の影響は大きいのだろうが、通常時(机に向かっている時)に片耳で聴いていたことも関係していたのかも知れない。左右どっちか調子悪いのか判然としないが、調子が悪いのに片方だけで聴いて、それを脳内で処理したら、かなり疲れそうな気はする。

そして話は本筋に進むが、その「思い付いたこと」というのは、「(大きいのでなく)小さい机をスピーカーの前に置くのなら(要するに、今までのように90°回転せずに普通にスピーカーに向いて座って聴くということ)、以前起こっていた、共振に起因する150Hz付近の高い山(ピーク)が生じないのではないか」ということだ。やってみたら、本当に大丈夫だった。ただ、小さい机だとメイン・サブ二つのディスプレイが載り切らず、実用性に無理がある。

実は、サブディスプレイを無理やり回転させて縦表示にしてみたりしたのだが、やっぱり問題が多かった。例えば、画面の収まりが悪いとか、サブのスタンドは回転しないので、メインとサブのスタンドを交換したのだが、サブは軽いためにメインのスタンドのバネが強過ぎて、すぐ上に動いてしまうこと、逆にメインは重いためにサブのスタンドだと弱いことだ。なお、サブのスタンドが特殊な形なので、そのままではメインに付かず、当たる箇所を切り取っても駄目だったので、支柱の後ろのカバーを外した

それに、仮に小さい机でうまく収まってしまったら、大きい机の立場がなくなってしまう(こんな顔をしてそうだった)ので良くなかった。そこで、ダメ元で大きい机をスピーカーの前(間)に置いてみた。すると、不思議なことに大丈夫だった。

おそらく、以前駄目だったのは、スピーカーの高さが悪かった(110cm程度で、概ね床・天井間の中間だった)のが一番の原因だったのではないか。それが、近頃は低く(70cm未満)したので共振しなくなったのだろう。

あと、今までこの配置をしなかったのは、スピーカーが机の影になって、音の経路に障害ができて音質(特に高音)が劣化すると考えたからだったのも思い出した。それについては今もそうで、机以外にディスプレイも邪魔になっているが(実用的な配置では、どうしても音の経路を充分確保できなかった: シミュレーションでもすれば、最適な解が出そうだが)、何とか許せるくらいの通り道(ほとんど「針の穴」的w)を確保した結果、時には「高音がすごく綺麗・リアル」とまで思うくらいになっている。

実際には、この配置だと、高音は机やディスプレイの端や机上の小物をかすめて耳に来ているだろうし、中低域は直接音はほとんどなさそうだ。すると、回折などの影響で高中域の音質が劣化しているはずだ。その結果、実際に高域の音量は低下している(左(紫→青)・右(オレンジ→赤 )それぞれ約2.5-3dB程度、左右合わせると(ベージュ→灰)5dB程度)のだが、それに合わせてイコライザで中域を多目に減らしているから※、おかしくなく聞こえるのだ。当然、気に入る状態ではないが、まあ、背に腹はかえられない。

※障害物が多いせいか、今回のイコライザは要素が多く、なかなか減らせずに左は5個、右は7個にもなった。

それにしても、音は結構テキトーでもちゃんと聞こえるものだ。感心した。ふむ。

 

PS. 改めて写真を見ると、小さい机の方が障害が少ないので音には良さそうだ。けれど、必要な物が載らないことには難しい。大きい机を脇に置くことも考えたが、食事くらいにしか使わなそうで、無駄な感じだ。まだ流浪は続くのだろうか? (4/27 16:01)

(4/27 15:57 写真と文章を追加; 4/28 11:10 イコライザの記述と画像を修正)

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クラシックコンサート、最大の魅力は“臨場感”だ!独特な緊張や恐怖が感動を生む!

写真が別人だったので、「執筆が変わったのか」と思って読んだら、例の好きでない(僕に言わせれば凡人的な)人だった。そして、相変わらずしょうもないことしか書いてない。題が触れていることは最後にほんのわずかしか書いてなくて、全く物足りない。いつもいつも羊頭狗肉なんだよ(このサイトはエディタはいないのだろうか?)。

 

それにしても、コンサートで「感動」することはあるのかと、思った(改めて考えた)。ミスとかそういうのは全然関係ない。ミスがあってもなくても、演奏を聴いて感動することってあるのかと思う。もちろん、「いい」とか「すごい」とは思うが、それと感動は少し違う。

そもそも「感動とは何か」というところから考えなくてはいけないと思った。(もちろん、それは人それぞれで、これは僕の話だ)

僕にしてみれば、聴く曲はまず初演ではないから、曲の良さは充分知っている(だから聴くのだ)。その良さを引き出す演奏が「いい」のである。だから、いくらいい演奏でも、それ以上のこと(→ 感動)はなかなかないのだ。元の曲は変わりようがないので、やり過ぎればわざとらしくなってしまう。逆に、演奏が曲の良さを出せなかったら、「詰まらない」・「駄目」なのだ。

そういうことを考えさせてくれた点では、著者に感謝すべきだろう。それでも、彼の演奏は聴きたくないけどねw

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Spotifyで"Overnight Success"(1984)が「オーヴァーナイト・サクセス」(英語モードなのに、なぜか日本語表記になる)として掛かって、いつも、「まあ、そうなんだろうね」と思っている。

それにしても、この歌は懐かしい以外に曲や歌(演奏)が好きなのだが、聴いて思い出すのは、ンニーのCM※のレオタードの女性の姿だけだw

※その会社は、結構前から(今では)「ンニー」と書くほど大嫌いだが、当時は好きだった。でも、高くて余り買えなかったw

そう思うたびに、歌っていたDeSarioにはまったく申し訳ないと思うが、まあ、(名前しか分からなくても、)聴いて(今でも)「好き」って思い、当時を思い出すだけでも充分かも知れないね。

 

PS. 関係ないけど、今日掛かった懐かしい歌には、"Don't Dream It's Over"(1986)や"Everybody Wants To Rule The World"(1985)なんてのがある(どちらも懐かしいが、大好きではない)。偶然にも全部年が近い。この二曲はペアみたいな感じなのだが(Spotifyのせいかも知れない)、それが連続して掛かった。

PS2. 更にノスタルジーを進めると、書きながら聴きたくなって今聴いている原田知世の「愛情物語」(サウンドトラック)も1984年で、やっぱりレオタードが出て来て、どうしてか、この頃はそういうのが流行っていたのだろうと思う。切っ掛けは映画"Fame"(1980)だったのだろうか。

あ! 忘れていた。"Flashdance"(1983)だ。これと上記の映画版"Fame"とその後TVでドラマ版を観た"Fame"を混同していた。でも、ドラマの"Fame"は なかなかおもしろかったな。 (3/23 8:34)

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ごくたまに、Spotifyで天地真理の曲が掛かる(例: 「恋する夏の日」(1973)※。掛かると懐かしく思う。というのは、小学生の頃、年上のいとこにカセット(彼が編集してくれた「ヒズ・ベスト」*)をもらって、随分気に入っていたからだ。が、今は、彼女の歌を聴くだけで恥ずかしくなってしまって、すぐにスキップしてしまう・・・

※Spotifyにはこういうのが僕の好きな年代とかジャンルを知り尽くされている気がして、なかなか感心する。

*そのカセットの最後の方に、彼女が語っているものがあり、ショパンとかピアノが好きとかいう一節があったのを思い出した。そこでは(当時は彼女が弾いたと思っていたが、実際には誰が弾いたか不明)「幻想即興曲」の一部(ドラマティックな箇所)が流れていたように思う。僕のピアノ好きは、そこら辺から始まっていたのだろうか?(いや、違うと思う))

他にはここまで恥ずかしくなる曲(演奏・人)は余りない気がする※。どうしてかは分からないが、彼女には申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

※ほとんど掛からないけど、アグネス・チャンはそうかも知れないw

 

PS. でも、あの歌い方は、「今となってはちょっと(すごい)・・・」という感想が正直なところだ。

PS2. 他に、「じゃあ、フレディは問題ないの?」と言われると、いいけどやっぱり恥ずかしい気分になることがある気がするし、ビレッジ・ピープルはおもしろ恥ずかしい気分になるのが正直なところだ。いや、どちらも・誰も全然ディスるつもりはなく、個人的な感情だ。

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(今となっては結構昔の)ポップ音楽で思った(ている)こと。

区別の付かないグループ

  • ELTとMy little lover (曲(演奏の意)が似たような感じで、区別が付かない。持田の、外見はほわーんとしている(でも、かっこいいことも多い)けど歌は鋭い感じが好きなのだが、聴くと両方とも彼女のイメージが浮かぶw)
    • 投稿を見直す前は「ELTとEvery little thing」なんて書いていた・・・ ボケかなあ??
  • ELTとドリカム (どちらかは不祥事で一人抜けた覚えがある。先日、ELTがそうだと思って調べたら違った。)

これだけ。

あ、書いたついでに

「川の流れのように」は、何度聴いてもいい。いいのだが、ごくわずかに歌と伴奏がずれている箇所がある。でも、仕方ないことだ。それでどうこう言うつもりはないし、それで価値が変わることは全くない。逆に、AIでやったら、そういうのはなくなってしまうんだろうなと思う。全くの技術馬鹿だ(無駄無駄。止めろ止めろ!)。そういうのを作っている人って、本当に音楽が好きなのだろうか??

 

あと、すごいついでに。

「6つの音」とか「雪男」とか、(USのパクリみたいで)相変わらず全然センスなくて草も生えないwww

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実家「に」の間違いでなく、「から」である。自分の部屋に帰って、ようやくホッとした。

自分が西洋かぶれしたとか体力が落ちたせいかも知れないが、昔ながら(といっても昭和)の日本の家は人間工学(今だとユニバーサルデザイン?)とは対極なのではないかと、強く思った。実際、今の建築や家具はほとんど西洋式ではないか。

例えば、こたつ(掘りごたつでも)も寝る時の布団も、もちろん座布団も、座る時も立つ時もすごく体力を使う。脚だけでなく腕まで使う。たった数日間で、脚や腰はもちろん、腕も指まで痛くなった※。更に、こたつは寸法が身体に合っていないので、不便なうえに窮屈で休まらない(まあ、窮屈という点では家全体がそうだが)。座椅子なんてあっても、安定しないから全然楽じゃない。そして、もちろん、寒い。

※茶道・華道、あるいは正式な場面では、立つ時に「どっこいしょ」などと言わず、腕や手も使わず(= 四つん這いにならず)、脚も広げずに立ち上がるのだろうが、そんなふうに美しく振る舞うのが本当に可能なのか、結構不思議だ。随分無理しているのだろうか。僕も昔はできた覚えがあるから、みんな若くて体力があるのか?w

寒さに関しては、自分の部屋に帰って来た時の室温は、実家で暖房が(ようやく)効いた時より低いくらいなのにそれほど寒く感じないのに気付いた※。どうも、実家の居間(茶の間)は奥にあって日が当たらないので、気分的な要因もあるようだ。なぜそんな辺鄙なところに居間を置き、日の当たる「いい場所」を普段は使わないようにしたのか疑問だが、作った人は余り何も考えなかったのだろう。母もそれにならって、暗くて寒い居間で日々過ごすのを何とも思わないようだ。

※後から考えれば、暖房が効いた温度と暖房なしの温度が同じってことは、前者で暖房がなかったらすごく寒いってことか・・・

窮屈で日も射さない寒い部屋でずっと何もしないで居て、動こうとするたびに足腰を酷使するのがとても苦痛ですごく疲れたので、某メンバー元CEOにならい、新年そうそう逃亡したw

想像ではあるが、日本人の寿命が伸びたのは生活の西洋化の恩恵が大きそうだ。江戸やそれ以前は昭和以下だったと想像するが、どうして日本人は何百年も苦痛・不合理な生活に我慢して来たのか、不思議に思う。普通に暮らしていれば、どうにか苦痛から脱したくなるはずで、誰かは(例えば西洋的な)もっと楽なやり方を思い付くだろうに・・・ まあ、思ってもしないのが日本人なのか、昔はああいう造りが身体や習慣に合っていて実は楽だったのか。良く分からないが、僕は断然現代=西洋がいい。何でもいいとは言わないが、平均値では断然西洋だ。でも、「日本古来の伝統や文化」を重んじる人はそういうのもちゃんと復活させて守って欲しい(北欧のお嬢さんのように)。でも、僕は懲り懲りなので、押し付けないで欲しいですw

 

てなわけで、僕の2020年は今ひとつな始まりでしたが、今年もよろしくお願いします。

 

PS. 新年から詰まらない話題だけではおもしろくないので・・・ (と言っても、これもおもしろくないかも知れないが)

実家から帰る頃から、新年らしくモーツァルトのピアノ協奏曲 第25番※が聴きたかったのだが、今、ようやく落ち着いて聴き始められた。この曲なら、やっぱりフレイの(2010)が好みなので、それにした。もちろん、曲も演奏もいい。それ以外に、実家でのスマフォ(Spotifyをスピーカーやラジカセ・TVに出力)に比べて音質が余りにも良くて、すごく気分が良くなった。うーん、至福^^ (実家(「音質」もへったくれもなかった)で疲れた原因は、そういうところにもあったのかも知れない・・・)

※モーツァルトのピアノ協奏曲で新年らしい曲といえば、他に第23番(K.488)や第26番(「戴冠式」)なども思い付くが、今はこの曲が気分だ。

(16:36)

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もう、あの頃の歌詞の世界観は全く通用しないなぁ・・・ いや当時がいい・戻れとかじゃなくて、いつの間にか(というほど短くは感じないが)随分時間が過ぎたなあと。

Sugarは結構いいんだけど、もう復活することはないのが残念だ。

SugarとWinkと岡村孝子は近い時代の気がするものの、実は違うと思っていたのだが、調べたらやっぱり近かったので、愕然とする間もなく腐敗し始めてしまった。じゃあ、遠いのは誰だったんだろう? Winkなのかな。

(書いた後で気付いたが、)そもそも、今あの歌詞を出したら大炎上するだろう。サビの「くたばっちまえ(以下略)」のところだって、「(私達の宗教を)馬鹿にするな!!」と、とんでもないことになりそうだ・・・ てことは、あれはもう放送できない歌なのかねえ?

あと、そんな「ヒロシ」って誰なんだ? いや、別に誰でもいいがw

今更ながら、ジューシィ・フルーツの演奏はかなりかっこいい。(コミックバンドとしてしか写して・扱っていなかった、)当時のTVとは印象が全然違う。もったいなかったなあ(いや、もう遅過ぎるが・・・)。

それから、「今は駄目」と言えば、「隣のインド人」なんてのを出したら、即座に炎上するんだろうか? 当時はおもしろく聴いていたが・・・

(12/13 13:28 少し加筆)

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ショパンのピアノ協奏曲 第1番 第2楽章の後半(3/4辺り)にグッと来た。彼のピアノ協奏曲にはいろいろ不満な点はあるが、やっぱり、才能ある作曲家の作品だ。(と、いつもどおり偉そうなことを書くw)

ちなみに、ピアノはピレシュ(1979)。水晶のような音が良かった。SpotifyのDaily mixにて。

 

ついでに。その後、今掛かっている、モーツァルトのピアノ協奏曲 第24番 第2楽章の前半(1/4辺り)にもグッと来た。ピアニスト(Benjamin Hochman(2019))のおかげか、のどかな雰囲気で、今日はそれもいい。後半(3/4辺り)の、岩に染み入るような音も最高だ。

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何かで"others"という単語を見たら(もう、何だったか忘れたw)、「アザース」という読みが浮かび、そんな流行語があったと思った。

調べたら、偶然にも、近頃復活したとかいうコメディグループの番組が発祥らしい。

 

だけではおもしろくないので、ついでに: さっきSpotifyからこんなメールが来た:

2019年にSpotifyで聴いた曲数

平均すると約13曲/日で(重複を除いているのか不明だし)、多いのかどうかは分からないが、Spotifyには大変お世話になっていることは確かだ。

それで、そのメールに記されていた2019年のまとめページを見たら、トップのアーティストは意外にもカーズだった。ページに"Say thanks"というボタン(ツイートするようだ)があったが、写真(にもあり)に写っているのは(オールが死んでしまっているため)3人で寂しいうえにオケイセックも死んでしまって、まさに「ありがとう」と言いたい。

ちなみに2位はユジャ・ワンだった。これも意外だが、彼女はいろいろといい^^ ただ、5位までに大好きなルガンスキーが入ってないのは不思議だ。何かおかしいのかも知れないが、まあいい(彼はもっぱらSpotifyでなく手持ちの音源で聴いていたからかも知れない)。

なお、1位(loved most)の曲は去年と同じく、ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースの"The power of love"(1985)で、これは本当に大好きだ。

他には、59か国の曲を聴き、特定ジャンルに固定せず("refused to let one sound define you.")、436もの新しいアーティストに触れたそうで、まさにSpotifyならではだ。

ページの最後に「良かったら(SNSなどに)どうぞ」みたいな画像があったので、ここに貼る。

2019年のSpotifyのまとめ

Spotifyにも「ありがとう」と言いたい。

(と、オチを付けてみたw)

 

PS. 投稿を見直して思い付いた。自作の音楽再生履歴管理システムMlhiを使って、手持ちの音源も合わせた順位も出すとおもしろそうだが、SQL(検索コマンド)を考えるのがちょっと面倒だw 日々、聴いた履歴は記録されているのだが、その活用まではなかなか手が回らない。

ちなみに、MlhiのDBに入っているのは延べ約4500曲(今年の中頃から)なので、ほとんどはSpotifyで聴いているはずだ(感覚とも合っている)。

PS2. Spotifyが出て来たのでついでに書くと、今年は1枚もCDなどを買わなかった。それでいいか悪いかは別として、(曲目も音質も)何も不自由していないどころか充分に満足しているから、きっといいことなのだろう。

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そろそろドライブに行きたくなったが、寒かったり疲れていたり眠かったり、タイミングを見計らって(渋滞や人混みは嫌だから平日にしたかったのと、晴れて暖かい日が良かった)延期していたのだが、今日は珍しく暖かく、(早く起きてしまって寝不足ではあったが)気力もあったので、地図を見て近場で見つけた森林公園に軽く行くことにした。車と散歩がメインだが、季節(延期ばかりしていたせいで、実はもう終わり頃?)なので紅葉も観られればと思った。

9:30頃出て、10時頃着いた。ナビが変な道を出して(というか、僕が例によって一つ手前で曲がったりしたw)ちょっと苦労はしたものの、近くて楽だった。意外に駐車場は埋まっていたが、人はそれ程多くなかった。ハイキング(ちゃんと装備しているが、登山ほどではない感じ)帰りの人が多かった。近くの古賀志山に登ったのだろうか? ただ、学校の遠足で登るほどでそんなに大きな山ではない記憶があるから、他にも登るところがあるのかも知れない。

行く前は「ちょっと歩いたらデニーズに行こう」と思っていたのだが、湖面と青空紅葉などが綺麗だし、空気が気持ち良かったので、結果的にはダム湖を一周していた。大きなダムではないので、徒歩でも全然問題なかった。奥に進むと、葉っぱのいい匂いがした。ところが、突然、地鳴りのように「ゴー」っと音がしたので結構驚いた。地震だった。あとで調べたら、震度3だったようだ。

ダムに戻ったら、ダムの斜面に見覚えがあるのに気付いた。帰ってから調べたら、2004年の正月に行っていた(15年前なのだが、そんなに経ってない気がするものの、実際には今までにいろいろなことがあったので、何とも不思議な気がする・・・)。帰省して暇つぶしに行ったのだろうか? その時はダムの奥(今日車を停めたところの向こう岸: 写真の中央奥辺り)にあるレストハウスのようなところまで行って、そこから少しだけ歩いたようだ。その時は野鳥が多かったが、今日はほとんど見なかった。もう少し後なのだろうか?

その時の写真をちょっと載せる(そんな昔の写真でも「赤川ダム」で検索したらスパっと出たから、デジタルはいいし、管理ソフトをdigiKamに戻して良かったw)。

一時間くらいで戻った。気持ち良かった。ここは近いし、細道はないし、歩くにも丁度いいから、なかなか気に入った。

それから、いつものデニーズに向かった。意外に近く、公園・ダムから10kmくらいだった。前回だったかの小泉さん(仮)に似た人は居たが、本物は居らず、別の方が社員らしい制服を着て居た。

今気付いた。その店員さんは顔がスケートの鈴木明子に似ているのだ。それにしても、小泉今日子と鈴木明子に共通点はなさそうなのに(鈴木の顔はちょっと怖いけどw、どちらも好きだ)、なぜ似ていると思うのだろうか。謎だ。でも、これからは鈴木明子さん(仮)と呼ぼうw (20:37)

トムヤムクンフォーがおいしかった。やっぱりむせたが、その危うさがいいw ここのはハーブが少ない(僕には丁度いい)から安心して食べられる。約1300円だった。

眠さと疲れでいろいろボケた。水に入れる氷のサービスはなくなったのかと思って諦めたら、隣に機械があったw (それはそうだ。ドリンクバーでだって使うではないか。) 眠気はメニエール病の一部の薬のせいかと思っていたが、それを飲まなくなっても眠いから、疲れなのかも知れない。

それから、南の方に少し遠回りして帰った。家の近くですごく眠くなったり、予想外にトイレが切羽詰まって注意力散漫になったが、大半はとても気楽にドライブが楽しめて、もちろん車は(近頃は余り乗っていなかったものの、)超調子良く、スコスコっとギアが入って滑るように走り、でもスピードは上げず、「(気合なんて入れなくても、)こういうのでいいんだよ。」という気分だった。まあ、堕落とか老化の極みであるwww

13:30頃帰宅した。楽しかったけど、寝不足のせいか、ぐったり疲れてすごく眠かった・・・

ドライブ中に掛かった"This boy"(1963)のイントロが良かった。さっき家でも掛けたが、やっぱり、イントロのアコースティックギターの音のキレがすごく良く、しかも、弦を上から下に弾き下ろす(これはアルペジオと言うのだったか?)「グリーン」とか「ジャリーン」て音がたまらない感じ(音色にはキレがあるのだが、音(演奏)はちょっとダルい感じがいい)で、グッと来た(2009リマスターにて)。収録アルバムは"A hard day's night"(1964)だと思って居たが、実はシングルで、近年のアルバムでは"Past masters"に入っていた。

約4時間、54km。
IXY Digital 3000IS(2004年はIXY Digital 30)で撮影。

(21:04 若干加筆)

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Spotifyの歌謡曲系のDaily mix(毎日変わるリコメンドのようなラジオ)でピンク・レディーが結構頻繁に掛かり、結構聴き応えがあって感心する。

当時は、見た目からして色物の雰囲気で全然好きじゃなかったのだが、改めて(レコード版を)聴くと ちゃんとしていて悪くない。(すごいメンバーが作った)曲自体もいいのだが、(時代を感じさせないのか、古くて却って新鮮なのか)音作りに感心する。特にイントロなどは意外に音がすごい(ちゃんと作られている)ので、全然馬鹿にできない。歌も結構ちゃんとしている。

例えば、以下のような曲がいい。

ペッパー警部(1976), 渚のシンドバッド(1977), ウォンテッド(指名手配)(1977)

特に、「ウォンテッド(指名手配)」の冒頭は意外な音で格好良くてグッと来るので、是非お試しを(→ YouTube: この版はまだ甘く、上のSpotifyでの版がいい。版がいくつかあるのか、このアルバム(→ 試聴)でリミックスしたのだろうか?)。

ただ、カルメン '77(1977)やサウスポー(1978)は上に挙げた曲ほどではなかった。忙しくて質が落ちたのか、単に好みでないのか。だから、ベスト盤を通して聴くと、飽きてしまうかも知れない(まあ、他の人・グループも同様だから仕方ないか)・・・

あと、上に「レコード版」と書いたように、TVでの歌は(当然ながら)いろいろな点で今ひとつだった記憶があるから、それで印象が悪いのはあるだろう。

 

PS. なぜか、"S・O・S"(1976)や「透明人間」(1978)はまだ掛かっていないようで、不思議だ。

PS2. それから、近頃、なぜか、Spotifyの「嫌い」(Don't like)機能がなくなってしまったようだ。仕方ないけど、嫌いな曲やアーティストを性懲りもなく掛けられるとイライラするので、Mlhi(自作の再生履歴管理システム)を使って、「強制スキップ」機能を実装したくなって来た。

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先日、「(これ以上、)いい曲や演奏が見つからなくなったら(どうするかねぇ)・・・」のように書いたが、そんな心配はSpotifyの「ラジオ」(あるいは同様のサービス)で解消するかも知れない。

延々と続けていた、オーディオの「音質向上」の試みがようやく終わった感じで(その予想だにしなかったw結末については、あとで書く予定)、耳も身体も疲労困憊でポップ音楽を聴くのすらキツいし、大丈夫そうな曲を考えるのもダルかったので、今までは避けていた、(音や曲が耳に優しいものの多い)クラシックのラジオを試してみた。とりあえず、モーツァルトのにしたら、意外に「使え」て感心した。

最初に、僕の好きな(しかも、近頃、ちょっと聴きたくなっていた)「フィガロの結婚」の序曲が掛かったのは とても印象が良かった。ただ、ヤーコプスの(2004)はちょっと速くて好みではなかったが、以前いろいろ比べたら(僕にとっての)速目なのが一般的なようだから、仕方ない。

ラジオは、知らないアーティストを知ることができるからいいし、種になるアーティストや作曲家(今回はモーツァルト)以外の曲も掛かって試せるからいい。ただ、僕はモーツァルトといえども好きでない曲が多いし、好きな曲だって好みでないアーティスト(の演奏)も多く、そういうのが頻繁に掛かって気分が悪くなるのが嫌だから、今まで試していなかった。しかし、今日試したら、嫌いな曲や演奏が余り掛からなくて安心した。もしかしたら、僕の好みに合わせて選んでいるのかも知れない。だとしたら、本当に使える。

それから、ちょっと聴いていただけで、今まで知らなかった、気になる(ちょっと気に入った)ピアニスト(Alessio Bax: モーツァルトのピアノ協奏曲 第27番の第2楽章で)が見付かったり、見直した人(ラン・ラン)が居たり、意外にいけそうな曲(モーツァルトのオーボエ協奏曲)があったりして、その点でそもそもの要望が実現できて、随分効率(時間的効率も「コスパ」も)がいいw

とはいえ、一楽章だけなら気に入っても、全曲を聴くとがっかりすることは多いが、(世の中はそんなに甘くないので)仕方ない。実際、日記を調べたら、Baxは実は今年の頭に別の曲(同協奏曲 第24番)を聴いていて、「オケがしょぼい」とか「重みが足りない」とか、余り印象が良くなかったことが分かった。でもまあ、今度はいいかも知れない・・・

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