近頃、「イントロが長い曲(演奏)は敬遠される・売れない」というような記事の見出しを見た。若者は時短・タイムパフォーマンスを重視するためだという論調だった気がする。
「(それに比べて)ビートルズのイントロは随分短い」とかいう文も見た。
確かに それもあるかも知れないが、僕は そもそも曲・演奏が悪いのではないかと思う。いい曲・演奏は、いくらイントロが長くたって冒頭だけで良さが分かる(聴き続けたくなる)と思う。
料理だったら匂いや外見、文学なら書き出し※、映画なら最初のカット(あるいは、その前のタイトルと音楽かも)だろうか。絵画などは最初から全体が見えそうだけど、実際には細部があり、音楽のイントロは最初の一目に相当するのだろうか。
※このブログは文学ではないが、決して書き出し(どころか全体も)を工夫して、「お、おもしろそうだ。ちょっと読んでみよう」と思われるようになって居るとは言えない。ただ、いろいろちゃんとしようとすると途端に労力が嵩んで書くのが滞ってしまうので、とりあえず書きやすい書き方で(= 余り考えてないw)、ぱっと見たときに ある程度見やすいように書いている。まあ、工夫することがあるのは題くらいだ。
僕の身近な例を書くと、クラシック音楽の曲・演奏なんて、ポップ音楽のに比べたら とんでもなくイントロが長いものが多い。が、僕は大抵は最初の数秒で判別する。冒頭で駄目だったものを頑張って聴き続けても、印象が覆ることは少ない。
曲で言えば、ショパンのピアノ協奏曲(2曲とも, リンク先は第1番: まあ許容できる演奏)はイントロが延々と長い(約4分)が、それに耐えて聴き続けるほど いいとは思えない。チャイコフスキーのピアノ協奏曲はイントロ相当は短い(数秒)が、僕に言わせれば大げさかつ古臭く、それだけで聴きたくなくなる。
モーツァルトの後期のピアノ協奏曲(第20番以降)は どれもいい感じなのだが、第22番だけは大げさ・古臭くて嫌だ(リンク先は数少ない許容できる演奏)。
以上、すべて個人的な感想である。好きな方には申し訳ない。
一方、ラフマニノフのピアノ協奏曲 第2番なんて、最初の一音(和音)だけでグッと来る(ただし、好きな演奏の場合)。まあ、あれはイントロでなく「身」なのかも知れない。
どれもいい感じのモーツァルトの後期のピアノ協奏曲の中でも特にいい感じのものは、とりあえず第23番と第24番を挙げる。
とは言え、聴き慣れない・好きでない方には どれも退屈なのかも知れない。。。
(僕にとっての)珍しい例では、同じくラフマニノフのピアノ協奏曲 第3番のイントロは地味で いかにも普通・陳腐で、それでいて聴くのが面倒な印象で(これは正しい)、ちょっと聴いただけだと中身もそういう雰囲気なのだが、我慢して何度も聴くと良さ・すごさが分かってくる。ただし、それが分かるには いい演奏に当たる必要がある。そういう意味では、この曲は第2番とは違って一般受けしないマニアックな曲で、ポップ音楽で言えば「売れない」曲なのだろう。
演奏について書くとキリがないが、やっぱり冒頭で分かる。例えば、ピアノ協奏曲ならピアノが出る前から分かる。
だから、今のポップ音楽だって、イントロが長いから嫌われる・売れないのでなく、(しょうもないイントロを)我慢して聴き続けても それに見合う「ご褒美」(サビ)がないから、あるいは、イントロから すごい「身」が期待・想像できず、実際そうだからではなかろうか? それなら僕と同じことだ。
もちろん、僕は今のポップ音楽を全く知らないので、単なる推測だ。
要するに、売れる曲・演奏は「最初から最後までいい」ってことなのだろう。そのために、大衆受けするとか世俗的とか言われるし 実際そうだろうが、いいものはいい。
PS. 以前 書いた気がするが、文章、特にニュース記事のイントロという点で、安易なアイキャッチ画像は逆効果だ。その記事のために撮影された「本物」の写真などであれば良いが、全く関係ない(単にキーワードが合っているだけ)ストックフォトは誤解を招く。記事に関係する人物のものでも、無関係な場面や過去のものでは意味がなく、その人物への反感を生むことさえあるから良くない。
特にないなら載せないほうが良いが、場所を埋めるために何か載せたいなら、イラストが良いのではなかろうか。イラストなら実際の登場人物・事件の場面と誤解することはない(もちろん、記事と異なる状況が描かれていたら駄目だ)。以前書いたが、いらすとや のものは なかなか良い。あとは、今はAIで生成することだろうか。