Archive for the ‘意見’ Category

やっぱり、役人てのは平均値としてはクソアホ無能揃いだということを確信した。

ニュースで、茨城県の読みがなを30年以上も誤ったままにしている役所の話を読んだが、その画像を見て、それよりもムカつくことに気付いた。

画像の赤丸はそのニュースに元々付いていたもの。下の茶色は僕が気付いたものだ。

30年以上も読みがなすら直さないところでも、元号は一瞬で直せるすのか。

どこを見て仕事をしているか(いや、そもそも仕事なんてしてないのだろう)が良く分かる。全くアホかバカかだよ。「お前らにやる金なんてない!」と言いたい。何が「マスターデータが誤っている」、「会員が多い」だよ。元号だって同じことだろうが。その論理なら、未だに「昭和」で出せよ。クソが!

(2番目) 以下は6/12に書き掛けたものの、全くおもしろくないので止めたものだが、ついでに出す。

悪いことがない振りをしていれば、すべてうまく行くのか。自分で書かせた報告書を「読んでいない」と威張って受け取らなければ、それが指摘しているであろう問題までなくなるのか。

おもしろい論理だ。小学生レベルだな。いや、小学生に失礼かも知れない。

そして、その問題が発現する頃にはリタイアして悠々自適で知らん顔? それなら本当に問題は起こらないね。彼らだけには。

とにかく、気楽にお仕事をしている連中につける薬はない。

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時々、なぜか、(意識高そうに見える)しょうもないものを流行らせようとする技術系の人が居る。この前はマストドンとかいう名前すらクソダサイのがあったが、今日はマークダウン(以下MD)だ。やれやれ。

Wordが面倒だからMDを使おうとか、「お前、何も分かってないな」だ。MDこそ面倒だ。Wordをテキトーに使う方がずっと楽だ。それに、誰も使いたくてWordを使って居る訳じゃない。

これを読んだ普通の人が、(まあ、滅多に居ないと思うが)「よーし、僕もMD使っちゃうぞー!」とか思ってやりだしたら、ただでさえ低い日本の生産性はさらに低下するだろう。まあ、それでも個人の趣味で使うならいいが、最後にとんでもないことが書いてあって、この人に技術的なセンスはないと確信した※。

MDをPDFに変換してビジネスの書類にする??

は? アフォですか?

無理なうえに無意味・無駄だ。こいつは何も分かってない! そもそも、PDFに変換するならMDなんて使う必要も意味もないし、仕事の書類なんてさまざまな書式があるのに、それに合わせられないし、一番問題だと思うのは、PDFなんかにしたら、データが再利用できないことだ。MDと違ってそれっきりで、FAXと同じだ。それでいいの?? アナタノアタマハショウワデスカ?

 

蛇足だが、「じゃあどうするの?」と言われたら、僕ならこうする。

Wordで出す必要があって、書式が決まっていて(定形の書式)、何度も出す必要があって、しかも、自分で打ち込むのが厄介なら(こんなことは滅多にないが)、そのWordドキュメントを作るプログラムを作る。書類ごとに変わる箇所だけをテキストで書くとかフォームに打ち込んでそのプログラムに通せば、Wordができるようにする。これこそ楽ちんだ。何度も出さないなら、テキトーにWordで書けばいい。これの何が大変なのか? あと、なぜかPDFで出す必要があって、書式が自由なら、EvernoteとかLibreOfficeでいいよ。書式が決まっているなら上と同じだ。その他は自分で考えろ(ただし、MD以外でね)w

 

※この人の経歴を見ると「うーむ・・・」と思わされるが、やっぱりそうだった。

 

(6/16 18:36 スマフォで認証ダイアログが出て鬱陶しいので、元記事のリンクの仕方を変更)

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伝統が大好きな日本の人たちは、なぜ、当たり前の顔をして太陽暦(グレゴリオ暦)を使っているのだろうか? 西暦の年号はキリスト教由来のものだ(から、それだけにするのはけしからん)と言うが、グレゴリオ暦だって日本のものではない。時間の基本的な単位だって、秒でいいのかどうか甚だ疑問だ。僕は歴史には詳しくないが、今の暦になったのは明治のようなので、まさかそれが日本古来の伝統だということはあるまい。ダブルスタンダードだ。

伝統を守るのであれば、年号同様、日付や時刻も世界標準と伝統的な暦(何にするかは勝手に決めて欲しい)を併記すればいいし、お役所は伝統的な暦で運用すればいいではないか。明六つ・暮六つとかやればいいのだ。今はデジタルだからいくらでもできる(かも知れない)し、伝統を守るんだから、不便に耐えるのは当たり前だよねw

でもまあ、考えてみると、大量の西洋文明が流入した明治起源のものを「伝統」と称している場合が多いから、彼ら的にはこれで筋が通っているのかも知れない。僕はとても不思議な気がするが。「伝統」と言うなら、やっぱり平安、せめて江戸ではないか?

もちろん、僕は世界標準の体系だけで充分だ。

 

PS. と書きつつ、この文章を日本語で書くのはダブルスタンダードかも知れないねw まあ、今はUnicodeのおかげで日本語の文字は世界標準に取り込まれているから、完全なガラパゴスとも言えないかな。本当にいいのは、全部の投稿を日英併記することだろう。仕事サイトではやっていたが、趣味だとなかなか・・・ 機械翻訳の精度がもっと上がれば楽になるけど、言葉遊びの類は難しいだろうな。

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世界的には何も終わっちゃいないし、何も始まってもいないのだが、四季のある美しい国()だけは違うようだ。昨日までは「*最後の」、今日からは「※最初の」でもちきりなんだろう。きっと、楽しいんだろうねーw

もっと重要なことは山ほどあるように思うが、上は目くらまし、下は(どうしてそうなれるのか知らんが)お祭り気分なのか・・・ それで多少はお金が動いて景気回復に寄与するのかも知れないが、無駄もいいところだ。

あと、嫌な状況を「リセット」したい気分は良く分かるが、全く何のリセットにもならんよ。

目を覚ませ!

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実は、下唇の他にも気になることがあった。(高血圧はあるけどおいといて)先月くらいから、右目が眼鏡が汚れているような感じで若干見えにくくなった。眼鏡をいくら掃除しても治(直)らず、疲れ目かと思って良く寝ても駄目だった。一か月経っても変わらなかったので、「これはいよいよ緑内障か白内障になってしまったか(血圧も関係あるのかなあ?)・・・」と重い気分になったのだが、とりあえず、眼科に行くことにした。

毎年、左目の網膜剥離の経過を検診してもらっているところは、歴史があって医師の経験はありそうなものの、検査が簡易(いつも散瞳しない)で説明も不充分な気がしていたし、室内がごちゃついていて余りいい雰囲気でないし、眼鏡店が併設で営利を重視している感じ(コンタクトなどの患者も多く、流れ作業になっている)なので、別のところを試そうと思った。検診履歴が伝わらないのは不安だが、新しい症状だからなくても問題ないと考えた。

地図で検索して、いくつか候補が挙がった。どれも遠いが仕方ない。WebページやGoogleの口コミ程度しか情報がないので、それらで比較した。

大抵のところはwebはおざなりで、診療日・時間や医師の名前、住所程度しか書いておらず、できる治療・検査・手術の内容や設備を詳しく書いているところは少ない。今までのところなんて、そこら辺はほとんど何も書いてない。昔からのところは大抵そんな感じだ。一つ、惜しかった医院はそれなりに書いてあったのだが、イメージ優先の感じで(良く言えば、前回の皮膚科と近い)、肝心の詳しい情報(例: どんな設備があるのか)は余り書いてなかった。

今回は視野が狭くなっていないかの検査が要るような気がしたので、そういう機器があるところに行きたかった。プロにとっては、そういうのはあって当たり前なのかも知れないが、素人には書いてなければ分からない。検査の必要があるのに(、機器がないから)検査せずに"OK"と言われるのでは心配だ(今までのところはそういう感じだ)。

どんなことでもそうなのだが、「当たり前のことだから書かない」、「分かってるでしょ」、「(電話で)聞けば教えるよ」は論外で、当たり前のことだからこそどこかに書く必要がある(もちろん、整理せずに書き並べてごちゃつかせるのは駄目だ)。こっちに言わせれば、「書くのが当たり前でしょ」だ。どうせ外注して作っているのだから、そんなのは全く手間じゃないのに、それすら惜しむとか必要性に気付かないのでは、webを出す意味がない。お金の無駄だし、「自分は古い・情弱です」と宣伝するようなものだ。

結局、webが一番ちゃんとしていて、各種情報が丁寧に書かれていて、治療・検査の内容や保有する設備が詳しく書いてあり、医師の出身や経歴がなかなかすごいところにした(いいことづくめで、逆に疑ったくらいだが、今は、経歴がすごい人だからこそ、当たり前のことがちゃんとできるのではないかと思う)。そこはネットで予約もできるから便利だった。距離的には先日の皮膚科と同様だった。道幅などは問題ないから車でも行けるのだが、今回は散瞳する可能性があるので、歩いて行くことにした。

朝、雨が止んでいたように見えたので出たら、小雨だった。それでも、延期すると連休後になる可能性があるので、そのまま行った。雨のせいか蒸し暑かったが、なんとか着いた。建物は新しく、室内は清潔感な感じだし、広々としていていい感じだ。今までのところよりずっといい。ただ、残念ながら、ここの問診票は紙だった。

視力は両方とも矯正で1.2と問題なかったし、眼圧も問題なかった。目の中に少し濁ったものがあるようで、飛蚊症と同様の症状らしかった。要は、元々あった飛蚊症がわずかに進んで、硝子体に新しい濁りができたか濁りが大きくなって見えにくくなったようだ。現時点では治療の必要はなく※、しばらく経てば慣れるとのことだった。

すごく安心した!

※素人の推測だが、今の飛蚊症は問題なくても、これが進むと白内障になるのではないかと思う(調べれば分かることだろう)。ただ、どういう原因だとしても、白内障は防ぎようがないようなので、現時点で心配しても仕方ない。

医師が丁寧に説明してくれたので(口コミとかすごい経歴から、もっとぶっきらぼうなのかと思っていた)、良く分かった。いつの間に撮ったのか、眼内の写真で濁っているところを見せてくれたので、分かりやすかった。これも今までのところ(写真なんて撮られたことはなかったと思う)とは全然違う。

ちなみに、最初にこだわった視野検査はなかった。それは、散瞳して眼内を充分に確認して、必要がないからしなかったのだと思うからである。写真で説明を受けたことも、充分に確認した印象を受けたので、不審・不安には思わない。

全体的に、今までで最高レベルの医院だった。ただひとつだけ残念だったのは、なぜか、(どこの病医院でもあることだが、)問診票に書いて受付に口頭でも説明した症状などが、医師には異なって伝わっていたことだ。ちゃんと訂正できたので実害はないが、どういう経緯で情報が変化してしまうのか、興味あるところだ(「伝言ゲーム」と言えばそのとおりなので、仕方ない?)。今回は、伝わった情報が変わっていたとはいえ、結果的には誤ってはいなかったので、途中の誰かが医学的に解釈して変えてしまったのかも知れない。

こういうことを防ぐためにも、前回書いたような、スマフォやPCから病歴や症状や経過を転送できるようになるといいと思う。

帰り際、受付の人が「(雨が止んだので)傘を忘れないようにして下さい」と言ってくれた。こんなに気配りをしてくれるところは初めてだ。感動した。次回の網膜剥離の検診は、ここに行くことにしたい。

昨夜はビタミンB剤の副作用による不調のせいで買い物に行けなくて、今日は朝食を余り食べられなかったので、帰りにコンビニに寄って手巻き寿司などを食べた。散瞳したので帰路はとても眩しかったうえに、晴れたので、(湿気は減ったものの、)かなり暑かった。安心したので、帰ってからのんびり過ごした(いつもそうではあるがw)。

 

PS. 診察室には、なぜか、看護師さん以外に数人の人がPCの前に座って居て、入ると大勢の女性に挨拶されて少し戸惑ったw そういえば、昔行っていた皮膚科もそうだった。研修生なのか、補助の看護師さんなのか。

それにしても、薄暗い室内で看護師さん他数人の女性に囲まれて仕事をするなんて、妙な雰囲気になりそうだと思ったが、それは素人の浅はかないやらしい考えだろうw

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物にこだわるのには共感できないし、僕はなるべくしたくないと思っているが、無形のものでも、カタチ(外面的なもの)や地位や体面やカネなどにこだわるのはまったく良くない。そういうのは、政治家や企業の偉い連中などの騙し・「お芝居」・忖度、その上意下達といった体で日本中に蔓延している。

すごく頭がいいであろう連中(それ以外も、上から下まで)が、すぐにバレる(でも、バレでも問題にならない・文句を言われないように、もっともらしい顔をして言い訳できるような)三文芝居や馴れ合い的な誤魔化しのために日々頭をひねる国、日本。。。 みんなもっと正直になれば、低いと問題になっている生産性も上がりそうな気がするが・・・

(つながりがイマイチだが、)要するに、(naokiさんへのコメントを書く時に思い付いたのだが、)世の中は諸行無常なので、有形無形に関係なく、何に対してもこだわり過ぎては良くない・意味がないということなのかも知れない。でも、芸術とか、こだわらないとできないこともあるから(実はそうでもなくて、ほんとうに才能のある人は特にこだわることはなく、自分のやりたいようにしているだけで、それがすごいのかも知れない)、すべてそうとも言い切れない。

まあ、「無意味なことにこだわるな」と書けば間違ってはいないだろうが、意味の有無の区別はどうするのかということになって、意味がない(そもそも、何かにこだわる人は、それに意味があると思うからそうするのであって、無意味だと分かっているけどこだわる人はそうは居ない)。そんな当たり前のことでお茶を濁すのは、よく、リーク報道に対して「確定した事実はない」と言うのと同じだ。間違ってはいないが、何の意味もない(上記の三文芝居で、無駄の極みだ)。どうせあとで「やっぱり・・・」になるんだから、そんなの出す必要がない。

(今回はまとまりも悪い。終わるとは思えないが、気が向いたら続く。題ももっと適切なものにしたいが(多分、題が適切でないことがまとまりの悪さに繋がっているのだろう)、それもおいおい考える)

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スーパーのセルフレジでの話。

夕方の混雑した時間帯に、「混雑時はご遠慮下さい」と張り紙があるにも関わらず、のんびり幼児にスキャンさせている母親が2人居て、数台しかないレジの大半を占拠していたので、行列は伸びる一方だった。

一人は、最初はガキにやらせていたくせに、途中から(行列の殺気に感付いたのか?)「触らないで! 面倒なことになるから!」とかヒステリックに喚き出し、当然ガキも(そんなことが分かる訳もなく)ギャーギャーうるさく更に手こずるようになるから、こっちまで気分が悪くなった。もう一人は、やっと精算が終わったと思ったら、カゴもガキの踏み台も片付けずに去って行ったので、ちょっとしたことだけど、すごくムカついた。

確かに、子どもにいろいろな社会の体験をさせるのはいいことだと思うが、時と場合を考える必要があるのではないか。最初はやっていいと言われたのに、なぜか途中から急かされたり怒られ、しかも、運が悪けりゃ、他の人から文句を言われたりするから、子どもにしたらトラウマにしかならないだろう。

良くあることだし、どうしようもないから、睨みつけつつも我慢していたが、あれを大目に見ろってのはちょっと無理だ(外見上は大目に見たことにはなったが、そのせいか、ずっと気分が悪い)。許せない原因は他にもある。例えば、そのスーパーでは、クソガキがうるさく喚きながら走り回ったり、揚げ物やパンなどを手で触るのを野放しにする親や祖父母が結構居ることも一因だ。そういう、自分と子どもしか見えない(自分と子どもが中心・御意見無用だと思っている)連中が居るから、子ども連れは疎まれてしまうのかも知れない。

逆に、たまにではあるが、していけないことなどを(怒るのではなく)きちんと説明しながら歩く、ちゃんとした親が居るのも確かで、そういう親の子はもちろん大人しい。そういう光景を見ると、「まだまだちゃんとした人も居るものだ(日本も捨てたものではないかもなぁ)」とうれしくなる。

ニュースなどでは、満員電車にベビーカーで行く(もちろん乗る権利はあるけど、個人的にはかなりの無茶だと思う・・・)だけで舌打ちされるとか、不寛容な社会※だと言われ、確かにそう思うし、こうやって書くのもその不寛容の一つになってしまうけど、ただでさえストレスが多い世の中で、その場の状況に無頓着(別の言い方をすれば、自己防衛しない)な親たちが多いから、そういう目に遭ってしまうこともあるのではないか(もちろん、いくら世の中が悪くたって、「弱者には親切にするべき」というのは正しいし、僕もそうしたいが、自分に余裕がなければなかなかできないと思う)。

※この不寛容性は、日本人の性質によるところも大きいだろうが、余りにも世の中が理不尽なので、みんなの心に余裕がなくなり、ちょっとしたことも許容できなくなり、少しでも気に入らないものを攻撃したくなっているのではないだろうか。

子育ては大変だとは思うけど、普通の人だって日々大変なんだよ。それなのに、「自分たちは優先だ」という気分で居られると(実際には本人の気持ちは分からない。そんなことは思っていないかも知れないし、傍若無人なのかも知れないし、単に気づいていないのかも知れない)、さすがにムカつく。あと、本題とは離れてしまうが、このことは高齢者も一緒だ。年取ったら何でも優先、何してもいいとかいうことは全然ないから!

うまく言えないが、リスペクト(あるいはhonor)されるためには、それなりの義務・条件があるってことだろうか。あ、中学の時に教わった、「権利と義務」ってやつか(でも、調べたら、ちょっと違うようだ・・・)。

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4/16の日記より(少し改変)

久しぶりに"Let it be"(2009リマスター)。当たり前だが、中学の頃聴いたレコードよりずっと音がいい。細かい音まではっきり聞こえて、いつも感動する(ありがたく思う)。ところが、今は、音が悪いうえに手間も掛かるレコードを好き好んで買う人が居るのが不思議だ。。。

レコードの音や雑音がいいのなら、レコードじゃなくたって、(あるかどうかは知らないが)レコードの音にするエフェクタ・シミュレータでいいではないか。レコードを掛けるために手間を掛けるのがいいのか。レコードはコーヒーじゃないので、手間暇掛けて掛けること自体に意味はない。たとえ高速回転の高音質盤を買い込み、クリーンルームで再生して、最高の結果が出せたとしても、マスターの音には全然敵わない。そもそも、今はカッティングに使っているマスターがデジタルなのに、それをまたアナログに変換して(、ピチパチ雑音と一緒に)聴きたいっていう気持ちが理解できない。段階が増えれば、それだけ音質は劣化する(レコードの場合、物理的に転写する工程があるから、かなり劣化すると思う。CDも転写するが、エラー訂正があるから、レコードの比ではない)のだが、それがいいのか?

仮に、「レコードは掛け方・機材で音が変わるのがいい」とか言うのなら、それは全くおかしい。そんなのだったら本当にエフェクタで充分だ。その方がずっと自分の出したい音が出せる。コーヒーの淹れ方で香りや味が変わるのは本質的だが、掛け方や機材でレコードの音を変えるのは全然違う。

あと、面を裏返すのや盤を入れ替えるのは鑑賞の妨げにはならないのだろうか。音楽を楽しむのなら、音質(仮にいいとして)だけじゃなくて、演奏に集中できることはかなり重要だ。例えば、本来は短時間で繋がるべき(あるいは曲間なしで連続する)楽章や曲の間が何分も中断してもいいのだろうか? 謎だ。余程の物好きだ。インスタ映えみたいに、レコードを掛ける自分の姿に酔いたいのだろうか。もしかして、「掛ける体験がいい」とか言うのかw そんなに体験がいいんだったら、楽器を買って自分で演奏しようとした方がずっといいよ。

せいぜい、大きなジャケットが欲しいからレコードを買うのはありだろうが、ジャケットだけでも手に入れられるだろうし(それ以前に、今はいくらでも画像が出回ってそうだ)、曲はCDや(ハイレゾ)配信で聴けばずっと楽ではないか。

いずれにしても、そういう人たちは音楽を楽しむことが主目的ではないようなので、僕は全然共感できない。そして、ブームに乗って安直に手を替え品を替え(45回転盤、重量盤、カラー盤、復刻日本盤・帯w, etc.)レコードを出すレーベルは全く情けない限りだ。

 

PS. レコードの音にするエフェクタ(またはシミュレータ)はあった(WebLP)。カセットのも見付かった(WebCassette)。どちらもブラウザ(Chrome)で動くし、カセットはVSTなどのプラグインになっているから、本当の再生にも使える。ただ、僕からすれば、レコードは音質が良過ぎる(雑音が少ない。ただ、歪は多過ぎる)し、カセットは悪過ぎる(いろいろなつまみを高品質側に回して、CHROMEかMETALポジションでないとちょっと・・・: デジタルに慣れ過ぎているせいかも知れない)感じでまだおもちゃ的で実用には物足りないが、もっといいものはできるだろう。

あと、WIN32用なら、Vinylizerというレコードシミュレータがあった。これはVSTプラグインなので、本格的に使えるだろう。

更に、Calf Studio Gearにもレコード(Vinyl)とカセット(Tape Simulator)のシミュレータがあった。だから、Linux(JACK)でもできる。こちらはいろいろ調整できるが、やっぱりどこか不自然で納得行かない。もっとちゃんとシミュレートしないと実用には耐えないと思う。JACKにはVyNil (Vinyl Effect)というのもあり、Calfよりはマシだがやっぱり物足りない(というか、僕はもう、そういう音を受け付けない身体なのかも知れない)。

そういう意味では、手軽に自然なレコードやテープの音を出すには(それに意味があるとして)、本物のレコードやテープを使う価値があるのだろうw

そして、(仮にまともなシミュレータがあったとしても、)もちろん僕は、「使ってみますか?」→「まさかー」だw

PS2. さっき噴飯物を見つけた。妙にレコードに力を入れている店、HMVの「ブラックヴァイナル・アナログレコード」って、普通のレコードじゃん!! なに気取ってんだよw しかも、見出しは字が抜けてるし。こういうのを中学生くらいの子が見ると、なんか特別な物のように思ってつい注文するのだが、届いた実物を見てがっかりするのだ(僕の経験よりw)。 (4/19 17:41)

「ブラックヴァイナル・アナログレコード」か・・・w

(「志向・趣味の違いか。 (その2)」(投稿予定)の前半にする予定だったが、繋がり・まとまりが悪いので単独で投稿)

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(あらかじめお断りしますが、全くの駄文です。)

花粉だの雨だので車が汚れて来たので、洗車しないとと思っている。もちろん、自分でやる気は毛頭ない。というのは、洗車場で洗う場合、600円くらいのコースを2回くらいやって(例: 水だけ+洗剤あり)ようやく終わり、しかも、両替機がないから、飲み物を買って両替することになって、1500円近い出費になるうえに疲れ果てるから、苦痛なうえに全く経済的でないからだ。もちろん、車という「物体」が大好きで、常にピカピカの状態に保ちたくて、しかも、他人に触れさせたくないとかいう人は別だが、それにはかなりの論理的破綻がある(僕は昔はそうだったが、今は脱しているので、ここでは深く突っ込んだりディスったりはしない)。

で、調べたら、近くのスタンドとか整備屋で1800円くらいでしてくれるところがあったので、これはもう頼むしかない気分で、今夜にでもwebで予約しようと思っていた。が、今になって、「『今』洗う意味あるのか?」という疑問が生じた。「今でしょ?」では全然ないw いや、お金の問題ではない。

というのは、僕はたまにしか乗らず、仮に明日洗ってもらったとしても、次に乗る時にはすっかり「ピカピカ」の状態ではなくなっているだろうからだ。それって、今より少しいいだけではないか。そんなことに価値があるのかと思うのだ。逆に、仮に、洗ってもらったあとで気分が良くなってドライブに行ったら、その日のうちに虫だの埃だの泥だので汚れてしまうではないか・・・

何のために洗車するのか?

分からなくなってしまった。オイル交換などとは違い、車体が多少汚れていても、車が不調になることはまずない。であれば、次にディーラーに行った時(7月に車検)でいいのではないか?

最初に書いた洗車するモティベーションは、「(世の中では『みっともない』と思われるであろう、)汚い車に乗っている」という羞恥心みたいなのだが、それにしたって、洗って1か月くらいしか持たない。そして、僕が乗るのもそんな間隔だ。だいたい、車が汚れていて何が恥ずかしいというのだ! 車は乗ることに意味があり、見た目はほとんど関係ない(実際には、乗りたくないデザインの車は多いが)。

まったく「うーむ」だ。

どなたか、なぜ洗車する必要があるのか教えて下さい。

 

PS. アメリカ人は、車が汚れても全然気にしないそうだが(ワックスなんて全然しないとも聞いたが、本当かは不明)、僕もそこに近づいたのか。いや、単に無精なだけかも知れない(「US最高!」とは言わないが、日本よりはいいと思う)。でも、これは別としても、外見とか他人の目でなく、自分がどう思うかとか実利を重視するようになったのは確かだ。

PS2. 書いてから、これは、女の人(男も同様だろうが)が化粧したりいい服を着て綺麗にする理由(そうでなくてはいけないという意味ではないし、僕の想像なので外れているかも知れない)なのかも知れないと思った。どうしてそうするかは本人に聞かないと分からないが、やっぱり、外見が綺麗だと気分がいいし、見る方もいい気持ちになるし、いろいろいいこともありそうだからなのだろう(再び僕の想像)。

確かにその気持ちは分かる。薄汚れた黄色い車なんて、みっともないだけだからね。だから、僕も洗車したい気分になったのだ。でも、「別に他人に迷惑を掛ける訳ではないので、いいじゃん」という気分も大いにある。

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一言言いたい。

銭湯の絵は果たして芸術なのか? 僕は美術などには全く能がないが、あれはどう考えても工業・産業的なもので、確かに技術はあるが、(例えて言えば、街にあふれる看板や以前書いた「(自称)オルゴール」の演奏のようなものだ)芸術とは言えない。価値がないとは言わないし、確かに伝統はあるだろうし、継承して行く必要はあるのかも知れないが、芸術ではないだろう(その証拠のひとつは、銭湯の絵はいつも上書きするではないか。仮に芸術なら、保存したくなるのでは?)。それでも弟子になりたい人が居るのはいいけど、「芸大」の人がやって何か得るものはあるのか。

(浮ついた)名声?

解散!

そして、騒がれているが、あの虎の絵は(芸術的)「盗作」というより、著作権法違反とか無断引用の範疇だろう。

PS. とは言っても、無断引用にしたって、僕はあれをその場で描けるのは大した腕(才能・センスは不明)だと思うから、もっとちゃんとすればいいのにと思う。

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