Archive for the ‘音楽’ Category

近頃はPCなどに掛かりっ切りで随分篭っていた感じなので、昨日散歩した。ふと思い出した、ちょっと離れた公園の銀杏がまだあれば、それを観たかった。あと、先日作った、WriteNoteの代替(BNoteと名付けた)の屋外での動作確認や使い勝手の評価も兼ねた(実はこっちが主な動機だった?)。

着いたら、間に合ったのが分かったので ちょっとうれしくなった。いつもながら、ここの銀杏は なかなか綺麗だ。多くはなかったが、紅葉も綺麗だった。

その並木の下で、中国のイケメン(?)と女の友達数組が、ポーズを付けて(銀杏の葉の上に脚を伸ばして座ったりなど)撮影会(ってこともないだろうが)をしていた。いかにも中華系の若い人たちの元気な雰囲気で、なかなか楽しそうだった^^

公園を歩いて居たら、小さい保育園児4人くらいが(全然うるさくなく)おとなしく※並んで縁石にちょこっと座って、保育士さんたちに話し掛けられながらおやつを食べていた。何とも のどかで良かった。

※まだ歩くのもおぼつかなくて、うるさく走り回れないだけなのかも知れない。確かに、その子たちの大半は、あの柵付きトロッコのような手押し車に乗って来たようだ。

それにしても、あそこまで無口でおとなしいと(実際には、内心はそうでもないのかも知れないが)、さすがの僕も不思議と優しい目で見てしまう。そして、そういう幼い子どもの行動は、実は自然の本能なのかも知れないと、余計な想像を巡らせて仕舞った。

歩きながら、ラフマニノフのピアノ協奏曲 第2番 第1楽章の行進曲のようなところ(指示が長いなーw)が浮かんで来た。そこら辺は以前はそれほど好きではなかったが、近頃はいい(うまい)演奏を聴いたせいか、なかなかいい感じに思える。短い和音が連続するのを いかに滑らかに弾けるか(これはすごく難しそうだ)、しかも、行進曲のようにはガチガチにせず、ロマンティックな感じを残す、それでもパワーはちゃんと出すのがポイントのような気がしている。

それから、眺めがいいだけあって、カメラ女子(昔の能年的な雰囲気)と同オヤジw(例: 一眼+一脚+帽子+ベスト)が結構居た。平日だけど若い子は休みなのだろうか? 多いと言えば、赤ちゃんや幼児や犬を連れた人も多かった。一方、猫連れはもちろん おひとりさまの猫も見掛けなかった。

帰路、ちょっと遠回りして川沿いを歩いたが、なぜか、以前良く見た鯉も鳥も居なかった。

全部で2時間くらい歩いた。なかなか気持ち良かった。帰ったら昼時だったが、暑かったので とりあえずブローリーを飲んだ。

AQUOS sense liteで撮影

 

BNoteは問題なく使え、動作していた。散歩の経路を記録したり写真撮影してGPSが頻繁に更新されたためか、ノートに記録される位置情報もほとんど正しかった。ノートが、撮影した写真と一緒にPCに取り込め、メールで通知もされて、(細かい改良に結構苦労した甲斐あって)なかなか便利だと悦に入ったw そして、そのノートをそのままJoplinの日記に貼り込み、更に、この投稿の元ネタにできているのも便利だ。

なお、電池消費が少し多いようだったので、ノートのDropboxへの保存は止め、スマフォ内だけに保存するようにしてみた(でも、GPSやカメラの方が電池を食うので、変わらない気はする)。ただ、ミッションクリティカルな場合(例: 潜入取材)にはDropboxにも保存した方が確実そうだが、果たしてそういう機会はあるだろうか?w

 

PS. 歩いている途中で、埃っぽかったり目が痛くなることがあったので、部屋でたまに少し臭うのは(環境騒音と同様に)仕方ないのかも知れない。ただ、ジジイが吸って居た電子(加熱式)タバコの臭いは、部屋でもしたように思う。あの臭いも結構強く、しかも、煙草とは違った特性があるようで、始末が悪い感じだ。

  •   1
  •   0

さっきから、Orli Shahamという、初めて知ったピアニストのモーツァルトのピアノ協奏曲 第24番(2019)を聴いている。まだ第1楽章だが、これがいい! あまり良くない書き方だが、何も悪くないのだ。確かに「すごくいい」訳ではないが、悪いところがない(もちろん、陳腐でも詰まらなくもない)ってのはすごいことだと思う。そういう人を今まで知らなかったのは ちょっと怠慢だ。

そして、この演奏には直接関係ないが、ちょっと「気付いた」気がしたのは、曲の中で「いかにも難しいところ」を、聴いている人にはそれと気付かせずに演奏し切る(騙し通す?w)のが、僕にとってはいい演奏者なのかも知れないということだ。この「難しいところ」ってのは技術的なことではなく、逆に、技術的には何でもないけど、「ただ弾いたら全然駄目」ってところだ。例えば、この曲だと、第1楽章冒頭の同音が連続する部分だ(そこで このことを思った)。

まあ、曲を良く知っている人には「気付かせずに」は無理だが、古典落語のように、オチどころか全部が分かっているネタをいかにおもしろく聞かせるかみたいな難しさなのかと思う。

そういうのが、演奏者の「解釈・表現」(の良し悪し)とか、曲の理解・良さを生かす・引き出すということなのかも知れない。

ただ、それとは独立に、僕なりの曲の解釈とか期待や思い込みみたいなのがあって、それに合致するかどうがか、僕には一番重要な要素になっている(要するに、一般的な「演奏が好きか嫌いか」)。それが識者に認められた解釈などに合うかどうかは分からないが、別にどうでもいい気がする。曲は、常識とか歴史的な定見などは気にせず、僕が好きなように楽しめばいいと思っている。

だいたい、「モーツァルトに曲の意図を聞いた人なんて居るのか?!」って話だ(ってのはちょっと違っていてw、これは近頃の政治家が良く使う詭弁とか論点ずらしみたいなものだ)。

  •   0
  •   0

さっき掛かったこの曲を聞くたびに思っていた。−冒頭の声が少し震えている気がすると。彼女の歌(全部は知らないので、ヒット曲)でそういうのは珍しい。大抵はうまく・卒なく歌っている印象だ。

それで調べてみたら、Wikipediaにしかなかったので本当かどうかは確かでないが、録音が難航していたようだ。苦手なのか忙しかったのか分からないが、震えているようなのはそういうところに起因していたのかも知れない。

そう言えば、この曲には他にも歌い方が今一つなところがある。例えば、「なぁーぎさにぃー 白いパーラソるー」という節(特に「なぁー」と「る」)がなんか浪曲みたいだ。あと、「恋の よーくわーん」の「くわ」は何か下手に聞こえる。前者は音の範囲が声と合わなかったのだろうか。やっぱり苦手な曲なのだろうか。

あと、この曲は、なんとなく、ベース※などが(好きでない)細野晴臣の作のように思っていたが、財津和夫だった。意外だ。まあ、細野だったらもっと変な(個人的印象では気持ち悪い)曲になるか・・・

※冒頭のベースは曲(音符)以外に音も細野的で、例えば「ハイスクールララバイ」に通じるものがある。もちろん偶然だが、どちらも作詞は松本隆だ。

 

PS. 本題とは関係ないが、自分では即座に計算できなくてw、「1981年なんて つい最近だ」と思って居たのだが、冷静に計算してみると大体40年も前、つまり、半世紀近く前ではないか。なんかすごく妙だ・・・

PS2. (これも本題とは全然関係ないが) 今、重大なことに気付いた。細野と言えばYMOだが、僕は、細野はもちろん、坂本も高橋もソロでは(= 彼らの曲や演奏が)好きではない(一番好きそうなのは坂本だが、せいぜい、「千のナイフ」や"B-2 UNIT"くらいだ)。ということは、メンバーの誰も好きでないグループが好きだったということになって、すごく不思議だ。3人揃うと化合して別物になったってことなのかも知れない。

そういえば、ビートルズも似たような感じだ。子どもの頃はジョンが好きだったが、近年は特に好きなメンバーは居ない(強いて挙げれば「当時の」ポール)。

  •   0
  •   0

時々、なぜか"Free as a bird"(1995?)や"Real love"(1996?)が聴きたくなる。どっちもビートルズらしくない とてもだるい演奏※だが、疲れた時には悪くない。

※きっと、ジェフ・リンのせいなのだろう(私見)。ドラムやボーカルの音なんて、全然ビートルズじゃない。平常時なら「台無しにしやがって!」と言うところだが、聴きたい時は不思議と まんざらでもなくなるw

いわば、疲れた夜にポテトチップを食べビールを飲むみたいなwww

そして、今はそんな時だ。(でも、テーブルにはポテトチップもビールもない。)

  •   0
  •   0

暇だったので、Spotifyに手持ちの演奏(曲)が新たに入ったか調べたら ほとんどなかったのだが(ただ、いつの間にかEPOが入っていた)、おもしろい(考えさせられた)アルバムを見つけた。"Abbey Road - A Tribute To The Beatles" (2009)というもので、まあ、良くあるビートルズのカバー集だ。

聴いてみると、いいものもあり、良くないものもあった。半分辺りまで聴いたところでは、Sweetの"Ticket To Ride", David Packの"Day Tripper", David Jenkins (Pablo Cruise)の"Strawberry Fields Forever", そして、Steve Lukatherの"Hey Jude"※がいい感じだ。中でもJenkinsのが一番いい感じだった。演奏に個性(他のほとんどの人と同様に初めて聴く人なので、本当に彼の個性かは不明)が出ているうえに曲に合っていた。

※Lukatherで検索したので、オリジナルアルバムと一緒に、彼の演奏も入ったこのアルバムが出て来た。

そして、思った。「カバーなんて、(見掛けより大変だから、)安易にできないだろうな」と。

というのは、ただオリジナルを真似して歌う・演奏するのでは駄目だからだ。それじゃ素人のコピーやカラオケみたいなもので、芸(芸術性)がない。かといって、自分の個性を出しまくったら、オリジナル演奏のイメージがなくなってしまう(それで却っていいと思わせる演奏もあるとは思うが、カバーの意味があるか疑問になる。※)。そして、いいにしても悪いにしても、熱心なオリジナルのファンから「全然違う」、「リスペクトが足りない」とか叩かれる可能性はあるし、自分のファンからは「知らない、古い、つまらない」などと言われる可能性もあって、どう転んでもうまく行かない(「無理ゲー」?)気がする。

※まあ、これは昔良くあった、複数の人がほぼ同時に出すオリジナル(もちろん最初の人が本当のオリジナルなのだが)みたいなものか。

プロとしては、そういう針の穴のような難所を攻めなければならないから大変なんだろうな、と想像した。それでもやるんだから、すごく好きなんだろうな。

 

ちなみに、Spotifyで聴いて好きになったカバーアルバムが少しあるので、参考までに載せる。僕にしてみれば、ここら辺は「針の穴」を無事に通った秀作だ。

 

PS. 少し前に(今も?)、J-POPなどのカバーを歌う歌手(Mなんとか?)が居て、なぜか叩かれていたが、僕は聴いたことがないから(あ、Spotifyで(その人かは不明だが)ちょっと掛かったけど、「偽物だ」と思ってすぐに飛ばしたことは多いw)理由は分からないが、上のようなことだったのか、単に気に入られなかっただけなのか。でも、僕にはどっちでもいいことだ。

  •   1
  •   0

さっき掛かった「ヤマトナデシコ七変化」(1984)の、イントロから歌の繋がりかたに感心した。もう少し詳しく書くと、イントロが終わってすかさず歌が出るところだ。もちろんそれで当たり前なのだが、イントロと歌い出しの間隔がほんのわずかに短く(「かぶせ気味」というのか)聞こえ、それは実際には歌唱の瑕疵なのだとは思うが※、それで却っていい感じに聞こえたのだ。

※僕の印象としては、もう少し(ほんのわずかに)溜めて出るべきだと思う。だから、小泉はほんのわずかに早まってしまったのかも知れない。 (でも、その程度は編集で何とかできそうだから、やっぱりこれでいいのか? それとも、「この味がいい」と思われてそのまま出した? 妙に気になるな。)

まあ、でも、再度聴いたら普通に聞こえたから、気のせいかも知れない。

それとは別に、このイントロはなかなか味わい深い。最初の「シュルルーん」ていう、ギター(楽譜的にはアルペジオだろうが、奏法としては単発のストローク?)みたいだけど何かを擦ったような高い音が綺麗だし、パーカッションはノリがいいし、ドラムの入り方がかっこいいし、コーラスは乗りがいいうえにパワフルにちゃんと歌っている。何回目かに気付いたが、ベースもかっこいい。何回掛けても飽きない感じだ。

普通は ここまでやると、やり過ぎになって 飽きたり いやらしくなったりかっこ悪くなってしまうのだが、そうならないのがまたすごい。

偶然だろうけど、これは(先日亡くなった)筒美京平の作曲だった(今、もしかしたらと調べて、「へえ、そうだったか」と思った)。ただ、イントロの つくりは編曲者がやったのかも知れない。そこら辺の分担は詳しくないので分からない。

 

書いたあとで上のYouTubeのコメントを読んだら、いろいろ分かった(コメントが正しいとしての話)。

  • この曲に満載の「いい感じの音」は、筒美が言っていたらしいのだが、聴く人を飽きさせないために、隙間を「おもしろい音」で埋めているらしい。なるほど、僕はまんまとそれに乗った訳かw
    • そして、その音は編曲者が作る(考える)らしい。
  • コーラスはEVEというグループ(僕は知らなかった)他で、やっぱり好感を持っている人が居た。
  • かっこいいドラムは島村英二、ベースは長岡道夫という人らしい(やっぱり知らない。ただ、長岡はSHOGUNのメンバーとのこと)。

 

ついでに、比較的に書くと、今掛かっている「チェリーブラッサム」(1981, これもかっこいい。「ヤマト−」に比べて音づくりはシンプルだが、それもやっぱりかっこいい)の歌い出しはぴったりな感じだ。先日、「デビュー当時は(新鮮さがなくなるから)何回も歌わなかった」のような話を読んだので、松田は「卒なくこなす人」だったんだろうか。

  •   0
  •   0

今朝、自作プログラム(アプリによって音を出す先(スピーカー/ヘッドフォン)を変える)の修正の確認のためにVivaldi(ブラウザ)で音を出したら※、なかなかいいモーツァルトのレクイエムが掛かった。ポーランド人と思われる、Bartosz Michałowskiという人がSinfonia IuventusとWarsaw Philharmonic Choirを指揮する演奏(2019)だ。何も期待せずテキトーに音を出したら、最初の数秒で はっとして聴き入ってしまった。

※"Mozart"で検索したら出て来た。Chromeだと、詰まらないモーツァルトの有名な曲(例: アイネクライネ)のビデオが最初に出て来るのだが、VivaldiはBingなので結果が違ったようだ。

僕としては、大好きなカラヤンの(1987)のように(「レクイエム」だというのに朝から)乗れた。ただ、(結構重要なパートと思われる)ティンパニが少し単調な感じ(話し方で言えば、棒読み的)だった。

この、「単調な感じ」というのの理由が説明できない。ティンパニの叩き方にどういう違いがあるのか説明できない。おそらく、ピアノのように違いがある(単に、楽譜どおりに叩いていればいい訳ではない)とは思うが(それが聴こえ方にどういう差を及ぼすのか、興味のあるところだ)、やったことがないから説明できない。ただ、何か物足りない感じがした。

それから、ところどころ、速過ぎる曲(Dies irae, Confutatis)があったが、そういう解釈なのだろうし、変・嫌ではなかった。コーラスがすごく綺麗で、なぜか、涙が出そうになった。

一つ はっきり言いたいのは、「レクイエム」だから悲しくなってでは全くなく(そもそも、歌詞が何を言っているのか分からないw)、演奏(合唱)が美しい(しかも、全然古臭くなくて乗れる)からである。でも、なぜ、美しいとそうなるのかが分からない。月並みな言い方をすれば、「天国に通じるような声」(があるとすれば)を聞いたからなのかも知れない。

 

あと、演奏には関係ないが、動画の画作りもいい感じだった。4Kをうたっていたが、やたらに細かさを強調しない落ち着いた色調(正確には色調と解像度は無関係だが)が良かった。

 

それから、おもしろい(笑える)コメントがあったので、画面コピーを載せる。

でも、今となってはおもしろくない。観ながらでないと駄目か・・・

 

PS. 残念ながら、この演奏はSpotifyには入ってなかったので、聴きたい時に簡単に聴けない。YouTubeまで統合したライブラリができればいいが、今はできていない。

  •   0
  •   0

今朝だったか、Spotifyでクラシック音楽のdaily mixを掛けていて、ふと思った。僕が室内楽が好きでない理由は、「意識高そう」だからかも知れない。

ピアノ単体とかピアノとオケなら、(もちろん曲にもよるけど)ロックとか肉体派って感じで乗れていいんだけど、弦楽合奏は美しい音だけで、どうにも意識高そうで、乗りにくくて苦手だ・・・

室内楽は詳しくないから、あくまでも想像だが、おそらく、弦楽器だけだとなかなかガツンという音が出せないので、流麗な美しい音が主になり、更に、「室内楽」というだけあって演奏する場所も小さ目のところだろうから、なかなかパワー全開にはできないのかも知れない。

仮にピアノが小編成の弦と一緒に演奏する場合でも、ピアノがガツンと大パワーの音を出すと弦と合わないから、同じようなことではないか。

だから、ピアノの曲でも、静かで流麗な美しい音だけの曲は余り好きでないのだろう。かといって、パワーだけで押しまくる曲も好きではないから、なかなか難しい。強弱・緩急・清濁といったメリハリ=ダイナミックさが重要ってことか。

  •   1
  •   0

ひょんなことから※、今朝、昔から余り好きでない(正確には、僕には合わない)グリモーの、ラフマニノフのピアノ協奏曲 第2番(2001)を試しに聴いてみた。結果としては やっぱり合わなかったけど、どうして合わないかなど、少し分かったことがあった。

※昨夜、何を思ったのか、ジルベルシュテインの上記の曲の演奏(1994)をちょっと聴いたら(これも今一つ気に入らなかった)、自作の音楽鑑賞履歴・感想記録システム(Mlhi)にちょっとしたバグが見付かって直した時に、グリモーの1992年の演奏では同じ問題が出るか試しに再生してみた(バグは出なかった)。演奏は、彼女の経験が浅かったこともあるのだろう、やっぱり全然気に入らなかった。でも、「近頃のなら、もしかしたら・・・」と思ったのだろう。

ちなみに、1992年のはCDを持っている。当時はミーハーだったので、彼女が可愛かった*ので何も考えずにジャケ買いした気がするw そんな彼女ももう50歳と知って驚いた。

*今見ると、単に可愛い訳ではなく、妙に意識高そうな面倒そうな雰囲気が醸し出ていて、実際、今までのアルバムや言動を見る限り、当たっていそうだw

2001年の演奏は1992年のよりずっといいと思う。ただ、少しやり過ぎ感がある。時々ロマンティック過ぎる感じで*、具体的には、テンポの揺らぎが大き過ぎるように感じた。※ その揺らぎが僕・この曲には大問題で、期待・予期したところにスパっと来ないので、なかなか全力で乗れない感じで もどかしい。

*すごく月並みな書き方をすると、「ショパンなら許されるような弾き方」ではありそうだが、そう単純な話ではない。

※オーディオのジッターとは全く違うが、演奏のテンポに波形があるとすれば、そういう感じに予測不可能にフラフラする。

例えれば、丸太の輪切りの踏み台が並んだ池を渡ろうとする時、台の間隔や位置が微妙にずれていて いつも足元に気を遣っていないと踏み外すので、なかなかリズミカルに行けないみたいな感じだ。もう一つの例えだと、こっちが相手のそれまでの言動から反応を予想して何かしても大抵外れて、冷たくされてがっかりして、乗りが悪いと感じるみたいな・・・

この揺らぎは彼女の解釈・個性なのだろうと思うが、僕には合わない。もちろん、バッハとかじゃないから「がっちり固定しろ」とは言わない。ただ、その量や仕方が僕には合わなかった。

そのせいで、第2楽章は今一つ乗りが悪かった。最もパワフルで乗りを期待する第3楽章の細かい感想を書くと、冒頭・前半でキレや鋭さが足りない箇所があり、中盤も鋭さとパワーが足りななど、なんか惜しい。後半の、ピアノが中心で低音弦が静かに伴奏する箇所は遅過ぎてイライラした。終盤も、彼女の揺らぎのせいで乗り切れないし、最後は余りにも坦々としていて物足りなかった。

ただ、下手ではないし、全く駄目な演奏だとは思わない。例えば、多くの音を「ちゃんと出している」(そう聞こえさせた)ところは感心した。

もちろん、仮にすべての音をちゃんと出していたとしても、僕に聞き取れる訳がないので、あくまでも印象である。おそらく、他の人が目立たせずに弾いている音を聞こえやすく出しているのだろう。

 

という訳で、不完全燃焼だったので、例によって別の人のを聴き直したのだが、今日はSantiago Rodriguezの(1999)にした。この演奏は普通にいい。すごくはないが、グリモーの(2001)に比べてずっと乗れるし、安心して聴けた。わずかな欠点は、なぜか第3楽章の出だしが遅過ぎることだった。それ以外は問題ない。これを読んで聴く方が居るとも思えないが、ちょっとお勧めである。

録音に関して付記すると、このアルバムは低音の入り方がいいのか、うちのシステムでの出方が とても気持ち良かった。

  •   0
  •   0

モーツァルトのピアノ協奏曲の良し悪しについて思ったこと。

今日、ふとK. 488(第23番)が聴きたくなったので聴いてみたら、例によって満足できないことが多かった。

ピアノ協奏曲 第23番: Matthias Kirschnereitの(2005)は駄目だったが(第1楽章まで)、Jean-Claude Pennetierの(2006)は悪くない。

ピアノ協奏曲 第24番: Alessio Baxの(2013)は駄目だった(第2楽章まで)しStefan Vladarの(2007)も駄目だった(第1楽章まで)が、Richard Goodeの(1999)は恐らくいい(イントロまで)。

どの演奏者も、技術的には何も問題なく同等(あるいは、あるしきい値以上)のレベルのはずだが、僕の耳には(演奏の良さが)明らかに違って聞こえる。本当に、具体的・定量的に説明できない、「わずかな違い」だと思う。例えば、第23番 第1楽章では、Kirschnereitのは「滑らかさが足りない」とか、第24番 第2楽章では、Baxのは「ただ弾いているだけに聞こえる」やVladarのは「速過ぎる」だ。そして、悪くないという感想のPennetierの第23番だって、いろいろ不満があるにも関わらず許せるのが不思議だ。

まさに、

いいものもある、だけど、悪いものもある

ってやつか。。。

 

こういう違いは、演奏者の理解・解釈に始まり、最終的にはピアノ(もちろん、オケも同様)の弾き方で生み出されている訳で、それをどうにか測定して数値で表現できるものかと思うが、個人的にはできなくてもいいと思う。

もしできてしまったら、機械(AIなど)で演奏できてしまうことに繋がるので。でも、それでも演奏できるとは言えない。いくらそういう「演奏」(表現)ができても、そういう表現をするための理解・解釈ができなければいけないはずで、それは難しい(人間でないとできない)と思う・思いたいのだ。

つまり、コピーでは駄目なのだ。具体的には、AIが「*の再現・復活」でなく、そのAI固有の表現・演奏ができて、それに芸術性があって、世の中に受け入れられるなら、許せる。が、個人的には、そういう世の中は全然見たくない・・・

ただ、そのうち、「モーツァルトが本当に意図した演奏」なんてのが出そうだ。それはどうやって証明するのか分からないが、いくら証明されても、僕は認めたくないwww そして、仮にそれができたとしても、上に書いたAI固有の表現・演奏とは違う。

そもそも、現代では「現代的な解釈・演奏」がなされている・好まれるので、作曲者本人の意図に忠実に演奏するのは、今の古楽器による演奏の完璧版のようなもので、(現代の)芸術としては必ずしも最高・最良ではないと、個人的には思う。

なぜかと言えば、今は作曲当時存在していなかった・作曲者が想定していなかった楽器や環境で演奏できるからで、そういうすごい演奏が必ずしも作曲者の意に反するとは言えず、もしかしたら、作曲者の意図を拡張して反映している(曲の良さを拡張して表現している)かも知れないからだ。

そういう意味では、AIが人間の創造性・能力を超えた領域(もちろん、既存の楽器の範疇も超えるだろう)で解釈・表現・演奏する可能性もある訳で、それはそれで楽しみでもあり、恐ろしい気もする。

 

酔っているので、後半は大風呂敷を広げたwww

  •   0
  •   0

バレンボイム/ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ全集(2020)(13CD)

Disc 1-10: ベートーヴェン ピアノ・ソナタ 第1番-第32番
録音時期:2020年5月18日~6月1日

紹介より: ピアニストで指揮者のダニエル・バレンボイムが、この自粛期間に新たにベートーヴェンの録音を行いました。これほど長い期間集中してベートーヴェンの音楽に向き合った音楽家は他にいないのではないでしょうか。

は? 「新約聖書」とまで呼ばれているソナタ32曲全部、実にCD 10枚分の演奏を1か月も掛けずに録音した?? (それが「長い期間」? 一年の間違いじゃなくって?) 「絶句」としか書けない。

もちろん、聴く気は起こらないな。

と書きつつ、早速Spotifyで検索したけど、まだなかったw もちろん聴かないけど、とりあえずは「悲愴」(の最初の音)だな(爆)

で、パブロフの犬のように、それが脳内でリピート再生されてしまって困っている今w

 

PS. でもまあ、ベートーヴェンだから許せるな。これがもし、モーツァルトのピアノソナタとかピアノ協奏曲全部を2週間でとかだったら、こんなもんじゃ済まないよwww

  •   0
  •   0

ベゾス、ジョブズ、孫正義…世界の大富豪が実践する「5つのルーティン」

以前から書いているように、僕はこういう「大富豪や業界のカリスマが実践する−」とかいうのは、全く眉唾・実効性がないと思っている。というのは、そういうのは十分条件とか結果論であって、真似れば彼らのようになれるってことは100%ないからだ。だから、僕は単に読んで(こうやって御託を並べて)楽しむだけだ。

こういうことを言う・書く人たちってのは何なんだろうなあと思う。そもそも受け売りとか「他人のふんどし」じゃん。それでも、いろいろな会社などから講演だのトレーニングだのを依頼されるんだろうから、ある意味いい商売だ。そういうのをして どのくらい効果があったか検証して公開している人が居たら、是非教えて欲しい。 − というのは全く余計なことだ。

あ、そういう連中自身が富豪でも有名人でもないってことが、彼らの論が正しくないことを証明していそうだwwww (要するに、「特別な儲け話」を持って来る営業に「自分でやったら?」って話。)

とは言え、上の記事に挙げられていることをやっても損はないから、全く無意味とか有害だとも言えない。それに、そもそもこういうことを知らずにやらずに、「なんか効率悪いなあ」と思ったり、そもそも何も思わないのは論外だから、知るのはいいことだ。でも、やっぱり、視点が違うんだよなぁ・・・

 

なんてことを、富豪でもカリスマでもない、遊民の僕が書いても説得力ないね(爆)

 

PS. 実は僕はルーチンワークが大っ嫌いだ。変化がなくて何もおもしろくないじゃないか。だから、上の全部をやっていると言うのは、そうしようと思って始めた訳でも、いつも意識してしているのではなく、気付いたらそうなっていた・いるのだ。別の言い方をすると、それが楽だからだ。だから、することに何も抵抗はないし、逆に いつでもすっ飛ばせる。そして、もっとおもしろいとか役に立つとか楽なことがあれば、何もためらわずにそっちに切り替える。

PS2. 記事について一つだけ書く。ジョブズもしていたという、静かな時間を持つのは本当に必要だと思う。僕は音楽が大好きだけど、いつもBGMを掛けようとは全然思わない。それがいいとは全く思わない。何も意味がない。※ 近頃は、Spotifyに入って居るにも関わらず、音楽を掛けない時間のほうが多い気もするw

若い頃と違って、今はね。

だから、お店や医療機関のような、一日中BGMが流れる会社や職場があると思うが、(おそらく好きでも嫌いでもない音楽を延々と聴かされて、)僕からしたら地獄とか苦行としか思えない(例えば、冷房が寒すぎる・暑過ぎる建物・部屋のような感じ)。まともに考えることができなくなるだろう。逆に、そういうところでちゃんと仕事できるのはすごいとすら思う。

↑今思い付いたが、将来は、今の「香害」的な扱い(「音楽害」?: 「職場で一日中BGMが流れていて苦痛なんです・・・」的な苦情)になるんじゃまいか??

PS3. ↑の「音楽害」を検索していたら、「楽器が脳の若さと健康につながる! 何歳から始めても楽器は百利あって一害なし! 脳科学の第一人者 瀧靖之先生による“カナデルチカラムービー”を公開。」なんて記事が見付かって、噴飯ものだ。そんなことないよ。絶対ない。「百利あっても三十害あり」だ。本当にまともに音楽をしようとしたら、精神を病むリスクがあることを意識すべきだ。それを求めないないならいいけど、それは一体なんだろうか? 彼の言う「楽器」? それってゲームとか遊戯みたいなものだろうか?

こいつに「悲愴」の最初の一(和)音だけでもいいから、満足に弾いてもらいたいわ。話はそれからだ!

そのレベルなら、「文学」(実際には、単に文字や文章を書くこと)だって若さとか健康にいい気がするが、何が違うのだろうか? (要するに、何だっていい)

(なんか、PSの方が重要になってしまった)

  •   1
  •   0

PC内の音楽のファイルを整理(貴重なものとそうでないものの再分類)している時、コスミックインベンション※というグループの曲のアルバム画像がなかったので検索したら、あるページが目に留まった。おあつらえ向きな画像があったので使わせてもらったのだが、そのページ(「コスミックインベンション結成(または「(無題)」)」 (2008))の記述が妙に詳しくて興味をひいた。

※単語の間に「・」を入れるのが通例だが、上で参照したサイトの筆者の意向を尊重して、この稿では入れずに表記する。

詳しい以上に、なんというのか、「この不思議なページは一体何なのか?」と思った。普通にコスミックインベンションに詳しいだけなら、(僕みたいなw)変なマニアのオッサンでも書くが、「それ以上」なのだ。それで、その稿はもちろん、他もいろいろ読んでみたら、筆者の森岡一夫はコスミックインベンションの中心人物(森岡ミマ※)の親御さんであることが分かった。更に、今までは全く知らなかったのだが、日本のエレクトリックギターや電子楽器の創成期に尽力された方であることが分かった。しまいには、彼が既(6年くらい前)に亡くなっていることも分かった。。。 だから、一通り読んだら何かコメントを書こうと思って居たのだが、それはしなかった(どうりで、見たコメントに返事がなかった訳だ)。

※現在は「森岡みま」が正しいようだが、筆者の意向を尊重して、この稿では片仮名で表記した。

墓碑や記念碑のようなブログに圧倒されたというのか、なんとも感慨深いものがあった。

彼の楽器に関する熱意・苦労はなかなか壮絶なものだった。そして、昔から電子楽器(それから、リズムマシンやギター用の小さいエフェクタ)で有名なR社の創業者の悪行を知った。ただ、それは片方からの視点なので、必ずしも公平とは言えないだろう。それでも、僕も日本の楽器の大企業なんて金儲け中心でしょうもないと思って居た※から、全くのデタラメではなさそうだ。

※例えば、昔、電子ピアノやDTMのソフトを買う時にR社のも検討したが、なんとなく本質でないところに力を入れていた気がしたので止めた(でも、今となっては、電子ピアノは全部本質でない)。

なお、散々検討して買ったK社の電子ピアノもアップライトピアノも、Y社のDTMソフトもイマイチというオチであったw

そういう体験談を読むのはおもしろかったのだが、段々、彼と僕との趣味・指向の違いを実感して来て、読むのが大変(難儀)になって来た。例えば、彼の作ったエレクトリックギター(ファーストマン リバプール)の形は、僕には全くありえない。あと、当時大流行していたらしく、彼の会社でも生産していたモズライトもありえない。

僕は、その後に出て来た、ストラトキャスターテレキャスターから入ったので、そういうのでないと受け付けないのだが、実際にはモズライトが先だったから、ストラトなんてモズの形をちょっと変えた(上下逆にした)ものなんじゃないかと想像している。

なお、当時はシンプルな形状・機能のテレキャスターが大好きだった。あと、なぜかレスポールは全く好きでなかった(大きく膨らんで見えるので、僕の好きなソリッドボディーでないと誤解していたからだろうか)。でも、音はいいようだ。

そもそも、会社などの名前に自分の名前を英語にしたのを使う(「ファーストマン」 ← 一(first), 夫(man); 「ヒルウッド」 ← 岡(hill), 森(wood))のは10000%ありえない。もちろん付けるのは自由だが、僕にはそういうセンスは全くない。

あと、彼が晩年に経営していた建築会社の社員(見習いの大工さん)の扱い・接し方は、以前の会社のクソジジイ社長を思い出させた。昔だったこともあるのだろうが、長く経営者をしていなると、ああいうふうになってしまうのかな。

それから、細かいことだが、当時からコスミックインベンションは僕の趣味ではなかった(それでも、懐かしくて少しだけPCに曲を入れている)。そんなにうまくもなく、曲は良くもおもしろくもなく、単に「テクノアイドル」(それにしては、テクノでも中途半端だと感じた)みたいな、キワモノ的・本質でない存在にしか感じられなかった。でも、彼の記述では音楽の才能のある人が多かったようで、実際、今でも活躍している人(井上ヨシマサ)がいるそうだ。ただ、彼の曲をざっと見たが、余り好きなのはなかった。

そんな具合に、個人的には全く趣味が違うのではあるが、だからといって無視とか貶すだけではなく、彼の業績のすごさは認めて尊重したい。※ それなのに、世の中でほとんど知られていないのは、改めて日本の闇を感じた。

※いや、存命とか亡くなってから随分経っているなら、いつものように強力に叩くだろうが、そうでないので、さすがに手加減せざるを得ない。かと言って、現代の、死んだら何でも許され讃えられる風潮は大嫌いなので、上のように書いた。

 

「闇」以外に彼が顧みられない原因を想像すると、流行で売れていた「エレキギター」は置いておくとして、電子楽器、なかでも少し前に流行った通信カラオケの原型に関しては、自分ですごいアイデアだったと言っているのに、プロジェクトが終了させられた時点であっさり止めてしまったのが良くない(そんなにすごいと思っていたなら、経営者だったんだから、持ち出しででもやれば良かったのに)。もちろん「今となっては」の話だが、そのアイデアはMIDIに通じるものがあったのだから、続ければ良かったと思う。

きっと、その辺りがジョブズなどとの違いかと想像するが、あくまでも想像・後知恵である。

 

PS. 題について: こういう場合、いつも"90°"なのか"180°"なのか悩むが、前者は内積を取ると0になり、後者は-1になるから、「全く相容れない・共通点がない」という意味で90°が適当かと思った。

PS2. 相容れないとは書きつつも、「電子オルガン第一号試作」なんて、100本もの真空管の穴あけをして配線したなんて読んだら、「ウホー」って感じで血沸き肉踊っておもしろかった^^

  • (無題) |

    (無題) |

    [画像] 上記はコスミックインベンションのデビュー当時の写真で、ドラム担当は前列中央の森岡ミマ、そ…

  •   1
  •   0

ルーティンワークwでCeronの新着ニュースを見ていたら、「小泉今日子、全104タイトルのべ726曲が一斉サブスク解禁(コメントあり) - 音楽ナタリー」というのが目に入り、早速Spotifyをチェックしたら確かに入っていた

ようやく小泉今日子の曲がSpotifyに入った。

でも、まあ、特に急いで聴きたい曲はないから、入っているのを見て「ふーん」と思っただけだが、少しして、折角だから とりあえず聴いてみようと思い、最新のベスト「コイズミクロニクル ~コンプリートシングルベスト1982-2017~」(2017)を試している。

演奏や音じゃないからいいけど、これのジャケットは「なんだかなあ・・・」である。この、昔の(ビットマップを改造して作った)ようなフォントは一体??※ どういう味を出したかったのか? あと、配信の画像では細かい文字が見えない。。。

※全くの余談だが、昔(1990年代前半)、LaTeXという文書整形システムを使っていたのだが、それに使えるフリーの日本語フォントがほとんどなく、X Window Systemの日本語ビットマップフォントを加工して使っていたことがある。今みたいに拡大・縮小自由自在のベクターフォントじゃないので、その字形は線が細かったり太かったり、線の横にドットがギザギザと出ていたりで、なかなかひどいものだった。偶然だとは思うが、ジャケットの「小泉今日子」の文字は、そのフォントにそっくりなのだ。

最初のほうの曲目は手持ちのベスト(「ザ・ベスト」(1986))と同じなので目新しくはないものの、やっぱり懐かしい。僕は、「まっ赤な女の子」(1983)辺りからリアルタイムに聞いていた気がする。と言っても、その頃はまだTVなどでちょっと聞く程度だった。なぜか力を入れ出したのは、何度か書いている"Today's girl"(1985)からだった。

このベストには、シングル(B面?)だけとか別名義で出した曲(例: あんみつ姫 「クライマックス御一緒に」(1984))も入っているから、手持ちになかった曲も聴けていい。

(ここまでの時点では)「渚のはいから人魚」(1984)、「渚のはいから人魚」(1984)、「迷宮のアンドローラ」(1984)、「ヤマトナデシコ七変化」(1984)、"The Stardust Memory"(1985)なんて、つい乗ってしまった・・・ (ほとんど全部だwww)

余談: 「ヤマトナデシコ−」だと思ったが、たまたま観たTVの歌番組で、あんみつ姫の格好で歌ったのだが、お笑いの人(東八郎?)が一緒におかしく(茶化しっぽく)踊っていたので、最後に彼女がちょっと切れて「バカヤロー」って言ってたのを思い出す。その動画、あるかなあ・・・

そして、以前書いた山口百恵と違って、数百曲のうち聴きたいのは数曲ってことはなく、数十曲はありそうだ^^ うむ、そうだったか。

 

少し音質の話を書くと、聴き出した時から、なんとなく音質が違う(良い)気がして、リマスタリングしたのかと思い、調べたら本当にそうだった。手持ちに比べて細かい音もちゃんと聞こえるが、(特に海外に)良くあるリマスター版のように、低音や高音を出し過ぎて「いかにもいい音」にしていないのが好感が持てる。こういう真っ当なリマスターなら許せる。いったい、どうすれば こうできるのか、ちょっと不思議ではある。ビクターの(この盤を担当した)エンジニアは腕がいいのかも知れない。

例えば、「半分少女」(1983)は、高域はもちろん低域もいい感じになっている。"The Stardust Memory"は右の電子(電気)ピアノと思われる音が違う(より忠実な感じ)。「ハートブレイカー」(1985)は低域が豊かになり、全体的な迫力も増えている。「なんてったってアイドル」(1985)は高音(シンバルなど)が ちゃんと聞こえる(切れ味が鋭いが、うるさくない)。

  •   1
  •   0

何十年も音楽を聴いてきて、今ようやく、「ちゃんと音が聞こえるようになった」と実感する。

例えば、ビートルズの"Revolution"(1968)※のイントロのギターなんて、子どもの頃は、「とてつもない速さで続けて音を出している」と思い、「これは楽譜では表せない(楽譜は便宜上書いてあるだけ)演奏なんだ」と思い込んでいたのだが、今はちゃんと、何分音符かは分からない(16分くらい?)もののw、ちゃんと、それなりの長さのある音の断続として聞こえるようになった。

※最初に見付かった動画はレコードの版とは違う。これもいいけど、やっぱりレコードの版がいいな・・・

逆のパターン(とはちょっと違うが)として、以前、なおきさんに教えて頂いたことだが、ベートーヴェンの「悲愴*1のイントロが予想外に短い音符だった(少なくとも全か2分音符くらいかと思っていたが、8分だったか? ← 別の演奏*2より、4分と付点16分のタイだった)と知って、愕然wとしたことがある。

*1 余談だが、不思議なことに、YouTubeには好みの演奏がなかなかなかった。上のZimermanのは(少なくともイントロは)許せた。

*2 Alessio Baxの演奏(2011)は(折角のスタインウェイなのに)音が柔らか過ぎて曲を台無しにしているうえに、経験の浅さを露呈しているが、意外に良くて かなり乗れた。「筋がいい」というやつだろうか。ただ、最後はとても惜しかった・・・

こういうのが、同音連続(音楽用語は忘れた)に限らず、いろいろあるからおもしろい(だから、「初めて聞こえた」音が多いのかも知れない)。

歳(経験)のおかげかオーディオのおかげか、理由は分からないが、とにかくいいことだ。

 

PS. 本題とは関係ないが、上に挙げたKrystian Zimermanの「悲愴」(演奏年不明)の感想: 第1楽章: かなりいいんだけど惜しい。例えば、(とても細かいけど、)音の切り方が好きでない箇所が多々ある。でも、パワーの掛け方は乗れていい。

あと、強いところでピアノが うなる音(僕の想像)が聞こえてきてしびれたw こういうところは、ベートーヴェンに感心する。

第2楽章: これは今一つかな・・・ ちょっと平板的で深みが足りない。端正なのだとは思う。

  •   0
  •   0

(題は、おもしろそうだからそうしただけです。)

良く行くスーパーは、どういう訳かBGMの選曲がおもしろい。もちろんオリジナル演奏ではなくて、BGM風のテキトーな演奏ではあるのだが、曲にグッと来てしまうことが結構ある。その演奏も、それほどテキトーでなく、充分許せるレベルなのがいい。

今日は、「ゴルトベルク」のアリアだったか(実際にはなんだか定かでないw)で、つい乗ってしまった※。結構前には、日本の昭和のポップ音楽で まったりしてしまった。あと、もちろん、バブル期のポップ音楽も掛かる。しかも、結構マイナーなのも掛かるからうれしくなる。

※そして、その変奏が終わったら、つい、(グールドののように)次の第一変奏が途切れなく掛かるのを「当然、ないよな」と思いつつも期待してしまったが、もちろん次は別の曲だったwww

まあ、選ぶ人(きっと、「選んでいる」という意識もないのだろう)は何も考えていなくて、「なんか、チャネル?の名前がそれらしいから」とか言う理由で選んだ気がする(そして、それ以来変えてない)。でも、まあ、それでいいと思う。

というのは、普通、スーパーのBGMなんて、当たり障りのない、聞いても分からない、テキトーなつまらない電子音楽(だいたいキーボード)が多いのに、そこは「聞いて分かる」ことが多いだけでもいいのに、乗れることさえあるからだ。

 

PS. (このスーパーやBGMとは全然関係ないが、書く場所がなかったのでついでに) 以前、鳩よけ用品を買いにホームセンターに行ってうろついていたら、"Johnny B. Goode"が聞こえてきた。ただ、オリジナルではなく、普通のカバーでもないけど妙に聴き覚えがある演奏(歌声)だったので、「もしや」と思って聞こえる方に行ってたら、やっぱり「海のお魚パーティー」wでのマーティーのだった。TVか何かの宣伝に"Back to the future"(1985)を流していたようだ。

そういう使い方が許されるのか ちょっと心配になったが、田舎だから問題ないだろうw

(8/7 6:25)

  •   1
  •   0

今、"TOMORROW"(1995)が掛かっている。先日気付いたのだが、僕は、彼女と岡村孝子を混同していたフシがあるかも知れない。更に言えば、この曲と「夢をあきらめないで」(1987)※を混同していたかも知れぬ・・・

※このビデオ(2011? ← 調べたら2019だった)ではなぜか苦しそうに歌っていて、(その頃から調子悪かったということはないだろうが、 ← 休養直前だったようだ)それでつい見入ってしまったので、あえてシングルでない版を選んだ。

ファンの方からすれば全然違うとは思うが、どちらの方も似たようなイメージだし、ヒットした歌も似ている。ヒットした時期は分からないが、近い気がする(実は、岡村の方が早いようだ)。名字すら似ている。

とすれば、なんか岡村に申し訳ない気分だw でも、(外見の印象では)やっぱり岡村の方がお姉さん的で好きだ。

あと、昔の会社に岡本に似た丸顔の方が居たのを、思い出した。

  •   1
  •   0

ふと思ったこと。

(今でも将来でも、) ある曲のある人の演奏をどうしても聴きたいことがあるだろう。(だから、そのメディア(CDやレコード)を手元に置いておきたい。)

という思いが実現する(その演奏をどうしても聴きたいと思うことがあり、手元に置いていたメディアが本当に役に立つ)ことは本当にあるのか?

今まで書いて来たように、僕は、少なくとも今はそれはない。「ある曲のある人の演奏」(が良かったこと)を思い出すだけで充分だ。ただ、これは、音楽(特に演奏: 「(作曲でなく)演奏する芸術」とでも言うのだろうか?)やperforming artsの意味を根本から否定するような気がするので、なかなか確信が持てない。

だって、もし、ある曲のある人のある時の演奏が良くてそれ以外はそうでないなら、もう、その人はその曲を演奏する意味がないことになってしまうのだから。とはいえ、その演奏者は意味があろうとなかろうと、自分がそうしたければ演奏しようと思うだろうし、それが今までよりいいことがあるかも知れない。例えば、グールドの「ゴルトベルク」のように。

 

PS. なんか、前にも似たようなことを書いた気がする。でも、ここは「忘れるために書いています。」なので良しとするwww

  •   1
  •   0

Spotifyで掛かった、昔の好きな曲(瑞々しい果物のバンドの、狭過ぎる車に文句を言う、わがまま女子の歌w)のカバーが聴きたくなってYouTubeを探したら、ほとんどなくてがっかりした。アマチュアバンドのが数曲あったが、どれも「うーん・・・」であった。他に、同じく素人の「弾いてみた」が数曲あったので聴いてみたら、全部「は?」あるいは「いやいや」だった。

というのは、オリジナルの演奏を流しながらエレクトリックギターなどを弾いているだけだからだ。まあ、広義には弾いているけど、それは(僕も子どもの頃やっていた)遊びとかカラオケもどきであって、作品ではないと思う。まあ、そういうつもりでないのなら仕方ないけど。

全部の楽器を演奏するのは難しいとは思うが、パートの演奏を聴かせたいのなら、例えばリズムボックスだけで演奏して欲しい。それに、今ならスマフォやPCなどでいくらでも伴奏が演奏できるのではないだろうか? 伴奏なら多少機械的でもいいから。あとは自分の声とか歌でもいいじゃん。そもそも無伴奏でいいと思うが。

ここで大きく横道に逸れる。: こういうポップ音楽の「演奏してみた」の目的が良く分からない。いや、個人的には良く分かるが、音楽的意味が不明だ。

まず、「コピー」は、自分の技術を見せたいのは分かる。が、僕からすれば意味がない。だって、技術があるのはすごいけど、オリジナルに似せて何がおもしろいのかと思うからだ(実際には、僕もできたらおもしろいと思うけど)。敢えて言えば、コピーはピアノの「ハノン」みたいなものだろうか。

更に逸れる。: プログラミングに類推して考えると、ある演奏をコピーすることは、ソフトやプログラミングでは互換品(同じ仕様の別プログラム。非公開の仕様書などは参照せず、外部動作だけ見て作る)を作るってことだろう。これは良くあって、本物に近いほど喜ばれる。例えば、UNIX・LinuxでのSambaだ。

というのは、元々のソフトが有料だったり非公開だったり(最新の環境では)動かなかったり、クソだったりして、(自由に)使えないからだ。だが、音楽ではそういうことはほとんどない。CDやレコードなどを入手するのが高いことはあるかも知れないが、ほとんどの演奏は聴くことができる。そういう意味で、コピーには余り意味がないと思う。

だから、もし、全然世の中に出てないけど、素晴らしい・すごい演奏をコピー(再現)して世の中に公開するのは、とても意味があることだと思う。模写・写本みたいなものか。けれど、その忠実度を誰も分からないという点で、難しさはある。

コピーが大半であろうが、それ以外の、自分なりの解釈・アレンジでの演奏は意味があると思う。けれども、大抵は上記のようにオリジナルの演奏に被せているので、今一つだ。

最後に残る、完全にオリジナルな解釈・アレンジでの単独演奏、これは意味があるだろう。でも、オリジナルに勝るものはどのくらいあるだろうか・・・ だって、本人だって再録して成功することはほとんどないではないか・・・ でも、やるからにはここを目指して欲しい。

なんてこと言ってると、ハードルだけ上がっちゃうのかも知れないね・・・ 言ってみれば、こういうふうに気軽に始めるのはもちろんいいことで大切だけど、人に聴かせるのなら もう少ししっかりやろうってことだ。

 

PS. 本題とは関係ないけど ついでに書くが、YouTubeなどで動画を公開するなら、ちゃんと編集して欲しい。演奏の前が無駄に長いのは それだけで聴く・観る気が失せる。音だって最低限は整えて欲しい。とんでもない音量で始まって急に下がるとか、ありえない。おそらくAGCのせいなんだろうけど、少しは調整して欲しい。

  •   2
  •   0

掲示板のまとめ「カーチャンの運転する車で松任谷由美流れがち問題wwwww」を読んだら、ユーミン、Queen、竹内まりや、ビリー・ジョエルなどが出て来て(ビートルズがないのは偶然か、更に年代が上のせいか)、まったく身につまされる。というか、別に なんにも悪いことはないがw そして、今は丁度、僕らの世代が「トーチャン」だの「カーチャン」だのになっていることに気付く。

車だの家で なんの気なしに好きな歌を掛けていると、こうやって子どもにばらされて間抜けにも笑いものになると。なかなか家族の暖かみが感じられておもしろい^^

 

なお、クラシック音楽はすごく古いのから こういう問題はなさそうだ。と思いきや、実は演奏者でありそうだ。

まだカラヤンとかゼルキン(父)※掛けてるよ問題www

※先日、ゼルキンの子(Peter)が亡くなったそうで、父(Rudolf)は随分昔の人だったことに今更気付いた。

などと。でも、僕は若い(新しい)演奏者も大好きになれるので問題ない。まあ、クラシック音楽という時点で、松任谷由美以前ではあろうが(爆)

 

PS. こういう掲示板(「なんJ」とかいうやつ?)用語で「カーチャン」もいいけど「マッマ」や「ネッコ」みたいなのの独特の音感や語感が好きだw 特に「ネッコ」は、ちょっとひねくれた感じがしていい。

  •   1
  •   0