Archive for 12月, 2016

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帰省前、お気に入りの、モーツァルトのピアノ協奏曲第23番(ゼルキン・アバド)を聴いて、心を落ち着ける。しかし、今日のゼルキンは少し滑らかさに欠ける気がする。何とも不思議だ。

 

でも、第1楽章の出だしは端正かつ明るい気分になるし、今掛かっている第2楽章は心にしみる。そして、第3楽章は元気が出る。

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ちょっとでも人に期待されると、調子に乗ってやりたくなる性格なので、少し前にHaruさんにソ連旅行のこと(特に鉄道)が読みたいと言われて、書きたくなった。ただ、1989年とかなり昔のことだし、長期間(といっても10日間程度)の旅行だったので、まじめに書くと長くなりそうだ。それを一気に書くのはかなりの気力が要るので難しい。そこで、いくつかに分割し、写真を中心にコメントを書いていく形態にしたいと思う。

以降、以下の構成で書きたい。順序は入れ替わるかも知れない。

  1. 発端・手配・準備
  2. 出発
  3. ハバロフスクからイルクーツク・バイカル湖 (シベリア鉄道)
  4. 中央アジアの国々
  5. 帰路とその後

今日は、おまけとして、旅行中に集めた角砂糖やミネラルウォーターのラベル、お酒の瓶や、近年「発見」した旅程表を。

シベリア鉄道の中では、お茶(チャイ)が飲み放題だった。いや、本当は1杯ずつ車掌さんにお金(硬貨)を渡して飲むのだが、何度も飲んでいるうちに、お互いに面倒になったのか、払わなくても済むようになった。僕はお茶やコーヒーに砂糖を入れないので、その時や飛行機内でもらったのを溜めて、持って帰って来た。アエロフロートのは行きと帰りに、4枚目(カザフ共和国)のは帰りのタシケントからハバロフスクまでの機内だったと思う。(今見ると、1枚目もお酒やアシガバードと同じ共和国名だ。だから、それらは全部、ロシアかトルクメン共和国のようだ → 実際はPS, PS2を参照)

角砂糖は、薄い直方体のが2個横並びで包装されていた。幅は4cmくらいだったか(スキャンしたPDFを表示すると、画面上での幅は6cmくらいだが、そんなに大きくはなかった気がする)。

ソ連の水は飲めないと(「地球の歩き方」に)言われていたので、ミネラルウォーターを飲んでいた。でも、(学生としては)高いので(アシガバードのには「10コペイカ」とある。当時のレートは不明だが、100円くらいのイメージか)、ホテルではお湯(無料)を水筒に入れてもらって飲んでいた。

お酒は、自分で飲むおみやげに、ウォッカかと思って買ったのだが、今調べたら、「バリザム」という種類(「ナストイカ」ともいうらしい)らしい。とても強そうなので、結局飲まず仕舞いだった。どこで買ったのかはもう分からず(中央アジアだったと思っていたが)、ラベルを見ても共和国名が読めないが、"RUSSIAN"と書いてあるし、調べるとロシア産のようだ。でも、ラベルの共和国名はアシガバード(当時は「アシハバード」)の角砂糖と同じだし、ラベルの雰囲気からも、やっぱりトルクメン共和国のような気がする。(→ 実際はPS, PS2を参照)

どのラベルも素朴でなかなかいい感じだし、地方色が出ている気がする。文字を解読すれば、もっと詳しいことが分かるのだが、残念ながら、ロシア語はできない(ただ、地名とか「水」とかは、当時の記憶が残っていて、まだ何となく読める)。今は検索すれば大抵のことは分かるのだが、それでも文字の解読と入力(キリル文字のOCRがあれば・・・)にとても時間が掛かるので、今は止めておく。

旅程表は、どうしてか、高校まで使っていた勉強部屋で12年前に発掘した。実家に送ったもの(丁寧にも、地名の読みがなを振ってある)を、(その頃その部屋に篭っていた)父がそこに置いたままにしたようだ。見ると、期間は1989/3/10から3/24とある。意外に長く行っていたようだ。新潟空港の発着だった。あの旅行社は今もあるのだろうか?

(おまけのつもりだったのに、つい書き過ぎてしまったな)

PS. 共和国名の件、気になったので調べた。同じと思っていた単語("Г"で始まる)は共和国名ではないようで、"РСФСР"(ロシア共和国)などのように略語で示しているようだ。それで、最初の角砂糖とお酒は、確かにロシア共和国だった。(8:59)

PS2. 執念で、問題の共通単語"ГOCАГРOПРOМ"を翻訳したら、"state agricultural committee"だった。ソ連の各共和国内の農林省(今は農水省か)のようなものだろうか。(9:52)

PS3. バリザム(ナストイカ)について写真から分かったこと: アルコール分は40%、容量は500ml、値段(定価)は9ルーブル。今となっては、キャップに貼られた販売価格のシールも写しておけば良かった。ところで、9ルーブルって、仮に10コペイカが100円だったとしたら9千円だったのか。すごく高かったんだな。。。(10:09)

PS4. 当時お世話になった旅行社(日ソツーリストビューロー)は、社名は変わったものの、今も継続しているようだ。それにしても、今は何でも検索できて、本当に便利だ。(10:06)

(15:50 旅程表の明るさを改善, 16:50 ラベルの画像のサイズを統一)

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じゃがさんのご提案で、壊れた傘を直してみた。

まず、どのように壊れたのか見てみたら、関節が外れて曲がっているだけなので、うまくやれば直せそうな感じだった。売られている修理キットも不要そうだ。

それで、曲がった所は慎重に戻せばいいが、外れた関節をどうやって繋ぐかが問題だ。細い針金(PCなどのケーブルをまとめるのに使われる、ビニルで覆われている物)かクリップ(を折って切る)を考えた。実物を見ると結構過酷そうだったので、クリップを使った。

曲がった部分を戻す時に折れないかと心配したが、大丈夫だった。ただ、とても小さい部品が外れた。ワッシャのようなものだったのかも知れない。クリップの処理は今一つキレイではないが、出っ張りはそれ程長くないから、大丈夫だろう。例によって、老眼のため、細かいところが手探りの状態だった(それと手の震えも相まって、写真はピントがイマイチの物が多かった)のが心身ともに辛かったが、何とか直った。

あと数年は使えそうだが、他の関節も錆びていたし、破れた箇所もあるので、余り長くは無理な気はする。

(16:19 題を少し変更)

(2017/6/14 7:51) 昨夜、壊れてしまった。調べたら、支柱的な骨(柱と本体を斜めにつないでいる)の先端を本体の骨につなぐ、関節(前回クリップでつないだ部分の、直さなかった方)が破断していた。素材が劣化していて、クリップに負けてしまったのだろう。さすがに直せないので、残念だが、捨てることにした。半年の延命だったか。。。

壊れた箇所

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この演奏はかなりいい。すごく乗れる。曲間もグールド(1981年の盤)に近く、スパっとタイミング良く次に入るから、気持ちいい。たまに曲間が長い箇所があるから、ちゃんと考えて設定したのだろう。ただ、最初のアリアの開始前のわずかなタメ(無音)がない(or 短い)のがちょっと残念だった。

マイクが近くてクリアな音だったが、その分、チェンバロの高音が耳に刺さる。でも、低音が豊かで良かった。彼の、ピアノでのこの曲の演奏を聴いてみたいが、あり得ないのだろうな。。。

ブックレットの「この曲の構造について」を読むと、難しい理論は理解できないのだが、バッハの恐ろしさを実感し、彼は人間だったのだろうかとすら思った。どうしてこんなに精緻な曲(スイスの機械式腕時計のようだ)を作れたのか・作ったのか、分からない。だから、やっぱり、モーツァルトの方が好きだ。といっても、モーツァルトの曲がいい加減ということは全然なく、ちょっと聴いただけでは実感できないが、実際にはすごいのだ。だから、逆に、モーツァルトの方が恐ろしい気もする。

「演奏に関して」を読むと、小林が常に試行錯誤していることが分かって、なかなか興味深い。そして、1970年代から毎年行われているこの曲の演奏会は、彼のその年の研究成果の発表の場なのだろう。先日疑問に思った、「彼はなぜ演奏しているか」の理由が、少し分かった気がした。

余談:

盤やジャケット(内側)のデザインが意外に凝っていた(シンプルで綺麗だった)。意外なことに、CDDBの情報は完璧だった(入ってないだろうと思っていた)。取り込みも速かった。ブックレットに鉛筆で文字(僕は購入日を書いている)が書きやすくて良かった。

僕は、昔からの習慣で、この曲を「ゴールドベルク(グ)変奏曲」と呼んでいるが、この投稿のタイトルはアルバムの表記に従って「ゴルドベルク―」とした。今は「ゴルベルク―」が一般的なようだ。ちなみに、今年の彼の演奏会のパンフレットでは「ト」だった。

曲のタイトルの表記に揺れがあるので、検索するなら、正規表現で"ゴ(ー)?ル(ト|ド)ベル(ク|グ)"になるのだろうなと思って試したら、すごく時間が掛かった。これは全くの技術者的雑談である。

PS. (再び聴いていて) やはり、この演奏は、体力的にはハードだ。演奏自体はいいのだが、体調がベストでないと、チェンバロの音が耳に刺さるし、全部繰り返すので持久力が要る・・・ (6:40)

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小林道夫のゴールドベルクと一緒に、26日にAmazonから届いた。その日は疲れて早く寝たので、翌日の朝に聴いた。

早速聴き始めたら、最初の"Norwegian Wood"(編曲: リンオリヴェロス)などは意外に聴きやすかった。が、中盤の"All my Loving Resounded (All my Loving)"(編曲: 藤枝守)辺りから難解な曲が増えて来た。それへの拒否反応か、段々、モーツァルトやゴールドベルクが頭の中で鳴ってきた。。。

ただ、後半の"She's Leaving Home"(編曲: 高橋鮎生)は美しいし、聴きやすかった。この曲は難解にならずに無事終わった。最後の"The Walrus in Memorium (I am The Walrus)"(編曲: テリーライリー, 参考: 別の方の演奏)は、どうしてか、昔教えて頂いたピアノの先生の曲や音に通じるものがあるように感じられて、何となく懐かしかった。

全体としては悪くはなかったが、「やっぱり、現代音楽は難しい。」 その時は、このシリーズはこれ1枚だけで充分だと思った。が、今はもう少し(他の盤も)聴いてみたい気もする。実際、それから2回くらい聴いた。

ちょっと思いついただけだが、現代音楽が難しい(分かりにくい)のは、作曲者の理論(人為的な要素?: といっても、実際には、芸術は全部人為である)が多くて、聞き手の感情に直接訴えるものの比率が少なくなっているからなのかも知れない。「理論」と書いたが、実際には作曲者の感情を表しているのだろう。ただ、その表現が複雑だったり新し過ぎるために、聞き手に知識を要求しているのではないか。要は、文章のようになっているのではないか。

余談:

このCDはマーケットプレイスの中古だったが、運良く、程度は問題なかった。PCへの取り込みも速かったが、CDDBの情報は日本語のしかなかった。発売年が不明だった(裏ジャケットと盤面の表示は1992年だが、調べると、この年は再発だった)が、紀伊国屋や国会図書館のサイトで1990年と分かった。ただし、再発の際にタイトルが変わっていて(アルバム画像を探していて気付いた)、初回は"HYPER BEATLES 2"だった。曲目は同じなので、タイトルだけ変えたのだろう。それで、ここでは新しいタイトルと最初の発売年を採用した。

CDDBの件は、日本で出たアルバムだから、曲名が日本語なのはそのままにしようと思ったが、ブックレットでは英語表記が先なので、英語に直した。すると、スペルミス("baird")や曲名誤り("I’m am the Walrus")が見つかった(取り消し線が誤り)。どちらもちょっといただけないが、高橋がうっかりしていたのか、レコード会社の担当者がいい加減なのか。前者は、裏ジャケットは正しく、ブックレットが間違っていたので、担当者の問題だろう。後者については、ビートルズの日本盤を出した会社なのだから、もう少しちゃんとして欲しいが、まあ、そんなこと言っても関係ないだろう。

ジャンルを設定しようと、「現代音楽」を調べたら、"Contemporary music"だとポップスのようだし、僕のプレーヤ―(gmusicbrowser)のポップス/クラシック分類の設定だとポップスに分類されそうなので、次に適当だった"Contemporary classical music"から、"Contemporary classical"に設定したのだが、矛盾しているような気がした。まあ、"classical"には「古い」以外の意味があるから、いいのかも知れない。と思ったのだが、やっぱりおかしい気がするので、"Contemporary music"に直した。が、これにしたって、新しく作られた音楽は全部contemporaryなはずで、何とも不思議な用語ではある。

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昨日、新型スイフトが発表になった。予想と違って(幅が広がらず)5ナンバーのままだったのでかなり安心し、一気に次期(いや、まだ「頭の片隅にもない」のだが)の候補に返り咲いた。幅を広げなかったのは、バレーノとの棲み分けをしたのだろうが、なかなかうまいと思う。そして、100kg以上の軽量化が一番の魅力だ。あれ(今の僕の車)以上軽くなったら、一体どのくらい軽快になるのかとすら思う。

一方、メーターはホンダ車のようにゴテゴテしてるし、フロントはマツダ車みたいだし、後ろのドアノブもジュークの真似のようで趣味が悪いけど、全体的なデザインはイグニスよりずっとまともだ。

スズキには「まっとうな領域からはみ出ない能力・信念」があるようだ。ネットには盛んに叩く人がいるし、提灯記事にも余り出ないけど、価値が分からない可哀想な人たちだと思う。次も乗りたい。もう、馬力とか速さは不要なので、今度はスポーツじゃなくてもいい気がするけど、(少なくとも今は)やっぱりMTがいいな。値段は170万円程度まで(非ハイブリッド・2WD)なので、スポーツは200万円くらいになるのか。

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前の投稿の追伸で上のように書いたが、それについて少し書きたくなったので、まとめるのは無理かも知れないが、書いてみる。

何を言いたかったかというと、音楽は、YouTubeなどに投稿して、比較的多くの人の感想を得ることができるが、文章はなかなかそうは行かないということだ。

もちろん、YouTubeだって、投稿しても観られず(聴かれず)コメントが付かないことは多いのかも知れない。が、文章は更に少ないように思う。まず、投稿する場所は、ブログか同人誌的なサイト程度だろう。どちらも、知らない人の目に留まることは少ない。投稿しても、読まれるとは限らない。読まれても、理解されるとは限らない(逆に、理解されないことの方が多い)し、読んで筆者の意図を理解するには時間も労力も知識も要る。

実際には、音楽だって、作者や演奏者の意図を理解するのは難しい。が、最初の一音で、その演奏がいいか悪いか(実際には、多くは、「好きか嫌いか」)分かることだってある。一方、(絵文字・顔文字や写真やイラストなどなしで)文章だけで、最初の一文字(あるいは、ぱっと見)で「すごい!」とか「好き/嫌い」と思われることは皆無だろう(ぱっと見で、「長いから嫌」はあるか)。だから、音楽は文章よりは聴かれてコメントを得る可能性が高いのではないか。

他には、音楽だと、途中までは無意識に聴き流していて、あるところでふと「いい」と思うことは多々あるが、文章だと、途中まで無意識に読み進めて、ある一文で唐突に「おもしろい」と思うことは、まずないだろう。

それから、音楽がすごいのは、国や時代が関係ないことだ。もちろん、国や地域、時代ごとに音楽は違うが、聴くのは全く可能だし、楽しむのにも問題はない。が、文章は全くそうではない。知らない言語の文章は全然読めないし、昔の文章を読むのも困難だ。そういうところが、文章の悔しいところだ。

そして、最初の一文字で「すごい!」と思われる文章はあり得るのかとか、「文章のYouTube」はどういうものなのかとか、国(言語)や時代が関係ない文章はあり得るのかとか、そういうおかしなことを考えている。(草稿: 2016/12/27 22時頃)

最後の段落について今思ったのだが、考えを、言語を使わず、文字で書かず、何か別の、「考えの塊」のような形態で記録して、何らかの方法で読めるようにすれば、可能になる気がする。例えば、物理的にはQRコードとか無線タグのようなものだ。それを見る(スキャンする)と、一瞬で考えが伝わって来るのだ。ただ、果たしてそれが「文章」と呼べるかは疑問だ。が、文章だけでなく、音楽を含むあらゆる表現の手段(メディア)になれるような気がしてきた。

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今朝、車に積んでいた傘が壊れてしまった。柱と本体をつなぐ骨が取れてしまい、開くのにも手間取るようになったのだ。

その傘は、ジャンプ式でない、まあ、良くある普通の傘であるが、随分長く使っていた。いつから使っているのかすら、覚えていない。仮に、最初の会社の時だったとしたら、20-25年、そうでないとしても10年以上は使っていたと思う。全くお疲れさまでした。

余談: 昔のノート(日記)を探せば、いつ使い始めたかが分かるかも知れないが、当然手書きで検索できないし、書いてあることは黒歴史ばかりなので、まあ、やめておくw

いつかは分からないが、この傘を手に入れた時のことは、とても良く覚えている。クレジットカードのポイント交換でもらったのだ。申し込む時、カタログに鮮やかな赤い傘の写真が載っていたので、一目で気に入ってそれにした。ちなみに、ブランド物で、Kenzoだった。バブル末期の頃だったのかも知れない。

しばらくして届いたのだが、開けてがっかりした。なんと、地味な紺色の傘が来たのだ。

きっと、申し込み者の性別で赤と青を変えていたのだろう(と、当時思った)。もちろん、色を指定する欄はなかったし、「色: 赤」とも書いてなかったから、文句の言いようがなかったのだが、「男は青、女は赤」という固定観念に反論したかった。が、当時はブログなどなく、カード会社に電話したところで(電話は今以上に苦手だったし)、なんの効果もなさそうだから、諦めた。

今だったら色指定できるのかな。というか、単に、当時のカード会社の申し込み用紙が不完全だったというだけのことで、あらかじめ電話で聞くとか、「赤をお願いします」と一筆添えれば良かったのかも知れない。まあ、当時は、そんなことも思い付かない程の世間知らずだった。

まあ、いずれにしても、ちょっとした思い出のある傘が、役目を終えた。

と思って、会社から帰る時に捨てようと思ったのだが、「まあ、新しいのを買ってからでもいいか」と思って持って帰ったら、途中で小雨が降って来て、買い物に行くのに役立ったので、その傘には、もうちょっとお世話になりそうだ。

PS. 今、赤い傘の画像を検索して思ったのだが、仮に赤い傘が届いていたら、こんなに長くは使えなかったと思う。さすがに、赤い傘は今は無理だ(黄色ならいいかも?)。当時の僕は、かなり翔んでいたようだ。今も??

PS2. こういうちょっとしたことを書くのは、単純に書きたい気持ちの他に、「文章を書く練習・実験」と思っているところがあります。他の方にはつまらないことかも知れませんが、気が向いたら読んで頂ければありがたいです。

その練習・実験の目指すところは、読みやすいとか、読んでおもしろいとかです。見ておかしいとか、読みにくい・分かりにくい(単語や漢字の使い方、句読点とか漢字の多さ・少なさ、段落や文章の長さなど)、誤字脱字があるとかは、どうしても嫌なのです。

PS3. そうこうしているうちに、なんでもない傘の思い出に千文字以上も掛けてしまった(普通はtwitterで1行?)。やっぱり、僕は、文章を書くのが好きなようだ。まだまだいくらでも書ける(例: 他の傘にまつわる思い出、文章へのこだわりについて、尊敬する文筆家、音楽と文章はどっちが好きなのか、文章は音楽と違ってYouTubeのようには行かない、などなど)ところが、我ながら恐ろしい。。。

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昨日買ったアルバムの残りを消化、というと言葉が悪いが、感想をまとめて書く。

まず、「惑星」。僕はずっと好きな曲だと思っていたのだが、実はほとんど聴いたことがないのに昨日気付いた。アルバムを掛けて、最初の曲「火星」を聴いたら、曲順違いで一緒に入っている「スター・ウォーズ」かと思って確かめたのだが、間違っていなかった。全く曲を知らなかったのだ。

自分でレコードもCDも持っていないので、思い起こしてみると、中学の頃、友達にレコードを借りて聴いただけだった気がする(なんか、それも怪しい。もしかして、中学時代からレコードを持っていた「展覧会の絵」(ストコフスキー)と混同していたのか?)。でも、有名な曲だし、「木星」などはいろいろな所で掛かって聞き覚えがあるから、知っている気がしたのだろう。

メータとロサンジェルス・フィルハーモニックの演奏は、いいと思う。ただ、ほとんど知らない曲で、自分のイメージもなかったので、それ以上のことは言えない。とにかく、これから聴いて、曲を知る必要がある。

それにしても、「スター・ウォーズ」はこの曲にインスパイアされたのかも知れないな。

次に、ドミンゲス。彼は、ついに大衆迎合してしまったのだろうか? というか、もともと大衆的な演奏家なのかも知れないが、唐突に(これは彼らしい気もする)ビートルズのカバーを出し、演奏に彼独特の攻めとかキレがなく、単なる「ラテン風ビートルズ」で、BGMとかムード音楽的なのにはがっかりした。どうしたのだろうか? ネタ切れか老化か。次に期待したい。

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前にも書いたが、ラフマニノフの「鐘」が聴きたくて探したのだが、目当てのルガンスキーのは売られておらず、代わりに、ポンティのを選んだ。全く情報なしで、どこの誰かも知らずに勘とかイメージで選んだのだが、結構当たったと思う。

早速「鐘」を聴いたのだが、冒頭の迫力がすごかった。ルガンスキーの印象をすっかり忘れてしまった。

全体的にも、パワーやキレがあって乗れる。1曲目から聴くと、予想外にピアノの音が尖っていた。でも、(別の曲だけど)ポゴレリッチのようには尖り過ぎてはいない。スピード感もあって、いい感じだ。

6曲目、「4つの即興曲/1. アレンスキー 2. グラズノフ 3. ラフマニノフ 4. タニェエフ」の最初が、ちょっとおもしろくていい。これはどういう曲なんだろう? 4人の名前があるが、全員で作ったのだろうか?

そして、アルバムの最後の方の「サロン小品集」は、例によって難解になって来た(これが、ラフマニノフのピアノソロ曲が苦手な原因だ)。でも、演奏は鋭い。ピアニストとしては好きだ。

それから、最後の方の曲は、ショパンの勇ましい曲(ポロネーズだったか?)に似ていた。

録音は、曲によっては音が大き過ぎて音割れしていた感じだった。

PS. この演奏、オリジナルはVOXというレーベルで出たようなのだが、かなり調べても、オリジナルアルバムの発売年は分からなかった(それで、題には全集ボックスの年を書いた)。なんか不思議だ。

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この、1958年に行われたライブを収録したアルバムには何曲か入っているのだが、特に期待していて印象深かった「展覧会の絵」だけについて書く。

これは問題作だ(聴くのと前後してそういう批評か宣伝を読んでしまったからこういう言葉になったのかも知れないが、なんか「普通じゃない」、「すごい」感じがした)。

はじめは音が悪くてこもっていて、音が弱い感じもするので、決していい印象ではないが、段々、音の強弱が強烈になって来る。ちょっと聞くと、離れた所で録音しているように思えるのだが、実際にはそうでもない、不思議な録音だ。

「第1プロムナード」から「小人」につながるところの急変が、僕には一番のキモで、いい演奏だと「ゾクっ」とするのだが、残念ながらなかった。だが、途中でエンジンが掛かったのか、一気に走り抜けるような後半がいい。「ビドロ」や「第5プロムナード」のパワーや、「サムエル・ゴールデンベルクとシュムイレ」、「リモージュの市場」の迫力。

「カタコンベ」はすごい威圧感で恐ろしい。「死せる言葉による死者への呼びかけ」の弱い高音が綺麗だ(これは遠くからでは録れないはず)。「鶏の足の上に建つ小屋」のパワーと迫力がすごい。そして、最後の「キエフの大門」は大迫力・ノリノリの結末だが、どことなく落ち着く感じがした。

細かいことでは、わずかにミスタッチがある気がした。あと、観客の咳がうるさい。

きっと若い頃の録音なのだろうと思ったら、そうでもなくて、43歳頃だった。なかなかすごい人だと思った。

曲としては、ラヴェル編曲のオケ版は豪華絢爛だと思うが、その分冗長なところがあるので、それよりシンプルでパワフルな、こっちの方が好みだ。

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とても安心して聴けるモーツァルトだ。ゼルキン・アバド系だ(逆にこちらの方が先なのだろう)。他にも聴きたくなったが、発売されている彼のモーツァルトのピアノ協奏曲が少ないのが残念だ。

協奏曲第21番のピアノは、カデンツァと第3楽章の最初の頃の違和感(ゼルキンに慣れているせいだろう)以外は全く問題ない。ピアノの音の伸びが綺麗でいいが、オケ(イギリス室内管弦楽団, ECO)の弦や木管も美しい。

協奏曲第12番もいい。やっぱりオケ(ECO)がいい。ECOは内田光子のモーツァルトのピアノ協奏曲全集でも好きだ。僕は余り聴かない曲だが、曲自体もいいと感じた。こちらにはピアノの違和感は全然ない。

ちなみに、このアルバムのピアノは、パワーとは程遠い。でも、僕はいつもパワーを求めている訳ではなく、曲に合った(と僕が感じる)演奏がいいと思っているから、問題ない。モーツァルトの頃は今のピアノはなかったから、曲自体もその頃の楽器(フォルテピアノなど)の柔らかい・小さな音を想定して書いてあるだろうから、ラフマニノフのようなパワーでガンガン弾いたら(怖いもの見たさで、それも聴いてみたいけど)、やっぱり合わないと思うのだ。

PS. ずっと気付かなかったのだが、このアルバム(MP3版)は音が悪い。大きな音(特に高音の弦)が歪んでいる。レーベルは例のDeccaだ。何で今まで気付かなかったのだろう? やっぱりMP3は駄目だ。(2017/3/4 19:39)

(2018/9/30 19:36追記) 上の音質が悪い件は、再生環境(GstreamerのMP3デコーダ)の問題であり、MP3や音源の問題ではなかったので、謹んで取り下げます。ただし、録音の古さに起因する音質の悪さがわずかながらあるのは、確かです。

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昨日ダウンロードで買ったアルバムは、既に大半を聴いた(今は、最後のポンティのラフマニノフを聴いている)。その中で、最も多くの感想が出たのが、このアルバムである。(余り歯に衣を着せませんので、ご了承下さい・・・)

全体としては、音が自然で綺麗ですっと入ってくるのがいい。が、ソフトで、音に気迫とか鋭さとかパワーに欠ける気がする。だが、そもそも、バレエ音楽はそういうものではないのだろうし、そういう弾き方の人たちでもないのだろうけど。実際、レコード会社によるアルバムの説明に「児玉姉妹の演奏はオシャレでゴージャス。」とあるように、リヒテル(「展覧会の絵」はすごかった)とは正反対な弾き方のようだ。

二人で弾いているのだが、ほとんどの曲でそうは感じなかった。良く言えば、息が合っているのに感心するのだが、悪く言えば、スケールが小さいのかも知れない。

以下、聴いていて書き留めた、細かい感想を書く。

「くるみ割り人形」の「行進曲」は結構いい。「金平糖」は、確かに、か細い高音がチェレスタに聞こえた。「アラビアの踊り」の小さい低音がオケみたいで、すごくいい。「中国の踊り」には結構キレがある。「トレパック」ではぶつかり合いが感じられて、いい感じ(でもやっぱりソフトではある)。「花のワルツ」は、とても綺麗で優雅で感動する。ただ、何度か繰り返される、「タララララ」と音が上がる特徴的な箇所(例: 2’34” → ちょっと長くなるので、最後に追記する)は、もう少し滑らかな方が好きだ。「パ・ド・ドゥ」はなぜか冒頭から「ぐっ」と来る。これはすごい。でも、ちょっとテンポが遅いかも知れない。最後は、もっとスケールを大きくできなかったか?

「白鳥の湖」の「情景」は美しい。が、弾き方に少しだけわざとらしいところがある。でも、結構乗れる。「ナポリの踊り」は最初は良かった。「ロシアの踊り」は前半は退屈だが、後半の躍動感がいい。

それから、全く意識しなかったのだが、このアルバムは、今月の15日に出たばかりの最新盤だったようだ。あと、オーディオ的な音は申し分ない。

PS. 「花のワルツ」の問題の箇所(好みでない例はこちら。でも、これはかなりいい感じの方)、YouTubeでピアノ版で僕好みの演奏をかなり(以前のラフマニノフのようにw)探したのだが、日本人のでは全然なくて、「ここはこういうふうに弾くものなのか」と諦め掛けつつも外国人のを探し始めた時、ふと右側のリコメンドを見たら、すごいペアのがあった。アルゲリッチとジルベルシュタインだ(下にも貼る)。演奏自体は若干(結構?)二人の同期に乱れがあるが、滑らかさは概ね(アルゲリッチが走っている感じだが)問題ない。それにしても意外な組み合わせだ(でも、どちらもパワー派なので、そうでもないのかも)。それでも、ジルベルシュタインが演奏活動を続けていたのが分かって、結構うれしかった。また来ないかな。

PS2. 調べたら、上の演奏は2002-2004年のルガーノ・フィスティヴァルでのようだ(正確な年は不明)。だから、彼女は今はもう活動してないのかも知れない。(10:27)

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さっき書いたように、今日Amazonから買ったリヒテルの"Live in Sofia" (BNR Classics)は、曲間に一瞬の途切れがあった。元々の曲間が無音なら実害はないが、アタッカ(音が繋がったまま次の曲に続く)の場合(例: 「展覧会の絵」の1:「プロムナード」と2:「小人」の間)は困る。

それで、MP3変換に問題があって、ファイルの最初や最後に値が0の区間ができるのだろうと推測して、audacityで波形を見てみた。以下は、トラック1と2のつなぎ目(上半分= トラック1, 下半分= トラック2)である。時間軸を縮小して見ると(左側)分からないが、時間軸を拡大すると(右側)、やはり、曲間に値が0の区間ができていた(長さ= 約65ms)。

それで、その区間を削除したところ、聴いた感じでは問題なくなった(上とは時間軸のスケールが違うので、右側の波形は異なって見える)。

うまいツールがあればいいが、目分量で削除したので、実際には数〜数十サンプル(10サンプルとすれば、約0.23ms)の欠落はあるだろうが、聴いても分からないので良しとする。

実際に問題があったのは以下の曲間だったので、それらのファイルを聴いて確認しながら修正して、とりあえず作業終了とした。

1-2, 12-13, 15-16

手間は掛かったが、興味深かったし、買い直すよりは気分が良い。

ただ、もし、音が欠けていてギャップのように聞こえたとしたら対処できなかったので、マスタリングの良し悪しはダウンロード購入時の注意点かも知れない(確認はまずできない)。有名なレーベルなら問題ないと思うが、今回は全然聞いたことがなく、名前はまともそうだが実際はいい加減なところだったようだ。

別のアルバムを聴いていたら、修復不可能なものがあって、とてもがっかりした。

メータの「ホルスト: 「惑星」/ウィリアムズ: 「スター・ウォーズ」、他」(Decca)である。これは、アタッカであっても曲間がご丁寧にフェード・アウト/インされている。音が変わっていたら、修復はまず無理だ(フェードの部分を、フェードのカーブに合わせて増幅することも考えられるが、現実的でない)。これをマスタリングしたエンジニアは一体何を考えているのだ(何も考えていないのだろう)。「シングルじゃないのだよ!」と言いたい。

以下に例を示す。Disc 2のトラック3-4(「ツァラトゥストラはかく語りき」: 「大いなる憧れについて」-「喜びと情熱について」)間の波形:

アタッカなのに、曲間がフェード・アウト/インされている。。。

これにはレビューを投稿しよう。とても有名なレーベルのDeccaでこの音楽性のなさでは、ダウンロード購入にはひどいリスクがあるということだから、再考する必要があるようだ。

不幸中の幸いなのは、聴きたかった「惑星」には、記憶の限りアタッカはなかったから問題はないので、駄目な曲は「ハズレ」と思って聴かなければいいことだ。

その後、やはり気に入らなかったので、Amazonに問い合わせた(レーベルのDeccaは、購入店に問い合わせるようにとサイトに書いていたため)。すると、予想通り「現象は確認できず」との回答が来た。詳しく説明を書いたり、波形(上記)を提示したり、問題が起こる音源を提示したしたのだが、どうしても問題の本質を理解できない様子だ。頭に来たので、依頼された質問(良くある、OSだのプレーヤーだののバージョンなど)への回答の最後に、

「アタッカ」の意味はおわかりでしょうか。

という質問を追加した。(12/30 14時)

上では、WindowsとLinuxのさまざまなプレーヤー(WMPも含む)で問題が起こるという結果を送ったのだが、Amazonはそれらでは検証していないと言ってきた。一体、どういう環境で検証しているのだろうか。同じメールで確認環境についても聞いたのだが、回答はなかった。

「アタッカ」は知っていたそうだが、それなら適切な確認方法が分かるはずだ・・・(12/31 6:06)

(12/25 6:01 グラフに時間軸を入れた。7:10 Deccaの「ツァラトゥストラ」のMP3の問題を追加。8:31 題を変更、わずかに加筆。13:36 Deccaの例の実際の音を追加, 12/30 14時 Amazonへの問い合わせの件を追加, 12/31 6:06 Amazonの件を追加)

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クリスマスだからという訳でもないが、ずっと買うのを延ばしていた音楽アルバムを爆買いした。なぜ延ばしていたのかは大したことではないので、最後に書く。なぜ今日買ったのかは、とても欲しいアルバムが現れたとか、滞留数のしきい値を超えたとか、昨日のコンサートでパワーが増えたとか、年賀状を出して気分がすっきりしたとかだろうと思う。

今日買った・注文したアルバムは、以下のとおり。

  1. 高橋アキ "Get Back: Hyper music from Lennon & McCartney" (CD)
  2. 小林道夫 「バッハ: ゴルドベルク変奏曲 ~小林道夫の芸術II~」 (CD)
  3. ラドゥ・ルプー 「モーツァルト: ピアノ協奏曲第21番、第12番、他」 (MP3)
  4. ミヒャエル・ポンティ 「ラフマニノフ: ピアノ曲集 -1-」 (MP3)
  5. リヒテル "Live in Sofia" (MP3)
  6. メータ 「ホルスト: 「惑星」/ウィリアムズ: 「スター・ウォーズ」、他」 (MP3)
  7. ファンホ・ドミンゲス "Interpreta a los Beatles" (MP3)
  8. 児玉麻里 & 児玉桃 "Tchaikovsky: Ballet Suites for Piano Duo" (MP3)

直接のきっかけは、Haruさんが(間違いではあったが)コメントで教えて下さった高橋アキだった。現代音楽を中心にしているようだが、ちょっと調べたら、ビートルズの曲を現代音楽にアレンジしたのがあり、結構興味が湧いたのでYouTubeでちょっと聴いたら、やはり難解ではあったが、ピアノの音が綺麗だったので、とても聴きたくなった。

ところが、何枚かあるこのシリーズは全部廃盤のようで、MP3はもちろんなく、CDはAmazonマーケットプレースでは2-3千円以上の高値が付いていた。ところが、1枚だけ800円程度のがあったので、注文してみた。もし気に入ったら、ヤフオクで揃えようと思っている。届くのが待ち遠しい。

それから、昨日の小林道夫のゴールドベルクも聴き直したく・手元に置きたくなって、注文した。合わせると送料が無料になるのも効いた。

それで勢いが付いて、溜まっていたMP3の注文に走る。ドミンゲス以外はHaruさんのご紹介やコメントのやりとりがきっかけになったものだ。

ルプーは、お盆に実家でYouTubeで聴いた、モーツァルトのピアノ協奏曲23番が欲しかったのだが、発売されていないので、ひとまず21番で我慢することにした。

ラフマニノフは「鐘」が聴きたくて、YouTubeにあったルガンスキーの演奏が気に入ったのだが、発売されていないようだったので、聞いたことはなかったが、ポンティのにした。

リヒテルは、今日教えて頂いて、前にも書いたように、近頃気に入りつつあることもあって、「展覧会の絵」を聴きたくなった。これのいい演奏は、ゾクッとするので。

「惑星」は好きな曲ではあったが、今まで持っていなかったので、欲しくなった。いろいろな人のがあったのだが、「スター・ウォーズ」や「ツァラトゥストラはかく語りき」も入っていてお得そうな、これにした。

ドミンゲスは、ちょっと前にいつものように検索したら出て来て、買い物リストに入れてはいたのだが、試聴したらそれほどでもなかったので、保留していた。

児玉麻里 & 児玉桃は、昨日、Haruさんのブログで紹介されていて興味が出て、特に「金平糖の踊り」が聴きたくなった。試聴したら結構良さそうだったので、買うことにした。

全部で約12000円にもなったのは意外だった。一瞬どれか減らそうかとも思ったが、「クリスマスだし、まあいいか」と思い、そのまま注文した。MP3を6タイトルも一気に注文するとAmazonの中の人も慌てるのか、ダウンロードできるまでに少し時間が掛かったうえに、いくつかに分割されてダウンロードすることになった。最初はアルバムが全部でなかったり、曲数が足りないアルバムがあったりして、「サポートに連絡?」とちょっと嫌な気分になった。もう少し待てば、一回で全部取れたのかも知れない。

その後は、大量のMP3の整理(タイトル・アーティスト・年などの修正や再生ゲインの設定)が結構手間だった。ダウンロードと整理で1時間近く掛かったかも知れない。特に、ポンティのはコンピレーションなので、オリジナルの発売年が不明で、それらしい年を見つけるのになかなか手間取った。

やっぱり、これからは、ダウンロードとか整理とかをしなくて済む、オンライン指向のプレーヤーなんだろうなと思った。以前調べたら、そういうのは既にあるようだ。「聴き放題」サービスもその一種なのだろうが、特定の企業に固定してしまうし、毎月コンスタントに料金を支払うほど聴くのかとも思う(そもそも、宴会の生ビールじゃないんだから、量が多ければいいってもんじゃないと思うのだ)。聴き放題の中では、Amazonプライムは、それ程高くない料金で他のメリットもあるから得だとは思うが、Amazonは嫌いだ。

まだ全部を聴き終わっていないので、それぞれのアルバムの感想は追って書くことにし、最後に、なぜ延ばしていたかを書く。

  1. 本当に欲しいアルバムが売られていなかった。: フェドロヴァの新作(ラフマニノフのピアノ協奏曲3番)は未だに出ていないし、ワイセンベルクとプレトルのラフマニノフのピアノ協奏曲3番のCDは廃盤で入手困難だし(ちょっと前にヤフオクに出ていたが、落札でききなかった)、ルプーのモーツァルトのピアノ協奏曲23番は発売されておらず、モチベーションが上がらなかった。
  2. ドミンゲスの新作がイマイチだった。: 試聴した限りでは、ビートルズをBGM的にソフトに演奏している感じで、他のアルバムのような攻めとかキレが不足していたので、やっぱりモチベーションが上がらなかった。
  3. MP3の整理が意外に面倒。: 上にも書いたが、CDよりは楽なのだが、「ダウンロードして終わり」という訳でもなく、逆に面倒な気さえする。
  4. MP3はいつでも手に入る。: CDは「今買わないと売り切れるかも」という心配があるが、MP3は品切れになることがないので、「まあ、いつでもいいか」という気持ちになる。

 

PS. 今、リヒテルを聴いている。かなりいい演奏なのだが、残念なのは、曲間が一瞬切れてしまうことだ。「展覧会の絵」は切れたら興ざめだ。MP3のマスタリングが良くないのだろう。実は、CDの方が安かったのでどうするか迷ったのだが、これは失敗した。自分で修正できるだろうか。ちょっと、いや、とても面倒だ・・・CDを買おうか?

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昨夜帰宅したら、覚えのないAmazonからの荷物が届いていた。が、すぐに思い出した。妹が誕生日のプレゼントに送ってくれたCDだった。

余談: 本当は、リヒテルのラフマニノフのピアノ協奏曲第2番の入っているCDをお願いしたのだが、それにこの曲も入っていたので、(僕がこの曲も好きなのだろうと)気を利かせてくれて、それぞれが入った別々の2枚を頼んでくれたようで、その片方が届いたのだ。

出だしのオケ(カラヤン指揮、ウイーンフィル)がいい。リヒテルのピアノもいい。音に風格とか重さがあって、しかも綺麗だ。やっぱり、カラヤンとリヒテルの組み合わせのせいだろうか。まだ届かないラフマニノフの期待も高まる。

実は、(妹には内緒だが、)僕は冒頭のピアノがどうしてもコミカルに聴こえてしまう(好きな方には申し訳ないです)ので、この曲は余り好きでないのだが、これはちゃんと聴けた。冒頭さえクリアすれば、あとはいいと思う。が、今聴くと、第1楽章はちょっと長い気がする。まあ、これは作曲者の問題で、リヒテルには関係ない。

演奏には関係ないけど、冒頭のピアノがコミカルに聴こえる件について書きたい。昨夜寝る時に、その理由を考えたのだが、余りにも「いかにも巨匠的」だからだと思う。別の言い方をするなら、大衆受けを狙い過ぎたというのか。実際にはそれ程難しくない(弾けないので本当のところは分かりません)のに、すごそうに聞こえるからではないか。

それから、昔観たTVドラマ(確か、「少女に何が起ったか」)で、辰巳琢郎(今日調べるまで風間杜夫と思い込んでいた)が、コンサートでこの曲を弾いているシーンがあったのだが、それが「いかにも」(おそらく、音と演技が合っていなかったとか、和音で平行移動する腕の動きが何か変だった)で、コミカルに感じたせいもあると思う(実はDVDを持っているので、観れば確認できるのだが、ビデオは余り好きじゃないので、しない)。

そして、検索していて気付いたのだが、僕がピアノを好きになったきっかけは、このドラマにもあった気がする。小泉今日子が石立鉄男に「薄汚えシンデレラ!」と呼ばれたり、賀来千香子(あの頃は新人だった彼女も、もう50代半ばなのか・・・)たちにいじめられながらも、くじけずにピアノを熱心に練習したり、最初の頃は、北海道の寒村で紙の鍵盤で練習していたとか、かなり強烈だった。最後の方に出て来たベートーヴェンの「熱情」はこれで知った気がするが、パワフルな曲で印象深かった。他にも、このドラマで知った曲はあるように思う。原因は他にもいろいろあるが、一つはやっぱりこれだろう。

なお、古い録音だけど音は良かった。ダイナミックレンジが大きくて、小さい音は音量を上げないと聞こえにくいくらいだ(「聞こえにくくて、なんで音がいいのだ?」という本質的な話はあるが、非圧縮原理主義者とか理系人間とかオーディオマニア的にはそうなのである)。

演奏とは関係ないことが多くなったが、ちょっと前(Haruさんに教えて頂いた時)までは余り親しみを感じていなかったリヒテルが、好きになって来た。

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前回は6月だった。今日は、年代物ではあったが、生きのいいのが頂けて、新たなパワーが付いた気がする。僕の、「コンサート三昧シリーズ <復活>」 No. 4である。今日は、上野でバッハのコンサートを聴いた。

小林道夫 チェンバロ演奏会
J. S. バッハ: ゴルトベルク変奏曲 BVW 988 (全曲)
東京文化会館 (小ホール)

帰って来て、僕にはご飯よりも音楽の方が重要なことを再確認した。いつものように大げさに書くが、ご飯は食べられるけど音楽のない人生なんて、無意味だ。だったら、飢えても音楽を聴きながら死んだ方がいい。

全体的には良かった。大体の曲で乗れた。彼は、難しいであろう曲を実に事も無げに弾いていた。最後の方の一曲(第29変奏だったか)だけを除いて、実に冷静に弾いていた。そういうところが職人的だった。それは芸術的でないという意味ではない。昔かたぎの職人さんのようなイメージだ。大工さんが、ちょっとした家具をちゃちゃっと作る(けど、僕らにはできない)みたいな。

前半と後半の終わりの方で、少しミスタッチがあったのが、ちょっと残念だったし、あれ程の経験の方なのに意外だった(でも、僕の聴き違いかも知れない)。

何曲か、解釈に違和感があるところはあった。まあ、僕はグールドに毒されているので、仕方ない。逆に、そんな僕がほとんどの曲で違和感を感じなかったのが、意外だ。グールドも、実はそんなに異端じゃないのかも知れない。あるいは、「いいものはいい」のか。

後半の後半は、短い音が滑らかに素早く上下するフレーズが綺麗だった。が、ミスが少し増えて、わずかに荒れた感じもあった。あと、好きでない音(ポロポロした音。チェンバロは切り替えられるようだ)を使っているところがあった。

全体を通して、聴こえないスラーが感じられたのが、うれしかった。チェンバロはピアノよりも音が伸びないのだが、弾き方で、「ここは繋げてるんだな」と分かった。あと、込み入っているであろう楽譜の主旋律なり副旋律が「見えた」(気がした)のもうれしかった。

職人的な演奏を聴きながら、ちょっと深いことを思った。「彼は何のために演奏しているのか」と。彼だけでなく、音楽家は何のために演奏するのか、ちょっと知りたくなった。

想像するに、音楽やその作曲家や演奏するのが好き、自分の曲への理解や表現を人に聴いてもらいたい、人に何かを感じてもらいたいという気持ちがあるのだろうが、それだけでは続かないような気がする。

例えば、彼は、この演奏会を何十年も、毎年続けているのだ(実は、僕は20年以上前の今頃に、彼のこの曲の演奏会を聴いたことがある。その時の話は、覚えていたら後で書きたい)。同じ曲を愚直に毎年弾き続けるのは、一体どういう気持ちなのか知りたい。まあ、一言で言えば「ライフワーク」とかいう言葉になるのだろうが、もっと深い考えが知りたい。

そして、僕も、何のために音楽を聴くのか、ちょっと分からなくなった。例えば、普通に好きな曲を聴くのではなく、同じ曲を何人もの演奏者で何度も聴き比べて好みの演奏を探す(調べたら、ゴールドベルクは9種類も持っていた)なんて、どこからそれをやる気が出るのか、自分でも不思議だ。まあ、僕は自分が聴きたいように聴くだけなので、理由はどうでもいいのだが。

話は変わって、帰りの新幹線で読んだパンフレットに、興味深く、すごく同感なことが書いてあった。繰り返すフレーズの装飾についてだ。以下に、題と僕の理解した要旨を書く。

小林道夫 「飾れない話」 バッハの曲の繰り返しに、(オリジナルじゃなくて)自分なりの(勝手な)装飾を付けるのは、果たしていいのか悪いのか。

れんとの注釈: 繰り返しについて: バッハの頃の曲は、同じフレーズの繰り返しが出てくることが多い。それで、繰り返しの部分を2回目に弾く時は、ちょっと変えることが多い。装飾したりするのはその例。

そして、ある演奏家のCDを聴いたら繰り返しが鬱陶しくなったそうで、なるほどと思った。僕がいろいろなゴールドベルクのアルバムを聴いて、(グールドのようにカットせず)律儀に繰り返す演奏が苦手なのは、半分はそのせいかも知れない(残りの半分は、「同じフレーズはちょっと退屈」)。今は、それらが本当に装飾していたかいなかったか分からないのだが、そういうこともあった気がする。

今日の演奏会では、彼は、繰り返し部分は淡々と同じように弾いていた。それは飽きる面はあるのだが、自己主張が鬱陶しいのよりはいいと思う。実際、今日は繰り返すのを聴いてもそれ程嫌ではなかった。ただ、僕はグールドの演奏が好きなので、やっぱり、次のフレーズや曲にスパっと行かないで延々と繰り返されると、足を引っ掛けられたような気分になることは多々あった。でも、グールドが異端なので、僕が「普通」じゃないのだ。それに、繰り返してくれると、一回目に聞き逃した所がまた聴けるというメリットがあった。

以下、枝葉末節的な四方山話と写真を。

  • 出る前、早目に食べた昼食がこってりしていたせいか、少し気持ちが悪くなり、天気がいいから駅まで歩くつもりだったが、バスで行った。
  • 出る直前まで、上野で降りることを忘れていた(東京まで乗る気分だった)。
  • 珍しく、新幹線が遅れていた。信号故障だったそうだ。券売機がいくつか動いてなかったのも、そのせいだったのかも知れない。約50分遅れとか言っていて、それを待ってたら間に合わない気がしたので、折角指定席を予約して買ったのだが、早く来たのの自由席に乗った。
  • 結構混んでいたが、運良く座れた。先頭車のせいか、席が少なかった。でも、席の間が広い気がした。
  • 通路の向こうの列は看護師のお嬢さんたちのようだ。綺麗にしていて、結婚式に出るようだ。でも、窓際の人が、オジさんのように、靴を脱いで足を前の席の後ろの網の下の角に載せていたのには、結構がっかりした。もったいないね。
  • 車内で段々、頭の中でゴールドベルクが流れ出して来た。
  • 上野は人が多かった。駅から出たら煙草臭かったのが、残念だった(ホールにも喫煙所があったせいか、今も何となく臭くて嫌だ)。日射しが強く、外は暑かった。
  • ホールで待っている時、いざという時なのに、頭の中にモーツァルトのピアノ協奏曲(20番?)が流れて来た。一体何なんだ。。。
  • ホールは意外に狭い。前回もこのホールだったはずだが、全く覚えていない。
  • 席はホールのほぼ中央、チェンバロの正面で、音としては良かったが、チェンバロの音自体が小さいので、もう少し前の方が良かったかも知れない。
  • 後ろでしゃべっていたお爺さんは、変なマニアだった。行った場所の記録のために切符を2枚買うとか、折り目の付いてないパンフが欲しいとか。全く理解できないが、マニアは歳には関係ないようだ。
  • 前の席の人は来なかったらしく、空いていたので、ステージが良く見えた。
  • 斜め前ともっと前の席に、議員の高市氏に似た感じの女性が居た。どちらもショートカットだった。
  • 演奏中、咳や大きな物を倒したり落とす音、紙をいじる音がうるさかった。結構頻繁だった。咳は仕方ないとして、物は落とさないように床に置けばいいのに。パンフなんて、演奏中に見たって何の意味もない(「その分、聴け!」と言いたい)のが分からないのか。
  • アンコールは、平均律のどれかの前奏曲だったか。静かな落ち着く感じの曲だったが、その場で曲名が分からず、メロディーも忘れるという情けなさ・・・
  • チェンバロの蓋に手元が写っていたので、手が交差したり左右に跳躍したりする技が堪能できた。前回は席が前の方だったせいか、見えなかったと思う。
  • チェンバロの2段の鍵盤の上段は引き出し量が可変で、前後に動かせる。どういう仕組みなんだろうか。
  • 実は苦手なチェンバロだけど、それほど(高音が)うるさくなかった。低音も意外に出ていた。オーディオマニア的に表現するなら、「解像感の高い音」だったw ただ、音量は小さかった。
  • 使用されたチェンバロはBlanchetの1730年モデルでWilliam Dowd-Parisの1982年製らしい。(これは僕が要約して書いたので、正しくないかも知れない)
  • 6月に聴いた久元祐子は譜めくりの時に音を途切らせていたが、やっぱりあれは駄目だったと思う。今日の小林はそんなことは全くなかった。そういうふうに譜面を準備していたのだと思う。久元は、途切らせるくらいなら、譜めくりを頼むべきだったと思う。
  • 終了後、サイン会をしていたようで、行列ができていた。意外にマメな人だな。
  • 彼の演奏会・演奏はこれで3回目だ。2回はこの曲、もう一曲は、16年前、モーツァルトのピアノ協奏曲24番だった。弾き振りをしていた。感想は今一つだった覚えがある(何となく、指揮もするのが大変そうだった。当時のパンフには「木管が良かった」と書き込んであった)。近頃はやってないようだが、彼のモーツァルトのピアノ協奏曲も聴いてみたい。
  • この演奏会は、内田光子の「代わり」ではあったが、充分楽しめた。来年は、大御所のモーツァルトやラフマニノフを聴きたい。でも、そのためには、今から情報収集が要るのだろうな。いや、前半のはもう遅いのかも知れない。。。
  • 帰りの新幹線は、適当に近い時刻のを買ったら、数分前にホームに着いて、なかなかギリギリだった。
  • 前に席がない席で珍しかったし、脚が伸ばせた。レア感がいいが、テーブルなどがないので、ちょっと不便な気はした(肘掛けに、ほんの申し訳程度のテーブルはあった)。
  • 帰りは駅から歩いて、18時頃帰宅した。暑い。なぜか、右膝が少し痛んだ。
  • 暑いので、オリオンビールを飲むことにした。軽いという点ではバドもいいが、なんとなくオリオンの方が好きな感じだ。
  • 今日は救急車を3台も見た。1台はホールに来ていた。
  • いつも、事前に注意しても何か忘れ物をするのだが、今日はSuicaを忘れた。でも余り使う機会がなかったので問題ない。

iPhone 6sで撮影

(12/24 7:47 正確さを増すため、わずかに加筆)

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(3度のご飯より音楽が大好きなHaruさんに対抗する訳じゃないですが) 僕も、好きな音楽を聴いていられれば、ご飯は食べなくてもいいくらいだ。とは言え、実際にはお腹が空くから、白米(のご飯)は食べるとしても、おかずには充分なる。

モーツァルトなんて超最高だし、ラフマニノフも最高だし、ビートルズも最高だ。あとはクイーンもELOもいい。ここら辺を延々と、本物の生で聴けるのであれば、ご飯だってなくていい。そして、好きな曲の真髄を理解した頃にミイラになるのが、最高かも知れない。(最後は余り笑えないな・・・)

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もんじゅの今までの事業費は1兆円程度だったそうで、「最先端」のことをしていた割には随分安いと思った。福島の原発なんて、既に20兆円の予想(僕は、こんなものでは済まないと考えている。年々、倍々ゲームになることだろう)だというのに。

今後、どのくらい地震があって、どのくらい原発が壊れるか分からないが、まあ、あと数個壊れたら、日本の財政は破綻するのではないかな? だから、もんじゅ程度のお遊びなんて、いくらでもやってくれっていう感じだ。

でも、もしそれが運良く実用化できて、稼働中に地震が来たら、もっとお金が掛かるのか。。。まあ、いずれにしても、僕の心配なんて国政には全く影響がないので、ここに書くだけで忘れることにしたい。

前にも書いた気がするけど、漱石の猫が溺れる時の言葉自体は思い出せないが、そういう心境で日々過ごそうと思っている。

(せっかくなので、「猫」の最後の節を引用する。)

その時苦しいながら、こう考えた。こんな呵責かしゃくに逢うのはつまり甕から上へあがりたいばかりの願である。あがりたいのは山々であるが上がれないのは知れ切っている。吾輩の足は三寸に足らぬ。よし水のおもてにからだが浮いて、浮いた所から思う存分前足をのばしたって五寸にあまる甕の縁に爪のかかりようがない。甕のふちに爪のかかりようがなければいくらもいても、あせっても、百年の間身をにしても出られっこない。出られないと分り切っているものを出ようとするのは無理だ。無理を通そうとするから苦しいのだ。つまらない。みずから求めて苦しんで、自ら好んで拷問ごうもんかかっているのは馬鹿気ている。

「もうよそう。勝手にするがいい。がりがりはこれぎりご免蒙めんこうむるよ」と、前足も、後足も、頭も尾も自然の力に任せて抵抗しない事にした。

次第に楽になってくる。苦しいのだかありがたいのだか見当がつかない。水の中にいるのだか、座敷の上にいるのだか、判然しない。どこにどうしていても差支さしつかえはない。ただ楽である。いな楽そのものすらも感じ得ない。日月じつげつを切り落し、天地を粉韲ふんせいして不可思議の太平に入る。吾輩は死ぬ。死んでこの太平を得る。太平は死ななければ得られぬ。南無阿弥陀仏なむあみだぶつ南無阿弥陀仏。ありがたいありがたい。

(夏目漱石 「吾輩は猫である」: 青空文庫より)

(12/22 6:58 加筆・引用追加)

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宇都宮市のLRT問題を少し調べたら、市民の声として、以下のようなものが見つかった。(要旨)

朝は道路が渋滞していて、いつ会社に着くか分からず、早く家を出なければならないから困る。

確かに、その道は橋がある関係で、朝夕は毎日渋滞している。が、永遠に着かない訳ではない。混まない時に比べて30分とか1時間、家を早く出ればいいのだ。ちょっと遠回りすれば、別の道だってある。それが普通なのだから、それを予定に組めばいいだけだ。

その人がLRT賛成派なのかどうかは忘れたが、都会の満員電車に乗って通勤したことがないと思われる。あれに比べれば、あの程度の渋滞なんて天国としか思えない。車だったら、自分好みの冷暖房が効いた車の、ゆとりある席に座って行けるのだ。一方、電車なんてまず座れないし、ゆとりがある立ち位置を確保するのだって難しい。もし遅れたら、何時間でもすし詰めなんてことだってあるのだ。もっと世の中を知って欲しいと思った。

もう一つ。先日、市長のLRTの構想なるものが披露されたそうで、概要程度しか分からないが、それだけで論外だと思った。(下野新聞web版の見出しと本文の冒頭)

宇都宮LRTで朝食、カクテルを・・・佐藤市長が構想披露 運賃は初乗り150円、上限400円程度 帝京大でシンポ

【宇都宮】車両には朝食がとれる専用車両や、仕事帰りはカクテル列車にも-。

苦笑せざるを得ない。「本気(マジ)ですか?」と聞きたい。まあ、本当に朝食を食べる人がいればいいけどね。そもそも、そんな車両を繋いで、ラッシュ時の輸送能力が余ると考えているのだろうか? 余るのだったら、LRTに乗る人は少ないと考えているのではないか。カクテルって、何時間の運行予定かな? (総延長は100kmくらいはあるんだよね?) 彼の本気度とか、常識のレベルが分かる。

それで、僕は基本的に人の経歴にはこだわらない(今とか結果が重要)ことにしているのだが、この人はどういう経歴なのか、すごく興味が出て調べた。そうしたら、市長になる前は政治経験はなかったようだ。1984年から2004年まで延々と、親から継いだ会社の社長をやっていて、それから市長になったようだ。やっぱり、もっと世の中を知って欲しいと思った。

(12/20 7:17 若干加筆)

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