Archive for the ‘映画・TV’ Category

オリンピックとかの競技会で、みんなが突然日本や地元の選手を応援し出す気持ちが分からない。高校野球とかも同様だ。いつもは いがみ合っている、そうでなくとも、他人には無関心な はずなのに、突如一致団結するのが不自然だ。他の国も同様なのだろうか?

それに、それぞれの競技で勝った人のことを あらかじめ知っていたのかも疑問だ。僕なんて、「柔道で金メダルを獲った」とか言われたって、そんな人なんて初耳だし、(もちろん努力は したであろうが、)どこがすごいとも分からない。

もしかして、誰でもいいから、自分に近い(気がする)人が勝てばうれしいのか? 随分能天気だし、対象の人に失礼な気がするが、良く分からない人にでも応援されればうれしいのか(まあ、確かにそれはあるか)・・・ アイドルみたいなものか?

僕には組織、団体、会社などからは裏切られた思い出しかないので、「同じ所属だから応援する」なんて行動は全くする気が起こらない。帰属意識が全くない。せいぜい、すごいことをした人の出身や所属をあとで知って、自分に近かったら「へえ」と思う程度だ。だから、(世間で良くありそうな)あらかじめ、利害関係がありそうな人の出身などを調べて近寄ることなんて全くない。「同郷のよしみ」なんてないし、期待することもない。逆に、詰まらない政治家みたいで大嫌いだ。

だから、(前にも書いたかも知れないけど、)僕は今はたまたま出身県に住んではいるけど、地元だから愛着がある訳ではなく、適度に田舎で暮らすのが楽だからだ。他にいいところがあれば、いつだって移りたい気では居る(ただ、近頃は体力が落ちて来て、なかなかすぐには実行できないことはある)。

(興味がないからまずないけど)スポーツで感心・応援することがあるとすれば、せいぜい、N連勝とかN回連続金メダルとか、初めての技を生み出したとか、初登頂などの絶対的な偉業だ。それはどこの人でも関係ないし、スポーツ以外でも同じで、例えば音楽のコンクールで日本人が優勝したって何も感慨はない。出身にどんな意味があるのか(「毎回、必ず誰かが優勝あるいは最上位になる」と思っている)。たまたま低レベルでも優勝してしまったかも知れないから※、聴かなきゃ分からないではないか。

そんなことをしてたら、日本人は日本の演奏者しか応援できないことになってしまい、まあ、各自の良さはあるだろうが、音楽はそもそもグローバルなものなのに自分から限定するなんて全く馬鹿らしいではないか。

※偉そうに書いたが、僕には演奏の絶対的な良さは判断できない。せいぜい、自分の好みかどうかしか分からない。

 

そして話はかなり飛ぶが、上の考えを発展させると、

国内での順位とか地縁血縁なんて下らない。そうやってフェアかつシビアな競争をなくしてしまった、あるいは、島国をいいことにぬるま湯に浸かってしまったことが、日本をガラパゴス化、中抜き社会化させてしまって、今の衰退の原因になってしまったのだ。

と思った。

 

PS. 前の稿にも書いたように、オリンピックには全然興味ないし、それどころか止めて欲しかったくらいだけど、ちょっと閑話休題だったところにネタができたのはありがたいw

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全く大それた題だが、芸術論も文化論も勉強していない素人が東京2020オリンピックの開会式の報道を見て思ったことを書く。入場行進が印象的だったので(他については、さまざまな情報が細切れで全体像が良く分からないこともある)、特にそれについて書く。

なお、僕はそもそもスポーツ・運動には全く興味がないどころか、昔から嫌な思いばかりして来てストレスを感じるし※、この情勢でオリンピックを開くことにも反対だが、行われて仕舞ったものに対して、せめて自分の興味のある面から感想を書きたいと思った。

※この点については、近頃は「多様性」とか声高に言われているにも関わらず、「スポーツは人に勇気を与える」だのなんだのと分かったようなことを言われると、全く「んな訳ねえだろ!」としか思いようがない。僕に言わせればスポハラだ。

それから、ゲームも同様に好きじゃないのに、(本題に書くように、)さも国民音楽であるかのように使われてしまったのも、やっぱり多様性への配慮がなってなくて納得できないが、スポーツよりは許せる。

あと、頻繁に勃発していた、制作者だのの過去の言動とそれに対する処分については、以前から書いているように作とは無関係だし、そもそも、彼らの作がいいか悪いかの問題が先なので、それ以上は何も言わない。

 

「日本が世界に誇るもの」としてゲーム、アニメ、漫画の作品・素材・手法を用いたのだろうが、それらは文化だとは思うが芸術ではない※と思うので、適切だったとは思わない。かと言って、他のものに比べて劣っているというつもりはない。適材適所・TPOの問題だと思う。それらは確かに現代の日本の文化ではあろうけど世界に通用するかは別で、「ガラパゴス化物」の一種ではないだろうか。だから、軽薄なものになったように思う。

観てないから分からないが、開会式全体を通すと、某「押し売り放送協会」の多くのTV番組、あるいは一日をとおした編成と似たような印象だったのではないかと想像する。であれば、多くの日本人が喜んだ(らしい)のも理解できる。

※ゲーム音楽は確かに広義の芸術と言え、その証拠にコンサートも行われているようだが、元々は特定の用途向けに作られたもので通常の音楽より普遍性が小さいので、やはり、正統的な芸術というのには無理があると思う。

一方、「オリンピックの開会式は単なるお祭り・馬鹿騒ぎだから おもしろければ・(誰かに・内輪で?)受ければ良く、芸術的な素晴らしさや感動は不要だ」という考えで作ったのなら、全く何も問題ない。客観的な評価に従うだけだ。

でも、特に音楽が好きな者にとっては、イギリス(ロンドン2012)・ロシア(ソチ2014, 冬季)には随分負けた気がする(どちらも報道を見ただけの推測で、閉会式も含む)。

 

PS. 細かい話だけど、ソチの閉会式でラフマニノフのピアノ協奏曲 第2番が演奏された(それだけでなく、開閉会式では他にも有名な曲が多かったようだ)というのは、今でも うらやましいし、まあ あと千年経っても勝てないだろうと思う。

PS2. 以前書いたが、市松模様の目がチカチカする ひどいデザインのマスコット2体は なぜか出て来ないようだ(商品などにだけ使われるのだろうか?)。目がチカチカしないのは いいけど、余りにも整合性がないというか無駄だし、だったら最初から出さなければ こっちもイライラしなくて済んだのにと思う。

PS3. その後、ゲーム好きの人でも必ずしもあの行進でのゲーム音楽の使用を気に入って居る訳ではないことが分かった。(→ 参照) ゲームの文脈から切り離されてしまった・都合良く使われたという主張だ。この記事には反論が多いから、そういう考えは少数派なのだろうが、結局、「安易に使った感」は拭い切れないというところか。 (21:22)

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以前書いた、大好きなサボり先輩が近頃サボり気味でがっかりしている。僕は、彼女のサボるためにはどんな努力も惜しまないところが好きだったのに、近頃はなんだ。いかにも取って付けたような、全然ひねりのない、詰まらないサボり方しかしていないではないか。あんなのサボり先輩じゃない! 一度出直して欲しい。

 

がっかりしたから確認する気も起こらないのだが、別の、家庭教師と高校生の話も同じ作者だった気がするのだが、その最終話も月並み・浅くて、かなりがっかりしたのを思い出した。世間(といっても、ネットの世界だけでは?)では随分好評のようだが、まだまだ甘いと思った。

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オモコロの漫画で、(中身は読む気がしないけど)妙にひかれるタイトル画があった。

はらつかう: 最高の悪あがき 第3話

描かれている女の子たちに ひかれる。みんな普通っぽいが、それぞれに可愛い。

そう言えば、以前書いた、スバルの車を「なんかイヤ」とか言っていた女性(イラスト)も似たような感じだ。

一番右の子はちょっとお姉さんぽいところが良く、二番目の子は ほわっとした顔が普通に可愛く、三番目の子はマスク(今は意外に少数派の このタイプには目がない^^)がいい。一番左の子は顔は見えないが、小さくて可愛い感じだ。長いスカートや もこっとした靴(表面はフェイクレザーで中が起毛のやつ?)も可愛い。

そして、左から二番目の子は人間だかそうでないのか判然としないけど、そういう得体が知れないところが一番好きだ。それに、うさぎの耳のようなスカーフみたいなのも可愛い^^

あと、細かいけど、二人に描かれているアホ毛(これと寝癖の違いは何だろうと、(寝癖が出来た時に)時々思うw)もなかなかいい。

みんな、いかにも「女子」といった感じだが、集まって なんか「ちょっと悪いこと」を企んでそうだけど、いったい何やってるんだろうか? それもちょっと気になるw

それにしても、(僕の想像が合っているかは別として、)それぞれの人を描き分けて、たった一枚でここまで引きつける作者は なかなかすごいと思う。 (それでも読まない僕は よっぽどのへそ曲がりか?)

 

なぜ、ひかれるのに読む気がしないのかを考えてみた。: 同じオモコロで愛読しているポテチ光秀やショルダー肩美や長イキアキヒコや地球のお魚ぽんちゃんやニャロメロンなどは、確かに読む気がするのだ。好きだからそうなのではなく、初めて目にした時からそうだった(ポテチなんて、可愛いの「か」の字もないw)。だから、タイトル画や題、そして名前に「引きつける力」、「読ませる力」のようなものがあるのではないか。

一方、こちらは確かに可愛いのだけれど※、残念ながら、漫画としてはその「力」が少し足りないのではないだろうか。もちろん、読み手との相性の問題なので一般論ではない。あくまでも僕が感じたことだ。

※やっぱり、世の中 可愛いだけじゃやって行けないんだろうか。厳しいねぇ・・・

 

PS. ところで、題で、日本語の文字の間に"("が入らない(ペーストはできるが、キーボードでは入らず、ブラウザが少しハングする)のはなぜだろう?? (← 今は題を変えたので、関係ない)

 

(1/20 7:38 わずかに修正)

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映画「ストリート・オブ・ファイヤー」 (1984)の歌。(この長い題を どういうふうに訳せばいいのか、まったく思いつけないw)

別に書きたいけどなかなか書き出せないことがあるのだが、それに挙げようと思って居たことだ。この映画に出て来るダイアン・レインが すごくかっこいい(ただ、大昔に観たきりで、どういう映画だったかは全く思い出せず※、ただただ「彼女がかっこいい」ことしか出て来ない。そして、Spotifyで掛かるたびにサントラのジャケット画像を見て、彼女が歌っているシーンを思い浮かべるだけだ)。

※「ブレードランナー」(1982)や「ターミネーター」(1984)や"Holding out for a hero"(映画は「フットルース」(1984)で、確か観たことはないw)などと区別が付かない。

もちろんこの歌は好きなのだが、(例によって細かいことを書くと)惜しい。もう少し落ち着いて、かっこ良く歌って欲しいのだが、なんか歌うのに精一杯な感じ、急がされているような感じが出てしまっている。。。

今思ったのだが、この長い題名を歌っているとしたら、(たとえ英語は日本語より多くの文字数が入るにしたって)早口になってしまうのも仕方ないような気がする。そして、他の歌詞も実際に歌うことを考慮していないのかも知れない・・・

→ 歌と一緒に歌詞を表示している動画があったので観たら、僕にはちょっと歌詞を詰め込み過ぎているようにに思えた。例えば、ここなんて画面一杯の文字だ。冒頭のスローなペースなら問題ないが、そのあとの速いペースでは結構無理がありそうだ。そして、長い題はやっぱり何度も繰り返されていた。歌うのは大変そうだ。

歌詞の他には、微妙にキーが高過ぎるのか声が出来れていない感じがあるのも残念だ。

でも、ダイアン・レインが歌っているシーン(実際には歌は吹き替えだったそうだ)を思い浮かべられるから いい。

今は便利で、歌のシーンがYouTubeで観られる。やっぱりかっこいい^^ (映像を観ながら聴くと、なぜか、精一杯な感じが薄れる。もしかしたら、少し違うテイクなのかも知れない。)

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どういう訳か、僕はこの曲は誰がオリジナルか知らなかった(調べたら、ルベッツというグループだった)が、初めて聴いた時(Spotifyだったのだろうか、あるいはもっと昔のラジオだろうか。誰だったかは分からない)から好きな感じがした。冒頭の独特なコーラス(高い声が突き抜ける感じ)がいいし、全体的に乗れるからだろうか。

で、かのWinkも歌っていて (1988)、やっぱり好きだ(それがSpotifyで掛かって、別のネタの代わりにこれを書く気になった)。

いつものように余談を: 本当はYouTubeは(僕のポリシーで)レコードの版を参照しようと思って居たが、テレビのやつ(↑)のサムネイルにひかれてちょっと観たら、思わず応援したくなってそっちにした(「高評価」にもしてしまったw)。妙に素人っぽい外見や歌い方が、なかなか来る^^

でも、素人っぽいかどうかは別として、こういう感じは当時は流行っていたのかも知れない。残念ながら当時は観ていなかったが、森高も似たような感じだったのではないか。

良く見たら、これは彼女たちのデビュー作だったのか。だから素人っぽいのか。もしかしたら、僕が最初にこの曲を聴いたのは、当時の彼女たちのだったのかも知れないな。うーむ。

 

しかし、それを観たあとでルベッツのオリジナルを観たら、余りにも良過ぎて(あの高音がグッと来る!!)複雑な心境になった・・・

でも、彼らのもちょっと笑える気分になる(同じ頃に流行っていた、ヴィレッジピープルに通じるものがある。クイーンも同様)。それは時代の違いによるものだろう。

 

と言っても、素人臭い初々しいWinkもなかなか捨てたものではなかったyo!^^ (今、2回目を観ている)

 

(1/14 9:15) その後、思わぬことに気づいた。別の似た曲を思い出した(脳内ではなかなか区別できなかった)。それは、The Diamondsの"Little Darlin'" (1957)だ。イントロや曲の構成が良く似ている。僕はこれは"American Graffiti" (1973, サントラ)で聴いて(リアルタイムでなく あとで聴いた)好きだった。

これもレコード版を載せようと思って居たが、上のTVのショー("Saturday Night Beech-Nut Show" または "Dick Clark's top 10"?, 1959?)の司会(Dick Clark?)がなかなか秀逸だったので、それにした。初めて観たが有名な人のようだ。長々と引っ張って期待させながら、ランクに入っていない全然別の曲を紹介する辺りは なかなか芸がすごい。

なお、上のショーは口パクなので、レコード版の演奏が聴けるのは一石二鳥だw (ただ、最後にメインボーカルが叫んでいるのはライブだろうから、結構手が込んでいる感じだ)

だから、僕は無意識のうちに(理由も分からず)こういう雰囲気の曲(ドゥーワップ?)が好きで、"Sugar baby love"も好きなのだが、最初は"American-"で聴いた"Little Darlin'"と混同していたフシが なきにしもあらずという結論になりそうだ。

余計なことだが、こういう歌の最初かは分からないが、先に出ただけあって"Little-"の方が本物感とか元祖感がある。

「本物感」と書いたものの、実は、この曲はThe Gladiolasがオリジナル(1957)とのことだ。聴くとなかなか素朴で、これはこれで真の元祖感があっていいが、よりポップなThe Diamonds版がヒットしたのは頷ける。オリジナルが出た年にカバーを出してヒットさせるとは、なかなか抜け目ない人たちだ。

 

"Little Darlin'"の動画の検索結果に、映画"American Graffiti" (1973)のシーンと思われるものがあり、観たら、"Back to the future" (1985)でマーティーと(後の)お母さんが車の中でいい感じになるけど惜しいシーン(大好きだ)にそっくり(状況も、当然ながら服装、車、セットなどの雰囲気も)なことに今初めて気づいたが、なかなかいいオマージュだと思う。

更に思い出した。"American-"の眼鏡の青年(BTTFでのマーティー)はBTTFの(後の)マーティーのお父さんに似ているし、ビフ的な男も来るから、BTTFの「やり直し」が成功したシーンも掛かっているのだろう。そうだったか!

それにしても、BTTFで、お母さん(当時は高校生)が煙草ふかしたりウイスキー飲み出したりしてマーティーを驚かせるところが、妙に好きだなぁ^^

生まれる十年くらい前なのに、なぜか、1950年代のUSは懐かしく感じて好きだ。

 

(1/15 10:06 題を変更)

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ほんの数か月前に逃亡トップらが胸を張った、日本が世界に誇るコロナ対策って、今はどうなったんだっけ?? そんなにすごいものなら、なぜ今はこんなことになってるんだっけ? あと、その名前はなんだったか(首都はしらんが、関西の都市も うたってたっけ)。誰か教えてくれ。

そして、今、誰もそれに言及しないのはなぜ?? (いわゆる「なかったこと」?) やっぱり効かなかったのか。九州方面の金持ちジジイ大臣が言ってた「民度が高い」とかいうのは、やっぱり出鱈目だったのだろうか? いつの間にか全部「リセット」したの?

せめて、総括(中間まとめでもいい)して欲しいな。じゃないと、現状の理解が進まないし、今後の対策も立てられないよ?www PDCA()しようよ(爆)

 

あ、もしかして、今は「コロナ2.0」になったの????

 

(1/13 19:20) ニュース: 「1都3県ついに白旗…コロナとの戦い「日本モデル」撤退宣言」を見てようやく分かった。「日本モデル」だとさ。まあ、何にしても、「モデル」などと言えるものではなかったことは最初から明らかだ。

そもそも、「モデル」ってどういう意味で使ったのだろう? 「規範」とかその辺のつもり? であれば、「まだ進行中だったのに、良くもまあ、いけしゃあしゃあと言ったわな」って感じ。

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(12/31に思い付いて1/1に投稿したかったのだが、余りにも元日と関係ないし、年初から「嫌い」は今ひとつなので保留していた。)

人気のある漫画で、キャラの目の黒目が小さく、白目がやたらに広くて黒目を囲んでいて、三白眼以上のことがあるが、なぜか僕は嫌いだ。僕が黒目がちの人のほうが好きだからというのはあるが、そもそも、普通の人ならせいぜい三白眼で、そういう人も滅多に居ない(知っているのは、今は海外のチームの監督をしているらしい元サッカー選手だ)。

漫画としてそういうデフォルメ表現はあると思うが、安直というのは違うけど、表現とそのキャラの表す性格のようなもの(読んでいないので、あくまでも見た目からの想像)が なんか受け入れられないと感じる。

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(いろいろなネタが不完全なので、軽くて重い話題を)

以前別の記事(丹波哲郎の話)を読んでおもしろかった ペリー荻野の記事、「役へのこだわりから歯も抜いた それでも自分を臆病と言った「三國連太郎」」を見て、うなってしまった。

三國は全然好きじゃない。それどころか憎たらしい。※ が、彼の凄さは認めざるを得ない。それどころか、尊敬すらしなくてはいけないと思ってしまう。僕からしたら まさに「本物」だ。詳しく知らないから、本当に「本物」かどうかは分からないが、上の記事の写真一枚だけでも、そう感じざるを得ない。(本当に見入ってしまうし、ほれぼれしてしまう・・・)

※だって、「セーラー服と機関銃」(1981)での彼は、どうしたって気色悪く憎たらしい、クソエロジジイとしか思えなかったのだwww 何だよ、あの憎たらしい顔、特に涙袋!!! (でも、それが、彼が どんな演技にも手を抜かなかった証拠なのかも知れない)

本当にすごい人だったんだろうな・・・ 今気付いたが、三島に通じる(調べたら、同年代の人だったのか)ものがありそうだ。あと、あの、パンツに大麻のおっちゃん(勝)も近そうだ(勝はちょっと若かったようだ)。

 

それにしても、今はそういう人は居るのだろうか? まあ、今は社会が全然違うから同じでなくてもいいが、彼らほど真摯とかストイックそう(詳しく知らないから、「そう」としか書けない)な人は、いったいどのくらい居るだろうか?

 

PS. 書いたあとで「セーラー服と機関銃」のWikipediaを読んだら無性に観たくなったが、まあ、面倒だし疲れるので止める(爆) 薬師丸は可愛かった。それで充分だ。

少し細かく書くと、プログラミング的には「ハッシュ値の再計算」みたいな、「分かり切っていること」を再び観るのは、もちろんおもしろいけど、面倒でもあり、がっかりすることもある、「アンビバレンスな行為」って感じなのだw

だから、もう、題名だけで「パブロフの犬」なのだ。

PS2. 「セーラー服と機関銃」で思ったが、なぜか、薬師丸には すごみのようなものが感じられない。経歴からして「大女優」の域のはずなのに、そう感じさせないのがもったいない気がした。例えば、三田佳子なんて、今はもちろん、「Wの悲劇」の頃から大女優(の雰囲気)だったではないか。

何が違うのか分からないが、とにかく、彼女にはカリスマ性が欠けており、それが残念だ。でも、「庶民的で親しみやすい」という点が魅力なのかも知れない。

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先日、記事の見出しに、小松政夫のギャグの謎とあって、思わず読んだ。今までは意識していなかったが、僕は志村やたけしなどよりも、彼(と伊東四朗)の方が好きだったことに気付いた。そして、晩年は(彼らしくない)つまらないことはせず、つまらない話も出ず、すっと消えるように(かといって、それなりの存在感はあった気がする)亡くなられたのは、さすがだと思った。そういうのを美学というのだろう。

読む前はその謎が何についてかは思い浮かばなかったが、とりあえず読みたくて読んだ。そして、あの「ニンドスハッカッカ」についてだったことが分かって、なかなかうれしかった(「なかなか」どころか「!!」って感じだったw)。更にうれしかったのは、筆者(放送作家とのこと)が本人に直接その発端を聞いてくれたことだった。普通は(この場合は、「いつか聞きたいと思っているうちにご本人が・・・」とかになる)分からず仕舞いになるところを(僕も最後に行くまでは、「あーあ、結局想像だけか・・・」と思って居た)、随分ありがたいことをしてくれた。

結局、謎の正体は驚かされるものではなかった(僕の小中学校の頃も似たようなことはあった)が、僕にとっても数十年来の謎(とは言っても、上に書いたようにずっと忘れていたが)が分かってうれしかった。

 

それにしても、彼も亡くなってしまったとは、夏八木勲以来のちょっと寂しい気分だった。

 

PS. 伊東の名前が出て来ず、「ベンジャミン伊東」で検索したらw、すごく臨場感のあるページがあったので、当時のことを知らない方が居るかも知れないので紹介する。僕も初めて知ることが多かった。

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