Archive for the ‘音楽’ Category

なぜか、春になるといろいろなことが動き出す(まさに啓蟄?)ようで、気候が良くて気分がいいこともあるのだが、いろいろなことが勃発して疲れることも多い。以下に主なものを列挙する。あとで詳細を書くかも知れないし、そのままにするかも知れない。特に書きたいことは、ここで書いておく。

  • 病気再発? → とりあえず、様子見に。
  • スマフォ(AQUOS sense lite)の怪: 電池の激減、Wi-Fiルータへの接続を繰り返す、再起動したら予定を同期しなくなった。
    • なぜか、消費電力測定アプリ(シンプル バッテリー グラフ)が駄目になって、突然数十%も減るようになったので、別の(3C Battery Monitor)に入れ替えたj※。広告を停めるため、外部との通信を遮断していたのだが、突然、それが原因で電池を食うように(見えるだけ?)なった他に、システムの電池情報もおかしくするようになってしまったようだ。
      • ※その後、GSam Battery Monitorというアプリもいいことが分かった。こっちは電力消費率のグラフが出て便利だし、例のDoze(ディープスリープ)状態になっていた時間や、Wi-FiやGPSなどがonになっていた時間が分かるので便利だ。あと、広告も良心的でいい(3Cは突然全画面で出る)。でも、3Cにもいい点がある(アプリごとの電力消費量が分かる: GSamにもその画面はあるが、正しく動いていない)ので、ちょっと迷っている。 (4/7 19:42) → GSamは電力消費率のグラフの縦軸(消費率)を拡大できなくて実用的でないので、基本的には3C(同様のグラフがあり、ちょっと分かりにくいけど拡大できる)にすることにした。ただ、今は別件でWi-Fiのon/offの確認をしたいので、一時的にGSamも併用している。まあ、両方入れておいても問題なさそうではあるが。 (4/8 12:17)
    • Wi-Fiルータへの接続はAir Cardでいろいろやっていた関係かも知れない。ルータも再起動したら、直った。
    • 再起動で予定を同期しなくなったのは以前からなので、諦めて別のアプリにした。今までのは古い版のまま更新されていないので、仕方ない。
  • 鋭い歯科衛生士さん、歯科医院の世襲劇
    • 先日の定期検診で診てくれた歯科衛生士さんは、僕が何も言わなかったのに、今までの人が発見できなかった問題を2個も見付けてくれた。一個は虫歯で、もう一個は割れの可能性だった。虫歯は歯が金属に接する部分が欠けていたのだが、以前痛んですぐに収まったところかも知れない(すごく小さいので、自分で見ても全然分からないし、今は自覚症状もない)。痛んだ時は、(歯科)医師も衛生士も全然分からなかった。割れは、ずっと、歯ブラシで触ったりするとピリピリしていた歯だった。写真では縦に筋が入っていたが、医師は割れではない(知覚過敏)と診たようだ。それまでは指摘すらされなかったから、写真を見せられてすごく納得した。当然なんだろうが、こういうのはかなり人に依るものだな。
    • それまでは前回までの、清掃をとても丁寧にしてくれる、お姉さん的な人にやってもらいたくて楽しみにしていたのだがw、すっかりその鋭い人に参ってしまった。次回もその人だといいが、なかなかそうも行かない・・・
    • その日、なぜかそれまでの担当の歯科医師が居なくて、院長に代わった。掲示されている担当者一覧を見たら、歯科医師のところには院長と同じ名字の人が並んでいたので、子どもたちが一人前になったから今までの人は「用済み」になって放逐されてしまったのだろうと推測した。資格があっても気を抜けない、なかなか大変な世界だw
    • あと、いつものように、受付にはにこやかな菅野美穂さん(に似た人)が居て、和んだのは全くどうでもいいことだが、どうしても書きたいw
  • 軽いドライブ、小泉さんと国生さんw
    • 歯科のあとで、いつものデニーズに昼食を食べに行き、それから古峰ヶ原(古峯神社)にドライブに行った。古峰ヶ原はデニーズから30kmくらいあるので、疲れたら途中で帰ろうと思っていたが、すごく気持ち良く走れて全然遠く感じず、あっという間だった。
    • デニーズの辺りの道ばたの桜並木が満開で綺麗だった。今まで全然知らなかった。
    • デニーズには小泉さん(仮)が居た。相変わらずだったw クーポンを使おうとしたらログインが必要で、手間が掛かってすぐに見せられなかったのだが、見せなくても「確認したので大丈夫です」と言ってくれたのがうれしかった。でも、すぐに居なくなってしまった。
    • デニーズアプリは、ログインは面倒だし、データ量を馬鹿みたいに食う(20MB以上)のでちょっと止めたい。
    • ドライブの帰路に寄ったコンビニに、(昔の)国生さゆりそっくりな人(色白、ミディアム(かショート)ボブ、色っぽい顔と目と唇)が来て、驚いた。なぜ、あんな田舎にあんな綺麗な人が居たんだろう? 車内でバナナを食べていた僕は目を釘付けにされた。
  • 散歩中にピアノ: 先日散歩していたら、突然、ピアノの演奏が聞こえて来た。CDなどの録音ではなく、誰かが弾いていると感じた。録音(プロ)ほど完璧ではないが、(よく子どもがするような)弾き直しなどなくて下手ではなく、気合が入っていた。曲名は分からなかったが(多分、リストなど僕の不得意なロマン派)、なかなか鋭い演奏で、少し立ち止まって居た。なんとなく、大人の女性がグランドピアノを弾いている気がした(少なくとも、アップライトではないし、高校生以上のような気がする)。その辺りには蕎麦屋のおばさんの家があるのだが、まあ、あののどかな人があんな鋭い音を出していたのではないだろう※。今日、その蕎麦屋に行ってそのおばさんも居て、何か知っていることがあるかもとは思っては居たのだが、なかなか聞けなかったw
    • ※僕は、日頃から表現者の性格・行動・属性などと作品は関係ないと思っているが、上に書いたこととは矛盾しないと思う。つまり、のどかな人は、仮に演奏したとしてものどかな音を出すように思えるから、「のどか」に見えるのだ。別の言い方をすれば、世間に広く知られていると思われることは実際には虚像で、本人を正しく表していない可能性があるが、本人を知っていれば、その人のしそうな表現も推測できるということなのではないだろうか。(苦しいな・・・)
  • 母の病気: おそらく緊急性はないのだが、根治には手術が要る一方、高齢なので手術にはリスクがあるので、どう助言すればいいのか難しい。助言しても、なかなか本心を出さないから厄介だ。
  • 暑いうえに寒い → くしゃみ連発+鼻水。ティシューの減りが速いうえに鼻の周辺がひりひりする。
  • 床屋が面倒: 行きたくなってから2週間経過して、髪の伸び具合が高校・大学時代みたいな雰囲気になって来たw

こんな時はやっぱり、モーツァルトのピアノ協奏曲(第20番以降)を聴くに限るのだが、Spotifyで選ぶのすら疲れるので、手持ちのゼルキンの1980年代のを連続して掛けている。時には歯がゆい・枯れ過ぎな箇所もあるのだが、全体としては「鉄板」で、安心して聴ける。他の定番であろう、内田やピレシュ、ペライアなどとは安心度が全然違う。ただ、フレイの演奏がもっとあれば、新進気鋭(当時)さや若い熱気やパワーで元気が出る気がするのだが、余りないので仕方ない。

 

PS. コンピュータのプログラムやライブラリの説明で、「いろいろ混ぜて一緒にした」(= ごった煮)というような意味の単語があったのだが、調べても"misc."や"sundry"(今日まで正しい意味を知らなかった)くらいしかなく、「本物」が思い出せなくて歯がゆいw

(4/7 11:35 地名を修正)

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良く見るニュースサイトに、定期的に、随筆というのかクラシック音楽界の裏話みたいなのを書く指揮者が居る。その人が初めて出て来た頃は結構楽しみだったのだが、すぐに飽きて、近頃は読まないようになってしまった。どうも、文章がおもしろくないのだ。どうしてかは良く分からないのだが、やっぱり、音楽の人だから文章はそれほどでもないということなのだろうか。それで、昨日くらいから、なぜおもしろくないかの理由を考えたのだが、以下のようなことが大きいかと思う。

  1. 題が結構突飛で引き付けられるけど、中身は意外でも何でもなくてがっかりする。
  2. しかも、大体知っていることばかり。

2番目は、僕が音楽を好きで今までいろいろ調べて来たから仕方ないけど、1番目が良くない。例えば、今週のは、題は「クラシックオーケストラが、リハーサル終了時間を“絶対にオーバーしない”理由」で、「ほう、プロの団員たちは、きっと、『(終わったあとに)彼女・彼に会うからマジで1秒でも早く帰りたい』(キリッ)とか、家族との時間とか自分の遊びの予定、そして、(もちろん?)練習がぎっちり詰まっているんだろうか?」と思って読むと、実際には、組合の規則とかいう、ごくごく当たり前のことでがっかりした。毎回、こういう調子なのだ。

あと、前振りが長く、最後がイマイチだ。延々と背景とか関連とか周辺を書いた後に、本題が少ししかない。そのうえ、大抵最後に一言余計な段落があって、まさに「蛇足」なのだ。書くならもっとうまく溶け込ませてくれればいいのに。。。

そういえば、同じ音楽家でも、N響のオーボエの茂木という人の本を数冊読んだことがあるけど、おもしろかったし、いろいろなことが分かってためになった。だから、もちろんだけど、その人の文章力が大きいのだろう。あと、この人(指揮者)はすごく真面目なんだと思う。別の言葉で言えば、「毒がない」だろうか。

とは言え、「不真面目になれ」とか「毒を持て」などと言う訳にも行かないし、字面どおりの意味ではないので、どうしようもない。逆に、茂木の文章はいかにもおもしろおかしいのだけど、本人はすごく真面目な人だということが伝わって来た。それでもおもしろかった。

音楽で例えれば、この人の演奏は遠慮したい(聴いたことはないから嫌いとかは言えないが、聴くならもっと他に聴きたい人が居るという意味)が、茂木のはちょっと聴いてみたいってとこか・・・

音楽の話になってしまったので更に脱線するが、「真面目」という意味では、日本人を代表する指揮者、小澤も余り聴きたくない。なんというのか、聴いて楽しい想像ができないのである(実際には、全然そんなことはないと思うが)。ストイックさはすごく伝わって来るが、それがこっちにも辛さを感じさせるのかも知れない。

まあ、そういう僕だって、自分の文章が読んでおもしろいか、また読みたくなるかは分からないから、他山の石としたい。

と書いて締めよう。

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大分春らしくなったので、またドライブに行きたくなった。例によって行き先は迷ったが、県内のみかも山公園か、群馬の多々良沼公園が残った。他には、大田原城跡や八溝県民休養公園や道の駅 きたかわべや道の駅 めぬまなども候補だった。みかも山公園も良さそうだったが、有名なカタクリには少し早いので、今まで余り行ったことのない所ということで多々良沼公園にした。

10:30頃出発し、12時頃着いた(実は、そこは本物の多々良沼公園ではなく、ガバ沼の近くだったようだ)。道は混んでいたし、疲れと空腹で今ひとつの気分だった。

途中、コンビニから出る時になぜかクラクションを鳴らされて、意味が分からなかった。片側2車線で、左車線の車が遠かったので、右車線から来た車に注意してゆっくり出たら、誰かに鳴らされた。音の感じ(純正じゃなかった)から、右車線の後ろから来たワンボックスが鳴らしたようだが、なぜだろう? その前の車が妙に遅かったから? − と思っていたのだが、さっき理由が分かった気がする。鳴らしたらしいワンボックスは最初に遠く左車線に居た車(その時は軽とか普通車に見えた)で、僕がのこのこ左に出て行ったので右車線に移ったものの、前の車(高齢者らしかった)が遅くて追い越せずにイライラして鳴らしたのだろう。そうだったら申し訳なかったが、そのワンボックスは遠かったし遅そうに見えたのだ。まあ、お互いに運が悪かったんだろう。。。

冷たい物が飲みたかったのだが、その公園にあった自販機の飲み物はホットコーヒー以外は全部売り切れという寂しいありさまだったので、とりあえず、自販機を探して出た。少し走って7-11にたどり着いた。この辺りは道が複雑な感じだ。あと、群馬も栃木同様、運転は荒い感じだ。

昼食に7-11のコールスローサラダと冷しラーメン(牛骨醤油)を車内で食べた。ラーメンは麺は今ひとつだが、冷えたスープが意外においしかった。珍しいことに、7-11の冷たい麺はそれしか残ってなかった。自販機といい、暑かったせいだろうか?

造園業者の若い人(十代の顔だった)が、トラックの助手席で大きなカップ焼きそばを食べていた。今は僕も昼は外に出るのが億劫なことがあって、そういう時はカップ麺などで済ませているので、気持ちが分かる。

この頃から急に曇って来て、雨も降り出した。ただ、食べたら気分が盛り返して来たので、とりあえず本物の公園に行ってから帰ることにした。少し走ったらその公園らしきものがあったのだが、うっかり通過してしまった。引き返そうと思っていたら、うまい具合に別の駐車場があった。そこは、漁協がやっているらしい休憩所釣り場があるところだった。

桟橋がぐるっと伸びていておもしろいのだが、釣り客以外は立ち入り禁止だった。まあ、僕はこういうのが怖い(いかにも板が腐っていて、抜けそうではないか・・・)ので、禁止でなくても入らなかったとは思うが。風のせいか外はすごく寒かったので、休憩所で飲んだホットコーヒーがおいしかった。置いてあった案内の紙を見たら、公園の方に白鳥が居るらしかった(思い違いで、実際には公園の反対側(ガバ沼)だったようだ。しかも、時間・時期的に見るのが難しそうだった)ので、ちょっと歩いてみることにした。

公園は広々としており、なかなか気持ち良かった。ウッドチップの散歩道がいい感じだった(ただ、全部がそうではなかった)。この頃にはまた日が出て来て暖かく(暑く)なった。少しだが、大きな野鳥も居た。池で獲物を捕るところも見られた。白鳥かも知れない白い鳥も遠くに居た。

いろいろ見られて満足したし、充分歩いたので、帰ることにした。この頃、なぜか、ショパンのポロネーズが頭に浮かんだ(彼の曲は、ピアノ協奏曲以外はほとんど聴かないのに)。後で調べたら、「英雄ポロネーズ」(ポロネーズ 第6番)だった。これの出だしは派手で、そのせいか、いつもは聴くことがないのに、なぜか浮かんだ(なお、浮かんだのは出だしでなく、その後のメインの部分だった)。

帰宅後、手持ちやSpotifyで聴き比べたら、ルービンシュタインの(ライブ、初出年は未確認)が一番好みに合っていて、彼以外(例: アシュケナージ、ポリーニ、アルゲリッチ)は、なぜか余りピンと来なかった。ただ、Rafał Blechaczの(2010)の音は実にクリアで良かった(やっぱり、ルービンシュタインの迫力には及ばなかったが)。

以前から、ルービンシュタインのショパンがSpotifyのDaily mixで掛かるたびに「いいなあ」とひかれていたので、彼のショパンには何か特別なものがあるのかも知れない。

帰路は行きよりずっと混んでいた。特に、小山市の前後がキツかった。そっちに向かったのは失敗だった。ただ、行きと同じ道はおもしろくなかったし、293号で葛生を通るとセメントの埃まみれになって嫌だから、なかなか道がない。素直にナビの言う通りに50号と4号バイパスを通る(50号を通らず、バイパスでない4号を通って失敗した)か、行きの道を戻れば良かったのかも知れない。

宇都宮市に入った頃、タイヤをハの字(「鬼キャン」)にしている馬鹿の実物をおそらく初めて見た。タイヤを傾け過ぎているせいか、タイヤの底面がバイクのように丸くなっていて、それでもいいと思っているところがアホ丸出しだと思った。趣味だから別にいいけど(危険ではあるが)、本当の鬼キャンは四角いタイヤの角を使うものではないのか? 見せるだけでなく、走りこむと丸くなってしまうのか?

今回も、何年も住んでいるというのに、宇都宮市内の道は家の近くの散歩している辺りに行くまで、どこをどう通っているのか全然分からなかった。そのせいで、途中でちょっと早く右折して変な道に入ってしまった。

家の近くは危険なのでゆっくり走っていたら、軽が後ろにぴったり着けて来て鬱陶しかった。小物ほど煽ったり無茶するから嫌だ。とはいえ、途中で中型トラックや営業のワンボックスもぴったり着けて来たし、逆に、行きに黒のレクサスやレジェンド(アコード?)が予想外に丁寧に走っていて感心したから、車でなく運転者が小物ということなのだろう。それなら当然だ。

小物といえば、行きに最小・最安のアウディが煽って来たり・左右にうろちょろして意気がっていたのが笑えたw

帰りは県内でも雨が降ったり止んだりしていた。春のせいか?

18時頃、何とか無事に帰宅した。いつも同様、予想以上に長く乗って、とても疲れた。8時間近くも出ていたというのに距離は200kmにもならなかったので、ガソリンは余り減らなかった。散歩を90分近くしていたのは大きいのだろう。

今回は休日かつ出るのが遅かったため、道が混んでいたうえに変な車が結構居て、それほど気持ち良くは走れなかった。ただ、平日の朝は通勤の渋滞に巻き込まれる可能性があるし、そもそも、行く気になる日と調子がいい日、更に、天気のいい日がなかなか合わないので、気分良くドライブをするのは意外に難しい。

約146km、7.5時間。
IXY Digital 3000ISで撮影。

 

PS. 先日、Operaから切り替えたFirefoxが実は駄目だった。埋め込み動画を切ったはずなのに、なぜかダウンロードしたようで、起動し(て自動的に前回のページ(このブログ)が表示され)ただけでモバイルデータを3MBも消費した。しかも、そのせいか、表示がすごく遅かった。がっかりして、ドライブの気分をスポイルさせられたので、その場でOperaに戻し、帰宅したら速攻でFirefoxを削除した。

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先日、母がモーツァルトの曲を聴いてみたい※というので、CD-Rに焼いた。手持ちのは仕舞ってあるだけなので、最初は実物を貸そうと思っていたのだが、手荒に扱われると嫌だし、母にしたって気軽に扱える方が良さそうだからとバックアップした。

※「聴いてみたい」と言ったって、音楽の話題になった時に、僕が「CDがいっぱいあるから貸そうか」と言ったからで、あとで帰省したら、送った時の袋に入ったまま放置されているのを見てがっかりするような気がするので、(送料だサイズだで)結構苦労して梱包している時に「僕は何を無駄なことをしているんだ」と思った。が、万に一つでも聴かれる可能性も捨てきれない。が、例え聴かれたとしても、感想は例によって「すごいね。良く指が動くね。楽譜見ないで良く弾けるね」程度なので、やっぱり労には合わないだろう。とはいえ、それでも聴いてもらうのは悪いことではない。もしかしたら、母がモーツァルトの良さに目覚める可能性も0ではないから・・・

ちなみに、モーツァルトや(どうしてか、)日本人の有名なピアニストの話題が発端だったので、以下の曲の入っているアルバムにした。予想では、アイネ・クライネが(一番ポピュラーなので、)一番受ける気がしている。僕としては、もちろんK. 488を推すのだがw

    • 内田: ピアノ・ソナタ集 (K. 333, 545など) (1984-1986)
    • ポリーニ: ピアノ協奏曲 第23番 (K. 488) (1976)
    • ベーム: アイネ・クライネ・ナハトムジーク (1977)

一応、焼いたものが(ちゃんと「普通のCD」になっているか不安があるので)再生できることを確認しようとしたのだが、いざとなると、なかなかいいプレーヤーがない(そもそも、「今、PCでCDを再生する人なんて居るのかっ?」てくらいだw)。CDプレーヤーなんて随分昔から持ってないし、手持ちのラジカセではCDは再生できないし、Linuxに標準で入っていたSMPlayerはバッファリング中は再生が停まるから曲間が余計に開くし、MediaPlayerは動画専用のようだし、(全く問題ないだろうと思っていた)VLCはなぜか音が途切れることがある。参照用とか予備で入れているClementineは、いつもながらイマイチだった(もう消そうかな)。そして、いつも使っているgmusicbrowserではCDは再生できない。

前回別件で焼いた時は、MPlayerとカーナビのオーディオで試した覚えがあるが、さすがに車は面倒だ。そこで、検索していくつかのアプリを試してみた。以下にその一覧と評価(CD再生に関してのみ)を書く。

  • △ DeaDbeef: 開始する時に頭が飛ぶことあり。
  • △ Audacious: UI・操作が若干煩雑。
  • △- Quod Libet: UIがイマイチ。ジャンプが簡単にできない。
  • × Aqualung: 2ウインドウで煩雑。UIがイマイチで使いにくい。CDが高速で回転してうるさい。
  • △- Banshee: 古い(2011)。ジャンプがイマイチ。
  • × Rhythmbox: 大掛かり。CDがCDDBに見つからないと、いちいちメッセージを出して鬱陶しい。再生が手軽でない(いちいちキューに追加する必要あり)。
  • × Exaile, JuK, Kaffeine, Amarok, Musique: 駄目・論外 (まともに動かない・すごく使いにくいなど)

結局、AudaciousかDeaDbeefが良さそうなので、Audaciousで確認し、その二つを残した。でも、次はいつ使うことか? (万が一、母が「別の曲も聴きたい」と言って来たら喜んで焼くが、まずないだろうな・・・ ただ、文中に2回出て来た「1万分の1」を合わせると、確か1億分の1だから、宝くじに当たるようなものだw)

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HMVの広告で、河村尚子という人のベートーヴェンのピアノソナタのアルバムを見てSpotifyを探したが、まだなかったので、代わりにモーツァルトのピアノ協奏曲 第21番(2018)を試した。日記を調べたら、以前ラフマニノフのピアノ協奏曲 第2番(2014)が速くて軽くて気に入らなかった人だ。

出だしのオケは軽目だが悪くない。が、ピアノが始まると、なぜか・やっぱり、「うーん」となってしまった。ラフマニノフ同様、軽くて音が細くてちょこまかした感じなのが好みでない。あと、短いカデンツァみたいな装飾フレーズの弾き方が冗長だった。

ただ、ピアノの音自体は透明感があって悪くなかった。それも音の細さも、ベーゼンドルファーだからなのかも知れないから、一長一短なのだろう(僕は本物を生で聴いたことがないので、あくまでも想像)。

慣れのせいか、聴き続けると悪くなくなって来た(ただ、音が細いので、どうしても音量を上げがちだった)。が、第1楽章のカデンツァ(12:40辺り)が最低だった。有名な曲の似ているフレーズ(モーツァルトの交響曲第40番の出だし?)を使っている。。。 確かに(今まで気付かなかったが)似てはいるけど異なるものなので全然合ってなく、「場違い」なのだ。これでは、下手すると、余興でふざけて弾いているみたいになってしまう。僕は受け入れられないので、そこで止めた。

どういう考えでそうしたのか知らないが、センスを疑った。

 

PS. 今は代わりに、昨夜からの続きで、サイ(Fazıl Say)のモーツァルトのピアノソナタ(2016)、今は「トルコ行進曲付き」(K.331)を聴いている。彼の演奏はなかなか独特(ちょっとグールド的で、そっけなく聞こえる)なのだが、なぜか許せる。そして、音が太くて(パワーとか厚みとか芯があるの意)いい。彼はすごくうまくて何でもきちんと弾ける人なのだが、だからこそ、モーツァルトを余裕たっぷりに、自分なりの解釈で楽しんで(でもふざけずに)弾いているように想像している。そういう彼の演奏に驚かされることが多々ある(そのせいで、好き嫌いの判断は先頭だけではできず、ある程度聴かないと決まらない)のだが、何か通じるものがあるせいか、嫌になることはなく、許せる(一方、グールドのバッハは大好きだけど、彼のモーツァルトやベートーヴェンは許せない)。

気のせいかも知れないが、彼もグールド同様、弾きながら唸って・歌っているようで、時々声が聞こえる気がする。そういうところからも、楽しんで弾いている気がする。

PS2. Spotifyにサイの同じ曲(2004)もあった。わずかに速目で、彼のピアノも少し細かった。だから、そういう曲なのかも知れない。が、彼の弾き方にはメリハリがあり、全体的には見事だ。カデンツァは、半分くらいオリジナルだがベースは良く聞くものだった。そういうところは、やっぱり基本を大事にしている人なんだと思う。

PS3. 上記の「良く聞くカデンツァ」が誰の作だったかを調べていたら、それは分からなかったが、大変おもしろいページを見つけて読みふけっている。僕と考えが近いところも多い(が、そうでないところも多い)。→ フェブラリーのホームページ (トップ), フェブラリーのCD迷路 (カデンツァを検索していて見つけた)

※そこが大変惜しいのは、各記事に投稿日あるいは執筆日がないことだ。個人の考えや意識の違いではあるが、僕は必須だと思う。これがないと、例えば、その記事がどういう時代に書かれたかが不明になり、現代の常識では誤りなことが書いてあっても、時代によるものなのか、本当の誤りなのか、筆者の考えなのか分からないという問題が生じる。

まあ、文章を良く読むと当時のことが書いてあったりするから、推測は可能だが、1行で済むのだから(実際は更新したら追記が要るとか面倒ではあるが)書けばいいと思う。一種のリテラシーなんだろう。

と思いつつ、ふとソースを見たら作成日が書いてあって、大体2003年頃のようだ。ページ作成ツールが入れたのだろうか。貴重な情報だ。

PS4. 書いた翌朝に読み返してみたら、PSの方が本題より長くなっていた。これが一番の悪ノリ? というところでオチとしたいw (3/14 8:11)

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えぬけいさんのツイートが発端で、Spotifyでオルゴールの曲(好きな・興味のあるジャンルの8曲)を試聴し、周波数特性などを調べてみた。以下に試した曲を示す。

  1. イン・マイ・ライフ」 Relaxing Orgel (2009)
  2. きよしこの夜」 Relaxing Orgel (2008)
  3. ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」 The Orgels (2008)
  4. G線上のアリア」 街のオルゴール屋さん (2014)
  5. ピアノ協奏曲 第21番「みじかくも美しく燃え」 - オルゴール」 Relaxing Orgel (2005)
  6. ロビンソン (オルゴール)」 Relax α Wave (2017)
  7. モーツァルト:フィガロの結婚 序曲 (オルゴール)」 Orgel Sound J-pop (2017)
  8. いい日旅立ち Originally Performed By 谷村新司 (オルゴール)」 Orgel Sound J-pop (2018)

まず、主観的な印象は以下のツイートの通り、ひどいものだった。

印象の補足を以下に示す。

  • 演奏としての表現がない。テンポ、音量がすべて一定(録音なので毎回変わることはないが、表現としての、あるいは、人が演奏することに起因する揺らぎや微妙なズレがない)。まさに、「いかにもオルゴール」だが機械的なつまらない演奏。 : 構造上、音量は変えようがないだろうが、楽譜どおりに打ち込んだのだろうか?
  • 音が硬くて聞き疲れする。: チェンバロに近いものがある。
  • 残響を多目に掛けて「リラックス感」を演出しようとしている?: 誤魔化しで、感心できない。

印象が悪い原因を探るため、Audacityで周波数特性を調べた。気付いた点は以下である。

  • 帯域が狭いものが多い。概ね200Hz-2kHzの範囲に集中している。: オルゴールの構造的に広い帯域が出せないのは仕方ないだろうが、普通の楽器と違って倍音成分が少ないようだ。
  • ピークが鋭い: このために音が硬く聞こえるのだろうと思うが、オルゴールの発音機構の特徴によるものなので、仕方ないだろう。
  • 音質(録音)が悪いものがある。: 超高域(10kHz以上)・超低域(50Hz以下)に音が出ている。オルゴールでこんなところに音が出せることはあり得ないから それらは雑音で、録音・制作に問題がある。特に、聞こえない成分(20Hz以下)のレベルが大きいまま残っているのは手抜きだ。

以下にそれらのスペクトラムの例を示す。いずれも、任意の場所から5秒程度のものである。

それで、超低域が出ているものの超低域をカットしたら印象が変わるか試したが、それほど良くならなかった。演奏の単調さや音の硬さからの印象の方が大きいのだろう。

そして、今朝気付いた。あれは本物のオルゴールを録音したものではなく、シンセかなにかで自動演奏した音を録ったのではないかと。というのは、検索するとものすごく大量に曲があるうえに、最新の曲(例: 米津)だって多くあるからだ。いくらなんでも、まともな(本物の)オルゴールがそんなに大量に(曲種の意)作れる訳がない。それは演奏ではなく、「製品」としかいいようがない。こういうのが乱造されたら、本物のオルゴールに大変失礼なのではないだろうか?

なかなかなかったが、本物のオルゴールの製作工程を説明しているページがあった。これを読むと、やっぱり、山のようにオルゴール(での演奏)曲ができることはあり得ないと思う。そして、シンセでの制作の説明は沢山見付かった。オルゴール用の音源があるようだし、オルゴールっぽい音作りについても書いてあった。そこまではいいけど、問題は演奏(編曲)だろう。

こういう時は、「演奏」の出自を調べるのにCDのライナーノーツが役に立ちそうだが、Spotifyには入ってないのが残念だ。でも、webで検索すると出て来るかも知れない。(→ 簡単には見つからなさそうだ)

そして、本物のオルゴールの演奏はこれよりはずっとまともなはずだと想像する。更に、どういう人が(演奏のためのピン配置を)作るのか興味が出た。ピアノロールのように、本物の演奏を元に作るのか、音楽家や音楽に造詣の深い人が作るのか、それとも感性で作るのか。この点はいつか調べてみたい。

検索したら、本物を録音したCD(2012)が見付かった。この演奏なら許せる。音(→ 試聴)もただ硬いだけではなくていい感じだし、いかにもオルゴールではない音のもの(例: 「乙女の祈り」)もあった。スペクトラム(→ 「乙女の祈り」、「トロイメライ」)を見ても、帯域が広く(特に、低域が豊か)、ピークもそれほど極端でなく、超高域もなくて自然な感じだ(ただし、超低域は残っている)。(それでも「この音は好き」とは言えないが、)これならリラックスできるかも知れない。

もう一つ本物が見付かった(CDでなく、本物の本体と再生用ディスクを売っている)。こちらは、演奏も音(→ スペクトラム: 「別れの曲」)も、(偽物よりはいいが、)まあまあだ。

それにしても残念なのは、このいかにもすごそうな本物(Victor RJ-3000MK2)の音が試聴できないことだ(試聴できるのは日本電産サンキョーの別物)。売る気があるなら、音くらい載せれば、「まあまあ」とか思われずに客が増えるかも知れないのに。。。 (著作権関係が面倒なのだろうか? でも、あんなに高い物を売るんだから、それくらいやればいいのに)

それにしても、オルゴールの音が「リラックス」や「α波」に関連付けられる根拠や由来は何なのかと思う。好みの問題は大きいだろうが、あんなに硬い音を(テンポ・音量の)揺らぎなしの機械的演奏で聞かされたらイライラすると思うのだが。リラックスできる方の体験談を聞いてみたいものだ。

→ (書いたあとで本物を試聴して分かったのだが、)本物なら確かにリラックスできそうだが、偽物(合成品)では逆効果だと思う。偽物でリラックスできる方の話を聞いてみたい。

(19:19 わずかに加筆)

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(彼女が悪くなったという意味ではなく、僕の中での話です)

昨日、久し振りに内田光子のモーツァルトのピアノ協奏曲 第25番(2016, ライブ)を聴いた。どうしてか、近年、彼女のは余り聴かなくなっていたのだが、どうもその理由が分かった気がした。いつからか僕の好みでなくなったのか、元々好みでなかったようだ。クラシックを聴き始めた頃は、(特にモーツァルトのピアノソナタを)とても良く聴いていたのだが、他のいろいろな人のを聴くうちに、無意識のうちに気付いたのだろう。

その演奏への感想を少し書く。

雰囲気が、期待や曲のイメージと違って細かった。そして、それよりも、音を跳ねるように(スタカート気味に)切ることがあるのがちょっと(結構)嫌だった。細さと相まって、おしゃれとか意識高い感じになってしまって、嫌味に感じた。なお、オケは悪くなかった。そして、「なんか違う」ので、第2楽章の途中で止めた。

そういえば、彼女の弾き振りは以前から好みでないのを思い出した。その前(1980年代末-1990年代頭)に出した、テイトの指揮の方が良かったと思う。ちなみに、今、この曲はフレイの(2010)が一押しだ。

余談だが、「なんか違う」のがもう一つあったので書く。: 昨日は、フレイのその演奏の指揮をしたJaap van Zwedenという人の新作の「春の祭典」(2019)も聴いた。フレイののオケも気に入っていたので、興味があったのだ。最初は普通にいいと思っていたのだが、段々パンチが足りないように感じ、そのうち、大人しくて迫力がなく、切れも足りなくて、「今ひとつ」になってしまった。これだったら以前(2008)の方が良かった。このアルバムは、数か月前に広告で見てから出るのを待っていたのだが、残念だった。

ポリーニやゼルキンについて書いた時は、刷り込みだろうかと書いたが、彼女はそうではなかったようだから、これは刷り込みではないように思う。僕の中での曲のイメージ(これがどうやって生まれたかは不明だし、だから必ずしも正しい解釈であるとは思えない)と、演奏との近さ・ギャップなのだろう。

PS. その後何の気なしに聴いてみた(別の人の演奏の指揮をしていたので)、Christian Zachariasの同第25番(2011)が、どういう訳か、実に自然で良かった。「すっ」と入って来た。自然なんだけど、ありきたりとか通り一遍ではなく、オリジナリティもあって(それも違和感はなかった)いい感じだった。ゼルキンに近いと思う。ただ、自然な分、フレイよりは大人しい。同じアルバムの第26番も良かった。それにしても、どこが違うのか(いや、確実に違うんだけど)、謎だ。 (3/1 19:11)

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(例によって、僕が弾くわけではないです。)

今日、ちょっとしたことで題の曲をYouTubeで探したら、なかなかなかった。6人目くらいで、Olga Schepsという人の(2014)が、その目的(第2楽章の最後の音の例を示す)には良かったのだが、Spotifyでちゃんと聴いてみたら、イマイチだった。オケは室内楽になっていて、それは基本的には嫌いなんだけど、伴奏(演奏)としては良かった。が、ピアノがすごくイマイチだった。

それで、まともなのが聴きたくなって、ポリーニ(1960)にしてみたのだが、どうも気に入らなかった。その後、ルガンスキーも含めて8人のを試したが、どれも気に入ることができなかった。。。

結局、(当たり前過ぎて止めていた)一番最初(僕のクラシック初期)にいいと思った、Israela Margalitの(1974)を聴いている。これだって最高ではなく、言いたいこと(演奏については少なく、音質が主なので、許せる)はあるが、他よりはずっといい。

一体なぜだろうと思う。刷り込みなのか、お酒を飲んたせいで判断力がおかしいのか。ただ、どうしても一言言いたいのは、長ーいイントロのあとのピアノの最初の音は、「ダーーン」と かなり開放的に(、でも、力任せにではなく)弾いて欲しいのだが、そこで既に気に入らないのだ! (「いいから僕にやらせろ!」と言いたいけど、まったく無理で、歯がゆい限りだ)

我ながら、まったく困ったものだw

 

PS. だから、(前にも書いた気がするが、)ずっと、この曲はそれほどいい曲ではないと思っていたのだが、いい演奏が少ないせいもあるのではないだろうか。要は、この曲の良さとか良さの引き出し方が理解されていないのだろうか。でも、それはなさそうだ。単に僕の好みだろう。

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(結構前からやっている、スマフォ関係の作業(家に居る時にモバイルデータを使わないようにすることの徹底)が予想外になかなか収束しないので、先日から思っていた別の話題を書く。)

先日、Spotifyで、あるピアニストのモーツァルトのピアノ協奏曲 第21番を聴き、(第1楽章の時点では)「結構許せる」と思った。知らない人だったが、ジャケットに目をひかれたので、試す気になったのだ。

それで興味を持って、聴きながら、どういう人なのかと検索したら、その人は目が見えないことを知ってしまった。全然気付かなかった。これなら問題ないと思った。どうりで、ジャケット写真で黒いサングラスを掛けていた訳だ(それがなかなかかっこ良かった)。

ところが、その後、第2楽章が少しガタついているのが気になってしまい、その後で試したK. 488もガタガタで駄目だった。

自分では、決して演奏者の属性(例: 経歴、言動、身体的特徴、民族・国・地域)で演奏の良し悪し(正確には、「自分がいいと思うか」)を判断しないようにしているつもりなのだが、もしかしたら、目が見えないことを知って、無意識のうちに負のバイアスを掛けてしまったのかも知れない。自分の感覚とか意識を疑ってしまった。知ってしまった以上、再度同じ演奏を聴いても同じ(中立な)感想にはならない気がするので、もう遅い。

同様に、数日前に、あるピアニスト(以前から好きではない人)が難病であることを発表したが、そうなると(そういう行動でなく、)演奏を批判するのも躊躇われる(例: 不用意に批判すると、「病気にも関わらず頑張っているのに けしからん」となる)ので、僕としては好ましくない。

結局、以前からの持論の、(芸術家の)属性は作品とは別であり、属性を知らないほうがいい・知る必要はないというのを更に堅くした。

PS. とはいえ、気に入った人なら どういう人か知りたくなるのも人情で、そこの解決は難しい。半分冗談だけど、演奏者は全員、記号とか番号で発表すればいいのに。もちろん、ジャケットには本人の写真などなしだ。作曲者なども同様にして、「X1234のピアノ協奏曲第1番、ピアノ: P345、指揮: C87、オケ: O65」とかにする。そうすれば、ちょっと昔の偽作曲者騒動もなかっただろう。でも、随分味気ないなw

それに、この方法はコンサートでは使えない(本人がステージに出て来ざるを得ないので)し、演劇でもまったく無理だ。パフォーミングアートとは相容れない考えなのだろうか。

実現の可能性があるのは、自分がまったく何にもとらわれずに、常に中立の立場で鑑賞し、評価することだろう。だが、なかなか難しいと思う。強靭な精神力(例: 大嫌いな人の演奏でも聴く)と、正しく評価するための知識(例: 単に「いい」でなく、「※が*だからいい」と示せること)が要るだろう。

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技術面ではなく(簡単だという意味ではない)、「僕が気に入る演奏が少ない」という意味である。昨夜、ふと聴きたくなってSpotifyを漁っていたのだが、許せる人が全然居なかった。正確には、大好きなゼルキンは全然間違いないし(「鉄板」)、内田もピレシュも問題ないし、昨夜最初に掛けたアンスネスもいいのだが、いいと分かっているものをわざわざ聴くのではおもしろくないので他を探したのだが、おそらく10人以上試しても全然見つからなかった。

自分でも物好きだと思うのは、そうやって何度も同じ曲を(途中まで)取っ替え引っ替えしても、疲れはするものの、全然飽きないことだ。

そして今、振り出しに戻って、アンスネスの(2000)を聴いている。

彼の演奏は結構癖がある(素直そのもののゼルキンの(1982)とは全然違う)のだが、なぜか許せる。きっと、(僕にとって)何かいいもの、グッとくるものがあるだろう。技術があるのはもちろんだが、強い信念があるように感じる。そういうのには大抵反発するのだが、不思議と許せるもののようだ。

僕にとっては、(下手はもちろん駄目で、)普通も、奇をてらっても、わざとらしくても、この曲らしさを失っても(例: 音が薄い)駄目なのだ。まったく針の穴のように狭い。

彼のラフマニノフのピアノ協奏曲第2, 3番を最初に聴いた時は余り好きになれなかったが、近頃は大丈夫だ。そして、モーツァルトもラフマニノフもいいという点で、ルガンスキー(彼の演奏(2007)は今ひとつだった: 彼のモーツァルトは最高ではない、ラフマニノフほどすごくはない、と思った)を超えているのかも知れない。もちろん、「僕の中」での話である。

 

PS. 今日、自分でもおもしろかったのは、使う楽器でかなり印象が違ったことだ。フォルテピアノはもちろん好きでないのだが、遠山慶子という人のベーゼンドルファーでの演奏(2000)はどうも気に入らなかった(結構期待して聴いたのだが・・・)。音は澄んでいて綺麗だとは思うのだが、フォルテピアノみたいに弱くて芯が細いのだ。一方、同じアルバムのスタインウェイ(楽器の区別はwebによる)での第21番は悪くなかったから、僕はスタインウェイの「鋼の音」、骨太で凄みがあって、しかもきらびやかな音が好みのようだ(もちろん、それがモーツァルトに適しているのかは、議論のあるところだろう)。ヤマハやカワイは知らないw

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