Archive for the ‘ノスタルジー’ Category

さっき眼鏡を掃除して(鼻のパッドを固定する金具のところがひどく汚れていた)、その画像をPCに取り込もうとしたら、「通信エラー」※になった。なんとなく、以前もなった気がする。記憶はないが、画像の枚数が増えるとこうなる気がしたので、画像が余り入っていないであろう古いSDで試したら問題なかったので、SD内のファイルをPCに移動して減らすことにした。それは全く問題なくできて、無事に取り込めるようになった。ちなみに、前回の整理(移動)は2015年6月だったので、次は2022年の後半だろうか。それまでカメラは持つだろうか?

※書いた後で気付いたが、これ、メッセージが全然正しくないではないか! 「通信」とあるから、最初はUSBコネクタの接触とかPCがおかしくなったかと思ったよ。まあ、内部的には、PCと通信(画像転送)する時は、転送の下請けに丸投げして、その中でファイル一覧を作る処理があって、そこで失敗したから「駄目でした」と返されるが、頼んだ人は「何か分かんないけど、失敗しやがったか。原因を調べるのも面倒だから、適当にエラーを出しておけば、こいつ(僕)は諦めるだろう」とか思って出しているのだろう。まあ仕方ないが、ちょっとムカつくw

使用量やファイル数や前回移動したファイルなどを調べたら、SDの使用量が8GBくらい(またはファイル数が3000個くらい)になると、この問題が起こるようだ。結果的に、このデジカメ(IXY Digital 3000IS)に8GB以上のSDカードは使えないことが分かった。今のカードは16GBなので、無駄な物を買ってしまった。まあ何年も前のことだから構わない。実際、画像数が多くなると、(PTPでの)PCへの取り込みの時にえらく時間が掛かる(ファイル一覧の作成か転送が遅い)ので、実用上は(6GBというのはないから)4GBくらいが最適そうだ。

そして、残っている昔からのSDのうち1枚(赤枠)を(小さくないなら使えるかなと思って、)ちらっと見て驚いた。

昔のSD

容量が32MB(GBではない)なのだ(上段のもそれに負けず、128とか512MBだ・・・)。すっかり忘れていたが、昔はこんなに小さいものを使っていたのだ。調べたらデジカメ添付のものも32MBだったので、これはその前のカメラ(IXY Digital 900ISか30かミノルタ?)の時に買ったのかも知れない。それにしても、こんな小さい容量に一体何枚入ったというのか、甚だ疑問だ。

書いた後で気付いたのだが、元々添付されていた32MBのSDカードはどこに行ったのだろうか? 松田優作になって母に聞きたい気分だがw、もうどうしようもないので良しとする。 (18:58)

そして、上に書いたように、今のデジカメの制限を知らずに16GBのカードを買ったのは無駄だったのが残念ではあるのだが、そもそも添付品が32MBだったのに16GBのものが使えているだけでも奇跡のような気がするし、当時は良くそんな大胆なことをしたものだw カードリーダーだって2004年に買ったものが未だに使えており、その頃(SmartMediaが現役の頃と思われる)に16GBなんてカードがあったかどうか怪しいから、もう一つの奇跡のような気がした。

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ちょっと思い付いて、(普段使わないから全然減ってないが、いざという時のため)モバイルバッテリーを充電しようと思ったら、なぜかケーブルが挿さらなかった。見ると、バッテリーの受け口はmicro B、使おうとしていたのはCだ。サイズは似ているが違う。大量のケーブルを放り込んでいる箱を探したが、普通の(A-B)以外はA-mini Bしかなかった。

更に探したら、缶コーヒーか何かの景品だったと思われる、しょぼいケーブル(長さが15cmくらいしかない)があった。一抹の不安はあったが、他にないのでそれで充電した。日本の飲料メーカーなら、景品だって簡単に発火するようなものは出さないだろうと期待した(でも、今は全然甘いかもね)。

それにしても、確かに整理はしたが、少しは残したはずだ。きっと、知らないうちに捨ててしまったのだろうと思い、仕方ないから買おうかと通販サイトを探したら、300円くらいのがあった※。ケーブルの他にB→micro Bの変換コネクタもあったので、それなら邪魔にならないし、安い(150円くらい)からポイント利用で0円で買えると思って決めたのだが、やっぱり物を増やしたくないので、もう一度探してみた。

※別件で100円ショップに行ったら、探していたmicro USBケーブルがいろいろあった。まさに灯台下暗しだ。たまに充電に使うくらいなので、わざわざいいものを買わなくても良さそうだ。ただ、さすがにB→micro Bの変換アダプタはなかった。あれはいかにも特殊だ。でも、あれば便利なのに、ほとんど売ってないのが不思議ではある。 (13:09)

すると、あった! 古いスマフォをまとめて入れておいた箱に入っていた。ケーブルをぐちゃぐちゃに入れている箱に一緒にすると壊れたり捨てたりするとか、使う時や手放す時に素早くまとまるので好都合だと思ってそうしたのだろうが、すっかり忘れていたw 何をどこにしまったかのメモをEvernoteなどに書いておくといいだろうが、毎回書くのはどうも面倒だ。

それにしても、まったく野放図にコネクタ(下記参照)を作り出して来た連中(USB-IF)に、「どうしてこんなに多いんだ?!」と小一時間問い詰めたい。

参考: USBコネクタの種類

  • Type-A, B
  • mini Type-A, B
  • micro Type-A, B
  • USB 3.0(SuperSpeed)のType-B, micro B
  • Type-C

余談: 今のところ合計9種類だ。一見、莫大ではないように思えるが、異なる種類間を繋げる要求があり、しかも、それぞれの端にはM(プラグ)/F(ジャック)の種類もあるので、そういう変換コネクタ・ケーブルの種類は膨大になる。どういう計算をすればバリエーションの数が出るのかは、僕には分からない。(9!)2だと恐ろしい数になるが、そこまでは行かないだろう、きっと。でも(9!)×2だって72万だし、(2×9)!なんてとてつもなさそうだ・・・ まあ、部品業界への需要を生み出すという点では役立っているのか?

(15:06) 余談その2: リストを見ると、今となっては余計とも思えるminiとSuperSpeed用のコネクタがなければ、いくらかはマシだったと思う(それでも5種類は多いが)。A, B, Cだけだったらベストだが、無理だっただろう。それにしても、すぐに廃れさせられてしまった(= 半ばobsoleteになった)miniやSuperSpeed用のコネクタを出したのは全く思慮に欠けていたとしか言いようがない。SuperSpeed用のBなんて、美しさのかけらもない。おそらく、携帯機器への対応や高速化で競合に負けたくなくて泥縄的に出したのだろう。

そして、Cは便利だけどやっぱり角度(回転)は合わせなければならない。そこで、半分冗談だが、更に楽にするために、イヤフォンプラグ・ジャックのように360°どの角度でも本当に「ただ挿せ」ばいいようにできないものかと思った。そのままやると、電気では一瞬ショートする可能性があるが、光なら全く問題ない。不可能ではなさそうだ。そうすると、将来は今しきりに除け者にされているイヤフォンジャックが復活することもあって、結局、「林檎は間違っていた」と言われるかも知れない。なんてことを考えて、ほくそえんでいるw

結局、賢そうな顔(見たことないがw)しているけど、全く先見の明がないバカだったと思う。コネクタだけじゃなく、仕様だってすごく増えたじゃないか。今は、外見はCでも中が違うから調べないとちゃんと使えないとかいうこともあるらしい。これでは、我田引水的な規格をドヤ顔ででっち上げては捨てる林檎社やMS(ソフト面)と似たようなものだ。だいたい、最初のコネクタ(A, B)からして、どうして、いつも逆に挿そうとして失敗してしまう(しかも、直そうとして反対にしても挿さらず、やっぱり最初が正しかったことすら多い)形をしているのかと思う。

実は、USB関係の仕事もしたことがあるのだが、その時はこんなことは全然思いもしなかった。「USBはいい・すごい! 是非広めよう」、「レガシー(シリアルなど)は古いから駄目」とかいう純朴な気持ちだけ(= 技術馬鹿)だったしw、そもそも、仕様で逆に挿さらないことを知っていたから注意していたし、開発の時はコネクタが見やすいところに機器を置くせいもあって、挿し間違いすることはまずなかった。が、やっぱりただ作るだけでは分からないことが多いものだ。

PS. そういう点では、例えば、Ethernet(*base-TX)のモジュラーコネクタ(RJ-45)はすごく優秀だ。確かに、初期のEthernetのコネクタは2-3種類あったが、10base-Tが出てからは何十年も同じものが使い続けられている。「ギガビットだからコネクタが違う」ってことはない(と書いたら、実は違うコネクタもあるし、高速なものは中のケーブルの本数や品質が違うことはあるが、一般人が使うものは大体同じだ)。固定電話のコネクタも同様だ(そろそろ固定電話自体がなくなってしまうがw)。そもそも、例えケーブルが違ったって、上下(裏表)の向きを間違えて挿さらないことがまずないだけでもありがたい(しかも、C以外のUSBと違ってケーブルの方向(A/B)もないから、合計で4倍?ありがたい)。

あの系統(RJコネクタ)はちゃんと考えられたのだろうか? コンシューマ系と違って通信系の人は(頭が)堅い(無駄かも知れないのに何十年も先のことまで考える)から、いろいろ考えたのが(これについては)良かったかも知れないな。ちょっとかっこ悪いけど、USBだってあれにすれば良かったのに・・・

そして、「USBが出たばかりの頃は、分からないことが多かったからああなった」とは言えない。そのずっと前からRJコネクタはあったのだから。そういう経験を軽んじた業界が馬鹿だったのだ。

まあ、将来は無線になって、こういうつまらないイライラはなくなってほしい(実は、USBは昔無線の規格を出したが、なぜか失敗している。次は別の団体が別の規格でやればいいだろう。同じことの繰り返しかも知れないがw)。

PS2. USB-IFはカスだが、それよりも更にカスなのは、某国の国営だった電話会社だ。USではとっくにRJコネクタを電話機に使っていた(らしい)頃でも、延々とバラ線でネジ止めしていて、それをやるには資格が要るから、「お前らは勝手にやるな!」、「勝手な電話機も許さん!!」とのたまわっていたのだから。外圧に負けてようやくモジュラージャックを認めた頃が懐かしい。

それ以外にも、さまざまな役に立つのかどうか不明な独自規格を制定していたようで(これが「ガラパゴス化」の発端の一つかも)、ある時、現場の経験が少ない人が、特殊な工具がないと電話線を端子に接続(挿入)することらできないのを知らずに現場に行ったら大変慌てたが、偶然、古参の人が持っていて助かったという話があるかも知れないし、ないかも知れないw

PS3. とはいえ、「つまらないことでこんな長い文章を書く気力があるなら、その時間で『どこに何があるかリスト』でも書けっ」てのはごもっともですw

そして、つい、スマフォやバーコードとかでリスト作成を自動化したくなってしまうという技術馬鹿精神が出て来ると(爆)

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全くの個人的な思いである。

岡村は嫌いじゃないけど特別好きでもない(ある意味、槇原敬之に似た立ち位置かも知れない)のだが、なぜか何度か書いている。そして、Spotifyで、有名な「夢をあきらめないで」なんかが掛かると、つい聴いてしまう。そのうえ、アルバムのジャケット写真なんて、いかにも良くある(自意識過剰な女性の)パターンなのに、つい見入ってしまうw 見ながらつい、「このクソがー!」(ひどい意味じゃなく、猫に対してと同様)とか思ってしまう。

「夢を―」は、本人がいかにも「素直ないい人」そうな感じがたっぷりで、つい元気付けられてしまうw (聴きながら感じたのだが、実際には、自分を元気付ける歌だったのかも知れない。詳しくないので全くの想像である) 細かいところだと、時々入るおかずのようなドラム(金属的な音。スネア?)も「いかにも」なのだが、不思議ななごみ感があっていい感じだ。

この、「いかにも」ばかりなのに反感を持たせないところはさすがだと思う。本人の能力とか魅力(やっぱり、人徳?)なのだろうか。全く末恐ろしいw

検索してみると、年齢的には僕の姉におかしくない感じで、もし姉が居たらこんな感じなのかと思った(と、前に書いた気もするが定かではない)。本当はもっと色っぽい姉に憧れるが、いろいろと差し障りがありそうだw そして、余計なことだが、想像にしても、姉は五輪真弓や高橋真梨子や中村あゆみや渡辺美里ではなさそうだ。あ、岡村とは全然違うだろうけど、渡辺真知子もいいなあ。って、話が逸れてしまったよw

PS. いろいろな人を出したが、「理想の姉」で検索したってかすりもしないw それはそうだ。一体いつの話してんだってことだ。

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この投稿は、それぞれのアーティストのファンの方には怒り心頭かと思われますが、素人がSpotifyでちょっと聴いただけの素朴な感想なので、ご容赦を。

チューリップが理解できない

彼らがどういうグループなのか分からない。彼らの歌の内容と、実体・実態が乖離しているように思えるのだ。「心の旅」(1973)の歌の加工された声(僕は、詞の内容からすれば、自然な声の方が適切だと思う)とか、"We believe in Magic Vol.2"(1997)などの変なジャケット(特に、あの変な人は何者?)は、いったい何を意味しているのだろうか? 謎が多いグループだ。

サーカスとハイ・ファイ・セットの識別方法?

これらのグループはイメージが似ていて、どうやって区別すればいいのだろうか、あるいは、それぞれの方向性に違いがあるとすれば、どういうものなのだろうと思う。他にももう一つ似たようなグループが居たような気がするが、それすら思い出せない。

同様に、1980年前後の渡辺真知子、庄野真代、久保田早紀らも区別が難しい。ただ、実際には渡辺真知子は区別できて、他にもう一人居た気がするのだが、そちらが思い出せない(桑江知子だったか)。

他に、高1の時の英語の先生(新卒だった)が自己紹介で好きだと言っていたグループがチューリップだったかオフコースだったのか、今となっては謎になっている(当時からその辺りの音楽には興味がなかったので、グループ名を聞いた途端に「ミーハーな奴だ」とがっかりしたのと、上と同様、それらの区別が若干難しいせいである)。ただ、先生はお嬢様的(というか、「女子大生」の方が合っていそうだ)な雰囲気だったので、おそらく、オフコースのような気がする(と書く程度には、違いを認識しているような気がしている)。

岡村孝子はどれも同じ?

Spotifyで掛かるのを聴く限り、どの曲も(ジャケット写真も!)とても清楚かつ素直な感じなのはいいのだが、それ以外はあるのだろうかと思う。どうもワンパターンで、飽きてしまうのだ。もし彼女の歌に、中島みゆきのように悪い歌とか戸川純のように変な歌、あるいは、藤圭子のようにドロドロに暗い歌があるとしたら、是非聴いてみたい気はするw (まあ、「待つわ」なんて、暗いといえばかなり暗いので、ありそうだ)

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森高の1989年の歌。僕は今まで誤解していたが、さっきSpotifyで聴きながら気付いた。

今までの僕の想像では、これは、あまりもてない、いわゆる普通の若いOLが、あこがれの人(同じ会社のちょっと年上の人)に向けて言うような感じで、いかにも微笑ましくて共感を生むので、当時のファン(オタク?)も、「なんか自分にも可能性があるかな」と思える歌だと思っていた。が、全然違うのだ。

これは、いかにもモテる(当時の)森高のような女性()が、目当てのイケメンに言っているのだけど、彼もすごくモテるからなかなか取り合ってくれないという、バブル期に良くあった過酷な競争を歌ったものなのだ。だからオタクなんて全く目も掛けてもらえず、夢もへったくれもないのだ。がっかりしたかい?

ハハハ。

 

PS. 確認のために検索したら、近年の本人がカバーしたPVの画像が出て来て、(一応PVも観たけど、)それが余りにものどかで、いかにも可愛いおばさんなので笑ってしまった。いや、こういうおばさんも大好きだけどw、上に書いたような歌の背景(僕の想像)からすれば、全く場違いではないか。

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仕事用サイト(サーバ)をいじるのが一段落したので(それが目的じゃないのは分かっているが・・・w)、天気が良くて暖かいせいもあり、気分転換にちょっとドライブに行くことにした。例によってなかなか行き先が決まらなかった。考えていたら、今の季節から、ちょっと紅葉が観たくなった。参考までに書くと、以下のような候補が出た。

  • △ つくば: 特にあてがない。
  • △- 筑波山: 紅葉?
  • △ 日光だいや川公園: 紅葉
  • 道の駅: どこに?
  • △- みかも山: 今は何もない。
  • △- 天平の丘公園: 今は何もさそう。
  • △- 古峯神社: 紅葉 (混みそう)
  • △ 大笹牧場: 紅葉?
  • △ 石岡 吾国山 (フルーツライン, 道祖神峠): 紅葉?

紅葉は良さそうだったが、綺麗なところは混みそうなので敬遠した。あと、北の方は山が多くて暗そうな感じがしたので、今日は止めた。最後の吾国山は、地図を見ていて筑波山の近くなので思い付いたように思う。

そして、その山にある「道祖神峠」という名前が目に入ったら、ある黒歴史を思い出した。大学生になり車を手に入れたばかりの頃(20歳くらい?)、ある夜、友人たちと山に走りに行くことになった。複数台で行ったのだが、当然のように僕も車を出し、何人かを乗せた。で、その峠の、ある下りの右カーブで怖い目に遭った。当時は馬鹿だったので、なるべくブレーキを踏まずに、とにかくスピード出すのがかっこいいと思っていた。当時の車(サニー)が非力だったので、一旦スピードが落ちると回復しにくいせいもあったが、単なる馬鹿だった。物理法則に反するので無理があるのだが、当時はそういうことは考えなかった(そういう法則が実生活に繋がっている実感がなかった気がする)。まあ、「竹槍戦法」だ。気合でカーブが曲がれたら、誰も苦労しない。

そのカーブも、いつものように(気合で)抜けようとしたら、ハンドルがくるくる回って(制御できなくなって)しまった。すごく危ないところだったが、反射的にブレーキを踏んだらグリップが回復してくれたので、今もこうして生きている。

僕はもちろんだが、乗っていた友人たちはさぞかし肝を冷やしたことだろう。しかも、その時はシガーソケットに入れるFM送信機と車のラジオでトランシーバーみたいなことをしていたので、その時の車内の状況(阿鼻叫喚?)が一緒に行ったもう一台の車に筒抜けだったw 今だったらアホのニコ生とかYouTuberみたいなものだろうか。全く情けない。気のせいか、それ以降は走りの誘いが少なくなったかも知れない。

そんな訳で、再びそこに行くのは嫌な気がしたのだが、今は当時ほど馬鹿ではないので、「普通に」走れば問題ないと考えた。紅葉が観られそうな気もしたので、行きたくなった。それで、13時頃出発した。

道は空いていて気持ち良かったが、いつものように眠気とトイレに耐えるのが大変だった。14:30頃、笠間の7-11で休んだ。その時、ふと自衛官募集のポスターが目に入ったのだが、何とも嘆かわしい気分になった。はやりとはいえ、こういうちゃらちゃらしたポスターにひかれて入る人がもし居たとしたら、ちゃんと戦えるのかと心配になった。大体、自衛隊にこんな子は居ないだろうし、こんなに楽しくもないだろうに・・・ まあ、今は災害派遣とかが多いから、戦わなくてもいいのかも知れないし、入れば鍛えられるのかも知れない。

出る時は天気が良かったのだが、この辺りでは曇って来た。いつものように、全般的に(店の中とか道とか車とか)のどかで良かった。とても眠かったが、いつの間にか距離が稼げていて、問題の峠まではあと10kmくらいだった。

少し走ったら山道になり、ほどなく(7-11から15-20分くらい)峠(鞍点というのか?)を通過した。その少しあとに、問題の急カーブらしきところがあった。35年くらい前に走ったところだが、曲がり方が何となく記憶にあった。でも、今日は至って普通に走ったので、何も問題はなかった。それにしても、今の車はすごく性能が良くて、当時のようにアクセルを踏みっぱなしにしたり、低速ギアに入れっぱなしにしなくても(実際には、今でも、低速ギアに入れて回転を高目にして走るのは小気味いいw)普通にスピードが出て、ギアもスコっと入り、軽い車体が思ったように曲がって大変快適だった。

残念ながら、期待していた紅葉はほとんどなかった。こっちより南で暖かいせいだろうか。生えていた木の種類も関係あるのだろう。山を降りたら、ナビの「自宅」ボタンを押してそのまま帰路に就いた。帰りは高速を使った。

16時頃、無事に帰宅した。全く危ないことはなく、気持ちよく走れた。そろそろバッテリーが危ないかと心配していたが、いつものように車は快調だった。走行距離は53000kmくらいで、普段は全く乗らなくなったので(可能な限り、徒歩で済ませる)、当然ながら余り増えない。

約113km、3時間。

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このブログもそうだが、仕事サイトのカスタマイズにHTMLやCSSいじりをすることがある。元々それら(特にCSS)をちゃんと知らないうえに、どちらもどんどん進化しているので、基本的には、初心者用のガイドを検索しながらテキトーにやっているのだが、その時、もう「遺物」としかいいようのない(でも、まだ使っている人は居るようだ)技術で遊んだ経験が活きるというか、そういう頭があるせいか、比較的スムーズにいじれている。

それは、TeXやLaTeX(以下、TeXと総称する)という組版システム(大昔のDTP)である。社会人になりたての頃、当時の先輩や大学の同級生が「いい」というので使ってみた。僕は当時から(今でも)Macのような(今で言えば)普通(WYSIWYG)のものが好きで、そういう面倒なの(全部テキストで書き・フォーマットし、出来上がりの状態はコンパイルのようなことをしないと見られなかった。今でも、なぜか、その系統のものがマークダウンなどで生きている)は嫌で、友人と激論したりしたのだが、フリーソフトで手軽に手に入り、好奇心でちょっと自分のワークステーションにインストールしてみたら意外に簡単に動いてしまい、マニュアルを見ながらちょっと文書を作ってみたら、(フォントなどが)意外に綺麗にでき、なぜか、使っていないレーザープリンタがあって専用に使えたので、はまってしまった。プログラミングが好きなので、文書とプログラムが渾然一体とするようなところが良かったのだろうか。そして、Macでやれば一瞬でできることにでも四苦八苦しながら使い、会社の提出文書(TeXでフォーマットを作った)や職場の旅行の案内のようなおよそ無理があるものにも使っていた。当時は随分余裕のある社会・会社だったようだw

でも、悠長なだけでなくてメリットもあった。例えば、出張旅費申請のような提出文書は、一度フォーマットを作っておけば、あとはそれに記入するデータ(数値や文字列)だけをを別ファイルに記入して「コンパイル」すれば、自動的に整形された文書が出来上がるのが便利だった。当時の書式は「Excel方眼紙」だったか不明だが(当時のことだから、基本は紙に手書きだったかも)、決まった欄にいちいちマウスを入れて数字や文字を打ち込む手間が省けたのだ。旅費のように、自分で計算して記入するものが自動でできたのも良かった。その好みは今でも続いていて、PHPだとそれ以上のことができる。PHPはTeXと違って、HTMLと本物のプログラムが本当に渾然一体に書けて更に使い勝手がいいから、僕は大好きだ。

随分長くなったが、昔話はこれくらいにして本題を書くと、CSSやHTMLの概念にTeXの概念が共通しているのだ。そもそもHTMLはTeXの系統(マークアップ言語)だから当然なのだろうけど。例えば、<b>や<i>のような文字スタイルの指定や、<span>や<div>といったブロックの概念や、特殊文字は&amp;のように記号で書かなくてはいけないなどである。あと、TeXでもスタイル指定を別ファイル(HTMLならCSS)として取り込むことも同じだ。だから、HTMLなどは詳しくないが、何かをしたい時に、「そのための書き方」は何かを探すことが多い。その概念(基本的なやり方)が分かっているので、普通の人のように「なんか分からないけど、とりあえず丸コピーするか・・・」ということは少ない。

そして話は戻るが、これを書く時に思ったのは、「2つの要素を左右両端に配置する時、それらを全幅を占める大きな要素の中に入れて、その間にバネのような要素(フィラーというのか)を入れる」という概念である。左揃えと右揃えの要素を並べる手もあるが、こういう手もある。「バネ」は、「空いたスペースいっぱいに広がる」という機能を持つ。家庭用品なら、突っ張り棒みたいなものか。今の人は「はぁ?」としか言えないと思うが、古代人はそういう風に考えるのだ。肝心のHTMLやCSSでそういう機能を何というかは分からないwが、きっとそうすればいいと思って、これを書く気になった。

なぜこんなことを思ったかというと、このブログのヘッダの副題の右端に別な文章(某悪徳協会を排除するもの)を入れたくなったのだ。

と随分引っ張って、ようやくオチを書きましたw

 

PS. ただ、正直言って、出鱈目な利権・守銭奴団体のために、ブログを汚なくして、自分はもちろん大多数の人の目を汚すのは嫌だから、彼らへの反撃はしたいが、多分しないと思う。 (13:05)

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昨日、久し振りにコンサートに行った。場所は文京シビックホールで、目当てはルガンスキーのラフマニノフのピアノ協奏曲 第2番だ。これは、確か数か月前に久し振りにコンサート情報を探したら、運良く見つかったものだ。チケットを受け取った時は随分先だと思っていたのだが、いつの間にかその日が来た。

最初に一つ文句を書く。この公演、本来はテミルカーノフの指揮だったのに、直前(11/9)にメールでアレクセーエフへの変更の連絡が来た。健康上の理由だそうだ。実は、その少し前に、ルガンスキーのFBに今後の公演案内が書かれていて、そこにそんなことが書かれていたのだが、海外の話で、日本には(その頃には回復して)来るだろうと思っていたのだが、日本も駄目と知ってちょっとがっかりした。そして、案内のメールには

なお、指揮者の変更に伴うチケット代の払戻し、曲目の変更はございません。

と、実にさらっと何の詫びもなく書いてあったので、結構ムカついた。というのは、当初は(かなり有名な)テミルカーノフの指揮をうたっていて(チケットにも一行目に「ユーリ・テミルカーノフ指揮」と書いてある)、僕も「すごそうだ」と思っていたのに、それがなくなったのだから、結構重要な変更だ。それでも払戻しなしというのは、結構高飛車だと思った。

実際には、僕はテミルカーノフのファンなどではなくて(名前しか知らない)、ルガンスキーさえ来れば問題ないから、キャンセルする気はまったくなくて実害はないのだが、「テミルカーノフだから行こう」と思った人も多かったのではないだろうか。だから、主催者(文京アカデミー)は誠実さに欠けると感じた(この対応は、実際には、他の公演を仕切るジャパンアーツに揃えたのだろうか?)。例えれば、今問題になっている検査偽装みたいなもので、「(規格には余裕があって、)最終的な品質に問題はないから(お前らには違いが分からないから)、気にするな」っていう態度に感じた。人を馬鹿にしてるよ。あと、帰ってから、プログラムに交代後の指揮者の名前とプロフィールが書いてあるのに気付き、怪訝に思った。急遽作り直したのか、前から分かっていた「確信犯」なのか。まあそれはいいけど。(この件、昨日まではそんなに気にしていなかったのだが、書いていたら怒りが高まってしまった。良くないね。。。)

もう一つがっかりしたのは、彼のFBに、日本の後に周るところでは、僕が大好きで、今回も「こっちだったらなあ」と思っていた、ラフマニノフのピアノ協奏曲 第3番を弾くこと書いてあったことだが、それは仕方ない。それぞれの国での人気に合わせたり(実際にはプロモーターの要望なのかも)、彼の考えや熟度があるのだろう。それに、第2番だって好きだ。

つまらないことはここまでにする。

演奏の感想を書くと、題に書いた、「超最高!」に尽きる。

これだけでは、行かなかった人はさっぱり分からず、あまりおもしろくないので、その他に感じたことをちょっと書く。

まず、イントロの和音で、いい演奏になることを確信した。想像だが、あれを弾き出すのは本当に恐ろしいと思う。

彼のピアノは、音が綺麗かつパワフルで、演奏のテンポやタイミングなどすべてのポイントが僕のツボにはまっていたので、聴いていて気持ち良かった(だから好きなのだろう)。うまい表現ができないのだが、「突き抜けるような演奏」というのだろうか。鋭く硬い透明な剣で天井を突きぬくような感じか。聴いていて、こっちまで天井を突き抜けられる気がした。一方、パワフルではあるのだが、マツーエフらのようにやり過ぎないところが重要だ。それから、コンサートではたまにあることだが、(演奏や音に関して)聴いていてがっかりすること(ひどい場合は、即座に帰りたくなることがある)が全くなかった。オケもそうだ。だから、すごく僕の好みに合っていたと思う。

帰りの新幹線で「復習に」同じ曲を彼のアルバムで聴いて(何杯でも行けます!)分かったのだが、アルバムはロマンチック寄りだが、昨日の演奏はパワー寄りだったと思う。僕は昨日の方が好きだ。

ただ、意外にも、最後(・途中でもたま)にオケに負けて、ピアノの音が聞こえないことがあった。あのパワーを持ってしても負けるほどオケが強力なのか、座った位置(今回は、中央だが少し後ろだった)の問題なのか分からない。ただ、今までもそういうことはあったので、ピアノが負けてしまったように思う。でも、そこは指揮者が調整して欲しいと今は思う。が、生でやっていると調整が難しいだろうし、指揮者の位置からホールでの聞こえ方を知るのは難しそうだ。特に、現地で余りリハをやっていなければ、分からないだろう。

あと、(確証はないが)最後でほんのわずかに乱れた(ズレた?)かなと感じた。でも、難なく乗り切っていた。

それから、彼が弾く姿を見るのは初めてだったのだが、弾き方(動き)が意外に派手だった(ユジャ・ワン的)。それだけは予想外で、何となく良くなかった。でも、手の動きがしゅっとしていてかっこいいとは思う。

いずれにしても、気持ち良かった! すごく乗れて、以前のフェドロヴァの時のように身体を激しく動かしたかった(でも、周りに迷惑なので抑えた)。余りにも集中し・乗ったので、終わったらどっと疲れが出た。。。

曲自体に関しては、僕はラフマニノフのピアノ協奏曲は第3番が一番好きなのだが、気持ち良さの点では第2番かも知れないと気付いた。第3番は複雑でテクニカルでおもしろいし(その分、弾き手を選ぶ)、第2番より知名度が低いから、どちらかと言えばマニア的に好きなのだが、第2番は第3番よりストレートで、よりパワーが感じられると思う。あとは、イントロの和音のピアノソロはかっこいいし好きだし、その後の重々しいオケの音も好きだ。だから、コンサートなら第2番も全然悪くないと思った。

感想は以上。と書くと、一部から「何か忘れてませんか?」と言われそうだw つまり、本来のメインの、交響曲だ。チャイコフスキーの第5番だった。以上w では良くないので、ほんの少し感想を書くと、正直言って、全然分からなかった。冒頭からの「木管の曲」という印象と、ドボルザークの雰囲気を少し感じた程度だ。初めて聴くせいもあるが、そもそも交響曲は好きじゃないので、「みんな、よく我慢して聴いていられるなぁ」とさえ思い、寝るか帰るかしたくなった。クラシックを敬遠する人が良く思うことと一緒だ。だから、僕は「クラシック音楽」が好きな訳ではなくて、「好きな(乗れる・楽しい・グッと来る・泣けるなど)音楽」が好きなのだと思う。それはともかく、あのオケは大きい音は迫力あるし、小さい音も綺麗だったのがいいと思う。

アンコールの曲(名前不明)は綺麗だった。上にも書いたように、あのオケはパワーはすごいけれど、案外、静かな曲の方がいいかも知れない。ちなみに、フェドロヴァの時同様、協奏曲の後にルガンスキーがアンコールを弾いた。やっぱり曲名は分からなかった。おそらく、ラフマニノフかと思う。綺麗な曲だったが、やっぱり得意ではない。

 

以下、余談を延々と列挙する。

  • チケットはA席で13000円だった。近頃はコンビニで受け取れるから便利なのだが、システム使用料だの発券手数料だのが掛かるのが、どうも腑に落ちない。特に、前者は何だと思う。昔はぴあなどで買う時、ぴあを使うお金は掛からず、振り込み手数料と送料だけだったのに。券を買う人に渡せるようにするまでが主催者の仕事の気がするが・・・
  • 駅まで歩いたのだが、途中の公園には七五三らしい家族が沢山居て撮影に余念がなかった。銀杏も綺麗で臭かったw
  • 公園にはスケボーのガキが数人居た。板で馬鹿みたいにうるさく音をたてなければ、「ガキ」と敵扱いされずに済むものを・・・ まあ、あれが自己表現と思っているのか、自慢か何かにしたいのだろう。
  • 新幹線はいつものように快適だった。余りにも楽なので、もし「自家用新幹線」があれば、車代わりに欲しいと思ったw
  • 今回、ようやく、20年くらい前から残っていたUSドルのTCと紙幣を両替できた。それぞれ、約21000円と1300円になった。おもしろかったのは、5ドル札1枚が鑑定NGで戻って来たことだ。窓口の人が何回も根気良く試してくれたのだが、駄目だった。よく、海外の紙幣の品質は日本ほどでないと聞くが、それなのかも知れない。あるいは本当に偽札?? いずれにしても、記念品になった。
  • 両替は東京駅のトラベレックスに行ったのだが、予想外に部屋が小さく、客の入るスペースは4畳くらいだった(銀行みたいなのをイメージしていた)。そのせいか、場所が分からずうろうろしてしまった。近くの外国人用の案内所(?)の中かと思って行ったら、前に居たそこの人が教えてくれた。
  • 最初の会社や2番目の会社の時に良く乗っていたので、丸ノ内線はすごく懐かしかった。みんな「都会の人」だったw 他人に関心を持たない(実際にはそうでもないのだが)乾いた雰囲気があって、そういうのは結構好きだ。
  • 懐かしいと言えば、ホールの辺りは2番目の会社の近くでよく歩いたので、やっぱり懐かしかった。
  • 丸ノ内線で、斜め前に「実質ガッキー」(椎木里佳)みたいな人が居た(口紅の感じが似ていた)。なぜかつまらなそうな顔をしていた。本人ではないだろうが、やっぱり都会だなあと思ったw
  • ステージが意外に小さく感じたが、遠かったせいだろうか。オケの人は普通に多かった。
  • 券を買う時、ステージ真ん前の一番いい席が全部対象外になっていて取れなかったのだが、どうも、このホールの友の会のようなものが占めていた気がする。そういう盲点があったようだ。
  • 今回は、珍しく、最初に小さい曲をやらずにいきなり協奏曲だった。案内にも書いてなかったが、書いてなくてもやる場合が多いから、珍しかった。オケはウォーミングアップが難しそうだw
  • オケに、袖なしの衣装で妙に色っぽい(ユジャ・ワン的だった)女性(バイオリン?)が数人居た。チャイコの時は、そういうところに目が行ったw
  • ホールに、昔使われていたピアノが展示してあった。照明対応なのか、つや消しだったのが興味深かった。そのフレームにゼルキンのサインがあった(他にも有名な人が数人書いていた)。日付が1960年なので驚いた。そんなに昔の人だったのか。確かに、案内には大正生まれと書いてあったが、意外だ。
  • ちょっとうるさいことを言えば、そのピアノは、飾られて人生終わりじゃなくて、どこかの学校などに寄付して、ずっと使って貰えれば幸せだろうにと、今思う。
  • 例によって、演奏中にしゃべる馬鹿と紙やビニル袋をガサガサさせる馬鹿が居た。十回くらい死んで欲しい!
  • 演奏が終わって、拍手が終わらないのに帰る馬鹿(隣もそうだった)が多かった。そんなに時間が惜しいなら、(来なくていいから)家で聴けばいいのに!
  • それどころか、小さい鈴をちゃりちゃり鳴らして帰っていた、とんでもない馬鹿も居た。僕の母もそうなのだが、高齢者が財布や携帯に付けているのだろう。本当に自分が見えていないし、常識の更新もしていない・・・
  • ホールは構造が複雑なのに案内板がほとんどなくて不便だった。トイレやクロークがどこにあるのか、どっちに行ったらいいのか、全然分からなかった。自分の席の入り口すら分からず、室内をぐるっと回った。建物や室内は綺麗だが、もう行きたくない。やっぱり、普通のホールの方が良さそうだ。
  • コンサートが終わって余りにも疲れていたので、お腹が空いていたものの、食べる気にならず、そのまま帰ることにした。
  • 広告(パンフ)の枚数が多過ぎて暴力的だった。1cmくらいあったと思う。持ち帰りたくないので、帰る時に目ぼしいもの以外は捨てて来た。こっちのことは考えてないのかな・・・
  • パンフ選びで時間が掛かり、疲れたし面倒なので、アンケートは出さなかった。後でwebで書ければいいのにと思った。そういう点では、お役所由来だから遅れているのかも知れない。
  • 帰りの東京駅の新幹線の待合室はほぼ満員だったが、タイミング良く座れた。
  • 食欲はなかったものの、やっぱりお腹が空いたので、いざという時のために持って行った、レーズンサンドで食いつないだ。暑さのせいか、クリームが溶けていた。
  • 待合室で、なぜか、昔のポップス(曲名が分からない)が聴きたくなった。「エブリバディ ウォンツ ラブ」とか「―ルールザワールド」みたいな節があり、ギターのキラキラした曲。 → Tears For Fearsの"Everybody Wants To Rule The World"(1985)だった。Spotifyに単語を打ち込んだら出て来た。便利だ。
  • 待合室で斜め前に座って居た、医療関係の女性二人の話す様子が明るくて楽しそうだった。何となく、大学の先生と学生で、学会に出た帰りのようだった。不思議なことに、その二人は前にもそこで見た気がする。が、そういう人は多そうだ。
  • 上に書いたように、帰りの新幹線で、「復習」に同じ演奏者の同じ曲を聴いたのだが、周りを気にせず乗れるから良かった。
  • 新幹線の隣はおばさん(といっても、僕より十歳くら若そうだった)二人がのどかで良かった。うるさくしゃべることもせず、のんきに弁当を食べていていい雰囲気だった。いかにもラフマニノフなんて知らなそう(でも、曲を聞かせると、「フィギュアの曲ですねー」とか言いそう)なのだが、実際には、「私、好きなんです!」とか「(昔やってて、)ちょっと弾けます」とか言われて驚かされそうなフシもあって、油断できないw
  • 結局、帰りの新幹線では、オケも指揮者も思い出せなかった。ルガンスキーさえ居ればいいのだw
  • Spotifyのアプリにシャフル再生のボタンがデカデカと出るようになってしまって、不便だ。ログインしてないせいかと思ったが、そうではない。設定があるのだろうか。改悪されてしまったのか。。。
  • GPSロガーアプリで経路を記録したら直線でまったくおもしろくなかったが、最高スピードは244km/hだった。さすがにすごい。昔、Nexus 4では速過ぎるせいか記録できなかったが、AQUOSは大丈夫だ。
  • 宇都宮駅に着いても、やっぱり食べるのが面倒だった(家でゆっくりビールが飲みたかった)ので、食べずにバスで帰ってきた。
  • 駅では、バカが、楽器を使って、全く音楽性のない「何か」をやっていて耳障りだった。あれは音楽でも演奏でもないと信じたい。
  • バスケの試合があったようで、珍しく駅がごった返していた。朝も人が多かった。
  • 20:30頃、無事に帰宅した。ピアノの調律の時にステージを撮影して注意された(何となく嫌な予感はしたのだが・・・)くらいしか、忘れ物や失敗はなかった。こんなことは滅多にない。
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近年、どういうきっかけなのか、(昔は洋楽ロック一辺倒だったのに)ジャンルに関係なく音楽が好きになったのを実感する(でも、嫌いなのは嫌だ)。

例えば、ときどき、(いや、ごくたまに、)「川の流れのように」(1989)が聴きたくなる。今日も、前の投稿をしたあとで聴いた。聴くと、どうしても、美空がこれを歌った時の心境を想像してしまって、何とも言えない気分になる。もちろん、これが本当に最後の録音だったのか、その時の体調がどうたったかなんて知らないから、単なる想像だが。

やっぱり、詞がいい。作詞したのは最低最悪な奴なのだが、そこは、持論の、「成果に作者の性格だの行動だの思想は関係ない」が正しいことが証明されていて、喜んでいいのか悪いのか・・・

いずれにしても、本当にいい歌だと思う。

 

PS. 他に今日聴いた曲では、石川さゆりの「津軽海峡・冬景色」(1977)なんて、冗談じゃなく格好良くてグッと来る。歌った当時は10代だったようだが、(当時TVで観たはずだが、彼女にそんな若い時があったなんて)なんとも信じられない。でも、写真を見る限り、彼女はいい歳を取っているように思う。

あと、今掛かった、研ナオコの歌もいい。例えば、「夏をあきらめて」(1982)なんて、いいとしか言えない。当時はサザンともども馬鹿にしてたけど、もったいないことだった・・・ でも、サザンは今でも好きじゃないw

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さっき、Spotifyを聴きながら思った。

子どもの頃、桜田淳子が好きだったから(さして大きな理由はなかった。今となってはひどい話だが、妹たちと、桜田、山口百恵、ピンク・レディーを「割り当て」みたいにしていたw)、曲が掛かると懐かしいのだが、今となっては、山口(残念ながら、まだSpotifyには入ってない)はもちろん、当時は邪道だと思っていたピンク・レディーよりも聴きたくない存在になっているので、「嫌い」にして(Removeボタンを押して)掛からないようにすらしている。なぜなのだろう? 歌が今一つだったせいなのだろうか。

作曲家や作詞家は知らないが※、今聴くと、ピンク・レディーの方がずっといい感じだ。ポップな歌もいいけど、音作りがいい。桜田の歌はひたすら暗い印象しかしない。しかも、中身(歌詞)が背伸びしているから聴いていて恥ずかしい気分になる。そこが駄目なのだろう。似たような立場の人としては、男だが西城秀樹が居る。好きではなかったが、年上の女性との話が多くて、今聴くと恥ずかしい。でも、郷も野口も別なところで気恥ずかしいのは一緒だw

※桜田とピンク・レディーの初期のヒット曲の作曲家と作詞家を調べたら、さすがに当時の有力アイドルだっただけあって、作詞はどちらも阿久悠だった。作曲は、桜田は中村泰士、ピンク・レディーは都倉俊一だった。中村と都倉の作風の違いなど知らないが、そういうものもあったのだろうか。あとはアレンジや演奏・音作りの違いは大きいだろう。ピンク・レディーは、当時の最先端(言い過ぎ?)の楽器を使っていたイメージがあるが、桜田は・・・。レコード会社はどちらもビクターだったと思うが、事務所の意向(売り方)があったのか。

逆の立場の人には尾崎豊が居る。当時は全然関心がなかったし、馬鹿にして聴かなかったが、今聴くと捨てたものではない。内容的には「黒歴史」そのものなのだがw、背伸びしてないからだろうか? (調べたら、意外にも、彼は僕の一つ下だった。まだ生きてたら、どんなことをしているのだろうか? 興味あるところだ)

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住民税の自動引き落としの手続きで市役所に行った帰りに、昼ご飯を食べようと、久し振りに大きなショッピングモールに寄った。モールまでの道も店内も、全然方向感覚がなかった。走って・歩いていて、そこがどこか分からず、どっちに向かっているのかすら分からなかった。疲れていたのか、ナビに頼りすぎているせいか、方向音痴が悪化したかボケたか。

店内は、なぜか、別世界とか異次元のように感じた。そのせいなのか、お腹はまあまあ空いていたのだが、いろいろな店を見ても特に食べたい気分にならず、いつもの大戸屋にした(いつもここなので他を探したのだが・・・)。いつもおいしそうな物が多いのだが、今日は、麦みそ汁定食とかぼちゃコロッケにした。麦みそ汁も野菜の蒸し物も野菜たっぷりでおいしかった。コロッケは悪くはなかったが、かぼちゃじゃなくて普通のが食べたかった。でも、伝票の金額を見て驚いた。とても満足したのに、たったの1050円とは安すぎだ。

それから随分長く店内をぶらついた。平日のせいもあって、店内はのどかだった。やはり、赤ちゃんを連れたお母さん(帰る頃には、ずらっと並んでいたベビーカーが払底していたので、驚いた)と老人(特に、おじいさんが至るところで座って休んでいた)が多かった。

HMVに入っても、特別おもしろそうな曲やアーティストは見当たらず(せいぜい、昔のドラマの主題歌(ELTなど)のCDの宣伝にひかれた程度。それに、何かあっても「Spotifyで聴けばいい」と思ってしまう。あと、今の日本のグループの名前は、どれもセンスない気がするなぁ・・・)、店員のお姉さんと仲良くなりたい程度だった(なんてことを書くと、「結局そこかよ!」と台無しになってしまうので、書かなかったことにするw)。スタバもタリーズも閑散としていて、Macを広げてドヤっている人などいなかったw (それはもう終わった?)

いつも思うのだが、化粧品店の店員さんは大抵色っぽくて、いつも目をひかれる。それくらい綺麗にしていないと、女性も買いたくならないのかなと思った。前にも書いたが、女性の服を見るのは結構楽しい。断然カラフルだし、形やデザインにも目をひかれる(だから、オバさん用の鼠のような服は論外だ)。それにしても、今の人は体型がすごくて(例: 背が高く、脚も長く、スリム)、まさに新人類とか異国の人とか宇宙人のように思えてしまう。バブルの頃(例: ジュリアナ)の写真を見ると、全然違うのを実感する(まるで他人事のように、「昔の人は頑張ってたよなぁ」なんて思ってしまう・・・)。まあ、本当に何十年も経っているのだから、タイムマシンみたいなもので、新人類と思うのは当然のことなのかも知れない。

意外にこの辺りにもイスラムの人が居るのか、フード(簡易なチャドル?)を被った女性の二人連れが歩いていた。その後、フードコートで何か食べていた。

ぶらついていておもしろかったのは、何も欲しいものがないということだ。上にも書いたように、特別食べたいものすらないほどだ。いろいろな物を見るのは刺激になって楽しいのだが、(題にしたように、)それを買わなくて済むことが更に楽しい。(強がりのように聞こえるだろうが、)欲しいけどお金がないから買えないんじゃなくて、全然欲しくないのだ。おもしろいと思ったものを買わないことで楽しくなり、満足する(買ったことを想像して楽しくなることすらない)逆に、買ってしまって物が増えることが嫌なのだ。このままずっと、欲しいものができなければいいとすら思うし、不自由・不快にならなければ、いくらでも物を減らしたいとも思う。もちろん欲しいものはあるが、お金では買えないもの・形のないものがほとんどだ。

例えば、いくら掛ければ、K. 488を最高に弾けますか??

それに比べれば、「月旅行」だの、有名な楽器や名画を持つ(だけ)なんて、全くちょろいものだ。実際にはできないけどw

その後1時間くらい軽く走って帰宅した。どうにも眠かったので、事故などに注意した。途中で危うく前の会社の前を通りそうになって(方向音痴なのでこうなるw)、横に逸れた。なんだかんだで5時間くらい出て居たので、結構疲れた。身体が痛い。

 

PS. 住民税は意外に高い。国保も高い。どちらも想定外だったw 「ボディブローのように効く」という言葉が合いそうだが、それはそれほど痛くないというイメージがあるが、そんなものではなく、本当に痛い。どうしてそうなったかというと、辞める前には無収入の場合の額を調べたから、どちらも最低額で、「ほう、安い」と思っていたのだが、今年度(と来年度)は、前年度の給与収入の分が数十万円(!)にもなって、それが効いているのだ。

まあ、元々天引きで意識せずに払っていたものだから、突然増えた訳ではない。怪我しても、血が出ているを見るまで痛く感じないのと似たようなものか。あと、良く聞く、一時的に儲かった人が全部使ってしまって、税金が払えなくて困るってのはこういうことなのだと実感した。それに、こんなに高いのは、(今考えている仕事が大成功でもしない限りw、)あと少しの辛抱だろう。

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ある球技(でも、羽根は球なのか?)の選手が国の宿舎かなんかの自室に女性選手を連れ込んだとかいうニュースを読んで、うらやましくなっさすが強い選手は元気だなあと思ったがw、昔賭博だかで捕まったのに懲りない人だ。でも、なぜか憎めず、つい笑ってしまうのは、昔の知人に似ているからかも知れない。たまたま、最初の会社の知り合いが、同じ競技の部に入っていたのだが、なかなかの遊び人で、たまに遊ぶと僕の知らない世界を垣間見せてもらってw楽しかったので、その種目にはそういう人が集まるのかと思ってしまったが、まあ、単なる偶然だろうw

それにしても、犯罪や薬物をした訳でもなし、そういうことをしたために負け続きだとか怪我したとかじゃないのなら、どうだっていいと思う。そもそも、国の施設でそんなことするとはけしからんと責めるが、抜けだしてホテルに行っても自宅で会っても、どうせ叩くじゃないか。一体、何ができるのだろうか? 大人しく文通チャットでもしてろってことかw さすが日本には聖人君子が多いようで、まったくありがたくない今日この頃。

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今日は大失敗してしまった。思い出の品の整理対象で残っていた、シルビアのカタログを取り込んだのだが、想定外のことばかりで台無しになってしまった。

3.11以来いつもいつも言われているが、「想定外」ってのは、本当にやる前には気付いていなかったことだからどうしようもなくて、担当者を責めて欲しくはないが、それでも、本人の不注意(実際には、「注意したくてもできなかった」が近い)が原因のことは多い。そして、組織だったら、他の人が充分にそれを検出すべきものではある。が、それでもなかなか難しい。

一方で、当時は気付いていたけど、面倒だから「まあ大丈夫だろう」ということにして、問題が起こったら「想定外」と言うことも多いから、それはガンガン責めて欲しい(ただ、それを外部から区別するのは難しい)。

その失敗について書く前に、経緯を書こうと思う(面倒な人は、下の画像の辺りまで飛ばして下さい)。

まず、前の投稿へのnaokiさんのコメントに返信する頃に、「大きいスキャナがあれば」と思った。ただ、これだけのために買うのももったいないから、レンタルを探したら、安いのは富士通のカメラ式のしかなかった。ScanSnapのようなので大きいのに対応するものは、ないかかなり高かった。

次に、以前のPhedreさんのコメントを思い出して、コンビニのマルチコピー機でスキャンできるか調べたら、できることが分かった。それでもう、終わった気分になってしまったw で、近くのスーパーのを見たら、それもスキャンできるので、試してみたらUSBメモリを認識せず、駄目だった。仕方ないので、家に戻り、手持ちのもう一個を持って行って試したら認識したので、スキャンしてみた。

が、どうも画面の取り込み画像の雰囲気がおかしかったので良く見たら、どうやら用紙サイズ(方向)を自動認識していないようだった。それで、向きを変えてみたら、うまく取り込めた感じだった。ただ、失敗の可能性があるので、少しだけにした。4枚で80円だった。

家で確認したら、案の定、無事死亡していたw カタログの用紙は定形サイズでない(A4より少し幅が広い)のだが、そのマルチコピー機はサポートしておらず、A4の幅で切ってしまっていた。そもそも、開いて2ページを一度にスキャンできると思っていたのに、1ページずつしかできなかったのも想定外だった(定形でなく、最大サイズのA3より大きいから仕方ないのだが)。

まったくがっかりだった。そのマルチコピー機には、他にも以下のような想定外の問題などがあった。

  • 傾き補正がない。
  • 処理が遅い。1枚の取り込みに30秒くらい掛かる。
  • なぜか、保存先はUSBのみ。SDカードなどは不可。
  • 時刻が半日ずれているw

メーカーはコニカミノルタだったと思うが、笑えるほどお粗末だ。メジャーなコンビニの(例: 富士ゼロックス)はもっとマシなのかと思ったのだが、何となく、非定形サイズや傾き補正には対応していないような気がしたので、そっちで試すのは止めた。

それで、仕方なく、切ることにした。端の方の目立たない場所で切ればいいと思ったので、スキャナ(ScanSnap)が取り込めそうな最小の幅を残して縦に切ることにした。用紙の幅はA4より3cmくらい広かったので、余裕を持って3.5cmで切った。

早速、取り込んだ。大きい方は問題なかった。小さい方は、、、「用紙がない」というエラーになった。「え??」と思って調べたら、どうやら、取り込める最小の幅は5cmくらいのようだ。実際には、もう少し狭くても大丈夫なようだが、とにかく、3.5cmは駄目だった。ガイドの最小幅(5cmくらい= 名刺などの短辺)には意味があったのだ。。。

それで、仕方なく、切った細い紙片をテープで繋げて取り込み、ソフトで切り出して分割し、地図の時と同様に、大きい方と繋げることにした。なかなかの手間だったが、分割まではできた。が、(初めて知ったのだが、)ScanSnap organizerは、ほぼ同じ大きさのページでないと、エラーになって繋げられなかった(何とも制約の多いソフトだ)。。。それで、pdfshufflerで並べ替えてpdfnupで繋げてみると、これも各ページが同じサイズであることを想定しているのか、細い方の余白が大き過ぎて全然繋がっていない。。。 (今気付いたが、大きな地図を繋げた時に隙間が空くことがあったのは、これと同様に、切った各ページのサイズが微妙に違っていたせいかも知れない。)

それからさまざまな試行錯誤をして、ようやく何となかった。pdfnupのパラメタを変えて2種類のファイル(要は、奇数・偶数ページ用)を作り、pdfshufflerを使い、それらの中でうまく繋がっているページを選んで余白を削り、まとめて1つのファイルにした。

すごく苦労したのに、「これじゃない感」が漂ってしまった(最初の版では、表紙にテープが写っていて更にひどかったので、やり直した)。

更に良くないのは、切る前にカメラで写しておこうと思っていたのに忘れてしまって、元の状態の記録がないことだ。このカタログは(実家でなく、)ずっと手元に置いておいて、(そのままでは取り込めないし、切るのは嫌だし、)どうせカメラで撮っても綺麗には写らないと思っていたせいか、過去の写真を探してもどこにもなかった。。。

まったく、いくつもの想定外や不注意が重なった。

でも、安心して下さい。実は、もう一部ありまーす!w 当時、カタログを2種類もらっていたのだ。一つは簡単な方(通常版?)で、今回切ったもの。もう一つは豪華版とか完全版とでも言うのだろうか、ページ数が多いもので、そっちは無傷だ。今となっては、それはどうしても切りたくない気分だ。何とかして非破壊で取り込むかそのままずっと持っているかだが、もう少し考えよう。

バックアップのために、その豪華版カタログをとりあえずデジカメで撮影したので、ちょっとお見せしたい。

スキャナじゃないので、歪んでいたり画質が悪いのが残念なのだが、バブルの息吹が伝わるだろうか? 若かった僕は これにコロッと騙されて、「これは買うしかない!」と思ってしまっただ・・・ (この、かっこいいお姉さんみたいな人と親しくなれそうな気がしたかどうかは、定かでないw) それにしても、今、こんなかっこいいカタログはあるのだろうか? BMWとかの高級車ならあるのかな。

(9/4 6:19, 7:40 少し加筆・修正、画像を追加。更にひどかった画像などへのリンクを追加)

 

PS. さて、豪華版をどうやって取り込むかだ。

  • どこかにPDFのファイルがないか、探す。
  • スーパーのマルチコピー機で1ページずつ取り込んで、修正する。: すごく面倒だが、手順は分かった。
  • コンビニのを試す。: せいぜい、高速で傾き修正がある程度?
  • スキャナをレンタルする。: 高いうえにカメラ式なので、余り意味がない。

どこかにPDFがありそうな気がする。闇の車サイト?? 日産のサイトの「ヘリテージコーナー」とかいうところにあったりすると、少し見直すのだが。まあ、今はフランスのおっさんが威張ってる会社だからないと思うがw でも、仮にPDFがあったとして、苦労せずに手に入ってしまうと、なんか少し物足りない気がするのは、単なる馬鹿者不思議だw (9/4 6:58)

(9/5 15:20追記) スーパーのマルチコピー機で取り込んでみたが、それがとんでもないシロモノで、「だめだこりゃ」レベルだった。何が駄目かというと、実は傾き補正機能があったのだが、それがダメダメで、余計に傾き補正してしまって大抵1°前後傾くうえに、背景に斜線があると騙されてしまって、以下のようになってしまう。しかも、補正のキャンセルや調整はできない。

コニカミノルタ製マルチコピー機のアホな傾き補正機能の結果・・・

この傾き補正、良く考えると全くのカスだ。というのは、いくらなんでもこんなに傾けて紙を置く人はいないし、居たってそれを無理して補正する必要はないし(この機械は、スキャン結果の小さい画像を見て、駄目なら除外できるから、失敗したってお金は掛からない)、この印刷は色が濃いから四辺が確実に分かり、そこから紙は傾いていないことが分かるはずなのに、それを全く考慮していないからだ。上に書いた、大抵1°前後傾くのも、写真中の斜線に影響されたようだ。変なところで敏感で使えない。

それから、高解像度(600dpi)で取り込んだせいかも知れないが、取り込みも保存も遅く、シルビアのカタログ(32ページ、64枚)の取り込みに1時間くらい掛かった。すごく疲れた。だから、あそこのスキャン機能はもう使いたくない。

上のページはどう頑張っても傾いてしか取り込めないので、画像を回転させて対応した。ページが特殊なサイズのため、各ページについて2枚の画像を繋げる必要があるので、傾きを修正するために回転させると画像のサイズが変わってしまうため、とんでもない手間になる。まるで、自分でカタログを制作しているかのようだw

取り込んだ画像をカタログにする・・・

随分苦労したが、ようやく画像を再構成してPDFにできた。随分綺麗になった。もちろん非破壊だ。ただ、これがものすごい価値があるかというとそうでもなくて、単なる自己満足である。まあ、思い出の品の整理の一環として、いつ原本を破棄してもいい準備ができたということと、PCで手軽に見て愉しむ程度だw あと、箸にも棒にも掛からない、ダメダメマルチコピー機があることが分かったのは、結構な収穫だ。 (9/5 16:50)

マルチコピー機で取り込んだ画像を再構成して作ったた、シルビア(PS13)のカタログ(豪華版?)

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ちょっと思い立って、思い出の物を整理していたのだが、困ったのは、地図やパンフなどの大きな紙だった。普通の大きさならスキャンできるのだが、大きいものは切らないと取り込めない。普通の書類なら適当に切ればいいが、残っていたのは、ソ連旅行(1989)で買った地図や、好きだった映画や、社会人になって初めて買った車(シルビア(PS13))のカタログで、気軽に切ることはできない。仮に切ったとしても、繋がった状態で見たかった。

それで、PDFの各ページを繋げる方法を調べてみたら、なんと、ScanSnapのアプリ(ScanSnap Organaizer)でできることが分かった。随分長く使っていたのに、思い付きもしなかった(単に、取り込んだファイルを整理するだけの「余計なアプリ」だと思っていたw)。もっと早く知っていたら、結構便利に使えたのにと思う。ちなみに、手持ちのAcrobat(ScanSnapに添付のもの)ではできないようだった。

試しにバイカル湖の地図をやってみたら、予想外にうまく行ったので、次の地図(キルギスタン)に進んだら、早くも想定外の事態になった。繋げられるページのサイズに上限(A3まで)があるので、余り大きいものは繋げられないのだ。結局、8ページ(裏表各4ページ)になってしまってがっかりしたが、でもまあ乗り掛かった船だし、あとで別のツールで繋げられるかも知れないので、ソ連の地図全部(5葉)と映画(「グラン・ブルー完全版」(1992))のパンフを取り込んだ。

地図に書かれているのはキリル文字なので、もちろん読めないうえに上下左右裏表すら良く分からずw、繋げるのに苦労した。あと、パンフの厚手の紙は取り込みの時にズレるのか、地図と違ってうまく繋がらない場合があった。

「グラン・ブルー」はすごく懐かしかった。今では誰も話題にすらしないのが寂しいが、まあ、もう20年以上(初公開からは30年)前だから、仕方ないか。そういえば、監督(ベッソン)が不祥事でMe too運動?で告発されていて、がっかりした。そして、パンフに載っていた広告の素材(ワイルドブルー ヨコハマダブルのスーツ)がいかにもバブル(実際には、その頃は末期だったか既に終わっていたのだが)なので、やっぱり懐かしくなった。どっちも今はないもんな・・・ そして、ビールの広告の根津甚八を近頃見ないと思って調べたら、2016年に亡くなっていたのを知って、(全然好きではなかったが、)やっぱり寂しくなった。

そういえば、ジョンの曲に「誰も教えてくれなかった」("Nobody told me"(1984))ってのがあったが、ちょっとそんな気分だ。

(9/3 8時追記) PDFのページを繋げて大きなサイズにする方法を調べたところ、LinuxやWindows用の売りもの(Master PDF Editor, FoxIt Phantom, PDF Element Pro)の試用版ではできなかったのだが、Linuxのフリーのプログラムpdfnupでできた。これは、印刷時の複数ページを1ページに出す機能(n-up)のPDF版のようなもので、ファイル内の各ページを指定した配列(例: 4x2)で繋げる。結局、PDFの印刷のn-upでも同様の結果は得られるが、その場合、オリジナルのファイル情報が失われてしまう気がするので、こちらの方が良さそうだ。

ただし、均等に切れずに各ページのサイズが微妙に異なる場合、取り込み時のページサイズの自動認識の問題か、各ページの間に隙間が開いたり、上下幅が微妙に異なる場合があった。ページサイズを手動で指定したり、上下の隙間を埋めてサイズを合わせればいいのかも知れないが、なかなか難しい。

pdfnupは、Linux Mint(Ubuntu系)では、パッケージpdfjamの実体、texlive-extra-utilsとtexlive-latex-recommendedをインストールしたら使えるようになった。なお、pdfnupは連続したページを繋げるので、あらかじめ、繋げたいページの順序を調整しておく必要があるが、LinuxではpdfshufflerがGUIで便利だった。これはページの回転もできる。

 

PS. 残りはシルビアのカタログだが、あれはまさに古き良きバブルを体現していて、本当は切りたくないのだが、まあ、残しておいてもしょうがないもんね。。。

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先日、SpotifyでTRF(trf)の「寒い夜だから・・・」が掛かって懐かしかったのだが、どうも何かが違う気がした。その時はミックスが違うのかと思った。曲名に"1994 Version Original Mix"と付いていたのが、違う原因かと思っていた。調べると、初出は1993年なので、1年後に再ミックスして出したのかと思ったが、それにしては短期間なのでおかしい気はした。

そして今日、オリジナル(1993)が掛かった。「これが本物だ」と思った。が、歌い出しのフレーズなんて、当時はもっとスピード感や突き抜け感がある歌い方だった(それが印象的だった)と思っていたが、今聴くと、なんかじれったいくらい遅く感じる。あと、声が細いのもイメージと違う。

が、掛かったのは紛れもなく本物なので、僕の記憶が違うのだろう。当時は若かったし、自分の気分や状況や流行りの音楽や世の中が今とは違っていたから、上のような強烈な印象を受け、それを覚えていたのだろう。

そして、実際には、最初に書いた"1994 Version Original Mix"も今日の1993年のと同じもののような気がする(上に挙げたYouTube(1994年のが僕が最初に聴いたのと同じと仮定して)で比べたら、違わない気がした)。しかも、YouTubeだと声が太く聞こえたし、スピード感もあった。(今回の)最初は随分久し振りに聴いたので、頭が混乱したのかも知れない。何回か聴くとイメージが復活するのだろうか。

こういうことは結構ある。クラシック音楽でもあるが、ポップ音楽の方が多いように思う。ちょっと気に入った曲を時間が経ってから聴くと、「あれ、違う曲?」とか「あの(気に入った)フレーズが出てこない?」とか思うことがある。脳内で、自分の曲・アレンジを作ってしまうのだろう。そういえば、時間が経ってなくても、ピアノを自分の勝手な思い込みや解釈や乗りで弾いて、先生に「違う」と言われたこともあったなw

 

PS. 最初に聴いた時に調べて思った余計なこと: 今は、メンバーは全員50代なので、笑ってしまった(当時から続いているから当たり前なのだが、"trf"って言ったら若いイメージなので)。しかも、ダンスとかDJとかの人が多くて、ボーカルの人以外はレコーディングに参加しているのか謎だ。

PS2. (1995年頃に)最初に聴いて十年くらい経ってから、たまに行っていた近所の中古CD屋でtrfのベスト(1998)を見て、当時を思い出して懐かしくなって、思わず買いたくなった。が、冷静に曲目を見たら、この曲しか知っているのがなかったので、長考の末、止めた。当時はYouTubeはなかったか今ほどのレパートリーではなかったから、こういう曲を手軽に聴くことができなかったのが懐かしい。

全くの昔話だが、当時はfinetuneやimeemという無料音楽配信サービスがあった。今のSpotifyの無料版に似ていたと思う。僕は、それを苦労して「ダビング」(ダウンロード)して、好きな曲を集めていたものだ。そんなことをブログに書いたら、「良くない」とか言ってご指導下さった友人が居たw 聖人君子でもあるまいし、昔から、つまらないことで人の揚げ足を取って得意になる人は居たものだ。 (どうも、いつものように、最後に余計なことを思い出してしまったなw)

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Spotifyを始めてから、岡村孝子を再評価した。以前は、「あみんで売れた人だけど、なんかミーハーっぽいよな」と思っていたのだが、改めてヒット曲(「夢をあきらめないで」(1987))を聴くと、悪くない。それから、その曲が入っている"liberte"(1987)のジャケットの雰囲気(主に髪型?)が森高に似ている(森高より落ち着いて見える分、上かも知れない)せいか、妙に気になった(そんな自分こそミーハーだw)。意外に僕より年上で、今は56歳でおばさんになっているけど、近影を見る限りいい歳の取り方をしている感じで、なかなか好感が持てる。こういうお姉さんが居たら悩みを聞いてくれそうだ。

岡村とは関係ないのだが、やっぱりSpotifyで改めて好きになった(というか、昔からヒット曲が好きだったから懐かしいけど、今聴いても、やっぱり曲も歌もいいと思う)渡辺真知子には誤ったイメージを持っていた。結構前から大阪出身と思い込んでいて、今は、いかにも「大阪のおばちゃん」になっているのだろうと思っていたのだ(実際、公式ブログの写真はそう見える)。好きな曲(「迷い道」(1977)や「かもめが翔んだ日」(1978))の歌い方やTVでの言動(といっても、観たのは大昔のことなので、記憶が確かでない)が、どことなく大阪の人を思わせたのだ。でも、岡村を調べたついでに調べたら、横須賀出身だったことが分かって、ちょっと驚いた。だから、大阪出身と思い込んだのは、姉御的な雰囲気を感じたせいかと、今思っている。こういうお姉さんが居たら、乗りが良さそうで楽しくて、頼りにできそうでいいと思う。

結局、「いいお姉さんが欲しかった」ってことに帰着しそうだ

と思いきや、ついで(記述内容の検証のため)にもう一人調べたら、大どんでん返しがあった! 渡辺と同時代にヒットした庄野真代が大阪出身だったのだ。ヒット曲、「飛んでイスタンブール」(1978)はいかにも都会的で(大阪が都会でないという意味ではないです。東京人の、いかにも「私、かっこいいでしょ」とかどことなく冷たい雰囲気を感じたのです)、横須賀とか東京出身のイメージがあったのだが・・・ どこかで渡辺と記憶が逆転したのかも知れない。更に調べたら、同じ頃に東京出身の久保田早紀が「異邦人」(1979)をヒットさせており、この3人のイメージが混ざっていたような気もして来た。実際、「イスタンブール」と「異邦人」はどちらも好きだけど、頭の中では渾然一体としていて、聞かないと分からない(当然、頭を歌うこともできない)。

結局、僕のイメージや記憶は当てにならないってことに帰着しそうだw

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昨日、ふと、「なぜ日本の演劇は「大げさ」「わざとらしい」と感じるのか」という見出しが目に入った途端、本気で膝を叩きそうになった。もしかしたら、「おお」とか口に出したかも知れない。

20年以上前、僕は劇にはまっていた。特にシェークスピアが好きだったので、戸山のグローブ座なんかに良く観に行った。いろいろな劇団のを観た。劇を観るのはおもしろかった。劇は、音楽同様、生身の人がリアルタイムに目の前で演じるところが好きだ。

その頃意外だったのは、日本の老舗の劇団(「**座」のような名前のところ)の演技が、どうもわざとらしくて滑稽にすら思えたことだ。一方、RSCなんて、英語でまくしたてるから、言ってることはほとんど分からないのだが(状況や雰囲気とか記憶の中の原作から推測していたw)、全く不自然さは感じず、引きこまれた。

ただ、今気付いたことだが、書かれたままの原語をネイティブが演じているのだから自然なのが当然というのの他に、言ってることが分からないから、不自然さを感じるまで達していなかったのかも知れない。

当時は、まあ、(日本のは)古い劇団だからそういう作風なのかとか、(有名な)その人がそういう演技(で固まってしまっているせい)なのかとか思って、「いくら有名でもいい訳ではない」と自分の中では思っていたが、観客はいかにも良かったかのように拍手していたし、周りにそういう話をする相手が居なかったので、僕の好みの問題だと思っていた。

が、昨日、上の記事を目にして、僕だけの問題でなく、日本の演劇の本質的な問題だった(少なくとも、プロでも「わざとらしい」と感じる人が居た)ことが分かり、安心した。要点は、台本のセリフの書き方の問題と、「日本には「対話」という概念がない、あるいは薄い」ということらしい。

後者は初めて知ったのだが、それが本当なら、僕がいつも感じているストレスの一因はそこにあったのだと思った。対話の概念が薄い社会なら、いくらこっちが問いかけてたって、応答なんてなくて当たり前だ。「じゃあ仕方ないな」と思える。

そういうストレスは、実は、シェークスピアが原因だったように思う。シェークスピアを読んで・観て、あの世界にかぶれてしまい、「とにかくやってみる」とか「(黙っているより)意見を言ってみる方がいい」などと思うようになった。これに関して一番影響が大きかった作品は、「ハムレット」だったと思う。

だから、劇なんて好きにならなければ、そんなストレスはなかった訳だ。が、自分の意識を変えたことで減った、それまであった別のストレスは依然としてあっただろうし、そっちの方が重かったような気はする。

書いた後でちょっと気になったのは、彼は「日本には対話の概念がない」とは書いているが、日本だってしゃべり好きな人は沢山居るから、彼が言っているのは僕の思ったこととは違うのかも知れない。「対話」(dialogue)と「会話」(conversation)の違いなのだろうか。あるいは、西洋の劇(戯曲)の主な構成要素である対話のことを指している(つまり、本当に劇だけの話だった)のか。これを確かめるには、彼の本を読むしかない。まあ、いずれにしても、僕がかぶれたのは西洋の劇の「対話」的なものだったように思うので、その点は合っていそうだ。少なくとも、日本の劇はわざとらしかったことは確かなので、それだけでも充分だ。

それならどうしたらいいのかを知るには、その記事の筆者(平田オリザ)の本を読めということだろうが、まあ、そこまではしない。そもそも読むのが面倒だしw、おそらく、彼の本を読んだところで、書いてあるのは劇の話が中心かも知れないし、そうでなくても、周囲の人や社会が(自然に)変わる訳じゃないので、逆に更にストレスが溜まりそうじゃないか。

今は、「じゃあ仕方ないな」で良しとするし、ごくまれに対話に応じて下さる方が居るだけで幸いだと思う。

PS. ちなみに、今は劇は全然観に行っていない。劇よりは音楽に行きたいが、そっちにすら行けていない。でも、RSCとかが来て手軽に行けるなら、行ってみたい。

PS2. 「わざとらしい」劇の話では、先日、ある大学に出張に行った時、その庭で、演劇部であろう学生数人が劇の練習をしていた。いかにも青春という感じで、楽しそうでうらやましかった。が、やっぱり、セリフの言い方などが「いかにも劇」で今一つだったので、一緒に行った人に思わずそう言ってしまったのだが、本人たちに聞こえて彼らをスポイルしてしまわかったか心配になったw

PS3. 今頃、冒頭に、

またやっちゃったよ! 家の階段で。いや、それは「膝を折った」だ。

とか軽くボケればおもしろかったが、僕はいつも気付くのが遅いw それに、これは真面目な稿だ。 (13:52)

PS4. 日本には「対話」の意識がないということで、(平田の言う「対話」と同じかは不明だが、)ちょっと思い出したことがある。昔、ある人が演劇を目指していると書いて来たので、僕がシェークスピアが好きだとか、昔は良く観に行ったので、演劇にはうるさいとか、どういう方向を目指しているのかとか聞いたら、返事がなかったことがある。

その時は大変ムカついたのだが、数年経った今だってそうだ。自分の目指す道について聞かれて何も答えないというのは、僕の質問が余りにも低レベルで答える気を失ったか、そいつの考えが全くいい加減で、単に「役者を目指している」と言いたいだけのような場合だろうが、当時は後者と考えた。その証拠に、その人は、役者でなく「女優」になりたいと言っていた。全く笑う気にもならない。

そして今、日本人には「対話が重要だ」という意識がなさそうなことが分かり、その人は、僕の質問なんて大した意味はないから、無視してもさしたる問題はないと思ったのかも知れないと思った。まあ、それにしたって、役者(、それだけでなく、performing arts)を目指す人には他人との対話が重要だという、余りにも基本的なことを分かっていないという点で、どう逆立ちしたってまともな役者になんて絶対になれないと、今、無慈悲な怒りを込めて再びディスる。 (17:41)

 

(カテゴリは「映画・TV」だが、それに「演劇」も含まれることにした)

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SpotifyのDaily mixを聴いていると、いろいろな発見がある。ほとんどは、昔、TV(多くはCM)やラジオなどで聞いたけど、名前も演奏者も分からない曲が何か分かることだ。今日だけで、以下のように、何曲も分かった。

  • "Born To Be Wild"はSteppenwolfの1968年の歌のようで、意外に古い。カバーした人が居たのだろうか?
  • "Mellow Yellow"という歌があったようだ(これは聞いたことはない)。Donovanで1967年。昔のとても甘い飲み物(Mello Yello)はこれに由来するのか?
  • Billy Idolの"White Wedding - Pt. 1" (1982)という曲(彼の名前も)が「いかにも」で、普通は反感を持つのだが、なぜかかっこ良く思えるw
  • "Always Something There to Remind Me"という、懐かしい曲。Naked Eyesの1983年の歌だそうだ。
  • スローな"Right Here Waiting"はRichard Marxの1989年の歌だそうで、すごく懐かしい! サビしか知らなかった。雰囲気がTOTOやForeigner風なので、そこらかと思っていた。
    • この頃、大学の友人のWくんと、新横浜であったキリンのコンサートに行った。確か、誰かを誘うつもりで券を買ったが駄目だったので、代わりに彼を誘ったのだ。Richard MarxとBilly Idolも出てた気がする。メインはジェフ・ベックかスティーブ・ルカサーだった。 ← リンク先によれば、ベックもルカサーも出ていたが、Billy Idolは出ていなかった。すっかり忘れていたが、チャック・ベリーも出ていたようだ。何か弾いてた気がする。そういえば、全部の演奏の音がとにかくうるさかったのに閉口した。あと、終わった後で駅まで延々と続く行列にも閉口した。
  • "YES MY LOVE" (1982): 矢沢永吉は好きではないが、いい歌はあるし、歌も演奏もちゃんとしている。良く居るテキトーな歌手よりずっといい。(これは単なる感想。彼の歌は、知らなくてもすぐに分かる。)

こういう(再)発見はGPMでもなくはなかったが、ここまで頻繁かつ感動的ではなかった。やっぱり、その人が聴いたとかThumbs up/Likeした曲などで好みを認識する能力がすごいようだ。

さっき、ダウンタウン・ブギウギ・バンドの懐かしい「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」 (1975)を聴いて思った:

今は、「ちょっと前なら憶えちゃいるが、*年前だと分からねぇなあ。あんた、一体なんなのさ」って偉い人が沢山いるねぇ

と。そして、僕ですら、上のように何十年も前のことを思い出せるのに、そういう方たちは一体、どんな都合のいいオツムをしているのだろうかとw

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Spotifyの使い勝手を改良するプログラム(暫定版)を作った。仮に「Spotify制御ツール」(spotify-ctl)と呼んでいる。(作るのに結構苦労した割には、)見た目はしょぼいが、僕には欠かせないものだ。以下のような機能がある。

  • リモコンでSpotifyを操作できる。GMB(gmusicbrowser)と切り替えて使える。
  • 音量正規化のon/offをボタンで切り替えられ、その状態を表示できる。
  • リモコンで、「この曲の再生後に停止」を指示することができ、その状態を表示できる。

意外なことに、ほとんど誰も「この曲の再生後に停止」機能を欲していないようだが、几帳面な僕には必要だ。今の曲で聴くのを一旦止めようと思った時、一瞬でも曲のお尻が欠けたり次の曲の頭が出るのが許せないのだ(これ、本気です)。常に「ぴったり」で停めたいのだ。それをやるのにこの機能がないと、(車の信号待ちの時のように)曲の終わり辺りで再生位置のメーターに神経を集中させる必要があるので、疲れるw

少し内部的なことを書くと、システムは、以下のように、リモコン対応部(GMB用のプログラムに機能を追加)と制御・表示部(本体)からなる。

リモコンサービスプログラム

  • リモコンのキー(再生、停止など) → SpotifyまたはGMBに指示を送信する(DBus)。送信先(操作対象)は下のように切り替える。
  • 対象切り替えキーまたはその時の状況(例: 片方のアプリしか起動してなかったら、そっちに送る。片方が再生中だったら、そっちに送る。)で、制御対象(SpotifyとGMB)を切り替える。
  • 対象の切り替え時には通知を表示する。
  • 「この曲の再生後に停止」のキー → 制御・表示プログラムに指示する。

制御・表示プログラム

  • Spotifyアプリ (DBus) → 曲情報 → ウインドウに曲名、演奏者、アルバム名を表示する。
  • Spotifyアプリ (DBus) → 再生状態 → ウインドウに表示する("Playng status": "▶"/"⎟⎟")。
  • 音量正規化変更ボタンのクリック → Spotifyに設定し、ウインドウ下部のボタンに状態("RG is ON"/"RG is OFF")を表示する。
  • リモコンからの「この曲の再生後に停止」の要求 → 要求の有無をウインドウに表示("Playng status": "▶"/"▶⎟⎟")し、要求がある場合、曲の切り替わり直後に停止する。その後、要求をクリアする。

なお、本当は、GMBのミニプレーヤー(下図左側)のようにテキストを綺麗に表示してジャケット画像も出したかったのだが、表示に使ったツール(yad)の機能の限界のために見送った。余裕があれば、別のツール(uzblブラウザが有望)で実現したい。が、簡単に操作できることが重要で、見栄えは本質でないので、優先度は高くない。あくまでもお遊びだ。

やりたかったイメージ (左(GMB)が理想)

「なんだ、偉そうなこと言っておきながら、結局(GPMでやっていたことと)同じことを繰り返してるじゃん」と言われそうだが、結構違う。GPMの時は、第三者の作ったライブラリやアプリなどを改造して使っていたが、こっちは、純正のアプリを何も変えずにそのまま使い、一部(音量正規化の設定変更の仕方)を除いて、公開されている仕様(DBus/MPRIS)に基づいて作っているので、Spotifyの勝手な変更(仮にあったとしても)に右往左往させられる心配は少ない。だから、将来的な手間はずっと少ないはずなので、音楽(=本質)に集中できる。

遊んでしまったw テキストを見やすくし、ジャケット画像をSpotifyから取得して表示するようにし、再生状態はアイコンにした。これならまあまあ許せるかな? 表示には前と同じプログラム、yadを使ったが、前(form)とは別のモード(list)を使った。 (6/3 3:33, 13:12)

外観を大幅に改良したSpotify制御ツール

 

PS. まったくの余談だが、デバッグ中に「さらば涙と言おう」(1971)が掛かった時(→ )、ものすごく懐かしかった。というのは、僕の通っていた小学校では、下校時間にこの曲が流されていたのだ。どうしてこの曲なのかは今となっては知る由もないが、毎日掛かっていたのだ。たまたま帰るのが遅くなって、夕方の薄暗い時に、ちょっと悲しい気分で聞いた記憶がある。なお、この曲がいつまで使われていたのかは記憶にない。

何十年振りに聴いた気がするが、清潔とかシンプルな曲だと思い込んでいたのに、(基本はそうだけど)意外な雰囲気だったことが分かった。例えば、ハワイアンな音(ギター)があるのだ。尾崎の「また逢う日まで」(1971)もそうだが、当時は結構妙なアレンジが多かったのかも知れない。まあ、今の歌(全然知らないがw)でも後でそう思われる気もする。

あと、彼がのちに県知事になるなんてのは、まったくおかしなことだw でも、USだって似たようなものだ(爆)

PS2. GPMを退会するに当たり、ライブラリ(お気に入りのようなもの)の一覧を保存しようと思っていたのだが、面倒だ。ツールはあるはずだが、それを引っ張りだして実行するのすら面倒だ。そして、意外なことに、近頃は、「そんな一覧なんてなくてもいんじゃない?」とすら思って来た。

というのは、確かに、気に入った曲の一覧があればいいが、今まで、それを見て聴くことがほとんどなかったからだ。逆に、重複のチェックに使った程度だ。あとで一覧を見て振り返ればおもしろいだろうが、その程度だし、それなら日記やこのブログに書いてあるからいい。(クラシック音楽については)僕は、常に、新しい(自分の知らない)、自分好みの演奏を聴きたいと思っているからだろう。あと、演奏者やジャケットを見れば思い出せることが多いし、気づかずに再度聴けば気に入る可能性もあるのだ(実際、最初は気に入らなかった演奏をあとで気に入ったことがあったし、その逆もあった)。

要は、昔の人のように、何かの曲の話になったら、「ああ、あれ(あの人の演奏)は良かったよ」みたいなものだと思っている。曲名と演奏者名が分かれば、世の中のどこかにあるはずだから、聴こうと思えば聴けるので、音楽を聴くのに(個人の)ストレージは不要になった。すごい時代だ。というか、昔に戻っただけ?w

重い腰を上げて、ライブラリの曲一覧をダウンロードした。GPMでは190アルバムと表示されていたが、ダウンロードしたら184個だった。まあ、6アルバム程度は「誤差」として良しとするw

なお、Googleのサービスはもちろん、既成の(第三者の)プログラムでもできないようだったので(検索したら、ブラウザでGPMを開いて、開発者ツールにJavaScriptのプログラムを入れてなどという前時代的なことが書いてあって、げんなりした)、gmusicapiのMobileClientインタフェースのget_all_songs()を使って適当に作った。いつもながらPythonは嫌いだ。Perlよりはまともだが、なんで人気があるのか分からない。 (6/3 22:01)

PS3. 今気付いたが、このツールのおかげで、(Spotifyのアプリではできなかった)曲名や演奏者名などのコピーが容易になった。自分では気付かずに作ったが、これはうれしい!

PS4. それなりに動いていて便利なのだが、(いろいろ工夫はしたものの、)曲情報が改行されていないのはやっぱり見難いので、いろいろ試した結果、表示部に全世紀の遺物的なプログラム、Tcl/Tkがすごく良く使えそうな感じだ。今日、外側を作ってみたら、かなり理想に近くなった。あとは中身を作るだけだ。 (6/5 22:27)

新しいUIの案

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前回、Googleのいつもの勝手気ままな行動のために休日を潰したことを書いた。その時は暫定的な対処でしのいだのだが、正式な対処をする必要があり、結構大変(しかも、Googleの気まぐれでこの先がどうなるか不明なので、すぐには手を付けられない)なことを実感した。それで、どうするか考えた。いくつかの案があったのだが、その一つに、以前は却下したSpotifyに移ることがあった。

Spotifyを却下した理由は、Linuxのクライアントで音量正規化ができなかった(設定はあったが、効いていなかった)ことと、僕の聴きたい曲のレパートリーがGPMに負けていたことが大きかった。ただ、そもそも、GPMでの多大な苦しみは音量正規化をするためだったので、もし新しいSpotifyクライアントで音量正規化ができれば、そんな苦労が不要なので、充分に再考の余地があると考えた。

調べてみたら、近頃Linuxのアプリが更新されたようなので、インストールして試してみた。すると、音量正規化がかなりうまく働くことが分かった。普通のポップ音楽ではボリュームを調整する必要がないほどで、僕が苦労して作ったGPM+GMBのシステムを軽く超えていた。ただ、動的に正規化しているためか、ピンク・フロイドの「狂気」の最初の曲のように小さい音が長く続く場合には、音量の変化が激しくなって不自然になる。それにしたって、わざわざその曲を試したから気付いただけで、今まで数日間、普通にポップ音楽のラジオ(プレイリスト)を聴いていた限りでは、全然おかしくなった。あと、無料プランなのでビットレートは低いはずだが、(ポップ音楽では)音質も悪くなかった。

レパートリーに関しては、確かにGPMの方がいいことがある。が、試して実感したことがある。それは、(以前も書いたが)Spotifyの方がGPMよりずっと「音楽的」だということだ。言い方を変えれば、音楽好きな人たちが運営している雰囲気が感じられるのだ。一方、GPMからはそんなことは全然感じられない。他の事業と一緒で、持ち前の技術やお金やパワーでささっとシステムを作って出している感じだ。基本はお金や彼らの興味(先進性の誇示?)のためにやっているので、儲からなくなったら、あるいは、飽きたらあっさり止めるだろうし、(彼らにとって)つまらないことはしないのが見え見えだ。その証拠の一つが、上の音量正規化だ。ずっと要望されているにも関わらず、なーんにもしていない。GPMのラジオを聴くと分かるが、曲ごとに音量がバラバラなので、全く楽しめない。彼らはシステムを作るだけで、そのシステムでロクに音楽を聴いたことがないのだろうし、興味もないのだろう。きっと、良く居る技術○鹿集団なのだろうと思う。

ラジオ(プレイリスト)の曲目にしても同じだ。GPMにもそれなりのラジオがいくつもあるのだが、いつも何となく不満だったり物足りなかった。ところが、Spotifyのは全然違っていて、「これだ!」と感じられるのだ。

例えば、今朝からSpotifyの"My Generation: '80s"(無料会員登録すれば見られます)を聴いているのだが、最初の2曲を掛けただけでうれしくなった。「青い珊瑚礁」の次は「異邦人」なのだ! しかも、洋楽(例: ノーランズ "I'm in the mood for dancing")も混ざっていて、まるで僕のために作ってくれたようなリストなのだ。そういうのが全部で100曲、たっぷり聴ける。GPMのラジオは機械で作ったような感じだったが、これは違う。音楽好きのスタッフが作っているように思う。(6/4 20:54追記: 実際のところ、スタッフがどうなのかは分からないが、今日読んだ記事によれば、Spotifyの創設者ダニエル・エクは音楽好きらしい。顔はちょっと怖くて(眉毛がないところは、映画"The Wall"のピンク(ボブ・ゲルドフ)みたいだ)、いかにもロック好きの熱血漢という感じだw それはともかく、やっぱり、大きい会社のように、「儲かりそうだから、ちょっと真似してみるか」程度の軽い気持ちで始めた訳ではないようだ。)

Spotifyでプレイリスト"My Generation: '80s"を再生中

今まで試して来て、いろいろな不満・欠点は見つかっているのだが、それでも乗り換えたい気分になっている。繰り返しになるが、音楽的だということ以外に、純正アプリに音量正規化機能があってまともに使えるから、GPMでのような散々な苦労をする必要がないのは大きい。

とはいえ、やっぱり欠点はあるので、可能な範囲でカバーしようと思っている。以下に、現状での不足・不満な点を列挙する。いくつかは既に対処している。

  • サービス
    • レパートリーが若干狭い(アルバム数が少な目)。 → 入ってなくて聴きたいものは、CDを買うかダウンロード購入すればいい。
    • GPMの"I'm feeling lucky"に相当するラジオ(プレイリスト)がない。そのうちリコメンドされる?
    • 手持ちの曲(レパートリーにないものなど)をアップロードできない(デバイスごとに入れるしかない)。 → 割り切りの問題?: 自宅ではもちろん聴けるから、外で我慢すればいい?
  • Linuxアプリ
    • 音量正規化のon/offが面倒(拡張設定を開く必要がある) → 検討中
    • 曲名などのテキストが選択できず、コピーもできない。 → "Suggst an Edit"を選択するとブラウザで表示されるので、できる。
    • 「この曲で停める」がない。(GPMも同様) → 検討中
    • 検索に日本語が入らない。(ペーストは可。Webは可) → 何とかして欲しいw
    • リモコンをGMBとうまく共有する必要がある。 → 概ね対処済み。
    • Thumbs up/downできない(アイコンが出ない)ことが多い。謎仕様。(Thumbs up/downはリコメンドに関係ないのなら問題ないが)
    • UIが暗い。 → 改造できるようだ。

逆に、Spotifyのメリットもある。上に書いたこと以外に、以下のようなことがある。

  • サービス
    • 初出年が概ね正しい。(GPMよりずっと正しい)
  • Linuxアプリ
    • 検索結果の最大表示数が多い。
    • アタッカ(メドレーのように、2曲が切れずに繋がっていること)がちゃんと繋がる(今まで試した曲では、GPMで切れていたものも切れなかった)。
    • 演奏者などの情報も見られる。

数は少ないが、欠点を補って余りある。それらもSpotifyが音楽的だと感じる所以だ。

と、ここまで書いたら、当時結構好きだった"Overnight success"が終わったところで、無慈悲な鉄槌を下されてしまったw いや、無料プランの上限(15時間/月とのこと)に達してしまって、次が聴けない・・・ 無料でも無制限じゃなかったのか?? 広告を出してないからか。まあいいや、あとでプレミアムに申し込もう。そして、さっさとGPMを引き払おう!

最後に題について少し説明すると、僕はGPMをいじって遊びたかった訳ではなく、普通に音楽を楽しみたいがために散々苦労していたのだ。その原点に立ち返れば、これまでの苦労をきれいさっぱりドブに捨ててでも、Spotifyに移る価値があると思っている。だから、今までの実績(だかなんだか)があってもなくても、それに固執せず、原点に立ち返って、何が本質かを再確認するのは重要だと思う。と、ちょっと意識高そうなことも書いてみたw

 

PS. 早速プレミアム会員を申し込んだ。最初は100円/3か月なので、結構お得だ。なお、このキャンペーンや通常の最初の30日間無料試用は、以前試用をしたことがあると適用されない。僕も、新規アカウントを作り直したのに、そのパターンになってがっかりしていた。が、どうやら支払い口座(例: クレジットカードの番号)で判定しているようで、別の方法で支払うことにしたら、無事100円になった。ちょっとセコいが、まあ、チートして無料で使い続けるよりはマシではないかw (5/31 4:47)

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