Archive for 1月, 2019

e-Taxが、ICカードなし(ID・パスワード)でできるようになったというので、印刷して送る手間やお金が省けるのはありがたいから、そのID・パスワードをもらいにわざわざ税務署に行った。行かないともらえないってのがどうにも情けないが、仕方ないと思った。まだ確定申告の時期ではないし、月曜ではないから混んでないと思った。

のは間違いだったw 行ったら、税務署の手前からなぜか渋滞していて、ほとんどの車はその列を追い越して行っていた。僕もそうしたら、それは税務署の駐車場待ちの列だった。。。 11時前に着いたのだが、既に遅かったようだ。仕方ないので今日は諦めて、実家のある市まで40kmくらい、軽くドライブして来た。相変わらず、どこをどう走っているのか全く分からなかったが、車が快調でとても気持ち良かった。

ただ、次回、徒歩(遠いから結構辛い)やバス(直通便なんてない)などで行ったり、近くの別の駐車場に停めても、中も混んでいて待たされると思うので、行くだけ無駄だと思い、今年は諦めることにした。

あと、ドライブしながら、この手続きは他の管轄でもできるのか知りたかったが、まあ、どこでも混むのは一緒だろうから、調べて行くだけ無駄な気がした。かなりの田舎(村?)なら大丈夫だろうか? ただ、それにしたってガソリン代などが掛かる(それに、署員が少ないうえに、田舎だと話が面倒で時間が掛かる人が多そうだ)から、余り得策ではなさそうだ。 ← 調べたら、県内に税務署は8箇所しかないから、「かなりの田舎」にはないし、どこでも混んでそうだ。

大体、ID・パスワードをもらいに行かなくちゃいけない時点で終わってる。そんなの"e-"Taxじゃないよ。署の人も余計な仕事が増えて迷惑だろう。ネットで完結させろとは言わないから、郵便とか市役所とかでもできるようにすればいいのに。こっちは納税するつもりがあるから手続きしようとしているのに、門前払いではやる気が失せる。

内情を推察するに、お偉いさんは簡単にそうする・しろとは言ったけど、年内に本人確認とかID発行の仕組み(システムや処理の流れ。郵送だと「センター」を構築する必要がありそうだし、市役所に頼むなんてネゴできる訳がないw)を新たに作るのは時間もお金も無理なので、仕方なく人海戦術にした気がする(それなら、e-Taxのシステムとしては、ログイン経路を増やせばとりあえずはできそうだ)。まったく、「マイナンバーはどこに行ったの??」って話だ。みんな可哀想に・・・

それにしても残念だ。マイナンバーカードにはパスワードが入っているのだから、それで本人確認とかログインは充分できると思うのだが(パスワードはカードにしか入ってないのだろうか?)。日本を代表するお利口なIT企業の面々が作ったシステムは、そんなことすらできないようになっているのだろうか? 「ICカードの認証機能(とかカードに記録されたIDだかなんだか)を使わないと駄目だ!」とか言い張る頭の硬い連中が居るのかも知れないな。

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先日のカレンダー・住所録サーバの移行先を探している時だったか、POLARというドキュメント管理ソフトが出て来て、その時は目的とは関係ないから無視したのだが、その後、自分のファイルを整理している時に、ディレクトリ名じゃなくてタグ(カテゴリ)などで分類できて、ファイルにコメントが付けられて、ディレクトリ名やファイル名だけじゃなくてタグやコメントで検索できたら便利かも知れないなと思った。

それで今日、検索してみたら、いくつかのソフトが見付かったのだが、どれもイマイチだった。なぜか、大規模指向(「エンタープライズ」)の物がほとんどで、その上、まともに動かない物が多かった。POLARは機能が少ないうえに、バグなのか、コメントが入力できなかった。JAVAを使っているもの(Openkm, LogicalDOC)は、純正(Oracle)のJDKでないと動かないからOpen JDKをアンインストールしろなんてアホみたいなことが書いてあって、そのせいかどうか分からないが、動かなかった。Open JDKをアンインストールするとひどい目に遭うのでしないから、基本的には使えない。時間を掛けて調べれば動くのかも知れないが、そんな気は起こらなかった。

他には、容易に動きはしたがプログラムを暗号化するプロテクトを掛けているセコいもの(FileRun)もあった。こういうのは、ある時突然有料になったり使えなくなったりするから、最初から却下だ。他には、無料版ではコメントが書けないものも(TagSpaces)あって、それではドキュメント管理の機能としては不十分で、使いたいと思う人は少なそうだから、余り販促にならない気がする(ロゴが妙に古臭いのも、そういう頭の固さを表しているのかも知れない)。

あとは、先日移行したカレンダー・住所録サーバの機能でもある程度のドキュメント管理ができる(それが本来の機能のようだ)ことに気付いて試したのだが、イマイチで使う気になれなかった。そもそも、そういう用途のソフトなのに、それが使いにくかったら立つ瀬がないのだが、僕はそれは使ってないからまあいいw

結局、使えるものは何もなかった。が、良く考えたら、本気で使うなら、ただ「ドキュメント管理ソフト」という名前の物を導入するだけでは駄目で、さまざまなファイル(例: Word, Excel, PDF, 画像, 音楽)に対応した、全文インデックス(正確には、インデックス型の全文検索)機能などがないと駄目なことに気付いた。ファイル名やコメントやタグだけでなくて、ファイルの中に含まれる文字列でも検索したいではないか。そういうことを考えると、まずは、仕様をちゃんと調べるべきだった。

それから、そもそも僕の個人のPCにはそんなに大量のドキュメントがある訳ではないから、使う意味がないのではないかと思った。確かに、目当てのファイルがなかなか見つからないことはあるが、探すこと自体が少ないし、チームではないので、自分の記憶やメモを探せば出て来ることが多いし、いざとなったら検索するスクリプトを作ることだってできるから、ドキュメント管理を効率化しても余り意味がなさそうなことに気付いた(逆に、通常時に各ファイルにタグやコメントを付けるのが面倒な気すらした)。という訳で、ドキュメント管理ソフトの導入は保留にした。

こういうことは、会社では良くあることで、偉い人がニュースとか「日経」などで見た流行りの技術を、部下に「*いいんじゃない。うちでも使ってみたらどうだ」とか言い出して、その部下や担当部門(例: 情シス)が慌てて探して入れるのだが、誰もそれがいいかどうか、その会社に合っているのか分からない。そもそも、本当にそれが必要なのかすら不明だ(多くは不要だろうw)。

結局、社員は「意味は分からないが、使わないと怒られるから使わされる」羽目になって、また一つ余計な仕事とストレスが増えるパターンだ。まあ、そうでないこともあるが、2/3はこうじゃないか。あとは、機能自体はまともでも、充分に試さずに決めたために、操作がとても面倒で、結局は効率化できないとか効率を落としてしまうパターンも多い(残り1/3のほとんどはそうじゃないか?)。

PS. かといって、世の中の新しいいいものに全く無頓着で、時代遅れなことをしていても平気な顔をしている(あるいは、時代遅れであることに気付かない)人は、救いようがない。

PS2. 寝ている間に(起きたら?)、広範なファイル形式について全文インデックスできると、タグとかコメントを付けなくても検索できるから、結構便利そうだなあと思ってしまった。更に、インクリメンタルサーチがあれば最高だ。エンタープライズ用だとできる気もする。が、有料になるのかも知れない。気が向いたら調べてみるかな。この時に問題になるのが、日本語対応だ。無償でまともに使えるものがあるかどうか・・・ (1/29 6:47)

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さっき(16時頃)までは、「誕生日だからといって、別に何もすることもないよ」と思っていた(し、今は「展覧会の絵」(オリジナル版)の聴きたい演奏が溜まっているから、そっちを聴かなきゃと思っていた)のだが、やっぱり、彼のピアノ協奏曲が聴きたくなった。そうとなれば、ポリーニとベームのK. 488が最高(大好き)なのだが、もちろんそんな安直な道には走らずw、新しい演奏を求めてSpotifyを探した。

最初は(短調の曲が好きなのと、好きなピアノ協奏曲の最初なので、)第20番にした。詳しい途中経過は省くが、7人目(約25分後)にようやく聴き続けられる人に当たった。それまでは以下のような人たちのを試した。全部の演奏が気に入らなかった訳ではなく、フォルテピアノ(古楽器による演奏)は好きでないし、抜粋の演奏も避けたので多くなってしまった。

Malcolm Bilson (1999)、Christian Zacharias (1989)、Edwin Fischer (?)、Hai-Kyung Suh (2016)、Branka Musulin (2018)、John Gibbons (1987)

今、Lars Vogtの(2009)の第3楽章を聴いている。彼だって満足できる訳ではないが、悪くはない。ちなみに、彼の演奏は、2年前にゴルトベルクを、去年K. 488を試したことがある。

聴くと、楽章によって印象が変わって妙だ。

冒頭のオケはちょっと抑揚を付け過ぎな感じだったが、それ以外は、第2楽章までは薄味な感じだった(ただ、止めるほど嫌な感じではなく、音量を上げた程度だ)。ピアノも綺麗ではあるが、(彼の怖い顔には似合わず)音が細目だった。それが第3楽章になると、一気に味付けが濃くなった感じで、打楽器はちょっと大げさな感じだった(これは冒頭と同様のことか)。全体的には、音が良く、重厚さもあって良かったと思う。

最後に分かったのだが、これはライブだった。だから、演奏時の乗りとか演奏者の「温度」のようなもので微妙に印象が変わったのかも知れない。実際、僕が聴いたコンサートの多くは、序盤は余り乗りが良くなかった。

さて、これから、彼の同じアルバムのK. 488(第23番)を聴く。

これは結構いい。多分、以前の印象よりいいと思う。

冒頭のオケは綺麗で良かったし、第2楽章はオケもピアノもしっとりとしていて良かった。第1楽章のピアノは、悪くないが、わずかに滑らかでない感じがした(これは第3楽章でも少し感じるので、彼の弾き方なのかも知れない)のが惜しかった。今は第3楽章の前半だが、このまま問題なく行きそうだ。

ライブらしく、最後の最後にちょっと力んでしまった感じだが、全体的には乗れて良かった。

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そして、やっぱり今日の締めはポリーニのK. 488 (1976)だ。どうしてか、彼の演奏を聴くとすごく落ち着くし、ほぼすべての音が「すっ」と入って来るから、安心して聴ける。僕にはこの曲は彼のでないといけない感じだ。確か、この曲を最初に聴いたのは彼のだったから、いわゆる「刷り込み」なのか、彼とベームがこの曲の良さを最大限に引き出しているのかは分からないが、僕には彼の演奏を超えるものがまだない。ただ、それでは(音楽の進歩とか発展がないことになって、)僕としては納得行かない(し、自分で自分が最高と思える演奏ができる訳もない)ので、いつもポリーニ以上の演奏を探しているのだ。

 

PS. ポリーニの前に試した、溜まっていた「展覧会の絵」(Dumont, Gavrylyuk, De Pledge, Economou)もVogtのゴルトベルクも全滅だった。我ながら厳しい。。。

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先日、画像管理アプリをXnViewMPに変えた。digiKam5(以下、digiKam)は重い(起動が遅いことがある、メモリを食う(メモリリーク)、いろいろな処理(特にDB関係)が重い)のと、UIの使い勝手が微妙にイライラするうえに変更できないからだ。移行先のXnViewMPは、以前試した時に比べて大分良くなったので、移行しても問題ないと考えた。とはいえ、いくつか問題があったので対処したら(→ 投稿1, 投稿2)かなり良くなったのだが、digiKamとコメント・カテゴリの格納場所(タグ)に違いがあってちょっと不便なので、その対応をした。なかなか手間が掛かったので書く。

そもそもの問題は、digiKamとXnViewMPがコメントとカテゴリを格納・取得するタグが違うため、digiKamで付けたコメントやカテゴリがそのままではXnViewMPでは表示・書き込みできないことだ。それらの違いを以下に示す。なお、digiKamのタグは、それ以前にWindowsで使っていたACDSeeが使用する(ACDSeeで設定したか、digiKamに移行する時に設定したか)タグも含んでいる可能性が高い。

コメントのタグ

  • digiKam: UserComment, Notes, Caption-Abstract, Descriptionの全部またはいずれか
  • XnViewMP: Comment, Description(補助?)

カテゴリのタグ

  • digiKam: Keywords, Subject, Categories(階層化して格納)の全部またはいずれか
  • XnViewMP: Keywords, HierarchicalSubject(階層化して格納)

コメントについては、XnViewMPではIPTC/XMPの編集機能を使えばdigiKamと同様に書き込むことができるが、標準的な扱い(例: サムネイルの下に表示する、コメントの編集で表示・編集する)ができないので不便だ。カテゴリも、カテゴリを付けるペーンでは表示されるのだが、標準的な扱い(例: サムネイルの下に表示する)ができないので不便だ。おそらく、将来のXnViewMPではできるようになると期待する(が、いつになるかは分からない)。

digiKamは結構柔軟に使用するタグを設定できるのだが、XnViewMPはそうではないので、標準的な扱いをしようとしたら、XnViewMPが使うタグに値を入れる必要がある。そこで、digiKamのコメント・カテゴリをXnViewMPにコピーすることにした。まず、XnViewMPの機能でやろうとしたのだが、変更ができないタグが多くて無理だった。今にして思えばdigiKamでやればできたかも知れないが、そうはしなかった。というのは、既にXnViewMPに乗り換えた後だったので、「もう使いたくない」という気持ちが大きかったからだと思う(digiKamが重いのが大きな理由だ)。それに、以下に書くように、単純なコピーでは済まなかったので、digiKamでやったら手作業で間違いが多くなっただろうし、対象の画像の数が多くてかなりの時間が掛かっただろうから、使わなくて正解だったと思う。

作業の前にいろいろな画像のコメントを調べたら、digiKamの前に使っていたACDSeeのせいなのか、UserComment, Notes, Caption-Abstract, Descriptionの全部に入っている訳ではなく、どれか3つ(確か前の3者)とか1つだけ(Description)の場合があった(おそらく、DescriptionはACDSeeが付けたのではないか)。更に、元々のコメントに気付かずに(コメントがないと思って)XnViewMPでコメントを付けてしまった画像が数十枚あり、そういう画像は2つの異なるコメントが付いている状態になっていた(この移行作業をしようと思った大きな切っ掛けだ)。

そこで、以下のような処理をした(試行錯誤したので、最初から一気に分かった・した訳ではない)。

コメントの移行処理

  1. 画像にCommentがなかったら、
    • それにUserComment, Notes, Caption-Abstract, Descriptionのいずれか(digiKamのコメント)が付いていたら、最初に見付かったものをCommentにコピーする。
  2. 画像にComment(XnViewMPで付けたコメント)とdigiKamのコメントが両方付いていて、双方が異なっていたら、
    • 後者(digiKam)の後にセパレータを挟んで前者(XnViewMP)を追加(digiKamのコメントを先に付けたため)したものをCommentにする。
    • 以下に処理の例を示す(時間的順序とは逆だが、その画像の元々のCommentタグはXnViewMPのものだったので、そのようなセパレータにした)。
      • digiKamのコメント
      • --- Orig. Comment ---
      • XnViewMPのコメント

カテゴリの移行処理

  1. 画像にKeywordsがなかったら、
    • Subjectが付いていたら、Keywordsにコピーする。

カテゴリは、上記の処理以外にCategoriesに従ってHierarchicalSubjectを設定しないと完全ではないのだが、書式の変換が要るから間違う可能性があるのと、数が多い(約1.5万個)ため諦めた(数が多くても時間を掛ければ処理できるが、クラウドバックアップの変更データ量が数十GBにも及ぶため、バックアップ時間が長くなるのとしばらく料金が増えるのが嫌だった。とは言え、1か月50セント未満でしかないが)。HierarchicalSubjectを設定しなくても、カテゴリ設定ペーンやマウスオーバーでは表示できるので、(画像の下に表示するのは諦めて、)それで代替することにした。

マウスオーバーでは表示できるけど画像の下に出せないのは、単純にXnViewMPの未実装な点なので、将来はできるようになりそうな気がする。

書いたあとで、ちょっと確認しようとしてexiftoolでCategoriesを出したら、"(none)"になってしまった。いろいろ試したら、exiftoolのオプションとして、普通に"-Categories"でなく、"-XMP:Categories"や"-All:Categories"のようにグループを指定しないと駄目なようだ。理由は不明だが、仮に階層化カテゴリのコピーもやったら、多くが"(none)"になって、とんでもない処理をするところだった。危ない危ない。。。

タグの操作には主にexiftoolを使った。基本的な処理はexiftool単体(コマンド1行)でできた(ただ、上述のように処理が複雑なためにコマンド文字列がかなり長くなったので、スクリプト中で一時的なスクリプトを作り、それでexiftoolを実行するようにした)※。なお、exiftoolはsymblic linkの実体(リンク先)を処理せず、通常のファイルに変更してしまうため、あらかじめ除外した(多くの場合には、-overwrite_original_in_placeを指定すれば問題ないと思う)。

※exiftoolの機能の豊富さには驚くし便利だとは思うが、進む方向がなんか違うと思う。

処理後に、exiftoolを使う別のスクリプトで、全画像に対して移行処理ができているかの確認をした。こちらは、上記処理に不足や問題がないかの確認もしたかったので、exiftoolでタグの値を取り出して判定する別のスクリプトで行った。

※今回作ったスクリプトやexiftoolのコマンド文字列は有用ではあるが、機能が特殊なうえに、そもそもユーザー(使いたいであろう人)がほとんど居なさそうなので、例によって公開はしない。要る方がいらっしゃいましたら、お知らせ下さい。

 

PS. それにしても、なぜ同じ意味を格納するタグがこんなにあるのかと思う。ACDSeeも合わせて調べたら、以下のよう仕様になっているようだ。

コメント

  • ACDSee: Description ← digiKamへの移行時にexiftoolで書き込んだ。
  • digiKam: UserComment, Notes, Caption-Abstract, Description, ImageDescription(文字化け): ImageDescription以外は、どれかあれば使われるようだ。
  • XnViewMP: Comment, Description: Comment以外は表示できない局面がある。

カテゴリ

  • ACDSee: Categories(階層化) ← digiKamへの移行時にexiftoolで書き込んだ。
  • digiKam: Keywords, Subject, TagsList, Categories(階層化), CatalogSets(階層化)など: どれかあれば使われるようだ。
  • XnViewMP: Keywords, Subject, HierarchicalSubject(階層化): Keywords以外は表示できない局面があり、HierarchicalSubjectがないと階層が保存されない。

ACDSeeは「マイルール」でやっており(実際にはexiftoolで書き込んだのでタグは関係ないが、exiftoolを使わなくてはいけないほど、汎用性がなかった)、digiKamは節操がない感じ(設定可能なので、実際には互換性を広げるための機能だ)で、XnViewMPはちょっとズレているうえに一貫性や柔軟性がない。こういうのは不便なので、アプリごとにタグをバラバラにせずに統一して欲しい。

まあ、それでも、EXIFでタグの記録フォーマットが統一されているので、exiftoolのようなツールを使えばいくらでも変換できるから助かる。これがもし、独自フォーマットのDBだったら、どうにもならない(コメントなどを移行できない → 打ち込み直し?)事態に陥ることになる。実際、ACDSeeは基本はDBだが、各ファイルのタグに書き込むことも可能で(これがあって助かった)、digiKamに移る時に全部に書き込んだ覚えがある。 ← すっかり忘れていたが、実際にはexiftoolで書き込んでいた

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昨夜、母と食事をしながら話をしていて驚かされたことがある。実家の辺りは(中途半端な)田舎なのだが、母の友人(2-3人)とその家族の関係が予想以上に希薄、あるいは、異常なのだ。

例えば、母の友人の家の奥さんは、外出する時に姑(母の友人)に何も言わずに出て行くそうだ。本当に何も言わないので、気付くと居らず、どこに行ったのかも分からないそうだ。逆に、その姑は体調が悪くても友人(僕の母など)には相談するが、なぜか家族(息子や奥さん)には余り言わず、なるべく頼ろうとしないようだ。それで、仲間の中で唯一車を運転できる母が病院に乗せて行くとのこと。

車の件は、母は病院以外でもいつもみんなを乗せているので、お人良し過ぎて馬鹿みたいだし、タクシー代わりに使う方もおかしいと思うが、僕がおかしいと言っても母は例によって「そうだね」で終わるので、どうしようもない。そして、昨夜乗せてもらったら結構運転が危なっかしかった(よく煽られないものだと思った。高齢者マークを付けているおかげかも知れない)ので、新たな不安材料だ。

この話を聞いて、僕の実家も似たようなものだったことを思い出した。家では祖父と父が顔を合わせるたびに喧嘩しており、それだから、双方が何かするにしてもまともな相談などすることなどなく(相談どころか、普通の会話なんてなかった)、挨拶だってしていなかったし、食事だって祖父母とこっちは別々にしていた。さすがに、怪我とか病気の時は、母などが病院に連れて行っていたから、そこだけはマシだったようだ。そんなことなら実家に戻って来なければ良かったのにと思うが、昔の慣習にならったのか、戻って来てしまったようだ。

同じ家に住んでいながら、いい歳した大人がごく当たり前の連絡もせず、調子が悪くても言わないというのは信じ難いことだ。それで家族と言えるのか? 一緒に住む意味があるのか? 母の周りの数人(一人ではない)のことだから一般化はできないけれど、田舎の普通の家庭は街より親密な関係なのだろうと思っていたが、必ずしもそうではないのかも知れない。なぜそうなるのだろうか。

今想像したのは、相手(しかも、姑などは親ではない他人だ)との距離が近過ぎるために、お互いに嫌になっているのではないかということだ。田舎なので、外に出ることが少なく、家に居れば、姑と奥さんはいつも顔を合わせざるを得ず、好き勝手なこともできないから、イライラしたり顔を見るのもうんざりだという気分になるのかも知れない。そして、これも想像でしかないが、こういうところは、街の方がまだましな気がする(そもそも、一緒に暮らしている家が少ないという話はあるが、割合では言えそうだ)。

街の人だって、確かにうんざりはしているだろうが、少なくとも、出掛けるとか帰ったとかの当たり前の連絡はするだろうし、調子が悪かったらまずは家族に言うだろう。田舎の人が当たり前のことをしない原因は、田舎にばかり居た・居る人は、街の人より交際の範囲が狭かったり外部と接する機会が少ないから、社会的な常識が不足してしまうのではないかと想像する。

自分のことを思い出すと、確かにそうだ。僕が子どもの頃の交際範囲はすごく狭かったので、大学に行ったり勤めてから、たびたび世の中の常識が違うのに驚き苦しんだのを思い出した。今にして思えば、確かに自分に常識がなかった(要は、田舎者だったってことだ)。恥ずかしいくらいだ。けれど、当時はそれすら分からず、自分が普通だと思い、さまざまな問題がなぜ起こるのか分からなかった。。。

おもしろいのは、当時だってTVやラジオで都会の情報は入って来たけれど、それでは全然足りなかったことだ。なぜそうなのかは分からないが、そういうのは別の世界と思い込んでいたのか、社会常識に繋がる、人対人の関係は、TVなどからは伝わって来ないということなのではないか。だから、現代の田舎の人も、数十年前の僕と同じことなのかも知れない。まあ、聞いてみないと分からないが。もちろん、何のメリットもないから聞く気なんてないがw

(最後はちょっと飛躍するが、)だから、田舎は決して「いい人ばっかり」とか「暖かい」なんてことはなく、住みやすいところでもない(でも、のどかなのは確かだ)。あこがれとか想像で移住すると大変なことになる。これは昨夜のことだけで導いた訳ではなく、僕が実際に(すごく貴重な)小中高の12年前後暮らして実感したことだ。その結果、僕は逃亡した。近年、血迷って戻ったが、やっぱり逃亡して今に至る。

僕の経験から言えば、都会に疲れたなら、真の田舎じゃなくて、地方都市がいいと思う。

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