Archive for 7月, 2017

ある朝、毎日チェックしているHMVのwebのその日の特売に、このアルバムが出ているのを見付け、何となくおもしろそうだと思って、演奏者のサイトのデモ(→ "Bilder einer Ausstellung")を聴いてみたら、(ピアノは余りうまくないようだが、)演奏が楽しくていい(特に、パーカッションがいい)感じだった。以前から時々思っていたが、僕はパーカッションが好きなようだ。曲も「展覧会の絵」で馴染み深かったので、注文した。貯まっていた100ポイントを使って約1700円だった(特売というほどには安くはなかったが、値段はどうでも良い)。

それを今朝受け取って、早速聴いてみた。(以下、締めの手前までは、ほとんど日記からの転載である。)

全体的には、パーカッションがある分、軽い乗りでとっつきやすく、聴きやすいのだが、意外に音(低音)に迫力があっていい。最初がグロッケンシュピール(鉄琴, ビブラフォン?)なのがいい。2曲目(「小人(グノーム)」)での急変は良い(2回目に聴くと、曲間を詰めて欲しいと思う)。デモで感じたように、ピアノはすごくうまい訳ではないが、ちゃんと弾いている。やっぱり、パーカッションがあるのがいい。

「テュイルリーの庭」などでハイハットが使われているのは、ポップな感じになるが、それがなかなかいい感じ。「ビドロ(牛車)」の迫力は、軽目ではあるが、やり過ぎていない感じで、却っていい。「卵の殻をつけた雛の踊り」はもちろん可愛く、ひよこの姿が目に浮かぶ。パーカッションのお陰だ。(そういえば、HMVの広告でもここを褒めていて、それで興味が湧いた。)

「カタコンベ - ローマ時代の墓」などのシリアスな部分はピアノが担当している。「キエフの大門」の端正さとか「カチっ」とした感じもピアノ。最後の方の迫力も、パーカッションのお陰で、それなりに※出ている。

※ラヴェル編曲のオケ版に比べれば、さらっとした感じで物足りなく、大迫力ではない。迫力の点では「ビドロ」の方が上だ。ただ、元々はピアノ曲なので、ラヴェルのは気持ちいいんだけど、やり過ぎなのだと思う。

ピアノとパーカッション、なかなかいいコンビネーションだと思う。大き過ぎず小さ過ぎず、軽過ぎず重過ぎず、この曲では一番好きなアレンジ・演奏だ。

ただ、このグループのコンサートはどうかなと思った。小さいホールならいいと思うが、大ホールでは、期待する迫力は得られなさそうだ。が、そもそも、このグループは楽しさや気軽さが売りなのだろうから、迫力を期待するグループではないのだ。が、CDの演奏の迫力が心地良かったので、なぜか期待してしまうのだ。

2曲目のラヴェルの「ラ・ヴァルス」は、やっぱりおもしろくない。。。 最後の「ボレロ」はイマイチ。頭の木琴か鉄琴かピアノがくすんだ音で余り綺麗でなく、乗れない。中盤も何となく物足りない・・・ メロディの演奏に「かっちり感」がなく、音がくすんでいるからか。バックグラウンドの小太鼓(スネア?)の音がもう少し大きければ良かったのかも知れないし、ピアノの技術が不足しているのも、関係あるかも知れない。この曲ではピアノ2台の意味(価値)を感じない。逆に、微妙なズレを感じて逆効果だ。終盤はようやく迫力が出てきたが、元々単調な曲なので、長く感じてしまった。。。

後の2曲は入れない方が良かった。

と、散々持ち上げておいて最後は奈落に突き落とすような感想になってしまったが、聴きながらリアルタイムに書いたので仕方ない。似たようなグループは多そうだから、ここに限らず、こんなコンサートがあったら行ってみたい気はした。そういえば、昔、ピアノの先生の関係するコンサートで、ピアノの他にパーカッションも入っている曲(「ウエスト・サイド・ストーリー」)で、(ピアノを溺愛し、最高の楽器だと思い込んでいるにも関わらず、)パーカッションを気に入ってしまっ(て、微妙な敗北感を持っ)たことを思い出した。

 

注: 曲の題などは、アルバムにはドイツ語と英語で書かれていたが、Wikipediaに掲載されていた日本語訳を使用した。なお、「展覧会の絵」の副題は、曲の区別のために記号的に使用しているもので、僕は、ほとんどの曲で、副題の意味と曲の内容を関連付けて聴いていない。

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(昨日の続き) PCに取り込んだ曲に購入日を記録したら、取り込んでいないアルバムが見つかったので、取り込んで聴いてみた。取り込んでいない曲は、ショパンが多かった。それから、ラヴェルやストラヴィンスキーだった。他に、シェーンベルクやバルトークなどもあったが、そこら辺は聴く気がしなさそうなので、取り込まなかった。

まずは、20年以上前に新潟で買って、持っていることを忘れていた、アラウのショパンのピアノ協奏曲 第1番(1972)。掛けてすぐに、ピアノもオケも少しわざとらしく(「とてもロマンチック」とか「分かりやすい」とか「癖がある」とも言える)感じた。聴き続けたら慣れたが、わざとらしさは消えなかった。前にもわざとらしいと思った人が居て、それがアラウかと思ったが、別人のようだった。ピアノもオケも技術はすごいと思うのだが、好みではない。といっても、途中で止める気にもならないので、全く気に入らないのではなく、それなりにいいとは思った。

慣れたせいか、同じアルバムの第2番は、第1番よりは良さそうに感じた。

次は、ピレシュのショパンの前奏曲(1994)を聴いた。大胆・ダイナミックで、いかにも平凡ではなく、いろいとなところで「ハッ」とした。それがいいと思った。ただ、当時(アシュケナージを好んでいた)は、この普通でないところが気に入らなくて聴かなくなったのかも知れない。

その後、アルゲリッチのショパンのピアノ協奏曲 第1番(1968)を聴いてみた。聴く前から(彼女の凄さに)身構え、かつ、僕のこの曲のイメージとは違うので期待もしていなかったのだが、とても意外なことに、素直で良かった。そして、さすがに、アルゲリッチの演奏は見事だった。ショパンコンクールのすぐ後なのに(だから?)、技術はもちろん、音がすごく綺麗だった。

ちなみに、このCDは、確か、別の同じ曲のCD(ラローチャ他のもの(1972, 1974))が、当時使っていたDVDプレーヤーで再生エラー(音飛びだったか)が起こるので、メーカーに問い合わせたら、いろいろ調査してもらい、最終的にそのCDに問題(記録エラーだったか)があるせいだということが分かり、親切なことに、調査結果と一緒に「代わりに」送ってもらったものだ(もちろん、問題のCDをその会社から買っていた訳ではない)。

ちゃんと調査してくれただけでも充分なうえに、その気持ちはとてもありがたかったのだが、クラシックでは、同じ曲でも演奏者が違ったら「同じ」とは言えず(実際はそうでもないことも多いか)、特に、アルゲリッチはこの曲とはイメージが違っていたので、ずっと聴かずに居た。それが20年くらい経って日の目を見たのだ。なお、問題のCDは、しばらくは我慢し、その後PCで聴くようにした時に取り込めたので実害はなかったのだが、十年くらい後に同じアルバム(ただし、品番やジャケットは変わっていた)を買い直した。

ちなみに、その親切な会社は、先日オーディオについて貶した、パナソニックである。製品の方向性の良し悪しや技術力はともかく、パナの製品を使っていると、ユーザーの立場に立とうとしていることは分かるので、日本の家電メーカーが次々と没落している中で、最後の砦になって欲しい。とはいえ、もちろん、いい製品・メーカーがあれば使うだけで、パナに執着することはないが。

第2番(1978)も同様に良かった。僕のアルゲリッチのイメージは「普通でない」で、そこがいいのだが、そのせいで長らく敬遠していた。また試すのもいいと思った。あと、前奏曲(1977)も聴いたはずだが、いろいろ聴いたせいか、余り記憶にない。

ラヴェルは何枚か聴いた。まず、スラットキンの(1980)とマゼールの(1984)のボレロを聴いた。スラットキンのは普通だったが、マゼールのはなかなか音が聞こえず、ボリュームを少し上げても聞こえず、4分経っても音が聞こえなかったので、「随分すごいクレッシェンドだなあ」と思っていたら、アンプがOffだった。。。 Onにしたら、最初からちゃんと聞こえた。マゼールは分かりやすい系なので、ものすごいクレッシェンドなんてする訳がないのだ。

同じマゼールのアルバム中のラヴェルの管弦楽曲(1984)は、(僕には)やっぱり退屈だったので、途中で止めた。やっぱり、ラヴェルなどは苦手だ。。。

更に、アシュケナージのショパンの前奏曲(1961-1997)まで聴き出したら、さすがに飽きたので、途中で"Get The Knack"(1979)に切り替えたら、とてもしっくり来て、「これだよ!」となったw

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少し前にふと思い付いて、前の日曜辺りから始めた作業が、今朝終わった。それは、CDなどからPCに取り込んだ曲のファイルの中(タグ)に購入日を記録するものだ。

PCに取り込んでいるアルバムは全部で800組くらいあるので、かなり大変だとは思ったのだが、気分転換になるのか現実逃避なのか、こういうチマチマした作業が好きなようで、他のもっと重要なこと(例: 掃除)を差し置いて始めてしまった。

なんでそんな物好きなことをしようとしたかといえば、以前、曲を聴きながら、そのアルバムを買ったのはいつか知りたくなったことがあった。僕は、購入日はブックレットの隅(昔は一覧表、その後は帯の裏)に書いているのだが、収納場所を節約するため、CDのプラケースを捨てて、本体(円盤)とブックレットなどを分離し、本体はCDファイルに、ブックレットなどは押入れケースに積み重ねて収納しているため、簡単には調べられずに残念だったことがあった。一方、ダウンロード購入したファイルには記録するようにしていたので、CDから取り込んだファイルもそうすれば便利そうだと思ったのだ。まあ、実際には、いつ買ったかなんてそんなに頻繁に見るわけではないが、趣味なので自己満足のためにやろうとした。

購入日は、新たなタグを定義しないで、コメントタグに記録することにした。記録する書式を一定にしておいて、コメントタグに他の文字列が記録されていても機械的に(パターンマッチで)抽出できるようにした。実際の書式は以下のようにした。これに合わせて、ダウンロード購入したファイルの書式も変更した(数が少ないので容易だった。)。

"Purchased:" 年"/"月"/"日 "("メディアの種類")"
例: Purchased: 2013/7/7 (CD)

購入日を記録する手順は、以下のとおりである。

  1. ファイルに購入日が記録されていないアルバム(購入したもの≒レンタル以外)を探す。
  2. その購入日を調べる(ブックレット、帯または一覧表)。
  3. 曲のファイルのコメントタグに、上記の書式で購入日を記録する。
  4. 1に戻る。

なお、購入日を調べるのに、いちいちブックレットを探して見ていたのでは大変効率が悪いので、まずは以下の情報を使って、なるべくブックレットを参照しなくて済むようにした。

  • AmazonとHMVの購入記録
  • ブログの記述
  • 購入した時に撮った写真の日付

写真は、全部を最初から調べるのは大変なので、購入記録やブログや曲のファイルやアルバム画像の作成日で見当を付けた。

購入日を再生ソフト(gmusicbrowser、以下GMB)で簡単に表示できなければ、記録の有無の確認すら面倒だし、記録した意味がないので、ブックレットからの調査を始める前に、表示する機能を追加した。コメント中に記録されている購入日を抽出する仮想タグ、"Purchased"を追加した。抽出は正規表現という機能を使うのだが、Perlの正規表現はPHPのとは少し違うようで、なかなか手間取ったし、GMBの内部の資料などなくて難解なので手こずった。

その仮想タグを使うことで、GMBのファイル(曲)一覧ファイル(曲)情報に購入日が表示できるようになり、記録の有無を調べる時に、アルバムのタイトルや演奏者名の一部で検索すれば分かるようになって、効率が上がった。

約1週間掛かって作業が終わった。懐かしいアルバムがあったりしておもしろかったけど、大変で結構疲れた。そして、購入日の記録のないアルバムが約30組残った。思い出深かったり、好きなアルバムがあるので(例: ビルスマのバッハの無伴奏チェロ(1992)、森高の"Do the best"(1995))、分からないのは残念だ。買った時に記録するのを忘れたのだろう。大体の年は分かる(デジカメを買う前、1990年代に多そうだ)のだが、それ以上はどうにもならない。ただ、昔の日記に書いてあるかも知れないので、気が向いたら調べてみたい(とはいえ、手書きだから検索なんてできないし、真っ黒な「黒歴史」の塊なので、正直なところ、あまり見たくはない・・・)。

それから、PCに取り込んでないCDが結構あった。CDプレーヤーを止め、本格的にPCとiPodで音楽を聴くことにして、プレーヤーソフト(当時はWinampを使っていた)でCDを一気に取り込んだ時(2008年頃)の好みで選択したからだ。それまで「変な」(≒奇をてらった)曲を訳も分からず聴いていたのの反動でモーツァルト系・正統派に移行しつつあったのだろう、近代の曲を避けていたようで(今もそうだが)、特にストラヴィンスキーやショパンやラテン系、演奏者ではブーレーズやアルゲリッチを冷遇していた。変な曲は、例えばストラヴィンスキーのバレエ音楽が好きだったので、「春の祭典」などの有名な3曲は何種類も持っていたが、その時は「1種類で充分だ」と思って取り込んでいなかったのだ。更に、「ボレロ」なんて2種類も持っていたのに、1枚も取り込んでいない有様だ。

持っているのを忘れたアルバムもある。アラウのショパンのピアノ協奏曲 1,2番(1972)やピレシュ(ピリス)のショパンのピアノ協奏曲2番と前奏曲(1994)などだ。結構意外なので、聴きたくなって取り込んだ。アラウは、ブックレットには新潟で買ったと書いてあった。1990年代に妹の用事で行った時の空き時間に買ったようで、懐かしかった(取り込んで早速聴いたのだが、この稿は長くなったので、感想は別に書くことにする)。それにしても、なぜアラウのショパンを選んだのか、当時の自分に聞いてみたい気がする。

ピレシュのは、いつなぜ買ったのかすら記憶にないし、なぜかブックレットすらない。そもそも、彼女は近頃モーツァルトで好きになったと思っていたくらいだから、不思議だ。

もっと不思議なのは、(実体が)行方不明になった何組かのアルバムのうちに結構好きで良く聴くアルバムもなかったことだ。ドラティの「くるみ割り人形」(1976)だ。ファイルはあるのに、何度探してもブックレットが見つからないし、ディスクもない。初期の頃に買った気がするのだが、実はレンタルだったのか、人に貸してそのままになっているのか。そういえば、アルゲリッチの「子供の情景」もそうだったので、先日買い直した。何とも腑に落ちない。ちゃんと調べたい気がする。

(7/30 15:47 追記) その後、いろいろ調べたのだが、「くるみ割り人形」も「子供の情景」も、アルバム画像の日付から、音楽再生をPCに移行した時期に、他の多くのCDと一緒に取り込んでいたことが分かった。つまり、レンタルではないことが分かった(沢山取り込んでいる最中に、わざわざ借りて来るほど暇じゃないので)。確実に自分で持っていたのだ。だから、その後、この十年以内に、誰かに貸したかあげたかしたようだ。引っ越しの時になくなった可能性もゼロではないが、まあ、考えられない。という訳で、相手が思い出せない以上、「諦めたほうがいい」という結論になった。また買おうかなw

 

PS. 作業中に発見した懐かしい物:

カセットラベルは、それ自体とポリス("Don't stand so close to me '86"?)が懐かしかったのだが、ふと裏を見たらサロネン(指揮者)で、当時は全く興味の対象外で名前すら知らなかったのに、この数十年で好みが(表から裏に)移行したのがおもしろかった。CDカタログは今でもあるのだろうか。スマフォの画面でのアイコン一覧で置き換わっているのだろうか。

PS2. ちょっとした集計: アルバム購入数の遷移

  • 1970年代: 3 (27)
  • 1980年代: 105 (16)
    • 1980-84: 22
    • 1985-89: 83
  • 1990年代: 204
  • 2000年代: 217
  • 2010年代: 218

現在、PCに取り込まれていて、音源として使っているアルバムを購入した組数※を、10年ごとに集計した。()内はLP→CDなどで買い直したため、音源としては使っていないアルバムの数。

※集計は原則として組数だが、昔取り込んだ複数枚組のアルバムで、各ディスクが"Disk 1, 2, ..."のように分離したアルバムになっている場合があり、それは誤差になっている。

CD時代になってからペースが上がった感じ。やはり、手軽に聴けるのはいいのだろう。社会人になってからは、不思議と約20組/年のペースを保っているようだ(特に何も制限せず、欲しいアルバムを買っているのだが)。

ちなみに、今年は単体のアルバムを収めたボックスがあったせいか、既に23組になっている。

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以前から憂慮していた、NHKのネット配信の「受信料」。悪い予想が当たってしまい、NHKが暴挙に出る。ネット視聴の受信料を、テレビと同じやり方で、

PCやスマフォなどを所持し、常時同時配信が視聴可能な環境を作った世帯を負担の対象とする (報道の要旨)

という「答申」を出させた。ヤクザ以上の押し売り。押し売りと違って、法を根拠にするから追い払いようがない。ものすごく嫌な気分だ。

こちらにできることと言えば、NHK関連サイトへのアクセスをブロックするようにする程度だろうが、これだって、TVにB-CASカードを挿さないとかアンテナを繋がない程度のことなので、裁判になったら勝てる確率は低い。。。 あとは、「PCもスマフォも持っていない」と言い張るかだが、ネットの契約を調べられたら負ける。

だから、前回も書いたように、「PCやスマフォは持っているけど、NHKが見られる機種・OSでない」と言うしかないだろう。が、これも、YouTubeのように、webで見られるようにされたら終わりだ。きっと、ワンセグのような位置付けでそうすると予想する(おそらく、「公共放送だから、なるべく準備不要で観られるようにして、国民の皆様に必要な情報をあまねくお伝えする必要がある」という論理で来るだろう)。さすがに、現代ではブラウザの動かないPC・スマフォはありえないので、逃げようがない。

少し横道に逸れるが、果たしてネット配信を「放送」というのだろうか? インターネットに動画のパケットをばらまく(ブロードキャストパケットを送信する。: 実際にそんなことをしてもどこにも届かないし、仮に送れたとしてもブロックされるのがオチだが)わけではないので、「通信」(例: ニコ生)ではないだろうか。電波は、視聴者が見ようと思っていなくても、常に視聴者の元に届いているが、ネット配信の場合、仮想視聴者が「見よう」と思ってNHKに接続しない限り何のデータも送られて来ないという点で、通信だと思う。

昔は、「放送と通信は全然違う(法から違う)」と教えられたものだが、今はその境界が曖昧になっているのか。だから、放送事業者が通信での番組配信を「放送の一環」と言い張ろうとしても通りそうなのか。

まったく嫌だ。払うお金の多寡の問題でなく(1円だって嫌だ)、契約する義務が強制的に課せられて、問答無用で財産を奪われる点が胸糞悪い。だったら税の方がいい。「日本死ね!」と言いたいくらいだ。

それにしても、「有識者」ほど有害な連中は少ない。座長の安藤英義とかいう専修大の教授をはじめとして、御用学者の集まりなんだろう。彼らの見識の低さには、まったく感心するしかない。狭い日本の「学会」という狭い世界でゴキブリのようにうじゃうじゃと棲息する、ガラパゴス学者だ。

 

PS. 題の後は少し飛ばして、「やったネ! 全然ホンキ。カネに夢中さ。オイハギみたいに 無理強いするね」と続く。 (年寄り専用w)

なんか、↑を書いてたら、こっちの方がおもしろくなって、フルに書きたくなった(書ける気がする)が、それはワルノリなので止めておくw

(19:48 題や例などを改良)

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少し前から、車の左のサイドミラーの前に鏡が付いているのを見掛けて、何のためにあるのか不思議に思っていた。直感で、死角を減らすためだろうとは思ったのだが、鏡が前にあっても見られないだろうと思い、「いや、見えないと思うのは錯覚や思い込みで、実は見られるのではないか」、「いや、物理的に無理だ。では、ミラーを畳んだ時に役立つのか」などと、見るたびに想像していた。

その謎が、昨日読んだ車関係の記事で解けた。ホンダの「サイドビューサポートミラー」だそうで、車内にもう一個の鏡があって、ミラー前の鏡の像をそれに反射させて、左前方が見られるようだ。

なるほどと思った。仕組みが複雑(ホンダらしい?)なのは好きでないが、僕は左側が恐いので、死角が減るのはいいと思う。ただ、2段階の反射で、車内の鏡が小さいので、視野の広さなどが本当に有効なのかと、夜など暗い時に見えるのか、更に、そんなに何個も見切れるのかとか、疑問はある。

そして、近い将来はカメラ+AIで危険を感知して警告して欲しいと思い、そもそも自動運転になれば、こんな仕組みも不要になるだろうなあと思った。

 

PS. 全く関係ないが、次期スイフトスポーツの情報が出た。9月のフランクフルトのショーで発表だそうだ。マツダ車の真似のような、フロントグリルの赤い横線がないのはいいが、リーク画像と全く同じの、ホームベースみたいな穴が開いたホイールがすごくかっこ悪い。本物では変わるのか。いずれにしても、別に、買い換える気なんかなく、いかに今の車がいいかを確かめるために見たので問題ない。 (アニメだのコミックだのに良くあるセリフみたいだw)

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昨日、珍しく部屋に入り込んできた蚊に刺されてしまって、指が痒かったこととは余り関係なく、飛蚊症の件である。

発症時より落ち着いて、数が少なくはなったが、明るいところではほんとんどいつも見えることには変わりない。嫌なのは、本当に小さい虫のように見え飛び回るので、小蝿や蚊と判別が難しいことだ。最初に書いた蚊だって、刺されるまで本物か確かでなく放置していたくらいだ。ただ、運転中は視線が激しく動くからなのか、全然見えないので助かる。(7/26 6:37 追記: 昨日確認したら、「運転中も見えるが、視線が激しく動くせいか、ほとんど気にならない」というのが正しい。)

小蝿といえば、発症する前にも、顔の周りを飛んでいると思って、手で払っていたことがあったが、既になっていたのかも知れない。

ところで、今検索して気付いたのだが、5年前(システムの設定で、近いうちに非公開になります)に左にも出ていたようだ。病名も全く同じだ。まあ、眼の寿命とか賞味期限みたいなものなのだろう。耳にだって、寿命はある。

ピロリ菌は先が長い。先週末に医院に行ったのだが、検査の予定が詰まっていて、土曜日だと10月になるとのことだった。想像以上に悠長なのでちょっと拍子抜けしたが、まあ、何も症状がないし、平日に休みを取るのももったいない感じだったので、それでお願いした。初めての胃カメラで、今からちょっとドキドキしている。その医院は鼻でなく口から入れるようだ。僕は鼻の穴が狭いようで余り通りが良くないので、口で良かったと思う。

ところで、診察の前に看護師さんに症状の有無を聞かれたので、「ない」と答えたら、(紹介状を持参したせいもあり)診察はなしで検査の予約だけだったのが、結構意外だった。物足りないと思う人も居るだろうが、僕は良心的な医院だと思った。というのは、受付や予約や検査の説明(看護師さんが対応)だって人件費は掛かるのだから、その分は「適当に」診察して「適当な」薬でも出しておけば収入になりそうなのに、そうしていないからだ。

僕自身も、行く前に、症状がないと答えるか、(症状がないと、検査や除菌は自費扱いになるようなので)「たまに少し痛むことがある」とか言うか迷っていたのだが、余計な薬(例: 制酸剤)を飲むのは嫌なので、正直に答えた。ただ、今考えると、時々胸焼けするので、それを言うのもありだったかも知れない。

医院はのどかでいい雰囲気だった。ただ、受付の人が新人なのか、外国の人なのか、肝心なことは奥にいる先輩に助けてもらっていて、今一つ頼りない雰囲気だった。頼りないと言えば、なぜか診察券をくれなかったのだが、診察してないせいなのか、忘れたのか。次回(事前の検査がある)行った時にすぐに分かってもらえるのか、ちょっと心配はあるが、まあ、何とかなるだろう。

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回避はしたようだが、ビットコインが「分裂」しそうになって、一時的に、多くの取引所が、一斉に取引停止する予定を発表した。しかも、終わりは「未定」だった。なんだかなあである。以前も書いたが、仮想通貨といっても、結局、現実の取引所がなければ取り引きできなってしまうではないか。それでいいのだろうか? それで仮想なのか?

あと、今回の騒ぎの発端となった、取引量の増加に伴う処理の遅延は今後もどんどん起こるだろうし、回避しようとして、別の問題も起こるだろう。それでまた、今回のようなことが起こりそうだ。中心になる人なり団体がないので、いくらでも分裂する可能性はあるだろう。その抑止力は、当事者が通貨を持っていて、価値が下がるのを望まないことか。じゃあ、通貨を持っていない(あるいは、巧妙に売り抜ける: 特定の法に縛られないのでインサイダー規制はないのだろう)プロが参入したら、どうなるか・・・

仮想通貨は、特定の権力の支配なり後ろ盾がないのがメリットなのだろうが、それがデメリットでもあることが露呈した気がする。

あと、上と同じことではあるが、マイニングの泥臭さ、あるいは、リソース馬鹿食い問題を看過していいのかと思う。多くの人が、わずかな見返りのために、膨大な計算パワー(= エネルギー)を消費している。これも、将来問題になるのではないか。それから、みんながマイニングに疲れたり飽きてしまったらどうするのか、あるいは、ものすごい方法で独り占めする人が出ないか? それから、マルウェアのように、不正なマイニングソフトが蔓延して、通貨が成り立たなくなることはないのか?

単なるイメージだが、エントロピーの法則から、仮想通貨の取りまとめ(マイニング)に掛かる労力は、将来的には無限大になって、いつか、処理できなくなるのではないのだろうか? (それなら、独り占めは不可能だ)

PS. なぜか、日頃、仮想通貨の騰落のニュースを載せているIT関係のまとめサイトに、今回の分裂騒ぎが載っていなかったが、「察し」か。

(7/23 2:58 少し加筆)

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はじめにお読み下さい

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というのをトップに書くとか。マジで書きたい。

 

あ、アクセス元が徴収対象だったらダイアログを出せばいいのか。「はい」をクリックしたら、契約成立だ。いいねえ!

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近頃見つけた豆知識やら小技を(検索してもすぐには分からなかったので、誰かの役に立つかもしれないから書く)。統一感がないが、あまり分量がないのでまとめて書く。なお、以下はUbuntu系で確認したことで、他のディストーションでも可能かは不明。

1. Linux on MacBookのトラックパッドでの右クリック

近頃、(Intel CPUの)MacにはLinuxを「普通に」インストールできることを知った。LinuxがわざわざMacに対応している(できる)とも思えないから、Macの中身はWindows PCと同じなのだろうか? あの、先進的で美しく、非の打ち所のないアポー先輩が、まさかそんなことするのか? ふーんw

まあ、それはどうでもいいが、インストールして使ってみると、トラックパッドの右下端を押しても右クリックにならなくて、がっかりした。検索すると、「2本指でクリックすればいい」と出て、実際にできたのだが、すごく不便だしスマートでないので、なんかやる気をそがれる。でも、

できまーす!

丹念に調べたら、設定すれば、トラックパッドの右下端を押して右クリックにすることが可能なことが分かった。

ポイントは、synclientというプログラム(Synapticsドライバのユーティリティー)である。「(仮想的な)右クリック」と判定する領域(のトラックパッド中での上左端と下右端の座標)を、synclientの以下の引数に指定して起動すればOK。

  • RightButtonAreaLeft:仮想右クリックの上左端のX座標 (X1)
  • RightButtonAreaTop: 同上左端のY座標 (Y1)
  • RightButtonAreaRight: 同下右端のX座標 (X2)
  • RightButtonAreaBottom: 同下右端のY座標 (Y2)

実行の書式:

synclient RightButtonAreaLeft=X1 \
RightButtonAreaTop=Y1 RightButtonAreaRight=X2 \
RightButtonAreaBottom=Y2

なお、トラックパッドの大きさ(座標)は/var/log/Xorg.0.logに記録されているので、そこから適宜、右クリックに使う領域を計算して指定する(例: 右端・下端から10%)。

注意事項は、Y座標が(通常の想定とは)上下逆(数値が小さい方が上だったか)なことである。うまく行かない場合は、上下逆に考えること。

上記は設定ファイルに書くことも可能のようで、そこでは割合(%)で指定できるので綺麗だが、試していない。

参考: Synaptics タッチパッド (ArchWiki) : まったく、ArchLinuxのドキュメントはとても有能だ。いつもお世話になっている。

PS. トラックパッドについては、上記の他に、(普通のノートPCのように)右端や下端で上下・左右スクロールできるようにも設定できるので、そこは結構便利だと思う。

2.Linux on MacBookのディスプレイのバックライトの輝度の保存と復旧

Linuxをインストールしたままでは、バックライトの輝度が起動のたびに最大になってしまってまぶしく、げんなりする。そこで、検索したら、輝度の値がファイルに入っているので、システムの終了前にそれを保存し、起動後に復旧させれば良いことが分かった(grubに指定する方法もあったが、うまく行かなかった)。

実際のファイルは、/sys/class/backlightにいくつかのディレクトリがあり(ディスプレイデバイスごとにあるようだ)、それぞれの下のbrightnessである。

cat /sys/class/backlight/DEV/brightness など(DEVはデバイスの名前)で輝度が取得でき(例: 128)、

echo X > /sys/class/backlight/DEV/brightness などで輝度を設定できる(Xは設定する輝度)。

実際には、保存と復旧スクリプト(例: mb-backlight)を作り、systemctlで有効化する。スクリプトは、引数が"stop"の時(終了時に呼ばれる)に輝度をどこかのファイルに保存し、"start"の時(起動時に呼ばれる)に保存しておいた輝度を設定するようにする。

注意事項は、値を保存する場所に/var/runを使うと、ここはRAMディスクのようで、終了時になくなってしまうので、別の場所を指定する必要があることだ。

PS. 普段使ってないので試していないが、キーボードのライトも同様にできるはずだ。

余談: MacBookでのLinux、それなりに動くのだが、なぜか変なキーが入ってしまうことがあるなど今一つなところがあり、そもそも本体がずっしりと重いこともあって、使い続けたいかというと「うーん・・・」だ。でも、もしMacBook(のハード)を使うことを強制されたら、僕にはmacOSより(もちろん、Windowsよりも)ずっといい。

3. LinuxでDropboxにサインインできない(「アプリが古い」?)

Dropboxアプリにサインインしようとした時、何度やっても、「アプリが古い」とか言われて失敗するので、近頃Dropboxが(勝手に)仕様を変えてしまって、まだLinuxが対応できていないのかと諦めていたのだが、しつこく検索したら原因と対処が分かった(→ [SOLVED] Dropbox can't 'sign-in' or install newer version.)。

本当にLinuxのアプリが古いので、~/.dropbox-dist を削除して、再実行すればいい。

まったく拍子抜けした。

これだったら、古いファイル名を表示するとか、「更新しますか?」とか聞いてくれてもいいと思うのだが・・・

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朝、少しの間、痛車の後ろを走った。アニメの女の子のキャラなんて好きじゃない(そもそもTVがないので、知らない)し、今までは「よく恥ずかしくないよなー」とか馬鹿にして来たのだが、意外なことに、今朝は、見ていてちょっと楽しい気分になった(あるいは、気分がなごんだ)。

ストレスのせいで心がすさんでいるからなのだろうが、道化の効果(おそらく、本人には自覚がないので、「役割」ではなく「効果」である)に近いものかも知れないと思った。そういう意味で、(痛車自体は周りに何の迷惑も掛けないから、)世の中をなごませてくれるのは、いいかも知れないと思った。

PS. と書いて、気付いた。僕の車(特に黄色)も、どういう訳か、ある掲示板などで、ものすごく頻繁に、まるで定説のように、キモオタが乗ると言われているので、自覚はしていないのだが、痛車と似たような効果があるのかも知れないw 確かに、自分だって、「普通の車」だと思われる(実際には、何も特徴がないので何とも思われない)よりは、「なんか、たまに見るけど目立つ車だな」とか思われて、楽しんでもらえる方がうれしいので、それでいいのかも知れない。なんてことを書くのは、やっぱり・・・?

PS2. いい歳して恥ずかし気もなく中二病的なことを書くが、上の「スイスポ=キモオタ」定説は、ある企みによるのではないかと思った。それは、乗っている人たちがことごとく惚れ込んでしまって、「この素晴らしい車を、プリウスのごとくみんなが乗ってしまったら、自分たちのアイデンティティやプライオリティがなくなってしまってつまらない!」と考え、敢えて上のようなことや「遅い」など、偽の情報を書き込んでいるのではないかと。知らんけどw (7/21 7:01)

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