Archive for the ‘意見’ Category

掲示板のまとめサイトの「プログラミングで広がる進路。できない子供は淘汰される時代へ」という題を見て、中身が想像できるので読む気はなかったが、やっぱり読んだ。そうしたら、途中に、妙に身につまされるというか、苦笑しかできない意見があった(下の52番)。

何が苦笑かというと、僕の場合、「何の為に働く(「何のためにPCに向かう」と解釈した)のかと自問自答」すらせず、(もしPCがずっとあるのなら、)死ぬまでPCに向かうのがごく当たり前に思えるし、「守るべく家族」(sic)より「保守すべきコンピュータ」だろう(ちょっと盛っているが)。人間終わっているのか?w

その前の、「普通の20代」は憧れてたけど、余り達成できなかったねぇ。でも、「代償」とかいう嫌な気持ちはない。そして、後ろの、「プログラマーをアゴで使う」は全くそのとおりだと思った。だから、プログラマー育成よりそういう教育をすべきだ! というのは嘘で、そういう国は滅ぶ(でも、もうそうなってるし、「プログラマー」を育成したって滅ぶ)。

たぶん、

分かってない奴が政治(のようなもの)をする国は滅ぶ

のだと思う。

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日本人は頭がいいせいかw、電子マネーだのキャッシュレス決済が乱立している。FeliCaやNFCだけでも多いのに、近頃出て来たQRコードが早くも乱立しており、仮想通貨すらあるから、一体全部でどのくらいあるのか分からないし、知りたくもない。コンビニの店員さんの苦労が偲ばれるが、使う方だって、そんなに何個も入りたくない。

そこで、素晴らしい方式を思い付いた。

どこかの会社が、すべて方式・会社の決済方式に対応して(要は取り次ぎ)、お客はそこだけに入ればいいのだ。技術的には、「かしこいアプリ」を作って、決済時に相手の方式を見分けて、それに対応して払うのだ。何種類も使用可能な場合に備えて、デフォルトで優先順位を決めておき、お客が設定できるようにもする。もし方式が増えたって、即座に自動的に対応する。

これなら、FeliCaが付いてないとかのハード的に無理な場合を除いて、どこに行っても決済できる。今はFeliCaも下火になりつつあるようなので、QRコードだけの対応でも大きな問題はないだろう(個人的にはすごく不満だが)。コンビニの店員さんは相変わらず大変だろうが(少しは楽になるかも)、使う方は楽だ。

冗談のようだが、もちろん本気だ。けれど、僕は例によって面倒なのでやる気がない。特許とかどうでもいいから、誰か作ってくれ。

でも、こんな面倒なこと(どうせ、各団体がごねて、あるいは、役人がいちゃもんを付けて、何年も話は進まないだろう)をしているうちに、外国の会社(A○azon?)が自分の方式で全部かっさらってしまうのかも知れないな。

まあ、僕は(支払いが楽になるから)それでもいいけど、大企業のみんなは、そんな下らない技術を作り・仕事をして、馬鹿らしくないのかと思う。実際には、馬鹿らしいと思ってもやらざるを得ないのは分かっているが、それでいいのかね? ジョブスじゃないが、それじゃ、一生「砂糖水」だよ。

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「ロック!!」って言ったり書いたり変なことするだけじゃ、本物じゃないぜ。音楽でロックしてくれ! おじいさんたちw

森高も歌ってるよ「ロックはダメなの ストレートよ」と。 (→ : 岩をも砕く破壊力w)

でも、若い子でも、大人の操り人形でメタルをやってる(た)と思われる人も居るから、歳は関係なさそうだ。

逆説的だが、ロックを名乗るならまじめにやって欲しい。

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ニュースを読んでいたら、「Googleの追跡から逃れよう」みたいな良くある記事(大抵は徒労なのだがw)があり、そこに、No More Googleという、Googleのサービスの代替手段を人気順に示すサイトが紹介されていて、なかなか参考になった。

特に良かったのは、Authyという2段階認証用のトークン(数字)生成アプリ・サービスだ。Googleの認証アプリの代わりに使えるのはもちろん、PCでも動く(Chromeのアプリ・アドインやWin用アプリがある)から、PCのブラウザでログインする時も、いちいちスマフォ(のアプリ)を開かずに済み、トークンも(目で見て)手入力でなくコピー・ペーストできるようになった。だから、トークンを打ち込んでいる最中に時間切れで変わって慌てることがなくなるw

更に便利なのは、各デバイス間でログイン情報が共有されることだ。Authyのアカウントを作っておけば、PCでもスマフォでも同じようにトークンが生成できる。あと、ログイン情報のバックアップもできるので、スマフォが壊れたり紛失しても大丈夫そうだ(その時は、それ自体が痛いのだがw)。

なお、ログインするサイトの登録は、QRコードを読ませる関係で(PCで文字列をペーストするのも可能だろうが)、スマフォの方が便利だが、上記の共有機能のおかげで、スマフォで登録してPCで使えるから便利だ。

リスクは、Authyからの情報流出(サーバにどの程度のログイン情報が保存されるのだろうか? その情報で偽のログインができるのだろうか?)やサービス終了だが、前者については信じるしかない。後者はいかようにもなるから大丈夫だ。

(20:23追記) 偽ログインの可能性を考えてみる。: Authyのサーバには、少なくともパスワードは入っていないから、すぐはできない。ただ、サイト登録時の情報にはサイト名(例: Evernote)は入っているだろうし、アカウント名(例: メールアドレス)が入っている場合もあるので、安心はできない。サーバに入っているトークン生成用情報から正しいトークンが作れるので、もし、トークン生成用情報とアカウント名が漏れ、その上でパスワードが推測されたら、偽ログインは可能そうだ。そういう意味では、便利さを捨てて、サーバに情報を保存しない方がいいのは確実だ。

サイト登録時のトークン生成用情報(QRコード)にサイト名やアカウント名などを追加しているのはサイト側であり、それは2段階認証の効力を自分で薄めているので、いかがなものかと思う。全く余計なお世話だ!

 

PS. ちなみに、検索は少し前にDuckDuckGoにした。ただ、どうしても期待する情報が出て来ない時はGoogleに切り替えている。他にも、ブラウザ、パスワード管理、メール、DNS、ドライブ、フォト、天気、カレンダー、アドレス帳などは使っていない(または依存していない)。もちろん、Google+は使ってないw 要は、Googleの右上のメニューに出るものは、地図を除いてほとんど使っていない。Chromeも常用していないが、通常のブラウザとは別のアクセスをしたい時に、Firefoxと併せて使っている。まあ、Androidスマフォを使っている時点で「負け」なのは認めるがw

僕は、Googleの個人情報収集や追跡などから逃れるよりも(まず無理だし、彼らのサービス利用料のようなものだから、仕方ない)、彼らへの依存を避けることで、いつ彼らの気が変わっても困らないようにしたいから代替サービスを使っている。他のサービスも同様で、予期せぬサービス終了などのリスクを避けるために、自由に他社に移行可能なサービス(= オープンシステム)を選び、高くなければ有料サービスも使う。OSについても同様で、MSやAppleがどんなにアホなことをしても、「へぇ、なんか大変だね」と、高みの見物をしていたい。

(10/12 7:36 使っていないGoogleのサービスを追加、わずかに加筆)

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クラシック音楽の演奏の好みの話。「(普通に)楽しんで聴けばいいじゃん」というのは一見もっともなのだが、料理に例えてみよう。カレーライスが好きな人は多いが、「カレーだったら何だっていいんですか?」と聞かれたら、多くの人は「違う!」と言うはずだ。家のカレーが好きな人も居るし、蕎麦屋のカレーが好きな人も居るし、特定のレトルトカレーが好きな人も居るだろう。逆に、(懐かしの)スキー場の(高いだけの)カレーを是非食べたいという人が居るだろうか? それと同じことだ。

僕の場合は、クラシック音楽は、曲と演奏の両方が気に入らないと、乗れなかったり途中で引っ掛かってしまったりして、心から楽しむことができない。演奏は演奏(録音)した時によって変わるし、曲によっては、カデンツァにいくつか種類があったり、ピアノなどの独奏者と指揮者とオケの組み合わせになるし、使う楽器によっても印象が大きく違うし(例: ピアノとフォルテピアノ)、録音の音質だって多少は気になるので、組み合わせはものすごく多くなる。

そのため、世の中には山ほど同じ曲の演奏があるのにも関わらず、なかなか気に入るものがないという面倒な話になる。しかも、どうしてか、聴く時によっても印象が違うので、なかなか「定番」というのがなくて困る(実際には、新鮮味も重要なので、定番があっても避けている)。でもまあ、趣味なので、そういう風に困るのもおもしろいし、今はSpotifyなどの配信サービスのおかげで多くの演奏を試せるから、ありがたい。

そして、ふと気づいたのだが、僕が山ほど聴いても「定番」が決まらないということは、他の人もそうだから、こんなに多くの演奏(録音)が出回っているのだろうし、演奏者も、それまでの他者(それどころか自分のまでも)の演奏に納得していないから新しく演奏(録音)するということではないだろうか。まあ、単に経済的なことも多いのかも知れないが、それだけだったら苦労して音楽家になる人はもっと少ないだろうし、レーベルにしてみれば、新しく作るより既存の定番を(「リマスター」だの「ハイレゾ」だとかを)売るだけの方がずっと利益になるだろう。だから、(クラシック業界全体としてはじり貧ではあろうが、)演奏(挑戦)したい願望はあるし、配給する(したい)会社もあるし、聴きたい需要もあるから、これはこれでうまく回っているのではないか。

要するに、演奏者やクラシック業界は、僕みたいに面倒臭い(細かく聴いて楽しむ)人に支えられている面があるということだ。だから、こういう楽しみ方にも意味はあると思う。

 

以下に、面倒臭い実例として今日の話をだらだらと書く。

夜、なぜか突然、(基本的には余り好きでない)モーツァルトのピアノ協奏曲 第26番 「戴冠式」が聴きたくなって(何となく、元気が出る曲が聴きたかったのだと思う)、SpotifyでOliver Schnyderという人(以下、内田までは初めて聴く人)の(2008)を試した。古楽器風で嫌な予感がしたが、まだ許せた。オケは繊細で綺麗だった。しかし、なぜか途中で止めたくなって(あまりおもしろくなかったのだろうか)、Christiane Engelの(2000)にしたら、遅過ぎた。

Boris Merssonの(1995)は平凡な感じで、Christian Zachariasの(2011)は良さそうだったが、どうも、この曲に求めている躍動感というか活力に欠けているのか、聴いていて気分が昂揚しなかった。

それで、仕方なく(良く聴いていたので、新鮮味がないから避けたかった)、手持ちの内田の(1988)にした。さすがにオケからしていいし、当たり前だが、ピアノもいい。きっと、僕の中の「定番」とか「標準」なのだが、それでも、好きなせいか、陳腐な感じはしなかった。ただ、なぜか音質が今一つで、特にピアノがこもった感じだった。そして、どうもカデンツァが今一つ気に入らなかった。

それで、ピレシュの(1975)にしてみたら、イントロから元気が良くて、期待どおりだった。若かったせいか、ピアノも元気でいいし、音質も問題ない。更に、ピアノに低音のすごみもあるから、これが(今日では)ベストだということになった。という訳で、たった一曲を聴くのに、5人も試す必要があった。。。

続きもあって、その後に聴いた彼女の第23番、K. 488 (1975)はなぜか音質が悪かった。ピアノがこもっていて、若干弱く聞こえる。ピアノの演奏も少しペラペラしている(フォルテピアノ的)のが良くなかった。オケはわずかに変わっていていい。ピアノの録音のし方自体はいいと思うのに、こもっているのが不思議だった。結果的には録音が良くないのだろうが、第26番と同じ年なのに、こんなに差が出るものだろうか?
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復興に水を差したくはないが、そして、確かに大地震で全く問題なかったところは多いんだろうが、でも、次にどこがどうなるか(本当にもう安全なのか)、分かる人は居るのだろうか? 地震(火山の噴火なども同様。以下、そういう自然災害(= 天災)を意図している)は予知できないので、大きいのが起こったら、また起こるかも知れないと思うのは当たり前ではないか。そもそも、気象庁だって、まだ余震に気を付けろと言っている(あるいは、「もう安全です」とは言っていない)はずだ。それなのに、「(もう大丈夫だから、)どんどん来てくれ(行こう)」ってのは、ちょっと無責任ではないかと思う。

ただ、地震は予知できないという観点では、日本のどこでも同じようにリスクがあるから、地震が起こったところとは全く別のところに行っても、あるいは、どこにも行かなくても災害に遭う可能性はあるだろう。ただ、上に書いたように、(経験則あるいは本能で、)直前に大きな地震があったところでは、続けて大きいのが起こる可能性は他の場所に比べて高そうだと考えられるから、やはり、直近に地震が起こっていないところに行くほうが、確率的なリスクは低そうではないか。そして、飛行機などで行くような遠い場所は、災害が起こったら帰れなくなってしまうのだから、遊びで行くのをためらう・ためらわせるのは自然だと思う。

具体的な話になるが、先日の大地震では信じられないくらい大規模な停電があった。それは、その地域の電源システムがとても脆弱だという証拠である。僕としては、それが解消されない限り、安心して遊びに行けるとは思えないが、どうだろうか? もう大規模停電は起こらないようになったのか、今度大きな災害や大規模停電があったとしても、前回のように旅行者を暗い夜に露頭に迷わせることはないと保証してくれるのだろうか?

こういうのを「風評」と言うのであれば確かにそうで、それで減収のような「被害」はあるだろうが、僕はこのように考えている。逆に、確たる証拠もなしに「安全」とうたうのも、一種の風評ではないか?

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「100%…SOかもね!」とは言わないw 僕は天才じゃないので、ひがみはあると思う。

確かに、世の中に天才プログラマーは居ると思うが、成功(= 成果が世の中に認められる・広まるなど)のための必要条件ではないと思う。まあ、十分条件ではあろう。というのは、今の世の中は余りにも大規模・複雑化しているからだ。ソフト開発は芸術と違うので、一人がすごいことをしても・すごいものを作っても、それだけではまずうまく行かない。

もっとも、下に書いたように、芸術だってすごい作品を作った・演奏(演技)しただけでは駄目だってことはある。ただ、芸術は天才が居なければ始まらない(→ 天才が必要条件)ところが、ソフトなどとは違う。

天才プログラマーがうまくいくために必要なのは、サポートだと思う。昔の芸術界でのパトロンのような人だ。天才が作ったものを(あるいは、天才にお金を出して売れそうな物を作らせて)世の中に出す人が必要だ。他に、ほとんどのソフト(ハードも)は一人では作れず、多くの人が携わるので、オーケストラの指揮者のように、その人たちをまとめる必要もある。そんなのは天才プログラマーにはできないだろう。

具体的な例を挙げると、仮にウォズ(Appleだった人)が一人だったら、AppleやMacは出せなかったということだ。彼にはジョブズが必要だったのだ。逆に、ジョブズにウォズは不可欠だったかというと、そうでもないと思う。ウォズが居なかったら、別の人を騙してやってたはずだw

(12:38) ウォズはMacに関係なかったので訂正した。逆に、彼が居なくてもすごいものは作れたことが実証された?

一方、トーバルズ(Linuxの人)は、天才かつサポーターといえる珍しい人なのかも知れない。ただ、Linux自体は全く目新しいものではなかった(元々あったUNIXを自分で作った)ので、天才とはちょっと違うようだ。これに関しては、天才かつサポーターはUNIXの人(トンプソンら)だが、彼らは天才と言うにはちょっと違って、「普通の、でも、石頭でないコンピューター好き」って気がするが、実際のところは不明だ。

だから、天才プログラマーは必ずしも主ではなく、サポートする人とか尻を叩く人とかパートナーが重要なのだと思う。結局、世の中のほとんどは文系の人(= 必ずしも自分で作らない人)に動かされている訳で、僕としてはおもしろくないことではあるが、本当なので仕方ない。

 

PS. 全くの余談だが、自称も多いので結構呆れる。天才とは書いてないが、あのWindows 95やIEを作った人が偉そうなことを言っているのを読むと、「へぇ、さすがだ()」と思ってしまう。あと、レシートを買い取るとかいう、1日で終わった革新的なサービスwのガキは天才と言われていたっけ。

 

(貯・溜まったタネは大分減った)

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会社(転職情報)のクチコミサイトを見ていて思ったことがある。評価項目の中に、「教育」とかいうのがあって、大抵、「入っても、何も教えてくれない(講習会などがない)」とか「セミナー受講は自費」とか「資格に受からないと費用は出ない」などど不満が書いてあったのだが、なんか甘いと思った。

僕は、事務とかは別として、専門的なことで、今まで会社の(押し付けの)講習会とかセミナーとか受けたいと思ったことはないし、受けさせられて「これはためになった。明日から3倍の速さで開発できる!」なんて思ったことなどなかった。

会社は学校じゃないんだから、必要なことは自分で勉強したり周りに聞くものだと思う。頼みもしないのに教えてくれるのを期待するなんて、甘い。そもそも、自分が何を知りたいか、会社や周りは分からないではないか。古いけど、技術は盗めとかいう話もある。そのくらいでないと、身に付かないだろう。例えば、教育体制がないという文句を書いた人は、何かの講習(例えば、Python講習会)などを受けたら、その分スキルが上がったのか(例ではPythonが自由自在に使えるようになって、売り物のアプリが作れるようになったか)と聞きたい。僕からすればありえないことだ。そういう人が居たら、感心する。それでも、僕はその講習会には出ないだろうw

かといって、会社は社員に何も教える必要はなく、放置しておけばいいとは思わない。例えば、最初と次の会社で教わった、知財権・特許・オープンソースの話は、確かに役に立っている(とはいえ、これは専門というより事務の話に近い)。それでも、必要なことは自分から学ぶ姿勢は必要だ。その上で、勉強するのに必要な本などにお金を出してくれるのなら、まともな会社だと思う。

ちなみに、前の会社は教育する気が皆無だった。教育という意識はないのだろう。僕はそれでも良かったが、若い人は基本的なことを知らないうえに、自分から学ぶ気がある人はほとんどいなかった(言われたことの理由や基礎などを考えようとせず、とにかく言われたとおりにやるだけ)から、この先どうなるか大変興味深いものがあるw

と、今回は結構まじめなことを書いた。でも、今は手取り足取りの時代なのかも知れず、古い考えなのかも知れない。でも、それ(手取り足取りを期待する・良しとすること)って「IT奴隷」への道かも?

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今年の頭辺りにHMVの広告で見てから、ずっとSpotifyでの配信を待っていたのだが、全然入らないので、調べてみたら、どうもレーベル(Hyperion)のトップが石頭で、反Spotify派のようだ(参照: "Is Spotify good for classical music?" (2014): "Hyperion"で検索: 真ん中辺り)。以下にその言い分を引用するが、僕は全く賛成できない。

Services like Spotify and YouTube are great for the consumer, but they’re training an audience into thinking that classical music has no intrinsic value in terms of money. And the Spotify model does not work for classical because as a proportion of listeners, there is not enough traffic for it to generate the sort of income a label needs to invest in a performer and recording.

前半は、「(Spotifyなどは)ユーザーに『クラシック音楽にお金を払う価値はない』と思い込ませる」といった主張だが、どうしてそういうことになるのだろうか。「妥当な料金で正当に聴けるのなら、お金は払いたい」と思う人が配信サービスを使っているのではないだろうか。どんなジャンルだって、お金を払う価値はないと思う人は、サービスに入らないと思う。昔のスウィフトのような主張なのだろうか。

後半は、「クラシックを聴く人が少ないから、商売にならない」ということのようだが、そんなこと言ってるから、更に聴く人が減るのではないかと思う。別に、配信サービスだけで商売しなくたっていいのに、どうしてこういう考えになるのだろうか。配信サービスからのライセンス料が少ないのが背景にあるのだろうが、値上げ交渉の余地はないのだろうか。それに、そもそも、CDなどを作った時点でコストは償却されるだろうだから(今は、それで収支計算しているのではないか)、多少安くたって出したほうがいいと思うし、勝手なYouYubeや違法ダウンロードよりはずっといいと思うが。そもそも、これはレーベルの(営業的な)論理であって、演奏者の意見ではないところが、身勝手な気がする。演奏者が認めれば出せばいいのに。

上の記事を読んだら、石頭の下に書いてある、(若い)チェロ奏者Alisa Weilersteinの意見がすごくまっとうで賛成できた。やはり、石頭が言っているのは、レーベルとか老人の論理なのではないか。まあ、確かに、レーベルがなくなってしまったら、演奏を録音・販売できなくなってしまうが、いつまでも高コスト体質のままでいるのは良くないような気がする。ただ、そもそもクラシック音楽の録音・販売にはお金が掛かりそうなので、難しいのは分かる。下手をするとメジャーレーベルしか残らないことになりかねない。だから、もっとローコストな方法を探すべきなのだろう。

それに、記事に書いてあったように、クラシックの好きな人は、まだレコードだのCDだのの物理的なコレクションが大切な人が多いらしいから、当面はそこに売って行けば収入は確保できるではないか(古い人は、「ここは配信サービスにも出しててけしからんから、CDを買わない!」とは言わないだろう)。そして、新しい人用に配信サービスの経路を追加すれば、少ない支出(ほとんど0?)で少しは収入が増えるし、知らない人に聴いてもらって裾野が広がる可能性があるから、悪いことはないと思う。

と、いろいろ思うところはあったのだが、待ってても永遠にSpotifyには入らないことが分かって観念し、もしやと思ってHyperionのサイトに行ったら、ダウンロード購入できることが分かり(実際には、最初に、もうちょっとCDやダウンロード版を安く買えないものかとHyperionのサイトを検索し、そのあとでSpotifyに入る可能性を調べたら上の記事が見つかった)、試聴しても悪くなかったので、少し迷ってから買った。そのサイトは全体的には良い方だと思うが、いいところと悪いところが混在していた。

  • いまだにFlashの「ダウンロードマネージャ」を使っており、僕のブラウザではもうFlashなんて動かないから、1曲ずつダウンロードすることになって面倒だった。せめて、「全部ダウンロード」の機能が欲しい!
  • でも、アルバム全体でなく、欲しい曲だけ買えるのはいい。しかも、トラックごとでなく、曲(ここでは「春の祭典」)をまとめて買えたのが良かった(それで割り引きがあると思い込んでいるが、実際にはどうだったか)。
    • こういう「切り売り」は上の主張に反していて、むしろSpotify的な気がするのだが、そうではないのだろうか? クラシック的に売るなら、アルバム全体でしか売らない方がまっとうに思えるが、それでは誰も買わないのを知っている?w
  • CDのブックレット(PDF)がダウンロードできるのはいい。でも、見ないけどw
  • MP3とかの圧縮版だけでなく、(非圧縮の)FLAC版があるのもいい。
  • ファイルのタグはちゃんとしていて、全く修正が要らなかったので、感心した。購入日と再生ゲインを追加しただけだ。
  • ジャケット画像が埋め込まれていて、これも手間要らずだった。
  • 曲間での音切れもない。当たり前ではあるが、重要なことだ。FLAC版やタグの件も含めて、この辺りは「分かってるな」と感じた。
  • PayPal対応で、気軽に買える。

価格は、「春の祭典」だけの14曲でGB(UK)£4.8で、PayPalでは約740円だった。為替レートより高いのだが、手数料が高目なのだろう。調べたら、クレジットカードだと少し安いようだが、数十円の差なのでPayPalにした。なお、CDだとAmazonで1800円くらいなので、曲を絞ったせいもあって、かなり割安になった(アルバム全部のダウンロードは約1300円)。ファイルサイズは、FLAC版でも全部で約120MBと、小さかった。

そして、肝心の演奏は「言うことない」と言えるくらい良い。最初から最後まで、「うっ」と思うことがなくw、流れるように進んだ。サイの(2000)のような驚きはないが、正統的な演奏でいい。オリジナルはオケ用だが、元から2台ピアノ用と思えるくらい自然、かつ、物足りなさを感じなかった(これは、僕がピアノ好きだからなのはあると思う)。ピアノの音もいい。好きな音だ。そして、乗れる(本来はすごく変なリズムらしいが・・・)。あっという間に聴き終わってしまった。「うーん、うまい。もう一杯」と、また聴いているw

 

PS. やっぱり、Hyperionの考え方では駄目だと思う。というのは、売り切りのCDやダウンロード販売では、売ったあとに何千回再生されたって収入は1円も増えないが、配信サービスなら、再生されるたびにお金が入るのだから、みんなに何回も聴かれるようないい演奏を出せば、より稼げるはずではないか。レーベルはそういう考えでやって欲しいと思う。 (9/25 21:19)

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日頃から、「頑張る必要はない」とか「頑張ること自体に意味はない」とか「成果がなかったら、頑張っても(そうでなくても)意味がない」と思っているのだが、近頃、少し迷いがある。

例の「総裁選」(≒ 首相選)。結果は決まっている感じ(僕は外れて欲しいけど)だが、対抗馬の方に感心している。

本人はいろいろな思い(損得勘定など? 仮に今負けても損ではないと思っている?)があって立候補しているのだろうが、手出しできずに見ている側にすれば、彼の主張に全面的に賛成できないにしても、もう片方の馬の骨に比べれば随分まともそうだから、仮に彼が負けたとしたって、「まともな政治家は全然居ない訳じゃない」という、ちょっとした安心感や期待が得られるので、政治家は、人に希望を与えることも仕事だろうから、そういう意味で、本来の成果が得られなくても意味がある、頑張って立候補したことに意味があると思うのだ。

まあ、僕が安心した時点で、「成果」が出たという意味では、最初に書いた主張は正しいとも言えるか。。。

それでも、いずれにしても、「血と汗」を流して頑張った(でも成果はない)人はなぜか偉いことになり、「さらっ」とできちゃった人は偉くないという風潮は大嫌いだ。そういうのが、神風とか一億総火の玉とか竹槍戦法につながるのだと思う。いくら頑張ったって、結局、負けたじゃないか! 苦労して負けるより、余裕で勝つ方がずっと偉い。同じ負けるなら、不戦敗とか苦労しないで負けた方がずっとマシだ。: ここまで書いて気付いたが、これが上の思いと矛盾する。この考えを貫くなら、ぐだぐだ言っていた割には早々と総裁選から撤退したchiken野郎の方が偉いことになってしまうではないか。難しい。

少し言い訳すれば、chiken野郎は世の中にもその政党にも何も変化を起こさなかったが、対抗馬はわずかにでも変化を起こしたという成果があるのだろう。だから、彼の頑張りは少しは意味があったと。

 

(タネをもう一個消化できた)

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