Archive for 10月, 2017

土曜にちょっと思い付いて始めたことが結局無駄だったので、週末を潰した。まあ、雨だったし、外出しない予定だったからいいけど、ちょっと気分が悪い。

やりたかったのは、以前から気になっていた、GPMの曲に初出年が入っていない(GPMのページに表示されている年も誤っていることが多い)ので、自分で付ける仕組みを作ることだ。

これが意外に奥が深かったのと、GPMのお節介のせいもあって、意外に難しかった。基本的には、曲・演奏情報の公開DB(今回はMusicBrainzを使おうとした)で検索すればいい。が、そもそも、演奏者名、アルバム名、曲名で検索すると複数の候補が出て来て、どれが「正しい」かの判別が難しい。例えば、同じアルバムが再発された場合である。その場合は最古のものを選べば正しい可能性が高い。一方で、クラシック音楽の演奏のように、同じ人が同じ曲を何度も録音して、同じアルバム名で発売している場合、最古では正しくない。また、ライブ盤の区別もする必要がある。

更に、GPMは表示のモード(日本語/英語)によって、前記の情報をローマ字(英語モードの時の日本語の曲)や片仮名(日本語モードの時の海外の曲)にしてしまうことがあるので、演奏者名などでの比較すらままならないことがある。

かなり苦労して、年を取得する手順・方法は見つかったのだが、やっぱり最後は複数候補の判別が困難なことが分かったので、正式な実装・採用は止めた。

基本的には、音響指紋(fpcalcやffmpegなどのプログラムでAcoustIDが計算できる)を使うことで、ある演奏から、演奏者名と曲名の特定ができる! と思ったのだが、再発などによる複数の候補が出てくるうえに、意外に重複するようで、あるAcoustIDで検索すると、別の人の全く違う曲(演奏)も出て来る(処理時間やデータ量による制限なのだろうが、これで本当に「指紋」と言えるのか?)。そのため、指紋以外に、演奏者名や曲名などでの判定も要ることが分かった。

その場合、上記のGPMのローマ字・片仮名問題以外に、一般的な問題もある。例えば、同じアルバムなのに、異なる名前・表記になっていることがあるのだ。具体的には、リマスター盤のアルバム名や曲名の最後に"(2009 Remaster)"のような文字列が追加されていることが多いが、それが、GPMとDBで記載方法が異なっているのだ。元々、正式には付いていないものなので、どちらが正しいとも言えないし、正式な曲名にも付いていることがある(例: 森高の「ザ・ストレス (ストレス中近東ヴァージョン)」)ので、"("や"["以降を全部無視すればいい訳でもない。そもそも、リマスター盤の初出年をいつにするかも難しい。更に、名前の中の記号の表現が異なる場合(例: "~"と"〜")もある。演奏時間も使えると思ったが、実際には、微妙に(1秒前後)異っている場合が多いので、単純には使えない。

(10/30 21:16追記) リマスターで思い出した。更に重箱の隅をつつく話なのだが、リマスター盤の年をいつにするか(オリジナル盤の発売年か、リマスター盤の発売年か)は、まあ、オリジナル盤の発売年がいいだろう。が、良くリマスター盤のボーナストラックとして、当時未発表だった曲("Previously unreleased" tracks)が入っていることがある。それの年は、いったいいつにすればいいのか?

初出年=初めて発売(リリース・公開)された年という原則では、リマスター盤の発売年が正当だが、それではどうも納得できない。下に書いたように、「これが出た(出てないけど)頃は*してたなあ」や「世の中は*だったなあ」とか思えなくなってしまうのだ。逆に、その曲を録音した年にすると、公開されてもいない年を「初出年」にするから、捏造のようになって、記録の信頼性が下がってしまう。なので、今は、原則として、初公開のボーナストラックはリマスター盤の発売年にしている。なお、ライブ盤は、録音された時に演奏が公開されたのは確かなので、かなり後年に発売された場合には録音=演奏された年にしている。

まあ、記録というのは、本来、情緒とは正反対のものなのだろうから、割り切って、全部、その盤の発売年に統一すればいいのだろうが、趣味のものなので、何とも割り切れない状況が続いている。そして、この問題は、GPMに限らず、CDを買った場合に常に起こ得るので厄介だ。

この問題の原因は、初出年は単なる記録なのに、情緒を絡めていることなのだと思う。更に、「初出」としているからややこしくなる訳で、純粋に「リリース(発売)年」にすればいいのだろう。そうすれば、再発盤だってそれが発売された年にすればいいので、何も悩む必要はない。だから、単純に発売年にしているGPMのやり方は、規則が統一されているという点で、実は正当なのかも知れない(そして、これは、西洋人にはごく自然な論理的な思考から来ているのかも知れないと考えるのは、買いかぶり過ぎか)。ということは、僕は何も悩む必要がなかったのか? (そうではないと思うが) 全く奥が深い・・・

ローマ字や片仮名での表記は、ある程度は「別名」としてDBに入っているのだが、やはり、GPMとDBで異なる場合(例: The Beatlesの片仮名表記は、MusicBrainzでは「ザ・ビートルズ」、GPMでは「ビートルズ」)があって、判定は容易ではない。

そもそも、GPMがちゃんと年を入れてくれればこんな苦労はしないのだが、彼らも多くの人も、こんな些細なことには無頓着なのだろう。確かに、演奏が聴けることが一番重要だ。

では、なぜ演奏の初出年が欲しいかであるが、僕の物好きとしか言いようがない。もちろん、曲や演奏の良し悪しに背景は無関係と思っているのだが、聴きながら、その曲がいつ頃演奏・発売されたのかが分かると、同じ人が同じ曲を複数回録音している場合の違いから、「この人は、*年間でこんな風に成長(退化)したのか」とか思うことがあるし、「これが出た頃は*してたなあ」、「世の中は*だったなあ」とか思えば親近感が湧くような気がするし、郷愁にふけることもできるではないか。物好き以外に、特にクラシック音楽では、(このブログで書いているように)他の人に伝える場合に、「※の*年の版」と指定しなければ正しく伝わらないこともある。

そんな訳で、今はやりのAIを活用して、曲(演奏)を入れたら、音だけでなく、歴史的な情報(webはもちろん、過去の出版物など)を使って考証して、一発で正しい曲・演奏情報(メタデータ)を出してくれるシステムが欲しくなった。誰がいつ何を演奏・発売したという「事実」は、それほど多くのバリエーションは生じないだろうから、文章を理解できるAIに演奏家の経歴などの資料を片っ端から読ませればできそうではないか。Googleなら、やる気を出せばすぐにできるだろうが、こんな情緒的・ニッチなことに価値を見出さないだろうから、まずやらないだろうw

書いていて、「これはドクが西部劇の時代に作った製氷機(大山鳴動して氷一個)だ」と思ったw

更に、現実のことを考えると、GPMの曲(演奏)は一過性のもので、その時聴いたら終わりで、長く残る訳ではないのだから、こんなに手間を掛けて年を自動で付ける(しかも正しいとは限らない)なんてペイしない(元々曲名や演奏者名などは付いているのだから、それで充分だろう)。気になったら自分で調べれば良く、買ったものだけは詳しく調べて付ければいいのだ。が、そこは技術者の性で、理論的にできそうなことや、自分でやると手間が掛かるけど自動でできそうだったら、その仕組みを作りたくなってしまうのだろう・・・

  •   0
  •   1

入院中は、暇に飽かせてGPMで音楽を聴いていた。ただ、ヘッドフォンは耳が疲れるので、延々と聴きまくれた訳ではない。それでも、いろいろな発見があった。果たして、他の方の「何か」になるのか不明だが、入院時から今日までの日記から抜き出して、だらだらと書く。少しでも、読んだ方への曲(演奏)の紹介になれば、幸いである。

なお、ピアノ協奏曲は"PC"、ピアノソナタは"PS"と略記し、楽章は"-1"(第1楽章)のように書く場合がある。また、各曲の初出年を正確に調べていない(GPMの表示のまま)場合は、(2000?)のように書く。

10/18

Howard ShelleyのモーツァルトPC20,23(1991?)を再度試す。彼は以前(確か、会社で)聴いた時の印象が悪く、「悪いね!」(Thumbs down)を付けていた。

PC20のオケは悪くない。ピアノも。一体、何が悪かったんだろう? その時の気分? わずかに速目なことかも。→ Thumbs downは解除。 → たまにわざとらしいことかも。それでも、Thumbs downほどではない。音はいい。が、やっぱり、少し速目で、時に乱暴に聞こえるのが玉に瑕。

続いてPC23。イントロは普通にいい。オケはいい感じ。弦が美しい。ピアノも普通にいい。 → Thumbs downは解除。一体、何がそんなに悪かったのか??

第3楽章中盤の、弦の軽いピチカート(?)が綺麗でいい。中盤の、ピアノが溜めてから和音を弾くところは、もう少し強くして欲しい。音は流麗で綺麗だ。

グールドのゴルトベルクは、やっぱり最高だ。

Akiko Iijimaという人(シンガポール在住?)のK.332(1995?)、音をすぱっと切るのが嫌。

Klara Wurtzいう人のモーツァルトPS9は悪くない。安心して聴けるし、乗れる。

ブロンフマンのラフマニノフPC3(2004。NHKのライブ。入院前に、気に入った曲でGPMにないものをアップロードしておいた)は見事だ。

10/19

手術の日の朝、定番のポリーニのモーツァルトPC23。

10/20

ファジル・サイ(Fazil Say)という人のK.488(2004?)。イントロはいい。ピアノはちょっと落ち着かない感じ。だが、小気味いいとも言える。

やっぱり気に入らなかったので、イヴァン・モラヴェッツ(Ivan Moravec)という人の(1975)に替えた。イントロのテンポはいい感じ。ピアノも悪くない。チェコの人らしい。オケが、いつもは聞こえない音を出していていい。

第2楽章もいいが、もう少し滑らかに弾いた方がいい(好みの)所はある。

彼のモーツァルトPC25(1974)は、普通にいい。

続いてモラヴェッツのモーツァルトPC20(1997)、イントロはいい。

つくづく、世の中には上には上が(すごい演奏者が)いると思った。

10/21

ラフマニノフPC3を探していて見つけた、Henri Sigfridssonという人のラフPC2(2007?)。普通に良い。全く安心して聴ける。

彼の演奏は余りにさらっと流れて、これでいいのかとすら思える(今のような時(朝4時頃に目が覚めて)にはいいのだろう)。

彼のラフマニノフPC3は少し遅めだが、遅過ぎない。ただ、ちょっと弱い? 第3楽章、終盤のいいところでちょっと焦ったか? 間が少し短かった。

久しぶりにRush "Power windows"。ヘッドフォンだと、今まで気付かなかった音が聴こえる。

更に、久しぶりにビートルズ "Abbey road"。ヘッドフォンだと雰囲気がちょっと違う。音が近い。音量が大きいせいか? メドレーの曲間で切れることあり。切れないことが多いので、結構惜しい。

次はELO "Discovery"。

Queen "Greatest hits"(リマスター)の最後は"God save the Queen"でなく、「手を取り合って」なのがすごく残念。日本向けなのかも知れないが、あのアルバム(ベスト盤)の良さが台無しだ・・・

いつものように隣のベッドのジジイのTVの音が鬱陶しいので、"Get the Knack"を聴いて、ストレスを解消する。

10/22

気分転換にK.488。レオン・フライシャー(Leon Fleisher)という人の(2009)を試す。オケは滑らかでいい。ピアノも滑らかでいい。ただ、ちょっと弱目(音が平板的)かも。

彼は悪くないけど、あっさりしていて物足りないきらいがある。でも、朝には丁度いい感じ。ポリーニの系統かも。

彼は病気で長く右手が使えなかったそうだ。それが、近年、治療で回復したとのこと。すごい。(上は回復後の演奏) そのせいで、弱目なのか? 関係ないとは思うが。

10/23

リヒテルの平均律(第1巻 第1曲)はイマイチ。音がはっきりしない。パワーがない。

10/24

起きたらK.488が頭に流れて来たので、ペライアの(2013?)を聴く。オケはいい。

悪くない。普通に良かった。順番は違うが、ポリーニのアルバムと同じく、第19番と一緒になっている。

K.488で見て、Lars Vogtという人のゴルトベルク(2015?)を聴く。 → 悪くはないが、まあまあ。エコーが多いのは嫌だ。そのせいか、雰囲気が伊藤栄麻のに似ている。

10/25

アルゲリッチとエコノムの「くるみ割り人形」の「花のワルツ」がゆったりしていていい感じ。CDを持っているが、すっかり忘れていた。

ポリーニの平均律(BWV852の前奏曲)はイメージが違う。滑らか過ぎる。エコーも多過ぎ。

ピレシュのK.545-1は、ちょっと「やっつけ仕事」っぽくて良くない。音も軽い。

ブレンデルのモーツァルトPC21-2、ゆったりしていてなかなかいい。

五嶋龍のベートーヴェンの「春」は、パンチなのか深みなのかキレなのか、何かが足りない。姉のMidoriの方が良いと思う。調べたら、彼女はもう45歳とか。ずっと子どものイメージだったが。うーん、、、

10/27

コチシュのK.488。彼らしく速いが、これは速過ぎて駄目。

HMVの広告で見た、Seldom Seneとかいうリコーダーのグループのゴルトベルク。おもしろそうだから聴いたのだが、いかにも「滑らかでござーい」。鬱陶しくて全然駄目。

10/28

ポリーニの「月光」-1の出だしがいい。全体もいい。同じく「悲愴」-1の出だしも力強くていい。

そして今。石川ひとみの「もしもピアノが弾けたなら」(2013。カバー)が意外にいい。雰囲気は全然違って、「え、ピアノ弾くの?」って感じだが、これもありだw

 

読み返すと、ほとんど毎日K.488(モーツァルト ピアノ協奏曲 第23番)を聴いていて、我ながら、いかに好きかが分かる。

  •   0
  •   0

GPM(Google Play Music)が思ったより使える。基本機能はもちろん、"I'm Feeling Lucky"ラジオ(何か分からないが、その人の好きそうな曲を掛ける?)もいいことが分かった。数日前、聴きたい曲もラジオも思い浮かばなかったので試してみた。最初の頃に試した時は、予想通り、クラシック音楽が楽章ごとに混ざっていたので、「邪道だ!」と思って使っていなかったのだが、その時は考えるのが面倒だったし、「一楽章だけでも、新しい曲や演奏を試すのもいいか」という気分になったのだ。

実際に聴いてみると、確かに全曲でないのは嫌だが、それぞれの作曲家や演奏者の特徴が分かる場合があって、意外に良かった。まあ、好きでない作曲家に関しては、今までのイメージが覆ることはほとんどない(例: パガニーニは時代がかった感じ、ベルリオーズは苦手、プロコフィエフはやっぱり変、ワーグナーはダサい)のだが、たまに、今まではほとんど聴かずに敬遠していたけど、実は結構いけると思う人(曲)があった。以下に例を挙げる。

  • フォーレ バイオリンソナタ 第1番 (第4楽章): 結構いい。
  • フォーレ 「夢のあとで」: 綺麗でいいかも。
  • ハイドン ピアノソナタ 第37番 作品30-3 (楽章不明): モーツァルトに通じるものがあって、馴染める。
  • ハイドン ピアノソナタ 第43番 作品41-4 (楽章不明): 聴き応えがある。

上を見ると、新たにフォーレやハイドンを試すのも良さそうだ。が、やっぱり、何となく面倒ではあるw それにしても、フォーレはどこから出てきたのか??

また、演奏者についても、いくつか再発見あるいは印象の変化があった。

  • ソコロフ: シューベルト 「3つのピアノ曲」 (第3曲)では、キレやパワーや広がりがあっていい感じだったが、別の曲(ゴルトベルク(ライブ))では、アクが強過ぎるのか、なんか疲れて飽きた。
  • キーシン: 基本的に遅すぎるイメージがあるのだが、「展覧会の絵」 (「バーバ・ヤーガ」)は結構良かった。

掛ける曲は、今までに「いいね!」(Thumbs up)したものやライブラリに保存(「お気に入り」のようなもの)したものや再生回数が多いものの傾向(作曲家、演奏者)から判定しているようだ。更に、どういう条件なのかは不明だが、クラシックだけでなく、ポップ音楽も掛かる(しかも、クラシックとポップ音楽が混ざらないのがありがたい。ラジオの再生を開始した時点で、どちらになるかが決まるようだ。)ので、なかなかおもしろい。

GPMには数千万曲もあるから、聴きたい曲・演奏が決まらない時や、知っている曲・演奏に飽きた時には丁度良さそうだ。旅行に例えれば、基本的には自分で全部決めて運転するドライブがいいが、たまには、行き先不明で、何も考えずにただ座っていれば(寝ていても)、「どこか」に行ける、ミステリー・バス・ツアーもおもしろいようなものだ。

PS. こういうところは、GoogleはSpotifyよりはるかにまともだと感じる。Googleは、昔(検索で始めた時)から、こういう機能をことさら宣伝せずに、淡々と(ある意味余興なのかも知れない)作って出すが、決して押し付けない。その点は当時から評価していた。ただ、「もう(飽きたから?)止めるので、別のを使ってね」が多いのは困るがw

一方でSpotifyは、全然使ってないのに勝手に「あなたのためのプレイリストを作りました!」などというお節介なメールを(解除しているのを無視して)押し売りのように送りつけてくる(しかも、最初の頃に見たら、そのリストの中身は全く的外れだった)。文化・センスの違いが大き過ぎる。例えれば、GoogleはUnix系、SpotifyはMicrosoft系だ。

  •   1
  •   0

自動車メーカー2社が最終検査で法を守ってなかったとかいう問題。僕の好きな東海のS社は大丈夫か、内心心配していたのだが、大丈夫だったので、ほっとした。が、それは、S社の車が高品質である保証ではない(もちろん、低品質だという訳でもない)。

というのは、その法律を読んでいないが、ニュースで読む限り、最終検査は社内規定をパスした検査員が実施すればいいのだから、社内規定を甘くすれば検査員はいくらでも増員できるので、法を守ることは容易だと思えるからだ。実際には、国がその社内規定をチェックしそうなので、大甘にしたら怒られるだろうけど、ある意味、「さじ加減」ではなかろうか。

じゃあ、なんで、あの2社はそういなかったのかという疑問があるが、まあ、単純に「アフォだった」ということかw そして、何度も味噌の付きまくっているN社の車は、もう絶対に買わないだろう。もちろん、北関東のS社も、意識高そうなふりをして実は意識低かったので、一言で言えば存在価値がなくなった気がするので、買わないw

  •   0
  •   0

術後から退院までの話の最後は、余った細々としたことを書く。なお、入院中にGPMで見つけた好みの演奏者については、別途書きたい。

リハビリ

医学の常識が変わったのか、今は、手術の翌日から積極的に身体を動かすように指示される。そうすることで、傷の治りが早くなるそうだ。

僕の居た病棟では、その階を歩いて周回することになっていた。術後しばらくは点滴が付いたままなので、キャスターがキーキーいう点滴の台を引きながら高速に周回する人が多かったから、なかなか賑やかだった(というか、うるさく感じることもあった)。

僕も点滴が外れるまではそうしていたのだが、一周30秒程度なので、飽きるうえに全く物足りなかった。それで、点滴が外れた後は、階段で一階まで降り、外来や受付の辺りまで徘徊していた。そして、途中の売店でお菓子や飲み物(例: チョコやコーヒーやポテトチップ)を買うのが楽しみだった。もちろん、戻る時は階段を昇った。その際、転倒・転落して本末転倒にならないように、細心の注意を払ったw

余談: 小学生の頃、虫垂炎で入院した時も、術後数日したら暇を持て余していたので、院内を徘徊していた。ただ、地下の階に行ったら、霊安室のような部屋があって、(ほとんど予備知識がないのに)ただならぬ雰囲気を感じたのを覚えている。だから、今回はそのような領域に近寄らないように、結構注意していた。

看護師さん

いつも忙しそうにされていて実際そうだし、ミスは許されないし、夜勤もあって体力的にも過酷だから、とても僕などにはできないと思う。そして、彼女/彼らの置かれた微妙な立場に少し考えるものがある。

日本だけなのかも知れないが、彼女たちは、(仮に自分が正しくたって)医師の指示には逆らえないし、患者にも厳しくできないし、事務の人からもいろいろ指示されるだろうから、いろいろなものの板挟みになって、辛いものがあるだろう。

更に、法的に医師の指示がないと何もできないから、能動的に仕事ができないのも辛そうだ。確かに、学校では医師ほど詳しい知識は学んでいないだろうが、中には独学や経験で詳しくなった人も居るだろう。そういう人には、「しょうもない医師」の誤りを(言われるままにする方向もあるだろうけど、)どうやって角を立てずに修正するかの技術も要りそうで、やっぱり大変だと思う。個人的には、看護師が医師と議論できない(これは僕の想像)世界は無理があると思うし、良い方向には進まないと思う。

苔むした車

リハビリ兼徘徊の時、ちょっと外(病院の玄関の前)にも出たのだが、駐車場の一台の車に目をひかれた。びっしりではないが苔が生えていて、部分的に薄茶や緑色になっていた。その持ち主は一体どうしたのだろうか? 長く入院しているのか、この世にいないのか、ちょっと気になった。廃車するのが面倒で放置した可能性もあるが、ナンバーが付いていたから、それはないだろう。

あるといい物

大抵の物は旅行の要領で準備すればいいし、必要なものは入院の手引きに書いてあるのだが、事前には気付かないものもあった。以下にそんな物を列挙する。

  • 針金のハンガー: 床頭台の後ろの方に服を吊るして入れられる場所があるのだが、横棒だけでハンガー自体はなかったため、母に持って来てもらった。
  • 縦長のコップ: 普通のコップである。最初は、幅広の浅い物を持っていたのだが、それだと箸や歯ブラシを洗った後に立てておけないので、普通の深い物の方が便利だ。
  • ペーパータオル: なくてもいいが、食後に箸などの食器を洗った後、これで拭くと乾きやすい。
  • バスタオル: 通常のシャワー用以外に、手術後に身体をベッド間で移動させたり(看護師さんが引っ張る)、術後は血が出る可能性があるので、シーツを汚さないように身体の下に敷くのに使った。病院に依るだろうが、前のところでも要ったので、ほぼ共通のようだ(本来、入院の手引きなどに書かれるべきなのだが、なぜか書いてなかった)。
  • ストロー: 腰に麻酔をしたため、手術直後は頭や上半身を起こさないように指示される(頭痛の原因になるため)。が、水分を飲むことは可能なので、寝たまま飲むための道具が必要になった。何を使っても難しいのだが、ストローをペットボトルに挿して飲んだ。個人的には、飲むくらいの短時間なら起こしても問題ないと思うし、持ち上げないように注意していても軽い頭痛になったから、余り重要ではないように思う。

また、ウェットティシュー(除菌タイプ)があると、術後動けない時には、食前・食後に手や箸などを拭くなどに便利だ。今回はすぐに動けたので、余り使わなかった。ちなみに、これでスマフォの画面を拭いたら、ピカピカになった(ただし、材質によっては、曇ったりコーティングが取れたりすることがあるので注意)。

他には、スマフォの予備の充電ケーブルとACアダプタを持って行った。ケーブルやアダプタが壊れてスマフォが使えなくなったら、万事休すの時代なので。同様に、災害時に要りそうだったので、モバイルバッテリーも持って行った。また、電気カミソリのアダプタも持って行った方が安心だ。

なお、電熱器具の持ち込みが禁止されていたので、ドライヤーは持って行かなかった。そうでなくても、物を減らすために持って行かないつもりだった。実際には、洗面室に共用のがあったし、そもそも、手術の前の日しかシャワーの案内がなく、他の日は蒸しタオルで身体を拭くだけだったので、持って行っても無駄だった。

体重の変化

退院後は、入院前に比べて約1kg減った。食事のカロリーが最適だったからか、疲れたのか、両方かは分からないが、それほどお腹が空かなかったので、味はともかくとして、病院の食事は良く考えられているのだろう。なお、体脂肪率はほとんど同じだった。

GPMのデータ使用量

5日間(実質4日間)で約2.2GBを使用したので、1日辺り約550MBだった。繰り越しのおかげで使用可能データ量はまだ余っていたし、低速モードも使えることが分かったから、聴こうと思えばもっと聴けたのだが、ヘッドフォンは耳が疲れるので、これ以上は体力的に無理な感じだ。あと、ヘッドフォンは横臥して聴けないのが不便だった(これはイヤフォンでも同様)。

やっぱりSpotifyはクソ!

前にも書いたように、Spotifyの通知メールを全部offにしたにも関わらず、なおも「あなたのためのプレイリストがあります」のような余計なメールが来てムカついたので、入院中ではあったが、退会した。あそこは、そのうちシステム的に破綻すると希望予想している。

  •   0
  •   0

手術後の深夜から退院までの話、その2。いよいよ、怒りの日(夜)などについて。

お世話になった病院は、医師の腕、充実した設備(特に手術室)、スタッフが親切などの点で、かなりいい感じだったのだが、それを帳消しにする大きな問題があった。

患者のレベルが低過ぎるのだ。田舎者ばかりだったのだ。

とても不思議だったのだが、立地のせいなのか、この病院の患者は(悪い意味での)田舎者、しかも、高齢者が多かった。田舎だって、まともな人や若者は居るはずなのだが、外来でも病棟でもほとんど見なかった。別の病院に掛かっているのだろうかと思う。そして、先日、母と話していて思ったのだが、他の病院はルールに厳しい(予想)ので、自ずと田舎者を遠ざけてしまうのかも知れない。

なお、ここで言う「田舎者」は、居住地で区別しているのでなく、行動で区別している。だから、都会に住んでいたって、後述する行動をするのであれば、「田舎者」だ。別の言葉で言えば、「(30年以上前の)典型的な日本人」かも知れない。僕は80年代もバブル期も好きだけど、そういうのは大嫌いだ。

まず、田舎者の以下のようなことが嫌だ。

  • 「自分だけは特別」:自分さえ良ければ、他人が迷惑を被っても知ったことではない。そして、どういう訳か、(どこかの有力者であるかのように)自分だけは特別扱いされて当然のように思っている輩が多い。
  • マナーがない。ルールを守らない。: 知らないのか知っていて無視するのかは不明だが、どちらしても迷惑だ。まるで、今が30年前であるかのようなことを平気でする。
    • 例: 病室で携帯電話をマナーモードにしない(例: 最大音量の着メロ)どころか、平気で通話する。
  • [特に男] 偉そうに振る舞う。: どういう判別をしているのかは分からないが(おそらく、見た目の年齢が自分より上か下か)、自分より下と見た人には、ぞんざいだったり、偉そうに振る舞う。何かしてもらっても、お礼を言うことはまずないし、悪いことをしても謝ることはない。
  • ズルい。: 例えば、後でいい訳できるようにしたいのか、自分で決めない(判断しない)。他には、角を立てたくないので、他人に対する意見もしない。
    • 例: AとBのどちらがいいか聞かれても返事をせず、相手が「じゃあ、Aにしましょうか」などと言うのを待つ。そうすれば、結果が思わしくなかった場合、他人に「なんでそんなことにしたの?」と聞かれた時に、「*がそう言ったからだよ」などと答えられ、自分には非がなかったようになるので。
  • 無駄に見栄っ張り。: 上にも通じるが、例えば、何かを選ぶ時に、安い方を選びたいとしても、まずそうは言わない。安い物を選ぶ時は、相手に言わせて、「セコい」というそしりを受けないようにする。もし相手が言ってくれない時は、言うまで曖昧な態度を取る。他には、分からないことを、素直に「分からない」と言わないし、質問することもしない。
  • 過剰な同調圧力・均質化、しきたりへの従属圧力: とにかく、「普通」(=「みんな」がしていること)やしきたりと異なることを避ける。田舎では、個性(=自分の意見)は悪である。あるいは、上にも書いたが、個性を出して失敗して、他人に影でなじられるのが嫌なこともあるのだろう。その反面、「自分だけ*したい/して欲しい」という隠れた願望が絶対にあるので、厄介この上ない。
  • 自分に規範がない。: 上にも関連するが、「みんな」がしていることが「正しい」ことになり、自分がどう思っていようが(何も考えていないのかも知れないが)、その時の周囲の大勢の行動が規範となる。昔の「赤信号、みんなで渡れば怖くない」の世界だ。だから、一旦、その場の誰か(特にボス的な人)が常識的なルールを破れば、その場は無法地帯となる。今の日本でも、まだこういう人は多いようで、逮捕されても「みんなやってるからやった」とか弁解する人が居るが・・・
  • 明らかな裏表: 表面上は親しそうに振る舞ったり何かを褒めても、影では平気で悪口を言う。
    • 例: 表: 「いい色の車だねえ」 → 裏: 「あそこの息子、黄色い車なんて頭おかしいんじゃない?」
  • [特にオバさん] だらしない。: 自分だけでなく、周りを巻き込んで、ごく当たり前の常識的な行動ですら、「気取っている」などのレッテルを貼って影で攻撃するので、そこでは、「オバさん行動」が正義となってしまう。そんなに堕落したいのだろうか。

全く無意味で下らなく、全然生産的でなく、何の将来もない。それらは僕が実家の地区に住みたくない原因でもある。

次に、今回の入院で見た、田舎者の悪行を列挙する。

  • ベッドで電話。マナーモードも知らない(ふりの)ようだ。
  • TVやDVDは、イヤホンを使わずに、音を外に出して観る。
  • 病室で騒ぐ。女性の病室が朝からうるさくて、とてもイライラした。話し方も品がなくて、女を捨てたゴリラたちかと思った。一人「ボス」がいると、他の人もうるさくなって、たちが悪い。
  • 患者の家族が廊下で延々としゃべっていてうるさかった。しかも、こっちのベッドが見えるところに立っているから鬱陶しかった。
  • 看護師さんに割ったコップの掃除をさせておきながら、自分はのうのうと電話をするジジイが居た。そんなに重要人物なのかと思った。そして、どんな重要案件があったのか?w
  • あるガキ(40代)のDQN家族は、ナースコールで「(紙を貼るような)テープないですか?」と、当たり前のように聞いていた。ここはホテルだったっけ? 全く呆れ果てた。それに親切に対応する看護師さんもどうかと思うが・・・

頭に来るのは、看護師さんたちがルール違反を見ても全然注意せず、当たり前のことのように看過していたことだ。スタッフも田舎者だから、病院も「それなり」になっているのだろうか。

最後に、退院日前の「怒りの夜」のことを書く。

僕のベッドには、位置の関係で、廊下の非常口の照明の光が届くのだが、それがが眩しくて眠れなかった。更に、隣のジジイが消灯後(午前3時頃にも!)にTVを点けたので、カーテン越しだけど、画面の明かり(しかも、明るさが変わる)が眩しく、ベッドの両側が眩しい状態で、どちらを向いても寝付けなかった。助かったのは、ジジイは夜はイヤフォンを使っていたことだった(だから、ルールを知らないのでなく、故意に破っているのだろう)。更に、どうしてか、そのジジイはベッドを頻繁に上下させていて、モーター音もうるさかった。

奥のガキ(40代)は、アニメのご鑑賞をしていて、ジジイのTVが聞こえない時にはその音が聞こえてきた。更に、夜中にビニール袋をガサガサさせ、食べ物をポリポリ食べ、独り言なのか携帯なのか、「傷が痛い」だのなんだのと言っていた。そのガキは、苦痛を全部他人(医師や看護師)のせいにしてばかり居た。しかも、直接は言わずに、影で言うだけだ。あれじゃ良くならないと思う。

そして、点滴中の患者がトイレに行くたびに、点滴台のキャスターがキーキーいう(ほぼ全部の台が鳴っていたと思う)のもうるさかった。本当に手入れした方がいい。

最後は、前にも書いたが、頻繁なナースコールの呼び出し音だ。しかも、看護師さんが忙しいので、音がなかなか消えない。

本当に参った。ブチ切れたかったが、そうしても何の得にも解決にもならないし、次の日で退院できるので、ひたすら耐えた。

そして、ようやく迎えた翌朝、K. 488を聴いたらむかつきが減ったので、やっぱりモーツァルトは偉大だと思った。

  •   1
  •   0

(naokiさんの投稿にコメントを追加しようと思ったのだが、独立した投稿の方が良さそうなので、書く)

はっきり言って、僕自身、「ヒーリング音楽」というものをほとんど聴いたことがない(耳に入ることはいくらでもあっただろうが、聴こうと思って聞いたことはない)。退屈だからだ。だから、以下は全部想像をもとにして書いたので、間違っていたら申し訳ない。

ヒーリング音楽と聞いて思い浮かべるのは、naokiさんの書かれていた、シンセを使った、安直な、耳触りはいいけど単にだらだらとした音楽である。次は、オカリナだの縦笛(リコーダー)だのの柔らかい音で滑らかに延々と演奏するもの。あとは、弦楽合奏(これも、柔らかく滑らかに延々と)、あるいは少人数での女声合唱だろうか。後の三者の大体は、バロック音楽(例: ヴィヴァルディ、パッヘルベル、バッハ)だろう。

もちろん、それらの音楽が駄目と言うつもりはないのだが、ヒーリングに使うのは安直過ぎないか。「柔らかく滑らかな音+延々 → 疲れない → ヒーリング」という思考停止に陥っていないだろうか?

「毒にも薬にもならない」という言葉があるように、そういう曲・演奏は、毒にならなければ薬にもならないのではないだろうか。例えば、ぬるいお風呂や温泉に長時間入るだけで癒やされるかという話だ。そういう人も居るだろうが、そうでない人も多いだろう(例えば、サウナが欲しいとか、熱い湯も必要だし冷水浴もしたいとか)。ただぬるい湯につかっているだけで、何がおもしろいのかということだ。

だから、僕は、音楽に癒やしを求める場合だって、ある程度過激な要素のある曲を聴くべきだと思う。そういう曲を聴くことで脳が活性化されて、(精神的)老廃物が燃焼あるいは除去され、その後で癒やしの成分が生まれるのではないかと思う。例えば、激辛カレーを食べると大量の汗が出て、気持ちまですっきりして、やる気が出るようなものだ。あるいは、ギプスをしてじっとしているだけでは骨折はなかなか治らず(更に、関節が固まってしまう)、適度に動いて患部に力を掛ける必要があるようなこと。更には、いつも可愛くにこにこしているお嬢様よりは、ツンデレで時々ど突く子の方が楽しいようなことだと思う(単なる個人の好み??w)。

最後に、今思い付く、具体的な曲の例は以下である(いつもいつも馬鹿の一つ覚えのように出す曲で申し訳ない)。もちろん、曲をただ演奏するだけではだめで、充分な効果を生む演奏者を選ぶ必要はあるだろう。

  • バッハ: ゴルトベルク変奏曲
  • モーツァルト: レクイエム
  • モーツァルト: ピアノ協奏曲 第20,24番
  • ベートーヴェン: ピアノソナタ 「悲愴」、「月光」、「熱情」
  • ショパン: 12の練習曲 作品10
  • ラフマニノフ: ピアノ協奏曲 第3番

他に、「春の祭典」などのかなり過激な曲や、ポップ音楽だって沢山あるが、ここでは割愛する。

ここまで書いて、何となく、「癒やし」というより、脳内フィットネスとか気持ちのリフレッシュになってしまった気がするが、思い付きで書いたことなので、ご容赦頂きたい。

  •   0
  •   0

手術後の深夜から退院までの話、その1。怒りの日(夜)のことを書くのはパワーが要るので、書きやすい話から書くことにする。

看護師さんに限らず、いろいろなタイプの女性が居るが、今回の入院では以下の3人の方の印象が強かった。

  • しっかりした人
  • 世渡りのうまい人
  • 損ばかりしている人

しっかりした人は、手術の日と退院前の夜(から翌朝)に担当してくれた方だ。手術日も最初の日の可愛い人が担当だと思っていたら別の方が来たので、最初はがっかりした。でも、彼女は手術前のさまざまなことを卒なくこなし、とても安心できた。また、前日の人が伝え忘れたこと(術後に備えて用意しておく物)を教えてくれた。実は、事前に調べて要りそうだったので既に用意してあったのだが、その結構重要なことを忘れるか気付かなかった前日の人(=可愛い人)が結構いい加減なことが分かって、ちょっとがっかりした。

更に、退院日の朝は検温などは不要のようなので、特に来なくてもいいと思うのだが、様子を聞きに来てくれた。彼女はしっかりしているし、責任感が強く、きめ細かな仕事をするから、将来は師長になるのではないかと思った。ただ、外見もしっかりした堅い感じなので、少しだけ、冷たそうなとっつきにくい雰囲気がある(実際はそうではないのだが)。例えれば、大映ドラマの伊藤かずえ

世渡りのうまい人は、最初の日の可愛い人である。悪人ではないのだが、結構へまをやらかしたり、手抜きをする感じだ。が、持ち前の若さ・可愛さと上手な逃げで、自分に火の粉がかからないようにしているフシがある。気に入らない性格ではあるが、本人を見るとつい許してしまうので、困ったものだw 例えれば、往年の松田聖子

(10/24 3:27追記) 良く考えたら、看護師さんは女性がほとんどなので、彼女の強み(若さや可愛さ)は役に立たず、デメリットですらあるかも知れないことに気付いた。そして、実際には、彼女は経験が浅いから、本当にへまをやらかすだけで、手を抜いたり誤魔化そうとしている訳ではなく、見えないところで先輩たちに結構絞られているのかも知れない・・・ なんて考えると、肩を持ちたくなってしまうw

が、そこが彼女のうまいところで、実は、男の医師や偉い人たちからは好かれているから、先輩から絞られても「まあまあ」などとかばわれるのかも知れない。でも、仮にそうであったら、逆に、彼女の看護師の中での立場が結構厳しくなりそうだから、余り辛く当たるのは可哀想だ(などということは空想のし過ぎだろうw)。

損ばかりしている人は、退院前日の日勤の方だ。朝の挨拶の時は何となくやる気がなさそうだったのだが、実際にはそうではなかった。物静かだけど、親切で丁寧な人だった。

例えば、向かいの人がコップか何かを落として割ったら、その音を聞いて来て、ちゃんと掃除していた。当たり前のことだけど、看護師さんは忙しいから、普通は聞こえても(呼ばれなければ)無視するとか、他の人に頼むとか、適当に済ませそうではないか。少なくとも、世渡りのうまい人はそうしそうだ。

そして、退院に関する事務的なこと(退院する時刻や概算額)が不明だったので聞いたら、ちゃんと調べてくれた。そして、思わぬ落とし穴(休日は計算する人が居ないので、額は分からない)があって困ったのだが、彼女も知らなかったようだけど、どうすればいいかを調べてくれた。結局、後日の精算・支払いとなったのだが、その件を説明する時、いかにも困った感じの顔や話し方やしぐさ(なぜか、ベッドに貼られた余計なシールを剥がしていた)が妙に可愛いかった。後で思ったのだが、「全然問題ないですよ」と、頭を撫でてあげたいくらいだった。

きっと、いい人なんだけど、要領が悪くて(世渡りのうまい人と違って白衣が若干汚れていたのが、そう感じさせる)いつも損しているのだろう(実際には、そうやってこっちの怒りをかわす高等技術なのかも知れないがw、そうでないと信じる)。そして、その説明をしてくれた時は、おそらく彼女の業務時間外(夜勤の方(=しっかりした人)に交代した後に来てくれた)だったと思うのだが、(世渡りのうまい人だったらしそうだが、)次の人に投げずに自分で来てくれたのがありがたかったし、感心した。例えれば、「ドジでのろまな亀」。

(10/24 6時追記) 彼女にはもう一つエピソードがあるので、是非書きたい。: 昼の検温で血圧が高かった。その病院では良くあることなので、「また上がったか」と気にしなかったのだが、彼女は、「私が突然来て飛び起こしちゃったから、高くなったのかも知れないですね。また来ます。今度は静かに入って来ますね。」と言い、実際、夕方に「静かに」来てくれた。

血圧が高かったら、その場で測り直してくれる人は多いが、後で来てくれた人は彼女だけだった。時間をおいて測るのはいいことだけど、忙しいのにそんなことを覚えているのは大変だろうし、手間が増えるだけで何の得にならない。だから、彼女は本当にいい人で、効率良く済ませるのでなく、最良のことをしたい人なのだ。

余談だが、その人は、どうしてか目が輝いていてとても綺麗だったし、小柄で丸顔で、僕が勝手に「雀頭」(本来は書道の筆の形状。小学校の時、習字の時間に校長先生が教えてくれたのを、いまだに覚えている)と呼んでいる、ショートボブを後ろでちょこっと束ねた髪型が可愛かった。

更に余談だが、実は、その髪型は、ボブとポニーテールが合わさっているので、僕にとっては最も怖いものであることに、今初めて気付いたw だから勝手な名前まで付けて長年覚えていたのか・・・

てな訳で、上の3人の中では、「損ばかりしている人が最高」という結論になった。なんてことを書くのは全くもって余計だw

(10/24 7:55 例えればを追加)

  •   1
  •   2

入院中に暇つぶしにニュースを見ていたら、「ザ・クロマニヨンズ 「音楽で大層な事を目指している人が多い気がする。俺達は楽しければそれでいい」」という記事が目に入り、読んでみた。

インタビュー記事で、例に漏れず結構長い(だから、インタビュー記事は嫌いだ)のだが、彼らの意見には大体賛成だった。印象に残ったのを挙げると、

なんか物事を表現する人には、苦しんでて欲しいわけでしょ(笑)。 / そこで感動したいわけでしょ、みんな。感動に着地したいだけだよね。

は、僕が常々言っている、「作品と背景は無関係」に通じるし、

特に感じてるのか、思ってるのかもわからないんです。思ってないことはよく歌詞になってますけどね(笑)。

は、別に何かを思って書かなくても(聞き手に、その「何か」を押し付けなくても)、結果(曲)が良ければ(楽しければ)いいということだし、

曲を書かなきゃいけないという意識もないし

は、「努力してやる必要があるなら、才能はない(から止めた方がいい)」ということだろう。

それで、「これは是非聴いてみたい!」(でも、実際に聴いたら、好みでなくてがっかりする予感はしていた。というのは、グループ名が気に入らないので)と思い、さっそくGPMで検索してみた。

が、1曲もなかった。グループのエントリ(場所)だけしかなくて、がっかりした。

どういう事情かは知る由もないが、何となく、彼らの意向があるような気がする。それは、彼らはずっとアナログ盤も一緒に発売していることから感じた。もちろん、根拠などないが。

インタビューで、「楽しければそれでいい」、「行きあたりばったり」と言っている割には、売り方ではなにか「大層な事を目指している」感じで、その矛盾に幻滅してしまった。僕は、自分たちの主張を通すより、どんな形でもいいから(=「行きあたりばったり」に)、いろんな人に作品を聴いて楽しんでもらう方が重要だと思う。

実際には、今、PCでページを見ると、何か聴くだけなら、そこに載っている「どん底」の動画で充分なことに気付くが、彼らの(まとまった)アルバムが聴きたいし、もう聴く気を失ってしまったので、クリックはしない。

(10/23 9:55追記) 良く考えると、僕は常々「本人の性格や背景は仕事と無関係」と考えているのだから、彼らがどんなにいい考えを持っていたって、曲や演奏がいいとは(僕が気に入るとは)限らないのだから、気に入らない予感がするなら、ことさら聴く必要はなかったのだ。でもまあ、いろいろ試してみるのは無駄ではないだろう。

  •   1
  •   0

予後も良く、予定どおり退院となって、母の車で帰宅。玄関に入ったら、ほっとした。病院(常に22-23℃だった)と違って涼しい(16℃台だったか)。時間が経つと寒く感じるのだろうが、これはこれで気持ちいい。

とりあえず、ポップ音楽をシャフルで掛けたら、最初はThe Carsの"Hello again"だった! なかなかいい感じだ。

とりあえず、ホッピーを飲む。おいしい。やっぱり、自分の部屋は落ち着く!!

 

今日久し振りに読まれて、「退院? 入院したの?」と驚かれる方もいらっしゃるかも知れませんね。退院までの「怒りの日」(注: 病院自体は良かったけど、客層が悪かったのです)などについては、追って書きます。

 

PS. 「やっぱり家がいい」のいくつか・・・

  • 椅子の座り心地がいい。座面の柔らかさや背もたれの傾きが丁度いい。
  • 久し振りのマウスの動きが速過ぎて、うまく合わなかった。
  • もちろん、キーボード万歳!w
  • 足が寒い・・・ 電気ストーブの出番か? → 早速出した。
  • 机の天板のさらさらした感触がいい。
  • ヘッドフォンだと、スピーカーでは環境雑音に埋もれてしまう音が聞こえることがあったけど、やっぱり、スピーカーで聴く方が、開放感があって、耳が疲れなくて、断然いい!

PS2. 番外編: やっぱり自分の車(運転)がいい・・・

母の車で帰ってくる時、何度か肝を冷やし、疲れが増してしまった。

  • 2車線が右折できる交差点で、右車線で右折した後、何のためらいもなく、左車線に入っていった。左車線で並走して右折した車が、こっちの怪しい動きを察知して減速してくれたので、何もなかったが・・・
  • 別の交差点で右折待ち中に、なぜか、「あんパン買ったよ」とのたまわった。信号は黄で赤になろうとしていたのにも気づかず、僕が指摘したらあたふたしていた。末恐ろしい・・・

思い出すと、短い道のりなのに、他にもいくつかあった。

そんな母は、僕が何度言っても高齢者マークを付けない。どういう気持ちなのか分かる気もするが、やっぱり理解できない。かっこ悪いと思っているのかも知れないが、自分の得(周りが注意・回避し・諦めてくれる)になることもあるのに・・・

(16:49 わずかに加筆・修正、PSを追加; 19:50 PS2を追加)

  •   0
  •   1

昨日、手術が無事に(成功かはまだ不定)終わった。いろいろ思ったり気付いたりしたことがあったので、書く。

前の夜は余り眠れなかった。手術の緊張のうえに、非常口の照明が眩しく、更に、部屋の人のいびき・寝言、頻繁なナースコールの呼び出し音、看護師さんの動く音がうるさく、そして空腹だったためだ。

隣の人が退院した直後に、別の人が入って来た。すごい回転率だが、現場の人は忙しくて大変そうだ。

大きな病院には、さまざまな種類の医師、看護師さんや他のスタッフがいる。外来、病棟、手術室(他にも居るかも)。更に、手術室の中でも同様だったので、ものすごい分業体制だと思った。これだと、確かに取り違えなどの事故は起こり得るだろう(この病院は、それらの防止に注力している)。

それなのに、患者の意識が低い場合があり、入院準備の説明に書いてあることすら守らない(例: お薬手帳や飲んでいる薬を持って来ない)人や、事前の調査(病歴など)に協力しない人(どっちも新しい隣のジジイ)が居て、苦労していそうだ。そういう輩の家族が、事故の後で訴えたりすることも多いのではないか。

斜め奥のガキはアホニートアニオタだろうか(「ガキ」と書いたが、歳は40代のようだ)? こっちの手術前に80年代のTVアニメのDVDか何かを延々と大きく掛けて、ものすごくイライラさせられた。

手術室のある棟は、すごく新しくて、いかにも最先端の感じだった。病室とは偉く違っていた。手術室は町工場とか工房の雰囲気だった。今回は今までで一番、準備が長かった。緊張のせいか、手術直前の血圧は200くらいまで上がり、手術中はずっとアラームが鳴りっぱなしだった。恐ろしいものだ。終わったら、ようやく下がって来た(今は、いつもの値に戻っている)。

手術の準備中、何をやるか、その都度教えてくれたし、頻繁に大丈夫か聞いてくれた。それはありがたかったが、手術が始まったら、「近くに居るので、気分が悪くなったら言って下さいね」と言われたのは、果たして万全と言えるのか、少し不安だった(麻酔が効きすぎて血圧が下がると、そのまま意識がなくなるので)。まあ、実際には、どこかからちゃんと見ていてくれたのだと思うが。

手術中は随分いろいろな人が出入りしていた。例えば、初めの看護師さんと最後の看護師さんが違っていたように思う(同じ人も居た)。手術も、複数の医師が分担しているようだった(監督と選手?)。ただ、大病院なのに麻酔医が居ないのが意外だった。

麻酔の痛み止めの針がかなり痛かった。本物はもっと痛いのか。前回もこんなに痛かったかと思う。

手術用ベッドの表面がレザー張りのクッションのように柔らかかったのは、意外だったけど良かった。これも進歩なのだろう。ただ、幅はすごく狭かった。お相撲さんはどうするのだろう?

手術全体は1時間ちょっとで終わった。本体より準備と後始末が長かったようだ。そういえば、どこかのページで、電気メスを使うと肉の焦げる臭いが充満すると読んだが、全然そんなことはなかった。そんなことになったら、スタッフも患者も辛いだろう。余程ひどい病院の話なのだろうか? 焼肉屋のように、設備の差か。

部屋に戻ってiPhoneをいじろうとしたら、右手人差し指に酸素濃度センサが着いていて、アンロックできなかったw それを中指に移したら、今度は画面の拡大ができなかったw iPhoneは、やっぱり身体の不自由な人を考えていない?

終わった数時間後の夜には飲み物が飲めるようになって、すごくうれしく(前夜から飲食不可だった)、500mlをすぐに飲み干した。でも、麻酔の関係で身体を起こさないように言われていたので、飲むのは大変だった。

注射の成功率は経験によるのか単なる技術なのか分からないが、僕の腕の血管は分かりにくいので、いつも歴然と差が出る。手術日の朝の夜勤の方(年長)は、採血の針を全然痛まずにすっと入れたので感心したが、今朝の人(若手)は痛いうえに途中で駄目になって、2回刺した。見た目はうまそうだったが、外れた。

今朝の朝食はとても楽しみだったので、一気に食べた。その後は、頭がぼーっとし、眼の焦点が合いにくかった。なぜか、身体が動かなかった(力が入りにくい)ので、食べる時はべッドの背を起こして上半身を起こしてもらった。

その後、順次、尿の管と点滴を外してもらい(今日は最初の日の可愛い看護師さんだったので、気まずさは3倍だったw)、今は自由の体になった。どちらも、抜くのは痛かった。尿の管を外した後は、病棟内を歩いてリハビリするように言われた。

看護師さんが見せてくれたのだが、手首近くに刺した太い点滴の針は、本体が柔らかくなっていて(透明なプラスチック: ナイロン?)、血管が動いても曲がって追従できるとのこと。時代とともに医療は進歩していると思った。

それなのに、ここの動く物(看護師さんの手押し車、点滴のスタンドなど)のキャスターは、すべてガラガラ音がする。ちょっと手入れすればいいのに、そんなに時間がないのか?

甘い物が食べたくなったので、見舞いに来てくれた母にアーモンドチョコとコーヒーを買って来てもらった。

そして、さっき、モーツァルトのピアノ協奏曲 第23番が聴きたくなって、イヴァン・モラヴェッツという人の(1975)を見つけた。気に入ったので、続けて第25 (1974)、20 (1997)、24 (1996)番を聴いた。どれも普通に良かった(=安心して聴けた)。つくづく、世の中にはすごい演奏者が(どんな分野にも、上には上が)いると思う。

夜、医師が様子を見に来てくれた。帰りがけなのだろうが、ありがたいことだ。

  •   0
  •   1

今日(20日)の「【台風21号】2015年以来の超大型台風、23日に直撃」というニュースの見出しに思わずにんまりした人、いらっしゃいますか?

20、21、23は、どれもモーツァルトの有名なピアノ協奏曲の番号ですね(15はそれほどでもないですが)。そして、僕も大好きです。もう、この数字だけで、ご飯が数杯は食べられますw

まずないでしょうが、どれかに「アマデウス」なんて名前が付いていたら、「キター!」とか言って小躍りするでしょう。

ちょっと不謹慎で失礼しました(まだ被害がないから、いいですかね?)。

  •   0
  •   0

明日手術のため、昼から入院。設備の都合で、着いてすぐに剃毛・入浴することになり、なかなか忙しかった。

一番の心配ごとだった剃毛は必要な部分だけで済み、気まずいところは除外されたので、すごくほっとしたw でも、術後に管を入れるので、実はぬか喜びだ(爆)

担当の看護師さんは若くて明るくて親切な感じなので良かった。ただ、老眼の話をしたら、お父さんと同い年であることが分かり、複雑(微妙)な心境になったw でも、話が弾んで楽しいし、気も紛れるからいい。

TVは観ないと言ったら、「ラジオと本のイメージです」と言われた。音楽が好き(雑談でなく、仕事での質問)と言ったら、「クラシックですか?」、「すごいですねー」とか言われたので、インテリに見られている?w

なぜか血圧が異常に高かった(上が160くらい)。緊張したのかも知れない。血圧の関係か、眼の焦点が合いにくく、頭もぼーっとしていた。

あとは暇だったので、GPMで音楽を聴いたりしていた。すごく便利だ。が、電池が高速に減り、データ量も高速に増える(推定1GB/日)。データ量がカウントされない低速モード(200kbps)を試したのだが、音切れして駄目だった。曲のビットレートが192kbpsだとすれば、ぎりぎりで無理だし、電波が弱いせいもありそうだが、なんとも惜しい。もっと低ビットレート(例: 96kbps)のモードが欲しい。

→ どうやら、GPMの「再生中にキャッシュ」をoffにすると、低速モードでも行ける感じだ。再生とキャッシュを同時にすると帯域が不足するが、片方なら足りるのかも知れない。(22:31)

→ やはり、低速モードではたまに切れる。ただ、大抵は問題ないので、(あとでビデオを観るなどの予定がないなら、)低速モードは「最後の手段」にして、データ量制限になるまでは高速モードで聴くのがいいようだ。(10/20 19:22)

なお、(4Gの)電波が弱いからといって3Gにしてしまうと、電波は強くなるのだが、全然駄目になってしまった。これは腑に落ちない。ただ、調べると、3Gにするのは得策ではないようだ。(22:49)

あと、ヘッドフォンはやっぱり疲れるから、長くは聴きたくない。でも、イヤホンよりはましだから、まあ、仕方ない。

それにしても、グールドのゴルトベルク(1981)はやっぱり最高だった。乗れる!

他に、Klara Wurtzいう人のモーツァルトのピアノソナタ(第9番) (年は不明)は悪くなかった。安心して聴けるし、乗れた。

残念なこともいくつかある。ご飯はお世辞にも美味しいとは言えない(これに関しては、札幌の病院が最高だった)。他に、田舎らしく、公共心の欠けた人が結構居る。大声でしゃべるババア(患者、面会の人)、ベッドで電話するジジイ、TVをイヤホン(使う規則になっている)を使わずに観るジジイ・・・ みんな、「自分だけなら(誤差の範囲で)大丈夫」とか思っているのか? スタッフがそれを注意しない雰囲気なのも田舎のせい? まあ、そのおかげで、僕もスマフォを自由に使えるのだが。

まあ、長く居る訳ではない(居たくない)から、いいか。

  •   0
  •   1

好きな曲を何種類も、気に入る演奏が見つかるまで探す。例え見つかっても、更に「上」を期待して探す。そうしているうちに、確かに、(自分にとって)いい演奏が見つかるのだが、たまに、以前聴いた(自分の中では最高とか基準になっている)演奏に近いからその曲もいいと思うことがある。それは、「普通にいい」とか「違和感がない」とか「安心して聴ける」いう感想になるのだが、果たしてそれでいいのかという疑問が生じる。

もちろん、安心して聴けるどころか、「別次元」と言えるような(その場合、全く安心などできない)、すごい演奏はあり、日々それを探しているのだが、それは今は考えないことにする。

例えば、昨夜と今朝聴いた、Howard Shelleyという人のラフマニノフのピアノ協奏曲 第2,3番 (1990)は良かった。自然に聴け、第3番は「見事」のレベルだった。更に、モーツァルトのピアノ協奏曲 第13,24,21,22番 (1994-1995)も良く、ついでに、好みでないからいつもは聴かないラフマニノフのパガニーニ狂詩曲 (1990)も試したのだが、普通に良かった。

以前、会社でだったか、彼のモーツァルトのピアノ協奏曲 第20,23番を聴いて余りいい印象を受けなかったのだが、再度聴く必要がありそうだ。調べたら、経験も定評もある人のようで、イギリスの勲章(OBE)をもらっているほどだから、いいと思うのは当然なのだろう。

余談が長くなったが、要は、「安心して聴ける」というのはいいのか? それは何なのか? ということだ。まず、安心というのだから、自分の中のその曲のイメージに近いということだと思うのだが、その自分の「イメージ」は正しいのだろうか? 正しいかどうかを考えるには、何が正しい演奏かを定義するところから始めなければいけなさそうだ。

おそらく、作曲家の意図に忠実な演奏や、多くの人が「いい」と言うのが、客観的に「正しい」演奏なのだろう。それにしたって、作曲家自身ですら、多くの人にいいと感じさせるとは言えない演奏をすることがあるし(例: ラフマニノフ)、人の感性は時代と共に変化するし、ポップ音楽と同様に、クラシック音楽だって、「曲」でなく「演奏」に良さを求める人は多くない(多くの人は、演奏は関係なく、曲がいいと思うだろう)から、普遍的な基準はなさそうだ。

きっと、音大とかで勉強したり、専門書を読めば分かるのだろうが、そこまでの気力も実力もないので、今は想像や推測・推論の域である。が、単なる空想止まりではなく、論理的に考えようとはしている。

それでも、まあ、(予備知識なしで)自分がいいと思った演奏が、世間(例: クラシック愛好家の世界)の評で「良い」とされていれば(例えば、今回の場合、Shelleyは勲章をもらうほど良い演奏をした・すると考えられる)、自分の印象は正しい可能性が高そうだし、自分のその曲へのイメージも正しい可能性が高そうだ。

余談だが、僕は常に正しいイメージを持てる訳ではない。昨日の朝は「フィガロの結婚」の序曲が聴きたくなって、とりあえず、有名な演奏を聴いたのだが、カラヤン、アバド、ジュリーニのいずれも気に入らず、ベームで妥協できた。

僕は、この曲は軽さだけではないと思っていたのだが、最初の3者はどれも軽過ぎるように聴こえた。だが、それは誤りだったようだ。喜劇の序曲だから本当に軽いのか、演奏の意図を理解できなかったのか、いずれかである。

では、僕はそれぞれの曲の楽譜を読んだりして勉強した訳ではないのだが、いつの間にか曲の本質を習得していたのだろうか? それは違う。おそらく、人間の本能的な「好み」をベースとしたものが、自分のイメージになっているのだと思う。

例えば、料理は、いろいろな食材を調理して作られるが、そもそも、多くの人が好きな料理(の種類, 例: カレー)はあるし、その料理でも、ごく一般的な調理方法によるもの(例: 家庭料理のカレー)が好まれるということはあるだろう。

もう一つの例としては、猫は多くの人に好まれるが、多くの人に好まれる猫の種類(例: 茶トラ)はあるだろうし、多くの人に好まれる性格の個々の猫(例: 人懐こい野良)が居る。でも、愛好家は、ツンデレの黒猫を好んだりもする。

そして、音楽でも、多くの人に好まれる曲はあり(例: 「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」)、そういう曲を普通に(例: BGMとして)演奏すれば、大抵は「いい曲だね」と言われるが、愛好家は、自分の好きな演奏者(例: ベーム)によるガチな演奏でないと物足りないだろう(そもそも、アイネ・クライネが好きかどうかも怪しい)。

ところで、モーツァルトのように、作曲してから何百年も経った今でも好かれる曲を作った人たちは偉大だと思うし、どうしてそれが可能なのか、全く不思議だ。やはり、人間の本能に訴える何かを掴んでいたのだろうかと思う。

(ここまでで書きたいことを書き尽くしてしまったので、今は未完で終わります。)

 

PS. まあ、一般論としては(多くの方にとっては)、「*のピアノはー」とか「※の指揮がー」なんて御託を並べずに(好き嫌いせずに)、いろいろな曲をジャンルに関係なく幅広く聴いて、いい曲・好きな曲を探す方が楽しい気がするw

(10/16 20:39 わずかに修正)

  •   0
  •   0

アナクロに変節したかのような題だが、そうではなく、昔を思い出して気付いたたことがあるので書く。

今は、音楽配信サービスやダウンロード販売で目的の曲だけ聴け・買えて便利なのだが、それらには、曲に関する情報がほとんどない。多くの場合、自分で調べなくてはならない。

今の僕は、かなり前からライナーノーツを全く読まなくなった(音楽とその背景は切り離すスタンスなのと、必要なら調べるため)ので、配信サービスなどは余計な物が増えなくてありがたいのだが、全くの無用の長物かというと、そうでもない。

実は、僕は昔はライナーノーツを良く読んでいた。中学生の頃、ビートルズのレコードを買ったら、それこそ穴が開くほど読んで暗記できるくらいだった。クラシック音楽を聞き始めた頃も、やっぱり何度も読んだ。そうすることで、ほとんど知識がなかった、曲や演奏者や作曲者の情報を得られたのだ。中には今となっては間違った情報や不要な情報もあったが、多くは有益で、今でも重要な基礎知識や常識になっている。

それから、そのアルバムを聴いたあとで、次は何を聴く(買うか)のヒントにもなった。当時は、レコード以外ではラジオやTVでしか聴けず、今のような試聴なんてできなかったから、例えば、あるアルバムで気に入った曲に似た(同系統の)曲はどれに入っているかなんていうことは全く分からず、せいぜいライナーノーツを読んで推測するしかなかった。

今は、検索すればいろいろな情報が得られるし、試聴だって存分にできるから、ライナーノーツの有り難みは少なくなったけれども、それなりに知識や経験のあるプロ(場合によっては作曲者・演奏者本人)が書いた情報は、誰が書いたか不明で玉石混交のネットの情報に比べれば、まだまだ価値があるのではないだろうか。

だから、例えばクラシック初心者の方は、日本盤を買って、ライナーノーツを熟読しましょう。(もちろん、僕は日本のレコード会社の回し者ではありませんw)

 

PS. そういう意味では、日本のポップスのアルバムにはライナーノーツがほとんどないのは昔から残念で、どうしてだろうかと思っていた。今思うに、同時代の若者向けの音楽の「解説」をするなんて野暮・無駄とか、「書いてもらう暇・金があったら、すぐにでも売り出したい!」ということなのだろうか。

  •   0
  •   0

今朝、ゴルトベルクが聴きたくなってGPMを探したら、ワイセンベルクのがあったので試してみたが、もったいぶった感じなので止め、次に、Carsten Dahlのプリペアド・ピアノでの(2014?)がおもしろそうだったが、ものすごい音で全然心地良くなかったので止めた。

それから、Alexandre Tharaudという人の(2015)を試したら、なかなか良かった。繰り返しが冗長で、アリアが4分以上あるから、グールドに慣れ過ぎた僕にはまどろっこしい。でも、演奏は悪くなかった。第1変奏は普通に良かったので、聴き続けた。第29変奏の頭が雄大な感じで良かった。ちょっと大げさかも知れないが。

その後、彼のラフマニノフのピアノ協奏曲第2番 (2016)を聴いてみたら、なかなか重厚で良かった。オケも良かった。ピアノは少しわざとらしいところがあった。全体的には良かったのだが、最後が少しオケと合わずにもつれた感じがあったのが残念だった。

更にGPMをさまよっていたら、どういう経緯かは忘れたが(おそらく、Tharaudに関連する演奏者だと思う)、Jordi Savallという人のモーツァルトのレクイエム (1992)を見つけたので聴いてみた。

本題の前に入っていたMaurerische Trauermusik (K. 477)は、初めて聴いたのだが、なかなか良くて、次に来る本題(レクイエム)への期待を高めてくれた。が、本題のIntroitusは、演奏の音自体は美しいのだが、演奏方法にはなかなか違和感があった。ツンと澄ました感じだろうか。古楽器的な演奏だと思った。慣れればいい感じではある。

上(日記より)を書いた時には何も情報がなかったのだが、聴きながら調べてみたら、かなり筋金入りの古楽器での演奏(これの適切な言葉が分からない: 楽器が古いことが本質ではなく、「なるべく初演された当時に近い演奏をしようとしている」の意味。以下、便宜上、「古楽器での演奏」と書く。「復刻演奏」が分かりやすい?w)であることが分かった。以下に、レーベルの記述から、彼のこだわりを引用する。

In our performance we have recreated as far as is feasible the conditions prevalent al the time. The soloists and the choir (reduced to twenty members) sing in Latin with the transparency and intensity that is needed for the pronunciation that was current in Vienna at the end of the 18th century. The work is played on period instruments at a pitch of 430 Hz; the orchestra consists of eighteen string instruments, nine wind instruments, organ and timpani. The trombones have the narrow mouthpiece that was in use at the time, and we also use real basset horns with five keys plus a lower register  – after Theodor Lotz, who worked with Stadler, Mozart’s clarinettist, and made his instruments.

でも、不思議なのは、どうして古楽器での演奏は、独特の雰囲気(上記の「ツンと澄ました感じ」)になるのだろうか? 他の演奏者でも大体そんな感じなので、すぐに分かるのだ。当時はそういう解釈・演奏をしていたという定説なのだろうか。そもそも、当時聴いた人から教えてもらえた訳ではないから、今までの研究の結果なのだろうが、楽器の構造を再現するのは可能としても、解釈の正当性については疑問を感じる。

前にも少し書いたが、僕は、今は、古楽器での演奏は余り好きではない。作曲家や作品にも依るだろうが、時代とともに演奏(解釈)や楽器を進化(変化)させて、曲に新しい要素(部品、風味、etc.)を加えることで、その曲が成長し、楽しいことになるのではないかと思う。作曲者のオリジナルの意図は大切だが、当時、演奏可能な楽器が存在しなくて、作曲者が本当にしたかった表現ができなかった場合があるのではないかと思う。それを現代の研究と楽器で拡張的に再現(再構築、再発明?)するのは、おもしろいと思う。

そういう意味では、古楽器での演奏は現代の演奏と違うという点で、本当に当時の再現かどうかはともかく、新しいものになる可能性があるのかも知れないが、何となく、みんなしかめ面して、「当時=正義」を金科玉条とする古楽器での演奏の提唱者の言いなりに、謹厳実直に演奏しているイメージが強い。そのために、ツンと澄ました感じになってしまうのだろうか? (というのは、僕の知識不足や想像のし過ぎによるのだろう)

更に思い付くのは、今は楽器の進化が停まっているようなのは、もったいないということだ。例えば、ピアノを最新の知見や技術を活用して更に発展させたバージョン(例: ダイナミックレンジが広い(例: パイプオルガンのように、ピアノと建物が一体になっている)、音がすごく綺麗(例: 「平均律2.0」w)、音の出し方・消し・繋げ方の制御が容易(例: 電子制御でアシスト?))を作り、それをフルに活用して、例えばラフマニノフのピアノ協奏曲を「ものすごく」演奏する人が現れたら、おもしろいと思う。でも、できたとしても数十年後かな・・・

 

PS. とは言え、自分で矛盾していると気付くのは、クラシック音楽は上記のように思うのだが、ポップ音楽では、まず、初演(初出)の演奏しか好きになれない。たとえ本人の演奏であっても、アレンジを変えた再録音やライブ(初出に忠実でないもの)は、まず好きになれない。

どういうことなのだろうかと考えると、ポップ音楽は、「本物」を聴いてしまって、しかもそれを好きになっているので、最初のイメージが頭の中に定着(固着)しており、そのイメージを変えられないのではないかと思う。一種の刷り込みか。クラシック音楽で、大好きな演奏者以外の演奏に違和感を覚えるのと似ている。

そして、今は思い出せないが、最初は嫌いだったけど、後年にアレンジを変えたバージョンが好きになった曲もあるはずだ。きっと。

PS2. 楽器の進化で曲を進化させた例として、Marc Spoonerによる「春の祭典」の電子音楽版 (2013)はどうかと思う。原曲の背景を無視して、音楽的な奇抜さだけに着目すれば、通常の演奏より良く表現できているように思う。

さっきたまたま見つけただけで、僕自身が詳しくない曲なので、どこまで原曲に忠実に演奏しているかや本当に進化しているかは不明だが、(残念ながらYouTubeでは再生できないので、)AmazonSpotifyGPMで試聴してみて欲しい(⇔ 通常の演奏 (ブーレーズ, 1991))。とはいえ、大変エキセントリックな曲(といっても、もう百年くらい前の曲)なので、とっつきにくいとは思う・・・ (10/15 22:22)

  •   0
  •   0

今日、偉い奴に、昨日までと来週の入院予定分の休暇願を出したのだが、まったく訳の分からない、「どうした?」だの「今日は(調子は)どうだ?」だか何だか言っていたので、よほど、「『這ってでも出てこい』と言われましたし、みんな調子が悪いけど出て来ているとのことですし、もちろん自分の仕事があるので、出て来ました」と言いたかったよ!

僕が(手術直前まで)体調不良を押して(いるかのように)会社に出れば出るほど、先日僕にパワハラに近い暴言を吐いたクソボケ老人への当てこすりになるから、全く愉快だ。もちろん、無理な時は休むけど、それだって、今度からは文句が言えなくなったはずだ。「ぐうの音も出ない」とはこのことかw

 

PS. 天網恢恢疎にして漏らさず? そのクソ老人は、なんか知らんが自分で怪我して休むという体たらく。あれ、這ってでも出て来るんじゃなかったっけ? 自分は例外なの?? あんたも連休でいいねw まあ、「人を呪わば」なので、これ以上は止めておくが、なんとも胸のすく日であったw (10/16 19:54)

  •   0
  •   2

使わないから、メールでの通知なんて全部解除しているのに、何度も「とっておきのプレイリスト」云々のメールが送られてくる。来るたびに「解除」をクリックしても効き目がないので、今日は、それをジャンク扱いにし、プッシュ通知(こっちは来たことがない)も全部解除した。もし次に来たら退会しよう。システムすらまともに作れない、So-potty-fy(の有料サービス)なんかに入らなくて良かった!

 

PS. さらにイラつくのは、pClouldというクラウドバックアップのソフトを試しに入れたら、時々(忘れた頃に)、「Spotifyの曲をプレゼント」云々の広告のポップアップが出ることだ。pClouldのソフトをアンインストールしても出るので、かなり質が悪い。一体、どっちが悪いのだろうか。次に出たら、Spotifyもアンインストールしよう。

pClouldとSpotifyの件で更にイラつくのは、そのポップアップが出ると目障りなので、反射的に即座に閉じてしまうので、何が原因か調べられていないことだw

(10/14 10:20 Spotifyは無関係だったので、関連する記述を修正し、題を変更: 下記参照)

PS2. pClouldの件、ジャンクメールを見たら、どうもSpotifyは関係ないようで、「クラウドから直接音楽を再生できます」とかいう、陳腐なものだった。件名が"Save great music and listen to it on the spot"で、"Save great music"と最後の"spot"で早合点したようだ。(10/14 10:20)

  •   0
  •   0

突然ではあるが、来週、入院・手術することになった(重病ではなく、入院も一週間以内の予定なので、それほどご心配頂くほどではないです)。病名は伏せる。なぜ伏せるかは、僕の自尊心とか見栄っ張りのせいである。でも、ヒントとして、「漱石も苦労し、ある小説の冒頭に書いた病」と書いておく。

全くの余談だが、その小説を読んだ時、随分長引いて痛そうで大変だと思い、「僕はなりたくないな」、「僕には関係ないよな」と思っていたのだが、まさか、何十年かして、我が身に降り掛かるなんて、いくら彼が好きだったとは言え、全然ありがたくなく、全く迷惑な話だw

異変を感じたのは、十日くらい前だったように思う。その時は、疲れとかの一時的なもので、少しすれば治ると思っていたのだが、全然治らなかった。それで、5日くらい前に、見て触ってみたら、結構ひどいありさまになっていた。結構大きく、赤く腫れていて、しこりになっていた。それでも、まあ、「良くある吹き出物だろう」とたかをくくっていた。のだが、月曜の夜に事態は急変した。

その吹き出物が破れ、血だか膿だか分からないものが出て来た。さすがにまずいので、翌日、休んで医者に行った。診断は、最も恐れていた上述の病だった。前もってwebで調べて、その手前かと思っていたのだが、完全に遅かった。

思えば、かなり前(少なくとも15年以上前、未成年の頃からだったかも知れない)からたびたび同様のことがあって、そのたびに、「そのうち治るだろう」と思って放置して(実際、少し経つと症状がなくなっていた)いたのが悪化したのだろう。

なぜ、そんなに再発するのに医者に行かなかったかは、面倒だったせいもあるが、恥ずかしかったのと、やっぱり、「良くある吹き出物」だと思っていた(思おうとしていた)からだと思う。自分のことなので、その気持ちは良く分かるのだが、今となっては大失敗だった。

そんな訳で、軽い処置で済む可能性のあった前段階を越えて、最終形態に達してしまい、手術することになった。火曜に行った医院では対応できないので、今日、紹介された大きな病院に行き、来週手術の予定になった。

今回思い知ったことは、(放置して)自然に治る病気はあるが、ほぼ絶対に治らないものもあるということだ。今はやたらに治療したり薬に頼るのは良くない(自然治癒力に任せる)風潮というか意識の高まりがあるが、そこの見極めは難しいと思う。

(10/13 6:31 結末部の記述をわずかに修正)

 

PS. 以下、2つの病院の感想を書く。

  • 最初の医院は、webの医院紹介を見た瞬間に感じた印象、「何かスノッブ(意識高そう)だな」が当たっていた。確かに、建物は木やしっくいが使われていて、凝っていて感心するのだが、ソファーまで高級な物(でも、座り心地はそれほど良くない)にする必要はあるのか。あと、車(イタリア車・ベンツ)だの料理や台所がどうのこうのなんて、長々と医院のwebに書くことだろうか(別にブログにでも書けばいいのに)。それがその医師の医療に関係するのか? そして、どうやってそんなに儲けているのかと思う。
  • 本業では、緊急でない検査を随時始めるので、患者の待ちが長いのが良くない。ピロリ菌の検査を受けた医院は、検査は別の時間帯にするから、その点でも良いと思う(今回もそこに行きたかったのだが、休みだったのと、専門でないようなので止めた)。
  • また、医師は今ひとつ親身になってくれない感じがした。診断は的確だったのだが、暖かみを感じなかった。例えば、膿の対処をどうしたらいいとか、日常生活で注意することなどの情報を全くくれなかった。単に、病気の説明と、「紹介するところに行って下さい」程度だった。まあ、そのスノッブ医院にはもう行かないから、良しとした。
  • 今日の大きな病院は、建物は古くて綺麗ではないが、まあ、普通の感じだ。雰囲気は、折った足首の金属を抜く時に入院した、千葉の病院に似ている。
  • 案内や受付の人や看護師さんは親切で嬉しかったのだが、医師が偉そうで参った。具体的には、手術の日を聞いたら、「さっき言ったでしょ」みたいな口ぶりだった。こっちは聞いた覚えがないから聞いたのだが、気が動転していて聞き漏らしたのかも知れない。それにしたって、あのいいぐさはないと思った。それでも、楯突いたりブチ切れたりするとこっちが損なので、うまくやり過ごした。その時、看護師さんが心配そうにこっちを見ていたようなのが、その医師の実態を反映していたのかも知れない。
  • こっちは今後も通うので、気が重い。まあ、経験・技術はありそうなのと(自分でも書いているように、性格と仕事の結果は別だしね・・・)、手術は別の医師がやるみたいなので、そっちに期待したい。
  • 今日は、大病院なので待ちが長そうだから、その間にGPMで音楽を聴こうと思っていたのだが、ポリーニのモーツァルトのピアノ協奏曲 第23番で気分を落ち着けようと思って聴き始めて数分で呼ばれて、逆にとても慌てた。

PS2. これで手術・入院は通算4回目である。家族の中で一番多いと思う。あ、赤ん坊の時に入院したのも入れると5回目だ。病院慣れなんて、全然誇らしくないが、BTTFの刑務所おじさんみたいだなw

  •   0
  •   0

イメージ戦略で成功した都会の某知事。やけにセコく、子分からお金をふんだくっているようだが、昔、高校や大学の志望校に落ちた場合に備えて受けた私立の学校が、受験料以外に、合格直後に高いお金を払わないと合格が無効になるのを思い出した。仕方ないので親に払ってもらったが、ずるい感じだ。

今となっては、学校はネジや電池と違って、仕様が同じものではないので、「どこかに行けば」いいものではなく、希望しないところに行く意味はないと思うから、受験することすら無駄だったが、当時はそれが当たり前だったし、親に指示され、「世間体」(というものの恐怖)もあったので、仕方なく受けた。本質を分かっていないことの典型だと思う。「学校で何をやりたいのか」ということが全く分かっていないし、分かろうともしていないのだ。全く無駄なお金だし、労力だ。

その知事の場合にしても、議員は落ちたくないから、何を指示されても言いなりなのだろう。そして、なぜか、別の党なのに企業のM&Aや出資のように簡単にくっついて人や金が動き、その時、主義主張が違うのに、横滑りで公認がもらえなかったら文句を言う輩さえ出るありさまで、受かりさえすれば何でもいいようで、人間性の低い連中が多いと思った。

そして、そういう輩を手下にして勢力を拡大するその人の言動を見ると、かなり質が低そうなのだが、ブームに乗りやすく、悪いことを見て見ぬふりをする国民が多いから、結果が心配だ。まあ、仮にその人が駄目だったとしても、与党の党首もそれに劣らず最低最悪極悪非道なので、八方塞がりなのだが。

  •   0
  •   0