Archive for the ‘意見’ Category

(結構前からやっている、スマフォ関係の作業(家に居る時にモバイルデータを使わないようにすることの徹底)が予想外になかなか収束しないので、先日から思っていた別の話題を書く。)

先日、Spotifyで、あるピアニストのモーツァルトのピアノ協奏曲 第21番を聴き、(第1楽章の時点では)「結構許せる」と思った。知らない人だったが、ジャケットに目をひかれたので、試す気になったのだ。

それで興味を持って、聴きながら、どういう人なのかと検索したら、その人は目が見えないことを知ってしまった。全然気付かなかった。これなら問題ないと思った。どうりで、ジャケット写真で黒いサングラスを掛けていた訳だ(それがなかなかかっこ良かった)。

ところが、その後、第2楽章が少しガタついているのが気になってしまい、その後で試したK. 488もガタガタで駄目だった。

自分では、決して演奏者の属性(例: 経歴、言動、身体的特徴、民族・国・地域)で演奏の良し悪し(正確には、「自分がいいと思うか」)を判断しないようにしているつもりなのだが、もしかしたら、目が見えないことを知って、無意識のうちに負のバイアスを掛けてしまったのかも知れない。自分の感覚とか意識を疑ってしまった。知ってしまった以上、再度同じ演奏を聴いても同じ(中立な)感想にはならない気がするので、もう遅い。

同様に、数日前に、あるピアニスト(以前から好きではない人)が難病であることを発表したが、そうなると(そういう行動でなく、)演奏を批判するのも躊躇われる(例: 不用意に批判すると、「病気にも関わらず頑張っているのに けしからん」となる)ので、僕としては好ましくない。

結局、以前からの持論の、(芸術家の)属性は作品とは別であり、属性を知らないほうがいい・知る必要はないというのを更に堅くした。

PS. とはいえ、気に入った人なら どういう人か知りたくなるのも人情で、そこの解決は難しい。半分冗談だけど、演奏者は全員、記号とか番号で発表すればいいのに。もちろん、ジャケットには本人の写真などなしだ。作曲者なども同様にして、「X1234のピアノ協奏曲第1番、ピアノ: P345、指揮: C87、オケ: O65」とかにする。そうすれば、ちょっと昔の偽作曲者騒動もなかっただろう。でも、随分味気ないなw

それに、この方法はコンサートでは使えない(本人がステージに出て来ざるを得ないので)し、演劇でもまったく無理だ。パフォーミングアートとは相容れない考えなのだろうか。

実現の可能性があるのは、自分がまったく何にもとらわれずに、常に中立の立場で鑑賞し、評価することだろう。だが、なかなか難しいと思う。強靭な精神力(例: 大嫌いな人の演奏でも聴く)と、正しく評価するための知識(例: 単に「いい」でなく、「※が*だからいい」と示せること)が要るだろう。

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e-Taxは諦めたので、先日、国税庁のwebで去年の確定申告を書いた。一人だしそんなに多項目の収支もないから、すぐに終わった(毎年改良しているのか、webの使い勝手は結構良かった。Firefoxでもちゃんと使えた。そこは評価できる)。意外に、わずかながら還付になった(医療費はギリギリで控除対象額を超えたが、残念ながら、集計した手間に見合う価値(還付額)はなかった)。すぐに出してすっきりさせたいが、一応、漏れや誤りがないか数日間考えてから出そうと思った。ところが、待つうちに、段々、「こんなの、(「飾りだ」とは言わないが、正しかろうが間違っていようが)どうだっていいじゃん」みたいな、妙な気分になった。(更に、これを書くうちに腹すら立ってきたw)

(事前に思い付いたことをメモしていたので)いくら考えても漏れに気付くことはなさそうだし(例えば、「おや、こんなところに*十万円が!」なんてことはないのだ)、(正しいと思って打ち込んだうえに見直しもしたので)誤りだって見つかる訳がない。特に、誤りなんて、(得するように故意に操作しない限り、)指摘されなければ何も問題はない(そもそも、自分が気付かなかったのだから「誤り」な訳で、指摘されたら直せばいいことだ)。極端な話、桁と最初の数字が合っていればいい程度じゃないか。「厳密に徴税したいなら、お前らが自分で調べろ!」って気さえする(他には、例えば、「伝票類をまとめて放り込むだけで終わり」のように、作業を自動化してもっと楽に正確に申告できる仕組みを提供してくれればいいのだ)。そもそも、還付になったのだから出さなくたっていいくらいだが、決まりではあるし、要らぬ誤解を招いたらつまらないので、一応出す。

そんなことより、国の方がいい加減なことばかりしているではないか。賃金上昇(誰も信じちゃいないが)の根拠にしていたとかいう統計なんて、操作したのか本当に間違ったのかはどっちでもいいが、あれに比べれば、僕の誤りは(仮にあったとしても)本当に些細なことだ。全く何にも効かない。そもそも、納税したって碌なことに使われないではないか。消費税を上げても、どうせまともなことには使わないだろう。USに言われるままに高い武器を揃えたり、外国にばらまいてご機嫌を取ったり、役人だの議員は高給のうえに無駄遣いだの誤魔化しばかりしているではないか。税とは関係ないが、年金だってどうなるか分かったものじゃない。

昔、「納税は国民の義務」とか読んだ覚えがあるが、それであれば、まずは、役人だの議員だのがまともに仕事して欲しい!

という乗りでいい加減に申告したり誤魔化したりする人が増えたら、どうするのかねえ・・・ 全員を厳密に調べることはできないからねえ。一人一人は少額でも、積もると結構な影響が出るかも知れないね。そこを例のマイナンバーで取りっぱぐれないようにしようとしているのか。

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先日のカレンダー・住所録サーバの移行先を探している時だったか、POLARというドキュメント管理ソフトが出て来て、その時は目的とは関係ないから無視したのだが、その後、自分のファイルを整理している時に、ディレクトリ名じゃなくてタグ(カテゴリ)などで分類できて、ファイルにコメントが付けられて、ディレクトリ名やファイル名だけじゃなくてタグやコメントで検索できたら便利かも知れないなと思った。

それで今日、検索してみたら、いくつかのソフトが見付かったのだが、どれもイマイチだった。なぜか、大規模指向(「エンタープライズ」)の物がほとんどで、その上、まともに動かない物が多かった。POLARは機能が少ないうえに、バグなのか、コメントが入力できなかった。JAVAを使っているもの(Openkm, LogicalDOC)は、純正(Oracle)のJDKでないと動かないからOpen JDKをアンインストールしろなんてアホみたいなことが書いてあって、そのせいかどうか分からないが、動かなかった。Open JDKをアンインストールするとひどい目に遭うのでしないから、基本的には使えない。時間を掛けて調べれば動くのかも知れないが、そんな気は起こらなかった。

他には、容易に動きはしたがプログラムを暗号化するプロテクトを掛けているセコいもの(FileRun)もあった。こういうのは、ある時突然有料になったり使えなくなったりするから、最初から却下だ。他には、無料版ではコメントが書けないものも(TagSpaces)あって、それではドキュメント管理の機能としては不十分で、使いたいと思う人は少なそうだから、余り販促にならない気がする(ロゴが妙に古臭いのも、そういう頭の固さを表しているのかも知れない)。

あとは、先日移行したカレンダー・住所録サーバの機能でもある程度のドキュメント管理ができる(それが本来の機能のようだ)ことに気付いて試したのだが、イマイチで使う気になれなかった。そもそも、そういう用途のソフトなのに、それが使いにくかったら立つ瀬がないのだが、僕はそれは使ってないからまあいいw

結局、使えるものは何もなかった。が、良く考えたら、本気で使うなら、ただ「ドキュメント管理ソフト」という名前の物を導入するだけでは駄目で、さまざまなファイル(例: Word, Excel, PDF, 画像, 音楽)に対応した、全文インデックス(正確には、インデックス型の全文検索)機能などがないと駄目なことに気付いた。ファイル名やコメントやタグだけでなくて、ファイルの中に含まれる文字列でも検索したいではないか。そういうことを考えると、まずは、仕様をちゃんと調べるべきだった。

それから、そもそも僕の個人のPCにはそんなに大量のドキュメントがある訳ではないから、使う意味がないのではないかと思った。確かに、目当てのファイルがなかなか見つからないことはあるが、探すこと自体が少ないし、チームではないので、自分の記憶やメモを探せば出て来ることが多いし、いざとなったら検索するスクリプトを作ることだってできるから、ドキュメント管理を効率化しても余り意味がなさそうなことに気付いた(逆に、通常時に各ファイルにタグやコメントを付けるのが面倒な気すらした)。という訳で、ドキュメント管理ソフトの導入は保留にした。

こういうことは、会社では良くあることで、偉い人がニュースとか「日経」などで見た流行りの技術を、部下に「*いいんじゃない。うちでも使ってみたらどうだ」とか言い出して、その部下や担当部門(例: 情シス)が慌てて探して入れるのだが、誰もそれがいいかどうか、その会社に合っているのか分からない。そもそも、本当にそれが必要なのかすら不明だ(多くは不要だろうw)。

結局、社員は「意味は分からないが、使わないと怒られるから使わされる」羽目になって、また一つ余計な仕事とストレスが増えるパターンだ。まあ、そうでないこともあるが、2/3はこうじゃないか。あとは、機能自体はまともでも、充分に試さずに決めたために、操作がとても面倒で、結局は効率化できないとか効率を落としてしまうパターンも多い(残り1/3のほとんどはそうじゃないか?)。

PS. かといって、世の中の新しいいいものに全く無頓着で、時代遅れなことをしていても平気な顔をしている(あるいは、時代遅れであることに気付かない)人は、救いようがない。

PS2. 寝ている間に(起きたら?)、広範なファイル形式について全文インデックスできると、タグとかコメントを付けなくても検索できるから、結構便利そうだなあと思ってしまった。更に、インクリメンタルサーチがあれば最高だ。エンタープライズ用だとできる気もする。が、有料になるのかも知れない。気が向いたら調べてみるかな。この時に問題になるのが、日本語対応だ。無償でまともに使えるものがあるかどうか・・・ (1/29 6:47)

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以前からやっている、PHPを最新版に更新する件。デスクトップPCは問題なくできたのだが、サーバが結構面倒なことになった。

PHP自体は、PPAを使えば比較的容易に更新できるのだが、PHPを使っているソフトの互換性も確認する必要がある。それで、仕様などを調べて、大体は問題なさそうだったのだが、一つ、カレンダーや住所録の共有・同期に使っているサーバソフトBが怪しいことが分かった。検索すると、少し前のPHPのバージョンからいろいろな問題が出ていたようだし、そもそも開発が終わってしまっていて、ずっと更新されていなかった。それでも使い続けたい人がパッチを出しては居るのだが、さすがにもう「騙し騙し」でも使えない、誤魔化しが効かない状態になった。

仕方ないので、別のサーバソフトを調べていくつか試したのだが、なかなかいいものがなかった。以前使っていたOなら実績があるのだが、どうも下火なようだし、その分家(クーデター版?)Nはあるが、O同様にインストールや保守がちょっと面倒そうなので、もうちょっと楽なのを探したのだが、やっぱりない感じだ。インストールがやけに面倒だったり、インストールしてもうまく動かなかったりするものばかりだった。

仕方ないのでNを使うことにした。やっぱりいろいろ面倒だったが(この中で、前に書いたSnapの問題が発覚した)、デスクトップPCでうまく動くようになったので、今朝からサーバに入れて実際に使って試している。ところが、スマフォ(Android)側同期アプリCとの相性が今ひとつで、スケジュールがうまく同期できないことが多い。確かにそのアプリは、以前から最初はうまく同期できないのだが、時間が経つとなぜかできるようになっていた。これももう駄目と考えて、別のを探すことにした。

同期アプリもなかなかいいものがなく、以前試して止めたソフトの後継のDしかまともに動かなかった。これは同期はちゃんとできるからいいのだが、なぜか、スマフォのアラームを停めても1分後に再度出ることがあるのが嫌だ。どうも、PC側でもアラームを停める場合、停める順序やタイミングが関係しているようだ。気に入らないのだが、ないものは仕方ないので我慢することにした。

影響の連鎖

サーバ [PHP → カレンダー・住所録サーバ*] → スマフォ [カレンダー・住所録同期アプリ*]

※PHPの更新のために、*を取っ替え引っ替えする羽目に。

ただ、どうにも諦められないので、また元のCを試したい気もしている。理由は分からないが、気長に一晩くらい置くといいのかも知れない。

(1/25 6:24) なんとか、アプリCで同期出来るようになった感じだ。どうも、最初は予定(データ)の量が多くて全部同期できていなかったようなので(バッファサイズに制限があるのか、1回の転送量や処理量を制限しているのかと推測した)、1度に同期する期間を短くし(例: 過去は1週間、先は4週間)、短い間隔(10分など)で同期するようにして30分くらい待ったら、遠い過去・将来はいざ知らず、直近の予定は全部同期できた(その後、設定を普通に戻した)。これで様子を見てみたい。

 

最後にちょっと意見を書くと、世の中に良くある、古いソフトが更新・刷新できないというのは、こういう風に、そのソフトが使っているソフト(多くはプログラミング言語、あるいはOS)のバージョン間の互換性のなさが原因になっていることが多い。ソフトを作った人が居なくなり、仕様書・設計書などがなかったりすると、動くかどうかも、どう確認すればいいかも、どうやって直していいかも分からない。もちろん、お金(作業時間)だってない。

だから、「動いているからそのままにしよう」という気持ちは分かるが、重要な用途で、サポートが終わったものを使い続けるのは無責任だ。例えば、過去のバージョンに不具合があって、それが原因で間違った結果になることがあるからだ(でも、その不具合も含めて仕様として作っている場合もあるので、話は単純ではない)。一方、作る方にも責任はあって、バージョンを上げる時に、従来のプログラムが可能な限りそのまま使える(動く)ようにするべきなのだ。

個人的な印象だが、PHPは随分いい方だが、Pythonのように、2つのバージョン(2.*と3.*)がずっと混在して使われている(Ubuntuですらそうだ)のは、(僕は何が違うかは知らないが)余りにも醜悪だと思う。実際、Pythonのプログラムで、「これは(2と3の)どっちで動かすのか?」と疑問に思うけど分からないので、両方試さざるを得ないことが結構ある(両方とも別の原因で動かないことも多い)。そして、Ubuntuのように重要なところでPythonを使っている場合は、片方を削除するとシステムがまともに動かなくなってしまうことすらある。時間もストレージも無駄だ。まったく、「何考えて作ったの?」と言いたい。まあ、「使う方はちゃんと更新しろよ。こっちはお前らのために良くしてるんだからさあ」って論理だろうが、使う方は作る側と違って、その言語を使うこと自体が仕事ではないので、それは全然通らない。

 

※個人情報を扱うサーバに関することで、興味本意で攻撃される可能性を減らしたいので、具体的なプロトコルやソフトの名前などは記載していません。読んでも余り役に立たないかも知れませんが、僕のメモとか、問題の原因の推測・対処の例としたいと思います。

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あるソフトをインストールしようとして調べたら、通常の手順でするもの以外にSnap版(必要なものが全部まとまっているパッケージ)もあった。そのソフトはいくつかの別なソフトを使うため、インストールと設定がなかなか面倒なので、Snapなら全部一括してインストールできて、ほとんど設定しなくて済むうえに更新も自動でされて便利なので、試してみたのだが、最終的には止めた。Snapのセンスの悪さ・将来性のなさを実感したからだ。

まず、Snap版アプリをいくつか使っている際の、Snapのものだけを抽出したマウント(OSへのファイルシステムの登録)状態を見て欲しい。

$ df | grep snap | sort
/dev/loop0 91648 91648 0 100% /snap/core/6034
/dev/loop1 91648 91648 0 100% /snap/core/6130
/dev/loop2 90368 90368 0 100% /snap/core/5897
/dev/loop3 177536 177536 0 100% /snap/spotify/26
/dev/loop4 177792 177792 0 100% /snap/spotify/28
/dev/loop5 55040 55040 0 100% /snap/core18/536
/dev/loop6 35456 35456 0 100% /snap/gtk-common-themes/818
/dev/loop7 173568 173568 0 100% /snap/gimp/94
/dev/loop8 178688 178688 0 100% /snap/spotify/30
/dev/loop9 173568 173568 0 100% /snap/gimp/101

Snapは、基本部分とアプリごとにそのパッケージのファイルを仮想的なファイルシステムとしてマウントするようなのだが、アプリをたった2つ(Spotifyとgimp)しか入れてないのに、10個もマウントされている。。。それぞれのソフトが更新されるたびに、これらは増えるようだ(ディレクトリの最後の数字が増えるようだ)。普通はアプリなんて山ほど入れるが、それが全部Snapになって、それぞれが何度も更新されたら、一体どうなるのだろうか。OSは問題なく動くだろうけど、人が見た時に状態が把握できなくなってしまうだろう。Snapのマウントポイントだけならいいけど、他のものが埋もれてしまって不便になるだろう(上とは反対に、Snapのものを除外して表示すればいいが、今まではいらなかったのに毎回指定すのは手間だ)。どうして、Snapのマウントポイントは1個だけ見えるように(あるいは見えないように)しようとしなかったのだろうか?

見た目だけならまだいいが、もっと深刻なのは、それぞれのSnapパッケージは、各々のアプリが自分に必要なモジュールを全部入れていることだ。仮にアプリ間で同じモジュールがあっても共有しないようなので(共有することにすると、依存性が生まれてSnapの目指すところに反するだろう)、同じライブラリが何個も格納され、同じソフト(例: HTTPサーバ, PHP)が複数動く事態になる*。そうすると、ディスクやメモリの使用量が無駄に増えるし※(Windowsと似たような事態ではないか)、CPUの負荷だって無駄に上がるだろう。

* 日常生活に例えれば、お米だけが欲しいのに、なぜか、専用の炊飯器や米びつまで一緒に買わされるようなものだ。当然、そんなの持っているのに、「持ってないかも・合わないかも知れないから」とか言って手持ちのを使わせてくれないのだ。

※ディスク使用量については、上の一覧(3列目がサイズ(KB))を見ても分かるように、各アプリの量は少なくない。Spotifyもgimpも170MBくらいのがバージョンごとに複数あるようだ(普通のパッケージなら共通のモジュールは共有されるから、全体としてはそんなに大きくならないはずだ)。いくらストレージが大きく安くなったとはいえ、アプリを入れるたび・更新のたびに浪費するなんて止めて欲しい。そして、ディスクを多く使うってことは、使用メモリだって増えるのだ。論外もいいところだ。

更に、重複したモジュールはバージョンや設定が少しずつ違うだろうから、間違いなく悪夢を生み出すだろう。確かに、手っ取り早く使い始められて楽なのだが、使っているうちに、同じモジュールを使っているはずのアプリの動作が微妙に違っていて(例えば、Snapと同様の目的のシステムのAppImage版アプリの日本語入力はそういうことがある)、困って検索して調整する羽目になるのだ。そうでなくても、何かあって設定を調整するにしても、普通の場所にはないから、いちいち調べるのが面倒だ。その設定ファイルも、同じ名前のモジュールであっても、それを含むアプリごとに別だから、それぞれを調整する羽目になって、面倒臭いとしか言いようがない。。。 要は、Linuxの良さをぶち壊しにして、Windowsへの道を進んでいるのだが、それでいいのか??

先のことを考えず無駄ばかりの(「腐った」)システムなんて、全く許容できない。だから、通常のパッケージがあるなら、多少面倒でもなるべくSnap版は使わないことにした。

それにしても、そもそも、Linuxに派生が多過ぎるからSnapのような「全部入り」パッケージができたのだが、それすらAppImageとかFlatpakなどのような別物ができてしまっていて、まとまりのなさには全くがっかりだ。本来、OSの派生を減らせばこんな無駄なものは要らないのに、なぜ、そこに目をつぶるのだろうか。

Linuxにもクソなところはある(でも、クソなのは物じゃなくて人だ※)。

※クソなのは人だけど、クソな考えややり方で作られた物は、やっぱりクソになってしまう。結果は作者の属性には無関係と思うが、当然ながら、作者の考えには大きく影響される。

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全くつまらない話です。が、僕には理解不能なので、もし分かる方が居れば教えて頂きたいです。

前の会社でどうやって住所を調べたか、毎年賀状を送って来る人(若い。30代)が居た。送って来るのは彼だけだった。手書きで「昨年はお世話になりました」とか書いてあったので、こちらも(毎年、本意ではなく他のついでに)送っていたが、退職したらなしのつぶてだ。本当にお世話になったと思っていたなら、辞めた時に何か言って来ても良さそうなものだが、そうではなかったようだ。単に、慣習とかで送っていたのか。そうだったら、馬鹿そのものとしかいいようがない。そんなんだったら、最初から送って来るな!

仮に、本心からお世話になったと思っていたら、勝手に送付する紙なんかじゃなくて、こっちに迷惑を掛けないように、日々少しずつ努力するとかで返して欲しいね。だから、そんな賀状は無駄の極みだと僕は思う。良く言われる、人間関係を円滑にするとかいう意味なんてない。紙切れ一枚で円滑になる関係なんてあるのか?w

まあ、本人の考えは分からないから、どういう論理なのか小一時間聞いてみたい気はするw

でもまあ、結局深い考えなどなくて、「そうは言っても、(田舎なんだから、)『会社の人』には賀状を出すのが当たり前なんだよ」ってのが本当のところなんだろう。でも、今って、1980年代じゃなくて2010年代なんだけど、そこは分かってる?w

PS. そもそも、僕の住所をどうやって調べたのかと思う。まあ、会社の社員情報DBが開放だったんだろうが、さすが田舎だねw だから、やっぱり田舎の会社は嫌だな・・・

 

全然話題が違うが、論理不明なことがもう一個ある。良く見るニュースサイトの「女子」の欄は大抵、

のような感じで、いかにも「どうしたら男にモテるか・男ウケが良くなるか」※とかしか目当てでない(= 男に媚びている)ように感じるのだが、それはこのpolitically correctな世の中でも許されるのだろうか? なぜ炎上しないのか不思議だ。読み手が若いから特に問題視されないとは思えない。というのは、これは誰だって目にするから、ターゲット以外の人が目にして問題視する可能性は高いからだ。女性向けに女性が書いている(ように見せている)から問題ないのだろうか(→ 少しでもオヤジ臭がしたら炎上するのか?)。単に僕が古くて、そういう風に読んでしまうだけなのか。

※横道に逸れるが、今は昔ながらの男-女じゃない関係(LGBT)も大いに認める風潮なのに、ここではそんなことが一切なくて、昔ながらなのはどうなのよ・欺瞞はないか?とも思うが、僕は良く分からないので、ここでは触れないでおく。

まあ、これも本人たちに聞かないと分からないが、理解不能なことである(でも、記事はおもしろく読んではいるよw)。

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鯨ねぇ・・・

「いっぺんちゃんとした店でちゃんとした鯨肉を食べればいい」という意見

小学校の時は、給食の黒い煮付けみたいなのはまあまあおいしかったけど、就職してから、一度先輩たちと行った、渋谷の「ちゃんとした店」(壁が黒かった。今もあるのかな? → ここか)で「ちゃんとした」鯨料理(と思われるもの)を食べたら、あの黒い煮付けには全く及ばずおいしくなくて、がっかりしたのはなぜ? 個人的な想像ではあるが、元々おいしいものではなかったんじゃないかと思う。給食でおいしかったのは、ジャンクフード的な味付けをしただけのものではないか。そんなのをなんで必死に守るのか分からん。仮に激旨だったら、みんな文句言ったはずじゃないか!? こぞって食べるじゃないか!! (バブル時代だって、札束を握りしめて鯨肉ってことはなかった気がするがw) まあ、上のような方も居るので、味の感じ方はいろいろあるのだろう(本当においしいんなら、もう一回試すが。でも、違うと思うな。この人、本当にちゃんとした店でちゃんとした鯨肉を食べてるの?)。

ここでは、味がおいしかろうがまずかろうが、鯨が賢いかそうでないかなんて、関係ない(その話になったら、牛や豚や魚や犬や猫や草や木や鉱物、その他さまざまな生物も無生物も全部同じだ)。その、日本の「伝統」なるもののためにIWCを脱退するメリット(ここでは、正しいとか間違っているとかは関係ない)はあるのかと(今の状況は、社会の史料集に載っていた、大昔の風刺画を思い浮かべるよ。ただ、具体的にはそういう画は見つからない)。ニュースを読むと、全然なさそうではないか。ある3人(和歌山(東八郎?)、山口(アホ孫?)、あと忘れた)の政治家の人気取りのためとかいう記事もあったくらいだ。そういう連中は、今も藁葺屋根の家に住んでいるのだろうか?

それだって、どうだっていいよ! お前らは、「伝統は守るべき」とか言っているが、古典的仮名遣いも刀もチョンマゲも草履・下駄も羽織袴も「喫煙文化」も「男尊女卑」も捨てたよね。そういうのはいいの? そもそも、牛や豚だって伝統じゃないから魚(と鯨?)だけ食べるべきじゃない? 内陸の人は魚もなし? TVの過激な表現はなんで止めたの? 昭和の伝統の暴走族や不良やイジメだののいろいろなこともあっさり捨てていいの? ガラケーも捨てて良かったの? 滅私奉公からの伝統のサビ残も捨てようとしているよね。ダブルスタンダードじゃない? 百歩譲って、「いい伝統」と棄てるべき「悪い伝統」があるとして、その、「いい伝統」、守るべき伝統は誰が決めるの?? で、どうやって決めたの? 国会で決議でもしたの? 閣議決定? 国民投票? 多くは外国の押し付けとか外に習えじゃなかったっけ? 鯨に関してはそれは駄目なの?? だったら、プラスティック(ストロー・レジ袋)だって使い続けていいんんじゃないの? 教えて、おじいさんw

クソが! なにが伝統だ! そんなのは恣意的なものだ。あえて言おう(以下略w)。

結論としては、「伝統はおいしい」だ。馬鹿どもを騙してのうのうとするクソみたいな連中には。

 

(21:16 一部、誤りを修正)

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マウントを取りたがる奴はかなり嫌いだ。例えば、林檎信者で「毎年iPhoneを買い換えるのが当たり前」とか言う奴。買い換えるだけなら、そいつのお金が無駄なだけだからまだいいけど、こっちが「そんなの無駄だ」とか言っても聞き耳持たない奴や、こっちの物を「しょぼい」とか言って(言わないまでもそういう風に思って)見下す奴は大嫌いだ。

書いてから思い出した。昔、車の話になって、僕が乗っている車の名前を言ったら、「スズキは軽のイメージしかない」とか言い放ってマウントを取ったつもりの奴が居た(最後に出て来る「長い友達」)。間違ってはいないが、僕の車に乗ったことあるのかな? 十把一絡げとは随分荒っぽい。それに、スズキの「軽」だって何が悪いのだろうか。反論する気にもならなかった。

そういえば、そいつにはまだある。僕が今のPCを買った時はSandy Bridgeが出たばかりだったのだが、それを言ったら、したり顔で「出たばかりの物はトラブルが多いから(待つべきだった)」などと言っていた。確かにマザーボード交換の憂き目には遭ったが、仮にその前のCPUにしていたら、「古い」って言われたに違いない。そして、Sandy Bridgeは今でも充分使えると聞くけど、その前のは全然聞かないから、その時点での判断としては僕が正しかったのだ。そいつには積年のイライラが溜まっているようだ。そいつにこそ言いたい、「うるせーんだよ! クソが!!」。

道具自体に価値はないのに、特定の物に価値があると思っている人が多い。こだわらずにその時に自分にとっていいものを使うのが一番いいのに、それを理解しない。

おもしろいのは、そういう風にこだわりが強い人でも、いつの間にか宗旨替えしていることがあることだ。例えば、林檎信者なんて、iPhoneのホームボタンや指紋認証を褒め称えていて、それらがなくされたら不便なはずなのに「慣れれば便利」とか言ってやっぱり称え、イヤホンジャックがなくなってもなぜか称える。信じられないことに、M字ハゲ(ノッチ)すら気にならないようだ。あれなんて美意識ゼロでAndroidレベルに落ちたとしか思えないのだが・・・ 更に、NFCも防水も要らなかったはずなのに、付いたら褒めて、便利に使っている。「そんなの要らない」と文句を言う人はまず居ない。それから、周辺機器のインタフェースがコロコロ変わって、いろいろな機器が使えなくなっても意に介さないらしい。何でも勝手に変えられてしまう物のどこがいいのか全く理解不能だ。そういうののどこが「美しい」のか。不便な最新技術が最高なのか。相当な意地っ張りか、目や頭が腐っているんだと思う。おもしろい。

僕は、ポリシーなくふらふらするのがいいと思っている訳ではない。自分のポリシーなり要望に合ったものを見つけて使うべきだと思う。それまでいいと思っていても、合わなくなったら止めて乗り換える勇気は要る。「いい物はいい、悪いものは悪い」であって、「林檎だからいい」なんてのは論外だ。

話は本題になるが、そういう人が他人ならいいけど、長い友達だったりすると良くない。そういう相手だとキツくとっちめられないから(議論しても信者は絶対に折れないから、話が長くなるだけでおもしろくない。若い頃はそうやって延々と議論(実際には単なるじゃれ合いだ)するのもおもしろかったが、年取ったら疲れるだけで何も成果がないから面倒なだけだ)、却ってストレスが溜まり、段々会いたくなくなる。そういう風にして、年を取ると友達は減るようだ。まあ、仕方ない。

 

PS. 僕は議論は好きだけど、相手の言い分を聞いて考えを理解しようとせず、単に自分の主張を言い合うばかりの「議論もどき」は時間の無駄だしイライラするだけだから、大嫌いだ。特に、相手が「信者」だと自分に誤りがあっても認めないから全くの無駄だ。逆に、相手が単にこっちの言い分を自分の考えに関係なく、あるいは、分からなくても理解しようとせずに「はい、そうですね」と認めるだけなのも、馬鹿らしいし全くの無駄だから大嫌いだ。 (12/22 7:38)

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先日、題に示した記事を読んだ。煽り運転をなくすためには、運転をつまらなくすればいいんだと。その時は、車に乗らないアホ人の戯言だと思った程度だったが、その後で、思い付いた(昨日少し走ったら楽しかったせいか、コメントで読んだのか、影響を受けたのかも知れない)。記事自体が下らなかったから、昨夜は書くのは止めようと思ったが、言っていることが余りにもおかしくて納得できないので、やっぱり書く。

彼の意見を進めると、世の中の争いごとその他良くないことをなくすには、人生をつまらなくすればいいということになる。「人生あるいは世の中は楽しいものであるべき」と思い込んでいる人が、争い・諍い・犯罪を起こすのではないか。彼の書き方を借りれば、

安全な世の中のためには「世の中の楽しさ」など、不要なのである。

である。

僕はまっぴらごめんだが、彼はもちろん賛成するはずだ。そうであれば、とりあえず、一年くらい刑務所や拘置所や留置場、あるいはブラック企業に入ってみて、その考えが正しいことを証明して欲しいw 彼自身が「自分は問題を全く起こさないから関係ない」と言うのでは駄目だ。そういうところには楽しい要素が全くないから、一切の諍いがなくて安心・安全極まりないはずだけど、実際はどうか、まずはそれを確認して欲しい。

書いてから気付いたが、要するに彼は、目的と手段を取り違えているのだ。安全な運転は得てしてつまらないが、つまらない運転・車を押し付ければ安全になるとは限らない。無意味だし、逆に危険だと思う。確かに僕も若い頃は運転に楽しさを求める余り危険なことをした。一方、今だって楽しさを求めているが、なるべく危険なことをしないようにしている。それでも充分に楽しい。問題は運転者の考え方とか意識であって、そこを教育なり啓蒙するのが、まずやるべきことだろう。

 

(なんか、書き始めた時の意図からズレてマトモな結論になってしまって、つまらないw)

 

PS. 内容のおかしさ以外に、この人は改行が多過ぎて、読んでいてイライラする。これでプロのライターなのか。。。 今はそれも認められているのか。あっ、本だと枚数・ページ数が稼げるのかw

PS2. 安全のために自動運転を実現・普及させることについては、(それが可能であるとして)賛成だ。

PS3. 誤解されそうなのであらかじめ書きますが、「車に乗らないアホ」は、正確には「車に乗らないのに車を論じるアホ」です。運転しないことは全くアホなことではありません。

  • 運転をもっとつまらなく

    運転をもっとつまらなく

    昨年6月、東名高速道路で一家4人が乗るワゴン車に対してあおり運転を行い停車させた結果、そこにトラック…

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地元の私鉄駅(一応、県庁所在地の駅)周辺が寂れているみたいで、活性化とかいって、いかにも良くある振興策をするようだが、「止めとけ!」って言いたい。

問題の駅の裏辺り? (下野新聞SOONより)

というのは、寂れたのには必然的な理由があるはずで、「ものすごくいいところなのに、なぜか寂れた」なんてことはないのだ(まあ、実際にはあの銀座も下火になっては居るが、原因はあるし基礎体力はすごい)。で、振興しようとする人たちは、そういうことに無頓着だったり目をつぶっていたりするのだ。そして、なぜか、「「何か」すれば問題が解決するかも知れない」と思ってしまう。正確にはそう思った振りをする。

もちろん無理だとは思うが、上から言われたからとりあえずやるんじゃなくて、やる前に少し、やる意味とか効果とかを考えて欲しい。

全然ありえない話だが、仮に僕がそのジジイに「やっても効果ないのでは?」と言ったらとんでもないことになりそうで、想像するのがおもしろい。それはともかく、少しは良識のある(反発できる)役人が居たっていいと思う。

それでは何をしたって効果はないので、やるだけ無駄だ。お役人は上には「やりました」のアピールができるし、コンサルを雇ったらそいつらの懐は潤うが、結果は「・・・」だ。こういうのは大抵小中高校の生徒たちを巻き込むのだろうが、彼らが可哀想だ。

とにかく、根本的な問題を解決しなければ無駄だ。僕の推測では、その駅はJRの駅から離れているのがそもそもの問題だ(そのJRの駅にしたって、すごく賑わっているとも言えない)。しかも、この駅は支線で便利じゃないので、そもそも人が来る要素がないのだ。だから、せめて線路を動かして駅を一緒にするとかしないといけない。まあ無理だが。LRTとどっちが重要だろうか? それはどちらでもいいが、いずれにしても、先人がアホだったということだ。こうなった歴史や経緯は知らないけど、結果はそうだ。

最後は例によって引用します:

君の生まれの不幸を呪うがいい

 

PS. 書いた後で、駅・鉄道にこだわらない可能性も思い付いたが、それならなおさら、この辺りで何かする必要はない。道は混んでいるし駐車場はないか高いしで、却って面倒だ。僕だって行きたくない。そこに行くくらいなら、郊外のモールの方がいい。結局、無理筋なのだ。市の役人は外から来た訳でもなく、ここに何十年か住んでいるんだろうに、そんなことも分からない(振りをする)のだろうか? すごい世界だ。

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