Archive for the ‘意見’ Category

ベゾス、ジョブズ、孫正義…世界の大富豪が実践する「5つのルーティン」

以前から書いているように、僕はこういう「大富豪や業界のカリスマが実践する−」とかいうのは、全く眉唾・実効性がないと思っている。というのは、そういうのは十分条件とか結果論であって、真似れば彼らのようになれるってことは100%ないからだ。だから、僕は単に読んで(こうやって御託を並べて)楽しむだけだ。

こういうことを言う・書く人たちってのは何なんだろうなあと思う。そもそも受け売りとか「他人のふんどし」じゃん。それでも、いろいろな会社などから講演だのトレーニングだのを依頼されるんだろうから、ある意味いい商売だ。そういうのをして どのくらい効果があったか検証して公開している人が居たら、是非教えて欲しい。 − というのは全く余計なことだ。

あ、そういう連中自身が富豪でも有名人でもないってことが、彼らの論が正しくないことを証明していそうだwwww (要するに、「特別な儲け話」を持って来る営業に「自分でやったら?」って話。)

とは言え、上の記事に挙げられていることをやっても損はないから、全く無意味とか有害だとも言えない。それに、そもそもこういうことを知らずにやらずに、「なんか効率悪いなあ」と思ったり、そもそも何も思わないのは論外だから、知るのはいいことだ。でも、やっぱり、視点が違うんだよなぁ・・・

 

なんてことを、富豪でもカリスマでもない、遊民の僕が書いても説得力ないね(爆)

 

PS. 実は僕はルーチンワークが大っ嫌いだ。変化がなくて何もおもしろくないじゃないか。だから、上の全部をやっていると言うのは、そうしようと思って始めた訳でも、いつも意識してしているのではなく、気付いたらそうなっていた・いるのだ。別の言い方をすると、それが楽だからだ。だから、することに何も抵抗はないし、逆に いつでもすっ飛ばせる。そして、もっとおもしろいとか役に立つとか楽なことがあれば、何もためらわずにそっちに切り替える。

PS2. 記事について一つだけ書く。ジョブズもしていたという、静かな時間を持つのは本当に必要だと思う。僕は音楽が大好きだけど、いつもBGMを掛けようとは全然思わない。それがいいとは全く思わない。何も意味がない。※ 近頃は、Spotifyに入って居るにも関わらず、音楽を掛けない時間のほうが多い気もするw

若い頃と違って、今はね。

だから、お店や医療機関のような、一日中BGMが流れる会社や職場があると思うが、(おそらく好きでも嫌いでもない音楽を延々と聴かされて、)僕からしたら地獄とか苦行としか思えない(例えば、冷房が寒すぎる・暑過ぎる建物・部屋のような感じ)。まともに考えることができなくなるだろう。逆に、そういうところでちゃんと仕事できるのはすごいとすら思う。

↑今思い付いたが、将来は、今の「香害」的な扱い(「音楽害」?: 「職場で一日中BGMが流れていて苦痛なんです・・・」的な苦情)になるんじゃまいか??

PS3. ↑の「音楽害」を検索していたら、「楽器が脳の若さと健康につながる! 何歳から始めても楽器は百利あって一害なし! 脳科学の第一人者 瀧靖之先生による“カナデルチカラムービー”を公開。」なんて記事が見付かって、噴飯ものだ。そんなことないよ。絶対ない。「百利あっても三十害あり」だ。本当にまともに音楽をしようとしたら、精神を病むリスクがあることを意識すべきだ。それを求めないないならいいけど、それは一体なんだろうか? 彼の言う「楽器」? それってゲームとか遊戯みたいなものだろうか?

こいつに「悲愴」の最初の一(和)音だけでもいいから、満足に弾いてもらいたいわ。話はそれからだ!

そのレベルなら、「文学」(実際には、単に文字や文章を書くこと)だって若さとか健康にいい気がするが、何が違うのだろうか? (要するに、何だっていい)

(なんか、PSの方が重要になってしまった)

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内田の「安倍政権の7年8カ月」を読んで、膝を打った。僕が日頃、日本をけなし、(さまざまな反感を持ちながらも)欧米を持ち上げる理由・根拠は、彼の書いている「倫理的インテグリティ(廉直、誠実、高潔)」の有無だったのだと気付いた。

まあ、言葉とか表現の問題なのだが、自分が感じていたことをスパっと表現する言葉が見付かった感じだ。あと、果たして同じかどうかは分からないが、それを僕が感じていた別の言い方をすれば、「客観性の有無」だ。自分の言動を(友達でも仲間でも狭い「世間」でもない)第三者として、言い換えれば、絶対的な立場から見られるかどうか。見てその良し悪しの区別を付けられるかどうかだ。こういうのは倫理の分野だと思うので、きっと、「倫理的インテグリティ」に通じるのではないかと思っている。

ただ、最後に彼は「誰の責任でもない。」と書いているが、それは違うと思う。自分たちに得があるからにしろ、諦めたにしろ、ああいう政府・政権をずっと(おそらくこれからも)、直接的でも間接的でも、積極的にでも消極的にでも支持して来た、あるいは真似して来た日本全体が悪いのだ。

  • 安倍政権の7年8カ月

    安倍政権の7年8カ月

    安倍政権7年8カ月をどう総括するかと問われたら、私は「知性と倫理性を著しく欠いた首相が長期にわたって…

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レジ袋有料化で目立つマイバッグ万引 需要増のスーパー苦慮」を読み、大昔にUSに行く前に「地球の歩き方」を読んで予習したことを思い出した。

あっちだと、(少なくとも当時は、)店に入る前に、大き目の手提げ袋などは入口脇の置き場所(日本の幼児の遊び場を少し小さくしたくらいの広さだった)に置く暗黙の決まりになっていた(もしかしたら、入口にそういう掲示があったかも知れない)。全部の店ではないと思うが、ある大きな書店でそうなっていたのを覚えている。ただ、スーパーはどうだったか分からない。

盗難(万引き)防止策である。良く言えば、「商品をくすねる入れ物を持ち歩かなければ、お互いに安心」という考えなのだろうし、悪く言えば「誰も信じない・信じてもらえないのが当たり前」なのであろう。

ただ、当時からエコバッグはあったよう(その本屋ではエコバッグも売っていた)だが、レジで本をレジ袋に入れてもらわない場合にはどうするのか分からない。入口まで本を裸で運ぶのだろうか。大量の場合はカートで運ぶのか。それと盗みの区別は付くのか、謎はある。

あと、(近頃、日本でYouTuberが真似て捕まったが、)スーパーなどでは会計前にアイスなどの物を食べてもいい暗黙の決まりがあるようだが、それと万引きの区別をどうしているのかも謎だ。商品がどういう形状になっているにせよ、ちゃんとレジに行けばいいのか。わざと・うっかり通過して見付かった時には恐ろしいことになるのだろうか。

ほかの例としては、入口のすぐ後に鉄格子で囲まれた、おそらくリモートで鍵の掛かる小部屋(1.5-2m四方くらいだったか)があって、想像だが、盗みが発覚したら容易には逃走できないようになっていた。それなら強盗も容易には入れないだろう。

日本は外国の上っ面(形)を取り入れるのは盛んだけど、その背景とか準備は知ってか知らずかパスする(端折る)ことがあるから、上に挙げたような問題が起こるのだと思った。こういう間抜けな例は他にもいろいろあるし、日本向けにアレンジしてしまって本末転倒になっている例も多い。

やっぱり、真似るなら、最初は基本に忠実にすべきだと思う。「とにかく本物を入れろ!」だ。

とはいえ、日本とUSの差は余りにも大きくて、そのままでは導入できないことが多いのだろう。だったら、なおさら、安直に入れるのは止めとけって気はする。

まあ、突き詰めると、(いつものように)「日本は駄目だ」ってことになって「全取っ替え」以外の策がなく、客観的に見れば なんの生産性もないのだが、無駄だとしても 思ったことを言う・書いておく価値はあると思っている。

 

とは言うものの、「岡村孝子 昨年闘病、今年はコロナ禍で外出自粛も「突然、海が見たい」とドライブ「よし。また頑張るぞ!」」なんて見ちゃうと、くすっと笑えて ほっとするねえwww (仮想)お姉さん、その調子で頑張れ。

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何年かごとに話題になっている気がするが、「君は「レナ」を知っているか? 画像処理のサンプルとなったレナ・ソダーバーグの数奇な画像」は懐かしかった。

初めての会社で画像処理関係の仕事をしていた時、そこの人がUSの大学からテープで持って来た(当時もFTPはあったと思うが、今ほど便利でなかった)テスト画像の中に上の記事で紹介されている、lenna(またはlena)があったように覚えている※。他に覚えているのは、girl(古めかしい少女のポートレート)とaerial(航空写真, リンク先の"e Aerial"の画像)などがある。それぞれカラー版もあったはずで、あとからカラー版を見ると、「へえ、こういう色だったのか!」と結構感動したものだ。他に、学生のバイトの頃は友人がマンドリルの画像をいじっていて、綺麗だったので*、「僕もこういう綺麗なのやりたいな」などと結構うらやましかった。

※そういうテスト画像をどういう風に使ったかというと、例えば、圧縮したあとで、女性の帽子や髪の毛の細かい線が潰れてないかをチェックしたりした。

なお、記事では512x512画素でスキャンしたと書いてあるが、もっと大きいものもあったと思う。しかし、探しても出てこないので、思い違いだろう。

*当時(1980年代後半)もワークステーションに繋がるフルカラーのスキャナはあって、バイトで少し後にそっちをいじったのだが、妙な話なのだが、その画像はどうも色が淡い感じで、上のマンドリルのような迫力がなかったのが物足りなかった。今はもちろん、スキャナの色の方が「正しい」(または「自然」)のだろうと思う。 (19:30)

記事を読むと、技術的にも※知財権的にもPC的にも結構テキトーに元画像を作っていたようで、そういうのを大勢の技術者が出所を知らず・気にせずに、オーソライズされたもの・フリーなものとして当たり前に使っていたのが 今となってはおもしろいし、結構うらやましい。

※例えば、あれが雑誌(印画紙でなく印刷!)をスキャンしたものだったとは、今初めて気付いた。そんなものが良くまともに画質評価用に使えたものだ。まあ、きっと、ほとんど誰も気付かなかったから、それでいいのかw 昔はスキャナの分解能が低くて印刷のドットが全然出なかったのか。

 

昔話だけではしょうもないので、一つ余計な意見を書けば、記事ではlennaの元が「女性のヌード写真だから(現代では)問題になる。女性が疎外感を持つ」(概要)とあるが、本当にそうなのだろうか。lennaの画像を作った人は、元の写真が目的に合っていて、更に、女性が綺麗だから(これがいけないのかも知れない)使ったのであって、必ずしも女性に差別的な意識を持っていなかった可能性があるではないか。「ヌード写真だから駄目。子どもに悪影響を与え、女性を蔑視している」というのは、逆に、余りにも固定した古い考えの気もする※が、まあ、今はPC大流行の時代なので、仕方ないことだろう。

※例えば、もっと有名な・古典的な芸術作品の題材とか制作背景がとても差別的なものだったら、現代ではその作品の価値はなく、抹消されるべき物になるのだろうか?

それから、短絡的かも知れないが、「ヌード写真が駄目」とか言ったら、そういう職業の女性の蔑視となり、疎外感を与えることにはならないか? だから、lennaのモデルの方の言動はちょっと違うと思う。

(20:10) 蛇足だが、誤解を避けるために書くと、いかなる性的な写真・表現を無秩序に表に出していいとは思わず、何らかの線引きは要ると思うが、lennaの元の写真はそこまで露骨ではなく、むしろ芸術的だと思われるし、(IP的な問題はあるにせよ)そういう線引きに配慮してトリミングして使っているので、僕としては、「ヌード写真だったから駄目」というのは全く当たっていないと思う。

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SNSに「書くこと」でどんどんバカになる人たち、その意外な落とし穴

僕の嫌いな対談の例に漏れず、内容がとっ散らかっていてイライラした。題も見出しも中身と少し食い違っている感じだし※、最後なんて随分唐突だ(聞き手が勝手にまとめていいのだろうか??)。テーマは文章をどうのこうのなのだから、対談の記録だってもう少し読みやすく調整して欲しい。

※題について言えば、SNS(ブログは除く。ツイッターなど)なんて、僕に言わせれば文章を書いている範疇ではないから、そこからして違う。だから、「(ちゃんとした)文章を書かないから、馬鹿になる」のではなかろうか?

まあ、そういう細かいことwはどうでも良くて、この記事で「なるほど」と思ったのは、

宇野: (前略) もちろん、これは悪い例で、「書ける」だけじゃ意味がないことを証明している。でも、その一方で確実に「書ける量」と「考える量」は正比例してると思っていて、書けない人っていうのは単純に、考えてる量が少ない人がほとんどだと思うんです。

自己紹介にも書いているとおり、僕は(一般的にはしょうもない・詰まらないことでも)考えることが好きで、文章を書くのも好きだ。だから、日課などにしなくても(そういうのが大嫌いで、逆にやる気を削ぐ)、書きたくなってここに書く。しかも量が多いこと(長いもの)も結構多い。それができる理由は、上の記事によれば、僕が「考えている」からのようだ。一方で、(大量に)書くだけじゃ意味がないそうだが、内容の良し悪しは分からん。とりあえず、(以前書いたか止めたか忘れたが、人は考えなかったら終わりだと思っていることもあり、)考えているから良しとするwww

 

PS. 上の宇野という人のサイトが、クラウドファンディングで収入を得ているのは羨ましいと思った。是非お金を払いたくなるような文章を書くとか、実験をするとかすればいいのだろうな・・・

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島村楽器、着けたままリコーダーやサックスを吹けるマスク 演奏時以外も着用可能

これはほんの一例だが、何かあると、クソな会社ってのは露骨に分かる。このマスクの同類のサイゼリアも同様だ。近頃のPCなら、ケースにガラスを使うところはもれなくクソ。もちろん、LEDピカピカも。オーディオなら、ニュースに出る(正確にはリリースを出す)ようなところは概ねクソwww USBポートに挿すだけで音が良くなるとか、振動防止チップとか山ほどあって、それ以外を探すのが大変だ。音楽レーベルでアナログレコードを出すところも概ねクソ。特に、新しい曲なのに(、さも世界中が待っていたかのように)「アナログ盤リリース!!」とか、昔のでも「初回版・日本盤・帯を再現」だの紙ジャケだの「カラーヴァイナル」なんて、全部クソだ。クラウドだと、最近の、たった10GBですらデータ損失させるところとか、クソの骨頂。こんな何の意味もないサービスなんて、最初からやらなきゃいいのに。

もちろん、悪いのは流行を追うノンポリ経営陣で、作っている人(現場の人)は、溜息をつきながら仕方なくやっていると思いたい。

なんて言ってると許せるところがほとんどなくなるので、ある程度は目をつぶるしかない。

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US(他に、おそらく、その他西側先進国)も中国(他にロシアなど)も権力者のしたい放題だ。もちろん日本だって同じだから(そこは世界に合わせたのか?: いや、実際にはいろいろなレベルがかなり違うが)、結局、(180°だか360°だか回って)「似たようなものだから、日本でいいや」ってことになる?? それがいまだに30%以上居るらしい、いわゆる老害・ネトウヨ「岩盤支持層」なのか? なんか、質とか規模とか全然違うのに結論が同じになってしまうのが、悲しいな。

 

まあ、西側先進国でも中国寄りでもロシア寄りでもない、骨のある先進国ならいいので(45とか135°回る?w)、良く分からないけど、近くだと台湾とか? 香港の二の舞いにはなって欲しくないな。

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文章が劇的に「伝わるようになる」鉄板ルール

僕はこういうのは眉唾だと思って大抵読まないのだが、文章を書くのは好きなので見てみた。が、やっぱり僕の意見とはちょっと違った。違和感があったのは、(一番最初に出てきたから、最も重要と言っているであろう、)次のアドバイスだ。

まずは「一文をなるべく短くする」ということです。

全然違うと思う。悪い例として国会の答弁が挙げられているが、答弁はそもそも文章ではなく話し言葉であり(それであれだけ分かりにくいなら相当のものではあるが・・・)、それ以前に、書いた人は分かりやすくしようなんて考えていない(逆に、分かりにくくしようとしている可能性がある)ことが、分かりにくい一番の原因だと思うし、そういうのを例にしても余り意味がないと思う。

そして、良い例に「雪国」(川端康成, 1947)が挙げられているが、筆者の言うとおり、文章は短いしリズム感があるから、読んでいて心地良いし、光景が目に浮かぶけど、本当に分かりやすいのかと思う。

国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。
向側の座席から娘が立って来て、島村の前のガラス窓を落した。雪の冷気が流れこんだ。

この文章を読んで、一体どういう光景(見た目以外の話)なのか、川端は何を言いたいのか分かるかと言えば、どうだろう? 僕は分からんね(とは言え、この文章はとても美しく、なんだか分からないからこそ、是非続きを読みたい気分にさせるから、とても良いと思う)。

そもそも、筆者は「情報も1つずつ伝える方がいい」と言うが、上の文章は一つずつ伝えてはいるが、短いブロックに余りにも多くの情報や読み手が考えなくてはならないことが詰め込まれている※。それが「分からない」原因だと思う(もちろん、文学ではそれがおもしろいのだが)。

※例えば、一番最初の「国境」、「長いトンネル」からして、すぐにはなんだか分からないではないか。下手したら、ヨーロッパの山岳地帯を思い浮かべる人も居るかも知れないw ああ、でも、逆に、このブロックはグローバルに通用するんだと感心した。

もう一つ言いたいのは、やたらに短い文を連ねたら、細切れになってしまってリズムが損なわれて、読みにくく・分かりにくくなるだろう(そういう例を書きたいが、面倒だし疲れるので省く。リズムが損なわれる例としては、多くのブログやまとめサイトの、全部の行で改行している文を挙げたい)。

↓ 試しに、この稿の二段落目の文を短くしてみたが、自分で読むせいか、これで分かりやすくなったかどうかは分からない・・・ (14:48)

全然違うと思う。悪い例として国会の答弁が挙げられている。しかし、答弁はそもそも文章ではない。話し言葉だ。それであれだけ分かりにくいなら、相当のものではあるが・・・ それ以前に、書いた人は分かりやすくしようなんて考えていない。逆に、分かりにくくしようとしている可能性がある。そういうことが分かりにくい一番の原因だと思う。だから、答弁を例にしても余り意味がないと思う。

その筆者の他のアドバイスには賛成だが、僕は、文章の長さは問題ではないと考える。「じゃあどうすればいいんだ?」と言われても、「それが一言で言えるなら、昔からみんな苦労していないし、数多くの『文章読本』なんて必要なくなる」と答えるけど、それでは身も蓋もないから一つ書くとすれば、「いろいろな文章を読んで考え・試す」ことだろうか。

 

と、やたらに長い文章を書く者が申しておりますw

 

PS. 実際には、いつも好き好んで、長い、段落が黒くなるw文を書いているから、上のページを見て、ちょっと「うむ、そうだったか」と思い、「では、どうすれば?」と思ったのは正直なところだ。

PS2. 一方で、分かりやすい文章を書くこととは直接関係はないが、「下がり続ける日本人の読解力。「読みやすい本」に潜む脳への悪影響とは」という記事では、読解力などを身に付ける・向上させるために、あえて「読みにくい文章を読もう」(ここでいう読みにくい文章とは、悪文ではなく、いわゆる昔の名作である)と言っている。僕はこちらに賛成だ。そして、読解力が付けば、分かりやすい文章を書く力も付くと思う。

そして、僕がちゃんとした本を読めなくなったのは、その記事に掛かれているように、webなどで斜め読みばかりしているのが関係あるかも知れないと、ちょっと思った。今は本当に、パターン認識のように、まえがきや背景の記述などはすっ飛ばし、見出しやキーワードで重要とか興味のある箇所を探して、そこだけスポットで「見る」ことが多い・・・ (13:39)

PS3. 今、以前から好きな、古谷経衡の記事を読んで安心し、僕の意見が誤っていないことを再確認した。彼もまた長い文だが、分かりにくいなんてことは全くないからだ。むしろ すらすら読める^^ (8/2 9:53)

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「IT化/推進」なんて、何十年も前から言ってたのに、今のひどいありさまは、夏休み中毎日、(宿題・勉強は)「明日やる」とか「今日は頭が痛い」とか言って、さまざまな理由で小遣いをせびれるだけせびり、使えるだけ使って遊び呆けて、最終日に溜まった宿題が見付かって親に怒られる子どもと同じだ。

でも、怒られても(やる気なんてないのに)「(最重要課題だから)これからやる。(キリッ)」とか言い出したり(性懲りもなく、昨日も「「デジタル化」を最重要課題に据えています。」なんて言ってた。なんだよ、「デジタル化」って!!??)、やってる振りをして先延ばしにして誤魔化したり、何もしてないのに「一定の効果があった」とか言って、こっそり闇に葬る(でも、少ししたら、金をせびるために別の理論でまた始める)点で、子どもよりひどい。

IT以外にハンコも年金もさまざまなことがそうだ。全部とは言わないが、こんなことばっかりで目も当てられない。

 

PS. 広義の「IT化」に関しては、昔(80年代後半?)の方がずっと進歩的・積極的だった。ファクスやPCが使われ出した頃だ。今はその時からほとんど進んでいない(特に人の考え方)のは、全く嘆かわしい。

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先日、電気製品を落としたら、珍しく壊れ(し)たかも知れない。それは仕方ないが、ただ壊れただけでなく、いかに計測が大切かを思い知った。正確に書くと、感覚や勘や思い込みや先入観だけで判断せず、事実を調べてそれに基づいて判断することが重要で、計測・測定はその第一歩だ。

その、「事実に近づける」という点からか、僕は昔から計測・測定が大好きだ。意味があってもなくても、とりあえず測ることがあるw

そして、本題からは少しずれるが、記録することもものすごく大切だ。ただ測って「ふーん」と言うだけだったり、無視するのでは何の意味もない。

更にずれるが、測って記録したって、それらを放置したら駄目で、データに基づいて考え・調べないといけない。当たり前のことだけど、(意図してかそうでないのか)いろいろすっ飛ばす人が多い、今日この頃・・・

 

壊れたのは温湿度計である。ある日、居間の温湿度計(シチズンの大き目のもの。以下「大」)を見たら、湿度が77%と妙に高かった。一方、寝室用(シチズンの小さ目のもの。以下、「小」)では67%で、体感にはそちらが近い気がしたので、大の湿度計が壊れたのかと思った。確かに、少し前に床に落とした気がするし、買ったのは2012年と結構古いので、センサ(容量式湿度センサのようだ)が経年劣化したのかとも思った。他に、エアコンのファン掃除で使ったディゾルビットが揮発した成分がセンサに悪影響を与えたのかとも思った。更に、これは実は外れの個体だったのかという気もして来た。

さらに疑い出し検討したり試したりしていたら、実は小も壊れていて、どちらも正しくない可能性も浮かんだ。それで、2個では分からないから「多数決」で決めようと、もう一個買うことにした。もったいない気はしたが、片方が壊れたとしたら、補充する必要はある。

いろいろ比較して、評判のいいタニタの、TT-585にした。ヨドバシで約1300円だった。今までの(大)はシチズンの8RD200で、シチズンの評判を調べると、いいものと悪いもの(値がおかしいなど)が混じっていた。ただ、あとで調べたら、シチズンは仕様では湿度の誤差±3%で悪くないはずだが・・・ ちなみに、新しく買ったタニタのは誤差±5%だった。

なお、いつの間にか、シチズンの温湿度計のメーカーはリズム時計になっていた。買収されたのだろうか? あるいは、元々同じ会社?

届いて、早速比較した。なお、実はもう一個、外気温を測るための温度計(ヤザワ、湿度は測れない)があったので、それの温度も参考にした。(最初から答えが出ている気もしたがw、)約4時間後の結論は、なんと、

の湿度計が壊れている(8%くらい低い)

だった。そう言えば、以前、エアコンの温度の関係を試している時に落とした気がするが、落ちたのは掛け時計だった気もするので、原因は不明だ。センサの経年劣化かも知れない。あと、小は温度計も誤差が大きそうだ。ただ、小は元々大との差が大きかったので、こっちが外れの個体だったのかもしれない。

そして、やっぱり、感覚や思い込みや推測では正しいことは分からない(僕らは超能力者でも神でもないので)。「当たり前のことなんてない」というスタンスですべての常識を疑い、まずは測定・計測して、状態を把握する。それが真実に近づくための最初の一歩ではないだろうかと再認識した。(と、いかにもなことを書いてみたw)

 

ちなみに、元々の湿度が高かった理由は、天気が悪いのに洗濯物を部屋干ししたためのようだ(乾いたら湿度が下がったので)。それで、今日は風呂場に物干しを置いて、ちゃんと乾くか試している(先日、「部屋干しには(浴室乾燥機がなくても)風呂場がいい」という記事を読んだので)。が、何となく、窓際でないから乾きにくい(冬なんてどうなんだろう?)うえに風呂場がカビ、しかも、狭くて干しにくいうえに干している間はシャワーが使えず不便という、更にひどい結果になりそうだ。※ が、上に書いたように、まずは試すことが重要だ。

※こういうのは生活関連の記事に結構多い。確かに一見良さそうなのだが、自分で試していないのか、条件が厳しいのか、古い情報に基づいているのか、机上の空論なのか、ポジショントークなのか、実際には全然役に立たない・実行できないものがある。

(7/18 4:22) さっき確認してみたら、スウェットのような厚手のものは もう少しという感じだったが、シャツなどは乾いていた。干してから約2日なので、居間の窓際で干すのと同等か少し長い程度だ。居間の湿度が上がり過ぎるよりはいいので、冬はどうだか分からないが、とりあえず続けてみる。

 

PS. 落として予想外に壊れた物はもう一つある。エアコンのファン掃除の時、ファンを照らしていた懐中電灯を落としたのだが、昨日、ふとレンズを見たらとんでもないことになっていた。ひびが入っているうえに、ディゾルビットが付いたのをそのままにしたせいか、点々と白濁していた(素材が変質してしまったようで、水で洗ったり、車の窓用コンパウンドでこすっても落ちなかった)。その頃、電池が切れたので、ちゃんと確認せずに放置して別のに換えてしまったのが敗因だ。

なお、そのままでも普通に明るいので大きな問題はないが、僕もなかなかのものだw

PS2. 壊れた温湿度計をPCの温度センサに使えないか、中を見てみたが、さすがに手も足も出なかった。中にはセンサ(写真右側: 上: 湿度、下: 温度)の他にチップが2個(写真の黒い丸の中: 測定用と表示用?)あって、その間をデータが流れていそうだが、そのプロトコルが分かる訳がない・・・ そのための道具が必要だが、それを買うお金で、PCに繋がる温度センサが数百個は買えそうだw

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(酔ってるので、テキトーな話)

キャリアは、しきりに5Gがいいとか言ってるけど、「別に・・・」としか思えない。「そんなのどうだっていいから、もっとやるべきこと・やらなくていいこと(こっちが多い!)があるだろう」って言いたい。

だって、以前にも書いたが、いくらスピードが速くたってデータ量の上限があるし(今は、5Gのモバイルなら無制限かも知れないが、テザリングは別とか、さまざまなセコさがあって面倒だ)、遅延が少ないとか言ったって数十msが許容できる使い方って多いのかと思う。音楽は無理だと思う。もちろん、演奏者が合わせればできるとは思うが・・・

それに、いくら遅延が少なくたって、常時繋がるのかなと思う。やっぱり切れるよね。5Gの「遅延が少ない」のは、切れた場合は含まれないよね。そもそも5Gは基地局のエリアが狭いとのことではないか。それだけで、かなり使い方が制限される。とてもじゃないが、車のシビアな用途になんて使う気がしない。

まあ、運営や技術者からすれば、世界の流れに遅れる訳には行かないのは良く分かるし、それは僕も必要だと思うが、ユーザーとしては、仕組みなんてどうだっていい。

そして、今気付いたのは、こういうのがなぜ嫌かというと

シームレスでない

ってことだ。ユーザーはいつも、次は3G, 4G(LTE), 5G (あと、PHSもあったね)と、キャリアに言われるがままに、乗り換えの手間と出費を強いられてきた。そうじゃなくて、

気付いたら新しい方式を使っていた

みたいになって欲しい。難しいが。

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最高じゃん!

中学の頃からだろうか、僕は朝礼や全校集会、更に、入学式、卒業式、成人式、そして、会社の偉い奴が偉そうに御託を並べる集会がとにかく嫌いだった。というのは、そもそもその集会をする意味が分からず、(話がメインの場合)大抵、事前に内容は分からず、こっちの都合など関係なくて、必ずその時・その場所に行かなくてはならず(大抵、正当な理由なしに行かないと大変なことになる)、「万難を排して」行ったところで、詰まらない話を神妙な顔で聞き流さなくてはならないからだ。

小学校の朝礼では貧血になったこともあるし、そもそも、決められた順序・場所に並んで「前へならえ」、「気を付け」、「礼」、「休め」だのって、どういう意味があるのか、今となっては分からん。話なんて、今思い出すのは、その時の校長だのがでっち上げたトンデモなもの※ばかりだw 普通の(まともな)話は記憶にない。「あの時、あの人は*なんて いいこと言ってたよなあ」なんて、いい話なんてもちろんない。

※今すぐに思い出せるのは、小学校の校長が、冬の朝礼(もちろん、地面の凍りついた極寒の校庭で行われた)で「寒いから風邪をひくわけではない。そうだったら、南極基地の人はいつも風邪をひいている」とか言ってたことだ。であれば、なぜ風邪をひくかは忘れたが(気の緩み?= 精神論?!)、まあ、どっかで小耳に挟んだ話を誇張したんだろう・・・ が、そういう奴は冬でも暖房なしで半裸で居ろって気がする。

結局、特に意味もなく習慣で集会をするから、毎週だか毎日だかにそういう詰まらない話をこしらえなくちゃならないし、聞く方だって馬鹿らしいから、みんなに無駄なのだ。

その流れか、まあ面倒だったので、僕は成人式には出ていない。実家の市のも大学のあった市のもどちらも ばっくれた。だからいまだに大人になり切れていないのだろうか? (ってことはないが、中二病成分は多そうだwww)

そんなの、紙で(今ならメール、web、LINE、YouTubeだので)配ればお仕舞いだ。行く必要なんて全くない、無駄もいいところだ。そもそも、その偉い人の話に価値があるなら、紙など(要は文章や蓄積メディア)の方がずっと理解できるではないか。

そう言うと、「粗忽者は紙なんて読まないから、直接話す必要がある」とかいう話になるが、いやいや、そういう連中はその場に居たって、何も聞こえてないから同じだよ。本当にそう思うなら、各自と一対一で、完全にフリーな対談をしろよ。お前らにはそんな勇気も余裕もないだろうが!

まあ、そういう「儀式」をしたい人の言い分は分かっている。「人生の大切な区切り」だの、重要なことは生で話す・聞く必要があるとかだろう。でも、本当は、自分の「偉さ」を再確認したいだけなのではないかと、今思った。要は自己満足だ(そんなの、今だったらブログやYouTubeで充分だwww)。 だって、そういう話で役に立ったものって、まずないよ。

 

でもまあ、僕はきっと特殊なクチで、一般の人はやっぱりああいうの(臨場感とか?)の価値を理解しているのだろうと推測するが、今は、(会社の在宅勤務もそうだが、)僕とっては長年の夢が叶った、夢のような状態である(でも、それが活用できる状態でないのが残念だw)。みんな、今は幸せなんだぜ。

まあ、(日本は)そのうち元に戻るだろうから、本当に うたかたの夢だけどね。

 

PS. いや、本当にこういう集会の意味とか価値があるなら、是非教えて欲しい。「一体感の醸成」などの余計なものとか、「普段見ない人の顔が見られる」やすごい服や車をみせびらかすwなどの副次的なのは なしで。そういうのは別の会(パーティーとか、僕はまずそれも出ないがw)でやればいいと思う。

 

長々と書いたが、要は、僕は、大した理由・必然性がないのに、一方的に決められた時・場所に のこのこ歩いて行って、「ありがたい話」を一方的・強制的に聞かされるのがマジで面倒なのだ。

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「連日100人超えている」とか言って騒いでいるが、分母(検査総数や対象の人口)を考慮しなかったら、深刻さ(例: これまでより悪くなったのか)を判断できないと思うのだが・・・ 例えば、以前の数十倍の人を検査したら、(感染率が同じだったとすれば)数十倍の感染者が出て当然ではなかろうか。仮に検査数が10倍になったとしたら、以前が10人/日だったとして、今回は100人/日になるのは当然ではないか。でも、検査数が同じなら、確かに大事だ。つまり、値(感染者数)そのものよりも、もっと見るべきことがあると思うのだ。

そもそも、感染性の病気に対する評価期間が短か過ぎる気がする。潜伏期間が二週間というのだから、少なくとも一か月は様子を見ないと、状況(動き)は把握できないのではないか。要は「一喜一憂」だ。素人が毎日株価のグラフを見て、分かったようなことを言うけど、実際には外れることが多いのと似たような感じだ。素人考えだが、株価もコロナも、確実な将来は予測できないという点で、似ている気はする。

都でも国でも専門家は居るのに、ちゃんと話を聞かないで(聞いても分からないから、最後は、要約の一行とか直感とか恣意で判断する? あるいは、専門家ですら忖度している?)動いているのか。

人はともかく、ウイルスや物理現象に詭弁や「根性」は効かないよ。人も最後は物理現象なので、同じことだ。結果的に効いたように見えることはあるだろうが、その陰にはさまざまな偶然とか誤解とか見えないことがあるはずだ。

これに限らず、もっと科学なり論理なり、あるいはもっと低レベルな、「真っ当な考え方」を勉強してから、そうでなくても、せめて自分の知らないことは専門家の意見を尊重する人※が政治家になって欲しいが、まあ、(どうしてかは分かる気がするが)全く無理なんだろうな・・・ そういう、何の知識もなく勉強もしない人が、偉そうな顔して日々平然と重要なことを決めているってのが、すっごく危険だ。

※「無知の知」の価値を知っている人。

 

PS. ところが、さっきある記事を読んで思い知らされた。無知蒙昧な人は何が良いか適切に判断できないので、悪徳専門家の言いなりになってしまう・・・ 日本(特に国や自治体)のITシステムが、お金と時間ばっかり掛かって全然使い物にならないことが多いのは、その証拠だ。どうしたものかねえ・・・ (7/5 6:18)

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よく、「(SNSなどで)意見を書く時は実名を出すべきだ」という人(有名人が多い)が居るし、確かに海外では実名を出す人が多いが(だからFacebookは実名なのかと思う)、僕は以前から漠然と「それは(何か)違う」と思って来た。だから、すごく面倒だけど個人の特定に繋がることを書くのを避けている。そして、さっき、そうしなければならない理由が分かった気がした。

日本は海外と違って、近頃なら「自粛警察」や、ちょっとしたことで「不謹慎だ!」と叫んで吊るし上げるクソ・クレイジー・変で全く理解不能な同調圧力が強いから、名前のような、個人が特定できる情報を出すのは全く得策でないのだ。出すことのメリットよりデメリットの方がはるかに大きいのだ。下手したら命を失うことすらあるではないか。そんな状況で、思ったことを自由に発言できる人はほとんど居ない(僕は無理だ)。※ 逆に、海外は(日本と比べて)そういうことが少ないから出す人が多いのではないか。

※実際、名前を出していない今だって、内容や表現は かなり制限している。つまり、「お前らのせいで書けないことが多いんだボケ!」と言いたいが言えないのだw

と理解して終わりになり掛けたのだが、すぐに、

では、実名みたいな仮名で出るのならいいのか?

と思ってしまった。例えば、このブログに、僕の名前を(さすがに「鈴木一郎」だと嘘臭いから、)「木下広二」※として、ブログの題を「広二の日々」*とでもすれば実名志向の人たちには許されるのか。さすがに、住んでいる地域を誤魔化すのは難しいが、名前だったら大きな問題はないだろう。

※この名前を作るのがなかなか大変だったw
*これ、僕的にはすごくダサくて、全然やる気がしないし、こんな題だったら今以上に誰も読まないだろうw

しかし、それと"PiuLento"や「れんと」はどんな違いがあるのか分からない。上の名前は仮名としているが、もし、僕の名前が本当に木下広二だったら(なんかすごく嫌だがwww)、あるいは、実は、飛有蓮人で(これは許せるw)、実は最初から何も隠してなかったとして、それらに何か意味があるのだろうかと思う。

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もちろん、まともな学者が、考え抜いた説を発表するとかじゃなくて、政治家とか胡散臭い人などが、字面はどうしたって「正しい」に区分けられることを言うことを指す。

区別の仕方は、後者の言うことは瞬時に字面で「正しい」(正確には「どうしたって、誤りにはならない」)と分かることだ。要は、さまざまな飾りを付けて「五十音で『あ』の次は『い」です」と言うようなものだ。(僕はこういうのが大嫌いなので、うまい例えができない・・・)

「正しいことを言う嘘つき」ってありうるのかと思われるだろうか、大いにある。いくらでもある。あり過ぎる。例えば、「アベノマスク「検証していないが効果ある」政府強弁に疑問の声」で書かれていることだ。その文章しか読んでないけど、政府がその閣議決定で言いたいことは、

一定の効果を有するものと考えている

で、「考えている」なので、正しくないことがない(もちろん、彼らが本当にそう考えたかは確かめようがない)。つまり、その人たちが「考えている」のであって、実際にはどうだっていいのだ。結果的に効果がなかったとしても、「考えてい」たのは確かで、嘘でも間違いでも何でもない。しかも、お得意の「一定の」が付いているから怖いものなしだ。あとで、「実は「一定の」は1000万分の1でした」と言うことも可能だ。もう、「正しい」(正確には「誤りではない」)以外にありようがない。

しかも、仮に失敗を突っ込まれても、「責任を痛感する」と言うだけでいいから、何のリスクもない。

そして、そういうのには自分の意見・考えがない。意見はいつも正しいとは限らないので、突っ込まれるリスクがあるから、なるべく出さないようにしているのだ。

あ、字面では、「考えている」は意見ともとれるが、何かが違う。それは事実とか実験・測定・検証・評価結果のような、再現可能な証拠に基づかない、抽象・空想的な発言、絵空事で、誰も否定できない(「そうか・・・」としか言いようがない)ってことだろうか。

そうか、「考えている」の元が「一定の効果」じゃ、誰も検証も否定もできないってことだ。限りなく0に近い値だって「一定」には違いないから、本当に、「そうか・・・」としか言えない。

要するに、意見はない(実際にそう「考え」た訳じゃない)けど、その決定を世に出すために「考えている」と書いただけだってことだ。もし、「有する」で終わっていたら、大変なことになる(それでも、まだ「一定の」で逃げられるので、また別の閣議決定(例: 「『一定の』は、ある程度の時間、値の変わらない、任意の値(0でも負でも可)を示す」)を出せばいいだけだが)。

でも、そういうことしか言わない政治家だの役人なんて、どういう価値があるんだろうか。

 

僕は人間のクズだと思って忌み嫌っている。

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(あとで本文を書こうと思って放置していたら いい題材を目にしたので、前・中略www)

そして、批判すらも叩かれる今日この頃(爆)・・・ まあ、窓の中の方が言うことだから、正しいんだよね。いくらバグがあっても、それでいくらみんなが迷惑したって、全然問題ない、逆にウェルカムとはうらやましい文化だ。(棒読み)

もちろん、日本がいいとは全然思わないし、こういう状況が後進国にしたというのには同感だが、そもそも日本の批判は「文化」なんかじゃない。国民性だからどうしようもない。それに、USでだって批評(何かに対して自分の意見や感想を述べること)は重要な文化ではなかろうか。きっと、批評と(彼の指す、日本の)批判は違うのだろう。でもまあ、なんでも「いいね」って言い合うだけなら、単なる「明るいアフォ集団」では?

あと、これに軽く乗って いかにも分かったようなツイートをする人たち(リンク先の一部以外の人)が一番良くない。そして、大昔から名前を良く見る、日本のセキュリティの大家みたいなお方※は生産性がないね。

※この方の作った、ものすごく堅牢で非の打ち所のないソフトがどこかにあるのなら、是非使ってみたいものだ。もっのすごく参考になりそうだよ!!!

 

あ、もし僕だったら、もちろん下手になんか出ず、「うるせー馬鹿」で終わらせ・・・たいっすwww

それにしても、全体を知らないけど、その叩かれた作者は なんで謝っているのかな? そういうところも日本の悪いところなのかも知れない。みんなそういう態度だから、叩く側が増長するのではないだろうか?

それから、これも経緯とか全然知らずに想像で書くから違ってたら申し訳ないが、普通、国とかから仕事を請け負ったら、「僕が作りました!」とか「死ぬほどキツかった・・・」とか公言しないと思うがなあ・・・ そもそも、死ぬほどキツい仕事を請けるのは、リスク管理上どうなんだろうと思う(もちろん、請けるのは自由だ。でも、ならば「キツかった」とか言わない方がいい)。そして、個人だったらサポート(少なくとも表の窓口)なんて、発注者にやらせるに決まっている。じゃないと、身体も心もいくつあっても足らないと思う。

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DeepL翻訳とかいう大学生の救世主wwww

を読んで、「お前らなあ・・・」とあきれた。まあ、当時の僕同様の行動だけど、「良く考えろ!」と言いたい。が、んなこと言ったって若い連中はそこまで考える訳もないから仕方ない。

そもそも、大学で英語だかの和訳(やその逆)みたいなつまらない課題が出るのかとは思うが、あったとして、それを他人にやらせたものを転記して出して(いい点取って)、何がおもしろいのか!! ゲームだったら「攻略本」やチートだろう(でも、みんなそれでもいいようだな)。

僕だったらそんなことやらないね。その課題がおもしろかったら自分で苦心惨憺して出す(もちろん、評価なんてどうたっていい)か、詰まらなければ出さないかだ。

課題でいい点をもらうのが目的なのか。アフォかと思う。でも、そういう連中は何にもなれないから、まあいいよ。

これは絶対的な意味であって、日本の国内ではそうではなさそうだ。今はどんな能無しでもトップになれるみたいだからねwww

そうじゃなくて、自分を高めたい人、あるいは、単に、自分がおもしろいことだけしようとする人はそんなことはしないだろうって話だ。そして、若いんだから、そうしようよって話だ。

 

PS. もちろん、仕事は別で、効率が上げられるならどんどん使えばいいと思う。ただ、僕はやっぱりおもしろくない。あくまでも自分で書いて、そのチェックには使うと思うけど。そもそも、そこまでチェックが要るのなら、別の方法がありそうだ。あと、メールやチャットでの会話の場合、いつも使うのだろうか? すごく面倒そうだが・・・ 僕が遅れているだけ?

つまり、前にも書いたが、「そんなに正しい翻訳をしようと思わなくたっていい」ってことだ。多くの人は文句言わないよ。(僕の意見はね)

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音楽のスタジオ録音なんて全部そうだが・・・

もちろん、応援とか声援などがあったら張り合いがあるだろうが、そういうのがなくたって、冷静に淡々と全力で正確に進めるのも格好いいと思う。

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(他にも書きたいことはいろいろある一方、読む人がほとんど居なくて張り合いがないものの、他にできることもないので、とりあえず書く。)

今日読んだ、以下の二つ(元は一つ)の記事、僕には、自分がいつも気を付けていることに通じるものがあって、ツイッターでのコメントを見て、「そこまで遠い話だろうか。もう少し、身の回りを注意深く見てもいいんじゃないか」と思う。

もちろん、日本では命の危険はまずないが、「普通」でない(ことをする)人が、何も悪いことはしてないけど、「不審者」とみなされれば、さまざまな不利益が振り掛かる可能性は高い。痛くもない腹を探られ、運が悪ければ職を失い、冤罪や誤審で何十年も収監されることもあるではないか。

要するに、日本では、近頃は随分良くなったとは思うが、「『普通』でない人」は、USの黒人に似た立場にあるのではないかと思う。

USの状況についてどうこう言うつもりはないが、日本にも似たような話はあると思う。だから、「US(の人種差別)はひどい、日本ではそんなことない(だから日本は−)」とか思うのは、余りにもひとごと過ぎるし、気楽過ぎると言いたい。実際、上に書いたこと以前の、明らかな人種差別はあるではないか。

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緊急事態宣言解除後すぐに「東京アラート」をキリッと「発動」して、もっともらしい顔で原因と対処を都民に押し付けている感じだが、単に見通しが甘かっただけでは? 出した主体に国と都の違いはあるけど、都も自分たちの頭で考えて、解除後の人の行動を予測して、それでも大丈夫そうだから賛同したのではなかったか。

いろいろ意識高そうな単語を使ったり※、橋とかのお飾りwに余念はないけど、結局駄目じゃん。

※そのうち、「with コロナ featuring 小池」とか言い出しそうだwww

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