Archive for 1月, 2017

近頃は、彼女の名前の日本語表記は、「マリア・ジョアン・ピレシュ」が正しいことになったようだ。決まったのなら、なるべく正しい名前で呼びたいが、慣れもあって、なかなか難しい。年配の方が、周波数を"Hz"でなく、「サイクル」と呼ぶ気持ちが分かった。

それはともかく、正月にYouTubeで彼女のピアノ協奏曲を聴いてから、結構好きになってしまったようで、気付いたらCDボックスを3種も買っていた。初めてモーツァルトのピアノソナタ全集を聴いた時は好きじゃなかったのに、偉い変わりようだ。そして、昨夜、それら(ジルベルシュテインと菓子折り、いや、カシオーリも含めて)が一気に届いた。

今回買ったのは以下である。3組目(HMVでキャンセルされたもの)は、通常のアルバムが5組、セットになっていた。

  1. モーツァルト: ピアノ協奏曲集 (1978, エラート)
  2. モーツァルト: ピアノソナタ集 (1989-1991, DG)
  3. DGでの協奏曲全集 (1993-2012, DG)
    • ショパン: ピアノ協奏曲 第1, 2番 (1998, 1994)
    • モーツァルト: ピアノ協奏曲 第14番, 第26番 「戴冠式」 (1993)
    • モーツァルト: ピアノ協奏曲 第17, 21番 (1995)
    • モーツァルト: ピアノ協奏曲 第23番、シューマン:ピアノ協奏曲 (2007, 2000)
    • モーツァルト: ピアノ協奏曲 第27, 20番 (2012)

左から: DG盤 (協奏曲)、DG盤 (ソナタ)、エラート盤

取り込みながら何曲か聴いたので、その感想を書こうと思ったのだが、PCに取り込んだだけで疲れてしまったので、後にする。さすがに、3組16枚を取り込むのは疲れる。約6時間掛かった。途中に昼食や散歩の時間があったから正味4.5時間くらいだが、一仕事だった。

それというのも、それぞれのCDが高速に取り込めて、CD情報が正確にCDDBに入っていればいいのだが、全然そうでないからだ。取り込みに30分くらい掛かるものがあるから時間が掛かるし、情報が間違っていたり不足していることがほとんどなので、1枚・1曲ごとに修正が必要だ。

そういう手間があるし、収納もかさばるので、MP3(ダウンロード版)にしたかったのだが、例のデッカ事件があったので止めた。要は、ダウンロード版をマスタリングする人が音楽を分かってない(ことがある)からだ。今回のDGはデッカ事件の張本人のユニバーサルグループだし、エラートだって、ワーナーグループだから期待できない(実際、ここもジャズとクラシックの制作が同じ"Warner Classic & Jazz"だ。西洋でも、こういう十把一絡げ的な扱いが許されるのか!?)。

次に、今日聴いた曲を列挙する。

  1. モーツァルト ピアノ協奏曲 第20番 (1978)
  2. モーツァルト ピアノ協奏曲 第27番 (1978)
  3. モーツァルト ピアノ協奏曲 第23番 (1978)
  4. モーツァルト ピアノ協奏曲 第21番 (1978)
  5. モーツァルト ピアノ協奏曲 第26番 (1978)
  6. (ショパン ピアノ協奏曲 第2番 (1994))

僕は、モーツァルトは、選べるのなら、短調のピアノ協奏曲から聴く。その次は27番だ。そこらへんを聴けば、その人が分かるような気がするのだ。それで気に入ったら、23番を聴く。だから、今日もまず、20, 24番を聴きたかった。が、なぜか、彼女は24番のアルバムを出していない。苦手なのか嫌いなのか。

実は、モーツァルトの21番辺りで感覚が麻痺してしまったので、ショパンで気分を変えようと思ったのだが、疲れ果てていたようで、前奏部でピアノが出る前に止(や)めてしまった。

一言感想を書けば、今日聴いた、彼女が若い頃のモーツァルトは素晴らしい。「最高に好き」とは言えないけど、かなりいい。「馴染み」と言える。ゼルキンや内田と比較し得ると思う。ただ、23番だけは、やっぱりポリーニとベームのが最高だ。

あと一つ。彼女の音はパラパラしているようだ。あえて滑らかにし過ぎず、すごく短い無音を入れているようだ。基本的には小気味良いし、切り過ぎてブチブチしている訳ではないから、大抵はいいと思うのだが、モーツァルトの23番(特に第3楽章)には(僕のイメージ的には)ちょっと合わない気がした。ただ、今考えると、意識的にそうして切っているのだから、かなり技術力が高いのだろうと思う。

最後になるが、モーツァルトの20番の第2楽章の冒頭は、凄過ぎて寒気がした。そして、中盤でなぜか涙が出た。単なる疲れのせいかも知れないが、今までそんなことはなかったので、全く不思議だった。ただ、次以降はもうない気がする。

(21:07 わずかに修正)

 

PS. そんなわけで、本来今日やろうとしていたことは何一つできず、すべて延期した。。。(18:35)

PS2. ピアノ協奏曲の印象についてであるが、外れることは多いものの、前奏を聴くと、ピアノの演奏も大体その方向になっていて、全体の印象を想像できることがある。だから、最初の1-2分で、ピアノが出る前でも、「これはすごい!」とか思うことがある。でも、聴き進めると、段々アラみたいなのが出てくることがある。そのアラが少ないのが、本当に凄い演奏なのだろう。

そういう意味では、全体の進め方を決める指揮者は重要なのだろうし、ソリストもその指揮者の意見とぶつかり合いながら、自分の表現をしようとしているのだろう。アラは、それがうまく行かなかった時なのかも知れない。(21:24)

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「展覧会の絵」

ジルベルシュテイン(ジルベルシュタイン)はこの曲を2回録音しているようで、これは新しい方だ。最初のはDGで1990年代だったが、これはマイナーなレーベルである。

昨日届いたのを、その夜に聴いた。今は2回目である。最初はラフマニノフのピアノソロ曲(「6つの楽興の時」)なのだが、やっぱり苦手だ。でも、演奏としては悪くない感じだ。この曲、確か他の演奏者でも持っていた気がしたが、調べたらポンティの演奏で別の曲だった。

最初は、正統派でいい感じだと思った。感情を抑えた感じで、激し過ぎないようだ。熱くなり過ぎるよりはいいとは思うのだが、そのために、最初の「プロムナード」から「小人」に移る時に、期待するもの(劇的な変化)がなくて、ちょっと拍子抜けした。でも、ピアノの音はいい。

2回目に聴くと、リヒテルのような緊迫感を感じさせないのが、物足りない原因だと感じた。「迫力に欠ける」というのか。それは、音に重みがないからではないか。迫力は、最後の曲辺りでようやく感じられる程度だ。音は綺麗なのだが・・・ 残念だ。

彼女は、ライブ(ラフマニノフのピアノ協奏曲。1994年頃のNHK TV)はとても良かったのだが、CDはそうでもなかった(やっぱり何か物足りなくて、大好きな演奏にはなっていない)から、録音は苦手なのかも知れない。

カシオーリ

このアルバムを買った目的の「トッカータとフーガ」は、原曲がパイプオルガンなので、それをピアノでどう弾くのか、興味があった。聴くと、やっぱり、ピアノだと音がシンプルになるので、最初はちょっと(あの印象的な出だしは特に)物足りない感じだったが、聴き進めるにつれて馴染んで来て、スケールを感じさせて、なかなかいい感じだった。

断然ピアノ好きの僕としては、ピアノはオルガンと違い、音ごとに強弱が付けられて、ダンパーペダルで音を減衰させながら伸ばしたり、響かせたりすることができるので、この曲でもそれが好ましく聞こえる。

が、以降は、知らない曲が多いせいか、段々飽きてくる。それでも、バッハのコラールは美しいし(平均律などに、似たような雰囲気の曲があるようだ)、時々おもしろい曲が入っているのがいい。ベートーヴェンの「トルコ行進曲」や、ファリャの「火祭の踊り」とか。初めてのような、聴いたことあるような。

最後のプロコフィエフの「悪魔的暗示」は、すごいような、あっさりしているような、妙な感じだった。何となく物足りない。。。でも、音は綺麗だった。

「トッカータとフーガ」を試聴したくてYouTubeを探したがなかったので、このアルバムの曲ではないが、彼のモーツァルトの曲(K. 333と466)を聴いたのだが、音が柔らか過ぎたり、演奏の細かいところ(演奏者が変えるフレーズ)が好みと違っていた。特に、K. 333は冒頭から駄目だった。

購入の経緯

先日、ジルベルシュテインのことを思い出して、「くるみ割り人形」のアルバムを探していたら、「展覧会の絵」も見つかったので、欲しい物リストに入れておき、他のアルバムと一緒に注文したのだが、海外からの発送のため、他より遅れて昨日届いた。それでも、予定より数日早く届いたので良かった。

そして、近頃、Haruさんにカシオーリのこのアルバムをご紹介頂いた。その中の、ピアノ版の「トッカータとフーガ」がおもしろそうだったので、欲しい物リストに入れておいた。それから、彼の顔は僕にちょっと似ているので(自分ではそれほどでもないと思うのだが、10年(20年?)くらい前に、おじが、ハリーポッターの少年と僕が良く似ていると言っていて、その少年とカシオーリが似ているので、きっと似ているのだと思う)、ちょっと親近感が湧いていた。その後、結構前にHMVに注文していた、ピリスのボックス数組のうち1組が「廃盤」(そのボックスはHMVの方が随分安かったのだが、数量限定だったのか?)のためにキャンセルとなったので、Amazonに注文し直すのと一緒に注文したのが、昨夜届いた。

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覚えている方はまず居ないと思うが、数年前から続いている、右奥歯の治療。しばらく小康状態だったのだが、年末くらいから、噛むと痛むし、冷たいものもしみるようになった。それで歯科に行ったのだが、相変わらず原因が分からないようで、清掃をしたり、何とかの一つ覚えのように歯茎に消毒薬を塗って誤魔化していた。さすがに

だめだこりゃ

になって(論理的に考えれば、仮に歯茎だったら、噛まなくたって痛むはずじゃないか? それに、歯茎はほぼ垂直で、噛むのも垂直方向だから、噛んだって力は加わらないはずで、痛む契機にならない。だから全く信用できない)、CTのある歯科を探した。近くに何軒かあるのだが、大抵は「インプラント」を標榜している(僕はする気はないし、そういうのは金目当てだと思う)ところで、全然行く気がしない。ただ、少し遠い(車で約30分)ところに、そうでないところがあった。

そこはwebで問い合わせもできるので、症状や経緯を書いて、CTを使うなどして原因を調べることは可能か聞いたら、若干つっけんどんな印象ではあったが、ちゃんと院長から回答が来た。原因となる可能性を列挙し、希望すればCTも可能ということだった。それで、本当に「インプラント」と書いてないか下見に行ったところ、「一般歯科」が先頭に書いてあって「イ」の字もなかったので、予約して今日行って来た。

総合的な印象は、「ちょっと気になるところはあるが、今までのところよりはずっといい」である。

一番嫌だったのは、騒がしいのと慌ただしいところだ。子どもが大声で叫びながら走り回るとかでなく、音楽が少しうるさかった。クラシック音楽で、K. 545なんてのも掛かって(でも第1楽章だけ)、それなりに乗れたのだが、音量が少し大きい。おそらく、治療や会話の音を隠すためか、院長が音楽にあまり関心がないのだろう。あと、何となく院内が慌ただしかった。患者が多くて、忙しいのだろう。

Webには「個室で診察」と書かれていて、保険診療でそれができるとは信じられなかったのだが、実際には背の高いパーティションだった。だから、それに期待しなかったのは正解だった。

でも、それ以外は、ちゃんとしている印象だ。例えば、スタッフの一覧があり、歯科医と歯科衛生士が何人も居る。更に、技工士まで居る。もちろん、CTがあるのはポイントが高い。

それで、診察もちゃんとしていた。担当の歯科医によれば、レントゲンを見る限り、歯の根の膿みや根管治療が不十分な可能性は少なく、神経が残っている可能性も低く(心配する人が多いが、それが問題になったことはまずないとのこと)、歯根膜炎(長く被せ物をしておらず、その歯が余り使われなかったため、膜が噛んだ時の刺激に弱くなっている可能性がある)か、歯の割れの可能性があるとのこと。

今までのところとは偉い違いだ。今までの所では、上のような可能性すら提示されなかった。痛みが続いていた時、一度「大学病院に行けば、根を切り開いて云々(でんでんじゃないよw)」などと言っていたが、その後はひたすら、根管の薬の入れ替えや歯茎への薬の塗布に徹していた。そういうことを言われたら、こっちも大学病院でとは言い出しにくい。

今度のところだって、まだレントゲンしか見ていないので確定はできないが、こっちは、まずは痛みの原因を知りたいので、いろいろな可能性の説明を受ければ、少しは納得できる。

それで、CTを撮れば原因はすぐに分かるとのことで、撮ってもらった。意外だったのは、すぐに撮影はされずに結構待ったことと、その日には結果が分からないことで、来週、説明を聞きに行く。それを見てから治療方針を考えましょうとのことで、とても安心できて、納得いく対応だった。

あと、CTは保険が効かないだろうから、今日は2万円くらい掛かるのかと思って身構えていたのだが、全部で3千円程度だったので拍子抜けした。もしかしたら、次回に払うのかも知れないが、そんなことをしたら払わないで止めてしまう人もいるだろうし、「保険は効きません」とは言ってなかったので、まず大丈夫だろう。

ちょっとした欠点はあるが、いいところだと思う。そもそも、まともな歯科でCTがあるところは少ないのだから、贅沢は言ってられない。もっと早く調べれば良かった。昼休み後、今日行く予定だった、前の歯科をキャンセルしよう。

それで、ようやく言いたかったことになる。前の歯科医は、きっと、原因が分からず、どうしたものかと思って困っていたのだろう。それならば、さっさと別の所を紹介して自分の手から離して楽になれば、お互いに気分がいいのに、人がいいからできなかったのではないか。まあ、人がいいと言うよりは、優柔不断というのが適切だ。こういう時って、いくら人が良くたって全然意味がないと思う。しかも、長期間漫然と意味のない治療を続けるのでは、ヤブ医者としか言いようがない。技術(腕)は悪くないのに、もったいないと思う。診断に必要な機器がないのは仕方ないのだから、あるところを紹介して欲しかった。

もう少し書くと、21世紀の日本でも、まだ竹槍戦法なんだなということだ。精神力や勘では何も解決しないのが分かっていても、なぜか、少しでもいい(確実な)方法を試そうとせず、なかったことにして安穏としている。全く理解不能でイライラする。

最後に、前のところに幻滅したことがもう一個ある。医者や衛生士(、おそらく助手も)は、感染防止にゴム手袋をしているのだが、患者ごとに替えていないのだ。前回、偶然、タオルでちょっと拭いて済ませているのを見てしまった。やっぱりお金の問題なのだろうが、単なるポーズだけの手袋なんて、論外だ。何のためにするのか、誰も考えていないのだろう。今度のところもどうかは分からないが、まあ、あれよりひどくはないだろう。

 

PS. 最初に歯の状態を診てくれた、ぶすっとした女性が医者かと思ったら、衛生士さんだった。名乗りもしなかったので、「うーむ」と思っていたら、その後に、本物の先生が来た。歯を清掃してくれた衛生士さんは、綺麗だけどちょっと冷たい感じだった。親知らずの奥は磨きにくいので、閉じ気味にした口の横から歯ブラシを入れて磨く必要があるそうだ。あと、歯垢が溜まっているので、フロスや歯間ブラシを使うようにとのこと。良く言われることで、「はい」とは言ったが、面倒だ・・・

PS2. 帰宅したら、今度越してくる家の奥さんが、駐車場で挨拶してくれた。随分丁寧でにこやかで、「小さいこどもが居るからうるさいかも」とか言っていたので、「やっぱり田舎のいいところかな」と、なんか気分が良くなった。前に住んでいたDQNぽい家族とは偉い違いだ。あと、ヨドバシで物を買ったのだが、形状(厚さ)から、本当に郵便受けに入るのかなと思いつつ、ゆうメールにしたのだが、やっぱり入らなかったようだ。まあ、今夜受け取るから問題ない。

(20:46 若干加筆)

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先日、長年使ってきた無印良品のカップにひびが入ってしまった。まだ中身は漏れないようではあるが、幅が結構広いし、上から下までなので、もう使えない感じだ。

どうしてなのか心当たりがないのだが、洗ってカゴに入れた時に、別の物に載せたのが落ちたか(といっても5cmくらい)、寒い朝に熱湯を注いだせいか。

シンプルなデザインが気に入っていた(その割には乱雑に扱っていたが)のだが、もう20年前後も使ってきたので、寿命は全うしただろう。ちなみに、一緒に買ったティーポットは、渋がすごいながらも健在である。でも、近頃は紅茶もお茶も淹れることがない。関係ないけど、コーヒーも淹れない。

いつ買ったかが定かでないのだが、横浜に住んでいた時に、たまたま遊びに来ていた妹と街に遊びに行った時に買ったか、市川に越した時に近くの西友で買ったかだ。市川の頃は、その西友に入っていた無印のお店で、ベッドや本棚など、いろいろ揃えたものだ。そのベッドも本棚も、まだ健在だ。ベッドは、寝る板が折れないかちょっと怖いけど。

2個一緒に買ったので、片割れが実家にないか母にメールで聞いたのだが、まだ返事がない。でも、それも前に割ってしまった気がするが、定かでない・・・ それで、まだ代わりを買っていないので、たまに暖かい飲み物を飲もうとしても、飲めない。

実家にあったそうなので、今日、引き取りに。まあ、スーパーで安いのを買う方が安上がりなのだろうが、やっぱり、少しでも気に入ったものを使いたいので。(13:11)

さっき持って来た。他にも、ちょっと気に入っていたのをいくつか持って来た。

片割れは母が洗ってくれていたのか、綺麗だった。また十年くらいは、お世話になりたい。

写真マグは、最初の会社の時に、取引先のキャンペーンで、実家の猫の写真を焼いてもらった。写真を送ってから随分経っても届かなかったので、文句を言ったのを覚えている。色が悪いのは、元々である。当時はデジカメなどなくて、手元にあって焼いて欲しかった写真は、このように写りの悪いものだった。

東大寺のと奈良のは、2005年11月に奈良・京都にドライブに行った時に買った。(19:52)

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僕は自分は優秀だとは思っていないが、先日、題に書いたことを実感した。

仕事で、昔作ったシステムを使う案件で、例によって、あの上司がひどいポカをしていた。その案件では、ある仕様が追加になっていて、そのシステムはそれに対応していないので、「何とか」する必要が出た。締め切り前なので超短期間に・・・ 何か月も前に受注していたのに、上司はずっと連絡して来なくて、納期直前になってようやく依頼してきたのだ。悪気などではなく、いつものようにキューの底で腐敗させていて忘れたのだろうが、さすがに殺したくなった。

でも、その時はなぜかブチ切れず、「そうですか。じゃあ、まあ、とりあえず工数を検討します(でも、納期に間に合わせるつもりは全然ないから、覚悟しておけよ!)」などと諦め気分で言って、やり過ごした。翌日、仕方なく変更内容を考えて、システムを一緒に作った同僚とやり方について話をしていたら、突然、それまでの方向とは違っていて、「ちゃぶ台返し」ではあるが、とても簡単に対応できそうな案が閃いた。

それで、とりあえず試してみようということになって、やってみたら、みごとに動いたのである。しかも、僕の部分は全く変更なしで! まあ、それだけで完結する訳ではなく、追加仕様をサポートするための、ちょっとした追加は要るのだが、核心部分は作る前にできていたのだ。だから、僕らが作ったシステムは、作る時には全く意識していなかったのだが、非常に柔軟だったということになる。その追加仕様は「逆の想定外だった」とでもいうのか。こういうことは、いつもではないが、たまにはある。優秀な人は、いつもそうなんだろうと思う。

これを上司に報告した時は、彼の鼻を明かした気分で、大変溜飲が下がった。そして、依頼された時にブチ切れなくて良かったと思った。

余談: 「ザクとは違うのだよ、ザクとは!」と思ったのは、残念ながら、その時でなく今である。

ここからが本題で、もし、システムが(良くある話だが)「ガチガチ」で全く柔軟でないものだったら、上のように一瞬では対応できず、1か月とかの工数になっただろう。僕らはフリーじゃないから、工数(工期)が長くても短くても、直接の損得はない(会社や偉い人としては別だし、残業する人にとっては手取りは減るし、評価には関係するだろうが)。でも、フリーのプログラマーだったら、大変な損になってしまう。1か月分のお金が数日分になってしまい、下手したら、「あ、そのまま動くんですか。じゃあいいです」とか「じゃあ、ちょっと直してもらえます?」のようになって、タダ働きになるだろう。

僕らにしたって、こういう「おいしい話」が多いと、上司は更に油断して、もっとひどいことになりそうだから、やっぱり損する気がする。

おかしい。いい物を作ったのに損をするなんて、全くおかしい。

だから、Micros*ftだのAppl*など(いや、日本の有名大手ソフト会社、例えば、あの素晴らしいマイナンバーシステムを構築して大好評の所の方がひどいが)、あるいはそこで働いているフリーの人は、わざわざしょうもないものを作って、仕事を減らさないようにしているのかも知れない。というのは、だいたい半分くらい冗談である。

後日談:

核心部分自体は問題なかったのだが、最終的には、追加仕様をサポートするために、核心部分もわずかに直す必要があった。調査した時は無変更でいいと思っていたのに、念のために最終的な動作確認を進めるうちに気付いたので、ちょっとがっかりした。そして、急いでその対応をする羽目になって疲れた。やっぱり、まだまだ詰めが甘いと思った。でも、確認しておいて良かった。自分で作ったプログラムだけど、何が起こるか分からないものだ。

きっと、すごいプログラマーは、こんな修正すら不要なのを作るんだろうな・・・ (1/28 5:11)

 

PS. こういうのって、プログラミングのセンスとか常識とか経験の問題だと思う。それらを持った人は、無意識のうちに柔軟性のある方式で設計したり作ったりするから、こういうことが起こるのだろう。だが、子どもの頃からプログラミングを教えることが、これに寄与するかと聞かれると、僕は「余り期待できない」と答えるだろう。

理由はいろいろあるけど、まず、先生はそんなの持ってないし、意識もないだろうから、まず教えられないし。。。

PS2. もし学校でプログラミングを教えるとして、その「採点」はどうなるのだろう? 漢字や算数みたいに、ガチガチに正答どおりでないと×になるのだろうか? 例えば、インデントがタブでないとか、空白の数が多いとか足りないとかは減点なのだろうか? あるいは、処理の順序が(動作に全く問題はないけど)「正答」の逆な箇所があったら駄目とか。それから、1ドットでもウインドウの位置がずれていたら駄目とか。。。結構悪夢の予感。(1/28 5:09)

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先週末に、gmusicbrowser (GMB)に、デスクトップウィジェットのアルバムアートを押すと、メインウインドウをアイコンにしたり戻したりする機能を付けた。GMBは、メインウインドウを閉じた時に、タスクトレイに最小化(アイコンにする)できるのだが、タスクトレイアイコンが小さくて押しにくいので、もっと楽に操作したかったのだ。

実装は意外に難航した。普通に最小化したのでなく、タスクトレイに最小化したのを復帰させると、その前より幅が広くなるという問題が解決できなかった。それで、普通に最小化した時にしか復帰できないようにした。

そして、今朝気付いた。実際には、GMBをタスクトレイに最小化しない設定にして(その時は間違って閉じないように注意する必要がある)、普通のアイコン(小さくない)で操作すれば充分だし、その方が操作が一貫している。あるいは、メインウインドウを閉じた時に、タスクトレイでなく普通に最小化するように変更するほうが、ずっと簡単だったような気がする。それに、今気付いたが、この機能では、アルバムアートがない場合は操作できないという欠点がある。

本当の問題は、「タスクトレイアイコンが小さくて押しにくい」というだけのことだったのだから、何か押しやすいものがあれば良かった訳で、それは(既にある)普通のアイコンそのものなので、苦労して新しい機能を作らなくても良かったのだ。

まあ、折角作ったのだから戻さないでおこう。そして、後で、幅が広くなる問題を解決したい。これは、GMBの起動時にも起こることがあるので、何かがおかしいようだ。

そして、物でもソフトでもシステムでも世の中の仕組みでも、安易にいろいろな機能や施策を追加しがちだが、その前に、本当の問題をもっと良く考えた方が、複雑にならず、コストも掛からず、新たな問題も生まれないのだろうと思う。とは言え、安易に見えるけど、実際には、多くの「頭のいい」人たちがいろいろ考えた末におかしくなってしまうことも多々あるので、なかなか難しい。

PS. 世の中の仕組みなどは、実際には、「いろいろ考える」方向が意図的に異なっていて、本当の問題は分かっているけど、根本から解決する気は毛頭なく、「頭のいい」人たちの都合のいいように「解決しようとしている振り」をするように見せて、みんなを欺いていることが多い気がする。

PS2. 本題のGMBだが、昨夜、メインウインドウの閉じるボタンを押した時に、タスクトレイでなくアイコンに最小化することができるように変更した。また、閉じた時の動作設定に、従来の動作(閉じた時にタスクトレイに最小化または終了)に加えて、アイコンに最小化する動作も追加して選択できるようにした。これで、間違って閉じるを押して終了することもないし、ウィジェットでもアイコンでも押せば復帰できるから、操作も統一できた。(1/25 4:47)

設定ウインドウの追加した部分

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このブログサーバーのOSは、かなり古い。まだサポート期間内だが、もうすぐ切れる。それで、そろそろ最新版に更新しようかと思っている。それで、昨日、手順や起こりうる問題などを考えたり検索したりしていたら、思わぬ新機軸が見つかり、それまでの考えとは全く違う方向に行く(暫定の)結論になった。

まず、コンセプトや目指すところは、それまでの「現状維持」(単に今のOSを更新する)から、以下になった。

  • 管理の手間を減らす。
    • 毎月のようにPHPを更新(ソースからビルド)しているが、もう止めたくなった。
    • Webサーバの更新も、頻度は低いが、やっぱり面倒。
  • ブログの高速化 : 遅くても問題はないが、速い方が気持ちいい。

手段としてはKUSANAGIというシステムに移行する。

実際には、使っているサーバー会社のサポートするOSのページを見たら、KUSANAGIもサポートしているのを知り、それ(以前見たことがあるのだが)を使えばブログ(WordPress)を劇的に高速化できそうなことに気付いた。しかも、WordPressの環境が最初から全部構築されているので、PHPやwebサーバーなどの更新は自動で行われそうだし(そうでなくても更新のコマンドを実行するだけだろう)、Let's encryptのSSL証明書のサポートも入っているようなので、管理の手間がかなり減りそうなことが分かった。

KUSANAGIでは、副次的ではあるが、セキュリティの強化も期待できそうだ(少なくとも今よりは良くなりそうだし、自分でセキュリティに配慮する負担は減るだろう)。更に、新しいLinuxの勉強もできそうだ(というか、しなくてはならない)。というのは、サーバー会社が提供するKUSANAGIはCentOSで動くのだが、(それは今と同じLinuxではあるが、)系統が違うので、管理方法や操作が若干異なる。でも、仕事で使いそうだし、覚えておいて損はないと思う。また、CentOSはサポート期間が10年と長いのが魅力的だ(今のは5年程度)。

次に、移行手順だが、今使っているサーバーをいきなりKUSANAGIに変えることは無理だし危険だし苦労が多いので、そうはせず、「軟着陸」させる。

実際には、今のOSを更新するだけと考えていた時から、直接更新せずに一旦別のサーバーを借りて、そこで動作確認してから移行することを考えていた。それで、サーバー会社のページでKUSANAGIを見つけたのである。

移行手順は以下を考えている。

  1. 移行先のサーバーを借りる。(OS=KUSANAGIで設定)
  2. 新サーバーに、仮のドメイン名を付ける。(サーバー会社が提供するのが使える?)
  3. 新サーバーに、今のサーバーのコンテンツなどをコピーする。
  4. しばらく(3か月以内を目標)、動作確認と調整を行う。
  5. 新旧サーバーの切り替え
    1. 新旧サーバーのwebサーバーを停止する。
    2. 新サーバーのコンテンツを最新にする。
    3. 新サーバーのドメイン名を今のに変える。
    4. 新サーバーのwebサーバーを起動する。
  6. 仮のドメイン名の契約を終了する。
  7. 新サーバーの安定動作を確認後(3か月程度)、旧サーバーの契約を終了する。

移行期間は長くて半年程度と考えているので、コストは1万円未満(新旧サーバーの重複期間の使用料+仮ドメイン名の費用)だろう。

懸念事項は以下である。

  • KUSANAGIに致命的な問題がないか? → 出てからしばらく経っているので、大丈夫では?
  • いつまでKUSANAGIが続くか? → 終わったらまた考える。どうせ、後継が出てくるだろう。
  • 今使っているWordPressの機能・設定・プラグインが全部動くか。→ 駄目な時は代替を探す。
  • PHPが高速版(HHVM)に置き換わるが、他のPHPのプログラムが問題なく動くか。→ 動作確認して、調整する。それでも駄目なら、HHVMを使わない。
  • 自分で追加した機能がうまく移行できるか。→ 同等のものがKUSANAGIにあればそれを使い、なければ自分のを動かす。
  • HHVMがFacebook製なのが気に入らない。→ MSよりはマシなので、我慢する。
  • "KUSANAGI"とか"HHVM" (Hip Hop VM)とか、名前が気に入らない。KUSANAGIのキャラも気に入らない。→ 我慢する。
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猫には目がない。あるけど僕はない。

そして、猫の手には妙にひかれる。棒のような外観なのに、実際には毛がふさふさしていて手触りが良く、肉球は実に柔らかく、不意に手首がくねっと曲がったりする。しかも、動きは意外に速いし、思わぬところから飛び出て来ることもある。更に、油断していると引っ掛かれることすらある。全く、得体の知れない物である。

昔、猫ニャンぼーというおもちゃがあったが、それには大変興奮した(数年前にリバイバルしたそうだ)。当時、帰省した時に、妹(信仰・音楽問題とは別の人)が買って持っていたのを見て、「でかした!」とうれしくなった。そして近頃、偶然同時にお三方のブログに猫の手が出ていたので、ぐっと来てしまった。

marutenmamaさんの「テンスケの手」と、あずきのばあばさんの「疲れるお相手」と、カノママさんの「発信器付きコウノトリ」である。

marutenmamaさんのテンくんの手は、「まさにこれ!!」であり、「藪から猫の手」だ。これだけでご飯が十杯はいける。良くこんないいタイミングで写せたと思う。僕だったら、つい、肉球を指で触ろうとして(しかも、触れる直前に引っ込められて)、撮る機会を失うだろう。

ところで、僕は黒猫が大好きで、その次はさび猫なのだが、彼女のところのマルちゃんがなかなか可愛いくて、あんな顔と目で見つめられたら、その信念が揺らぎそうになる。きっと、若いのと性格が柔和だからなのではないだろうか。

あずきのばあばさんのまめちゃんの手は、実にうらやましい。こんなことをしてもらったら、うれしく楽しくなって、何回でもやって欲しくなってせがむだろう。例え、はずみで引っ掛かれたとしても、全く許せる。

そして、カノママさんのカノンちゃんの手は、「これなんだよねー」だ。猫が、こうやって訳もなく手をぴんと伸ばして寝ているのを見ると、その時にやっていたことなんてすっかり忘れて、ついいたずらしたくなる。彼猫はそれを狙っているのではないかと思う。

(という訳で、忙しいのではなく、単なる猫バカの思いでした。)

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近頃、妹と音楽に関係してメールをやり取りしていたのだが、今日、ひょんなことからとんでもないことを知ってしまった。彼女とは、音楽に向かう姿勢(あるいは指向というのか)が、全く・根本的に違うのである。

彼女のメールに書かれていたことを読んで、かなり困惑した。「こういう風に音楽を捉える人も居るのか。しかも(妹)が・・・」という感じだった。それへの返事をどう書くか、あるいは、書かないで済ませるか、迷っている。

僕の意見をそのまま返信したら、とんでもないことになりそうだ。一方、彼女はここは読んでいないだろうから、ここに考えをまとめるのはいい考えだと思うのだが、彼女の考えには宗教が絡んでいるので、いつものように貶すことは適切でない。ならば、非公開の日記に書いておけばいいのではあるが、どうしても自分の考えを述べたいので、可能な範囲でここに書いてみる。

僕と妹の、音楽に関する相違:

  • 妹: 信仰のない音楽は無価値
  • 僕: 音楽は信仰(宗教)とは独立。美しい音楽はそれだけで尊い。

音楽史は全く詳しくないが、かなり昔は、音楽(ここでは西洋音楽)と宗教(ここではキリスト教)は密接に関係していたのだろう。発端は宗教だったのかも知れない。だから、その頃の音楽や教会用の音楽については、宗教的な背景を理解して演奏する必要があることは分かる。が、信仰心がない演奏に「価値がない」と言い切られたら、かなり頭に来る。

例えば、(想像だが)モーツァルトのレクイエムなんて、彼女にとっては全くの無価値・無意味な曲・演奏に聞こえるのだろう。あるいは、無宗教の人や他の宗教の人が演奏するその頃の曲は、価値がないのか。

断じて違う。

確かに、その宗教を信仰していない人の演奏は、信仰している人に比べて良くない可能性はある。それは、「日本人は西洋音楽を理解していない」と言われるのと同じことではある。が、決して価値がないとは言えない。それは音楽や演奏者を侮辱することだと思う。「下手」や「嫌い」は許されるが、「無価値」は許せない。

そもそも、演奏者の信仰心は演奏を聴いて分かるのだろうか? そうじゃないと思う。「いい演奏がいい」のであって、信仰心は関係ないと思う。この考えを進めたら、CDに演奏者の宗教歴などを書かなくちゃいけないくなるのではないか。結構恐ろしい。

今気付いたが、僕と彼女の「音楽」に求めるものとか定義が異なるのだろう。彼女は芸術としての音楽を求めているのではなく、教会で使う「道具」を求めているのだろう。だから、相容れなくて当たり前なのだ。

言うまでもなく、音楽は芸術なので、特定の宗教に依存せず、単体で存在し、それ自体で評価されるものだと思う。誰が聴いたって分かるものなのだ。教会用音楽だって同じだ。音楽として良いものも良くないものもあるはずだ。芸術家は、いい曲を作ろうと努力し、いい演奏をしようと努力している。その根源に宗教がある人は居るだろうし、そうでなく、音楽自体を信じている人も居るはずだ。

書いていたら、また頭に来てしまった。。。返事は出さない方が良さそうだ。

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Wi-Fiルーターを交換した頃から、時々、PCを休止する時にハングするようになった。休止とルーターは全く関係ないと思うのだが、妙な符合である。古いルーターは壊れてしまったので、元の環境では試せないから、全く関係ないともいえない。

結論としては、解決していない。今日、休止時にPCの電源を完全に切るようにLinuxを設定して(/etc/pm/config.d/hibernate_modeにHIBERNATE_MODE="shutdown"と書く)、様子を見ようとしている。これだとキーボードを押しても復帰せず、毎回電源ボタンを押す必要があるが、ハングするよりはマシだと思う。

他に、休止でなくスタンバイ(スリープ)にするという手もある(Linuxでは、デフォルトでは休止は無効になっており、こちらが推奨されている。Linux Mintだけが休止を有効にしている)のだが、停電とか間違って電源を落としたりした時に保存した状態が失われるので、避けたい。

ハングした時、pm-suspendのログでは最後まで成功したように書いてあるし、ホットキー(Alt+PrintScreen+R+S+E+I+U+O: 下線を押したまま、次のキーを連続して打つ)での終了・停止は可能なので、おそらく、PCを微妙なスタンバイ状態(S4?)にするのに失敗している、あるいは、何かを待ち続けているのではないかと想像している。

なお、今までに以下を試したが、効果がなかった。

  1. 休止前に、メモリ中のキャッシュやバッファを書き出す。
  2. 休止前に、ネットワークを停める。
  3. /etc/pm/sleep.d/下のスクリプトの順序を変更する。
  4. BIOSの”Memory remap feature”を無効にする。

BIOSの設定を変えた後は、しばらく(10日間くらい)大丈夫だったので、ぬか喜びしていたのだが、今日再発してしまった。理論的に考えれば、それは当たり前で、もしBIOSが原因なら、もっと頻繁に現象が起こるし、Windowsでも駄目だったはずだからだ。

結局、上記の休止時にPCの電源を切る設定は効果がなかった。設定の5日後(1/26)にハングした。そのため、休止は諦めて、スリープ(スタンバイ)を使うことにした。まだまだLinuxの休止は難しいようだ。。。(1/27 3:19)

 

PS. この問題については解決に至っていないのだが、ArchLinuxのWikiには、僕が使っているLinux Mintとは異なる場合があるながらも、さまざまな有益な情報やヒントが書いてあって、大変役立っている。

PS2. Linuxの休止からの復帰は、(体感で)Windowsの数倍速い。Windows 7の時は復帰完了を待つのにイライラしたが、Linuxだとほんの数秒で終わるから(メモリの使用量が少ないからなのかも知れない)、全然苦にならない。そういうこともあって、是非、休止をちゃんと使えるようにしたいのだ。(1/22 6:55)

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今でも、8月31日が夏休みの最後の日なのかは分からないが、その日に溜まった宿題を片付けようと焦ったり徹夜したりした人、自分だけでなく、更に親きょうだいを巻き込んだ人は多いのではないだろうか。

僕はどうだっただろう? 小学校低学年の頃は、いろいろ親に手伝ってもらった覚えがあるが、大きくなったらそれ程でもなかった気がする。でも、今回はそんなことを書くつもりはない。これはノスタルジーの稿ではない。僕と同じくらいの、いい歳をした大人についての話である。

ある所のある人は、どうしようもないグウタラだ。机にはさまざまな書類や機器がうず高く積まれており、かなり昔の電話の取り次ぎメモすら、置かれたままになっている。日々、溜まった仕事に追いまくられているのに、偉い人やお客さんから頼まれたことは、まともに考えずに引き受けて絶対に断らない。

しかも、どういう訳か、ほとんどのことは自分でやろうとして部下に回さないから、何もかもが溜まり続ける一方だ。メールへの返事なんて、1週間で来たら早い方で、数か月しても来ないことがほとんどだ。そんなメールなんて、Inboxの下で腐敗してしまって、絶対に日の目は見ない。

ただ、彼は、他人に決められた締め切りだの打ち合わせの期日だけには間に合わせようとする。それで、その日が近くなると頑張る。その時だけは、自分でできないことを部下に頼んで来る。でも、唐突に「*のデータを出してもらえますか」とか言われるので、頼まれた方は、自分の仕事を中断させられた上に、意味不明な作業をしなくてはならないので、全く迷惑としか思えない。もし、前もって、その意図や背景や締め切りなどを知らされれば、もっといい(質とか効率とか説得力とか)作業ができるかも知れないのに。。。

それから、上に書いたような期日のないものは、まず忘却の彼方に葬られる。お客さんからの要望だって例外ではない。結構大切なことなのに、催促されなければ「なかったこと」になる。まだ取引停止のような羽目にはなっていないが、彼が忘却するたびに、わずかにでも会社の信用を失っているのは確実だ。そういうことが積算されたらどうなるか、彼は想像できないのだろう。例えば、たった5%のマイナス(95%)が10回連続すると、信じられないことに、約60%(0.9510)になってしまう(自分で計算して驚いた)。そういうことを認識しないようだと、終わりだ。今終わってないのは、運がいいだけだ。

とにかく、「毎日が夏休みの最後の日状態」の彼には、周り(もしかして、僕だけ?)が迷惑している。今は無料のスケジュール・TODO管理ソフトなんていくらでもあるのに、どうして活用しないのだろうか。それを使うだけで、少なくとも、忘れなくて済むのに。おそらく、それを使おうとするのすら面倒なんだろうな。一体、何のためにスマフォだのパソコンを持っているのだろうか? 全く溜息が出る。

(1/21 6:40 わずかに加筆・修正)

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CDファイルや"Dream police"と一緒に注文したアルバムが、昼に届いていた。

早速聴くが、先に入っているラフマニノフの交響的舞曲は苦手なので、「くるみ割り人形」からにした。何となく音が少ない(編曲のせい?)感じで簡素だし、期待よりパワーが弱い感じだ。音は綺麗(ちょっと硬めではある)だけど、「さらりとした梅酒」のように、余りにもサラっとしていて、アルゲリッチに期待する「アク」がない。が、チョーヤの梅酒が添加物を使用していないのと同様、純度の高い模範的演奏ではある。物足りないのは、録音が今一つのせいかも知れない。

以前気になって、それを聴くためにこのアルバムを買ったとも言える、「花のワルツ」の特徴的なフレーズは余り滑らかでないし、盛り上がりにも欠ける。それもあって、全体的には、先日YouTubeで観たジルベルシュテインとのライブ(上のリンク先参照)の方が、熱気とか汗を感じられて良かった(実際には、果たしてこの曲に汗が合っているのかという問題はある)。それでも退屈はせず、一気に聴けた。ジルベルシュテインとのに比べて短く感じたのは、そつのない演奏だからなのだろう。

編曲者と第2ピアノのエコノム(Nicolas Economou)は、若そうなのに、既に1993年に亡くなっていた。

2015年発売だが、外装はやけに古く(10年くらい前の物のように)見えた。セロハンの質のせいか。が、PCへの取り込みは速かった。原盤はDG(ドイツ・グラモフォン)だが、日本盤はデッカ事件のユニバーサルだった。そして、ジャズとクラシックを同じ部門(「ユニバーサル クラシック&ジャズ」)で制作しているのは、なんか、「和食も中華も似たようなものでしょ」と馬鹿にされたような気分だ。

あと、DGすらユニバーサルが扱っているのなら、DGのMP3も期待出来なさそうだ。ダウンロード販売サイトはあるけど、実際にはどうなのだろうか。

PS. 交響的舞曲(第1ピアノはエコノム)はなかなかパワフルで音が鋭く、聴き応えがある。CDにはこちらが先に入っているし、実際にはメインなのかも知れないな。ただ、残念ながら、長く感じる。(17:04)

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先日、どうしてだったか、ふいに懐かしくなって欲しくなり、注文したのが昨夜届いた。一緒に他のCDやCDファイルなどを注文した。本来はCDファイルが欲しかった(デッカ事件のせいで、MP3の購入を止めてCDに戻らざるを得なくなり、これからもCDファイルが必要になりそうなので、今まで使っていたバッファローの120枚入りを2個買った。あと10年はもつだろうか?)のだと思うが、Amazonの合わせ買いの対象なので、欲しかったCDをいろいろ買った。まんまと策略に引っ掛かってしまった。

昨夜は疲れ果てていたので早く寝てしまったのだが、さっき目が覚めたので、聴くことにした。ジャケットを見ると、「さすがの猿飛」のスパイナー高校の2人(リンク先画像の数字が名前)を思い出す(が、実際には全く異なっている)。このアルバムと「さすがの―」は同じ頃に出たと思っていたが、後者が少し後だったようだ。曲目を見ると、ボーナストラックが3曲も入っていた。意外に取り込みが速かった。取り込み速度は盤質と関係あるのか、気になるところだ。

全然関係ないが、BDドライブのトレイが1-2年前から開きにくい(2-3回ボタンを押さないと駄目)のは、何が悪いのだろうか。壊れる前兆だとしたら、妹の(処分する)PCから外して持って来るのがいいかも知れない。が、外すのは面倒だし、確かATA接続だったから使えない気もする(マザーボードにATA端子はあるが、調子が悪い)。

聴くと、最初の"Dream police"はやっぱり懐かしい。が、なぜか、イントロのギターが記憶と少し違う感じだ。例えば、こっちは音を切り気味にしているが、記憶では伸ばし気味だった気がする。シングルと違うテイクなのか、今まで(コンピレーション盤に入っているものを)ちゃんと聴いていなかったのか。→ 今、元々持っていたのを聴いたら、同じ感じだった。

なぜか、少し音量が小さい。再生ゲインがアルバムモードだからか。→ 聴きやすい音量で何曲か聴いたら耳が少し痛くなったので、実際には小さくはないようだ。起き抜けで耳が本調子でないのか、ヘッドフォンで聴いているせいか。あと、何となく、音が平板的な(ダイナミックレンジが狭い)感じだ。

"Voices"や"I know what I want"も懐かしい。が、他の曲は、やっぱりすっかり忘れていた。

このレコードは、中学生の頃、確か同じ剣道部のKくんに借りた。カセットにダビングする時、A面最後の"Gonna raise hell"が長くてうまく収まらず、苦労したのを思い出した。今はそんな苦労が全くないのは便利だと思うが、何となく、情緒が失われた気もする。当時のアルバムはA/B面の区切れを意識していたものが結構あったので、アーティストや制作者の「考慮」が失われてしまっていると思う(まあ、例えばA/B面を別のアルバムやプレイリストとして登録すれば、それを復活させるのも可能ではある)。

 

PS. Amazonの宅急便のラベルの文字はかなり小さいので、高齢の作業者には厳しそうだ。

(さて、また寝るか・・・)

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黒歴史シリーズ第1弾。(確か)h.takくんのご要望があったので、書きます。黒歴史って、「武勇伝」のように、余り好まれないかも知れませんが、少しでも笑って下さる方がいるかも知れないので、書きます。ただ、ここに書ける黒歴史がどれほどあるか分からないので、シリーズといっても、すぐに終わるかも知れません。

高校生の時は無線部に入っていた(余談: 正式には物理部という名前だった。中学生の時にBCLをやっていたので、アマチュア無線には興味があったし、電子工作とかマイコンもできそうなので入った。でも、もしマイコン部があれば、入っていたと思う)。確か、2年生の時は、どうしてか、部長をしていた。そして、その学年の3月頃、3年生の送別会が開かれることになった。会では、主だった人が出し物を披露することになっていた。僕は、部長だったせいか、どうしても何かやる必要があった。

(ここまで書くと、題から大体想像がつきますねw 残りは帰宅してから書きます。)

帰宅してから、何をやるかいろいろ考えた。ギターを弾きながら歌うのがベストだと思ったが、実際には、何一つとしてまともに弾けなかったので、却下となった。

他の出し物はできなかったのか(当時は今で言う高2病で、自尊心がすごく高くて、良くあるちょっとした笑いを取れる出し物なんて、自分を低く見られそうだから論外だった。そもそも、そういうネタ自体、ロクに知らなかった。)、思いつかなかったのか、歌を歌うことにした。

何を歌うかについても悩んだ。まずは自分が好きな曲だが、みんなもある程度知ってそうな曲が良さそうだと思った(この辺りは、今でも、「カラオケの順番が回ってきたらどうしよう」と考えるのと似ている)。

いろいろな曲を考えた気がするが、最後に決めたのが、"Yesterday"であった。この曲は、当時は好きだったし(なんたってビートルズだし、最初に買った"Love songs"の最初の曲だし)、有名だからみんな知ってそうなことがポイントだった。それで、歌詞を忘れないように紙に書き写したり、何度か練習もした。

当日。順番が回ってきて、歌った。手書きの歌詞を見ながら、薬師丸ひろ子のように直立不動で、無伴奏独唱した。

歌い始めて少ししてから、選曲を誤っていたのに気付いた。曲が暗くて全然送別会に似つかわしくなかった。まるでお葬式のようではないか。今更思うが、詞だって場違いだ。それでも、当然のごとく全曲を歌った。今なら、乗りが悪かったら1番だけで終わりにするとかしそうだが、純真だった当時の僕は、そんな考えも起こらなかった(実際には止めたかったが、プライドがそれを許さかなったのかも知れない)。

まあ、とりあえず、(今のカラオケと違って)音程は余り外さなかった気がするが、歌い終わってからの周りの反応は全然覚えていない。。。みんなは、即座に「なかったこと」にしてくれたのだろう。

てなわけで、それからこの曲は、僕の黒歴史となった。今でも、聴くたびにあの苦い思い出がよみがえる。イントロのギターだけで、もう。。。

 

PS. 今これを書いていて、同じ部の友人Hくんに相談して、一緒に何かやれば良かったと思った。彼はギターを弾けた気もするし、僕よりは、軽い出し物を知ってそうだった。まあ、自分で書くのもおかしいが、当時は結構孤高な人間であった。

PS2. 今更ながら、"Hey Jude"にはしなくて良かったと思う。(スミマセン、受け狙いです。) (1/18 19:35)

(2017/1/18 7:10 後半(「帰宅してから、」以降)を記述)

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偶然の機会で、イチローとトヨタの社長の対談を観た。僕は野球もトヨタも好きじゃないので、自ら観たのではなく、半ば強制的に観させられたのだが、意外に良くて、かなり感心した。

特に、イチローの言うことは、いくつも「そうそう」と思ってうなずいていた。中でも特に共感したのは、「仕事と趣味は違う」というようなことや、チームワークの話だった。前者は、「仕事だったら、『楽しいことばかり』なんてことはない。そんな人はまだまだだ」という話で、後者は、「よく掛け声のように言われている『全員一丸となって頑張ろう』なんてのはあり得ない。違う。」のような意味だったと思う(僕の解釈で、ちょっと変わっているかも)。

余談だが、イチローが、「若い人から学ぶこともありますか?」と聞かれて、「余りないですね」と答えたのには笑った。正直だと思い、好感が持てた。そして、自分に自信を持ち、責任を負っている自覚があるのだろうと、今思った。普通は、「やっぱり、誰からも学ぶことはありますねえ」とか、優等生的なことを言うと思う。

正確な内容についてはビデオを觀て頂きたいが、やっぱり、すごいことをした人は、ありきたりなことは言わないと思った。

ところが、これを観た人たちのうちの何人かは、「最初が良く聞こえなかったので、なんとも言えない」だの、「じゃあ、Xさん(ビデオを紹介した人)はどうしたらいいと思っていますか」とか、全く的外れなことをのたまわっていたので、大変がっかりした。まあ、凡人未満の方には、偉大な人の価値は理解できないのかも知れないね! まさに豚に真珠。

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(前の投稿から転載、修正・加筆)

昨日、妹の家からの帰りに、ディーラーでノーマルタイヤの交換(寿命のため)の相談をしようと思っていたのだが、眠くてだるかったので、来月末頃のオイル交換の時に延期した。タイヤを交換する春までは長いので、延ばしても大丈夫だろうと思った。

相談の内容は、交換用タイヤの新しい候補、オールシーズンタイヤ(グッドイヤー Vector 4Seasons Hybrid)の評判や値段についてだった。

このタイヤを知ったのは、昨年末のwebのニュースや広告記事でだったと思う。オールシーズンタイヤというのはほとんど馴染みがなかったのだが、僕の住んでいる地域や使い方には最適な気がした。そして、これなら、年に2回、ノーマルとスタッドレスを交換する手間も料金も、外したタイヤの保管料も要らないし、純正タイヤ(ポテンザ)より安上がりだし、寿命などでのタイヤの交換費用が1式分に減るので、かなり経済的だと思った。それで、いろいろ調べて検討した。

まずはサイズだが、スタッドレスタイヤのサイズ(195/50R16)があるので、スタッドレス用のホイールが使える。直径は純正(195/45R17)より一回り小さくなるが、何の問題もない。実際には、タイヤ(ゴム)の厚みが約1cm増すので、逆に望ましい。純正のホイールが使えなくなってしまうが、デザインに特に思い入れはないし(「ホイールなんて飾りです(以下略)」w)、何度か擦って傷が付いているから丁度いい。純正のホイールは、タイヤを外してもらって、家で保管しよう。

最初に気になったのは以下の点で、口コミなどで検討した。

  • 性能(雪道など)
  • タイヤの減り
  • 騒音(走行音)

性能は、「悪くない」感じだった。アイスバーンや厳しい条件では弱いそうだが、そういう所はスタッドレスでも怖いから慎重に走るので、欠点ではないと思う。そもそも、この辺りで雪が降るのは年に数回しかなく、積もったままにならないし、降ったら基本的に乗らないし、ひどい場所(スキーなど)には出掛けないが、嫌でも走らざるを得ない通勤路は交通量が多いので、ひどい状況になる可能性は低く、大きな問題はなさそうだ。濡れた路面に弱いという話も読んだが、慣れの問題ではないかと思う。

減りも問題ないようだ。素材がスタッドレスより硬いからのようだ。

走行音は、車種や路面によるようで、いつもうるさいという人も居れば、そうでもない(ゆっくり走る時や荒れた路面でのみ)という人も居た。まあ、これは乗ってみないと分からないだろう。ただ、今のノーマルタイヤは決して静かではないから、それ程ひどくはならないのではなかろうか。

次に、デメリットや懸念事項と対処を考えてみた。

  • 今のスタッドレスはまだ交換時期でないので、もったいない。→ 減ってはいないが、実際には寿命が近い(今で5年目)。
  • 峠を攻められなくなる?
  • 見た目がスタッドレスみたいで、かっこ悪い。
  • 本当に栃木で大丈夫か? → 東北でも使っている人は居る。実績や評判をディーラーに聞いてみる。

峠を攻められなくなるのは残念だが、そもそも純正タイヤの限界まで使っていたのか・使っていいのかという疑問もあり、実際にはオールシーズンタイヤで「少しグリップが弱いな」とか思いながら、抑えて走る程度の方が良い気がする。

見た目はかっこ悪い。一見スタッドレスなので、「交換しない無精者」に見られたり、「あっ(察し)」になりそうだが、諦めよう。

最後に、コストを比較した。

現状を継続した場合 (ノーマル+スタッドレス): 約5.6万円/年 (タイヤ廃棄費用は除く)

  • ノーマルタイヤ代: 約12万円以上/5年程度
  • スタッドレスタイヤ代(来年頃): 10万円程度?/5年程度
  • タイヤ保管費用: 8千円/年
  • タイヤ交換費用: 4千円(2千円x2)/年
  • タイヤ廃棄費用(ノーマル、スタッドレス): 2式分/5年程度

オールシーズンタイヤにした場合: 約2.2-2.6万円/年 (タイヤ廃棄費用は除く)

  • オールシーズンタイヤ代: 約8-10万円?/5年程度
  • スタッドレスを早く交換するコスト(5年使えるのに、4年で交換するとして): 10x((5-4)/5)= 2万円
  • タイヤ廃棄費用: 1式分(交換時)+1式分/5年程度
  • 定期的なタイヤローテーション代: 2千円?/年

明らかにオールシーズンタイヤにした方が安い。仮にノーマルタイヤとオールシーズンタイヤが同じ値段だとしても、追加のスタッドレスの分(10万円程度?/5年程度+約1.2万円/年)がまるまる不要になる。

それから、今のディーラーは、グッドイヤーなら安くなると聞いたので、価格も期待できる。それ程でもなければ、交換と保管を頼んでいるタイヤ屋にも聞いてみればいい。

という訳で期待は大きいが、ディーラーで聞いた時に予想されるのは、この製品のことを知らなかったり、実績がないと言われたり、(これのことを良くは知らないけど)先入観で余りいい反応をされなかったり、「スタッドレスがまだ使えるから、もったいない」と言われることだ。それでもまあ、今のところは、そういうことにも心を揺さぶられずに推してみたいと思っている。

あと、今気付いたのは、「今の車にいつまで乗るか」ということだ。もし、次の車のタイヤのサイズが違っていて、今のホイールが入らなかったら、上のコスト計算は変わって来そうだ。が、全く未定なので、心配しても仕方ない。新しいスイフトあるいは次期スイフトスポーツなら、大丈夫そうな気がする。入らなかった場合は、乗り換える時に、オールシーズンタイヤを(おそらく寿命を残して)交換するのがもったいないだけで、その後は同じことか。

あ!オールシーズンタイヤに交換した時に純正タイヤを廃棄してしまうと、下取りに出す時にオールシーズンタイヤを付けて出す必要がある。だから、古い純正タイヤは廃棄せずにホイールと一緒に保管した方がいいのだろうか? とは言え、それは場所を取るし、古いタイヤで出すのは問題がある(無責任なことだし、下取りが安くなりそう)から、買い換える時は、オールシーズンタイヤも一緒に手放すべきなのか。「獲らぬ狸」のようだが、ちょっと悩ましいところだ。

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新年に、県内に住む下の妹から、「PCを処分するけど、返す物(欲しい物)はある?」と聞かれた。その時は「特にない」と答えたのだが、「スピーカーも?」と聞かれて思い出した。そのスピーカーは、そのPCを妹にあげる時に新しく買ったので、使うあてはないけど、もったいないから引き取ることにした。更に、ディスプレイ(これもその時まで僕が使っていた物)も予備になりそうなので、引き取ることにした。本体もちょっと迷ったが、去年友人Nにもらったのが余るほどあるし、CPUはPentium 4 (Prescott)とかなり古いので、止めておいた。

という訳で、今日、それらを引き取リに行った。ついでに、家の光回線にWi-Fiルーターを繋げたいと言っていたので、その設定もしようと思っていた。

まず、Wi-Fiルーターは、僕が使っているバッファローの同じ物を買ったので、設定方法は分かっているし、Linuxじゃないから全く問題はないと思っていた。ところが、思わぬ落とし穴があった。妹の家はひかり電話を使っていたので、光回線アダプタが単なるアダプタ(ブリッジ?)でなくてルーターになっていたのだ。

ところが、Wi-Fiルーター(の基本設定画面やマニュアル)はそんなことは想定していないので、なかなか設定できなかった。PCは片付けてしまっていたので、スマフォしか使えないのも辛かった。Wi-Fiルーターをブリッジモードにすればできると思ったのだが、なぜかインターネットのサイトには繋がらなかった。そして、思わぬ事態が発覚した。どうやら、彼女は光のプロバイダを変更してから、その接続アカウントを光ルーターに設定していなかったようで、光ルーターから先に通信できなかったようだ(ただ、ひかり電話は使えていたのが腑に落ちない)。

それで、まずは光ルーターを設定しようと思ってログインしようとしたのだが、パスワードは、マニュアルに初期値が書いてなく、最初のログイン時に設定するようになっているのに、妹もそのパスワードが分からなくなっていて、設定できない状態だった。初期化すると電話も使えなくなりそうなので、躊躇した。

などという複雑な状況を話したら、妹は弱気(というか、単に面倒?)になってしまい、「(光回線を)止める。固定電話も。」と言い出した。もったいないとは思ったが、確かに、ネットは契約しただけで1-2年間使ってなかった(全部、携帯回線のスマフォで済んでいた)そうで、解約しようとしたら、プロバイダの人に「Wi-Fiルーターを買えば便利に使える」と言われただけだし、固定電話だって、今はなくても何の問題もないのだから、それでいいと思った。

結果として、おみやげにWi-Fiルーターが増えた。同じ物を持ってはいるのだが、壊れた時に使えると思ったのだ。が、「次は別機種」と思っていたのが、しばらく(10年くらい?)は替えられないことになった。

妹から引き取ったディスプレイ、PC用スピーカー、Wi-Fiルーター

引き取ったディスプレイ(FlexScan S170)は枠が小さいから、机がすっきりしそうなので、サブディスプレイ(FlexScan M170)と交換してみた。

サブディスプレイをM170からS170に入れ替えて。

見た感じは、メインと若干色味が違う(でも、印象としては、こちらの方がシャープな感じで好ましい。パネルの質は上なのかも知れない)。sRGBにすれば合うのかも知れないが、明る過ぎる(”0%”にしてもまだ明るい)ので、カスタムモードで暗くしている。あと、今までのと違って、周囲の明るさでの画面輝度の自動調整機能がないから、夜は不便かも知れない。ちょっと使ってみて、どちらにするか決めようと思う。

部屋が明るいと、輝度の自動調整ができないS170は暗く感じるので、元のM170に戻した。(1/15 8:22)

なお、使用時間はかなり少なく、今までのは約3万時間なのに対し、引き取ったのは約4600時間だから、故障する確率は低そうだ。

 

PS. 帰りに、いつものデニーズに寄った。小泉さん(仮)と翔子ちゃん(仮)は健在だった。なぜか、翔子ちゃんは以前より大人っぽく見えた。化粧のせいなのか、室内が暑くて顔が赤っぽかったせいか。小泉さんは接客がにこやかかつ丁寧でいい。ビーフシチューは肉が柔らかくておいしかった。全部で2300円くらいだった。

PS2. 帰りにディーラーでノーマルタイヤの交換の相談をしようとも思っていたのだが、眠くてだるかったので、オイル交換の時に延期した。相談しようと思ったのは、交換用タイヤに新しい候補が出たからだ。オールシーズンタイヤ(グッドイヤー Vector 4Seasons Hybrid)にしようと思っている。これなら、ノーマルとスタッドレスを交換する手間も保管料も要らないし、純正タイヤ(ポテンザ)より安上がりなので、かなり経済的だと思うのだ。それで、ディーラーにその評判や値段を聞こうと思っていたのだ。が、まだ春までは長いので、余裕だろう。(→ 次の稿に転載、修正・加筆: 1/15 7:20)

PS3. 帰り道、猫が駐車場の塀の横で、じっと動かずにうずくまっていた。別の猫も、近所の家の窓の下でうずくまっていた。寒いのだろうか。何とも可哀想な気がしたが、どうにもならない・・・

近所の家に居た猫は同じ場所に居着いたようで、さっき見たら、芝生で暖かそうにくつろいでいた(芝生が丸く凹んですらいた)ので、ちょっと安心したが、そのまま暮らせるだろうか? 是非、お願いしたい。(1/15 9:40)

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以前も書いたのだが、ビートルズは、いとこにもらったテープ(NHK FMで掛かった、ベスト盤"1962-1966"と"1967-1970"の抜粋)が初めてだった。そして、自分で初めて買った彼らのレコードは、"Love songs"だと記憶していたのだが、先日実家から持って来た発掘物から、その証拠が出て来た。

中高生の頃に記録していた、レコード一覧である。買った時に書いたものもあるが、それ以前に買った物も、買った時期を思い出して書いていた。当時、どういう理屈にしたのか、親にタイプライターを買ってもらって、それで打ち込んでいた(タイプを使いたくなった最初の理由は、年賀状作りだったと思う。今でいう、アスキーアートだったと思う。もちろん絵は苦手なので、柄は絵じゃなくて、文字(タイプの文字を何個も打って、大きな文字にした)だった。手作りのバナーだ(でも、今はバナーの意味がすっかり変わっているな)。今思えばとんでもない無駄遣いだw)。

僕のレコード一覧(c. 1980-1985)より

最初は考えていなかったのか、タイプミスするのが嫌だったのか、行がズレるのが嫌だったのか、ビートルズのの買った時期や追加のコメントは手書きになっている(今だったら、いくらでも挿入・修正できるのに!)。今気付いたが、一覧の中で、2つのアルバムが手書きの"]"でくくってあるのは、同じカセットのA/B面に収める案だったのだろう。そして、一通りビートルズを揃えた後は、ウイングスを揃え出したようだ。他に、その頃買ったレコードで、The carsやYMOのも載っている。でも、それ以前に持っていた桜田淳子などの歌謡曲のレコードは「なかったこと」になっていて、記載されていない。

おもしろいことに、アルバム名の表記が、当時から今と同じでブレていないことが分かる。僕はアルバム名や曲名の各単語の頭を大文字にせず、普通の文章のように先頭だけ大文字にして書くのが好きなのだ。(例: "Please Please Me"でなく"Please please me") あ、"Hey jude"は駄目だ。。。

限られた小遣いの中で、買うアルバムは厳選(聴きたい曲を揃えるのに最適化)していた。オリジナルのUK盤だけにせず、UK盤に入ってない、シングルの曲(例: "I want to hold your hand")が入っているUS盤も混ぜていた(日本盤は、オリジナリティーがないと思って買わなかった。今となっては、US盤なんて極悪非道の「売らんかな」精神そのものだったが、当時は知らなかった)。ただ、"Rubber soul"だけは、たまたま輸入盤のワゴン(当時良く行っていたジャスコでは、どういうタイミングか、たまに、今のホームセンターなどでの懐かしいCDやDVDのような感じで、輸入盤が売られていた。)で見つけたUS盤を、UK盤とは曲目に違いがあることに気付かないで買ってしまい、そのせいでずっと(長いものではCDを買うまで)聴けなかった曲もあったから、かなり後悔していた。

その一覧には、確かに、"Love songs"が最初だと記録してある。1977年の10-11月に買ったようだ。そして、それを買った時にもらったペンダントも出て来た。何のメッキだろうか、未だに光っているのがすごい。更に、そのアルバムを買うきっかけになった広告も出て来た。余談だが、今の自分がこの広告を見たら、全く買う気にはならないだろう。「日本が2/3、アメリカが1/3って、単に妥協の産物じゃないか」って感じで。

そして、今朝、このことを思い出していて気付いたことがある。ビートルズに出会う前に、ロックが好きになるきっかけになったバンドがあった。あの「キャロル」だ。いとこは二人(TさんとHさん)居て、どちらも結構年上だったのだが、どちらの方からキャロルを聴かせてもらったのかは覚えていない。ビートルズは二人とも好きだったが、テープはTさんから、カセットレコーダー(とマイク)はHさんからもらった気がする。

キャロルを初めて聴いた時、何と思ったかは忘れたが、とても新鮮で、衝撃を受け、興奮した。今も覚えている曲は「ファンキーモンキーベイビー」だ。「これが音楽!?」という感じだったかも知れない。それは、「音楽的でない」という意味ではなく、それまで聴いていた、当たり障りのない歌謡曲や、学校の音楽とは全然違っていたので、「こういう音楽もあるのか!」という驚きだったと思う。そして、すごく乗りが良かった(僕が乗りのいい音楽が好きなのは、これが原点なのかも知れない)。とても気に入ったので、その時にバンドの名前を教えてもらった。後でレコードを買おうと思ったのだろう。

(お盆か正月に行った)いとこの家から戻ってしばらくしてから、レコード店に行った。店内を歩き回って、キャロルのコーナーは見つけた。が、結局買わなかった。最も大きな理由は、「恥ずかしい・・・」だった。まじめで小心者の中学生が気軽に買えるジャケットではなかったのだ。今調べたら、どれも、リーゼントで煙草を吸っていたり、暴走族みたいに不良っぽかったし(実際、そういう人たちのシンボルだったのだが)、(その日に見た別のバンドのだったのかも知れないが、)「大人じゃないと買えない絵柄」のジャケットもあった気がする。音楽とジャケットの印象の違いに、戸惑ったような気もする。今思えば、詞を余り聴かず、曲だけでイメージを作っていたからかも知れない(どうしてか、詞を余り聴かないのは今も同じだ)。あと、気に入った曲(「ファンキー―」の曲名が分からず、どのアルバムを買っていいか分からなかった気もする。

結局、散々逡巡した挙句、何も買わずに帰ったのか別のを買ったのかは、記憶にない。それから数十年経つが、今でも彼らのアルバムどころか、一曲も持っていない。今だったらジャケットは全く問題ないが、好みとは少し違うとか、その後に聴いたビートルズやその他のバンドの方が断然好みになったからだと思う。

そうこうしているうちに、あの広告をFM雑誌("FM fan"を購読していた)で見たのだろう。それが本当の始まり(かつ終わり?)だった。ビートルズのレコードを買うのは、全く恥ずかしくなかった。やっぱり、彼らは優等生だったのだろうと思う(実際、"I want to hold your hand"なんて、英語の教科書みたいで、逆に恥ずかしいくらいじゃないか)。詞や曲はそこそこ・結構先進的なものがあったけれど、ジャケットには全く問題がなく、どれだって堂々と買えた。

単なる思い付きだけど、そういうことも、デビュー直後から彼らが世界中で(特にUSで)売れた理由の一つかも知れない。そういえば、マネージャーのエプスタインは、彼らを売り出すに当たって、(キャロルのような感じで)荒くれていた彼らの格好を、例のおかっぱみたいな髪型と襟なしスーツ姿にさせたというから、あながち間違ってもいなさそうだ。

優等生とはいえ、彼らの音楽や行動(本などで昔のことを読んだだけだが)は、当時の僕にはものすごく革新的、エキセントリックだった。それに感化されてしまった僕は、中二病や高二病を経て、今に至っているのだろう。。。

PS. 実は、レコード一覧には続きがある。CD一覧である。大学生の時に、パソコン(FM-7)のテキストエディタで作り、その後、FM-7で動くワープロに移した。

僕のCD一覧(1986-1988)より (個人名を隠した)

PCベースなので、手書き文字がないのが少し味気ない気がする。文字もタイプの方が味がある。そもそも、この頃はフォントなんて選べなかったが。。。残念なことに、全角文字を使っている感じだし、アルバム名などの記法が揺らいでいる。アルバム名はジャケットの記述に合わせたのかも知れない。ただ、タイプの時とは違って、CSVのようにデータに構造を持たせようとしていたことが分かる。その考えは今も同じだ。

僕の最初のCDは、記憶どおり、友人Wから買ったRushの"Power windows"だった。最後のページを見ると、ビートルズのCDを揃えたのは1988年4月だったことが分かる。彼らのレコードを初めて買ってから約10年か。今思えば、意外に短い。秋葉原のいろいろな店を歩き回って、1日で全部(15組)揃えたことを覚えている。大学が忙しくなったのか、1988年4月で記録が終わっている。その時点でのCDの総数は57組だった。

その後就職して、CDの増加速度は加速した。今では何枚あるか分からない。プレイヤー(GMB)では1000組程度と出るが、レンタルしたものや重複などが含まれているので、正確な数は分からない。→ 調べたら、レンタルなどは約230組だったので、重複を考慮すると、大体750組程度か。(1/15 13:15)

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(楽しくない話題が続くが、たまたま目が覚めて書く気になったので、ご容赦を。

以下は、僕の想像・フィクションである。ここに、ドラマの最後に出るような注意書きが来るであろう。)

日本に「ブラック企業」は多いが、その原因は、経営側だけにあるのではない場合がある気がする。従業員自身が、ひどい環境に忖度とか納得とか我慢してしまって、声を上げなかったり行動を起こさなかったりするのだろう(これは、webで読んだ、近頃有名になっているらしい、デービッド・アトキンソンの文章(「日本の労働生産性は低い」という主旨)にも書いてあったと思う)。その他に、「空気を読む」(他の人に合わせなければ駄目だと思い込んでいる)こともあるだろう。

具体的な例(といっても、想像だが)を書くと、前の投稿に書いた、ひどい経営者の会社の社員は、残業代がまともに払われなくても、トップが自分勝手な言動をしても、(表立っては)文句を言わずに働く。その意識を想像してみると、以下のようなものであろうか。

  • 偉い人に楯突くのは良くない(どうせ無駄だし、怒られたくないし、クビになりたくないし)。
  • 会社が苦しそうだから、我慢しよう。
  • (自分を卑下して)雇ってもらってありがたい。
  • みんな我慢しているから、自分も我慢しよう。
  • 何もしなかった時間があったから、それと残業代を相殺した方がいいのでは?
  • 自分は終わったけど、みんな帰らないから、悪いからもう少し残るか・・・
  • (法令を知らないので、その状況が違法だと知らない: 実はニュースで薄々勘付いてはいるが、自分には関係ないことにしている)。

それで、何も行動せずに居るのだろう。でも、鬱憤の溜まった社員は、(辞めた後に)通報するのかも知れない。日本人の悲しい習性(これは自然のものではなく、「教育」で押し付けられたことだ)だと思う。

仕事は趣味じゃないので、"No pay, no work"だ("No work, no pay"が一般的だが、それは経営者の論理だ。社員を働かせるのは経営や管理職の義務なのに、それが満足にできていないのを棚に上げて、お金を払わないというのは、おかしい)。社員は、労働や時間を会社に提供して対価を得ているのであって、給料がもらえるのは「ありがたいこと」ではない。当たり前のことだ。会社は福祉事業ではない。

会社が苦しいのは経営者の責任だ。なのに、自分たちの正当な残業代を減らして(更に、健康を損なって・損なうリスクを冒して)まで会社の収支を良くする義務なんてないし、それに依存している会社は終わっていると思う。そして、そんなことをしても、喜ぶのは経営者だけだ。どうせ、「会社が苦しい」からという論理で、給料はいつまでも上がらないし、ボーナスだって少ないだろう。その割には、経営者はやりたい放題ではないか? 苦しいという経営者の給料が一体いくらか、公表されているだろうか? 「会社が苦しいから、自分の給料を減らす」という経営者が、果たしてどのくらいいるか。

何もしなかった時間があったって、それは仕事を与えなかった管理職の責任であって、たとえ1分だって、会社に拘束されていた時間に対しては、給料が払われる必要があると思う。ただでさえ、会社の規則は経営側に有利になっているのに、なぜ、それ以上に譲歩してしまうのだろうか。

逆に、自分の仕事に、給料を堂々ともらうだけの自信や誇りを持たない社員は駄目だ。「道楽ですか?」と言いたい。

「(上に)楯突くのは良くない」、「みんな我慢しているから」、「(他の人に)悪いから」は、悪いことばかりじゃないけど、程度問題だ。そんな態度でい続けたから、日本は戦争になってひどい目に遭ったのではないか(そうなってすら、ほとんどの人は表立っては文句を言わなかったが)。

決まりを知らないのは悲しいことだ。学校は一体何を教えて来た(教えるべきだと思っている)のだろうか。。。学校の代替を考えても、労組のない会社では、労働関係の法令や常識など誰も教えてくれない。だから、自分たちの権利も義務も知る由もない。そのために、(悪どい)経営者に搾取されているのだ。

仮に僕がそういう会社に居たとして、残業代が満足に払われないことを知り、そのことで文句を言っても無駄だったとしたら、とりあえず、残業はしない。終業時刻になったら即刻帰る。仕事の予定は、全部定時ベースで組む。定時ベースで間に合わないなら、上司にそう伝える。シンプルだ。それでも我慢することはあるが、最悪ではない。

もっと世の中を良くするには、決まりや世界の常識を知る(知らせる)ことから始めるのがいいのだろうか。でも、誰が教えるのだろうか? 仮に教えても、上に書いたように、自主的に我慢してしまうのでは無駄だから、意識を変えるところから始める必要がありそうだ。それは、言ってみれば、国民性を変えるということで、かなり困難だ。

明るい展望はない。今の国の規制なり摘発(真意がどこにあるにせよ)が真の効果をあげ、今後も継続すればいいが、果たしてどうだろう。だから、本当のことに気付いた人たちは信念を持って行動して、自分の権利や健康を自分で守って行くしかないと思う。

 

(それでは、おやすみなさい)

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(以下は、僕の想像・フィクションである。ここに、ドラマの最後に出るような注意書きが来るであろう。)

 

いろいろ居るだろうが、「こういう奴は人間として終わっている」と思うケースを書く。

社員に責任やリスクを押し付けて、自分は被害者面する人。

ある会社に、今問題になっているブラック企業のように、お役所から指摘があった。きっと、辞めた社員が通報したのだろう。それが初めてでないので、厳しい内容だったようだ。

偉い人は、それでビビったようで、「(初めて指摘された時に、付け焼き刃的に、あるいは、泥縄式に決めた)規則を社員がきちんと守らなかったから、こういうことになったのだ」とかいうふうに、半ば逆ギレのようになっていた。しかも、一度でなく、何度もそんな言動をしていた。

なるほどと思った。阿呆は、こういう言動をしても、なーんにもおかしいと思わないのだなと。

まず、(怠惰で守らないのと異なり)好きで規則を守らない社員は、余り居ない。特に、好きでタダ働きする人はまず居ない。「守れない」のだ。その原因がどこにあるのか、きちんと調べて・考えて、解決すべきではないか。経営者の仕事は、ただ偉そうにしているだけじゃなくて、そういうことじゃないのか。

更に、その規則が守られていない状況をずっと看過して来て、(法を守っていないのに気付かない振りをして、)その結果、利益を得ていたのは、自分じゃなかったか。それなのに、問題が発覚したら、その利益を生み出して来た社員たちに責任を押し付けたのだ。それに気付かないのは大変オメデタイ方だから、次の言葉を無料で進呈したい。

無料の昼食なんてものはない。

その人は、「何かあったら、直接相談に来い」などとも言っていたが、そんなのは、他人の気持ちが分からない人が良く言う言葉だ。それが容易にできる(た)ことなら、通報される事態にはならなかっただろう。トップに気軽に相談できる社員が、どれくらい居るか。そして、上に書いたように、平気で被害者面するトップに、どんな相談ができるというのだろうか。

という訳で、かなりの社会経験がありそうに見える人でも、実際には、裸の王様とか井の中の蛙になっていて、箸にも棒にもかからない場合がありそうだ。でも、それでずっと通って来たのだから、幸運な人と言えるのかも知れない。ただ、果たしてそれがいつまで続くのか。

PS. 実は、この話に関連して、これより先に書こうと思っていた話がある。「自主的ブラック労働」という題だ。日本中に蔓延していそうだ。近いうちに書こうと思う。

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