Archive for 4月, 2020

Web版Evernoteで問題ないじゃん。(なんで止めたんだっけ?)」と思って使っていたら、今朝、思わぬことが起こって、理由が分かった。定期メンテナンスの関係だと思うが、突然、ノートが表示されなくなったのだ(「空白」になった)。それで思い出した。Web版Evernoteを止めたのは、こういうことがあったあとに、そのノートがなくなってしまった(中身が空になった)ことがあったからだ。

メンテが終わっても直らなかったので、またノートが消えたのかと思った※。ただ、少し頭を冷やしてスマフォアプリで見たら、ちゃんと中身があったので安心した。

※ノートによってはちゃんと中身が出たので、更に不安が増した。

それで何とかしたくて、旧UI、リロード、クッキーやキャッシュの削除、別のブラウザ(とんでもないことに、Vivaldiでは枠すらも表示されなかった・・・)で試したが、全部駄目だった。しかし、検索したら、Evernoteのお知らせ(2019)が役に立った。ログインしないと表示されない場合があるようなので、主要な部分を引用(転載)する。

(Evernote staff): Posted July 15, 2019

Evernote Web にログインすると、一部のノートやノートブックが表示されない不具合が一部のユーザの方から報告されました(これらのノートやノートブックは確かにアカウント内に存在しており、他の端末では表示されています)。

本件は既知の問題で、弊社チームが解決に向けて取り組んでおります。問題が解決するまでの間、対処策として以下の 2 つをお試しください。

Evernote Web からログアウトして、 対応ブラウザである Google Chrome、Opera、Safari(Mac の場合)のいずれかでログインしなおします。

上記を行なっても問題が解決されない場合は、ブラウザで JaveScript コンソールを開き、Cupboard.clear() と入力して、エンターキーを押します。その後、ブラウザのページを再読み込みします。

最後に書いてある"Cupboard.clear()"が効いた。どういう意味かは分からないが、ひとまず良かった。CDNに関係あるのだろうか?

書いてから思ったが、暫定対処方法が分かっているなら、とりあえず、web版にそういうボタンなり自動処理を入れれば便利なのに・・・ まあ、例によって「解決に向けて取り組んでおります」は「問題の状態を『取り組み中』に設定しました」で、「問題が解決するまでの間」は「Evernoteのやる気が出るまで」または「偶然直るまで」または「永遠」なのだろうw

ただ、毎週、メンテにかかるたびに(ノートの操作ができないのはいいとしても、)空白になって、驚いて、思い出すか調べてこれをやるのはちょっと面倒だ。手順を間違ったら、本当に空になりかねない。頻繁なら、ショートカットのようなもので手軽に実行できるようにしたい(が、何となく難しそうだ)。

 

PS. 検索したら、上位の方はCupboard.clearに気付いていなくて、旧UIに戻すとか一度故意にログインを失敗して再度ログインするとか書いてあったので、余り知られていない解決法のようだ。

  •  1
  •  0

なぜか、Spotifyで「MajiでKoiする5秒前」(1997)が頻繁に掛かる。今となっては結構な大物であろう、広末の歌声がか細いのがおもしろいが、本人にとっては暗黒の歴史なのだろうか? でも、そういうのでもちゃんと配信許可しているのは、やっぱり大物だけある。自分の過去に責任を持っているようで好印象だ。良く居るんだよね、昔の曲を配信しない人・・・※ 売れた後で、「アーティスト」だかなんだかになったつもりで居るからかどうかは分からないが。

※例えば、K川映画で売れた少女(当時)www

一方で、ほとんどが黒歴史=中二病と思われる人だけど、若くして亡くなってしまったために、本人は恥ずかしく感じることもなく、逆に伝説になった、学校の窓ガラスを壊したり盗んだバイクで走り出した人も居るw Spotifyで初めて聴いたけど、結構好きだ。

というか、話は違うんだ。僕はこういう歌は大嫌いだし、そもそも、当時ちゃんと聞いたことすらなかったのに、「なぜ今」って感じだ。だから、少し前までは掛かるとスキップしていたのだが、近頃は、どうしてか「まあ聞いてもいいか」とか思えて、今は通して聴いてしまった。

習慣だか慣れというのは、全く怖いものだ。こうやって、人間は自分でも気付かないうちに変質(「洗脳」)させられるのだろうと思った(というのは、一見もっともらしいが、実際には単なる中二病的言説だw)。

 

PS. 「黒歴史」という点では、広末より作者(こちらも最初は女子大生だったが、今は大物と思われるw)だろう。だって、彼女はデビューしたてで何も分からず、あるいは、選択できずに歌ったんだろうけど、作者はこーんな恥ずかしい歌を恥ずかし気もなく作ったんだから(爆) (4/30 7:15)

  •  0
  •  0

先日思い付いた、Evernoteのバックアッププログラムの件。その後調べ出して、早速遊んでいる(そして疲れたので、休んでいるw)。

まず、バックアップの元(ベース)として必要な、Linuxで動くコマンドラインのEvernoteのプログラムはいくつかあったのだが、前に書いたgeeknoteは検索して頭の方に出て来るものは古く、そこからフォークしたもの(左のリンク先)が新しい(2019)ようだ。ただ、実際に動かすにはEvernoteのAPI keyが要るので、すぐには使えず面倒だったし、個人的に嫌いなPythonなのでなるべく使いたくなかった。

もう一つの候補はclinoteで、これは新しい(2020)。しかも、API keyなしでもすぐに動いた(良く分からないが、OAuthだと不要なのだろうか。それともkeyが既に入っているのか)。言語はGoというもので、名前しか聞いたことなかったが、調べたら作者の一人(トンプソン)はCの作者の一人だった。「え? まだ現役だったのかー」って感じだ。

プログラムを見てみると、Cに似ている感じでPythonよりはとっつきやすい。大嫌いなインデントでのブロックでなく、古き良き"{"と"}"でブロックをくくるのが最高だw ただ、PythonやPHPと違ってインタプリタでないので、動かす前にコンパイルが要るのは面倒だ。

ただ、コンパイルする分、インタプリタだと動かしてみないと出て来ないような間違いが発見できることが多いから(PHPだと、しばらく経ってから「えっ」と冷や汗をかくことが多い)、一概に悪いとも言えない。プログラムを起動したら自動的にコンパイルするようにできれば、インタプリタのように使えるので便利そうだ。

少し(2/3晩くらい?)いじって、どうにかノートとその中の画像をダウンロードできるように改造できたので、あらかじめ考えていたように処理を追加して行けば、Evernoteのバックアップができそうなことが分かった。

ただ、このまま慣れないGo(clinoteを改造)で進むべきか、手慣れたPHP(PHP版SDK利用)で作るのか迷っている。一瞬、Goでは何をするにも検索しなくちゃならなくて面倒だからPHPがいいかと思ったのだが、さまざまな下ごしらえ(例: 認証)をするのが面倒だし、ちゃんと作っても正式なLinux版のEvernoteアプリが出たら不要になりそうなので、今は、clinoteを改造して手軽に済ませたいと思っている。

それから、面倒ではあるが、新しい言語を使うのはおもしろいことはあるし、あとで仕事にも役立つかも知れない(コンパイラだと小さい機器でも軽く動くから、僕の仕事関係でも使えるようになる可能性はある)から、Goで行く※のが良さそうだ。

※ここ、英語だったらおもしろいかなw

 

なお、今のところ、Goはやっぱり変態な印象だ。Cの作者とGoogleという、超強力な変人たちwがからんでいるせいではないか。どうにもおかしいのは文法だ。例えば、なぜ、関数宣言では型を変数名の後に書くのだろうか(型を省略できるってこと?)。いつも間違ってエラーになる。

それから、モジュールのインポートがネット指向なのはいいが、複数の場所でインポートしていたら、インポート元を変える時に大変だ(でも、簡単な誤魔化し方は分かった)。その場所の指定もローカルとネットが陽に区別できないのは異常だ。あと、場合によって","が要ったり要らなかったり、"(", ")"や";"が不要(あってもいい)だったりするが、もっと多様性を減らしてかっちりさせて欲しい。いろいろ意図が分からんし好かん。

まあ、ちゃんと学べば分かるのだろうが、そんな暇はあるけど気力がないw

あと、些細なことだが、モグラのキャラがキモいし、ロゴは古臭い。全然クールじゃなくて(これを見たら使う気にならないよ)、どうにもGoogleらしくないのが不思議だ。

でもまあ、蛇(Python)よりは好きかな(爆)

 

(16:42 わずかに加筆)

  •  0
  •  1

「魔法のように」は英語だと"like a charm"とか言うんだったか(僕はどうも"charm"という単語が気に入らないのだが、それは全く余計な話だw)。まあ、そんな感じだ。(最初はそれを題にしたのだが、書く前に掛かった※が好きだし演奏(特に、ロックバンド的なソリッドな音のギター)がすごくいいので、そっちを使った)

※YouTubeだとTV版ばかりで全然演奏が気に入らないので、Spotifyのリンクにした。なお、TVでは、1983年頃の年末に放映されたライブが良かった。これはCD(当時はレコード)と同じくらい、乗れる演奏だった(正確には順序が逆で、今の僕はCD版が好きだが、それはそのライブの演奏がとても良くて、CD版がそれに近いからだ)。

その「魔法」だが、数日前に別件(机の保守で天板にオイルを塗る)の作業中にちょっとしたことを思い付いて、試して、思わぬことが分かり、それを発展させたら、耳閉感が滅多に起こらなくなった(まだ数日ではあるが、僕にしてみればすごいことだ)ことだ。しかも、音が妙に「いい感じ」になった。例えば、ELTの曲(演奏)だ※。今までは、ほとんどの曲(→ )で ものすごい圧迫感とか威圧感があったが、それがない。妙に自然で、「あれ、本当はこうだったの?」と肩透かしを食うくらいだ。

※TRF(→ )ですら同様だった。全くすごいことだwww この理由を考えてみたら、今の配置は以前同様、低域が少な目になっているので、重低音による圧迫感とか威圧感が緩和されたのではないだろうか。ただ、以前より良くなったように感じるのは謎だ。下記のように両耳で聴いているせいだろうか?

あと、ミックスやマスタリングが当時の音作り(音圧高目= 「海苔」)だったせいは大きいだろうが、その他に、プアな再生機器を前提にして低音と高音を持ち上げていたのもあるかも知れないと想像している。

ここまで書いたあとに気付いたのだが、耳閉感は超低音が多いことや耳の不調の影響は大きいのだろうが、通常時(机に向かっている時)に片耳で聴いていたことも関係していたのかも知れない。左右どっちか調子悪いのか判然としないが、調子が悪いのに片方だけで聴いて、それを脳内で処理したら、かなり疲れそうな気はする。

そして話は本筋に進むが、その「思い付いたこと」というのは、「(大きいのでなく)小さい机をスピーカーの前に置くのなら(要するに、今までのように90°回転せずに普通にスピーカーに向いて座って聴くということ)、以前起こっていた、共振に起因する150Hz付近の高い山(ピーク)が生じないのではないか」ということだ。やってみたら、本当に大丈夫だった。ただ、小さい机だとメイン・サブ二つのディスプレイが載り切らず、実用性に無理がある。

実は、サブディスプレイを無理やり回転させて縦表示にしてみたりしたのだが、やっぱり問題が多かった。例えば、画面の収まりが悪いとか、サブのスタンドは回転しないので、メインとサブのスタンドを交換したのだが、サブは軽いためにメインのスタンドのバネが強過ぎて、すぐ上に動いてしまうこと、逆にメインは重いためにサブのスタンドだと弱いことだ。なお、サブのスタンドが特殊な形なので、そのままではメインに付かず、当たる箇所を切り取っても駄目だったので、支柱の後ろのカバーを外した

それに、仮に小さい机でうまく収まってしまったら、大きい机の立場がなくなってしまう(こんな顔をしてそうだった)ので良くなかった。そこで、ダメ元で大きい机をスピーカーの前(間)に置いてみた。すると、不思議なことに大丈夫だった。

おそらく、以前駄目だったのは、スピーカーの高さが悪かった(110cm程度で、概ね床・天井間の中間だった)のが一番の原因だったのではないか。それが、近頃は低く(70cm未満)したので共振しなくなったのだろう。

あと、今までこの配置をしなかったのは、スピーカーが机の影になって、音の経路に障害ができて音質(特に高音)が劣化すると考えたからだったのも思い出した。それについては今もそうで、机以外にディスプレイも邪魔になっているが(実用的な配置では、どうしても音の経路を充分確保できなかった: シミュレーションでもすれば、最適な解が出そうだが)、何とか許せるくらいの通り道(ほとんど「針の穴」的w)を確保した結果、時には「高音がすごく綺麗・リアル」とまで思うくらいになっている。

実際には、この配置だと、高音は机やディスプレイの端や机上の小物をかすめて耳に来ているだろうし、中低域は直接音はほとんどなさそうだ。すると、回折などの影響で高中域の音質が劣化しているはずだ。その結果、実際に高域の音量は低下している(左(紫→青)・右(オレンジ→赤 )それぞれ約2.5-3dB程度、左右合わせると(ベージュ→灰)5dB程度)のだが、それに合わせてイコライザで中域を多目に減らしているから※、おかしくなく聞こえるのだ。当然、気に入る状態ではないが、まあ、背に腹はかえられない。

※障害物が多いせいか、今回のイコライザは要素が多く、なかなか減らせずに左は5個、右は7個にもなった。

それにしても、音は結構テキトーでもちゃんと聞こえるものだ。感心した。ふむ。

 

PS. 改めて写真を見ると、小さい机の方が障害が少ないので音には良さそうだ。けれど、必要な物が載らないことには難しい。大きい机を脇に置くことも考えたが、食事くらいにしか使わなそうで、無駄な感じだ。まだ流浪は続くのだろうか? (4/27 16:01)

(4/27 15:57 写真と文章を追加; 4/28 11:10 イコライザの記述と画像を修正)

  •  0
  •  1

コロナのおかげで、近頃は無理やり・なし崩し的なテレワーク・リモートワーク・在宅勤務の会社が増えているようだ。昔から、時間と労力の無駄でしかない出勤・通勤とか、会社で決まった時間にみんな顔を揃えて仕事するのが当たり前とかいう謎のルール・風潮が大嫌いな僕には願ったり叶ったりで、「ようやく、待ちに待った来たるべき時代が来た!」な感じだがw、まあ、日本では長続きしなさそうだ。それに、(想像だが、)今は在宅勤務の本質を理解して、ちゃんとやっているところは少ないのではないか(例: クソな運用・管理)。

去年だったか、本当に一瞬だけ在宅勤務をしたことがある。仕事が落ち着いたら感想を書こうと思っていたのだが、落ち着く前に辞めてしまったので書けなかった(と思う。もうすっかり忘却の彼方で、いつのことだったかや書いたかどうかも判然としない)。その時の在宅勤務の感想※を一口で書くと、

なぜか、全然楽じゃなかった。

である。通勤不要で勤務時間も場所も仕事の仕方も自由なのはいいが、生真面目なせいか(というか、本当はサボり症なのだが、やりたい放題していたのがバレて修羅場になるのが嫌なのだw)、途中で休んだり遊んだり外出したりしたら、その分その日の終業が遅くなる訳で、残業しなくても(僕の時間感覚では)結構夜遅くまで掛かって疲れた。会社に居る場合、机に座って居れば何をしていても(概ね)カウントされるが、自宅ではそうも行かない。

※偶然にも同じような感想の方が居た。正確には、僕の感想を裏付ける意見だ。書き方が大っっっ嫌いだけどw、まあ、僕の感想がおかしくなかったことは分かった。そして、確かに、在宅だと5時間くらいがちょうど良さそうだ。でも、ほとんどの会社では、そんな意見を言おうものなら、「は?」だろうな。 (4/27 7:50)

仕事は成果で評価される決めだったので、在宅でも休憩や遊びも会社でのように「適宜」カウントしても良かったのかも知れないが、始めたばかりで勝手が分からなかったので、そうはできなかった。

でも、たとえキツくても、やっぱり在宅の方がいい。もし、この状況を切っ掛けにそういう会社が増えるなら、また勤める気になる可能性は高まりそうだ。しかし、現在はコロナのおかげで外出は自粛だし、(コロナだけのせいじゃないが)景気がすごく悪くて倒産も増えているから、世の中はしばらくは「採用」どころではなさそうだ・・・

 

それから、中小企業では、いきなり「在宅勤務をやれ」って(国や自治体から)言われても、まず無理だろう。PCだのソフトだの回線だのの物理的なものを提供されたとしたって、考え方が追い付かない(仕事の仕方を変えられない)と思う。

大体の会社は無言で無視だろうが、中には何も分かってない偉い人が「しろ」って言って規則はできたが、実際には、みんななんだかんだもっともらしい理屈を付けて(そうしないと偉い人に怒られるので)出社する会社が結構あると想像する。

で、少し経ってから出社率が全然下がってないことが判明する(大抵は外から突っつかれるのが契機)と、クソジジイ偉い人が犯人探しをして社員に責任を押し付けるとw

そうなると、残業時間抑制の実態のように、社員は幽霊的な出勤(= 仮想的な在宅勤務)をし出すのだろうか(なかなか無理がありそうだが、要は、在宅勤務の本質を骨抜きにした形だけの運用)。

そして、見事に「クラスタ」になり、最初に感染が発見された人が悪者になる(「あれほど『体調管理をしっかりしろ』って言ったじゃないか!」など)。でも、そのうちその偉い人も感染して、何食わぬ顔で休むwww

かどうかは分からないが、まあ、ここら辺までが大まかな流れだろう。

  •  1
  •  0