Archive for the ‘ノスタルジー’ Category

さっき眼鏡を掃除して(鼻のパッドを固定する金具のところがひどく汚れていた)、その画像をPCに取り込もうとしたら、「通信エラー」※になった。なんとなく、以前もなった気がする。記憶はないが、画像の枚数が増えるとこうなる気がしたので、画像が余り入っていないであろう古いSDで試したら問題なかったので、SD内のファイルをPCに移動して減らすことにした。それは全く問題なくできて、無事に取り込めるようになった。ちなみに、前回の整理(移動)は2015年6月だったので、次は2022年の後半だろうか。それまでカメラは持つだろうか?

※書いた後で気付いたが、これ、メッセージが全然正しくないではないか! 「通信」とあるから、最初はUSBコネクタの接触とかPCがおかしくなったかと思ったよ。まあ、内部的には、PCと通信(画像転送)する時は、転送の下請けに丸投げして、その中でファイル一覧を作る処理があって、そこで失敗したから「駄目でした」と返されるが、頼んだ人は「何か分かんないけど、失敗しやがったか。原因を調べるのも面倒だから、適当にエラーを出しておけば、こいつ(僕)は諦めるだろう」とか思って出しているのだろう。まあ仕方ないが、ちょっとムカつくw

使用量やファイル数や前回移動したファイルなどを調べたら、SDの使用量が8GBくらい(またはファイル数が3000個くらい)になると、この問題が起こるようだ。結果的に、このデジカメ(IXY Digital 3000IS)に8GB以上のSDカードは使えないことが分かった。今のカードは16GBなので、無駄な物を買ってしまった。まあ何年も前のことだから構わない。実際、画像数が多くなると、(PTPでの)PCへの取り込みの時にえらく時間が掛かる(ファイル一覧の作成か転送が遅い)ので、実用上は(6GBというのはないから)4GBくらいが最適そうだ。

そして、残っている昔からのSDのうち1枚(赤枠)を(小さくないなら使えるかなと思って、)ちらっと見て驚いた。

昔のSD

容量が32MB(GBではない)なのだ(上段のもそれに負けず、128とか512MBだ・・・)。すっかり忘れていたが、昔はこんなに小さいものを使っていたのだ。調べたらデジカメ添付のものも32MBだったので、これはその前のカメラ(IXY Digital 900ISか30かミノルタ?)の時に買ったのかも知れない。それにしても、こんな小さい容量に一体何枚入ったというのか、甚だ疑問だ。

書いた後で気付いたのだが、元々添付されていた32MBのSDカードはどこに行ったのだろうか? 松田優作になって母に聞きたい気分だがw、もうどうしようもないので良しとする。 (18:58)

そして、上に書いたように、今のデジカメの制限を知らずに16GBのカードを買ったのは無駄だったのが残念ではあるのだが、そもそも添付品が32MBだったのに16GBのものが使えているだけでも奇跡のような気がするし、当時は良くそんな大胆なことをしたものだw カードリーダーだって2004年に買ったものが未だに使えており、その頃(SmartMediaが現役の頃と思われる)に16GBなんてカードがあったかどうか怪しいから、もう一つの奇跡のような気がした。

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ちょっと思い付いて、(普段使わないから全然減ってないが、いざという時のため)モバイルバッテリーを充電しようと思ったら、なぜかケーブルが挿さらなかった。見ると、バッテリーの受け口はmicro B、使おうとしていたのはCだ。サイズは似ているが違う。大量のケーブルを放り込んでいる箱を探したが、普通の(A-B)以外はA-mini Bしかなかった。

更に探したら、缶コーヒーか何かの景品だったと思われる、しょぼいケーブル(長さが15cmくらいしかない)があった。一抹の不安はあったが、他にないのでそれで充電した。日本の飲料メーカーなら、景品だって簡単に発火するようなものは出さないだろうと期待した(でも、今は全然甘いかもね)。

それにしても、確かに整理はしたが、少しは残したはずだ。きっと、知らないうちに捨ててしまったのだろうと思い、仕方ないから買おうかと通販サイトを探したら、300円くらいのがあった※。ケーブルの他にB→micro Bの変換コネクタもあったので、それなら邪魔にならないし、安い(150円くらい)からポイント利用で0円で買えると思って決めたのだが、やっぱり物を増やしたくないので、もう一度探してみた。

※別件で100円ショップに行ったら、探していたmicro USBケーブルがいろいろあった。まさに灯台下暗しだ。たまに充電に使うくらいなので、わざわざいいものを買わなくても良さそうだ。ただ、さすがにB→micro Bの変換アダプタはなかった。あれはいかにも特殊だ。でも、あれば便利なのに、ほとんど売ってないのが不思議ではある。 (13:09)

すると、あった! 古いスマフォをまとめて入れておいた箱に入っていた。ケーブルをぐちゃぐちゃに入れている箱に一緒にすると壊れたり捨てたりするとか、使う時や手放す時に素早くまとまるので好都合だと思ってそうしたのだろうが、すっかり忘れていたw 何をどこにしまったかのメモをEvernoteなどに書いておくといいだろうが、毎回書くのはどうも面倒だ。

それにしても、まったく野放図にコネクタ(下記参照)を作り出して来た連中(USB-IF)に、「どうしてこんなに多いんだ?!」と小一時間問い詰めたい。

参考: USBコネクタの種類

  • Type-A, B
  • mini Type-A, B
  • micro Type-A, B
  • USB 3.0(SuperSpeed)のType-B, micro B
  • Type-C

余談: 今のところ合計9種類だ。一見、莫大ではないように思えるが、異なる種類間を繋げる要求があり、しかも、それぞれの端にはM(プラグ)/F(ジャック)の種類もあるので、そういう変換コネクタ・ケーブルの種類は膨大になる。どういう計算をすればバリエーションの数が出るのかは、僕には分からない。(9!)2だと恐ろしい数になるが、そこまでは行かないだろう、きっと。でも(9!)×2だって72万だし、(2×9)!なんてとてつもなさそうだ・・・ まあ、部品業界への需要を生み出すという点では役立っているのか?

(15:06) 余談その2: リストを見ると、今となっては余計とも思えるminiとSuperSpeed用のコネクタがなければ、いくらかはマシだったと思う(それでも5種類は多いが)。A, B, Cだけだったらベストだが、無理だっただろう。それにしても、すぐに廃れさせられてしまった(= 半ばobsoleteになった)miniやSuperSpeed用のコネクタを出したのは全く思慮に欠けていたとしか言いようがない。SuperSpeed用のBなんて、美しさのかけらもない。おそらく、携帯機器への対応や高速化で競合に負けたくなくて泥縄的に出したのだろう。

そして、Cは便利だけどやっぱり角度(回転)は合わせなければならない。そこで、半分冗談だが、更に楽にするために、イヤフォンプラグ・ジャックのように360°どの角度でも本当に「ただ挿せ」ばいいようにできないものかと思った。そのままやると、電気では一瞬ショートする可能性があるが、光なら全く問題ない。不可能ではなさそうだ。そうすると、将来は今しきりに除け者にされているイヤフォンジャックが復活することもあって、結局、「林檎は間違っていた」と言われるかも知れない。なんてことを考えて、ほくそえんでいるw

結局、賢そうな顔(見たことないがw)しているけど、全く先見の明がないバカだったと思う。コネクタだけじゃなく、仕様だってすごく増えたじゃないか。今は、外見はCでも中が違うから調べないとちゃんと使えないとかいうこともあるらしい。これでは、我田引水的な規格をドヤ顔ででっち上げては捨てる林檎社やMS(ソフト面)と似たようなものだ。だいたい、最初のコネクタ(A, B)からして、どうして、いつも逆に挿そうとして失敗してしまう(しかも、直そうとして反対にしても挿さらず、やっぱり最初が正しかったことすら多い)形をしているのかと思う。

実は、USB関係の仕事もしたことがあるのだが、その時はこんなことは全然思いもしなかった。「USBはいい・すごい! 是非広めよう」、「レガシー(シリアルなど)は古いから駄目」とかいう純朴な気持ちだけ(= 技術馬鹿)だったしw、そもそも、仕様で逆に挿さらないことを知っていたから注意していたし、開発の時はコネクタが見やすいところに機器を置くせいもあって、挿し間違いすることはまずなかった。が、やっぱりただ作るだけでは分からないことが多いものだ。

PS. そういう点では、例えば、Ethernet(*base-TX)のモジュラーコネクタ(RJ-45)はすごく優秀だ。確かに、初期のEthernetのコネクタは2-3種類あったが、10base-Tが出てからは何十年も同じものが使い続けられている。「ギガビットだからコネクタが違う」ってことはない(と書いたら、実は違うコネクタもあるし、高速なものは中のケーブルの本数や品質が違うことはあるが、一般人が使うものは大体同じだ)。固定電話のコネクタも同様だ(そろそろ固定電話自体がなくなってしまうがw)。そもそも、例えケーブルが違ったって、上下(裏表)の向きを間違えて挿さらないことがまずないだけでもありがたい(しかも、C以外のUSBと違ってケーブルの方向(A/B)もないから、合計で4倍?ありがたい)。

あの系統(RJコネクタ)はちゃんと考えられたのだろうか? コンシューマ系と違って通信系の人は(頭が)堅い(無駄かも知れないのに何十年も先のことまで考える)から、いろいろ考えたのが(これについては)良かったかも知れないな。ちょっとかっこ悪いけど、USBだってあれにすれば良かったのに・・・

そして、「USBが出たばかりの頃は、分からないことが多かったからああなった」とは言えない。そのずっと前からRJコネクタはあったのだから。そういう経験を軽んじた業界が馬鹿だったのだ。

まあ、将来は無線になって、こういうつまらないイライラはなくなってほしい(実は、USBは昔無線の規格を出したが、なぜか失敗している。次は別の団体が別の規格でやればいいだろう。同じことの繰り返しかも知れないがw)。

PS2. USB-IFはカスだが、それよりも更にカスなのは、某国の国営だった電話会社だ。USではとっくにRJコネクタを電話機に使っていた(らしい)頃でも、延々とバラ線でネジ止めしていて、それをやるには資格が要るから、「お前らは勝手にやるな!」、「勝手な電話機も許さん!!」とのたまわっていたのだから。外圧に負けてようやくモジュラージャックを認めた頃が懐かしい。

それ以外にも、さまざまな役に立つのかどうか不明な独自規格を制定していたようで(これが「ガラパゴス化」の発端の一つかも)、ある時、現場の経験が少ない人が、特殊な工具がないと電話線を端子に接続(挿入)することらできないのを知らずに現場に行ったら大変慌てたが、偶然、古参の人が持っていて助かったという話があるかも知れないし、ないかも知れないw

PS3. とはいえ、「つまらないことでこんな長い文章を書く気力があるなら、その時間で『どこに何があるかリスト』でも書けっ」てのはごもっともですw

そして、つい、スマフォやバーコードとかでリスト作成を自動化したくなってしまうという技術馬鹿精神が出て来ると(爆)

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全くの個人的な思いである。

岡村は嫌いじゃないけど特別好きでもない(ある意味、槇原敬之に似た立ち位置かも知れない)のだが、なぜか何度か書いている。そして、Spotifyで、有名な「夢をあきらめないで」なんかが掛かると、つい聴いてしまう。そのうえ、アルバムのジャケット写真なんて、いかにも良くある(自意識過剰な女性の)パターンなのに、つい見入ってしまうw 見ながらつい、「このクソがー!」(ひどい意味じゃなく、猫に対してと同様)とか思ってしまう。

「夢を―」は、本人がいかにも「素直ないい人」そうな感じがたっぷりで、つい元気付けられてしまうw (聴きながら感じたのだが、実際には、自分を元気付ける歌だったのかも知れない。詳しくないので全くの想像である) 細かいところだと、時々入るおかずのようなドラム(金属的な音。スネア?)も「いかにも」なのだが、不思議ななごみ感があっていい感じだ。

この、「いかにも」ばかりなのに反感を持たせないところはさすがだと思う。本人の能力とか魅力(やっぱり、人徳?)なのだろうか。全く末恐ろしいw

検索してみると、年齢的には僕の姉におかしくない感じで、もし姉が居たらこんな感じなのかと思った(と、前に書いた気もするが定かではない)。本当はもっと色っぽい姉に憧れるが、いろいろと差し障りがありそうだw そして、余計なことだが、想像にしても、姉は五輪真弓や高橋真梨子や中村あゆみや渡辺美里ではなさそうだ。あ、岡村とは全然違うだろうけど、渡辺真知子もいいなあ。って、話が逸れてしまったよw

PS. いろいろな人を出したが、「理想の姉」で検索したってかすりもしないw それはそうだ。一体いつの話してんだってことだ。

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この投稿は、それぞれのアーティストのファンの方には怒り心頭かと思われますが、素人がSpotifyでちょっと聴いただけの素朴な感想なので、ご容赦を。

チューリップが理解できない

彼らがどういうグループなのか分からない。彼らの歌の内容と、実体・実態が乖離しているように思えるのだ。「心の旅」(1973)の歌の加工された声(僕は、詞の内容からすれば、自然な声の方が適切だと思う)とか、"We believe in Magic Vol.2"(1997)などの変なジャケット(特に、あの変な人は何者?)は、いったい何を意味しているのだろうか? 謎が多いグループだ。

サーカスとハイ・ファイ・セットの識別方法?

これらのグループはイメージが似ていて、どうやって区別すればいいのだろうか、あるいは、それぞれの方向性に違いがあるとすれば、どういうものなのだろうと思う。他にももう一つ似たようなグループが居たような気がするが、それすら思い出せない。

同様に、1980年前後の渡辺真知子、庄野真代、久保田早紀らも区別が難しい。ただ、実際には渡辺真知子は区別できて、他にもう一人居た気がするのだが、そちらが思い出せない(桑江知子だったか)。

他に、高1の時の英語の先生(新卒だった)が自己紹介で好きだと言っていたグループがチューリップだったかオフコースだったのか、今となっては謎になっている(当時からその辺りの音楽には興味がなかったので、グループ名を聞いた途端に「ミーハーな奴だ」とがっかりしたのと、上と同様、それらの区別が若干難しいせいである)。ただ、先生はお嬢様的(というか、「女子大生」の方が合っていそうだ)な雰囲気だったので、おそらく、オフコースのような気がする(と書く程度には、違いを認識しているような気がしている)。

岡村孝子はどれも同じ?

Spotifyで掛かるのを聴く限り、どの曲も(ジャケット写真も!)とても清楚かつ素直な感じなのはいいのだが、それ以外はあるのだろうかと思う。どうもワンパターンで、飽きてしまうのだ。もし彼女の歌に、中島みゆきのように悪い歌とか戸川純のように変な歌、あるいは、藤圭子のようにドロドロに暗い歌があるとしたら、是非聴いてみたい気はするw (まあ、「待つわ」なんて、暗いといえばかなり暗いので、ありそうだ)

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森高の1989年の歌。僕は今まで誤解していたが、さっきSpotifyで聴きながら気付いた。

今までの僕の想像では、これは、あまりもてない、いわゆる普通の若いOLが、あこがれの人(同じ会社のちょっと年上の人)に向けて言うような感じで、いかにも微笑ましくて共感を生むので、当時のファン(オタク?)も、「なんか自分にも可能性があるかな」と思える歌だと思っていた。が、全然違うのだ。

これは、いかにもモテる(当時の)森高のような女性()が、目当てのイケメンに言っているのだけど、彼もすごくモテるからなかなか取り合ってくれないという、バブル期に良くあった過酷な競争を歌ったものなのだ。だからオタクなんて全く目も掛けてもらえず、夢もへったくれもないのだ。がっかりしたかい?

ハハハ。

 

PS. 確認のために検索したら、近年の本人がカバーしたPVの画像が出て来て、(一応PVも観たけど、)それが余りにものどかで、いかにも可愛いおばさんなので笑ってしまった。いや、こういうおばさんも大好きだけどw、上に書いたような歌の背景(僕の想像)からすれば、全く場違いではないか。

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仕事用サイト(サーバ)をいじるのが一段落したので(それが目的じゃないのは分かっているが・・・w)、天気が良くて暖かいせいもあり、気分転換にちょっとドライブに行くことにした。例によってなかなか行き先が決まらなかった。考えていたら、今の季節から、ちょっと紅葉が観たくなった。参考までに書くと、以下のような候補が出た。

  • △ つくば: 特にあてがない。
  • △- 筑波山: 紅葉?
  • △ 日光だいや川公園: 紅葉
  • 道の駅: どこに?
  • △- みかも山: 今は何もない。
  • △- 天平の丘公園: 今は何もさそう。
  • △- 古峯神社: 紅葉 (混みそう)
  • △ 大笹牧場: 紅葉?
  • △ 石岡 吾国山 (フルーツライン, 道祖神峠): 紅葉?

紅葉は良さそうだったが、綺麗なところは混みそうなので敬遠した。あと、北の方は山が多くて暗そうな感じがしたので、今日は止めた。最後の吾国山は、地図を見ていて筑波山の近くなので思い付いたように思う。

そして、その山にある「道祖神峠」という名前が目に入ったら、ある黒歴史を思い出した。大学生になり車を手に入れたばかりの頃(20歳くらい?)、ある夜、友人たちと山に走りに行くことになった。複数台で行ったのだが、当然のように僕も車を出し、何人かを乗せた。で、その峠の、ある下りの右カーブで怖い目に遭った。当時は馬鹿だったので、なるべくブレーキを踏まずに、とにかくスピード出すのがかっこいいと思っていた。当時の車(サニー)が非力だったので、一旦スピードが落ちると回復しにくいせいもあったが、単なる馬鹿だった。物理法則に反するので無理があるのだが、当時はそういうことは考えなかった(そういう法則が実生活に繋がっている実感がなかった気がする)。まあ、「竹槍戦法」だ。気合でカーブが曲がれたら、誰も苦労しない。

そのカーブも、いつものように(気合で)抜けようとしたら、ハンドルがくるくる回って(制御できなくなって)しまった。すごく危ないところだったが、反射的にブレーキを踏んだらグリップが回復してくれたので、今もこうして生きている。

僕はもちろんだが、乗っていた友人たちはさぞかし肝を冷やしたことだろう。しかも、その時はシガーソケットに入れるFM送信機と車のラジオでトランシーバーみたいなことをしていたので、その時の車内の状況(阿鼻叫喚?)が一緒に行ったもう一台の車に筒抜けだったw 今だったらアホのニコ生とかYouTuberみたいなものだろうか。全く情けない。気のせいか、それ以降は走りの誘いが少なくなったかも知れない。

そんな訳で、再びそこに行くのは嫌な気がしたのだが、今は当時ほど馬鹿ではないので、「普通に」走れば問題ないと考えた。紅葉が観られそうな気もしたので、行きたくなった。それで、13時頃出発した。

道は空いていて気持ち良かったが、いつものように眠気とトイレに耐えるのが大変だった。14:30頃、笠間の7-11で休んだ。その時、ふと自衛官募集のポスターが目に入ったのだが、何とも嘆かわしい気分になった。はやりとはいえ、こういうちゃらちゃらしたポスターにひかれて入る人がもし居たとしたら、ちゃんと戦えるのかと心配になった。大体、自衛隊にこんな子は居ないだろうし、こんなに楽しくもないだろうに・・・ まあ、今は災害派遣とかが多いから、戦わなくてもいいのかも知れないし、入れば鍛えられるのかも知れない。

出る時は天気が良かったのだが、この辺りでは曇って来た。いつものように、全般的に(店の中とか道とか車とか)のどかで良かった。とても眠かったが、いつの間にか距離が稼げていて、問題の峠まではあと10kmくらいだった。

少し走ったら山道になり、ほどなく(7-11から15-20分くらい)峠(鞍点というのか?)を通過した。その少しあとに、問題の急カーブらしきところがあった。35年くらい前に走ったところだが、曲がり方が何となく記憶にあった。でも、今日は至って普通に走ったので、何も問題はなかった。それにしても、今の車はすごく性能が良くて、当時のようにアクセルを踏みっぱなしにしたり、低速ギアに入れっぱなしにしなくても(実際には、今でも、低速ギアに入れて回転を高目にして走るのは小気味いいw)普通にスピードが出て、ギアもスコっと入り、軽い車体が思ったように曲がって大変快適だった。

残念ながら、期待していた紅葉はほとんどなかった。こっちより南で暖かいせいだろうか。生えていた木の種類も関係あるのだろう。山を降りたら、ナビの「自宅」ボタンを押してそのまま帰路に就いた。帰りは高速を使った。

16時頃、無事に帰宅した。全く危ないことはなく、気持ちよく走れた。そろそろバッテリーが危ないかと心配していたが、いつものように車は快調だった。走行距離は53000kmくらいで、普段は全く乗らなくなったので(可能な限り、徒歩で済ませる)、当然ながら余り増えない。

約113km、3時間。

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このブログもそうだが、仕事サイトのカスタマイズにHTMLやCSSいじりをすることがある。元々それら(特にCSS)をちゃんと知らないうえに、どちらもどんどん進化しているので、基本的には、初心者用のガイドを検索しながらテキトーにやっているのだが、その時、もう「遺物」としかいいようのない(でも、まだ使っている人は居るようだ)技術で遊んだ経験が活きるというか、そういう頭があるせいか、比較的スムーズにいじれている。

それは、TeXやLaTeX(以下、TeXと総称する)という組版システム(大昔のDTP)である。社会人になりたての頃、当時の先輩や大学の同級生が「いい」というので使ってみた。僕は当時から(今でも)Macのような(今で言えば)普通(WYSIWYG)のものが好きで、そういう面倒なの(全部テキストで書き・フォーマットし、出来上がりの状態はコンパイルのようなことをしないと見られなかった。今でも、なぜか、その系統のものがマークダウンなどで生きている)は嫌で、友人と激論したりしたのだが、フリーソフトで手軽に手に入り、好奇心でちょっと自分のワークステーションにインストールしてみたら意外に簡単に動いてしまい、マニュアルを見ながらちょっと文書を作ってみたら、(フォントなどが)意外に綺麗にでき、なぜか、使っていないレーザープリンタがあって専用に使えたので、はまってしまった。プログラミングが好きなので、文書とプログラムが渾然一体とするようなところが良かったのだろうか。そして、Macでやれば一瞬でできることにでも四苦八苦しながら使い、会社の提出文書(TeXでフォーマットを作った)や職場の旅行の案内のようなおよそ無理があるものにも使っていた。当時は随分余裕のある社会・会社だったようだw

でも、悠長なだけでなくてメリットもあった。例えば、出張旅費申請のような提出文書は、一度フォーマットを作っておけば、あとはそれに記入するデータ(数値や文字列)だけをを別ファイルに記入して「コンパイル」すれば、自動的に整形された文書が出来上がるのが便利だった。当時の書式は「Excel方眼紙」だったか不明だが(当時のことだから、基本は紙に手書きだったかも)、決まった欄にいちいちマウスを入れて数字や文字を打ち込む手間が省けたのだ。旅費のように、自分で計算して記入するものが自動でできたのも良かった。その好みは今でも続いていて、PHPだとそれ以上のことができる。PHPはTeXと違って、HTMLと本物のプログラムが本当に渾然一体に書けて更に使い勝手がいいから、僕は大好きだ。

随分長くなったが、昔話はこれくらいにして本題を書くと、CSSやHTMLの概念にTeXの概念が共通しているのだ。そもそもHTMLはTeXの系統(マークアップ言語)だから当然なのだろうけど。例えば、<b>や<i>のような文字スタイルの指定や、<span>や<div>といったブロックの概念や、特殊文字は&amp;のように記号で書かなくてはいけないなどである。あと、TeXでもスタイル指定を別ファイル(HTMLならCSS)として取り込むことも同じだ。だから、HTMLなどは詳しくないが、何かをしたい時に、「そのための書き方」は何かを探すことが多い。その概念(基本的なやり方)が分かっているので、普通の人のように「なんか分からないけど、とりあえず丸コピーするか・・・」ということは少ない。

そして話は戻るが、これを書く時に思ったのは、「2つの要素を左右両端に配置する時、それらを全幅を占める大きな要素の中に入れて、その間にバネのような要素(フィラーというのか)を入れる」という概念である。左揃えと右揃えの要素を並べる手もあるが、こういう手もある。「バネ」は、「空いたスペースいっぱいに広がる」という機能を持つ。家庭用品なら、突っ張り棒みたいなものか。今の人は「はぁ?」としか言えないと思うが、古代人はそういう風に考えるのだ。肝心のHTMLやCSSでそういう機能を何というかは分からないwが、きっとそうすればいいと思って、これを書く気になった。

なぜこんなことを思ったかというと、このブログのヘッダの副題の右端に別な文章(某悪徳協会を排除するもの)を入れたくなったのだ。

と随分引っ張って、ようやくオチを書きましたw

 

PS. ただ、正直言って、出鱈目な利権・守銭奴団体のために、ブログを汚なくして、自分はもちろん大多数の人の目を汚すのは嫌だから、彼らへの反撃はしたいが、多分しないと思う。 (13:05)

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昨日、久し振りにコンサートに行った。場所は文京シビックホールで、目当てはルガンスキーのラフマニノフのピアノ協奏曲 第2番だ。これは、確か数か月前に久し振りにコンサート情報を探したら、運良く見つかったものだ。チケットを受け取った時は随分先だと思っていたのだが、いつの間にかその日が来た。

最初に一つ文句を書く。この公演、本来はテミルカーノフの指揮だったのに、直前(11/9)にメールでアレクセーエフへの変更の連絡が来た。健康上の理由だそうだ。実は、その少し前に、ルガンスキーのFBに今後の公演案内が書かれていて、そこにそんなことが書かれていたのだが、海外の話で、日本には(その頃には回復して)来るだろうと思っていたのだが、日本も駄目と知ってちょっとがっかりした。そして、案内のメールには

なお、指揮者の変更に伴うチケット代の払戻し、曲目の変更はございません。

と、実にさらっと何の詫びもなく書いてあったので、結構ムカついた。というのは、当初は(かなり有名な)テミルカーノフの指揮をうたっていて(チケットにも一行目に「ユーリ・テミルカーノフ指揮」と書いてある)、僕も「すごそうだ」と思っていたのに、それがなくなったのだから、結構重要な変更だ。それでも払戻しなしというのは、結構高飛車だと思った。

実際には、僕はテミルカーノフのファンなどではなくて(名前しか知らない)、ルガンスキーさえ来れば問題ないから、キャンセルする気はまったくなくて実害はないのだが、「テミルカーノフだから行こう」と思った人も多かったのではないだろうか。だから、主催者(文京アカデミー)は誠実さに欠けると感じた(この対応は、実際には、他の公演を仕切るジャパンアーツに揃えたのだろうか?)。例えれば、今問題になっている検査偽装みたいなもので、「(規格には余裕があって、)最終的な品質に問題はないから(お前らには違いが分からないから)、気にするな」っていう態度に感じた。人を馬鹿にしてるよ。あと、帰ってから、プログラムに交代後の指揮者の名前とプロフィールが書いてあるのに気付き、怪訝に思った。急遽作り直したのか、前から分かっていた「確信犯」なのか。まあそれはいいけど。(この件、昨日まではそんなに気にしていなかったのだが、書いていたら怒りが高まってしまった。良くないね。。。)

もう一つがっかりしたのは、彼のFBに、日本の後に周るところでは、僕が大好きで、今回も「こっちだったらなあ」と思っていた、ラフマニノフのピアノ協奏曲 第3番を弾くこと書いてあったことだが、それは仕方ない。それぞれの国での人気に合わせたり(実際にはプロモーターの要望なのかも)、彼の考えや熟度があるのだろう。それに、第2番だって好きだ。

つまらないことはここまでにする。

演奏の感想を書くと、題に書いた、「超最高!」に尽きる。

これだけでは、行かなかった人はさっぱり分からず、あまりおもしろくないので、その他に感じたことをちょっと書く。

まず、イントロの和音で、いい演奏になることを確信した。想像だが、あれを弾き出すのは本当に恐ろしいと思う。

彼のピアノは、音が綺麗かつパワフルで、演奏のテンポやタイミングなどすべてのポイントが僕のツボにはまっていたので、聴いていて気持ち良かった(だから好きなのだろう)。うまい表現ができないのだが、「突き抜けるような演奏」というのだろうか。鋭く硬い透明な剣で天井を突きぬくような感じか。聴いていて、こっちまで天井を突き抜けられる気がした。一方、パワフルではあるのだが、マツーエフらのようにやり過ぎないところが重要だ。それから、コンサートではたまにあることだが、(演奏や音に関して)聴いていてがっかりすること(ひどい場合は、即座に帰りたくなることがある)が全くなかった。オケもそうだ。だから、すごく僕の好みに合っていたと思う。

帰りの新幹線で「復習に」同じ曲を彼のアルバムで聴いて(何杯でも行けます!)分かったのだが、アルバムはロマンチック寄りだが、昨日の演奏はパワー寄りだったと思う。僕は昨日の方が好きだ。

ただ、意外にも、最後(・途中でもたま)にオケに負けて、ピアノの音が聞こえないことがあった。あのパワーを持ってしても負けるほどオケが強力なのか、座った位置(今回は、中央だが少し後ろだった)の問題なのか分からない。ただ、今までもそういうことはあったので、ピアノが負けてしまったように思う。でも、そこは指揮者が調整して欲しいと今は思う。が、生でやっていると調整が難しいだろうし、指揮者の位置からホールでの聞こえ方を知るのは難しそうだ。特に、現地で余りリハをやっていなければ、分からないだろう。

あと、(確証はないが)最後でほんのわずかに乱れた(ズレた?)かなと感じた。でも、難なく乗り切っていた。

それから、彼が弾く姿を見るのは初めてだったのだが、弾き方(動き)が意外に派手だった(ユジャ・ワン的)。それだけは予想外で、何となく良くなかった。でも、手の動きがしゅっとしていてかっこいいとは思う。

いずれにしても、気持ち良かった! すごく乗れて、以前のフェドロヴァの時のように身体を激しく動かしたかった(でも、周りに迷惑なので抑えた)。余りにも集中し・乗ったので、終わったらどっと疲れが出た。。。

曲自体に関しては、僕はラフマニノフのピアノ協奏曲は第3番が一番好きなのだが、気持ち良さの点では第2番かも知れないと気付いた。第3番は複雑でテクニカルでおもしろいし(その分、弾き手を選ぶ)、第2番より知名度が低いから、どちらかと言えばマニア的に好きなのだが、第2番は第3番よりストレートで、よりパワーが感じられると思う。あとは、イントロの和音のピアノソロはかっこいいし好きだし、その後の重々しいオケの音も好きだ。だから、コンサートなら第2番も全然悪くないと思った。

感想は以上。と書くと、一部から「何か忘れてませんか?」と言われそうだw つまり、本来のメインの、交響曲だ。チャイコフスキーの第5番だった。以上w では良くないので、ほんの少し感想を書くと、正直言って、全然分からなかった。冒頭からの「木管の曲」という印象と、ドボルザークの雰囲気を少し感じた程度だ。初めて聴くせいもあるが、そもそも交響曲は好きじゃないので、「みんな、よく我慢して聴いていられるなぁ」とさえ思い、寝るか帰るかしたくなった。クラシックを敬遠する人が良く思うことと一緒だ。だから、僕は「クラシック音楽」が好きな訳ではなくて、「好きな(乗れる・楽しい・グッと来る・泣けるなど)音楽」が好きなのだと思う。それはともかく、あのオケは大きい音は迫力あるし、小さい音も綺麗だったのがいいと思う。

アンコールの曲(名前不明)は綺麗だった。上にも書いたように、あのオケはパワーはすごいけれど、案外、静かな曲の方がいいかも知れない。ちなみに、フェドロヴァの時同様、協奏曲の後にルガンスキーがアンコールを弾いた。やっぱり曲名は分からなかった。おそらく、ラフマニノフかと思う。綺麗な曲だったが、やっぱり得意ではない。

 

以下、余談を延々と列挙する。

  • チケットはA席で13000円だった。近頃はコンビニで受け取れるから便利なのだが、システム使用料だの発券手数料だのが掛かるのが、どうも腑に落ちない。特に、前者は何だと思う。昔はぴあなどで買う時、ぴあを使うお金は掛からず、振り込み手数料と送料だけだったのに。券を買う人に渡せるようにするまでが主催者の仕事の気がするが・・・
  • 駅まで歩いたのだが、途中の公園には七五三らしい家族が沢山居て撮影に余念がなかった。銀杏も綺麗で臭かったw
  • 公園にはスケボーのガキが数人居た。板で馬鹿みたいにうるさく音をたてなければ、「ガキ」と敵扱いされずに済むものを・・・ まあ、あれが自己表現と思っているのか、自慢か何かにしたいのだろう。
  • 新幹線はいつものように快適だった。余りにも楽なので、もし「自家用新幹線」があれば、車代わりに欲しいと思ったw
  • 今回、ようやく、20年くらい前から残っていたUSドルのTCと紙幣を両替できた。それぞれ、約21000円と1300円になった。おもしろかったのは、5ドル札1枚が鑑定NGで戻って来たことだ。窓口の人が何回も根気良く試してくれたのだが、駄目だった。よく、海外の紙幣の品質は日本ほどでないと聞くが、それなのかも知れない。あるいは本当に偽札?? いずれにしても、記念品になった。
  • 両替は東京駅のトラベレックスに行ったのだが、予想外に部屋が小さく、客の入るスペースは4畳くらいだった(銀行みたいなのをイメージしていた)。そのせいか、場所が分からずうろうろしてしまった。近くの外国人用の案内所(?)の中かと思って行ったら、前に居たそこの人が教えてくれた。
  • 最初の会社や2番目の会社の時に良く乗っていたので、丸ノ内線はすごく懐かしかった。みんな「都会の人」だったw 他人に関心を持たない(実際にはそうでもないのだが)乾いた雰囲気があって、そういうのは結構好きだ。
  • 懐かしいと言えば、ホールの辺りは2番目の会社の近くでよく歩いたので、やっぱり懐かしかった。
  • 丸ノ内線で、斜め前に「実質ガッキー」(椎木里佳)みたいな人が居た(口紅の感じが似ていた)。なぜかつまらなそうな顔をしていた。本人ではないだろうが、やっぱり都会だなあと思ったw
  • ステージが意外に小さく感じたが、遠かったせいだろうか。オケの人は普通に多かった。
  • 券を買う時、ステージ真ん前の一番いい席が全部対象外になっていて取れなかったのだが、どうも、このホールの友の会のようなものが占めていた気がする。そういう盲点があったようだ。
  • 今回は、珍しく、最初に小さい曲をやらずにいきなり協奏曲だった。案内にも書いてなかったが、書いてなくてもやる場合が多いから、珍しかった。オケはウォーミングアップが難しそうだw
  • オケに、袖なしの衣装で妙に色っぽい(ユジャ・ワン的だった)女性(バイオリン?)が数人居た。チャイコの時は、そういうところに目が行ったw
  • ホールに、昔使われていたピアノが展示してあった。照明対応なのか、つや消しだったのが興味深かった。そのフレームにゼルキンのサインがあった(他にも有名な人が数人書いていた)。日付が1960年なので驚いた。そんなに昔の人だったのか。確かに、案内には大正生まれと書いてあったが、意外だ。
  • ちょっとうるさいことを言えば、そのピアノは、飾られて人生終わりじゃなくて、どこかの学校などに寄付して、ずっと使って貰えれば幸せだろうにと、今思う。
  • 例によって、演奏中にしゃべる馬鹿と紙やビニル袋をガサガサさせる馬鹿が居た。十回くらい死んで欲しい!
  • 演奏が終わって、拍手が終わらないのに帰る馬鹿(隣もそうだった)が多かった。そんなに時間が惜しいなら、(来なくていいから)家で聴けばいいのに!
  • それどころか、小さい鈴をちゃりちゃり鳴らして帰っていた、とんでもない馬鹿も居た。僕の母もそうなのだが、高齢者が財布や携帯に付けているのだろう。本当に自分が見えていないし、常識の更新もしていない・・・
  • ホールは構造が複雑なのに案内板がほとんどなくて不便だった。トイレやクロークがどこにあるのか、どっちに行ったらいいのか、全然分からなかった。自分の席の入り口すら分からず、室内をぐるっと回った。建物や室内は綺麗だが、もう行きたくない。やっぱり、普通のホールの方が良さそうだ。
  • コンサートが終わって余りにも疲れていたので、お腹が空いていたものの、食べる気にならず、そのまま帰ることにした。
  • 広告(パンフ)の枚数が多過ぎて暴力的だった。1cmくらいあったと思う。持ち帰りたくないので、帰る時に目ぼしいもの以外は捨てて来た。こっちのことは考えてないのかな・・・
  • パンフ選びで時間が掛かり、疲れたし面倒なので、アンケートは出さなかった。後でwebで書ければいいのにと思った。そういう点では、お役所由来だから遅れているのかも知れない。
  • 帰りの東京駅の新幹線の待合室はほぼ満員だったが、タイミング良く座れた。
  • 食欲はなかったものの、やっぱりお腹が空いたので、いざという時のために持って行った、レーズンサンドで食いつないだ。暑さのせいか、クリームが溶けていた。
  • 待合室で、なぜか、昔のポップス(曲名が分からない)が聴きたくなった。「エブリバディ ウォンツ ラブ」とか「―ルールザワールド」みたいな節があり、ギターのキラキラした曲。 → Tears For Fearsの"Everybody Wants To Rule The World"(1985)だった。Spotifyに単語を打ち込んだら出て来た。便利だ。
  • 待合室で斜め前に座って居た、医療関係の女性二人の話す様子が明るくて楽しそうだった。何となく、大学の先生と学生で、学会に出た帰りのようだった。不思議なことに、その二人は前にもそこで見た気がする。が、そういう人は多そうだ。
  • 上に書いたように、帰りの新幹線で、「復習」に同じ演奏者の同じ曲を聴いたのだが、周りを気にせず乗れるから良かった。
  • 新幹線の隣はおばさん(といっても、僕より十歳くら若そうだった)二人がのどかで良かった。うるさくしゃべることもせず、のんきに弁当を食べていていい雰囲気だった。いかにもラフマニノフなんて知らなそう(でも、曲を聞かせると、「フィギュアの曲ですねー」とか言いそう)なのだが、実際には、「私、好きなんです!」とか「(昔やってて、)ちょっと弾けます」とか言われて驚かされそうなフシもあって、油断できないw
  • 結局、帰りの新幹線では、オケも指揮者も思い出せなかった。ルガンスキーさえ居ればいいのだw
  • Spotifyのアプリにシャフル再生のボタンがデカデカと出るようになってしまって、不便だ。ログインしてないせいかと思ったが、そうではない。設定があるのだろうか。改悪されてしまったのか。。。
  • GPSロガーアプリで経路を記録したら直線でまったくおもしろくなかったが、最高スピードは244km/hだった。さすがにすごい。昔、Nexus 4では速過ぎるせいか記録できなかったが、AQUOSは大丈夫だ。
  • 宇都宮駅に着いても、やっぱり食べるのが面倒だった(家でゆっくりビールが飲みたかった)ので、食べずにバスで帰ってきた。
  • 駅では、バカが、楽器を使って、全く音楽性のない「何か」をやっていて耳障りだった。あれは音楽でも演奏でもないと信じたい。
  • バスケの試合があったようで、珍しく駅がごった返していた。朝も人が多かった。
  • 20:30頃、無事に帰宅した。ピアノの調律の時にステージを撮影して注意された(何となく嫌な予感はしたのだが・・・)くらいしか、忘れ物や失敗はなかった。こんなことは滅多にない。
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近年、どういうきっかけなのか、(昔は洋楽ロック一辺倒だったのに)ジャンルに関係なく音楽が好きになったのを実感する(でも、嫌いなのは嫌だ)。

例えば、ときどき、(いや、ごくたまに、)「川の流れのように」(1989)が聴きたくなる。今日も、前の投稿をしたあとで聴いた。聴くと、どうしても、美空がこれを歌った時の心境を想像してしまって、何とも言えない気分になる。もちろん、これが本当に最後の録音だったのか、その時の体調がどうたったかなんて知らないから、単なる想像だが。

やっぱり、詞がいい。作詞したのは最低最悪な奴なのだが、そこは、持論の、「成果に作者の性格だの行動だの思想は関係ない」が正しいことが証明されていて、喜んでいいのか悪いのか・・・

いずれにしても、本当にいい歌だと思う。

 

PS. 他に今日聴いた曲では、石川さゆりの「津軽海峡・冬景色」(1977)なんて、冗談じゃなく格好良くてグッと来る。歌った当時は10代だったようだが、(当時TVで観たはずだが、彼女にそんな若い時があったなんて)なんとも信じられない。でも、写真を見る限り、彼女はいい歳を取っているように思う。

あと、今掛かった、研ナオコの歌もいい。例えば、「夏をあきらめて」(1982)なんて、いいとしか言えない。当時はサザンともども馬鹿にしてたけど、もったいないことだった・・・ でも、サザンは今でも好きじゃないw

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さっき、Spotifyを聴きながら思った。

子どもの頃、桜田淳子が好きだったから(さして大きな理由はなかった。今となってはひどい話だが、妹たちと、桜田、山口百恵、ピンク・レディーを「割り当て」みたいにしていたw)、曲が掛かると懐かしいのだが、今となっては、山口(残念ながら、まだSpotifyには入ってない)はもちろん、当時は邪道だと思っていたピンク・レディーよりも聴きたくない存在になっているので、「嫌い」にして(Removeボタンを押して)掛からないようにすらしている。なぜなのだろう? 歌が今一つだったせいなのだろうか。

作曲家や作詞家は知らないが※、今聴くと、ピンク・レディーの方がずっといい感じだ。ポップな歌もいいけど、音作りがいい。桜田の歌はひたすら暗い印象しかしない。しかも、中身(歌詞)が背伸びしているから聴いていて恥ずかしい気分になる。そこが駄目なのだろう。似たような立場の人としては、男だが西城秀樹が居る。好きではなかったが、年上の女性との話が多くて、今聴くと恥ずかしい。でも、郷も野口も別なところで気恥ずかしいのは一緒だw

※桜田とピンク・レディーの初期のヒット曲の作曲家と作詞家を調べたら、さすがに当時の有力アイドルだっただけあって、作詞はどちらも阿久悠だった。作曲は、桜田は中村泰士、ピンク・レディーは都倉俊一だった。中村と都倉の作風の違いなど知らないが、そういうものもあったのだろうか。あとはアレンジや演奏・音作りの違いは大きいだろう。ピンク・レディーは、当時の最先端(言い過ぎ?)の楽器を使っていたイメージがあるが、桜田は・・・。レコード会社はどちらもビクターだったと思うが、事務所の意向(売り方)があったのか。

逆の立場の人には尾崎豊が居る。当時は全然関心がなかったし、馬鹿にして聴かなかったが、今聴くと捨てたものではない。内容的には「黒歴史」そのものなのだがw、背伸びしてないからだろうか? (調べたら、意外にも、彼は僕の一つ下だった。まだ生きてたら、どんなことをしているのだろうか? 興味あるところだ)

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