Archive for 4月, 2016

近い将来の機械(人工知能)化社会では、人は人工知能に命令されるようになるのではないか。

昔と違って、人工知能は考えられるようになって来ている。新しいことも学習できる。となると、頭脳労働だって人工知能がやれるのではないか。その方が、素早く正確な判断ができる。設計だって間違いは少ないだろう。ズルもしないはずだ。

一方、人型ロボットはなかなか実用化できないだろうから、一番最後の「実物」を扱うのは、しばらくは人間がやらざるを得ない。

それから、新しいことを学習できると言っても、コンセプトやアイデアを生み出すことなどは、当面は、人間の方がやる必要があるだろう。

そういうことから、世の中は段階的に人工知能化していくと思う。

中間段階

最初は、人間が考えたアイデアの詳細な設計と実現を人工知能や機械が実施し、実物を扱う(あるいは人間相手の)場合には人間が行う。こうなると、僕の仕事(プログラムの設計や実装やテストなど)は自分でする必要がなくなるから、人工知能に指示するだけになるのかも知れない。

最終段階

その次の段階は、アイデアも人工知能が出し、人間が下請けになる。もちろん、政治も人工知能が行う。人間は単純作業だけすることになる。

本当の最終段階

ロボットが完全に発達したら、すべてを機械が行えるので、人間のすることはなくなる。

各段階の支配の構造

中間段階

人間 → 人工知能 → 人間

最終段階

人工知能 → 人間

本当の最終段階

人工知能

本当の最終段階になったら、人間は機械に養われて、働かなくても済むようになるのだろうか? あるいは、人間は居なくなるのか?

(21:06 加筆、21:58 若干修正)

PS. これが正しいなら、少し前に書いた、「考えない人は危機感を持つべきだ」というのは、実は間違っていて、しばらくは単純作業する人は必要だから安泰だということになる。むしろ、危機感を持つべきなのは、僕らのように、将来、人工知能と張り合わなければならない職種の人間だろう。

PS2. 既に政府は似たような世の中を試算しているようだ。そして、2ちゃんねるでは、いろいろ議論されている。なので、このエントリはまだ詰めが足りないが、公開する。

PS3. プログラム開発の自動化について、思ったことを書く。

プログラム開発の自動化は、今までずっと研究されて来たが、今一つ実用レベルに達していないと思う。でも、これからはもっと実用的になるのではないだろうか。

今までに作られたさまざまなプログラムを読み込んで学習し(さまざまなエミュレータがあるのだから、いろいろな機種用のプログラムを実行するのはたやすい。そして、動かしてみて、そのプログラムの「意味」を理解するのも可能になるだろう。強力な処理能力があれば、総当たり的にプログラムの操作とその結果を得ることが可能だから)、それらを組み合わすことができれば、新たなプログラムは自動で作れると思う。今までに作られたことがないほど新しくて、自動で作れないプログラムなんて、滅多にないと思う。

その場合、仕様を専用の言語で書いたりせず、コンピュータに普通の言葉で指示し(例: 「iPodみたいな感じで、音楽ファイルを再生する」)、不明な点は逐次聞いて来る、デモ版を出して来て、人間がフィードバックをする、の繰り返しでできるようになるのではないか。あと、仕様については、顧客の提示した要求のドキュメントがあるのなら、それをそのまま入れることだって可能になるはずだ。

ポイントは、強力な処理能力と膨大な量のデータ(=知識)だと思う。ただ、人間が相手をするので、短い時間で完成できるようにするのは難しいかも知れない。が、将来的には、人間が相手をしなくても済むようになるのではないか。

という訳で、僕らプログラム開発者は、しばらくはコンピュータの相手として食い繋げるかも知れない。でも、それは素人でもできるようになるから、やっぱり駄目かも知れない。(20:47)

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PCで、すぐにウインドウを「最大化」する人が居る。どうしてか、これをやられると、「あー、こいつもかー」って感じでがっかりする。いや、もちろん自由なんだけど。

ユーザーがやるならともかく、初回起動時に勝手に最大化するプログラムを作る人の感性を疑う。更に、リサイズしても次回起動時にやっぱり最大化するなんてのは、クソ過ぎて使う気になれない。

ちょっと訳を考えてみたら、大昔から計算機を使っている者にとって、画面に複数のウインドウが積み重なって表示されている状態は、「これぞマルチウインドウ」っていう思い(一種の感動)があって、どうしても守りたいのだが、それを、一つのウインドウを最大化してしまったら、太古のシングルウインドウに成り下がってしまうからではないか。

楽器に例えれば、せっかく同時に複数の音が出せるようになっているピアノを、1本指で弾くようなものだ。

なので、今のスマフォは退化した気がする。でも、初期のころにあった、スマフォでのマルチウインドウは単に使いにくいだけなのは分かる。

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前にも似たようなことを書いたような気がするが、会社に、考えない人が居る。その人は技術に詳しくないので、開発の人にいろいろ聞いているのだが、横で聞いていてイライラした。

自分が主体となって作業をやろうとして、その中に分からないことがあって聞くのなら、問題ない。そうではなくて、その人の姿勢が、「資料に書かれているとおり/言われたとおりにやる」だからなのだと思う。

仕事なんだから、その作業の意味や背景や基本的な技術や用語について自分で考えたり調べたりしないのだろうかと思う。ましてや、何度かやっていることについて、書かれていることや言われたことの意味を理解せず、何も疑問を持たずにやっているのでは、機械と同じじゃないかと思う。

おそらく、その人は、「考えるのは面倒だし、考えたってお金は増えないから、やっても無駄だ」と思って考えないのではなく、実は誠実な人なんだと思う。考えないのは、その人の性格なのかも知れないし、日本人一般の特性なのかも知れない。「考えない人」で検索してみると、日本の学校・教育の問題だというページがいくつかあった。

一方、「下手な考え休むに似たり」と、研究者の発言を紹介して、先人の遺産を学ばずに自分で考えるのは無駄だと書いたページもあった。僕はそれにはあまり賛成でないものの、一理あると思う。ただ、今問題にしていることとは種類が違うので、ここでは置いておく。

では、どうしたらいいか? 解はない。そのような人に考えさせることは、まず無理だと思う。いくら「考えろ」と言っても、その人が自分でググることはないだろうし、ある作業の意味を考えることもないだろう。壁に"THINK"という額を飾っても無駄だ。いろいろな言い訳は出て来るはずだ。

  • 何を調べたらいいか分からない。(何が分からないか分からない)
  • 分からない用語が多過ぎる。(全部分からない)
  • 調べても書いてあることの意味が分からないと思う。
  • 時間がない。
  • 余計なことを考えて、作業を間違えたらいけない。

解はないのだが、考えない人たちは、近い将来、確実に機械に職を奪われるだろうと思うし、そういう人ばかりの国に将来はないだろう。だから、皆危機感を持って生きるべきなのだ。

最後に、IBMの「「THINK(考えよ)」という文化」の最後の段落より:

社員が正しい意思決定を行うのは、やるべきことを命じられたからではなく、やるべきことを知っていたからです。もしそうだとしたら、つまり、考えることに基づいて企業文化を育てることができるとしたら、何世紀にもわたる変化を通じて組織を維持し、導いていくことができます。

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引き続き、暇つぶしで海外かぶれのサイトを見つけ、いくつか発見をした。

  • 実は、外国の家でも靴を脱ぐことがあるんだそうだ。やっぱり、日本に居ると分からないことが多い。
  • 僕の部屋は、意識してなかったのだが、結構海外風だったようだ。リンク先に書いてあることは、ほとんど実践している。
  • 僕には海外の方が向いてるかも知れないと再認識したが、移住は面倒だし、実際の生活は大変そうだから、もう日本でいいや。

(4/27 6:31 加筆・修正)

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このところ入り浸っている、CuRAZY。今日は、いろいろな診断をやってみた。で、おもしろ半分で「「リア充度」診断」を試してみた。もちろん、悪い点数は覚悟していたのだが、結果を見て唖然とした。(今の言葉だと「草生えた」ってやつか? いや、「草も生えない」が正しそうだ)

 

 

 

リア充 20160426

ここまでかーーーっ!!

ふん、リア充が何だって言うんだ。毎日が「充実」してればいいのか。そんなのは一面的な価値観での評価に過ぎないのだ。僕だって本気出せば… (負け惜しみw)

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いい思い出じゃないので、正確には「ノスタルジー」とは言えないが、子どもの頃、親や祖父母が当たり前にしていたことは、今となってはとんでもないことだ。歴史的に仕方なかったこともあるが、そうでないことも多い。その例を書く。

  • (機械などの)定期的な保守をしない。: 車や農機具や家などの手入れをせず、基本的に、壊れてから直す。車のオイルなんて交換してなかったようだ。家は大掃除する程度。
  • 不要な物を捨てない。: 壊れて交換したりして不要になった大きな物(例: テレビ、冷蔵庫、陶器の洗面台)は、家の敷地内の空いた所に放置する。もちろん消滅しないので、何年経ってもそのまま。行政に回収してもらうという概念がなかったようだ。
  • 生活ゴミは燃やすか穴に埋める。: 昔は当たり前のことだったが、有害物質もあっただろう。
  • 生活排水は、敷地の外れの穴に垂れ流し。: 下水道がないので仕方ないのだが、井戸水を飲んでいるのだから、それでは問題があるのではないかという意識はなかったようだ。

要は、物理の法則(例: 物は壊れるが、自然には直らないし、消滅することもない)を無視した生活だった。そんな田舎で育ったので、大学に出てから結構なカルチャーショックがあったように思う。ある時、友人Aに「常識がない」と言われ、当時は心当たりがないので、ちょっと憤慨したのだが、今となっては正しかったのかも知れない。

そんなトンデモな習慣は、まちで暮らして長年掛かってようやく治ったのだが、「掃除が面倒」というのはなかなか治らない。やっぱり、心のどこかで、「自然にきれいになるかもね?」とか思っているのか。

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天気予報が「雨のち曇り」とかで余り良くなかったので、行くか迷ったのだが、とりあえず、GPSロガーアプリ(TraceMyTrack)の最終的な評価をしたかったので、行くことにした。場所も、水仙(水上、那須など)、山吹(生越)、まぁちゃんラーメン(埼玉)で迷ったのだが、どこもピンと来ず、落ち着く気がしたので、上三依水生植物園にした。ここには何度も行っているのだが、調べたらほぼ2年ぶりのようだ。

7:30頃出るつもりだったのだが、着替えをする時に、シャツの残り(明日からの分)がないことに気付いて洗濯を始めたので、出たのは8時頃だった。

9時ちょっと過ぎに道の駅 那須塩原に着いた。国道4号は少し混んでいたが、途中で逸れた県道は空いていた。途中で少し雨が降ったが、曇りになっていた。小腹が空いたので、地元のクッキー(コンビニがないので、こういうものがせいぜいだった)と缶コーヒーにした。残念ながら、クッキーは湿気た味がした。温かいコーヒーにしたせいか、エアコンを点けても暑かった。あと、標高のせいか、耳がおかしくなった。

10時頃、到着した。塩原の辺りに遅い車が居たが、途中から道がガラガラになって気持ち良かった。駐車場もガラガラだった。空は晴れ、涼しい空気が気持ち良かった。

まだ時季ではなかったようで、花は少なかった。でも、人が少なくて、静かで良かった。池にはウシガエル(と思う)が何匹も居て、ゲロゲロ鳴いていた。ただ、近づくと隠れてしまう。ところで、蛙は水中でも鳴けるのか?

今回は、水仙や水芭蕉などの白い花が良かった。あと、カタクリも綺麗だった。もちろん、黄色い花もいろいろ咲いていて、良かった。

11時ちょっと前に見終わった。お腹が空いたので、隣の蕎麦屋で昼食にしようと思っていたのだが、まだ営業期間外のようで、閉っていたのが残念だった。さっきのクッキーを食べて我慢して、帰路に就いた。国道121号線は、藤原辺りまでは前に全然車が居なくて、すごく快適だった。いつものように、車はすこぶる快調だった。

13:30頃、帰宅した。途中でスーパーに寄ったのだが、渋滞した道路に出た時に、列が思いの外進まず、僕の車が自転車の通る部分も塞いだために、一人の自転車の方を長く待たせてしまって、大変申し訳なかった。でも、歩道を走れば抜けられたと思うのだが、気長な方だったのだろうか。

雨のち曇りの予報だったが、とても暑い。でも、室温は22.7℃、気温は19.2℃で、暑くない温度だ。確かに、落ち着いたら涼しくなった。

約5.5時間、146km。
IXY Digital 3000ISとiPhone 6s(牛とクッキー)で撮影。

TraceMyTrackは、経路の記録は申し分なく、電池消費率は3.6%/時で、少ないとは言えないが、他のアプリ(5%/時前後がザラ)に比べて悪くない。記録間隔は3分/点だった。ここが不思議なところで、設定では"10-20分"にしてあるのに、なぜか3分間隔になる。5分以上でいろいろ試したが、設定を変えても変わらない。そして、3分間隔でGPSを動かしたら電池消費が激しいはずなのに(他のアプリは、5分間隔で5%/時前後)、そうでもない(今回に限らず、ずっとそうだった)。TraceMyTrackに何か秘密があるのか、バグなのか。今後も使い続けたいので、バグだとしても、ずっと直さないで欲しい。

あ、もしかして、GPSの位置取得間隔が長くても、電気を食うのだろうか? 長いと、一旦GPSを停め、次回に再度起動するから、電気を食ってしまうのかも知れない。うーん、余計なことを思い付いてしまったかも。。。

myTracksで2分間隔(3分はなし)で試したら、電池消費率は5.6%/時で駄目だった。なので、TraceMyTrackに決定だ。なお、Photo Log Mapというアプリも試したのだが、出発と終了の2点しか記録しなかったのに電池を約5%/時も食っていたので、全く話にならなかった。それにしても、3分間隔でGPSを記録するのがいいのか、TraceMyTrackに省電力の秘密があるのか、ちょっと気になる。(4/25 19:30)

その後、TraceMyTrackが更新されて改悪されてしまった。経路の記録条件がカスタマイズできなくなり、電池消費が増えてしまった。1時間程度の散歩をプロファイル3で記録した場合、電池消費率は7.7%/時にもなった。次回、最も消費しないプロファイル5や4を試してみるが、余り期待できない気がする。全く残念だ。(7/17 9:03)

PS. 蛙は、ウシガエルではないようだ。調べても良く分からないのだが、ヒキガエルかツチガエルの可能性が高い。(17:46)

PS2. TraceMyTrackで記録が3分間隔になる件を開発者に問い合わせたところ、古いiOS(7,8)のための対処(work around)によるものだとのこと。夏頃に更新版が出るらしい。そうすると、LogLocationsがiOS9でちゃんと動かなくなったのも、iOSを更新したせいかも知れない。また、2つの記録間隔設定は、想像通り、移動速度によって2つの間で変化させているとのこと。(4/29 17:01)

(19:05 加筆・修正, 4/25 6:46 誤字修正, 7/17 9:03 TraceMyTrackについて更新)

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よく「日本人の民度は高い」と内外から言われるが、僕は、それは全く違うと思う。

自分たちでそう言うのは置いておいて、ニュースで読む限り、外国人は、例えば以下のようなことに驚くのだろうが、

  • 災害や事故などがあっても、大きな騒動にならない。
  • 大きな催事などの後に、ゴミが放置されていない。
  • 電車に乗る時に割り込まない。

それは、実際には以下のようなことだと思う。

  • たまたま : ひどいことになる場合もある。
  • 一面しか見ていない。: 催事などの後に、ゴミを持ち帰るフリをしているが、実際にはコンビニなどのゴミ箱がひどい有様になっていることが、良くある。催事などなくても、高速のSA・PAのゴミ箱は生活ゴミで一杯だ。

その理由は、日本人の「大勢=正しい」という特性なり思い込みに依るのではないか。そのために、例えば、以下のような良くないことが起こっている。

  • 重要な問題をすぐに忘却する。
  • 誰も問題にしないことは、問題でなくなる(と思い込む)。
  • 正しくないことでも、みんなが正しいと言えば正しい(と思い込む)。
  • マスコミと一緒になった、有名人叩きの繰り返し。
  • 特定の人たちに対する排斥運動。

では、どこから「大勢」が発生するのかを考えると、おそらく、少数の、声の大きい、あるいは、リーダーシップのある人たち、他には、団体での偉い人やマスコミなのではないだろうか。みんながそれに従って行動するので、そういう人たちが(普遍的な意味で)まともなら、その場は民度の高い結果となる。有名人叩きなどは、その逆のパターンだろう。今は、SNSなどで大きな声で振る舞える人が増えたので、誤った方向に走ることも起こりやすいようだ。

外国がどうなのかは、住んだことも調べたこともないので分からないのだが、以前読んだのは、その国の大多数の国民に共通した宗教がある場合、その宗教がモラルの規範になっているということだ。一方、日本人にはそういう宗教はないので、学校の授業や親などのしつけに(時には法令にも)依存しているのだろう。それらの一番の基本は、「大勢=正しい」(別な言い方をすれば、「人に迷惑を掛けない」とか「目立たない」)なのではないだろうか。少なくとも、僕はそういう経験をして来て、ずっと違和感を持っていた。

人に迷惑を掛けないのは、一見、良いことだが、じゃあ、「迷惑」というのは、何を基準にしているのだろうか? やっぱり、学校の授業や親などのしつけに依るのだろう。そして、前者は国の方針で変わるし、後者は「みんなに合わせるべきだ」などの日本の伝統的な価値観に基づいていないか? そのことで、例えば有名人叩きが起こるのだろうし、重要なことも、みんなが何も言わなくなったら、なかったことになるのだ。

要するに、「変動制のモラル」である。(外国でもそうかも知れないが)モラルに歴史的な一貫性がないのはもちろん、短期間にモラルの基準がコロコロ変わる。更に、他人が見ているかどうかでも変わる。

僕は無宗教なので、宗教教育をしっかりやれとか言うつもりは全くない。ただ、子どもの頃に親に無理矢理教会に連れて行かれたので、キリスト教に影響を受けていて、それで日本的なモラルにおかしさを感じるのは認める。だから、実際には宗教は必要なのかも知れない。が、宗教によって世界の対立が起こっているという現実はあるし、金儲けに奔走する宗教もあるから、宗教が絶対に必要とも思えない。

今回の結論は、「日本人の民度は、自慢するほど高くない」だ。

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ここ数日、暇つぶしに、クレイジー(CuRazy)というサイトを見まくっている(「クレイジー」で検索して見つけた)。今日、死ぬほど笑いそうになって危なかったネタを2つ紹介したい:

  1. 焼肉屋で「マキシマムザホルモン」(これの3番)
  2. 猫用DJターンテーブル (これの最後、14番)

そして、僕の話:

今朝、車を運転中に後頭部の寝癖に気付いた。とても恥ずかしいのだが、仕方ないので、知らん顔しているしかないと思った。ところで、寝癖で立った髪の毛が車のシートのヘッドレストに触れて気付いたのだが、その感触は、女性のポニーテールがヘッドレストに触れるのと近いものがあるのだろうかと思った(右斜め前に、ポニーテールの人の車があったので。そして、僕はポニーテールに目がないのでw)。

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かなりのお金を掛けて随分長く研究されて来ていると思うのだが、数年前に「地震予知はできない」と明言されている。数十秒前の「緊急地震速報」が関の山だ。そして、今回の九州のように、とりたてて危ないと思われていなかった地域ですら、あんなことになってしまった。「ハザードマップ」は役に立たないようだ。結局、日本はいつどこで大地震が起こってもおかしくないのだろう。

→ 「地震予知はムダ。いますぐやめたほうがいい」東大物理学者の警告

ということは、原発の地震に対する安全性は、何を根拠に証明なり保証なり確認されているのかという疑問が生じる。まあ、国は何か起こるまで、見て見ぬふりをするつもりなのだろうな。駝鳥が首を砂に埋めて危機から逃れているつもりの光景が目に浮かぶ。

PS. これを杞憂と笑う人は居るだろうが、まあ、杞憂なら大変ありがたいことだ。「科学的でない」と書いた池田某などには、「とりあえず原発の近所に住んで、同じことを言って下さい」と言いたい。真面目に反論すれば、以下が思い付く。

  • 気象庁や地震学者が先を読めないと言っているのに、「想定外の」地震が起こらないという、科学的な根拠は?
  • 原発の自動停止機能で何も問題が起こらないなら、何で311の時は駄目だったの?
  • 停電て、電力が足りないからじゃなくて、単に電線が切れてるからじゃないの??

(4/21 19:26)

PS2. 「池田信夫」を調べてみたら、文系(経済)出身の人のようだ。じゃあ、独学で物理学や原子力工学や地震学などを勉強されたんだな。これはすごい。というのは、「科学」という言葉を使うのであれば、その分野では一人前の知識や経験を持っていることが前提だからだ。仮に、そういうのなしで言ってるのであれば、単なる「素人の非科学的な妄言」であって、彼が貶している相手と同じレベルだ。

もう少し書くと、もしどっちも同じ素人だったら、「停めろ」という人と「動かせ」という人と、どっちがまともなのだろうか? 科学(それ以前に常識)的には「停めろ」だ。安全性の確認されてない薬を市販するとか、停まるかどうか分からない車を売るとか考えれば、ごく当たり前のことだ。そして、上に書いたように、専門家が「分からない」と言っているのだから、今の段階では停めるほうが科学的だ。

最後に、「科学的」を「(文系・理系は関係ない)論理的な考え方」と捉えることも可能だ。でも、それでも彼は科学的でない。僕が上に挙げた疑問に対する根拠を示していないからだ。(4/21 20:13)

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少し前から、Yahoo!ニュース(二度、読むのを止めていたのだが、ニュースサイトが少ないので、やっぱり読んでいる)の個人で、五味太郎という人のインタビューが載っていて、とても楽しみに読んでいる。

その人のことは今まで知らなかったのだが、なかなかユニークで、すごい。運がいいところはうらやましいが、それも彼のすごいところなのだと思うし、言っていることに納得できるのだ。

今日の回は、特に納得することが多かった。親や先生など、子どもを甘く見たり抑えつけたりする大人が多く、それでスポイルされる子どもが居るという話は、僕も経験して来たので、全く同感だ。そして、僕は彼に近いところがあるような気がする。

だから、上に書いたことに反しているようだが、気合いを入れて読んでいる訳ではないし、「彼の言うことを参考にして、自分の生き方をより良くしよう!」などは微塵も思っていないし、彼の作品(絵本)を読みたいとも思わない。面倒だからだ(笑) : この気持ちは、インタビューを読んでもらわないと、理解できないかも知れない。

言いたいのは、すごい人に倣ったって自分の身にならないってことだ。良く居るよね、ジョブス(でも、レノンでも、誰でも)が好きで、彼のようになろうと思って、崇拝したりいろいろ真似する人とか。本当にアホかバカかと思う。自分の生き方は、自分で探して決めるしかないのだ。

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今日も暇つぶしをしていたら、またまた爆笑をこらえるのが困難なページを見つけてしまいました。とにかく読んでみて下さい。2ページ目の、猫に着けたところで吹き出しそうになって、読むのを断念しました。

この人は一体・・・

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近頃、会社につまらない決まりが増えて、なんとも嫌な気分がしていた。現実的には、決まりを守るのはそれ程大変ではないので、嫌な原因が何なのか考えていたのだが、さっき分かった気がする。それは、以下なのだろう。

  1. 偉い人が勝手に決める(押し付ける)から。
  2. 決めた人(偉い人)は、守らない(適用外だ)から。

特に2だ! 法律と違って、会社の決まりなんて一般社員にしか適用されない。お偉いさんは、暗黙のうちに決まりの対象外なのだ。破ったって、誰にも咎められない。

一方的で不公平な決まりだから、嫌なのだ。

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昨夜、執念で見つけたGPSロガーアプリTraceMyTrackを試しに、古河総合公園へ行った。天気予報は雨だったが、アプリを試すだけでもいいと思って行くことにした。他にはデニーズ佐野店(和食が食べられる)という案もあったのだが、蕎麦やてんぷらには期待できないし、早くドライブに出たかったので却下した。あと、茶ラーメンが食べられる、埼玉のまぁちゃんラーメンにも行きたいのだが、雨と強風の予報なので止めた。

7:30頃出た。道はとても空いていて、8:40頃着いた。雨は途中でちょっと降った程度だったが、風が強かった。園内は広々としていて、花も結構咲いていて気持ち良かった。小川には鴨が居た。

帰路は風がとても強くなり、雨も降ったり止んだりしていた。途中で掛かった、森高の「休みの午後」が良かった。落ち着いた曲だが、途中からノリが良くなるのが好きだ(このビデオの森高が可愛いいので、2回観てしまった。1995年か。。。)。道の駅 二宮に寄ったのだが、前回同様、なぜか駐車場が混んでいた。道の真ん中の安全地帯(斜線の部分)に停めている車も数台居て、民度の低さを思い知った(これについては、後で、思うところを書きたい)。そこで昼ご飯にタンメンを食べた。小さな蒲鉾を除いて、色がほとんどベージュ一色で寂しかったが、味はまあまあだった。風と湿気で髪がボサボサになってしまった。12:30頃、帰宅した。

TraceMyTrackについてだが、往路では、「大きな位置変化」で記録する設定にしたのだが、LogLocationsと同様、全然位置が記録されておらず、がっかりした。それで、GPSを使う設定にしたところ、電池消費が激しかった(8.2%/時)ので、記録間隔を長くした(元は1分と10分)。それでも電池消費が激しかったので設定を確認したら、記録間隔が変わっていなかった。2つの"Save"ボタンを押す必要があったようだ。帰路では、再度、6分と15分にした。この二つの違いは良く分からないが、静止状態の時は後者になるのではないかと思っている。

結局、電池消費率は、他のいくつかのアプリと同様、約4.7%/時だった。記録間隔が同じなら、(駄目なアプリでない限り、)大体同じ消費率のようだ。このアプリは記録間隔が幅広く調整できるので、次回は8分と15分にして試してみたい。

約140km, 約6時間。
iPhone 6sで撮影。

(14:39 少し加筆)

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今、"Abbey road"を聴いている。さっき、"Mean Mr. Mustard"が掛かった。で、Mr. Mustardは近頃大嫌いになった人のことだなあと思った。

Such a mean old man
Such a dirty old man

実際には、その人とこの歌の状況は違うが、上の文言は合っている。その人は、全く尊敬できない俗物である。大嫌いでも、当面は縁を切る訳には行かないので、"Let it be"で行くしかない。

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いつもの蕎麦屋からの帰り道、向こうの方から子どもの声らしきものが聞こえると思っていたら、茶トラの猫が生垣の隙間から顔を出して、しきりにニャーニャー鳴いていた。いい天気なので、気持ち良くなったのかも知れない。

親しくなりたかったのだが、「どうせ、近づいたら逃げるんだろう」と諦めていたら、陽気のせいで開放的になったのか人懐こいのか、逃げずにこっちに歩いて来た。触ることすらできた。

久しぶりだったので、5分くらい撫でていた。陽光で暖まった毛皮の手触りが良かった。身体はスリムだった。毛並は良かったが、野良なので少し汚れている箇所があった。頻繁に動く(僕の周りを回りながら、脚に身体を擦り付けて来た)ので、残念ながら顔は撮れなかった。

道端にはタンポポや菜の花が咲いていたし、桜もまだ残っていた。

(iPhone 6sで撮影)

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先日、目新しかったので、一番搾りのシングルモルトというのを飲んでみたのだが、やっぱり、一番搾りの残念さがあった。一番搾りは(大昔を懐かしんで)時々飲むのだが、いつも、ちょっとがっかりしてしまう。文字にすると、「深みがない」んだと思う。僕の嫌いな(とは言え、学生の頃は好きだった)、スーパードライに近い作りなのかも知れない。僕はやっぱり、ギネスが好きだ。

PS. 近頃は弱くなって、ビール1本でも軽い頭痛がすることがあるので、余り頻繁・大量には飲めない。まあ、頭痛がしなくても、肝臓のために間を開けるようにしているのだが。

(2016/4/16 13:37 少し編集)

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(ここに書くことでもないと思ったのだが、やっぱり書いておく)

帰宅して車から降りたら、同じ建物に住んでいる中学生と友達が帰って来たので挨拶したのだが、返事があったのかなかったのか判然としなかった。おそらくなかったんだろう。まあ、こんな世の中じゃ、警戒されて当然だ。

でも、やっぱり少し嫌な気分だ。。。

ちなみに、その家の旦那さんは何ともないのだが、奥さんにもなぜか警戒されている。引っ越して来て二人で挨拶に来た時、奥さんの顔が怖かった。

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恥ずかしいことだが、昔(2000年頃だったか)は産経新聞を(望んで)購読していた。今となっては、「あんな政権べったりの新聞なんて良く読んでたな」と思う(かといって、今だって朝日も読売も毎日も読む気はしないが)。

その変化は、僕の考えが変わったからかだと思っていたのだが、良く考えるとそうでもないようだ。というのは、僕は今の首相のズルいやり方とか誤魔化しとか山ほどの嘘にものすごい反感を持っているのだが、例えば、防衛のための軍備については、(今よりずっと右寄りだった)当時はもちろん、今だって必要だと思っているのだ。だから、どちらかと言えば、憲法改定もする必要があると思う。

当時は憲法改定なんて国会で議論する状況ではなかったが、今は「いつ改定されるか」という状況だ。だから、変わったのは僕でなく世の中だったようだ。でも、その変わり方が余りにもひどい。僕が考えていたことと似ているけど違う、「これじゃない」状態だ。一体、いつかまともになることはあるのだろうかと思う。。。

 

PS. 参考までに、軍備についての僕の考えを以下に書く。

  • 憲法九条は理想的な考えではあるが、現実的ではない。国外には憲法は適用されないから。
  • 戦争を起こすために軍を持つのではなく、防衛のために持つ必要がある。
  • アメリカの属国でなく、独立した国になるために、自分の国は自分で守れる必要がある。
  • だから、自分で防衛できるようになって、安保条約は破棄した方がいい。国内の米軍もさようなら。

でも、今の政府は違う。国民に嘘をついたり誤魔化しをして、アメリカの要求に応えているだけだ。だから、ますます属国化している。「戦後レジームからの脱却」なんて、実際にはしようとしていない。

一方、多くの野党は金科玉条のごとく憲法九条に固執しているが、彼らが政権を取った後で攻撃されたら、どうしようと考えているのだろうか。本気で、「憲法九条を守っていれば攻撃されない」と思っているのだろうか。それって、「原発神話」に似ているのでは? いつか質問してみたい。

ただ、強力な軍備にはお金が掛かることが問題だ。これ以上税金を取られたり福祉が削られては、たまったものではない。だから、何か工夫が要ると思う。

例えば、諜報活動とか情報戦に力を入れるのはどうだろう。ソーシャルエンジニアリングとかハッキングとかで、敵が攻撃できないようにするのだ。仮にミサイルが発射されたら、現地に紛れ込んだスパイが操作したり、外部からハッキングしたりして、日本に落ちる前に自爆させるとか進路を変えるとか。外から見ると、「失敗」に見えるだけで日本からの攻撃は全く分からないが、実はすごくレベルが高いものだったと。これなら、従来の軍備より安く済むのではないか。そして、普通の戦争より死傷者は格段に少ないのではないか。

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女の人で、子どもじゃないのに可愛い子ぶったしゃべり方をしている人。もちろん、プライベートの時はそれでもいいのだが、仕事の時は止めて欲しい。

本人は気付いてないのかも知れない。周りの人も気にしていないのかも知れない。逆に「可愛い」とか思っているのかも知れない。が、僕としては、仕事だったら落ち着いたしゃべり方をして欲しいと思う。社内の人に対してはまだいいとしても、外部の人にもそれだったら、「ちょっと」と思ってしまう。

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