Archive for the ‘音楽’ Category

昨日、音楽を聴いていて、音楽(演奏)以外にいろいろと思った。今は文章を書くのが面倒なので、その思いに繋がった画像を載せる。(あとで追記する予定)

僕が何を思ったか、想像してみて下さい。

※ある意味、「間違い探し」ですw

 

(5/8 9:12) まずはゴダイゴ。この時はGPMで彼らのラジオを聴いていたのだが、このジャケットは強烈だった。だって、精悍な顔で引き締まった肉体揃いならまだしも(それらしいのは、右・左端の人程度)、これでは単なるキ○デ○集団ではないか。特に中央はひどいw そして、ちょっと妙な関係すら連想してしまう。なぜこれが「カトマンドゥー」なのか?

今はLGBTとかで許容されつつあるが、当時は(僕は覚えてないが)「キモっ!」といった扱いになったのではないかと思った。だが、当時彼らは若かった(20代後半?)し、かなりの人気があったから、これも不思議と許されたのかも知れない。今でも、後で思い出すと「何でああだった?」ってのがあるよね。

 

(5/8 20:24) 次はNordbergの「春の祭典」。GPMのキャプチャ画像にあるように、全曲にEマークが付いている。これはexplicitの略で、「露骨な表現を含む」というような意味だそうだ(恥ずかしながら、最初にSpotifyで見た時は"exclusive"と思い込んでいた)。子どもやそういうのが嫌な人が区別するためなのだろう。でも、それがなんでこの曲に? 露骨な表現って、歌詞がなくてもあり得るのだろうか? しかも、これの演奏は、楽器はシンセではあるものの、特にそれ以上のものはなく、言ってみれば「平凡な春の祭典」だ。だから、全く露骨な表現はない。もちろん、発表当時の百年前だったら、この曲にEマークが付いてもおかしくないが、現代だ。しかも歌詞も映像もない。まったく謎だ。

そして、このマークはどこが付けているのかと思ったが、レーベルだろうと思う。膨大な数の曲をGoogleやSpotifyがの人が聴いて判定するのはほとんど不可能だろう(まあ、今はAIで自動でできるのかも知れないが)。だから、これはレーベルからの情報が誤っていたと思われる。

演奏自体についてもう少し書くと、最初はまあ、シンセで珍しいと思って聴き始めたのだが、「良くあるシンセの演奏」なので段々飽きて来て、途中で止めてしまった。これだったら、オケやピアノ(例: サイ)での方がずっと刺激的でおもしろい。普通のシンセでのクラシックなら、アマチュアのような「弾いてみました」では全然意味なくて、冨田勲が数十年前に完成させた(あるいは、やり尽くした)のではないだろうか?

と、偉そうに言っても、僕は冨田をほとんど聴いたことがない。中学の頃、「バミューダ・トライアングル」(1978)というアルバムのカセットを、当時はなんか分からないけど「冨田勲はすごい」っていう評判があったので、技術的な興味本位(曲の中にコンピュータのデータが入っているとか書いてあった)で買ったのだが、全然おもしろくなくてがっかりしたので、どこかに行ってしまった。今、曲目を見ると、(今にしても)好きな曲が全然入っていない(このアルバムはプロコが多かったようだ)ことに気付く。せいぜい、「悲しきワルツ」程度だ。

そのがっかり感がトラウマになって、その後も冨田を聴く気にならなかったのかも知れない。あと、ほとんど聴いてないのに当てずっぽうなことを書くが、彼の演奏って、だいたいシンセ臭い「ピュ〜〜〜」とかいう、上下左右に動きまわる音が多そうじゃないか。僕は技術系だけど、実はそういうのは昔から好きじゃなかったようだ。

でもまあ、もし、これにモーツァルトやラフマニノフなんかが入っていたら、その後の人生(大げさか)や音楽の嗜好がどんなことになっていたか、我ながらちょっと興味がある。

 

(5/8 20:53) 最後は五郎丸じゃなくてw白神典子。彼女のショパンのピアノ協奏曲は結構好きで、その時も聴いていた。それで、興味が出て検索してみたら、ばちあたりな画像を見つけてしまった。よーく見て欲しい。この自意識過剰女、ピアノに腰掛けて、(そこまでならまだ許せるが、)ハイヒールで鍵盤を踏んでるよ! 蓋じゃなくて、本当に鍵盤を。もう、

えぇ、こいつなに!?

としか言いようがない。このポーズに必然性や意味は全くなく、単に格好いいと思ってしたのだろう。こんなのは即座に演奏者失格で、今だったら、「バカッター」になって炎上するだろう。彼女は当時は30代だったようで、若気の至りだったのかも知れないが、全く許せない。いくら若くたって、生計を立てるのに使っている道具を踏みつけるのは許せない。しかも、普通の道具じゃなくてピアノだ。

ところで、このピアノは誰のものなのだろうか。彼女のではないと思う。であれば、次の人は、こんな扱いを受けたピアノを弾かされた訳で、その点も全く許せない。スタッフや関係者は窘めなかったのだろうか? 撮影したって、公開する前に誰か止めそうなものだろうが・・・ 良く知らないけど、当時は多少売れていたからそういう雰囲気じゃなかったのだろうか? 良識も常識もないうえに誰にも注意されないなんて、ちょっと可哀想だ。近頃も中年のアイドルで居たねw

とにかく、僕の信条は「作品と本人の性格・思想・行動は無関係」ではあるが、こいつはゴミなので、生理的に受け入れられない。いくら演奏が良くても、(それは認めたとしても、)嫌いな人は聴かない。それは、ソニーの製品がいくら高機能・高性能wでも絶対に買わないし、NHKの番組がいくら公平中立客観的芸術的先進的wでも絶対に観ないのと同じことだ。

以上、強烈な印象というより、強烈な感想を書き尽くしましたw

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面倒なのでずっと放置していたのだが、以前から気になっていたgmusicbrowserの(GMB)問題を一個修正した。きっかけは、今朝か昨夜だったか、シャフル再生中に、ある曲を聴きたくなったのだが、その問題のために躊躇したことだ。

その問題というのは、アルバムなり全曲のシャフルなりのプレイリストを再生中に一時的に別の曲を再生する(「キュー」機能)と、それが終わった後に本来の次の曲に戻らず、一時的に再生した曲がプレイリスト中にあればその次に飛び、なければプレイリストの先頭に戻ってしまうというものだ。

調べたら、元々そういう機能が作りこまれていないようなので(作者の精魂が尽きた?)、機能を追加した。相変わらずPerl言語はチンプンカンプンだし(Perlを作った人は、頭が腐っているか狂っている。どっちにしても、かなりおかしい。どうしてあそこまで分かりにくくしたのか、是非聞いてみたい)、GMBの造りも完全には理解できていないので苦労したが、何とかできた。なかなか疲れたし、昼食もとれなかった。「どうなってんだろう」と、軽い気持ちでエディタを開いたのが運の尽きだったw

それはともかく、終わってから、こういうのはデロリアン(タイムマシン)を改良しながら飛び続けたり、アイスティーに入れる氷を作るために巨大な装置を作ったドクに似ているかもなあと、ちょっと思った。

ちなみに、早速、聴きたかった「俺ら東京さ行ぐだ」を聴いて満足した。一体、どうしてそこまで好きなのか?w

 

PS. 今、「ついでにあの問題も・・・」と思い付いてしまった。午後も駄目っぽいなw

結局手を付けてしまって、案の定、手こずったが、ようやく何とかなった。またGMBの迷路のような造りが少し分かった。が、すぐに忘れそうだw (23:43)

ちなみに、その問題は、アルバムアーティストが設定されていないアルバムのジャケット画像がおかしくなる(別の同名のアルバムのものが表示される)というものだった。なぜか、GPMの曲を再生する時だけ起こるのだが、例えば、"Live in Japan"や"Greatest hits"という名前のアルバムで驚かされた。GMBのバグ以外に、ジャケット画像情報の格納の仕方が結構残念なことに気付いたのだが、さすがに抜本的な改良は難しい。 (5/6 0:12)

PS2. プログラミング言語の選択には、その人の個性とか趣味が現れるようで、職場の僕の居るチームでは、見事に各自が別々の言語を使っている。僕はPHP(awkやsedも)、隣の人はPerlといった具合だ(Cは、全員、必要な時に使う)。それで特に問題が起こらず、うまく行っているのも、おもしろいw おそらく、偉い人が、無理に「統一して効率を上げよう」と思うほど馬鹿でないのが効いているのだろうw (5/6 0:35)

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昨夜から、トラブルで中断しつつも観た(今日はつつがなく観られたので、問題は解決したようだ)。観ながらいろいろなことを思った。全部書くと長くなりそうなので、主要なことを書き並べたい。要所にシーンへのリンクを入れたので、是非観られたい。

最初の、サリエリが自殺未遂後に、モーツァルトとのことを神父に話すシーンは、なぜか現代のことだと思った。サリエリが今もどこかの病院に居るというふうに思ってしまった。が、実際には今から数百年前(モーツァルトが死んでから数十年後)の話なので、そんなことがある訳ない。画面もそうなのだが、なぜか古く感じなかった。理由は分からない。どこかに「バック・トゥー・ザ・フューチャー」的な要素が混ざっているのか? (サリエリがドクに似ているせい?)

サリエリの音楽は、やっぱり退屈だ。。。 最初から最後まで、一音たりとも許容できなかった。

マリナーが音楽を担当していると知った時、大衆的な映画なのに意外にちゃんとした人がやっている印象(最初に観た時は、知らない「適当な人」がやっていると思っていたので)を受けた。そして、映画に彼の音楽が良く合っていた。ということは、逆説的だが、やっぱり彼はポピュラー的だと言えるのかも知れない(経歴を見るとそんなことはなく、真っ当なクラシックの人なのだが。GPMで聴いた「レクイエム」(1991)が良くなかったか)。

間違って英語盤を買ったために英語字幕を表示して観たのだが、最初の頃の、コンスタンツェと逆さま言葉(逆の綴り)で話すシーンは日本語字幕よりは分かりやすかっただろう。とは言え、セリフ(逆の言葉)を聞き取れる訳ではなく、字幕の表示タイミングも少しずれていたりしたので、演技と同時に分かる訳ではなかった。

それでも、全体的には、音楽が多いので、日本語字幕でなくても分かりやすかった。意味の分からない難しい単語が結構あったが、画面を観ていると雰囲気が分かるので、大きな問題ではなかった。

モーツァルト(役)の、例の素っ頓狂な笑い方には本当にイライラさせられる。僕がこの映画を長らく観なかった理由の一つは、やっぱりそれだと思う。

オペラ(「後宮からの誘拐」?)に対する皇帝の「音が多い」って感想は意外だ。サリエリのに比べればずっと少ない(少なくとも簡潔)と思うのだが・・・ まあ、皇帝は素人で、曲が理解できないとか適切な表現方法が分からないから、そういう言葉になったのかも知れない。

サリエリが、モーツァルトの楽譜を見ただけで、脳内に曲が流れてすごさが分かる(→ 例: "Voice of God")のがうらやましい。終盤に、モーツァルトが衰弱した状態で「レクイエム」の曲を説明してサリエリが楽譜に書き取る時(→ )もそうだ。やっぱり、腐っても(正確には腐っていない。モーツァルトの前では「普通」だっただけだ)プロの音楽家なのだ。(そのシーンはもちろん史実ではないけど、「もしそういう機会があったら、そうなるだろう」という前提である)

老サリエリの顔はスター・ウォーズのダースベイダーみたいだ。モーツァルトの父は厳しいうえにノリが悪くて大嫌いだ。文句しか言わないんだったら、わざわざウイーンに来なくても良かったのにと思うw

父と行ったパーティーの罰ゲームでバッハとサリエリを弾くシーンがおもしろい。バッハはいかにも硬くて単調で、うまい。ヘンデルをと言われて「嫌いだ」と言ったのは僕と同じだw そして、サリエリの曲は退屈だ。そういえば、あの賢そうな子どもは誰だったのだろうか? もしかしてベートーヴェン?

「フィガロの結婚」が上演できるように皇帝を説得するシーンは好きだ。おもしろく、楽しく、興味深い。(これが史実だったなら)当時のプレゼンだったのだろう。その「フィガロ」の曲なしのダンスのシーンは印象的で結構好きで、ずっと覚えていた。それはそれで価値があり(マニアック??)、皇帝が全然良くないと言ったのは、ちょっと分かってないと思う。まあ、そう言ってもらったおかげで音楽付きに戻せた訳だが。

後半のピアノ協奏曲第20番で始まるシーンは寒い。後半のモーツァルトは、映画"The Wall"(1982)のピンク(ボブ・ゲルドフ)が落ち込んだ時にとても似ている。

「楽譜は頭の中にある(書き出してないだけ)」っていうセリフは好きで、僕もそういうことはある(プログラムは頭の中にあって、あとは打ち込むだけ。だけど、それが面倒なのだw」)。でも、自分ではそういう奴と仕事するのは真っ平だw

この映画の「レクイエム」の演奏者(オケ、コーラス)はマリナーの1991年のアルバムとは違う気がしたのだが、調べたら、同じようだ。ただし、ソロ歌手は居らず、僕の聴いたことのある版とは違う(発表年が違うのから当たり前か)。彼は何度か録音しており、これも映画用に録音したのだろう。

最終盤、「レクイエム」のトロンボーンとティンパニの曲("Confutatis")の高音の合唱がすごく美しい。なぜか涙が出て来た。別に「普通の映画」なのに、まったく訳が分からない。。。 やはり、曲が神がかっているのだろうか? あと、晩年の彼はすごい作品を書いたのに売れなくて、悲惨な状況に陥ってしまった一方で、何百年も経ってから、僕らがいくらいいと言っても遅過ぎで、彼には全く伝わらないことが、なんともやるせないのかも知れない。

 

エンドロールで流れたピアノ協奏曲 第20番 第2楽章は、曲はすごくいいのだが、ピアノ演奏は気に入らなかった。ところが、演奏者名を読んで驚いたのは、映画で使われたピアノ協奏曲のピアニストは、近頃GPMで気に入った・知った、Moravec(第22番)とCooper(第20番)だったことだ。昔聴いたことがあったとは、何とも不思議な縁だ。

今思うのは、この映画は、20代になったばかりの僕が何の気なしに最初に観た時、意識させずにモーツァルトを好きにさせたのではないかと思う。少なくともモーツァルトの種を脳内に蒔いたのだ。それから10-20年くらい経って、無事、花開いたのだろう。そして今は、あふれるほど咲いているw

 

以下、技術的なこと。

  • 画質は悪かった。粒状感があった。DVDの初期に急いで作られた(フィルムから取り込んだ)ためだろうか。それでも、普通に観るには充分だった。
  • 音質は悪くないが、音量が小さく、アンプのボリュームを通常の数倍に上げる必要があった。最大音量は-10dB程度とそれほど小さくない(通常のクラシック曲の例: -6dB程度)ので、ダイナミックレンジが広く、平均音量が小さいようだ。
  • 両面1層なので、A面とB面をひっくり返して観るのは面倒だから「何とか」したいと思った。

が、今回観て記憶が更新されたので、次に観るのはずーっと先だろうから、気にしないことにした。

 

PS. 構成要素について。さすがに映画のせいか、映像として見せ場のあるオペラが多かった。ほとんどの有名な作品を取り上げていた。モーツァルトはオペラに力を入れていたようなので、それは悪くない。が、一般的には交響曲だって重要だろう。そして、僕にとって一番重要なピアノ協奏曲が、たった2曲(第20,22番)しか取り上げられていなかったのが残念だ。「K.488(第23番)はどうした?!」と言いたい。でも、交響曲(例の第25番程度?)よりは多いので良しとしたいw

ただ、本作の創作のメインの「レクイエム」とのつながりで言えば、晩年の短調のピアノ協奏曲を取り上げた方が良かったように思う。でも、結構マニアックになるし、すごく重くなりそうだから、今のままでいいのかな。

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音楽教室のレッスンで弾くのを公衆に対する演奏と言うのは、音楽(芸術)音痴の極みだ。レッスンで、本気で全曲(でも1番だけでも)「演奏」する先生が居たら、見てみたい(仮にそうしてもらったら、それは本当に演奏だから、お金を払ってもいい)。

彼らの論理で、演奏に限らず練習(レッスン)でも人前で弾いたらお金が要るのなら、(包括契約にしない場合、)曲の複数の部分を何度も弾いた場合はどういう課金になるのだろうか。1レッスン当たりの曲数(弾いた長さには無関係)で課金するのか。どうも腑に落ちない。ちょっと違うけど、一種の引用と考えれば、許される行為ではないか? 仮に僕が先生か生徒だったら、そういう理不尽なのはどんなに安くても嫌で、お金の掛かる曲は使わないだろう。みんなそう思ったら音楽は廃れる。とにかく、JASRACは目先の金にしか関心のない強欲者の、文化庁はアホの集団だ。

包括契約もひどいもので、誰が何の曲を何回使用したか全く分からないはずだ。その状態で、何(どういう情報)に基づいてお金を分配しているのだろう? 例えば、ある月(年でもいい)に全国で1回しか演奏されなかった曲に、絶対にお金は行かないだろう。だけど、契約(内容は知らないが)では1回数円(1円だって1銭だっていい)は支払われるはずではないだろうか。そのお金はどこに消えるのだろうか? 明らかにしてくれなければ、払う気なんて起こらない。

もしかして、契約に、「使用料が小額の場合は、『音楽文化振興事業』に使用される」とか書いてあるのだろうか? それでもいいけど、包括契約だったら、「いつ何回使用された」という情報すら行かない。そんな管理でいいのだろうか?

彼らの論理で行けば、車で音楽を再生しただけでも、外に音が漏れたら(知らない人たちに聞かせた時点で、個人的に楽しむ範囲を超えるから)課金されるのではないだろうか。大型スクーターの(迷惑な大音量)ステレオはもちろんだ。それが高じて、屋外で使用可能なスピーカー付きステレオの類に一括課金(昔の音楽用CDの二の舞い)されるのではないか。NHKと同じで、権利にたかる魑魅魍魎だ。

NHKは、内容や価値はともかく、自分たちで番組や技術を作って、それを押し売りするが、JASRACは、自分たちでは何も作らず、ダフ屋とかみかじめ料を取る人たちのように、作り手と聞き手にたかり、自分たちの金欲のために両方を潰すから、更に程度が低い。

ただ、ネットで良く見る「街や店内から流行歌が消えて、大ヒットがなくなった(。そしてCDが売れなくなった)」という文句は、実際にはJASRACのせいではなく、店主などがセコいせいだ。ちゃんとお金を払えば流せる(実際、最寄りのスーパーは、結構昔のではあるが、ヒット曲のカラオケを流している)。練習(試奏)でなく、れっきとした本番(商売)に作品を使っているのだから、仕方ないだろう。一方、最初に書いた教室の話を当てはめると、開店前に、店員の居る店内でテストで曲を流しても課金されるという論理になって、それは全くおかしい。それから、今だってTVなどがあるから、ヒット曲は生まれるはずだ。出ないのは、人の好みが多様化したのと、素材が粗悪になり、作り手が金儲け(例: 「握手」、「選挙」)に走ったせいではないか。

それに、好みに合わない、現代の粗雑なヒット曲(らしきもの)を外で延々と聞かされないで済むのは、僕にはとてもありがたいことだw(実際には、ラジオだの有線だので、まだまだ聞かされるが) 出鱈目な人(店主など)が出鱈目な作品に金を払いたくないために演奏されず、出鱈目な人に金が行かない。これは一種の淘汰と言えるから、それはそれでおもしろい。

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昨日、ミロス・フォアマンが亡くなったというニュースを読み、「炎のランナー」(1981)の監督かと思ったのだが、実際には「アマデウス」(1984)だった。それで、何となく「アマデウス」が観たくなった。随分久し振り(おそらく、公開直後にTVで観たのが最初で最後だったと思う)だし、僕がクラシック音楽を聴くようになったきっかけの一つはこの映画のような気がしているからだ。

余談1: 高校の頃、(実家で)観た覚えがあるのだが、調べると、日本での公開は1985年なので、大学の頃だ。すると、ビデオで録画して観たのかも知れない。テープもあった気もするが、こっちに戻って来た時に見たら、ほとんどカビていたので、全然残っていない。そもそも、VHSデッキもTVもない(「かける機械も見たことねえ」w)。

余談2: 今まで再び観ることがなかった理由の一つは、この映画は史実と全然違うというようなことを聞いたためだ(今となっては、「それがどうした」と思えるのだが、当時は結構がっかりした)。もう一つは、モーツァルトが、頭の大変軽い、脳天気な馬鹿者のように描かれていて、いけ好かなかったからだ(これは、今でなく、若い頃に思ったことなので、すごく反感(ライバル心??)を持ったようだw)。あとはサリエリ(とその音楽)が気に入らないのもあった(全く別の映画になってしまうが、彼を出さなければ良かったのにと思う)※。そしてもう一つは、確か、最後にモーツァルトの遺体が穴に放り込まれるシーンがあったと思うのだが、それがどうにも嫌だった。でも、今となっては、当時の音楽や世の中のことがいろいろ描かれているだろうから、嫌だったことも含めて、純粋に楽しめると思っている。

※書いた後に思ったのだが、当時の僕は、自分がサリエリ型であることに気付かされてムカついたのかも知れない。だから天才モーツァルトがものすごく気に入らず、普通の人だったために日陰者になって苦しんだサリエリも見たくなかったのだろう・・・

余談3: ちなみに、調べたら、音楽はマリナーがやっているらしい。Wikipediaでは、彼が「モーツァルトの第一人者」だから担当することになったとか書いてあったが、初耳だし、どうにも納得できない。彼は有名な指揮者ではあるが、モーツァルトの凄みは出せないと思っている。例えば、彼の「レクイエム」なんて、悪くはないが、なんか、ポピュラー音楽的なのだ・・・ (まあ、そういうのは個人的な感想なので、どうでもいいことだ)

観るとしたら、当然オンライン(配信サービス)でと思って調べたら、Googleはもちろん、AmazonでもNetflixでもHuluでも配信されていない(→ 便利な検索サイト)。なぜかツタヤだけはあるようで(← 再度調べたら、DVD/BDレンタルの誤りのようだ)、最初の1か月間は無料だからタダで観られるのかも知れないが、大嫌いなので、ロハでも使う気はしない。

余談4: ズルではあるが、「ちょっと観させてよ」って気持ちでYouTubeも探した。何十個も出て来たが、ことごとく削除されていた。中には、「消されました」という映像のメッセージを出して怪しいリンク先(短縮URLなので、正体が分からない)に飛ばそうとするものもあって、ちょっとした闇を見た気がした。

結局、DVDかBDを買うしかなくなって、かなり観る気が失せている。値段は千円程度なので問題ないのだが、物が増えるのが嫌なのだ。昔だったら、(CDのように)DVDをPCに取り込んで捨ててしまえばいいのだろうが、今は違法のようだから(公式には)無理だ。しかも、送られて来るのを待って受け取るのも面倒だ。要は、観たいと思った時に(後腐れなく)気軽に観られないのが嫌なのだ。

という訳で、なかなか世の中は進歩しない(進歩するのが不均一な)気がした。

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松田聖子のベスト("Bible")を聴いていたら、いつもドキドキする"Rock'n Rouge"(1984)が掛かった。「ドキドキ」と言っても、僕にそんな思い出がある訳もなく、以前も書いたのだが、この曲は歌うのが難しい(失敗すると「音痴」になる)箇所があるので、聴くたびに思い出すという意味だ。

そんなことを思いながら ふと検索してみたら、曲を解説しているページがいくつかあった。その中の一つにピアノを弾きながら解説しているビデオがリンクしてあったので、もしかしたら、僕が難しいと思っている箇所についても説明されているかと思って観てみた。が、すぐに止めた。ピアノの音が余りにも汚なくて(うるさくて)、耐えられなかったのだ。

ピアノ教室で良くありそうなパターンだが、生徒が駄目だったら、「そこはこう(バン)じゃなくてこう(ガン)弾くのよ! (何度言ったら分かるの!? キーキー)」とか言いながら、鍵盤を雑に叩いて弾かれる感じ。

そんなことをされたら、「そりゃあ、あなたはプロだから、当然、思ったように指は動くけど、こっちだって、できるならやってるよ(できないから習ってるんだよ)! それに、そんなに速く何回も弾かれたって分からないよ!」と言いたい。 (注: これは実体験に基づいてはおらず、全く僕の空想です。)

百歩譲ってレッスンならいいとしても(全く良くないが)、公開するビデオであんなうるさい雑な音を出してはいけない。思い出のある気に入った曲だろうに、そして、音楽を生業としている人だろうに、自分で観て・聴いて(そもそも弾いた時に)気付かないのではどうしようもない。ただ、ひどいコメントを書くと面倒なことになりそうだし、音は本筋ではないこともあるから、せめてもの意思表示にThumbs downを押して、最初の1分くらいでサヨナラした。

ピアノ教室か何かの先生のようで、理論とかには詳しいのだろうけど、あれでまともな音楽が演奏できるのか・教えられるのかと思った。

「神は細部に宿る」という言葉は余り好きではないが、音楽に関しては全くその通りだと思う。一音たりとも、音を出してから消すまで、雑に扱ってはいけない。そうじゃなきゃ、(芸術としての)音楽ではない。

「そんな堅苦しいこと言わなくても・・・」という意見もあろうが、例えば、小説の印刷などで、「あ」と「ぁ」や「日」と「曰」が混用されていても、「似てるから全然問題ない」と読み流せるかということに近い。

だから僕は、オーディオを可能な限り録音されたとおりに再生できるようにしたいのだ。(というのは後付けの理屈であるw)

 

(そんな論外の人のことをわざわざ書くこともないのだが、ビデオを観て妙にムカついたので、あえて書いた。ただ、また「営業妨害」とか言われたくないので、リンクなどは載せない。適宜検索のこと。でも、実際には架空の話かも知れないので、ご了承のことw)

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近頃(といっても、もう20年以上になるが)はポリスを全然聴かなくなった。なんか「意識高い」雰囲気が嫌なのだ(そんな言葉がないころから感じていた)。当時(中高生の頃)はそれが良かった気がするのだが。いや、初期(1970年代末の最初の2枚のアルバム)はそんな雰囲気はなく、純粋なロックとして楽しめた。

(20:12追記) 思い出した。中高生の頃はリアルタイムに聴いていたので、「これが僕らの『ビートルズ』なんだ!」と思う(思い込む)ほど好きだったのだ。

それが、段々「この意識高さが格好いいのだ」とか「頑張って理解しよう!・・・」な感じになり、"Synchronicity"(1983)以降は努力して聴こうとしても駄目だった(調べたら、それが彼らの最後のアルバムだった。このアルバムでかなりがっかりして、過去作にまで波及した感じだ。それでも、その後もStingのソロも買ったが、徒労だった)。個人的には、意識高くなってしまった(ように思える)Stingが癌だったのだろう。

そんな訳で、今は、全く意識高くないTom tom clubの最初のアルバム(1981)を聴いて脱力しているw

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先日、「春の祭典」で検索していた時だったかに見つけたウルバンスキという人の新作の広告に次のような見出しがあったので、結構期待して、是非聴きたくなった。

最も騒がしいヘビメタの曲でも、この作品に較べれば可愛らしい小さな歌みたいなものだ! - クシシュトフ・ウルバンスキ

「ほう、この人の演奏はヘビメタ以上にすごいのか。それは楽しみだ!」と思った。確かに、この曲は並のロックなんかよりずっとロックで、そこが好きだ。それで、GPMに入っていたので、昨日の昼に聴いてみた。が、出だしからがっかりした。(オーボエじゃなくて)ファゴットが余りにも遅過ぎて、(後ろから膝を押されたように)ガクっと来た。今思い付くのは「気の抜けたビール」だ。

あそこは確かに速いところではないが、以降を予感・期待させる表現をして欲しい。あれじゃ、「一体何時間やるつもりだ??」と思ってしまうよ。テンポだけの話ではないのかも知れない。とにかく、あのイントロはゆるゆるで緊張感も色気もなくて台無しだった。

が、録音は良かった。今まで気付かなかった音やパートが聴こえ、変なリズムに気付けた(ヘッドフォンのせいかも知れない)。イントロ以外は悪くなくて、聴き続けたら乗れた。何曲かはThumbs upを付け、ライブラリ(「お気に入り」のようなもの)にも追加した。

ところが、終盤で再度がっかりさせられた。最後の前と最後の曲が遅かった。せっかく乗っていたのに、ちゃぶ台返しされてイライラしたので、ライブラリから削除し、最後の曲をThumbs downにした。そもそも、いいと思ったところだって「普通にいい」程度で、全然ヘビメタを超えていなかった。

その時は「まったく口程にもない奴だ」と思ったのだが、夜になって、彼の言っていたことは間違っていなくて(彼は「この演奏」とは言っていない)、僕が勝手に期待しただけだったことに気付いた。要は、

彼が曲に負けたってことだ

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(ちゃんとした文章にするのが面倒なので、骨格+αを。おいおい、気が向いたら加筆します) ← 完成 (9:34)

昨日、Sa Chenのラフマニノフやショパンのピアノ協奏曲に感心した。

Chen: ラフマニノフ ピアノ協奏曲 第2番 (2011)

昨日、この曲(演奏者は不定)が脳内でリピートして、どうしても聴きたくなって、昼休みに探したら(好きな演奏は多いが、知らない人のを聴きたくなることが多い)、彼女のが目に入ったので(ただし、最初は、演奏者の国やジャケットの柄から敬遠しようとした)聴いた。意外にいい。すごくうまい訳でははないが、乗れる。ただ、第1楽章の行進曲風のところ(以前、ここがダサいとか書いているページを見たが、うまく弾くと結構いい感じになる)はいまいちで、腕が追いついていない感じだ。その楽章の最後は何となく音が乱れた感じなので、Thumbs upしたのを取り下げた。

第2楽章は結構いいところがあるが、終わりはわざとらしかった。第3楽章はまあまあで、中盤のオケがいまいちだったが、(この楽章は)全体的には良かった。

Chen: ショパン ピアノ協奏曲 第1, 2番 (2008)

昼に聴いたラフマニノフが結構良かったので、昨夜探して聴いた。

第1番のピアノは音が澄んでいて綺麗で、聴いていて心地良い。誰も出さなかった(目立たせなかった)ような音(・弾き方)が(いい意味で)妙なのだが、決して嫌ではない。彼女の解釈なのだろう。第2楽章の音の出し方(ちょっとした盛り上げ方)もいい感じ。オケ(指揮: Lawrence Foster, Gulbenkian Orch.)は普通に良かった。ラフマニノフも同じオケだった。

第2番は、なぜか低音(弦)がすごかった。ピアノは少しわざとらしかった気がする。第1番の方がいいのか、僕が慣れてしまったのか、疲れてしまったのか。

以前にも書いたが、昔はこの2曲は気に入る演奏がほとんどなかったのに、近頃は、いいと思える(許せる)演奏が多くなった。そのおかげで曲の良さも分かってきた(だから、少し前は「ショパンコンクールなんて、最後がショパンの協奏曲じゃちょっとねえ・・・」とか不遜なことを思っていたが、今はそうでもない)。自分が変わったのか、世の中にはさまざまな演奏・解釈があるということか。

以前はYeol Eum Sonにも感心した。どちらも、僕の嫌いな中韓の人だ。そういう事実を目の当たりにすると、音楽に限らず、もう中韓は馬鹿にできないと思う。そして、どういう訳か、中国には以前より抵抗が少なくなった。

その原因としてまず頭に浮かぶのは、ロケットニュース24の沢井メグの紹介がうまいことだ。彼女の記事は、体当たりで書いているせいなのか、結構おもしろく、気付くと「中韓も意外にいいじゃん」とか思っていて慌てるw 上手なステマなのかも知れないが、押し付けでなく、自分から読んでしまってそう思うのだから、仕方ない。

余談だが、彼女のは、好みではないのに妙に惹かれる。なぜ好みでないかというと、眼鏡が気に入らない。(女性全般に思うことだが、)眼鏡をするとキツく・冷たく見えるからだ。でも、たまに眼鏡なしの顔を見ると、全然キツさがなく、変化が大きくて驚かされる。すっぴんの顔もなかなか味わい深い。可愛いのではなく、大人の美人系なのだろう。それはそれでいいと思うw

それから、歳を取ったせいか、日本の劣化・自滅を実感しているのも大きい。

正しくは、実際には前から今の状態だったので、絶対的には劣化していない。相対的に劣化したのだ。真実から目をそむけ、昔からの成功体験(これは多くの人の犠牲(=偉い人たちのズル)の上に成り立っていた)にすがるだけで本質的に変わろうとせず、外面・体裁はともかく、(本心では)世界標準を無視してガラパゴス(=引きこもり)をやり続けて、「クール」とか「すごい」とか言ってたら、そりゃあ終わるよ・・・

気に入らないものや嫌なものがあるのは当たり前だと思うが、そういうのを馬鹿にして無視するだけでは、いつかは負ける。「兎と亀」や「蟻とキリギリス」、あるいは「裸の王様」に似たようなものか。

 

参考: いいものもある、悪いものもある

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先日聴いてちょっと興味を持った小菅優のページで、彼女のラフマニノフのピアノ協奏曲第2番のライブをNHK-FMでやるというのを知って、NHKはおもてなし(あるいは忖度)の国の政治家や北朝鮮並みの悪の枢軸で、最大の宿敵の一つではあるのだが、彼女のその曲はGPMでは聴けないし、ラジオは受信料を払わなくても聴ける決まりのようだから、ちょっと聴いてみることにした。

非常用のポータブルラジオで聴こうと思っていたのだが、今朝、ラジカセを持っていることに気付いて、そっちの方が音がいいだろうと思って試した。が、PCの雑音(妨害電波)のせいなのか、いくら調整してもほとんど聴こえなかった。ラジオは少しましだったが、やっぱり雑音が入って耳障りだった。それで、最後の手段、「らじるらじる」とかいうネット同時送信サービスを試したら、さすがに雑音は皆無で、音がとてもいいので感心した。

なぜ、らじるらじるが「最後の手段」かというと、それにアクセスしてラジオを聴くということは、最後にも書いたのだが、NHK TVのネット同時配信の「お墨付き」に手を貸すような気がするし、アクセスした記録が保存されて、将来、受信料請求の証拠に使われかねないという危惧があるからだ。僕は、それくらい、彼らを「金のためならなんでもする邪悪な連中」とみなして、嫌悪している。(3/21 7:26)

時間になって番組が始まったのだが、曲の前に長々とした説明があることをすっかり忘れていた。今日も、(第3楽章しか流さないので)たった12分くらいの曲に5分も費やしていたので、結構イライラした。内容はありきたりの話(作曲者や演奏者や曲の話)で、得るものはなかった(そもそも、そういうのは無関係と思っているので)。だったら、本題をもっと長く流して欲しい。例えば、全部で4曲流すとしたら、単純計算して20分も余るではないか。20分追加すれば、この曲は全曲流せそうだ。それにしても、番組の時間は長いのに、この曲も他の曲も小間切れで流しているが、ポップ音楽じゃないんだがな・・・ まがりなりにも"FM"なのに、どうしてこういう馬鹿なことをするようになってしまったのだろうか? あとでTVで流すからその宣伝のつもりなのだろうか。全くの劣化だし、FMの名折れだ。

ようやく演奏が始まった。第一印象は悪くなく、ピアノの音が綺麗だと思いきや、段々、ピアノがちょっと引っ掛かる感じがして来た。そのうち、ちょっと「下手」な感じすらして来た。。。 さすがにオケ(指揮: オラモ、BBC交響楽団)は綺麗だった。折角なので続けて聴いていたのだが、ピアノは見せ場でもちょっと遅くて(良くない遅さ)、余り「見事」ではなかった。スローなところはしっとりしているが、アルペジオはたどたどしく感じられてイマイチだった。要は乗れなかった。

結局、曲自体はいいし、オケもいいので、それを楽しむことにして最後まで聴いたのだが、終盤の音が連射される見せ場もイマイチだった。結局のところ、ピアノ演奏が曲に負けていたのだ。

彼女の弁護をするとすれば、録音のせい(ピアノが遠い感じだった)で印象が悪かったのかも知れない。ライブだから、ちゃんとセッティングできなかった可能性はあるだろう。

結論としては、これ以上彼女の演奏を聴く必要はなさそうだということになった(あくまでも個人の感想です)。

最後に、らじるらじるは、将来のNHK TVのネット同時配信の姿を示している(彼らがこんな風にやろうと思っている)と感じた。ブラウザで、特にプラグインも要らず、ログインなしで聴けるので、TVも同様にして「PCなどを持っている人は(受信設備を持っているので)全員金払え!」という理屈だ。怒りとともにため息が出る。取り越し苦労ならいいのだが・・・

だいたい、今時ラジオとかTVとか本当に必要なのかと思う。FMなんて、今日のような番組だったら、リアルタイムに聴く必要なんてなく、YouTubeの方がずっと便利だ。放送の時刻を待つ必要はなく、検索すれば出てくる無意味な説明を聴く必要もなく、当然、全曲聴けるし、音だっていい。こういう時代遅れの無駄なことのために国民から強制的にお金をむしりとって、最新技術がどうのこうのと言って浪費する団体は早く消えて欲しい。電波だってもったいないから、FMとAM 1波、それにBSと地上波TV 1波ずつを返すべきだ。

 

PS. まあ、「折角の演奏なんだから、余計なことは考えないで楽しめばいいじゃん」とも思うのだが、大好きな曲を平気な顔でブツ切りにされたら、やっぱりムカつくよ。大体、作曲者にも演奏者にも失礼だと思う。そもそも、この曲はイントロが命というところがあるのに、それを省くなんてやっぱりおかしいし、センスがないと思う。

と書いたものの、番組の内容を調べて第3楽章だけしか流さないと知った時に、聴くのを止めれば良かった気がする。要は、八百屋に魚を求めた訳で、こっちが悪かったw

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