最高じゃん!

中学の頃からだろうか、僕は朝礼や全校集会、更に、入学式、卒業式、成人式、そして、会社の偉い奴が偉そうに御託を並べる集会がとにかく嫌いだった。というのは、そもそもその集会をする意味が分からず、(話がメインの場合)大抵、事前に内容は分からず、こっちの都合など関係なくて、必ずその時・その場所に行かなくてはならず(大抵、正当な理由なしに行かないと大変なことになる)、「万難を排して」行ったところで、詰まらない話を神妙な顔で聞き流さなくてはならないからだ。
小学校の朝礼では貧血になったこともあるし、そもそも、決められた順序・場所に並んで「前へならえ」、「気を付け」、「礼」、「休め」だのって、どういう意味があるのか、今となっては分からん。話なんて、今思い出すのは、その時の校長だのがでっち上げたトンデモなもの※ばかりだw 普通の(まともな)話は記憶にない。「あの時、あの人は*なんて いいこと言ってたよなあ」なんて、いい話なんてもちろんない。
※今すぐに思い出せるのは、小学校の校長が、冬の朝礼(もちろん、地面の凍りついた極寒の校庭で行われた)で「寒いから風邪をひくわけではない。そうだったら、南極基地の人はいつも風邪をひいている」とか言ってたことだ。であれば、なぜ風邪をひくかは忘れたが(気の緩み?= 精神論?!)、まあ、どっかで小耳に挟んだ話を誇張したんだろう・・・ が、そういう奴は冬でも暖房なしで半裸で居ろって気がする。
結局、特に意味もなく習慣で集会をするから、毎週だか毎日だかにそういう詰まらない話をこしらえなくちゃならないし、聞く方だって馬鹿らしいから、みんなに無駄なのだ。
その流れか、まあ面倒だったので、僕は成人式には出ていない。実家の市のも大学のあった市のもどちらも ばっくれた。だからいまだに大人になり切れていないのだろうか? (ってことはないが、中二病成分は多そうだwww)
そんなの、紙で(今ならメール、web、LINE、YouTubeだので)配ればお仕舞いだ。行く必要なんて全くない、無駄もいいところだ。そもそも、その偉い人の話に価値があるなら、紙など(要は文章や蓄積メディア)の方がずっと理解できるではないか。
そう言うと、「粗忽者は紙なんて読まないから、直接話す必要がある」とかいう話になるが、いやいや、そういう連中はその場に居たって、何も聞こえてないから同じだよ。本当にそう思うなら、各自と一対一で、完全にフリーな対談をしろよ。お前らにはそんな勇気も余裕もないだろうが!
まあ、そういう「儀式」をしたい人の言い分は分かっている。「人生の大切な区切り」だの、重要なことは生で話す・聞く必要があるとかだろう。でも、本当は、自分の「偉さ」を再確認したいだけなのではないかと、今思った。要は自己満足だ(そんなの、今だったらブログやYouTubeで充分だwww)。 だって、そういう話で役に立ったものって、まずないよ。
でもまあ、僕はきっと特殊なクチで、一般の人はやっぱりああいうの(臨場感とか?)の価値を理解しているのだろうと推測するが、今は、(会社の在宅勤務もそうだが、)僕とっては長年の夢が叶った、夢のような状態である(でも、それが活用できる状態でないのが残念だw)。みんな、今は幸せなんだぜ。
まあ、(日本は)そのうち元に戻るだろうから、本当に うたかたの夢だけどね。
PS. いや、本当にこういう集会の意味とか価値があるなら、是非教えて欲しい。「一体感の醸成」などの余計なものとか、「普段見ない人の顔が見られる」やすごい服や車をみせびらかすwなどの副次的なのは なしで。そういうのは別の会(パーティーとか、僕はまずそれも出ないがw)でやればいいと思う。
長々と書いたが、要は、僕は、大した理由・必然性がないのに、一方的に決められた時・場所に のこのこ歩いて行って、「ありがたい話」を一方的・強制的に聞かされるのがマジで面倒なのだ。