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(酔っているので消化不良的だけど、とりあえず出す。)

近頃、ネットに公開された画像やイラストを学習してイラストや画像を生成するAIが叩かれている。 ― 何が悪いのかと思う。

人間が見るのはいいが、コンピューターが見る(自動的に大量に読み込んで作風や技術を学習する)※のは嫌なのか? なぜ? 自分はどうだった? 過去や現在の有名な方の作品を数多く見て作風や技術を学んだのではないか? なぜ、それは いいのか?

※それが嫌なら公開しなければいい。

さすがに、「そんなことない! 私は生まれた時から自分だけで作風や技術を確立したんだ!」と言い切れる人は ほとんど居ないだろう(もちろん、居るとは思う)。

すると、人間とAIの差は処理能力や速度になる。が、それは、結局、古い人間の「楽しちゃいかん!」みたいな下らない価値観と同じではないか?

馬鹿だと思う。すごく冷たい言い方だけど、苦労しようがしまいが関係ない。楽したって全然いい。いいものが できればいい。才能やセンスの問題だ。コンピューター(AI)は物量が得意だけど、それ以外で勝負すればいいじゃないか。

苦労は不要とは書いたが、自分の才能やセンスを伸ばす努力は必要だろう(そういうことが可能なのなら)。あるいは、AIをうまく使えば、技術ではなく本質・中身にパワーを掛けられるようになるのだから、今よりずっといいものができそうではないか。

要するに、昔は筆が ちゃんと使えないとどうにもならなかったけど、今はそれがマウスやペンやタブレットや描画アプリになったのではないか? それは技術の問題で、芸術とは違うと思う。

更に簡単な例は、文章だ。: ほとんどの人は文字が書けて文章が書けるが、文学作品は書けない。それは、鉛筆とか万年筆とかボールペンとかワープロとかPCとかは全く関係ない。「*が使えないから小説が書けない」ということは全くない。逆に、何でも使えれば小説が書ける訳ではない。

そう言えば、某冬季オリンピックの招致だかなんだかのスローガンだかの言葉は すごく短いにも関わらず、読点の使い方が全くおかしくて誤解を生む、とんでもないものだ。※ PCなどが使えたって、短い文章すら満足に書けない情けなさ。。。 そんなのなら、AIのほうが ずっとすっきり来るものを作るはずだ。

※でも、それに違和感を感じない人が大半なのだろう・・・

突然分野が変わるが、音楽も同じだ。

僕は演奏できないが、そのうち演奏技術はAIに任せる時代が来るのを確信している。だから、今は楽器が弾けないと話にならず、かと言って楽器が弾ける(身体が動く)だけでは意味がないが、いつか、楽器が弾けなくても問題ない時代が来る。かと言って、それは、ズブの素人(僕も含める)でも いい演奏ができるようになるなんてことでは全くない。

これも才能やセンスの問題だ。

もちろん、才能やセンスが要らない、量産的なものはAIで充分だ。それで職を奪われそうな人が文句を言っているのかも知れない。なるほど分かる。が、昔からそういうものだ。技術の発展とともになくなる仕事は多い。: 例えば、昔はタイプを打つ仕事があったが、今はないではないか。今後はプログラムを書く仕事(コーディング)だってなくなるはずだし、コンピューターの管理をする仕事だってなくなるはずだ。

 

そして、いつかはAIと人間が才能やセンスを競うことになるのだろうか? 余り考えたくないが、そうなるのかも知れない。それでも、芸術の究極としては正しいのかも知れない。「芸術は人間だけが行う」という条件がなければ。

 

PS. これは忘れずに書くべきことだが、音楽の演奏のために楽器(あるいは自分の声を扱う技術)を習得している・した人たちの努力は無駄・無意味だと言うつもりは全くない。少なくとも今は、自分で演奏しなければ自分の表現ができないからだ。

PS2. これは決してピアニストをディスっているのではないが、良く、「ピアニストになるには3歳くらいから始めなければいけない」などと言われていて、実際多くの有名な方は そういう経歴だが、それは一体何のためか分からなくなった。純粋に技術(弾き方)の習得のためなのか? そうでなく、さまざまなジャンルや様式や曲の意図・弾き方・表現方法を学ぶため?

前者であれば、本文に書いたように、将来は、AIを活用することで そういう大変な(、かつ、報われないこともある)修行が不要になるかも知れない。そうなれば、もっと中身(表現など)の研鑽に時間を掛けることができるようになるだろうし、入門できる時期が広くなって、演奏者(異論が ありそうなので、表現者と言ってもいい)が増えそうだ。 (10/31 11:52)

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